9月 葉の美しさを競う「ソング オブ サイアム」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。

そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順 (にしはた・せいじゅん) さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。

植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

9月はソング オブ サイアム。どこかエキゾチックな名前ですが、秋の入り口、ブライダルシーズンも始まるこの時期にぴったりの植物なのだそうです。今回も清順さんが代表を務める「そら植物園」のインフォメーションセンターがある、代々木VILLAGEにてお話を伺いました。

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◇9月 葉の美しさを競う「ソング オブ サイアム」

ソング オブ サイアムはドラセナという植物の一種で、世界でもそら植物園でしか扱いのないオリジナルの植物です。

4月に紹介したオリーブが平和の象徴であるのは有名ですが、ドラセナ類も古くからいろいろな民族にとって幸福の象徴とされていて、例えばポリネシアの人たちは庭の玄関の前に植えたりします。

縁起が良くて育てやすいので、ドラセナは観葉植物として世界的に人気です。中でも知名度が高いのが、ソング オブ インディアとソング オブ ジャマイカ。サイアムは、ここ10年で発見された新種なんです。実は俺が命名しました。

ソング オブ サイアムを手元に寄せる清順さん

どこで見つかったかというと、タイの王族が管理する植物園の中。突然変異から生まれたんですね。俺がその王族の方から譲り受けることになって、ソング オブ サイアムと名付けました。サイアムは、タイの古い呼び名なんです。

インディアは黄色、ジャマイカは緑色なのに対して、サイアムはちょうどその中間。斑入りの葉色がなんとも美しいです。ちょっと置いておくだけでもかっこいいんですよ。

ベランダに置いてある様子

日本では江戸時代後期に、こうした葉に特徴のある植物が愛好家の間で爆発的な人気になって、葉の形や模様を愛でる「葉芸 (はげい) 」が流行したと言われています。

キリッとしたソングオブサイアムの葉っぱ

ヨーロッパで植物を愛でる時には、だいたい花や香りを楽しむんですね。葉の表情を鑑賞するというのは、日本独特の価値観です。

そんな葉芸の風情を楽しんで欲しくて、今月の植物に選びました。育てやすくて何より幸福の象徴なので、ブライダルの時期に向けて、結婚のお祝いに贈ってもいいですね。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・9月の季節鉢 ソング オブ サイアム(鉢とのセット。店頭販売限定)

季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店・阪神梅田本店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

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西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。

2012 年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、国内外含め、多数の企業、団体、行政機関、プロの植物業者等からの依頼に答え、さまざまなプロジェクトを各地で展開、反響を呼んでいる。
著書に「教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント」(徳間書店)、 「そらみみ植物園」(東京書籍)、「はつみみ植物園」(東京書籍)など。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。

文・写真:尾島可奈子

わたしの一皿 旅を盛り付ける

酷暑の台湾、台北に行ってきました。みんげい おくむらの奥村です。
南国台北の夏は色とりどりのフルーツや、緑の濃い野菜の季節。おいしいものをしこたま食べて台北から帰っても、まだ台湾気分が続いているので今日はそんな料理を。

日本は世界中の食材が手に入るし、それを盛り付けるうつわもこれまた世界中のものが手に入る。ということで、今日は台湾気分を、これまた日本のうつわだけど異国感のあるうつわに盛り付ける、という試みを。

ところで、僕らが子どものころと今と、八百屋やスーパーに並ぶ野菜の種類が全然ちがいませんか?どれだけ種類がふえるんだろう、と思うぐらい野菜はふえた気がする。今の小学生に知っている野菜の名前を言わせたらきっとシャレた野菜の名前が出てくるんだろうなぁ。

今日の素材は「空芯菜 (くうしんさい) 」。これも夏の野菜。アジア各国を夏に訪れると、まず食べたい食材の1つ。この野菜も僕が子供の頃は日常ではなかったのに、いつのまにか毎年夏には手に入りやすくなりました。とにかく食感が気持ちよく、定番の炒め物もよいし、おひたしやスープにもよい万能の食材です。

空芯菜

うつわは、栃木県の益子で作陶される伊藤丈浩 (いとう・たけひろ) さんのスリップウェアのうつわ。スリップウェアというのはヨーロッパなどで古くから見られるもので、泥漿(でいしょう)でうつわに装飾をするものです。日本に伝わり、今やすっかり日本の焼き物に根付いたと言ってもよいかもしれません。細かに描かれるもの、大胆に描かれるもの、動物など具体的な意匠をもつもの、と様々ですが、個人的にはこんな大胆でシンプルなものが好きです。

