津軽三味線ってどうしたら音が出るの? 実際に教室で習ってみた

冬ですねえ。厳しい寒さが続きますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

冬といったら雪国。雪国といったら津軽。津軽といったら津軽三味線。

津軽三味線の音色ってかっこいいですよね。どういう構造になっていて、どうやったらああいう音色を鳴らすことができるのでしょうか。気になったので、まずは体験からと、実際に習ってみました。

教えていただいたのは澤田勝紀さん。

津軽三味線の澤田勝紀
優しい表情で生徒さんを見守る澤田勝紀さん

津軽三味線の演奏家として高い評価を受け、現在は全国組織となった澤田流の家元・澤田勝秋氏に師事を受け、腕を磨きました。演歌歌手である細川たかしさん専属奏者を10年務め、紅白歌合戦にも出演しました。民謡や和太鼓、洋楽器などとも共演し、各地でのライブ活動など、幅広く活動しています。

また、澤田さんは都内近郊5か所で津軽三味線教室を開講。入会金は1万円、1か月9千円の受講費で月3回ほど、各教室で1対1の対面指導を行っています。見学と体験教室はなんと無料‥‥ということで、早速参加させていただきました。

澤田勝紀津軽三味線教室
1対1で親身になって教えていただけます

ところで、三味線ってどうやって音を出すの?

津軽三味線の音色って身体の芯まで響いてくるんですよ。ダイナミックな重低音から高音の速弾きなど幅広い音域で、私たちの感情を揺さぶってきます。なぜ、こんな音が出るんでしょうね。

長唄用の三味線や「沖縄三味線」と呼ばれる三線など、三味線はいくつかの種類に分かれますが、いずれも弦は3本。バチで弾き、弦の振動が太鼓のような構造にもなっている胴に共鳴して、迫力のある音が生まれるのです。胴皮の素材によって、音も変わってきます。

津軽三味線に限らず、多くの三味線では、胴部分には動物の革を用い、イチョウ型のバチで弦を弾きます。三線は蛇皮を胴に張り、人差し指に義甲をはめて弦を弾きます。

忍び駒 澤田勝紀津軽三味線教室
弦の振動が胴に伝わって音が生まれます。白いものは忍び駒と呼ばれ、音を抑えるための道具。大きな音を出さずに練習するときに使います。
胴を叩く 澤田勝紀津軽三味線教室
バチで胴を叩きます

バチで弦を押さえると、胴に当たった振動によって音が生まれます。この音が重低音になるわけなんですね。

弾く音は繊細な高音。叩く音は強さを感じる低音。叩いた直後に弦をすくうこともあります。弾いて、叩いて、すくう。さまざまな技法を組み合わせることで、津軽三味線の魅力が浮かび上がってくるのです。

持ち運びも簡単! 津軽三味線は分解できる

生徒さんと先生との1対1の講習の見学が終わりました。生徒さんは自前の三味線を片付け始めます。

そういえば、三味線ってどうやって持って帰るんだろう。

津軽三味線の分解
分解された津軽三味線

三味線って実は分解ができるのです。竿に2か所ほど継ぎ目があり、トントンと軽く振動を与えるとスポッと分割することができます。

津軽三味線のホゾ 澤田勝紀津軽三味線教室
竿の部分はホゾになっています

接合部分はホゾとなっています。そのため、縦の力にも横の力にも耐えうる構造となっているのです。部品一つ一つに職人さんの技が光っていますね。

バチの握り方にも理由がある

さて、今度は私が習う番です。まずはバチの持ち方から。津軽三味線の場合はべっ甲バチが主流です。硬めのバチは厚みのある音、弾力性のあるものは柔らかい音が出ます。多種多様なバチがありますので、自分に合うものを選びます。

さあ、バチを握りましょう。右手の小指を真っすぐに立てて、小指と薬指の間にバチを挟みます。人差し指、中指、薬指で輪っかを作るようにしながら、親指の半分だけを使ってバチを押さえます。

津軽三味線のバチ 澤田勝紀津軽三味線教室
バチは親指で弾きます

気を付けなければならないのは、小指を立たせること。弦と皮をつなぐ、「駒」という部分があるのですが、この部分をわざと押さえて、ボリュームや音色をコントロールすることもできるからです。こんなところにも津軽三味線の幅広い表現を可能にするテクニックがあるんですね。

駒を押さえるのは、もちろん小指。演奏中、バチを持つ右手は親指と小指を使います。左手はギターやベースと同じように、弦を押さえて音程を変えていきます。

さあ、音を出してみよう‥‥思ったように手が動かない!

