金沢のいろどりあふれるお針子道具 「加賀ゆびぬき」のこと、教えてください

石川県金沢に古くから伝わる工芸品「加賀ゆびぬき」。絹糸を1本1本重ねてつくられるその模様の美しさは息をのむほどです。「加賀ゆびぬき」のことが知りたくて、金沢で活動されている作家・大西由紀子さんを訪ねました。

——こんにちは。今日は「加賀ゆびぬき」のことが知りたくてやってきました。早速見せていただきましたが、すごく綺麗です!

ようこそ金沢へ。「加賀ゆびぬき」は、もともと金沢に実用品として伝わってきたものです。金沢は城下町でしたから、美しい着物を仕立てるお針子さんがたくさん居ました。

着物のお仕事って、いろいろな色糸を使うでしょう?当時は糸がとても貴重だったので、残った短い糸やあり合わせの糸を使って、お針子さんがお休みの日に、自分のお道具として「ゆびぬき」をつくっていたんです。

昔の人ってお裁縫が日常のお仕事だったので、私たちが文房具を揃えたり、台所のツールを選んだりするように、裁縫道具を揃えたんでしょうね。これは絹糸を1本1本丁寧にかがって模様をつくっていくんですよ。

こちらは伝統的な文様、「うろこ」。由紀子さんの好きな柄だそう。
こちらは伝統的な文様、「うろこ」。由紀子さんの好きな柄だそう。

——絹糸だからこんなに艶があって鮮やかなんですね。私が知っているのは革や金属の「ゆびぬき」ですが、こんなきれいな「加賀ゆびぬき」も実際に使えるんですか?

もちろん!「ゆびぬき」の糸は、単なる飾り糸ではなくて、お裁縫の時に針を押すためのものです。この糸が引っかかりになり、針の頭を滑らせずにしっかり押してくれる。すごく合理的なんですよ。ただ、「加賀ゆびぬき」はやはり手間がかかるので、革や金属の既製品が出回るとやっぱりみんな作らなくなってしまったみたいで。私が「ゆびぬき」をはじめた頃は、金沢でもかなり廃れてしまっていて。

——便利なものが出てくると、なくなってしまう文化もありますね・・・。こちらでは「加賀ゆびぬき」づくりの体験もできると聞きました。私にもできますか?

はい、ぜひつくってみてください。つくりながら、いろいろお話しましょう!

(※関連記事)
「絶対にやらない」と決めていた仕事は天職だった。三代目西村松逸が歩む、加賀蒔絵の世界
お祝い事に欠かせない、金沢の希少な伝統工芸「加賀水引細工」

「加賀ゆびぬき」を一緒につくります

大西由紀子さん。由紀子さんの手からは魔法のように美しい加賀指ぬきが生まれます。
大西由紀子さん。由紀子さんの手からは魔法のように美しい加賀指ぬきが生まれます。

こちらで行われている体験教室はだいたい2時間程度。紙や真綿で土台をつくり、その表面を絹糸で1本ずつかがって模様を出していきますが、ここでは主に土台をしっかり一緒につくって、糸のかがり方を学んだら、のこりはお家で仕上げます。先生、よろしくお願いします!

初心者の私は、3色合わせの縞の模様をつくることに。好きな色糸と、「ゆびぬき」の内側になる布の色を選びます。

色とりどりの絹糸は、メーカーのすべての色が揃っているとか!見ているだけで楽しい。
色とりどりの絹糸は、メーカーのすべての色が揃っているとか。見ているだけで楽しい。
内側になる布もきれいな色。指に触れる部分なので、肌当たりの良い綿の布を使います。
内側になる布もきれいな色。指に触れる部分なので、肌当たりの良い綿の布を使います。
悩みに悩んで、この3色を選びました。内布は落ち着いたからし色に。
悩みに悩んで、この3色を選びました。内布はからし色に。
加賀ゆびぬきができるまで。土台をつくる工程がとても大切なのだそう。
加賀ゆびぬきができるまで。土台をつくる工程がとても大切なのだそう。
糸をかがるのはまだ先になりそうです。
糸をかがるのはまだ先になりそうです。

まずは土台づくりから。実用品なので、自分のゆびの太さをきちんと測り、サイズを合わせてつくります。上の工程を見てわかるように、実は土台づくりの工程がほとんど。逆に言うと、糸のかがりは時間はかかるけれど、基本のかがり方さえ覚えたら、それをひたすら繰り返していくシンプルな作業なのだそうです。

