琵琶湖の北西で100余年。和ろうそく工房と跡取り息子の挑戦

大阪のクリエイティブ集団、grafはデザインをし、家具をつくり、おいしいごはんと素敵なものを届けるちょっと変わった会社です。その代表を務める服部滋樹(はっとりしげき)さんは、ソーシャルデザインの視点から滋賀の魅力を見出すプロジェクト「MUSUBU SHIGA」のブランディングディレクターを務めていました。そんな服部さんに、プロジェクトを通じて調査(リサーチ)・再発見した滋賀のあたらしい価値、魅力を教えてもらいました。

琵琶湖を中心にして、西にいる人たちと東の人、北と南の人ではずいぶんと思想や性格も違うのでは?

滋賀県といえばまっ先に思い浮かぶのが琵琶湖。「滋賀のおもしろいところは、琵琶湖を中心にして東西南北でその風土もその土地にくらす人々も違う表情を見せるところ。西にいる人たちと東の人、北と南の人ではずいぶん思想や性格もちがうのでは?」と仮説を立てる服部さん。西側の人は朝日の美しい光がうつる琵琶湖を、東側の人は夕日がうつる湖面を、南側には南側の、北側には北側のそれぞれの表情の琵琶湖があり、それがその土地で育つ人のアイデンティティに、暮らす人の気分に影響しているのではないか…そんな仮説が出てくるほど、滋賀県にとって琵琶湖の存在は大きいようです。

虹の架かる、町から
虹の架かる、町から

今回は、そんな琵琶湖の北西で出会った、創業100余年の和ろうそく工房、和ろうそく大與(だいよ)とその跡取り息子だった大西巧(さとし)さんについてお話をうかがいました。

和ろうそく大與のはぜろうそく
和ろうそく大與のはぜろうそく

琵琶湖の西側、比叡山から北に登る高島の土地で

琵琶湖の西側に存在していて、しかも比叡山から北に登っていく高島エリアは、琵琶湖と山に挟まれていて平地が少ない土地です。産業としても多様な表情があり、農業だけではなく、林業や木地師などの山の仕事や琵琶湖の仕事があるそうです。朽木(くつき)(*)までいくと山奥にブナの原生林があり、そこから流れて安曇川へと、山の恵みと水の恵みをあらゆる角度から感じる場所。その山の恵みと水の恵みのちょうど間で生まれたのが、和ろうそく大與です。

* 朽木(くつき)村は、滋賀県西部(湖西)の高島郡に存在した村。 2005年に同郡の高島町、安曇川町、新旭町、今津町、マキノ町と合併するまでは永らく滋賀県唯一の「村」だった。

陸が広く、代々続く大規模農業が発達した東側と違い、西側は外からのひとを受け入れやすいと思うと語る服部さん。IターンやUターンなどが多く、新しい活動を試みる若いひとたちが多いのもこの土地の魅力です。

琵琶湖の西、山を越える夕陽
琵琶湖の西、山を越える夕陽
高島の燃える夕陽
高島の燃える夕陽

100年続く和ろうそく工房とその跡取り息子との出会い

服部さんと和ろうそく大與の大西巧さんとの出会いは今から15年ほど前。当時、大西さんは服部さんの友人がクリエイティブディレクターをしていた京都のお線香屋さんで修行をしていました。大西さんが「実家が和ろうそくをつくっていて…」と服部さんに相談したのが最初の出会いです。その後、正式に跡を継がれてから再会。大西さんは現代の和ろうそくのアウトプットを模索していたところでした。

白髭神社の沖島を拝む鳥居
白髭神社の沖島を拝む鳥居

くらしを見直し、ろうそくを灯せる時間に意識を見出す

そもそも現代は電気が通っている、その上で和ろうそくをどう現代社会に伝えるか。それが課題でした。再会した大西さんは、作ること、流通すること以上にどうやって和ろうそくをくらしのシーンに落とし込むかを考えていました。

くらしを見直し、ろうそくを灯せる時間に意識を見出すシーンを想像すること。大西さんがやろうとしているそれは新たな作法を生み出すことだと、服部さんは強く興味を惹かれたそうです。単にろうそくをつくることは技術であって、手法でしかない。作法が生まれないことにはつくる以上に伝えることができない。そうやって言語化できたことは服部さんにとっても大きな発見でした。

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手で採り、手でつくり、テーブルの上にあがるまで手で持っていく

和ろうそくは、はぜ(ウルシ科の植物)の実からつくられています。はぜは九州が原産で、大西さんのお父さんも、自ら採りにいくこともあるのだとか。素材がはっきりしているので、つくりかたがしっかりしていて、曲げるところがひとつもない。そのことがダイレクトに伝わるプロダクトだと服部さんは語ります。それも、和ろうそくはひとつひとつ手で成形してつくられている。「陶芸やガラスも手でつくるけれど、最後に一度火を通すよね。手で触ったまま完成させられる工芸品ってあまりないんじゃないかな」と服部さん。手で採り、手でつくり、テーブルの上にあがるまで手で持っていく。その先に大西さんが描くくらしのシーンがあります。

