職人たちの華麗なる連携プレー。東京五輪表彰状づくりの舞台裏

いよいよ開幕した東京五輪。

栄光の証である表彰状に、ある産地の和紙が採用されたことをご存知でしょうか。

気になるそのデザインは一切非公開。今回特別に現場を取材させていただきました。

岐阜県美濃市「和紙の里 わくわくファーム創造交流館」

訪れたのは、山々に囲まれ、美しい川が流れる自然豊かな土地。和紙の産地として名高い岐阜県美濃市です。

表彰状を実際にすいているという「和紙の里 わくわくファーム創造交流館」に伺うと、美濃手すき和紙協同組合 理事長の鈴木竹久(すずき たけひさ)さんが迎えてくれました。

美濃手すき和紙協同組合 理事長の鈴木竹久さん
美濃手すき和紙協同組合 理事長の鈴木竹久さん

なぜ、東京五輪の表彰状に美濃和紙が選ばれたのか?まずは経緯について伺いました。

「五輪が日本で開催されると決まって、全国の手すき和紙業者をまとめている『全国手すき和紙連合会』が大会組織委員会に和紙の良さをアピールしたことがきっかけです。

当初はユネスコ無形文化遺産に登録された本美濃紙、石州半紙、細川紙の3紙で共同してつくろうという構想だったのですが、違う産地同士が同じ質感の和紙をつくることは難しい。それぞれ特徴のあるものですからね。

職人がある程度揃っていて、安定して手すき和紙がつくれるところ、という条件にぴったりはまったのが、美濃だったのだろうと思います」

選ばれたのは、美濃和紙の中でも格式高い「本美濃紙」と呼ばれるもの。認定された原料を使用し、伝統的な手すき技術製法ですくなど、厳しい規定があります。

後継者育成のための研修制度が表彰状づくりの基盤に

産地全体で均質の和紙を生産できるのは美濃の大きな強み。その背景にある「研修制度」が大きな役割を果たしているようです。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状

「平成23年から本美濃紙の保持団体である『本美濃紙保存会』が後継者育成のための研修を始めました。約10年以上かけ、和紙をすく技術を若い方達が学び、今ようやく技術が上がってきた時期にあります。

会員の誰がすいても一定の質の紙ができるということがゴールでもありますので、この制度があったからこそ今の生産体制を組めているのだと思っています」

美濃手すき和紙協同組合 理事長の鈴木竹久さん

古くから人々に愛された美濃和紙

その盤石な生産体制に加えて、美濃和紙には和紙としての揺るぎないブランド力があることも忘れてはなりません。

美濃和紙の特徴は、薄さと丈夫さ、そして美しさを兼ね揃えていることにあります。奈良時代から1,300年以上もの歴史をもつ美濃和紙は職人の手すき技術も高く、江戸時代には最高級紙として徳川幕府も御用達にしたほど。

美濃和紙 資料
御野国(みののくに)戸籍断簡のレプリカ。奈良時代には美濃国に紙すきが定着していたと思われます

和紙の特産地に制定されてからは、良質な障子紙として人気を博し、町人の支持も得て生産は急速に拡大。

生産数が増えてからも職人たちはその品質を守り続けます。良質な原料を使い、人の手で小さな不純物を取り除き、混じり気のない美しい「白」を表現し続けたことで、美濃和紙は日本三大和紙にも数えられる、確固たる地位を築いてきました。

