こんぴら歌舞伎に欠かせない風物詩。春限定で町を埋めつくす「のぼり」の制作現場へ

香川県仲多度郡琴平町。「こんぴら参り」で知られる金刀比羅宮のあるお山のふもとに、現存する日本最古の芝居小屋が存在します。その名も「旧金比羅大芝居」、通称「金丸座」。

こちらでは昭和60年から毎年4月に「こんぴら歌舞伎大芝居」が約2週間にわたって開催され、四国に春を告げる風物詩になっているのだそうです。

そして、この時期に琴平の町のあちこちに掲げられるのが、のぼり。色とりどりののぼりが歌舞伎役者たちや全国の歌舞伎ファンたちをこの町に迎え入れ、ムードを盛り上げます。

こののぼり、聞くところによると琴平町の染屋さんが毎年手作業で染めているのだとか。「こんぴら歌舞伎大芝居」が始まる前の3月、のぼりの製作現場を訪ねてみました。

香川の伝統工芸「讃岐のり染」の工房へ

訪ねたのは香川県の伝統工芸である、讃岐のり染の工房「染匠 吉野屋」。若き4代目の大野篤彦(おおの・あつひこ)さんが迎えてくれました。

「うちは明治の終わり頃、ひいじいちゃんの時代から始まって100年以上讃岐のり染をやってます。

元々は着物の仕事が多くて、洗い張りだとか染め替え、紋付の紋を入れるような仕事をしてたらしいけど、徐々に大漁旗とか祭りの半被(はっぴ)や、神社ののぼりだとかの仕事が多くなって。

春は歌舞伎ののぼりを毎日染めてる感じかな」

と、篤彦さん。

背中に虎を描き染めた半被。力づよく色鮮やかです
背中に虎を描き染めた半被。力づよく色鮮やかです

伺った3月は、まさに歌舞伎ののぼりを染めている真っ只中。

「歌舞伎ののぼりは、年が明けてから3月の末頃までずっと染めています。昔は700本ぐらいののぼりを染めたこともあって、琴平の道という道、路地裏にまで所狭しとのぼりが並んでいました。

風でのぼりがパタパタして夜眠れないなんていう苦情も出たぐらいすごかった。最近では少なくなって100本もないぐらいかな」

と教えてくださったのは、篤彦さんのお父さま、3代目の大野等(おおの・ひとし)さん。讃岐のり染の伝統工芸士です。

工房で頭上を見あげると、のぼりが。染めたものを乾かしているところ
工房で頭上を見あげると、のぼりが。染めたものを乾かしているところ
乾かしているのぼりを見上げる、「染匠 吉野屋」3代目の大野等さん
乾かしているのぼりを見上げる、「染匠 吉野屋」3代目の大野等さん

700本!それは確かに町中がのぼりで埋め尽くされますね。でも最近はずいぶん少なくなったんですね‥‥。

「役者さんの名前を入れるものは毎年染め変えるけど、『金毘羅大芝居』と入れるものは、破れるまでずっと同じものを立てることが多いんですよ。

外に立てるから雨ざらし。色落ちしないようにしっかり染めているから、なかなか色あせないし新しい注文が来ない!

でも、色落ちなんかしたら染め屋としての評判が落ちるし、ここはしっかり染めておかんとあかんやろ(笑)」

のぼりは一枚一枚手染めだといいます。役者名ののぼりには役者の紋を、のぼりの下部にはスポンサーの名前が入りますが、これも紋やロゴを写し取ってやはり手染めです。

700本染めた年は、夜も昼もなくいくつかの染屋で手分けしてのぼりを染めたそうですが、今ではこんぴら歌舞伎ののぼりを染めるのは「染匠 吉野屋」たった1軒になりました。

役者さんの紋を写した型紙。カッターで切り抜いたもの
役者さんの紋を写した型紙。カッターで切り抜いたもの

布の上にこの型紙をおき、のりを置く。のりがついた部分は染まらないので、染料をのせてもこの部分はきれいに染抜かれます。

のりは、もち米を粉にして石灰と塩、ぬかなどを混ぜたもの。とはいえ、この配合は染屋さんにもよるそうで、例えば着物の細かい模様を染めているような染屋さんはもっと細やかなのりを使うといいます。

のりの元になる、もち米を粉にしたもの
のりの元になる、もち米を粉にしたもの
水加減を調整して炊きあげ、のりができあがる
水加減を調整して炊きあげ、のりができあがる

讃岐のり染の特徴として、「筒描き」という技法があります。渋紙の筒袋である「筒」を使ってのりを絞り出して描く技法で、職人の手で自由に描くことができるため、いきいきとした線が染め抜かれます。

歌舞伎ののぼりに関しては、背景の「熨斗(のし)」模様を染めるために、色と色との境目に土手をつくる感じでのりを引きます。

「筒描き」で、色の境目にのりを引く
「筒描き」で、色の境目にのりを引く

父と息子の共同作業「どうぞ、どうぞ」。

のりがしっかり乾いたら、染めの作業です。では、染めている様子を見せてもらえますか?

