細萱久美が選ぶ、生活と工芸を知る本棚『暮らしと器 ~日々の暮らしに大切なこと~ 』

こんにちは。中川政七商店バイヤーの細萱です。

生活と工芸にまつわる本を紹介する連載の八冊目です。今回は、日本の食卓を豊かにする器の、理に適った選び方を分かりやすく学べる本です。

著者は工業デザイナーであり、東京・中野にある老舗のクラフトショップ「モノ・モノ」の代表でもあった山口泰子さん。

「モノ・モノ」は、工業デザイナーでありデザイン活動家でもあった秋岡芳夫さんが、1970年代の行き過ぎた工業化への反省から「消費者をやめて愛用者になろう!」を合い言葉に結成されたサロンです。

その後自然と店舗へ発展し、日本的なクラフトのスタンダードを提案し続けています。

山口さんが工業デザイナーとして活動をはじめたのは1960年代。

そして、今でこそ工業デザイナーが手工芸品を手がけることも珍しくありませんが、山口さんがクラフト界に転身したのは1970年代です。まさに先見の明を持った女性の一人と言えます。

この本では、工業製品とクラフトの両方を熟知した山口さんが、日本の食文化に基づいて選んだ日常使いの食器の数々を紹介。どんな食器をどのように選んで使うかが、暮らしの心地よさを左右することを伝えています。

日本の家庭ほど、いろんな種類の食器をたくさん持つ国民も珍しい気がします。

食文化が豊かであったり、食器を贈り物にする機会が多いことも理由だと思いますが、気付けば食器棚が満杯というお宅も多いのでは。

使わぬ食器はなるべく断捨離したいのと同時に、料理を引き立てて使いやすい食器は厳選したい。そんな器選びのコツを、工業デザイナー視点の切り口でおすすめしている点が面白いです。

日本の食文化の特徴の一つに、「手に持つ」があります。

西洋の作法では食器を手に持つのは厳禁。そんな日本人の手がデザインしたのがお碗です。手におさまりがよく、しっくり心地よいサイズが口径12cm前後だそう。

そして出来たら木製の漆碗が良いのですが、その理由をお碗の断面を見せることで説明している点が工業デザイナーらしく、合点のいく説明でした。是非本で見て頂きたいポイントです。

「めいめい持ち」も日本ならではの食卓かもしれません。

例えば、めし碗、お箸、マグカップの類は自分用があって他のだと落ちつかないということはありませんか。

「めいめい持ち」と「手に持つ」は縁が深く、持ち手が徐々に使い慣れた器を育てるとでも言いましょうか。自分用は、理屈抜きで好きなデザインを自由に選びたいですね。

細萱久美のめいめい持ち食器
わたしのめいめい持ち食器

子どもの食器についての記述にも共感できる内容があります。

「子どもには贅沢」とか、「割ると困るから」とプラスチックの器を子供用にすることがありますが、子どもの感覚は大人よりずっと鋭いのです。

特に五感が育つ大切な時期には、触れて心地よいモノを使って、良い感覚を覚えさせることが大切とのこと。木のお碗などは大人になっても使えますし、もしガラスを割ったとしてもモノを大事に扱うことを知ると思います。

食生活が多様になって、和食、洋食、中華、イタリア料理、時にエスニック料理まで食卓にのぼるという家庭もありますね。

どんな料理にもよく合うとか、ついつい使っている食器とかがあると思いますが、そのような包容力のある食器を意識して選べるようになると食器棚もすっきりするかもしれません。

山口さんがおすすめする一器多用はそばちょこや漆器。

そばちょこはコップや小鉢として便利なのと、重ねやすくてしまいやすい。骨董市でもよく見る器なので、昔のそばちょこを使うのも素敵です。

漆の溜や朱の深い色合いは思いのほか洋も受けとめてくれます。私も漆の大椀を持っていますが、ラーメンやうどんなどに使うと、漆器の良さがフルに生きると思います。

買う時はちょっと高くて躊躇しますが、修理も出来てそれこそ一生モノになりえると思えば決して高くはありません。

漆の大碗
漆の大碗

最後に、もうひとつの美しさ「使い込む」について。素材を吟味した良い器は、長く愛用するほどに色ツヤが増します。

素木、漆器、焼きしめ、金属などそれぞれの味が出てきますが、美しくなるには条件があります。新品の時からいいモノで、気に入って、長年愛用し続ける、それでこそ美しくなります。