伊藤丈浩さんの器2皿

一見、日本のうつわという感じはしないなぁと思うものの、和食にもよく合うし、今日みたいな料理にもよい。こんな風に料理とうつわの組み合わせを楽しむのが日本人らしい食の楽しみかな、と思ったり。

余談ですが、益子には益子参考館という美術館があります。民藝運動で知られる濱田庄司の自邸・工房を使い、彼の生前の蒐集などを展示しています。益子に行くと必ず立ち寄るのですが、日本と世界の民藝が場所や時代を超えて集められ、調和している様は見事。益子に行ったらぜひ立ち寄ってみてほしい場所です。

さてと料理は、空芯菜の腐乳炒め。台湾や中国で一般的に使われる腐乳(沖縄の豆腐ようみたいなもの)。よく中国では朝食のおかゆのお供なんかに出てくるあれです。発酵調味料らしい、奥行きのある味わいはミルキーでコクがあり、ちょっと大人の味。肉なんか入れなくてもご飯は進むし、ビールにもワインにもよい。くせになるんですよ、これ。

空芯菜は軽く洗ってざく切りに。油を引き、きざんだニンニクを入れ、空芯菜を茎、葉の順で炒めます。今日の腐乳はもともと辛味のついたもの。辛味がない場合は赤唐辛子も入れるとよいでしょう。空芯菜がしんなりしてきたころに、腐乳を少しお酒で伸ばしたものを入れます。腐乳に塩気がありますが、もし塩気が足りなければ塩を足す。ささっと炒めて腐乳が全体にからんだらおしまい。空芯菜は火が通りやすいので、本当にパパッとできちゃう簡単料理。このうつわとの相性もすこぶるよい。

調理の様子

アツアツを食べながら、ぼんやり思った。空芯菜ってストローみたいな野菜。昔、ちくわでストロー遊びをした日本人としては、台湾や中国、アジア各国の子供が空芯菜でストロー遊びをするのかも気になるところ。はたしてどうなんでしょうね。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

黄金の7年間を我が手に。東京五輪から地方創生を目指す「旅する新虎マーケット」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
2020年7月24日より開催される、東京オリンピック・パラリンピック。ついに開催まであと3年を切りました。

じわじわと機運が高まる中、3年後にはメインスタジアムと選手村を結ぶシンボルストリートとなる「新虎通り」に、全国各地の魅力を発信する「マーケット」が2017年2月に誕生したのをご存知でしょうか。

その名も「旅する新虎マーケット」。
いわゆる地域ごとの物産展と異なり、季節ごとに編集されたテーマで全国467の市町村のモノ・コト・ヒトが集結します。

仕掛けたのは「2020年東京オリンピック・パラリンピックを活用した地域活性化推進首長連合」。代表を務めるのは、日本有数の金物の町・新潟県三条市の市長でもある國定勇人 (くにさだ・いさと) 会長です。

三条市は昨年4日間で3万5千人を動員したオープンファクトリーイベント「燕三条 工場の祭典」が、新しい地域活性のモデルケースとして注目を集める街。國定市長はその立役者でもあります。

2020年オリンピック・パラリンピック開催地・東京のど真ん中で、いま起きていること。

さんち編集長中川淳による独自インタビューで、東京開催が決まった瞬間から始まった、東京オリンピック・パラリンピックにかける地方創生の物語を、國定会長に伺いました。

お話を伺った國定会長
インタビュアーのさんち編集長・中川淳

(以下、國定会長の発言は「國定:」、中川淳の発言は「中川:」と表記。)

中川:今日はありがとうございます。東京オリンピック・パラリンピックと全国の市町村が結びついた「旅する新虎マーケット」とはどのような取り組みなのか、伺っていきたいと思います。

まず、運営母体である「2020年東京オリンピック・パラリンピックを活用した地域活性化推進首長連合 (以下、首長連合) 」とはどのように生まれたのでしょうか?

國定:2020年のオリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)開催地が東京に決まった時、各市町村の首長にとって「あれは東京のもの。東京以外の自治体には縁遠い存在」でした。

一方で、次のオリパラ開催地はどこかと聞かれたら、スポーツに関心のない人だって「北京」「リオ」と答えられるわけですよね。それだけの訴求力がある。

そうして世界の注目がせっかく集まるのに、あれは東京のものだと片付けてしまうのはもったいないと思っていました。

黄金の7年間が始まった

調べてみると、ロンドンもシドニーもアテネも、みんなオリパラ開催決定が決まった年からインバウンド需要がぐんと上がっているんです。つまり開催の7年前から人の動きが変わりはじめる。