姿勢を正して、三味線の胴の角を太腿の上に置きます。これでやっと、演奏する体勢が整いました。バチを持つ右手前腕部を三味線の胴に掛けて、手首を90度に曲げます。

バチは90度に。澤田勝紀津軽三味線教室
手首を90度に曲げてバチを振り下ろします

バチは弦に対して平行に。あとは真っすぐ振り下ろして弦を叩きます。一番上の弦を弾きながら真ん中と下の弦を叩く。真ん中の弦を弾きながら下の弦を叩く。下の弦だけを叩く。これだけでも3種類の音を引き出すことができます。

文字ではいくらでも説明できますが、これがなかなかうまくいかないのです。自分の身体ってうまく動かないものなんですね。思ったように、バチを操作できない。狙った通りにうまく弦を叩くことができません。

津軽三味線をうまく弾けない。澤田勝紀津軽三味線教室
思うようにいかず、苦虫を噛み潰したような表情をしている筆者

澤田さんはバチを見ることなく、貫禄ある見事な演奏を披露。メロディからは雪国の人々のしなやかさや力強さのようなものを感じることができました。その美しい音色が空間を支配すると、教室内は荘厳の銀世界になったよう。ただただ聞きほれてしまいます。

澤田勝紀演奏
軽快かつ迫力ある演奏を魅せる澤田さん

本日の授業はここまで。曲を演奏するところまでは進めませんでしたが、充実した時間を過ごすことができました。終わった後も右手の親指が3時間くらい痺れてました。いてててて。

自在に弾くまではかなりの年月が必要であることがわかりました。でも、演奏できたらカッコいいだろうなあ。津軽三味線、奥深い‥‥。

<取材協力>
澤田勝紀津軽三味線教室

文 : 梶原誠司
写真 : 長谷川賢人

合わせて読みたい

音を奏でる工芸の楽しみ

日常の道具だけでなく、工芸と「音」の関係性は、古くからあるものです。奥深き、その世界。

江戸指物が生んだ「楽器オルゴール」

オルゴール

オルゴールのなかでも、さらに音質にこだわって作られた「楽器オルゴール」をご存知ですか?

→記事を見る

雅楽は誰が演奏するもの?千年続く音の秘密を宮内庁で聞いた

宮内庁式部職楽部が奏でる「雅楽」の世界。貴重なインタビューも併せて。

→記事を見る

一体どう使うの?ピアノ調律師 100の仕事道具

ピアノ調律師

ピアノの“音”を創る職人がいる。映画『羊と鋼の森』で注目を集めたピアノ調律師だ。

→記事を見る

土佐ジローは生きて死ぬ

こんにちは。BACHの幅允孝です。

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。高知の旅もいよいよ最終回、5話目になりました。

幻の地鶏を食し、谷川俊太郎の詩を噛み締める

谷川俊太郎さんの絵本に『しんでくれた』という1冊があります。

うし
しんでくれた ぼくのために
そいではんばーぐになった
ありがとう うし

という文章から始まる短いストーリー。

「うし」や「ぶた」や「にわとり」や「いわし」は(それを食べる)人のために死んでくれるけれど、「ぼくはしんでやれない」から、屠った生き物の分も生きる!という少年の表情が印象的な絵本です(「そいで」の使い方なども絶妙ですね)。

高知の旅では美味しい食べ物にたくさん出会いましたが、僕は幻の地鶏といわれる「土佐ジロー」を食した時に上記の『しんでくれた』を急に噛み締めたくなりました。

幻の鶏「土佐ジロー」を育てている「はたやま憩の家」

高知が生んだ幻の地鶏、「土佐ジロー」

「土佐ジロー」と呼ばれる地鶏は、一般的な養鶏とはまったく違った育て方をしているそうです。

通常の養鶏は鳥の増体率を増やすことが最優先。24時間光を浴びせ続け、屠殺するまでの40-50日間に急激に大きくするそう。けれど、「土佐ジロー」の飼育はまず鳥の健康を考えます。そして、肉の旨みを引き出す育て方を追求し、ゆっくりと究極の鶏肉をつくっているのです。

高知龍馬空港から車で90分。なんども「この先に集落なんてあるの?」と同行スタッフに問い続けるくらい細い山道を抜けた先に「土佐ジロー」を育てる「はたやま憩の家」はありました。

はたやま憩の家
細い山道を抜けた先にある「はたやま憩の家」
テストテスト
「土佐ジロー」を紹介した雑誌や新聞記事
「土佐ジロー」は多くの雑誌や新聞記事で紹介されています

遥かなる山道の先に。「はたやま憩の家」で幻の地鶏と対面

なんでもこの場所、以前は800人程いた集落が今では40人以下になっており、何か産業を興こさない限り村は消滅してしまうという危機に瀕していたそうです。


だから、「土佐ジロー」の養鶏を中心に、それが食べられる食堂や宿泊設備といった複合的な「地場」をつくり、トライ&エラーを繰り返して現在に至ります。

「土佐ジロー」は通販でも買えますが、せっかく遥かなる山道を登ってきた僕たちは、ここ「はたやま憩の家」ならではの食べ方で鶏をいただきます。強めの炭火で肉を転がしながら焼くのです。

養鶏場だからこそ味わえる食べ方で「土佐ジロー」を食す
炭火でいただく幻の地鶏「土佐ジロー」
「はたやま憩の家」を切り盛りする小松圭子さん自ら焼いてくれる
「はたやま憩の家」を切り盛りする小松圭子さん自ら焼いてくれる