パラフィンを使わずに、はぜやお米などの天然素材だけでつくっているから匂いがしないのが和ろうそくの特徴。それはすなわちお食事のじゃまをしないということ。京料理のような繊細な料理とも一緒に楽しむことができて、キャンドル(洋ろうそく)でもなく、電気の照明でもなく、和ろうそくが選んでもらえる特別なシーン。機能性とシーンの裏付けが出会った瞬間でした。

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そもそも現代のくらしの中から火が消えていっていることを意識してほしいんです

「僕は滋賀という山と湖という自然に囲まれた環境に育ちました。特に湖西と呼ばれる琵琶湖の西側は山と湖の距離がいっそう近い地域です。自然の循環の中に人間がいる環境だからこそ、自然と人のあり方、付き合い方に関して、意識が向きやすい。和ろうそくや自分たちの活動を通じて、火と人の付き合い方をもう一度考えるきっかけになればと思っています」。そう力強く語る大西さんに、はじめの出会いから15年が経ちすっかり頼もしくなったと、服部さんも顔をほころばせました。

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服部滋樹(graf
1970年生まれ、大阪府出身。graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。美大で彫刻を学んだ後、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年にインテリアショップで出会った友人たちとgrafを立ち上げる。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮している。京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授。

和ろうそく大與
1914年、大西與一郎が滋賀県高島郡(現高島市)今津町にて創業以来、四代に渡って百余年、和ろうそく一筋の専門店。宗教用(お仏壇用やご寺院さま用)のろうそくをはじめ、茶の湯の席で用いられるろうそく、ご進物用や贈答用のろうそく、お部屋用のろうそくなど、素材と技術に裏付けされた最高品質の和ろうそくを取り扱う。

MUSUBU SHIGA
2014年、滋賀県の魅力をより県外へ、世界へと発信し、ブランド力を高めていく為に発足された(2017年に終了)。ブランディングディレクターには、graf代表・デザイナーの服部滋樹が就任。くらしている人々が”これまで”培ってきた魅力を分野やフィールドを超えた国内外の新たな視点をもったデザイナーやアーティストとともに調査(リサーチ)・再発見し、出会ってきたモノを繋ぎ合わせて実践しながら、あたらしい滋賀県の価値をデザインし、そして滋賀の”これから”を考えている。

文・和ろうそく写真:井上麻那巳
風景写真:服部滋樹
撮影協力:UGUiSU the little shoppe
*こちらは、2017年1月24日の記事を再編集して公開しました

金沢「加賀八幡起上り人形」とは?市民に愛される郷土玩具でめぐる旅

赤い姿で丸くかわいらしいこの人形は、金沢の「加賀八幡起上り(かがはちまんおきあがり)」。

金沢市の希少伝統工芸に指定されており、縁起ものとして親しまれてきた郷土玩具です。たしかに、なんだか福のあるお顔立ち。おなかに松を抱えこみ、竹や梅の絵も描かれていていかにも縁起がよさそうです。

今回は、加賀八幡起き上がりのことを知るために石川県金沢市を訪ねることにしました。

金沢の郷土玩具専門店「中島めんや」へ

金沢には「加賀八幡起上り」のほか「加賀人形」や「米食いねずみ」などの郷土色豊かな人形が数多くあり、城下町金沢の暮らしが人形によって伝えられているともいわれています。この愛らしい人形たちを作っている郷土玩具店「中島めんや」を訪ねました。

この日は雪。白い景色のなかでよく目立つ、歴史ある黒い建物が「中島めんや」です。
この日は雪。白い景色のなかでよく目立つ、歴史ある黒い建物が「中島めんや」です。
木を彫り込んだ歴史ある看板。
木を彫り込んだ歴史ある看板。

お話を聞かせてくださったのは、7代目にあたる中島祥博(なかしま・よしひろ)さん。

「中島めんや」の創業は文久2年(1862年)、江戸の幕末の頃。創業当時は、村芝居に使われるようなお面や小道具などを作っていたことから「めんや」という屋号になりました。そののち明治時代からは、加賀伝統の郷土玩具や人形も取り扱うようになったといいます。