考えてみれば日本も同じですよね。ちょうど開催決定と中国人観光客のビザ規制緩和があったタイミングが重なったこともありますが、明らかにあの頃から人や世の中の流れが変わったわけです。

つまり開催が決まった2013年のあの瞬間から2020年まで、黙っていても人がやってくる黄金の7年間が始まっているわけですね。もうあと3年を切りました。

それを東京の「一人勝ち」にさせるのはもったいないんじゃないか、というのが、首長連合の取り組みのはじまりです。

ロンドンの成功例を日本でも

首長連合会議の様子

例えば北京オリンピック・パラリンピックの開催地はもちろん北京ですが、頭に描くのは、中国という国全体の持つイメージです。「中国で行われるもの」という意識なわけですよね。

そこを意識的にコントロールして成功したのが、ロンドンオリンピック・パラリンピックです。

イギリスでは、北京からロンドンまでの4年間で、「カルチュラル・オリンピアード」という文化プログラムをイギリス国内全体で10万件以上やったんですよ。それが大成功したんですね。

日本で言えば地元の自治会がやっているような小さなお祭りも、オリパラを盛り立てる文化プログラムのひとつという見立てにして発信したんです。

結果として、ロンドン一極集中ではなく、イギリス全土に人の広がりを見せることに成功しました。他の国で成功しているのだから、日本だってやれないことはない。こうしてまず、首長連合が結成されました。

地方と東京の間に潜む「情報の壁」

中川:そこから「旅する新虎マーケット」はどうやって生まれて行ったのでしょうか。

國定:取り組み始めて痛感したのですが、東京のような大都会には情報も、何かを実現するノウハウや人脈もたくさん集まっているのだけれど、あまりにも地方のことは知られていません。

全国に支店のあるような大企業でさえ、どの地域にどんな優れたものがあるのか、そういう情報を持っていないんです。

日本のメディア構造というのは面白くて、基本的に県をまたいで同一資本が参入できないんですよ。テレビ局は県ごとに分かれていますし、新聞メディアも地方に行けば、読まれているのは全国紙よりも圧倒的に県内紙です。

そうすると、僕らがどんなにPRしようと思っても、新潟県の壁を超えるのがすごく難しい。

東京の人たちだって、見たくなくて地方から目を背けているわけでなくて、手に入る情報がキー局と言われる関東広域圏のメディアと、新聞メディアに限られているわけです。

インターネット隆盛だと言っても、興味と関心を持たなければ特定の地域の情報なんて、自動的に入ってくるものではないですからね。

少なくともその土地を愛している人や行政関係者は、自分たちの街が他に比べて優れているものを聞かれたら、ほぼ100%答えられるはずです。センスがいいかどうかは別として、その魅力を情報発信しようという取り組みも、長年に渡って続けてきている。

中川:ところがそれを県内に広めるくらいまではいけても、県外に出していくのは本当に難しい。

國定:はい。せっかく世界の注目が集まっている黄金の7年間だから、地域活性化に結びつけていきましょうというのが首長連合発足の発端ですが、そもそも国外だけではなく、国内も我々が思っている以上に情報の壁が存在している。

だからまず、市町村という独自のコンテンツを持っているもの同士が連携してプラットフォームを作り、ノウハウやネットワークが集まる東京と結びつける。

その物理的な舞台も東京に置けたら、強くてわかりやすい情報発信のツールになるのではないかと考えました。

新虎マーケットの舞台、新虎通り

中川:各地の物産フェアや物産館であれば東京でも見られますが、そことの違いは何でしょうか。

國定:例えば海外のお客さんから見たら、日本の中で新潟がどこにあって、その中で三条市がどう位置しているのかなんて、まず知りませんよね。

日本という漠然としたイメージがあるわけで、◯◯物産市という地域名でのカテゴリの分け方というのは、こちらの都合なわけです。

一方でもし自分がお茶に興味を持ったら、茶筅 (ちゃせん) や茶巾 (ちゃきん) は奈良のもの、器は例えば伊万里のもの、というように地域を横断していきますね。季節でも選ぶものは変わってくるはずです。

そういう見せ方をして初めて、地方の「本物」にしっかり共感を覚えてもらえるのではないか、と思いました。新虎マーケットは、そこを目指していきたい。

例えば春は春らしく。夏ならお祭りですよね。お祭りというテーマの元に浴衣があったり花火があったり、「今度遊びに来てね」というメッセージも込めて山車を地元から持ってきたり。

