無限の色を持つ、墨

こんにちは、さんち編集部の井上麻那巳です。
前回の記事で日本の伝統画材のいろはを教えてもらった伝統画材ラボ「PIGMENT」の岩泉さん。今回から3回にわたり、岩泉さんのご案内で伝統画材の製造現場にお邪魔します。第1回目は前回の記事で「無限の色を持つ」と教えてもらった墨。それでは早速行ってみましょう。

奈良で200年余りの歴史を持つ墨運堂へ

向かったのは、奈良市で生まれ200年余りの歴史を持つ墨・書画用品のメーカー、墨運堂。墨運堂は、はじめて墨がつくられてから1300年以上経つという奈良の地で生まれ、現在では液体墨から建築用品や園芸用品まで、幅広く製品開発を行なっています。今回は固形墨の製造を中心に見学させてもらいました。

dsc02277

墨の原料、スス

「前回のおさらいですが、墨には、大きく分けると2つの種類があります。ひとつは油煙墨(ゆえんぼく)。もうひとつが松煙墨(しょうえんぼく)です。墨のもととなるススの採取方法が違い、油を不完全燃焼させてできたススからは油煙墨、松のチップを燃やしてできたススからつくるのが松煙墨です」。

「こちらが松煙墨をつくるときの原料である松のチップです。3つの種類があり、生木より採取した生松(いきまつ)、伐採後放置された切り株である落松(おちまつ)、伐採後10年から15年経過した松の根を根松(ねまつ)と呼びます」。

落松と根松
落松と根松
生松
生松

「ここではつくられていないのですが、こちらに油煙のデモンストレーションがあります。菜種油などの植物性の油を灯油皿に入れて灯芯(とうしん)に点火し、覆った皿に付着したススを採取します。芯はイ草を用い、芯の太さによっても違った仕上がりのススができます」。

dsc02366
dsc02370

「余談ですが、みなさんの化粧品に使われるカーボンブラックはこういった油煙や松煙から生まれた植物由来のものです。最近では墨のようななめらかさや濃密な発色をイメージした化粧品も開発されているなんてお話もありますし、そう考えると身近な感じがしてくるでしょう」。

職人による練りは力仕事

練る前のスス
練る前のスス
dsc02400

「こうして出来上がったススは、膠(にかわ)と練り合わせ、実際の製品の木型に入れていきます。型に入れるのは、大きさにもよりますがおおよそ10分間ぐらい。見ているとわかりますが、墨を練る作業は力仕事。大きな機械を使って練った後で、こうして職人による手や足を使っての仕上げの練りの作業に入ります」。

足も使うんですか!

「そうです。うどんの生地を練るような感じで、棒につかまりながら踏んで練っていきます。それに、墨は冷えると硬くなってしまいますから、型入れの作業中はああやってお尻の下に置いておくんですよ」。

dsc02312
dsc02313
dsc02379

足を真っ黒にして、一心不乱に作業をしていた職人さんはこの道15年だそう。15年のキャリアがあっても「まだ15年です」と控えめに答えてくれたのが印象的でした。

dsc02318

実際の練られたてホヤホヤの墨を触らせてもらうと、やわらかくてあったかい。粘土のようなやさしい触り心地でした。

野生の梨の木からつくられる木型

dsc02432

「木型は主に野生の梨の木でつくられています。梨の木は、木が固くて油が少なくて、木目がきれい。そういったことから梨の木を採用しているのですが、梨の木は植林されていないので、製材屋さんが山に入った時に、見つかったら送ってもらうという契約をしているそうです」。