このような木型に紙を重ねて貼り、糊が乾いてから木型から抜くという「張り子」でお面をつくっていました。
このような木型に紙を重ねて貼り、糊が乾いてから木型から抜くという「張り子」でお面をつくっていました。
当時、お面は村芝居で活躍。こちらは最近のものですが、近ごろは大衆演劇や地方巡業をするお芝居が観られる場も少なくなってきました。
当時、お面は村芝居で活躍。こちらは最近のものですが、近ごろは大衆演劇や地方巡業をするお芝居が観られる場も少なくなってきました。
人気の郷土玩具「米食いねずみ」は、カラクリ人形の影響を受けてつくられた人気の郷土玩具。竹の部分を押さえると、チョコチョコとすばしこく巧妙な動きで米を食べるのです。これで遊ぶとお金が増えるのだとか!
人気の郷土玩具「米食いねずみ」は、カラクリ人形の影響を受けてつくられた人気の郷土玩具。竹の部分を押さえると、チョコチョコとすばしこく巧妙な動きで米を食べるのです。これで遊ぶとお金が増えるのだとか!
7代目の中島祥博さん。学校を出てすぐにこの道に入られたのだそう。
7代目の中島祥博さん。学校を出てすぐにこの道に入られたのだそう。

加賀八幡起上りのこと、教えてください。

さて、本題の「加賀八幡起上り」ですが、どういうものなのでしょう?

———全国に「八幡宮」という名前の神社があるでしょう?八幡さんというのは第15代の応神天皇をおまつりしている神社のことでね。昔、加賀に一国一社の八幡宮があったんですが、八幡さん(応神天皇)がお生まれになったとき、深紅の真綿で包まれてお顔だけを出した姿だったそうで。あるお爺さんが、この姿を形取った人形をつくり、子ども達に与えて幸せを祈ったというのが始まりなんですよ。

と中島さんが教えてくださいました。

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当時、加賀百万石藩主の積極的な工芸振興策によって藩には細工所が設けられ、京や江戸の一流作家たちの手によって技術の伝習が行われたのだといいます。そして、この人形をタンスにしまっておけば子ども、特に女の子の衣装に不自由しないという言い伝えもありました。

その由緒から、この地方では古くから子どもの誕生を祝うときや婚礼のお祝いとして、「加賀八幡起上り」を贈ることが習わしになったのだそうです。また、「起上り」という縁起の良い言葉にちなんで、新年や節句の贈りものや、お見舞いなどにもよく用いられているのだとか。

色とりどりの人形もつくられていますが、やはり朱色のものが圧倒的に人気。
色とりどりの人形もつくられていますが、やはり朱色のものが圧倒的に人気。
店内では、大正〜昭和につくられた古い人形も展示されています。
店内では、大正〜昭和につくられた古い人形も展示されています。
こちらは変わり種、手招きしている起上り。ダルマそのものの人形もありました。すべて当時の作家さんのものです。
こちらは変わり種、手招きしている起上り。ダルマそのものの人形もありました。すべて当時の作家さんのものです。

さて、この「加賀八幡起き上がり」はどのようにつくられているのかというと、これもお面と同じように張り子の手法でつくられています。

木型に紙を貼って形づくったものに、胡粉を塗ります。胡粉というのは白色の顔料で貝殻を粉にしたもの。これを膠(にかわ)と混ぜて溶かして3〜4回重ね塗り硬く強くした上から、彩色していくのです。

昔はたくさんの人が携わっていましたが、今では職人さんは3人ほどになってしまったのだそう。つくり手もとても貴重な存在なんですね。

少し古いものなので割れてしまっていますが、これが加賀八幡起き上がりの木型。
少し古いものなので割れてしまっていますが、これが加賀八幡起き上がりの木型。
こちらは昔実際に使われていた大きな木型!お顔がリアルでございます。30センチぐらいあり、ずっしり!今はお店に展示してあります。
こちらは昔実際に使われていた大きな木型!お顔がリアルでございます。30センチぐらいあり、ずっしり!今はお店に展示してあります。
胡粉を塗って乾かします。下から棒をさして作業しやすく。
胡粉を塗って乾かします。下から棒をさして作業しやすく。
中島さんの娘さん、八依(やえ)さんがちょうど彩色作業をしていました。この仕事に携わって3年。幼い頃からいつも近くにあったという「加賀八幡起上り」にはとても愛着があるそう。
中島さんの娘さん、八依(やえ)さんがちょうど彩色作業をしていました。この仕事に携わって3年。幼い頃からいつも近くにあったという「加賀八幡起上り」にはとても愛着があるそう。
近くで見ているだけでも息をのみます。松・竹・梅を描いて縁起良く。
近くで見ているだけでも息をのみます。松・竹・梅を描いて縁起良く。
たくさん並ぶ姿、なんともかわいらしいです!
たくさん並ぶ姿、なんともかわいらしいです!

いざ、絵付け体験!

八依さんが絵付けをしている姿を見ていると、私も絵付けをしたくなってきました。「中島めんや」では、絵付け体験もできるとのこと(※前日までに要予約)というわけで、私も加賀八幡起上りの絵付けにトライすることに。所要時間は約30分。八依さんの指南のもと、はりきってスタートです!

