郷土玩具になって台所を守る、福の神の奥さま

個性的で愛らしい郷土玩具たち

みなさん、「郷土玩具」と聞いてどんなものを思い浮かべますか?もしかすると、おばあちゃん家にあるような、ちょっぴり渋い人形を思い浮かべてしまうかもしれません。でも、そんな先入観で郷土玩具を一括りにしてしまうのは、もったいない!

日本各地には、実に個性的で愛らしい郷土玩具があります。郷土玩具は、読んで字のごとく、“郷土”に根ざした“玩具”。一つひとつ手作りされ、土地の人々の手で伝えられてきた玩具です。

どれも似ているようで、似ていない。それは、その土地ならではの文化や歴史、風習を映し出す鏡のようなものです。

郷土玩具を手にすれば、その土地をもっと深く理解できるはず。

そんな思いから各地の魅力的な郷土玩具を紹介する「さんちの郷土玩具」。

今回は、鹿児島の「オッのコンボ」に会いに行ってきました。

オッのコンボは、あの福の神の奥方様

オッのコンボ

丸みのあるシルエットに、穏やかな笑みを浮かべた表情。見ているだけで、思わずこちらも笑顔になってしまう、こちらが「オッのコンボ」です。

このユニークな名前は、鹿児島の言葉で「起き上がり小法師」という意味。その発祥は定かではないものの、少なくとも島津藩の藩政時代には鹿児島地方の家々にあったといいます。

鹿児島地方では、昔から台所に大黒様を祀る風習があり、オッのコンボは大黒様の奥方なんだとか。そのため、大黒様と一緒に台所に供えるのが習わしになっています。

オッのコンボ
大黒様の手前が定位置

「家族の人数+1」に込められた願い

毎年2月はじめごろ、鹿児島各地には初市が立ち、人々は1年間見守ってくれたオッのコンボを納め、新たなオッのコンボを出迎えてきました。

必ず家族の数より一つ多く買って帰り、家族全員分の幸せはもちろん、一つでも多くの幸福が訪れるようにと願いを込めて祀るのだそう。あわせて、丈夫で賢い子どもを一人でも多く授かるようにという祈りも込められています。

今でこそ、オッのコンボを見かける初市は少なくなっていますが、鹿児島市にある照国 (てるくに) 神社の初市では今でもオッのコンボに出会うことができます。

オッのコンボを作り続ける、唯一の工房へ

そのオッのコンボを作っているのが、鮫島金平 (さめしま かねひら) さん、トシ子さん夫婦が営む鮫島工芸社です。現在、オッのコンボを作る唯一の工房で、もともと竹製品などの工芸品を手がけていたといいます。

オッのコンボ
この型の上から和紙を重ねて、形を作っていきます。下部は土でできていて、倒れてもしっかり起き上がる構造に

「手にした人が健やかに幸せをあずかれるように」との思いを込めて手作りしているオッのコンボは、一つとして同じものはありません。その形も表情もさまざま。

オッのコンボ
一見同じように見えて、見れば見るほどに違って見えてきます
オッのコンボ
絵付けでは目が一番大事とのこと。目は口ほどにものを言うようです

最近は黄色や白のオッのコンボも作っているものの、基本の色は赤。胸の部分に描かれている花のような模様は「太陽」なんだそう。「桜島の上に太陽が昇って、朝日が広がっているのと同じでしょ。おめでたいんです」と鮫島さん。

郷土玩具は、信仰玩具

鮫島工芸社でオッのコンボを作り始めたのは35年ほど前。実は、オッのコンボ作りは太平洋戦争で初市とともに一時期途絶えてしまったことがあるのだそう。

小さいころから大黒信仰が身近にあった鮫島さんは、家族に連れられて行った初市の思い出が原体験となり、オッのコンボを復活させたいと思い立ったといいます。

「オッのコンボはただのおもちゃじゃなくて、信仰玩具。鹿児島の家では、昔から台所に大黒様を祀る棚を作って、毎日柏手を打っては『今日も一日安全でありますように』と祈ってきました。そんな風に農村や漁村だった時代から、ずっと定着してきたものなんです」