色々なポイントはありますが、まず手に取って選びましょう。

私たちは食事の間、食器の内側を見ているので、手に取ると目には見えないものが見えてくる、という山口さんの言葉が印象的です。

「手との関係がいい食器は使いやすい」は、日本の食文化あってこそです。

<今回ご紹介した書籍>
『暮らしと器 ~日々の暮らしに大切なこと~ 』
山口泰子/六耀社

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。


文:細萱久美

わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る

育つうつわがある。

ものには使い始めが最もよいものと、使うごとによくなっていくものとがある。今回紹介したいのは後者のもの。基本的にうちではそういうものを扱っています。みんげい おくむらの奥村です。

愛知県の瀬戸。「せともの」の瀬戸は名古屋から1時間かからずに行くことができる町。

せとものという名前は誰もがわかるけれども、瀬戸の焼き物ってどんなもの、と言われると答えられない人が多いのではないだろうか。

これは瀬戸の焼き物の歴史のせいかもしれない。時代時代に求められるものを作って変化してきたから、これぞ瀬戸というものが見えにくい。

そんな中、瀬戸の「本業」をうたう窯がある。今回紹介する瀬戸本業窯(せとほんぎょうがま)だ。

300年続く本業の仕事は、現在の瀬戸の焼き物をさかのぼっていくとたどり着く、瀬戸のルーツとも言える。

愛知県の瀬戸本業窯

瀬戸本業窯は七代目水野半次郎さんと八代目後継水野雄介さんが中心となって現在は営まれている。

うかがった日はちょうど雄介さんが迫る窯焚きに向けて釉掛けをしていた。ろくろ成形されたうつわに釉薬が掛けられる。釉薬が一定の厚さになるように、うつわ全体にすばやく、リズムよく。

瀬戸本業窯でつくられた器

ひと段落して、焼きあがっていた馬の目皿を見せてもらう。

ぐるぐると目が回りそうなこのうつわ。それだけを見ると日本のものなのか、はたまた世界のどこかのものなのか、よくわからないが不思議な魅力をもつ。

馬の目皿や石皿と呼ばれる瀬戸の古いものは今でも骨董の世界でとても愛されている。

瀬戸のうつわが使われてよくなっていくのは江戸時代から変わらないこと。この馬の目皿も瀬戸本業窯の代名詞と言えるものの一つだ。

本業の仕事は他にも、黄瀬戸・織部・三彩・麦藁手・染付・刷毛牡丹などとにかく幅が広い。

もともと瀬戸の中でも特徴が分かれていたが、それらを続ける窯がなくなったため、今は瀬戸本業窯が瀬戸の伝統の仕事をまるごと背負っているような状況とも言えるかもしれない。

名古屋の米家(まいほーむ)、米重さん

紹介したい人がいる、と雄介さんに言われて名古屋市内で彼にあったのはいつだっただろうか。これからお店を始める人で、きっと僕と同い年くらいじゃないか、と。

それが今日訪ねたお店「米家(まいほーむ)」の米重(よねしげ)君との出会いだ。

米家は瀬戸本業窯のうつわをメインに使い、料理と日本酒を提案するお店。名古屋市の千種区というところにある。

名古屋の米家(まいほーむ)の料理、瀬戸本業窯の器
名古屋の米家(まいほーむ)にある日本酒

素材、調味料、酒、うつわ、とバランスが取れた居酒屋というのはなかなか少ない。カウンター上に並ぶお惣菜はどれも瀬戸本業窯の大鉢に盛られ、その姿を見るだけでも心がはずむ。

酒は自ら蔵元に足を運び仕込みまで手伝う蔵もあるほどで、思い入れのある酒だけを揃える。酒に詳しくない人は料理に合わせておまかせしておけば、まず間違いないのでご安心を。

