デザインのゼロ地点 第4回:バスクシャツ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」の4回目のお題は「バスクシャツ」。
バスクシャツと聞いてまず最初にイメージするのはボーダー柄でしょうか。他にも海だったりフランスだったり‥‥もしかしたらパブロ・ピカソだという方もいらっしゃるかもしれません。

写真家ロベール・ドアノーが撮ったパブロ・ピカソのポートレイト
写真家ロベール・ドアノーが撮ったパブロ・ピカソのポートレイト

ピカソのトレードマークであり定番服だったバスクシャツとは、編物で作られた生地にボートネックと呼ばれる横に広い襟、少し短めに切り落とされた袖口で、青と白のボーダー柄、といったイメージが一般的なようです。ピカソの他にも小説家のアーネスト・ヘミングウェイや服飾デザイナーのジャン=ポール・ゴルチェなど、バスクシャツは歴史の賢人たちに愛されてきました。今回はそのバスクシャツの由縁やその歴史が生んだ形状・機能を題材に、デザインのゼロ地点を探っていこうと思います。

日本ではバスクシャツと呼ばれ定着していますが、実はフランスではその呼び名は通用しないようで、ブルトンマリンとかマリニエールといった呼ばれ方をするそうです。日本での呼び名に関しては、ヘミングウェイの小説「海流のなかの島々」の中でバスクシャツという和訳が出てきたことから、とも言われているそうです。「バスク」とはフランスとスペインにまたがる地域の名称。ピレネー山脈の麓からビスケー湾に面した地域を指します。

赤く塗られた地域がバスク地方
赤く塗られた地域がバスク地方

このバスク地方が発祥のバスクシャツですが、16世紀頃に船乗りたちが愛用していたウールやコットン素材の手編みのものが起源だと言われています。

強い海風から身体を守るニット生地、濡れても着脱しやすい横広のボートネック、作業時に器具に引っかけない為の七分袖、そして海で発見されやすくする為にボーダー柄が採用された、実に機能的にデザインされた仕事服だったのです。

船乗りの仕事服としてはイギリスのガンジーセーターと並ぶオリジンとも言えそうです。ガンジーセーターとバスクシャツ、もちろん関連性は何もないのだとは思いますが、海峡を境にした近い地域で同じくらいの時期に似たものが作られていたという史実に、モノづくりの発展や進化の不思議がありそうで興奮しますね。(別途調べてみます)

そして、この機能的にデザインされた船乗りの仕事服は1850年代からフランス海軍の制服として採用されはじめます。バスクシャツの生産を含む繊維業も産業革命以降は紡績や染糸が急速に機械化され、19世紀から20世紀にかけてメーカーがOEM(他社ブランドの製品を製造すること)で海軍に制服を供給する流れになったのです。

1910年代のフランス海軍
1910年代のフランス海軍

そして、船乗りの仕事服から海軍の制服へと変化したバスクシャツが、ファッションとして脚光を浴びたのは 1923 年のこと。アメリカ人の芸術家ジェラルド・マーフィーが南仏にある船乗り専門の卸問屋で、この白と青のボーダーのカットソーを発見し、その着ている姿が同じく高級リゾートでバカンスを楽しんでいた人々の注目を集めたことが発端で、1930 年代から 1940 年代にかけて欧米のリゾート地で大流行することになったのです。

そこから現代に至るまでファッションアイテムとして愛されてきたバスクシャツ。代表的なメーカーとしては、フランス北部ノルマンディー地方のセント・ジェームスや、リヨンで生まれたオーシバル、ブルターニュ地方のルミノアなどが挙げられます。

セント・ジェームス(1889年〜)出典:http://www.shop-st-james.jp/index.html
セント・ジェームス(1889年〜)出典:http://www.shop-st-james.jp/index.html
オーシバル(1939年〜)出典:http://bshop-inc.com/brand/36/
オーシバル(1939年〜)出典:http://bshop-inc.com/brand/36/
ルミノア(1936年〜)出典:labelleechoppe.fr
ルミノア(1936年〜)出典:labelleechoppe.fr

