麦わら帽子の小麦色

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。

麦わら帽子の小麦色

人はものの色を純粋な色味だけで見ているのではないように思います。素材や目にした時の季節ですら、見え方は変わる気がします。

麦わらの 今日の日のいろ 日の匂ひ

広島出身の詩人・俳人、木下夕爾(きのした・ゆうじ)が詠んだ句だそうです。麦わらは夏の季語。梅雨時期に収穫を迎える麦の、穂を取り除いた後の管「麦わら」を、人は無駄にせず家屋や日用品の材料に活かしてきました。この句は材料そのものの「麦わら」を詠んだものかと思いますが、私にはたっぷりと日を浴びた麦わら帽子のツヤツヤとした小麦色や、そのかぶった時の香ばしい匂いが、立ち上ってくるようにも思えます。

麦わら帽子は、麦わらを編んで作る夏の代表的な日よけの帽子。なんとギリシア時代にもその存在が認められているそうです。中世までは主に農作業用など実用向きだったものが、18世紀後半に入って女性向けの華やかなものが流行り、1870年ごろには機械製造がスタート。日本では明治に入ってから、本格的な製造が始まったそうです。

もしお手元にあったら一度手にとって見ていただきたいのですが、現代の麦わら帽子は麦わらをそのまま編んでいるのではなく、一度平たいひも状に編んだもの(真田紐のように編むので真田と呼ぶそうです)をてっぺんからぐるぐると一筆書き状に隙間なく縫い合わせて出来ています。

岡山県笠岡市に工房を構える石田製帽は、日本で麦わら帽子製造が始まってほどない1897年(明治30年)創業の麦わら帽子の老舗。瀬戸内海に面し温暖な気候に恵まれ、古くからのい草・麦の産地だったこの地で、長らく農作業用の麦わら帽子を作り続けてきました。今では4兄弟がその技術を受け継ぎ、今の暮らしにあった色かたちの帽子を発信しています。

石田さんによると、麦わらは「管」という性質上割れやすく、縫う前のひも状にする工程は今も全て人の手で編んでいるそうです。その編んだ幅が太い麦わらの方が、ミシンで縫うときにも割れにくく扱いやすいそうですが、石田さんが使うのは幅の細い麦わら。扱いには技術が求められますが、「細幅の方が軽量でかぶり心地のいい帽子になる」のだそうです。
実用の日よけには、太幅でも充分。ですが細幅ステッチの麦わら帽子は、確かにその分肌あたりもシルエットもやわらかになり、より大人らしい、上品な印象です。

農作業用に始まり、今では夏に欠かせないファッションアイテムのひとつになっている麦わら帽子。あの一目で麦わら帽子と分かる小麦色は、麦そのものの天然の色と、精緻な人の手わざとが交わって生まれていました。形、手ざわり、匂いとともに、これだけ夏を思わせる色合いも、ないように思います。

<取材協力>
株式会社石田製帽
http://www.ishidaseibou.com/

<掲載商品>
リネンリボンの麦藁帽子(中川政七商店)

文:尾島可奈子

暮らしの道具「蚊帳」が、空気のようにやわらかい夏のショールになるまで

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
気に入って使っていた日用品が、実はどこかの伝統的なものづくりを受け継ぐものだったー。そういう出会いがあると、嬉しくなってその道具がちょっと特別な存在になります。今日は昔なら誰もが知っていて、最近はあまり見かけなくなったあるモノから生まれた、夏のショールのお話です。

「おはようございまーす」

とさわやかに女性たちが出勤。取材に伺った日はまだ5月下旬だというのに、季節をスキップしたかのような夏日でした。クーラーがあったらスイッチを入れたくなる暑さ。それでも、これから女性たちが仕事に取り掛かる作業場に冷房設備はないそうです。なぜなら元々は、春が来る前に納品が済んでしまう仕事だったから。それが毎年注文数が増え続け、今や5月末にようやく注文数が作り終わるというその商品は、涼しげな夏のショール。今日のお話の主役です。