瀬戸本業窯の器とキンキの煮付け

この日は脂の乗ったキンキの煮付けが馬の目皿に盛られて出てきた。馬の目皿と煮魚というこの組み合わせは本当に美しい。

あっさり炊かれた身をほぐして、煮汁に浸し、木の芽と共にいただく。春が駆け抜ける。

この日はホタルイカや、山菜など春を感じられるメニューが多く、ぬるめの燗酒がすすむすすむ。

名古屋の米家(まいほーむ)
名古屋の米家(まいほーむ)にある瀬戸本業窯のうつわ

厨房奥にずらりと並ぶ瀬戸本業窯の黄瀬戸のうつわ。のんびりとした黄色味はこれまた料理映えする。

工業製品でもないのにすっきりと重ねられる。これも瀬戸の土の質と、高いろくろ技術によるもので、瀬戸本業窯らしさがある。

何年か使い込んだ馬の目皿も、果たしてこれを汚いとみるか、あるいは店の時間が染み込んだ味、とみるか。みなさんはどうだろうか。

家なら、家族の時間がそこにどんどん積み重ねられていく。こんなすてきなことはないだろう。

育つうつわ、とってもいいものですよ。

<取材協力>
米家(まいほーむ)
〒464-0075 愛知県名古屋市千種区内山3-1-15 三ツ矢ビル
電話 052-741-7565
営業日 [月・火・木・金]18:00〜24:00 [土・日・祝]17:00~24:00
※ラストオーダー23:00
定休日 水曜、第3火曜

※遠方から来店の場合は座席数も多くないため事前予約が好ましい。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

<関連商品>
瀬戸焼のうつわ

バーナード・リーチが愛した、大分県「北山田のきじ車」を求めて

こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載7回目は午年にちなんで「北山田のきじ車」を求め、大分県玖珠郡にある大野原きじ車保存会を訪ねました。

東北のこけし、九州のきじ車

「木製の郷土玩具」といえば多くの人が東北のこけしを思い浮かべることと思いますが、それと全く対照的にあり意外と知られていないのが、九州のきじ車(馬)。

きじ車とは、木で作った胴体に車輪を付けて転がせるようにした玩具のこと。こけしが東北各地にあるのと同じように、実は九州各地にも色々なきじ車があります。

全盛期は15以上の地域で作られ、その種類は1.清水系 2.北山田系 3.人吉系の3系統に分類されるそうです。北山田のきじ車は、その中でも彩色がなく馬らしい素朴な形が特徴です。

九州各地のきじ車
九州各地のきじ車たち、奥の無彩色のものが北山田のきじ車

大分の山間部に息づくきじ車の里

江戸時代末期頃に、子どもの遊具として考案された北山田のきじ車。

地元の庄屋さんに子どもが生まれたお祝いに、村人の上野氏が、子供がまたがって押したり引いたりして遊ぶ車輪付きの木馬のような玩具を贈ったところ大変好まれたことから、以来この地域で子どもの玩具として作り伝えられるようになったといわれます。

戦後一時姿を消しつつありましたが、上野寛悟氏が作り続け、地元の大工であった中村利市氏により継承されました。

きじ車を製作する中村利市氏の写真
きじ車を製作する故・中村利市氏

バーナード・リーチが大分県の小鹿田に滞在した1954年(昭和29年)、北山田のきじ車の素朴な造形美がリーチの目にも留まり、小鹿田焼とともに高く評価され、全国に知られる存在に。ところが、利市さんが亡くなった後、製作が一旦途絶えてしまいます。

そこで立ち上がったのが、高倉三蔵さん。

地元の伝統ある郷土玩具を後世に伝えるため、1990年(平成2年)、地区の有志で大野原きじ車保存会を設立し、上野さんの親族から教わりながら、昔の形そのままのきじ車製作を始め、北山田のきじ車を今に伝えています。

大野原きじ車保存会元会長の高倉三蔵さん
保存会の発起人で元会長の高倉三蔵さん(右)

地域に暮らす約10名の会員で製作を続けられている保存会のみなさん。発足当時のメンバーは前会長の高倉さんのみとなった現在も変わりなく、きじ車を愛する人たちが集まります。

製作ができるのは、材料の木の特性から、秋から春の間のみなのですが、シーズンになると月に1度、昼間の仕事終わりに、きじ車製作の作業場に集まります。各自できじ車を作り、終わったらみんなで食事をしながら遅くまで地域のことなどを語り合うそうです。