どのメーカーもその時々でフランス海軍に制服としてOEM供給していた名門で、今でもフランスで生産しているそうです。ミリタリーをモチーフとしながらも爽やかな海の印象を与えるバスクシャツたちなのですが、冒頭に申し上げた「船乗りの機能的な仕事服」をモチーフにしたバスクシャツも実は存在します。

フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr
フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr

1927年にブルターニュ地方のカンペールで生まれた「フィルーズ・ダルボー」。写真のブランドロゴからも読み取れるように、フィルーズ・ダルボー社のあるブルターニュでは、地元の漁師達が海に出て仕事をしている合間に、その妻たちが夫の帰りを待ちながら糸を紡ぎ、その糸を用いてセーターを編むというライフスタイルがあったそうです。

その文化の継承を軸に、他とはちょっと違った製法で生地を作っています。横方向に糸を編みこんでいく「横編み」というそのまんまの名前の製法なのですが、この横編み製法は組成が複雑で、薄い生地を作るのには適していない代わりに、糸をたっぷりと使用したふくらみのある生地に仕上げることができ、身幅方向への伸縮性が最も高いそうです。機械生産ですが手編みに程なく近い製法でしょうか。

ちなみに、ルミノアは「丸編み」、セント・ジェームスやオーシバルのラッセルは「経編み(たてあみ)」で作られていて、丸編みはいわゆるカットソーと呼ばれるもの、経編みは織物に近くかっちりした生地になります。

フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr
フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr

どのメーカーも同じバスクシャツと呼ばれていますが、それぞれの歴史的背景によって設計や製法が違っていて、そんなことを考えながら着てみたり、お店で触ってみたりすると、今まで気付かなかったディティールに愛着が湧いてきます。
船乗りの仕事服としてデザインされた姿が今も残るフィルーズ・ダルボーは、僕の中ではバスクシャツの定番としての要素を兼ね備えている気がします。

出典:https://www.fileusedarvor.fr
出典:https://www.fileusedarvor.fr

デザインのゼロ地点・バスクシャツ編、如何でしたでしょうか?
ちなみにフィルーズ・ダルボーはTHEバスクシャツとして、東京駅KITTEのTHE SHOPで種類も豊富に取り揃えております。気になった方は是非ご来店ください。(笑)

 

それではまた来月、よろしくお願い致します。

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。

文:米津雄介



<掲載商品>

THE Breton Marine

デザインのゼロ地点 第3回:ライター

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」の3回目のお題は「ライター」。
禁煙推進の社会背景の中ですっかり出番が減ってしまった感がありますが、お線香や蝋燭、花火やバーベキューなど、日々の生活からイベントごとまで、意外な時にまだまだ登場の機会があったりします。
今回は「手の中で火をつける」という道具の進化と、その意匠設計の変化を題材に、デザインのゼロ地点を探っていこうと思います。

ライターという道具の定義により諸説ありますが、発明されたのはAC1700年前後と言われています。日本でも早い段階で発明されていて、1772年に平賀源内が「刻みたばこ用点火器」を作っていたという記述が残っています。

平賀源内(1728年~1780年)
平賀源内(1728年~1780年)

余談ですが、マッチの発明は1827年で、なんとマッチよりも先にライターが生まれていたそうです。自動車の原型と呼ばれる蒸気自動車の発明が1769年ですから、道具の需要と発明の相関ってすごく面白いなぁと思います。

ライターを機能で大別するとすれば、点火による分類と、燃料による分類に分けられます。点火は発火石及び放電、燃料はオイルもしくはガス。
古くは火打石のような発火石による点火方式から、最近のガスコンロのような放電による点火方式があり、燃やすための燃料もオイルを燃やしたりガスを燃やしたり。

近年のライターの製造は点火方式である発火石(フリントと呼びます)の発明からはじまります。フリントが発明されたのは1906年、(これまた意外と最近!)鉄とセリウムを主原料とした合金でした。
当時のライターは、オイルを染み込ませた芯に発火石で火をつける、という原理で、今でも目にする代表的なメーカー「ZIPPO」も同じ方式です。

いち早くライターの製造に着手したのはオーストリアのメーカー「IMCO」。
フリントの発明の翌年1907年にボタンメーカーとして創業し、1918年からライターの製造を開始。第一次世界大戦の兵士が使う道具として「イーファ」という名前のライターが開発されました。

