“やらまいか”日帰り浜松の旅

こんにちは。さんち編集部です。
7月の「さんち〜工芸と探訪〜」は静岡県の浜松特集。浜松のあちこちへお邪魔しながら、たくさんの魅力を発見中です。
今日は浜松特集のダイジェスト。さんち編集部おすすめの、日帰りで浜松を楽しむプランをご紹介します。

今回はこんなプランを考えてみました

【午前】龍潭寺:おんな城主 直虎が眠る遠州の古刹
【お昼】石松餃子 本店:「浜松スタイル」の原点
【午後】
・HUIS:遠州織物を生かした浜松発のシャツブランド
・楽器博物館:アジア最大級の規模を誇る、日本初・公立楽器博物館
【ちょっと休憩】こんどうコーヒー:町の体温が感じられる喫茶店

【夕方】BOOKS AND PRINTS:写真家 若木信吾が故郷にオープンした写真集専門店

【夜】うなぎ料理専門店 あつみ:余計な手を加えないまっすぐな味で勝負して110年

浜松一帯はJRのほかに私鉄も走っていますが、浜松駅周辺以外の見どころは駅から少し離れたところにあり、車での移動が便利。電車メインで回るけれどあちこち見たい!という人は、駅からタクシーやバスを上手に使うと効率的です。

では、いよいよ“やらまいか”日帰り浜松の旅へ出発です!

【午前】おんな城主 直虎が眠る遠州の古刹
龍潭寺 (りょうたんじ)

旅の始まりは、今年浜松に行くならぜひ訪れたい話題のスポットから。浜名湖の北に位置する龍潭寺は井伊家存続の危機を救った女領主、井伊直虎が眠る井伊家の菩提寺。

境内には歴代の井伊家墓所があり、2017年大河ドラマでその激動の人生を描かれた井伊直虎は、生前結ばれることのなかった幼少時代の許嫁、直親の隣に祀られています。

「日本の森百選」にも選ばれた約1万坪の美しい境内や、東海一の名園と謳われる小堀遠州作の庭園など見どころもたくさん。奥浜名湖の自然を愛でながら、歴史散策を楽しみましょう。

龍潭寺の情報はこちら
時間に余裕のある人は、織物産地・浜松を見守る三ケ日 (みっかび) の初生衣 (うぶぎぬ) 神社

【お昼】「浜松スタイル」の原点
石松餃子 本店

そろそろお昼時。ここはやはり浜松名物を食べたいところです。浜松の中心部へ戻りながら、浜松餃子の名店へ向かいます。

2014年から餃子購入額3年連続日本一の浜松市。餃子取扱店300店以上、餃子専門店約80店が軒を連ねます。そのなかで、お皿の上に餃子を円形に並べて中央の空いたスペースに茹でたもやしを置く「浜松スタイル」の元祖と言われているのが、昭和28年 (1953年) 創業の老舗「石松餃子」。

特製の酢醤油をつけてパクリと食いつくと、あっさりとしながらもじゅわっとジューシーな口当たりで、ひとつ、ふたつと箸が進みます。平日のお昼前でも続々とお客さんがやってきます。ここは早めに行ってさっと腹ごしらえを。

野菜の甘みと豚肉の旨味のコラボレーションが絶妙。あっという間に皿の上の餃子が減っていきます
石松餃子本店。平日のお昼前にもかかわらず続々とお客さんが。女性の姿も多い

こちらも車でのアクセスが便利ですが、難しい人はJR浜松駅ビル「メイワン」に支店があるので、諦めずにそちらを利用する手もありますね。

石松餃子 本店の情報はこちら

【午後】遠州織物を生かした浜松発のシャツブランド
HUIS (ハウス)

腹ごしらえをしたら、そのまま浜松駅周辺を観光、の前に、JRでひと駅お隣の高塚駅で下車して、織物の町としての浜松の顔に触れてみましょう。

浜松は楽器や自動車のものづくりだけでなく、遠州織物という織物の一大産地。HUISさんはオーナーの松下あゆみさん自ら地元の機屋 (はたや) さんとともに生地開発を行い、遠州織物を生かしたものづくりを続けるシャツブランドです。

2017年7月7日にオープンしたショールームには飽きのこないシンプルなデザインのシャツやストール、スカートなどが並びます。遠州織物の今に触れられる場所として、また上質な日常着を探しに、訪ねてみては。かつて機屋さんだったという建物も素敵です。

HUISの情報はこちら
>>>関連記事 :「織姫が縁をむすぶ織物の町・浜松を訪ねて」

アジア最大級の規模を誇る、日本初・公立楽器博物館
楽器博物館

続いては音楽の町、浜松の顔を覗きに行きましょう。JR浜松駅から徒歩5分ほどの場所にある「浜松市楽器博物館」へ。

1995年4月にオープンした日本初の公立楽器博物館で、「楽器を通して世界と世界の人々の文化を知ろう」というコンセプトのもと集められた世界の楽器はなんと1300点!