私たちが訪ねたのは5月の例会の日。高倉さんをはじめ、メンバー総出で歓迎してくださいました。

きじ車の製作風景
きじ車を製作する保存会の人たち

ものづくりは単純なほど難しい

中村さんの元で修行した職人に技術指導してもらったというきじ車の作り方は、今も昔のまま。会員の皆さんは、農業や建築関係などの木材を扱うプロが多く、慣れた手つきで次々にきじ車を削り出していきます。

「見学にきたほとんどの人が自分で作って帰りますよ。やってみますか?」
そんなお誘いを受けて、ワイズベッカーさんと私たちも体験をさせてもらうことに。

材料は地域に自生しているコシアブラの生木を使います。柔らかいため建築資材には向きませんが、加工がしやすく、白い木肌が綺麗なのが特徴です。夏は木が水分を吸い上げ、皮が剥がれやすくなるため、製作する期間は9月〜5月に限られるそう。

「コシアブラの新芽は天ぷらにして食べると美味しいんだよ。」そんなことを教えてもらえるのも現地に足を運ぶ楽しみの一つです。

きじ車の材料となるコシアブラの木
材料となるコシアブラの木を切り出す

では、早速胴体づくりから。

切り出したコシアブラの部材に型紙を当て、大まかな形を鋸で、ディテールをノミと槌で、地道に削り出していきます。

仕上げに突きノミでビューっと削って表面を綺麗に整えたら胴体の完成。この“木を削るのみ”という作業のシンプルさが、きじ車の製作を奥深くしています。

きじ車を成形する鋸、ノミなどの道具類
鋸・ノミ・槌などの道具を使って胴体を成形する
型紙を使ったきじ車の製作風景
型紙を当てて削り出すラインを決める
きじ車の製作風景
ノミと槌を使い、黙々と削り出す

そして、車輪の取り付け。

コシアブラの木を輪切りにした車輪を車軸に通し、胴体に打ちつけます。接合に金釘は一切使わず、コミ栓(木釘)を使用。最後に、保存会の印と作者のサインをして完成です。

きじ車の製作風景
車軸と胴体に穴をあけ、コミ栓で留める
きじ車の製作風景
胴体の裏には製作日、作者が書かれ、保存会の朱印が押される
できあがったきじ車3体
初心者3人が作ったきじ車、左から私・貴田さん・ワイズベッカーさん作

一個を組み立てるのにかかった時間は、つきっきりで手伝ってもらって1時間半ほど。会員の中で製作数が一番多い石井さんは、年に50個ほどを作られるといいます。

北山田のきじ車はもともと土産物などではなく、地域の子どものために作られていたものなので、彩色もなくシンプルそのもの。しかし色や模様がない分、わずかなバランスの違いが目立ちます。

その中で最も重要なのが首の角度なのだそう。首の角度、頭のうつむき加減など、ちょっとした違いで良し悪しが決まります。

木地と樹皮のコントラストのみの素朴なきじ車ですが、単純なものほど奥が深い、というものづくりの本質こそがこのきじ車の価値であり、リーチが絶賛した訳だったのかもしれません。

保存会の方が製作したきじ車
保存会の方が製作したきじ車

そして、そんなものづくりを継ぐ保存会の人たちが、半年かけて製作したというのが全長10mのジャンボきじ車。

使った木材は4寸角の杉材1200本、コミ栓12000本。材料集めから全て保存会の人たちの手で作りあげた大作です。

巨大なきじ車
高さ5.5m見上げる大きさのジャンボきじ車

「ジャンボきじ車の中は、当時の町民800人のメッセージが入っていてタイムカプセルになっているんです。」

ついには町のシンボルとまでなったきじ車。

地域ときじ車を愛する人々の思いが絶えず受け継がれてきたからこそ、この郷土玩具が今日まで残ってきたのだろうと、保存会の人たちとの交流の余韻に浸りながら大分をあとにしました。

さて、次回はどんな玩具に出会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第7回は大分・北山田のきじ車の作り手を訪ねました。それではまた来月。

