森下典子さんに聞く、映画「日日是好日」の楽しみ方と茶道具の秘密

それまで縁がないと思っていた人にも茶道の面白さや奥深さを感じさせてくれる、そんな映画『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)が一般公開された。

エッセイストの森下典子さんによる自伝エッセイを原作にした、樹木希林さん、黒木華さん、多部未華子さんらの共演作品だ。

日日是好日に登場する茶道具
劇中で使われる茶道具はすべて本物
日日是好日に登場するお茶碗

劇中で使われる茶碗や棗(なつめ)、掛け軸といった茶道具はすべて本物。スクリーンに登場するお宝を愛でつつ、いわば眼福にあずかりながら、日本の伝統文化であるお茶に親しむことができる内容となっている。

原作は2002年に刊行された森下典子さんのエッセイ

原作となった『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』は、2002年に刊行された森下典子さんのエッセイ。20歳から茶道教室に通い始めた著者の目を通じて、茶道の心得、人生のあり方などが優しいタッチで綴られている。

「日日是好日」(新潮文庫)
「日日是好日」(新潮文庫)

ここで注目したいのが、森下さん自身、若い頃は茶道に疑問を感じることもあったという事実。

茶道について「カビくさい稽古事」と感じていたことや、茶道教室に通い始めた頃の心境について、「日本の悪しき伝統の鋳型にはめられる気がして反発で爆発しそう」、とまで感じていたことなどが原作に書かれている。

ひょっとすると映画館の来場客の“お茶”に対するイメージも、これに近いものがあるのではないだろうか。それだけに、映画後半、主人公の心境の変化にグッと感情移入させられるはずだ。

さんち編集部では今回、原作者の森下典子さんに、映画で使われた茶道具にまつわるエピソード、特に見てもらいたいシーンなどを聞いた。

茶道具は季節を表す

「日日是好日」原作者の森下典子さん
原作者の森下典子さん

劇中の茶道具はすべて、今回の撮影のために森下さんの師匠である武田先生(※原作で用いられている仮名)に借りたものだという。

森下さんは、「武田先生が集めている茶道具は、女性らしく可愛らしいものが多い印象です。茶道具がつくりだす季節感が好きなんですよね」と話す。

茶道では、季節に沿った茶道具を使い分ける。

これは一例だが、秋なら棗(なつめ:薄茶用の抹茶を入れる茶器)の絵柄に、秋草と鈴虫が描かれているものを使い、掛け軸には「開門多落葉」(もんをひらけば らくようおおし)、あるいは「掬水月在手」(みずをすくえばつきてにあり)といった禅語が書かれたものを掛ける。

茶花(ちゃばな:茶室に置く自然の草木)には清らかな秋の草花である秋明菊を挿れて、食籠(じきろう:御菓子を入れた蓋付きの器)を開けると、そこには柿など、秋の味覚をテーマにした生菓子が入っている。

日日是好日に登場する掛け軸
「掬水月在手」(みずをすくえばつきてにあり)と書かれた掛け軸

繰り返しになるがこれはほんの一例で、その組み合わせは無限と言ってもいい。

「茶道具に触れて、和菓子を食べて、花を眺めて、掛け軸に展開されている世界を想像して。いまという季節を、五感に味わわせてくれるのがお茶の世界です。それはもう、総合芸術と言えますね」

ただ、大事なのはあまり華美にならないこと、とも付け加える。

「和菓子にしても、お道具にしても、お茶の世界では要素を引き算していきます。どんどん引き算していくので、そこに大きな間や余白が生まれます」

茶道具にはちょっとした季節のヒントになるものが、余白の中に極めてさりげなく表現されている。それが、日本文化に特有の遊び心につながるのだろう。

もてなす側が仕掛ける壮大な“なぞなぞ”を楽しむ

「ちょっと待って、これ何だろう。スーッと描かれた曲線の上に、ゴマ粒のような点がある。そうか、秋草の上で鳴く鈴虫だ。そんな具合で、大きな間の中に想像の余地を残してくれている、そんなところも茶道具の魅力だと感じています」

森下典子さんによる棗のイラスト
「虫に秋草蒔絵中棗(むしにあきくさまきえちゅうなつめ)」
『好日日記(こうじつにっき) 季節のように生きる』
森下典子著(PARCO出版)

森下さんに言わせれば、もてなす亭主は客に、壮大な“なぞなぞ”をかけているに等しい。

掛け軸に円相(えんそう:宇宙などを象徴的に表した、丸を描いたもの)をかける。茶花の中にすすきを1本。和菓子に衣被(きぬかつぎ:里芋の形を模した月見団子)を出せば、客人は円相を満月に見立てた”お月見”がテーマだと気が付く。

十五夜に食された里芋を模した月見団子「きぬかつぎ」
昔、十五夜に食された里芋を模した月見団子「きぬかつぎ」

お客が、ひょっとしてこれはと気付き、亭主と交わす会話の中で答え合わせをする。そんなコミュニケーションが取れるのも、お茶の楽しさのひとつだと話す。

「お客は、これはきっと何かの仕掛けだぞ、と思うわけです。お互いが、気付くかどうかで楽しみ合い、分かったときには『ああ!』という感動がある。

そんな瞬間に、窓の外から心地の良い風が入ってきていることや、月の光が差し込んできていることに気づく。人の営みに呼応して、自然がシンクロしてくるときがあるんです」

お茶室では、そんな体験をすることがよくあるらしい。

日日是好日に登場する茶道具
茶道具には、もてなす亭主から客人への“なぞなぞ”が隠されている

意外にも自由でクリエイティブな、茶道具の選び方

「武田先生も、普段から様々な茶道具の組み合わせを考えていらっしゃいます。稽古のとき、『これとこれを組み合わせて良いの?』なんて戸惑うこともあるんですよ」と森下さん。

