食卓を彩る手のひらサイズの金属製品、燕市でつくられたプチカトラリー

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

—— なにもなにも ちひさきものは みなうつくし

清少納言『枕草子』の151段、「うつくしきもの」の一節です。

小さな木の実、ぷにぷにの赤ちゃんの手、ころっころの小犬。

そう、小さいものはなんでもみんな、かわいらしいのです。

日本で丁寧につくられた、小さくてかわいいものをご紹介する連載、第9回は新潟県燕市でつくられている「プチカトラリー」です。

手のひらにすっぽりと収まる、まるまるとしたカトラリー

フルーツやアイスクリームをほおばる時、お弁当と一緒に持ち出す時、手のひらサイズのカトラリーを用意するとなんだか心が躍りませんか?

食べる楽しみに不思議なワクワクを加えてくれるミニサイズのカトラリー。大きさだけでなく、フォルムも可愛らしいものを見つけました。

金属洋食器の生産地として有名な新潟県燕市。その技術は世界にも認められ、ノーベル賞の晩餐会で使われるカトラリーも燕市の企業が作っています。そんな燕の技術で作られたまんまるで愛らしいカトラリーです。

普通サイズのカトラリーと並べると親子のようになりました

ミニスプーン作り体験

カトラリーはどんな風に作られているのでしょうか?こちらのカトラリーの製作現場は公開されていませんでしたが、一般の人も気軽にスプーンづくりを見学・模擬体験できる場所を見つけました。燕市にある「燕市産業史料館」です。さっそく伺って、ミニスプーンづくりを体験してきました。

スプーンの製造工程の動画の展示も

燕市の産業について展示している燕市産業史料館。カトラリーについても、その歴史や生産方法など、詳しい解説と展示がされています。ここでは、手動の機械を使ったスプーンづくりが体験できます。

スプーンができるまで
いざ体験へ!
まずは、金型でスプーンの形を切り出します
スプーンの形に切り出された板が出てきました!
いくつかのプレス機にかけて徐々に形を整えていきます
柄の先に同史料館の英語名の頭文字を取った「TIMM」を刻印
最後はスプーンの皿のへこみを作ります
できあがりました!

長さ5㎝ほどの可愛らしいスプーンの完成です!

ストラップにして持って帰ることも

よくよく考えるとカトラリーの形って不思議です。スプーンを作りながら改めてそのフォルムを見ていて、先人たちが考えてきた食べやすさの工夫を感じました。
毎日訪れる「食べる」時間。その時々に合わせたお気に入りを用意して楽しみたいものですね。

<掲載商品>

プチ スプーン(ミニスプーン)(やまに)

プチ フォーク(ミニフォーク)(やまに)

プチ アイススプーン(ミニスプーン)(やまに)

プチ キャディスプーン(茶さじ)(やまに)

プチ バターナイフ(ミニバターナイフ)(やまに)

<取材協力>

燕市産業史料館

新潟県燕市大曲4330-1

0256-63-7666

文・写真:小俣荘子

古典芸能入門「日本舞踊」の世界を覗いてみる

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

みなさんは古典芸能に興味はお持ちですか?

独特の世界観、美しい装束、和楽器の音色など、なにやら日本の魅力的な要素がたくさん詰まっていることはなんとなく知りつつも、観に行くきっかけがなかったり、そもそも難しそう‥‥なんてイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。

気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として、「古典芸能入門」を企画しました。そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。

「踊ってみたい!」人々の思いから生まれた芸能

「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々!!」

阿波踊りの一節です。美しい振り付けを見たり、リズムが聴こえてくると、人は不思議と身体を動かしたくなるもの。

現代の日常生活でも、アイドルの振り付けを仲間と再現した動画をSNSでシェアしたり、星野源さんの「恋ダンス」を真似して踊ってみたり。先日電車に乗っていると、1人の男の子が「PPAP」を踊りながら歌い始めたのをきっかけに、その車両中で子ども達が真似を始めて大合唱となりました (おそるべしピコ太郎さん!) 。

各地で開催される昔ながらのお祭りをはじめ、今年は渋谷のスクランブル交差点で開催された盆踊り大会も多くの方が参加し話題を呼びましたね。

さて、本日ご紹介する日本舞踊。実は、江戸庶民の「真似して踊りたい!」という思いから生まれた芸能なのです。

江戸時代のエンターテイメントとして大流行した歌舞伎。憧れの大スターである歌舞伎役者の真似をしてみたい‥‥。そんな江戸庶民たちの思いに応え、歌舞伎の踊りの部分を習える形にしたのが日本舞踊でした。

現代においても、お茶やお花のお稽古同様に、日本舞踊もお稽古ごととして広く門戸が開かれています。全く踊りに縁のなかった人でも飛び込める身近な世界であることも魅力です。

一方で、芸を追求し続けるプロならではの奥深い世界も存在します。歌舞伎の流れを汲むものだけでなく、新作や多様な表現が生まれています。

進化し続ける日本舞踊。その世界を覗きにでかけました。

今回は、国立劇場で開催された「親子で楽しむ日本舞踊」という企画にお邪魔してまいりました。小学生のお子さんから年配の方まで、たくさんの方々で賑わう公演。

古典作品の上演の他、日本舞踊家の花柳大日翠 (はなやぎ・おおひすい) さんによる解説 (衣裳やかつらの付け方、舞台装置の解説、上演作品の背景解説や会場全体で振り付けの実演など盛りだくさんの内容でした) 、衣裳や小道具の体験コーナーもあり、初めてでも楽しみながら日本舞踊の世界に入り込める企画となっていました。

衣裳の試着コーナー。華やかな衣裳を身にまとう子ども達で賑わっていました

日本舞踊の魅力、見どころ

この日上演されたのは、「子守 (こもり) 」 と「玉兎 (たまうさぎ) 」 。

どちらも歌舞伎舞踊として伝わるものです。動きの美しさに加え、ストーリー性の存在によって、その時々の登場人物の心情も描き出され惹きつけられます。
2作品とも、三味線音楽の一種である「清元節 (きよもとぶし) 」が伸びやかな旋律を奏で、お囃子が多彩なリズムを響かせており、踊りに一層の情緒を与えます。

「子守」 出演・五條詠絹 (ごじょう・えいきぬ) 写真提供:国立劇場

「子守」は、赤ん坊の面倒を見る少女の様子が描かれたお話です。

豆腐屋にお使いに行った帰り道、トンビに油揚げを取られてしまう少女。慌てて取り返しに追いかけますが転んでしまい、驚いた赤ちゃんが泣き出します。子守唄を歌ったりしながら一生懸命にあやします。