「ここの大家さんは、先先代が蚊帳の販売をされていたそうです。だからうちの仕事にもご理解があって」

その日訪ねたのは奈良の丸永商事さん。元々衣服につける刺繍の仕事をされていたのが、「ある素材」を使ったショールを作るようになって、今は刺繍と縫製を半々で作る日々だそうです。ある素材とは「蚊帳」。昔は各家庭で夏の夜、寝るときの虫除けに使っていた、あの蚊帳です。

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実は、蚊帳は奈良の特産品。今では中々見かけなくなりましたが、たまたま蚊帳生地のショールを縫うために縫製工場を開いた場所が蚊帳に所縁のあるところだったというのも、また産地らしいお話です。

代表の永井さん
代表の永井さん

蚊帳生地は、そのままではショールにするのに目が粗すぎるので、洗い加工をして目を詰めてあるそうです。ほどよく風を通して肌あたりは柔らかく。肌に触れることを考えて新たに開発された蚊帳生地は、元の蚊帳の姿がちょっとイメージできないような、ふんわりとした風合いでした。

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ショールのサイズに生地をカットするところからが丸永さんの仕事。裁断のあとは裾の房作り、生地の両端の縫製、仕上げのアイロンかけと工程が進みますが、実はカットが最初にして最大の難関だそうです。

各工程専任の担当がつく
各工程専任の担当がつく

まっすぐに切れない生地

目を詰めてあるとはいえ、よく風を通すということは普通の衣服に比べれば生地の密度が粗いということ。そのため生地が歪みやすく、とにかくまっすぐに切るのが難しい。生地の上から線を引いてカットしただけでは、くねくねとした糸のラインとずれて、歪んだ形に切れてしまいます。もちろん生地を何枚も重ねてまとめてカットすることもできない。

「だから、ハサミを入れる位置の糸を1本抜いて、それを目印に1枚ずつ、全て手切りしています」

これは実際に見てみるとわかりやすいです。

縦の白い筋が糸を抜いた跡。クロスする黒い線は、糸を抜く前。ショールの横幅に合わせてそこだけ違う色糸を織り込み目印にしてある
縦の白い筋が糸を抜いた跡。クロスする黒い線は、糸を抜く前。ショールの横幅に合わせてそこだけ違う色糸を織り込み目印にしてある
針で目印の糸を引っ掛け、抜いていく
針で目印の糸を引っ掛け、抜いていく
目を詰める洗い加工をしているため、糸同士がくしゅくしゅとくっついて抜きづらい。引っ張りすぎると切れてしまうのを、加減しながらたった一本の糸を抜いていく
目を詰める洗い加工をしているため、糸同士がくしゅくしゅとくっついて抜きづらい。引っ張りすぎると切れてしまうのを、加減しながらたった一本の糸を抜いていく
目印の白い筋に沿って、縦、横をカットしていく
目印の白い筋に沿って、縦、横をカットしていく

「これは、私もできないです」

と笑う永井さんの横で、最難関の工程を任された女性は黙々と着実に糸を抜き、それを目印に生地をカットしていました。

生地からショールへの変身

次はショールの房作り。どう作るのだろうと思っていたら、なんとカットされた生地の端から1本ずつ糸を抜いていました。

針と手を使って1本ずつ糸を抜いていき、ショールのポイントとなる房を作る
針と手を使って1本ずつ糸を抜いていき、ショールのポイントとなる房を作る

房ができると、だんだん「生地」が「ショール」らしくなってきます。続いて生地の両端を三巻き縫製する工程へ。ちょうど色違いの紫色を縫製中でした。

ここで先ほどのカットの工程が生かされる。生地目に沿ってまっすぐにカットされていないと、ミシンがキレイに生地の端を巻き込めなくなってしまう
ここで先ほどのカットの工程が生かされる。生地目に沿ってまっすぐにカットされていないと、ミシンがキレイに生地の端を巻き込めなくなってしまう