第8回「宮城・仙台張子のひつじ」に続く。

<取材協力>
大野原きじ車保存会
大分県玖珠郡玖珠町大字戸畑3466-1
電話 0973-73-7436(会長 高倉新太)

文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」4月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

大分「北山田のきじ車」を訪ねて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載7回目は午年にちなんで「北山田のきじ車」を求め、大分県玖珠郡にある大野原きじ車保存会を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイを、どうぞ。

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大分県の標識

福岡から別府方面に向かう、どこかよくわからないが大分県の玖珠という町で、小さな木の馬が私を待ってくれているはずだ。はじめてインターネットで見たとき、すぐに好きになった。それはきっと、プラスチック製のものがまだ少なかった時代、私が子供の頃に遊んだ素朴な玩具を思い出させてくれたからに違いない。

大分県玖珠町の「きじ車の里」石像

集落に着いたら、石の彫像が置かれていた。「どうしてこれほどまでに、みんなこの馬に愛着があるのだろうか?」と疑問に思う。

この馬は、この地方では子供の健康を願うシンボルを担っている。

大分県玖珠町「きじ車の里」の法被

今回は、いつもと違い、ひとりの職人さんではなく、団体の方々が大歓迎してくださった。大野原きじ車保存会の皆さんは、ボランティアで、この小さな馬の玩具制作を継続しているのだ。

この会がなかったら、後継者不在で、とうの昔に消えていたはずだ。あらゆるものがが消えていくこの時代、お手本となる活動だと思う!

きじ車の職人、中村利市さんの写真

最後の職人、中村利市さんの写真が、敬意を持って工房の壁に飾られている。この郷土玩具の継続にかけた彼の献身を想うと、感動する。

きじ車の職人、中村利市さんが使っていた型紙

その脇にかかっているのは、中村さんが使っていた型紙。黄ばんだ厚紙には多くの書き込みがしてある。こんな風に額装されていると、民芸の傑作における素朴な美しさを感じる。大好きだ!

きじ車の型紙

時代によって、型紙のスタイルも変わる。こちらはもっと正確で小綺麗だ。

きじ車の材料となる木材

さて、小さな馬の制作見学に戻るとしよう。削りやすいので、若い木を使用する。木の直径に合った型紙を選び、切り取る。

鋸と鏨を使ったきじ車の製作風景

帯鋸盤で型紙の長さに荒削りをした後、鋸と鏨をつかって切る。樹皮は頭と鞍の部分になるので痛まないように気をつける。この部分が特徴的なのだ。木屑が出るたびに少しずつ形になってくる。

製作途中のきじ車

眺めていると、優しく穏やかな気持ちになる。庄屋の男の子も、転がして遊ぶとき、きっと楽しかったに違いない。

一際大きいきじ車

巨大なきじ車は年に一度の競争に使われる。後ろのカゴにボールを入れ、ボールを落とさずに早くゴールしたものが勝ちというわけだ。

競争の舞台となる庭

起伏のある土地なので、きじ車の競争は危険を伴う競技なのだ。勝負の日には、3人の審判が見守ることになる。
(*訳注:冗談です。)

きじ車を作るフィリップ・ワイズベッカー氏

びっくりだ!きじ車をつくらせてくれるという。断るなんて論外だ。日本の素晴らしい大工道具を使える、とてもいい機会だ。そこそこ上手く使いこなせることに、自分でも驚いた。

もっと平凡なつくりだったが、以前東急ハンズで購入した日本の大工道具と仕組みは同じ。自分の家具をつくるときと同じ要領で扱えた。

作ったきじ車を見せるフィリップ・ワイズベッカー氏

はじめてつくったにしては悪くない。とはいえ車輪をつけるときは、師匠に手伝ってもらったけれど。皆が完成品を喜んでくれた。

「きじ車の里」関係者とフィリップ・ワイズベッカー氏の集合写真

その証に、取材後の食事会では、会員専用の法被まで授けていただいたのだ。とても光栄に想う。

楽しく優しい人たちと過ごしたこの日のことは一生忘れないだろう。私の法被は、きちんと畳んで、ほかの旅行の思い出品と一緒にしまってある。

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文・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
写真:フィリップ・ワイズベッカー、貴田奈津子
翻訳:貴田奈津子

