重森三玲がつくった、枯山水とモダンな庭。ふたつの景色が楽しめる「ちそう菰野」

旅先で出会う、日本庭園。

美しく剪定された木や、手入れの行き届いた砂紋。

なんの前知識がなくても心が洗われるような風景に目を奪われますが、見方を知ると、さらに魅力が一段と深まります。庭には、持ち主の想いや、その土地の文化が詰まっているものです。

今回は、三重県内に唯一存在する、世界的に有名な作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が手がけた庭を訪ねます。

三重にあるちそう菰野
庭は、ギャラリー&レストラン「ちそう菰野」から望めます。門を入り、建物までのエントランスも風情たっぷり

菰野町を訪れた重森三玲氏

重森氏が手がける庭があるのは、三重県菰野町。

なぜこの場所に庭をつくることになったのか? 重森氏に作庭を依頼した横山秀吉(よこやま ひできち)さんの孫にあたる、横山陽二さんに話を伺いました。

「祖父はこの家を後世に残したいという想いから、庭をつくりたいと思ったそうです。書物で重森さんのことを知り、“一見さん”でお願いに参りました。

当時すでに著名だった重森さんは最初驚いたそうですが、菰野町に足を運んでくさだり、電車の車窓から眺めた田園風景や、この場所から近い廣幡神社が借景にできるロケーションを気に入り、庭づくりを承諾してくださいました」

慌ただしい日常から、舟石で「心の旅」に

重森氏がつくった庭は、建物を挟むように「表庭」と「裏庭」とがあります。

表庭は、重森氏が得意とする、見事な枯山水。ちなみに枯山水とは、水を使うことなく、石や砂で水のある風景を表現する日本庭園の形式です。

三重にあるちそう菰野の重森三玲が作った庭
作庭当時は私邸でしたが、2017年にギャラリー・レストラン「ちそう菰野」として開かれることとなり、レストランスペースから表庭・裏庭ともに一般に開かれた場所となりました

庭には、舟のような形の「舟石」があり、そのまわりは海に見立てた幾重にも広がる砂紋を見ることができます。これは、舟石で「心の旅」にでることをイメージしたもの。

医師をしていた秀吉さんは、庭を眺めて心整える場所になるように‥‥と、重森氏に依頼。上空からこの庭を見ると、苔山で「心」という文字が描かれているそうです。

奥には、仏に見立てた立派な緑石も目を引きます。雨が降ると艶やかに輝き、また苔もひらいて、しっとりと風情ある趣に。

吉田宗匠が手がけた茶室

隣には、陽二さんの母の実家から移築したという、吉田宗匠が手がけた茶室「尽日庵(じんじつあん)」も。

この「尽日庵」という名前、『終日、春を探しに出かけたが春は見つからない。家に帰ると庭先に祠んだ梅のつぼみがあり、春の訪れを告げる花はこんな身近にあったのか』という漢詩から命名されたとか。

茶室へと導く前庭には、尽日庵になくてはならない梅畑もつくられています。

三重にあるちそう菰野 重森三玲が作った庭

表庭とは異なる趣の裏庭

「ちそう菰野」を挟んで反対側にあるのが裏庭。こちらは伝統的な格式の表庭とはうって変わり、モダンな色彩とデザインです。

白い白川砂と赤い天狗砂、青小判石敷。これは、重森氏が菰野町を訪れた際に電車の車窓から見た日差しを受けてキラキラと光る田園風景が描かれています。

三重にあるちそう菰野の重森三玲が作った裏庭

こちらの庭は、1968年6月にできあがって以来、家主やその知人以外は目にすることのできないものでしたが、2017年にレストラン・ギャラリー・庭からなる空間「ちそう菰野」として一般開放。

重森氏が手がけた、古典的な庭とモダンな庭に囲まれて食事ができるとは、なんて贅沢なひとときなのでしょう。

素敵な空間の「ちそう菰野」とともに、その空気感を存分に味わいに出かけてみてください。

<取材協力>
横山陽二さん(名古屋外国語大学准教授)

ちそう菰野
三重県三重郡菰野町大字菰野2657
059-390-1951
http://chisoukomono.com

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三重にあるちそう菰野のレストラン。田代夫妻
「ちそう菰野」をつくった現代アーティストのご夫妻にお話を伺いました。田代裕基さんは彫刻家、理恵さんは料理家です