まずは、のっぺらぼうのお人形をもらって最初に目とまゆげを描きます。「一度描くと、消すことはできないので慎重に描いてくださいね!」と、さらりと笑顔の八依さん。緊張しますー!
まずは、のっぺらぼうのお人形をもらって最初に目とまゆげを描きます。「一度描くと、消すことはできないので慎重に描いてくださいね!」と、さらりと笑顔の八依さん。緊張しますー!
顔はペンで描くことができます。「まゆげは目よりも薄く描くと上品になりますよ」というアドバイスがあったのに、うまく描けずにまゆげも濃くなってしまいました。しかも、なんだか下がりまゆの困り顔です。
顔はペンで描くことができます。「まゆげは目よりも薄く描くと上品になりますよ」というアドバイスがあったのに、うまく描けずにまゆげも濃くなってしまいました。しかも、なんだか下がりまゆの困り顔です。
次は、絵の具と筆を使って色をつけていきます。
次は、絵の具と筆を使って色をつけていきます。
手に絵の具がつかないように、人形に棒をさして準備。
手に絵の具がつかないように、人形に棒をさして準備。
ここからはスイスイ!松を描いて、竹を描いて…
ここからはスイスイ!松を描いて、竹を描いて…
梅も忘れずに。縁起を担ぎますよ。楽しいー!
梅も忘れずに。縁起を担ぎますよ。楽しいー!
細かい部分も描き込んで、口元に紅をさして…できたー!!
細かい部分も描き込んで、口元に紅をさして…できたー!!
年季の入った絵付け見本のお人形と、今生まれたてのお人形、一緒に記念撮影です!
年季の入った絵付け見本のお人形と、今生まれたてのお人形、一緒に記念撮影です!

自分で絵付けをすると、なんだか愛おしさもひとしお。しっかり乾かしたら、その場で包んで持って帰ることができます。

今回は、見本に倣ってスタンダードな加賀八幡起上りにしてみましたが、もっとクリエイティブにオリジナル絵付けをするのもおすすめ。自分だけの加賀八幡起上りをつくってみてくださいね。

「今は目の前の仕事を一生懸命するだけだけど、これからは新しいものを作って欲しいな。」と、お父さんから八依さんへの言葉。父娘のツーショットに、はにかむ姿が印象的でした。
「今は目の前の仕事を一生懸命するだけだけど、これからは新しいものを作って欲しいな」と、お父さんから八依さんへの言葉。父娘のツーショットに、はにかむ姿が印象的でした。

お土産には「加賀八幡 起上もなか」

「中島めんや」を後にし、もう1箇所、立ち寄りたいところがありました。「金沢 うら田」では、加賀八幡起上りをかたどった「加賀八幡 起上もなか」を販売しているのです。もなかの中には北海道産の小豆がたっぷり詰まっていて、もちろん深紅の産着をまとっている可愛いもなかです。

小豆色の包装紙をひらくと、真っ赤な箱が。わくわく。
小豆色の包装紙をひらくと、真っ赤な箱が。わくわく。
箱を開けると真ん中に本物のお人形が!
箱を開けると真ん中に本物のお人形が!
小豆がずっしり詰まったもなか。もなかの皮は「中島めんや」さんで見た木型そっくりです。
小豆がずっしり詰まったもなか。もなかの皮は「中島めんや」さんで見た木型そっくりです。

かつては定番商品として「中島めんや」さんの人形が入ったセットがありましたが、大人気のためお人形が準備できなくなってしまい、今では幻の商品に。普段は販売をしていませんが、人形の在庫があれば詰めてくださることがあるそうなので、ぜひ「金沢 うら田」店頭でお声がけしてみてください。

今回は運よく「人形入りセット」を購入できましたが、もなかだけでもじゅうぶん可愛く、美味しく、すてきなお土産になります。

「加賀八幡起上り」をめぐる金沢旅。この土地の歴史の中で生まれ、大切に守られてきた郷土玩具は、世の中の変化とともに形を変えつつも、人形に込められた願いは人々に受け継がれこれからもまた愛され続けていくのだろうな、と思います。

みなさんもぜひ、金沢で「加賀八幡起上り」にふれてみてください。

<取材協力>
「中島めんや」
石川県金沢市尾張町2-3-12
076-232-1818
http://www.nakashimamenya.jp
(絵付け体験は要予約、体験料は材料費込みで648円)

「金沢 うら田」
金沢市御影町21-14(本社・御影店)
076-243-1719
http://www.urata-k.co.jp

文・写真:杉浦葉子
*2017年2月17日の記事を再編集して掲載しました。

金沢のいろどりあふれるお針子道具 「加賀ゆびぬき」のこと、教えてください

石川県金沢に古くから伝わる工芸品「加賀ゆびぬき」。絹糸を1本1本重ねてつくられるその模様の美しさは息をのむほどです。「加賀ゆびぬき」のことが知りたくて、金沢で活動されている作家・大西由紀子さんを訪ねました。

——こんにちは。今日は「加賀ゆびぬき」のことが知りたくてやってきました。早速見せていただきましたが、すごく綺麗です!