お茶の世界というと、どうしても厳格なイメージを抱きがちだが、必ずしもそういうことでもないらしい。

「例えば、海外旅行でベトナムに行くでしょう。すると現地でボウルなどの器を見て、このデザインならお茶碗や水差しにできる、なんて発想が浮かびます。

お茶道具には“こうであらねばならぬ”という決まりはありません。作法は厳しく、細かい仕草まで決まっているのに、使う道具には自由さが認められている。だから、そこにメッセージや遊びの要素を入れ込むことができるんだと思います」

「日日是好日」原作者の森下典子さん
「映画の中で、私が組み合わせた茶道具をお茶の先生方が見たら、と思うと、冷や汗の出るところではあります」と、おちゃめな笑顔でニコッと微笑む森下さん

風をあらわす掛け軸の前に、花を置いて香りを感じる

このほか、劇中で使われた思い出深い茶道具について聞いた。

森下さんは、掛け軸がとても好きだという。

「掛け軸は『書』としての魅力もありますが、その背景には哲学が込められています。映画では滝の掛け軸の前で、主人公が(想像の世界の中で)滝壺から吹き上がる冷気を感じ、水しぶきを顔に浴びて涼しさを楽しむシーンがありました」

「同じく、劇中に登場する『風』の掛け軸もお気に入りです。この書体はいかにも、そよりと吹いてきた風、という感じがするでしょう。風従花裏過来香(かぜ かりより すぎきたって かんばし)と書いてあるんですが、花のそばを通り抜けた風がその香りを運んでくるという、その禅語の内容も含めて好きですね」

劇中に登場する「風」の掛け軸
劇中に登場する「風」の掛け軸。風従花裏過来香(かぜ かりより すぎきたって かんばし)と書かれている

お気に入りの書に関しては、劇中の茶道教室に掲げられている「日日是好日」も挙げた。

「これは当時(映画の撮影時)小学6年生だった中西凜々子さんによる書です。映画の中の茶道教室の空気が、これでバチっと決まりました。明るくてのびやかで、それでいてすごく一生懸命。大人には決して書けないおおらかな書です」

中西凜々子さんが書いた「日日是好日」の書
撮影時、小学6年生だった中西凜々子さんが書いた「日日是好日」の書。人生に同じ日は無いという想いから、それぞれ違った雰囲気で“日”の字が書かれている

12年に1度しか使われない干支の茶碗

茶道教室で正月に行われる「初釜」の席では、干支の茶碗が使われる。文字通り十二支をテーマにした茶碗だが、正月とその年の最後の稽古に使われるだけで、その年を終えれば12年後まで箱にしまわれたままだという。

「戌のお茶碗だけは、武田先生のところで見つかりませんでした。そこで、お道具屋さんに数点を見繕っていただいたものを、助監督と相談して決めました。12年後の戌年のお正月に『これ、映画に出た茶碗だよね』と思い出すことでしょう」

戌のお茶碗
戌のお茶碗

坂高麗左衛門(さかこうらいざえもん)の水指や即中斎宗匠の書かれた掛け軸など、名のある高額な茶道具もたくさん使われている。

そうした茶道具を慈しむように確認しながら、撮影当時を振り返る森下さん。

「日日是好日」原作者の森下典子さん
映画に使われた茶道具の写真を眺める森下さん

お茶は美味しいもの!普段の飲み物として、自宅で気軽に始めてみる

一方で、「これからお茶を始める人は、最初から名器を揃える必要はありません」ともアドバイスする。

「茶碗、お茶入、棗などは、教室に通っているうちに欲しくなるものです。そこでデパート、お茶道具屋さんに行くわけですが、さほど高額でないものも店頭には並んでいます。

 

最初は、お茶碗だって数千円のもので十分。そういうものから揃えて、お台所のやかんでお湯を沸かし、まずは普段の飲み物として、自宅でお茶を飲んでみるところから入っていただけたら良いと思います」

映画では、美味しそうに淹れられたお茶がアップになる場面がある。

表千家ではあまり泡立てずにお茶をいただく
美味しそうなお茶のアップ。表千家ではあまり泡立てずにお茶をいただく

作法や道具が重要なのはもちろんだが、やはりお茶の美味しさも大きな魅力。

「お茶が美味しいのは、何よりも大事なことです。茶道は、お茶という飲み物の周りにできた文化ですから」と森下さんも話す。

茶道が心のモヤモヤを取り払ってくれる。入り口はさまざま

お茶をやめようと思っていたときに、森下さんの原作に出会って続けられたという方もいる。

いま、森下さん自身にとって、茶道はどんな存在になっているのだろうか。

「心の中に重たいものを抱えているとき、人間関係のしがらみに悩んでいるとき、茶道教室で“なぞなぞ”の気付きに出会うと、靄が一緒に消えてくれるんです。そんなとき、今日は来て良かったと思う。帰り道は風が気持ちよく、また空の高さを感じます。こんな感覚を味わって欲しいと思います」。

自分の将来に悩んだときも、お茶に助けられたという。

「稽古場の中に、世間とは違う価値観や時間の流れがあることに助けられました。お茶、仕事、その両方があったからクルマの両輪のように前に進んでいけました」

短時間で結果が求められる世の中になりつつある。しかし、長い目で遠くからモノを見ることも大事。ゆっくりとめぐる季節を感じ取る、そんな茶道の精神が息づいていたことで、森下さん自身も救われていた。

日日是好日に登場する茶道具

お茶を習いに行くように、映画を観に来てほしい

映画については、「事件は何も起こりません。サスペンスの要素もないし、淡々とした映画ですが、その静けさが良いのだと思っています」と穏やかに総括する。

「お茶を習いに行くようなつもりで、観に来てくれたら良いなと思います。派手なBGMも使っていませんし、水の音と、湯の音が聞き分けられるくらい、静かなシーンが続くので、そんな空間で時間を過ごしてもらえたら。

