「TSBBQ ホットサンドメーカー」年間1万個を売り上げる大ヒット商品はいかにして生まれたか?

漁具の金物卸商からのスタート

三条市の山谷産業は、大ヒット商品を持っている。2013年、カラフルなキャンプ用テントのペグ(杭)を企画・製造して自社のオンラインショップで販売。1本300円からするペグが文字通り飛ぶように売れて、一般販売だけで累計で180万本を出荷した。

山谷産業のペグ エリッゼステーク・エリッゼステークアルティメット

その歴史を振り返って見れば、1979年創業の同社は、もともと漁具の金物卸商だった。

初代社長は全国を渡り歩いて漁港の組合員さんに漁具を売り歩いていたが、ある時、妻が重い病気にかかってしまい、長期の出張に行けなくなってしまった。そこで、初代が「なんとかしなくては」と始めたのがオンラインショップだ。

しかも漁師の数が減り、卸売事業は売り上げが落ちていた。そこで初代がオンライン部門へのシフトチェンジを図り、2002年に自社オンラインショップ「村の鍛冶屋」を立ち上げ。とはいえノウハウはなく、最初は「ヤフーオークション」に出品するところから始まった。

その後、ヤフーショッピング、楽天市場、アマゾンと順次出店していくなかで、売り上げがどんどん伸びていった。

そこで人手が足りなくなり、「戻ってきて、手伝ってほしい」と呼び戻されたのが、東京で別の仕事に就いていた長男の山谷武範さん。

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん
山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

「村の鍛冶屋では、燕三条でつくられた製品を、伝統的な工芸品や鍛冶職人の刃物などを中心に仕入れて売るようになりました」

ヤフー、楽天、アマゾンと自社サイトで売り上げは伸び続け、それに伴って掲載する品数もどんどん増えていった。今では2万超の商品を取り扱っている。

山谷産業の製品

ヒット商品を出した後の危機感

2012年に跡を継いだ山谷さんは、先述したように翌年、同社初のプライベートブランドとしてペグを投入した。しかし、「満を持して」とか「悲願の」というわけではなかった。

「弟の専務が商品開発を行なっているんですが、たまたまアウトドア好きで、プライベートで使っていた他社製品の使い勝手が良くないということで作ってみたんです。ペグって黒いものが多いんですが、なくなりやすいのでわかりやすいように色を付けました」

山谷産業のペグ

これが、プレスリリースどころか広告も出していないにもかかわらず、3カ月で1万本を売るヒット商品になって、山谷さんは驚いたという。

ペグは消耗品なので、一度、色付きを買った人はまた同じものを買いにくる。気づけば同社の主力商品になり、「山谷産業」と検索すればペグがトップに出てくるほどだった。ペグを求めてサイトを訪れる人が大半なので、アウトドア用品の販売も始め、ペグを打つペグハンマーなども開発した。

2013年、山谷産業の売り上げは3億円程度だったが、2015年には4.6億円と右肩上がり。しかし、山谷さんは危機感を抱いていた。

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

「もともとアウトドアメーカーでもないのに、たまたまペグが売れたからアウトドアの商品を作っているという状態で、当時は特に戦略がなかったんです。でも、一般的なメーカーさんは作った商品をいろいろなお店に卸すのに、私たちはどこにどうやって卸すのかも知らなかった。

確かにネットに載せているだけで売れていくのですが、メーカーとしてひと通りの流れを知っておかないと、今後どこかで痛い目をみるだろうと思っていました」

「これからどうしようか」と思っていたところに、三条市から「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」開校の知らせが届き、すぐに受講を決めた。

これまでなんとなく進めていた商品開発やブランディング、商品の販売に至るまで一気通貫で学べること、地元のデザイナーやアートディレクターと知り合うきっかけになるということが背中を押した。

敏腕デザイナーとの出会い

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日にプレゼンするという流れだ。毎回、宿題もたくさん出るが、山谷さんにとって、半年間の授業は思いのほか楽しかったという。

「自社の弱点や特徴を書きだしたうえで、それをどうしていくかという授業だったので、自分の会社や事業に当てはめて考えられてすごく面白かったですね。

今まで自分の中でモヤモヤしていたことが言葉になって具現化されていって、こういうことをやればいいのか、などなるほどと思うことが多くて」

山谷さんが考えた強みは「この地域(燕三条)に会社があること」。ものづくりに特化した地域だから、作りたいものがあればだいたい作ることができる。弱みは「ネット以外の販売手段がないこと」。そこを出発点に授業のなかで新商品を考案していった。

強力なサポート役となったのが、同じく講座を受講していた「フレーム」のアートディレクター、石川竜太さんだ。三条市出身で、新潟に拠点を置きながらキリンビバレッジ「生茶」、ロッテ「紗々」など大手企業のデザインワークも手掛けており、受賞歴も多い。

「講座のなかでふたり組になってプレゼンをする機会があったのですが、たまたま石川さんから声をかけてくださって。2回打ち合わせをして、『最初のブランドコンセプトを作るまで』を完成させました。

それまで、デザイナーと言えばチラシを頼むぐらいだったんですが、石川さんと話をすると、いろいろ腑に落ちるんですよ。力がある人と一緒に組むとこんなに楽なんだなと思いましたね」

お客さんのDMから生まれた商品

コトミチの授業、石川さんとの出会いを経て山谷さんが新たに立ち上げたのが新ブランド「TSBBQ」。2つの意味合いがあり、『Tsubame Sanjo BBQ』の頭文字と、かっこよくBBQやろう!という意味の『Try Stylish BBQ』からとったものだ。

TSBBQのロゴ

2017年5月には、最初の商品として、塊肉を刺してくるくる回しながら焼いてローストビーフをつくるローストスタンドをリリースした。シュラスコ、バウムクーヘンも焼けるとはいえ、実際に所有している人はレアなローストスタンドは、なぜ生まれたのだろうか?