正直、ひとくち目を口に入れて肉を噛むまで、普通の鶏肉とそんなに違うものだろうかと訝しく思っていたことをここに告白しておきます。


ところが、ひと噛み、ふた噛みして、これはすごいものを頬張っているのだと確信しました。鶏肉特有のゴムっぽい食感など皆無。溢れる肉汁も口の中での広がり方が尋常ではありません。

もも肉、胸肉、首皮と続いてゆき、僕らはだんだん無口になりました。皆、目の前の鶏肉を味わうことに集中してしまうのです。

土の上で育てる鶏の砂肝の弾力と瑞々しさ。通常の養鶏では生える前に出荷してしまうトサカを僕は初めて食べましたが、なんですかこれは。コラーゲンの塊です。ハツも印象的で血の味はしっかりするのに臭みがない。心臓を捧げてもらっている味がします。

なんでも急激に太った動物は人間であれ、鶏であれ臭くなるそうです。ほかにも育ちきった「土佐ジロー」だからこそ食べることができる鶏のシラコや卵焼き、親子丼などなど「土佐ジロー」の隅から隅までの滋養をいただきました。満腹です。

土佐ジローの白子焼き
「土佐ジロー」だからこそ食べられる鶏のシラコ
新鮮な「土佐ジロー」の卵
「土佐ジロー」の親子丼

年一回、土佐ジローを食べることができれば。

谷川さんの絵本では、死んでいった動物たちがどんな飼育をされたのかまで描いていませんが、少なくとも「はたやま憩の家」で食べた「土佐ジロー」は、存分に生きたあとで「しんでくれた」鶏たちだったと思いました。

もちろん、土佐ジローは皆が毎日食べるほど出荷できないし、値段も少しだけ高い(ブランド牛肉と比較したら随分値打ちだと思いますが…)。けれど、山道を登った先にある鶏肉体験が、その人の鶏肉のモノサシを変えることが大事だと思いました。

この良い定点を思い出し、年一回でも「土佐ジロー」を食べることができれば、(社会構造の中で)必要に迫られ追求した通常の養鶏と、こういった地鶏の違いを体感することができます。それが分かれば、時と場合に応じてちゃんと自分で選ぶこともできますものね。

「土佐ジロー」たち、「しんでくれて」ありがとう!

《まずはこの1冊》

『しんでくれた』 (佼成出版社)

谷川俊太郎「しんでくれた」

〈 合わせて読みたい : BACH幅允孝の高知旅 〉

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。ブックディレクター幅允孝といく高知の旅。

高知・梼原町で見る「負ける建築」家、隈研吾。

BACT幅允孝 高知・梼原町で見る隈研吾

→記事を見る

君は「土佐源氏」を読んだか?

BACT幅允孝 土佐源氏

→記事を見る

何はともあれ、高知県立牧野植物園へ行こう。

BACT幅允孝が行く高知県立牧野植物園

→記事を見る

<取材協力>
はたやま憩の家
高知県安芸市畑山甲982-1
0887-34-8141
http://tosajiro.com/


幅允孝 (はば・よしたか)
www.bach-inc.com
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「神戸市立神戸アイセンター」「JAPAN HOUSE LOS ANGELES」など。その活動範囲は本の居場所と共に多岐にわたり、編集、執筆も手掛けている。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)、監修した『私の一冊』(弘文堂)など。早稲田大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。


文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之

【はたらくをはなそう】商品一課 立石哲也

広告の会社で働いた後、
第二新卒で中川政七商店に入社しました。

東京本店の販売スタッフなど、色々な経験を経て、
ふきんやバッグといった商品の生産スケジュールや品質の管理をメインに、
すこしだけ企画をしています。

「誰かのために働く。」

2011年だったと思います。
就活生だった私は、
缶コーヒーのポスターの
トミー・リー・ジョーンズの横に書かれたこのコピーを見て、
「そういう風に働く大人になりたいなあ」
と感じました。

それから社会に出て、
想像もしていなかったことが日々おこる中…
心の中にのこったこの言葉が、
ときどき力をくれています。

「誰か」は
いつもお世話になっている加工先さんでもあり、
会社のみんなでもあり、
家族でもあり、
ものづくりの先にいるお客様でもあります。

中川政七商店の「日本の工芸を元気にする!」というビジョンが、
この言葉と似ている考え方だと気付いたのは、
入社してしばらくたってからでした。

あの時、志望動機には書けませんでしたが、
この会社に魅力を感じた理由のひとつだったかもしれません。

今の仕事は、ものづくりの現場と、距離がとても近いです。
担当している商品が売れると、
「あの加工先さんと良いものがつくれたな、またお仕事をお願いできるな」
と、うれしくなります。

