小泉八雲が愛した松江の「異界」を訪ねて。「松江ゴーストツアー」体験記

こんばんは。ライターの築島渉です。

風光明媚な松江城。歴史情緒ある武家屋敷や、数々の神社仏閣。風情ある日本の風景をそのままに残した美しい城下町、島根県松江市。

実は「怪談のふるさと」でもあるのをご存知でしょうか?最近では夜の松江で怪談スポットを巡る「ゴーストツアー」が人気を呼んでいます。

きっかけは19世紀から20世紀へと時代が移り変わるころ、松江に魅せられたひとりの外国人ジャーナリストの存在。耳なし芳一などの民間伝承をまとめた『怪談』の筆者、ラフカディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

今日は小泉八雲が愛した松江の、ちょっと怖いお話を。

ラフカディオ・ハーン 孤独な少年時代

イギリス国籍のハーンですが、父親はアイルランド人、母親はギリシャ人のギリシャ領生まれ。家族はダブリンへ移住するも、アイルランドでの暮らしに馴染めなかった母親は、ハーンが4歳のときに離婚。二度とハーンとは会うことがなかったといいます。

両親の離婚後も、事故による左目の失明や、引き取られた先の大叔母の破産など不遇の青年時代を送ったハーンでしたが、その後ジャーナリストとして自立、アメリカでの記者時代を経て日本へ渡ります。英語教師として松江で働くことに決めたのは40歳のときでした。

世界中を転々としたハーンが、やっと静かに腰を落ち着けた土地、松江。「ヘルンさん」と地元の人に親しまれる穏やかな暮らしの中で、日本人女性小泉セツを伴侶としたハーンが、日々の中で見聞きしたり、セツから伝え聞いた不思議な話しを文学として綴った怪奇文学作品集『怪談』は、今も日本人の心を描いた名作として読み継がれています。

小泉八雲が愛した松江の「異界」をめぐる「ゴーストツアー」

『怪談』執筆のきっかけとなり、ハーンが人力車を走らせて社寺を巡り御札を集めたというほど神秘的な歴史町、松江。そんな松江の「夜」を語り部とともに歩いて巡る散策ツアー「松江ゴーストツアー」があると聞いて、参加して来ました。

出発は「日没時刻10分前」の松江城。夜の帳とともにあたりが異界へと変貌を遂げるこの時間から、徒歩とタクシーを使って市内の怪談スポットを巡ります。主宰する松江ツーリズム研究会から、ベテラン語り部の引野さん、ガイドの畑山さんを案内役に出発しました。

ギリギリ井戸
語り部の引野さん

「松江にはいろいろな不思議な話がありまして‥‥この松江城、なにせ400年も前のことですから、石を積むだけでも相当大変だったんです」

だんだんと日が暮れていく城内のしっとりとした雰囲気を肌に感じながら、向かったのは「ギリギリ井戸」。語り部・引野さんによれば、松江城築城には積んだ石がすぐに崩れてしまうなど様々な苦労があったのだという。

そのため、この土地、亀田山(神多山)にお祓いをせずに工事を行っている祟りだという噂が後をたたず、崩れた場所を掘り返してみるとなんと髑髏の山が。

お祓い後水が湧き出て、覗き込むとその様子が「つむじ」 (出雲弁の「ギリ」) に似ていたことからついた名前が「ギリギリ井戸」だったのだそう。その他にも町娘が人柱になったという悲しい言い伝えなど、松江城にまつわる不思議なお話が次々。日中の荘厳な松江城とは、まるで別の場所に来たようです。

石の大亀が町中を歩き回った?

松江藩の廟所が並ぶ月照寺

松江城から次の目的地、月照寺まではタクシーで。松江藩主を務めた松平家代々の廟が納められている菩提寺です。松江を治めたお殿様たちの廟、つまりお墓が広々とした敷地の各所に置かれるこのお寺の中を、それぞれの逸話を伺いながらゆっくりと。

名主といわれる第7代松江藩主・不昧公 (ふまいこう) の廟ももちろんこのお寺の中。松江は京都、金沢と並んで茶処や菓子処として知られていますが、その文化をつくったのが大名茶人として知られたこの不昧公だったといいます。

さて、ゴーストツアーの行き先は、第六代宗衍 (むねのぶ) 公の廟所。ここに、ハーンの随筆『知られざる日本の面影』に登場する、大きな石碑を背負った「亀趺」 (きふ) の像があります。

