米軍基地があり、佐世保バーガーや夜の外国人バーなど独特の文化で知られる佐世保。異国情緒ある街を歩くと、あるモチーフが目に入ってきます。
まずは駅。JR佐世保駅の改札をでると…
モチーフの正体は佐世保独楽。
長崎県の伝統的工芸品指定を受けている、佐世保の郷土玩具です。
他県からやってきた人たちを出迎えるように、駅には巨大な佐世保独楽が設置されていました。
それにしてもユニークな形。日本各地には100近い独楽の種類があるそうですが、佐世保独楽は全国的にも珍しい「らっきょう型」に分類されるそうです。
佐世保市民なら一度はこの独楽で遊んだことがあるとか。
今日は港町・佐世保のもう一つの顔、独楽を探して街を歩いてみましょう。
佐世保の独楽は喧嘩が得意!?
早速、駅を出たところで独楽を発見。
実はこの絵、2つの独楽が並んでいるのがポイント。
佐世保独楽は独楽同士を激しくぶつけて戦わせる独楽なのです。
そんな遊び方から、ついた別名が「喧嘩独楽」。なんと「喧嘩ごま」という名前のお菓子まで佐世保市内にはあります。
それがこちら。
作ったのは佐世保市内にある和菓子屋「松月堂」さん。
松月堂は、佐世保で創業113年を誇る老舗和菓子屋です。初代の池田松吉さんが廻船問屋から転身し、当時日露戦争の特需に沸く佐世保で一旗あげるべく、和菓子屋を立ち上げたそう。
現在は、4代目である池田育郎さんがその味を守りつつ、オリジナル商品を生み出しています。
「喧嘩ごま」のお菓子も池田さんが発案した一つ。やはり池田さんも子どもの頃は独楽で遊んだそう。
「子どもの頃から、公園などで喧嘩独楽をしていましたね。だから、『独楽』っていったら、この形が普通だと思ってました(笑)」
銘菓「喧嘩ごま」誕生物語
銘菓「喧嘩ごま」が誕生したのは、およそ20年前。市内にある亀山八幡宮の秋の例祭「佐世保くんち」で、松月堂のある上京町が6年に一度回ってくる「踊り町」という当番に当たった時のことでした。
「踊り町になると、出し物をするんです。それまでは『川船』という木造の船を男衆が引いたり回したりしていたのですが、趣旨を変えて何か新しい出し物をしようということになって。そこで出たのが佐世保独楽だったんです。独楽の美しさや回る時の元気のよさ、それらを表現した出し物をやることにしました」
独楽の踊りに、独楽の歌、そして駅にあった巨大な独楽のモニュメントも町のみんなで作ったのだそう。その際に、佐世保独楽にちなんで考えられたお菓子が「喧嘩ごま」でした。
卵の黄身が主原料の和菓子の焼き生地「桃山」で、こしあんと蜜漬けした栗を包んだお菓子。ひとくち食べると、栗の風味が口に広がります。
佐世保独楽の独特な形を再現するために苦労したのが、型づくり。業者に依頼してもなかなか思い通りのものが出来上がらなかったといいます。
「結局、うちの工場長がかかりつけの歯医者さんから入れ歯などを作るときに使うシリコンを分けていただいて、それでまず独楽の型をとって、木型に起こしたんですよ」
くぼみの部分には、食紅などで一筆ずつ線を入れて着色していき、佐世保独楽の鮮やかな模様を表現。
「本来の佐世保独楽には5色の線が入っているのですが、お菓子の『喧嘩ごま』には5色ないんですよ。それをどう佐世保独楽らしい雰囲気に再現するのかは、ちょっと難しかったですね」
こうしてさまざまな工夫を重ねて、見事にお菓子の「喧嘩ごま」が生まれたのでした。
ちなみに、「喧嘩ごま」ができたばかりの頃に買っていかれたのは意外にも町内の方が中心だったそう。
「作った時には珍しがられましたね」と池田さん。
子どものおもちゃから工芸品へ。佐世保独楽の現在の形
さまざまな形で佐世保の街に溶け込んでいる独楽。ここまでくると、実物を見たくなってきました。
かつては佐世保の子どもなら一度は遊んだことがあった佐世保独楽も、今では身近なおもちゃというよりは工芸品の一つとして特別なものになっているそう。
そんな現在形の佐世保独楽を作っている場所があります。
松月堂さんもお菓子作りの際に許可をとったという、現在では唯一の作り手となった佐世保独楽本舗さんです。
次回、佐世保独楽本舗さんを訪ねて、この街と深く繋がっている佐世保独楽のことを教えてもらいます。
<取材協力>
御菓子司 松月堂
長崎県佐世保市上京町5-6
0956-22-4458
https://www.showgetsudow.co.jp/
文:岩本恵美
写真:藤本幸一郎