木型の材料である梨の木
木型の材料である梨の木

「墨運堂さんでは木型も社内でつくられています。細かい図案もひとりの職人さんの手によってひとつひとつ彫られています。そのとき、木目の悪いところは取らず、良いところだけを使う。よく身が詰まった墨ほど、よく見ると木型の木目が移っています。墨の表面は、良い墨を見極めるときのひとつの目安にもなりますね」。

dsc02497
こんなに細かいものも
こんなに細かいものも

手しごとによる仕上げと乾燥

「一部の墨には釉薬(うわぐすり)を塗って、磨きをかけていきます。ひとつひとつ丁寧に手しごとで仕上げています」。

このブルーの液体が釉薬です
このブルーの液体が釉薬です
dsc02427
dsc02421

「出来上がった墨の表面の文字や図案に顔料を入れていきます。このように、文字だけのものもあれば細かい絵柄が多く入っているものも多く、その分職人さんの高い技術が求められます」。

dsc02438
dsc02440
dsc02435

「出来上がった墨はこうして自然乾燥していきます。墨運堂さんには180あまりの種類がありますから、ひとつひとつ棚ごとにラベルをつけて管理されています」。

dsc02460
dsc02465

1日1組限定、貸し切りの試墨庵

「先ほど180種類と言いましたが、墨はたくさんの種類がありながら、一見しただけでは違いがわかりにくい。そういった使い手のために、墨運堂さんでは試墨(しぼく)するための場所を用意しています。それがこちらの永楽庵です。僕も学生時代は入り浸っていました (笑) 」。

dsc02528

「この棚の中にひとつひとつ墨が収められ、実際に試してみることができます。紙や硯(すずり)も備えつけていますが、実際には自身の使い慣れた道具を持ち込む人が圧倒的に多い。1日1組限定で貸し切りのため、予約必須ですが、その分ゆっくりじっくりと試墨することができます」。

dsc02507

ちなみに岩泉さんは墨は何種類ぐらいお持ちなんですか?

「うーん‥‥そうだな、すべてが絵を描くためのものではないけれど、100本くらいかな。やはり、それぞれで色味やにじみ、深みが違うので使い分けています」。

墨だけで100本とはすごいですね。さすがです。やはり墨の世界は奥深いですね。

「墨だけでなく、どの画材も驚くほどの種類があり、手間がかけられています。僕らのお店を通して使い手にしっかり伝えていきたいと思っています」。


次回は三重県にある刷毛の工房へお邪魔します。お楽しみに。

株式会社 墨運堂
奈良市六条 1-5-35
0742-43-0600
boku-undo.co.jp

画材ラボ PIGMENT
東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F
03-5781-9550
pigment.tokyo

文・写真:井上麻那巳

【燕のお土産】板前さん御用達、ツボエの「銅製おろし金」

こんにちは、さんち編集部の井上麻那巳です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんにご紹介する “さんちのお土産”。第9回目は新潟県は燕から「ツボエの銅製おろし金」をお届けします。

さんちでも何度かご紹介している新潟県燕市。新幹線燕三条駅の北側に位置する燕市は、ステンレスをはじめとした金属加工で知られ、特に金属製のカトラリーにおいては日本国内生産シェアの90%以上を占めています。

今回のお土産は、その燕市で明治40年にヤスリ専業メーカーとして創業したツボエの銅製おろし金です。ツボエは現在では金属おろし金の専門メーカーとして、業界一のアイテム数を誇っています。お手入れのかんたんなステンレス製や、軽くておろしやすいアルミ製、金属臭のしないチタン製など様々なおろし金がありますが、今回はその中でも本格派、銅製のものを選びました。銅の色も相まってかわいらしい姿をしていますが、実は板前さん御用達の働きものなのです。

dsc00684

この小さな刃は手しごとの目立て技術を再現した自社オリジナルのマシンで分厚い銅板から一目ずつ掘り起こしています。切れ味をよくするために刃の配列はあえて不均等に。この細かい刃が素材の繊維をきめ細かく切りおろし、素材の風味を際立たせてくれるそう。