亀趺は亀そっくりに見えますが耳があり、伝説の妖獣なのだそう。

亀趺の石像
亀趺の石像

「宗衍の廟の前に置かれた大亀の石像。ところが、夜になるとこの大亀がドーン、ドーンと寺の中を動き回り、あろうことか寺を出て町でも悪さをするようになったのです‥‥」

大杉に囲まれた神聖な場所で伺う語り部さんのお話は、そんなこともあるかもしれない、と思えてくるほど。大きな石像を前に、お寺のひんやりとした空気を感じながら思わず息を潜めて聞き入ります。

当時は藩の家来たちが城下で幅をきかせ、人々が苦しんでいた時代だと言います。そのうっぷんがこんな怪談話になったのかもしれない、と歴史的な背景も伺うことができました。

芸者松風の霊が今もさまよう清光院

次の目的地までは夜の松江をちょっとだけ散策です。「この辺は真っ暗になりますからね」とガイドさん。

実は今回は、写真撮影のため日没より少し早く松江城を出発したのですが、このあたりですでに周囲はだんだんと薄暗く、まさに「異界」に足を踏み入れつつある雰囲気に。

まるでタイムスリップしたかのようなお寺、清光院に到着です。

清光院
門の向こうに古い墓地が続く清光院

小高い丘にある清光院へは、長い石段を上がっていきます。門の向こうにぼんやりと見える塔やお墓は、ゴーストツアーのムード満点というところでしょうか。

清光院には、人気芸者と知られていた松風の話が残っています。

相撲取りと恋仲になっていた松風に、並々ならぬ恋心を燃やしていた武士がいました。ある日、武士は道端で偶然に松風と出会い、無理やり自分のものにしようと迫ります。その武士の手を逃れるように松風が逃げ込んだのが、この清光院だったとか。

「どうにか位牌堂の前まで逃げて来た松風でしたが、ついには武士に追いつかれ、『俺のものにならぬなら、いっそ!』、バサッ!武士に斬りつけられ、命を落としてしまったのです。そしてほら、その階段のところに血がベッタリと‥‥」

語り部さん
松風が切られたという階段の前で語る語り部・引野さん

今上がってきたばかりの階段を息を切らし逃げたという松風にすっかり感情移入していた私。

引野さんの臨場感あふれる語りで、まるでその場面が目の前に見えるようです。その後松風の幽霊が町の人に噂されるようになり、階段の血は洗っても洗っても落ちなかったという言い伝えのあるこの清光院。

夜には本当に真っ暗になるため、足元を懐中電灯で照らしながらの移動になるのだとのこと。怖すぎる‥‥。

ハーンが描いた母の愛「飴を買う女」の大雄寺

大雄寺
城下の西端、水と陸の境にある大雄寺

城下町らしい町並みに江戸情緒を味わいつつ最後に向かったのは、ハーンの収集した怪談のうち、『飴を買う女』の舞台となった墓地がある、大雄寺。すぐそばを小川が流れる、由緒あるお寺です。

「怪談の舞台っていうのは、西の端と、水と陸の境目の場所が不思議と多いんです。ここも松江城下の西の端で、水際ですね」

民俗学的な視点からも怪談について教えてくれる語り部さん。石垣と白壁の立派な門を抜け、古い古い墓石が立ち並ぶ大雄寺に足を踏み入れます。

「水飴を売っているお店に、毎晩器を持って水飴を買いに来る青白い顔の女がおりました。毎晩毎晩やってくるので、何か事情があるのかと聞いても答えません。

ある日女の帰りをそっとつけてみると、女が水飴を大事そうにかかえて、大雄寺に入っていくのが見えました‥‥」

女の姿はある墓地の前で消えてしまいます。かわりに、遠くから赤ちゃんの泣き声が。驚いて墓を掘ってみると、水飴の入った器の横に、女の亡骸と赤ちゃんがいた‥‥というこのお話は、松江だけでなく、日本にはいくつか似たお話もあるのだとか。

大雄寺
「飴を買う女」が消えたという墓地

到着した時には怖いと感じた大雄寺の墓地ですが、愛する我が子のために死んでもなお幽霊になって子どもを育てようとしたこの愛情深い物語を聞くと、「怖い」というよりも「哀しい」という思いがこみ上げてきます。