他にも膨大な量の資料が保管・展示され、その規模はアジア最大級を誇ります。展示だけでなく、コンサートや展示楽器の演奏付き「ギャラリートーク」、珍しい楽器に触れることのできる体験ルームなど様々な形でどっぷりと楽器の世界に浸ることができます。

楽器博物館の情報はこちら

【ちょっと休憩】町の体温が感じられる喫茶店
こんどうコーヒー

昔ながらのタバコ屋販売も続けている喫茶店です

さて、浜松巡りも後半戦。ちょっと休憩、という時におすすめなのがJR浜松駅から徒歩5分、親子3代で受け継ぐ「こんどうコーヒー」。

「こんどう」の名前が掲げられた店内。カウンターが落ち着きます

黄色い柔らかい照明の色に照らされたカウンターのみの店内は、どこか懐かしさが漂います。1杯ずつ丁寧なネルドリップで淹れられるコーヒーをいただきに、親子代々の常連客が毎日通い詰めるそう。

地元密着の店ながら気さくなママさんに迎え入れられ、一見客にも居心地が良いのが嬉しいところです。ケーキ職人だった先代の味を引き継ぐケーキとともにゆったり休憩を。

こんどうコーヒーの情報はこちら
>>>関連記事 :「愛しの純喫茶〜浜松編〜 こんどうコーヒー」

【夕方】写真家 若木信吾が故郷にオープンした写真集専門店
BOOKS AND PRINTS (ブックスアンドプリンツ)

ひと息休憩も入れたところで、JR浜松駅北口から徒歩10分。「浜松の今を知りたいなら絶対に外せない場所」と教わった、築50年以上の雑居ビルに向かいます。

浜松出身の写真家・若木信吾さんが2010年に開店したセレクトブックショップ「BOOKS AND PRINTS」が入るKAGIYAビルに到着。店内には若木さん自らセレクトした国内外の写真集やZINEのほか、浜松でしか手に入らないオリジナルグッズも並び、展覧会やトークショーなど様々なイベントを開催する書店としても注目を集めています。

他にもKAGIYAビルには個性的なショップが入り、ビル全体がさながら浜松の文化発信拠点。ぜひ各階足を伸ばしてみて。

BOOKSANDPRINTSの情報はこちら
>>>関連記事 :「本と人の出会う場所 BOOKS AND PRINTS」

【夜】余計な手を加えないまっすぐな味で勝負して110年
うなぎ料理専門店 あつみ

いよいよ浜松の旅も総仕上げです。浜松に来たらこれを食べずして帰れません。そう、うなぎ。

浜松のうなぎは、海のプランクトンとミネラル豊富な地下水が混ざりあう汽水湖の浜名湖で養殖されるために旨味が凝縮され、美味しいのだそう。そんな浜名湖産うなぎにこだわって営業しているのが、創業明治40年 (1907年) の老舗「うなぎ料理専門店 あつみ」です。

浜松駅近くの繁華街に位置する「あつみ」

うなぎだけでなく、浅漬けやお吸い物、さらには箸にまで、とにかくお客さんの口に触れるもの、口に入れるものすべてに徹底的に配慮する5代目が、110年続く暖簾を守ります。ランチも夜も早い時間帯から混雑するのが地元で愛されてきた何よりの証。舌の肥えた浜松っ子も通う名店の味をしっかりとお腹におさめて、日帰り浜松の旅の締めくくりとしましょう。

浜名湖産うなぎの白焼き (2300円) 。シンプルだからこそ、素材の良さが際立つ絶品

うなぎ料理専門店 あつみの情報はこちら

いかがでしたでしょうか。直虎にうなぎに楽器はもちろん、織物に老舗喫茶店にと、様々な顔を持つ浜松をめぐる盛りだくさんの日帰り旅。遅くまで遊んでも、新幹線で東西どちらにも出やすいのが浜松のいいところですが、遊び過ぎにはご注意を!