いよいよ、表彰状づくりの舞台裏へ潜入

こうした積み重ねの先に舞い込んだ、栄誉ある表彰状づくり。一体どのようにつくられているのでしょうか。いよいよ実際の現場を見学します。

まず美濃和紙の原料となる楮(こうぞ)を用意します。楮とはクワ科の落葉低木で、和紙には主に樹皮が使用されます。

美濃和紙 原料の楮
茨城県大子町産の最高級品「大子那須楮」を使用しています

外にあるさらし場にて、数日間楮を水に浸し、樹皮に含まれる不純物を取り除きます。

美濃和紙 楮水さらし
楮を柔らかくする役割も

その後アルカリ性のソーダ灰を用い、大きな釜で樹皮を煮出します。「煮熟(しゃじゅく)」と呼ばれる作業です。

美濃和紙 煮出し用釜

続いては「ちり取り」。煮出した繊維に残る細かなゴミを手で取り除きます。

美濃和紙 ちり取り作業
左手に握っているのが使えない部分
美濃和紙 ちり取り作業
こんなに小さなゴミも見逃しません

作業は分業制なので、ちり取り担当と決まったら一日中行います。腰をかがめて、くまなく、丁寧に。美濃和紙の美しさはこの作業にあると言っても過言ではありません。

美濃和紙 原料の楮
ちり取りを経て、より抜かれた原材料

ここからいよいよ紙すき作業です。今回の表彰状は、無地と透かしを施した紙を2枚合わせてデザインが浮かび上がる工夫がしてあるそう。

そのため2人同時に紙をすき、その後ろにはサポートがつきます。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
奥の女性が無地、手前の男性が透かしの和紙をすいています

すき舟と呼ばれる木桶のようなものの中には、楮の繊維と水の他、トロロアオイという植物の根から抽出した液体「ねり」が混ぜ合わされています。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
原料が入ったすき舟の中で紙すき作業を行います

「トロロアオイから出る粘性の成分によって、原料が簀から落ちるスピードを遅くしています。簀を前後左右に動かすことで繊維が絡み合って密着していきます。」

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状

木枠の簀桁(すこて)を前後左右にテンポよく動かし、紙をすいていきます。私も紙すき体験をしたことがありますが、簡単そうに見えてこれがとても難しいのです。華麗な手さばき、職人技に圧倒されます。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
和紙が完成!まずは無地のものを簾ごと置いて‥‥
手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
水をかけます
手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
簾を外して
手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
無地の上に透かしの和紙を重ねます。また水をかけてゆっくり簾を剥がすと‥‥
手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
うっすら、今回のデザインが!

表彰状は非公開のため、デザインをお見せできるのはここまで。
まだまだ作業は続きます。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
けばや埃などを丁寧に取り除く

「目立つスジもしっかり手で取り除きます。透かしをきれいに表現するための重要な作業です」

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
1セットずつ布をかぶせ、無地の和紙と透かしの和紙を密着させます
手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
ある程度すいたら、重石を乗せて安定させます

最後に乾燥させて完成。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状
しっかり2枚重ねになっているのが見てとれます

今回お見せできるのはサンプルですが、このように見事な透かしが表現されています。

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状サンプル

これらの工程を繰り返していくわけですが、何より驚いたのが皆さんの息の合った連携プレー。4人1組の3チーム体制で製作がされているとのこと。鈴木さんも都度指導しながら作業を進めていきます。

美濃手すき和紙協同組合 理事長の鈴木竹久さん
一連の作業を終えて腰をバキバキ。皆さんとても仲良しです

「間違いなく美濃の底力を見せる良い機会でした」

東京五輪の表彰状をつくる、ということに対して職人さんに聞いてみると、皆さん口を揃えて語ったのは「産地としての一体感」。

「こうやってチームで紙すきをできるのは、美濃の力なのかなと。

研修を通して自分の技術を磨きながら、お互いの強みも弱みも共有できます。だからこういう時にも、自分の強みを活かしつつチームプレーができる。

みんなの技術の高まりもあっての今だったので、このタイミングで表彰状づくりに携われることはとても良かったですね。

まだあまり実感がないのですが、本当に一生に一度、あるかないかの貴重な経験をさせてもらっているなと感じます」

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状

また他の職人さんは、こんな言葉も。

「みんなで一丸となって仕事をすることもなかなかなかったので、大変な時もありますがとても楽しい。間違いなく美濃の底力を見せる良い機会でした。また他の機会でも生きそうです」