そういう生活のシーンや文化のカテゴリごとに各地の魅力を伝えていきたいと思っています。

季節ごとのテーマに合わせて各地のものが集まる「旅するストア」
全国の「食」が味わえる、「旅するスタンド」

中川:地名切りではなくて、テーマをもたせた編集軸で見せていこうということですね。行政の集まりである以上、取り組みには行政の区分があるわけですが、それを超えていこうというのは、すごいことですね。

國定:今、新虎マーケットにいけば「〇〇市」といった分け方もしていますが、まさにこれから、そう言った編集軸での見せ方に力を入れていこうとしています。

中川:編集軸って民間だとやりそうですが、それを行政がやろうというところに一つ大きな意味があるように思います。

國定:そうですね。ただ、民間では全国津々浦々の情報まで、なかなか探しきれないのではと思います。一方で市町村の方は、自分たちのことは十分に知っています。

全国には1700以上の市町村があります。これだけ「地方創生」が声高に叫ばれている中です、それはみんな必死になって、正解かはわからないけれども自分の町はこれだ、というものを持っています。

一市町村ごとに正解を出していくのではなく、新虎マーケットでは加盟する市町村が胸を張って出せるものを一品ずつでも出し合っていく。それだけで460を超えるコンテンツになるわけですよね。

夏のテーマ発表の様子

これだけの素材があれば、点と点を結んで何かのストーリーを紡ぎ出していくことができる。そうしてひとつの絵になった時に、それぞれの点が光ってくるのではと思います。

中川:東京オリンピック・パラリンピックという大きなイベントを契機に、日本という大きな視点でコンテンツを考えて、ひとつひとつの要素を各地の「本物」で緻密に作りこんでいく。それこそ地域を超えていく取り組みですね。

國定:マーケットのある新虎通りは、この前のリオの凱旋パレードを開催した場所でもあります。虎ノ門ヒルズにはオリパラの組織委員会も入っていますし、あの一帯はオリパラそのものの象徴空間であることは間違いありません。

その足元である新虎通りで、オリパラの機運を盛り立てつつ、地方の「本物」を見ていただくというのは、いい親和性があるのではないかと考えています。

中川:2020年東京オリンピック・パラリンピックにかける全国の地方首長たちの強い意気込みを感じました。今日はありがとうございました。

旅する新虎マーケット
東京都港区西新橋2-16
https://www.tabisuru-market.jp/

お話を伺った中川政七商店表参道店前にて

ものづくりの町の奥座敷。渓谷の隠れ宿、嵐渓荘

こんにちは、ライターの鈴木伸子です。
今回は、ものづくりの町・新潟三条にはこんな別天地もあるのだという、とっておきの秘湯をご紹介しましょう。それは、知る人ぞ知る隠れ家のような、誰かにもったいぶって教えたくなるようなところなのです。

上越新幹線・燕三条駅から車で40分ほど。三条の奥座敷とも言える自然豊かな渓谷沿いのしただ温泉郷にあるのが、旅館・嵐渓荘 (らんけいそう) 。

ここの名物は、妙泉 (みょうせん) と言われる濃厚でなめらかな温泉と、三条を流れる五十嵐川のさらに上流である守門川の清流、そして国登録有形文化財にも指定されている木造三階建ての本館建物です。

全国各地から訪ねる人も多い秘湯の宿であり、燕三条の地域の人びとにも何かと親しまれている憩いの場。この嵐渓荘4代目の夫人で若女将である大竹由香利さんにお話をうかがいました。

泊まれる有形文化財

「しただ温泉郷 越後長野温泉と名乗っているこの土地は、昭和初期に温泉が掘削され、当初は心身の療養所も兼ねた湯治場でした。

そこに、燕駅前に昭和初期に建てられた料亭旅館の建物を移築し、戦後、温泉旅館として営業するようになったのです。『緑風館』と名付けられたその建物は、現在は国登録有形文化財に指定されています」

嵐渓荘の中心に建つ「緑風館」は、三階建てのてっぺんに望楼のあるシンボリックな外観。内部を案内していただくと、欄間や障子など各部屋で意匠が異なり、さすがは文化財という風格を感じます。

「緑風館は時代が水運から鉄道に変化する頃に建てられた建物です。この建物を解体移築した時も一部は水運でここまで部材を運んできたそうです」

敷地内にも豊かに水が流れる

こちらの宿は3000坪も敷地があるのに、客室は17室しかないそうで、まさに渓谷の自然を思う存分楽しむことができる「隠れ家」。

木造三階建ての緑風館のほかに、渓流沿いで眺めのよい渓流館、落ち着いた雰囲気のりんどう館の3館があり、それぞれの趣きを楽しめます。

渓流館の一室

「お風呂は大浴場と、高台にある貸切風呂『山の湯』があって、どちらにも露天風呂が設けられています。温泉の泉質は、強食塩冷鉱泉。かつてここは海の底だったので、塩分とミネラルが地質の中からしみ出しているのだそうです」