毎日が慌ただしく、追い立てられる生活を送る私たちに、いま必要な映画になっているのではないでしょうか」

今回の映画の撮影を開始するにあたり、大森立嗣監督は森下さんの通う茶道教室に足を運んでいる。

「足をしびれさせながらも3~4時間、見てくださいました。スマホの電源も切ってらしたようで、帰りに往来に出て電源をつけた時に、『もう4時間か』と時間の経過に驚かれつつ、『見上げた空がスカっと抜けているように感じた』と仰っていました。

わずか数時間でもスマホから離れてお茶室で過ごすだけで、日常が非日常に変わります。そこに、象徴的なものを感じました」

「日日是好日」原作者の森下典子さん

原作のまえがきには、次のように書かれている――。

世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、何度か行ったり来たりするうちに、後になってじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

お茶って、そういうものなんだ、と森下さん。

「茶道教室に通っていても、初めは脚がしびれるだけで、何も見えてこないと感じるかも知れない。でもきっと、そのうち『お稽古を続けていて良かったな』と思える瞬間がやってくる。お稽古の時間を積み重ねていくことは、自分の中に豊かなものを積み重ねていくことではないでしょうか」


森下 典子(もりした のりこ)

1956年、神奈川県生まれ。1987年、『週刊朝日』の名物コラム「デキゴトロジー」の記事を書くアルバイトをしていた体験を描いた『典奴どすえ』(朝日新聞社)でデビュー。以後、雑誌などにエッセイを執筆している。2002年、茶道の稽古を通じて得た気づきを書いた著書『日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ』(飛鳥新社)を出版。2008年に新潮文庫化され、現在もロングセラーを続けている。

映画「日日是好日」

絶賛全国上映中
監督:大森立嗣
出演:黒木華 樹木希林 多部未華子 鶴見辰吾 鶴田真由
原作:森下典子「日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ」(新潮文庫刊)
配給:東京テアトル ヨアケ
映画公式サイト:http://www.nichinichimovie.jp/

茶道文化の入り口を開く茶道の総合ブランド「茶論(さろん)」と、「日日是好日」のタイアップ企画を茶論各店及び一部劇場で実施中。詳しくは茶論公式サイトで

文:近藤謙太郎
写真:mitsugu uehara

【はたらくをはなそう】中川政七商店店長 川島理紗

川島理紗
(中川政七商店 ルミネ新宿店 店長)

2013年 遊中川 玉川高島屋S・C南館店にスタッフ入社
2014年 遊中川 横浜タカシマヤ
2015年 遊中川 玉川高島屋S・C南館店
2016年 同店の店長となる
2018年 中川政七商店 ルミネ新宿店 店長

もともと奈良が好きだった私が出会ったのがこの会社でした。
奈良の本店に立ち寄った際、「なんて素敵なお店なんだ!」と
感動したのを今でも覚えています。
外観、雰囲気、商品、スタッフ…全てのものに感動していた矢先、
募集を見てチャレンジしてみようと思い応募しました。
今では自分が店長になり、お客様にあの時の自分の感動を伝えることができているかなと
毎日試行錯誤しています。

そんな私が仕事をする上で大切にしていることは
「相手の気持ちを考える」
「否定しないこと」です。
お客様の立場だったらどう考えるだろう。
スタッフの立場だったらどう感じるんだろう。
どんな想いでこの商品を作ったのだろう。
そんな風に相手の立場に立って想像します。

店長として、スタッフとたくさん会話をしながら
相手が本当に考えてることを引き出し、
一緒に解決に導いていくことが多いです。
相手の考えが自分と異なっても、その視点が面白くもあり勉強になるので、
人の意見や考えを受け入れることも大切にしています。

また、自らチャレンジするのは苦手な方ですが、
いつもチャレンジする環境を与えていただくことが多いので
できるだけ否定せずにまずは受け入れてみようと思っています。
これまでも受け入れてみることで、新たな発見や出会いがありました。

働くことはたくさんの人と関わりを持つこと。
そのたくさんの人を大切にしたいと考えています。
直営店のスタッフとして、お客様の笑顔や一緒に働くスタッフの楽しんでいる姿が
私にとって一番仕事にやりがいを感じる瞬間です。

はじめての「金継ぎ教室」体験レポート。修復専門家 河井菜摘さんに習う

以前の記事「漆を使って器をなおす、修復専門家のしごと」にてお話を伺った修復専門家、河井菜摘さん。インタビューのなかで「日用品はそれぞれが自分でなおせる方が良い」と話してくれた河井さんの教室で、実際に金継ぎに挑戦してみました。

東京都内で行われる金継ぎ教室

ある月曜の朝、通勤ラッシュの地下鉄で押しつぶされそうになりながら向かったのは清澄白河。下町の情緒が色濃く残りつつも、アートの街として、最近はコーヒーの街としても知られています。

駅から歩いて10分ほどのところにあるマンションの一室で、金継ぎ教室は行われています。教室へ入ると、大きなテーブルに作業用の席が10席ほど用意されています。それぞれの席にビニール製のマットが敷かれ、テーブルの中心には漆のしごとに使う道具がたくさん並んでいました。

金継ぎ教室に持参した器

持ってきた器は4つ。口が欠けてしまったカップが3つと、割れてしまった大きなお皿がひとつです。どれも大切に使っていたものの、いつからか割れたり欠けたりしてしまいました。

金継ぎ教室に持参した器
金継ぎ教室に持参した器

金継ぎキットを確認

器を先生にみてもらったら、金継ぎキットの中身を確認します。必要な道具は思っていたよりも少なく、意外と身近なものが多い。このほかに、自分でカッターとはさみ、エプロンを用意します。