この後さらに風合いを出すために房が洗いにかけられ、アイロン、検品を経て完成です。

右が洗い加工前、左が洗い加工後。よりやわらかい雰囲気に
右が洗い加工前、左が洗い加工後。よりやわらかい雰囲気に
房を洗ったショールを干しているところ。風に吹かれてキレイでした
房を洗ったショールを干しているところ。風に吹かれてキレイでした

蚊帳生地ならではの風合いを生かしたショールは、蚊帳生地ならではの難しさをなんとか乗り越えて、今や10年続くロングセラー商品に。「あ、かわいい」と手に取る瞬間に理屈はないですが、ふんわりとした風合いは蚊帳生地だからこそ出ていること、その風合いを生かすために無数の工夫が人の手でされていること、わざわざ言わなくても全部そのものの姿に現れて、「あ、かわいい」の瞬間につながっているように思えました。

<取材協力>
丸永商事

<掲載商品>
やわらかリネンショール(中川政七商店)


文・写真:尾島可奈子

三十の手習い「茶道編」六、無言の道具が語ること

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇無言の道具が語ること

4月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室6回目。床の間の掛け軸のお話から、お稽古が始まりました。

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「これは熊野(ゆや)というお能の曲目を描いた、源平合戦にまつわる物語がテーマのお軸です。熊野は平清盛の三男、平宗盛に寵愛された美形の踊り子さんです。描いたのは神坂雪佳(かみさか・せっか)。元は双幅になっていて、一方にお能、もう一方に京都の桜の名所、清水寺の地主桜(じしゅざくら)の絵が描かれています」

ある日、熊野に母の危篤の知らせが入る。帰りたいが宗盛が帰してくれない。どんどん沈みがちになる熊野を、宗盛が気晴らしにと清水寺の地主神社へお花見に連れ出す。その連れて行かれるシーンを描いた絵だそうです。ストーリーやこの絵を知っている人には、これがお花見の時期に合わせた設えだとピンとくるわけですね。

「手前の花入れは蒔絵をあしらった鼓です。ほんものですよ。実際に演奏に使われていたものです。鼓は能の楽器ですからね。傍にあるのは謡本(うたいぼん。謡曲の譜が載った教本)と、お囃子に使う横笛の能管(のうかん)。八坂神社に伝来した笛で、名を清水とつけられいます。能管の下に敷かれた裂(きれ)は久松家(伊予松島藩主で明治の動乱下でも土地の能文化を保護した)伝来の能装束の端切れです」

掛け軸のお能の世界観が、その傍の飾りものへと広がっていました。

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中ほどに「清水」の銘が見てとれる
中ほどに「清水」の銘が見てとれる

謡本の中身を見せていただきました
謡本の中身を見せていただきました

「本来、茶会では冗長なおしゃべりは禁物。静かに粛々と時が動いていくのが望ましい。では、何が亭主の気持ちを語るかというと、そこに用意された道具が語る。その場に選ばれた理由、組み合わせ方が、何よりのコミュニケーションツールなのです」

ホストはゲストをもてなすためにストーリーを組み上げ、言葉に代えて道具の取り合わせで自分の気持ちを表す。ゲストは無言の道具を一つひとつ自分のセンス・教養を駆使して汲み取っていく。これが何よりのお茶会の喜びだと、先生はおっしゃいます。

「ご心配なく、全部わからなくていいんです。聞けば教えてくれます。その時受け取れるものを一つひとつ、自分の目・耳・鼻・手で感じ取っていくこと。茶会に来て、ドリル問題の答え合わせをする必要はありません。かといって、お茶が美味しいというだけでない。茶会の一番の喜びですね」

