人口2万の島に680万の椿が自生する、椿の島の椿油

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
美しくありたい。様々な道具のつまった化粧台は子供の頃の憧れでもありました。そんな女性の美を支えてきた道具を七つ厳選。「キレイになるための七つ道具」としてその歴史や使い方などを紹介していきます。

第6回目は椿油。連載も終盤にさしかかりました。
椿油というと髪に使うイメージですが、実は全身に使える優秀な保湿油。昔から美容に愛されてきた理由は、椿油が含むオレイン酸という成分にあるようです。

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椿油の成分の実に80%以上がオレイン酸。あらゆる植物油の中で最も多く含まれているそうです。実は人の皮脂も、40%以上がオレイン酸でできています。そのために肌なじみがよく、不乾性油と言って蒸発もしにくいため、髪・肌の保湿に優れるとのこと。さらに紫外線から肌を守る働きがあるとも言われているので、これからの季節のお手入れにも活躍しそうですね。

人口2万の島に680万の椿が自生する、椿の島

こうした椿油の魅力を発信し、島民の方が手摘みした椿で作る椿油が人気なのが、長崎県の最西端、五島列島の北部に位置する新上五島町です。島は7つの有人島となんと60もの無人島で形成されています。大部分が西海国立公園に指定されている、自然の美しい島です。

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島と椿油の関わりの歴史は古く、遣唐使の時代に貢物として椿油が送られていたとの記述が残されています。五島列島全体では1000万本近い椿が自生していると言われ、その数は全国一とのこと。そのうち上五島に自生している椿は680万本。人口およそ2万人の島に、列島全体の半分を占める椿が自生しているのですね。11月から4月ごろまでは、その赤く美しい花を島の至る所で見る事が出来ます。

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椿の種から椿油ができるまで

ところで椿の実、みなさんは見たことがあるでしょうか。新上五島町の椿に使われる「やぶ椿」の実は、手のひらサイズ。こんなに大きかったんですね。

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全て島民の方が手摘みして種を取り出し、島内にある工場で椿油作りが行われます。

2014年4月にオープンした、化粧用椿油の製造を行う「椿夢工場」
2014年4月にオープンした、化粧用椿油の製造を行う「椿夢工場」

乾燥させた椿の種は細かく砕かれ、圧搾機で油が搾り出されます。その後不純物や余分な酸、水分などが取り除かれて、椿油が完成します。種の手摘みの印象とは対照的に、種から椿油を取り出すまでの工程には高性能の機械が導入されています。

これが椿の種
これが椿の種
種を加熱し圧搾しやすくする「クッカー」という機械
種を加熱し圧搾しやすくする「クッカー」という機械
これが搾られた原油です!
これが搾られた原油です!
余分な酸を取り除いて湯洗いする機械
余分な酸を取り除いて湯洗いする機械
13ものフィルターを通してろ過された椿油が出てきました
13ものフィルターを通してろ過された椿油が出てきました

こうした機械も駆使して、きれいな飴色の、椿の成分だけでできた椿油が生まれます。

新上五島町 純粋つばき油 100ml
新上五島町 純粋つばき油 100ml

実は工場の近くには椿油作りの体験ができる施設もあり、自分の手で椿油作りを体験することもできます。

少しずつ殻を割っていき‥
少しずつ殻を割っていき‥
しっとりとしてきました!中から油分が出ている証拠です
しっとりとしてきました!中から油分が出ている証拠です
蒸したものを圧搾機で搾ったら、椿油の完成です
蒸したものを圧搾機で搾ったら、椿油の完成です

かつてはこうして一つひとつ手作業でやっていたのですね。

椿油の使い方

工場を運営する一般財団法人新上五島町振興公社さんオススメの使い方を覗いてみましょう。

・髪に
お風呂上りにドライヤーで髪を乾かす前に使うのが良いそうです。タオルで水分をとったあと、数滴手のひらに広げて、毛先を中心になじませていくのがポイント。そしてなんとシャンプー後にお湯に椿油を加えて使えば、リンスにもなるそう。洗面器半分ほどのお湯に椿油3、4滴でOK。

・顔に
化粧水のあとにゆっくりと顔全体を包むように広げて馴染ませるのが良いそうです。そのあと蒸しタオルを当てたら、オイルパックにもなるそうですよ。

・体・手に
体の保湿は髪と同じく入浴後、肌が乾かないうちに馴染ませるのがポイント。手や爪には1、2滴すり込むようになじませればOK。アロマオイルと混ぜればマッサージオイルにもなるそうです!