「おろす」という調理法は日本料理独特のもの。フランス料理にも中国料理にもない日本独自の食文化を、日本のものづくりの技術と楽しんでみてはいかがでしょうか。

ここで買いました。

燕三条地場産業振興センター
新潟県三条市須頃1-17
0256-32-2311

株式会社ツボエ
www.tsuboe.co.jp

文・写真 : 井上麻那巳

ハレの日を祝うもの 香川のふわふわ嫁入り菓子「おいり」

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介します。

讃岐の国の嫁入り菓子

一生に一度の「ハレの日」といえば、やはり嫁ぐ日でしょうか。
瀬戸は 日暮れて 夕波小波~
小柳ルミ子さんの名曲「瀬戸の花嫁」の舞台としても知られる、香川県・西讃地方では、嫁入り道具と一緒にかならず「おいり」を持たせるという習わしがあります。「おいり」というのはこの地方のお菓子ですが、その由来は今から400年以上も前のこと、丸亀初代藩主である生駒親正公の姫君のお輿入れの際に、お百姓のひとりが5色の餅花を煎ってつくった「あられ」を献上したのが始まりといわれています。以来、婚儀の際にはおめでたいお菓子として広まり、この5色の「お煎りもの」は「おいり」と呼ばれるようになったのだそうです。

黄・緑・紫・桃・赤の淡い5色と、白が混ざった「おいり」。
黄・緑・紫・桃・赤の淡い5色と、白が混ざった「おいり」。

ふわふわ、カリカリ。則包商店の「おいり」

香川県丸亀市で長い間この「おいり」をつくり続けている「則包商店(のりかねしょうてん)」。大正時代の初期に創業して100年以上、今は3代目の則包裕司さんがおいりづくりを担っていますが、つくりかたは昔から変わっていないのだといいます。

ところで、「おいり」はどのようにつくられているのでしょう。「おいり」のもとになっているのは、お餅。小さくサイの目切りにしたお餅を、瀬戸内の風にさらしながら乾燥させます。十分に乾かしたお餅を煎ると、小さな角ばったお餅がぷっくりふくらんで、まん丸に!真っ白な「おいり」に5色の甘い蜜をかけて「おいり」を色づけます。これに白を混ぜることで、色が引き立ち優しい色合いになるのだといいます。

「おいり」の上にのっている「小判菓子」も、お餅からつくられています。
「おいり」の上にのっている「小判菓子」も、お餅からつくられています。

「おいり」を持って他家にお嫁入りするときには、「その家の家族の一員として入り、こころを丸くしてまめまめしく働きます」という意味が込められているのだそう。お餅を煎って、角が丸くなるというつくりかたにも通じていますね。

お配り用の小袋「おいり」。
お配り用の小袋「おいり」。

嫁入り先で、ご近所へのごあいさつとして配ることもある「おいり」は、新しい地に嫁ぐお嫁さんにとって強い味方。県内で「おいり」をつくっているところは数えるほどしかないそうで、今や貴重な存在になっていますが、西讃地方のお嫁入りには「おいり」は欠かせない存在です。これからもこの淡く優しいお菓子「おいり」は、寿ぎのときに彩りと優しさをそえ、瀬戸の花嫁をお祝いしてくれるのだと思います。

<関連商品>
桐箱入りおいり(中川政七商店)

<取材協力>
則包商店
香川県丸亀市中府町5丁目9番14号
0877-22-5356
http://www.marugame.or.jp/shoukai/norikane

文・写真:杉浦葉子

バラ農園がつくる、赤いいちごと、いろどりの花束

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
あたたかな陽気で、ずいぶん春めいてきました。春においしい果物といえば、やっぱりいちご。冬のあいだは少し高価であまり手が出ませんが、この季節になるとスーパーにずらりと並ぶ真っ赤ないちごを思わず手にとってしまいます。

わたしの住む奈良で有名なのは「あすかルビー」というブランドいちご。地元のスーパーでは「あすかルビー」の歌が流れているほど、奈良県民にはお馴染みのいちごですが、最近「あすかルビー」に続く奈良のブランドいちご「古都華(ことか)」も、よく目にするようになりました。「古都華」は2011年に品種登録され、生産者さんもそんなに多くはない貴重ないちご。知名度はまだあまり高くありませんが、糖度と酸度がうんと高く、大ぶりでジューシーないちごは、一度口にしたとたんファンになる方が多いそうで、県外からも注目を浴びている存在です。
「古都華」は奈良県の西北部に位置する平群町(へぐりちょう)で多く作られているとのこと。美味しいいちごを探しに、平群町のいちご農家を訪ねました。

いちごを求めて「バラ園」へ?

