こんにちは。ライターの小俣荘子です。
みなさんは古典芸能に興味はお持ちですか?
独特の世界観、美しい装束、和楽器の音色など、なにやら日本の魅力的な要素がたくさん詰まっていることはなんとなく知りつつも、観に行くきっかけがなかったり、そもそも難しそう‥‥なんてイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。 気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として、「古典芸能入門」を企画しました。そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。
「文楽(人形浄瑠璃文楽)」の世界へ
今回は、「文楽(人形浄瑠璃文楽)」の世界へ。
国立劇場小劇場の5月公演に出かけました。
文楽の公演は、大阪の国立文楽劇場(1月、4月、7月下旬~8月上旬、11月)と、東京の国立劇場小劇場(2月、5月、9月、12月)で、各月2~3週間のペースで本公演と呼ばれる本格的な公演が行われています。また、大阪では6月、東京では12月に初心者向けのリーズナブルな料金で楽しめる文楽鑑賞教室が開催されます。加えて、3月と10月に地方公演、そのほかに特別な企画公演の上演がある場合もあります。国立劇場でのチケットは、1等席7,000円(学生4,900円)、2等席5,800円(学生2,900円)、3等席1,700円(学生1,200円)となっており、約4時間半(休憩時間含む)の非日常空間で文楽の世界が味わえます。
今年の5月公演は、4月に襲名された六代 豊竹呂太夫さんの東京での襲名披露公演でもあり、ロビーには数々のお祝いが並び、襲名披露口上(舞台上で行われる襲名の挨拶)も目にできるおめでたい公演でした。さんちでは、六代 豊竹呂太夫さんから直接お話を伺うことができました。50年に渡りこの世界で芸を磨いてこられた呂太夫さんに伺う文楽のお話。極限状態にある人間の喜怒哀楽を超えた感情や、本当の愛とは何か?といった文楽を超えて人間の有りようについてまで、本記事の後半でご紹介させていただきます。
浄瑠璃と人形劇が融合した独特の「三業一体」の芸能
三味線の音色と太夫による独特のメロディで語られる耳で楽しむ芸能を浄瑠璃と言います。文楽は、この浄瑠璃に人形劇が合わさって生まれた大阪発祥の舞台芸能です。竹本義太夫の義太夫節、近松門左衛門の戯曲と言うと日本史で習って聞き覚えのある方も多いかもしれません。太夫が舞台上の登場人物を演じ分け、三味線の音色が人物の心情やシーンをよりリアルなものにし、人形遣いが木彫りの人形に魂を吹き込む三業一体(三業は太夫、三味線、人形遣いの総称)、三位一体の芸術とも呼ばれています。2008年に、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
太夫はたった一人で、自身の声の工夫で登場人物を演じ分け、さらには情景描写を行い、三味線の音色とともに物語を進めます。なんとマイクは使わずに、お腹の底から出す声をそのまま客席の隅々まで届けます。三味線の音色が、シーンごとの登場人物の心の様子をさらにリアルに映し出します。人形は、3人で一体を操り「3人遣い」と呼ばれます。人形の首(かしら)と右腕を操る「主遣い(おもづかい)」を中心に、黒頭巾を被り左腕を遣う「左遣い」と、足を遣う「足遣い」の3人の技が合わさることで、人形に命が吹き込まれます。勇ましい男性の姿、愛らしい子どもの姿、たおやかな女性の姿など多様に演じられ、喜怒哀楽の豊かな感情や心の機微が伝わってきて、観客を物語の世界へ引き込みます。人形の姿に惹きつけられて物語に気持ちが入り込むので、人形遣いの方々の姿が目に入らなくなるから不思議です。
初めての文楽
江戸時代の大阪(大坂)の言葉を元にした詞章と、歌うような独特の節回しによって表現される太夫の語りは、初めて鑑賞するときには聞き取りづらいかもしれません。しかし言葉がわからなくても、声色や三味線の音色、人形の様子から大体の内容は理解することができます。まずは、太夫の迫力ある語りや三味線の音色や人形のしぐさ、それぞれの美しさに感じ入るという楽しみもあるかもしれません。味わい方は人それぞれですね。複雑な登場人物の関係やエピソードを深く味わいたいという場合は、事前にあらすじを読んでおくことをお勧めします。文楽は、シーンごとに「○○の段」と名前があって区切られており、今上演されている部分がお話のどの辺りなのかわかりやすくなっています。その他、台詞が聞き取れず気になった時には、舞台の両サイドに字幕が出ているのでそちらをちらりと見れば大丈夫。また、解説の入ったイヤホンガイドの貸し出しもあるので、ストーリーを詳細に味わいたい方は活用してみると良いかもしれません。
