夏のお出かけに。人気の「かご」はスイカ用でした

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

自然の素材で編んだ「かご」。素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。かごは大切に手入れして使えば愛着もわき、またそれに応えるかのようにいい味を出してくれます。

「日本全国、かご編みめぐり」は、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介していきます。

岡山県倉敷に「スイカかご」を訪ねます

今回訪ねたのは、岡山県倉敷市。江戸時代に幕府直轄の「天領」として栄えた町です。倉敷川沿いの柳並木に白壁のお屋敷が美しい美観地区は、そぞろ歩きを楽しむ人で年間を通じて賑わいます。

倉敷の美観地区
川沿いの柳並木
白壁の街並み

今日お会いする作り手さんとも、美観地区で待ち合わせ。白壁に反射する太陽光がジリジリと暑く、ああ今こそスイカが食べたい、と思っているうちに集合場所に現れたのは、20代半ばくらいの、一人の青年。

その人こそが今日ご紹介する「スイカかご」を倉敷でただ一人作る、須浪隆貴 (すなみ・りゅうき) さんでした。

倉敷「須浪亨商店」 須浪隆貴さん

スイカかごは、その名の通りスイカを入れるためのかごですが、その見た目の可愛らしさから最近は買い物かごやお出かけ用にアレンジして使う人も多く、本来の使い方とは違ったところで人気を集めているかごです。

作っているのは倉敷にある「須浪亨 (すなみとおる) 商店」。隆貴さんはその5代目として、スイカかごをはじめとする い草を使った倉敷独自のかご「いかご」を作り続けています。

「今も、八百屋さんでビニール紐にくくられたスイカを見かけますよね。うちで作っているスイカかごも、元は八百屋さんでスイカを手渡す時に使っていたものがルーツなんです」

かごを作っている工房へと車で向かいながら、さっそくお話を伺います。

「持ち運びのためだけでなく、持ち帰って井戸や川で冷やす時に、流されないようにするためのカゴだったんですよ。当時のままだとあまりに荒物っぽいので、現在はもう少しデザイン性のある編み方に変えています」

スイカかご以外にも、買い物かごや醤油の一升瓶が入るサイズのびんかごなど。須浪亨商店の商品ラインナップはどれも、かつてはご近所への買い物に当たり前に使われていたものばかりです。

昭和20年~40年頃にかけてごく普通に買い物かごとして使用されていた「いかご」。スイカかごはその変形版と言えます
昭和20年~40年頃にかけてごく普通に買い物かごとして使用されていた「いかご」。スイカかごはその変形版と言えます
もともとお醤油持ち運び用だったビンかごですが、最近はワインなどの贈りものに使う人も

サイズの大小を合わせると全部で10種類ほどの「いかご」の編み方を隆貴さんに教えたのは、お祖母様の栄さんでした。

「うちはもともと畳や花むしろ (染色した い草で編む装飾的な敷物。「花ござ」とも) を作っていたんです。いかごは、畳に使えないようない草の余りを使って作る生活の中の道具で、いわば本業の傍でやるお小遣い稼ぎ。祖母が内職的にやっていたのを、子どもの頃から手伝って、自然と編み方を覚えていきました」

工房で出していただいたお茶のコースターも、近くの花むしろ工房「三宅松三郎商店」さんのもの

隆貴さんの生活に当たり前にい草があったのには、そしていかごが倉敷で生まれたのには、理由があります。

倉敷独自の「いかご」が生まれた理由

岡山は、日本でも有数のい草の産地。中でも隆貴さんの工房からも近い早島というエリアで、い草作りが盛んになりました。

「このあたりは早島 (はやしま) 、児島 (こじま) 、水島と島がつく地名が多いんですが、どこも干拓地なんです。もともと海だった場所なので、塩気が多くてお米はとれません。それで植えたのが、い草と綿です。

児島はそこから繊維産業が発展して、児島デニムが生まれました。クラレやクラボウといった大手企業も倉敷の繊維産業出身なんですよ。一方のい草は、畳や花むしろ、そしていかごになりました。

カゴの素材としては、実際は竹や山ぶどうの方が強度があるんです。けれど、この一帯には山がありません。一番よくとれる素材が、畳作りの余りで出るい草だったんですね。これなら原価もかからないし、縄状にすれば丈夫になります」

そんな倉敷の地で1886年に創業した須浪亨商店も、本業は畳や花むしろの製造。いかごは傍らで副業的に作っていましたが、4代目を継いだ隆貴さんのお父様が若くして急逝。お祖母様の栄さんは自分一人でも作ることのできるいかご作りだけは絶やさず、隆貴さんが20歳の時に、そのバトンを受け継いだのでした。