「たまたま、村の鍛冶屋のお客さんからTwitterで『肉をぐるぐる回して焼くものが欲しいけど、日本で買うには高いから村の鍛冶屋さんで安く作ってもらえませんか?』とDMが送られてきたんです(笑)。それは面白いと思って石川さんに話したら、2時間ぐらいでブランドロゴを作ってくれました」

TSBBQ ローストスタンド

さらに、山谷さんはコトミチの1期生のプロダクトデザイナー、高橋悠さんに「こういう商品を作りたいので、デザインを考えてもらえないですか?」と相談。高橋さんの快諾を得て、商品作りがスタートした。

山谷さんの役割は、高橋さんがデザインしたプロダクトをどう具現化するか。そこは、村の鍛冶屋で培った地元企業とのつながりを活かし、最終的に地元企業4社の協力を経てローストスタンドは完成した。

販売開始にあたっては、石川さんがホームページやプレスリリースもデザイン。プレスリリースを出すことで、雑誌、新聞、テレビなどから注目を集めた。これは、山谷さんにとって驚くべきことだった。

「ペグのようにヒット商品としてメディアに載ることはありました。でも、この時は商品を出したばかりで売れる前のタイミングです。それでも面白いことを考えて発表すればメディアに取り上げてもらえるんだと知りました。露出が増えたことで、ほかの商品の売り上げも伸びましたね」

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

ペグに次ぐヒット商品の誕生

この勢いに乗って、半年後の12月には「TSBBQ」シリーズの第2弾をリリース。「ドリッパースタンド」、「ホーローマグ」、「ホットサンドメーカー」の3商品を投入した。

すると、リリース直後からホットサンドメーカーがさまざまなメディアに掲載され、どんどん売れ始めた。その勢いはすさまじく、1年間で1万1千個を超えた。ペグに次ぐ大ヒット商品の誕生だ。

2017年10月期のオンラインショップ売上高は5億8000万円で過去最高を記録したが、18年10月期は7億円弱に達した。人気が衰えないペグに次いで、ホットサンドメーカーも売り上げ増に大きく貢献した。

TSBBQ ホットサンドメーカー

ホットサンドメーカーは他社製品もあるが、「TSBBQ」の商品の特徴は焼き上がるとパンの表面に「TSBBQ」の燕のロゴと「Try Stylish BBQ」という焦げ目がつくところ。

ユーザーがこれをSNSにアップするたびに、ブランドロゴとメッセージが広まる。その宣伝効果は計り知れない。これも、アートディレクターを務めた石川さんの手腕だろう。

山谷さんは同時進行で、2017年10月、「燕三条 工場の祭典」開催に合わせて実店舗「村の鍛冶屋SHOP」をオープンさせた。

村の鍛冶屋SHOP 店内

これは「燕三条 工場の祭典」を監修しているmethodの山田遊さんに商品セレクトや店舗デザインの全体監修を依頼。ブランドの世界観を伝え、お客さんと直接コミュニケーションできる場を作ることで、山谷さんが弱みとして挙げていた「ネット以外の販売手段がないこと」からも脱却した。

山谷さんはコトミチで得た縁と知識をフル活用している。

2018年8月には、コトミチを受講していたプリンス工業の神子島未紗子さん、2期生でアートディレクターの「NISHIMURA DESIGN」の西村隆行さん、同じく1期生のライター丸山智子さんと組み、コトミチの手法を使って、60年前からある商品「Z缶切り」のリブランディングも始めた。

Z缶切り

形状はそのままに、従来2色だったZ缶切りを5色(赤・桜・黄・青・白)に広げたもので、これは「第29回 ニイガタIDSデザインコンペティション」で、大賞、準大賞に次ぐIDS賞を受賞している。

山谷産業

山谷さんは最初、コトミチの15万円という受講料を見た時に「高い」と感じたそうだが、今はこう言っている。

「コトミチでの出会いは本当に大きかったですね。15万円は本当に安いと思います」

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

<取材協力>
株式会社 山谷産業
代表取締役社長 山谷武範さん

山谷産業HP http://www.yamac.co.jp/
村の鍛冶屋 http://www.muranokajiya.jp/

TSBBQ ホーローマグ

文:川内イオ
写真:菅井俊之

*こちらは、2019年3月11日公開の記事を再編集して掲載しました。ビジネスの視点から見る、大ヒット商品の裏側にある偶然と戦略はとても興味深いです!

魅せるキッチンツール「DYK」で、三条市の老舗大工道具商社が挑む新市場

8代目社長の改革

創業1866年、のこぎり鍛冶としてスタートした三条市の高儀。現在は工具全般のメーカー、卸として売り上げ316億円(2018)、従業員数392名(グループ全体)を誇る三条市でも屈指の規模に成長を遂げた。

この老舗が2019年春、新たにキッチンツールブランド「DYK(ダイク)」をリリース。醤油差しから鉄道車両まで幅広くデザインするプロダクトデザイナーの鈴木啓太さんのデザインで開発したもので、お玉やターナー、包丁など高級感あふれるラインナップだ。

新ブランド、DYKの商品
新ブランド、DYKの商品
燕三条 キッチンブランドDYK(ダイク)の包丁
プロダクトデザインを担当した鈴木啓太さん(PRODUCT DESIGN CENTER)

従来のイメージを覆すような新ブランドが生まれたきっかけは、2017年3月、同社の8代目に就任した高橋竜也社長の改革だった。五十嵐篤さん(第3事業部営業部取締役部長)は、こう振り返る。

「大工道具や建築で使う作業工具、園芸用品など、うちはそれぞれ値段の上中下でブランド名をつけていて、ぜんぶ足したら20ブランド以上あったんです。

8代目が社長に就いた時、これは誰のためのブランドなのか、自分たちの都合で増やしただけで、多ければ多いほどお客さんには認知してもらえないんじゃないかということで、整理することになりました」

株式会社高儀の五十嵐篤さん(第3事業部営業部取締役部長)
株式会社高儀の五十嵐篤さん(第3事業部営業部取締役部長)

ホームセンターへの依存

「ブランドを整理する」という言葉はシンプルだが、同社にとっては一大事業だった。

それまでの商品は、事業部の売り上げの8割を占めるホームセンターとのコミュニケーションのなかで、要望に沿った機能を持つ商品を低価格で作るという形で開発していた。

例えば、テレビで話題になった工具があるとする。ホームセンターの担当者が、高儀の担当者に「ああいう商品はないの?」と尋ねる。もしなかったらすぐに作る。それをホームセンターは大量購入するという流れだ。

あるいは、「競合他社の商品より100円安く売れるものを作ってくれたら2万個仕入れるよ」と言われて、その要望に応えてきた。

ホームセンターの売り上げが右肩上がりで伸びていた時期はそれでもよかったのだが、過去10年間、ホームセンターの数は20%増えているのに全体の売り上げは横ばいと、完全に頭打ち。

