ダウンジャケット誕生のきっかけは「寒さで死にかけたから」— デザインや機能の違いからダウンの魅力を追う

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は、ものづくりの会社です。

漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発しています。例えば、THE ジーンズといえば多くの人がLevi’s 501を連想するはずです。「THE〇〇=これぞ〇〇」といった、そのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ここでいう「ど真ん中」とは、様々なデザインの製品があるなかで、それらを選ぶときに基準となるべきものです。それがあることで他の製品も進化していくようなゼロ地点から、本来在るべきスタンダードはどこなのか?を考えています。

連載企画「デザインのゼロ地点」。本格的に寒くなってきたので、11回目のお題は「ダウンジャケット」です。

誕生のきっかけは、ある男が寒さで死にかけたから

ダウンジャケットが誕生したのは今から約80年前。1936年にドイツ系アメリカ人のエディー・バウアー氏が発明しました。日本でも店舗展開をしているアメリカブランド「Eddie Bauer (エディー・バウアー) 」の創業者です。

このエディー・バウアー氏、多岐に亘るスポーツ愛好家で、釣り、テニス、スキー、ゴルフ、ハンティング、カヌーなどを年中嗜み、釣りやゴルフに至ってはロッド (竿) やゴルフクラブを自作して使っていたそうです。

そんな彼が真冬の釣りに出かけた際、あまりの寒さに危うく凍死寸前の低体温症になってしまったことがダウンジャケット誕生のきっかけでした。

真冬でも釣りがしたい彼は、水鳥の羽毛に着目し、服を作ることを考えます。サンプルを作ってみるものの着用すると羽毛が下に偏ってしまい、洋服としてうまく機能しません。試行錯誤を繰り返す中で、ダウンを菱形の状態でキルティングすることで生まれたのが、世界初のダウンジャケットでした。

このキルティング製法を基に1936年にはアメリカで特許を取得。「スカイライナー」という名称で、当時の製品タグには「地球上で最も軽く、暖かい」と書かれて発売されました。

Eddie Bauer「1936 スカイライナー」

写真は現在販売されているものですが、菱形のキルティングのパターンは健在です。ダウンジャケットの発明は高所登山に革命をもたらし、エディー・バウアーは1953年にK2ヒマラヤ遠征隊のためのダウンジャケットをデザインし支給することになります。(ただしスカイライナーとは別の「カラコラム」というヒマラヤ山脈の名前を冠した製品です)

ダウンジャケットは登山用品として欠かせない存在になっていきました。

K2 (ケーツー) 標高8611m。エベレストに次いで世界で2番目に高い山だが、世界一登るのが難しい山と呼ばれる

ダウンジャケットが暖かい理由は魔法瓶と同じ

では、そもそも何故ダウンジャケットは暖かいのでしょうか?

その理由は「デッドエア」と呼ばれる対流しない空気にあります。第5回「魔法瓶」の回でも書いた内容に近いのですが、魔法瓶もクーラーボックスも二重窓も重ね着も、ほぼ同じ原理で、動かない空気の壁を身体の周りに常に形成することが暖かさの要因です。

ダウンとは、水鳥の胸毛を指す言葉。見た目はタンポポの綿毛のようで「ダウンポール」とも呼ばれ、陸鳥にはない水鳥特有の羽毛です。このダウンポールは非常に軽く、そして柔らかく、衣服の中で空気の層を作るのに適しています。つまり、ダウンポールの個々の大きさと、その量が暖かさを決定付けると言っても過言ではありません。

一般にダウンジャケット表示には、ダウン〇〇%、フェザー〇〇%、と表記が義務付けられていますが、これはダウンポールとそれ以外のフェザーの割合を表しています。

ダウン100%であれば理想的ですが、採取した羽毛から確実にダウンポールだけを抜き取ることは現実的には難しく、高級ダウンジャケットでよく見かける表示はダウン90%フェザー10%となっています。

(一着ずつ正確に測ることもできますが、同型のすべての製品が同じ比率ということは不可能で、あくまで90%以上ダウンが入っているという保証として記載されている場合がほとんどです)

ダウンポールとフェザー

羽毛は、主に食用の水鳥から採取されます。フランス・ポーランド・チェコ・ハンガリー・中国・カナダなどが主な産地で、ハンガリーやポーランドが優良産地と呼ばれますが、生育状況などによって大きく左右されるのが現状です。

また、ダウンジャケットが好きな方であればフィルパワーという言葉をご存知かもしれません。これはダウンの復元力 (ダウンジャケットを圧縮した後に膨らむ力) を数値化したものですが、アメリカ、欧州、日本で測定基準が違うことや、同じ製造ロットの中でも試験毎に大きく数値がぶれるため、個人的にはあまり信用できるものではないと思っています。

シュラフ (寝袋) などは羽毛の内容量 (グラム) を記載しているものが多いですが、触った感触やその復元力、そして実際の内容量を見るのが暖かさという点においてはわかりやすい気がします。

ファッションになったのは1980年代から

誕生から長らく山岳用品の印象が強かったダウンジャケットがファッションとして注目を集めるようになるのは1980年代頃から。

フランスの「MONCLER (モンクレール) 」がその代表例と言えるのではないでしょうか。モンクレールは1952年創業の山岳用品ブランドですが、1960年代にスキーウェアがオリンピックの公式ウェアに選定され、世界に知られるブランドになります(もちろんヒマラヤ遠征などに使われる本格的なダウンジャケットを作ってきた歴史が根底にあります)。

そして1980年代からモンクレールのダウンジャケットはフランスやイタリアでファッションアイテムとして認知され、90年代には高級ブランドとしての信頼を確立していきます。

モンクレール MAYA

シャイニーナイロンと呼ばれる光沢のある表面生地や、スーツにダウンジャケットというスタイルを定着させたことで、日本でも爆発的に人気になりました。

では国産はどうでしょうか?

最近では、大阪のスポーツウェアメーカー「デサント」が2010年バンクーバー冬季オリンピックの日本選手団のために開発した「水沢ダウン」が注目されています。水沢ダウンとは、岩手県奥州市(旧水沢市)の水沢工場で作られたダウンジャケットのこと。ダウンの弱点である水に濡れることを防ぐために、縫い目をなくした熱接着ノンキルト加工を施しています。

デサント マウンテニアダウンジャケット (水沢ダウン)

ノンキルト加工や止水ジッパーによって、水に濡れないことに徹底的にフォーカスした機能性の高い製品です。

そしてもうひとつ、実は日本にも60年もの歴史のあるダウンジャケットの老舗メーカーがあります。その名も「ZANTER (ザンター) 」。 1951年に現・東洋羽毛工業株式会社のウェア部門として設立され、日本中が歓喜した日本山岳会隊による1953年の世界初のマナスル登頂をはじめ、南極観測隊、エベレスト登山隊、日本人初の北極点到達など、日本の冒険家を支え続けてきたメーカーです。

ZANTER 「POLARIS」

エディー・バウアーのヒマラヤK2遠征隊や、モンクレールの創業とほぼ時を同じくして日本のダウンジャケットのパイオニアとして誕生したザンターは、羽毛メーカーだからこそできる素材の品質に徹底してこだわり、国内で羽毛の選別や洗浄を行うメーカーです。

デザインのゼロ地点「ダウンジャケット」編、いかがでしたでしょうか?

