うなぎパイファクトリーで「師範」に教わる工場見学。うなぎパイにつまった職人のこだわりとは?

浜松のお土産として真っ先に思い浮かべるものは何ですか?

サクサクしたパイ生地にツヤっとかがやくお砂糖と秘伝のタレ。「夜のお菓子」というキャッチフレーズでおなじみの「うなぎパイ」は、昭和36年に発売されてから今年で56年続く大ヒット商品として人々に愛されてきた浜松銘菓です。

年間 約8,000万本も生産している「うなぎパイファクトリー」にお邪魔して、うなぎパイ職人さんたちのこだわりと美味しさの秘密を伺ってきました。

うなぎパイの製造風景

工場見学ブームを先取り うなぎパイファクトリー

浜名湖にほど近い「うなぎパイファクトリー」は、近年ブームの見学ができる工場としては先駆けとも言える2005年に竣工し、年間68万人を超える人が訪れる人気観光スポットです。

うなぎパイファクトリー
うなぎパイファクトリー
ベテランうなぎパイ職人の生地作りをパネルで紹介
ベテランうなぎパイ職人の生地作りをパネルで紹介
うなぎパイが焼きあがる窯の様子
焼きあがる窯の中を覗けます
「うなぎ登り」にちなんだ登り専用階段
「うなぎ登り」にちなんで登り専用階段の手すりにはうなぎが
うなぎパイファクトリーでは包装のラインが上から一望できる
包装ラインは上から一望できます
うなぎの寝床をイメージした展示スペース
うなぎの寝床をイメージした展示スペース

“浜松といえばうなぎ”なんだ!1961年に完成した「うなぎパイ」

うなぎパイの生みの親・春華堂の二代目・社長の山崎幸一さんは、ある日旅先で「どこから来たか?」と尋ねられたそうです。

幸一社長は「浜松です」と応えますが、相手は浜松がどこかがわからない様子。「浜名湖の近くです」と補足すると「ああ、うなぎの美味しいところですよね」と返されたそうです。

そしてこの何気ない会話から「浜名湖といえばうなぎ」という知名度の高さを実感した幸一社長は、うなぎがテーマの浜松らしいお菓子の試作に取りかかり、東京オリンピックを3年後にひかえた1961年に「うなぎパイ」を完成させたのでした。

100年以上の歴史を持つ「うなぎ養殖」発祥の地・浜松

そもそも浜名湖はなぜうなぎが有名なのでしょう?

「うなぎのかば焼」の支出金額は全国第1位の浜松市ですが (H25~27年平均) 、養殖うなぎの生産量となると静岡県は1,490トンで4位。1位の鹿児島県の6,838トンから大きく引き離されています (H26年調べ) 。

それでも「浜名湖といえばうなぎ」と言われる所以は、養殖の歴史にありました。

今から100年以上前の明治33年、浜名湖の自然と温暖な気候に着目した服部倉治郎によって、浜名湖のうなぎ養殖が始まりました。その後村松啓次郎によって改良され、昭和46年に確立した養殖方法によって生産量を大幅に増やすことに成功し、この養殖方法が全国各地に広がりました。これによって「浜名湖といえばうなぎ」と全国に知られるようになったのですね。

美味しさの秘密 総勢54名のうなぎパイ職人たち

ここからさらに、一般公開されていない、うなぎパイ製造の全工程を見学させていただき、美味しさの秘密について詳しく伺ってきました。

「世界中でこのうなぎパイを作れるのは僕たちたった54人だけなんですよ。そのことに職人ひとりひとりが誇りを持ってほしいんです」

とおっしゃるのは、今回工場を案内してくださる野末三知夫さん。総勢54名のうなぎパイ職人を束ねる「師範」として、後進の指導にあたっておられます。

うなぎパイ職人、「師範」の野末さん
師範の野末さん。厳しい衛生管理は職人の誇り。長靴の裏がピカピカの靴置き場も見せていただきました

春華堂では2014年からうなぎパイ職人たちに下から「錬士」「範士」「宗家」「師範」と4段階に分けた「師範制度」を導入しました。その評価基準は技術や知識だけでなく、人間性も重要になっています。