5代目と呼ばれて

「もともと椅子や焼き物、家具や器が好きで、プロダクトデザインに興味があったんです。彫金の専門学校に通ったり自分でデニムを縫ったりしながら、継ぐ時に役に立つかもしれないなとグラフィックの勉強もしていました」

現在、隆貴さんは24歳。10代には自分の好きなことを吸収しながら家業を継ぐことも意識し、20歳で家業を継いでからはそれまで内職工賃ベースだった商品の値段を見直し。本業としてやっていけるよう基盤を整えます。日々のかご作りはもちろん、全国の卸先さんとの受注やりとりやホームページの開設まで、全てを一人で切り盛りしてきました。

飄々とした語り口でこれまでを語る隆貴さんですが、伺った全てのことを、わずか4年間で、たった一人でやってきたことを思うと、腹におさめている覚悟と結果を出していく行動力に、ただただ驚くばかりです。

一方、案内された工房では若者らしい一面も。各地から自然と集まってきたというかごのコレクション棚にはキャラクターのぬいぐるみなどがちょこちょこと並び、床に積まれた商品のそばにはゲーム機のコントローラーが置いてありました。

旅先などで珍しいものを見つけるたびに増えていくというかごコレクション。本やぬいぐるみと一緒に棚に並んでいます
作り途中のいかごのそばに、ゲーム機のコントローラーが

「スイカかごは季節が限られて工程も他のかごより手間がかかるので、夜寝る前なんかに、ちょっとぼうっとしながら作るんです」

暮らしの延長のようなかご編みの様子を少しだけ、見せていただきました。

かご作りの様子
一番気に入っていると言う椅子に腰掛けてかご作りスタート
かご作りの様子
結び目の位置を確認しながら、紐と紐を合わせて編んでいきます
かご作りの様子
結び目は広げるとこんな感じ
かご作りの様子
するすると結び目が増えていき‥‥
かご作りの様子
あっという間にかごらしくなってきました!
かご作りの様子
あと一息
かご作りの様子
底の部分の紐を切りそろえます
かご作りの様子
最後にくるんとひっくり返して紐端を内側に入れたら完成!
かご作りの様子

紐状のい草がみるみるスイカかごになるまでおよそ30分。前段階の準備の時間を入れて、およそ1個あたり1時間かけて作っていくそうです。い草を紐状にする工程以外は、全て手作業で行われます。

「い草にも質のいい悪いがあって、検品しながら作っていく必要があるんです。その時その時の縄の状態を見分けながら、かご全体でバランスがとれるように編み方を変えたりします」

全体を引っ張りながら、バランスを見ているところ
全体を引っ張りながら、バランスを見ているところ

「だから僕の出来栄えよりも、材料の出来栄えの方が大きいんですよ。材料がよくない時に普通ぐらいにするのが僕の役目です」

倉敷で唯一の「いかご」の作り手

一帯では2・30年前の時点ですでに、いかごを作っているのは須浪亨商店一軒だけだったそうです。つまり、現在いかごの作り手は倉敷に隆貴さんただ一人。

「技術もこれから伝えていかなければと思いますが、あと10年は、修行の期間と思っています。僕個人は、工業製品も好きです。手作りだからいい、ということもないと思うんですけれど、それでも、僕の様子を見て買ってくださる方が少なからずいると思うので、そういう『人くささ』でやっている部分が、あると思います」

言葉を飾らず、時折鼻歌をまじえながら、24歳の青年の手でコツコツと作り上げられるスイカかご。

その雰囲気も手先も飄々と軽やかですが、先のことをたずねたら、

「一生やっていくつもりです」

と頼もしい答えが返ってきました。

<取材協力>
須浪亨商店
http://maruhyaku-design.com/


文・写真:尾島可奈子


こちらは、2017年8月25日の記事を再編集して掲載いたしました。

道後温泉名物、浴衣に似合う「湯かご」とは?