ダウンジャケットを発明したエディー・バウアー、確かな機能を備えながらハイブランドへと転化したモンクレール、濡れないという機能を追求した水沢ダウン、羽毛という素材にこだわったザンター。

今回は歴史・形状・機能・素材といった要素毎にデザインのゼロ地点を探ってみました。

そして、今までとは少し違ったアプローチでデザインのゼロ地点を考えてみる為に「THE MONSTER SPEC」という新ラインでダウンジャケットを作りました。ぜひこちらも見ていただけたら嬉しいです。

THE MONSTER SPEC®

様々なシーンに応じて細分化され、それぞれに特化してきたスポーツやアウトドアプロダクト。
だからこそTHEのこれまでのアプローチとは対照的に、最高スペックの実現によって、そのジャンルの新たな基準値を探れるのではないか、という考え方から生まれた新しい製品群です。

次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。それではまた来月、よろしくお願いいたします。

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

*こちらは、2017年12月10日の記事を再編集して公開しました。

デザインのゼロ地点 第10回:六角棒スパナ・六角穴付ボルト

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

THE(ザ)は、ものづくりの会社です。漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発しています。

例えば、THE ジーンズといえば多くの人がLevi’s 501を連想するはずです。「THE〇〇=これぞ〇〇」といった、そのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ここでいう「ど真ん中」とは、様々なデザインの製品があるなかで、それらを選ぶときに基準となるべきものです。それがあることで他の製品も進化していくようなゼロ地点から、本来在るべきスタンダードはどこなのか?を考えています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、10回目のお題は「六角棒スパナと六角穴付ボルト」。

組み立て家具や自転車などに必要な、あれ

六角棒スパナは、いわゆる「六角レンチ」のことですが、自身で工具を扱う人であればアーレンキーやヘキサゴンレンチという呼び名の方がしっくりくるかもしれません。ここでは日本工業規格 (JIS B4648) での呼称から、六角棒スパナと呼ぶことにしました。

六角棒スパナ

六角棒スパナは、六角穴付ボルトを締付けるための単一機能工具で、組み立て式の家具や自転車などに多く使われています。六角穴付ボルトのサイズにピッタリ合ったものしか使えないため、ボルトを壊すことなく強い締め付けが可能です。

「六角穴付ボルト (通称キャップボルト)」・円筒形の頭部に六角形の穴が開いているボルト

六角棒スパナは六角形の金属棒を曲げただけのすごくシンプルな道具ですが、ボルト・ナットを留めるスパナや、マイナスドライバー、プラスドライバー等、様々な規格の中で、歴史的には後発として生まれた工具になります。

そもそもボルト・ナットのネジ構造でモノを固定する (締める) という発明は、日本を含めて東洋では独自には生まれなかった工法で、その歴史には一般にもよく知られる多くの偉人が関与しています。

その起源は古代ギリシャまでさかのぼる

ネジ自体が生まれた時期や背景は定かではなく諸説あるのですが、回転運動を直線運動へ変換する螺旋構造の仕組みを最初に機械に使用したのは古代ギリシャの数学者として知られるアルキメデスだと言われています。

円筒状の筒の中に大きなネジを入れた揚水用のアルキメディアン・スクリューと呼ばれる機械を発明し、灌漑 (かんがい) や船底の水の汲み上げ、鉱山に溜まった水を排出することなどに使われていたようで、労力に比べ極めて効率的に揚水することができたそうです。

円周率や対数螺旋で有名な数学者であるアルキメデスならではの発明と言えるのかもしれません。そしてこの方法は現代でも使われるベルトコンベアの原型にもなっています。

古代ギリシャでアルキメデスが考案したアルキメディアン・スクリュー

アルキメディアン・スクリューの発明は、その後、木の棒で作られたネジを利用してオリーブやブドウなどの果汁を搾るネジ式圧搾機などに転用されます。現在わかっている範囲では、それらの螺旋構造を経て、ローマ人がボルト・ナットを建築や構造物に使用しているのが発見されているそうです (ここら辺の発明や使用実績の経緯が諸説ある) 。

そこからさらに時代が飛びますが、レオナルド・ダ・ヴィンチが残したスケッチにも、タップ・ダイスによるネジ加工の原理があるそうです。このことから、おそらく1500年前後には金属製ボルト、ナット、小ネジ、木ネジ類が実用化されていたと予想されています。

そして、日本に伝来したのは戦国時代

日本へのネジの伝来は、1543年に種子島に漂着したポルトガル人の船長から、藩主種子島氏が鉄砲二挺を二千両で購入したことから始まります。

その藩主から一挺の鉄砲を与えられその模造を命じられた刀鍛冶の名人、八坂金兵衛がどうしても造れなかった部品がネジだったといいます。銃底を塞ぐための尾栓ネジの雄ネジ (ボルト側) はなんとか造りましたが、困難だったのは雄ネジがねじ込まれる銃底の筒の中の雌ネジ (ナット側) でした。

1543年に種子島に伝来した鉄砲

金属加工の工具としては、「やすり」と「たがね」しかなかった当時、金兵衛の試行錯誤の末、尾栓の雄ネジを雄型として、火造り (熱間鍛造) で銃底に雌ネジを製作したのが、日本のネジ製造の起源として伝えられています。

産業革命で画期的なネジ製造法が開発される

1600年代に入ると、世界中で時計などの精密機器に様々なネジが使われるようになります。ただ、この頃のネジ製造はまだまだ職人の手作りの世界で、同じ職人やメーカーによってボルトとナットはセットで製造されていて、隣町に行くと大きさや規格が違う、といったことが多くあったそうです。

その流れが大きく変わるのはやはり1700年代半ばの産業革命から。

イギリスのミッドランド地方出身のワイアット兄弟が、手で刃を動かしてネジを切る代わりに、カッターで自動的にネジを切れるような仕組みを考案し、それまで1本の製造に数分掛かっていた作業をわずか6~7秒で作ることができるようにするという画期的なネジ製造法を開発しました。