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

アノニマスな建築探訪 圓通寺

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。隔月で『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第4回。

今回紹介するのは圓通寺。

所在地は京都市左京区岩倉幡枝町389

圓通寺のある岩倉は、東は八瀬、西は上賀茂、北は鞍馬に挟まれた場所にあり、平安時代以降、多くの貴族の隠棲地だった場所である。

ただ、メジャーな観光スポットがほとんどないため、平日ともなれば訪れる人も少なく、静かな京都を味わうことができる。

京都市左京区の圓通寺

現在の圓通寺は臨済宗のお寺、つまり禅寺であるが、元は江戸時代初期の1639年(寛永16年)に第108代、後水尾天皇の別荘として建てられた建物で、幡枝離宮(はたえだりきゅう)と呼ばれた。

後水尾天皇は12年の歳月をかけて雄大な比叡山の稜線を美しく眺めることができる場所を探し続け、ようやくたどり着いた場所が比叡山の真東にあたるこの地であった。

後水尾天皇は桂離宮、仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点と称される修学院離宮の造営も行った天皇である。

京都市左京区の圓通寺までの道

およそ10年振りぐらいにこの地を訪れたのだが、塀やアプローチ、駐車場が整備され、とてもキレイになっていた。

当時、地図を片手に圓通寺だけを目指してレンタサイクルで山道をひたすら登った記憶が鮮明に蘇る。今回は車にナビを入れて伺ったわけだが、よくこんなところまで電車を乗り継ぎ自転車に乗ってきていたものだとしみじみ思う。

圓通寺の門までのアプローチ

駐車場から竹の生垣に沿って進むと屋根に苔がむした門が見える。

門を抜けると左側に大きな岩。その先には『柿 落葉 踏ミてたづねぬ 円通寺』と書かれた高浜虚子が読んだ句の文字が。

足元には円の形をした踏み石。まさに踏みてたずねぬといった具合である。

圓通寺の門にある大きな岩
圓通寺の門にある円の形をした踏み石

靴を脱ぎ受付で拝観料を払い、いざ枯山水の庭園へ。

半間の廊下を進み光の方へ。

京都市左京区の圓通寺受付
京都市左京区の圓通寺廊下

建物を支える4本の柱と、屋外の樹木列、そして水平方向には手前の濡縁と庭園、生垣、その背後に現れる比叡山の山並み。
これらが巧みに『近・中・遠』の織りなす絶妙な世界を作り上げている。

この庭の秀逸なところとは、屋外の樹木列と借景の比叡山の関係に他ならない。

建物は経年変化はあるものの、大きく変化することはないが、自然そのものの庭園は春夏秋冬、時の移りゆくままに色や表情を変える。

光の差し込む時間や影のできる時間。そのことによる気温により人に与える印象も本当に無限である。

この借景の庭が生み出す無常の美は写真や言葉ではやはり伝えることができないのだと改めて思わされる。

圓通寺にある枯山水の庭園と比叡山の山並み
圓通寺にある枯山水の庭園と比叡山の山並み
圓通寺の庭園に面する縁側
圓通寺の庭園に面する縁側

後水尾天皇が12年もの歳月をかけてたどり着いたこの地。

『柿 落葉 踏ミてたづねぬ 円通寺』詠んだ高浜虚子。

十数年前にレンタサイクルで山道をひたすら登りこの地たどり着いた私。

この地にたどり着いて感じることは人それぞれではあるが、やはり何事にも時間や労力を惜しんではいけないのだと、改めて感じた日となった。

圓通寺の庭園の敷石
圓通寺の庭園の芝生
圓通寺の庭園風景
圓通寺の庭園風景
圓通寺の院内風景

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

<連載:アノニマスな建築探訪>

熊本 小代焼を愛でる一日

訪ねるといつも元気をもらうような明るい窯がある。

うつわの作り手といえば、気難しいようなイメージが強いかもしれないけど、ここは主やその家族、弟子とみんなが明るく、いつも笑い声が聞こえてくる。熊本の県北、福岡県と隣接する荒尾市の小代焼(しょうだいやき)ふもと窯。