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写真 : 尾島可奈子・小俣庄子・神尾知里・川内イオ
写真提供 : 浜松市

8月 江戸っ子が夏に愛した「トキワシノブ」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。

そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。

植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

8月はトキワシノブ。漢字では「常盤忍」と書いて、いかにも日本らしい、クラシックな響きです。今回はどんなお話が伺えるでしょうか。

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◇8月 江戸っ子が夏に愛した「トキワシノブ」

夏はちょっとでも涼しさを感じたいですよね。例えば風鈴は、リンリンという音と風に揺れている姿で涼を感じます。風を視覚化しているんですね。

植物も同じで、この時期は風の動きを見た目に感じられるような植物がいいですね。江戸時代中ごろ、庭師が普段出入りしている屋敷へ「夏の挨拶の贈りもの」として贈って人気を呼んだのが、トキワシノブです。濃い緑が風に揺れる姿はなんとも涼しげです。

当時は山苔をつけた竹にトキワシノブを巻きつけて、風鈴のように軒下に吊るす仕立てが一躍ブームにもなりました。

トキワシノブは他の植物に着生して成長する「着生シダ植物」です。自然の中ではよく樹皮に張り付いていますが、鉢植えでは苔などいろいろなものに茎を絡ませて伸びていきます。

その根茎がまるで猫の手のようで、なんとも憎めない可愛らしい見た目ながらしたたかさを備えた植物と言えます。

水が大好きなので、水やりと一緒に葉に霧吹きをしてあげると生き生きして、見た目にも一層涼しげになります。夏は直射日光の当たらない日陰の屋内で、冬は室内で育てれば一年中緑を楽しめますよ。江戸の庭師にならって夏の挨拶に贈ってもいいですね。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・8月の季節鉢 トキワシノブ(鉢とのセット。店頭販売限定)


*季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。商品の在庫は各店舗へお問い合わせください。
中川政七商店全店
(東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店・阪神梅田本店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 横浜タカシマヤ店

——


西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。2012年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、国内外含め、多数の企業、団体、行政機関、プロの植物業者等からの依頼に答え、さまざまなプロジェクトを各地で展開、反響を呼んでいる。
著書に「教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント」(徳間書店)、 「そらみみ植物園」(東京書籍)、「はつみみ植物園」(東京書籍)など。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。

麦わら帽子の小麦色

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。

麦わら帽子の小麦色

人はものの色を純粋な色味だけで見ているのではないように思います。素材や目にした時の季節ですら、見え方は変わる気がします。

麦わらの 今日の日のいろ 日の匂ひ

広島出身の詩人・俳人、木下夕爾(きのした・ゆうじ)が詠んだ句だそうです。麦わらは夏の季語。梅雨時期に収穫を迎える麦の、穂を取り除いた後の管「麦わら」を、人は無駄にせず家屋や日用品の材料に活かしてきました。この句は材料そのものの「麦わら」を詠んだものかと思いますが、私にはたっぷりと日を浴びた麦わら帽子のツヤツヤとした小麦色や、そのかぶった時の香ばしい匂いが、立ち上ってくるようにも思えます。

麦わら帽子は、麦わらを編んで作る夏の代表的な日よけの帽子。なんとギリシア時代にもその存在が認められているそうです。中世までは主に農作業用など実用向きだったものが、18世紀後半に入って女性向けの華やかなものが流行り、1870年ごろには機械製造がスタート。日本では明治に入ってから、本格的な製造が始まったそうです。

もしお手元にあったら一度手にとって見ていただきたいのですが、現代の麦わら帽子は麦わらをそのまま編んでいるのではなく、一度平たいひも状に編んだもの(真田紐のように編むので真田と呼ぶそうです)をてっぺんからぐるぐると一筆書き状に隙間なく縫い合わせて出来ています。

岡山県笠岡市に工房を構える石田製帽は、日本で麦わら帽子製造が始まってほどない1897年(明治30年)創業の麦わら帽子の老舗。瀬戸内海に面し温暖な気候に恵まれ、古くからのい草・麦の産地だったこの地で、長らく農作業用の麦わら帽子を作り続けてきました。今では4兄弟がその技術を受け継ぎ、今の暮らしにあった色かたちの帽子を発信しています。