ワイアット兄弟は「鉄製ネジを効率的に作る方法」で特許を取り、世界初のネジ工場を作りますが、事業は失敗に終わり、その工場の継承者が事業化に成功します。

その後、蒸気機関の活用など各種の改善を経て、船や家具、自動車、高級家具などの需要の高まりとともに大量のネジが作られることになるのです。

そしてこの頃から地域差をなくす規格統一の動きが少しずつ始まります。

27歳のカナダ人、六角穴付ボルトの元祖をつくる

さて、肝心なネジの形状ですが、実は1500年前後から1800年代まで、ネジの頭部は四角か八角形をしていて外側からスパナで留める形状か、1本の溝が入ったマイナスネジのようなものが主流でした。

ただ、溝つきネジは、ネジ回し (今で言うマイナスドライバー) と溝がしっかり噛み合わないため、溝をだめにしてしまうことが多く、この改良のために1860年から1890年にかけて世界中で様々な特許が出願されています。

穴付ネジの種類

六角穴付ボルトに通ずるものが生まれたのは1907年。

カナダ人のピーター・L・ロバートソン (当時27歳) が「四角い凹開口部を持ったソケット付きネジ」の特許を取得し事業化したことが始まりです。

特別に作った四角い先端を持つネジ回しで、すべる事なく、片手で扱える便利なネジとして市場に受け入れられました。

北米で自動車製造が始まり、フォード自動車の木製の車体をカナダで製造していたフィッシャー・ボディ社やフォードT型モデルの生産工場もこの四角い穴のついたネジを大量に採用したそうです。

1930年代以降には、現在でも広く使われるフィリップスネジ (プラスネジ) や、回転方向だけに力をかけやすくして開け締めをしやすくした六角穴付ボルトが自動車産業や軍事産業に広く採用されていきます。

とはいえ、まだまだ各国ごとにそれぞれ異なるネジ規格が存在していたため、国際間の物流の拡大につれて不便が生じ始めます。世界的なネジの互換性の要求が高くなり、第二次世界大戦後の1947年に国際標準化機構(ISO)が設立され、「ISOメートルネジ」規格が制定されました。

日本でも、1949年6月1日に生まれた日本工業規格(JIS)によってねじの標準規格が作られています。

ネジの頭を挟んで締める四角形や八角形のネジから、ネジ頭に溝を入れたマイナスネジ、溝を十字にすることで力のかかり方を分散したプラスネジ、そして、垂直方向へ押し付けるのではなく回転方向だけの荷重で扱えるようにした六角穴付きネジ。

ネジの長い歴史の中で、ボルトへの負担軽減と締め付け強度を求めて作られた六角形状は、見た目はシンプルですが、その裏にはたくさんの試行錯誤と歴史がありました。

今でも広く使われる「六角棒スパナ」。
シンプルなだけに材質の強度や粘り、持ち手の角の取り方や塗装の耐久性など、地味で気付きにくいディテールにデザインの良さが潜んでいる気がします。

今回はその代表的なメーカーを3つご紹介して締めくくりにできればと思います。

スイス、イタリア、日本の代表的なメーカー3社

PB SWISS TOOLS
出典:https://www.pbswisstools.com/ja/

PBは、六角棒スパナをはじめハンマー・ドライバーなどを製造するスイスの工具メーカー。元は農機具メーカーですが、創業は1800年代後半という老舗です。

写真の製品は9本組みでサイズ毎に色分けがされていて見分けがつきやすく (これ、ユーザー視点からはものすごく便利です!) 、10年以上使っていますが塗装も経年で剥がれたりすることがありません。

良質な鋼材はよくしなって適度な締め付けトルクを確保してくれると同時に、折れたり曲がったりする心配がなく、安心して使えます。

Beta T型ハンドルヘキサゴンレンチ

1923年にイタリアで創業されたBeta (ベータ) 、オレンジカラーで統一された商品が特徴です。1970年代にはF1などのモータースポーツのスポンサーとして活躍。

フェラーリのサポーターとしても有名です。

セットではなく、必要なサイズをバラで使うなら最高です。よく見ると、強度保管のために丸棒を六角に削り出して作っているのがわかります。

エイト 出典:http://www.eight-tool.co.jp/

エイトは、六角棒スパナに特化した国産メーカー。六角棒スパナ専門のため、世界中の様々なブランドの製品のOEM先でもあります。増し締めパイプが付いていたり、日本のメーカーらしい気遣いが随所に見られます。

デザインのゼロ地点「六角棒スパナ・六角穴付ボルト」編、いかがでしたでしょうか?

次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。それではまた来月、よろしくお願い致します。

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

デザインのゼロ地点 第9回:スウェット

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

THE(ザ)は、ものづくりの会社です。漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発しています。

例えば、THE ジーンズといえば多くの人がLevi’s 501を連想するはずです。「THE〇〇=これぞ〇〇」といった、そのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ここでいう「ど真ん中」とは、様々なデザインの製品があるなかで、それらを選ぶときに基準となるべきものです。それがあることで他の製品も進化していくようなゼロ地点から、本来在るべきスタンダードはどこなのか?を考えています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、9回目のお題は、「スウェット」。

スウェットと聞いて、多くの人はトレーナーやパーカーを思い浮かべるのではないでしょうか。スウェットは生地の名称なので、正しくはスウェットシャツやスウェットパーカーと呼ぶようですが、今回はその生地と製品について、ゼロ地点を探ってみたいと思います。

そもそもスウェット生地ってどんなもの?

生地メーカーに確認して調べてみると「大きな特徴は、生地が二層構造になっていること。外側はジャージーで、内側にはタオルのようなパイル織りの生地を組み合わせたもの」という答えをいただきました。

つまり、ジャージーの伸縮性と、タオルの吸汗性、そしてそれらを組み合わせた生地の厚みによって生まれる防寒性などが特徴といえるようです。

材質は綿100パーセントで構成されたものから、吸汗性だけでなく速乾性を考慮したポリエステル混紡のもの(ポリエステル65パーセント、綿35パーセントが多い)、繊維にポリウレタンを1~2パーセント程度混紡して伸縮性をより向上させたものなど様々な種類があります。

スウェット生地のアップ

説明を聞いているとなんだかすごそうです。

 

内側のパイル織りの話は「なんとなくタオルのような感じになっていたなぁ」と想像ができたのですが、ジャージーとの二層構造での組み合わせ、という部分が話だけではいまいち理解できず、そもそものジャージー素材について調べてみることに。そして、手元にあるスウェット生地を分解してみました。

ジャージーとはニット (編み物) の一種で、ジャージー編みと呼ばれるもの。1本または数本の糸を輪の形にしたループの中に次のループを通すことを繰り返し、布状に編む編み方です。