4代目「伝統工芸士の父が染めます、どうぞ。」
3代目「いま話題の若い4代目が染めます、どうぞ。」

ええと、1つののぼりはやっぱり1人で染めるものなんでしょうか?

3代目「みんなで寄ってたかって染めたら早いんやけど。」
4代目「一緒に染めたら揺れるねん!はみ出るから嫌や!」

言い合いしつつもそれぞれ刷毛を手にし、のぼりを染めに。

手前が4代目篤彦さん、若き職人さんです
手前が4代目篤彦さん、若き職人さんです
染料がはみ出ないように、のりが土手の役目を果たす
染料がはみ出ないように、のりが土手の役目を果たす

‥‥。
‥‥‥‥。
ええと、何か歌ったりとか、2人で話したりとかしないんですか?

3代目「歌は歌わんなぁ。ラジオかな。」
4代目「話すとしたら、次にどこに釣りに行くかかな。」

父親と息子というのは、こういうものなのかもしれません。多くは語らず黙々と。そうこうしている間に、のぼりをくるりと裏向けに。生地をピンと張るための道具、竹の伸子が上にきます。

「のぼりは裏からも見られるものやから、裏から見たときもきれいに見えるように染めるんですわ」

と等さんは裏側にも刷毛をはしらせます。ん?篤彦さんの手元は、刷毛からナイフに変わっています。

生地の裏を、ナイフでなでつけています‥‥
生地の裏を、ナイフでなでつけています‥‥

「これは、生地の微妙な毛羽立ちを抑える作業。乾いたらムラが目立つからていねいにせんと」

と篤彦さん。ずっと家族でやってきているから、道具も手法も自分たちで考えてきたものを受け継いできているとのだといいます。

「次は濃い緑色かな」。色はそのときの感覚で考えるのだそう
「次は濃い緑色かな」。色はそのときの感覚で考えるのだそう
歌舞伎らしい鮮やかな色合いに。「のし」の柄がうかびます
歌舞伎らしい鮮やかな色合いに。「のし」の柄がうかびます
大切な道具、刷毛。この刷毛も今ではつくるひとが少なくなってきています
大切な道具、刷毛。この刷毛も今ではつくるひとが少なくなってきています

これまで、代々世襲でやってきた「染匠 吉野屋」。

「小さい時から近くで親父が染めてるのを見ていて、休みがないのを知ってたから染物屋だけにはなりたくないと思ってたんやけど、いつのまにか染物をやることになって。見よう見まねでやってきて、気づいたら40年経ってたわ(笑)」

と、等さん。篤彦さんも、そんな等さんの背中を見て染物屋になったのでしょうか。

さてのぼりの方はというと、染めたのぼりはしっかりと乾かし、染料を定着させた後、水洗いしてのりを落とします。のぼりとして使えるように縫製まで。縫製は等さんの奥さま(篤彦さんのお母さま)や、お手伝いのスタッフさんでされるのだそうです。

外で水をかけ、のりをおとす。「もち米でできているのりが地面におちると、スズメが食べてお腹いっぱいになりよるんよ。」
外で水をかけ、のりをおとす。「もち米でできているのりが地面におちると、スズメが食べてお腹いっぱいになりよるんよ。」

一枚一枚、色を変えながら親子で染めるのぼり。こんな風につくっているところを見ると、のぼりのハレ舞台を見ずにはいられません。琴平再訪を心に決めました!

こんぴら歌舞伎大芝居。のぼり、ずらり!

4月。ついにこんぴら歌舞伎大芝居の日がやってきました!