誰かのために働くこの会社で、
誰かのためになるものづくりを、
もっともっと、していきたいと思います。

「白黒つけない」サクラ色の碁石が誕生、その裏側にある囲碁の未来に関わる話

史上最年少、わずか10歳のプロ棋士誕生。

彗星の如くあらわれた天才少女のニュースに、日本囲碁界は年初から大いに沸きました。

2019年4月1日付でのプロ入りが決まっているのは、大阪市の小学生 仲邑菫(なかむら・すみれ)さん。

昨今の将棋ブームの火付け役となった藤井聡太さん(現・七段)のように、囲碁界を盛り上げる存在として今後の活躍が期待されています。

囲碁人気が沸騰するかもしれません
囲碁人気が沸騰するかもしれません

そうした明るいニュースがある一方で、棋士の対局に欠かせない道具、「碁石」の製造現場は今、多くの課題を抱えています。

「ハマグリ碁石」最後の産地。宮崎県日向市

高級碁石は、白石と黒石で原料が異なることをご存知でしょうか。

黒石は三重県の那智黒石。そして白い碁石の最高峰として名高いのが「ハマグリ碁石」。

黒木碁石店で、碁石の理想の形として定められている「マスターストーン」
「ハマグリ碁石」

(※ハマグリ碁石について詳細はこちら

名前の通りハマグリの貝殻を原料としており、その美しさや質感の素晴らしさで世界中の囲碁ファンに愛されている碁石です。

かつて、地元の浜で良質のハマグリが大量に採れたことから「ハマグリ碁石」の一大産地となったのが宮崎県日向市。

日向市のお倉ヶ浜
日向市のお倉ヶ浜

やがて黒石も含めて碁石の製造は日向に集約され、現在では日本で唯一、碁石の製造技術が受け継がれている地域となっています。

日向の碁石職人についてはこちら

今も碁石を作り続ける唯一の産地です
今も碁石を作り続ける唯一の産地です

今回は碁石製造の現場や業界の未来について、日向市で100年以上に渡って碁石を作り続けている黒木碁石店の5代目、黒木宏二さんにお話を伺いました。

未来に見切りをつけてしまった業界

「日向に昔は10社以上あった碁石会社ですが、今は弊社を含めて3社しか残っていません」

黒木碁石店 5代目の黒木宏二さん
黒木碁石店 5代目の黒木宏二さん

そう黒木さんが言うように、この数十年で多くの碁石会社が廃業していきました。

当面の営業は問題ないように思えても、子どもや親族に会社を継がせず、自分の代で廃業を決める同業者たち。

「未来に対して見切りをつけている」

別業界でのサラリーマンを経て家業に戻ってきた黒木さんは当初、碁石業界についてこう感じたそうです。

なぜそんな風になってしまったのか。

日向の碁石から、黒木碁石店の碁石へ

黒木さんはその要因のひとつとして、碁石の価値の低下を挙げました。

「以前は、どの会社が作った碁石もすべて“日向のハマグリ碁石”と一括りにされていました。

すると、業界として碁石の選別基準が統一されていないため、同じハマグリ碁石であっても製造元によって品質にバラつきが出てしまいます。

作っている側としても、努力していいものを作っても自分たちの評価に直結しないので張り合いがない。ともすれば、低品質のものを納める会社もあったかもしれません」

黒木さん

購入する側は同じ「日向のハマグリ碁石」と認識して買い求めているのに、実は品質にバラつきがあるとなれば不信感が生まれます。

また、組合を作って共通の販売価格を定めていても、勝手に値下げして販売する会社があらわれてしまう。

結果、値段の下げ合いが起こり、碁石の価値も下がる一方。そんな負の循環が発生してしまったのだとか。

そこで黒木碁石店では、黒木さんのお兄さんである4代目の時、「黒木碁石店のハマグリ碁石」をブランド化すべく舵を切りました。

黒木碁石店の名前をしっかりと記載する

まず、それまで紙の箱だったパッケージを桐箱に変更し、黒木碁石店の名前もしっかりと印字。碁石の規格などもシール貼りではなくひとつひとつ箱に刻印して高級感を出しました。