ハーンはこの物語を特に好んでいたと言われ、『怪談』で「母の愛は死よりも強い」とこの物語が結ばれていることは、幼いころに母親と引き裂かれたハーンの心情が垣間見えるようです。

ラフカディオ・ハーンが愛した不思議の町 松江

そんなハーンが愛する妻を得て、やっと心安く暮らすことができたのが、ここ松江の町。しっとりとした情緒あふれる松江の地で、妻から聞く不思議な物語、そして町に伝わる様々な伝説が、ハーンの知的探究心と、文学者としての繊細な感受性を刺激したのだろうと想像します。

「松江ゴーストツアー」は約2時間、最後は松江城前までタクシーで移動してのお別れとなります。帰りのタクシーの中で、ガイドさんがこんな話をしてくれました。

「お客さんは一回しかツアーに参加しないけど、私たちは何回もゴーストツアーに同行してるでしょう。そしたら、『こんな場所でこんな音しないはずだけど』ってことが、時々あるんです。

お客さんは『わぁ、すご〜い、どんな仕掛け?』とか笑ってるんですけど、もう、私たちのほうは『仕掛けじゃないよ、本当だよ!怖いよ!』って!」

終了時にはお清めの塩もいただけるこの「松江ゴーストツアー」。昼とはまた違った顔を見せる松江の夜を、覗きに行ってみませんか。

松江ゴーストツアー

・参加費:一人1,700円(税込)

・詳細・申し込み・お問い合わせ:NPO法人松江ツーリズム研究会「松江ゴーストツアー」

文・写真:築島渉

愛しの純喫茶〜出雲編〜バラのようなご当地パンが楽しめる「ふじひろ珈琲」

こんにちは、ライターの築島渉です。

旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。

お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもくしていたり。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。

旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、この出雲のご当地パン「バラパン」をおいしい自家焙煎珈琲とともに楽しむことができる創業35年の老舗純喫茶、「ふじひろ珈琲」を訪ねます。

縁を結ぶ土地・出雲の名物マスターに会いに。

縁結びの神様として知られる出雲大社から車で約15分。ツタの絡まる重厚なたたずまいの純喫茶「ふじひろ珈琲」は、出雲を走る県道28号線沿いにあります。

ふじひろ珈琲店表

「自家焙煎 珈琲専門店」と書かれた看板の前に立つと、もうコーヒーの香りがいっぱい。

良い香りに包まれながらドアを開けると、年季の入った木のテーブルや椅子、昔ながらの赤い布張りの長椅子。「いらっしゃいませ」とカウンターの向こうでマスターが微笑んでくれます。

店内

この日私が訪れたのは午前11時頃。「うちはスパゲッティとかカレーとか、そういうお食事は置いてないの。だから、この時間はちょうど空いてるんだよ」と笑う渋いお髭のマスターは、伊藤博人さん。

マスター

伊藤さんが「ふじひろ珈琲」をオープンしたのは、35年前。一旦は故郷の出雲を出て就職しましたが、Uターンして好きなコーヒーの店を始めることを決意。店名の「ふじひろ」はお名前の真ん中の二文字から、ご両親が命名してくれたのだとか。

地元民に愛される「バラパン」とは?

開店以来ずっと地元の人のために美味しいコーヒーを淹れている伊藤さんのおすすめが「バラパンセット」。ブレンドコーヒーまたは紅茶のセットがセットになって600円です。

「バラパン」は、島根県出雲市では知らない人はいないという、バラの花の形をしたご当地パン。くるくると巻かれたパンの中にたっぷりのホイップクリームが入っていて、とても美味しいのだそうです。

もともとは地元ベーカリー「なんぼうパン」が60年以上前に販売を始めたバラパン。「ふじひろ珈琲」では「なんぼうパン」から生地を仕入れ、抹茶、マロン、ホイップ、ストロベリーのクリームを挟んだ4種のオリジナル・バラパンを楽しめます。

この日は伊藤マスターいち押しだというマロンのバラパンを、ブレンドコーヒーと一緒にいただきました。

コーヒーとバラパン

クリームを挟んで、長いパン生地がくるくると花のように巻いてあります。ちょっと中身をめくってみると、マロン色のクリームが中心だけでなく巻かれたパンの間にもたっぷり。