胸を躍らせて琴平駅の改札を出ると、早速のぼりが迎えてくれました。

琴平駅の前。鳥居の両側に早速のぼりが!
琴平駅の前。鳥居の両側に早速のぼりが!
金刀比羅宮の参道にも、のぼり
金刀比羅宮の参道にも、のぼり
こんぴら歌舞伎の芝居小屋が近づくと、さらにのぼりが賑やかに!
こんぴら歌舞伎の芝居小屋が近づくと、さらにのぼりが賑やかに!
埋め尽くされるのぼり、圧巻です!
埋め尽くされるのぼり、圧巻です!
ちょうど桜の美しい時期、役者さんの名前も桜をバックにはためいています
ちょうど桜の美しい時期、役者さんの名前も桜をバックにはためいています
こちらは特別バージョン。出産や結婚の記念にのぼりをつくる方もいらっしゃるのだそう
こちらは特別バージョン。出産や結婚の記念にのぼりをつくる方もいらっしゃるのだそう

たくさんののぼりを見上げながら、「旧金比羅歌舞伎大芝居(通称金丸座)」に到着!すでに多くの人々が開演を待ちながら、その情緒ある雰囲気を楽しんでいるようす。

こちらでは江戸時代の中期からさまざまなお芝居が行われており、昭和45年に国の重要文化財として指定されました。一時は建物存続の危機があったものの、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されるようになってからは、春のこの時期には小さな琴平の町に多くの人々が集っているのだそうです。

江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気
江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気
出店もありとても賑やか!4代目の篤彦さんが考案した、歌舞伎ののぼりでつくった鞄の販売も。すべて1点もの
出店もありとても賑やか!4代目の篤彦さんが考案した、歌舞伎ののぼりでつくった鞄の販売も。すべて1点もの
中に入ると靴を脱いで席にもちこみます。ざわざわした活気、わくわくします
中に入ると靴を脱いで席にもちこみます。ざわざわした活気、わくわくします
花道のすぐ脇から。枡席は、座布団に座るスタイルです
花道のすぐ脇から。枡席は、座布団に座るスタイルです

天井に吊るされているのは「顔見せ提灯(ちょうちん)」というもので、出演する役者さんたちの紋が記されており、興行の際に役者の番付の代わりをしています。また、「ブドウ棚」と呼ばれる天井は、ここから花吹雪を振らせることができるもの。竹で編まれた格子状で、約500本の竹をつかっているのだそう。

回転させることができる「廻り舞台」や、床から妖怪などがせり上がる「すっぽん」という穴、役者などが宙吊りになりながら演じることができる「かけすじ」も健在だとのこと。そして驚きなのが、これらすべてを、なんと今でも人力で動かしているのだそうです!

実は、染め職人の篤彦さんも地元の青年団の関係で毎年「こんぴら歌舞伎」の裏方も務めているとのこと。のぼりを染めるだけでも大変ですが、約2週間にわたる公演のサポートは、琴平愛があってこそ。

歌舞伎のようすは残念ながら撮影ができませんでしたが、枡席に身を寄せ合って座り、役者さんの表情がすぐ目の前に見られるというなんとも贅沢な舞台!休憩時間にお弁当やおまんじゅうなんかを食べながら観る歌舞伎、もうほんとうに良い時間を過ごすことができました。

金丸座、普段は一般に開放もしており、奈落や楽屋など、舞台の裏側まで見学ができるので、春以外の季節もぜひおすすめです。

公演がおわり、皆さん満足そうに感想を語りながら帰途につきます
公演がおわり、皆さん満足そうに感想を語りながら帰途につきます

「染匠 吉野屋」の大野親子が染めたのぼりが琴平の町中に掲げられ、いつもの風景とはまた違う春の琴平町を演出する。琴平町に足を踏み入れてから「こんぴら歌舞伎」の芝居小屋に到着するまで、ほんの少しの道のりではありますが、のぼりに彩られた町並がどんどん気分を盛り上げてくれるようでした。

「うちは芸術品や工芸品をつくってきたわけじゃなくて、ただ地元の人たちが必要とするような日常のものをつくり続けてきただけや」

のぼりを染めながらおっしゃっていた等さん。この地で古くから愛されてきた文化に寄り添いながら、讃岐のり染の技術も空気のようにあたり前に町の中に溶け込んでいました。もちろん、職人さんの日常も。

また来年、桜の咲く頃にこの風景に出あえますように。

p3133087

<取材協力>
染匠 吉野屋
香川県仲多度郡琴平町旭町286
0877-75-2628
http://www.somesyou-yoshinoya.com

文・写真:杉浦葉子

※こちらは、2017年4月25日の記事を再編集して公開しました。

ホワイトデーのお返しは老舗菓子店のマシュマロから始まった

もうすぐ3月14日、ホワイトデーです。男性が女性に、バレンタインデーにチョコレートをもらったお返しをするという日ですね。

この文化はいつどこからはじまったのか、みなさんはご存知でしょうか?実は、日本からはじまったものだったのです!