IMCO イーファ 1920年(出典:LIGHTER MUSEUM)
IMCO イーファ 1920年(出典:LIGHTER MUSEUM)

その後(僕の中では)ライターの原型とも言える「トリプレックス」というライターが生まれます。当時、大量に生産するために考えられたであろう軽量で簡素で機能的な作りは、2012年に製造を終了するまで80年以上も基本構造の改変はありませんでした。今でも様々なメーカーから似た製品が作られています。

IMCO トリプレックス
IMCO トリプレックス

また、IMCOは老舗メーカーの中でも特に創業が早かった為、イムコの発火石や芯が後の世界基準になっていきます。

続けて革命的な発明をしたのがアメリカのメーカー「RONSON」。
1927年に、点火と消火をワンアクションで行う世界初のワンタッチライター「バンジョー」を開発します。つまり、押し込んだら火がついて、離すと火が消える、というものです。実はこれ以前のライターは、蓋を開けて火をつけて、蓋を閉めて消火する、というものでした。なんだそんなことか…と思うかもしれませんが、ライターが生まれてから100年以上、ワンタッチで点火と消火を行うという機構を考える人がいなかったのです。

RONSON バンジョー 1927年 (replica)その名の通り楽器のバンジョーから名付けられたと言われています。
RONSON バンジョー 1927年 (replica)その名の通り楽器のバンジョーから名付けられたと言われています。

そしてその後、お馴染みの「ZIPPO」の登場です。
1933年(1932年説もある)にアメリカで生まれたジッポーライターは、構造をあえてシンプルにすることで生まれた頑丈さから、一度買ったら永久保証する、という打ち出しで世界中に普及し、今でもオイルライターの代名詞的存在となっています。

ZIPPO 1933年~
ZIPPO 1933年~

フリントの発明から大量生産の為の機能的なデザイン、ワンアクションライター、そして永久保証付きの堅牢性、とそれぞれの時代に応じてデザインに変化がありましたが、さらにここから抜本的な方式の進化が起こります。
1950年代に入ってガス燃料が登場したのです。ブタンなどの可燃性ガスは低圧力で液状化し、オイルと違って臭いも少なく、ライターの燃料にはうってつけでした。(オイル燃料は放っておくと気化して中身が空になってしまうという欠点もありました)

発火石→オイル着火方式から、発火石→ガス着火方式が普及し、この着火方式の進化はライターの製法の発展にも関係していきます。

綿にオイルを染み込ませたものを覆う金属ケースから、液化ガスを入れるための完全に密閉された金属ケースへ、金属加工の技術やプロダクトデザインも進化を余儀なくされます。
金属の深絞り技術が精錬されていく中で、R形状の深絞り技術を武器に、いち早くガスライターの製造に着手したのが東京・墨田で創業した「SAROME」(サロメ)でした。

日本のメーカー・サロメ社のガスライター
日本のメーカー・サロメ社のガスライター

東京・墨田の金属加工職人の集団であるサロメ社は今でもほとんどの工程を手作業で行い、もちろん修理もメンテナンスも可能です。

サロメ社の工房道具
サロメ社の工房道具

そして、ガスライターの隆盛から十数年、さらに進化を生んだのが、放電による点火方式。一般に電子ライターと呼ばれるものです。
今度は、発火石→ガス着火方式から、放電→ガス着火方式へ変化していきました。この方式転換の中で1970年代から一気に普及したのがプラスチック製のディスポーザブルライター、俗に言う100円ライターです。

代表的なメーカーは日本の株式会社東海。1975年に日本で初めてプラスチック製のライターを開発し、あの「チャッカマン」を生んだメーカーです。

東海 電子ライター 1975年~
東海 電子ライター 1975年~

この後、更に更に、ガスの噴出を利用して混合気で効率よく燃焼するターボライターなども登場してくるのですが、長くなるのでこの辺で割愛。
とはいえ300年以上に及ぶライターの歴史の中で、化学的な要因による着火方式の変化から、所作による形状の変化、そして素材や機能、価格に至るまで様々なバリエーションと進化が生まれてきました。

