はじめての「金継ぎ教室」体験レポート。修復専門家 河井菜摘さんに習う

以前の記事「漆を使って器をなおす、修復専門家のしごと」にてお話を伺った修復専門家、河井菜摘さん。インタビューのなかで「日用品はそれぞれが自分でなおせる方が良い」と話してくれた河井さんの教室で、実際に金継ぎに挑戦してみました。

東京都内で行われる金継ぎ教室

ある月曜の朝、通勤ラッシュの地下鉄で押しつぶされそうになりながら向かったのは清澄白河。下町の情緒が色濃く残りつつも、アートの街として、最近はコーヒーの街としても知られています。

駅から歩いて10分ほどのところにあるマンションの一室で、金継ぎ教室は行われています。教室へ入ると、大きなテーブルに作業用の席が10席ほど用意されています。それぞれの席にビニール製のマットが敷かれ、テーブルの中心には漆のしごとに使う道具がたくさん並んでいました。

金継ぎ教室に持参した器

持ってきた器は4つ。口が欠けてしまったカップが3つと、割れてしまった大きなお皿がひとつです。どれも大切に使っていたものの、いつからか割れたり欠けたりしてしまいました。

金継ぎ教室に持参した器
金継ぎ教室に持参した器

金継ぎキットを確認

器を先生にみてもらったら、金継ぎキットの中身を確認します。必要な道具は思っていたよりも少なく、意外と身近なものが多い。このほかに、自分でカッターとはさみ、エプロンを用意します。

この道具たちで金継ぎができるのかとワクワクすると同時に、教室オリジナルの金継ぎノートがかわいらしく、「大丈夫!難しくないよ!」と言ってくれているようで勇気がわいてきました。必要な道具が揃っていることを確認し、いよいよ金継ぎの作業スタート。

金継ぎキット

金継ぎは、漆の技法のひとつ

早速、主役である漆の登場です。漆は肌につくとかぶれてしまうため、作業中は薄いゴムの手袋を着用します。

「金継ぎ」という名前から、金で継いでいると勘違いされることも多いのですが、金継ぎは漆の技法のひとつです。漆が接着剤になって割れた器をくっつけて、破損した部分は漆で埋めて復元する。金はその上から蒔いているだけで、お化粧のようなものです。

金の代わりに銀を蒔いたりそのまま漆で仕上げることもあるそうですが、金はどんな器にも合うため、河井さんははじめての方には金をおすすめすることが多いのだとか。

当たり前に漆、漆とくり返していますが、私たちが漆と呼んでいるものはウルシ科の漆の木の樹液です。漆の木に傷をつけて、出てくる樹液を採集したものがこの生漆。チューブから出した直後はベージュ色ですが、空気に触れることですぐに濃い茶色に変色します。

漆

漆は水分があるところで乾きます。よく乾くのに必要な条件は温度が25度以上で、湿度が65%以上。乾くというよりは硬化するといったイメージなのですが、ジメジメした時期はよく乾き、逆に空気が乾燥し、気温の低い冬は必ず保管用の室(むろ)に入れないと乾かないそうです。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

材料は、漆とお餅と土と木

次に登場したのは和菓子に使うお餅の粉です。和菓子に使うものなので、口に入れてももちろん大丈夫。なんとお餅と漆を混ぜることで、糊漆(のりうるし)という天然の接着剤になるのです。割れをくっつける作業は、この糊漆を使って進めていきます。

パズルのように組み合わせていきます
パズルのように組み合わせていきます

次は欠けを埋める作業です。使うのはケヤキの木の粉と土の粉。先ほどの糊漆に木の粉を混ぜると欠けを埋める天然のペーストになり、これを刻苧(こくそ)と呼びます。もうひとつ、土の粉とお水を混ぜたものに漆を加えると錆漆(さびうるし)に。

錆といっても金属ではなくて、土とお水と樹液といったすべて天然の材料からできています。ちなみに今回使う土の粉は京都の稲荷山の土だそうです。金継ぎは器にも人にもやさしいと聞いたことがありますが、環境にもやさしいのかもしれません。

ガラスの板の上で、刻苧や錆漆をつくっていきます
ガラスの板の上で、刻苧や錆漆をつくっていきます

欠けの大きさや形状によってこのふたつを使い分け、欠けてしまった部分を復元していきます。

はじめての金継ぎ教室

根気強く、なめらかに

糊漆と錆漆でベースができたら、錆漆をデザインカッターや3種類の紙やすりを使い分けながら削って、研いで、形を整えなめらかにしていきます。

はじめての金継ぎ教室

その上に弁柄漆(べんがらうるし)と呼ばれる赤い漆を錆漆をなぞるように塗っていきます。それをまたなめらかに紙やすりで研いで、もう一度。錆漆の上に漆を塗ることで防水性を出していきます。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

弁柄漆とは、顔料の入った色のついた漆の1種。こういった色のついた漆は、生漆を精製して有色透明な茶色に仕上げた透漆(すきうるし)をベースに顔料を入れたもので、総称して色漆(いろうるし)と呼ばれています。

私たちになじみ深い漆の色は赤色ですが、青や緑のものもあるそう。白漆には白い顔料を入れているけれど、もともと茶色の透漆に対して白を足しているので仕上がりは薄いベージュになる。それが漆らしい色で持ち味なのだと河井さんは教えてくれました。

はじめての金継ぎ教室

数ある色漆の中で、なぜ金継ぎでは弁柄漆を使うのか。ひとつの理由として、金を蒔いた時に下に赤色があると金の発色が良く見えるそうです。言われてみれば、油絵の色の塗り方だったり、私たちの普段のお化粧だったり、同じようなことはよくありますね。

根気強く、表面をなめらかに仕上げたら、いよいよ最後の弁柄漆。この漆が金粉の接着剤になるので、金の形を決めることになります。慎重に慎重に。いつの間にか表情も真剣に。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

金継ぎのクライマックス「金蒔き」

ほぼ全ての工程を終えて、残すは金粉を蒔くのみ。今回使うのは金粉の中でもいちばん細かいもので、肉眼で見ても消えるように細かい。

金の値段は年々変わっているそうで、10年前は1g当たり3,200円くらいだったものが、今は2倍以上の金額だとか。ただ、この金粉は細かいので思っているよりもたくさんの面積に蒔くことができるそうです。

はじめての金継ぎ教室

使う道具は毛棒と真綿。まず毛棒に金粉を含ませて、弁柄漆めがけて金粉を落としていき、フワフワの真綿を使って磨いていきます。やさしくやさしく。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
完成です!
完成です!