こうして覗いてみると椿油がいろいろなものの代わりになって、これから旅行する機会にも、旅の荷物が少なくすみそうです。こんな心強い七つ道具のひとつがすでに遣唐使の時代にはあったというのですから、花を鑑賞するだけでなく、実用の(そしてキレイになるための!)道具に変えていく人の知恵はすごいなぁと思います。

<掲載商品>
新上五島町 純粋つばき油 100ml

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<取材協力>
一般財団法人新上五島町振興公社


文:尾島可奈子

6月 一番簡単にお付き合いできる盆栽「復活草」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

6月は復活草(ふっかつそう)。大人しそうな見た目ですが、さてインパクト大な名前の由来はどこにあるのでしょうか。今回も清順さんが代表を務める「そら植物園」のインフォメーションセンターがある、代々木VILLAGEにてお話を伺いました。

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◇6月 一番簡単にお付き合いできる盆栽「復活草」

復活草は雨が大好きな植物です。乾燥が続くと葉を閉ざして、自ら生命活動を停止してしまうんです。いわば仮死状態ですね。それが、また水をあげると葉を開いていって、緑に戻るという特殊な性質を持っています。だから復活草。これから雨が多くなるので、水が好きな植物がいいかなと思って選びました。

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盆栽のように外で育てますが、シダ植物なので日陰にもある程度耐えます。別名イワヒバと言って、崖にくっついて自生しているんですよ。それも断崖絶壁の、風がビュンビュン当たるようなところに生えているんです。一度海外からきた植物学者のお客さんを案内がてら、近くの山に登って命綱なしで復活草を採っていたら、高いところに登りすぎて降りられなくなったことがありました。23・4歳の頃だったかな。しばらく岩にしがみついたまま動けずに、同行した人になんとか上から引き上げてもらって事なきを得ましたが、今思うと復活草の名前をなぞるような経験でしたね (笑) 。

ヨーロッパだったらバラやチューリップが「キレイ」となるんですけど、日本人はこういう“けったいな”ものを愛でる文化があります。それはもう江戸時代くらいから。ミニマリズムというか、ちっちゃい中に世界観が凝縮した感じが好きなんですね。復活草は長らく盆栽の世界で愛されてきた植物ですが、育て方はシンプル。土が乾いてきたら水をやる、でOKです。そういう意味では「一番簡単にお付き合いできる盆栽」と思ってもらったらいいと思います。名前も縁起がいいので、父の日のプレゼントにも良さそうですね。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・6月の季節鉢 復活草(鉢とのセット。店頭販売限定)

季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(阪神梅田本店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 神戸大丸店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

——


西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。

2012 年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、国内外含め、多数の企業、団体、行政機関、プロの植物業者等からの依頼に答え、さまざまなプロジェクトを各地で展開、反響を呼んでいる。
著書に「教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント」(徳間書店)、 「そらみみ植物園」(東京書籍)、「はつみみ植物園」(東京書籍)など。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。

靴下やさんが靴下作りをやめて作った、指が通せるアームカバー

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
「さんち」でも何度か登場している靴下。もう靴下についてはよく知っているよ、という人も、同じ靴下の機械から全く違う商品を編み出せるのをご存知でしょうか。ある靴下やさんが作る、指が通せるアームカバーが初夏のこの時期に人気だと耳にして、靴下の一大産地、奈良を再び訪れました。

「うちは靴下の機械で靴下以外のものばっかり作っているから」

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そう笑うのは出張康彦(でばりやすひこ)さん。1927年頃に奈良の中でも靴下生産の中心地である広陵町で創業した株式会社創喜(そうき)の3代目です。子供靴下を中心にものづくりを続けてきた同社は、康彦さんの代で大きな方向転換を図ることになります。