自然の素材で編んだ「かご」。素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。

連載「日本全国、かご編みめぐり」では、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介します。

愛媛県松山市、道後温泉を訪ねます

今回訪ねたのは、愛媛県松山市の道後温泉。

3000年の歴史を持ち日本最古の温泉ともいわれる、かの有名な道後温泉は国指定重要文化財に登録されています。

古くから多くの人々に愛され、神話の時代の大国主命(オオクニヌシノミコト)や、聖徳太子をはじめとする皇室の方々や、「坊っちゃん」で有名な夏目漱石といった文化人などの来訪も多く記録に残っているといいます。

夜の道後温泉本館。たくさんの人々で賑わいます。
夜の道後温泉本館。たくさんの人々で賑わいます。
夜空に浮かびあがる姿も幻想的。塔屋の上には白鷺のモチーフ。昔、白鷺がこの道後温泉を発見したのだといわれています。
夜空に浮かびあがる姿も幻想的。塔屋の上には白鷺のモチーフ。昔、白鷺がこの道後温泉を発見したのだといわれています。

日が落ちたころ、この辺りにはお宿の浴衣に身を包んだ観光客の人々が多く見られます。

そして、その手には片小ぶりの可愛らしいかご。これは一体‥‥?

道後温泉の玄関前。若い男性陣の手に、かご。
道後温泉の玄関前。若い男性陣の手に、かご。
入浴券を買うために並んでいる人々の手に、かご。
入浴券を買うために並んでいる人々の手に、かご。
温泉前で佇むおじさまの手に、かご。
温泉前で佇むおじさまの手に、かご。
お土産物や飲食店が立ち並ぶ商店街を歩く人の手に、かご。
お土産物や飲食店が立ち並ぶ商店街を歩く人の手に、かご。
「ちょっと見せてください〜」「いいですよ、かわいいでしょ?」
「ちょっと見せてください〜」「いいですよ、かわいいでしょ?」

すると、ちょうど商店街に立ち並ぶお店で似たかごを発見!どうやらこれは「湯かご」と呼ばれているようです。

色々なサイズのものが重なって目を引く「湯かご」。
色々なサイズのものが重なって目を引く「湯かご」。

こちらのお店「竹屋」さんでお話を聞いてみることにしました。出迎えてくださったのは、物腰やわらかで笑顔で迎えてくださった女性、「竹屋」代表の得能光(とくのう・ひかり)さんです。

———こんにちは。こちらは竹のものを扱ってらっしゃるんですね。観光の方が小さなかごを持ってらっしゃるのはこちらのものですか?

「湯かご」のことですね。うちのかごもありますが、大半は近隣の宿が小さな「湯かご」を宿泊のお客さんに貸し出しているんですよ。

温泉のある宿もありますが、やはり歴史ある道後温泉本館のお風呂に入りに来られる方が多いですから、宿から湯かごを下げて歩いて来られます。

———そうなんですね。「湯かご」というのは昔からあるものなんですか?

「湯かご」は、元々は地元の人がお風呂に通うために、竹かごに石鹸や手ぬぐいを入れて持って行ったという実用品です。

うちのお店は竹のものを扱って今年の春で50年目を迎えるんですが、当時の地元の人の需要に応えるために、職人に頼んで「湯かご」になるかごをつくってきました。20年ほど前から、県外から来られた方が地元の人の「湯かご」を見て、かわいいとおっしゃって。

お土産としてうちの店のものが人気になったんです。

青竹を使った「あおゆかご」。職人さんの手によって、サイズもいろいろです。
青竹を使った「あおゆかご」。職人さんの手によって、サイズもいろいろです。
青々とした竹の色が鮮やか。経年で黄色く変化していくのだそう。底は「菊底編み」で、ここを中心として編み上げていきます。
青々とした竹の色が鮮やか。経年で黄色く変化していくのだそう。底は「菊底編み」で、ここを中心として編み上げていきます。

———「湯かご」としてのデザインは、昔からずっと変わらないのですか?

今、主流になっている「湯かご」のデザインは、わたしの父が最初に職人さんにつくってもらった「あおゆかご」です。

でも、「湯かご」の元祖は地元の方がお家にあった手のついた花かごの筒を抜いて、温泉に持っていったのが始まりとも言われているんですよ。

こちらの「しろゆかご」がその元祖のものです。花かごっぽいでしょう?

こちらが元祖「しろゆかご」。細く繊細なひごで編まれています。たしかに、お花が飾れそう。
こちらが元祖「しろゆかご」。細く繊細なひごで編まれています。たしかに、お花が飾れそう。
底は「網代(あじろ)底編み」という編み方で、これまた繊細です。
底は「網代(あじろ)底編み」という編み方で、これまた繊細です。

———「あおゆかご」と「しろゆかご」、印象がずいぶん違いますね。職人さんはたくさんいらっしゃるんでしょうか?

