伝統画材ラボ PIGMENTの岩泉さんに教えてもらう日本の画材 プロローグ 日本の伝統画材って?

こんにちは、さんち編集部です。
みなさんは、最後に絵を描いたのはいつですか?趣味で毎週末には描いているよ、という方もいれば学生時代の美術の授業が最後、という方もいるのではないでしょうか。全国の作家・アーティストの間で話題の伝統画材ラボが東京・天王洲アイルにあると聞きつけ、早速お邪魔することに。でも、日本の伝統画材ってどんなもの?

天王洲アイルの伝統画材ラボ「PIGMENT(ピグモン)」

伝統画材ラボ PIGMENTは、日本をはじめとするアジアに古来より伝わる4,500色に及ぶ顔料をはじめ、200を超える古墨、50種の膠(にかわ)といった希少かつ良質な画材を取り揃えた画材店。2015年にオープンしました。今までになかった、単なる画材屋さんではなく、画材も販売するけれど知識や技術を提供する「伝統画材ラボ」という形はもちろん、建築家・隈研吾さんによるインテリアデザインも日本だけでなく世界中で話題になりました。取材中も海外からのお客さまがたくさん。

竹の簾(すだれ)をイメージした天井が印象的(写真提供/PIGMENT)
竹の簾(すだれ)をイメージした天井が印象的(写真提供/PIGMENT)

学校の授業で使ったことがあるのは水彩絵の具やボトル入りの墨汁。日本の伝統画材なんて、見たこともさわったこともない!ということで、画材の研究で博士号を取得しPIGMENTの所長を務める岩泉慧(いわいずみけい)さんに日本の伝統画材のいろはを教えてもらうことになりました。教えて、岩泉さん!

今日の先生、岩泉さんです
今日の先生、岩泉さんです

すべての色の源、顔料

お店に入ってまず目に入ってくるのが、4,500色に及ぶ色とりどりの顔料たち。この美しい顔料たちが、実際の絵の具の原料になっていきます。

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「顔料は主に3つの種類に分けられます。うちのお店でいちばん多いのが有機顔料。いわゆる岩絵具と呼ばれるもので、天然の石や陶磁器で使用する釉薬を焼いたものを砕いてつくられます。それに対して合成無機顔料は人工的に作られた色の物質です。金属を酸化させたり、何かと化合させたり。石油系の染料を化学変化で顔料にさせた有機顔料なんかもあります。合成無機顔料でいちばん有名なのは本朱(ほんしゅ)ですね。硫黄と水銀を加工させたもので、水銀朱とも呼ばれるのですが、神社仏閣や仏像などにも使われている、あの朱色です。最後にパール顔料。キラキラと光るもので、よくお化粧品に使われています」

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このグラデーションに並んでいる岩絵具たちは、同じ原料からできているのですか?

「岩絵具はひとつのかたまりを砕いてつくられています。同じ石からできていても、粒子の荒さで分けていて、粒子が大きくなればなるほど色が濃く、小さくなればなるほど色が薄くなっていきます。また、粒子の大きさによって実際の絵の具にした時の質感も変わってきます。特に、天然の石はそのグレード(質)によって色や質感が大きく異なります。同じ粒子の大きさでも、同じ種類でもそれぞれが全然違う。金額も何倍かになったりもしますが、一概にどれが良い悪いではなく、使い手の方が自分の作品にあったものを選んでいかれます」

同じ種類の石からできていてもグレードによって色が全然違う
同じ種類の石からできていてもグレードによって色が全然違う

同じ種類でも、宝石に使われるような質が良いものはキラキラしていますね。

天然の接着剤、膠(にかわ)

次に紹介してもらうのは膠(にかわ)です。えっと、そもそも膠ってなんですか?

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「膠は動物の皮を煮出してつくられる天然の接着剤です。つくり方はいわゆるゼラチンと同じですね。魚やお肉の煮こごりで、あれを乾燥するとこれになる。口に入れても大丈夫ですが、お腹の保証はしません」

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「多く使われているのは牛や豚ですが、地域によって違います。昔はその地域ごとに膠をつくっていたので、山の地域だと熊、鹿、イノシシとか。逆に海の地域だと魚が多いですね。基本的に食べたものの余った皮を膠にします。なので、ヨーロッパだとうさぎが多かったり。変わったところだと使い古したカバンや靴、和太鼓(!)を膠にすることもあり、それはそれで個性のあるものができます」

どんな風に使うのでしょう?