口に入れると、まずパン生地の柔らかいこと!キメの細かい優しい生地で、耳までしっとり。軽い口当たりで品の良い甘さのマロンクリームも相性ばっちりです。

甘すぎる菓子パンが苦手な人でもぺろりといける、出雲の人たちに愛されるのも納得のおいしさです。

バラパンを上から見た様子

そして、自家焙煎の豆をつかった「ふじひろ珈琲」オリジナルブレンドは、すっきりとしたコクと酸味がある一杯です。

コーヒー

そして、実はバラパンは遠くはなれた宮城県でも人々に親しまているそう。宮城で被災されたご友人を持つマスターは、バラパンセットの売上の一部を使ってお店のお客さんたちと共に東日本大震災の被災地へ赴き、現地でバラパンをふるまう支援活動を行っているのです。

変わらない場所、変わらないご縁

懐かしさを覚えるたたずまいの店内ですが、改装のたびにお客さんから「椅子を変えないでね」とお願いされてしまうのだそう。

そのため、張替え用の布地をロールで買いつけ、シートだけ張り替えてもらっているとのこと。「変わらないって、大変なんですよ」といたずらっぽく笑います。

椅子

「赤ちゃんのときから知っている子が、大人になって結婚して、また赤ちゃんを連れてきてくれるんです。何十年も毎日来てくれているお客さんが、脚が悪くなっても『マスターの顔見ないと落ち着かん』って、息子さんに手を引かれてコーヒーを飲みに来てくれたり。今までもこれからも、この店でみんなで楽しめて、喜べて、それでみんなが幸せになったら、私も幸せなんです」

この店でプロポーズを受け幸せを掴んだお客さんが、「ふじひろ珈琲」トリビュートで作ってくれたというCDを手に顔をほころばせる伊藤さん。純喫茶は、そこに純な思いのある「人」があってこそ。「神の国」出雲でのおいしくて素敵な「ご縁」に、ほっこりとしたひとときでした。今度は、どのバラパンを食べようかなぁ。

ふじひろ珈琲
島根県出雲市渡橋町1223
0853-24-1760
営業時間:8:00~19:00
定休日:日曜

文・写真:築島渉

【はたらくをはなそう】中川政七商店店長 赤瀬司

赤瀬 司
(中川政七商店 マークイズみなとみらい店 店長)

2013年入社
大日本市伊勢丹新宿店、中川政七商店東京本店を経て、
2016年中川政七商店コレド室町店店長、2017年4月より現職。

この会社に入社するまでにも、いくつか販売の仕事をしてきました。
そこでは単に店舗に届いた商品を管理、陳列、販売、補充するということを深い考えなどなく、マニュアル通り、完全に個人の問題として
黙々とこなしていたと思います。

中川政七商店ではたらき始め、180度自分のスタンスが変りました。
自分ではなく、他者のことをまず考えられるようになったからです。

店舗での販売を後方支援してくれる本社の方々、販売する商品全てを適切に維持・管理し、各店舗の希望通りに送り出すなどの倉庫業務を担う方々、そして「日本の工芸を元気にする!」の旗の下に集ってくれた全国の、世界に誇るものづくりをされている各メーカーの方々。

中川政七商店に入社して驚いたことですが、これらの方々との距離が本当に近いのです。
この人たちのために!と思わせてくれる方々が多いです。

そして店長として店舗にいる以上、最重要と考えていることが店舗スタッフのコンディションです。

お客様にとって中川政七商店との直接の出会いは全国にある各直営店です。
そこを担うスタッフが心身ともに充実し、気持ちよくいてくれる店舗作りを何よりも心掛けています。

私もそうですし、はたらく上で全スタッフにも望み求めることですが、
常に精神的余裕をもつこと。

余裕が生まれないように追い込むような指示を私は絶対にしません。
自分がいる店舗が売上だけではなく、各スタッフのスキル、店舗の雰囲気なども良く評価され、自分のやり方は間違ってはいないと自分自身で強く感じられるようになりました。

やる気も実力も積極性も個性もある方々が多い中川政七商店の中では、
私は最も普通で、消極的で、全然前には出たがらない人間ですが、そんな私に今回のこのようなお話がいただけるとは本当に凄い会社だなと思います(笑)。

【はたらくをはなそう】商品1課・人事 荒井勉

荒井 勉
(商品1課 10月より管理課人事)