うなぎパイが誕生して56年。商品開発した当時の職人から3世代目にあたる現在の職人たちに、「心・技・体」の精神と「つくり手の想い」を伝え、うなぎパイ職人として目指すべき在り方を継承していく必要がある、というお話に納得したのは実際の工程を間近で見てからでした。

うなぎパイには何が入っているのか。熟練の職人が生地を作る

最初の工程は生地玉と呼ばれるうなぎパイの生地を仕込む作業です。

うなぎパイの生地には、厳選された小麦粉、バター、うなぎ粉と水を使用しています。もともと医学を志していたという2代目・幸一社長によって、美味しさだけでなく栄養面も研究を進められたうなぎパイは、6本でうなぎのかば焼き100グラム相当のビタミンAが含まれているそうです。

これらの材料をミキサーで練って成形する生地玉は3名の職人によって繁忙期には1日1,000玉も作られています。

ローラーで伸ばしやすいように四角く成形されたうなぎパイの生地玉
ローラーで伸ばしやすいように四角く成形された生地玉

生地玉を大型ローラーでのばしてたたみ、めん棒で均一にならしてさらにローラーで伸ばし、数百回折りたたんだ生地を寝かせます。

生地を寝かした時間が作業台にかかれている
生地を寝かした時間が作業台にかかれている

寝かした生地は仕上げ室へ移動され、熟練の職人によって砂糖をふりながら生地を伸ばす作業を繰り返します。

9,000層になるまで折りたたむ作業はパイのサクサク感を出す重要な工程です。この時使う砂糖はうなぎパイのために作られた特別なもので、焼き上がりのタイミングに合わせて絶妙な溶け具合になるように工夫されています。

12台のパイローラーが並ぶ仕上げ室
12台のパイローラーが並ぶ仕上げ室で作業ができるのは熟練職人さんだけ
最近仕上げ室に入った新人を指導する師範
最近仕上げ室に入った新人を指導する師範

「僕はこの工程が一番好きです。仕上げた生地は15分後には隣のオーブンで焼き上がります。つまり、いま自分が作った生地の結果を15分後には確認できるということなんです。それが2、3日経ってから結果が出るのでは感覚がボヤけてしまう。今の生地の何が良かったのか、悪かったのか、すぐ自分で確認できるからやっていて楽しいし、上達も早くなるんですよ」

砂糖を均一に振る量も誤差は0.7%の範囲内。一人前になるまで10年はかかるというのも納得です。

いよいよオーブンへ。細く並んでいたパイ生地は、あっという間に横に膨らんで、鉄板の上にぎっしり並びます。

オーブンに並べられたうなぎパイの生地
いよいよオーブンへ

そして仕上げの秘伝のタレを刷毛でサッとひと塗り。ガーリックが決め手のタレは社内でもごく一部の職人だけに伝わるトップシークレットです。

刷毛で秘伝のタレを塗っていきます
刷毛で秘伝のタレを塗っていきます

1日20万本、年間8,000万本も生産する巨大な工場の中で、実際はうなぎパイ職人さんたちのめん棒の持ち手部分が痩せるほど、人の手で作り上げられていたことを知り、梱包のラインへと流れていくうなぎパイたちを我が子のように見送ってから見学を終了しました。

検品されていくうなぎパイたち
検品されていくうなぎパイたち

「夜のお菓子」に隠された、初代社長が掲げた「三惚れ主義」

「夜のお菓子」というキャッチフレーズは、高度成長期の日本で共働きの家庭が増え、平日家族がなかなか揃わなくなった時代を背景に、家族団らんの夜のひとときをうなぎパイを囲んで楽しんでほしいという2代目・幸一社長の願いから生まれたものでした。そこには初代・芳蔵社長の言葉が隠されていました。

「一つ、土地に惚れること。二つ、商売に惚れること。三つ、家内に惚れること。」

地元に根ざし、家庭や職人を大切にし、真面目に商売する。56年愛されてきた浜松の味は、お菓子と人を作るうなぎパイ職人たちの愛情で大切に受け継がれていました。

「50年先も100年先もうなぎパイを残したい」
「50年先も100年先もうなぎパイを残したい」

毎日暑い夜が続く今日この頃、一家団らんで夏バテ予防にうなぎパイを召し上がってみませんか?