「画材としては、顔料と混ぜて日本画の絵の具をつくります。絵の具は今ではチューブが当たり前のように流通していますが、本来的には絵の具は油絵の具にしても何にしても自分でつくっていました。ダヴィンチもミケランジェロも、大理石の板の上で顔料を混ぜて自分たちの色をつくっていた。そこに各工房のレシピがオリジナルであったので、同じ顔料でもそれぞれの個性のある絵の具ができたのです。チューブの絵の具ができたのは産業革命以降です。だからといってチューブの絵の具がダメだという話ではなくて、あれができたおかげで印象派の人が外で描けるようになった。チューブがなかったら印象派は生まれなかったともいえます」

ラピスラズリを好んで使ったというフェルメール・ブルーも、そうやって大理石の上で生まれたのですね。

「また、固形の墨には必ず膠が使われています。墨は硯(すずり)でするので、水に溶けなきゃいけない。他の人口的な接着剤では無理なんですね。だからといって他のものだとあの形に固められない。そのふたつの条件を満たすのが、唯一膠だけなのです」

一度溶かした膠は冷蔵庫で冷やし、また湯煎で溶かして使います
一度溶かした膠は冷蔵庫で冷やし、また湯煎で溶かして使います

画材以外の使われ方もあるのですか?

「今だと様々な接着剤があるけれど、昔は強い接着剤といえば膠だったので、大工さんや家具屋さんなど幅広く使われていたそうです。ヴァイオリンの製作には今でも膠が欠かせません。ヴァイオリンは、とりわけ質の良いものになればなるほどメンテナンスすることが前提。なので、いつか剥がさなきゃいけない。その時にボンドを使っているとうまく剥がれなかったり、板についたボンドを無理に削ると痛んで音色が変わってしまう。対して膠で接着していると、お湯で溶かして剥がすことができるので、木を痛めずに修理ができます」

水溶性であること。それが膠の弱点でもあり、長所でもあるのですね。

無限の色を持つ、墨

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「ところで井上さん、墨の色って何色ですか?」
黒…ですかね。
「そう。そう思いますよね。でもね、ただの黒じゃないんです」

「中国の古い言葉で “墨には五彩がある” という言葉があります。これは5色という意味ではなくて、無限にいろんな色が出せるという意味なのです。そのこころを科学的な視点も合わせてお話していきますね」

「墨には、大きく分けると2つの種類があります。ひとつは油煙墨(ゆえんぼく)。もうひとつが松煙墨(しょうえんぼく)です。このふたつはススの採取方法が違って、油を不完全燃焼させてできたススからは油煙墨、松のチップを燃やしてできたススを集めてつくるのが松煙墨です。それぞれ油煙墨が茶墨(ちゃぼく)、松煙墨が青墨(せいぼく)とも呼ばれるように、色が違います。ススの特性で、粒子が細かいほど赤っぽく、逆に粒子が大きくなると青っぽく見える。なので、油煙墨の方が粒子が細かいというわけです。試してみましょう」(もちろん例外もあります)

こちらが油煙墨
こちらが油煙墨
こちらが松煙墨
こちらが松煙墨

実際にそれぞれの墨を試してみると、色が全然違う。この違いが粒子の大きさで生まれた違いなのですね。

「それぞれの方法で採取したススを先ほどの膠と混ぜて墨をつくっていくわけですが、膠はタンパク質なので、食べものと同じように劣化していきます。つくったばかりの墨は、粒子同志がくっついている状態だったものを膠がひとつひとつの粒子を引き剥がしてくれている状態なのですが、それが劣化してくっつき始めると、しだいに粒子が大きくなり、すなわちそれが色が変化を生みます。墨屋さんは、きちんとしたものに限りますが、墨を100年持つように設計してつくっています。100年後にこの墨がどんな色を出すのか、そこまで想定してつくっているのですね。ワインと同じように、寝かせ方ひとつで色が変わる。そこがまたおもしろい」