2009年 入社(中途採用)
ものづくりに携わる生産管理の仕事の傍ら
2013年 新卒採用担当
2015年 内部監査役
2016年 奈良博覧会企画メンバーを経て
2017年 10月より人事に就任

社会人として、そして人として大切にしていること、
それは「人に嫌われないこと」。
なんだそれ?
と思われる方も多いと思いますが、
僕が自信を持って大切にしていることと言えます。

人に対して「ちょっと苦手だな」と感じるポイントは、
話し方・時間にルーズ・メールが遅い・身だしなみ・表情・態度などと人それぞれ違うはず。

なので、すべてを満点にすることはなかなかできません。
ただ、欠点をなくし平均点をあげることは自分の努力で何とでもなるものだと思います。

相手を不愉快な気持ちにさせ信頼を失うのは一瞬ですが、
相手に信頼してもらうことはコツコツと日々の積み上げからしか成し遂げられないこと。

嫌われなければ、信頼を勝ち取ることも、協力を仰ぐこともでき、
人と人とのつながりを大切に仕事を進めることができます。

少し話は変わりますが、
先日、全社員が参加する表彰式がありました。

世間一般では、売上額などの数字に対しての表彰式が多いと思いますが、
僕らの会社は少し違います。

「右腕にしたい人」「育て上手な人」「縁の下の力持ち」「見かけによらずプロ意識が高い人」
などなど、人となりにスポットを当て、社員同士がお互いに投票しあい、
表彰者を選ぶ温かい場です。

そんな風に人の見ていないところでも頑張れるスタッフが多く、
個人の人となりを讃えあうことができる会社だからこそ、お互いをフォローしながら
皆がやるべきことに注力できています。

そんな環境で働けることを嬉しく思います。

10月からは初めて商品作りから離れ、人事担当として働くことになります。

社員には、より気持ち良く働ける環境を。
また、新しく入社いただく方には同じ目標に向かって一緒に走っていただける方を
お迎えできるような、魅力的な環境を整えていきたいと思います。

良いご縁があることを楽しみにしています。

【はたらくをはなそう】遊中川 泉さやか

泉 さやか
(遊 中川 ジェイアール名古屋タカシマヤ店 店長)

2011年 直営店スタッフとして入社
2012年 松坂屋名古屋店 店長
2014年から指導店長や特命店長を兼任しつつ、遊 中川ジェイアール名古屋タカシマヤ店の店長

2011年、前職を辞めて次を考えていた私は
昔から好きだった工芸に関わることに、これからの時間と力を使いたいと思い
興味のあった中川政七商店を受け、縁あって直営店スタッフとして入社しました。
入社してから、ずーっと遊 中川1本です。

入社して1年ほど経った頃、店長の話がやってきました。
元々店長になりたい!!と思っていなかった(すみません)のと、なんだか大変そうだし…と思って
「店長なんて責任ある仕事は私には向いてない」「やったことないし無理です」と、お断りしていたのですがやってもないのに、できない理由をつらつら並べて言い訳にして逃げるのもなんだか20代の頃と進歩がないなぁ、まぁいっちょダメ元でやってみるか!と思い立ち店長をやってみることにしました。

店長になってからも、数々の壁に遭遇するたび「ムムム…」と唸ってきましたが
そのつど、まぁなんとかなるだろう、やってみるかで今に至ります。
数年経った今、あれこれやってみて思ったのは
責任あるから大変・向いてないから無理…etc数々のやらない理由以上に
じっさいやってみたほうが面白かった!!と、いうこと。
あんがいなんとかなるもんだなぁ、というのが、実感です。

そもそも、どんな仕事でも、人やものが関わる限り
責任のない仕事なんてないですしね。

月並みな言葉ですが、立場が人を変えるとはよく言ったもので
本当に立場で見える世界って変わるんだなぁとしみじみ思います。
なので、私がはたらく上で大事にしていることはこの体験もあって、
これまた月並みでありますが「できる・できないではなく、やるかやらないか」です。

そして、自らやると決めた事には(なるべく)言い訳しないこと。
やってダメならそれはそれ。また力を蓄えて、やり直せばいいと思います。
何かをやる前から、自分で勝手にできないラインを決めてしまうということは
けっこうもったいない。