<取材協力>
うなぎパイファクトリー
静岡県浜松市西区大久保町748-51
053-482-1765
http://www.unagipai-factory.jp/

文・写真:神尾知里
こちらは、2017年7月26日の記事を再編集して公開いたしました

浜松の音はざざんざ 民藝運動から生まれた紬の物語

こんにちは。浜松在住のライター、神尾知里です。
その土地から生まれ、使い勝手が良く、生活に根ざした「民衆的工芸」=「民藝」。最近では若い人の中にも「民藝」が好きな人が増えていると聞きます。その歴史を探ると日本初の民藝館は意外にもここ浜松にありました。そして浜松には「民藝運動の父」と呼ばれる柳宗悦 (やなぎ・むねよし) のDNAを受継ぐ織物があるのです。
「ざざんざ織」というちょっと変わった名前のその織物を、今も昔ながらの手法で受け継がれている工房にお邪魔しました。

浜松に誕生した日本初の民藝館

大正15年、柳宗悦が陶芸家の河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉らと共に「日本民藝美術館設立趣旨書」を発表し、浜松で教師をしていた中村精 (なかむら・せい) の元にこの趣旨書が届いたことが、浜松の民藝運動の始まりでした。
趣旨書に深く感銘を受けた中村は、昭和2年に浜松に柳を招き民藝についての座談会を開き、昭和6年には浜松の素封家 (そほうか・財産家の意)・高林兵衛の母屋を改装して、日本初の「日本民藝美術館」を開館したのです。

中村精 著『濱松と民藝』より 高林邸内に開設された日本初の「日本民藝美術館」(浜松市立中央図書館 所蔵)

その後柳宗悦と高林兵衛の決別により、美術館は2年で閉館となりましたが、浜松の民藝運動の中核を担っていた中村精の実兄、平松實 (ひらまつ・みのる) が浜松の民藝運動を支えることとなります。

ざざんざ織 創始者 平松實

平松は、遠州地方で最も早く動力織機を導入した織屋の子息でしたが、柳が提唱した民藝運動に共鳴し、手織りと草木染めの研究をはじめ、「ざざんざ織」を完成させました。
平松が浜松に民藝織工房「あかね屋」を開店したのは昭和7年、東京に「日本民藝館」ができる4年も前のことでした。

足利義教が詠った、松風の音「ざざんざ」

ざざんざ織、そのちょっと変わった名前の「ざざんざ」とは「颯々」とも書きます。
古くより浜松の地にあった有名な松の木の下で、将軍足利義教が宴を催した折に「浜松の音はざざんざ‥‥」と詠ったことから、この松を「ざざんざの松」と呼ぶようになり、広重の五十三次にも描かれています。
潮風に冴え、人々に美しさと安らぎを与える松風の音を表現した「ざざんざ」にあやかって、その名が付いたそうです。

東海道五十三次之内 濱松 ざざんざの松

昔ながらの手法で作られるざざんざ織

ざざんざ織は、玉繭と呼ばれる、ひとつの繭に2匹の蚕が入った繭から取り出した絹糸で織った紬 (つむぎ) の絹織物です。
玉繭は、規格外のくず繭として売りものにはせず、古くから養蚕家の家庭用として用いられていました。
そのため安価で手に入るものの、手作業でしか生糸を取り出せず大変手間がかかったそうです。
手作業で取り出した玉糸は、太さ細さの変化があり、節のある玉糸を数十本も縒 (よ) り合わせた紬糸自体の出すムラが生む特有の風合いが、ざざんざ織の特徴です。