硯(すずり)と墨の切っても切り離せない関係

「墨には切っても切り離せない重要な道具があります。硯(すずり)です。」
そう言って見せてもらったのはたくさんの硯の原石。こんなに種類があるんですね。

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「硯は墨にとってヤスリの役目を果たします。同じ1本の墨でも、硯の目の細かさで、磨(す)った墨の感じが全然違ってきます。また、同じ石の種類でできた硯でも、天然の石を使っているのでそれぞれ個体差がありますね。硯選びは墨を扱うときにはとても重要です」

意識したことはありませんでしたが、硯もこう見ると美しいですね。

「墨とか硯は中国が発祥なのですが、もともとは字を書くための道具です。当時、字を書くことができるのは一部の特権階級の人たちだけでした。字を書く道具を持ってること自体がステータスになる時代ですね。そういった背景から、装飾としての彫り物がある硯ができたり、石の模様にこだわるようにもなりました」

たかが水、されど水

「墨にとってもうひとつ重要な要素が、水です。たかが水ですが、水ひとつで墨が変わります。ちょっと試してみてください」

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同じ墨と硯を使って、硬水と軟水、それぞれ磨ってみます。硬水の方は、カリカリと音がして、削れているような感触。軟水の方はヌルッとなめらかな感触です。

「そうなんです。ここでも膠の特徴が影響していて、硬水にはあまり膠が溶け出さない、浸透しないのでガリガリと粒子が立った墨ができあがります。濃い色がはっきりと強く出る反面、薄い色だとすすけた感じになります。それに対して軟水には膠が溶け出しやすく、潤滑油になる。硯とのあたりが柔らかくなり、出来てくる粒子もなめらかです。濃い色はあまり強く出ない代わりに、やわらかく、薄くしていくと透明感のある綺麗な色が出てきます」

「こういったところから、水は文化にも影響を与えました。墨を使って絵を描いていた作家たちは、どういう絵にしようか、色を見て描いていた。中国でも硬水の地域に住んでいた作家は力強い印象の水墨画を描き、湖のほとりに住んでいた作家はやわらかい作品を残すようになった。日本も軟水なのでやわらかい作品が多いです。水ひとつが文化に大きく影響しているとも言えます。」

「これは料理の世界でも同じで、日本でお出汁の文化が発達した理由もそこにあります。実は、同じ日本でも水質は違うのですよ。これは東京と京都を行き来しはじめて改めて実感したことなのですが、関西の方が若干軟水です。昆布だしを綺麗にとって、その旨味を殺さないように薄口の醤油で味をつける。そうして京料理が生まれたのではないでしょうか」

水は文化を考えて行く上で実は結構重要な課題なのですね。

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「墨は、ススと膠という単純な組み合わせでできているけれど、条件ひとつで色が変わる、とてもデリケートな画材です。色を出すまでにいろんな要素が関わってくるので、無限の色、五彩があるといわれるようになりました。古代からたくさんの作家たちが、単なる絵の具の黒ではない墨の奥深さに魅せられてきました」


岩泉さん、ありがとうございました。はじめてのことばかりで、とっても勉強になりました。

「せっかく “さんち” ですから、もしよかったらそれぞれのつくり手さんのところに行ってみませんか?顔料と、墨と、日本で特に発達しているといわれている筆・刷毛もぜひ見てもらいたい。ご案内しましょう」

ぜひぜひお言葉に甘えて。ということで、次回はそれぞれの工房へお邪魔することに。日本の伝統画材たちが現代でどのように生まれているのか、とても楽しみです。

伝統画材ラボ PIGMENT
東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F
03-5781-9550
pigment.tokyo

文・写真:井上麻那巳

【金沢のお土産】落雁 諸江屋の「オトギクヅユ」

こんにちは、さんち編集部です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんにご紹介する “さんちのお土産”。今回は古都・金沢のお土産です。

加賀百万石の城下町として発展し、藩政時代には江戸や大坂、京都に次ぐ規模の大都市だったという金沢。古くから茶の湯の文化も発達し、同時に茶の湯に欠かせない和菓子の文化も育まれてきました。その中で、金沢和菓子の老舗、落雁 諸江屋(もろえや)のオトギクヅユが今回のお土産です。

左から、桃太郎、金太郎、カチカチ山、花咲か爺さん
左から、桃太郎、金太郎、カチカチ山、花咲か爺さん

落雁 諸江屋は江戸時代末期の嘉永2年(1849年)に創業以来160余年にわたり金沢の菓子文化を守ってきた、落雁を看板商品とする和菓子店。諸江屋の落雁は姿も美しく、古くから金沢の茶席を彩ってきたといわれています。落雁以外にも百万石ゆかりの菓子も多く取りそろえ、昔ながらの製法にこだわっている諸江屋。その一方で、生落雁にチョコレートを合わせたりといった現代にも愛される和菓子作りへの挑戦も忘れないという、古都金沢が誇る存在です。