それまでの苦労が嘘だったかのように、最後の金蒔きの作業はあっという間。それでも、教室内でちょっとした歓声があがるぐらい、金を蒔いた器たちは美しく、新品の器にはない魅力に溢れていました。

はじめての金継ぎ教室

2時間半の教室を3日間、少し急ぎ足ではあったものの小さな欠けの2点は仕上げることができました。

実際に自分が手を動かしてみることで、自分が使うもの、壊したものを自分でなおすことは、当たり前のようで普段できていないことだということ。河井さんの話してくれた変幻自在の漆のおもしろさ。すべて自然の材料を使っていること。たくさんの発見に満ちた3日間でした。

河井さんの教室はキャンセル待ちも多いようですが、金継ぎは市販で本やキットも販売され、教室も多くあるようです。お宅に眠る欠けてしまった器たち、ぜひなおして救ってあげてくださいね。

河井菜摘さんのインタビュー記事
漆を使って器をなおす、修復専門家のしごと


河井菜摘(かわいなつみ)

鳥取、京都、東京の3拠点で生活をし「共直し」と漆を主軸とした修復専門家として活動。陶磁器、漆器、竹製品、木製品など日常使いの器から古美術品まで600点以上の修復を行う。修理の仕事の他に各スタジオでは漆と金継ぎの教室を開講し、漆作家としても活動している。
kawainatsumi.com

文:井上麻那巳
写真:伊藤ひかり・中村ナリコ

こちらは、2017年2月9日の記事を再編集して公開しました

【はたらくをはなそう】日本市店長 白井実穂

白井実穂
(日本市 博多デイトス店 店長)

2014年 直営店スタッフとして入社
2017年 中川政七商店 広島パルコ店 店長
2018年 中川政七商店 イオンモール岡山店 店長
同年 日本市 博多デイトス店 店長

中川政七商店で働いていると、
中川政七商店があるその土地と自分とのつながりを感じます。

それはお客さまとの会話、スタッフとのコミュニケーション、
メーカーさんとのつながりであったり、
工芸、産地、おいしいもの、景色が綺麗な場所、
もともとは縁も所縁もなかったその土地を愛おしく、
自然とおすすめしたい気持ちになっていきます。

わたしは自分の生まれた土地を誇りに思っていて、
その土地の素敵なことやものを、たくさんの人に知ってほしいと思っています。
実は中川政七商店に関わる人は、皆そうなのかもしれません。

わたしにとってはたらくということは、
「自分の思いを実現すること」です。

お店を通して中川政七商店に関わるたくさんの人たちに、
日本のたくさんの工芸やその産地に興味を持ち、それらを誇りに思ってもらうこと。
そして、それを積み重ねることで、作り手さんにも誇りを持ってもらうこと。
その結果、工芸を未来に残していくこと。

それを実現するとき、
わたしが肌で感じたその土地に対する愛おしい気持ちや、
スタッフの皆さんがその土地を大好きな気持ちは
とても説得力があって、信頼できることだと感じます。

この7月から、より地域に密着したお店で働きたいという希望もあり、
お土産業界の地産地消を目指す「日本市」というブランドへ異動しました。
いままでにない地元メーカーさんとのコミュニケーションができ、
これからの展開にワクワクしています。

世の中のたくさんの皆さんに
よりよく伝えられる、良いタッチポイントであるように
お店のスタッフの皆さんと地元メーカーさんと協力して
毎日楽しくここちよいお店を作り上げていきたいです。

道後名物「湯かご」とは?竹かごを手に愉しむ、温泉街のそぞろ歩き

自然の素材で編んだ「かご」。素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。

連載「日本全国、かご編みめぐり」では、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介します。

愛媛県松山市、道後温泉を訪ねます

今回訪ねたのは、愛媛県松山市の道後温泉。

3000年の歴史を持ち日本最古の温泉ともいわれる、かの有名な道後温泉は国指定重要文化財に登録されています。

古くから多くの人々に愛され、神話の時代の大国主命(オオクニヌシノミコト)や、聖徳太子をはじめとする皇室の方々や、「坊っちゃん」で有名な夏目漱石といった文化人などの来訪も多く記録に残っているといいます。

夜の道後温泉本館。たくさんの人々で賑わいます。
夜の道後温泉本館。たくさんの人々で賑わいます。

夜空に浮かびあがる姿も幻想的。塔屋の上には白鷺のモチーフ。昔、白鷺がこの道後温泉を発見したのだといわれています。
夜空に浮かびあがる姿も幻想的。塔屋の上には白鷺のモチーフ。昔、白鷺がこの道後温泉を発見したのだといわれています。

日が落ちたころ、この辺りにはお宿の浴衣に身を包んだ観光客の人々が多く見られます。

そして、その手には片小ぶりの可愛らしいかご。これは一体‥‥?

道後温泉の玄関前。若い男性陣の手に、かご。
道後温泉の玄関前。若い男性陣の手に、かご。

入浴券を買うために並んでいる人々の手に、かご。
入浴券を買うために並んでいる人々の手に、かご。

温泉前で佇むおじさまの手に、かご。
温泉前で佇むおじさまの手に、かご。

お土産物や飲食店が立ち並ぶ商店街を歩く人の手に、かご。
お土産物や飲食店が立ち並ぶ商店街を歩く人の手に、かご。

「ちょっと見せてください〜」「いいですよ、かわいいでしょ?」
「ちょっと見せてください〜」「いいですよ、かわいいでしょ?」

すると、ちょうど商店街に立ち並ぶお店で似たかごを発見!どうやらこれは「湯かご」と呼ばれているようです。

色々なサイズのものが重なって目を引く「湯かご」。
色々なサイズのものが重なって目を引く「湯かご」。

こちらのお店「竹屋」さんでお話を聞いてみることにしました。出迎えてくださったのは、物腰やわらかで笑顔で迎えてくださった女性、「竹屋」代表の得能光(とくのう・ひかり)さんです。

———こんにちは。こちらは竹のものを扱ってらっしゃるんですね。観光の方が小さなかごを持ってらっしゃるのはこちらのものですか?