職人さんは、ひごをつくる職人さんと、編む職人さんがいます。

「しろゆかご」はひごの準備が繊細な作業になるんです。「あおゆかご」のように青竹を扱っている方は、だいたい全部の工程を1人でされる方が多いです。個人や家族でされている方がほとんどなのであまり人数はいないですね。

最近はうまく世襲ができず、おじいさんの代からひと世代空いて、その下の若い世代の方ががんばっている印象でしょうか。お父さん世代は、高度成長期にきっと別の仕事に就かれたんでしょうね。

店内は大きなかごや、お弁当箱など、竹を使ったものがたくさん扱われています。
店内は大きなかごや、お弁当箱など、竹を使ったものがたくさん扱われています。

———竹はこのあたりのものですか?

はい、もちろん。

別府の竹細工もそうですが、温泉地で竹細工が発展したのは、昔、温泉のお湯を利用して竹を曲げて細工していたからなんですね。

地熱の関係か、温泉地は温暖で竹が成長しやすいことも発展の理由だと思います。

かつて、聖徳太子がこの地を訪れた際、質の良い「伊予竹」という真竹が生息している竹林を見て「これで産業を興しなさい」と伝えたという話も残されています。

当時は、宮中に献上するすだれをつくったり、竹細工が盛んだったと聞いています。

———献上品だったのですね。質も高くてやはり高価なものだったんでしょうか。

もちろん竹の質は良いですし、手もかかったものですが、竹細工はきっと特別な工芸品というわけではなかったと思います。

農家の人が自分の家の近くの竹を割いて、冬の農閑期に編み、暮らしの道具として使っていたんでしょうね。竹は生息も早かったので、いろいろな道具にされていたようです。

普段使いの台所道具、ざるも揃っています。
普段使いの台所道具、ざるも揃っています。
うなぎを獲る、「竹びく」まで!
うなぎを獲る、「竹びく」まで!
もちろん、伝統的な花かごも色々。
もちろん、伝統的な花かごも色々。

———ところで、このあたりはずっと商店街だったんですか?あと、近隣の宿で「湯かご」を貸し出しはじめたのは割と最近のことなのでしょうか?

このあたりは、昔はお遍路の宿や、湯治場としての宿が多かったんです。お土産物やさんが増えたのもうちの店ができた頃なので50年ほど前。

近隣の宿やホテルで「湯かご」を貸し出し始めたのは10年ほど前で、うちの国産の「湯かご」を使ってもらっていたのですが、貸し出し用ということでやはり痛んでしまうことが多くて。

旅館組合さんのほうで海外産の安価なものを作られたようです。

———ええ、なんだか世知辛い感じがしますね。

でもね、そのおかげでたくさんの方が「湯かご」を手にして道後を歩くようになり、道後の名物というか風物詩のようになったんです。

お客さんがこの土地を楽しんでくださる機会になったので、悪いことだとは思っていません。

観光の方が「湯かご」に愛着をもって、道後温泉で過ごした思い出にうちの国産の「湯かご」をお土産に購入して持って帰られますし、それはそれで、やはり嬉しいので良かったなと。

今でももちろん、うちの「湯かご」を貸し出し用に使って下さっているお宿もあります。

———相乗効果、なんですね。私も「湯かご」が欲しくなりました。明日はマイ湯かごで道後温泉に行ってみます!どうもありがとうございました。

商店街の中の「竹屋」を後にします。お土産物のほか、竹の台所道具など、欲しいものがたくさんありました。
商店街の中の「竹屋」を後にします。お土産物のほか、竹の台所道具など、欲しいものがたくさんありました。

たくさんお話を聞かせていただき、「あおゆかご」を購入して宿に戻ると、貸し出し用の「湯かご」がたくさん並んでいました。

宿泊した宿で貸し出していた「湯かご」。観光客の皆さんは、これを持っていたのですね。
宿泊した宿で貸し出していた「湯かご」。観光客の皆さんは、これを持っていたのですね。

こちらも可愛らしいですが、やはり、つくりは「竹屋」さんのものが抜群にしっかりしています。いい「湯かご」を持っていざ道後温泉へ。楽しみです。

まるで宝探し。好きなかごに出会える鹿児島の「創作竹芸とみなが」

自然の素材で編んだ「かご」。

素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。かごは大切に手入れして使えば愛着もわき、またそれに応えるかのようにいい味を出してくれます。

「日本全国、かご編みめぐり」は、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介していきます。

鹿児島に竹かごを訪ねます

JR鹿児島中央駅から北へ15分ほど歩いたところ。目の前に突如、吊り下がったかごが現れます。

道路沿いに吊り下げられた、かご

立ち止まって建物を見上げると、お店の名前らしき文字。

生い茂る草木で見えづらくなっていますが、お店のようです
生い茂る草木で見えづらくなっていますが、お店のようです

中を覗いてみると…

お店の様子

見渡す限りのかご・かご・かご!