今回鑑賞した演目は、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』。
公家や武家社会に起こった事件や物語を題材にした「時代物」というジャンルの演目です。
『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』とともに三大名作の一つとされています。菅原道真(劇中では菅丞相)の太宰府への配流と天神伝説を背景に、丞相のために働いた三つ子とその家族の悲劇を描く物語。クライマックスである「寺子屋の段」は、主人公の松王丸がその息子小太郎の命を主君の一子の身代わりに差し出す悲しい別れのシーンとなっています。悲しみと主君の恩に報いることができた達成感がないまぜになった複雑な心情が大迫力で描かれ、最後は息子(主君の子どもと偽ったまま)の葬送で締めくくられます。人形の美しさ、太夫の声や三味線の音色に魅せられながら、物語の世界に入り込み、人形に感情移入し、多くの方が涙しながら見入っていました。
文楽は本筋のストーリーに加え、周囲の芝居にもその技巧や感情が細かく仕込まれていて、目が離せなくなります。本作は悲劇ですが、「茶筅酒の段(ちゃせんざけのだん)」という場面では三つ子の妻たち3人によるコミカルなシーンも。3人でお祝いの料理を作るシーンでは、生の大根を本物の包丁で切ったり(本当に人形が手際よくお料理しているように見えるのです)、料理が苦手な1人は胡麻を擦るのもおぼつかない様子で、器をグルングルンと暴れさせて他の2人の料理の邪魔をしてしまったり、観客の笑いを誘います。登場人物の見事な喜怒哀楽の表現も素晴らしいですが、観客の我々も一つの演目中で様々な感情を味わえることも文楽の魅力であるように感じました。
六代 豊竹呂太夫さんに伺う、文楽の世界
この度、六代目を襲名された豊竹呂太夫さんにお話を伺いました。公演直後にお時間をいただいてのインタビューでしたが、お話の合間合間に、実際の舞台さながらの語りをしてくださいながら、わかりやすく様々なお話をお聞かせくださいました。
——— ご襲名おめでとうございます。襲名インタビューなどで、70歳を迎えて「いよいよこれからだ!」と考えていらっしゃるという言葉が印象的でした。すでに50年のキャリアを積まれている上で、ここからやっとスタートラインとお考えになるご心境を伺えますか。
「ありがとうございます。自分の中で70歳を一つの区切りとしてより一段高いところにのぼりたいと言いますか、さらにラストスパートをかけたいなという思いが元々ありました。最近、『これや!』とわかりかけてきたこともありました。今までも全力で取り組んできましたが、師匠が怖くて稽古が怖くて、怖いから勉強する、そんなところがありました。ここ2〜3年の間に、切り場(クライマックスにあたる重要な場面)に相当する役を担当するようになりまして、失敗するわけにはいかない、やらなアカンと命がけの勉強をするようになりました。1時間近い新しい場面をやるには相当な稽古が必要です。先代のテープを何本も聞いたり、1行に3時間くらいかけて稽古したり、勉学心なんて無いですけれども、この場を乗り越えたい!という思いでやってきました。そうしているうちに真っ暗なトンネルの先に光が見えて『これや!』と見つけかけている状況です。そんな時に、祖父が大切にしていた前名の呂太夫襲名のお話をいただきました。入門して50年目、70歳の年。それで襲名させていただくことに決めました」
——— 「これや!」というのは具体的にはどんなことなのでしょうか。
「2つありますが、まず1つめは、かしら(人形の役)ごとの音程の区分けが50年かけてやっとできるようになってきました。侍、老婆、子ども、娘‥‥それぞれに異なった音程がありますが、区分けして演じ分けるのは難しいことです」
——— たくさんの人物が登場するシーンでも、今どのキャラクターが話しているのか目を閉じていてもわかることに驚きました。
「かしらの音程は伝統的に先人から伝えられてきたものですが、掴みかけて、少しわかってくると追求したくなります。そうして深みを増していきます。そして二つめが、『力を出しきる』とはどういうことか。襲名の芝居中に見つけて、これがわかりかけてきました。例えば45分の演目で力を出す時に、1%から始めて100%出して終わるのではなく、最初から、常に一打一打100%の力を出し切り続ける。溜めておこうとするとかえってしんどい、出しきるとまた力は不思議と入ってきて出せるのです」
——— 広い劇場で、生の声を客席全体に届ける。ただ聞こえるだけでなく、とてもエモーショナルな魂の叫びと言いますか、心情であったり状況の描写であったりが伝わってきて圧倒されます。ストーリーそのものが持つ感動だけでなく、太夫さんの肉体が生み出す“声”そのものに対して感じ入るものがあっての感動であるように思いました。