「ゆびぬき」をはめる指の太さと同じ筒をつくります。この筒に、細く切った厚紙をぐるぐる巻いて、固い芯をつくります。
「ゆびぬき」をはめる指の太さと同じ筒をつくります。オーダーのようで嬉しい。この筒に、細く切った厚紙をぐるぐる巻いて、固い芯をつくります。
紙の芯を内布で包んで、糸で止めたところ。左が先生、右が私。この時点でなんだか印象が違いますが「だいじょうぶですよ」と優しくおっしゃる由紀子さんを信じてすすめます。
紙の芯を内布で包んで、糸で止めたところ。左が先生、右が私。この時点でなんだか印象が違いますが「だいじょうぶですよ」と優しくおっしゃる由紀子さんを信じてすすめます。
真綿を巻いていきます。真綿というのは蚕の糸。絹です。ふんわりした綿を引っ張って、なるべく強く固く巻くことで、とても強い土台になるそうです。慣れた手つきの由紀子さんは、くるくると器用に巻いていきます。
真綿を巻いていきます。真綿というのは蚕の糸。絹です。ふんわりした綿を引っ張って、なるべく強く固く巻くことで、とても強い土台になるそうです。慣れた手つきの由紀子さんは、くるくると器用に巻いていきます。
自分好みの厚みになればOK。しっかり巻かれた左側の由紀子さんのものは、なんだか表面のツヤも違うんです。
自分好みの厚みになればOK。しっかり巻かれた左側の由紀子さんのものは、なんだか表面のツヤも違うんです。
土台の上に、等分に印をつけた薄い和紙を巻いたら、土台のできあがり。矢印の方向に糸をかがっていきます。
土台の上に、等分に印をつけた薄い和紙を巻いたら、土台のできあがり。矢印の方向に糸をかがっていきます。
これが製図。模様に合わせて色の順番を確かめます。わかりやすくメモしてくださいました。
これが製図。模様に合わせて色の順番を確かめます。わかりやすくメモしてくださいました。

やっと糸をかがります。基本は、この製図のようにジブザグに土台の縁をすくっていくだけなのだそう。1周したら、次の糸を1周目の糸の隣にぴったり並べてかがっていきます。とってもシンプル。「ゆびぬきの柄はいろいろあるけど、糸のかがり方は基本的にはこの1種類なんです。進めるとどんどん模様になってくるんですよ」と由紀子さん。びっくりです!

こちらは由紀子さんがつくっている途中のもの。土台の隙間が埋まるまで、ジグザグかがりを繰り返します。
こちらは由紀子さんがつくっている途中のもの。土台の隙間が埋まるまで、ジグザグかがりを繰り返します。

ハレの日に贈る、気持ちを結ぶ祝儀袋

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。

そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介する連載「ハレの日を祝うもの」。新年を迎えた今回は、お祝いの気持ちを贈る「祝儀袋」のお話です。

お祝いの気持ちを贈る、祝儀袋

「祝儀」は、人生の節目のお祝いに金品を贈ること。最近ではユニークなデザインの祝儀袋もたくさん見かけますが、正式なお祝いのときこそ古くから日本に伝わるスタンダードで美しい祝儀袋でお祝いの気持ちを伝えたいと思うのは私だけでしょうか。

祝儀袋の由来は、日本の贈りもの文化の起源にさかのぼります。農作物などを和紙で包んだ上からこよりで結び、神さまに奉納していたというもの。これが、宮中での儀式や武家の礼儀作法により少しづつ変化しながら、贈答品を包む文化として広まったといわれています。

祝儀袋の右上についている「熨斗(のし)」。「和紙」や「水引」、それぞれが大切な意味をもちます

祝儀袋は、熨斗袋(のしぶくろ)とも呼ばれますが、熨斗は本来「のしあわび」のこと。あわびは古代から長寿をもたらす貴重な食べもので、武家の出陣祝いにされたり、吉祥の贈りものに添えられるものでした。熨斗が邪悪を防ぎ、その贈りものがけがれていないという証だったのだそう。現在では、のしあわびを模した紙などが熨斗として用いられています。