「湯かご」のことですね。うちのかごもありますが、大半は近隣の宿が小さな「湯かご」を宿泊のお客さんに貸し出しているんですよ。

温泉のある宿もありますが、やはり歴史ある道後温泉本館のお風呂に入りに来られる方が多いですから、宿から湯かごを下げて歩いて来られます。

———そうなんですね。「湯かご」というのは昔からあるものなんですか?

「湯かご」は、元々は地元の人がお風呂に通うために、竹かごに石鹸や手ぬぐいを入れて持って行ったという実用品です。

うちのお店は竹のものを扱って今年の春で50年目を迎えるんですが、当時の地元の人の需要に応えるために、職人に頼んで「湯かご」になるかごをつくってきました。20年ほど前から、県外から来られた方が地元の人の「湯かご」を見て、かわいいとおっしゃって。

お土産としてうちの店のものが人気になったんです。

青竹を使った「あおゆかご」。職人さんの手によって、サイズもいろいろです。
青竹を使った「あおゆかご」。職人さんの手によって、サイズもいろいろです。

青々とした竹の色が鮮やか。経年で黄色く変化していくのだそう。底は「菊底編み」で、ここを中心として編み上げていきます。
青々とした竹の色が鮮やか。経年で黄色く変化していくのだそう。底は「菊底編み」で、ここを中心として編み上げていきます。

———「湯かご」としてのデザインは、昔からずっと変わらないのですか?

今、主流になっている「湯かご」のデザインは、わたしの父が最初に職人さんにつくってもらった「あおゆかご」です。

でも、「湯かご」の元祖は地元の方がお家にあった手のついた花かごの筒を抜いて、温泉に持っていったのが始まりとも言われているんですよ。

こちらの「しろゆかご」がその元祖のものです。花かごっぽいでしょう?

こちらが元祖「しろゆかご」。細く繊細なひごで編まれています。たしかに、お花が飾れそう。
こちらが元祖「しろゆかご」。細く繊細なひごで編まれています。たしかに、お花が飾れそう。

底は「網代(あじろ)底編み」という編み方で、これまた繊細です。
底は「網代(あじろ)底編み」という編み方で、これまた繊細です。

———「あおゆかご」と「しろゆかご」、印象がずいぶん違いますね。職人さんはたくさんいらっしゃるんでしょうか?

職人さんは、ひごをつくる職人さんと、編む職人さんがいます。

「しろゆかご」はひごの準備が繊細な作業になるんです。「あおゆかご」のように青竹を扱っている方は、だいたい全部の工程を1人でされる方が多いです。個人や家族でされている方がほとんどなのであまり人数はいないですね。

最近はうまく世襲ができず、おじいさんの代からひと世代空いて、その下の若い世代の方ががんばっている印象でしょうか。お父さん世代は、高度成長期にきっと別の仕事に就かれたんでしょうね。

店内は大きなかごや、お弁当箱など、竹を使ったものがたくさん扱われています。
店内は大きなかごや、お弁当箱など、竹を使ったものがたくさん扱われています。

———竹はこのあたりのものですか?

はい、もちろん。

別府の竹細工もそうですが、温泉地で竹細工が発展したのは、昔、温泉のお湯を利用して竹を曲げて細工していたからなんですね。

地熱の関係か、温泉地は温暖で竹が成長しやすいことも発展の理由だと思います。

かつて、聖徳太子がこの地を訪れた際、質の良い「伊予竹」という真竹が生息している竹林を見て「これで産業を興しなさい」と伝えたという話も残されています。

当時は、宮中に献上するすだれをつくったり、竹細工が盛んだったと聞いています。

———献上品だったのですね。質も高くてやはり高価なものだったんでしょうか。

もちろん竹の質は良いですし、手もかかったものですが、竹細工はきっと特別な工芸品というわけではなかったと思います。

農家の人が自分の家の近くの竹を割いて、冬の農閑期に編み、暮らしの道具として使っていたんでしょうね。竹は生息も早かったので、いろいろな道具にされていたようです。

普段使いの台所道具、ざるも揃っています。
普段使いの台所道具、ざるも揃っています。

うなぎを獲る、「竹びく」まで!
うなぎを獲る、「竹びく」まで!

もちろん、伝統的な花かごも色々。
もちろん、伝統的な花かごも色々。

———ところで、このあたりはずっと商店街だったんですか?あと、近隣の宿で「湯かご」を貸し出しはじめたのは割と最近のことなのでしょうか?

このあたりは、昔はお遍路の宿や、湯治場としての宿が多かったんです。お土産物やさんが増えたのもうちの店ができた頃なので50年ほど前。

近隣の宿やホテルで「湯かご」を貸し出し始めたのは10年ほど前で、うちの国産の「湯かご」を使ってもらっていたのですが、貸し出し用ということでやはり痛んでしまうことが多くて。

旅館組合さんのほうで海外産の安価なものを作られたようです。

———ええ、なんだか世知辛い感じがしますね。

でもね、そのおかげでたくさんの方が「湯かご」を手にして道後を歩くようになり、道後の名物というか風物詩のようになったんです。

お客さんがこの土地を楽しんでくださる機会になったので、悪いことだとは思っていません。

観光の方が「湯かご」に愛着をもって、道後温泉で過ごした思い出にうちの国産の「湯かご」をお土産に購入して持って帰られますし、それはそれで、やはり嬉しいので良かったなと。