実は日本には編むという伝統はあまりなく、輸入された時期も遅いそうです。17世紀後半 (1673年–1704年頃) に、スペインやポルトガルから靴下などの形で編地がもたらされました。

その際にスペイン語やポルトガル語で「靴下」を意味する「メディアス」 (medias) や「メイアシュ」 (meias) から、なまって変わった「メリヤス」が、日本では編み物全般を指すようになったとのこと。

そのため、製造の現場ではジャージーではなくメリヤスと呼ばれることも多いそうです。

ジャージー及びメリヤスの編み目の構造

これを手作業ではなく機械で1本の糸から作るというだけでも驚きですが、スウェット生地はさらにこれの裏側にタオルのようなパイル織りが組み合わさっているというのです。

細かく見てみるために、スウェット生地の裏側のパイルをピンセットで引っ張ってみると、構造がわかりやすく見えてきました。

ジャージーの裏側から細いグレーの糸でパイル用の白い糸を等間隔に留めているのが見えます。この細い糸がしっかり留まっているから、表地のジャージーが伸縮してもパイルの長さがずれたりしないのでしょう。驚きです。

いつも当たり前に着ている生地ですが、実はものすごい技術が隠されていることを知りました。

スウェットの歴史に欠かせない、世界的なメーカー

そのスウェット生地の歴史を語る上で欠かせないのは、アメリカのニッティングメーカーであったラッセル。

ラッセルは1902年、アラバマ州アレキサンダー・シティに「ラッセル・マニュファクチャリング・カンパニー」としてベンジャミン・ラッセル氏によって設立されたメーカーです。

このラッセル社が、1920年代にウールで作られていたフットボール用のシャツをコットン素材に改良し、着心地の改善を図ったことがスウェットの原点であると言われています。

当時のラッセル社。手前がベンジャミン・ラッセル氏

その後、1930年代から生地へのプリント技術を背景にハイスクールやカレッジのスポーツユニフォームとして定着していきます。過去にはNFL (ナショナルフットボールリーグ) 全28チームのほとんどにユニフォームや練習着を提供していたり、全米メジャーリーグのオフィシャルサプライヤーにもなっています (1992〜2004) 。

russell athletic crewneck sweatshirt

ラッセルは1940~60年代のスウェット隆盛期には吊り編み機と呼ばれる機械で作られていました。吊り編み機は給糸口と呼ばれる糸の供給口が1~2セットしかなく、1台の機械で1時間に1メートルしか編むことができない非効率な機械でした。

しかし、高度経済成長を迎えるともにシンカー編み機という名の次世代の編み機が普及します。シンカー編み機は給糸口が24セット、つまり単純計算で最大24倍の生産効率があります。1時間に24メートルもの長さを編むことができるのです。

吊り編み機 写真:カネキチ工業株式会社
シンカー編み機 写真:カネキチ工業株式会社

生産効率も一段と上がり、スウェットは世界中に普及します。日本でも数回にわたってブームと言われるような時代がありました。現在ではファストファッションからハイブランドまで、数多くのメーカーやブランドから発売されるベーシックアイテムになっています。

お手頃価格でベーシックな形状というイメージのある無印良品。フードの平紐や、少し暗めのジッパーの色など、一見ベーシックに見えながら無印良品っぽさがある気がします

愛される理由は、人の温もりを想起させる生地

1920~30年代にかけて生まれ、100年近くも世界中の人々から愛されているスウェット。なぜこんなにも長い期間、人々に愛されるのでしょうか?

精巧に並んだ編み目のパターンや、生地自体の肌触りの良さ、そしてどこか人の温もりのようなものを感じさせるディティールに、その答えがあるような気がします。それらの要素が人々を魅了してきたのだと仮定すると、やっぱりスウェットのデザインを考えた時、真っ先にフォーカスしたいのは生地ではないでしょうか。

実は、前述の高度経済成長期に世の中から消えてしまった吊り編み機には、糸や生地に負担をかけずにゆったりと織り込んでいくことで、柔かく耐久性がある生地を作れるメリットがありました。

1940~60年代に作られたスウェットは、今ではヴィンテージとして愛され、50年以上前の製品が古着としてセカンドサイクルされていることが、吊り編み生地の耐久性や品質の良さを物語っています。

そんな吊り編み生地での代表格といえばループウィラー。日本発のスウェット生地専門ブランドで、吊り編みの生地を用いた数多くのアイテムを手掛けています。

ナイキを筆頭に、様々なブランドとのコラボ商品も豊富で、世界中で人気を博します。特徴的なロゴやネームの取り付け方法は好みの分かれるところですが、良質なスタンダードとしての筆頭ではないでしょうか。

吊り編みの生地は、1台の機械で1時間に1メートルしか編めないという生産効率による供給不足がネックですが、肌触りはもちろん、洗濯を繰り返してもその良質な状態が続く耐久性は目を見張るものがあります。

僕たちTHEも、吊り編み生地の可能性の探求を基軸に、新しいシリーズを作りました。

現在、日本の和歌山県に数百台しか残っていないこの生産設備を残していくことと同時に、それが発展していくことで、良質な製品が当たり前になること。

そして、吊り編みの生地がデザインのゼロ地点としてスウェットを語る基準値になること。

そんなことが実現できたら、という思いで作ったのが「THE SWEAT」シリーズです。

THE Sweat Zip up Hoodie (GRAY)
THE Sweat Crew neck Pullover (NAVY)

THE Sweat Crew neck PulloverとTHE Sweat Zip up Hoodieの吊り編み生地はアメリカンピマコットンを用い、その生地をつくる糸も特製です。素材を無理に引っ張らずに自然な状態を保つことで、柔軟性を持たせた糸を使っています。やや専門的に言うと、紡績段階で撚糸による斜行を極力なくすようにしたのです。

縫製とパターンの研究は、創業60年のカットソーメーカー、丸和繊維工業株式会社。肌着から事業をスタートし、身体の動きや姿勢に合わせた独自のパターン研究と縫製技術が評価され、2010年には同社の製品が宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の宇宙船内被服にも選定されています。

その独自研究に基づいた衣服設計と縫製技術を応用し、見た目はベーシックな形状でありながら、動いても着崩れが起きない最高の着心地を目指しました。

普遍的な形状に、いつまでも風合いの変わらない生地。そこに少しだけ機能が進化したTHEらしいプルオーバーとパーカーが完成しました。

2017年10月7日からTHE SHOP TOKYO (KITTE) とTHE SHOP KYOTO (藤井大丸) の店頭にて先行発売をしていますので、ぜひ触ってみていただけたら嬉しいです。
http://the-web.co.jp/

デザインのゼロ地点・「スウェット」編、いかがでしたでしょうか?