左は普通の繭、右が玉繭

もう一つの特徴は草木染めです。現在は鮮やかさを出すために一部の色に化学染料を使うこともあるそうですが、基本は植物染料を用い、灰汁、みょうばん、鉄などの媒染液によって色合いを工夫しているそうです。やまもものベージュ、あかねの赤、ハンノキの黒‥‥落ち着いた優しい色合いがざざんざ織の魅力です。

茜はざざんざ織の代表的な色

また、丈夫で長持ちするざざんざ織は織りたての時は固く張りがあり、使い込むうちに糸の表面が平らになり、ツヤとしなやかな触り心地が増していくのが特徴で、ネクタイは特に使い込んだものの方が良いそうです。

使い込むうちに手に馴染むと評判のネクタイ

「ざざんざ織」継承者・平松久子さんを訪ねて

ざざんざ織 あかね屋

現在のあかね屋は、JR浜松駅から車で5分ほどの静かな住宅街の中にあります。
「昔はね、浜北の方に行けば桑畑が沢山あったんですけどね。今は玉繭を仕入れるのも大変ですよ。染料のあかねも昔は機場 (はたば) の近くにいくらでも自生していたのよ」
そう話してくださったのは、ざざんざ織の四代目・平松久子さん。二代目平松哲司氏 (故人) の奥様にあたります。
昭和33年に平松家に嫁ぎ、手織りの手ほどきを受けてから50余年。80歳を過ぎた現在も毎日織り続けていらっしゃいます。

「もう1人では、こんな絣 (かすり)の模様 はできないわね」とおっしゃる久子さん

「こんな古い手織機見たことある?」久子さんに案内していただき工房に入ると、昔話で見たような手織機や糸車が並んでいます。

あかね屋 工房

「糸車は竹が使われているから、息子が修理してくれるの。昔の人は道具も自分で作ったり、手入れしていたのね。」

緯糸 (よこいと) 巻き
染めた糸を緯糸にするため小管に巻いたもの

とんとんからり、とんとんからり。織り上げの作業を見せてくださる久子さん。
足と手を使って、みるみるうちに織りあがっていくのを見ている私に、家事や子育てをしながら手織りを続けてこられた話や、自分の帯を織らせてもらった時の話、濱田庄司さんのご自宅にお邪魔した時のお話、義父・實 (みのる) さんのお話をしてくださいました。

手織機で織り上げる

「義父はざざんざ織をよく考えたなと思いますよ。染めも全部ご自分で大きな御釜で染めてらしてね。私は嫁いで3日目には綜絖(そうこう)通しのお手伝いをしていたわね。何にもわからないから義父のテンポに合わせるのが大変だったの」

縦糸の綜絖(そうこう)通しで模様が決まる

受け継がれた心と民藝のあるべき姿

平松實さんが手織り・草木染めのざざんざ織を始めた頃は、機械化が進む世の中。大きな志を持って世に問うような気概で、機に向かっておられたかもしれません。一方の久子さんが手織機に向かう姿はとても自然体です。先代と同じように県の無形文化財保持者に推薦されても断わられた久子さんにとって、ざざんざ織は嫁ぎ先の大切な家業であり、生活の一部なのでしょう。

「私、幸せだと思ってますよ。普通にお勤めの人のところに嫁いだら、こんなことできなかったでしょう?最近はね、織らなかった日は運動不足なのかしら、眠れないの。だから毎日織るのよ」

もともと紬とは、衣服に対する決まりごとが厳しい江戸時代でも、絹でありながら質素なものと思われ、百姓町人でも着ることが許された絹織物でした。
その昔、各地の農村で日々機にむかっていた織り子さんたちのように、喜んでくれる人のために淡々と織り続ける久子さんこそが、柳宗悦が提唱した生活に根ざした民藝のあるべき姿なのかもしれない、そんなふうに思えました。

<取材協力>
ざざんざ織 あかね屋
静岡県浜松市中区中島2-15-1
053-461-1594
http://www.zazanza.com
営業日・時間などは事前にお問い合わせください