ようこそ金沢へ。「加賀ゆびぬき」は、もともと金沢に実用品として伝わってきたものです。金沢は城下町でしたから、美しい着物を仕立てるお針子さんがたくさん居ました。

着物のお仕事って、いろいろな色糸を使うでしょう?当時は糸がとても貴重だったので、残った短い糸やあり合わせの糸を使って、お針子さんがお休みの日に、自分のお道具として「ゆびぬき」をつくっていたんです。

昔の人ってお裁縫が日常のお仕事だったので、私たちが文房具を揃えたり、台所のツールを選んだりするように、裁縫道具を揃えたんでしょうね。これは絹糸を1本1本丁寧にかがって模様をつくっていくんですよ。

こちらは伝統的な文様、「うろこ」。由紀子さんの好きな柄だそう。
こちらは伝統的な文様、「うろこ」。由紀子さんの好きな柄だそう。

——絹糸だからこんなに艶があって鮮やかなんですね。私が知っているのは革や金属の「ゆびぬき」ですが、こんなきれいな「加賀ゆびぬき」も実際に使えるんですか?

もちろん!「ゆびぬき」の糸は、単なる飾り糸ではなくて、お裁縫の時に針を押すためのものです。この糸が引っかかりになり、針の頭を滑らせずにしっかり押してくれる。すごく合理的なんですよ。ただ、「加賀ゆびぬき」はやはり手間がかかるので、革や金属の既製品が出回るとやっぱりみんな作らなくなってしまったみたいで。私が「ゆびぬき」をはじめた頃は、金沢でもかなり廃れてしまっていて。

——便利なものが出てくると、なくなってしまう文化もありますね・・・。こちらでは「加賀ゆびぬき」づくりの体験もできると聞きました。私にもできますか?

はい、ぜひつくってみてください。つくりながら、いろいろお話しましょう!

(※関連記事)
「絶対にやらない」と決めていた仕事は天職だった。三代目西村松逸が歩む、加賀蒔絵の世界
お祝い事に欠かせない、金沢の希少な伝統工芸「加賀水引細工」

「加賀ゆびぬき」を一緒につくります

大西由紀子さん。由紀子さんの手からは魔法のように美しい加賀指ぬきが生まれます。
大西由紀子さん。由紀子さんの手からは魔法のように美しい加賀指ぬきが生まれます。

こちらで行われている体験教室はだいたい2時間程度。紙や真綿で土台をつくり、その表面を絹糸で1本ずつかがって模様を出していきますが、ここでは主に土台をしっかり一緒につくって、糸のかがり方を学んだら、のこりはお家で仕上げます。先生、よろしくお願いします!

初心者の私は、3色合わせの縞の模様をつくることに。好きな色糸と、「ゆびぬき」の内側になる布の色を選びます。

色とりどりの絹糸は、メーカーのすべての色が揃っているとか!見ているだけで楽しい。
色とりどりの絹糸は、メーカーのすべての色が揃っているとか。見ているだけで楽しい。
内側になる布もきれいな色。指に触れる部分なので、肌当たりの良い綿の布を使います。
内側になる布もきれいな色。指に触れる部分なので、肌当たりの良い綿の布を使います。
悩みに悩んで、この3色を選びました。内布は落ち着いたからし色に。
悩みに悩んで、この3色を選びました。内布はからし色に。
加賀ゆびぬきができるまで。土台をつくる工程がとても大切なのだそう。
加賀ゆびぬきができるまで。土台をつくる工程がとても大切なのだそう。
糸をかがるのはまだ先になりそうです。
糸をかがるのはまだ先になりそうです。

まずは土台づくりから。実用品なので、自分のゆびの太さをきちんと測り、サイズを合わせてつくります。上の工程を見てわかるように、実は土台づくりの工程がほとんど。逆に言うと、糸のかがりは時間はかかるけれど、基本のかがり方さえ覚えたら、それをひたすら繰り返していくシンプルな作業なのだそうです。