赤ちゃんが眠った後は、人形遊びなど一人遊びに興じる様子が描かれます。まだ幼い少女の想像力を通して、様々な役柄を演じる様子を楽しめます。少女のいじらしさや愛らしさ、故郷への思いなど心情を読み取りながら味わっていると思わず涙腺が緩んでしまう作品です。

「玉兎 (たまうさぎ) 」 若柳吉優 (わかやぎ・きちゆう) 写真提供:国立劇場

「玉兎」は、月の兎が餅つきをする伝説と、当時の団子売りの様子を合わせた少しナンセンスなファンタジー。後半では、かちかち山のストーリーが描写され、踊りから様々な登場人物の様子が浮かび上がります。美しい動きの中にコミカルな様子も描かれ見ていてフッと笑いがこみ上げる場面も。

今回の公演で解説を勤められた、花柳大日翠さんにお話を伺うことができました。記事の後半ではインタビューの内容をお届けします。

8月3日、はさみの日。刃物の街で老舗企業が日々品質を磨くはさみ

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多ある記念日のなかで、こちらでは「もの」につながる記念日をご紹介していきたいと思います。
さて、きょうは何の日?

8月3日、「はさみの日」です

8月3日を「8・3 (ハサミ) 」と読んで、「はさみの日」。1977年、美容家で国際美容協会会長・山野愛子氏によって提唱され、設定されました。

この日には、東京の増上寺に建立された「聖鋏観音塚 (せいはさみかんのんづか) 」にて、日頃使用している鋏に感謝し供養する「はさみ供養」が執り行われます。現在は、美容関係者のみならず、様々な職業の人々が訪れ、世の務めを果たし終えたはさみを塚に納め、供養法要が厳かに行われています。

私たちの暮らしになくてはならない道具、はさみ。とてもシンプルな構造ですが、ちょっとしたバランスが崩れただけで切れなくなってしまうのだとか。日々当たり前のように使っているものですが、出来るまでには様々な調整がされて私たちの元に届いているのですね。

歴史ある刃物の街。はさみ作りの現場へ

新潟県三条市は江戸時代から続く刃物の街。この街で園芸鋏を作り続けている「小林製鋏 (こばやしせいきょう) 」さんを訪れ、お話を伺いました。

社長の小林伸行 (こばやし・のぶゆき) さん

「はさみには機械的要素があります」と小林さん。

「まっすぐな刃物を2つ合わせただけのはさみでは物は切れません。2つの刃がうまく擦れ合うように、刃の形、つなぎ目の鋲 (びょう) の合わせや穴のサイズを調整し、握りやすい持ち手を作っていく必要があります。

刃の合わせは、実際に握って動かしてみて、目で見て、刃の擦れ合う音を耳で聞いて確認していきます」

留めた鋲がガタガタと動かないよう、穴の位置や大きさも厳密に調整されています

対話を通して品質に磨きをかける

農家向けの収穫ばさみを専門に製作し、長年に渡り農家のさまざまな要望にきめ細やかに対応してきた小林製鋏さん。

「自分たちで出来上がりをチェックするのはもちろんですが、実際に使っているお客さんからの声を伺うようにしています。

農家のみなさんは、1日に3000個もの作物を連日収穫し続けたりされるそうです。その中で耐久性や使い勝手は非常に重要ですよね。日々使う中で感じた不具合や気になる点を伺って改良してきました」

商品の箱にはアンケートハガキを入れていて、何か問い合わせがあった時だけでなく、届く言葉に常に耳を傾けているのだそう。

回転する砥石の上で刃を研ぎ、2本合わせた時に切れる角度に調整していきます

「例えば、鋭い刃をつけると切れ味はよくなるのですが、耐久性は下がります。適度なバランスが求められます。使い勝手の面では、グリップに巻く素材は皮で作っていたのですが雨に濡れると弱ったり、耐久性の点で難点があると聞き、樹脂に変えました。

そのほかには、みなさん包丁は毎日洗われますが、はさみの手入れをそこまでされる方は少ないので、塗料を2度かけたり工夫することでサビから守るなどの改良も行なっています」

光に当てて最終チェック。隙間の大きさを確認して調整します

小林製鋏さんのサイトでは、感想を寄せる案内が大きく出ていたり、はさみの研ぎ方やお手入れ方法を丁寧に案内する動画まで掲載されています。実際に使う方々との対話を大切にしてものづくりをされている様子が各所で伺えました。

こうした姿勢で積み重ねてきた改良の努力と信頼関係で、長く愛され続けている商品が作り出されているのですね。

<取材協力>

小林製鋏

<関連商品>

小林製鋏 HARVESTER

小林製鋏 FLORIST

文・写真:小俣荘子

虫の音を愛でる日本人が生んだ、芸術品のように美しい虫籠

こんにちは、ライターの小俣荘子です。

みなさんは、何か品物を見た時に、心を撃ち抜かれたような経験はありますか?胸がドキドキしたり、理屈を抜きにビビビっと来て見入ってしまう瞬間、見惚れてため息が出てしまうような出会い。実は私、先日経験いたしました。

ある夏の日、催事で展示されていた工芸品を何の気なしに見て回っていた時のこと。思わず足が止まり、釘付けになってその場をしばらく離れられなくなりました。そして食い入るようにずっと眺め、細部の美しさにもまた興奮したのです。

それは、静岡で江戸時代から続く繊細な竹細工、「駿河竹千筋細工 (するがだけせんすじざいく) 」という難しい技術で作られた虫籠でした。

これはぜひみなさんにもご紹介したい!と、現在唯一この虫籠を作ることができる職人さんをご紹介いただき、取材に行ってまいりました。


さて、まずは写真でその虫籠をご覧いただきましょう。こちらです!

いかがでしょう?繊細な竹ヒゴが整然と並び、天井は優雅なアーチ。朱色に手染めされた正絹の紐。そして、足元の曲線が美しい台も目を引きます。これは、「大和虫籠」と呼ばれる虫籠。

そのお値段、なんと8万568円 (右の小さいものは2万7864円) 。さらに飾りが施されたものは10万円を超える大人の虫籠、美術品とも言うべき代物です。

もちろん中に砂などを敷いて虫を入れて楽しむ方もいらっしゃるそうですが、お料理屋さんが十数個まとめて購入し、お料理の器として使ったり、人形や折り紙などを入れて自宅のインテリアとして活用されることも。毎年この美しさに心を奪われ購入される方々がいらっしゃり、作り続けられています。

家康の趣味と、貴人の美意識が育んだ贅沢品

駿河竹千筋細工は、徳川家康が駿府城で大好きな鷹狩りをするための餌箱を作らせたのが始まりと言われています。その技術を用いて、家康お抱えの鷹匠たちが鷹に合わせて籠を作り、改良が重ねられていきました。

その中で生まれた大和籠は、高貴な方々の愛玩用に用いられ、贅沢を極めます。籠本体は最高級品を用い、籠台には上質の檜材、足は上品な猫足型‥‥と、品質からデザインまでこだわり抜かれ、籠台の装飾は、黒または朱塗りに、金・銀の高蒔絵まで施してあったといいます。これを元にした虫籠が1860年 (万延元年) 頃から作られるようになります。

実用性だけでなく、美しさを追求して作られた鳥籠から生まれたのが、現代に伝わる大和虫籠だったのです。

いざ、工房へ!