伺ったのは「東バラ園」。ん?バラ?ひとまず、代表の東伸幸(ひがし・のぶゆき)さんにお話を伺いました。「いちごなのに、バラ園?と、よく聞かれます。うちは元々、バラ園からスタートしたいちご農家なんです。いや、いちごもつくっているバラ農家でしょうか。ややこしいですが、どちらもやっています(笑)」と東さん。

平群町はちょうど大阪府との境目にあり、なだらかな丘陵性の生駒山地に隣接しています。東からのぼる朝日がよくそそぎ、西日があまり当たらない地形。内陸盆地ゆえに昼と夜の寒暖差も大きく、それがバラやいちごにとって良い環境をうみだしているのだそうです。

「東バラ園」までは車でぐんぐんと坂道を登ってやってきました。上の方にずらりと並ぶいくつものビニールハウスで、バラやいちごを育てています。
「東バラ園」までは車でぐんぐんと坂道を登ってやってきました。上の方にずらりと並ぶいくつものビニールハウスで、バラやいちごを育てています。

「元々は、しいたけなどをつくる農家だったんですが、僕が大学生の頃に父がバラをはじめたんです。僕が2代目。バラ以外の作物をつくった時期もありましたが、ビニールハウスもあるし他にできることはないかなと考えていたとき、奈良県の試験場が「古都華」を開発して。ハウスを1棟だけいちごに変えてみたらうまくいったんです」。まずは、バラのハウスを見せていただきました。

バラのハウス内。取材に伺ったのは3月でまだ株は小さめ。5月の最盛期に向けてしっかり葉っぱを育てている最中だそう。
バラのハウス内。取材に伺ったのは3月でまだ株は小さめ。5月の最盛期に向けてしっかり葉っぱを育てている最中だそう。
昔は真紅のバラも流行ったものですが、最近はナチュラルな薄緑色のバラも人気。
昔は真紅のバラも流行ったものですが、最近はナチュラルな薄緑色のバラも人気。
小ぶりなものから大ぶりなものまで少量多品種。さまざまな品種を扱っています。
小ぶりなものから大ぶりなものまで少量多品種。さまざまな品種を扱っています。
「悪くなった部分をカットしたらまた芽が出てきますよ」と東さん。思ったよりバラは背が高く、見上げるほどでした。
「悪くなった部分をカットしたらまた芽が出てきますよ」と東さん。思ったよりバラは背が高く、見上げるほどでした。

かつてバブルの時代には高級花としてのイメージが強かったバラも、最近ではカジュアルに楽しめる花として楽しまれています。それにしても、バラといちごって、全く違うもののように思うのですが・・・?

「実は、バラもいちごも同じ『バラ科』の植物なので、育て方はそんなに大きく変わらないんですよ。ハウスはありましたし、品種を変えるにしてもそんなに設備投資も必要なかったのでスムーズでした」と東さん。思わぬところに、バラといちごのつながりがありました。

のびのび育つ、いちごのハウスへ

つづいては、いちごのハウスへ。栽培技術が発達して地面でつくる土耕栽培でなく、少し高い位置にプランターを設置するという高設栽培でつくっています。土耕栽培では日当たりがよくなかったり、地面に接地してしまっていちごが色あせてしまうこともあるそうですが、高設栽培ではいちごが上からぷらんとぶら下がる感じ。いちごものびのびとしていて、なんだかストレスがなさそうです。

高設栽培は、少し高い位置に土を設置。この方法があるからこそ「古都華」が生まれたのだそう。
高設栽培は、少し高い位置に土を設置。この方法があるからこそ「古都華」が生まれたのだそう。
白くて可愛らしい、いちごの花。
白くて可愛らしい、いちごの花。