靴下やさんが靴下作りをやめる時

「1989年頃には、円高で海外からどんどん安価な製品が入ってきていました。国内では日本のものづくり神話がもてはやされていた頃でしたが、実際に海外旅行に行けば、日本の靴下を見かけることはなく、海外製のものばかり。大量生産による価格競争ではかなわないと判断して、靴下作りをやめたんです」

靴下やが靴下作りをやめる。社運をかけた決断は、もう一つのアイディアとともに実行されました。

「同じ編み機を使って別のものを作ればいい」

ただし海外にはなく、日本でも希少なもの。サポーターやヘアバンドなど筒状のアイテムを作りながら、他社に真似できないものが作れる機械を探して、出会ったのがバンナー機という編み機でした。

ハサミを使わず生地に穴をあける

「一般的に靴下の編み立て機は、筒状に何十本と編み針がセットされた釜が糸を通しながら回転することで、筒状に生地を編んでいきます。だから靴下を編むには、釜がぐるりと一回転した方が効率がいい。でもバンナー機は、両サイドから2本の糸が通るようになっていて、左右から半回転ずつしながら靴下を編んでいくんです」

両サイドから糸が集まるバンナー機
両サイドから糸が集まるバンナー機
もともとバンナー機は、編みの綴じ部分をきれいに処理できる特徴がある。左がバンナー機、右が一般的な編み立て機で編んだ靴下を裏返したもの
もともとバンナー機は、編みの綴じ部分をきれいに処理できる特徴がある。左がバンナー機、右が一般的な編み立て機で編んだ靴下を裏返したもの

靴下を作るには効率が悪い。けれど、左右の編み立てが噛み合う箇所の針だけ数本、糸を通さないようにプログラムを組めば、編み地に穴をあけられます。

針の動きを制御することで、布地に穴があく
針の動きを制御することで、布地に穴があく
指が通せるアームカバーが完成!
指が通せるアームカバーが完成!

「穴があくなんて、靴下ではいらない機能ですけどね」

そう話すのは康彦さんの奥様、出張緑さん。息子さんの耕平さんが2014年に代表取締役に就任するまで、4代目を務められていました。

4代目・緑さんのひらめき

4代目、緑さん
4代目、緑さん

「バンナー機でのものづくりを模索していた当時、日本は美容・健康ブーム。赤ちゃんのアレルギーなども問題になって、絹の糸を使った肌にやさしい洗顔手袋を作ったんです」

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バンナー機の特性を生かして、親指を通して使うミトンタイプの洗顔手袋を開発。これが後のアームカバー作りにつながっていきます。当時、美容健康ブームの波の中で取りざたされていたのが、紫外線による健康被害問題でした。緑さんはこの頃、ひじまで長さのある手袋を変形させた、布製のアームカバーを見かけます。

「ちょうど1994年頃です。紫外線をカットできる機能糸なども登場していました。このアームカバーを、布でなく、編みでも作れるんじゃないかと思ったんです」

この時開発の原型になったのが、先に作っていた洗顔手袋でした。編み地に穴をあけるノウハウを生かし、機械に手を加えて、親指を通して使えるアームカバーが誕生します。

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靴下作りをやめても、やめなかったもの

「ぐるりと筒状に作った編み地に、あとからハサミを入れて穴をあけることはこの機械でなくてもできます。ところが、それでは穴の縁がほどけないよう縫いとめたり圧着させる必要があるので、穴の周りの生地が固く、伸びなくなります。
アームカバー用に手を加えたバンナー機なら、編んだ風合いそのままにただ穴があいている状態なので、肌あたりが抜群にいいんです。この”身につけた時の心地よさ”は、靴下をメインに作っていた時からずっと大事にしてきました」

左がバンナー機で作った指が通るアームカバー。右が指を通す部分にカットを入れるタイプのアームカバー
左がバンナー機で作った指が通るアームカバー。右が指を通す部分にカットを入れるタイプのアームカバー