“オトギクヅユ” という名の通り、箱にはおとぎ話のイラストが版画タッチで描かれています。手のひらにおさまるサイズ感も相まって、なんともレトロな味わいがかわいらしい。

箱の中の包装も愛らしい
箱の中の包装も愛らしい

中に入った粉末状の葛をあらかじめあたためておいたカップに注ぎ、熱々のお湯を少しずつ加え、ていねいに溶かします。溶けきってトロトロになったら、口の中をやけどしないようにそうっと一口。ほんのり甘い、上品な葛の風味におとぎ話のモチーフをかたどったあられがかわいらしいです。もともと落雁がルーツの諸江屋らしく、すっきりとしたシンプルな甘みがおなかにも心にもやさしいお味。

葛湯は栄養価が高く、身体があたたまると言われています。まだまだ寒いこの季節、北国の一杯であたたかく過ごしてください。

ここで買いました

落雁 諸江屋
石川県金沢市野町1-3-59
076-245-2854
moroeya.co.jp

文・写真:井上麻那巳

雪を愛でる、日本の雪柄手ぬぐい

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
この冬の、のこり雪を楽しむ「雪・雪・雪」企画。前回は、加賀の片山津で「中谷宇吉郎 雪の科学館」を訪れ、雪の結晶をたくさん満喫してきました。あれからどうにも、雪柄が気になって気になってしょうがない。今回は、日本の各地でつくられている手ぬぐいの中から、雪柄のものを探してみました。手ぬぐいは夏のイメージがあるでしょうか?この季節、雪柄の手ぬぐいを持って温泉なんていかがでしょう。雪見露天風呂気分になれるかもしれません。

260年の歴史を刻む「越後亀紺屋 藤岡染工場」の雪市松

新潟県・阿賀野市(旧水原町)で江戸時代にあたる寛延元年(1748年)に創業し、現在は8代目。さまざまな染めの技術を持つ「越後亀紺屋 藤岡染工場」の手ぬぐいは、「注ぎ染め」という技法でつくられています。型を起こし、布に重ねて糊を置き、そこに何度も染料を注いで、最後にバシャバシャとのりを落とす。時間をかけて仕上げた布は、しなやかな風合いに。こちらの雪柄は「雪市松」。伝統の市松模様に雪をイメージしたモチーフは、濃紺できりりと引き締まる伝統の色に染め上げられています。

老舗の安心感と確かな技術を感じさせるデザイン。
老舗の安心感と確かな技術を感じさせるデザイン。
シンプルな幾何学模様に、やさしい雪の華。お花のようにも見えます。
シンプルな幾何学模様に、やさしい雪の華。お花のようにも見えます。

地元の老舗とコラボした「hickory03travelers」の雪模様

「日常を楽しもう」というコンセプトで、さまざまなモノやコトをつくりだしている新潟の「hickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)」。新潟の老舗や伝統工芸品、地元のお店などとのコラボ商品も多く、新潟だからできることや、人と人とのつながりを大切に活動しています。実は、ひとつめにご紹介した「越後亀紺屋 藤岡染工場」と「hickory03travelers」とのコラボ商品が、こちらの雪模様の手ぬぐい。染工場の若い職人さんと一緒に、伝統ある文化を残したいという思いでデザインされたそう。同じ土地に住み、同じ志をもってつくられた手ぬぐいには、新潟愛が詰まっています。

「越後亀紺屋 藤岡染工場」の帯をまとった「hickory03travelers」の雪模様。
「越後亀紺屋 藤岡染工場」の帯をまとった「hickory03travelers」の雪模様。
柔らかなタッチの雪の結晶は、ほっこりあたたかい雰囲気。
柔らかなタッチの雪の結晶は、ほっこりあたたかい雰囲気。