人口減少も進み、さらにシュリンクしていくのが明白ななかで、ホームセンターに依存するこれまでのビジネスモデルに危機感を抱いた高橋社長の鶴の一声で、買い手を意識したブランドの立て直しが始まったのだ。

しかし、ブランドを絞るとなればパッケージの変更、使わなくなった資材の処理、納品先への説明など、それまでに必要なかった作業が発生する。そのため、反対意見もあったそうだ。

燕三条 キッチンブランドDYK(ダイク)の包丁

「衝撃」のコトミチ

この改革のさなかに、三条市から「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」開校の知らせが届いた。

当時、商品開発を担当していたこともあり、会社から知らせを受けた五十嵐さんだが「ぜんぜんピンときませんでした」。しかし、会社から受講を勧められたこともあり、「なにかヒントになれば」と参加を決めた。

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日にプレゼンするという流れだ。講座は五十嵐さんにとって「衝撃」の体験だった。

「講座では商品を作って出した時は仕事が半分しか終わっていなくて、どこに売るのか、誰に買ってもらいたいのかまで考えないとダメだと言われましたが、僕は商品を作ったら、あとは営業に任せていたんです。自分のなかではそれが普通だったので、目からウロコでした。

ブランドとしてのこだわり、ネーミングの付け方なども含めて、ブランドについて考える時間は、中川さんが10だとしたら、僕は1ぐらいだったと思います」

DYK誕生の背景

講座を終えて改めてブランディングの重要に気づいた五十嵐の提案もあり、高儀の高橋社長は塾長の中川政七に短期間のコンサルティングを依頼した。テーマは自社開発している電動工具を中心としたブランド「アースマン」の売り上げを伸ばすこと。

しかし、既にホームセンターの市場が縮小していること、ホームセンターはブランドを求めていないこと、ホームセンターの顧客もロープライスを求めていること、高儀のブランドが乱立しているなかでアースマンだけ付加価値をつけてもブランディングとしては意味がないと中川は判断。

改めて高儀の事業を洗い直したなかで同社の事業の3本柱である大工工具、園芸用品、家庭用品のうち、売り上げが低迷している家庭用品のテコ入れをしようという話になった。

こうしたやり取りのなかで、「大工がいい家を建てるためにはいい道具を揃える。キッチンにもいい道具を揃えて美味しい料理を作る」というコンセプトが定まり、まったく新しいハイエンドのキッチンツールブランド「DYK(ダイク)」を作ることになったのだ。

燕三条 キッチンブランドDYK(ダイク)大工用品メーカーから生まれたキッチンブランド「DYK(ダイク)」

「キッチンツールって、包丁だったらどこ、フライパンだったらどことそれぞれ有名なブランドがあるんですけど、キッチンツールをひと通り同じテイストで統一しているブランドってないんです。

それなら、高儀のモノづくりのチャネルを活かして、キッチンツールを同じテイストでゼロから作りあげましょうということになりました」

DYKのキッチンツール

魅せるキッチンツール

「DYK」の開発は、スムーズにはいかなかった。先述したように、高儀では従来のモノ作りはデザインよりも機能と価格が重視されていたため、外部のプロダクトデザイナーを起用することは10年以上していなかった。

そのため、今回、鈴木啓太さんが率いるPRODUCT DESIGN CENTERが、非常に高度な技術を要する設計にして、ミリ単位のずれも見逃さずに指示を出す様子を見て、五十嵐さんは驚きの連続だったという。

DYKのロゴやパッケージ、サイトのデザインなどは、鈴木さんの指名でemuniのグラフィックデザイナー・村上雅士さんが担当。パッケージだけでも10回以上つくり直したそうだ。

DYKの包丁
DYKの製品を手に取っている様子

何度も微調整をして完成した「DYK」は、日本では珍しい「魅せるキッチンツール」だ。ひとつひとつの見た目がシャープで洗練されているだけでなく、統一感と収納方法にもこだわる。

絶妙なバランスと配置によって、収納時にも繊細なたたずまいを見せるのだ。飲食店のオープンキッチンや家庭のアイランドキッチンなどで映えるデザインと言える。

「例えば、キッチンまわりの写真を撮る時に、キッチンツールは生活感が出るので写さないことも多いようですが、DYKは使っていない時にも見せることを意識して設計されています。それが珍しいようで、特に海外の方は興味を持ってくれますね」と手ごたえを口にするのは、「DYK」の営業を担当する第3事業部営業部営業企画グループリーダー(課長)、中田博明さんだ。

株式会社高儀 第3事業部営業部営業企画 課長 中田博明さん
株式会社高儀 第3事業部営業部営業企画 課長 中田博明さん

世界3大デザイン賞を狙う

DYKはホームセンターには置かないため、営業がゼロから市場を開拓することになる。そのためのアピールポイントになるのが、価格だ。キッチンツールとして市場のなかで「空いているスペース」を狙った。

「例えば包丁でいうと、ホームセンターで売れている包丁は980円から1980円なんですよ。一方で、燕三条で作っているこだわりの包丁はだいたい1万円ぐらいなので、我々は5000円前後のゾーンを狙いました。

デザイン性が良くて、それほど高くないということで、展示会に視察に来るバイヤーさんやユーザーさんも、こんな値段なの?と驚いています」(中田さん)

DYKのキッチンツール

今後は、販売戦略の一環としてキッチン用品を中心とした家庭用品の世界最大の展示会「Ambiente(アンビエンテ)」への出展を計画。さらに世界3大デザイン賞と呼ばれるIDEA賞、レッドドット・デザイン賞、 iF Design Awardsの受賞を狙うという。

新しいブランドをゼロから立ち上げ、外部と提携してのデザイン、値付け、販売戦略、海外展開までのすべてが高儀にとっては未知の領域だった。

構想から商品化までの2年1カ月という月日が生みの苦しみを示している。しかも、これからは売り上げにつなげなくてはいけないというプレッシャーもあるが、中田さんは「結果的には、一番いいOJTになっています」と語る。

「最初に五十嵐ともうひとりが講座を受けて戻ってきた時は、なんとなく難しそうな言葉を喋っているという印象でした。

でも、コトミチの第2期にも別の人間が送り込まれて共通言語を持った人間が増えたことで、受講していない人も今まで話さなかったような言葉を話すようになっています。デザインやブランドに対してアンテナを張る社員も増えているように感じますね」