職人さんの中には県外出身の方達も。しっかり技術を受け継いでくれていると、鈴木さんも嬉しそうに語ります。

「彼ら彼女らの中には、まだ職人を生業とするまでは至っていない方もいます。子育てをしながらや、他で働きながら、研修を受けてコツコツ学んでくれています」

手すき美濃和紙 職人の皆さん

伝統産業につきものである後継者不足問題。美濃にも確かにその問題はあるといいますが、このように世代を超えて生き生きと働かれているのを見ると明るい気持ちになります。

「表彰状づくりは一過性のもの。とは言え、この一体感が生まれたのは素晴らしい。本当にまたとない、良い経験をさせてもらっています。

同じ目標に向かって若手もベテランも精一杯自分の実力を発揮していて、とても嬉しく思います」

手すき美濃和紙 オリンピック表彰状

個の力を磨きながら、いざという時にはチームで協力してひとつのものをつくり上げる。これぞ美濃という産地らしさ、美濃和紙の強みなのでしょう。

選手の健闘を讃える美しい美濃和紙の表彰状。
大きな舞台を支える職人さんの丁寧な仕事に触れ、改めて日本の手仕事を誇らしく感じました。

<取材協力>
和紙の里 わくわくファーム創造交流館
岐阜県美濃市蕨生1647番地

美濃手すき和紙協同組合
岐阜県美濃市蕨生1851-3番地
http://www.minowashi.or.jp/

文:杉本香
写真:尾島可奈子

「開けば花、閉じれば竹」美しき和傘の産地・岐阜和傘の職人、河合幹子さんの思い

子どもの頃の夢。憧れた職業。

それを実際に叶えられる人はどれだけいるのでしょうか。

岐阜の和傘屋の家系に生まれた河合幹子(かわい みきこ)さんの場合、憧れたのは祖母の姿。粋なデザインが評判の和傘職人でした。

一度は普通に就職するも、縁あって職人の道へ。今ではその美しい傘が人気となり注目を集めています。どのようなきっかけで職人への道を志し、今に至るのか。そのリアルをお聞きしました。

金華山 岐阜城
金華山のてっぺんに岐阜城がそびえ立ちます

訪れたのは岐阜城のお膝元エリアにある「長良川てしごと町家CASA」。築100年以上にもなる町屋で商う唯一の岐阜和傘専門店、そして体験型工房です。そこで和傘職人の河合さんが私たちを迎えてくれました。

長良川てしごと町家CASA
川原町の情緒ある町並みの中に佇むお店

「開けば花、閉じれば竹」とうたわれる和傘

岐阜市加納地区を中心とした地域は、江戸時代中期より岐阜和傘の産地として栄えてきました。丈夫な美濃和紙をはじめ、傘の要である竹、仕上げに使われるえごま油など、材料となる良質な素材が長良川流域で豊富に得られたことも地場産業に発展した要因の一つです。

最盛期となる1950年ごろには和傘の製造業者が500軒以上も軒を連ねていたそうですが、その数も減少。現在は河合さんのように個人で製造される方含め、残ったのは5軒ほどとなってしまいました。

岐阜和傘 長良川てしごと町家CASA
様々な和傘が並びます

そんな貴重な岐阜和傘の魅力を探るべく、製造工程を見学。

この日まず見せてくれたのは「糸かがり」という工程。小骨(しょうほね)と呼ばれる、傘の内側にある骨組み部分に手で糸を通していきます。

岐阜和傘職人 河合幹子さん 手かがり作業
まるで手品のようにするすると糸が通されていきます

「糸かがりは、小骨が開きすぎないように補強することと装飾の両方を兼ねています」

岐阜和傘は他産地よりも量産ができることが特徴で、そのため寒色や暖色、どんな色にも合う黄色のかがり糸がとりわけ重宝されたのだそうです。

続いて見せていただいたのは、ボリュームある傘をきちっと整え、締めていく工程。

岐阜和傘 木べらで表面を整える
木のヘラを使って、傘を閉じた時の表面の凹凸を整えています

「私にとっては、これは背筋を正すような作業なんです」

地味な作業でも、この後の仕上がりを決めるから手を抜かない、と真剣な表情の河合さん。

その他にも‥‥

岐阜和傘職人 河合幹子さん
穴あきや傷がないか入念にチェック
岐阜和傘職人 河合幹子さん
和紙と和紙の貼り合わせ部分がしっかりくっついているか確認します
岐阜和傘
左のような広がった状態から、右のように輪で締め、岐阜和傘の特徴である細身の和傘にしていきます

などなど、傘一本を完成させるまで、その工程は100以上にも及びます。見せていただいた作業工程はごく一部。

これらは本来なら分業制なのですが、職人の高齢化などにより間の工程を担う職人不足で完成できないということが起こり得ます。そのため、河合さんはほとんどの作業を一人で行います。