この道具たちで金継ぎができるのかとワクワクすると同時に、教室オリジナルの金継ぎノートがかわいらしく、「大丈夫!難しくないよ!」と言ってくれているようで勇気がわいてきました。必要な道具が揃っていることを確認し、いよいよ金継ぎの作業スタート。

金継ぎキット

金継ぎは、漆の技法のひとつ

早速、主役である漆の登場です。漆は肌につくとかぶれてしまうため、作業中は薄いゴムの手袋を着用します。

「金継ぎ」という名前から、金で継いでいると勘違いされることも多いのですが、金継ぎは漆の技法のひとつです。漆が接着剤になって割れた器をくっつけて、破損した部分は漆で埋めて復元する。金はその上から蒔いているだけで、お化粧のようなものです。

金の代わりに銀を蒔いたりそのまま漆で仕上げることもあるそうですが、金はどんな器にも合うため、河井さんははじめての方には金をおすすめすることが多いのだとか。

当たり前に漆、漆とくり返していますが、私たちが漆と呼んでいるものはウルシ科の漆の木の樹液です。漆の木に傷をつけて、出てくる樹液を採集したものがこの生漆。チューブから出した直後はベージュ色ですが、空気に触れることですぐに濃い茶色に変色します。

漆

漆は水分があるところで乾きます。よく乾くのに必要な条件は温度が25度以上で、湿度が65%以上。乾くというよりは硬化するといったイメージなのですが、ジメジメした時期はよく乾き、逆に空気が乾燥し、気温の低い冬は必ず保管用の室(むろ)に入れないと乾かないそうです。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

材料は、漆とお餅と土と木

次に登場したのは和菓子に使うお餅の粉です。和菓子に使うものなので、口に入れてももちろん大丈夫。なんとお餅と漆を混ぜることで、糊漆(のりうるし)という天然の接着剤になるのです。割れをくっつける作業は、この糊漆を使って進めていきます。

パズルのように組み合わせていきます
パズルのように組み合わせていきます

次は欠けを埋める作業です。使うのはケヤキの木の粉と土の粉。先ほどの糊漆に木の粉を混ぜると欠けを埋める天然のペーストになり、これを刻苧(こくそ)と呼びます。もうひとつ、土の粉とお水を混ぜたものに漆を加えると錆漆(さびうるし)に。

錆といっても金属ではなくて、土とお水と樹液といったすべて天然の材料からできています。ちなみに今回使う土の粉は京都の稲荷山の土だそうです。金継ぎは器にも人にもやさしいと聞いたことがありますが、環境にもやさしいのかもしれません。

ガラスの板の上で、刻苧や錆漆をつくっていきます
ガラスの板の上で、刻苧や錆漆をつくっていきます

欠けの大きさや形状によってこのふたつを使い分け、欠けてしまった部分を復元していきます。

はじめての金継ぎ教室

根気強く、なめらかに

糊漆と錆漆でベースができたら、錆漆をデザインカッターや3種類の紙やすりを使い分けながら削って、研いで、形を整えなめらかにしていきます。

はじめての金継ぎ教室

その上に弁柄漆(べんがらうるし)と呼ばれる赤い漆を錆漆をなぞるように塗っていきます。それをまたなめらかに紙やすりで研いで、もう一度。錆漆の上に漆を塗ることで防水性を出していきます。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

弁柄漆とは、顔料の入った色のついた漆の1種。こういった色のついた漆は、生漆を精製して有色透明な茶色に仕上げた透漆(すきうるし)をベースに顔料を入れたもので、総称して色漆(いろうるし)と呼ばれています。

私たちになじみ深い漆の色は赤色ですが、青や緑のものもあるそう。白漆には白い顔料を入れているけれど、もともと茶色の透漆に対して白を足しているので仕上がりは薄いベージュになる。それが漆らしい色で持ち味なのだと河井さんは教えてくれました。

はじめての金継ぎ教室

数ある色漆の中で、なぜ金継ぎでは弁柄漆を使うのか。ひとつの理由として、金を蒔いた時に下に赤色があると金の発色が良く見えるそうです。言われてみれば、油絵の色の塗り方だったり、私たちの普段のお化粧だったり、同じようなことはよくありますね。

根気強く、表面をなめらかに仕上げたら、いよいよ最後の弁柄漆。この漆が金粉の接着剤になるので、金の形を決めることになります。慎重に慎重に。いつの間にか表情も真剣に。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

金継ぎのクライマックス「金蒔き」

ほぼ全ての工程を終えて、残すは金粉を蒔くのみ。今回使うのは金粉の中でもいちばん細かいもので、肉眼で見ても消えるように細かい。

金の値段は年々変わっているそうで、10年前は1g当たり3,200円くらいだったものが、今は2倍以上の金額だとか。ただ、この金粉は細かいので思っているよりもたくさんの面積に蒔くことができるそうです。

はじめての金継ぎ教室

使う道具は毛棒と真綿。まず毛棒に金粉を含ませて、弁柄漆めがけて金粉を落としていき、フワフワの真綿を使って磨いていきます。やさしくやさしく。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
完成です!
完成です!