売り上げが300億円を超える高儀のなかで、DYKはまだ小さな存在だろう。しかし、コトミチに端を発した新しい挑戦は、少しずつ社員にも影響を及ぼし始めているようだ。この波及効果が、生まれたばかりのDYKを大きく育てる追い風となる。

株式会社高儀の中田博明さんと五十嵐篤さん

<掲載商品>
キッチンツールブランド「DYK(ダイク)」

<取材協力>
株式会社高儀
新潟県三条市塚野目2341-1
http://www.takagi-plc.co.jp/

文:川内イオ
写真:菅井俊之

仕事が集まる新潟のデザイナー。彼が実践したのは『経営とデザインの幸せな関係』だった

新潟の燕三条をベースに活動するクリエイティブディレクター、プロダクトデザイナーの堅田佳一さんはいま、佐賀県のある豆腐メーカーと組んで、新しい商品の開発に取り組んでいる。

地方の企業がプロダクトデザイナーやアートディレクターを起用して新たな取り組みをしようとする時、多くは東京で適任者を探すのではないだろうか。

もしくは、地元や近隣の町の在住者に心当たりがあれば、その人に声をかけるという選択肢もあるだろうが、地方の企業がまったく別の地方に住む人材に依頼をするという例は、なかなかないだろう。

佐賀出身でも、在住経験があるわけでもない堅田さんと佐賀の企業がなぜ一緒に仕事をしているのだろうか。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

世界的なデザイン賞を受賞

大学を卒業後、大阪のデザイン事務所に勤務しながら家電や事務機器、スポーツ用品などのデザイン開発業務を経験した堅田さん。

2008年、素材や工法などモノづくりの原点から学べる場所を求めて、縁もゆかりもない新潟県燕市の包丁メーカー、「藤次郎」に転職した。

藤次郎では現場に入り込みながら、ブランディングや海外の展示会の出展、商品のディレクション、原価構成や製造工程の改善まで担当。

堅田さんがディレクションを担当し、藤次郎の職人と他社の金属プレス加工の職人が組んで開発した包丁「ORIGAMI」は、世界的なデザイン賞「iFデザイン賞」で、プロダクトデザイン賞を受賞した。

「ORIGAMI」シリーズ(藤次郎)
三条市・藤次郎のロゴ
TOJIROの新しいロゴも堅田さんによるデザイン

これをきっかけに他社からの相談が増えたこともあり、2014年に独立してKATATA YOSHIHITO DESIGNを設立。燕三条に拠点を置くさまざまなジャンルのものづくり企業と仕事をしてきた。

堅田さんが藤次郎と高級箸メーカーのマルナオ、洋食器メーカーの山崎金属工業の3社をつなげて生み出したナイフとフォークのシリーズ「脇差」は、これも世界的に評価の高いデザイン賞「red dot design award 2017」で受賞している。

藤次郎のナイフ・フォーク。脇差/ WAKISASHI
「脇差(わきさし)」シリーズ。堅田さんはこの商品の企画から全体のコーディネートした

感じていた課題

これだけの実績を持ちながら、堅田さんは三条市で「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」が開校することを知ると、迷わずに受講を決めた。

それは、自身の足りない部分を自覚していたからだ。

「原価計算して利益の出し方を考えるとこまではやっていました。でも、経営に関する知識はなかったし、販促管理費の扱いや仕入れなども詳しくありませんでした。

一番弱かったのは、お客さんとの接点、導線作りです。新しくていいものを作ったのに、なかなか思ったようにお客様への訴求ができなかった。それが課題だとすごく感じていたので、中川さんからヒントを得たいと思っていました」

堅田さんは、前のめりで受講した。中川が課題図書を挙げればその場でネット書店から購入し、すべてに目を通した。授業で聞いたことはその日のうちに咀嚼するようにした。

さらに、コトミチの教科書『経営とデザインの幸せな関係』を読み込んで、自分の過去のプロジェクトからその時に携わっていたプロジェクトまで、片っ端から中川さんが説く商品開発やブランディングの手法に当てはめた。

「受講料の15万円は小さな金額ではないですよね。でも間違いなく、僕は誰よりも『経営とデザインの幸せな関係』を熟読したし、中川さんから学んだプロセスを使って繰り返し検証をしたり、実際の仕事でも使い倒したので、そう考えると安いものです」

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

強みを活かしたアイスクリームを開発

堅田さんが自身の能力を高めること以外にコトミチの効果を実感したのは、講座でチームを組んだ燕市のアイスクリームメーカー、第一食品の山田寛子さんとのやり取り。

コトミチの大きなテーマのひとつが事業者とクリエイティブ人材の間に共通言語を作ることだが、コミュニケーションの前提となる教科書と共通言語があったからこそ、山田さんとのプロジェクトが進んだと振り返る。

それまで食品を手掛けたことがなかった堅田さんは、山田さんと一緒に、講座で学んだフレームに従って業界内での第一食品の位置づけ、強み、弱み、課題などを分析した。

そのうえで、「OEM中心だったのでオリジナル商品を強化したい」という要望を実現するために、大手メーカーにはまねできず、強みを活かした新しいアイスの開発を始めた。

 

「業界を企業規模でABCに分けると、A、B群に入る企業とC群の企業の境目は全国に2万店あるセブンイレブンと取引できる能力があるかどうかなんです。

第一食品はC群のなかでも企業規模は上位で、C群のメーカーとしては珍しく、アイスモナカを作る設備を持っていました。そこで勝負しない手はないという話になりました」

そして、A、B群の企業とC群の下位の企業にはできないアイスを目指した。

「今回は、国産の果実にフィーチャーしました。国産の果実は数が限られているので、A、B群のメーカーは手を出しません。C群の下位のメーカーは生産個数が少ないので、国産の果実を入手できても単価が高くなってしまう。

第一食品さんなら国産の果実を使いながら、ある程度価格も抑えられるんです」

30万個出荷の大ヒット

ここまでを定めるのに時間がかかり、講座を終えてから、本格的な商品作りが始まった。その過程で、ものづくりの現場に詳しい堅田さんの経験が活きた。

全国で売られているモナカの皮を作る金型の98%は、愛知県の豊橋市にある某企業が作っている。そこに依頼したところ、最初はうまく金型ができず、堅田さんも現場に向かって交渉に当たった。