さらに、軽やかに身につけられるよう、本来ならこの機械に向かない細めの糸を適用。

「もっと薄手に、軽くしてほしい、というのは、一緒に商品を企画したデザイナーさんからの要望だったんです。この機械ならこの糸が適番(機械に負荷なく効率的に編める糸の番手)、という考えがすっかり頭にあった私たちには、目からウロコでした」

向こうが透けそうなほど薄くて軽い生地感
向こうが透けそうなほど薄くて軽い生地感

適番でないために糸が切れてしまうなど、トライアンドエラーを繰り返しながらようやく完成した商品は、発売2年目には前年の倍の注文が入るほどのヒット商品に。現在では製造を再開させた靴下の編み機が3台に対し、指が通せるアームカバー専用の機械は9台。オンシーズンには朝8時から夜の10時・11時までフル稼働させているそうです。

年季の入った機械が並ぶ
年季の入った機械が並ぶ

「もうこの機械は製造されていません。中古のものが出たと聞くと引き取りに行って、各地から自然と集まってきました。現役で動いている機械は、全国でも極めて少ないと思います」

機械の手入れ中。替えが効かないので、細やかなメンテナンスが欠かせない
機械の手入れ中。替えが効かないので、細やかなメンテナンスが欠かせない

靴下やさんの生命線である靴下作りを手放し、発想の転換で、同じ技術を使って時代にあったものを新たに生み出してきた創喜さん。そんな貴重な機械を、撮影して大丈夫ですか、と事前に尋ねると、

「大丈夫、写真でわかる世界じゃありませんから」

と冗談めかしながらも力強く、康彦さんが笑いました。

5代目の耕平さんと
5代目の耕平さんと

<掲載商品>
指が通せるアームカバー(中川政七商店)

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<取材協力>
株式会社創喜


文・写真:尾島可奈子

母の日の贈りもの、一生ものの日傘

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

たとえば1月の成人の日、5月の母の日、9月の敬老の日‥‥日本には誰かが主役になれるお祝いの日が毎月のようにあります。せっかくのお祝いに手渡すなら、きちんと気持ちの伝わるものを贈りたい。この連載では毎月ひとつの贈りものを選んで、紹介していきます。

第5回目のテーマは「母の日に贈るもの」。今年は5/14です。ご準備はお済みでしょうか。定番は何と言ってもカーネーションですが、ものを贈るとなると、あれこれ迷ったりもします。今年は奮発していいものを贈ろう、という人に、おすすめしたいものがあります。それはこれからの季節に活躍する日傘。それも、一生付き合える日傘です。

傘と言うとちょっとした衝撃で骨が曲がってしまったりして、気に入ったものでも数年と使い続けるのは難しい印象ですが、東京・台東区にある洋傘店、前原光榮商店さんの傘は一度買ったらずっと付き合える一生ものの傘として人気です。

皇室御用達の洋傘

前原光榮商店さんの歴史は1948年、初代・前原光榮さんが東京にて高級洋傘の企画・製造・販売を開始したところから始まります。1961年には株式会社化し、1963年、皇室からのご用命を受けるように。傘づくりの工程は、「生地」づくり、「骨」組み、生地を骨組みに貼り合わせていく「加工」、手に握る「手元」づくりの4つに大別されます。その全てを、前原さんでは人の手で行っています。

伝統的な機が織りなす生地づくり

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かつて甲斐織物の産地だった山梨県の富士山麓の伝統的な機(はた)を使って、時間をかけてオリジナルの生地を織っています。一方、こうした生地を扱うノウハウを生かして、他社ブランドの生地とコラボした商品づくりも行われています。

一本の角材から始まる骨づくり

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中棒(中心の棒部分)は元は一本の角材から削り出されたもの。自然のものだからこその木地のクセや曲がりを熱を加えながら整えて、少しずつ真っ直ぐに仕上げるそう。ここに生地を張り合わせる骨を組んでいきます。

手製の木型でこそ生み出せる傘のシルエット

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傘の生地は、よく見ると三角形の生地を縫い合わせてあるのがわかります。大量生産傘の場合、生地を何枚も重ねてまとめて裁断をしますが、前原さんの場合は4枚重ねでの裁断。そうすることで効率は悪くとも、より精度高く生地を裁断できると言います。職人さんは自前の三角型の木型をそれぞれに持っていて、その形に合わせて生地を裁断しているそう。こうして生地の形を細やかに整えることで、変につっぱったりたわんだりしない、開いたときに美しいカーブを描く傘のシルエットが生まれます。