それまでの苦労が嘘だったかのように、最後の金蒔きの作業はあっという間。それでも、教室内でちょっとした歓声があがるぐらい、金を蒔いた器たちは美しく、新品の器にはない魅力に溢れていました。

はじめての金継ぎ教室

2時間半の教室を3日間、少し急ぎ足ではあったものの小さな欠けの2点は仕上げることができました。

実際に自分が手を動かしてみることで、自分が使うもの、壊したものを自分でなおすことは、当たり前のようで普段できていないことだということ。河井さんの話してくれた変幻自在の漆のおもしろさ。すべて自然の材料を使っていること。たくさんの発見に満ちた3日間でした。

河井さんの教室はキャンセル待ちも多いようですが、金継ぎは市販で本やキットも販売され、教室も多くあるようです。お宅に眠る欠けてしまった器たち、ぜひなおして救ってあげてくださいね。

河井菜摘さんのインタビュー記事
漆を使って器をなおす、修復専門家のしごと


河井菜摘(かわいなつみ)

鳥取、京都、東京の3拠点で生活をし「共直し」と漆を主軸とした修復専門家として活動。陶磁器、漆器、竹製品、木製品など日常使いの器から古美術品まで600点以上の修復を行う。修理の仕事の他に各スタジオでは漆と金継ぎの教室を開講し、漆作家としても活動している。
kawainatsumi.com

文:井上麻那巳
写真:伊藤ひかり・中村ナリコ

こちらは、2017年2月9日の記事を再編集して公開しました

【はたらくをはなそう】日本市店長 白井実穂

白井実穂
(日本市 博多デイトス店 店長)

2014年 直営店スタッフとして入社
2017年 中川政七商店 広島パルコ店 店長
2018年 中川政七商店 イオンモール岡山店 店長
同年 日本市 博多デイトス店 店長

中川政七商店で働いていると、
中川政七商店があるその土地と自分とのつながりを感じます。

それはお客さまとの会話、スタッフとのコミュニケーション、
メーカーさんとのつながりであったり、
工芸、産地、おいしいもの、景色が綺麗な場所、
もともとは縁も所縁もなかったその土地を愛おしく、
自然とおすすめしたい気持ちになっていきます。

わたしは自分の生まれた土地を誇りに思っていて、
その土地の素敵なことやものを、たくさんの人に知ってほしいと思っています。
実は中川政七商店に関わる人は、皆そうなのかもしれません。

わたしにとってはたらくということは、
「自分の思いを実現すること」です。

お店を通して中川政七商店に関わるたくさんの人たちに、
日本のたくさんの工芸やその産地に興味を持ち、それらを誇りに思ってもらうこと。
そして、それを積み重ねることで、作り手さんにも誇りを持ってもらうこと。
その結果、工芸を未来に残していくこと。

それを実現するとき、
わたしが肌で感じたその土地に対する愛おしい気持ちや、
スタッフの皆さんがその土地を大好きな気持ちは
とても説得力があって、信頼できることだと感じます。

この7月から、より地域に密着したお店で働きたいという希望もあり、
お土産業界の地産地消を目指す「日本市」というブランドへ異動しました。
いままでにない地元メーカーさんとのコミュニケーションができ、
これからの展開にワクワクしています。

世の中のたくさんの皆さんに
よりよく伝えられる、良いタッチポイントであるように
お店のスタッフの皆さんと地元メーカーさんと協力して
毎日楽しくここちよいお店を作り上げていきたいです。

道後名物「湯かご」とは?竹かごを手に愉しむ、温泉街のそぞろ歩き

自然の素材で編んだ「かご」。素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。

連載「日本全国、かご編みめぐり」では、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介します。

愛媛県松山市、道後温泉を訪ねます

今回訪ねたのは、愛媛県松山市の道後温泉。

3000年の歴史を持ち日本最古の温泉ともいわれる、かの有名な道後温泉は国指定重要文化財に登録されています。

古くから多くの人々に愛され、神話の時代の大国主命(オオクニヌシノミコト)や、聖徳太子をはじめとする皇室の方々や、「坊っちゃん」で有名な夏目漱石といった文化人などの来訪も多く記録に残っているといいます。

夜の道後温泉本館。たくさんの人々で賑わいます。
夜の道後温泉本館。たくさんの人々で賑わいます。

夜空に浮かびあがる姿も幻想的。塔屋の上には白鷺のモチーフ。昔、白鷺がこの道後温泉を発見したのだといわれています。
夜空に浮かびあがる姿も幻想的。塔屋の上には白鷺のモチーフ。昔、白鷺がこの道後温泉を発見したのだといわれています。

日が落ちたころ、この辺りにはお宿の浴衣に身を包んだ観光客の人々が多く見られます。

そして、その手には片小ぶりの可愛らしいかご。これは一体‥‥?

道後温泉の玄関前。若い男性陣の手に、かご。
道後温泉の玄関前。若い男性陣の手に、かご。

入浴券を買うために並んでいる人々の手に、かご。
入浴券を買うために並んでいる人々の手に、かご。

温泉前で佇むおじさまの手に、かご。
温泉前で佇むおじさまの手に、かご。

お土産物や飲食店が立ち並ぶ商店街を歩く人の手に、かご。
お土産物や飲食店が立ち並ぶ商店街を歩く人の手に、かご。

「ちょっと見せてください〜」「いいですよ、かわいいでしょ?」
「ちょっと見せてください〜」「いいですよ、かわいいでしょ?」

すると、ちょうど商店街に立ち並ぶお店で似たかごを発見!どうやらこれは「湯かご」と呼ばれているようです。

色々なサイズのものが重なって目を引く「湯かご」。
色々なサイズのものが重なって目を引く「湯かご」。

こちらのお店「竹屋」さんでお話を聞いてみることにしました。出迎えてくださったのは、物腰やわらかで笑顔で迎えてくださった女性、「竹屋」代表の得能光(とくのう・ひかり)さんです。

———こんにちは。こちらは竹のものを扱ってらっしゃるんですね。観光の方が小さなかごを持ってらっしゃるのはこちらのものですか?