こもガク×大日本市菰野博覧会

工芸、温泉、こもの旅。

こもガク×大日本市菰野博覧会

10月12日 (金) ~14日 (日) の3日間、「萬古焼」「湯の山温泉」「御在所岳」「里山」など豊かな魅力を持つ町三重県菰野町で「こもガク×大日本市菰野博覧会」が開催されます。

期間中「さんち〜工芸と探訪〜」のスマートフォンアプリ「さんちの手帖」は、 「こもガク×大日本市菰野博覧会」の公式アプリとして見どころや近くのイベント情報を配信します。また、各見どころで「旅印」を集めるとプレゼントがもらえる企画も実施。多彩なコンテンツで“工芸と遊び、体感できる”イベントです。ぜひお越しください!

【開催概要】
開催名:「こもガク×大日本市菰野博覧会」
開催期間:2018年10月12日 (金) ~14日 (日)
開場:三重県三重郡菰野町
主催:こもガク×大日本市菰野博覧会実行委員会

公式サイト
公式Facebookページ
公式ガイドアプリ(さんちの手帖)


文:広瀬良子
写真:西澤智子

庭を知ると旅の景色が変わる。世界の庭師とめぐる、山と庭園

300年以上の伝統を誇る焼き物の町、長崎県波佐見町に世界的な庭師がいる。

世界三大ガーデンフェスティバルのひとつ「シンガポール・ガーデン・フェスティバル」の10回目となる2016年、最高賞の金賞を受賞した庭師、山口陽介さんだ。

庭師山口陽介

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の二代目である山口さんは、京都で5年間修業を積んだ後、ガーデニングを学ぶため、23歳で発祥の地イギリスへ。

現地では王立植物園「キューガーデン」で1年間勤務し、2006年に波佐見町に戻ってからは、国内外で数々の受賞歴を誇る。

最近では、シンガポールの資産家から依頼を受けて現地に日本庭園を造園。南半球最大の規模を誇る「メルボルン国際フラワー&ガーデンショー」(2018年3月21日~25日開催)からも、日本人として初めて招待を受けた。

今回は、山口さんの案内で長崎と佐賀にある3つの庭を巡った。日本屈指の庭師から庭の見方、楽しみ方を教わると、そこには新しい世界が広がっていた。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが所有する山の頂上からの風景
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが所有する山からの風景

「愛される庭」とは?

山口さんにとって「良い庭」とは、「愛される庭」。

庭の手入れには、お金も手間もかかる。業者が整備をしても、日々のケアは家主の仕事だ。庭の存在を面倒に感じるようになれば、放置されて荒れてしまったり、最悪の場合、代替わりの時に一掃されてしまう可能性もある。

だからこそ、「後々まで残していきたい」と思われることが必要なのだ。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さん

「愛される庭」とはどういうものなのか。2月某日、山口さんが連れて行ってくれたのは、波佐見町の隣町、川棚町の私邸。

外見からもその大きさと品の良さが伝わってくる、築150年のお屋敷だった。ここ数年、山口さんが勤める「西海園芸」が庭の手入れを請け負っているという。山口さんいわく「このあたりでは、間違いなく一番良い庭」。

家主に挨拶し、玄関の脇から庭に向かう細いアプローチから山口さんの解説が始まった。

「まず、この細いアプローチに置かれた敷石のラインを見てください。なにげなく置かれているようで、計算された配置です。大きさも、並びも野暮ったさがないでしょ。150年前の職人のセンスを感じますよね」

長崎県川棚町の私邸にある庭の敷石

庭の素人である僕には比較対象がないのが残念だけど、確かに苔むした敷石が並ぶこのアプローチには静けさが漂っている。

アプローチを抜けると、しっかりと手入れが行き届いた日本庭園が現れた。足を踏み入れた瞬間、思わず、わあ!と声を上げてしまった。

長崎県川棚町の私邸にある日本庭園
長崎県川棚町の私邸にある庭の敷石

「京都の庭にもありそうな景色だよね。スッと抜けているでしょ。サラッとしているけど、間の取り方がすごくいいから、心が鎮まる。

変に豪華なものを使っていなくて、敷石もこのあたりの地の石だと思うんだけど、使う人が使えばこんなに品が良くなる。もちろん、苔の生え方も計算していたでしょう。入場料を取ってもいいぐらいの庭ですよ」

150年前の職人との対話

山口さんによると、石を置く位置、置き方、樹木や草花の選び方、植栽の位置取り、すべてが繊細に計算されているそうだ。「これを見てください」と山口さん。ランダムな形をした敷石のなかで、ひとつだけ四角のものがある。