冒頭で、難しい技術とご紹介した「駿河竹千筋細工」。1976年に通産省指定 (現経済産業省) の伝統的工芸品の指定を受けています。

具体的にはどのような技術で、どんな風に虫籠は作られるのでしょうか?

現在唯一、大和虫籠を作っておられる工房「みやび行燈」、伝統工芸士の杉山貴英 (すぎやま・たかひで) さんの元を訪れました。

みやび行燈で作られる虫籠や照明器具など繊細な作品の数々。その美しさは海外でも認められ、ドバイのホテルから注文を受けたり、杉山さんが「徹子の部屋」に出演された折には、虫籠をはじめとした作品の美しさに黒柳徹子さんが大いに感激されたほど。

近年では、照明デザイナー谷俊幸氏とのコラボ作品「HOKORE06」が、全国伝統的工芸品公募展にて経済産業大臣賞を受賞するなど数々の注目を集めています。百貨店などで展示されていることも多いので、私のようにどこか身近な場所で目にしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

伝統工芸士 杉山貴英さん

枠が肝!駿河竹千筋細工の美しさと強さの秘密

「この2つ何が違うと思いますか?」と、2つの小さな虫籠を並べて杉山さんが解説してくださいました。

右が駿河竹千筋細工の虫籠

「左は棒状のものに穴をあけて組み上げていくもの、右 (駿河竹千筋細工) は、1本の長い棒状にした竹の4箇所を曲げていって端と端を継いで作った枠に、穴を開けて竹ヒゴを通して組み立てていきます。この枠が静岡独自の特徴です。枠の継ぎ目は斜めにし、接地面を多くして平らになめらかに継ぎます。例えば秋田の曲げわっぱなどでは面を重ねていますよね。重ねると段差ができるのですが、段差を作らないようにするために斜めに切断して継いでいます」

よくよく見ると斜めに繋いである部分が見えますが、ひと目ではどこにあるのかわからない程なめらかです

「その他にも、編む竹の場合も、0.4ミリメートルほどの厚みのものを編んでいくのが一般的ですが、静岡のものは4〜5ミリメートルほどあります (ほぼ10倍ですね) 。それに熱を加えて曲げていきます。強度特化型の細工なのです。例えば、そこにあるバッグだったら2つ並べて上に板を敷いたら十分に人が乗れます。軽く上で跳ねても大丈夫なくらいの強度があるのです。編むというよりは組み立てていく、これが静岡の竹細工の特徴です」

駿河千筋細工のバッグ。美しさに加えて強度も高い
焼コテを使って熱で竹を曲げていきます

焼コテを使って熱で竹を曲げるところを実演していただきました。

形ごとの型があるわけではなく、熱の強弱で丸、または角の大きさを決めていきます。その時々の竹の質や季節によって曲げ方を調整するので、何千何万本も曲げて体に覚えさせていくのだそう。

目の前で様子を拝見していると、スイスイと簡単にやってらっしゃるようにも見えるのですが、お話を聞いているだけでとても難しそうです。角の中心から左右に均等な長さと角度に曲げていきます。四角に曲げるのが一番難しく (4つの角が均等でないと繋がらない、台形や平行四辺形になってしまうため) 、伝統工芸士の試験でも四角曲げが課題となるそうです。多角形から修行をはじめ、四角を美しく作るには最低7年はかかると言われているのだとか。

「やってみる?」と、杉山さん。

お言葉に甘えて体験させていただいたのですが、四角以前にそもそも曲がらない!!「力を入れずに重力に従って少しずつ両手を均等に下げていく」と伺ったのですが、竹のしなりの変化を腕で全然感知できず、「まだ曲がってくれないです」と言っているうちに最後には熱の入れすぎで折ってしまいました‥‥。曲げるだけでもとても難しかったです。

熱を加えて角を曲げた竹。これを4つの角全てに均一に施します

竹とバンブーは似て非なるもの

「静岡の竹細工は、平ヒゴではなく丸ヒゴを使うことも特徴ですが、これは元々が鳥籠や虫籠を作ることがルーツであったことによるものです。丸ヒゴにも、熱で曲げた枠にも尖ったところや出っ張りがなく、鳥や虫の体を傷めない作りとなっています。

実はこの技術があるのは日本だけなのです。

竹のことを英語でバンブーと言いますが、日本の竹とバンブーは別のものです。

タケ類は大きく分けると、タケ (竹) とササ (笹) とバンブーの3つに分類されます。バンブーは中国南部や東南アジア系の種を指します。熱帯雨林に生息しているので一気に水を吸って1年で15〜18メートルにも育ちます。

対して、日本の竹は、約3年かけて12〜15メートルほどに育ちます。

四季があるので、水がない時期や寒い時期も経験しながら順繰りに、時間をかけて育つので身がしまったものになるのです。

熱を加えて曲げると、曲げた部分に内周と外周ができますが、バンブーの場合は内周が大きくブチっと潰れて尖ってしまい、なめらかになりません。そして強度が低い。一方、日本の竹で作ると、この内周の部分が細かく潰れるに留まるので、なめらかにしなります。この日本の竹が無いと作れない技術なのです」

身のしまった日本の竹

日本の風土に根ざして発展した技術だったのですね。

ちなみに、年月と共に移り変わっていく竹の色、白から徐々に飴色となっていきますが、これを美しいと感じるのは日本人ならではの感覚なのだそう。苔に対してなども言えますが、経年変化を「劣化ではなく趣の変化」と捉えるのは確かに日本人独特の美意識かもしれないですね。

釘と刃物を固定して、均一な幅にしていきます
専用の穴に通して、細く均一な太さの丸ヒゴを作っていきます
曲げた枠の側面に丸ヒゴを挿す穴を開けていきます
穴を均等に開けるために印をつけるスタンプ
1本1本穴に丸ヒゴを差し込んでいきます。かつては内職の方々の仕事でした。素人の方でもスムーズにさせるよう穴や竹ヒゴの大きさを均一にすることが求められました。ここまで全て手作業です