そして、お茶会に込める物語のベースとして、長らく好まれてきた題材のひとつがお能なのだそうです。

「お茶に先行して、日本文化の核として発達したのがお能です。神仏に奉納するお神楽がもととなり、祈りの表現として始まったものです。これを室町将軍家が特に好みました。新しい社会のニューリーダーだったお武家さんたちは、それまでのリーダーだったお公家さんたちの文化、例えば雅楽とか和歌などとは違うものを欲したのだと思います。抑制の効いた動作や所作の中で舞う能を、自らも演じ、また観劇して楽しみました。源平合戦のテーマがお能の曲目に多いのはそのためです。お侍さんたちにとって馴染みのあるものですからね」

そうして源平を題材に作られたお能の演目が、今度は絵に描かれ、お茶という別の文化に取り込まれて今日の床の間を飾っていると思うと、ますます先ほどの掛け軸の持つ意味がずっしり重みを増していきます。

「今聞くと、難しく、何を言っているのかわからないかもしれません。しかしながら、お能の曲は古今東西の名文美文を寄せ集めたオムニバスのようなもの。なので、昔の人にしてみれば、歌い踊っている間に一般教養が覚えられる便利なツールでもありました。さらにお酒の席で一緒に演じられる、武士たちにとっての共通言語だったんです。当然、人前で披露するならかっこよく立ち居振る舞いしたいと思いますよね。この、お能で見られる観客を意識した動きと自らの楽しみ、両方が背骨になって、後発の文化である、もてなしの場としての茶の湯に落とし込まれていくんです」

ただお茶の美味しさを堪能するだけでなく、お点前はかっこよくやらないといけない。

「お茶を立てる動作自体も、ご馳走のひとつ。言葉ではない、自分の小さな所作の一つひとつが、相手に気持ちが届くように。そう願って稽古するのです」

◇さまざま桜

お軸を中心とした飾りものが能をテーマにしているのと対を成すように、お点前の道具やいただいたお菓子はどれも、4月らしく桜がモチーフになっています。絵の中の熊野のお花見を、疑似体験しているかのような気持ちになってきます。

田楽箱という、お団子が転がらずに収納できるよう作られた箱。お団子は京都・二條駿河屋さんのもの
田楽箱という、お団子が転がらずに収納できるよう作られた箱。お団子は京都・二條駿河屋さんのもの

2種目のお茶菓子は花びらをかたどった伊賀上野・紅梅屋の「さまざま桜」と京都・かぎや政秋の「ときわ木」を木の幹に見立てて
2種目のお茶菓子は花びらをかたどった伊賀上野・紅梅屋の「さまざま桜」と京都・かぎや政秋の「ときわ木」を木の幹に見立てて

水差しは桜が散って流れている様子を表す花筏(はないかだ)の意匠
水差しは桜が散って流れている様子を表す花筏(はないかだ)の意匠

◇道具がコミュニケーションツールになるには

「機会があったら一度お能を観に行って、主役だけでなく脇に縦に並んだ地歌と呼ばれるコーラスの人の動きや、楽器を担当する囃子方(はやしかた)の動きを見ておくといいですよ。黒い紋付、より正式な会なら裃(かみしも)を着て並んだ人たち。ピンとした一糸乱れぬ所作を保つことで、そこにいるはずの気配が消えます。逆に雑にすれば目立ってしまう。お能を実際に観てつまらないと思うか、面白いと思うか。感じ方は人によって違うと思いますが、お茶の稽古をする前と習い始めてからでは、お能を見た感想は、まず、変化するはずです。
何気なく眺めている間は無縁だと思っていたものが、何かに取り組むことで、実はどこかでつながっていることに気づく。何であれ、視野を広げて興味を持つということが、とても大切なんです。お茶はお茶だけで成り立っているものではない。お能もしかり」

視野を広げた先に見つけられる、お茶会に組み込まれたさまざまなストーリー。今日のお能の仕掛けも、さっと読み解けたらどんなに楽しいだろうと思っていたところに、先生が最後に大切なことを教えてくれました。