種から育てた藍で染める「藍色工房」の藍染雪花

徳島県山川町は、日本で最初に藍を産業的に栽培した町といわれています。「藍色工房」は、伝統の阿波藍を残すために自ら農園で藍を育て、藍を生かしたものづくりを続けてきた工房です。しかし、この山川町の藍農家としてはなんと最後の1軒。徳島県全体では10年前まで90軒あった藍農家も今や30軒ほどに減少。藍は日本人が大好きな色ですが、農家の現状はとても厳しいものになっているのだそう。そんな貴重な種から育てた藍を使い、有松絞りの細やかな手仕事で布いっぱいに雪花の模様を染めた藍染手ぬぐいです。天然の藍がつくる色あいには、凛とした透明感があるように思います。

約400年も前から愛知県の有松に伝えられる「有松絞り」の技法で染められた雪花。
約400年も前から愛知県の有松に伝えられる「有松絞り」の技法で染められた雪花。
生地は「伊勢木綿」。やわらかな糸で織られた生地は使い込むほどに風合いが増すのだそう。
生地は「伊勢木綿」。やわらかな糸で織られた生地は使い込むほどに風合いが増すのだそう。

庶民の粋を守り続ける「戸田屋商店」の雪輪・雪だるま

東京日本橋で創業して140余年。手ぬぐいや浴衣など、日本の文化に欠かせない庶民の粋と伝統を守り育ててきたという「戸田屋商店」。手ぬぐいは鎌倉時代に誕生し江戸時代に広く普及したといわれていますが、近年では歌舞伎や舞踊の世界にも深く関わりがあることから、こちらでは「梨園染(りえんぞめ)」として知られています。梨園染の特色は「注染」であることと、その生地を独自に織っていることで、晒木綿の上質さも自慢なのだそう。職人の経験と技で染められた生地は、柄がくっきり生き生きと浮き出しています。

雪の結晶に見られる六角形の輪郭を意匠化した「雪輪」は、桃山時代の能衣装などによく見られた文様。よく見ると、地がほんのりとぼかし染めされていて深みのある色合いに。
雪の結晶に見られる六角形の輪郭を意匠化した「雪輪」は、桃山時代の能衣装などによく見られた文様。よく見ると、地がほんのりとぼかし染めされていて深みのある色合いに。
こちらは可愛い「雪だるま」。雪合戦や雪だるまづくり、子どもの頃は手が冷たくなるのも気にせずに遊びました。
こちらは可愛い「雪だるま」。雪合戦や雪だるまづくり、子どもの頃は手が冷たくなるのも気にせずに遊びました。
何か、もの言いたげな雪だるまくん、海苔を貼ったようなおにぎり顏がチャーミングです。
何か、もの言いたげな雪だるまくん、海苔を貼ったようなおにぎり顏がチャーミングです。

作り手への思いを込めた「あひろ屋」の六花・斑雪

「あひろ屋」は、野口由(のぐち・ゆき)さんが営む手ぬぐい屋さん。野口さんはちょっと面白い経歴をお持ちで、10代で着物の手描き友禅に携わったあと、自営業、会社勤めなどを経て(当時、会社にいながら)立ち上げた手ぬぐい屋が「あひろ屋」でした。野口さんがデザインし、日本各地の染工場さんで染めています。手ぬぐいづくりには染工場だけでなく、型紙屋さんや糊屋さん、生地屋さんなどそれぞれの技術が欠かせません。野口さんとつくり手の思いが込められた「あひろ屋」の手ぬぐい。今回の雪柄は浜松の染工場さんが「注染」で染めているものです。

一つとして同じ形はないといわれる雪の結晶「六花(りっか)」。白銀の世界を思わせます。
一つとして同じ形はないといわれる雪の結晶「六花(りっか)」。白銀の世界を思わせます。
「斑雪(はだれ)」は、降りつもった雪が消え残り、まだらになったもの。春先に溶けゆく儚い雪模様です。
「斑雪(はだれ)」は、降りつもった雪が消え残り、まだらになったもの。春先に溶けゆく儚い雪模様です。
地色のブルーの濃淡に白い雪がうつくしく浮かびあがります。(※2017年2月入荷分から、仕様変更により部分ぼかしは無くなります)
地色のブルーの濃淡に白い雪がうつくしく浮かびあがります。(※2017年2月入荷分から、仕様変更により部分ぼかしは無くなります)