虫の音を愛でる日本独特の文化

「虫籠が存在するのは日本ならではなんです。日本って、虫の扱い自体が独特ですよね」と杉山さん。虫の音と日本人の歴史についても興味深いお話が伺えました。

「日本人は、虫もいろんな名前で呼び分けますが、国によっては、「黒い虫」みたいな表現だけで、個々の名前がない場合も多いんです。虫によって異なる鳴き声を聞き分けて、○○虫が鳴いてるね、なんて言ったり、自分好みの虫の声があったりもしますよね。こういう感性は日本人以外あまり持ち合わせていないそうなんです。

元々、虫を愛でる文化は平安時代に中国から渡ってきていて、貴族たちが虫を集めて庭に放ってその声を楽しんだと言われています。コオロギをはじめ、それぞれの好みのバラエティ豊かな虫の音を楽しむようになり、館の主人の好みの虫を集めてくる、なんてこともあったのだとか。

一方中国では、虫を戦わせる文化 (賭け事) が流行して、聞く文化が廃れたようです。

日本ではそのまま残って、江戸時代に鈴虫が流行したといわれています。元々は庭に放っていたのですが、いつからか虫籠に入れるようになったようです。文献に明確に記述されてはいないのですが、挿絵として、竹でできた虫籠が旅館や銭湯などに置かれた様子が登場します (竹なので風化して現物が残っていないのです。文字通り土に還ります) 。

音に関して言えば、風鈴の音を聞いて涼むというのも独特ですよね。海外では呼び鈴など機能の音なので、涼しさと関連しません。虫の音は輸入された文化でしたが、耳で楽しむことは日本人の感性にあっていたのでしょうね」

昔の形を可能な限り忠実に再現して作られる大和虫籠。天井のアーチは、1本1本長さの異なる丸ヒゴによって形作られている

日本人独特の感性から長きに渡り愛され続けてきた虫の音。日本の風土で育った独自の竹。そこで生まれた美しい虫籠。

文章での解説は残っていないそうですが、どの文献を見ても不思議と変わらないことがあると言います。それは、虫かごの向き。常に戸がついている方が左に来るように置かれています。現代もそれにならって置かれ、左手前の部分を正面とし、腕によりをかけた細工を施します。太い枠の角を4つとも揃えるだけでも難しいですが、加えて、この角に沿って飾り細工をするところがすごいですね。なめらかな角に歪まずに均一に通された丸ヒゴ。ため息が出る技巧です。

正面左角には技術を尽くした細工が施される

技極まる駿河竹千筋細工。1873年 (明治6年) には、日本の特産品としてウィーン国産博覧会に出品されました。

竹ヒゴの優美な繊細さは、当時の西欧諸国の特産品をしのぐと好評を博し、これをきっかけに多くの製品が海外に輸出されるように。一時は200人もの竹に携わる職人がいたと言われています。

現在ではわずか数名にまで減少しましたが、伝統の技術を受け継いた美しい品々が今も日々製作されています。

ガラス越しに眺める芸術品と異なり、手元に置いて、使うことも愛でることもできるところが魅力でもある工芸品。この技術、美しい品々を後世にも伝えていければと願っています。

<取材協力>

みやび行燈

静岡竹工芸協同組合

文・写真:小俣荘子

一夜のために10年以上の歳月をかけて作る、浜松まつりの御殿屋台

こんにちは、ライターの小俣荘子です。

毎年5月に開催される浜松の一大イベント「浜松まつり」。今年は取材に訪れ、地域のみなさんの熱い想いに触れることができました。お祭りの夜を彩る「御殿屋台引き回し (ごてんやたいひきまわし) 」。提灯に灯がともり、人々に引かれて各町内の御殿屋台が現れます。名前に「御殿」と付くとおり、5メートルを超える高さのものもあり、豪華絢爛で大変な迫力があります。まるで絵巻物の世界のように幻想的な御殿屋台。各町内の大切な宝物です。この美しさに魅了され、再び浜松へ!御殿屋台について詳しく取材してきました。

◆「浜松まつり」の記事はこちら

浜松の夜を幻想的に彩る御殿屋台

御殿屋台の歴史

浜松まつりは、大凧合戦が起源のお祭りです。その昔、凧揚げの道具を乗せた大八車の四隅に柱を立て、凧を屋根代わりにして運んだことが屋台の始まりと言われています。その後、造花や提灯で華やかに飾った屋台が登場し、次第に豪華さを増し、現在のような多重層の屋根で見事な彫り物がたくさん施された豪華絢爛な屋台が作られるようになったそうです。

現在では、町内で積み立てをしたり出資者を募って、1台に1億円以上の制作費をかけて作られることもあるのだとか。みなさんの情熱が伺えます。今年の浜松まつりでは、81もの町内の御殿屋台が街を優美に行き交いました。

御殿屋台には、1台につき100〜120点もの彫刻が施されています (和田町の御殿屋台)
目立たない場所にもこんな精巧な彫刻が埋め込まれています (和田町の御殿屋台)

御殿屋台ができるまで

この美しい御殿屋台はどのようにして作られているのでしょうか?

御殿屋台づくりの専門家である、早川真匠 (はやかわ・しんしょう) さんにお話を伺うことができました。早川さんは、浜松の重層御殿屋台を生みだした「三嶽 (みたけ) 流」の伝統を継ぐ四代目として、祭り屋台一筋に新造・修復をされています。各町内会で大切に保管されている御殿屋台。本来であれば、お祭りの時期以外に目にすることは出来ないのですが、町内からの信頼も厚い早川さんが相談してくださり、浜松市和田町のみなさんご協力のもと、特別に見せていただけることに。実際の御殿屋台を間近に解説していただきました。

屋台師の早川真匠さん
全長5.4メートルもの御殿屋台を保管する巨大な倉庫
和田町の御殿屋台。全長5.4メートルもの大きさに圧倒されます

精巧な細工の魅力はもちろんのこと、毎年のお祭りで何人もの人を乗せ、街中を華麗に引き回される屋台は耐久性も重要です。狭い道や急な坂など町内によって通る場所も様々。どんな状況で引き回されても力に耐え、壊れにくくかつ美しい姿を形づくるには、釘を使わずに組み立てる宮大工の技術が用いられます。この技術により、毎年のお祭りを経ても100年もつと言われているのです。制作費1億円、全長5メートル以上、100年の耐久性‥‥キーワードを並べているだけでも圧倒されてしまう御殿屋台。さっそく、早川さんに教えていただいた御殿屋台づくりの道のりをご紹介します。