金品を包む和紙の存在も祝儀袋の大切な要素のひとつ。格の高い贈りものには、しぼのある手漉き和紙が使われてきました。金品を和紙に包んで贈る際には、相手との関係性や中身によって折りを変え、美しく包みあげる折形作法が用いられます。

そして、包み紙を結ぶ「水引」。飛鳥時代の遣隋使・小野妹子が日本に帰る際、隋国が日本の朝廷に贈った品々に、紅白の麻紐が結んであったことがそのはじまりといわれています。これは海路の安全を祈願したもので、贈りものの際には想いを一緒に結びこむという習慣となり、水引の文化につながったのだそう。さまざまな要素が、ひとつの祝儀袋を形づくっています。

長野県「飯田水引」で結ぶ

これらの祝儀袋をつくってくださったのは、長野県飯田市で明治元年に創業した「水引屋 大橋丹治」。飯田は綺麗な水が流れ、江戸時代から紙漉きが盛んな町。かつては紙を切り落とした際に出る端紙を使って、髪を結ぶ「元結(もとゆい)」をつくっていたのだそう。

元結は生活必需品でしたが、明治維新の断髪令により使われることがなくなり、その後は元結技術を生かした「水引」がこの地でつくられるようになったといいます。「水引屋 大橋丹治」では、今もほとんど手作業でさまざまな水引結びをつくっています。

職人の桜井文七氏を招いて習い、飯田の「ひさかた和紙」でつくられたという「元結」。質が高く「文七元結」として全国に名を知られたのだそう
職人の桜井文七氏を招いて習い、飯田の「ひさかた和紙」でつくられたという「元結」。質が高く「文七元結」として全国に名を知られたのだそう

祝儀袋に詰まった日本の文化は、相手のことを想い、お祝いの気持ちを込めて贈るという素直であたたかいもの。今年はみなさんの周りでどんなお祝いごとがあるでしょうか。笑顔あふれる、喜ばしい年になりますように。おめでとうございます。

<取材協力>
大橋丹治株式会社
http://www.oohashitanji.jp

文・写真:杉浦葉子


この記事は2017年1月2日公開の記事を、再編集して掲載しました。

 



<掲載商品>

飯田水引の祝儀袋

和菓子でめぐる出雲・松江

こんにちは。ライターの築島渉です。

かつて、雲州 (うんしゅう) と呼ばれた神々の国、出雲国。

今では風光明媚な城下町の風情を残す松江や、日本神話が今も息づく出雲が旅先として人気です。

実はこの一帯、時代とともに人々に愛される甘味が生み出されてきました。松江は、京都や金沢と並ぶ日本三大菓子処のひとつ。出雲は「ぜんざい」発祥の地だと言われています。

今日は歴史をなぞりながら、和菓子と土地の美味しい関係を覗いてみましょう。

「ぜんざい」発祥の地、出雲へ

ぜんざい

旧暦の10月を意味する「神無月」。出雲大社に神様たちが勢揃いすることから、出雲の地だけがこの時期を「神在月 (かみありづき) 」と呼ぶことは、ご存知の通りです。新暦では11月下旬から12月中旬に当たります。

この時に執り行われる神事「神在祭 (かみありさい) 」で、神様へのお供えとして振る舞われてきたのが「神在 (じんざい) 餅」。

この「神在餅」が出雲弁で少しだけ音を変え、「ぜんざい」となって全国に広まったと言われており、江戸初期の文献でもすでに出雲が「ぜんざい」発祥の地だと記されているのだとか。

現在、出雲大社へ向かう参道は「神前通り」と呼ばれ、今も参拝者たちが喉を潤し、出雲神社ゆかりの「ぜんざい」を楽しむ場所として賑わっています。

神前通り
たくさんの甘味処が連なる神前通り

出雲大社までは意外と歩くこともあり、お腹もすくもの。たくさんのお店がその店自慢の「ぜんざい」を振る舞っているので、行き帰りで食べ比べをしてみるのも楽しいかもしれませんね。

お参りの手土産に。創業300年の老舗 來間屋の生姜糖

出雲大社へのお参りが済んだら、一畑電車に乗って一路、松江方面へ。雲州平田駅から徒歩10分、出雲土産として人気の「生姜糖」を300年作り続ける、來間屋生姜糖本舗 (くるまやしょうがとうほんぽ) に到着です。