広重の世界観を手ぬぐいに「広重美術館」の雪

最後にご紹介するのは山形県天童市の「広重美術館」のオリジナル手ぬぐい。江戸時代後期、江戸で有名な浮世絵師であった歌川広重(1797~1858)は、縁あって天童織田藩のために肉筆画を描いたのだそうです。広重の生誕200年にあたる1997年、天童に誕生した広重美術館。その10周年を記念して制作した手ぬぐいは、まさにしんしんと降り積もる雪をあらわしたもの。「広重が描く雪は、周りのすべてを静寂に包むような趣があり、雪国に住む私たちにとってもなじみ深く、しみじみと共感できます。」と、副館長の梅澤さんが教えてくださいました。「広重ブルー」とも称されるという、独特の美しい藍色のぼかし。手ぬぐいの上に広重の世界が広がります。

畳まれていると、一見、水玉模様のようにも見えますが・・・。
畳まれていると、一見、水玉模様のようにも見えますが・・・。
広げると一気に雪景色!しんしんと降り積もる雪の様子が「広重ブルー」によって、より白くうつくしく感じられます。右下には「広重美術館」のマークが染め抜かれています。
広げると一気に雪景色!しんしんと降り積もる雪の様子が「広重ブルー」によって、より白くうつくしく感じられます。右下には「広重美術館」のマークが染め抜かれています。

ひとことに雪柄手ぬぐいといえど、その産地やつくられた経緯、素材や技法もさまざまです。しかし雪の意匠を手ぬぐいの上に表現したいと思わせたのは、やはり雪が持つ魅力のせいでしょうか。ときには結晶、ときには雪玉、雪だるま。あたたかな春が来ると溶けてなくなってしまうのも、また一層愛おしいものです。
さてさて、雪への思いはますます募るばかり。次回は、雪の和菓子をご紹介します。春が来るその前に、もうしばらく雪道楽におつきあいくださいませ。

<取材協力>
「越後亀紺屋 藤岡染工場」
http://kamekonya.com

「hickory03travelers」
http://www.h03tr.com

「藍色工房」
http://aiironet.com

「戸田屋商店」
http://www.rienzome.co.jp

「あひろ屋」
http://www.ahiroya.jp

「広重美術館」
http://www.hiroshige-tendo.jp

文・写真:杉浦葉子

北九州市の「いま」を描き出す “雲のうえ”

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
旅をするなら、よい旅にしたい。
じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。第5回目は北九州市の「いま」を描き出す情報誌 “雲のうえ” です。

“雲のうえ” は福岡県北九州市の情報誌として2006年に生まれました。北九州市の魅力・姿を市内外の多くの方々に知ってもらいたいと、刻々と変わり行く北九州市の「いま」を毎号ひとつのテーマに沿って描き出しています。テーマは「松本清張」、「北九州市未登録文化財」、「ザ・関門海峡」など、北九州市ならではのものはもちろん、「銘店巡礼」、「おやつの時間」など北九州市のことを知らなくても、またはずっと暮らしていても、誰にとってもとっつきやすいテーマもピックアップされています。

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22号のテーマ「北九州うどん」、24号「おやつの時間」では、それぞれの “雲のうえ” を見てたくさんの地元の方が掲載のお店を訪れ、改めて北九州市の魅力を感じたといううれしい反応も多くあったそうです。また、23号「北九州の製鉄所」では、世界文化遺産に登録された官営八幡製鐵所を取りあげたことで、北九州市の歩みを語るうえで忘れてはならないこの仕事を、当時を知らない若い世代にも伝える役割を果たしました。

“雲のうえ” の制作・編集スタッフは、 アートディレクターの有山達也さん、画家の牧野伊佐夫さん、編集・執筆のつるやももこさんといった一流のつくり手ばかり。これまで当たり前だった、自治体制作のローカル情報誌のトーン。その枠を超えた高いクオリティと北九州市のチャレンジは、2006年当時から広告業界を中心に大きく話題となり、たくさんのフォロワーも生みました。

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地元の人による地元発信のメディアの良さ、純度の高さはもちろんあるけれど、東京を拠点する一流のつくり手たちと二人三脚でつくられていくからこそできることがあり、11年間にわたってさまざまな人を巻き込んでいける北九州市の姿勢には学ぶべきところがたくさんあるように感じました。

ここにあります。

スターフライヤーの機内、東京・大阪・北九州の空港ターミナル、東京、福岡県内の書店、北九州市内の観光案内所・区役所・ホテルなどで配布。郵便での送付申込みも行っています。
詳しくはこちらのページから。
www.lets-city.jp/03_kumonoue-about.php