「ゆびぬき」をはめる指の太さと同じ筒をつくります。この筒に、細く切った厚紙をぐるぐる巻いて、固い芯をつくります。
「ゆびぬき」をはめる指の太さと同じ筒をつくります。オーダーのようで嬉しい。この筒に、細く切った厚紙をぐるぐる巻いて、固い芯をつくります。
紙の芯を内布で包んで、糸で止めたところ。左が先生、右が私。この時点でなんだか印象が違いますが「だいじょうぶですよ」と優しくおっしゃる由紀子さんを信じてすすめます。
紙の芯を内布で包んで、糸で止めたところ。左が先生、右が私。この時点でなんだか印象が違いますが「だいじょうぶですよ」と優しくおっしゃる由紀子さんを信じてすすめます。
真綿を巻いていきます。真綿というのは蚕の糸。絹です。ふんわりした綿を引っ張って、なるべく強く固く巻くことで、とても強い土台になるそうです。慣れた手つきの由紀子さんは、くるくると器用に巻いていきます。
真綿を巻いていきます。真綿というのは蚕の糸。絹です。ふんわりした綿を引っ張って、なるべく強く固く巻くことで、とても強い土台になるそうです。慣れた手つきの由紀子さんは、くるくると器用に巻いていきます。
自分好みの厚みになればOK。しっかり巻かれた左側の由紀子さんのものは、なんだか表面のツヤも違うんです。
自分好みの厚みになればOK。しっかり巻かれた左側の由紀子さんのものは、なんだか表面のツヤも違うんです。
土台の上に、等分に印をつけた薄い和紙を巻いたら、土台のできあがり。矢印の方向に糸をかがっていきます。
土台の上に、等分に印をつけた薄い和紙を巻いたら、土台のできあがり。矢印の方向に糸をかがっていきます。
これが製図。模様に合わせて色の順番を確かめます。わかりやすくメモしてくださいました。
これが製図。模様に合わせて色の順番を確かめます。わかりやすくメモしてくださいました。

やっと糸をかがります。基本は、この製図のようにジブザグに土台の縁をすくっていくだけなのだそう。1周したら、次の糸を1周目の糸の隣にぴったり並べてかがっていきます。とってもシンプル。「ゆびぬきの柄はいろいろあるけど、糸のかがり方は基本的にはこの1種類なんです。進めるとどんどん模様になってくるんですよ」と由紀子さん。びっくりです!

こちらは由紀子さんがつくっている途中のもの。土台の隙間が埋まるまで、ジグザグかがりを繰り返します。
こちらは由紀子さんがつくっている途中のもの。土台の隙間が埋まるまで、ジグザグかがりを繰り返します。

ハレの日に贈る、気持ちを結ぶ祝儀袋

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。

そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介する連載「ハレの日を祝うもの」。新年を迎えた今回は、お祝いの気持ちを贈る「祝儀袋」のお話です。

お祝いの気持ちを贈る、祝儀袋

「祝儀」は、人生の節目のお祝いに金品を贈ること。最近ではユニークなデザインの祝儀袋もたくさん見かけますが、正式なお祝いのときこそ古くから日本に伝わるスタンダードで美しい祝儀袋でお祝いの気持ちを伝えたいと思うのは私だけでしょうか。

祝儀袋の由来は、日本の贈りもの文化の起源にさかのぼります。農作物などを和紙で包んだ上からこよりで結び、神さまに奉納していたというもの。これが、宮中での儀式や武家の礼儀作法により少しづつ変化しながら、贈答品を包む文化として広まったといわれています。

祝儀袋の右上についている「熨斗(のし)」。「和紙」や「水引」、それぞれが大切な意味をもちます

祝儀袋は、熨斗袋(のしぶくろ)とも呼ばれますが、熨斗は本来「のしあわび」のこと。あわびは古代から長寿をもたらす貴重な食べもので、武家の出陣祝いにされたり、吉祥の贈りものに添えられるものでした。熨斗が邪悪を防ぎ、その贈りものがけがれていないという証だったのだそう。現在では、のしあわびを模した紙などが熨斗として用いられています。

金品を包む和紙の存在も祝儀袋の大切な要素のひとつ。格の高い贈りものには、しぼのある手漉き和紙が使われてきました。金品を和紙に包んで贈る際には、相手との関係性や中身によって折りを変え、美しく包みあげる折形作法が用いられます。

そして、包み紙を結ぶ「水引」。飛鳥時代の遣隋使・小野妹子が日本に帰る際、隋国が日本の朝廷に贈った品々に、紅白の麻紐が結んであったことがそのはじまりといわれています。これは海路の安全を祈願したもので、贈りものの際には想いを一緒に結びこむという習慣となり、水引の文化につながったのだそう。さまざまな要素が、ひとつの祝儀袋を形づくっています。

長野県「飯田水引」で結ぶ

これらの祝儀袋をつくってくださったのは、長野県飯田市で明治元年に創業した「水引屋 大橋丹治」。飯田は綺麗な水が流れ、江戸時代から紙漉きが盛んな町。かつては紙を切り落とした際に出る端紙を使って、髪を結ぶ「元結(もとゆい)」をつくっていたのだそう。

元結は生活必需品でしたが、明治維新の断髪令により使われることがなくなり、その後は元結技術を生かした「水引」がこの地でつくられるようになったといいます。「水引屋 大橋丹治」では、今もほとんど手作業でさまざまな水引結びをつくっています。