「湯かご」のことですね。うちのかごもありますが、大半は近隣の宿が小さな「湯かご」を宿泊のお客さんに貸し出しているんですよ。

温泉のある宿もありますが、やはり歴史ある道後温泉本館のお風呂に入りに来られる方が多いですから、宿から湯かごを下げて歩いて来られます。

———そうなんですね。「湯かご」というのは昔からあるものなんですか?

「湯かご」は、元々は地元の人がお風呂に通うために、竹かごに石鹸や手ぬぐいを入れて持って行ったという実用品です。

うちのお店は竹のものを扱って今年の春で50年目を迎えるんですが、当時の地元の人の需要に応えるために、職人に頼んで「湯かご」になるかごをつくってきました。20年ほど前から、県外から来られた方が地元の人の「湯かご」を見て、かわいいとおっしゃって。

お土産としてうちの店のものが人気になったんです。

青竹を使った「あおゆかご」。職人さんの手によって、サイズもいろいろです。
青竹を使った「あおゆかご」。職人さんの手によって、サイズもいろいろです。

青々とした竹の色が鮮やか。経年で黄色く変化していくのだそう。底は「菊底編み」で、ここを中心として編み上げていきます。
青々とした竹の色が鮮やか。経年で黄色く変化していくのだそう。底は「菊底編み」で、ここを中心として編み上げていきます。

———「湯かご」としてのデザインは、昔からずっと変わらないのですか?

今、主流になっている「湯かご」のデザインは、わたしの父が最初に職人さんにつくってもらった「あおゆかご」です。

でも、「湯かご」の元祖は地元の方がお家にあった手のついた花かごの筒を抜いて、温泉に持っていったのが始まりとも言われているんですよ。

こちらの「しろゆかご」がその元祖のものです。花かごっぽいでしょう?

こちらが元祖「しろゆかご」。細く繊細なひごで編まれています。たしかに、お花が飾れそう。
こちらが元祖「しろゆかご」。細く繊細なひごで編まれています。たしかに、お花が飾れそう。

底は「網代(あじろ)底編み」という編み方で、これまた繊細です。
底は「網代(あじろ)底編み」という編み方で、これまた繊細です。

———「あおゆかご」と「しろゆかご」、印象がずいぶん違いますね。職人さんはたくさんいらっしゃるんでしょうか?

職人さんは、ひごをつくる職人さんと、編む職人さんがいます。

「しろゆかご」はひごの準備が繊細な作業になるんです。「あおゆかご」のように青竹を扱っている方は、だいたい全部の工程を1人でされる方が多いです。個人や家族でされている方がほとんどなのであまり人数はいないですね。

最近はうまく世襲ができず、おじいさんの代からひと世代空いて、その下の若い世代の方ががんばっている印象でしょうか。お父さん世代は、高度成長期にきっと別の仕事に就かれたんでしょうね。

店内は大きなかごや、お弁当箱など、竹を使ったものがたくさん扱われています。
店内は大きなかごや、お弁当箱など、竹を使ったものがたくさん扱われています。

———竹はこのあたりのものですか?

はい、もちろん。

別府の竹細工もそうですが、温泉地で竹細工が発展したのは、昔、温泉のお湯を利用して竹を曲げて細工していたからなんですね。

地熱の関係か、温泉地は温暖で竹が成長しやすいことも発展の理由だと思います。

かつて、聖徳太子がこの地を訪れた際、質の良い「伊予竹」という真竹が生息している竹林を見て「これで産業を興しなさい」と伝えたという話も残されています。

当時は、宮中に献上するすだれをつくったり、竹細工が盛んだったと聞いています。

———献上品だったのですね。質も高くてやはり高価なものだったんでしょうか。

もちろん竹の質は良いですし、手もかかったものですが、竹細工はきっと特別な工芸品というわけではなかったと思います。

農家の人が自分の家の近くの竹を割いて、冬の農閑期に編み、暮らしの道具として使っていたんでしょうね。竹は生息も早かったので、いろいろな道具にされていたようです。

普段使いの台所道具、ざるも揃っています。
普段使いの台所道具、ざるも揃っています。

うなぎを獲る、「竹びく」まで!
うなぎを獲る、「竹びく」まで!

もちろん、伝統的な花かごも色々。
もちろん、伝統的な花かごも色々。

———ところで、このあたりはずっと商店街だったんですか?あと、近隣の宿で「湯かご」を貸し出しはじめたのは割と最近のことなのでしょうか?

このあたりは、昔はお遍路の宿や、湯治場としての宿が多かったんです。お土産物やさんが増えたのもうちの店ができた頃なので50年ほど前。

近隣の宿やホテルで「湯かご」を貸し出し始めたのは10年ほど前で、うちの国産の「湯かご」を使ってもらっていたのですが、貸し出し用ということでやはり痛んでしまうことが多くて。

旅館組合さんのほうで海外産の安価なものを作られたようです。

———ええ、なんだか世知辛い感じがしますね。

でもね、そのおかげでたくさんの方が「湯かご」を手にして道後を歩くようになり、道後の名物というか風物詩のようになったんです。

お客さんがこの土地を楽しんでくださる機会になったので、悪いことだとは思っていません。

観光の方が「湯かご」に愛着をもって、道後温泉で過ごした思い出にうちの国産の「湯かご」をお土産に購入して持って帰られますし、それはそれで、やはり嬉しいので良かったなと。

今でももちろん、うちの「湯かご」を貸し出し用に使って下さっているお宿もあります。

———相乗効果、なんですね。私も「湯かご」が欲しくなりました。明日はマイ湯かごで道後温泉に行ってみます!どうもありがとうございました。

商店街の中の「竹屋」を後にします。お土産物のほか、竹の台所道具など、欲しいものがたくさんありました。
商店街の中の「竹屋」を後にします。お土産物のほか、竹の台所道具など、欲しいものがたくさんありました。