次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
FTLジャパン株式会社
カネキチ工業株式会社
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

デザインのゼロ地点 第8回:カッターナイフ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

THE(ザ)は、ものづくりの会社です。漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発しています。

例えば、THE ジーンズといえば多くの人がLevi’s 501を連想するはずです。「THE〇〇=これぞ〇〇」といった、そのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ここでいう「ど真ん中」とは、様々なデザインの製品があるなかで、それらを選ぶときに基準となるべきものです。それがあることで他の製品も進化していくようなゼロ地点から、本来在るべきスタンダードはどこなのか?を考えています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、8回目のお題は、「カッターナイフ」。

画期的な「研がずに折る」を生み出した、2つのヒント。

カッターナイフも前回の扇子と同じく日本で独自に生まれたプロダクトです。今でこそ日常に溶け込んでいますが、よくよく考えてみると「研がずに折る刃物」という発想は革新的です。

製造メーカーは幾つかありますが、発明したのは岡田良男氏。国内でカッターナイフのトップシェアを誇るオルファ株式会社の創業者です。 生まれた背景は業務用。元々は印刷工場や転写紙の製造現場で生まれたアイデアでした。

それらの現場では何枚にも重ねた紙を切る需要が多く、刃物の消耗が激しい。常に切れ味の良い状態を保つ刃物ができないものかと考えたとき、靴職人と進駐軍という2つの要素からヒントを得て開発がスタートしたそうです。

1つは靴職人が使っていたガラスの破片。当時の靴職人たちは靴底の修理にガラスの破片を使い、切れ味が悪くなるとガラスを割ってまた新しい破片を使っていました。

2つめは進駐軍が持っていた板チョコ。溝が入ってパキパキと折れる板チョコをヒントに、折ることで新しい刃が出てくるものができないか、と考えたそうです。

そして生まれた、世界初の折る刃式カッター。そのデザインに驚く。

この「折る刃」式は、後の「OLFA (オルファ) 」というブランド名に由来することになります。しかし、使用時には折れずに折りたいときに折れるという矛盾した機能を実現するための開発は難航しました。

刃に溝を入れるということは刃の強度を落とすことと直結します。自身でタガネを握り、手作業で刃に溝を入れる試作を繰り返し、ホルダーと呼ばれる刃の支えを作って刃を金属のケースで覆う形状が出来上がったのは1956年のことでした。

1956年 世界で最初の折る刃式カッターナイフ 「オルファ第1号」

第1号がすでに今のカッターとほとんど変わらない形状をしていることに驚きます。刃を支えると同時に刃を折るためのきっかけにもなるホルダーの先端形状、スライダーと呼ばれる親指で刃の出し入れをするための機構、板バネを使ったストッパーなど、試行錯誤の末に辿り着いたデザインや設計の足跡がはっきりとカタチに表れています。

紙を切るという目的を果たしながら使用時には折れにくくするために、刃渡りはギリギリまで短く、人の力で折れるようにするために板厚が薄い。

ただ、この「折れる刃物」は当時どこのメーカーも作りたがらなかったため、初めの3000本は近くの町工場に依頼して製作し、うまく動作しないものは一本一本手作業で修正しました。そしてその全てを自ら売り歩いたそうです。

1年かけて売り切った後、本格的に生産に取り組みます。協力会社が見つかり、1960年には「シャープナイフ」という名称で市販化します。

刃の幅も、折る角度も。すべてのカッターはOLFAに通ず。

1967年には「OLFA (オルファ) 」というブランド名が生まれ、道具箱の中で目立つ色にすることでユーザーが不意に怪我をしないように、と全ての製品を黄色で統一しました (今考えるとこれも凄いことですね)

創業者の岡田良男氏は徹底して品質にこだわり、刃物の要となる金属材質もその時代ごとの相場に左右されることなく品質を変えず、オルファは今でも国産を貫いています。300円前後で手に入る製品をすべて国産で賄い、海外にまで輸出していくのは本当にすごいことです。

カッターの刃は用途によってサイズが異なり、幅9ミリメートルまたは18ミリメートルあたりが一般的です。実はこれもオルファが作った規格で、なんと今では世界中のメーカーがオルファの刃のサイズに合わせてカッターを作る、というデファクトスタンダードとなっています。ちなみに折る刃の角度は59度で、これもオルファ規格です。

そして、現在の市販のカッターナイフもよく観察すると実に細かい配慮がなされているのがわかります。

例えば、紙を切るときにカッターの刃を押し付けても刃が動くことはありませんが、親指でスライダーを自然な動作でずらすと、使っている側は気付かずともロックが外れるように設計されています。ユーザーが意識しなくても動かしたいときだけ動かせる構造はYKKのファスナーなどにも似ていますね。

また、ホルダー内で刃と金属のホルダーが干渉しないように設計されていたり (それもスライダーと一体の1パーツで!) 、ホルダーは刃先が左右にぶれないように刃の厚みとほとんど誤差なく作られています。

カッターナイフ

刃物なので最も性能を左右するのは刃の作りだと思いますが、実はこのホルダーの精度で切れ味が大きく変わります。なので、僕の中ではホルダーがプラスチック製のものは論外です。

デザインのゼロ地点から見る、未来に続くカッターナイフとは?

そんなオルファの定番といえばAシリーズ。ほとんどの方が見たことがあると思いますが、黄色が目印のこの製品。

OLFA Aプラス

前述の精度や機能が詰まったロングセラーで、オルファの基本形とも言えるモデルですが、個人的には昔のA型の方が好きだったりします (昔はもう少し直線的なデザインでした) 。

オルファ以外ですとこちらも皆さんに馴染み深いかもしれません。

NTカッター A-300 (出典:http://www.ntcutter.co.jp/)

NTカッターのA-300。オルファと並んで数少ないカッター専門メーカーの製品です。

実はこのエヌティー株式会社は前述の岡田良男氏が発明した「シャープナイフ」の製造元。エヌティーはおそらく以前の社名である日本転写紙の頭文字ではないでしょうか。やはり当時カッター需要のあった転写紙の会社だったのですね。

一見なんてことない形に見えますが握ってみるとこれがすごく使いやすい。外観のデザインはこれが一番カッターらしく良くデザインされていると思います。

職場や家庭で日々活躍するカッターですが、前述の通り元々は業務用として生まれたものです。印刷の現場での需要は減ってしまいましたが、高度経済成長と共に一気に需要を伸ばしたのは、住宅を建てる時に壁紙職人が使うカッターでした。