「ナトリウム分の濃い塩辛い温泉水ですが、効能があるので、ほうじ茶と合わせたものをラウンジで飲んでいただくこともできます。また、その温泉水を使った温泉粥を朝食にご用意しています。

お風呂では、湯船に入りながら日本酒を召し上がっていただく『露天で一杯セット』が人気です。木桶に竹の酒器で、地元・三条の福顔酒造の吟醸酒『五十嵐川』をお出ししています」

ほうじ茶と合わせた温泉水がいただける、趣あるラウンジ

となり合うものづくりの町、燕と三条をつなぐ宿

客室ではSUWADAの爪切り、丸直の箸と、地元・燕三条メーカーの製品を貸し出しているということ。またボトルのお酒がオーダーされると、燕の伝統工芸品、玉川堂の鎚起銅器製のクーラーで提供されているそうです。

「宿泊のお客様には、燕三条の工場見学に行ってみたいとおっしゃる方もいらして、お取次ぎをすることもあります」

工場が並ぶ燕三条の町なかとは離れた渓谷にありながら、やはり何かとものづくりの町とのつながりは密接なようでした。

そして嵐渓荘には、燕三条の地元の冠婚葬祭や企業接待の場、近隣リゾートとしても機能してきた歴史があります。

今日も夕方の玄関口に明かりが灯ります

「地元の方々の結婚式や法事のほか、七五三などご家族でのお祝いの会合にもよくご利用いただいています。地元企業の方が取引先のお客様を御連れになったりもしますので、私たちも、地域のおもてなしの場として燕と三条をつないで盛り立てて行きたいと常に考えています」

このあたりは冬はけっこう雪が深く、雪景色を楽しみに来る人も多いということ。雪行灯やかまくらなどを作っておもてなししているそうで、そんな真冬の温泉郷で露天風呂に入るのもよいものでしょう。ゴールデンウィークや夏休みは家族と、紅葉の季節はツアーでなど、季節ごとにさまざまに楽しまれているようです。

「『妙泉和楽 (みょうせんわらく) 』という言葉がこの温泉のコンセプトでして、妙なるお湯を和やかに楽しんでいただければ幸いです」と若女将はにこやかに語りかけます。

地域の奥座敷として、こんな温泉宿があるというこの土地の豊かさに感じ入りました。

<取材協力>
嵐渓荘
新潟県三条市長野1450
http://www.rankei.com/


文:鈴木伸子
写真:神宮巨樹

「ふつう」じゃない鍬を100年作り続ける鍬専門工場、近藤製作所

こんにちは、ライターの鈴木伸子です。
私もさまざまな金物工場を取材しましたが、なかでも驚いたのは、鍬 (くわ) の専門工場・近藤製作所で見た、壁一面にありとあらゆる形の鍬がずらりと並んだ光景でした。“鍬”と一言で言っても、こんなにいろいろな形と種類があったとは!

鍬は、耕す地形や地質、田んぼ用か畑用かなどによって、それぞれ形が異なってくるために全国各地、このようにいろいろな形があるそうなのです。それは、四角、長方形、丸型、うちわ型、フォークのような形とさまざま。それら全国から注文や修理によって近藤製作所で請け負ってきた鍬が、ここに一堂に並んでいるということなのでした。

「ふつうの鍬」なんて無い

近藤製作所は創業100余年。三条の地元の「野鍛冶 (のかじ) 」として農家の使う鍬をはじめとした農具を製造し、やがて鍬専門の工場となりました。現在の代表は近藤一歳 (こんどう・かずとし) さん。昭和24年生まれで、小学生の頃から工場で父の手伝いをしてきたという筋金入りの鍬職人です。

お話を伺った近藤一歳さん

「鍬と言っても、見てもらえばわかるように日本国中にいろいろな種類がありますから、『ふつうの鍬ください』と言って注文してきた方がどんなものをイメージされているのか、こちらにはまったくわからないわけです。

たとえば新潟でも、三条のあたりの土質は粘土質の赤土で耕すのに割合力がいるそうです。だけど上越は黒土で地質が違うし、そのほかも柏崎、小千谷と、地域によって使われている鍬の形は全然違うんです。

新潟の鍬は全体的に幅が広いですね。それは田んぼで畝を作ったりするのによく使われるから。それに対して関東地方の土は関東ローム層でさらっとしているし、田んぼよりも畑が多いでしょう。だから鍬にも掘ったり切ったりする機能が求められる。