しかし近年、簡単に火がつくライターは子供の着火による事故が増え、子供が火をつけられないようにするための「チャイルドレジスタンス機構」(以下、CR機構)の義務化が、アメリカでは1994年から、ヨーロッパでは2007年から、日本でも2010年からはじまっています。

簡単に火がつけられないように、ボタンが重く(固く)なっているもの、ずらしながら押すといった2つ以上の動作を同時に行うものなど、2010年以降、各社様々なCR機構を考案していますが、デザイン(問題解決方法)において僕のお気に入りは、フランスのメーカー「BIC」の製品です。

BIC社のライターは丸くプレスされた金属の板を外からはめ込むだけでCR機構を実現しています。フリント式に限ってのことですが、大人と子供の親指の腹の表面積に着目し、子供の親指の大きさでは金属の板で指が滑ってしまうけれど、大人の親指であれば今までとほとんど変わらずに火をつけることができるという機構で、金属板の付加は外観上もさほど気にならないし、おそらく他メーカーの方式に比べてコスト負担も少ない。
使い捨てということで廃棄と再生の循環が社会的にも最大の懸念点ですが、現時点で僕にとってのデザインのゼロ地点に最も近いライターはこれだなぁと思っています。単純に外観形状が好きなのも理由の一つですが。

BIC社のライター。回転するフリント部分に金属板を付加している。(出典:3NTA)
BIC社のライター。回転するフリント部分に金属板を付加している。(出典:3NTA)

如何に簡単に火をつけるか、という機能の進化は、歴史上の課題から生まれたデザインの進化でもありますが、問題解決というのは常に新しい課題を生むものです。上記のライターの例は、機能的な問題解決が、文化的な課題を生んだ形になります。そう考えると、ものづくりやデザインのゼロ地点の探求も終わりがない旅と言えるかもしれません。

 

ライターにおけるデザインのゼロ地点、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
株式会社サロメ
株式会社東海
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

デザインのゼロ地点 第2回:はさみ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

「デザインのゼロ地点」と題するこの連載の2回目のお題は「はさみ」。
はさみの歴史は実は非常に長く、現状見つかっている1番古いもので紀元前1000年頃のエジプトのものなんだそうです。
この頃は握り鋏といって今でいう糸切り鋏のような形状のものだったようですが、現在一般的になっている2枚の刃を組み合わせたX型のものもローマ時代にすでに発明されていたと言われています。
つまり約2000年前から存在していた道具になります。驚くべきは2000年前と現在の姿を比べても構造や形状がほとんど変わっていないこと。
所作がシンプルで、モノの進化の歴史の中でもかなり早い段階で究極の形になったと言えるかもしれません。

紀元前1000年頃のエジプトのはさみ
紀元前1000年頃のエジプトのはさみ

そして、一口にはさみと言っても、洋裁・理容・園芸・料理・医療・工具…と色々な種類があり、それぞれの種類の中でも用途別に細かく最適化されています。今回は日常生活で最も馴染みが深い事務用はさみ、つまり文房具のはさみを題材に探ってみようと思います。

 

2枚の刃を組み合わせて作るはさみは文房具の中でも特殊な存在で、コンビニや量販店に並んでいるはさみも、切れ味の肝になるカシメ(中央の2枚の刃を留めている部分)の組み立てや刃の調整など最終的な仕上げのほとんどが手作業で、人の繊細な感覚に頼って作られています。

例えば、刃物の産地である岐阜県関市のメーカー・林刃物のALLEXシリーズや、PLUSの165TRシリーズ。
昔から広く流通しているので見たことがある人も多いのではないでしょうか。一見シンプルなはさみですが、拝み曲げ・板すき・裏すき(樋底)、といった古来からのはさみの加工技術が詰まった製品たちです。

 