九州・博多生まれの「ホワイトデー」

昭和52年のある日のこと。明治38年に博多で創業した「石村萬盛堂」では、この日も自社のメイン商品となる博多銘菓「鶴乃子」をつくっていました。「鶴乃子」とはマシュマロ生地で黄身あんをくるんだお菓子です。

当時の「鶴乃子」パッケージ。
当時の「鶴乃子」パッケージ。
現在の「鶴乃子」。卵型の箱は今も健在です。
現在の「鶴乃子」。卵型の箱は今も健在です。
卵型のすべすべしたマシュマロの中に、黄身あんが包まれているやさしいお菓子です。
卵型のすべすべしたマシュマロの中に、黄身あんが包まれているやさしいお菓子です。

社長を務める石村善悟さんが、お菓子づくりのヒントを探し、ある少女雑誌をめくっていたところ「男性からバレンタインデーのお返しがないのは不公平!」という投稿を見つけます。これを見た石村さんは「男性から女性へマシュマロをお返しする日を、自社商品『鶴乃子』をきっかけにして作れないかな?」と考えました。

そして出来上がったのが「鶴乃子」をつくる機械を使い、マシュマロの中にチョコレートを包んだ「チョコマシュマロ」。

そのコンセプトはまさに、

「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを、僕のやさしさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」

というものでした!

日程はバレンタインデーのちょうど1ヶ月後に設定。満を持して昭和53年の3月、「マシュマロデー」という名称でスタートしたのです。

しかし、数年間はなかなか定着せず、売上の厳しい期間が続いたそうで‥‥。そんなとき、ある百貨店から新しい提案が舞い込みます。

「バレンタインデーのお返しがマシュマロというだけでなく、もっと幅広い文化にできないか?」「マシュマロの白を想起させる、『ホワイトデー』という名称はどうか?」と。

このアイデアを取り込んだことが功を奏し、その後、マシュマロだけでなくいろいろなお菓子やものを贈るという現在の「ホワイトデー」文化が日本にどんどん定着していったのだそう。「ホワイトデー」の誕生についてはもちろん諸説ありますが、日本の老舗のお菓子屋さんが仕掛けたものだったのですね。

創業111年を迎えた「石村萬盛堂」のあらたな挑戦

創業した明治頃の「石村萬盛堂」本店。写真左側、「鶴乃子」ののぼりが。
創業した明治頃の「石村萬盛堂」本店。写真左側、「鶴乃子」ののぼりが。

「石村萬盛堂」は、現在も「鶴乃子」のほか、あらたなマシュマロ製品や和洋菓子の開発を続け、独創性と伝統性を大切にしながら商品開発を行っています。

2017年には、創業111年を迎えるのを記念し「石村萬盛堂」と奈良の「中川政七商店」コラボレーションパッケージの「チョコレイトマシュマロ」が生まれました。

「チョコレイトマシュマロ」5個入り400円(税別)
「チョコレイトマシュマロ」5個入り400円(税別)
「ストロベリィマシュマロ」5個入り400円(税別)
「ストロベリィマシュマロ」5個入り400円(税別)
中にはたっぷりチョコレート。ふわふわとろーりの食感です。
中にはたっぷりチョコレート。ふわふわとろーりの食感です。

博多銘菓として長年愛されてきた「鶴乃子」から生まれたマシュマロ。鶴は夫婦仲が良く、一生を連れ添うことから 「夫婦鶴」といわれ、仲よしの象徴ともされる縁起の良い鳥。これはホワイトデーの贈りものにぴったりです。

また、パッケージの上下には、博多の工芸品である久留米絣をイメージした模様が配されており、ご当地感も忘れません。

今年は元祖ホワイトデーのマシュマロで、お返しの準備をしてみてはいかがでしょうか。「もらったチョコレートを僕のやさしさマシュマロで包んで」お返ししてくださいね。もちろん、マシュマロだけでなく他の贈りものを添えていただいても女性陣は大歓迎であります。

<取材協力>
石村萬盛堂
福岡県福岡市博多区須崎町2-1
092-291-1592
http://www.ishimura.co.jp

文:杉浦葉子
※こちらは、2017年3月6日の記事を再編集して公開しました。

【わたしの好きなもの】蚊帳ケット

 
娘のお昼寝に大活躍。「蚊帳ケット」
 
これまで蚊帳生地はふきんが一番!と思っていましたが、2年前に娘を出産し、日々のお世話をしている中で蚊帳ケットがとても良い商品だと感じました。
 

産まれる前は私が敏感肌なのもあって赤ちゃんには肌に良いものをという視点でオーガニックのものや肌触りの良いものを中心に探し、一般的な袋状のベビー用シーツを購入しました。

 