かごだらけの店内
小物も所狭しと並んでいます
小物も所狭しと並んでいます

ここ「創作竹芸とみなが」は、鹿児島の竹細工を専門で扱うお店。

ご主人の富永容史 (とみなが・たかし) さんは、40年ほど前に「鹿児島の竹細工をなんとかせんといかん」とこのお店を始めたといいます。

ご主人の富永さん
ご主人の富永さん

実は鹿児島県、竹林面積が日本一。竹の種類は四、五十種類にのぼるそうです。豊富な資源を元に、県内では用途に合わせた様々な竹かごが生まれてきました。

使ってみたい、鹿児島のご当地かご

「この背の高いのは三段かご。一番上におにぎり、二番目におかず、三段目が深くなっていて、湯呑み茶碗や果物なんかを入れておくんです。現地着いたら広げて使うわけね」

左から2つ目が三段かご。お隣は二段かごです
左から2つ目が三段かご。お隣は二段かごです

「これは児童かご。子供に持たせるかごね」

児童かご

かご好きにはたまらない、可愛らしくそれでいて機能的な佇まい。そして並んだ二つの児童かごの、色の違いにお気づきでしょうか。

「手前は使いだしてから40年経った児童かご。ものすごくきれいな飴色でしょう。染めたわけでもなんでもなく、持っていただけで自然にこうなっていくんです。

竹の良さはそこにあるんだよね。使うほどに飴色になって、数十年経っても丈夫で長持ち。通気性があるから食べ物を入れるのにも便利。まぁ、長持ちすぎて売れないのが困りものだけど」

そう笑う富永さんですが、お店を開いたのはこの「売れない」竹をなんとか世の中に届けたいとの思いがあったからでした。

職人のアドバイザーに

戦後、プラスチック製品の普及により、竹製品の需要は激減。

「鹿児島の竹細工も相当の職人が辞めました。海外から安い竹製品がどんどん入ってくるようになったのも追い打ちでしたね。

もちろん、何年も丈夫に使える竹製品がいいという人も少なからずいましたが、職人は作るプロで、お客さんがどんなものを欲しいか、なかなか気づけないわけです」

そこで富永さんは家業である竹の製材業を通じて、竹の納品先だった職人さん達に働きかけをしていくように。

「人気や流行を教えたり、製品の改善点を伝えたり。お客さんの声を元にアイディアを渡してね」

こうした働きかけを重ねるうちに、完成した製品を扱うお店を開くことに。今も職人さんたちは試作品ができると、「こんなん作ったけど売れんだろうか」と富永さんを訪ねてくるそうです。

宝探しのように好きなかごに出会う

店内に所狭しと並ぶ竹かごは、富永さんが鹿児島の職人さんと作ってきた、まさに試行錯誤の賜物。

「お店もあんまり小ぎれいにしない方がいいの。あちこち見て『あ、こんなかごがある!』と自分で好きなものを見つける方が楽しいからね」

様々なかごが陳列されています
様々なかごが陳列されています

「お客さんでも『おじちゃんの店宝探しをするのが楽しみ』と言ってくる人がいたりね」

例えばこちらは蓋が両サイドから開く置き型のかご
例えばこちらは蓋が両サイドから開く置き型のかご

そんな富永さんのお店には、土日ともなると県外からも竹かご好きのお客さんがやってくるそうです。人気製品は品切れしてしまうこともしばしば。

「オンラインショップを勧めてくれる人もあるけれど、品物がなかったらお客様に迷惑をかけるし、やっぱり現物を見てもらって、お客さんと会話をしながら納得して買っていただきたいからね」

中でも一番人気だというのがこちら。

とみながのサンドイッチかご

「昔は『豆腐かご』と言ってね、お豆腐を買って入れる用に使われていたんです」

その名をサンドイッチかご。もう名前と見た目だけで、射抜かれてしましました。

中はこんな感じです
中はこんな感じです

鹿児島のご当地かごの中でも、作れる人が限られる難しいものだそう。

一体どんな風にこの愛らしいかごは生まれているのか。

次回、富永さんのご案内で、サンドイッチかごが生まれる現場を訪ねます。

<取材協力>
創作竹芸とみなが
鹿児島市鷹師1-6-16
099-257-6652

文・写真:尾島可奈子