日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介します。
連載6回目は巳年にちなんで「きびがら細工のへび」を求め、栃木県鹿沼市にあるきびがら工房を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。
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東京を出て列車で北へ。個性的な技法に興味を抱いた、きびがら細工の蛇に会いに行く。線路沿いに見える水田は、住宅に接し、見渡す限りあちこちに広がっている。水が土に入れ替わった光景は、西洋人の私には驚くべきものだ。
目的地、鹿沼の駅のホームで若い女性が待っていた。彼女が職人だ。田舎にある自宅兼アトリエまで車で連れて行ってくれる。
到着するやいなや、前置きなしに庭に案内された。
というのも、ここで、必要な箒きびを栽培しているからだという。成長すると1.5メートルほどの高さになる。「この植物が絶えないように自分で栽培しないといけない」と彼女は言う。
切った後、茎は乾かされ、束ねられる。小さな干支の動物や箒になるのを待っている。
そして工房へ。伝統的な日本間で、家具はない。部屋の奥の畳の上に、木でできた素朴でシンプルな作業道具と座布団が置かれている。
どうやったら長い時間、あぐらをかいていられるのだろう?私には想像もつかない。
壁に掛けられた時計のチクタクという音だけが聞こえ、静けさと穏やかさが漂っている。彼女のことをうらやましく思う。私は、どこへ行くでもないのに、あちこち走り回りすぎるのだ。
猫も静かで穏やかだ。疲れを知らずに繰り返される彼女の手作業を飽きずに眺めているようだ。
箒きびを濡らして柔らかくして扱いやすくしてから、蛇の制作にとりかかる。
何千回も繰り返す、きびきびとした動作。そして、茎から小さな蛇が生まれてくる。
素早い手さばきで、あっという間に3匹できた。取材する私たち3人にひとつずつ。ぽかんとしてしまった!
3匹のへびは仲間に合流し、かごの中へ。形を保てるように太陽のもとで乾かすのだ。
全員集合の時がきた。十二支の中に、私の小さな蛇がいる。
15時。東京へ戻る時間だ。列車を待ちながら、彼女のことを思う。たったひとりできびがら細工の全ての工程を行っている。原材料の栽培から完成まで。彼女がいなかったら、きびがらの蛇は消えてしまうのだ。それは悲しすぎる。
列車に乗り込む前、ホームの反対側の写真を撮った。柱にタイヤが巻きついていて、まるで蛇を思わせる。鹿沼で生まれた小さな蛇は、ポケットに入って私と一緒に旅を続ける。
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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子
Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。
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日本で唯一のきびがら細工職人
ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、鹿沼市で箒づくりの一端からきびがら細工が生まれた理由や、きびがら工房を訪ねて教えてもらったきびがら細工の詳細な製造工程(材料の栽培まで!)をご紹介します。
栃木県の鹿沼地方は、江戸時代の古文書に鹿沼の箒職人の記録が見られるほど、昔から農家の副業として座敷箒づくりが盛んなところ。かつては全国一の生産量を誇っていました。
水はけの良い鹿沼の土が、箒の材料となるほうき草の栽培に適していたため、ほうき草の産地となり、また良質な材料が採れることから、自分たちでも箒を作り始めたそうです。
「鹿沼箒」は、大型かつ丈夫で長持ちなのが特徴。目減りしてきたら、編み糸を下から外していき、座敷掃き、土間掃き、そして外掃きへと使い続けられる。しかし、その技術がなくなりつつあるといいます。
箒の材料は、ホウキモロコシ(ほうき草)というイネ科の一年草です。中国から日本へ渡ってきたことから、「唐黍(とうきび)」ともいいます。「きびがら細工」とは、この黍(きび)のガラ、つまり箒づくりの廃材でつくる人形のことです。
そのきびがら細工をつくる「きびがら工房」の創業は大正7年。代々鹿沼で箒屋を営んでいた家系の初代が、分家して工房を立ち上げました。
当時は、座敷箒をつくっていた工房が市内に1000軒もあったといいます。しかし、昭和30年に掃除機が誕生したことで、鹿沼箒の需要は激減し、昭和42年には箒屋が18軒にまで減ったそうです。