昔ながらの佇まいを残す店構え

時は江戸時代、松江藩の奉行所務めだったお役人、來間屋文左衛門がお茶に興味を持ったのが名物「生姜糖」の始まり。お役人もやめ、どんどん茶道に熱中していった文左衛門ですが、当時はいわゆる「お茶請け」は生菓子しかない時代です。

日持ちがしてお茶にも合ういいお菓子は無いものか、と考えるようになった文左衛門。当時から出雲で作られていた特産の「出西生姜」を使って試行錯誤の末産み出したのが、「生姜糖」だったといいます。

「文左衛門は、凝り性だったんだと思います」と笑顔でお話を聞かせてくださったのは、來間屋11代目店主の來間久さん。

「材料は、お砂糖と出西生姜だけ。出西生姜は、繊維質が少なく、煮詰めても辛みと香りが変わらないんです。創業時からの製法で手作りしているので、江戸時代の人も、同じものを食べていたんですよ」

銅板に生姜と砂糖を煮たものを注ぎ込んで作られる生姜糖
銅板に生姜と砂糖を煮たものを注ぎ込んで作られる生姜糖

300年以上の間、出雲参りの参拝者たちに、そして地域の人達に愛され続けている生姜糖。かりっとかじると、優しい甘さの中に生姜のすっきりとした香りが口の中に広がります。

生姜糖

「その年の出西生姜の味やその日の天候など、自然との関わりの中で手作りをしています。その時その時に合わせ、作り手側も変わっていないと、受け継がれた味にはならないんです」と來間さん。数百年も続く、老舗だからこその言葉です。

銅板から型を外した板状の昔ならではのものや、キャンディ状になった一口サイズのものなど、レトロで可愛いロゴの入った來間屋さんの生姜糖。今も変わらず、出雲土産の定番となっています。これからの季節、紅茶に入れて楽しむのも、おすすめだそうですよ。

これからの嫁入り道具

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。

嫁入り道具と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?

かつての嫁入り道具といえば、大きな桐のタンス一式に豪華な着物、立派な鏡台、寝具は客用も含めて一式。すべてが収められる食器棚と来客用の食器やカトラリーなどなど。豪奢で量が多ければ多いほど良しとされた時代があったそうですが、私たちの世代にはあまり馴染みがありません。

伝統的な婚姻儀礼としての「嫁入り道具」が現代のライフスタイルには合いづらいとはいえ、嫁入り道具に洗濯機や冷蔵庫などの家電製品を選んだり、道具自体を用意しないのはなんだか味気ないものです。一生に一度のことですから。これを機に“一生もの” といえるちょっと憧れの生活工芸品を選んでみてはいかがでしょうか。

儀礼にとらわれず、等身大の目線で、今、あげたい、もらいたい、買いたい嫁入り道具を選びました。

幸せは好きな人とあったかいごはんを食べること。

【 秋田・大館の曲げわっぱのおひつ 】

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「Happy is a warm puppy.(幸せはあったかい子犬)」とは、スヌーピーで知られるチャールズ・M・シュルツの漫画『PEANUTS』での有名な言葉ですが、結婚して家庭をもつ幸せのひとつは大切な人とあったかいごはんを食べることなのではないでしょうか。湯気があがるホカホカの炊きたてごはんは、それだけで幸せの象徴のようです。

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電気炊飯器ができるより前の時代、おいしいごはんを長く保存するために生まれた道具、それがおひつです。

木が呼吸することで粗熱と余分な湿気を取り除いて水分を調整してくれるので、時間が経ってもごはんがべたつかずふっくら。保湿効果もあるそうです。天然秋田杉のまっすぐな木目と真っ白なごはんが目にも美しいです。

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「50年使ってもらえたら」というのは、秋田県大館市の曲げわっぱメーカー栗久(くりきゅう)の6代目・栗盛俊二さんのお言葉。これから50年、おいしいごはんと共に過ごしたいですね。

お料理の相棒は基本の3本から。

【 万能包丁・ペティナイフ・パン切り包丁 】

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そうそう壊れるものではないですので、包丁の買い替え時期はなかなか難しいものですが、結婚という人生の新たなスタートを機に、これからを共に過ごすお料理の相棒も新しくしてみてはいかがでしょうか。

鍛冶の町・新潟県三条市の庖丁工房タダフサでは、「基本の3本」を用意されています。「基本の3本」とは、種類が多く専門的な包丁のプロダクトラインの中から、普通の家庭の台所で「まずこれだけ揃えれば充分」という目線で選ばれた3本のこと。