林刃物「ALLEX」1973年発売
林刃物「ALLEX」1973年発売

PLUS「165TR」1989発売
PLUS「165TR」1989発売

「拝み曲げ」とは、刃の根元から先端にかけて2枚の刃が寄り添うようにお互いの方向に緩やかに曲げられている加工のこと。これによって2枚の刃が点で接触しスムーズにモノが切れるようになります。曲げた刃の弾力によって点接触を生むため、機械で曲げた刃をただ組み合わせてもなかなか最適な感触になりません。その為、手作業が主になります。
「板すき」は刃の根元から先端に向かってだんだんと厚みが薄くなっていく加工で、最もモノが切りにくいと言われる刃の先端でも良く切れるようにと考えられた技術です。
そして「裏すき(樋底)」は刃の裏側を円弧状に研磨する技術で、(僕は個人的にこの加工が1番好き!)拝み曲げとの複合によって刃と刃の点接触を促し、布やビニールなどの柔らかく切りにくいものを切りやすくする効果があります。

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また、国内ではあまり見かけませんが、DOVOというドイツ・ゾーリンゲン地方のはさみも定番の形に程近い素晴らしいはさみです。こちらも前述のALLEXと同じ3つの加工をしていますが、「鍛造」と呼ばれる金属を叩いて加工する技術で大まかな形を作っている為、板を加工して作るはさみと比べると更に精度の高いものになっています。ドイツは医療器具としての製造も盛んで、より精度の高い鍛造加工が可能なのだと思います。もちろん価格もその分少し高めです。

ドイツ「DOVO」発売年不明(出典:NOFF NORTICASA)
ドイツ「DOVO」発売年不明(出典:NOFF NORTICASA)

持ち手の形状はどうでしょうか?
オレンジがコーポレートカラーのFISKARSというフィンランドのメーカーのはさみ。今はもうこの形は見かけなくなってしまったのですが、親指と中指(又は人差し指)が入る角度が絶妙で、うまく左右対称(反転?)に設計されています。少しマニアックな話をすると、金型というプラスチックを成型するための型の設計も左右同じ設計になっていて、型を作るための費用のことも含めて効率良く考えられています。ただこちらは前述の「板すき」や「裏すき」といった加工はされていません。

フィンランド「FISKARS」(出典:STYLE STORE)
フィンランド「FISKARS」(出典:STYLE STORE)

同じように「板すき」や「裏すき」といった加工はされていませんが、安価で性能の良いはさみとしてはPLUSのフィットカットカーブ。こちらは刃の根元から先端までをカーブさせることで、切る対象物をしっかりつかんで軽い力で切ることができるというはさみです。構造としては地味な変化ですが切れ味の効果は抜群です。持ち手も柔らかいエラストマー樹脂と硬いABS樹脂を組み合わせながらシンプルに作られていて、よく見ると裏表で形状が違い、親指と中指が入る角度も計算されて作られています。

PLUS「フィットカットカーブ」
PLUS「フィットカットカーブ」

冒頭で「はさみは約2000年前から構造がほとんど変わっていない」と書いてしまいましたが、持ち手の作り方や切れ味といった面では細かい進化を何度も繰り返してきていました。
ある日突然モノの形状がガラッと変わるような全く新しい進化も素晴らしいですが、昔から積み上げてきた技術の智慧や手間のかかる加工を少しでも効率良く変えていくような地味な進化もモノづくりの本質と言えます。
はさみにおけるデザインのゼロ地点の発見は、歴史の中で研鑽されてきた技術を切り捨ててしまうのではなく、無理のない生産体制で如何にして実現するのか、といったことを地道に考えることが近道なのかもしれません。

最後に一つだけ付け加えるとしたら、「長持ちすること」。
文房具のはさみは高級なものが無く、ほとんどが安く購入できてしまいます。その割に捨てるとなるとすごくためらいや面倒さを感じてしまう道具で、小学生の頃使っていた名前入りのはさみが今でも家に残っている人は多いのではないでしょうか。つまり、ダメになってもみんなあんまり捨てないのです。

その上、実はメンテナンスがものすごく難しい。刃の切れ味も大切ですがそれ以上に2枚の刃の組み合わせ(噛み合わせ?)が大切な為、なかなか個人でメンテナンスできるものではありません。
これらを解決して長く使える製品や仕組みが出来たら、2000年以上に及ぶはさみの歴史がまた一歩進むのかもしれません。

はさみのデザインのゼロ地点、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真・イラスト提供>
林刃物株式会社
プラス株式会社
株式会社無印
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