紙の箱から桐箱に変更
紙の箱から桐箱に変更

さらに「ナンバリング碁石」と呼ぶ、ブラックライトを照射すると独自の管理番号が浮かび上がる仕組みも導入。

ナンバリング=黒木碁石店の正規品の証として、品質管理と保証体制を強化しました。

ナンバリング碁石
ナンバリング碁石

黒木碁石店のハマグリ碁石であれば一定の基準でいつでも安心して選んでもらえるように、仕組みを整えていったわけです。

考えてみれば、碁石は1セット数万円〜数十万円もする高級品。こうした取り組みは当然にも思えますが、これまで業界では誰もおこなっていませんでした。

「今は海外のお客様が多いので、いかに外国人の方々に価値を見出してもらえるかを考えました。

数十万円もするのに紙の箱では嫌だとか、そういった声に応えていったかたちです。

ナンバリングにしても、ひとつひとつに手間を掛けているというメッセージでもあります」

価値を理解してもらい、安売りせずとも購入してもらえるように。そうして体制を整えた上で、適正な価格への値上げも実施したそうです。

向かって左が日向産のハマグリ。右はメキシコ産
向かって左が日向産のハマグリ。右はメキシコ産

現在、ハマグリの原料はメキシコから輸入しています。

海外からの仕入れとなるとどうしても数千万円単位の金額が動くため、リスクも大きくなります。

仕入れたハマグリの価値を高めるためには手間暇をかけた丁寧なものづくりが必要で、そうしないと碁石作りは成り立たないのだと黒木さんは言います。

新たな価値を生んだカラー碁石「さくらご」

碁石は厚みによって価値が変わるほか、傷の有無や縞目模様の状態によってグレードが分けられます。

かと言って、細かくグレード分けして品質の低いものまで商品化すると、結果的にブランド全体が下の価値に引っ張られてしまう。

「そこでブルーラベルという規格を立ち上げました。厳選品の碁石を1級品として、そこまでではない言わば1.5級品だけど、黒木碁石店の碁石として世に出せるもの。

ブランド価値は守りつつ、その中で差分はきちんと伝えた上でご理解いただき、買いやすい価格でご提供する。そういう位置付けの規格です」

ブルーラベルの碁石
ブルーラベルの碁石

このブルーラベルの基準に達しなかった碁石たちは、着色しておはじきとして販売されたり、一部がストラップなどに再加工されたり、それ以外はストックとして倉庫に眠ったままになっていました。

原料のハマグリがいつでも潤沢に手に入る状況ではない中で、この規格外品の取り扱いも長年課題になっていたそうです。

低いグレードで販売するとハマグリ碁石の価値を毀損しかねないし、全ておはじきにしてお土産価格で販売するのではビジネスとして厳しいものがある。

そこで生まれた商品が、碁石を桜色と若草色に着色したカラー碁石「さくらご」です。

さくらご
さくらご

「今ある資源を利用していかに新しい価値観を提供できるのか。海外のお客様に対してどう訴求できるのか。という発想ではじまった商品です」

中国に出張に行く際、空港で目にする免税店。ある時そこに南部鉄器の茶瓶が置かれているのを見た黒木さんは、

「中国は茶の文化があるから、茶瓶も売れるのだろうか。だとすれば、囲碁の文化があるんだから、碁石も売れるかもしれない」と思いつきました。

ただし、大きな碁盤を含めた本格的なセットや、数万円もする碁石を空港で買うとは考えづらい。

さくらご
さくらご

免税店で気軽に並べられる大きさのセットで、和的な要素を集めたコンセプチュアルな商品で、と考えていった末に行き着いたのが「さくらご」でした。

規格から外れた碁石を日本らしい色に着色し、入れ物は茶筒型に。そこに初心者指導に使える9路盤の布をセットにして販売。

すると海外からの反響は勿論、国内では囲碁のプロ棋士や指導者、さらに囲碁にまったく興味がなかった人たちにも興味を持たれ、ヒット商品になりました。

子どものプレゼントに買ってみようと検討する人も多かったそうです。

規格外品とはいえ原料は同じハマグリを使っており、仕上げも丁寧におこなわれているため、打ち心地は本格的。

最後は人の目で厳しい品質チェックを行う
碁石は人の目で厳しい品質チェックを行い、選別する

ハマグリ碁石の価値を下げずに、囲碁の間口を広げる商品になりました。

分業制が崩れてしまう前に

自社製品のブランド化や、さくらごの発売など、着実に成果を上げているように見える黒木碁石店の取り組み。

しかし、まだまだ課題は山積みです。

「碁石作りは、原料の採取から加工、販売まで分業で成り立ってきた世界ですが、そのサプライチェーンが崩れつつあります。たとえば、那智黒石は原料自体はまだありますが、それを採掘して円柱状にくり抜いてくれる職人さんが減っています」

焼き物の世界でも、型屋さんの廃業によって器が焼けなくなり、窯元も廃業してしまうといったことが起きています。究極的には、自社ですべての工程を賄う必要が出てくるわけですが、簡単なことではありません。

「サプライチェーンを維持するには、商品が売れないときでも一定の発注を確保して買い支えることが必要になってきます。それには、碁石だけをやっていたのでは難しいでしょう」

「はまぐり碁石の里」
囲碁に関する『学び』と『食』の発信基地として営業している「はまぐり碁石の里」

黒木碁石店の母体であるミツイシ株式会社では、碁石以外の事業もおこなっています。

「違う事業部で収益基盤を作って、碁石産業をきちんと残していく余剰を作れないだろうか。常に複合的な中で存続の道を探っています」

100年先の人たちへ。資源と技術の継承

ハマグリ碁石の産業を次世代へ繋ぐために、原料の確保と職人の育成は急務。

原料については現状メキシコからの輸入に頼っていますが、この先も安定して入ってくるとは限らない状況です。現に、メキシコ政府から制限がかかり、数年にわたって輸入が止まってしまったこともあるのだとか。