味の開発にも関わった。フルーツそのものの美味しさを活かすために「上白糖じゃなくて、さとうきび糖を使いましょう」と提案。

既存のモナカアイスは男性向けが多いことにも着目。ターゲットを女性に絞って「甘すぎない、優しい味のアイスクリーム」というコンセプトで、パッケージもあえてアイスのビジュアルは出さず、かわいらしさを意識した。

第一食品のモナカアイス みもな

こうして生まれたのが、アイスモナカ「みもな」だ。「みもな」というネーミングは、中川との会話から決まったという。

「中川さんにモナカアイスを作っていると話したら、『どういう歴史でモナカという名称になったかの知ってる?』と聞かれました。

僕は知らなかったのですが、中川さんがその場で調べてくれて、水面に映る満月を詠んだ和歌のなかにある『今宵ぞ秋のもなか(最中)なりけり』という言葉が語源らしいよと教えてくれたんです。それで、水面に映る最中の月から、みもなにしようと決めました」

構想から1年半、2017年2月に発売されたみもなは発売初年度で30万個を出荷する大ヒットを記録。

コトミチと教科書から学んだ「中川メソッド」をフル活用することで手にした成果だった。

 

広がる仕事の幅

みもなのヒットで堅田さんのもとには食品メーカーからの問い合わせが急増した。しかし、堅田さんはほとんどを断っている。「売れる商品を作ってほしい」という依頼が多いからだ。

第一食品の場合は、中川のメソッドに則って課題を解決するために何をすべきかを分析した結果として、みもながある。そういう過程を無視して、売れる商品を作ってと言われても、堅田さんにとっては「わかりません」と答えるしかないのだ。

その一方で、地元のモノづくり企業との仕事の幅はどんどん広がっている。

2017年7月にオープンした藤次郎のオープンファクトリーでは、ロゴや商品のデザインだけでなく、お客さんの見学導線まで設計して空間をデザイン。

また2018年4月に開店したサンドウィッチ専門店「Sandwich Box」や、同年7月に開店した美容室「LIMLESS」では、空間デザイン、店舗での店員のコミュニケーションのデザインも含めて、総合的にプロデュースした。

堅田さんは空間デザインの専門家ではないが、ここでも中川メソッドを使っている。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん
新潟市のサンドウィッチ専門店「Sandwich Box(サンドウィッチボックス)」
燕三条 デザイナー堅田佳人さん
2018年7月 新潟市に開店した美容室「LIMLESS(リムレス)」

「お客さん自身がどうなりたいかという部分から整合性の取れた形で詰めていけば、自ずとどういう空間が必要になるか浮かび上がってきます。

例えばオープンファクトリーの場合、どういうお客さんに、どういうふうに見てもらえば、購入のきっかけになるかを考えて、最適化された見た目にしていくんです」

「そのうえで、お店に立っているひとりひとりの対応次第でブランドの評価が変わってしまうので、コミュニケーションの内容や方法も提案します。これは、中川さんが教えてくれた最後の部分ですね。どういうふうにしたらお客さんに響くのかを考えろ、という」

振り返ってみれば、お客さんとの接点づくり、コミュニケーションこそ、堅田さんがコトミチの受講前に自身の課題に感じていたことだ。コトミチを経て、その部分にも自信を持てるようになったということだろう。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

佐賀では物流もデザイン

今取り組んでいる案件のひとつに、佐賀の豆腐メーカー・平川食品工業さんのコンサルティングがある。もちろんこのメーカーは、第一食品と同じように商品開発ありきではなく、課題をどう解決するか、というところから始まった。

今回、コンサルをしていて立ちはだかったのは、物流の壁だ。豆腐は生もので賞味期限の成約が厳しい。さらに、単価は安いが物自体に重さがあるため、物流コストが高いという現実があった。そこで堅田さんは今回、物流の課題にも取り組んでいる。

もはやクリエイティブディレクターやプロダクトデザイナーの仕事の領域を超えているようにも思えるが、堅田さんは前向きにとらえている。

「あらゆる選択肢を考慮して筋の良い道を選ぶという意味では、経営も物流もデザインなんですよね。僕はもともと、クリエイティブやデザインに関係のなさそうなことはできないし、自分の仕事ではないと思っていたんです。でも、コトミチの受講や中川さんとの出会いを通して、デザインという視点で幅広く応用できる思考の『型』を学びました」

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

彌彦神社に宿泊施設を

コトミチをきっかけに、堅田さんは「自分にはできない」「自分の仕事じゃない」という自分でつくった枠を壊すことができた。そうすることで、窮屈に閉じ込められていた自分の能力を解放することができたのだろう。

ものづくりに始まり、食品の開発、空間やコミュニケーションのデザインにまで手掛けている堅田さんは近い将来、宿泊施設を作りたいと語る。

中川がよく口にする「ブランドとは世界観」という言葉を考えた時に、その世界観を表現する手段として、宿泊施設には「すべてが詰まっている」からだ。

「最近、彌彦神社(蒲原郡弥彦村)のまわりに宿泊施設が欲しいと思っているんです。この神社は新潟の人にとってすごく特別な場所で、雰囲気も最高なんですよ。

神社の周辺は寂しい感じになってしまっているけど、あそこにひとつ、旅の目的地になるような素敵な宿泊施設ができたら地域が変わる気がします。もし、僕がなにかしら関われるのであれば、ぜひやりたいですね」

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

大阪のデザイン事務所でいち社員として働いていた頃の堅田さんはきっと、「ホテルを作りたい」と話す今の自分の姿を想像すらできなかっただろう。

思考の「型」を手にした堅田さんは、同時に自由も手に入れたようだ。

<取材協力>
堅田佳一(かたた よしひと)さん

https://katayoshi-design.com
大学卒業後、大阪のデザイン事務所に勤務。
現場でのものづくりを学ぶためその後、新潟県燕三条でメーカー企画・開発・デザイン部門に勤務。

その後2014年にKATATA YOSHIHITO DESIGNを立上げ。

現在、決算書の読めるクリエイティブとして企業全体のブランディング業務などを中心に、個別のデザイン業務も行なっている。

プロダクトから空間まで「Red dot design award」「iF design award」「Good design award」等、受賞歴多数。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

文:川内イオ
写真:菅井俊之

軽くて割れない黒のうつわ。町工場発の新ブランド、「96 -KURO」のデビュー秘話

「ステンレスの黒染め」で新商品を

「メーカーになりたい」

三条市に工場を構えるテーエムの三代目、渡辺竜海さんは長年、この思いを抱えてきた。同社は、小規模な金属加工企業が集積する新潟県の三条市で、黒染めとパーカライジング処理を専門として1960年に創業された。