まず始まる材木探し

美しさと耐久性の備わった屋台をつくるため、素材を厳選することから始まります。御殿屋台はケヤキとヒノキを使った白木づくりが中心です。木肌の美しさをそのまま見せるところに特徴があります。質がよく美しい材木を求めて、愛知県、岐阜県、長野県、滋賀県など各地の森の中を空師 (そらし=高い木の上で伐採などを行う専門家) と一緒に早川さんも探し回ります。すぐに良木に巡り会うのはなかなか難しく、やっと見つけても切り落として中を見ると空洞になっていたり、腐っていたりと使えないこともあり、全体の1/3くらい使えれば良い方なのだそう。何年もかけて探します。

原木を入手したら次は乾燥です。大割り (大木を山から搬出できるようにひき割る) して、毎日水をかけて、雨さらし、陽さらしをし、数年かけて天日乾燥してから、さらに、二度引き、三度引き (使える形に木材を整えていく作業) をして、また乾燥させます。ここまでで、すでに5年以上の年月を費やします。御殿屋台づくりの序盤中の序盤ですが、「早川さん、早くも想像以上です‥‥」と、お話を伺う声も震えました。

1本1本探し求めた大木の記録資料を見せていただきました。なんて大きい‥‥

木の部位や向きを見極めて使い所を決める

材料のとなる木材がやっと揃ったところで、「型板おこし」が始まります。屋台の大きさ、高さ、軒の出をどれくらいにするか、屋根はどうするか?など検討します。図面を引きつつも、ご自身の脳内にある3Dの完成イメージが正確なので、それを照らし合わせながら寸法を出し、各パーツを作っていきます。

興味深かったのが、丸太のどの位置から切り出した木材なのかが、使う位置に大きく影響するということ。木目など柄としての影響だけでなく、反りが強度にも影響するのだとか。永きに渡り壊れず美しい屋台の形を保つには、内側に反りが向いていて均一に圧力がかかっている状態がベスト。「内に締まるように、木を見てカンナを使う」とおっしゃっていました。

装飾の彫刻のサイズも決まってくるので、木を切り出し、彫り師へ依頼します。イメージを共有して最後に合わせた時に美しくピタリとしたサイズ、デザインで出来上がる。信頼関係を築き上げたチームワークの成せる技ですね。

カンナの刃。美しく研がれ、切れ味抜群
様々な形のカンナ。何を削るかに合わせて使い分けます
木目が美しく表れた面に細工を施します
どの面を切り出して削るかで木目が変わります。ペーパーヤスリをかけると木が死んでしまう、と最後までカンナで磨きます
大切に手入れされている道具の数々も見せていただきました
こちらは早川さんこだわりの逸品。刃物の名産地、燕三条で特注して作ったもの。何層にも重なった刃の波模様が美しいですね

超難関パズル「組子 (くみこ) 」づくり

同じ硬さのもの同士で圧力を加え合った方がものは壊れにくい。釘を使わず、木を組み合わせることで強度と美しさを生む宮大工の技術。組み合わせると一言にいっても、それは単純に2つのパーツを合わせるだけではありません。土台、柱などの大きなものから、細かなものまで様々なパーツを材木から切り出し、組んでいきます。

特に、屋根を支える「組子」と呼ばれる部分は異なる形状のバーツをパズルのように組み合わせていくことで、強度を高めていきます。木を細かく組むことで、屋根の重さや揺れた時の衝撃の力をを分散させる役割を担っているのです。 (ただの飾りではないのです!)

とても複雑なので「図面を見てやろうとすると間違う。頭に入っている3Dのイメージを元に組んでいきます。毎晩夜中まで、休むことなく作り続けます」と早川さん。組子のパーツは、1200〜1300個ほどにも及び、もちろんすべて早川さんが切り出して組んでいます。

屋根を支える組子。全てバラバラのパーツからできている細かいパズルなのです
こちらは、土台部分を支える腰組。屋根の組子と同じように細かいパーツを組み合わせています

垂木 (たるき) の幅が全体の寸法を決める

ある程度、組子が仕上がってくると屋台を組む作業へと進みます。整然と組まれる組子をはじめとした各パーツ。全体の大きさが相似となっているようにも感じられます。何か基準があるのでしょうか?伺うと、「垂木を基準として寸法を決めます (「支割り」と呼びます) 。これによって、縦軸、横軸を全てピシッと合わせます」と、教えてくださいました。垂木は、屋根の下の部分に整然と並んでいる棒状の木材のことです。1支2支とカウントします。

整然と並んでいる棒状の木材部分を垂木と呼びます
正面から見ると屋根の下に点のように並ぶ垂木。この点をたどると、下の組子の位置や柱の位置とピタリと一致します

早川さんの脳内に入っている3D完成図のイメージも、この垂木の単位で数字を全て整理しているそうです。垂木による支割りは長い年月をかけて体で覚え込んでいきます。「常に親方について行って修行することで身につけていく技術です」と早川さん。大工さんは、支割りの正確性を見て仕事ぶりを評価するのだとか。

情報共有のために2Dの図面イメージは書き上げますが、実際の仕事は脳内の3D完成図をイメージして行なっています

最後に全てのパーツを組み合わせて完成

材木を探し、小さな組子を1つ1つ組み合わせることから始まった屋台づくり。少しずつパーツを組み合わせて段々と形が出来上がっていきます。最後は屋根に銅板を貼り、車をはめ、飾りの金具をつけ、彫刻を取り付け、提灯をつけてやっと完成です。

今回拝見した和田町の御殿屋台は10年の月日を費やして作り上げられました。製作中は、屋台が気になって夜中に目が覚めてしまったり、眠れない日があったり痩せてしまったりもするという早川さん。しかし出来上がると、えも言われぬ喜びがあり、よかったなぁと思うと笑顔で語ってくださいました。

御殿屋台づくり、想像をはるかに超える世界でした。こんなにも時間と手間がかかっていたなんて。装飾の豪華絢爛さばかりに注目が集まるところもありますが、その美しさを引き立たせ、長い年月に渡ってその姿を保ち、町内の財産として残していくためにはたくさんの苦労と技術、素材にこだわり抜く目がありました。

御殿屋台製作のために、積み立てや出資者を募り、出来上がった屋台を各町内の誇りとして大切にするみなさん。その思いを一身に背負って製作する作り手の方々。たくさんの思いが詰まった御殿屋台。ここでもまた、浜松まつりへの人々の情熱を感じました。