産まれた後は想像以上にしょっちゅう汚れることに驚きました。

新生児のころは1日1回どころか1日3回以上変える日もしばしば。

あんまり頻度が多いのでいちいちしっかりシーツに入れるのがめんどうになったり何枚も洗い替えを購入することに抵抗を感じ、シーツの上に蚊帳ケットをひくようになりました。

このように、端っこはふとんの下に挟み込んでおけばOK。


すると、外すときはひっぱるだけ、付けるときはパッと広げて端を挟み込むだけ。

洗うのも薄くてかさばらず洗濯機に入れるだけですぐ乾き、しまうときもかさばらず、とにかくめちゃくちゃらくちんになりました。

 

保育園に行きだすと週1でふとんを持ち帰って洗ってこなくてはいけません。

 

ふとんは大荷物ですし、お天気が悪いと乾きづらいことも・・。

そこで冬以外はタオルケットの変わりに蚊帳ケットを用意することにしました。

持ち運びもらくちん、すぐ乾くのでお天気を気にせず洗えて清潔です。




あんまり便利なので、出産した友人には必ず蚊帳ケットをおすすめしています。


デザイナー 山口

 


<掲載商品>
かや織ケット 縞

【わたしの好きなもの】幸運の白鹿だるま

 

「たくさん集めると逆効果じゃないの?」

 

郷土玩具や縁起物が好きなんだという話をすると、たまにこんなことを聞かれます。

 

なんとなく、神さま同士が衝突しそうなイメージがあるのでしょうか。

 

そんなに心の狭い神さまはいないだろうと思いつつ、そもそもご利益を求めているわけではないので、はじめから気にしていないのが正直なところ。

 

ではなぜ集めるのかというと、とにかく素朴でかわいくて、不思議で、魅力的だから。

 

 

暮らしの中でニーズから生まれ、使われてきた日用の品に対して、人々の祈りや思いから生まれた郷土玩具・縁起物たちはとても自由でユニークです。

 

背景にはその土地の暮らしや信仰にもとづいたエピソードもあり、旅先で見かけると買わずにはいられません。

 

そんな私が今イチオシの縁起物が、中川政七商店の「幸運の白鹿だるま」。

 

だるまの一大産地である群馬県高崎の「三代目だるま屋 ましも」真下輝永さんが制作するオリジナルだるまです。

 

白鹿は、奈良の春日大社の神様が白い鹿にのってやってきたという伝説から、”神様の使い”と言い伝えられています。

 

また、鹿は「禄(ろく)」(=幸い・喜びの意味)と音が通じる事から、とても縁起のいいものとされてきました。

 

白鹿が幸せを運んでくれるようにという祈りを込めて、「幸運の白鹿だるま」は、一つ一つ手作りされています。

 

おなじみのだるまさんのフォルムに、異質な白い下地、虚ろな丸い目、金色で描かれた角(つの)と水玉模様、そして背後についた丸い尻尾。すべてがあいまって、どことなく高貴でもあり、かわいくもある。



 

手作りなので、それぞれ微妙に表情がちがって選ぶ楽しみもあります。

 

また、“白鹿だるま”というストレートなネーミングも最高です。確かに“白鹿をモチーフにしただるま”であり、それ以外に言いようがないわけで、実に潔い。

 

東京の「笊(ざる)かぶり犬」などもそうですが、見た目をストレートに表現したネーミングは、郷土玩具・縁起物の素朴な魅力を引き出す側面も持っているなと感じています。

 

3歳になる息子は「鹿なの?だるまなの?」と若干パニックになっていましたが、モチーフとして鹿とだるまを組み合わせるあたりも自由で素敵です。


 

ちなみに、だるまと言えば選挙で当選した議員さんが目を入れる印象が強いと思います。しかし「三代目だるま屋 ましも」の女将さん曰く、「初めから両目を入れておくのがおすすめ」なんだとか。

 

本来、両目が入ってこそパワーを発揮するものだということで、「幸運の白鹿だるま」も初めから両目が入った状態になっています。

 

ご利益を求めて集めているわけではない、と言いましたが、お祝いとして人に贈る際には、しっかり意味と願いを込められるのも縁起物のよいところ。

 

私も、友人がお店や事業を始めるといったときには、上手くいきますようにと願いを込めて、だるまを贈るようにしています。




中川政七商店 編集担当 白石


<掲載商品>
幸運の白鹿だるま

【わたしの好きなもの】千筋椀


千筋が手にピタッと吸い付くお椀


わたしの好きなものは、越前漆器の老舗 漆琳堂のお椀ブランド「お椀やうちだ」の千筋椀(せんすじわん)です。
 
お椀や うちだの商品を最初に見た時、漆とは思えない鮮やかな色拭き椀のシリーズにとても惹かれました。
「漆ってこんな色も出せるんだな」
と感心し、紺色の色拭き椀を即購入したのをよく覚えています。