やらなきゃわからないことだらけです。

どうせ自分で決めるなら、面白いほうがいいな、と個人的に思っています。
面白い方に1票!!の精神です。
これからも「ムムム…」と唸ることは多いでしょうが
きちんと自分で考えて決める人でありたいです。

世界でここだけ。唯一の技術で染められる、星の布

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
日本でつくられている、さまざまな布。染めや織りなどの手法で歴史を刻んできた布にはそれぞれ、その産地の風土や文化からうまれた物語があります。
「日本の布ぬの」をコンセプトとするテキスタイルブランド「遊 中川」が日本の産地と一緒につくった布ぬのをご紹介する連載「産地のテキスタイル」。今回はどんな布でしょうか。

新潟の美しい星空をイメージしたテキスタイル「星紋」

新潟の夜空の星の美しさは、松尾芭蕉や川端康成の作品にも描写されるほど。その澄んだ夜空が夏の星座に変わるころには天の川が水面にうつりこみ、あたり一面が星で満たされるといいます。この濃紺の夜空に浮かぶ星をイメージしてデザインしたテキスタイル「星紋(ほしもん)」。この布は、新潟・見附で受け継がれてきた貴重な技術でつくられています。

遊中川の夏のテキスタイル「星紋」
遊中川の夏のテキスタイル「星紋」

世界で唯一、新潟・見附の職人だけが手がける「マンガン染」

手間がかかりどうしても高価になってしまう「織り絣」に対して、気軽に絣模様が楽しめる「染め絣」として、大正初期に新潟・見附で誕生した技法「マンガン染め」。気軽にとはいえ、大正時代からの手法とあってやはり手作業は欠かせません。

大正4年、見附でいちばん大きな織元であった矢島丑松(やじま・うしまつ)がマンガンを染色に利用して発明したという「マンガン染め」。白絣(白地に紺や黒)を中心に夏の着物に用いられ、昭和30年代まで新潟・見附を中心に、浜松、近江のあたりでも生産が行われていました。この「マンガン染めの白絣」は見附の特産品として人気を集め、大正9年には見附の綿織物の生産量1位に。昭和初期まで大流行したといいます。

マンガン染めの白絣
マンガン染めの白絣

こちらは紺地に白を染め抜いたマンガン染
こちらは紺地に白を染め抜いたマンガン染

現在、「マンガン染め」を手がけるのはなんと世界で唯一、見附の「株式会社クロスリード」1軒のみ。こちらの工場を訪ねました。

糸染めから織りあがりまで3ヶ月以上、職人の感覚技

お話を伺ったのは、代表の佐藤秀男(さとう・ひでお)さん。「マンガンというのは、鉱物。これを使って染めるのには、職人の感覚がとても大切なんです」と、佐藤さん。そもそも、マンガン染めとはどういうものなんでしょう。その工程を見せていただきました。

マンガン染めは、まず糸染めからスタート。マンガンを溶かした水溶液に、かせにした糸を浸け込み、酸化させることで発色。糸が濃い茶色に染まります。

これが原料のマンガン。ピンクに輝く自然の鉱物です
これが原料のマンガン。ピンクに輝く自然の鉱物です

「糸のご機嫌を伺いながらやってます」と、職人の西さん。目に薬品などが入らないようにサングラスで保護します
「糸のご機嫌を伺いながらやってます」と、職人の西さん。目に薬品などが入らないようにサングラスで保護します

はじめは白い糸にうっすら色がつく程度ですが‥‥
はじめは白い糸にうっすら色がつく程度ですが‥‥

酸化することですこしずつ茶色くなってきます
酸化することですこしずつ茶色くなってきます

最終的に整理された糸はこんなに濃い色に。マンガンが付着した糸です
最終的に整理された糸はこんなに濃い色に。マンガンが付着した糸です

じつはこの作業、1かせ1かせ職人さんの手によって染められています。空気に触れることで発色するため、ムラにならないように絞りながら、満遍なく手繰るのです。季節によっても反応の速度が違い、その日のお天気にも左右されるこの作業は、職人さんの感覚頼りなのだとか。しかも、手作業ながら1度に200〜300かせも染めるとあって、相当な力仕事です。

ではここで、マンガン染めの原理について。
この茶色の糸は、このあと中和剤をかけると、マンガンの色が抜けて白くなるんです。普通に染めた糸と、マンガン染めの糸を使って布を織り上げ、中和剤をかけると、マンガン染めの糸だけが白い糸にもどり、普通の染め糸はそのまま色が残るということです。