<取材協力>

早川真匠

浜松市東区和田町のみなさん

文・写真:小俣荘子

古典芸能入門「能」の世界を覗いてみる ~内なる異界への誘い~

こんにちは。ライターの小俣荘子です。
みなさんは古典芸能に興味はお持ちですか?
独特の世界観、美しい装束、和楽器の音色など、なにやら日本の魅力的な要素がたくさん詰まっていることはなんとなく知りつつも、観に行くきっかけがなかったり、そもそも難しそう‥‥なんてイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。 気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として、「古典芸能入門」を企画しました。そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。

今回は、「能」の世界へ。
歌舞伎と並べて語られることも多いですが、この2つは両極にあると言っても過言ではないかもしれません。豪華絢爛なエンターテイメントとして大衆に支持された歌舞伎に対して、能は神事として発展し、豊臣秀吉を始め、多くの大名たちに愛されました。能を演じることは「茶の湯」と同様に、武家社会におけるたしなみの1つでもあったと言います。
削ぎ落とされたストイックで禅的な世界。現代では思想的な面でも国内外から注目され、多くの人を魅了し続けています。

能楽堂の様子。舞台を取り囲むように客席があり、写真右手前から正面、中正面(角から柱越しに鑑賞します) 、ワキ正面(本舞台を真横から鑑賞します)と呼ばれ、位置によって異なる視点で味わうことができます

なにやらよくわからない、けれど惹きつけられてしまう

私が初めてお能を観たのは、能楽堂主催の鑑賞教室でのこと。12歳くらいの時でした。美しい装束や、楽器の音色や謡(うたい=節のついたセリフや唱歌)、優美な舞‥‥夢うつつの幻想的で美しい世界が広がっていて、よくわからないながら知らぬ間に引き込まれていました。それからおよそ20年の間に何度もお能を観る機会に恵まれましたが未だに「わかった」と言えません。
よくわからないまま、それでもまた観に行ってしまう。とても気になる。不思議な魅力に引き寄せられ続けています。

ご紹介にあたり、なんとかわかりやすい解説をお届けできればと思っていたのですが、なかなか一筋縄にはいきません。
説明しようとすればするほど本質から離れてしまう気さえします。白洲正子さんをはじめ、著名な方々が書かれた数々の解説書においても「能を説明することは困難、むしろ解説しようとすること自体が適切では無い」といった類のことが書かれていることもありました。 (解説書なのに!!)

しかし、その「難しさ」は他者を受け付けない閉鎖的なものではありません。
ストーリーは非常にシンプルですし、事前知識を持たなくても研ぎ澄まされた美しさを味わうことができます。
ただ、その奥深さゆえ、1度鑑賞したり解説されただけでは、きっと全てを理解し得ないのです。わからないからこそ、惹きつけられる。その魅力や根源にある「何か」をずっと探し続ける、問い続ける、そのこと自体が鑑賞の大きな要素にある芸能、と言えるかもしれません。

百聞は一見に如かず、まずは観てみる

平成29年国立能楽堂能楽鑑賞教室 能「黒塚」 (金春流)

そんな奥深い「能」の世界。まずは実際に鑑賞して感じ取ってみることからはじめてみよう!と、取材では、6月に国立能楽堂で開催された能楽鑑賞教室にお邪魔しました。

冒頭から、難しさを語ってしまいましたが、能楽堂に足を踏み入れることのハードルは高くはありません。様々な場所で公演や鑑賞教室が開催されています。服装も、かしこまった姿である必要はなく気軽です。社会人向けや外国人向けの解説付きの公演もあり、チケットを取っておけば、お仕事帰りにふらりと訪れることもできます。

鑑賞教室では、金春 (こんぱる) 流能楽師 山井綱雄 (やまい・つなお) さんによる解説と、狂言「附子 (ぶす) 」、能「黒塚(くろづか)」を10代の学生さんたちと一緒に鑑賞しました (一般的に能と狂言は一緒に上演され、2つを総称して「能楽」と呼びます) 。

能は、楽器の音色や声も耳に美しく響き心地よいので、上演中に夢の世界にぐっすり旅立った学生さんもちらほらいましたが (「良い能ほどよく眠れる」とも言われていますので、眠ってしまって堪能するという贅沢な鑑賞もアリかもしれません) 、終わった後に「あの部分が綺麗だった!」「あそこはこういう意味かな?」と感じたことを楽しそうに語り合いながら帰っていく学生さんたちも多く印象的でした。みなさんそれぞれに感じ入るポイントがあったのでしょうね。

公演後、山井さんにお時間をいただき、能への向き合い方をお尋ねしました。記事の後半でご紹介させていただきます。

神様の宿る、松の木の前で舞う「一期一会」の世界

能のルーツは千数百年以上もの昔、「散楽 (さんがく) 」という芸能に遡ります。平安時代に散楽から発展して生まれた「猿楽 (申楽=さるがく) 」が、能の直接の母体と言われ、神事の際に演じられるようになりました。

その後、室町時代に観阿弥・世阿弥親子が芸術性を高め、現在の能の原型が生まれました。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など多くの大名が愛好し、江戸時代には幕府の儀式を彩る役割を担ったと言われます。
明治維新〜第二次世界大戦時期にやや衰退するものの、世界でもその芸術性を高く評価され、2001年にはユネスコの無形文化遺産の一つに登録されました。

写真提供=国立能楽堂

庶民のためのエンターテイメントではなく、神事、武家社会における芸術へと育った能。1つの公演はたった1度きり。同じ演目を連続で公演することはなく、その場限り「一期一会」の芸能とも言われます。

舞台も独特です。元々は社寺の境内の一角 (屋外) に建てられていたため、現代の屋内に建てられた能舞台にもそのまま屋根が付いています。舞台の正面奥の板 (鏡板=かがみいた、と呼びます) には、神様が宿ると言われる松の絵が描かれており、この松の前のむき出しの4本柱に囲まれた舞台がメインステージとなって演目は進みます。
舞台袖の揚幕と舞台をつなぐ橋掛リ (はしがかり) の脇にも松が3本植えられており、それぞれ一ノ松、二ノ松、三ノ松と呼ばれ、順に松の背が低くなっており遠近感を演出しています。こちら側とあちら側の世界 (黄泉の世界) をつなぐ長い橋を表しているようにも感じられますね。なんとも非日常的で、この舞台を前にしただけでも異世界へ誘われたような不思議な気持ちになります。