また、この100年の間に絶滅状態になってしまった地元 日向産のハマグリについては、復活の道は厳しいとのこと。

かつて、ハマグリが浜一面に打ちあがっていた「お倉ヶ浜」
かつて、ハマグリが浜一面に打ちあがっていた「お倉ヶ浜」

「人が十数年立ち入らずにハマグリを育てられる環境を用意できれば、いつかはまた増やせるかもしれませんが、我々が生きている間には難しいだろうと思っています。

ただし、100年先の人たちへ資源を繋ぐことを考えると、何かその道筋は立てておきたい。その方法は常に考えています」

現在、黒木碁石店で碁石作りをしている職人さんは4名。

もっとも若い方で53歳。しかし、現状ではまだ若い作り手の募集はかけていないそうです。

「積極的に人を採用するにはまだ体制が不十分であると思っています」

と、黒木さん。もっとも、業界に未来を感じていないわけではありません。

「心の面と、待遇の面。この両面が揃ってはじめて、ぜひうちで働きませんかと言えるんだろうなと思います。

その確信が持てるまで、まだあと少しもがいてみないと、というのが正直な気持ちです。今の職人さんたちがいるうちに、時代にあった答えを見つけられれば」

下鶴さん
碁石職人 下鶴美文(しもづる よしふみ)さん
碁石職人の和田さん
碁石職人の和田さん

心に関しては、外部からの目に見える評価が職人のやりがいにつながると考え、伝統工芸士への認定を県や市に働きかけました。

「やはりお金に変えがたい一生の称号ですし、励みになるんだと思います。

この会社で働けば楽しい、夢がある、自信を持ってそう言える体制を整えてから、積極的な採用活動をするつもりです。

そのために、正しい姿勢でものづくりを続けて、黒木碁石店としてのブランド力を引き続き高めていきます」

ミツイシ株式会社の経営理念
会社の経営理念

原料の枯渇や職人の後継者問題、業界全体の活性化など、たくさんの課題があり、いずれも向き合うのに時間がかかる上、自分たちだけでは解決できない問題も含まれています。

それでも悲観的にはならず、とにかくやってみて、前向きにもがいてみる。それが一番の近道であると、黒木さんは確信しているようでした。

黒木さん

日向のハマグリが採れなくなった40年前、なんの情報もない中で、黒木碁石店の3代目は海外に原料を見出し、ハマグリ碁石の産業をつなぎました。

「そんな先人の苦労を思えば、やってやれないことはないんだろうなと思っています」

<取材協力>
黒木碁石店(ミツイシ株式会社)
http://www.kurokigoishi.co.jp/

文:白石雄太
写真:高比良有城

コンマ数ミリが価値を分ける。日本にわずか数人、石の声を聞く職人たち

ハマグリの貝殻から作られる美しい碁石。

宮崎県日向市は、世界中の囲碁ファンから愛される白い碁石の最高峰「ハマグリ碁石」を作り続けている唯一の地域です。

ハマグリ碁石
碁石の最高峰「ハマグリ碁石」

世界でここにしか残っていない技術を守り、最高品質の碁石を追求し続ける。

そんな碁石職人の現場を訪ねました。

最低でも5年。碁石の「山」を作るのが難しい

「碁石の綺麗な“山の形”を作るのが本当に難しい。自分でできるようになるまで、最低でも5年はかかります」

そう話すのは、日向市で100年に渡ってハマグリ碁石を製造してきた老舗 黒木碁石店の下鶴美文(しもづる よしふみ)さん。

宮崎県の伝統工芸士にも認定されている碁石職人です。

黒木碁石店の碁石職人 下鶴美文(しもづる よしふみ)さん
黒木碁石店の碁石職人 下鶴美文(しもづる よしふみ)さん

20以上の細かい工程を経て作られるハマグリ碁石ですが、大きな製造の流れは以下のようになります。

「くり抜き」:原料となる貝から碁石に使用する部分をくり抜く

「厚み選別」:原料の厚みを測定して選別する

「面摺り(めんずり)」:厚みを揃えた原料を砥石で削って碁石の形に整えていく

「サラシ」:天日干しをして汚れや黄ばみを取る

「樽磨き」:砥石で削った後も残る細かい凹凸を研磨する

「選別」:磨き上がった碁石を人の目で選別する

この中でも特に難しく、高い技量を要するのが、原料を削って碁石独特の美しい曲面を作っていく「面摺り(めんずり)」。

下鶴さんの言う、「山の形を作る」工程です。

碁石を削る専用の機械
碁石を削る専用の機械。茶色い円盤型の砥石で削っていく

ハマグリ碁石作りでは、専用の機械にセットされた円盤型の砥石を使い、片面ずつ貝を削っていきます。ただし、砥石が真っ平らな状態では碁石独特の丸みを作ることができません。