株式会社テーエム 工場の様子

パーカライジングとは「燐酸塩化成皮膜処理」のことを指すが、平たく言えば金属のさび止め処理のこと。黒染めも鉄・鋼製品のさび止めや光の反射を抑えるなどの効果がある。どちらも、金属加工ではニーズが高い工程だ。

株式会社テーエム 工場の様子
株式会社テーエム 工場の様子

さらに同社は「ステンレスの黒染め」という特殊な技術を持っている。ステンレスは耐食性・耐熱性に優れた金属で、さまざまな商品に使用されている。

ステンレス製のキッチンを思い浮かべるとわかりやすいが、見た目はシルバー。これに色を付ける手段としては、塗装するのが一般的な方法だ。しかし、時間がたてば剥げるものや人体に有害なものも多く、なかなか食器に使うのは難しい。

そこで有効なのが「ステンレスの黒染め」だ。特殊な技術で表面に酸化被膜をつくる染色技術なので、何年たっても剥げないし、人体にも無害。

テーエムの主な仕事は金属の表面処理や加工の下請けだったが、渡辺さんは、全国的にも珍しいこの技術を使っていつか自社製品を作りたいと思っていた。

株式会社テーエム 代表取締役渡辺 竜海さん
株式会社テーエム 代表取締役渡辺 竜海さん

しかし、自社で商品を企画したことも、開発したこともなく、なにをどうしたらいいのかわからない。商品開発をテーマにした単発のセミナーに参加したこともあったが、2時間程度、話を聞いて「なんとなくわかったような感じ」で終わってしまうことが続いた。

どうにかしたいけど、どうしようと長い間もどかしい思いを抱えているところに、三条市から届いたのが「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」開校の知らせ。中小企業の経営コンサルも手がけてきた中川政七商店13代の中川政七が塾長をつとめるという。

内容を確認した渡辺さんは、迷うことなく受講を決めた。

「中川さんは幅広く活躍されている方なので、存在は知っていました。そういう方に月一回、商品開発やブランディングについてイチから教えてもらえる。

私は商品開発の知識がほぼゼロだったので、それを学べると考えたら受講意義はとても高いんじゃないかと感じました」

コトミチ1期生と2期生でタッグ

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日にプレゼンするという流れだ。渡辺さんは受講を始めてからレベルの高さに驚いたと振り返る。

「正直、私にとって初めてのことばかりだったので、難しい部分も多かったですね。でも、単発の講座と違って商品ってこういうふうに作っていくんだという流れをしっかり学べました。

うちと同じような中小企業の方もいたり、デザイナーやアートディレクターの方もいて、そういう方のアイデアを聞いて刺激にもなりましたね」

渡辺さんにとって一番の収穫は、三条市で企業の広告制作、ブランディング、セールスプロモーションなどを手掛けているアートディレクター、「NISHIMURA DESIGN」の西村隆行さんとタッグを組めたことだった。

NISHIMURA DESIGNの西村さん
NISHIMURA DESIGNの西村さん

ふたりはもともと顔見知りだったのだが、第1期を終えてしばらく経った頃、渡辺さんがたまたま西村さんにコトミチの話をしたところから、事態が動き始める。その時、西村さんは第2期に参加中だった。

「仕事のメインはグラフィックデザインですけど、例えばチラシ製作の依頼があった時に、今、チラシを作ることが正解なのか、もっと違うアプローチをした方がいいんじゃないかと思うこともありますよね。

もちろん、お客さんにはその話をするんですけど、説得力のある説明がなかなかできなくて、課題に感じていたんです。コトミチに参加したらヒントが得られるかもしれないと思って受講しました」

西村さんは、渡辺さんが第1期に参加していたことを知らなかったので驚いたそうだ。パートナーを探していた渡辺さんは、すぐに「一緒にやりませんか?」と声をかけた。

「コトミチはすごく勉強になったんですけど、会社を経営しながらひとりで新しいものを作れるのかというと、かなりハードルを感じていたので、パートナーが欲しいと思っていたんです。

コトミチで学んだことをベースに同じ目線で話せて、いい意味でなんでも言い合える人と考えた時に、西村さんしか思い浮かばなかったですね」

これは、西村さんにとっても嬉しいオファーだったと振り返る。

「話を頂いた時は、やった! と思いましたね。まだコトミチの途中で、これが終わったらコトミチで学んだことを活かした活動をしていきたいと思っていたんです。

まだ受講中のタイミングで、いつかやってみたいと思っていたプロダクト開発に誘ってもらって、ほんとにいいんですか?と思いました(笑)」

NISHIMURA DESIGNの西村さん(左)とテーエムの渡辺さん
NISHIMURA DESIGNの西村さん(左)とテーエムの渡辺さん(右)

商品開発で一番悩んだことは?

とんとん拍子でタッグを組んだふたりの新たな挑戦が始まった。渡辺さんたっての希望で、ステンレスの黒染め技術を使うのはテーブルウェアに決まった。

「理由のひとつ、三条市の隣に、ステンレスの食器やタンブラーの開発に力を入れている燕市があったことです。もうひとつは、塗装やメッキと違って、黒染めは表面処理のなかで知名度が低いので、食事という生活習慣のなかで身近に触れていただけたらなと思っていました」

ふたりはだいたい週に1、2回のペースで顔を合わせ、その間もメッセンジャーなどでやり取りしながら商品開発を進めた。

わからないことがあった時、迷った時は、コトミチの教科書でもある『経営とデザインの幸せな関係』を読み返した。そうして1年をかけて完成したのが、テーブルウェアの新ブランド「96(クロ)」だ。

黒染めブランド96のパンフレット

ユニークなのは、この食器を製造するにあたり、廃盤になって日の目を見ることなく眠っていた「型」を使ったこと。イチから食器の型を作るとなると、渡辺さんと西村さんの専門外なのでアドバイザーを呼ぶ必要があるし、もちろんコストもかかる。

さてどうしようかと考えた時に浮かんだのが、廃盤になった型のリユースだった。黒染めは自然由来で環境に優しい。だからこそ製品づくりも環境への配慮を意識するなかで、資源を有効活用するという視点からもベストなアイデアに思えた。