オッのコンボ
鮫島工芸社の鮫島金平さん、トシ子さん夫妻

鮫島さんがオッのコンボを復活させてからというもの、毎年オッのコンボを買い求める人で賑わう初市。その賑わいは、鹿児島の人々の信じる心を物語っているようです。

<取材協力>

鮫島工芸社

住所:鹿児島県鹿児島市武2-2-14

TEL:099-255-0928

文:岩本恵美
写真:西木戸弓佳

こちらは、2018年1月26日の記事を再編集して公開しました

火鉢の老舗から、金沢のカフェ愛用の小さなトレーができるまで

かゆい所に手が届く。

そんな、心を鷲掴みにされる工芸品を金沢で見つけました。

金沢を旅したことがある人は、カフェやレストランなどで、この小さなトレーを見かけたことはありませんか?

ちょこっとトレー

その名も「ちょこっとトレー」。コースターとトレーが一体となった、まさに“ちょこっと”何かを載せるのにとっても便利なトレーです。

この「ちょこっとトレー」を手掛けているのは、金沢市瓢箪町にある1913年 (大正2年) 創業の老舗、岩本清商店。創業以来、「金沢桐工芸」を作り続けています。

岩本清商店外観
老舗の風情を感じさせる店構えです
岩本清商店内観

雪国ならではの工芸品として始まった桐工芸

金沢桐工芸の始まりは定かではなく、室町時代とも江戸時代ともいわれています。その原点は、暖房器具として必需品だった火鉢でした。雪深く寒い地方では木目の細かい良質な桐が育ち、軽くて耐湿性・耐火性が高い桐は火鉢の原材料として最適なんだそう。

岩本清商店

桐の原木をろくろ挽きして乾燥させ、表面を焼き、ぷっくりと盛り上がった錆上げ蒔絵を施すのが一般的な金沢桐工芸の特徴です。

金沢桐工芸

岩本清商店でも火鉢を生産していたそうですが、1960年代になると生活様式の変化とともに、電気ストーブや石油ストーブなど他の暖房器具に取って代わられ、火鉢の需要が減少していきました。そこで、岩本清商店では花器や茶道具などの小物の生産に切り替えていったのだそう。とはいえ、火鉢が生活必需品であった時代と比べると、桐工芸の職人の数は激減していったといいます。

引き算の発想で「自分たちが使いたいもの」に

まさに希少伝統工芸となった金沢桐工芸。岩本清商店でも職人は四代目の岩本清史郎さんだけとなっていました。

そんな中、「もう少し何とかできるのではないか。何かちょっとやってみよう」との思いで、清史郎さんの長女・岩本歩弓 (あゆみ) さんと夫の内田健介さん、弟の岩本匡史 (ただし) さんが金沢に戻ってきたのは、今から10年ほど前のことでした。

「そもそも実家が作っているもの自体、よく知らなかったんです。お盆や花入れなどの小物もありましたけど、どれも渋くて、当時20代の自分たちが使いたいと思うものがあまりありませんでした。そこで、東京で暮らしているような同世代がふだんから使いやすいものを考えてみようと思ったんです」と歩弓さん。

こうして誕生したのが「ちょこっとトレー」でした。既に商品としてあった四角いトレーとコースターを組み合わせたものだったので、試作品としても取り組みやすかったのだとか。

岩本清商店のコースター&トレー

金沢桐工芸の特徴でもある豪華な蒔絵や艶感があると、かえって使いづらくなると考え、それらを控えめにおさえて、シンプルに。蒔絵は入れてもワンポイント程度、艶感もあまり艶々しすぎないように仕上げました。結果として、一番シンプルなもので1枚1500円と、価格も手が届きやすいものになりました。