職人の桜井文七氏を招いて習い、飯田の「ひさかた和紙」でつくられたという「元結」。質が高く「文七元結」として全国に名を知られたのだそう
職人の桜井文七氏を招いて習い、飯田の「ひさかた和紙」でつくられたという「元結」。質が高く「文七元結」として全国に名を知られたのだそう

祝儀袋に詰まった日本の文化は、相手のことを想い、お祝いの気持ちを込めて贈るという素直であたたかいもの。今年はみなさんの周りでどんなお祝いごとがあるでしょうか。笑顔あふれる、喜ばしい年になりますように。おめでとうございます。

<取材協力>
大橋丹治株式会社
http://www.oohashitanji.jp

文・写真:杉浦葉子


この記事は2017年1月2日公開の記事を、再編集して掲載しました。

 



<掲載商品>

飯田水引の祝儀袋

和菓子でめぐる出雲・松江

こんにちは。ライターの築島渉です。

かつて、雲州 (うんしゅう) と呼ばれた神々の国、出雲国。

今では風光明媚な城下町の風情を残す松江や、日本神話が今も息づく出雲が旅先として人気です。

実はこの一帯、時代とともに人々に愛される甘味が生み出されてきました。松江は、京都や金沢と並ぶ日本三大菓子処のひとつ。出雲は「ぜんざい」発祥の地だと言われています。

今日は歴史をなぞりながら、和菓子と土地の美味しい関係を覗いてみましょう。

「ぜんざい」発祥の地、出雲へ

ぜんざい

旧暦の10月を意味する「神無月」。出雲大社に神様たちが勢揃いすることから、出雲の地だけがこの時期を「神在月 (かみありづき) 」と呼ぶことは、ご存知の通りです。新暦では11月下旬から12月中旬に当たります。

この時に執り行われる神事「神在祭 (かみありさい) 」で、神様へのお供えとして振る舞われてきたのが「神在 (じんざい) 餅」。

この「神在餅」が出雲弁で少しだけ音を変え、「ぜんざい」となって全国に広まったと言われており、江戸初期の文献でもすでに出雲が「ぜんざい」発祥の地だと記されているのだとか。

現在、出雲大社へ向かう参道は「神前通り」と呼ばれ、今も参拝者たちが喉を潤し、出雲神社ゆかりの「ぜんざい」を楽しむ場所として賑わっています。

神前通り
たくさんの甘味処が連なる神前通り

出雲大社までは意外と歩くこともあり、お腹もすくもの。たくさんのお店がその店自慢の「ぜんざい」を振る舞っているので、行き帰りで食べ比べをしてみるのも楽しいかもしれませんね。

お参りの手土産に。創業300年の老舗 來間屋の生姜糖

出雲大社へのお参りが済んだら、一畑電車に乗って一路、松江方面へ。雲州平田駅から徒歩10分、出雲土産として人気の「生姜糖」を300年作り続ける、來間屋生姜糖本舗 (くるまやしょうがとうほんぽ) に到着です。

昔ながらの佇まいを残す店構え

時は江戸時代、松江藩の奉行所務めだったお役人、來間屋文左衛門がお茶に興味を持ったのが名物「生姜糖」の始まり。お役人もやめ、どんどん茶道に熱中していった文左衛門ですが、当時はいわゆる「お茶請け」は生菓子しかない時代です。

日持ちがしてお茶にも合ういいお菓子は無いものか、と考えるようになった文左衛門。当時から出雲で作られていた特産の「出西生姜」を使って試行錯誤の末産み出したのが、「生姜糖」だったといいます。

「文左衛門は、凝り性だったんだと思います」と笑顔でお話を聞かせてくださったのは、來間屋11代目店主の來間久さん。

「材料は、お砂糖と出西生姜だけ。出西生姜は、繊維質が少なく、煮詰めても辛みと香りが変わらないんです。創業時からの製法で手作りしているので、江戸時代の人も、同じものを食べていたんですよ」

銅板に生姜と砂糖を煮たものを注ぎ込んで作られる生姜糖
銅板に生姜と砂糖を煮たものを注ぎ込んで作られる生姜糖

300年以上の間、出雲参りの参拝者たちに、そして地域の人達に愛され続けている生姜糖。かりっとかじると、優しい甘さの中に生姜のすっきりとした香りが口の中に広がります。

生姜糖

「その年の出西生姜の味やその日の天候など、自然との関わりの中で手作りをしています。その時その時に合わせ、作り手側も変わっていないと、受け継がれた味にはならないんです」と來間さん。数百年も続く、老舗だからこその言葉です。

銅板から型を外した板状の昔ならではのものや、キャンディ状になった一口サイズのものなど、レトロで可愛いロゴの入った來間屋さんの生姜糖。今も変わらず、出雲土産の定番となっています。これからの季節、紅茶に入れて楽しむのも、おすすめだそうですよ。

これからの嫁入り道具

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。

嫁入り道具と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?