96(KURO)のパンフレット

そこで、三条市と燕市に工場を構えている食器メーカーに「使われていない型を再利用させてくれませんか?」と頼みに行くと、意外なほど快く協力してくれたたそうだ。

96(KURO)のテーブルウェア

食器の「型」が決まれば、黒染めする技術はある。ふたりが最も苦労したのは、価格設定だったという。

「いたずらに高くもしたくないけど、こだわって作っていくと原価もかさんでいく。正解がないなかで、いろいろな人に相談して、自分たちの想いも織り交ぜながら決めました」(渡辺さん)

「お互いに商品を作るのが初めてなので、いろいろ情報を集めました。特にタンブラーは作業工程が複雑でかなりコストがかかっているので、それを反映すると最終的な価格が高くなってしまう。さすがにその金額じゃ売れないだろうということで、コストを抑える方法を探したり、本当に試行錯誤でしたね」(西村さん)

NISHIMURA DESIGNの西村さん(左)とテーエムの渡辺さん

忘れられない言葉

「96(クロ)」のロゴは、渡辺さんが書いた無数の「96」のなかから西村さんが「これだ!」というひとつを選んでデザイン。

96(KURO)ブランドロゴ

商品からロゴまですべてが揃ったのは、初めて出展した合同展示会「大日本市」(2018年8月開催)の直前だった。

環境への配慮から、商品のパッケージもすぐに捨てられてしまう紙の箱ではなく、布を採用。ランチョンマットなどに再利用してもらえれば、と思いを込めた。

念願の自社商品を手にした渡辺さんは「感無量でした」と笑顔で振り返る。

「自分の会社の商品があるということが、もう嬉しくて、嬉しくて。可愛くてしかたなかったですね」

三条市 ステンレス黒染め 96 KURO
96の商品
三条市 ステンレス黒染め 96 KURO
三条市 ステンレス黒染め 96 KURO

「大日本市」では、塾長の中川政七に苦労した価格設定についてアドバイスをもらい、「なるほどな」と納得したという。
そして、懇親会の席では中川政七商店の千石あや社長とも話をした。ふたりは、その時にかけられた言葉が今も忘れられないという。

「自分たちですごくいいものを作ったと思っても、いきなり最初から売れるということはまずないんです、と言われました。

今すごく有名なブランドになっている人たちも継続して、課題をクリアして、今がある。そういう気構えでモノづくりをしていくのが大事ですと励まされて、泣きそうになりましたね」(渡辺さん)

「三条市には新ブランドを作って成功している企業もあるのでどうしても気になっちゃうんです(笑)。

でも、千石社長に、あきらめないで、めげないでやってくださいと言われて、やっぱり地道に、着実に継続してやっていくのが強いよなと思いました」(西村さん)

nishimura design西村さん

講座を修了したらそれで終わりではなく、中川政七や中川政七商店とつながりができるのもコトミチの魅力だろう。

「96(クロ)」のテーブルウェアは自社ホームページだけでなく、三条市にある羽生紙文具店pippiなど取扱店も増えており、少しずつ売れ始めている。

初年度に予定した売り上げにはまだ達していないが、新製品の告知、販路の開拓、カトラリーの開発などやるべきこととやりたいことは尽きない。ひとつひとつ課題を解決しながら、ふたりは二人三脚で前進していく。

NISHIMURA DESIGNの西村さんとテーエムの渡辺さん
三条市テーエムの工場
製作現場の様子

<取材協力>
株式会社テーエム
代表取締役社長 渡辺竜海さん
http://tm-tm.net/

NISHIMURA DESIGN
西村隆行さん
https://www.nishimuradesign.com

96 -KURO ブランドページ
http://96bst.com/

文:川内イオ
写真:菅井俊之

老舗の八百屋がつくったドレッシング。新ブランド「半吾兵衛」の誕生秘話

漬物屋さんの危機感

新潟で生まれた甘みたっぷりのイチゴ「越後姫」、雪の下で越冬して甘みを増した魚沼産のにんじん、新潟ですべて消費されて県外に出回らない梅「越の梅」‥‥。

厳選した新潟県産の野菜と果物を惜しみなく使用した「八百屋のドレッシング」は、素材本来の味を保つために化学調味料、合成保存料、合成着色料無添加で、非加熱製法を採用している。

野島食品「八百屋のドレッシング」

フレッシュでジューシーな野菜と果物の風味そのままに、赤ちゃんからお年寄りまで楽しめる安心、安全なドレッシングを実現したのは、新潟県三条市の野島食品。

創業は江戸時代の1811年(文化8年)。200年以上の歴史を持つ老舗の漬物屋さんだ。なぜ漬物屋さんが、ドレッシング?そこには危機感があったと社長の野島謙輔さん。

野島食品 社長の野島謙輔さん
野島食品 野島謙輔社長

「漬物は、トレンド的には右肩下がりの状態です。将来的にどうしようかというところで、弟と何度も会議をしていましたが答えが見えず、七転八倒していました」

実は野島食品では一度、新規事業としてドレッシングをつくったことがあった。「八百屋のドレッシング」でも使っている「越の梅」と魚沼産の雪の下にんじんを素材にして、合成保存料、合成着色料無添加で、油は身体にいい紅花オイルを使用。

これに乳酸菌を添加した「乳酸菌ドレッシング」として500円の値段をつけた。これを売りに出したものの、手ごたえがなかった。それで、地元銀行の支店の社員に試食してもらい、アンケートをとったところ散々な結果が出た。

「返ってきたアンケートを見て驚愕したのは、何も伝わっていないというところでした。美味しかったという声は多かったんですが、アンケートのなかで7割、8割を超えていたのは、乳酸菌が伝わらない、雪下ニンジンが伝わらない、こだわりが伝わらない、ということでした。ショックでしたね」(謙輔さん)

「商品を作るのではなくてブランドを作る」

漬物だけじゃ、先行き不安。新商品で勝負したいけど、手ごたえなし。これからどうしたものかと悩んでいたところ、相談に乗ってもらっていた銀行員から「面白いから読んでみてください」と書籍を2冊、渡された。

それは、中川政七商店 代表の中川政七の著書だったが、当初は「いいことばかり書いてあるけど本当かな?銀行から借りたらコメントもしないといけないし、面倒くさいな」と思っていたという。