岩本清商店のちょこっとトレー

桐の香りが広がる工房へ

現在は、四代目の清史郎さんを支えるように、健介さんと匡史さんの3人で桐工芸品を作っています。

工房を訪ねると、桐が焦げるちょっと香ばしい匂いがしてきました。

岩本清商店
匡史さんがろくろ挽きの作業中。真剣な眼差しです
岩本清商店の工房
作るものに合わせてこんなにも様々な鑿 (のみ) を使い分けます。道具は全て自作

中には大きな滑車があり、かつてはこれに全ての機械がつながれて動いていたそう。

岩本清商店の工房
この大きな滑車の動力をもとに工房内の機械が動き出すなんて、まるでピタゴラスイッチのような世界です
岩本清商店の工房
焼き目をつけた後の煤 (すす) を落とす機械
岩本清商店の工房
こちらの機械では「ちょこっとトレー」のコースター部分のくぼみを作ります

ちょうど、健介さんが「ちょこっとトレー」の焼き目をつけているところでした。

岩本清商店の工房
岩本清商店のちょこっとトレー
こちらは、角を丸くした「ちょこっとトレー」。さまざまなバリエーションも増えています

「ちょこっとトレー」を作る上でのこだわりを聞いてみると、やはり大事にしているのは金沢桐工芸の特長でもある焼肌だそう。焼くことで木目もより一層美しく際立ちます。「焼きムラができないように注意していますね。それと、艶ありと艶なしでは木材を使い分けていて、艶ありは木目の模様が面白いものを、艶なしは木目がまっすぐなものを選んでいます」と健介さん。

たしかに、見比べてみると、その違いは明らかです。艶の有無だけでなく、木目の表情も一つひとつ違うので、お客さんも一つひとつ手に取ってじっくりと選んでいくのだとか。

岩本清商店のちょこっとトレー
上が艶なし、下が艶ありです

意外にも、つけ置きや食洗器、ゴシゴシ洗いを避ければ、水洗い・洗剤もOKとのこと。蒔絵がないものであれば、傷がついても焼き直してきれいにできるので、長く使えそうです。

火鉢づくりから発展した金沢桐工芸から、現代の生活様式に合うものとして新たに生まれた「ちょこっとトレー」。形は変われど、使い込むほどに味わいが増し、手になじんでいくところは変わりません。「ちょこっとトレー」で“ちょこっと”ひと休みしながら、そのうつろいを愛でてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>

岩本清商店

石川県金沢市瓢箪町3-2

http://www.kirikougei.com/

文:岩本恵美

写真:石川県観光連盟提供、岩本恵美

【金沢のお土産・さしあげます】軽くてモダンな、岩本清商店の「ちょこっとトレー」

わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんへプレゼントする「さんちのお土産」。

今回は石川県金沢市で桐工芸を手がける岩本清商店の「ちょこっとトレー」をお届けします。

伝統工芸品を“今様”に

金沢のカフェやレストランでよく見かける、このこげ茶色のトレー。実はこれ、石川県指定の伝統工芸品である金沢桐工芸なんです。

ちょこっとトレー
岩本清商店の近くにあるギャラリーカフェ「Collabon」でも、ちょこっとトレーが活躍

作っているのは、1913年 (大正2年) 創業の岩本清商店。金沢桐工芸の原点は、寒さの厳しい能登地方の暖房道具として欠かせなかった火鉢なんだそう。実用的な調度品として重宝され、美しい蒔絵で装飾されたものも多いのだとか。かつては火鉢を作る職人もたくさんいて、岩本清商店でも主に火鉢を作っていたといいます。

岩本清商店の火鉢

ところが、時代が変わり、他の暖房器具に取って代わられるようになると、職人の数も減り、火鉢からお盆や花入れなどの小物にシフトせざるをえませんでした。今でも金沢桐工芸を手掛けているのは、岩本清商店を含め、3軒しかないそうです。