長崎県川棚町の私邸にある日本庭園の石
ひときわ目立つ色と形が違う石

「一枚の人工的な切り石で、この先はプライベートのエリアですよ、お客さんは手前で楽しんで、ということを暗に示しているんだと思います。プライベートのエリアには社(やしろ)があるでしょう。昔はなにかしらの垣根、仕切りがここにあったんじゃないかな。すごくセンスを感じるよね」

一枚だけある切り石の意味を読み解く。これが、山口さんの仕事でもある。

「150年前の腕の良い職人が丁寧に、センス良く作ってきた庭を手入れするのは、すごく気を遣いますよ。どこを目指していたのか、過去と対話しながら仕事をしています」。

庭園長崎県川棚町の私邸にある日本に咲く桜の花

しかし、昔ながらの庭をただ守るだけではない。「京都は、庭を昔の形のまま維持しようとします。その文化はすごいと思うけど、アップデートは少ない。僕は守るべきものは守りながら、新しいものを作りたい」と語る山口さん。成長する植栽に合わせて、自分ならではのアイデアを加えていく。

長崎県川棚町の私邸にある日本庭園
山口さんが家屋のほうに伸びるように枝をコントロールしている百日紅

「例えば、150年前からある百日紅(さるすべり)は、僕が枝を伸ばす方向をコントロールしています。夏場、下に生えている苔を枯らさないために影が欲しいし、家に強い陽ざしが入るのを避けるためにも、枝を横に伸ばしています。

百日紅は夏に真赤な花を咲かせるから、庭に散る真赤な花びらを縁側から見て楽しむこともできる。秋には落葉するから、冬場は陽ざしを遮りません」

先人の仕事に敬意を払いつつ、庭をアップデートする。現在の家主からこの庭のすべてを任されているというのは、山口さんの仕事のスタイルが評価されているからだろう。

古文書を読み解くことから始まった庭

翌日は早朝に待ち合わせて、佐賀の武雄にある「高野寺」に向かった。

1200年以上前に弘法大師が立ち寄り、草庵を建てたという歴史を持つこの寺には、今年38歳の山口さんが自ら「三十代の代表作」と表現する日本庭園がある。寺の門をくぐると、そこには色味に乏しい冬でありながらも木々、植物の彩を感じさせる艶やかな庭があった。

高野寺
数年前に完成したとは思え
ない趣のある雰囲気
武雄 高野寺の庭
高野寺

「いま、庭園があるエリアはもともと何もない平地だったんです。住職からの依頼は、そこに日本庭園を造ってほしいというものでした。でも、意味のないものは作りたくない。

それで、歴史あるお寺だから古文書はないんですかと聞いたら、出てきてね。境内には石楠花(しゃくなげ)が多くあり、ほかに小滝や止観石(瞑想する場所)などもあると書かれていました。それを自分なりにくみ取って、弘法大師がここで最初に見た景色を見せたいという想いでこの庭を作りました」

高野寺のシャクナゲ

依頼があってから構想2年。「すべての植栽には意味があって、ひとつひとつの配置の理由を説明できます。最低でも350年は残る技術を使った庭」が2014年の春に完成した。

「山寺だから、山の景色を作りたかった。ところで山ってなんだろうと疑問がわいて、ひとりで山にこもりました。そこで見た自然の草木、そこで聞いた川の音などを模写して、庭というフィルターに通しました」

音にも、人の心にも気を配る

まず、平らな土地に莫大な量の土を加えて、実際の山にあるような起伏を作った。庭を流れる小川の水はパイプで循環させているが、まるで庭の背後にそびえる山から流れ出てきているように見せた。

古文書にあったように小さな滝をいくつか作り、流れ落ちる高さを工夫することで水の音もコントロール。立つ場所によって違う水の音が聞こえてくる。

高野寺
高野寺の庭園
武雄の高野寺
古文書に書かれていた「小滝」を現代風に表現

例えば、庭の右手に位置する茶室は、小さなせせらぎの音しかしない。それは、茶道の所作の音を邪魔しないためだ。

「音は振動でしょ。それをどう当てて逃がすか。だから、入り口に高低差をつけて、葉がついている木を多くしたり、壁で包み込むことで音が来ないようにしてるんですよ」

高野寺の庭から茶室までの道
庭から茶室までの道

回廊から茶室に向かうアプローチも独特だ。

「これは亭主の気持ち、茶会に参加する人の気持ちを意識した道なんです。ラフな配置の敷石が途中から整い、土壁に挟まれた道がすーっと伸びて茶室に続く。そうすることで徐々に気持ちが落ち着いて、無意識のうちにお茶の世界に入っていけると考えました」