三徳包丁とも呼ばれる名の通り万能な「万能包丁」、野菜の面取りやフルーツに使いやすい「ペティナイフ」、パンくずが出ないことで知られ今や大人気となった「パン切り包丁」という料理初心者にも頼りになる顔ぶれです。

三徳庖丁
三徳庖丁

ペティナイフ
ペティナイフ

パン切り庖丁
パン切り庖丁

庖丁工房ならではの名入れサービスで自分専用包丁の出来上がり。名入れは手作業による作切で、担当する職人により風合いが異なり、それがまた良い味になっています。自分の名前が入るとそれだけで愛着がわき、料理上手のような気分になってくるから不思議です。たまには形から入るのも悪くないのでは。

料理の腕が上がったら、自分に合った「次の1本」を選ぶのも楽しいですね。

本物があれば冠婚葬祭もこわくない。

【 伊勢志摩のパールジュエリー 】

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「結婚はふたりだけでなく家同士でするもの」という言葉もありますが、家族が増え、自然と冠婚葬祭も多くなります。忘れがちですが、そこで必要になるのがパールジュエリー。急なときにあせらないよう、家庭を持った一人前の女性として持っておきたいもののひとつです。

私たちが「真珠」と聞いて思い浮かべるような丸くて白い真珠は、和珠(わだま)とも呼ばれるアコヤ真珠というもの。アコヤ真珠の母貝は約5〜10cmほどのアコヤ貝で、小石などの異物が貝の体内に偶然入り込むことによって生まれます。

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クラシックなイヤリングの金具も素敵。
クラシックなイヤリングの金具も素敵。

日本の真珠の4大産地のひとつである伊勢志摩にできた初めての真珠専門店、松井眞珠店には天然真珠を使ったジュエリーがずらり。伝統的でシンプルなデザインのものは、真珠そのものの美しさが際立ち、女性なら誰もが憧れる美しさです。


曲げわっぱ 栗久
おひつ(3合・浅型)

庖丁工房タダフサ
基本の3本/次の1本

松井眞珠店
パールのネックレス・パールのイヤリング

文・写真:井上麻那巳

2017年1月19日公開の記事を再編集してお届けしました

小泉八雲が愛した松江の「異界」を訪ねて。「松江ゴーストツアー」体験記

こんばんは。ライターの築島渉です。

風光明媚な松江城。歴史情緒ある武家屋敷や、数々の神社仏閣。風情ある日本の風景をそのままに残した美しい城下町、島根県松江市。

実は「怪談のふるさと」でもあるのをご存知でしょうか?最近では夜の松江で怪談スポットを巡る「ゴーストツアー」が人気を呼んでいます。

きっかけは19世紀から20世紀へと時代が移り変わるころ、松江に魅せられたひとりの外国人ジャーナリストの存在。耳なし芳一などの民間伝承をまとめた『怪談』の筆者、ラフカディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

今日は小泉八雲が愛した松江の、ちょっと怖いお話を。

ラフカディオ・ハーン 孤独な少年時代

イギリス国籍のハーンですが、父親はアイルランド人、母親はギリシャ人のギリシャ領生まれ。家族はダブリンへ移住するも、アイルランドでの暮らしに馴染めなかった母親は、ハーンが4歳のときに離婚。二度とハーンとは会うことがなかったといいます。

両親の離婚後も、事故による左目の失明や、引き取られた先の大叔母の破産など不遇の青年時代を送ったハーンでしたが、その後ジャーナリストとして自立、アメリカでの記者時代を経て日本へ渡ります。英語教師として松江で働くことに決めたのは40歳のときでした。

世界中を転々としたハーンが、やっと静かに腰を落ち着けた土地、松江。「ヘルンさん」と地元の人に親しまれる穏やかな暮らしの中で、日本人女性小泉セツを伴侶としたハーンが、日々の中で見聞きしたり、セツから伝え聞いた不思議な話しを文学として綴った怪奇文学作品集『怪談』は、今も日本人の心を描いた名作として読み継がれています。

小泉八雲が愛した松江の「異界」をめぐる「ゴーストツアー」

『怪談』執筆のきっかけとなり、ハーンが人力車を走らせて社寺を巡り御札を集めたというほど神秘的な歴史町、松江。そんな松江の「夜」を語り部とともに歩いて巡る散策ツアー「松江ゴーストツアー」があると聞いて、参加して来ました。