花が咲くころには、たくさんのミツバチを放って、受粉をうながすのだそうです。いちごには蜜がないので残念ながらはちみつは採れないそうですが、虫に受粉をお願いするという昔からの自然な方法にはなんだか嬉しくなります。

いちごの白い花が咲ききったあと、花芯がふくらんでいちごになります。
いちごの白い花が咲ききったあと、花芯がふくらんでいちごになります。
真っ赤に輝く「古都華」。
真っ赤に輝く「古都華」。
「バラもいちごも似てるんですよ」と、東さん。
「バラもいちごも似てるんですよ」と、東さん。
あれ、ハウスなのに葉っぱにしずくが?
あれ、ハウスなのに葉っぱにしずくが?

よく見ると、屋根のあるビニールハウスの中なのに、葉っぱの先にしずくがついています。「それは、葉水(はみず)といって、元気な証拠ですよ」と、東さん。根からきちんと水を吸って、葉っぱから水を蒸発させる。朝いちばんは、朝日に照らされキラキラと綺麗なんだそうです。

「いちご15ヶ月」といって、いちごは3月から苗を育てはじめ、9月に植え付けると11月から翌年5月頃まで実をつけます。翌年の3月には前年の実をとりながら次の苗を育て始めるので、15ヶ月サイクルの終わりと始めを少し重ねながら繰り返しているということですね。

春は毎朝7時ごろからいちごを収穫、お昼前から夕方まではひたすらパック詰め作業をするのだそう。東さんのお母さん、奥さん、そして子どもさん達も手伝える日は参加してくれるのだとか。いちごの季節は家族総出での作業です!

箱にぎっしり収穫したいちご。これからパック詰めです。
箱にぎっしり収穫したいちご。これからパック詰めです。
サイズを分けながら、一つひとつトレイに詰めていきます。
サイズを分けながら、一つひとつトレイに詰めていきます。
長男の翔太郎くん。この春から農業を学ぶ学校に通うのだそう。
長男の翔太郎さん。この春から農業を学ぶ学校に通うのだそう。
次女の優莉ちゃん。部活動から帰ってから、しっかりお手伝いです。
次女の優莉ちゃん。部活動から帰ってから、しっかりお手伝いです。
ちょっとシャイなおばあちゃん。朝の収穫からパック詰めまで大活躍です。
ちょっとシャイなおばあちゃん。朝の収穫からパック詰めまで大活躍です。
ピンク色の品種「淡雪」と、真っ赤な「古都華」の詰め合わせ。交互に並べて詰めます。
ピンク色の品種「淡雪」と、真っ赤な「古都華」の詰め合わせ。交互に並べて詰めます。

現在ではいちごのハウスが5棟、バラのハウスは1棟にのみに。東さんの奥さま、貴子さんにお話を聞いてみると、バラに対しては強い想いがあるそう。「いちごも良いですが、バラは絶対にやめたくないんです。このバラ園は、お世話になったお義父さんが遺してくれたものだから」。

実は、東さんが家業を手伝いだしてすぐに、お父さまがご病気で倒れられ、急に代替わりをすることになったのだそうです。お父さんはきっと、東さんと一緒にバラをつくることを楽しみにしていたはず。だから、いちごも作るけれど、バラもちゃんと残していきたいのだと奥さまはおっしゃいます。長男の翔太郎くんは「東バラ園」の3代目になるという意志があるそう。お父さまの想いは世代を超えて、東さんと翔太郎くんがこれから一緒に継いでいかれるのですね。

【はたらくをはなそう】中川政七商店デザイナー 榎本雄

榎本雄
(中川政七商店BUデザイナー)

2014年入社
商品企画課にてオリジナル商品のデザイン業務を担当
2015年「走る日本市プロジェクト」商品コンサルティング担当
2016年中川政七商店BUデザイナー
「オチビサンプロジェクト」商品コンサルティング担当

子供の頃から絵を描いて、ものを作ることを
仕事にしたいと思っていました。
浅からぬ縁を感じて中途採用に応募したところ
これまでの経験を生かせる仕事を、
さらには新しい仕事にも挑戦させていただいている幸せものです。