西海園芸 山口陽介が作る佐賀 武雄にある高野寺
日本庭園の回廊から茶室に向かうアプローチ

また、この庭園の敷石には、人の手で加工した四角の切り石が一枚だけ使われている。

「川棚の庭からヒントを得てね。ここからが山、ということを示すために人が手を入れている石を持ってきました。もちろん気づかない人が大半だけど、それは関係ない。誰かが気づいてくれたら、それが粋でしょう」

高野寺の切り石
中央の石が切り石

視覚的な美しさだけでなく、音や人の気持ちまで考え抜く。

そこまでしてはじめて「人に愛される庭」が作れるのだろう。花が上品に咲き誇る春も、緑が濃い夏も、紅葉が鮮やかな秋にも訪れたいと思う庭だった。

“究極”の庭

最後に向かったのは、山口さんが「究極の庭」と表現する山だった。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、加藤陽介さんが「究極の庭」と表現する山

山口さんはいま、波佐見町近郊にある山を買い集めている。そして、一昔前に植林され、いまや使い道がなくなって伸び放題の杉を切り倒し、桜とモミジに植え替えている。これまで植えた桜とモミジは2000本を超えるが、誰かに頼まれた仕事ではない。

「将来、波佐見が陶器だけじゃ食べられなくなった時に備えて、観光名所を作ろうと思ってね。春に桜、秋に紅葉を楽しめるようにと始めたんです。

そのうちツリーハウスも建てるし、最終的にはこの山に村を作りたい。それができたら、庭師の仕事として究極じゃないですか。

花の見ごろはあと100年後ぐらいだけど、町が苦しくなった時に、あの植木屋がやりおったと言われたい(笑)」

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さん

いま植林が行われている山の頂上に立つと、山間に波佐見の町が見えた。ということは、町からもこの山が見えていることになる。いずれ、観光客だけでなく町の人たちも春にはピンク、秋には朱色に染まった山を見て、心を和ませるのだろう。

長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の庭師、山口陽介さん

そうしてもうひとつ、「人に愛される庭」が増えてゆく。

庭師の解説を聞きながら庭に目を凝らすと、時代を超えた日本人ならではの気遣いや粋な計らいが浮かび上がってきた。

かつて栄えた工芸の町には、庭園も多く残されている。日本各地の庭園を歩いて共通点、あるいは異なる点を探してみるのもまた一興。

<取材協力>
高野寺

文:川内イオ
写真:mitsugu uehara

庭を知ると旅が10倍楽しくなる。「知覧武家屋敷庭園」の巡り方

日本各地にある庭園や名勝は、定番の観光スポット。でも、旅先で何となく訪ねて帰ってしまっていませんか?

一見すると見逃してしまいがちですが、実は庭にはその時代を生きた人々の足跡が残されています。当時の文化や歴史、人々の生活に思いを馳せることができる場所なんです。

知れば知るほどに面白い、産地の庭を訪ねる「さんちの庭」。

今回は、NHK大河ドラマ「西郷どん」でも注目が集まる鹿児島の庭園を紹介します。

江戸時代の武家屋敷にタイムスリップ

訪れたのは知覧武家屋敷庭園。7つの庭園からなる国指定の名勝です。

庭園がある南九州市知覧町は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、「薩摩の小京都」とも呼ばれている地域。そこには、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような景色が広がります。

知覧武家屋敷庭園
電柱が全くない、開けた町並み

今回、案内くださったのは、庭園を管理されている知覧武家屋敷庭園有限責任事業組合代表の森重忠 (もり しげただ) さん。

森さんに武家屋敷庭園ができた経緯についてたずねると、「江戸時代、薩摩藩は領地を113に区分けをして、102の城をつくる『外城 (とじょう) 制度』の下に統治されていたの。その城の麓に武家集落を作り、半農半士という形で武士を散らばせていた。知覧もその一つ。そうやって半官半民のようにしていたのは、一揆を起こしにくくするという理由もあったんじゃないかと思うよ」と教えてくれました。