デザインのゼロ地点 第1回:醤油差し

はじめまして。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ど真ん中というのは市場にある製品の平均点という意味ではありません。世の中には様々なデザインの製品がありますが、それらを選ぶときに基準となるべきもの、その製品があることで他の製品も進化していくようなゼロ地点、つまり本来在るべきスタンダードはどこなのか?といったことを考えようという試みです。

今日から月に1回、「デザインのゼロ地点」と題して、世の中の様々な製品のゼロ地点を探す旅にお付き合い頂けたらと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

さて、第1回目のお題は「醤油差し」。
器やカトラリーのように食卓で目立つ存在ではありませんが、日本であればどこの家にも1つはあると思います。ところがひとたび買おうと思うと、インテリアショップから量販店や100円ショップまで、材質も陶磁器やガラス、プラスチックなど、選択肢が多くて困ってしまいます。
商品を選ぶ、または開発するとき、僕らは5つの項目で評価をしています。

「形状」「歴史」「素材」「機能」「価格」

商品はこの5項目がそれぞれ密接に絡み合って出来ています。例えば、機能から生まれた形状だったり、歴史的背景のある素材だったり。
そんなことを考えながら、醤油差しの世界を覗いていきましょう。

醤油が生まれた経緯は諸説ありますが、文献上で歴史を辿ると700年代には既に醤油を扱う「主醤」という職業名があったとされています。
当然、保管や輸送方法もその時代背景によって大きく変わっています。
江戸時代より前は甕(かめ)による保管が一般的で、江戸時代に入り醤油が工業的に生産されるようになったタイミングで、割れやすく重かった甕から丈夫で軽い杉樽に変わったと言われています。このころ一般の人々は徳利や壺などを持って醤油を買いに行き、自宅でそのまま保管したり自宅用の甕に移し替えたりしていたそうです。

しょうゆ徳利(とっくり)ともに野田市郷土博物館所蔵
しょうゆ徳利(とっくり)ともに野田市郷土博物館所蔵

コンプラ瓶 キッコーマン国際食文化研究センター所蔵
コンプラ瓶 キッコーマン国際食文化研究センター所蔵

結樽(ゆいだる)キッコーマン国際食文化研究センター所蔵
結樽(ゆいだる)キッコーマン国際食文化研究センター所蔵

明治を経て大正時代にはガラスの自動製瓶機が普及し、醤油の保管や輸送もガラス瓶が一般的になります。おなじみのキッコーマンが会社として設立されたのが大正6年。その後間もなく一升瓶入りで販売を開始していたそうです。

キッコーマンしょうゆ1.8L瓶
キッコーマンしょうゆ1.8L瓶

つまり、醤油の輸送は陶製から木製へ、そして家庭用容器は陶製からガラス製へと歴史的背景によって形状や素材を変えてきました。

では食卓の醤油差しはどのような系譜を辿ったのでしょうか。
磁器の醤油差しの名品、白山陶器の「G型しょうゆさし」は1958年(昭和33年)の発売。森正洋さんがデザインしたこの醤油差しは今でも多くの人に愛されています。

陶製の醤油差しいろいろ
陶製の醤油差しいろいろ

「G型しょうゆさし」が生まれた3年後の1961年(昭和36年)、日本人なら誰もが知っているであろう赤いキャップの「キッコーマンしょうゆ卓上びん」が誕生します。それまで大きな瓶で買って自宅の醤油差しに移し替えていた醤油を、買った状態でそのまま食卓に置くことができるデザインに変えたのは、当時20代だったキッコーマンの商品開発者と、後に日本の工業デザイン界の第一人者と呼ばれることになる榮久庵憲司さん(同じく当時20代!)でした。
ガラスで中身が見えることや、液だれしにくいという機能、そして商品パッケージとしての役割を果たすこの「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は発売から50年で4億本以上販売し、今では海外でも人気を博しています。

 キッコーマン「しょうゆ卓上びん」1961年〜 倒れにくさや手で持つ仕草を考慮してデザインされた。パッケージとしての価格帯にも関わらず、液だれしにくい構造にチャレンジし、実現しているのは本当に素晴らしい!
キッコーマン「しょうゆ卓上びん」1961年〜

倒れにくさや手で持つ仕草を考慮してデザインされた。パッケージとしての価格帯にも関わらず、液だれしにくい構造にチャレンジし、実現しているのは本当に素晴らしい!