 
しかし、ひとしきり感心したあとに「いや、、、そもそも漆ってなんだ?」という思いが湧いてきます。
「わかっているようでわかってないぞ」と思ったわたしは「お椀や うちだ」の説明文に目をやりました。
 
”漆は元来、補強材として用いられていました。木をくりぬいただけのお椀は、汁物をすくいそのまま口に運ぶことが出来る、もっとも原始的な食器。割れ欠けを防ぎ、丈夫に長持ちさせるために漆を塗る、これが漆塗りのお椀の最初の姿です。
その後漆器は、強度と美しさを追求するため、作業工程が何十にも増え、高価になり、気付けばあたかも美術工芸品のような扱いをされるようになりました。
漆琳堂は福井県鯖江市で越前漆器を8代・200年に渡りつくり続けています。伝統技術の継承は大切ですが、私たちは保存されるものをつくりたいのではなく、毎日の暮らしの中で使い続けられるものをつくりたい。
その想いから、漆のお椀の原点に立ち戻った「お椀や うちだ」が生まれました。”
 
そうだったのかと目から鱗が落ちた思いでした。
伝統を大事にしながらチャレンジを続ける「お椀や うちだ」のファンになるのに時間はかかりませんでした。
 
 
さて、千筋椀の話に戻します。
 
写真からおわかりいただけるかと思いますが、千筋椀は木地に等間隔・同じ幅の細い筋を入れたお椀です。
お椀の外側に沿って筋が無数に入るので「千筋」と呼ばれています。
そして、その筋は木地師が轆轤(ろくろ)を回転させながらカンナ一本で入れているのです!
どうやったらこんな正確に筋が入れられるのだろうと思うと頭がクラクラしそうですが、千筋椀の本領はまさにこの「千筋に触れた時」に感じることができます。
 
両手でそっと持ち上げた時の、
「千筋が手の平にピトピトとフィットする心地よさ」×「お椀に入れた味噌汁などのあたたかい温度」
 
これです。
 
あたたかみが心地よく、しっかりと手の平に移ってくる感覚。
「ああ、幸せだな~~」と思わず呟いてしまうこと請け合いです。
 
また、千筋のおかげで他のお椀に比べるとグリップしやすく、手を滑らせてツルッと落としてしまうことも少なくなります。
 
というわけで、我が家ではもっぱら子どもたちのお気に入りに。
持って心地よく、口当たりも優しい千筋椀。
 
これからも一生付き合っていきたいと思うお椀です。


編集担当 緒方

底引き網を支える漁師のおもりが、歯ブラシスタンドになるまで

あなたの地元はどんなところですか?