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天然素材を生かした手元

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前原さんの傘の手元はそのほとんどが天然素材。寒竹、楓、エゴの木、ぶどうの木と、素材によって傘の印象もまたガラリと変わるそうです。面白いのはその加工方法。本来真っ直ぐ生えている木材にカーブを描かせなくてはならないため、火で熱を加えたり、熱湯につけて柔らかくしたり。特性に合わせて素材と向き合います。

一生付き合える理由

こうした丹精込めた傘づくりの工程を追うだけでも、特別な贈りものにふさわしいように思えますが、中でも前原さんの傘を贈りものにおすすめしたい理由は、その修理サービスにあります。前原さんでは、傘がどんなに大きく損傷してしまってもパーツをなくしてしまっても、替えの材料在庫がある限りは、自社で作った全ての傘の修理を引き受けています。全ての工程を人の手で行っているからこそ、壊れてしまったときも人の手で直すことができるのですね。
そして何より嬉しいのが、生地がくたびれてしまったら、新しい生地と張り替えができること。同じ生地でも、全く違う生地にも、相談次第で張り替えができるのです。悪いところをなおす、という消極的な修理ではなく、長く傘を愛用してもらうための、積極的な修理。一生ものの傘、の理由はここにあります。

日傘をさす立ち姿は、女性を一層上品に、女性らしく見せてくれるように思います。いいお母さんでいて欲しいというよりも、いつまでも美しく、素敵な女性でいて欲しいと願う母の日の贈りものに、ずっと美しく、持つ人を装う日傘を一本、贈るのはいかがでしょうか。

<関連商品>
日傘 ならい小紋

<取材協力>
前原光榮商店
*修理は有料で、傘の状態によって金額が変わります。


文:尾島可奈子

ローストビーフからバームクーヘンまで!ものづくりの町が提案する新しいバーベキューグッズ

こんにちは、さんち編集部の尾島可奈子です。
ゴールデンウィークも後半戦、今は旅の空、という人も多いのではないでしょうか。気持ちの良いレジャーシーズンの到来です。野外での楽しみといえば、子供も大人も人気なのがバーベキュー。最近では燻製やチーズフォンデュなど、楽しみ方の幅もどんどんと広がっています。そんな中、金属加工の街として名高い新潟県燕三条で、産地の技術を活かした新しいBBQ道具が開発されているとのこと。ものづくりの町発のバーベキューブランド「TSBBQ」のデビューを追いました。

日本人の6人に1人はバーベキュー好き

2014年のレジャー白書によると、国内のバーベキュー人口は約2100万人。日本人のおよそ6人に1人は年に1度バーベキューを楽しんでいる計算になります。最近の意識調査ではその魅力として「食事が普段より美味しく感じる」ことを理由に挙げる人が最も多く、サイドメニューも充実したパーティー形式のバーベーキューが特に女性から人気を集めています(バーベキュー情報サイト「BBQ GO!」調べ)。単なる野外で焼肉、から、いわば「女子会バーベキュー」に、人気がシフトしてきているんですね。

それは1本の問い合わせから始まった

こうした中、古くから金属加工の技術が発達してきた新潟県・燕三条で和包丁やアウトドア製品を企画製造する株式会社山谷産業のWEBショップ「村の鍛冶屋」に、ある1本の問い合わせが入ります。

「バーベキューの網の上で本格的なローストビーフを焼けるような道具がないか?」

野外で火を使うバーベキューには、丈夫で加熱に耐える、金属製の調理道具が欠かせません。長年その鍛治の技術でアウトドア製品を作ってきた山谷産業さんに、ユーザーの「こんな道具がないかな」の声が届いたのでした。