そんな中、十数年前に金沢にUターンした岩本清商店の長女・岩本歩弓さんと旦那さんの内田健介さん、弟の岩本匡史さんの3人で何かやってみようと思い立って生まれたのが、ちょこっとトレーでした。

「自分たちが使いたいと思うものを作ろうと思ったんです。実は、ちょこっとトレーは、もともと商品としてあったコースターとトレーを合体させたものなんですよ」と歩弓さん。

岩本清商店のコースター&トレー

重厚感ある渋めの桐工芸を現代のライフスタイルに溶け込むよう、金沢桐工芸の特徴でもある錆上げ蒔絵による華美な装飾をそぎ落とし、極力シンプルに仕上げました。とはいえ、もう一つの金沢桐工芸の特徴である美しい焼肌は健在です。

ちょこっとトレー
ちょこっとトレー
ワンポイントで蒔絵がはいったものも

深みのある色味の焼肌からは、ついつい重さを想像してしまいますが、実際に手にしてみると、その軽いこと!

そして、その使い方は自由自在。コーヒーとクッキー、日本茶と和菓子などをのせてコースター&トレーとして使うのはもちろん、花器を置いて花台にしてみたり、人形を置いてみたりと、インテリアとしても使えます。

今回のお土産

今回のお土産は、ちょこっとトレーの艶ありと艶なしの2種類。木目が際立つ艶ありにはちょっと変わった木目のものを、載せるものを引き立てる艶なしにはまっすぐな木目の木材を選んでいます。どちらも一つとして同じものはない、木のぬくもりを感じることができる一品です。

ちょこっとトレー
上が艶なし、下が艶あり
ちょこっとトレー
裏面には、カネイワ印の焼印入り

一つひとつ表情が異なるちょこっとトレーで、ぜひ生活の中に金沢の桐工芸を取り入れてみてください。いつものおやつやティータイム、晩酌の時間をちょこっと特別なものにしてくれるはずです。

ここで買いました。

岩本清商店

石川県金沢市瓢箪町3-2

076-231-5421

http://www.kirikougei.com/

さんちのお土産をお届けします

この記事をSNSでシェアしていただいた方の中から抽選で2名さまにさんちのお土産 “ちょこっとトレー 艶あり”と “ちょこっとトレー 艶なし”をそれぞれプレゼント。どちらかご指定されたい場合は、シェア時に「艶なしの方が欲しい!」などリクエストをつぶやいてくださいね。応募期間は、2018年5月23日〜6月5日までの2週間です。

※当選者の発表は、編集部からシェアいただいたアカウントへのご連絡をもってかえさせていただきます。いただきました個人情報は、お土産の発送以外には使用いたしません。ご応募、当選に関するお問い合わせにはお答えできかねますので予めご了承ください。 たくさんのご応募をお待ちしております。

文・写真:岩本恵美

“日本”の美しい腕時計。漆、日本画の素材がきらめく文字盤…金沢「C-Brain」の工房へ

突然ですが、みなさんは、ふだんから腕時計を「する派」でしょうか? 私は「しない派」です。でも、そんな私でも、思わず欲しくなった腕時計があります。

岩絵具、箔、漆など、日本の伝統的な美を凝縮した腕時計「はなもっこ」。文字盤だけでも100種類以上あり、見ているだけでうっとりしてしまいます。

シーブレーン はなもっこ
はなもっこ かさねシリーズ 金箔のかさね(定色) 税別 27,800円
シーブレーン はなもっこ
はなもっこ こないろシリーズ 瑠璃(るり) 税別 2,2500円~25,000円
シーブレーン はなもっこ
はなもっこ うるしシリーズ  黒漆 税別 40,800円

しかも、これらの腕時計は、一つひとつ、手作業で作られているというから驚きです。さらに、文字盤に時計部分のケース、ベルトの組み合わせも自由自在。自分好みの腕時計にカスタマイズできるのも、魅力的です。