今でももちろん、うちの「湯かご」を貸し出し用に使って下さっているお宿もあります。

———相乗効果、なんですね。私も「湯かご」が欲しくなりました。明日はマイ湯かごで道後温泉に行ってみます!どうもありがとうございました。

商店街の中の「竹屋」を後にします。お土産物のほか、竹の台所道具など、欲しいものがたくさんありました。
商店街の中の「竹屋」を後にします。お土産物のほか、竹の台所道具など、欲しいものがたくさんありました。

たくさんお話を聞かせていただき、「あおゆかご」を購入して宿に戻ると、貸し出し用の「湯かご」がたくさん並んでいました。

宿泊した宿で貸し出していた「湯かご」。観光客の皆さんは、これを持っていたのですね。
宿泊した宿で貸し出していた「湯かご」。観光客の皆さんは、これを持っていたのですね。

こちらも可愛らしいですが、やはり、つくりは「竹屋」さんのものが抜群にしっかりしています。いい「湯かご」を持っていざ道後温泉へ。楽しみです。

いざ、「湯かご」を持って道後温泉へ

この土地でつくられた「湯かご」を持っている人はあまり多くなく、私はなんだか鼻高々で道後温泉へ。

昼間の道後温泉はわりと空いていておすすめです。
昼間の道後温泉はわりと空いていておすすめです。

発券所に並んで、好きなコースの入浴券を購入。
発券所に並んで、好きなコースの入浴券を購入。

道後温泉は入浴コースがいくつかあり、入浴のみのコースから、浴衣や貸しタオル付き、さらに湯上りにお茶やお菓子もいただけるというコースまでさまざまな楽しみ方ができます。今回はせっかくなのでいちばん贅沢な個室の休憩室がついたコースを選びました。

かつて「上等」と呼ばれた3階の個室。白鷺模様の浴衣に着替えます。
かつて「上等」と呼ばれた3階の個室。白鷺模様の浴衣に着替えます。

浴衣に着替えたら、湯かごを下げて温泉に。いってきます!
浴衣に着替えたら、湯かごを下げて温泉に。いってきます!

壁に砥部焼の陶板画が飾られ、湯釜と呼ばれる湯口が鎮座する「神の湯」、庵治石や大島石の浴槽や大理石の壁面など高級感のある「霊の湯」、2種類のお風呂が楽しめます。
壁に砥部焼の陶板画が飾られ、湯釜と呼ばれる湯口が鎮座する「神の湯」、庵治石や大島石の浴槽や大理石の壁面など高級感のある「霊の湯」、2種類のお風呂が楽しめます。

日本人のきめ細やかな肌にやさしく、湯治や美容に適するという道後温泉の湯。それぞれ温度の違う18本の源泉からバランス良く汲み上げることから、ちょうど42度の適温を保っているそうです。

みなさん、湯船では頭の上にタオルをのせて「いい湯だな〜」と自然と鼻歌がでる感じ。日本人はやっぱり、温泉が好きですね。さて、2種のお風呂を存分に堪能して休憩室に戻ると間もなく、お茶とお菓子が運ばれてきました。

砥部焼の茶碗に、輪島塗の器。3階個室では道後名物「坊っちゃん団子」がいただけます。 
砥部焼の茶碗に、輪島塗の器。3階個室では道後名物「坊っちゃん団子」がいただけます。

開け放たれた窓からの景色も良い感じ。濡れた手ぬぐいを乾かしつつ、私も風にあたりながらお茶をいただきます。
開け放たれた窓からの景色も良い感じ。濡れた手ぬぐいを乾かしつつ、私も風にあたりながらお茶をいただきます。

少しうとうとするぐらいゆっくり休憩したあとは、館内の見学を。

松山の地にゆかりのある夏目漱石に関連した「坊っちゃんの間」や、明治32年に建てられた日本で唯一の皇室専用浴室「又新殿」などを拝見しました。

明治時代の「湯券」などの展示も行われています。
明治時代の「湯券」などの展示も行われています。

広間の2階席はこんな感じ。こちらもわいわいと楽しく寛げそうです。
広間の2階席はこんな感じ。こちらもわいわいと楽しく寛げそうです。

歴史ある道後温泉の地、松山で生まれた「湯かご」。

この「湯かご」もまた、これから多くの人々に愛されてさらに歴史を刻んでいくのでしょう。しかし、職人さんが少なくなっていることや技術の継承が難しくなっていることも事実。

この文化が、流れる時間の中であるべき形でうまく残っていくことを願いつつ、まずはみなさんに「湯かご」文化を知ってもらい、そしてこの地を実際に訪れて楽しく「湯かご」に触れていただければ嬉しいなと思います。

夏の道後温泉も、とても気持ちが良さそうです。

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<取材協力>
「竹屋」
愛媛県松山市道後湯之町6−15-1F
089-921-5055
http://www.takeya.com

「道後温泉本館」
愛媛県松山市道後湯之町6-8
089-921-5141
http://www.dogo.or.jp

文・写真:杉浦葉子

*2017年2月の記事を再編集して掲載しました。暑い季節に温泉で汗を流して、浴衣に湯かごで涼しげに街をそぞろ歩くのも、楽しそうですね。

滋賀の水が生んだ文化とふたつのお酒

大阪のクリエイティブ集団「graf」はデザインをし、家具をつくり、おいしいごはんと素敵なものを届けるちょっと変わった会社です。その代表を務める服部滋樹(はっとりしげき)さんは、ソーシャルデザインの視点から滋賀の魅力を見出すプロジェクト「MUSUBU SHIGA」のブランディングディレクターを務めていました。そんな服部さんに、プロジェクトを通じて調査(リサーチ)・再発見した滋賀のあたらしい価値、魅力を教えてもらいました。

滋賀の水が生んだものづくり

MUSUBU SHIGAプロジェクトの取材で石川亮さんとふたり、滋賀の水源となる湧き水スポットをめぐった服部さん。石川亮さんは、2010年頃より近江の地域伝承や地名など、様々な要因で名付けられた湧水を収集し作品制作したことがきっかけとなり、滋賀県の湧水を調べ、その背景やルーツを探究しているアートディレクター・美術家。その石川さんの案内でめぐった滋賀の水源から、どのようなものづくりが見えてきたのでしょうか。