一つの城に収まりきらないほど多くの武士たちが薩摩各地に散らばり、いざ戦というときに本城である鶴丸城に集結する。

森さんによれば、武士の数は薩摩が日本一だったんじゃないかとのこと。

一国一城が当たり前の時代に、こうした統治制度を活用していたとは、さすが武士の国、薩摩です。

武家屋敷ならではの見どころがいっぱい

最初に案内いただいたのは1741年に造られた森重堅庭園。他の6つの庭は枯山水なのに対し、こちらの庭園は水が引かれた池泉式の庭園になっています。この庭園が最も山に近く、水が引きやすかったためだそう。

奇岩や怪石でできた岩山は、近くの連山に見立てているのだとか。そうやって見ていると、そのスケールの大きさに驚かされます。

知覧武家屋敷庭園

これは、まだまだほんの序の口。知覧武家屋敷庭園ならではの見どころは、まだまだたくさんあります。

森さんと一緒に風情ある町並みを歩きながら、その見どころを巡っていきましょう。

体は位を表す!? 門と石垣が表すもの

さっそく「この門見てみて」と森さんが指さしたのが、こちら。

知覧武家屋敷庭園
ん?なんの変哲もない門のようですが‥。

「門に肩があるでしょ。肩があるのが本家門」と森さん。

知覧武家屋敷庭園
この部分が門の「肩」。左右にあります
知覧武家屋敷庭園
こちらは分家門。肩のない、シンプルなつくりです

「石垣でも位を分けている。丸い玉石と四角い石があるでしょ」

知覧武家屋敷庭園
知覧武家屋敷庭園

四角い切り石の方が丸石の石垣よりも格式が高い家なんだそう。門と石垣の組み合わせで位がわかったといいます。

道にも武家集落らしい工夫が

散策を続けていると、「この道を見てみて。掘ってあるんですよ。なぜ掘ってあると思う?」と森さん。

知覧武家屋敷庭園
たしかに、道の部分は屋敷よりも一段低くなっています

これは、排水のためだそう。道を低く掘ることで、屋敷に溜まった水が道に流れていくようになっています。何とも理にかなったつくりです。

三叉路に差し掛かると、石垣の合間に巨大な石を発見。「石敢当 (せっかんとう) 」というようですが、これはいったい‥?

知覧武家屋敷庭園

すると、森さんが答えを教えてくれました。「これは魔除け。悪魔や災いは来るなよって、三叉路の突き当りに置いてある。悪霊とかはまっすぐにしか行けなくて曲がれないものらしい」

石敢当は中国発祥の信仰で、江戸時代に琉球を経由して薩摩に伝わってきたものだそう。知覧にはこうした石敢当が十数個あります。

さらにてくてく歩いているうちに気がついたのが、まっすぐでない道が多いこと。

知覧武家屋敷庭園
知覧武家屋敷庭園

これは、万が一敵が攻め込んできた場合、敵の勢いを削ぐためなんだとか。まっすぐにしか飛ばない弓矢も角の向こうまでは届きません。武士ならではの発想です。

門をくぐった先にも垣間見える武士の魂

庭園の外から楽しめる見どころを巡ったら、いよいよ内側へ。

門をくぐったところに立ちはだかる石垣は、「屏風岩 (ひんぷん) 」と呼ばれる琉球由来のもの。

知覧武家屋敷庭園
入口から守りが堅いのは武家屋敷ならでは!?

「これは屋敷の中に弓矢を射ることができないようにするため。それと、敵が屋敷に一斉に押し寄せても分散されるでしょう」と森さん。

さらに、生垣にも武士の屋敷らしい痕跡がありました。イヌマキという針葉樹でできた生垣は、風通しがいいだけでなく、防御力もあるというのです。

知覧武家屋敷庭園
「外からは中の様子が見えないでしょう」と説明してくれる森さん
知覧武家屋敷庭園
ところが、内側からは森さんの赤いジャンパーがうっすら見えます。しかも、この生垣はやわらかくてよじ登ることができないそう

入口から振り返ると、門の脇には小屋があります。

知覧武家屋敷庭園

これはなんと、かつてのトイレなんだとか。

知覧武家屋敷庭園
トイレだった証拠に、すぐそばに手水鉢がありました

「入口近くにトイレがあったのは、はじめて訪問したお客さんでも気兼ねなく使えるためと、外を通る人の気配や声をキャッチできるため。情報収集の場所でもあったわけです。

それと、『薩摩武士たる者、常に先陣に立て』こんな言葉もあります。門を出るときに用を足しておけば、他の者より先へ先へ行ける。理にかなっているでしょう」

続いて、屋敷を見ていきましょう。屋根にご注目を。

知覧の屋敷は「知覧二ツ家」という独特のもので、居住用の「オモテ」と台所のある「ナカエ」の2棟の建物を合体させた形になっています。2つの屋根の間に小棟 (こむね) を置いてつないでいるのが特徴です。