全国各地のローカルマガジンを探しています。

旅をもっと楽しむために手に入れたい、全国各地から発信されているローカルマガジンの情報を募集しています。うちの地元にはこんな素敵なローカルマガジンがあるよ、という方、ぜひお問い合わせフォームよりお知らせくださいませ。
※掲載をお約束するものではございません。あらかじめご了承ください。

文・写真:井上麻那巳

オチビサンと巡る四季の鎌倉 〜水仙の花ひらく冬編〜

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
『オチビサン』という漫画をご存知でしょうか。『オチビサン』は『働きマン』などで知られる安野モヨコさんの漫画作品。安野さんが過労に倒れてほとんどの漫画の連載をストップしたとき、唯一連載をやめなかったのが、実はこの『オチビサン』なのです。鎌倉に暮らす安野さんが愛する鎌倉の四季や自然と共に描くオチビサンたち。彼らといっしょに潮風香る古都、鎌倉の街を巡っていきましょう。

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鎌倉時代から受け継がれてきた名刀正宗を訪ねて

『正宗』といえば、鎌倉時代に生まれた最もその名が知られている日本刀のひとつ。実は、刀の名前であると同時に刀匠(とうしょう)の名前でもあります。初代『正宗』から数えて24代目となる刀匠が今でも日本刀をつくっていると聞いて、正宗工芸美術製作所に向かいました。正宗工芸美術製作所は鎌倉駅から歩いて5分ほど。踏み切りを渡ってすぐ、左手に見えてきます。

カンカンという音につられて奥へ行くと…

つくってる!と、そのまま工房へお邪魔して見学させてもらうことに。中で作業していたのはこの工房に来て24年目というお弟子さん。刀鍛冶というと怖そうなおじさんをイメージしてしまいますが、とっても気さくな方で、刀鍛冶のことや刀鍛冶になった経緯についてお話してくれました。刀鍛冶になるには実は「美術刀剣刀匠」という国家資格が必要なこと。アメリカに留学中に刀に興味を持ち日本へ帰って来たものの弟子入りはかんたんではなかったこと。笑いまじりに話しながらも手は作業を止めません。

「ちょっと飛びますからね。危ないですよ」と言われた次の瞬間…

うわあああああ
うわあああああ

火の粉が大きく飛び散り、ヒヤヒヤ。ヤケドしないんですかと聞くと、「もうね、ヤケドとヤケドがくっついちゃって、よくわかんないのよ」と笑います。職人の気概を感じずにはいられませんでした。現在は刀匠の資格を持っている人が300人ほど。でも、そのうち今でも刀をつくってる人は150人いるかいないかだそうです。

鋼のかたまりをカットして、折りたたみ、ミルフィールのように層をつくっていきます。この作業をくり返して、最終的には2万もの層ができあがるのだとか。気の遠くなるような回数です。

こちらは5回目が終わったところだそう
こちらは5回目が終わったところだそう

工房見学もひと段落し、お店で完成した日本刀を見せてもらうことに。ガラスケースから出して実際に目の前にすると、圧倒的な存在感に背筋がピンとのびます。と同時に、美しい刀身に鎌倉時代から続く職人の技を感じました。

刀匠の名が刻まれています
刀匠の名が刻まれています

腹が減っては戦はできぬ。鎌倉野菜たっぷりランチ

工房見学についつい夢中になり、すっかり時間はお昼前。見学中は気がつかなかったけれど、すっかりおなかがなる時間になりました。腹が減っては戦はできぬ。鎌倉の歴史と刀匠を技を感じた後は、腹ごしらえに向かいます。

到着したのはなると屋+典座(なるとやぷらすてんぞ)という一風変わった店名の和食屋さん。典座(てんぞ)というのは、禅宗寺院の役職のひとつで、いわゆる食事係の僧なのですが、食事の調理、喫飯も重要な修行とする禅宗では特に重要な役職とされています。その名前を冠したこちらのお店のお料理は、精進料理をベースにした、野菜だけのメニューが評判とのこと。