——— 力のこととも関連するかもしれませんが、文楽に対して不思議に思っていることがあります。人間ではなく操られた人形が演じているフィクションの世界、展開を知っているお話でも、何度見てもやはり涙してしまう、新たな気持ちで感動してしまうということが起きます。これは何故なのでしょう。人形の芝居、太夫の声と三味線の音色が一体となって観客に訴えかけてくる。この一体感はどうして生まれるのでしょう。
「まず第一に、『人形だから』というのが大きいと思います。人形には喜怒哀楽が無いでしょう。木でできた無表情の人形だからこそ、お客様がそれぞれの思いを投影し、感情移入できるのではないでしょうか。人間が演じていると一方通行になる(観客が受け身になる)こともあるでしょう。投影することでお客様も舞台に参加しているのだと思います。文楽は太夫と三味線と人形の三位一体の芸能と言われますが、私は太夫、三味線、人形とお客様の四位一体だと思っています。それぞれの立場から人形に色付けをして感情を生み出すのやと思います。それで、人形が泣いているように見えたり、悲しんでいるように見えたりします。そしてさらには、悲しみの先に行ってしまって不思議な高揚感が生まれることもあります。しんみりとして幽霊のようになるのではなく、高揚している。喜怒哀楽の先、五感を超えたもののなかにある感覚に触れられる時があるのです」
——— 舞台上では、どんなことを考えながら演じていらっしゃるのでしょうか。大きめの表現で感情を表しつつも、それが押し付けがましい見せつけではなく、ある種の無我で存在しているように感じることがあります。
「お客様の様子を見ながら、空気を一緒に作り、共同で幻想を作り上げていくような感覚です。それぞれの役柄になりきる自分と同時に、それを冷静に俯瞰して見つめる視点があるようなイメージでいます」
——— 最後に、これから初めて文楽を観てみようという方々に一言お願いします。
「まずは、『ライブ』が大切です。ぜひ生で観てみてください。江戸時代の庶民が観ていたのと同じシチュエーションです。太夫は何を言っているかわからないし、三味線はベンベン鳴っているし、人形は3人の大人で操っているし、わけのわからないことだらけです。子どもの頃から祖父のそばで文楽を観てきましたが、まさか自分がこの世界に入るとは思ってもいませんでした(文楽は世襲制ではないので)。大人になって改めて文楽に触れた時、このわけのわからんシュールレアリスムの面白みが少し見えたように思います。そうしてわけがわかってくるとものすごく引き込まれます。例えば、ピカソの絵画を観て、音楽が鳴っているように感じたり、なにがしかの感動を覚えるのに似ているかもしれません。魅力は隠れているものです。ぜひご自身で発見してみてください。
さまざまな感情が描かれる文楽は、荒唐無稽な世界ですが、そのなかに生身の人間以上の人間らしさを垣間見ることもあります。恋人であったり、主君であったり、相手のために登場人物たちは命をかけます。本当の奉仕って何だろう、愛するとはどういうことだろう、それは許すこと、命をかけることではないでしょうか。」
——— ありがとうございました。
六代 豊竹呂太夫さんの四位一体のお話、本当の奉仕や愛への問いが印象的でした。自分の感情を投影しながら鑑賞する文楽。その時々で新たな感動があるのは、受け身の鑑賞ではなく、知らず知らずのうちに物語の中に参加していることで、その時々の自分の思いが映り込むからかもしれませんね。そしてその感動には人間としての本質的な何かがそっと隠れているように思います。
そんな文楽の世界。ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
六代 豊竹呂太夫(ろくだい・とよたけ・ろだゆう)
本名 林雄治。昭和22年大阪府岸和田生まれ。昭和42年に三代竹本春子太夫に入門、祖父豊竹若太夫(人間国宝)の幼名三代豊竹英太夫を名乗る。昭和44年、四代竹本越路太夫に入門。昭和53年文楽協会賞、平成6年国立劇場文楽奨励賞、平成15年国立劇場文楽優秀賞を受賞。文楽本公演以外に、「ゴスペル・イン・文楽」の創作、現代詩や落語等他ジャンルとのコラボレーション公演も手がける。平成29年4月、六代 豊竹呂太夫を襲名。
◆次回の東京公演は9月
国立劇場(東京) 9月文楽公演
公演期間 2017年9月2日(土)~2017年9月18日(月)
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2017/910.html
※大阪の国立文楽劇場では7月22日からの夏休み特別公演となります。
<取材協力>
日本芸術文化振興会(国立劇場)
東京都千代田区隼町4-1
文・写真 : 小俣荘子(一部写真:国立劇場提供)