シーブレーンのアトリエ
ベルトも色とりどり
シーブレーンのアトリエ
一つひとつ手作業で作っていきます
シーブレーンのアトリエ
かつてはベルトの穴も一つずつあけていたのだとか
シーブレーンのアトリエ
今は機械で等間隔に一気にベルト穴をあけるのが主流

ものづくりの楽しさを腕時計に込めて

この素敵な腕時計を作っているのは、金沢にアトリエを構えるC-Brain(シーブレーン)。今回、その時計作りの現場を覗いてきました。

金沢駅からバスで揺られること25分。静かな住宅街の中にC-Brainのアトリエはあります。

シーブレーンのアトリエ
シーブレーンのアトリエ
シーブレーンのアトリエ

C-Brainで制作しているのは、「はなもっこ」の他に「クルチュアン」「iroha (いろは) 」の2シリーズ。いずれも手作りにこだわった腕時計です。

「ものづくりの楽しさや素晴らしさを伝えたいという思いから、C-Brainを立ち上げたんですよね」と語るのは、C-Brain社長の井波人哉 (いなみ・ひとや) さん。

もともと井波さんは、父親の跡を継ぎ、中学校の技術家庭科で使われる教材を手掛ける会社を営んでいたそう。自分が企画・製作をした教材で作ったものを、中学生たちが抱えるように大事に持って帰る姿に感銘を受けたのが、ものづくりにこだわるようになった原体験だったといいます。

1994年に立ち上げたC-Brain。当初は家具製作キットなども扱っていたとのことですが、ハンドメイドで時計を作る方との出会いがあり、腕時計に的を絞っていったのだとか。その当時からずっと作られているのが「クルチュアン」シリーズです。

シーブレーンの腕時計
C-Brainの原点「クルチュアン」シリーズ

しっかりと伝わっていたハンドメイドの魅力

さまざまな人脈に助けられ、順調に販路を拡大。およそ10年で個人が営む雑貨店を中心に全国165店舗で取り扱われるようになりました。

小売業大手からお声がかかったのも、その頃。ただし、非防水だった腕時計を生活防水仕様にすることが求められました。そこで、これまでハンドメイドのみだった時計部分のケースのうち、一部をメーカーに発注するように。

シーブレーンのアトリエ
ケースを手作りしているところ。真鍮の板を円形にしていきます
シーブレーンの腕時計
手前がハンドメイドのケース。ロウ付けされた耳部分がハンドメイド感たっぷり

当初は大手が取り扱ったことから注目度が上がり、売れ行きも伸びたものの、その勢いは次第に失速していってしまいます。

「ハンドメイドで作っていた分、そこには作り手の愛がしっかりとあったんでしょうね。お客さんもそれを分かっていてくれたのだなと改めて思い知らされました」と、井波さんは当時を振り返ります。

伝統的な“日本の美”で差別化

それまでの卸先であった雑貨店から百貨店にシフトすることを考えた井波さん。機能性としての生活防水はそのままに、C-Brainならではの腕時計、原点に帰って手づくりの大切さを意識した腕時計を作ろうと試みます。

「その頃、伝統に対する世の中の意識が変わり始めていると感じたんですよね。僕自身、伝統芸能の加賀萬歳 (かがまんざい) を30年ほどやっていて、宴会などの舞台に立つと皆さんしっかりと見てくれるようになったと肌で感じました」

そこで、伝統的で、かつ、美しいものを時計作りに取り入れようと思い立ちます。そうして生まれたのが「はなもっこ」でした。

まず、井波さんの頭に浮かんだのは漆。輪島の漆職人を探し、漆塗りの文字盤を実現させます。それと同時に、日本画家としても活動する社員の牛島孝 (うしじま・こう) さんの考案で、岩絵具や箔を使った文字盤も作られました。