税理士事務所職員から、和傘職人へ

母方の実家が和傘の製造卸の老舗「坂井田永吉本店」だったこともあり、幼い頃から和傘が身近であったという河合さん。

岐阜和傘

「小さい時は毎週末のように工房に遊びに行っていました。そこで働く祖母に会えるし、職人さんたちには相手をしてもらえるし。私にとって工房は遊び場のような感じでした」

和傘職人であるお祖母さま。いつまでも粋で挑戦心を持ったその姿に河合さんは憧れていました。

「着物を着こなす祖母は本当におしゃれで。彼女の作っていた傘も同様に素敵だったんです。

歳をとってからも今までにない和紙を取り入れたり、新しいデザインの和傘を制作したりと、そんな祖母の意欲的な姿を見て職人としての格好良さを感じていました」

岐阜和傘職人 河合幹子さん

和傘と手仕事が身近にあった幼少期を送りましたが、大学卒業後は東京で就職、その後は税理士事務所職員として働くように。そんなある日、転機が訪れます。

「和傘を作ってみないか?」

河合さんの叔父である坂井田永治氏にそう声をかけられ、坂井田永吉本店で和傘作りの道に入ります。しかしお母さまが病気になったことがきっかけで、実家の新聞店を手伝うためやむなく退社。新聞配達をしながら空いた時間に和傘作りをする日々が続いていきました。

山あり谷ありな日々を送りながらも、その後はお母さまの体調も良くなり、河合さんはついに自分のブランド「仐日和(かさびより)」を立ち上げます。現在は職人として専業で傘作りを行っています。

岐阜和傘職人 河合幹子さん

「初めて購入してくれたのは、仕入先の美濃和紙職人さんだったんですよ。オーダーをいただいてから久しぶりにお会いした際、『すごくいい色になってきましたよ』とおっしゃっていて。大切に使っていただいているんだなって、とても嬉しかったですね」

作家ではなく職人

河合さんが傘作りをする上で大切にしているのは、「こだわり過ぎない」こと。

「和傘は作品ではなく商品です。そして私は作家ではなく職人。こだわりが強過ぎるとお客様のニーズを聞けなくなってしまいます。

色々なお客様に使ってもらいたいという気持ちが大きいので、常に和傘の敷居を低く持っていたいんです。デザインへのこだわりよりも、和傘そのものの質や閉じた時の佇まい、作業の細やかさに意識を向けています」

岐阜和傘
デザインで唯一意識しているのは、洋装にも似合うものであること

また家族が自営業であること、そして自身が税理士事務所で働いていた経験が身を助けているとも。

自分で食べていけないと良い商品は作れない、そう学んだことが現在の河合さんの基盤になっているのだそうです。

「雨の日が楽しみになったよ」その言葉が嬉しい

完成品が華やかなので作業や仕事がクリエイティブと受け取られることも多いそうなのですが、実際は完成に至るまで地道で根気が必要。それが和傘作りの世界です。

「私の性格的にも『じっくりゆっくり』より『早く効率的に』タイプなので職人に合っていたのかもしれません。

とても根気がいる分、思っていたもの、狙った以上のものができた時は純粋に嬉しいです。自分の技量が上がったと感じられますから。

あとはお客さんに喜んでもらった時が本当に嬉しいです。『雨の日が楽しみになったよ』という言葉を聞いた時は感激しましたね」

岐阜和傘

河合さんが理想とする職人像は、身近にいたベテラン職人さんと、そしてやはりお祖母さま。

「ベテランの方の圧倒的な品質の良さと作業スピード、職人としての技量は憧れです。

そして祖母は職人として長くやっていても、新しいものを生み出す好奇心があったところが素敵だなと。自分もそうありたいと思います」

岐阜和傘

一方で、自分の手で和傘を生み出し続ける職人であるが故に見過ごせない問題もあるといいます。

実は岐阜は和傘を作るための部品製造のシェアも大きく、他の和傘産地に部品を供給しているという一面があります。ですが職人の高齢化で後継者不足にあるという苦しい現状が。

「岐阜だけでなく日本の和傘を残していくためには、携わる人々が潤うようなものでなければなりません。助成金にただ頼るのではなくて、一産業として成り立ち携わる人々が生活できるということは、私たちの誇りにも繋がりますから」

長良川てしごと町家CASA 岐阜和傘職人 河合幹子さん

まずは多くの人に岐阜和傘の存在を知ってもらいたい、知ってもらえることが嬉しい。そう笑顔で語る、これからの岐阜和傘を支える若き職人は、まるで和傘のように凛としていて美しく感じました。

<取材協力>
長良川てしごと町家CASA
岐阜県岐阜市湊町29番地
https://www.teshigoto.casa/

仐日和
和傘職人 河合幹子さん
http://kasabiyori.com/

文:杉本香
写真: 直江泰治