今でもその需要は大きく、ホームセンターや工具店で扱っている業務用カッターの性能は目を見張るものがあります。

OLFA スピードハイパーAL型

先の2つは9ミリメートル刃でコンパクトでしたが、こちらは18ミリメートル刃の大型カッター。持ち運びや細かい作業には不向きかもしれませんが、使ってみるとびっくりするほど切れ味が違います。その理由の一つは刃に施されているフッ素加工。

よくフライパンなどで焦げ付きをなくすために塗布してあるコーティングです。ハサミなどの刃物に使われることも多く、テープを切った際のベタつきの軽減などに一役買うのですが、剥がれやすいのが欠点。

そもそもフッ素は摩擦係数が低く、前述の通りベタつきや焦げ付きをつきにくくしてくれます。しかし、摩擦係数が低いということは塗布したフライパンの表面やハサミの刃にも定着させるのが難しいということ。くっつきにくくするためにくっつけている、という少し矛盾した技術でもあります。

そのフッ素加工をカッターに応用するメリットは粘着物のベタつき軽減もあると思いますが、一番は段ボールなどある程度厚みのあるものを切る時に側面の抵抗が少なくなることでしょう。

これが馬鹿にならないほど効果的で、驚くほどスムーズに刃が進むのです。刃を折って使うカッターだからこそ、剥がれやすいデメリットも気になりません。切れ味、つまり基本機能にフォーカスすると、カッターとは本来こうあるべきではないか、とも思えてきます。

そして最後に、未来の定番品としてどうしてもお勧めしたいのは同じくオルファの「万能M厚型」。

OLFA 万能M厚型

先程の9ミリメートル刃とも18ミリメートル刃とも違う、12.5ミリメートル刃という新規格の製品です。

大きすぎず手頃なサイズ感にもかかわらず強度もあって、「今までなんでなかったのだろう?」と思ってしまうような本当にちょうどいいサイズなのです (刃の厚みも0.38ミリメートルから0.45ミリメートルと分厚くなっています)。

商品開発において、何かと何かの中間を取る、というのは良い結果を生まないケースが多いのですが、万能M厚型は中間を取るよりも小型の製品をブラッシュアップさせたイメージ。

つまり今までのスタンダードを引き上げようという意図で生まれたのではないかと勝手に想像しています。

安く高品質な製品を日本で作り続けるということはおそらく工場の自動化に優れているということ。逆に言えば新しい規格が作りにくく、量もたくさん作らなければ割りに合わない。

世界のデファクトスタンダードにまでなった規格サイズを持ちながら、それをもう一度考え直し、本当にちょうどいいサイズを求めて新規格を生み出すオルファの姿勢は、メーカーとして素直にかっこいいなぁと思います。

デザインのゼロ地点「カッターナイフ」編、いかがでしたでしょうか?

次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
オルファ株式会社

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

デザインのゼロ地点 第6回:グラス

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発する、ものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、6回目のお題は「グラス」。
THEブランドでも最初に商品化された、思い出深いジャンルでもあります。英語でglassというと、ガラス・窓ガラス・コップ・ガラス製品・鏡・姿見・眼鏡・望遠鏡などたくさんの意味がありますが、ここではもちろんガラス製のコップについてお話ししたいと思います。材質名称と道具の名称が混同されてしまうほど人類の歴史の中で長く使われてきたグラス。
今回も歴史や素材、形状、機能、価格などそれぞれを絡めながらグラスを読み解いていければと思います。

そもそも人類はいつからガラスを道具としてきたのでしょうか。
調べてみるとこれまたとんでもなく古く、紀元前4000年より前にエジプトやメソポタミア文明で二酸化ケイ素 (シリカ) の表面を融かして作製したビーズが始まりだと考えられているそうです。ただ、当時はガラスそれ自体を材料として用いていたのではなく、陶磁器などの製造と関連しながら用いられていたと考えられています。
そして、エジプトでは紀元前2000年代までに、植物灰や天然炭酸ソーダとともにシリカを熱すると融点が下がることが明らかになり、これを利用して焼結ではなく溶融 (ようゆう) によるガラスの加工が可能になるそうです。これが鋳造ガラスの始まりです。
紀元前1550年頃にはエジプトで粘土の型に流し込んで器を作るコア法によって最初のガラスの器が作られ、西アジアへ製法が広まっていたとのことです。

なんと今から3500年以上前からガラスの成形品があったのです!すごい!!

古代エジプトのコアガラス 出典:「古代ガラス」平凡社

そしておそらくこの後すぐ(紀元前1500年前後)に「宙吹き」技法が発明されます。今も残る吹きガラスの技法で、ガラスに限らずとも成型方法の基本構造でもあります。(プラスチック成型でもブロー成型といって空気で膨らませる技法はボトル形状のものを作る基本技法です)
宙吹き技法の発明によって、鋳造と比べて表面を磨く手間が省け、劇的に製造コストが下がったのでしょう。食器や保存容器として一般に使われるようになり、同時期にエジプトがローマ帝国支配下に置かれたことも重なって、ローマ帝国全域にまで製品とその製法が伝わりました。(主にローマガラスと呼ばれます)
さらに、型にガラスを吹き込む「型吹き」技法も開発され、成型と同時に装飾が施せるようになったのもこの頃です。

ちなみに、鋳造された板状ガラスが一部の窓に使用されるようになったのもこの時期とのこと。器よりも板ガラスの方が遅かったのですね。

宙吹き技法
BC27年~AC395年、ローマ帝政時代のローマガラス

またまた長くなってしまうので少し時代が飛びますが、12世紀には板ガラスを使ったゴシック調のステンドグラスが教会の窓を飾り、13世紀には不純物を除いた無色透明なガラスがドイツ南部やスイス、イタリア北部で製造されていたそうです。良質なガラス原料を使用していたヴェネツィアのガラスが有名です。

そして、15世紀には酸化鉛と酸化マンガンの添加により、屈折率の高いクリスタルガラスが生まれます。
ワイングラスのリーデルや、ロックグラスのバカラ、江戸切子など、THE醤油差しでも使われている比重が大きく透明度が高いガラスです。

1764年、フランス王ルイ15世により、ロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場設立が許可され、1816年からクリスタルガラスの製造が開始された。その当時のクリスタルガラス。

ここから、18世紀の産業革命を経て、他の産業と同じく製造背景も急速に技術革新が起こります。ガラスの原料となる炭酸ナトリウム(ソーダ灰)を経済的に大量に生産する方法も発明され、ガラスを溶かす窯にも大きな進歩が起きました。蓄熱式槽窯 (ちくねつしきそうよう) を用いた製法により、溶融ガラスの大量供給が可能になり、この平炉はガラス炉として大成功します。この先の工業用ガラス製造の基本となり、改良を加え製鋼法としても使用されるようになりました。
こうしたガラス製品の製造コストの低下と、瓶・窓ガラス・望遠鏡などの光学系ガラスの需要の急増が重なり、各国に大規模なガラス工場が相次いで建設されるようになりました。