出発は「日没時刻10分前」の松江城。夜の帳とともにあたりが異界へと変貌を遂げるこの時間から、徒歩とタクシーを使って市内の怪談スポットを巡ります。主宰する松江ツーリズム研究会から、ベテラン語り部の引野さん、ガイドの畑山さんを案内役に出発しました。

ギリギリ井戸
語り部の引野さん

「松江にはいろいろな不思議な話がありまして‥‥この松江城、なにせ400年も前のことですから、石を積むだけでも相当大変だったんです」

だんだんと日が暮れていく城内のしっとりとした雰囲気を肌に感じながら、向かったのは「ギリギリ井戸」。語り部・引野さんによれば、松江城築城には積んだ石がすぐに崩れてしまうなど様々な苦労があったのだという。

そのため、この土地、亀田山(神多山)にお祓いをせずに工事を行っている祟りだという噂が後をたたず、崩れた場所を掘り返してみるとなんと髑髏の山が。

お祓い後水が湧き出て、覗き込むとその様子が「つむじ」 (出雲弁の「ギリ」) に似ていたことからついた名前が「ギリギリ井戸」だったのだそう。その他にも町娘が人柱になったという悲しい言い伝えなど、松江城にまつわる不思議なお話が次々。日中の荘厳な松江城とは、まるで別の場所に来たようです。

石の大亀が町中を歩き回った?

松江藩の廟所が並ぶ月照寺

松江城から次の目的地、月照寺まではタクシーで。松江藩主を務めた松平家代々の廟が納められている菩提寺です。松江を治めたお殿様たちの廟、つまりお墓が広々とした敷地の各所に置かれるこのお寺の中を、それぞれの逸話を伺いながらゆっくりと。

名主といわれる第7代松江藩主・不昧公 (ふまいこう) の廟ももちろんこのお寺の中。松江は京都、金沢と並んで茶処や菓子処として知られていますが、その文化をつくったのが大名茶人として知られたこの不昧公だったといいます。

さて、ゴーストツアーの行き先は、第六代宗衍 (むねのぶ) 公の廟所。ここに、ハーンの随筆『知られざる日本の面影』に登場する、大きな石碑を背負った「亀趺」 (きふ) の像があります。

亀趺は亀そっくりに見えますが耳があり、伝説の妖獣なのだそう。

亀趺の石像
亀趺の石像

「宗衍の廟の前に置かれた大亀の石像。ところが、夜になるとこの大亀がドーン、ドーンと寺の中を動き回り、あろうことか寺を出て町でも悪さをするようになったのです‥‥」

大杉に囲まれた神聖な場所で伺う語り部さんのお話は、そんなこともあるかもしれない、と思えてくるほど。大きな石像を前に、お寺のひんやりとした空気を感じながら思わず息を潜めて聞き入ります。

当時は藩の家来たちが城下で幅をきかせ、人々が苦しんでいた時代だと言います。そのうっぷんがこんな怪談話になったのかもしれない、と歴史的な背景も伺うことができました。

芸者松風の霊が今もさまよう清光院

次の目的地までは夜の松江をちょっとだけ散策です。「この辺は真っ暗になりますからね」とガイドさん。

実は今回は、写真撮影のため日没より少し早く松江城を出発したのですが、このあたりですでに周囲はだんだんと薄暗く、まさに「異界」に足を踏み入れつつある雰囲気に。

まるでタイムスリップしたかのようなお寺、清光院に到着です。

清光院
門の向こうに古い墓地が続く清光院

小高い丘にある清光院へは、長い石段を上がっていきます。門の向こうにぼんやりと見える塔やお墓は、ゴーストツアーのムード満点というところでしょうか。

清光院には、人気芸者と知られていた松風の話が残っています。

相撲取りと恋仲になっていた松風に、並々ならぬ恋心を燃やしていた武士がいました。ある日、武士は道端で偶然に松風と出会い、無理やり自分のものにしようと迫ります。その武士の手を逃れるように松風が逃げ込んだのが、この清光院だったとか。

「どうにか位牌堂の前まで逃げて来た松風でしたが、ついには武士に追いつかれ、『俺のものにならぬなら、いっそ!』、バサッ!武士に斬りつけられ、命を落としてしまったのです。そしてほら、その階段のところに血がベッタリと‥‥」