そのほか福島県でも浜通りと中通りでは全然違うし、山形県でも山形市と庄内、鶴岡では使われている鍬の形が全然違うんですよ。だから『ふつうの鍬がほしい』と言われても今使っている鍬を見せてもらってどんなものか判断するしかないわけです」

似ているようで地域によって少しずつ形が違います

また、鍬には作業の性質により、「打ち鍬」「引き鍬」「打ち引き鍬」と大きく分けて3種の鍬があるとか。

「『打ち鍬』は田畑の荒れたところを開墾するための鍬です。振りかざして土のなかに打ち込むようにできていて、厚みがあって、刃の角度は起きていて丈夫です」

お話の合間合間で使い方を再現してくれる近藤さん

「『引き鍬』は、畝を作ったり土を移動したりするためのもの。薄くて角度は寝ています。『打ち引き鍬』はその中間。打ったり引いたり。
たとえば、群馬、埼玉など関東の土質は関東ローム層なので、引き鍬です。その一方で打ち鍬は、ふり下げて鍬自体の重さで土を耕す。なので、軽ければいいというものでもない。持ち上げるのは楽でも、打ったり引いたりするのにかえって力がいることになるわけです」

近藤さんの解説で、鍬という農具の深淵さ、日本全国の農耕文化の多様さが徐々にわかってきました。

全国の農家の人の身体の動きをトレースする

近藤製作所では、全国各地の金物問屋の注文によって鍬を製造しているほか、永年愛用されてきた農具の修理や復元といった個人の注文にも応じています。

「農家の人は、ずっと使っている鍬の形でないとだめなんです。その鍬でする作業が身体に染み込んでいるから。

注文品について、特に神経を使うのは3点。刃の先端の曲線部の具合、刃全体の反り具合、あとは柄の角度ですね。特に柄の角度は重要で、それによってできる作業の性質が変わってくる。だからうちでは柄の角度を変えられる鍬も作っているんですよ。

今は農業も機械化されているので、鍬の使われ方も変わってきています。最近は田畑に畦 (あぜ) を作らなくなっていることもあり、鍬自体が小さくなっている傾向にありますね。
インターネットでの通信販売もしているので、九州の方が北海道で使われている鍬を求められるというようなこともあって、おもしろいことだなと思っています」

近藤さんの工場では、スプリングハンマーなどの機械を導入しながら、刃先の鋼部分は今も手作業で叩いて仕上げて鍬を製造しています。いかにも金属の“ものづくりの場”という雰囲気の重厚で大きな機械が並ぶ工場内で、その作業の様子を見せていただきました。

「昔は一つひとつ鉄を叩いて強度を増す鋼 (はがね) をつけて、全部手づくりでやっていたけれど、三条の金物工場では比較的機械の導入が早かったから、鍬もスプリングハンマーを使って大量生産できるようになったんです。

また、三条はステンレス製品の産地である燕と隣り合っているので、ステンレス製の鍬も早くから生産するようになりました。まだ全国の農具の産地でもステンレスという素材になじみのないところは多いです。ステンレスには直接鋼を付けることはできないので、鋼と軟鉄が一緒になった利器材(りきざい)を溶接してハンマーで叩きます」

そんなお話をうかがいながら、スプリングハンマーが鉄を叩く様子を見せていただきます。スプリングハンマーが上下に動く、ドス、ドスという音とともに火花が周りに散り、そばで見ていると、たいへんな迫力。

その後、鍬の先端の刃の部分に鋼を付け、今度は近藤さん自らが金槌をふるって接合していきます。熱で真っ赤になった鉄と鋼に力いっぱい金槌を振り下ろすと、派手に火花が飛び散ります。

「こうして“はたく”ことで、刃が丈夫で切れ味がいい鍬になるんです」

近藤さんは“はたく”という表現をされますが、それは真っ赤になるほどに熱した鉄を何度も工具で叩いて鍛えること。そうすることによって、金属の組織がスクラムを組んだように結合して強くなるということなのです。

火花散る鍛冶の現場。大変な迫力です

永年作り続けてきた全国各地のさまざまな種類の鍬と、熱気あふれるその製造現場。ここには、農家の信頼を得てきた三条の野鍛冶の伝統が連綿と受け継がれていることを実感しました。

<取材協力>
近藤製作所
http://www.kuwa-kaji.com/

<関連商品>
近藤製作所 移植ゴテ・耕耘フォーク (中川政七商店)


文:鈴木伸子
写真:神宮巨樹

三十の手習い「茶道編」八、手紙とお辞儀の共通点

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇先人の消息を読み解く

6月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室8回目。床の間の掛け軸は、何かの和歌、でしょうか‥‥?