毎年2月の終わりの土日に誰もが参加できる窯開きをやっていて、そこに参加してきました。みんげい おくむらの奥村です。

熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯

お客さんと作り手がふれあうイベントがある窯は少なくないが、直前に窯を焚いて、できたてのうつわをその場で取り出す作業まで見せる窯はめずらしい。

しかもそれが作り手とおしゃべりしながら、その場で買えるんだ。そりゃ足が向くでしょう。

熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯
熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯

ふと見渡せば、当主の井上泰秋さんが窯から出てきたうつわの底をすりながら何人ものお客さんと談笑している。

その奥では、窯から出たうつわの焼き上がりを見ている息子の井上尚之さんと弟子陶工たち。笑い声、時に落胆の声が響いて、それを見ているお客さんも笑っている。

なんともなごやかな時間だが、僕がふだん一人で訪ねてもこの窯はこんな感じなのだ。

熊本県伝統の小代焼

熊本の伝統、小代焼といえば白・黄・青のような色があり、いずれも灰をベースに使った釉薬から生まれる。同じかたちに同じように同じ釉薬を掛けて同じ窯で焼いても、写真のように差が出る。

これ、すごいでしょう。窯のどこに置かれたかによって温度が微妙にちがうし、火の当たり方もちがうのでこれだけの差が出る。

「火にまかせる」「窯にまかせる」という言葉を各地の窯で聞くのだけれど、まさにそう。

こう焼けて欲しい、というイメージを狙って焼くのだけれど、なかなか思い通りにはならない。焼き物のおもしろさってこういうところ。

熊本県荒尾市の小代焼ふもと窯

窯出しも終わって、ふもと窯のある荒尾市から南にくだって熊本市へ。

小代焼を使う郷土料理屋さんもあるけれど、今日のおめあては郷土料理とはちょっとちがう。おめあての店PAVAO(パバオ)は熊本市の中心部、上通りのはずれにある。

雑居ビルの2階。階段をのぼって、ドアの前に立っても中が見えず入るのをためらうが、思い切ってそのドアを開けてもらいたい。

熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAO内観
熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAO内観

この店は、入ったそばからおいしい。

入り口からすぐに本の棚、CDの棚。そしてキッチンが見えてくると、そこかしこにたくさんのうつわ。どの棚もワクワクがあふれている。

店主の思いつくまま集められたそれらは雑多なようでいて、でもどこかまとまりがある。料理のおいしさは味のみならずだな、とつくづく思う。

ここはおいしいものが出てくる予感しかないのだ。旅でまったく初めての土地に降り立ったような高揚感がある。

ふわふわと、どこの国とも言えない不思議な居心地の良さ。そういえば、ここは諸国家庭料理PAVAO。諸国なのだ。そりゃどこでもないわけだ。

熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAOメニュー表
熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAOの定番メニュー「ちくわ天」

黒板のメニューを見ていつもワクワクするこちらですが、定番で外せないのが「ちくわ天」。

店主の出身である、熊本の日奈久(ひなぐ)というちくわの名産地のものを使って。和食の店で使ったらどっしりと重厚に感じそうなこの小代焼のうつわをどこかさらっと気負いなく。

熊本県熊本市の諸国家庭料理PAVAOの「あさりとターサイと生きくらげの和え物」

続いての一品は、あさりとターサイと生きくらげの和え物。酸味と辛味。おお、アジアの味。これまた、肥後鉢という伝統の形の鉢が絶妙に似合うじゃないですか。

ここのうつわのセレクトは国内外、民藝のものもあれば作家のものもさまざま。うつわ好きならカウンターに積まれたうつわにも、隣席のテーブルに並ぶ料理とうつわにもワクワクが止まらないはず。

いつもこの店をスタートに夜の熊本を飲み歩くからなかなか食べられないのだけど、実はこの店カレーもうまい。食事使いでも、ふらっと一人でも。どうぞお気軽に。

 

<取材協力>
PAVAO
熊本県熊本市中央区南坪井町1−9 山村ビル2F
電話 096-351-1158
営業日 木金土 18:00-23:00
※営業日や時間が変わることもあります。最新情報はinstagramをチェックしてください。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