こうして現代に至るまで、製法や製品の改良が進んできたガラス分野ですが、一方で器としてのガラスコップ(=グラス)は、素材由来の機能革新以外ではほとんど形を変えずに今でも使用され続けています。

近年のグラスの定番といえば、デュラレックスのピカルディや、東洋佐々木ガラスのHSスタックタンブラーでしょうか。
どちらも業務用として広く流通していることもあり、誰もが必ずと言っていいほど見たことがあるグラスだと思います。

デュラレックス ピカルディ

デュラレックスは1939年、フランスのサンゴバン社によって工場が設立され、世界初の全面物理強化ガラス製のタンブラーを生んだブランドです。(デュラレックスの名でブランド化したのは1946年)
全面物理強化ガラスとは、表面に圧縮応力をかけることで機械的強度や熱衝撃性を高めたガラスで、車の窓ガラスなどがそれに当たります。車の窓ガラス並みの強度があり、持ちやすさと同時にスタッキング時のガラス同士の接点を少なくすることを考慮した、少し膨らみのある九角形の独特のフォルムは、見た目としても美しく、大好きなグラスです。

車の窓ガラスと一緒なので割れ方も独特で、他のガラスのように直線のヒビから鋭利に割れるのではなく、粉々に砕けるように割れます。ただ、これが少々難点で、先に述べた通り表面全体に応力をかけて強度を増している為、見えない傷や経年の劣化によって、その残留応力 (外力を除去した後でも物体内に存在する応力のこと) が行き場を見つけると突然割れてしまうことがあるそうです。個人的にはガラスは割れものですから致し方ないという思いもありますが、日本硝子製品工業会ではその点を考慮し製造を行なっていないとのこと。国産の全面物理強化ガラス製タンブラーが存在しないのはそのためです。

東洋佐々木ガラス HSハードストロング 1972年発売

東洋佐々木ガラスのHSハードストロングも、必ずと言っていいほど飲食店で目にするグラスです。1967年に佐々木硝子が開発した製品で、口元のみをガラスが変形しない範囲で軟化する程度の温度まで加熱した後、急激に冷却し、表面に圧縮応力層を、内部に引張応力層 (ひっぱりおうりょくそう) を形成させた口元物理強化という方法で作られたグラスです。口元のみ物理強化することで他へ応力を逃がして突然割れることを防いでいるようです。
(佐々木硝子は2002年に東洋ガラスハウスウェア部門と統合し、現在は東洋佐々木ガラスと改称)
形状はスタッキングに特化しながら、これ以上ないくらいシンプル。発売からちょうど50年ですが、今なお現役です。

グラスは、飲み物を入れる器として、数千年前から機能的な形状はほとんど変わっていないプロダクトですが、そのデザインのゼロポイントを考えたとき、あることに気がつきました。
それは、家の中と外では飲み物を飲むまでのプロセスが違うこと。
例えば、お店で飲み物を頼む (購入する) とき、Sサイズ・Mサイズ・Lサイズといったように必ず飲みたい量を先に指定することになります。一方で家庭で飲み物を飲むときは、飲みたい量を無意識に設定してグラスや容器を選んでいるのではないでしょうか。
では、世界中の人が直感的にサイズのわかる、みんなの基準になる器ってなんだろう?という考えから生まれたのがTHE GLASSでした。

THE GLASS(2012~)

「世界中のより多くの人が連想しやすいサイズ」として、コーヒーチェーンのカップと同じ形状で同じ容量のショート・トール・グランデというサイズ展開としたのですが、実は人間は先に飲む量を頭の中で無意識に決めて飲んでいる、という仮説が正しければ、完全に機能を追求した形状とも言えるかもしれません。

硼珪酸 (ほうけいさん) ガラスという、ホウ酸を混ぜて熔融し、軟化する温度や硬度を高めた耐熱ガラスを用い、厚みを一定に設計することで均一に応力がかかり、割れにくく作られています。
<THE GLASS>こちらもグラスの基準値の一つとして加えて頂けたら嬉しいです。

デザインのゼロ地点・グラス編、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
東洋佐々木ガラス株式会社

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

デザインのゼロ地点 第5回:魔法瓶

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」も5回目となりました。
今回のお題は「魔法瓶」。

魔法瓶、字面で見るとなんとも不思議な名前ですね。製品としては皆さんよくご存知だと思いますが、これって本当に世紀の大発明だと思います。
最新のものだと95℃で淹れた液体が24時間経っても60℃以上を保っているという高性能。
構造としては(言葉にするだけなら)至って簡単で、二重構造のボトルの内壁と外壁の間にある空間が真空状態になっているというもの。この真空の壁が外気との温度差を遮断し保温性や保冷性を高めています。
エネルギーを一切使わずに大きな便益をもたらしてくれるシンプルで効率的な道具ってなかなかお目にかかれないと思います。

そもそもどんな背景で生まれたのでしょうか。
基本的な構造が生まれたのは1880年代、ドイツの物理学者であるA.F.ヴァインホルト氏が、多重の壁間の内部を真空にするという容器の原理を発明しました。その約10年後、1892年にイギリスの科学者ジェームス・デュワー氏が、大小のフラスコが二重になった形状の真空のガラス容器を考案。これが現在の魔法瓶の原型だと言われています。現在でも形状は違えど「デュワー瓶」と呼ばれ、理科学用品の1ジャンルになっています。

理科学用品としてのデュワー瓶。出典:www.monotaro.com

そして1904年にはドイツ人のラインフォルト・ブルガー氏がデュワー瓶を金属ケースで覆った家庭用品の開発を始めます。世界で初めて魔法瓶を量産した会社の誕生です。公募で決まった社名はギリシャ語で「熱」の意味を持つ「テルモス」。世紀の大発明は瞬く間に世界中に広がり、開発から3年後にはアメリカ・イギリス・カナダなど数カ国に現地法人を置くほど成長しました。「テルモス」は世界中で魔法瓶の代名詞となっていきます。

1907年のラインフォルト・ブルガー氏による特許図面

余談ですが、登山小説などで魔法瓶のことをテルモスと呼ぶシーンをよく見かけます。「テルモスのお茶が凍えた身体を暖め‥‥」みたいな文章がなんだかかっこよくて、響きだけ聞いても良い道具感が溢れている気がします。