ちょうどこの頃、三条市が開催していた経営セミナー「コトミチ人材育成講座」で、山谷さんは新潟市でデザイン会社を営む石川さんと出会っていました。このユーザーの声を、単に商品化して終わらせるのではなく、今ものづくりの町として認知されはじめている「燕三条」発のバーベキューブランドとして、世に送り出すのはどうだろうか。話はまとまり、燕三条発のバーベキューブランド、「TSBBQ(ティーエスビービーキュー)」が誕生します。

ブランド名の秘密

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ブランド名の「TS」には、バーベキューシーンがもっとオシャレに楽しくなるようにと、「Try Stylish」の意味が込められています。そして同時に、TsubameSanjoの頭文字でもあります。

ものづくりの町燕三条の大きな特徴は、金属加工のメーカーさんだけでなく、金属の研磨や包丁の柄などに使う木工のメーカー、商品を入れる梱包資材屋さんなどが産地の中に全て揃っていること。

「全ての工程を半径10km以内でできることが強みです。一企業のブランドではなく、様々な工程を担うメーカー同士が一体となって発信している産地全体のブランドとして、TS(燕三条)の名を冠しました」

取材にあたり山谷さん、石川さんが語られた言葉です。「TS」から始まるブランド名には、単に地名を冠しただけでない、産地のものづくりへの思いと自信が込められていました。ブランドロゴは、三条の「三」の線の上を、燕が滑空する姿が描かれています。その線の交差が、バーベキューに欠かせない金網を表します。

焼肉と違うバーベキューの楽しみ方

こうして第1弾として開発されたローストスタンドは、バーベキューの網の上に設置して、手回ししながらじっくりとお肉を焼くという、焼いている時間も楽しめる道具です。

第1弾のローストスタンド。剣先に肉を刺して焼きます
第1弾のローストスタンド。剣先に肉を刺して焼きます
分解するとこんな感じ。持ち運びもコンパクトなように作られています
分解するとこんな感じ。持ち運びもコンパクトなように作られています
しっかり肉を巻いて‥‥
しっかり肉を巻いて‥‥
持ち手を回して、焼き加減を見ながらじっくり焼きます
持ち手を回して、焼き加減を見ながらじっくり焼きます

ここで少し日本のバーベキュー文化について触れておくと、日本では室内での焼肉と同じく、焼きながら食べるスタイルが一般的ですが、バーベキュー発祥の欧米では、実は素材を全て焼いてからきれいにお皿に盛り付けて一斉に食べるのがスタンダード。日本バーベキュー協会によると、日本では焼きながら食べるために「おいしく食べる」ことに重点が置かれますが、一方の欧米、特にアメリカでは、食べ始めるまでの間、調理もパフォーマンスとして演出し客人をもてなすため、「焼いている時間も楽しむ」ことに重きが置かれていると言います。そうした視点で今回のローストスタンドを見てみると、今までの日本のバーベキューにはなかった、欧米スタイルのバーベキューの楽しみ方ができる道具と言えそうです。

出来上がるまでもエンターテイメント
出来上がるまでもエンターテイメント

そしてこのスタンドのもう一つの魅力は、ローストビーフだけでなく他の食材にも応用できること。なんとバームクーヘンを作ることだってできてしまいます!

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焼きたてホカホカをどうぞ
焼きたてホカホカをどうぞ

ものづくりの町とバーベキュー。一見かけ離れた存在に見えますが、人が楽しいと思う瞬間や場所のそばに、役に立つ道具がある、そんな作り手と使い手のいい関係がもうひとつ、始まろうとしているのかもしれません。


「TSBBQ」 http://www.yamac.co.jp/tsbbq/ (5月24日よりサイトオープン)

・販売店舗:WEBショップ「村の鍛冶屋」本店・楽天店・yahoo店・Amazon店
・販売開始日:2017年5月24日
・お問い合わせ:tsbbq@yamac.co.jp
・第1弾「ローストスタンド」

実際の商品は持ち手がこのように落ち着いた色味になります(抗菌炭化木)
実際の商品は持ち手がこのように落ち着いた色味になります(抗菌炭化木)