石田さんによると、麦わらは「管」という性質上割れやすく、縫う前のひも状にする工程は今も全て人の手で編んでいるそうです。その編んだ幅が太い麦わらの方が、ミシンで縫うときにも割れにくく扱いやすいそうですが、石田さんが使うのは幅の細い麦わら。扱いには技術が求められますが、「細幅の方が軽量でかぶり心地のいい帽子になる」のだそうです。
実用の日よけには、太幅でも充分。ですが細幅ステッチの麦わら帽子は、確かにその分肌あたりもシルエットもやわらかになり、より大人らしい、上品な印象です。

農作業用に始まり、今では夏に欠かせないファッションアイテムのひとつになっている麦わら帽子。あの一目で麦わら帽子と分かる小麦色は、麦そのものの天然の色と、精緻な人の手わざとが交わって生まれていました。形、手ざわり、匂いとともに、これだけ夏を思わせる色合いも、ないように思います。

<取材協力>
株式会社石田製帽
http://www.ishidaseibou.com/

<掲載商品>
リネンリボンの麦藁帽子(中川政七商店)

文:尾島可奈子

暮らしの道具「蚊帳」が、空気のようにやわらかい夏のショールになるまで

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
気に入って使っていた日用品が、実はどこかの伝統的なものづくりを受け継ぐものだったー。そういう出会いがあると、嬉しくなってその道具がちょっと特別な存在になります。今日は昔なら誰もが知っていて、最近はあまり見かけなくなったあるモノから生まれた、夏のショールのお話です。

「おはようございまーす」

とさわやかに女性たちが出勤。取材に伺った日はまだ5月下旬だというのに、季節をスキップしたかのような夏日でした。クーラーがあったらスイッチを入れたくなる暑さ。それでも、これから女性たちが仕事に取り掛かる作業場に冷房設備はないそうです。なぜなら元々は、春が来る前に納品が済んでしまう仕事だったから。それが毎年注文数が増え続け、今や5月末にようやく注文数が作り終わるというその商品は、涼しげな夏のショール。今日のお話の主役です。

「ここの大家さんは、先先代が蚊帳の販売をされていたそうです。だからうちの仕事にもご理解があって」

その日訪ねたのは奈良の丸永商事さん。元々衣服につける刺繍の仕事をされていたのが、「ある素材」を使ったショールを作るようになって、今は刺繍と縫製を半々で作る日々だそうです。ある素材とは「蚊帳」。昔は各家庭で夏の夜、寝るときの虫除けに使っていた、あの蚊帳です。

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実は、蚊帳は奈良の特産品。今では中々見かけなくなりましたが、たまたま蚊帳生地のショールを縫うために縫製工場を開いた場所が蚊帳に所縁のあるところだったというのも、また産地らしいお話です。

代表の永井さん
代表の永井さん

蚊帳生地は、そのままではショールにするのに目が粗すぎるので、洗い加工をして目を詰めてあるそうです。ほどよく風を通して肌あたりは柔らかく。肌に触れることを考えて新たに開発された蚊帳生地は、元の蚊帳の姿がちょっとイメージできないような、ふんわりとした風合いでした。

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ショールのサイズに生地をカットするところからが丸永さんの仕事。裁断のあとは裾の房作り、生地の両端の縫製、仕上げのアイロンかけと工程が進みますが、実はカットが最初にして最大の難関だそうです。

各工程専任の担当がつく
各工程専任の担当がつく

まっすぐに切れない生地

目を詰めてあるとはいえ、よく風を通すということは普通の衣服に比べれば生地の密度が粗いということ。そのため生地が歪みやすく、とにかくまっすぐに切るのが難しい。生地の上から線を引いてカットしただけでは、くねくねとした糸のラインとずれて、歪んだ形に切れてしまいます。もちろん生地を何枚も重ねてまとめてカットすることもできない。

「だから、ハサミを入れる位置の糸を1本抜いて、それを目印に1枚ずつ、全て手切りしています」

これは実際に見てみるとわかりやすいです。

縦の白い筋が糸を抜いた跡。クロスする黒い線は、糸を抜く前。ショールの横幅に合わせてそこだけ違う色糸を織り込み目印にしてある
縦の白い筋が糸を抜いた跡。クロスする黒い線は、糸を抜く前。ショールの横幅に合わせてそこだけ違う色糸を織り込み目印にしてある
針で目印の糸を引っ掛け、抜いていく
針で目印の糸を引っ掛け、抜いていく
目を詰める洗い加工をしているため、糸同士がくしゅくしゅとくっついて抜きづらい。引っ張りすぎると切れてしまうのを、加減しながらたった一本の糸を抜いていく
目を詰める洗い加工をしているため、糸同士がくしゅくしゅとくっついて抜きづらい。引っ張りすぎると切れてしまうのを、加減しながらたった一本の糸を抜いていく
目印の白い筋に沿って、縦、横をカットしていく
目印の白い筋に沿って、縦、横をカットしていく