かつての嫁入り道具といえば、大きな桐のタンス一式に豪華な着物、立派な鏡台、寝具は客用も含めて一式。すべてが収められる食器棚と来客用の食器やカトラリーなどなど。豪奢で量が多ければ多いほど良しとされた時代があったそうですが、私たちの世代にはあまり馴染みがありません。

伝統的な婚姻儀礼としての「嫁入り道具」が現代のライフスタイルには合いづらいとはいえ、嫁入り道具に洗濯機や冷蔵庫などの家電製品を選んだり、道具自体を用意しないのはなんだか味気ないものです。一生に一度のことですから。これを機に“一生もの” といえるちょっと憧れの生活工芸品を選んでみてはいかがでしょうか。

儀礼にとらわれず、等身大の目線で、今、あげたい、もらいたい、買いたい嫁入り道具を選びました。

幸せは好きな人とあったかいごはんを食べること。

【 秋田・大館の曲げわっぱのおひつ 】

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「Happy is a warm puppy.(幸せはあったかい子犬)」とは、スヌーピーで知られるチャールズ・M・シュルツの漫画『PEANUTS』での有名な言葉ですが、結婚して家庭をもつ幸せのひとつは大切な人とあったかいごはんを食べることなのではないでしょうか。湯気があがるホカホカの炊きたてごはんは、それだけで幸せの象徴のようです。

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電気炊飯器ができるより前の時代、おいしいごはんを長く保存するために生まれた道具、それがおひつです。

木が呼吸することで粗熱と余分な湿気を取り除いて水分を調整してくれるので、時間が経ってもごはんがべたつかずふっくら。保湿効果もあるそうです。天然秋田杉のまっすぐな木目と真っ白なごはんが目にも美しいです。

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「50年使ってもらえたら」というのは、秋田県大館市の曲げわっぱメーカー栗久(くりきゅう)の6代目・栗盛俊二さんのお言葉。これから50年、おいしいごはんと共に過ごしたいですね。

お料理の相棒は基本の3本から。

【 万能包丁・ペティナイフ・パン切り包丁 】

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そうそう壊れるものではないですので、包丁の買い替え時期はなかなか難しいものですが、結婚という人生の新たなスタートを機に、これからを共に過ごすお料理の相棒も新しくしてみてはいかがでしょうか。

鍛冶の町・新潟県三条市の庖丁工房タダフサでは、「基本の3本」を用意されています。「基本の3本」とは、種類が多く専門的な包丁のプロダクトラインの中から、普通の家庭の台所で「まずこれだけ揃えれば充分」という目線で選ばれた3本のこと。

三徳包丁とも呼ばれる名の通り万能な「万能包丁」、野菜の面取りやフルーツに使いやすい「ペティナイフ」、パンくずが出ないことで知られ今や大人気となった「パン切り包丁」という料理初心者にも頼りになる顔ぶれです。

三徳庖丁
三徳庖丁

ペティナイフ
ペティナイフ

パン切り庖丁
パン切り庖丁

庖丁工房ならではの名入れサービスで自分専用包丁の出来上がり。名入れは手作業による作切で、担当する職人により風合いが異なり、それがまた良い味になっています。自分の名前が入るとそれだけで愛着がわき、料理上手のような気分になってくるから不思議です。たまには形から入るのも悪くないのでは。

料理の腕が上がったら、自分に合った「次の1本」を選ぶのも楽しいですね。

本物があれば冠婚葬祭もこわくない。

【 伊勢志摩のパールジュエリー 】

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「結婚はふたりだけでなく家同士でするもの」という言葉もありますが、家族が増え、自然と冠婚葬祭も多くなります。忘れがちですが、そこで必要になるのがパールジュエリー。急なときにあせらないよう、家庭を持った一人前の女性として持っておきたいもののひとつです。

私たちが「真珠」と聞いて思い浮かべるような丸くて白い真珠は、和珠(わだま)とも呼ばれるアコヤ真珠というもの。アコヤ真珠の母貝は約5〜10cmほどのアコヤ貝で、小石などの異物が貝の体内に偶然入り込むことによって生まれます。

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クラシックなイヤリングの金具も素敵。
クラシックなイヤリングの金具も素敵。

日本の真珠の4大産地のひとつである伊勢志摩にできた初めての真珠専門店、松井眞珠店には天然真珠を使ったジュエリーがずらり。伝統的でシンプルなデザインのものは、真珠そのものの美しさが際立ち、女性なら誰もが憧れる美しさです。


曲げわっぱ 栗久
おひつ(3合・浅型)

庖丁工房タダフサ
基本の3本/次の1本

松井眞珠店
パールのネックレス・パールのイヤリング

文・写真:井上麻那巳

2017年1月19日公開の記事を再編集してお届けしました