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個性ある120ヶ所の湧き水

地理的にも精神的にも琵琶湖を中心とした滋賀県にとって、水は切っても切り離せない大きな存在。水のおかげで暮らしがある。水と関係する仕事が多いのも、滋賀県の特徴ではないかと服部さんは語ります。

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滋賀県にある湧き水スポットは約120ヶ所。それぞれに水の個性があり、個性によって活躍の場所が違います。農業に適した水や、水産業に向いている水など、良質の水をそれぞれに適した仕事に活かしている。そのなかで、人の営みと生活が成立していることが滋賀県の魅力のひとつだと感じたそうです。

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琵琶湖の中心に浮かぶ暮らし

服部さんが、滋賀県の暮らしの根幹となる文化があるのではないかと向かった先は、琵琶湖の中心に浮かぶ小さな島、沖島(おきしま)。沖島は、日本で唯一の淡水の湖で人が住む島です。

近江八幡市の堀切港から小さな船で10分弱。目的地の沖島には生活の糧となる小さな畑が多く存在。また、港が島の人々の憩いの場になり、夜中には漁船が出て、四季折々の魚を漁獲しています。その中には最高級の湖魚、ビワマスも。ひとつの湖に多くの生態系が存在し、1年のサイクルで生活と仕事が循環していることを感じたそうです。

水の恵みからお米、お酒へ

一方、琵琶湖を囲む陸地と山には農業エリアも多い。滋賀県と関わるようになり、本当においしいお米も毎年いただけるようになったとうれしそうな服部さん。琵琶湖の西と東で違うお米の味を楽しめるのも、滋賀の水の魅力です。水の恵みからお米ができ、そしてお酒へ。お米と水を原料とする日本酒ですが、滋賀のお酒は特に歴史が古いものが多いそうです。

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その中のひとつ、冨田酒造さんも460年の歴史があり、現在杜氏を務めるのは15代目の冨田泰伸さん。冨田酒造のお酒は伝統を引き継ぐ名酒として日本酒好きの間では知られていますが、同時に今の生活スタイルに合ったお酒を考案しています。伝統を大切にしながらも一方で時代に合わせるという考え方も持っていることで営みがサイクルとして回っている、素晴らしいものづくりのあり方だと語ってくれました。思想が揺るがずに技術を更新する、その土地に根付いているからこそ行える伝統の受け継ぎ方が、そこにはあります。

雨の中、出番を待つ冨田酒造の杉玉
雨の中、出番を待つ冨田酒造の杉玉

水の恵みを求めてやってきたラム酒

歴史が古いものが多い滋賀のお酒ですが、その一方で新しく参入してくるお酒もあります。なんとラム酒を滋賀県でつくっているのです。日本で製造していること自体がめずらしいラム酒。滋賀の水の恵みを一身に受けたナインリーヴズさんのラム酒から研ぎすまされたものづくりの精神を感じたという服部さんに、そこから見える滋賀の文化について聞きました。

ナインリーヴズののラム酒
ナインリーヴズのラム酒

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良い水を求めて滋賀へやってきたナインリーヴズさんと出会い、服部さんの頭の中には、遊牧民がそうであったように、人は営みに適した土地へ移動するというシンプルな事実が浮かんだそうです。人が土地に興味を持つ理由はさまざまですが、滋賀県には神秘的な光景や安定した土壌、そして水。人びとを魅了する土地の力が脈々と流れていました。

素材があり、人がいるから生まれるもの

冨田酒造の冨田さんいわく「出どころは狭く、出先は広く」。そのことばにあるように、この土地に素材があったからこそ人が出入りしただろうし、長く素材とともに生きた人たちは出入りする人から新しい感覚を得てきたのではないでしょうか。裏を返せば、閉鎖的な状態だと現在の滋賀の魅力、文化は生まれなかったとも言えます。同じ水の源から生まれた伝統と革新の味、それぞれ味わってみてはいかがでしょうか。

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服部滋樹(graf
1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。

冨田酒造
琵琶湖の最北端、賤ヶ岳山麓の北国街道沿いで460余年の歴史を刻む酒蔵。銘柄は賤ヶ岳の合戦で武功を立て秀吉を天下人へと導いた加藤清正ら勇猛な七人の若
武者「賤ヶ岳の七本槍」にちなむ。地酒の「地」の部分に重きを置く事をコンセプトとし、地元の農家と提携し滋賀の米・水・環境で醸す本当の意味での地酒造りに専念する。伝統的な日本酒製法を大切にしつつ、スパークリング日本酒や日本酒のシェリー樽熟成など新しい取組もかかさない。ボトルに湖北の魅力を詰め込み、国内はもとより海外へも積極的に発信している。

ナインリーヴズ
2013年にスタートした、まったくあたらしい国産ラム酒のマイクロディスティラリー。自動車部品製造で培った日本ならではの“ものづくり”の心をもって、隠しごとなく、正直にラムを造っている。国産ラム酒として最も多く海外のコンテストで入賞し美味しいと評価を得ている。ラムフェスト・パリ 2014にてイノベーション部門銀賞、第三回 マドリッドインターナショナルラムコンテスト 2014にて熟成期間5年以下の部 銅賞、第四回 ジャーマンラムフェスティバル・ベルリン 2014にて新人賞、マイアミ・ラム・ルネサンス・フェスティバル 2015にてプレミアムホワイトラム部門金賞を受賞。

MUSUBU SHIGA
2014年、滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信し、ブランド力を高めていく為に発足された(2017年に終了)。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。くらしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を考えている。

文・写真:井上麻那巳
風景写真:服部滋樹
イラスト:今 美月(滋賀県立栗東高校美術科ビジュアルデザイン専攻)

*こちらは、2017年2月22日の記事を再編集して公開しました

琵琶湖の北西で100余年。和ろうそく工房と跡取り息子の挑戦

大阪のクリエイティブ集団、grafはデザインをし、家具をつくり、おいしいごはんと素敵なものを届けるちょっと変わった会社です。その代表を務める服部滋樹(はっとりしげき)さんは、ソーシャルデザインの視点から滋賀の魅力を見出すプロジェクト「MUSUBU SHIGA」のブランディングディレクターを務めていました。そんな服部さんに、プロジェクトを通じて調査(リサーチ)・再発見した滋賀のあたらしい価値、魅力を教えてもらいました。

琵琶湖を中心にして、西にいる人たちと東の人、北と南の人ではずいぶんと思想や性格も違うのでは?