「これは人気の武将、独眼竜・伊達政宗の手紙です。中ほど空間の広いところに『五月晦日』と書いてあります。その下には政宗の花押 (かおう) 。今で言うサインですね。形が鳥の鶺鴒 (せきれい) の姿に似ていることから、政宗のセキレイ判とも呼ばれます。

晦日とは、月の終わりの日をさします。だから年末は大晦日。旧暦の五月晦日を今に置き換えると、6月の末になります。だいたい、ですけれどね。時期にことよせて、今日の掛け軸にしました。読み終わった手紙もこうしてしつらえになるんですよ」

なんと、博物館で拝見するような歴史上の人物の便りが、目の前の床の間を飾っています。

「手紙は難しい言い方をすると尺牘 (せきとく) と言います。その人の息吹が込められているものだから消息 (しょうそく) とも。

書き損じたり、いらなくなった手紙や文書は反故 (ほご)と言います。反故、つまりゴミです。約束を反故にする‥‥は皆さんも知っているでしょう。それを捨てずに、茶室の壁に貼ったりするものは反故張りと言います。

本当は、表には出ない下地に貼ったのですが、“侘び”の表現としてわざと見えるようにしたのです。もちろん、適当ではなくて、文字のグラデーションがまるで文様に見えるように考えて貼っていきます。

その昔、紙は貴重な資源だったので、漉き直して使いました。ですが人気の武将や茶人など、名のある人物の手紙は、受け取ったほうが喜んで大事にとっておいた。だから、反故にされずに、残ったのです」

この手紙は伊達政宗が江戸幕府大老の土井利勝に宛てた手紙だそうです。土井利勝は幕府の体制を整えた2代目将軍・秀忠の側近で、幕府最初の大老。伊達政宗は武将の中でも筆まめで知られるそうです。しかし、私には全く読めません‥‥

「読めないですよね。でも途端に読めるようになる方法があるんですよ。

今は新年の挨拶を『あけおめ、ことよろ』と短縮するでしょう。それと同じで、昔の手紙はどうしても言いたい、わかって欲しいというところは、下手にくずしたりせずにちゃんと書くんです。そこさえ読めればいい。

右から1行目、段が下げてあるところは袖書きと言って、後から書き足した追伸です。段が下がっているのがその目印。つまり本文は右端から3行目、『明日の』から始まります。

3行目から濃く書いてあるところを見ていくと、4行目に『一々御自筆にてお書付』とあります。“わざわざ直筆の手紙ありがとう”と言っているんですね。

5行目は中ほどから6行目の頭まで『入御念千万辱』、“念の入ったことで辱 (かたじけな) い”。6行目の最後は『天気』と書いてあって、“天気が良いといいですね”と用件が終わります。

つまり、自筆で文書をもらったことへのお礼と、明日はよろしくね、晴れるといいですね、というだけの手紙なんです。今日のビジネスマナーと同じですね。明日よろしくって、今日のうちに江戸のお屋敷から事前に連絡しているんです。

手紙は当時の一番リアルな通信手段ですから、現代の携帯でのやりとりのように、いたってカジュアルで、口語的な内容の場合も多いのです。

よく使うツールだからこその共通ルールもあります。7行目、墨を足して書いてあるところ、末尾の部分は、これで『恐惶謹言 (きょうこうきんごん) 』と読むんですよ。

今も女性が手紙を「かしこ」と結ぶのと同じで、当時は男性でもカジュアルな手紙の場合は「かしく」と書くこともありました。より正式には『恐惶謹言 (きょうこうきんごん) 』と書いて、どんな手紙も、必ずこの言葉でしめてあります。『おそれつつしんで申しあげる』意味で、改まった手紙の末尾に書き添え、相手に敬意を表す語でした。

必ず、そのように書く決まりだったので、あえてリズミカルに省略して書いたりしたのです。今でいう、絵文字やスタンプに似た役割になっています。きちんと書く、ではなくてカッコよく書く。

もちろん、どうでもよい訳ではなくて、読み手がわかりやすいように、崩し方にも一応の決まりがあります。

先生がさらさらと崩し方のパターンを書かれていきます

例えば結婚式に出席するたびに、毎回違う服を用意するのは難しいですよね。コードはある程度決めておくことでみんなが救われます。書き手も読み手もはじめに共通言語となり得る型を覚えて段々と使いこなしていくのです。