語り部さん
松風が切られたという階段の前で語る語り部・引野さん

今上がってきたばかりの階段を息を切らし逃げたという松風にすっかり感情移入していた私。

引野さんの臨場感あふれる語りで、まるでその場面が目の前に見えるようです。その後松風の幽霊が町の人に噂されるようになり、階段の血は洗っても洗っても落ちなかったという言い伝えのあるこの清光院。

夜には本当に真っ暗になるため、足元を懐中電灯で照らしながらの移動になるのだとのこと。怖すぎる‥‥。

ハーンが描いた母の愛「飴を買う女」の大雄寺

大雄寺
城下の西端、水と陸の境にある大雄寺

城下町らしい町並みに江戸情緒を味わいつつ最後に向かったのは、ハーンの収集した怪談のうち、『飴を買う女』の舞台となった墓地がある、大雄寺。すぐそばを小川が流れる、由緒あるお寺です。

「怪談の舞台っていうのは、西の端と、水と陸の境目の場所が不思議と多いんです。ここも松江城下の西の端で、水際ですね」

民俗学的な視点からも怪談について教えてくれる語り部さん。石垣と白壁の立派な門を抜け、古い古い墓石が立ち並ぶ大雄寺に足を踏み入れます。

「水飴を売っているお店に、毎晩器を持って水飴を買いに来る青白い顔の女がおりました。毎晩毎晩やってくるので、何か事情があるのかと聞いても答えません。

ある日女の帰りをそっとつけてみると、女が水飴を大事そうにかかえて、大雄寺に入っていくのが見えました‥‥」

女の姿はある墓地の前で消えてしまいます。かわりに、遠くから赤ちゃんの泣き声が。驚いて墓を掘ってみると、水飴の入った器の横に、女の亡骸と赤ちゃんがいた‥‥というこのお話は、松江だけでなく、日本にはいくつか似たお話もあるのだとか。

大雄寺
「飴を買う女」が消えたという墓地

到着した時には怖いと感じた大雄寺の墓地ですが、愛する我が子のために死んでもなお幽霊になって子どもを育てようとしたこの愛情深い物語を聞くと、「怖い」というよりも「哀しい」という思いがこみ上げてきます。

ハーンはこの物語を特に好んでいたと言われ、『怪談』で「母の愛は死よりも強い」とこの物語が結ばれていることは、幼いころに母親と引き裂かれたハーンの心情が垣間見えるようです。

ラフカディオ・ハーンが愛した不思議の町 松江

そんなハーンが愛する妻を得て、やっと心安く暮らすことができたのが、ここ松江の町。しっとりとした情緒あふれる松江の地で、妻から聞く不思議な物語、そして町に伝わる様々な伝説が、ハーンの知的探究心と、文学者としての繊細な感受性を刺激したのだろうと想像します。

「松江ゴーストツアー」は約2時間、最後は松江城前までタクシーで移動してのお別れとなります。帰りのタクシーの中で、ガイドさんがこんな話をしてくれました。

「お客さんは一回しかツアーに参加しないけど、私たちは何回もゴーストツアーに同行してるでしょう。そしたら、『こんな場所でこんな音しないはずだけど』ってことが、時々あるんです。

お客さんは『わぁ、すご〜い、どんな仕掛け?』とか笑ってるんですけど、もう、私たちのほうは『仕掛けじゃないよ、本当だよ!怖いよ!』って!」

終了時にはお清めの塩もいただけるこの「松江ゴーストツアー」。昼とはまた違った顔を見せる松江の夜を、覗きに行ってみませんか。

松江ゴーストツアー

・参加費:一人1,700円(税込)

・詳細・申し込み・お問い合わせ:NPO法人松江ツーリズム研究会「松江ゴーストツアー」

文・写真:築島渉

愛しの純喫茶〜出雲編〜バラのようなご当地パンが楽しめる「ふじひろ珈琲」

こんにちは、ライターの築島渉です。

旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。

お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもくしていたり。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。

旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、この出雲のご当地パン「バラパン」をおいしい自家焙煎珈琲とともに楽しむことができる創業35年の老舗純喫茶、「ふじひろ珈琲」を訪ねます。