私はいま、地元の町を出て東京で暮らしています。

たくさんの人が集まる場所で暮らしていると、出身地の話をする機会が多くなるもの。

そんな時、せっかくなら話のネタになるようにと、特産品や地元出身の有名人、観光スポットと呼べそうなところなど、どうにか絞り出して話をしています。

でも、地元を思い返して実際に頭に浮かぶのは、父親とよく行った喫茶店の建物や、部活帰りに寄っていたコンビニの駐車場など、なんでもない景色ばかり。

今日は、そんななにげない原風景のひとつで、最近あまり見かけなくなったある焼き物の話をお届けします。

港で見かけた、漁師のおもり

漁師のおもり
底引き網漁に使われる「おもり」

こちら、海の近くに住んでいた人であれば、見覚えがあるかもしれません。

写真のものはできたばかりでピカピカですが、漁に使われる“おもり”です。

子供の頃、港や海岸に行くと、使い込まれて色あせたこいつがよく落ちていました。懐かしい。

ボロボロに朽ちた漁具
こんな風に、網と一緒にボロボロに朽ちた状態でよく見かけていた

実はこのおもり、鉄や鉛ではなく陶器でできています。

なぜ陶器なのか。どうしてこの形なのか。

考えてみると、落ちているものを見てばかりで、使われているところは見たことがありません。

関東でも千葉の船橋漁港でまだ使われていると聞き、さっそく見に行ってきました。

一度も割れたことがない。耐久性にすぐれた必要不可欠な漁具

船橋漁港
船橋漁港

使っているおもりを見せてくれたのは、船橋市漁業組合で常務理事をつとめる吉種勇さん。漁業歴30年以上のベテラン漁師です。

漁師の吉種勇さん
漁師の吉種勇さん

「瀬戸が見たいんだって?そんなら俺の船に行こう」

そう言ってさっそく漁船に案内してくれる吉種さん。

どうやらこの漁港では、あのおもりは“瀬戸”と呼ばれているようです。瀬戸の方で焼いているらしい、という情報だけ聞いて、そう呼んでいるのだとか。

実際には、岐阜県の多治見で焼かれているものが入ってきているはずなのですが、その話は後ほど。

ともかく船に行ってみると、ありました。その日の漁で使われたばかりの現役バリバリのおもりたち。

まさに使われたばかりの網と重り
まさに使われたばかりの網とおもり

自分が地元で見ていたものよりも新しいのか、まだ綺麗な色をしています。

「ずいぶん丈夫だから、10年に1度くらいしか取り替えない。たまに、乱暴にあつかって割れたって話も聞くけど、この船ではまだ1回も割れてないんじゃないかな。

綱の方がぼろぼろになったんで、最近一部だけ交換したんだけど」

漁師のおもり
この一部だけ交換したそう

ほとんど割れることもなく、海中でも平気。陶器であるのが信じられないほどです。

ちなみに、吉種さんたちがおこなっているのは、底引き網漁。

網を海底に沈めて、船で引っ張りながらその網に入った魚をすくい上げる漁法で、スズキやコハダなどを狙います。

「鉛だけだと重すぎて船で引けないから、陶器のおもりをメインでセットして、必要に応じて鉛を追加して使ってるんだ」

おもりは一定間隔でつけておかないと、網が浮いて魚が逃げてしまう。すべてを鉛にすると、重すぎてダメ。そこで、陶器のおもりとあわせて使って調整しているそう。

おもりのつけ方と鉛の割合は、人それぞれ
おもりのつけ方と鉛の割合は、人それぞれ

陶器のおもりが必要な謎がひとつ解けました。

「親父の代からずっと使っていて、どんな風に何個つければ漁がうまくいくっていう経験が蓄積されている。だから、無くなると困っちゃうな」

おもりをつける間隔や、鉛と陶器の割合などは、漁師さんによって違います。このおもりを今後も使っていきたいと、吉種さんは言います。

漁師のおもりは、無くなってしまうかもしれない

しかし、実はいま、漁師の数が減少している中で、このおもりの需要は激減しています。

このままではいずれ無くなってしまうかもしれません。

波風をものともしない耐久性や、どこか愛らしいその見た目。その特性は別の方法でもいかせるのではないかと、新たな挑戦をしている窯元が、岐阜県多治見市にありました。

多治見の高田焼「マル信製陶所」

徳利で有名な高田焼
徳利で有名な高田焼

「マル信製陶所」は、多治見市の高田・小名田地域で受け継がれている伝統の焼き物「高田(たかた)焼」の窯元。

高田焼の窯元「マル信製陶所」
高田焼の窯元「マル信製陶所」

大正時代から高田の地で製陶を開始し、現在、5代目となる加藤信之さんが奥さまと2人で窯を切り盛りされています。

マル信製陶所の加藤信之さん
マル信製陶所の加藤信之さん

長らく陶器のおもりをつくってきました。

「当初は湯たんぽや食器などもつくっていたのですが、先先代(祖父)の頃から陶器のおもりの需要が高まってきて、その生産に集中するようになりました」

最盛期は全国から注文がきていて、「毎日のように集荷のトラックが来ていた」ほど。

ズラッと焼きあがった、おもりたち
ズラッと焼きあがった、おもりたち。最盛期は倉庫に入りきらないほどだったとか

あの船橋漁港にも、加藤さんがつくったおもりが卸されています。

なぜ、この高田でおもりがつくられるようになったのか。ポイントは土でした。

「高田の土は、キメが細かくて粘性が高く、成形しやすい。低い温度でも硬く焼き締まるので、液体を入れる器として最適でした」

高田焼の土
高田焼の土

硬く焼き締まって水に強い。海中で何年使われてもびくともしないのには、土の特性も関係していたわけです。

この高田の土を使い、さらに真空土練機という機械をつかって土の中の空気を抜く。そしてある程度乾燥させてから丸みをつけるなど加工をして、さらに乾燥させて、釉薬をつけてまた乾かして‥‥と、焼くまでの準備が大変。

高田の土を真空土練機に入れる
高田の土を真空土練機に入れると

空気が抜けた状態で出てくる
空気が抜けた状態で出てくる

そうすることで、漁師のおもりとして使える、ぎゅっと焼き締まった塊の陶器がつくれるんだとか。

「密度の高い状態で焼き締めるので、ちょっとやそっとでは割れません」

と言いながら、肩ぐらいの高さからコンクリートの床へ落として見せてくれましたが、確かに割れない。やはりすごい強度です。

現場でもうひとつ気づいたことは、加藤さん夫妻の作業の丁寧さ。

角の丸みをとる作業や釉薬のつけ方などは、おもりとしての働きとは関係なく、もう少し手抜きでもよいのでは、と思ってしまいますが、そこは焼き物として、美しく仕上げたい思いがあるそうです。