滋賀県といえばまっ先に思い浮かぶのが琵琶湖。「滋賀のおもしろいところは、琵琶湖を中心にして東西南北でその風土もその土地にくらす人々も違う表情を見せるところ。西にいる人たちと東の人、北と南の人ではずいぶん思想や性格もちがうのでは?」と仮説を立てる服部さん。西側の人は朝日の美しい光がうつる琵琶湖を、東側の人は夕日がうつる湖面を、南側には南側の、北側には北側のそれぞれの表情の琵琶湖があり、それがその土地で育つ人のアイデンティティに、暮らす人の気分に影響しているのではないか…そんな仮説が出てくるほど、滋賀県にとって琵琶湖の存在は大きいようです。

虹の架かる、町から
虹の架かる、町から

今回は、そんな琵琶湖の北西で出会った、創業100余年の和ろうそく工房、和ろうそく大與(だいよ)とその跡取り息子だった大西巧(さとし)さんについてお話をうかがいました。

和ろうそく大與のはぜろうそく
和ろうそく大與のはぜろうそく

琵琶湖の西側、比叡山から北に登る高島の土地で

琵琶湖の西側に存在していて、しかも比叡山から北に登っていく高島エリアは、琵琶湖と山に挟まれていて平地が少ない土地です。産業としても多様な表情があり、農業だけではなく、林業や木地師などの山の仕事や琵琶湖の仕事があるそうです。朽木(くつき)(*)までいくと山奥にブナの原生林があり、そこから流れて安曇川へと、山の恵みと水の恵みをあらゆる角度から感じる場所。その山の恵みと水の恵みのちょうど間で生まれたのが、和ろうそく大與です。

* 朽木(くつき)村は、滋賀県西部(湖西)の高島郡に存在した村。 2005年に同郡の高島町、安曇川町、新旭町、今津町、マキノ町と合併するまでは永らく滋賀県唯一の「村」だった。

陸が広く、代々続く大規模農業が発達した東側と違い、西側は外からのひとを受け入れやすいと思うと語る服部さん。IターンやUターンなどが多く、新しい活動を試みる若いひとたちが多いのもこの土地の魅力です。

琵琶湖の西、山を越える夕陽
琵琶湖の西、山を越える夕陽

高島の燃える夕陽
高島の燃える夕陽

100年続く和ろうそく工房とその跡取り息子との出会い

服部さんと和ろうそく大與の大西巧さんとの出会いは今から15年ほど前。当時、大西さんは服部さんの友人がクリエイティブディレクターをしていた京都のお線香屋さんで修行をしていました。大西さんが「実家が和ろうそくをつくっていて…」と服部さんに相談したのが最初の出会いです。その後、正式に跡を継がれてから再会。大西さんは現代の和ろうそくのアウトプットを模索していたところでした。

白髭神社の沖島を拝む鳥居
白髭神社の沖島を拝む鳥居

くらしを見直し、ろうそくを灯せる時間に意識を見出す

そもそも現代は電気が通っている、その上で和ろうそくをどう現代社会に伝えるか。それが課題でした。再会した大西さんは、作ること、流通すること以上にどうやって和ろうそくをくらしのシーンに落とし込むかを考えていました。

くらしを見直し、ろうそくを灯せる時間に意識を見出すシーンを想像すること。大西さんがやろうとしているそれは新たな作法を生み出すことだと、服部さんは強く興味を惹かれたそうです。単にろうそくをつくることは技術であって、手法でしかない。作法が生まれないことにはつくる以上に伝えることができない。そうやって言語化できたことは服部さんにとっても大きな発見でした。

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手で採り、手でつくり、テーブルの上にあがるまで手で持っていく

和ろうそくは、はぜ(ウルシ科の植物)の実からつくられています。はぜは九州が原産で、大西さんのお父さんも、自ら採りにいくこともあるのだとか。素材がはっきりしているので、つくりかたがしっかりしていて、曲げるところがひとつもない。そのことがダイレクトに伝わるプロダクトだと服部さんは語ります。それも、和ろうそくはひとつひとつ手で成形してつくられている。「陶芸やガラスも手でつくるけれど、最後に一度火を通すよね。手で触ったまま完成させられる工芸品ってあまりないんじゃないかな」と服部さん。手で採り、手でつくり、テーブルの上にあがるまで手で持っていく。その先に大西さんが描くくらしのシーンがあります。

パラフィンを使わずに、はぜやお米などの天然素材だけでつくっているから匂いがしないのが和ろうそくの特徴。それはすなわちお食事のじゃまをしないということ。京料理のような繊細な料理とも一緒に楽しむことができて、キャンドル(洋ろうそく)でもなく、電気の照明でもなく、和ろうそくが選んでもらえる特別なシーン。機能性とシーンの裏付けが出会った瞬間でした。

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そもそも現代のくらしの中から火が消えていっていることを意識してほしいんです

「僕は滋賀という山と湖という自然に囲まれた環境に育ちました。特に湖西と呼ばれる琵琶湖の西側は山と湖の距離がいっそう近い地域です。自然の循環の中に人間がいる環境だからこそ、自然と人のあり方、付き合い方に関して、意識が向きやすい。和ろうそくや自分たちの活動を通じて、火と人の付き合い方をもう一度考えるきっかけになればと思っています」。そう力強く語る大西さんに、はじめの出会いから15年が経ちすっかり頼もしくなったと、服部さんも顔をほころばせました。

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服部滋樹(graf
1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。