曖昧な境界線、観客も参加することで完成する空間

舞台には幕がなく、上演中の客席も暗転しません。演目の始まりと終わりも曖昧です。始まる際には、「お調べ」と呼ばれるオーケストラのチューニングのような囃子方 (はやしかた=、笛、小鼓、大鼓、太鼓の奏者) の奏でる音が奥の部屋から聞こえてきます。音が消え、橋掛リの奥の揚幕が少しだけ開き、囃子方が橋掛リの端をそろそろと歩いて舞台へ登場します。
また、鏡板の脇にある小さな引き戸 (切戸口=きりとぐち、と呼びます) が開き、地謡方(じうたいかた=コーラス部隊のような役割)も舞台に出てきて静かに着座します。
この準備のような時間がすでに演能の一部なのです。

そうして舞台上が整ったところで、囃子方が楽器を奏で始め、演者達が登場して物語がはじまります。終演時も同様の曖昧さの中で終わります。そのため、演者が登場したときや、退場したときにも観客は拍手をしません。特に、内容が素晴らしかった時ほど、客席は息を飲み、シンと静まり返っているようですらあります。

能のストーリー展開はシンプルで、とても象徴的です。
道具も最低限のものだけ、演者の動きも決まった型によって構成された削ぎ落とされた世界。観客はイマジネーションを膨らませながら、そこに情景を見出したり、能面に喜怒哀楽の表情を見つけたりします。その時々に、私たち自身の持っている感性を投影しているのかもしれません。
また、話の筋を追うというよりは、そのストーリーのまとう「悲しみ」や「高揚感」そのものを味わっているように感じることもあります。能は静かなようでいて、とても情緒豊かなのです。静まり返った空間では、観客にもある種の緊張感が訪れます。そうした緊張感による集中力の高まりが、より一層の能の世界への没入感を生み出すようでもあります。

古くから日本では、「曖昧な空間は、異界への入り口」と捉えられてきました。
昼と夜の合間である夕方(「黄昏時」とも呼びますね)、廊下、道が交わる辻(つじ)、橋(能舞台にもかかっていますね)などでは怪異に遭遇しやすいと言われます。

シテ(主役)が演じるのは、鬼や幽霊など異界の者であることが多いのですが、物語ではじめに登場する、ワキ(脇役)がシテのいる異界へと観客を誘います。異界に行って戻ってくる(異形のものを成仏させる)というのが能の基本ストーリーですが、能鑑賞そのものも、能楽堂という異界への入り口を訪れ、曖昧な状況からはじまる物語の鑑賞を通して、知らず知らずに入り込んだ異界で、あちら側の者と向き合い、物語の終演をもってこちら側の世界に戻ってくるという行為にも見えます。

集中して能を鑑賞した後は、心地よい疲労感と心のリフレッシュ感を覚えます。
異界を疑似体験することを通して心を整え、生まれ変わった自分になってこちら側へ帰ってきているのかもしれませんね。

能楽師 山井綱雄さんに伺う、能の世界

金春流能楽師 山井綱雄さん

ここまで、鑑賞する視点から歴史や舞台、鑑賞例などお伝えしてきましたが、舞台上で演じている方々は、能とどのように向き合っているのでしょうか。
金春流能楽師 山井綱雄さんにお話を伺いました。
山井さんは、国内外での公演活動をはじめ、異なるジャンルの芸術家とのコラボレーション、大河ドラマでの能楽指導や能楽講座の講師を務めるなど、様々な形で能の普及に精力的に取り組んでいらっしゃいます。多様な視点から、興味深いお話の数々をお聞かせくださいました。

——— 初めて観た時、とてもシンプルなストーリーでわかりやすい一方で、なにか胸騒ぎがするような‥‥、削ぎ落とされた美しさや静けさの中にある情念のようなものをなんとなく感じて、「これは何なんだろう?どう捉えたらよいのだろう?」と、何かあるのはわかるけれど見えない、不思議な気持ちになりました。

「やはり前提として、能というのは簡単ではないのですよね。神事をベースとした成り立ちからしてもそうですし、(世阿弥の時代は少し違ったようですが)武士たちと出会ったことでストイックさを高めていったことによる要素もあると思います。武士道的なストイックさが加味されて、極限状態を作り出すことへ向かいました。
『静の中の動』と言いますか、じっとしているけれど、心の中は燃えたぎっているという状態です。ある格闘家の方が、能で演者が座っている様子を見た時に『高速回転している駒のようだね』とおっしゃっていました。じっとしているけれど、休んでいない。私たちは、立っていても中腰で構えていたり、座っていても楽ではない体勢をとっています。とてもキツい苦しみの状態です。能の型は、能楽師を極限に追い込む方向に出来ているのですよ。

これはどういうことかというと、植物を育てる時にあまり肥料をやりすぎたり甘やかしたりしない方が植物自身の生命力を使ってしっかりと育つというのに似ています。
厳しい限界の状況に追い込むことで、役に変身できる、独特の世界を生み出しているのです。能は一期一会なので、1度きりということへの緊張感も良い作用をしています。それがお客様にも伝わって、凛とした空気を作り上げているのではないでしょうか」

——— 緊張感がある中で集中して鑑賞していると、そのあとドッと疲れています。ですが、不思議な清々しさがあります。単にエンターテイメントを味わった後の「ああ楽しかった!」という感覚とも違っている気がします。

「こういった非日常性のある緊張感を持つ事って普段の生活にはあまり無いですよね。能楽堂という異世界で、日常のことを遮断して舞台に向き合う時間。どっぷりと能の独特の世界に身を委ねることで、心を整える。
能は元々神事ですから、心を清めてすっきりと浄化させるところがあるのだと思います。
ストーリーの展開を楽しむというよりは、人間の根源的なところにストレートに問いかけるような、理屈ではなく、頭で考える前の感覚的な深いところに訴えかけている。お客様もそれに知らず知らずに反応しているのだと思います。
思考するばかりでなく、自分をリセットして心を整える時間、現代人はなかなか経験できなくなっているので、能を通じてそのことに気づいてくださるのかもしれません」

——— 「問いで自分を整える」というと、禅のようですね。

「例えば最近ではIT長者の方々、それこそ故スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグなど、みなさん日課として座禅を組まれていますよね。マインドフルネス(瞑想)をはじめ、心を整えることを習慣づけている。もちろん、仕事の効率をよくするためなど目的は様々だと思いますが、人間が人間としていられるために心のバランスを整えることの重要性を知っています。
古くから、日本人には身近にあったことが今世界的に見直されています。非日常と日常を行き来することで心を整える、心を切り替えるということを日常的にやっていたのが日本人なのではないでしょうか。そういう場をみんな持っていた。能舞台もその1つだと思います。
例えば、戦国時代の大名たちは、陣中で能やお茶を楽しんでいたそうです。それだけ聞くと、とんでもないバカ殿かと思うかもしれません。ですが、そういった行為を通してきっと心を整えていたのだと思います。人間にとって必要な心のリセット、浄化作用があったのです」