おもりを削る作業
おもりを削る作業

オリジナルの道具で削っていきます
オリジナルの道具で削っていきます

穴の口の部分を滑らかに削る機械
穴の口の部分を滑らかに削る機械

穴に通すロープが引っかからないように削っている
穴に通すロープが引っかからないように削っている

このおもりをどこか愛らしいと感じていたのは、この丁寧な仕事ぶりがあったからなんだと、ふと感じました。

釉薬もこうして丁寧につけていきます
釉薬もこうして丁寧につけていきます

奥さま

歯ブラシスタンドと石鹸置き

ただ、丁寧につくり続けても、注文は年々減少するばかり。

「やっぱり、漁師さんの数が減っているのが一番の原因です」

おもりだけでは厳しいと語る加藤さん
おもりだけでは厳しいと語る加藤さん

と、もはやおもりだけを生産しているわけにもいかない状況の中、新たにつくり始めた商品があります。

「歯ブラシスタンド」と「石鹸置き」
「歯ブラシスタンド」と「石鹸置き」

それが、おもりの形をそのままいかした「歯ブラシスタンド」と、新たに形をつくった「石鹸置き」。

もともとは海で使うものだから、耐久性はお墨付きで、水周りもなんのその。重さも適度にある。

漁師のおもりの特性をいかしたアイデアとして、確かに理に適っています。

歯ブラシスタンドは、ほぼおもりと同じ形状で作成。中の穴について、歯ブラシを立てやすいように大きさを微調整しました。

漁師のおもりで作った歯ブラシスタンド
漁師のおもりで作った歯ブラシスタンド

向かって右は、従来のおもり。穴の大きさと、色味がわずかに違います
向かって右は、従来のおもり。穴の大きさと、色味がわずかに違います

石鹸置きは、シンプルなようで、中心部と外側で厚みが違う焼き物泣かせの形状。

漁師のおもりで作った石鹸置き
漁師のおもりで作った石鹸置き

「厚みが違う部分はどうしても乾き方、縮み方に差が出るので、ひびが入ったり割れやすい。水を切る溝をいつ彫るのか、どんな環境で乾かせばよいのか、試行錯誤して完成しました」

削るための刃もいちから手づくりしています
削るための刃もいちから手づくりしています

綺麗に仕上げるのに試行錯誤が必要だった石鹸置き
綺麗に仕上げるのに試行錯誤が必要だった石鹸置き

との程度乾いた状態でこの溝を彫るのか、正解がわかるまでに一ヶ月かかったとか
どの程度乾いた状態でこの溝を彫るのか、正解がわかるまでに一ヶ月かかったそう

失敗すると、このようにひびが入ってしまいます
失敗すると、このようにひびが入ってしまいます

おもりは、高田伝統の飴色のみの展開でしたが、この新商品たちは飴/粉引/黄瀬戸/海鼠の4色展開。

歯ブラシスタンドと石鹸置き

家の中で使うなら焼き上がりの色味を少しでも鮮やかにと、普段はやっていない酸化焼成という方法で焼き上げるこだわりようです。

船橋漁港の吉種さんにも伝えてみました。

「それはいいアイデアかもしんないね。おもりは、なかなか壊れないもんだから追加の注文も頻繁にはこないだろうし。

うちは息子が漁師をやりたいと言ってくれて、今は一緒に漁に出てる。息子たちの代も底引き網漁を続けられるように、やっぱり無くなっちゃ困るよ。

今のうちにいっぱい注文しておこうかな」

船橋漁協の吉種さん

自分の中に原風景のひとつとして残っていた漁師のおもり。

それがつくられている現場を見る日が来るとは思ってもいませんでした。

漁師のおもり

加藤さん夫妻
加藤さん夫妻

いまだにつくられ続けていること。そして、その優れた特徴をいかし、形を変えて今度は家の中にやってくること。

そう考えるとなにか胸が高鳴ります。

新たな商品として技術や特徴がつながれていく中で、このおもりも、いつまでも残ってもらいたいと思います。

<掲載商品>
漁師のおもりで作った歯ブラシスタンド
漁師のおもりで作った石鹸置き

<取材協力>
高田焼 マル信製陶所
岐阜県多治見市高田町3-88

船橋市漁業協同組合
千葉県船橋市湊町1-24-6

文:白石雄太
写真:西澤智子,白石雄太