さらに近年では、液だれしないことや量の調節がしやすい利点のあるスプレー式や、1滴1滴垂らすことのできるスポイト式、セラミックとシリコンを組み合わせたもの、パッケージ容器では「ヤマサ 鮮度の一滴」から始まった2重構造の真空ボトルなど、プラスチック製を筆頭に安価で機能的な製品も数多く発売されています。

ポーレックス「セラミックしょうゆ差し」 ボトル部分はセラミック、口元がシリコンで出来ている。シリコンはガラスや磁器に比べて液体に対する摩擦係数が高いのか、かなり液だれしにくい。磁器の質感の良さと液だれ防止機能がうまく両立している。
ポーレックス「セラミックしょうゆ差し」

ボトル部分はセラミック、口元がシリコンで出来ている。シリコンはガラスや磁器に比べて液体に対する摩擦係数が高いのか、かなり液だれしにくい。磁器の質感の良さと液だれ防止機能がうまく両立している。

 スプレー式の容器 便利ですが「お醤油らしさ」に欠けてしまい、使うのは少し抵抗があるかも!?
スプレー式の容器

便利ですが「お醤油らしさ」に欠けてしまい、使うのは少し抵抗があるかも!?

 ヤマサ「鮮度の一滴」2009年〜 醤油差し、とは呼べないかもしれませんが、開封後もほぼ真空状態を保ち酸化を防ぐ、という逆止弁を使ったパウチ容器は画期的でした。最近の新商品は180日間も鮮度を保つとのこと!
ヤマサ「鮮度の一滴」2009年〜

醤油差し、とは呼べないかもしれませんが、開封後もほぼ真空状態を保ち酸化を防ぐ、という逆止弁を使ったパウチ容器は画期的でした。最近の新商品は180日間も鮮度を保つとのこと!

キッコーマン「いつでも新鮮シリーズ」ボトルタイプ 2011年〜 キッコーマンはプラスチック製の逆止弁付きの2重構造ボトルを開発し、密封状態を保つ商品を発売。中身が減っても外観形状は変わらず、内側の袋状の容器が醤油の量に応じて収縮する。前述の卓上しょうゆ瓶の進化版といっても良いかもしれません。
キッコーマン「いつでも新鮮シリーズ」ボトルタイプ 2011年〜

キッコーマンはプラスチック製の逆止弁付きの2重構造ボトルを開発し、密封状態を保つ商品を発売。中身が減っても外観形状は変わらず、内側の袋状の容器が醤油の量に応じて収縮する。前述の卓上しょうゆ瓶の進化版といっても良いかもしれません。

こうして市場の様々な製品の遍歴を振り返ってみると、醤油差しのデザインのゼロ地点はどこにあるべきか、といったことがある程度見えてきます。

僕らの考えたゼロ地点の条件は、

・液だれしないこと
・倒れにくいこと
・醤油の容器だと認識しやすいこと
・中に入っている量が認識できて、安心して差せること
・鮮度を保ってくれること

これらをできるだけ満たしていること。

そう考えるとキッコーマンの「卓上しょうゆびん」は鮮度の面は譲りますが50年以上前から変わらないデザインで醤油差し業界のゼロ地点を担ってきたような気がします。

近年、環境配慮から商品パッケージも簡易包装化が進み、2重構造ボトルの普及に伴って国内の売場では「卓上しょうゆびん」を見かけることが少なくなってきました。もちろん包装資材削減は素晴らしいことですが、一方で醤油にまつわる食卓の風景が少しずつ減っている気がして、少し寂しい気持ちにもなります。

そんなことを想いながら、僕らの考えるゼロ地点に程近いものを、江戸時代創業の老舗ガラスメーカー・石塚硝子さんと作りました。

その名もTHE醤油差し。
こちらも是非ご覧頂けたら幸いです。

醤油差しのデザインのゼロ地点、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいとおもいます。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
野田市郷土博物館
キッコーマン株式会社
ジャパンポーレックス株式会社
ヤマサ醤油株式会社
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介