「何事も、どうしても自分本位にやってしまいがちです。こうしたお能にちなんだ取り合わせもいいですよ、と伝えましたが、危険な要素もはらんでいます。少しお能もかじり、お茶をたしなんで道具や文化に興味を持った人が、必ずやりたくなる仕口のひとつですが、同時に、そういう人が茶会を開く際にもっともやってはいけない開催の仕方とも言えます」

危険、という言葉にどきりとします。自分の見聞きしたこと、覚えたことは、ちょっと背伸びしてでも、すぐに実践したくなりそうですが‥‥

「自分が多少わかっていて楽しいからといって、お能がかりの趣向でお茶会をひらいて、お客さんの何人が理解し、楽しいと思ってくれるかどうか‥‥。我が身の知識と教養をひけらかすためだけにやるような会ならば、これはもてなしとは言えません。共通言語という言葉を何回も言いましたが、相手がともに理解してくれればこそ、説明なく道具が無言のうちに語ってくれるのです。
今のビジネスシーンでいうと、企画書やプレゼンテーション、謝罪の仕方でも同じです。例えば相手に頭を下げるということは、下げている所作全体から、お詫びの気持ちが伝わってくるようなものでなければならないと思います。
時に、やせ我慢も魅力、ではありますが、独りよがりだけ、ではつまらない。

−では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、無言の道具を介したコミュニケーションを楽しむ

一、ただし、あくまで相手が理解できてこそもてなしになる


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装:大塚呉服店

300年続く、風鈴の透明

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。

300年続く、風鈴の透明

透明、という言葉は好意的に使われます。透き通るような白い肌、政治の透明性、クリアな声。そういえば色眼鏡でものを視るとか話を脚色する、のように「色」という言葉はどこか「ナチュラルなものに手を加えている」というニュアンスも持つようです。旗色鮮明、わかりやすいと話が早いこともありますが、無色透明、向こうが透けて見える様子には清々しい安心感を覚えます。

とはいえ、見えないだけでは空気と一緒で気付けないので、そこにあるものをあえて透明にすることで人は清涼感を感じるようです。思えば金魚すくいだってそこにあるのが見えているのに中々手が届かないからじれったく、夢中になるのかもしれませんね。と、ちょっと話が逸れましたがこれからの季節、暑いのはどうしたって避けられないからせめてもと「涼をとる」ために活躍するのが風鈴。それもガラスのものは向こうの景色が透けて見えてなんとも涼しげです。

風鈴の歴史は古く、発祥は古代中国。元は風鐸(ふうたく)と言い、家の四方に魔除けとして鐘を吊るしたり、竹林に吊り下げて風の向きやその音色で吉凶を占う風習があったそうです。仏教の伝来と共に日本に伝わり、お寺や家屋の厄除けとして用いられていたものが、次第に涼をとる夏の生活道具として定着しました。本来とても神聖なものだったんですね。はじめは吊鐘のように鋳物で作られていましたが、そのうちガラス製の風鈴が出始めたのは享保年間(1700年代)頃と言われます。長崎に伝わったガラスは、見せ物として大阪、京都、江戸を興行したそうです。

この江戸時代当時から江戸の地で作られてきた風鈴を「江戸風鈴」と名付け、その技術を受け継いで今もひとつ一つ手作りしているのが1915年創業の篠原風鈴本舗さん。型を使わず空中でガラス玉をふくらます宙吹き(ちゅうぶき)という製法で作られる風鈴は、あえて厚みが不均一に作られています。ガラスの薄いところ、厚いところを吹き分けることで、音に違いが出るのだそうです。

音で風を感じ、わざわざガラス越しにそこにある景色を切り取って涼を取る。ガラスの風鈴は、あらゆる色を取り込んでしまう透明の威力を最大限に生かした暮らしの道具と言えそうです。