そこで、作りたい碁石の形に合わせて砥石自体をあらかじめ加工しておきます。実はこの作業が碁石作りにおいてもっとも難しいのだとか。

下鶴さんは、ドレッサーと呼ばれる道具を3種類使い分けて砥石を加工していました。

下鶴さんが、砥石を削るために使う3種類のドレッサー
下鶴さんが、砥石を削るために使う3種類のドレッサー

1本目のドレッサーで大まかに形を作り、2本目で整える。そして3本目にもっとも硬いダイヤモンドドレッサーを使って砥石の表面を滑らかにしていく。

そうして仕上げた砥石で削ることで、碁石の表面もつるつると滑らかな手触りとなり、美しく仕上がるそうです。

ドレッサーを回転する砥石に当てて、形を作っていく
ドレッサーを回転する砥石に当てて、形を作っていく

石の声を聞く

碁石は、コンマ数ミリの厚みごとに細かく「号数」が分かれていて、それぞれ理想の山の形が異なります。

黒木碁石店で、碁石の理想の形として定められている「マスターストーン」
黒木碁石店で、碁石の理想の形として定められている「マスターストーン」

そのため、碁石の号数に合わせて砥石も加工する必要が出てきます。

いざ碁石を削る際も、号数によって削る時間や当てる位置などが微妙に異なるそう。さらに、砥石は使ううちにだんだんと切れ味が鈍くなってくるため、1日に数回、砥石の研ぎ直しも必要です。

加工した砥石に当てて、碁石を削っていく
加工した砥石に当てて、碁石を削っていく

「職人の世界では、先輩の仕事を“見て盗め”と言ったりもしますが、碁石作りは無理でしょうね。

誰かがそばについてやり方を教えなければ、できるようにならないと思います」

確かに。どうすれば習熟できるのかすら、素人には想像できない世界です。

両面を削り終わった後には「端引き(はびき)」という、碁石の“耳”の部分のわずかな角を滑らかにする工程も。

下鶴さんが形を整えた碁石を受け取り、「端引き(はびき)」作業をおこなっていた職人さん
下鶴さんが形を整えた碁石を受け取り、「端引き(はびき)」作業をおこなっていた黒木碁石店の和田さん