「これは、私もできないです」

と笑う永井さんの横で、最難関の工程を任された女性は黙々と着実に糸を抜き、それを目印に生地をカットしていました。

生地からショールへの変身

次はショールの房作り。どう作るのだろうと思っていたら、なんとカットされた生地の端から1本ずつ糸を抜いていました。

針と手を使って1本ずつ糸を抜いていき、ショールのポイントとなる房を作る
針と手を使って1本ずつ糸を抜いていき、ショールのポイントとなる房を作る

房ができると、だんだん「生地」が「ショール」らしくなってきます。続いて生地の両端を三巻き縫製する工程へ。ちょうど色違いの紫色を縫製中でした。

ここで先ほどのカットの工程が生かされる。生地目に沿ってまっすぐにカットされていないと、ミシンがキレイに生地の端を巻き込めなくなってしまう
ここで先ほどのカットの工程が生かされる。生地目に沿ってまっすぐにカットされていないと、ミシンがキレイに生地の端を巻き込めなくなってしまう

この後さらに風合いを出すために房が洗いにかけられ、アイロン、検品を経て完成です。

右が洗い加工前、左が洗い加工後。よりやわらかい雰囲気に
右が洗い加工前、左が洗い加工後。よりやわらかい雰囲気に
房を洗ったショールを干しているところ。風に吹かれてキレイでした
房を洗ったショールを干しているところ。風に吹かれてキレイでした

蚊帳生地ならではの風合いを生かしたショールは、蚊帳生地ならではの難しさをなんとか乗り越えて、今や10年続くロングセラー商品に。「あ、かわいい」と手に取る瞬間に理屈はないですが、ふんわりとした風合いは蚊帳生地だからこそ出ていること、その風合いを生かすために無数の工夫が人の手でされていること、わざわざ言わなくても全部そのものの姿に現れて、「あ、かわいい」の瞬間につながっているように思えました。

<取材協力>
丸永商事

<掲載商品>
やわらかリネンショール(中川政七商店)


文・写真:尾島可奈子

三十の手習い「茶道編」六、無言の道具が語ること

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇無言の道具が語ること

4月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室6回目。床の間の掛け軸のお話から、お稽古が始まりました。

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「これは熊野(ゆや)というお能の曲目を描いた、源平合戦にまつわる物語がテーマのお軸です。熊野は平清盛の三男、平宗盛に寵愛された美形の踊り子さんです。描いたのは神坂雪佳(かみさか・せっか)。元は双幅になっていて、一方にお能、もう一方に京都の桜の名所、清水寺の地主桜(じしゅざくら)の絵が描かれています」

ある日、熊野に母の危篤の知らせが入る。帰りたいが宗盛が帰してくれない。どんどん沈みがちになる熊野を、宗盛が気晴らしにと清水寺の地主神社へお花見に連れ出す。その連れて行かれるシーンを描いた絵だそうです。ストーリーやこの絵を知っている人には、これがお花見の時期に合わせた設えだとピンとくるわけですね。

「手前の花入れは蒔絵をあしらった鼓です。ほんものですよ。実際に演奏に使われていたものです。鼓は能の楽器ですからね。傍にあるのは謡本(うたいぼん。謡曲の譜が載った教本)と、お囃子に使う横笛の能管(のうかん)。八坂神社に伝来した笛で、名を清水とつけられいます。能管の下に敷かれた裂(きれ)は久松家(伊予松島藩主で明治の動乱下でも土地の能文化を保護した)伝来の能装束の端切れです」

掛け軸のお能の世界観が、その傍の飾りものへと広がっていました。

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中ほどに「清水」の銘が見てとれる
中ほどに「清水」の銘が見てとれる

謡本の中身を見せていただきました
謡本の中身を見せていただきました

「本来、茶会では冗長なおしゃべりは禁物。静かに粛々と時が動いていくのが望ましい。では、何が亭主の気持ちを語るかというと、そこに用意された道具が語る。その場に選ばれた理由、組み合わせ方が、何よりのコミュニケーションツールなのです」