<掲載商品>
江戸風鈴 透明(中川政七商店)

<取材協力>
有限会社 篠原風鈴本舗
東京都江戸川区南篠崎町4-22-5
03-3670-2512
http://www.edofurin.com/

人口2万の島に680万の椿が自生する、椿の島の椿油

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
美しくありたい。様々な道具のつまった化粧台は子供の頃の憧れでもありました。そんな女性の美を支えてきた道具を七つ厳選。「キレイになるための七つ道具」としてその歴史や使い方などを紹介していきます。

第6回目は椿油。連載も終盤にさしかかりました。
椿油というと髪に使うイメージですが、実は全身に使える優秀な保湿油。昔から美容に愛されてきた理由は、椿油が含むオレイン酸という成分にあるようです。

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椿油の成分の実に80%以上がオレイン酸。あらゆる植物油の中で最も多く含まれているそうです。実は人の皮脂も、40%以上がオレイン酸でできています。そのために肌なじみがよく、不乾性油と言って蒸発もしにくいため、髪・肌の保湿に優れるとのこと。さらに紫外線から肌を守る働きがあるとも言われているので、これからの季節のお手入れにも活躍しそうですね。

人口2万の島に680万の椿が自生する、椿の島

こうした椿油の魅力を発信し、島民の方が手摘みした椿で作る椿油が人気なのが、長崎県の最西端、五島列島の北部に位置する新上五島町です。島は7つの有人島となんと60もの無人島で形成されています。大部分が西海国立公園に指定されている、自然の美しい島です。

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島と椿油の関わりの歴史は古く、遣唐使の時代に貢物として椿油が送られていたとの記述が残されています。五島列島全体では1000万本近い椿が自生していると言われ、その数は全国一とのこと。そのうち上五島に自生している椿は680万本。人口およそ2万人の島に、列島全体の半分を占める椿が自生しているのですね。11月から4月ごろまでは、その赤く美しい花を島の至る所で見る事が出来ます。

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椿の種から椿油ができるまで

ところで椿の実、みなさんは見たことがあるでしょうか。新上五島町の椿に使われる「やぶ椿」の実は、手のひらサイズ。こんなに大きかったんですね。

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全て島民の方が手摘みして種を取り出し、島内にある工場で椿油作りが行われます。

2014年4月にオープンした、化粧用椿油の製造を行う「椿夢工場」
2014年4月にオープンした、化粧用椿油の製造を行う「椿夢工場」

乾燥させた椿の種は細かく砕かれ、圧搾機で油が搾り出されます。その後不純物や余分な酸、水分などが取り除かれて、椿油が完成します。種の手摘みの印象とは対照的に、種から椿油を取り出すまでの工程には高性能の機械が導入されています。

これが椿の種
これが椿の種
種を加熱し圧搾しやすくする「クッカー」という機械
種を加熱し圧搾しやすくする「クッカー」という機械
これが搾られた原油です!
これが搾られた原油です!
余分な酸を取り除いて湯洗いする機械
余分な酸を取り除いて湯洗いする機械
13ものフィルターを通してろ過された椿油が出てきました
13ものフィルターを通してろ過された椿油が出てきました

こうした機械も駆使して、きれいな飴色の、椿の成分だけでできた椿油が生まれます。

新上五島町 純粋つばき油 100ml
新上五島町 純粋つばき油 100ml

実は工場の近くには椿油作りの体験ができる施設もあり、自分の手で椿油作りを体験することもできます。

少しずつ殻を割っていき‥
少しずつ殻を割っていき‥
しっとりとしてきました!中から油分が出ている証拠です
しっとりとしてきました!中から油分が出ている証拠です
蒸したものを圧搾機で搾ったら、椿油の完成です
蒸したものを圧搾機で搾ったら、椿油の完成です