今はミミズがのたくっているように見えるかもしれませんが、かすれて読めないところは読めなくてもいい。大事なところはしっかりと書いてありますから、ちょっと見方を覚えておくと、そこだけ浮かんで見えるようになりますよ」

先生のガイドのおかげで、大河ドラマや教科書でしか知らなかった歴史上の人物が、少し身近になったような。

「なにしろ遠いものだと思わないことです。昔の人も生きていたんです。恋もすれば失恋もして、嫌いな奴もいれば喧嘩もした。今の私たちと一緒です。伝えようとしたことがある、と思って読むと読めるようになりますよ」

お菓子に込める祈り

「掛け軸は『5月晦日』と日付にかけて選びましたが、6月晦日に行われるのが夏越の祓(なごしのはらえ)です。

もちろん、もともとは旧暦の6月末に行われていました。この行事は、一か月ずらしたりせず、新暦に移った現在でも、6月30日ごろに執り行われます。

お盆の行事が、旧暦では7月15日だったのが今は関東は7月15日、関西では8月15日が多くなっているように、旧暦と新暦の置き換えはいろいろあり、面白いですね。

本格的に夏になるという時に、心身の穢れをはらう儀式を執り行いました。由来は神話の伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) の禊祓 (みそぎはらひ) にまで遡るそうですが、京都を中心に、日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。

昔は暑さ厳しい夏の間に病気で亡くなる人が多かった。夏を無事に過ごすことは、切実な願いでした。

位の高い人は、ひとつの儀式として氷を保管している氷室 (ひむろ) から氷を運ばせて、夏本番になる前に食べました。聞くところによると、加賀の前田家が越中五箇山の氷室から徳川将軍家に献上するためにひと抱えの桶に入れて運んだ氷は、江戸城に届く頃にはコップ一杯くらいになっていたそうです。大変なぜい沢品ですね。

庶民はもちろん氷なんて口に入りませんから、お餅を三角に切って氷のつもりで食べたのが今日のお菓子、水無月です。

今月のお菓子、その名も水無月。器と相まってとても涼しげです

小豆がのっているのは、赤いものには魔除けの力があると信じられていたためです。お赤飯も同じ理由ですね。赤いあずきの力で魔を払って、この夏無事に過ごせますようにとの願いを込めた行事食というわけです」

今日もう一種のお菓子は太宰府にある御菓子而 藤丸さんのもの。目にするだけですっとします
海の生き物が描かれた水差し。いたるところに涼を感じさせるおもてなしが

手紙とお辞儀の共通点

日々使う携帯に置き換えて古い手紙に触れ、夏の無事を祈る思いとともにお菓子を味わう。今日は何か、触れるものの奥にそれぞれ、人の体温が感じられるようです。「昔の人も生きていた」という先生の言葉が耳に残ります。

「最後に少しお辞儀の仕方をおさらいしましょうか。真・行・草のお辞儀の仕方を覚えていますか。きれいにする、というのは一面、見られているという意識を持つということですよ。

手指は何時も揃えてバラバラさせない。立ち上がる時はかかとの上にキュッとお尻をのせて、重心は後ろのまま、すっと立ち上がる。立ち姿はピアノ線で吊るされているように。

そしてお辞儀の時に大事なのは一拍おくことでしたね。相手の頭が上がったかどうかをちゃんと伺って息を合わせること。頭が下がる時はたとえバラバラでも、あげる時に揃っていたらきれいです。

こうした型は、いつでもできるように、体で覚えておけば、そこから崩すことができるでしょう。相手に合わせて堅い表情でやった方がいいか、カジュアルにやった方が喜ぶ相手なのか。いつでもできるようにしておけば、崩す余白ができるんです。型を知るというのはそういうことです」

今日触れた手紙も同じなのだと、改めて気づきます。お辞儀も手紙も、さらに先月から少しずつ覚え始めた帛紗さばきも、共通する「型」というキーワードで、ひとつながりにつながっていきます。

「与謝野晶子が詠んだ『その子二十歳、櫛に流るる黒髪の、おごりの春の美しきかな』という一句を、俵万智は『二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のヴィーナス』と現代語訳して一躍有名になりました。

とにかく何事も、怯えないことです。敬遠している間は絶対頭に入りません。昔の手紙も、読んだら読める。なんでもそうですよ。我がことにさえ思えばいくらでも、身につくんです。

–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、手紙もお辞儀も、型を知っておくことで自在に扱えるようになる

一、何事も怯えず、自分ごとにすれば自然と身についていく


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付協力:大塚呉服店

片時もメモが手離せません。今回も大塚呉服店さんのご協力て、涼やかな着物を身に付けて臨みました