——— 大変な状況に置かれた時こそ必要なことですね。もしかすると、現代のハードワーカーこそ観るべきかもしれません。

「現代人は、1回観てその瞬間にわかるかわからないかで判断をしてしまいがちです。能の世界は、あまりにも奥が深いのでとても1回では理解できません。それで『わからなかった、私が不勉強である、頭が悪い』と自分を責めてしまったりします。でもそれで当たり前ということを知って観ていただきたいですね。全てを理解できなくても、何か感じるものはあります」

——— きっと、そういう「わからないものが存在すること」自体にも価値がありますね。それを受け入れることが最初の一歩かもしれないと思いました。

「そうですね、まずは受け入れて、何かを感じてもらうだけでも十分だと思います。そういうことを重ねていけば、色々な気づきが出て来て味わえるものです。能には想像力が必要で、感受性を試されます。
演じる側も無から有を演じますが、観る側にも求められます。説明されるのを待つのではなく、自分から見つけに行く。そういう楽しみの存在を知っていただきたいですね」

——— 普段、ついつい「答え」を探してしまいますが、そうでない世界があると気づかされます。

「能には答えがありません。描いているものが人間そのものですから。だから簡単ではありません。能を観て何を感じるのかは千差万別。能は意図的なメッセージを置くことをしません。どう捉えていただいても、解釈していただいても構わないのです。1人の方が同じ演目を観たとしても、その時々できっと全く違うものに見えるはずです。それは、自分自身が移り変わっているから。

故・金春 信高先生(こんぱる・のぶたか=能楽シテ方金春流79世宗家)から教わった興味深い話があります。
能舞台にある松の絵の描かれた板は「鏡板」と呼ばれるのですが、なぜ「鏡」と言うのか?実はあそこに松は生えていないというのです。
能舞台の正面向こう側(正面客席側)にある松が、ただ映っている。つまり能舞台は客席(こちら側の世界)を映し出す大きな鏡なのだ、と。己を投影して見つめる、それが能であると。
自分が解釈していたこと、投げかけたことは全て自分への問いかけとして返ってくる。自分が変われば見え方が変わってくるということなのです」

——— 受け身の芸術鑑賞ではなく、自分の感性で映るものを見つめてみることに現代人に必要なことが詰まっているように感じました。新しい取り組みも様々されていますが、これからの能をどう捉えていらっしゃいますか?

「今、例えばマインドフルネスなど、東洋的な思想が学問領域でも注目されています。海外の大学を訪れた際など、いかに興味を持たれているかを実感しました。元々それを知っていた私たちが、今改めてそれらを正しく理解することが求められているのではないでしょうか。

理解し、生活の中に取り戻す。ただ昔通りにやれば良いということではなく、やはりそこは温故知新だと思います。今の時代にどう活かすか、今の時代を生きている芸術としてどう高めて行くか、非常に難しい問題です。古典としての能の公演の際にも、他ジャンルの方々とのコラボレーションや新しい取り組みを通しても常に問うています。

もちろん、そうした新しい取り組みに疑問を投げかける声もあります。保守もリベラルも両方の考えがあることが大切です。今後、保守の方から見ても『そういうものもありだね』と言われるものを生み出したい、そんな感覚をいつも持ち続けています。
また、新しい試みを通じて『本来の能とは何か?』という問いかけに立ち返ることにもなります。こうして問い続け、自分の答えを探していきたいと思っています」

——— ありがとうございました。

山井さんのお話を伺って、1度観ただけで判断しないというお話が印象的でした。
「わからないこと(答えがないこと)」の存在を受け入れること、問い続けることの大切さなど、日常の中でも重要な視点であるように感じます。観るたびに違って映る能の世界。その時々に感じたものを大切にしながら自分を省みると、また新しい発見がありそうです。
まずは鑑賞してみて、不思議な幽玄の世界に浸ったときに自分の心に何が映るのか?映し出された心を眺めてみるのもおもしろいかもしれません。

山井綱雄 (やまい・つなお)
金春 (こんぱる) 流能楽師。
(公社) 能楽協会会員。
(公社) 金春円満井会常務理事 (業務執行理事)。
1973年横浜市出身。國學院大學文学部卒。79世宗家故金春信高、80世宗家金春安明、富山禮子に師事。金春流能楽師であった祖父(故梅村平史朗)の影響で5歳で能「柏崎」子方にて初舞台。12歳で初シテ「経政」。以来、 「乱」「石橋」「望月」「道成寺」 「翁」「正尊」「安宅」等の大曲を披演。
金春流能楽師の会「座 SQUARE」同人。
山井綱雄公式サイト:http://www.yamaitsunao.com/

 

◆入門展 能楽入門
国立能楽堂の資料室では、企画展「能楽入門」が開催中です。面や装束、絵画資料などの国立能楽堂所蔵の能楽資料を中心に、能楽の基礎的な知識を交えて、わかりやすく展示紹介されています。
期間:2017年8月3日(木)まで
時間:10:00~ 17:00
休室日:7月18、24、31日
http://www.ntj.jac.go.jp/nou/event/426.html

面や装束、絵画資料などが展示されていて間近に観ることができます
能楽で使われる楽器の展示も
海外の方も多く来館するため、日本語以外の言語 (英語・中国語・韓国語) の資料も用意されています

◆国立能楽堂 9月公演
9月には4つの公演が予定されています。 解説付きの普及公演や、夜の特別公演もありますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

2017年9月6日 (水) 13:00開演
定例公演
 狂言「狐塚」  三宅 右矩 (和泉流)
 能 「大江山」 本田 光洋 (金春流)
 http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2017/9188.html?lan=j

2017年9月9日 (土) 13:00開演
普及公演
 解説・能楽あんない 梅内美華子 (歌人)
 狂言「蟹山伏」 善竹 隆司 (大蔵流)
 能 「天鼓」  當山 孝道 (宝生流)
 http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2017/9189.html?lan=j

2017年9月15日 (金) 18:30開演
定例公演
 狂言「月見座頭」山本 則俊 (大蔵流)
 能 「小督」  粟谷 明生 (喜多流)
 http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2017/9190.html?lan=j

2017年9月30日 (土) 13:00開演
特別公演
 能 「楊貴妃」 豊嶋三千春 (金剛流)
 狂言「宗八」  松田 髙義 (和泉流)
 能 「烏帽子折」観世銕之丞 (観世流)
 http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2017/9191.html?lan=j

<取材協力>
国立能楽堂
東京都渋谷区千駄ヶ谷4-18-1

文・写真 : 小俣荘子(舞台・公演写真:国立能楽堂提供)