かつてはこうして一つひとつ手作業でやっていたのですね。

椿油の使い方

工場を運営する一般財団法人新上五島町振興公社さんオススメの使い方を覗いてみましょう。

・髪に
お風呂上りにドライヤーで髪を乾かす前に使うのが良いそうです。タオルで水分をとったあと、数滴手のひらに広げて、毛先を中心になじませていくのがポイント。そしてなんとシャンプー後にお湯に椿油を加えて使えば、リンスにもなるそう。洗面器半分ほどのお湯に椿油3、4滴でOK。

・顔に
化粧水のあとにゆっくりと顔全体を包むように広げて馴染ませるのが良いそうです。そのあと蒸しタオルを当てたら、オイルパックにもなるそうですよ。

・体・手に
体の保湿は髪と同じく入浴後、肌が乾かないうちに馴染ませるのがポイント。手や爪には1、2滴すり込むようになじませればOK。アロマオイルと混ぜればマッサージオイルにもなるそうです!

こうして覗いてみると椿油がいろいろなものの代わりになって、これから旅行する機会にも、旅の荷物が少なくすみそうです。こんな心強い七つ道具のひとつがすでに遣唐使の時代にはあったというのですから、花を鑑賞するだけでなく、実用の(そしてキレイになるための!)道具に変えていく人の知恵はすごいなぁと思います。

<掲載商品>
新上五島町 純粋つばき油 100ml

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<取材協力>
一般財団法人新上五島町振興公社


文:尾島可奈子

6月 一番簡単にお付き合いできる盆栽「復活草」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

6月は復活草(ふっかつそう)。大人しそうな見た目ですが、さてインパクト大な名前の由来はどこにあるのでしょうか。今回も清順さんが代表を務める「そら植物園」のインフォメーションセンターがある、代々木VILLAGEにてお話を伺いました。

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◇6月 一番簡単にお付き合いできる盆栽「復活草」

復活草は雨が大好きな植物です。乾燥が続くと葉を閉ざして、自ら生命活動を停止してしまうんです。いわば仮死状態ですね。それが、また水をあげると葉を開いていって、緑に戻るという特殊な性質を持っています。だから復活草。これから雨が多くなるので、水が好きな植物がいいかなと思って選びました。

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盆栽のように外で育てますが、シダ植物なので日陰にもある程度耐えます。別名イワヒバと言って、崖にくっついて自生しているんですよ。それも断崖絶壁の、風がビュンビュン当たるようなところに生えているんです。一度海外からきた植物学者のお客さんを案内がてら、近くの山に登って命綱なしで復活草を採っていたら、高いところに登りすぎて降りられなくなったことがありました。23・4歳の頃だったかな。しばらく岩にしがみついたまま動けずに、同行した人になんとか上から引き上げてもらって事なきを得ましたが、今思うと復活草の名前をなぞるような経験でしたね (笑) 。

ヨーロッパだったらバラやチューリップが「キレイ」となるんですけど、日本人はこういう“けったいな”ものを愛でる文化があります。それはもう江戸時代くらいから。ミニマリズムというか、ちっちゃい中に世界観が凝縮した感じが好きなんですね。復活草は長らく盆栽の世界で愛されてきた植物ですが、育て方はシンプル。土が乾いてきたら水をやる、でOKです。そういう意味では「一番簡単にお付き合いできる盆栽」と思ってもらったらいいと思います。名前も縁起がいいので、父の日のプレゼントにも良さそうですね。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・6月の季節鉢 復活草(鉢とのセット。店頭販売限定)

季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(阪神梅田本店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 神戸大丸店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

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西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。

2012 年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、国内外含め、多数の企業、団体、行政機関、プロの植物業者等からの依頼に答え、さまざまなプロジェクトを各地で展開、反響を呼んでいる。
著書に「教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント」(徳間書店)、 「そらみみ植物園」(東京書籍)、「はつみみ植物園」(東京書籍)など。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。