ホストはゲストをもてなすためにストーリーを組み上げ、言葉に代えて道具の取り合わせで自分の気持ちを表す。ゲストは無言の道具を一つひとつ自分のセンス・教養を駆使して汲み取っていく。これが何よりのお茶会の喜びだと、先生はおっしゃいます。

「ご心配なく、全部わからなくていいんです。聞けば教えてくれます。その時受け取れるものを一つひとつ、自分の目・耳・鼻・手で感じ取っていくこと。茶会に来て、ドリル問題の答え合わせをする必要はありません。かといって、お茶が美味しいというだけでない。茶会の一番の喜びですね」

そして、お茶会に込める物語のベースとして、長らく好まれてきた題材のひとつがお能なのだそうです。

「お茶に先行して、日本文化の核として発達したのがお能です。神仏に奉納するお神楽がもととなり、祈りの表現として始まったものです。これを室町将軍家が特に好みました。新しい社会のニューリーダーだったお武家さんたちは、それまでのリーダーだったお公家さんたちの文化、例えば雅楽とか和歌などとは違うものを欲したのだと思います。抑制の効いた動作や所作の中で舞う能を、自らも演じ、また観劇して楽しみました。源平合戦のテーマがお能の曲目に多いのはそのためです。お侍さんたちにとって馴染みのあるものですからね」

そうして源平を題材に作られたお能の演目が、今度は絵に描かれ、お茶という別の文化に取り込まれて今日の床の間を飾っていると思うと、ますます先ほどの掛け軸の持つ意味がずっしり重みを増していきます。

「今聞くと、難しく、何を言っているのかわからないかもしれません。しかしながら、お能の曲は古今東西の名文美文を寄せ集めたオムニバスのようなもの。なので、昔の人にしてみれば、歌い踊っている間に一般教養が覚えられる便利なツールでもありました。さらにお酒の席で一緒に演じられる、武士たちにとっての共通言語だったんです。当然、人前で披露するならかっこよく立ち居振る舞いしたいと思いますよね。この、お能で見られる観客を意識した動きと自らの楽しみ、両方が背骨になって、後発の文化である、もてなしの場としての茶の湯に落とし込まれていくんです」

ただお茶の美味しさを堪能するだけでなく、お点前はかっこよくやらないといけない。

「お茶を立てる動作自体も、ご馳走のひとつ。言葉ではない、自分の小さな所作の一つひとつが、相手に気持ちが届くように。そう願って稽古するのです」

◇さまざま桜

お軸を中心とした飾りものが能をテーマにしているのと対を成すように、お点前の道具やいただいたお菓子はどれも、4月らしく桜がモチーフになっています。絵の中の熊野のお花見を、疑似体験しているかのような気持ちになってきます。

田楽箱という、お団子が転がらずに収納できるよう作られた箱。お団子は京都・二條駿河屋さんのもの
田楽箱という、お団子が転がらずに収納できるよう作られた箱。お団子は京都・二條駿河屋さんのもの

2種目のお茶菓子は花びらをかたどった伊賀上野・紅梅屋の「さまざま桜」と京都・かぎや政秋の「ときわ木」を木の幹に見立てて
2種目のお茶菓子は花びらをかたどった伊賀上野・紅梅屋の「さまざま桜」と京都・かぎや政秋の「ときわ木」を木の幹に見立てて

水差しは桜が散って流れている様子を表す花筏(はないかだ)の意匠
水差しは桜が散って流れている様子を表す花筏(はないかだ)の意匠

◇道具がコミュニケーションツールになるには

「機会があったら一度お能を観に行って、主役だけでなく脇に縦に並んだ地歌と呼ばれるコーラスの人の動きや、楽器を担当する囃子方(はやしかた)の動きを見ておくといいですよ。黒い紋付、より正式な会なら裃(かみしも)を着て並んだ人たち。ピンとした一糸乱れぬ所作を保つことで、そこにいるはずの気配が消えます。逆に雑にすれば目立ってしまう。お能を実際に観てつまらないと思うか、面白いと思うか。感じ方は人によって違うと思いますが、お茶の稽古をする前と習い始めてからでは、お能を見た感想は、まず、変化するはずです。
何気なく眺めている間は無縁だと思っていたものが、何かに取り組むことで、実はどこかでつながっていることに気づく。何であれ、視野を広げて興味を持つということが、とても大切なんです。お茶はお茶だけで成り立っているものではない。お能もしかり」