知覧武家屋敷庭園
森さんによれば「屋根に瓦がついていたら武家、瓦がなかったら農家」とのこと
知覧武家屋敷庭園
中には少しスッと反った形をした唐風の屋根も
知覧武家屋敷庭園
男女で玄関がわかれるのも武家屋敷らしい。左が男玄関、右が女玄関

武士らしさの中に垣間見える風流

武家屋敷らしさという点では、この平山亮一庭園は見逃せません。

住まいの外側に縁側がある「ぬれ縁」。雨戸の戸袋がどこにあるか、わかりますか?

知覧武家屋敷庭園

実は戸袋はないんです。その代わり、この角の部分でクルッと雨戸を方向転換できるようになっています。その名も「雨戸返し」。

知覧武家屋敷庭園

「これは死角をなくすため。戸袋があると、曲者が隠れる場所をつくってしまうでしょう」と森さん。見通しをよくするために戸袋をなくしてしまうという、斬新なアイデアです。

さらに、角部分にある棒は取り外し可能。男性が留守にしている日中、家を守る女性が不審者を撃退するための武器として使われたといいます。

知覧武家屋敷庭園
知覧武家屋敷庭園
この細長い水鉢は、刀や槍についた血を洗うためのものなんだとか。さすが武家屋敷です

時代を動かした薩摩藩士たちの勇ましさを随所に感じる一方で、庭園を見渡すと趣を感じずにはいられません。

知覧武家屋敷庭園
庭に点々と並ぶ石は、いったい何でしょう?

実は、これらの石は盆栽を置くためのもの。盆栽の位置を日々変えることで、和歌を詠む題材を変えて楽しんでいたのだそう。何とも風流な遊びです。

さらに、こちらの庭は後ろに見える山々を借景としているといいます。

知覧武家屋敷庭園
普通に見るとイマイチよくわかりませんが、少しかがんでみると‥
知覧武家屋敷庭園
左奥の生垣の2つのコブが背後の山の稜線と重なり、連山のように見えます。昔の人の平均身長は150㎝ほど。その目線に合わせて計算された庭づくりには脱帽してしまいます

こうした素晴らしい庭が生まれた背景には、どうやら知覧の薩摩藩士たちのルーツが関係しているようです。

「知覧に移り住んだ武士たちは、平家の末裔と言われている。資金があったからこそ、これほどのものが造れたんじゃないかと。私が小さいころは、この辺のおじいちゃん、おばあちゃんは皆、きれいな京都弁だったよ」と、森さんは振り返ります。

知覧武家屋敷庭園
西郷恵一郎庭園には、「鶴亀の庭」の別名も。鶴と亀が同居する、おめでたい庭です
知覧武家屋敷庭園
サツキと石で水の流れを表現している平山克己庭園。どこを切り取っても庭園としての調和がとれています

知覧の人々で守ってきた庭と町並み

江戸時代に造られた立派な庭と町並みが、当時の姿を残したまま見られるのは稀有なこと。そもそも、どうして残っているのでしょう?

「それはここに住んだ人たちが残していったからなんだよね。知覧の庭も町並みも、行政じゃなくて住民たちで管理している。入園料は、7つの庭園だけじゃなくて周辺の家々の手入れにも使っているから、風情ある町並みに保たれている。そして、毎日みんなが掃除をするからきれいなの。そういう取り組みを、きっとどこよりも早く始めたから今でも残っているんだよ」と森さん。

知覧の人々が武家集落の町並みを守り継いでいけたのは、外城制度で育まれた地域意識や結束力が根底にあったのかもしれません。

そんな江戸時代の面影が残る知覧の町。ぜひその町並みを歩いて、江戸を生きた薩摩藩士の暮らしを肌で感じてみてください。

<取材協力>
知覧武家屋敷庭園
http://chiran-bukeyashiki.com/
住所:鹿児島県南九州市知覧町郡13731-1
TEL:0993-58-7878

文:岩本恵美
写真:尾島可奈子