和ろうそく大與
1914年、大西與一郎が滋賀県高島郡(現高島市)今津町にて創業以来、四代に渡って百余年、和ろうそく一筋の専門店。宗教用(お仏壇用やご寺院さま用)のろうそくをはじめ、茶の湯の席で用いられるろうそく、ご進物用や贈答用のろうそく、お部屋用のろうそくなど、素材と技術に裏付けされた最高品質の和ろうそくを取り扱う。

MUSUBU SHIGA
2014年、滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信し、ブランド力を高めていく為に発足された(2017年に終了)。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。くらしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を考えている。

文・和ろうそく写真:井上麻那巳
風景写真:服部滋樹
撮影協力:UGUiSU the little shoppe
*こちらは、2017年1月24日の記事を再編集して公開しました

金沢「加賀八幡起上り人形」とは?市民に愛される郷土玩具でめぐる旅

赤い姿で丸くかわいらしいこの人形は、金沢の「加賀八幡起上り(かがはちまんおきあがり)」。

金沢市の希少伝統工芸に指定されており、縁起ものとして親しまれてきた郷土玩具です。たしかに、なんだか福のあるお顔立ち。おなかに松を抱えこみ、竹や梅の絵も描かれていていかにも縁起がよさそうです。

今回は、加賀八幡起き上がりのことを知るために石川県金沢市を訪ねることにしました。

金沢の郷土玩具専門店「中島めんや」へ

金沢には「加賀八幡起上り」のほか「加賀人形」や「米食いねずみ」などの郷土色豊かな人形が数多くあり、城下町金沢の暮らしが人形によって伝えられているともいわれています。この愛らしい人形たちを作っている郷土玩具店「中島めんや」を訪ねました。

この日は雪。白い景色のなかでよく目立つ、歴史ある黒い建物が「中島めんや」です。
この日は雪。白い景色のなかでよく目立つ、歴史ある黒い建物が「中島めんや」です。

木を彫り込んだ歴史ある看板。
木を彫り込んだ歴史ある看板。

お話を聞かせてくださったのは、7代目にあたる中島祥博(なかしま・よしひろ)さん。

「中島めんや」の創業は文久2年(1862年)、江戸の幕末の頃。創業当時は、村芝居に使われるようなお面や小道具などを作っていたことから「めんや」という屋号になりました。そののち明治時代からは、加賀伝統の郷土玩具や人形も取り扱うようになったといいます。

このような木型に紙を重ねて貼り、糊が乾いてから木型から抜くという「張り子」でお面をつくっていました。
このような木型に紙を重ねて貼り、糊が乾いてから木型から抜くという「張り子」でお面をつくっていました。

当時、お面は村芝居で活躍。こちらは最近のものですが、近ごろは大衆演劇や地方巡業をするお芝居が観られる場も少なくなってきました。
当時、お面は村芝居で活躍。こちらは最近のものですが、近ごろは大衆演劇や地方巡業をするお芝居が観られる場も少なくなってきました。

人気の郷土玩具「米食いねずみ」は、カラクリ人形の影響を受けてつくられた人気の郷土玩具。竹の部分を押さえると、チョコチョコとすばしこく巧妙な動きで米を食べるのです。これで遊ぶとお金が増えるのだとか!
人気の郷土玩具「米食いねずみ」は、カラクリ人形の影響を受けてつくられた人気の郷土玩具。竹の部分を押さえると、チョコチョコとすばしこく巧妙な動きで米を食べるのです。これで遊ぶとお金が増えるのだとか!

7代目の中島祥博さん。学校を出てすぐにこの道に入られたのだそう。
7代目の中島祥博さん。学校を出てすぐにこの道に入られたのだそう。

加賀八幡起上りのこと、教えてください。

さて、本題の「加賀八幡起上り」ですが、どういうものなのでしょう?

———全国に「八幡宮」という名前の神社があるでしょう?八幡さんというのは第15代の応神天皇をおまつりしている神社のことでね。昔、加賀に一国一社の八幡宮があったんですが、八幡さん(応神天皇)がお生まれになったとき、深紅の真綿で包まれてお顔だけを出した姿だったそうで。あるお爺さんが、この姿を形取った人形をつくり、子ども達に与えて幸せを祈ったというのが始まりなんですよ。

と中島さんが教えてくださいました。

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当時、加賀百万石藩主の積極的な工芸振興策によって藩には細工所が設けられ、京や江戸の一流作家たちの手によって技術の伝習が行われたのだといいます。そして、この人形をタンスにしまっておけば子ども、特に女の子の衣装に不自由しないという言い伝えもありました。

その由緒から、この地方では古くから子どもの誕生を祝うときや婚礼のお祝いとして、「加賀八幡起上り」を贈ることが習わしになったのだそうです。また、「起上り」という縁起の良い言葉にちなんで、新年や節句の贈りものや、お見舞いなどにもよく用いられているのだとか。

色とりどりの人形もつくられていますが、やはり朱色のものが圧倒的に人気。
色とりどりの人形もつくられていますが、やはり朱色のものが圧倒的に人気。

店内では、大正〜昭和につくられた古い人形も展示されています。
店内では、大正〜昭和につくられた古い人形も展示されています。

こちらは変わり種、手招きしている起上り。ダルマそのものの人形もありました。すべて当時の作家さんのものです。
こちらは変わり種、手招きしている起上り。ダルマそのものの人形もありました。すべて当時の作家さんのものです。

さて、この「加賀八幡起き上がり」はどのようにつくられているのかというと、これもお面と同じように張り子の手法でつくられています。

木型に紙を貼って形づくったものに、胡粉を塗ります。胡粉というのは白色の顔料で貝殻を粉にしたもの。これを膠(にかわ)と混ぜて溶かして3〜4回重ね塗り硬く強くした上から、彩色していくのです。

昔はたくさんの人が携わっていましたが、今では職人さんは3人ほどになってしまったのだそう。つくり手もとても貴重な存在なんですね。

少し古いものなので割れてしまっていますが、これが加賀八幡起き上がりの木型。
少し古いものなので割れてしまっていますが、これが加賀八幡起き上がりの木型。

こちらは昔実際に使われていた大きな木型!お顔がリアルでございます。30センチぐらいあり、ずっしり!今はお店に展示してあります。
こちらは昔実際に使われていた大きな木型!お顔がリアルでございます。30センチぐらいあり、ずっしり!今はお店に展示してあります。