たくさんお話を聞かせていただき、「あおゆかご」を購入して宿に戻ると、貸し出し用の「湯かご」がたくさん並んでいました。

宿泊した宿で貸し出していた「湯かご」。観光客の皆さんは、これを持っていたのですね。
宿泊した宿で貸し出していた「湯かご」。観光客の皆さんは、これを持っていたのですね。

こちらも可愛らしいですが、やはり、つくりは「竹屋」さんのものが抜群にしっかりしています。いい「湯かご」を持っていざ道後温泉へ。楽しみです。

いざ、「湯かご」を持って道後温泉へ

この土地でつくられた「湯かご」を持っている人はあまり多くなく、私はなんだか鼻高々で道後温泉へ。

昼間の道後温泉はわりと空いていておすすめです。
昼間の道後温泉はわりと空いていておすすめです。

発券所に並んで、好きなコースの入浴券を購入。
発券所に並んで、好きなコースの入浴券を購入。

道後温泉は入浴コースがいくつかあり、入浴のみのコースから、浴衣や貸しタオル付き、さらに湯上りにお茶やお菓子もいただけるというコースまでさまざまな楽しみ方ができます。今回はせっかくなのでいちばん贅沢な個室の休憩室がついたコースを選びました。

かつて「上等」と呼ばれた3階の個室。白鷺模様の浴衣に着替えます。
かつて「上等」と呼ばれた3階の個室。白鷺模様の浴衣に着替えます。

浴衣に着替えたら、湯かごを下げて温泉に。いってきます!
浴衣に着替えたら、湯かごを下げて温泉に。いってきます!

壁に砥部焼の陶板画が飾られ、湯釜と呼ばれる湯口が鎮座する「神の湯」、庵治石や大島石の浴槽や大理石の壁面など高級感のある「霊の湯」、2種類のお風呂が楽しめます。
壁に砥部焼の陶板画が飾られ、湯釜と呼ばれる湯口が鎮座する「神の湯」、庵治石や大島石の浴槽や大理石の壁面など高級感のある「霊の湯」、2種類のお風呂が楽しめます。

日本人のきめ細やかな肌にやさしく、湯治や美容に適するという道後温泉の湯。それぞれ温度の違う18本の源泉からバランス良く汲み上げることから、ちょうど42度の適温を保っているそうです。

みなさん、湯船では頭の上にタオルをのせて「いい湯だな〜」と自然と鼻歌がでる感じ。日本人はやっぱり、温泉が好きですね。さて、2種のお風呂を存分に堪能して休憩室に戻ると間もなく、お茶とお菓子が運ばれてきました。

砥部焼の茶碗に、輪島塗の器。3階個室では道後名物「坊っちゃん団子」がいただけます。 
砥部焼の茶碗に、輪島塗の器。3階個室では道後名物「坊っちゃん団子」がいただけます。

開け放たれた窓からの景色も良い感じ。濡れた手ぬぐいを乾かしつつ、私も風にあたりながらお茶をいただきます。
開け放たれた窓からの景色も良い感じ。濡れた手ぬぐいを乾かしつつ、私も風にあたりながらお茶をいただきます。

少しうとうとするぐらいゆっくり休憩したあとは、館内の見学を。

松山の地にゆかりのある夏目漱石に関連した「坊っちゃんの間」や、明治32年に建てられた日本で唯一の皇室専用浴室「又新殿」などを拝見しました。

明治時代の「湯券」などの展示も行われています。
明治時代の「湯券」などの展示も行われています。

広間の2階席はこんな感じ。こちらもわいわいと楽しく寛げそうです。
広間の2階席はこんな感じ。こちらもわいわいと楽しく寛げそうです。

歴史ある道後温泉の地、松山で生まれた「湯かご」。

この「湯かご」もまた、これから多くの人々に愛されてさらに歴史を刻んでいくのでしょう。しかし、職人さんが少なくなっていることや技術の継承が難しくなっていることも事実。

この文化が、流れる時間の中であるべき形でうまく残っていくことを願いつつ、まずはみなさんに「湯かご」文化を知ってもらい、そしてこの地を実際に訪れて楽しく「湯かご」に触れていただければ嬉しいなと思います。

夏の道後温泉も、とても気持ちが良さそうです。

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<取材協力>
「竹屋」
愛媛県松山市道後湯之町6−15-1F
089-921-5055
http://www.takeya.com

「道後温泉本館」
愛媛県松山市道後湯之町6-8
089-921-5141
http://www.dogo.or.jp

文・写真:杉浦葉子

*2017年2月の記事を再編集して掲載しました。暑い季節に温泉で汗を流して、浴衣に湯かごで涼しげに街をそぞろ歩くのも、楽しそうですね。

滋賀の水が生んだ文化とふたつのお酒

大阪のクリエイティブ集団「graf」はデザインをし、家具をつくり、おいしいごはんと素敵なものを届けるちょっと変わった会社です。その代表を務める服部滋樹(はっとりしげき)さんは、ソーシャルデザインの視点から滋賀の魅力を見出すプロジェクト「MUSUBU SHIGA」のブランディングディレクターを務めていました。そんな服部さんに、プロジェクトを通じて調査(リサーチ)・再発見した滋賀のあたらしい価値、魅力を教えてもらいました。

滋賀の水が生んだものづくり

MUSUBU SHIGAプロジェクトの取材で石川亮さんとふたり、滋賀の水源となる湧き水スポットをめぐった服部さん。石川亮さんは、2010年頃より近江の地域伝承や地名など、様々な要因で名付けられた湧水を収集し作品制作したことがきっかけとなり、滋賀県の湧水を調べ、その背景やルーツを探究しているアートディレクター・美術家。その石川さんの案内でめぐった滋賀の水源から、どのようなものづくりが見えてきたのでしょうか。