専用の砥石に溝を掘り、その溝に碁石を当てて削る作業で、こちらもやはり、砥石の加工そのものが非常に難しいとのこと。

全ての碁石を厳密にチェックし、こうした状態のものは規格外品となる
全ての碁石を厳密にチェックし、こうした状態のものは規格外品となる

碁石を削る砥石も、その砥石を削る道具も、石。

碁石を通じて心が通じ合うことから、「囲碁」の別名を「手談」と言いますが、碁石作りもまた、石との対話であるといいます。

「慣れれば自分の感覚で作れるようになりますよ」

下鶴さん

下鶴さんは笑いながらそう言いますが、慣れるまでに最低でも5年。

碁石職人になりたいとやってきても、途中で辞めてしまう人が大半という険しい道のりです。

失われつつある「手摺り」の技術

なぜ、そこまで精度にこだわって碁石作りをするのでしょうか。

碁石は厚みがあるほど価値が高くなり、わずかコンマ数ミリの違いで価格にして数十万、場合によっては数百万円の差が出てしまうことも。

必然的に、その原料から作ることのできる最大の厚みで碁石を仕上げることが重要になってきます。

特に、もっとも希少で価値の高い“日向産”のハマグリを使う場合は、コンマ1ミリよりももっと細かい単位で、ぎりぎりまで厚みを調整する必要がありました。

日向産のハマグリは、ひとつの貝から一箇所しかくり抜けない
日向産のハマグリは、ひとつの貝から一箇所しかくり抜けない

そんな時に使われていた、ハマグリ碁石職人 伝統の技が「手摺り」です。

手摺りの道具
手摺りの道具

碁石のサイズに応じた溝を掘った砥石と、貝を固定する「貝棒」という独特な道具。この二つを使って手動で碁石を削る方法で、非常に高い熟練の技と経験を要しました。

貝棒に原料をセットして砥石に当てていく
貝棒に原料をセットして砥石に当てていく

実はこの「手摺り」、工場見学などがあった際に、こんな風にやっていましたと披露することはあっても、実際の碁石作りの中で使われることはもうほとんどありません。

なぜなら、日向産のハマグリ自体が採れなくなってしまったから。

現在、流通しているハマグリ碁石は、メキシコ産のハマグリを輸入して加工したものが大半を占めています。

向かって左が日向産のハマグリ。右はメキシコ産
向かって左が日向産のハマグリ。右はメキシコ産

手摺りによって究極まで精度を高めても、メキシコ産のハマグリではどうしても採算が合いません。そうして、「手摺り」の技術も失われつつあります。

機械摺りでも伝統工芸士

黒木碁石店 5代目の黒木宏二さんは、今の機械摺りの技術も手摺り同様に素晴らしいものだと話します。

黒木碁石店 5代目の黒木宏二さん
黒木碁石店 5代目の黒木宏二さん

「かつては手摺りの技巧において、ハマグリ碁石職人が伝統工芸士と認められていました。

しかし、機械を使うようになったからといって、職人さんの価値が下がるわけではありません。その技術や経験は、依然としてハマグリ碁石作りに必要不可欠なものです。

そうしたことを、県や市に伝え続けたことで、昨年、下鶴さんなど数名の職人さんも、伝統工芸士と認めていただけました」

それが仕事として成り立たなくなっている以上、手摺りの技術を継承していくのは難しい状況です。

しかし、もっとも大切なことは、ハマグリ碁石という産業が存続し、世界で愛され続けること。そのために今の状態で何ができるかが重要だと、黒木さんたちは考えています。

人の手が入るからこそ残り続ける価値

「サラシ」工程。黒木碁石店では原料の段階で一度、削った後の状態をみて再度行う
「サラシ」工程。黒木碁石店では原料の段階で一度、削った後の状態をみて再度行う
樽磨き用の樽
樽磨き用の樽
最後は人の目で厳しい品質チェックを行う
最後は人の目で厳しい品質チェックを行う

いくつかの工程で機械が導入されてはいるものの、原料の選定から途中の加工、最終的なグレードの選別まで、全ての段階に人の手が入って作られる黒木碁石店のハマグリ碁石。

「機械で自動にできるものじゃないから、ここまで続いているんだろうと思います」と下鶴さん。

小さい碁石ひとつひとつに技術とノウハウを詰め込んで手作りするからこそ、価値が認められ、ハマグリ碁石は日向の地に残り続けています。

「黒木碁石店の碁石は全世界で通用します。それが誇らしい。

何より、自分が作った碁石が売れるとやっぱり嬉しいですね。大事に使ってもらえればありがたいと思います」

下鶴さん

自分が作っているものが、最高品質であると世界にも認められている。その誇りを胸に、日本にわずか数人のハマグリ碁石職人たちは、今日も碁石を作り続けています。

ハマグリ碁石の文化・産業がこの先100年続くために。老舗碁石店の挑戦についてはこちらの記事をどうぞ。
「白黒つけない」サクラ色の碁石が誕生、その裏側にある囲碁の未来に関わる話

<取材協力>
黒木碁石店(ミツイシ株式会社)
http://www.kurokigoishi.co.jp/

文:白石雄太
写真:高比良有城

【わたしの好きなもの】麻之実油のリップクリーム/スキンバーム

 

乾いたくちびるに、理想のリップクリーム 

社会人になってから、くちびるの乾燥が気になるようになりました。
 
これまでは、あまり乾燥や肌荒れに悩まされることのなかった私ですが、今年で25歳。「お肌の曲がり角」と言われる年齢に。
 
くちびるがカサカサひりひりしていると、常にプチストレスなんですよね。お客様とお話しするときも頭の片隅で気になっていたり、大きく口を開けて笑ったときに口の端が切れるのを感じたり。  
 
疲れがたまっているのかなと、早く寝るよう心がけ、サプリメントを飲んでみても効果はイマイチ。もしかしたらリップクリームや口紅が原因かも?と思い始めてから、私のリップクリーム探しの日々が始まりました。
 
今までは何も考えずに薬局で一番安いものを買ったり、時には100円ショップのものを使ったりしていたので、なにが良くてなにが悪いのか、てんで分かりません。
 
いろいろ試してみてもなかなかしっくりくるものは見つからず、「もうだめだ・・・、わたしのくちびるは一生カサカサのままなのか・・・?」と思い始めた頃、『麻之実油のリップクリーム』に出会いました。
 
最初は「リップクリームに1,800円・・・」となかなか勇気が出なかったのですが、「最後の手段!」と使ってみたら、これがとってもいい買い物でした。
 


まず、しっかり保湿してくれるのにべたつかない。くちびるがぺたぺたしてるとついなめてしまうのですが(たぶん乾燥の大きな原因はこのクセのせい・・・)、このリップクリームなら大丈夫。つけた瞬間から馴染んで、しっとりふっくらしたくちびるにしてくれるのです。

すっとひと塗りすれば一枚の膜をはったように潤って、上から口紅をつけてもそのまま。夜つければ朝までしっとり。皮がむけることもなくなりました。
 
さらに伸びがいいので意外と長持ち。人生で初めて、リップクリームを最後まで使い切りました。安いものをしょっちゅう失くしていた昔よりずっと経済的かも(これはわたしの性格の問題もありますが。笑)。
 

スキンバームは全身に使える優れもの


そしてあとから発売された『麻之実油のスキンバーム』も、きっといいに違いないと確信を持って購入。こちらはくちびるはもちろん、爪や手、髪など全身に使える優れもの。
 
バームを指に取り、くちびるにサッと塗ったあと、爪の保湿まで済ませています。爽やかな植物の香りに癒されます。

薄くてかさばらないので、いつでもポーチに入れていて、旅先でもこれひとつあればなんとかなると思わせてくれる心強い存在です。

 

麻之実油シリーズは、ほとんどが天然由来成分で出来ていて、合成保存料なども不使用。安心して使えるのも嬉しいポイント。  
 
もうこれらなしの生活は考えられません。 

中川政七商店 仙台エスパル店 白石