<取材協力>
株式会社山谷産業
株式会社フレーム

<参考>
日本バーベキュー協会

BBQ GO!「バーベキューに関する意識調査2016」


文:尾島可奈子

墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
「終活」という言葉もある今ですが、実は日本にあるお墓のうち、80%が海外製のものだってご存知でしたか?しかも最近は「墓じまい」と言って、後を継ぐ人がいなくなり処分してしまうお墓も増えているそう。国内の石材屋さんにとってピンチとも言える状況の中、「世界一」とも称される石の産地があると聞いて、香川県高松市を訪ねました。町の名は牟礼町。石の名は庵治石。さて、まず何と読むのでしょうか‥‥?1200年続く石の町をめぐって、お二人の方にお話を伺いました。

「牟礼町(むれちょう)は日本で一番高価な石が採れる産地です」

車の運転席からそう語るのは、今回お話を伺うお一人目、牟礼町で4代続く石材メーカー・中村節朗石材代表の中村卓史さん。向かうのは自社で持つ採石場。車はどんどんと急な山道を登っていきます。

牟礼町は高松市の東部に位置する町。頂に五つの岩峰があることからその名がついた五剣山の麓にあり、山を挟んで隣り合う庵治町とともに、一帯の山から採れる良質の花崗岩(かこうがん)、「庵治石(あじいし)」の産地として発展してきました。

庵治石は日本国内でも牟礼町・庵治町でしか採ることができない特殊な石材です。風化しづらく繊細な細工も可能な細やかな石質のために、古くから墓石材や石灯籠などに利用されてきました。最大の特徴は、磨くと現れる「斑(ふ)」と呼ばれる模様。世界でも庵治石だけに見られる現象だそうで、濃淡のある美しいまだら模様が墓石にも好まれてきました。

ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様。
ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様。

牟礼町の歴史は古く、採石や加工の記録は平安時代にまでさかのぼるそうです。庵治石を採石する山の麓には自然と石材を加工する職人が住むようになり、日本でも有数の石材加工の産地に発展しました。繊細な庵治石を扱う技術は国内でも評価が高く、現代彫刻家イサム・ノグチが1969年からアトリエと住居を構え、20年ほどの間、ニューヨークと行き来しながら制作活動の拠点とした土地としても知られます。今も、作家やアーティストから作品を加工する協力依頼があるそうです。

車が頂上近くまで登ってきました。長靴着用で外に出ると、眼下にはダイナミックな高松市内の景色が。

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そして振り返ると、今度は空に向かって突き出すような岩山が目に飛び込んできます。

ご案内くださった中村さん。その背景のスケール感が伝わるでしょうか。
ご案内くださった中村さん。その背景のスケール感が伝わるでしょうか。

ここは「丁場」と言って、各石材メーカーが割り当てられた区域でそれぞれに石材を切り出す場。火薬を使って大きな岩の塊を採り出す、ダイナミックな採石場です。

「実は切り出された庵治石から墓石になるのはたった1%なんです」

庵治石は切り出す丁場に数種の層があり、それらのキズを避けて石材を採っていくと、墓石ほど大きなサイズのものはなかなか採れないそうです。だからこそ希少価値があり、古くから高級石材として取り扱われてきたとも言えます。

加工場にて、キズに赤く線がつけられている。
加工場にて、キズに赤く線がつけられている。

「職人は山の層を見て火薬をどこに、どれだけの量で仕掛けるのかを判断していきます。採れた岩の大きさで職人の腕がわかるわけです」

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切り出された石は麓の加工工場に運び込まれ、墓石をはじめとした様々な形に加工されます。

このように大きな石を細分化していく。摩擦で焼けると石が白くなり価値が下がるため、大量の水をかけながら切断する。どこか厳かな雰囲気すら漂う。
このように大きな石を細分化していく。摩擦で焼けると石が白くなり価値が下がるため、大量の水をかけながら切断する。どこか厳かな雰囲気すら漂う。
横から見たところ。石に刃がしっかりと食い込んでいる。
横から見たところ。石に刃がしっかりと食い込んでいる。
一回り小さい切削機。しっかりと位置を定める。
一回り小さい切削機。しっかりと位置を定める。
さらに小さい切削機。縦に等間隔に筋を入れ、板状にして金槌で叩いて形を作っている。
さらに小さい切削機。縦に等間隔に筋を入れ、板状にして金槌で叩いて形を作っている。
磨きの工程。
磨きの工程。
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「これが斑(ふ)です。水をかけるとわかりやすいですが、細目、中目と言って目の細かい方が磨くとより青黒くなり、立体的な斑模様になります。目の細かい細目は庵治石の中でも最高品質のもの。だから牟礼町は日本で一番高価な石が採れる町なんです」