入社して間もない頃、ポンと肩をたたいてもらい
47枚のかるたを描くお仕事をいただきました。
本当に47枚も描けるのか非常に心配でしたが
ままよ!迷っていても始まらない!与えられた時間の中で
どれだけ楽しんで描けるか。そう信じて打ち込みました。
今では、周りをはじめ沢山の方々に
そのかるたを楽しんでいただいているようで
子供の頃の夢が一つ叶ったと嬉しい気持ちです。
責任は伴いますが、望めばちゃんと舞台が用意される。
そんな会社です。

こんな毎日の中で思うことがひとつ。

若い頃は格好良いものや目立つものに意識が向いていました。
齢を重ね、ものを作る仕事をする中で
自然に愛着が湧いて長く使いたくなるものとは
ただ機能的やおしゃれなだけではそうはなり難いと
感じるようになりました。

私の場合は
そのものがどんなふうに作られているのか
どんな人によって、どんな思いで作られているのか
それを知ると愛着が湧き、使ったり眺めたりするたびに
気持ちがほぐれるような大切なものになります。
ものを作る喜びは子供の時から誰もが持って生まれた
本能的な喜びで、そこに共感しているのかもしれません。
そんな素朴な思いを大切にしたいと思っています。

はたらく上ではそうした個人的な思いや情熱が
とても大切だと思います。
でも、それを注ぐことのできる器はもっと大切かもしれません。

全国の作り手さんや、お店でその情熱を伝えるスタッフ、
さらには倉庫から商品を発送してくれる方々。
もの作りに関わる皆と一緒になって
考える喜び、作る喜び、そして使う喜びを
分かち合える器を作れるのがこの会社の一番好きなところです。
皆、真剣に楽しんでいる感じです。

こうした皆の創意工夫や思いが商品にこもっていき、
伝わることで愛着の持てる「誰かの大切なもの」になっていく。
そう信じてこれからも、日々是精進也。
いまこうしていられることの感謝を心に刻み、
斜め上向きに前進していこうと思います!

3月14日に贈る 奈良を描くハンカチ

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。

たとえば1月の成人の日、5月の母の日、9月の敬老の日‥‥日本には誰かが主役になれるお祝いの日が毎月のようにあります。せっかくのお祝いに手渡すなら、きちんと気持ちの伝わるものを贈りたい。この連載では毎月ひとつの贈りものを選んで、紹介していきます。

連載第3回目のテーマは「ホワイトデーに贈るもの」。2月14日のバレンタインデーにチョコレートをもらった男性は、そろそろお返しの準備ができたころでしょうか。ホワイトデーの起源が、実は日本のお菓子屋さんが考案した文化だったという説は、先日3月6日の記事でお話しましたが、定番の贈りもの「マシュマロ」だけでなく、今年はちょっと特別なハンカチを贈ってみるのはいかがでしょうか。

パリ万博から、88年の時を経て生まれたハンカチ

1925年、奈良で麻を扱ってきた中川政七商店の10代中川政七が、フランス・パリで開催された万国博覧会に「鳥草木紋」の手刺繍をほどこした手織り麻のハンカチーフを出展しました。それから88年の時を経て、2013 年にデビューしたハンカチブランド「motta(モッタ)」 は、幼いころ玄関先で耳にしていた「ハンカチ、持った?」という決まり文句からスタート。「肩ひじはらないハンカチ」をコンセプトに、素材の持つ自然なシワ感を大切にしたハンカチ「motta」は、手を拭き、汗を拭き、ときには涙をぬぐってくれる頼りがいのある布。誰もが親しみやすく使いやすい、日常使いのハンカチです。

1925年のパリ万博に出展した、手織り麻に「鳥草木紋」の手刺繍を施したハンカチーフ。
1925年のパリ万博に出展した、手織り麻に「鳥草木紋」の手刺繍を施したハンカチーフ。