文・写真:神尾知里

本と人の出会う場所 BOOKS AND PRINTS

こんにちは。「BOOKS AND PRINTS ( ブックスアンドプリンツ ) 」の神尾知里です。
本日は浜松出身の写真家・若木信吾さんが立ち上げたセレクトブックショプ「BOOKS AND PRINTS」による新たな場所作りの取り組みをご紹介したいと思います。

国内外の写真集が揃うセレクトブックショップ

浜松の書店が作るローカル・コミュニティー

浜松駅北口から徒歩10分。交差点の角に立つKAGIYAビルの2階に、写真家の若木信吾さんがオーナーを務めるセレクトブックショップ「BOOKS AND PRINTS」があります。
国内外の写真集を専門に取り扱う書店として2010年にオープンし、2012年に現在のKAGIYAビルへ移転。店員は私のような写真好きや本好き、地元の学生が客として出入りしているうちにいつの間にかスタッフになっていた人ばかり。開店当初は3人入ればいっぱいだった小さなお店も、今では展覧会やトークショーなど様々なイベントを開催する書店として注目を集めています。

カウンター奥の壁には祖父の琢次さんの写真が飾られている

移転したKAGIYAビルは、築50年以上の古いビルをリノベーションし、クリエイターのための「ショップ&ワーキングスペース」としてオープンしたもので、「BOOKS AND PRINTS」がリニューアル後のテナント第一号となった後も次々と個性的なショップが入り、KAGIYAビル全体で浜松の文化発信拠点となっています。

個性的な店舗が集まる KAGIYAビル

写真家として活動しながら、映画監督や雑誌出版など、様々なことにチャレンジされてきた若木信吾さん。写真集のコレクターでもあり、自ら出版社を立ち上げるほど本が好きだという若木さんは、映画を制作するために東京と浜松を行き来する中で、次第に浜松での書店開業を考えるようになったそうです。

書店オーナーを務める写真家の若木信吾さん

店内には若木さん自らセレクトされた写真集やZINEなど、浜松ではなかなか手に入らない書籍が並ぶ一方、浜松でしか手に入らないオリジナルグッズにも力を入れています。

静岡のイフニコーヒーさんのB&PオリジナルブレンドとMT.FUJI DRIPPER
浜松出身の朝倉洋美さんが活躍するクリエイティブユニット“Bob Foundation”のカラフルなプロダクト

中でもひときわ異彩を放っているのは若木さんのお父さんである、若木欣也さんの手書きのトートバッグです。開店当初はお店に立たれていた欣也さん。店の白い紙袋が味気ないという理由で、イラストやロゴをサインペンで描いた紙袋が話題を呼び、紙袋展が開催されるほどの人気に。

私たちスタッフは欣也さんの素晴らしい手書きの字を尊敬の意を込めて「欣也フォント」と呼んでいます。最近では、トートバッグとなってお店の人気商品となっていますが、これももちろんひとつずつ手書きです。

欣也さんの新作トートバッグ
トートバッグを届けにいらした若木欣也さん
初期の欣也さん紙袋

また、鹿児島や香川の人たちと「勝手に姉妹都市宣言」をしてイベントを開催するなど、ローカルベースで活動する人たちとつながり、地方から発信していく楽しさを伝える活動も増えてきました。「自分たちの街を自分たちで楽しくしたい」と活動している人たちとの出会いは、とても刺激的で新たな原動力を生んでくれます。

鹿児島や香川の本も
コーヒーを飲みながら写真集を見ることができるテーブルスペース

オーナーの若木さんは「本屋がオルタナティブな場所であってもいい、という考えが現在の個人書店を支えていると思います。散歩がてら自然と足が向く、そんな場所をこれからも続けることが可能なのかチャレンジしていきたいです」と話されます。

浜松に着いたらまず「BOOKS AND PRINTS」へ、そこに行けば新しい発見や驚きがあるかもしれないと期待されるような本屋でありたいです。

<取材協力>

BOOKS AND PRINTS

静岡県浜松市中区田町229-13 KAGIYAビル201

053-488-4160


営業時間:13:00~19:00

OPEN:金,土,日,月

CLOSE:火,水,木

文・写真:神尾知里