水をかけるとよりくっきりと模様が浮かび上がる。
水をかけるとよりくっきりと模様が浮かび上がる。
手前が中目、奥が細目。水をかけると模様の細やかさが歴然。
手前が中目、奥が細目。水をかけると模様の細やかさが歴然。

こうした採石や加工の現場は普段なかなかお目にかかれませんが、町なかには石の産地ならではのスポットが点在し、石の町らしい風景を見ることができます。

複数の石材屋さんが集まる石工団地の様子。仏像がずらり
複数の石材屋さんが集まる石工団地の様子。仏像がずらり
石工団地の一角で仏像を作っていた職人さん。細かな加工はこうして得意とする加工先さんへ分業されるため、近い地域内に様々な技術を持ったメーカーが集合する
石工団地の一角で仏像を作っていた職人さん。細かな加工はこうして得意とする加工先さんへ分業されるため、近い地域内に様々な技術を持ったメーカーが集合する
海に面した城岬(しろはな)公園。大きな石のモニュメントごしの海が美しい。
海に面した城岬(しろはな)公園。大きな石のモニュメントごしの海が美しい。

そして実は、牟礼町はかの有名な源平の戦い、屋島の合戦の舞台にもなった町。なんと有名な那須与一が矢を放つ際に立ったとの伝説の岩も残されています!

手前の平たい岩が那須与一が矢を放った際に立った場所とされる。用水路の奥に、扇の看板が。
手前の平たい岩が那須与一が矢を放った際に立った場所とされる。用水路の奥に、扇の看板が。

他にも源平にまつわる史跡が点在している牟礼町では、そのスポットをめぐる道を灯篭が照らす「石あかりロード」というイベントが毎年夏に開かれます。期間中はおよそ80世帯の家々の前に、200~300点ものあかりが灯されるそうです。全て地域の石材メーカーさんが手がけたもので、気に入ったものがあれば購入することも可能。地域のメーカーさんに一軒一軒声をかけ、このイベントを実現させた仕掛け人が、中村さんでした。

町内の常設展示の様子。実際はこのあかりが夜道に灯る。
町内の常設展示の様子。実際はこのあかりが夜道に灯る。

「庵治石を知ってもらう、興味を持ってもらうきっかけになればと思って始めました。産地が一番活気があったのはちょうどバブルの頃。60社ほどあった庵治石の採掘業社のうち、今も稼働しているのは20社程度です。石を採り続けて採れにくくなっていることや、後継問題などでお墓を処分してしまう”墓じまい”が増えていること、海外製のお墓の進出が縮小の大きな原因です。今、日本にあるお墓の80%は海外製なんですよ」

海外勢の進出による日本のものづくりの危機、という話はよく耳にしますが、まさかお墓までその状況にあったとは。

「お墓をめぐる状況は最盛期に比べれば厳しいですが、他にも牟礼町では商工会が立ち上げた庵治石の生活雑貨ブランド『AJI PROJECT』が動き出しています。庵治石が世界にも誇れる丈夫で美しい石材であることには昔から変わりありません。今も、お墓に限らずこだわった意匠の建物に庵治石が使われるケースが多いです。いつかお墓や内装などの石材を選ぶ、というときに『庵治石を使ってみたい』と思ってもらえるように、まずは身近に触れてもらえる機会を作っていきたいと思います」

確かにこの取材を終えた後に香川の街を歩くと、庵治石が使われているお店の内装などには自然と気がつくようになりました。

「次に行かれるのは杉山さんの工房ですか?もちろん知っています、ファンなんですよ」

中村さんの案内で、本日お話を伺うお二人目、杉山さんの工房へ向かいます。工房と言っても石の加工ではなく、ガラスの工房です。

Continue reading “墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。”