野島食品 社員インタビュー風景

しかし、しばらくして三条市から「コト・ミチ人材育成スクール 第2期」開校の知らせが届いた。そこに、塾長として中川政七の名前があることに気づいた謙輔さんは、三条市役所の知り合いに問い合わせた。

そこで太鼓判を押されたので、弟の優輔さんとふたりで説明会に参加。第1期の卒業生のケーススタディなどをみた後で、優輔さんが参加を決めた。

「僕も中川さんの本を読みましたが、頭では理解したつもりでも、いざ行動に移すとなると少し引いてしまうところがありました。こういった機会がないと、日々の仕事をしながらではなかなか取り組めないと感じていたので、参加してみようと思ったんです。

中川さんの本に『商品を作るのではなくてブランドを作る』と書いてあって、そのあたりをしっかり学びたいと思いました」

野島食品 社員インタビュー風景
弟の野島優輔さん

スクールの2期生は16名で、半数は地元企業の社長や社員、半数はデザイナーやクリエイティブディレクターだった。食品会社から参加しているのは優輔さんのみ。知り合いもいなかったが、授業後の飲み会に顔を出して少しずつ言葉を交わすようになっていった。

必死で考えた強みと弱み

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日に成果を発表するという流れだ。

野島食品では、優輔さんが講座で学んできたことを毎回、幹部会議でアウトプット。宿題にも共に取り組んだ。謙輔さんは「自社の弱みや強みを考えることがつらかった」と振り返る。

「弱みは山のように出てきますが、強みがなかなか見当たらないんですよね。弱みも悲しくなるようなものばかりで(苦笑)。普段の生活では全 く意識できていませんし、やれと言われないとできないことですよね」

野島食品 分析資料

現実を見つめなくては、新しいことをスタートできない。ふたりは頭を悩ませながらも、自社の分析を進めた。そうすることで、「1811年創業の歴史」「漬物業で培った野菜の仕入れルート」が強みだと自覚できた。

さらに「野菜の生産者と一緒に頑張って、みんなで喜びあえるような商品をつくりたい」という想いも明確になった。そうして、新潟ならではの野菜に焦点を当てて、こだわりの味を消費者に届けるというコンセプトができ上がった。

野島食品のHP
野島食品のHPには、地元の生産者さん達の声が載っている

新ブランド「八百屋 半吾兵衛」立ち上げ

この時、ふたりの頭にあったのは、試食した人の7、8割から「良さが伝わらない」と酷評されてお蔵入りになったドレッシングだった。そこで優輔さんは、講座でチームを組んだ女性デザイナーに相談。やはり以前のドレッシングは情報を詰め込みすぎていると指摘を受けて、チームでいちからブランディング、デザインを進めることになった。

野島食品 インタビュー風景

「私はもともと、三条市にデザイナーがいるということすら知らなかったんですよ。いつもは印刷会社にデザインもお願いしていたんですが、特にコンセプトを伝えることもなく、でき上がってきたいくつかのデザインのなかから選んでいました。今回は事前にコンセプトを共有したことで、内容を理解したうえでデザインしていただけたと思います」

野島食品 八百屋のドレッシング チラシ

最も強調したかったのは「老舗の八百屋がつくった」という点。ほかに、野菜や果物の鮮やかな色が際立つこと、スーパーだけじゃなくおしゃれな雑貨屋などでも扱ってもらいたいという希望などを伝えたうえで、デザイナーと何度もやり取りを重ねた。

こうして初めてのデザイナーとの共同作業で完成したのが新ブランド「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」。

「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」

冒頭に記したいちご、にんじん、梅のほかに、枝豆、わさび、西洋梨の「ル・レクチェ」の計6種類だ。パッケージだけでなく、ロゴやホームページも新調した。ホームページでは、生産者のもとで取材と撮影をして、思いやこだわりを伝えている。これもデザイナーがいたからこそのアイデアだ。

「デザイナーの意見とぶつかることもあって、すり合わせをしていく作業は正直、大変でした。でも最終的に出来上がったデザインは、ロゴも含めて落ち着きがあっていいなと。本当に気に入っています」(謙輔さん)

野島食品 半吾兵衛 ホームページ
野島食品 半吾兵衛 ロゴのエプロン

社内に起きた変化

野島食品では、この新作ドレッシングの売り上げ目標を6,000本に設定。非加熱製法で要冷蔵のため、現在の販路は新潟県内の高速道路のサービスエリア、空港、JRの一部、雑貨屋と限られるなか、発売から1年ほどで目標を達成した。

優輔さんは「目標が低すぎた」と謙遜するが、漬物屋さんが新ブランドで大手ひしめくドレッシング市場に参入して、1本540円と800円という高価格帯で6,000本を売り上げたのは立派な数字だろう。講座に参加したことで、社内にも変化が現れているという。

「中川会長がよく共通言語と言っていますが、彼(優輔さん)が講座で学んできたことを社内でアウトプットしたことで、物事を順序立てて、論理的に考えるような仕組みが少しずつでき上がっている気がします。

あと、ドレッシングの販促でおしゃれな商品が集まる展示会に出展するようになって、女子社員がいきいきしています」(謙輔さん)

さらに、新事業を始めたのがきっかけで、社内の人材発掘にもつながった。野島食品では漬物やドレッシングに使う野菜を確保するために自社農場を始めたのだが、カメラが趣味でセミプロレベルの腕前を持つ男性の営業マンが農作業の様子や商品の撮影をして、フォトショップを扱える事務の女性社員がレイアウトするようになったそうだ。外注せずにすむからコストダウンにつながるし、なにより社員ふたりの表情が変わったという。

野島食品 社内で制作したチラシ

謙輔さん、優輔さんも変化した。なにかをやらなければと焦って会議ばかりしていた頃が嘘のように、今はアイデアが尽きず、新商品の開発にも積極的だ。

「新潟の野菜を美味しく食べるというコンセプトで、素材にこだわったぬか漬けの素をつくりました。地元の野菜や果物を使ったジャムやご当地グミもつくりたいですね」

コト・ミチ人材育成スクールで、塾長の中川政七が説いていることのひとつは「頭でいくら考えても仕方ない。とにかくやってみることが大切」。老舗の伝統、生産者との信頼関係を強みにした野島食品の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

野島謙輔さん、優輔さん
野島食品 社員のみなさん
「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」

<取材協力>
野島食品
新潟県三条市興野1-2-46
http://hangobei.jp/

文:川内イオ
写真:菅井俊之