店内にはめずらしい野菜もゴロゴロ
店内にはめずらしい野菜もゴロゴロ

ランチメニューは月替わりの定食と葛とじうどんの2種類で、どちらもお魚やお肉ではなく、野菜が中心。どれも冷えた身体にやさしいお味でした。

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1月のごはん。手前のお椀は金時人参のスープ
1月のごはん。手前のお椀は金時人参のスープ
葛とじうどんと旬のお野菜を使った惣菜のセット
葛とじうどんと旬のお野菜を使った惣菜のセット
トロトロで具沢山。あったまります
トロトロで具沢山。あったまります

こだわっているわけではないけれど、鎌倉のお店なので自然と鎌倉野菜が多いとお話してくれたのは、13年前に27歳で独立したという店主のイチカワヨウスケさん。ひとりひとり、毎回異なるもので提供されるうつわは、イチカワさん自らが選び、少しづつ買い集めているそうです。肩ひじはらず、自然体な店主の姿勢が素材のおいしさを引き出すやさしいお料理を生んでいるのかな、と感じました。今年の春頃には野菜をつかったお料理のレシピ本も出版されるとのこと。そちらもたのしみです。

店主のイチカワヨウスケさん

あったかくてやさしいごはんですっかり身体もあたたまり、午後は北鎌倉へと向かいます。

奥信濃のイケてるじいちゃん・ばあちゃん×ストリートカルチャー “鶴と亀”

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
旅をするなら、よい旅にしたい。
じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。第4回目は長野県奥信濃のイケてるじいちゃん・ばあちゃん×ストリートカルチャーを発信するフリーペーパー “鶴と亀” です。

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かっこいいですよね…!カラフルな作業着で農作業をするおばあちゃん、MA-1を着て原付を飛ばすおじいちゃん、笑顔で雪かきをするおばあちゃん…。どこかで見たことあるようなおじいちゃん・おばあちゃんの日常がストリートカルチャーの視点で切り取られたスナップは、奥信濃の自然とも相まってとってもフォトジェニック。私たちが想像する田舎のおじいちゃん・おばあちゃんとは違った一面を見せてくれます。

編集部は小林徹也さん(兄)と小林直博さん(弟)の兄弟編成。弟の直博さんは奥信濃で育って大学時代を埼玉で過ごしたのち、現在は再び奥信濃で暮らしています。写真は編集部自らが近所のおじいちゃん・おばあちゃんに声をかけて撮影していくスタイルだそうです。この表情を引き出せるのは地元っ子ならでは。

編集部の小林兄弟とおばあちゃん(左から兄、祖母、弟)。
編集部の小林兄弟とおばあちゃん(左から兄、祖母、弟)。

“鶴と亀” の始まりは、物心ついた頃からHIPHOPやストリートカルチャーに興味を持ち、東京に人一倍憧れていたと語る直博さんが埼玉から奥信濃へ帰省していた時のこと。ふいにおじいちゃん・おばあちゃんの着こなしに、原宿を歩いてる子たちを見るような感覚を覚えたそうです。近所のおじいちゃんのMA-1ジャケットに、手ぬぐいとキャップのレイヤード、柄に柄を合わせるコーディネート。「HIPHOPっぽい!かっこいい!」と、“鶴と亀” 独特の目線が生まれました。

奥信濃スタイルをサンプリングしたという「JA CAP」を商品化。かっこいいです。
奥信濃スタイルをサンプリングしたという「JA CAP」を商品化。かっこいいです。

自分が今まで退屈だと思っていた世界がこんなにかっこよかったなんて。もともと相当なおばあちゃん子だったという直博さんの目標は「自分が奥信濃で暮らし続けること」。その上で、おもしろいこと、かっこいいことを奥信濃から発信して、奥信濃はそれが出来る場所だということを表現していくことが、今一番大事なことだと語ってくれました。

次号は2017年春頃に第五号を発行予定だそう。2013年8月の創刊からTwitterなどの口コミでどんどん人気となり、最近では配布分がすぐに無くなってしまうようです。気になる方はぜひお早めに。

第壱号+第弐号+第参号+未公開写真が合本になった「鶴と亀特別号」も販売しています。
第壱号+第弐号+第参号+未公開写真が合本になった「鶴と亀特別号」も販売しています。

ここにあります。

長野県内、東京を中心に、日本各地の書店などで配布しています。
詳しくはこちらのページから。
鶴と亀 設置場所


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文:井上麻那巳
写真提供:鶴と亀