実際に発売当時も登山家や冒険家に重宝されていたようで、1909年のテルモス社の新聞広告には、北極や南極の探検隊や、あの人類初飛行を遂げたライト兄弟などが利用者として掲載されていたそうです。

魔法瓶というと僕はどうしても昭和の花柄の卓上ポットを思い浮かべてしまうのですが、新聞広告の例から想像すると発売当初から携帯用ボトルとしての需要を主軸に置いていたのではないでしょうか。

そしてこの新聞広告の頃、日本にも魔法瓶が輸入されはじめます。輸入当初、日本では「驚くべき発明なる寒暖瓶」というコピーでテルモス社から宣伝されていました。

1908年のテルモス社の日本広告。出典:www.thermos.jp

そして数年後の1912年にはとうとう日本で魔法瓶の製造が始まります。日本で初めて開発に着手したのは八木亭二郎さんという電球の専門家。日本第1号の魔法瓶は、白熱電球を生産するための真空技術を転用して開発されました。
当時、ガラス製品や電球の生産の中心だった大阪で広まり、ここから多くの魔法瓶メーカーが生まれます。大手企業の象印やタイガーもその1つです。

第一次世界大戦(1914年~)が勃発したことも影響して、日本製魔法瓶は爆発的に海外に普及します。輸出に向けて世界的に分かりやすいブランド名にしようということで象や虎といった動物モチーフが選ばれたようです。(ちなみにタイガー魔法瓶も元々は「虎印」だったそう!)

さらに、第1回 醤油差し編でも話に挙がった自動製瓶機の登場により、それまでガラス職人が手吹きで作っていた魔法瓶の製造状況は大きく変わっていきます。より低コストで安定した品質が確保されるようになり、卓上ポットとして大正~昭和の家庭に定着していきました。

しかし、製品デザインが抜本的に変わっていくのはこのだいぶ後、1978年のこと。ガラス製からステンレス製への材質の転換です。
自分で書きながらもあまり違和感がなかったのですが、魔法瓶と呼ばれていたのですから中身は「瓶」です。落とすと割れてしまうという大きなデメリットがありました。

それをガラッと変えてしまったのが、「高真空ステンレス製魔法びん」でした。

実はあまり知られていませんが、このステンレス製魔法びんを世界で最初に開発したのは日本のメーカーで、日本酸素(現・大陽日酸)という会社でした。
酸素・窒素・アルゴンガスなどを扱う工業用ガスメーカーの大手です。なぜガスメーカーが家庭用品を?と思うかもしれませんが、理由を知ると納得できます。窒素やアルゴンなどの工業用ガスは、大量に運搬するために-200℃近くまで冷やして液化させるそうです。超低温で液化させることによって容積効率を上げて運搬されるのです。そしてその超低温の液体を運ぶタンクローリーは、炎天下でも外気の影響を受けにくくするために二重構造になっているんだそうです。

一般社団法人 日本アスファルト協会より。こちらは逆に、溶かしたアスファルト(約175℃)を運ぶタンクローリー。
出典:http://www.askyo.jp/knowledge/02-2.html

このタンクローリーの構造を小さくしたものが日本酸素の開発した「高真空ステンレス製魔法びん」だったのです。

二重構造をそのままステンレス製に転換し、外びんと内びんとの間は1000万分の1気圧以下という高真空状態。この真空状態は宇宙空間と同じで、何もないために対流による放熱を防ぐことが出来、 また内側を鏡のように仕上げることで、輻射による熱の逃げも反射で中に戻してしまいます。この真空の「壁」が、持ち運ぶ水筒としての機能を大きく向上させ、「頑丈で、小さくて、軽い」という良い事尽くしの転換を迎えたのです。

そして驚くべきことに、日本酸素はこの技術力と資金力を背景に、当時世界最大のガラス製魔法瓶メーカーだった冒頭の「テルモス」を買収します。
ドイツ語読みの「テルモス」=英語読みは「サーモス」 (THERMOS) 、こうして生まれたのが現在のサーモス株式会社。今もこのジャンルのトップメーカーです。

THERMOSの高真空ステンレスボトル
こちらは2015年8月発売の新製品。僕は一つ古いタイプを長らく使っていますが、どちらも片手で開閉ができることと圧倒的な軽さが魅力です。写真の製品の方がデザインが整理されています。
出典:www.shopthermos.jp

水筒や携帯用ボトルというジャンルにとってのデザインのゼロ地点を考えた時、軽さというのは容器としての基本機能に次ぐ素晴らしい条件設定だと思います。
日本発の世界的発明品であるストーリーや、保温・保冷性、堅牢性はもちろん素晴らしいのですが、僕がサーモスを推したいのは徹底的に軽さにフォーカスしていること。

彼らの軽さへの探求は凄まじく、1999年に0.5mmだったボトルのステンレス鋼板が、最新の製品ではなんと0.08mm。もちろんそれに伴って同容量モデルで半分以下の重量になっています。普通に過ごしていてもなかなか気付きにくいですが、着実に進化する姿にいつも感心してしまいます。

そんなサーモスに対抗して、大阪のアウトドアメーカー「mont-bell」が新しく発売したアルパインサーモボトルも素晴らしいです。名前からして完全に登山用ですが、スペックはサーモスと同等で価格は大幅に下回っています。専業メーカーではないにもかかわらず製品力で並んでいること自体、すごいことだと思います。

mont-bell アルパインサーモボトル。モンベルは他のジャンルでも専業メーカーに匹敵する製品を開発していて、どこで作っているのかいつも気になります。出典:webshop.montbell.jp

世の中に長く愛され、長く売れていくモノは、必ずと言って良いほど機構設計と外観のスタイリングが密接に絡まってデザインされています。

フタと中栓の嵌合、ヒンジやパッキン、開閉ボタン、注ぎ口、空気穴の形など、形状と機能がはっきりと結びつくパーツのデザインはもちろんですが、ポリプロピレンやシリコンなどのプラスチックの選定にも必ず意図があり、それぞれの材質特性に合わせた表面仕上げや色の選定、塗装であれば塗膜の厚みや質感のコントロールなどもデザインの力の本領が発揮されるところです。そしてそのデザインと製造方法やそれに伴うコストが密接に絡み合ったところがデザインのゼロ地点であるべきなのだと思います。

そんなことを考えながら、街や山や海でボトルを使うとき、THEとして製品開発をしたらどんなモノになるだろうか、とアイデア創出をするのも楽しい時間です。

デザインのゼロ地点・魔法瓶編、如何でしたでしょうか?
形状・歴史・素材・機能・価格をそれぞれに考えながら、次回も身近な製品を取り上げたいと思います。

 

それではまた来月、よろしくお願い致します。

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。

文:米津雄介