2013年にデビューしたハンカチブランド「motta」のハンカチ。素材の持つ自然なシワ感を生かした商品を展開しています。
2013年にデビューしたハンカチブランド「motta」のハンカチ。素材の持つ自然なシワ感を生かした商品を展開しています。

フィリップ・ワイズベッカーが描いた奈良を贈る

「motta」の起源、1925年の万博開催地であるパリを中心に活躍するアーティスト、フィリップ・ワイズベッカー氏と、「motta」がコラボレーションしたハンカチがこの3月に発売されました。日本でも人気の高いワイズベッカー氏が、「motta」のために描いたのは奈良の風景です。

奈良と言えば、の「鹿」。奈良の伝統工芸である一刀彫の鹿をモチーフにしています。
奈良と言えば、の「鹿」。奈良の伝統工芸である一刀彫の鹿をモチーフにしています。

歴史ある建築物「五重塔」も、ワイズベッカー氏の手にかかればこのとおり。
歴史ある建築物「五重塔」も、ワイズベッカー氏の手にかかればこのとおり。

ちょうど3月のこの時期、東大寺二月堂で行われるお水取りに使われる椿の造花「のりこぼし」をモチーフに。
ちょうど3月のこの時期、東大寺二月堂で行われるお水取りに使われる椿の造花「のりこぼし」をモチーフに。

ワイズベッカー氏が描いた奈良の風景は、直線的で繊細な雰囲気をまといつつも、あたたかく懐かしさを感じるタッチ。四角いハンカチながら、素材の持つシワ感を大切にしている「motta」のハンカチとも、どこか繋がるところがあるように感じます。

この企画が始まった、ちょうど1年ほど前のこと。
ワイズベッカー氏と「motta」の担当者のはじめての顔合わせ。彼は自身の名前を記したあとポケットから金定規を取り出して、その定規で名前の下にていねいに1本の直線を引いたのだそう。定規は彼が絵を描くときに使う道具。彼が1本の線に何か大切なものを込める自然な所作こそ、彼の描く絵が人々を魅了する所以かもしれません。

その後、日本に到着した原画は、風合いのある古い紙にやわらかな芯の鉛筆で描かれたであろう奈良のモチーフがそっと佇んでいました。その雰囲気を壊さないように、その魅力が伝わるように。微妙な力を調整しながら、シワ感のある「motta」の生地の上に、1枚1枚「捺染(なっせん)」という方法で染められた絵は、あたたかみのある仕上がりになっています。

ハンカチというアイテムは、いつも持ち主のすぐそばに寄り添うもの。遠くパリの地から奈良に思いを馳せて描かれたワイズベッカー氏の絵は「motta」のハンカチにのって、贈りものとしてたくさんの人の元へ届くのではないでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカー ×motta 」コラボレーションハンカチは、3柄6種の展開。
「フィリップ・ワイズベッカー × motta 」コラボレーションハンカチは、3柄6種の展開。

また、この発売を記念して期間限定で原画3点が展示されます。
3月は「中川政七商店 表参道店(東京)」にて。
4月は「遊 中川 本店(奈良)」にて。
※営業時間は店舗に準じます

大切な人と一緒にワイズベッカー氏の原画を楽しんだあと、このハンカチを贈る。そんなホワイトデーも素敵だな、と思うのでした。

<掲載商品>
「フィリップ・ワイズベッカー ×motta」コラボレーションハンカチ
motta011motta012

syasin_resize

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。1968 年から 90 年代まで N.Y.に在住。フランス政府によるアーティスト・イン・レジデンスの招聘作家となり、4ヶ月間の京都滞在経験も。展覧会は世界の各都市で50回以上、日本ではクリエイションギャラリー G8、クラスカなど各地で開催。2014 年秋には NY のギャラリーで大規模な個展を開催。現在日本で出版されている作品集は、『INTIMACY』『104Batiments』『POBLE NOU』『ACCESSOIRES』『MARC’S CAMERAS』『HAND TOOLS』など。
http://bureaukida.com/philippe-weisbecker

文:杉浦葉子