胡粉を塗って乾かします。下から棒をさして作業しやすく。
胡粉を塗って乾かします。下から棒をさして作業しやすく。

中島さんの娘さん、八依(やえ)さんがちょうど彩色作業をしていました。この仕事に携わって3年。幼い頃からいつも近くにあったという「加賀八幡起上り」にはとても愛着があるそう。
中島さんの娘さん、八依(やえ)さんがちょうど彩色作業をしていました。この仕事に携わって3年。幼い頃からいつも近くにあったという「加賀八幡起上り」にはとても愛着があるそう。

近くで見ているだけでも息をのみます。松・竹・梅を描いて縁起良く。
近くで見ているだけでも息をのみます。松・竹・梅を描いて縁起良く。

たくさん並ぶ姿、なんともかわいらしいです!
たくさん並ぶ姿、なんともかわいらしいです!

いざ、絵付け体験!

八依さんが絵付けをしている姿を見ていると、私も絵付けをしたくなってきました。「中島めんや」では、絵付け体験もできるとのこと(※前日までに要予約)というわけで、私も加賀八幡起上りの絵付けにトライすることに。所要時間は約30分。八依さんの指南のもと、はりきってスタートです!

まずは、のっぺらぼうのお人形をもらって最初に目とまゆげを描きます。「一度描くと、消すことはできないので慎重に描いてくださいね!」と、さらりと笑顔の八依さん。緊張しますー!
まずは、のっぺらぼうのお人形をもらって最初に目とまゆげを描きます。「一度描くと、消すことはできないので慎重に描いてくださいね!」と、さらりと笑顔の八依さん。緊張しますー!

顔はペンで描くことができます。「まゆげは目よりも薄く描くと上品になりますよ」というアドバイスがあったのに、うまく描けずにまゆげも濃くなってしまいました。しかも、なんだか下がりまゆの困り顔です。
顔はペンで描くことができます。「まゆげは目よりも薄く描くと上品になりますよ」というアドバイスがあったのに、うまく描けずにまゆげも濃くなってしまいました。しかも、なんだか下がりまゆの困り顔です。

次は、絵の具と筆を使って色をつけていきます。
次は、絵の具と筆を使って色をつけていきます。

手に絵の具がつかないように、人形に棒をさして準備。
手に絵の具がつかないように、人形に棒をさして準備。

ここからはスイスイ!松を描いて、竹を描いて…
ここからはスイスイ!松を描いて、竹を描いて…

梅も忘れずに。縁起を担ぎますよ。楽しいー!
梅も忘れずに。縁起を担ぎますよ。楽しいー!

細かい部分も描き込んで、口元に紅をさして…できたー!!
細かい部分も描き込んで、口元に紅をさして…できたー!!

年季の入った絵付け見本のお人形と、今生まれたてのお人形、一緒に記念撮影です!
年季の入った絵付け見本のお人形と、今生まれたてのお人形、一緒に記念撮影です!

自分で絵付けをすると、なんだか愛おしさもひとしお。しっかり乾かしたら、その場で包んで持って帰ることができます。

今回は、見本に倣ってスタンダードな加賀八幡起上りにしてみましたが、もっとクリエイティブにオリジナル絵付けをするのもおすすめ。自分だけの加賀八幡起上りをつくってみてくださいね。

「今は目の前の仕事を一生懸命するだけだけど、これからは新しいものを作って欲しいな。」と、お父さんから八依さんへの言葉。父娘のツーショットに、はにかむ姿が印象的でした。
「今は目の前の仕事を一生懸命するだけだけど、これからは新しいものを作って欲しいな」と、お父さんから八依さんへの言葉。父娘のツーショットに、はにかむ姿が印象的でした。

お土産には「加賀八幡 起上もなか」

「中島めんや」を後にし、もう1箇所、立ち寄りたいところがありました。「金沢 うら田」では、加賀八幡起上りをかたどった「加賀八幡 起上もなか」を販売しているのです。もなかの中には北海道産の小豆がたっぷり詰まっていて、もちろん深紅の産着をまとっている可愛いもなかです。

小豆色の包装紙をひらくと、真っ赤な箱が。わくわく。
小豆色の包装紙をひらくと、真っ赤な箱が。わくわく。

箱を開けると真ん中に本物のお人形が!
箱を開けると真ん中に本物のお人形が!

小豆がずっしり詰まったもなか。もなかの皮は「中島めんや」さんで見た木型そっくりです。
小豆がずっしり詰まったもなか。もなかの皮は「中島めんや」さんで見た木型そっくりです。

かつては定番商品として「中島めんや」さんの人形が入ったセットがありましたが、大人気のためお人形が準備できなくなってしまい、今では幻の商品に。普段は販売をしていませんが、人形の在庫があれば詰めてくださることがあるそうなので、ぜひ「金沢 うら田」店頭でお声がけしてみてください。

今回は運よく「人形入りセット」を購入できましたが、もなかだけでもじゅうぶん可愛く、美味しく、すてきなお土産になります。

「加賀八幡起上り」をめぐる金沢旅。この土地の歴史の中で生まれ、大切に守られてきた郷土玩具は、世の中の変化とともに形を変えつつも、人形に込められた願いは人々に受け継がれこれからもまた愛され続けていくのだろうな、と思います。

みなさんもぜひ、金沢で「加賀八幡起上り」にふれてみてください。

<取材協力>
「中島めんや」
石川県金沢市尾張町2-3-12
076-232-1818
http://www.nakashimamenya.jp
(絵付け体験は要予約、体験料は材料費込みで648円)

「金沢 うら田」
金沢市御影町21-14(本社・御影店)
076-243-1719
http://www.urata-k.co.jp

文・写真:杉浦葉子
*2017年2月17日の記事を再編集して掲載しました。