縁を結ぶ土地・出雲の名物マスターに会いに。

縁結びの神様として知られる出雲大社から車で約15分。ツタの絡まる重厚なたたずまいの純喫茶「ふじひろ珈琲」は、出雲を走る県道28号線沿いにあります。

ふじひろ珈琲店表

「自家焙煎 珈琲専門店」と書かれた看板の前に立つと、もうコーヒーの香りがいっぱい。

良い香りに包まれながらドアを開けると、年季の入った木のテーブルや椅子、昔ながらの赤い布張りの長椅子。「いらっしゃいませ」とカウンターの向こうでマスターが微笑んでくれます。

店内

この日私が訪れたのは午前11時頃。「うちはスパゲッティとかカレーとか、そういうお食事は置いてないの。だから、この時間はちょうど空いてるんだよ」と笑う渋いお髭のマスターは、伊藤博人さん。

マスター

伊藤さんが「ふじひろ珈琲」をオープンしたのは、35年前。一旦は故郷の出雲を出て就職しましたが、Uターンして好きなコーヒーの店を始めることを決意。店名の「ふじひろ」はお名前の真ん中の二文字から、ご両親が命名してくれたのだとか。

地元民に愛される「バラパン」とは?

開店以来ずっと地元の人のために美味しいコーヒーを淹れている伊藤さんのおすすめが「バラパンセット」。ブレンドコーヒーまたは紅茶のセットがセットになって600円です。

「バラパン」は、島根県出雲市では知らない人はいないという、バラの花の形をしたご当地パン。くるくると巻かれたパンの中にたっぷりのホイップクリームが入っていて、とても美味しいのだそうです。

もともとは地元ベーカリー「なんぼうパン」が60年以上前に販売を始めたバラパン。「ふじひろ珈琲」では「なんぼうパン」から生地を仕入れ、抹茶、マロン、ホイップ、ストロベリーのクリームを挟んだ4種のオリジナル・バラパンを楽しめます。

この日は伊藤マスターいち押しだというマロンのバラパンを、ブレンドコーヒーと一緒にいただきました。

コーヒーとバラパン

クリームを挟んで、長いパン生地がくるくると花のように巻いてあります。ちょっと中身をめくってみると、マロン色のクリームが中心だけでなく巻かれたパンの間にもたっぷり。

口に入れると、まずパン生地の柔らかいこと!キメの細かい優しい生地で、耳までしっとり。軽い口当たりで品の良い甘さのマロンクリームも相性ばっちりです。

甘すぎる菓子パンが苦手な人でもぺろりといける、出雲の人たちに愛されるのも納得のおいしさです。

バラパンを上から見た様子

そして、自家焙煎の豆をつかった「ふじひろ珈琲」オリジナルブレンドは、すっきりとしたコクと酸味がある一杯です。

コーヒー

そして、実はバラパンは遠くはなれた宮城県でも人々に親しまているそう。宮城で被災されたご友人を持つマスターは、バラパンセットの売上の一部を使ってお店のお客さんたちと共に東日本大震災の被災地へ赴き、現地でバラパンをふるまう支援活動を行っているのです。

変わらない場所、変わらないご縁

懐かしさを覚えるたたずまいの店内ですが、改装のたびにお客さんから「椅子を変えないでね」とお願いされてしまうのだそう。

そのため、張替え用の布地をロールで買いつけ、シートだけ張り替えてもらっているとのこと。「変わらないって、大変なんですよ」といたずらっぽく笑います。

椅子

「赤ちゃんのときから知っている子が、大人になって結婚して、また赤ちゃんを連れてきてくれるんです。何十年も毎日来てくれているお客さんが、脚が悪くなっても『マスターの顔見ないと落ち着かん』って、息子さんに手を引かれてコーヒーを飲みに来てくれたり。今までもこれからも、この店でみんなで楽しめて、喜べて、それでみんなが幸せになったら、私も幸せなんです」

この店でプロポーズを受け幸せを掴んだお客さんが、「ふじひろ珈琲」トリビュートで作ってくれたというCDを手に顔をほころばせる伊藤さん。純喫茶は、そこに純な思いのある「人」があってこそ。「神の国」出雲でのおいしくて素敵な「ご縁」に、ほっこりとしたひとときでした。今度は、どのバラパンを食べようかなぁ。

ふじひろ珈琲
島根県出雲市渡橋町1223
0853-24-1760
営業時間:8:00~19:00
定休日:日曜

文・写真:築島渉