視野を広げた先に見つけられる、お茶会に組み込まれたさまざまなストーリー。今日のお能の仕掛けも、さっと読み解けたらどんなに楽しいだろうと思っていたところに、先生が最後に大切なことを教えてくれました。

「何事も、どうしても自分本位にやってしまいがちです。こうしたお能にちなんだ取り合わせもいいですよ、と伝えましたが、危険な要素もはらんでいます。少しお能もかじり、お茶をたしなんで道具や文化に興味を持った人が、必ずやりたくなる仕口のひとつですが、同時に、そういう人が茶会を開く際にもっともやってはいけない開催の仕方とも言えます」

危険、という言葉にどきりとします。自分の見聞きしたこと、覚えたことは、ちょっと背伸びしてでも、すぐに実践したくなりそうですが‥‥

「自分が多少わかっていて楽しいからといって、お能がかりの趣向でお茶会をひらいて、お客さんの何人が理解し、楽しいと思ってくれるかどうか‥‥。我が身の知識と教養をひけらかすためだけにやるような会ならば、これはもてなしとは言えません。共通言語という言葉を何回も言いましたが、相手がともに理解してくれればこそ、説明なく道具が無言のうちに語ってくれるのです。
今のビジネスシーンでいうと、企画書やプレゼンテーション、謝罪の仕方でも同じです。例えば相手に頭を下げるということは、下げている所作全体から、お詫びの気持ちが伝わってくるようなものでなければならないと思います。
時に、やせ我慢も魅力、ではありますが、独りよがりだけ、ではつまらない。

−では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、無言の道具を介したコミュニケーションを楽しむ

一、ただし、あくまで相手が理解できてこそもてなしになる


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装:大塚呉服店

300年続く、風鈴の透明

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。

300年続く、風鈴の透明

透明、という言葉は好意的に使われます。透き通るような白い肌、政治の透明性、クリアな声。そういえば色眼鏡でものを視るとか話を脚色する、のように「色」という言葉はどこか「ナチュラルなものに手を加えている」というニュアンスも持つようです。旗色鮮明、わかりやすいと話が早いこともありますが、無色透明、向こうが透けて見える様子には清々しい安心感を覚えます。

とはいえ、見えないだけでは空気と一緒で気付けないので、そこにあるものをあえて透明にすることで人は清涼感を感じるようです。思えば金魚すくいだってそこにあるのが見えているのに中々手が届かないからじれったく、夢中になるのかもしれませんね。と、ちょっと話が逸れましたがこれからの季節、暑いのはどうしたって避けられないからせめてもと「涼をとる」ために活躍するのが風鈴。それもガラスのものは向こうの景色が透けて見えてなんとも涼しげです。

風鈴の歴史は古く、発祥は古代中国。元は風鐸(ふうたく)と言い、家の四方に魔除けとして鐘を吊るしたり、竹林に吊り下げて風の向きやその音色で吉凶を占う風習があったそうです。仏教の伝来と共に日本に伝わり、お寺や家屋の厄除けとして用いられていたものが、次第に涼をとる夏の生活道具として定着しました。本来とても神聖なものだったんですね。はじめは吊鐘のように鋳物で作られていましたが、そのうちガラス製の風鈴が出始めたのは享保年間(1700年代)頃と言われます。長崎に伝わったガラスは、見せ物として大阪、京都、江戸を興行したそうです。

この江戸時代当時から江戸の地で作られてきた風鈴を「江戸風鈴」と名付け、その技術を受け継いで今もひとつ一つ手作りしているのが1915年創業の篠原風鈴本舗さん。型を使わず空中でガラス玉をふくらます宙吹き(ちゅうぶき)という製法で作られる風鈴は、あえて厚みが不均一に作られています。ガラスの薄いところ、厚いところを吹き分けることで、音に違いが出るのだそうです。

音で風を感じ、わざわざガラス越しにそこにある景色を切り取って涼を取る。ガラスの風鈴は、あらゆる色を取り込んでしまう透明の威力を最大限に生かした暮らしの道具と言えそうです。

<掲載商品>
江戸風鈴 透明(中川政七商店)

<取材協力>
有限会社 篠原風鈴本舗
東京都江戸川区南篠崎町4-22-5
03-3670-2512
http://www.edofurin.com/