そんな時代の真っ只中、二代目の青木行雄さんが、箒づくりの技と材料を違う形で残そうと、鹿沼の白鹿伝説にちなんで、鹿の郷土玩具を作ったのがきびがら細工の始まり。昭和37年のことだといいます。
またその2年後、東京オリンピックが開かれた昭和39年の干支「辰」のきびがら細工を創案して販売したところ大人気に。これをきっかけに、毎年買い揃えてもらえるようにと、十二支のきびがら細工が誕生しました。
現在、きびがら細工を作るのは祖父の跡を継ぐ三代目の丸山早苗さん。日本で唯一のきびがら細工職人であり、年間にすると2500個ほど作っておられるそうです。
「両親がお店をやっていたため忙しく、子供の頃から祖父の工房で過ごして育ったので、祖父が大好きでした。11年前に祖母が亡くなってから、箒作りのお手伝いを始めたのがきっかけです」
当然、跡を継ぐのは簡単ではなかったそうで、「箒づくりは力仕事のため女性職人が少なく、周りに反対もされました。」と、丸山さんの言葉には前途多難を乗り越えた強い意志がにじみ出ていました。
必要な素材は、育てるところから
丸山さんのきびがら細工作りは、箒の材料となるほうき草を育てる工程と、人形を作る工程の大きく二つに分かれます。
まずは、ほうき草を育てる工程。
1)5月「種まき」
収穫が手刈りで一気に刈り取れないので、2週間おきに植えます
2)8月~9月半ば「刈り取り」
この頃には150cmくらいまでに成長
3)「種の採取、湯通し」
タネを採った後、殺虫と成長止めのため、5~30分お湯に浸けます
4)「天日干し」
3日~1週間ほど外で日光に晒します
以前に、ほうき草の栽培者がいなくなり材料が手に入らないことがあったことから、ほうき草の栽培は近くの農家さん2軒に依頼した上で、さらにもしもの時に備えて、自身の畑でも栽培して種を保存する徹底ぶり。
「栽培技術が一度途絶えているので、肥料の具合や水のタイミング・量など、箒が作れるように育つのかまだうまくつかめていないんです」
収穫したほうき草のうち、箒をつくれる材料に育っているのは2割に満たないといいます。そして、その残りがきびがら細工の材料となるわけです。ほうき草の供給としては不足していますが、小さい箒にするなどして地場産材だけで作ることにこだわっているそうです。
また、職人さんなのに指先がきれいなのが気になり伺うと、
「材料に農薬や薬を一切使っていないので、手が荒れないんです。修行時代はよく手を切って傷だらけにしていましたが(笑)」
と、ほうき草の栽培は、農家さんが自身で作っている米ぬか、おから、ビール粕などの有機肥料のみを使用した無農薬栽培と、こちらも徹底しています。
続いて、人形を作る工程。
1)ほうき草を水で濡らす
2)ほうき草数本を束ねて糸で編む
3)針金とゴムで留めて完成形をつくる
4)天日干し
ほうき草は育った環境によって表皮の硬さや筋の入り方が1本ずつ異なり、柔らかい・曲げにくいなど、素材の「タチ」といわれる個性があり、慣れるまではそれを見極めるのが難しいとのこと。
丸山さんは小さい頃からほうき草で遊んでいたので、草の目を読むのが得意なのだそうです。余裕がある時は、手元にある材料を見て何を作るか決めることもあるとか。
きびがらを編んでいく手元では、へびが淡々と同じ方向にとぐろを巻きながら成長していきます。デザインは、先代のものから微妙に替えてつくっているといいます。
「自分が最高だと思うきびがら細工を作ればいい」という先代の言葉を胸に、「作り方は以前とまったく同じですが、リアルに作ろうとしていた先代に比べて、絵的な感じで子どもがぱっとみても何かわかるものを目指している」
と、三代目らしいものづくりを目指されているようです。
古来より箒は「安産祈願」、「災いを掃き出す」などと言い伝えられてきました。その廃材で作られるきびがら細工も同じように、丸山さんが使い手の幸せと健康を祈り、一個一個心を込めて作られています。
その功績が認められ、昨年12月には「鹿沼きびがら細工」が栃木県の伝統工芸品に認定されました。
さて、次回はどんないわれのある玩具に会えるのでしょうか。
「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第6回は栃木・きびがら細工のへびの作り手を訪ねました。それではまた来月。
第7回「大分・北山田のきじ車」に続く。
<取材協力>
ぎびがら工房
罫線以下、文・写真:吉岡聖貴
「芸術新潮」3月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。