紺色に染めた糸とマンガン染めの茶色い糸を交互に並べて織った状態が左。これを中和させたものが右。マンガン染めの茶色かった糸は白くなり、紺色はそのまま残ります
紺色に染めた糸とマンガン染めの茶色い糸を交互に並べて織った状態が左。これを中和させたものが右。マンガン染めの茶色かった糸は白くなり、紺色はそのまま残ります

この原理で、布にどれだけマンガン染めの糸を織り込むかや、中和剤でどんな柄を描くかを考えて、布をデザインします。クロスリードの敷地内には、布を織る工場も。糸染め、織り、加工まで一貫して製造手がけられ、なんでもできるというその技術の幅には驚きです。

木造の建物に、織機がずらり
木造の建物に、織機がずらり

クロスリードの佐藤さん
クロスリードの佐藤さん

織り上がった生地に型を使って中和剤をつけると、マンガン染めの糸色が変化して柄が浮き出てきます。柄の細かさや生地の厚さによって、都度、中和剤の液体の硬さを調整しなくてはいけないそう。この調整は完全に職人の感覚。湿度や温度を肌に感じながら、経験値での勝負です。

銅製のロール型の表面に彫られた「星紋」の柄。この彫刻は京都で手がけられています
銅製のロール型の表面に彫られた「星紋」の柄。この彫刻は京都で手がけられています

中和剤の調合。少しでもゴミが入ると型を傷つけることになるので、このあと2回も漉します
中和剤の調合。少しでもゴミが入ると型を傷つけることになるので、このあと2回も漉します

型に中和剤をなじませます
型に中和剤をなじませます

柄のとおり、布に中和剤が置かれます
柄のとおり、布に中和剤が置かれます

このあとは、中和剤の力で徐々にマンガン染めの糸の色が変化していくのですが、その時、布におがくずをまぶします。おがくずが布の間に空気を含ませ、その空気が糸色の変化を促進させるのです。また、布の移染も防いでくれます。

おがくずの中に布を通します
おがくずの中に布を通します

スコップでおがくずを布にかける作業も。広い工場で布がどんどんと変化していきます
スコップでおがくずを布にかける作業も。広い工場で布がどんどんと変化していきます

すぐには色の変化は見られませんが‥‥
すぐには色の変化は見られませんが‥‥

30分も経つと、ほら、模様が浮かんできました!
30分も経つと、ほら、模様が浮かんできました!

このあとは、布を水洗いし、加工整理して生地が完成。生地に無駄なテンションをかけないように、こちらでは桜の木材をつかった乾燥機を使っているのだそう。生地に触れる部分が木で、まるで赤ちゃんを抱くように生地をやさしく扱いながら乾かすと、風合いのよい生地に仕上がるのだそうです。

今やこの「マンガン染め」を行っているのは、全世界の中で新潟のこの工場だけ。「もう、ここだけになってしまったから、何としてでも残したいけれど、職人の感覚に頼る仕事ばかり。人がいないと続けられない」と、職人の高齢化を懸念している佐藤さん。「これまで、みんなでたくさん失敗もしてきました。失敗の数だけ、いろいろなものが作れるようになったと思ってます。これから、若い人が来てくれるといいんだけどね」。

大正時代には画期的な技術だったものの、平成の現代ではとても手のかかるものづくりとなった「マンガン染め」。貴重な布になりました。変わりゆく時代の中で、変わらずにつくりつづけていくことは容易ではありません。だからこそ、いまこの日本に残る、さまざまな布ぬののことを伝えていきたいなと思います。

「星紋」のテキスタイルシリーズ

今回「遊 中川」がつくった、「星紋」のテキスタイルシリーズをご紹介します。新潟の美しい星空やものづくりの背景を思い浮かべて、身にまとってみてください。

バッグ 星紋
バッグ 星紋

巾着 星紋
巾着 星紋

プルオーバー 星紋、ワンピース 星紋
プルオーバー 星紋、ワンピース 星紋

ストール 星紋
ストール 星紋

梅のコサージュ
梅のコサージュ

<掲載商品>
「星紋」シリーズ(遊 中川)
遊 中川の各店舗でもご購入いただけます
(在庫状況はお問い合わせください)

<取材協力>
株式会社 クロスリード

文・写真:杉浦葉子