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個性ある120ヶ所の湧き水

地理的にも精神的にも琵琶湖を中心とした滋賀県にとって、水は切っても切り離せない大きな存在。水のおかげで暮らしがある。水と関係する仕事が多いのも、滋賀県の特徴ではないかと服部さんは語ります。

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滋賀県にある湧き水スポットは約120ヶ所。それぞれに水の個性があり、個性によって活躍の場所が違います。農業に適した水や、水産業に向いている水など、良質の水をそれぞれに適した仕事に活かしている。そのなかで、人の営みと生活が成立していることが滋賀県の魅力のひとつだと感じたそうです。

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琵琶湖の中心に浮かぶ暮らし

服部さんが、滋賀県の暮らしの根幹となる文化があるのではないかと向かった先は、琵琶湖の中心に浮かぶ小さな島、沖島(おきしま)。沖島は、日本で唯一の淡水の湖で人が住む島です。

近江八幡市の堀切港から小さな船で10分弱。目的地の沖島には生活の糧となる小さな畑が多く存在。また、港が島の人々の憩いの場になり、夜中には漁船が出て、四季折々の魚を漁獲しています。その中には最高級の湖魚、ビワマスも。ひとつの湖に多くの生態系が存在し、1年のサイクルで生活と仕事が循環していることを感じたそうです。

水の恵みからお米、お酒へ

一方、琵琶湖を囲む陸地と山には農業エリアも多い。滋賀県と関わるようになり、本当においしいお米も毎年いただけるようになったとうれしそうな服部さん。琵琶湖の西と東で違うお米の味を楽しめるのも、滋賀の水の魅力です。水の恵みからお米ができ、そしてお酒へ。お米と水を原料とする日本酒ですが、滋賀のお酒は特に歴史が古いものが多いそうです。

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その中のひとつ、冨田酒造さんも460年の歴史があり、現在杜氏を務めるのは15代目の冨田泰伸さん。冨田酒造のお酒は伝統を引き継ぐ名酒として日本酒好きの間では知られていますが、同時に今の生活スタイルに合ったお酒を考案しています。伝統を大切にしながらも一方で時代に合わせるという考え方も持っていることで営みがサイクルとして回っている、素晴らしいものづくりのあり方だと語ってくれました。思想が揺るがずに技術を更新する、その土地に根付いているからこそ行える伝統の受け継ぎ方が、そこにはあります。

雨の中、出番を待つ冨田酒造の杉玉
雨の中、出番を待つ冨田酒造の杉玉

水の恵みを求めてやってきたラム酒

歴史が古いものが多い滋賀のお酒ですが、その一方で新しく参入してくるお酒もあります。なんとラム酒を滋賀県でつくっているのです。日本で製造していること自体がめずらしいラム酒。滋賀の水の恵みを一身に受けたナインリーヴズさんのラム酒から研ぎすまされたものづくりの精神を感じたという服部さんに、そこから見える滋賀の文化について聞きました。

ナインリーヴズののラム酒
ナインリーヴズのラム酒

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良い水を求めて滋賀へやってきたナインリーヴズさんと出会い、服部さんの頭の中には、遊牧民がそうであったように、人は営みに適した土地へ移動するというシンプルな事実が浮かんだそうです。人が土地に興味を持つ理由はさまざまですが、滋賀県には神秘的な光景や安定した土壌、そして水。人びとを魅了する土地の力が脈々と流れていました。

素材があり、人がいるから生まれるもの

冨田酒造の冨田さんいわく「出どころは狭く、出先は広く」。そのことばにあるように、この土地に素材があったからこそ人が出入りしただろうし、長く素材とともに生きた人たちは出入りする人から新しい感覚を得てきたのではないでしょうか。裏を返せば、閉鎖的な状態だと現在の滋賀の魅力、文化は生まれなかったとも言えます。同じ水の源から生まれた伝統と革新の味、それぞれ味わってみてはいかがでしょうか。

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服部滋樹(graf
1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。

冨田酒造
琵琶湖の最北端、賤ヶ岳山麓の北国街道沿いで460余年の歴史を刻む酒蔵。銘柄は賤ヶ岳の合戦で武功を立て秀吉を天下人へと導いた加藤清正ら勇猛な七人の若
武者「賤ヶ岳の七本槍」にちなむ。地酒の「地」の部分に重きを置く事をコンセプトとし、地元の農家と提携し滋賀の米・水・環境で醸す本当の意味での地酒造りに専念する。伝統的な日本酒製法を大切にしつつ、スパークリング日本酒や日本酒のシェリー樽熟成など新しい取組もかかさない。ボトルに湖北の魅力を詰め込み、国内はもとより海外へも積極的に発信している。

ナインリーヴズ
2013年にスタートした、まったくあたらしい国産ラム酒のマイクロディスティラリー。自動車部品製造で培った日本ならではの“ものづくり”の心をもって、隠しごとなく、正直にラムを造っている。国産ラム酒として最も多く海外のコンテストで入賞し美味しいと評価を得ている。ラムフェスト・パリ 2014にてイノベーション部門銀賞、第三回 マドリッドインターナショナルラムコンテスト 2014にて熟成期間5年以下の部 銅賞、第四回 ジャーマンラムフェスティバル・ベルリン 2014にて新人賞、マイアミ・ラム・ルネサンス・フェスティバル 2015にてプレミアムホワイトラム部門金賞を受賞。

MUSUBU SHIGA
2014年、滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信し、ブランド力を高めていく為に発足された(2017年に終了)。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。くらしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を考えている。

文・写真:井上麻那巳
風景写真:服部滋樹
イラスト:今 美月(滋賀県立栗東高校美術科ビジュアルデザイン専攻)

*こちらは、2017年2月22日の記事を再編集して公開しました