シーブレーンのアトリエ
岩絵具の原石。左がアズロマラカイト。濃い青の部分はアズライトと呼ばれ、「群青」色に、緑の部分はマラカイトと呼ばれ、「緑青 (ろくしょう) 」の色になるそう。右は、「水浅葱 (みずあさぎ) 」の色の原石、アマゾナイト。粒子の細かさで色の濃淡も変わってくるのだとか
シーブレーンのアトリエ

大切にしているのは「主張しすぎないこと」

アトリエでの時計作り全般を任せられているのが、中学生のころから日本画を描いてきたという牛島さん。その美しさをより多くの人に知ってもらいたいという思いから、岩絵具や箔などの日本画の素材を「はなもっこ」に使うことを思いついたといいます。

「『はなもっこ』で使われているのは、いずれも昔ながらの素材や文様、色彩です。それらはすでに素晴らしいものであり、私たち作り手はそれらの素晴らしさを腕時計に落とし込むのが仕事。だから、作り手の思いを強く主張しすぎないことがこだわりでもあります」

その美しさと腕時計というプロダクトとしての機能性を共存させる上で難しいのが、文字盤の制作だそう。

なんと、真鍮をベースにした文字盤の上に和紙や岩絵具を重ねられるのは0.2㎜ほどの厚さまでなのだとか。

「凹凸や塗りむらがあると、針が引っかかって止まってしまうんです。精密機器としての機能性も求められるので、不良なく作るように注意しています」と牛島さん。

シーブレーンのアトリエ
和紙を重ねた上に岩絵具を塗り重ねていきます。厚塗り厳禁です
シーブレーンのアトリエ
時間を指し示すインデックスも時計作りの大事な要素。こちらでは、和紙に金箔を貼ったものを打ち抜き、一つずつ角度を確認しながら膠でつけていきます
シーブレーンのアトリエ
時針、分針、秒針を載せる道具。1本ずつ針の高さが異なります
シーブレーンのアトリエ
こちらは時計の動作確認をする機器。時計の進み具合のずれをチェックする、時計の聴診器のようなもの

こうして職人たちの手を経て文字盤に宿った美しさは、世代をも超えて魅了する強さを持っていました。

「結果として、客層は10代から70代までと大きく広がりました。中には、親子三世代で購入してくれた人もいましたね」と井波さん。

シーブレーン・井波社長と牛島さん
井波社長(右)と牛島さん(左)

「はなもっこ」は2009年 (平成21年) に金沢ブランド優秀新製品大賞、石川ブランド優秀認定商品銅賞など、数々の賞を受賞。C-Brainを代表する腕時計となりました。文字盤のバリエーションも、岩絵具、箔、漆に始まり、今では紋切や蒔絵、螺鈿と広がりを見せています。

シーブレーンのアトリエ
こちらは集中力が必要な紋切の作業中。30~40分かけて、丁寧に切り抜いていきます
シーブレーンのアトリエ
出来上がった紋切はとても繊細です

選択肢の多さに迷うところですが、それだけに一つひとつの決断も愛おしく思えてきそうです。「この組み合わせかな」「いや、それともこっちの組み合わせが似合うかな」と、大いに迷って自分だけの腕時計を見つけるのも、「はなもっこ」という腕時計の楽しみなのかもしれません。

私とカタログとのにらめっこは、しばらく続きそうです。

<取材協力>

C-Brain (シーブレーン)

http://www.cbrain.co.jp/

文:岩本恵美

写真:C-Brain提供、岩本恵美

「タイタニック」にも出演?不思議な形の佐世保独楽が生まれる現場へ

佐世保独楽は○○系

独楽と一口に言っても、実にたくさんの種類があるのをご存知でしょうか?

佐世保独楽
とある資料によれば、独楽にもこれだけいろいろな種類が!

日本の独楽の大半は、中国系や韓国系であるのに対し、佐世保独楽はインド系なのだそう。このユニークなまるい形は一般に「らっきょう型」と呼ばれ、台湾にも似たような独楽があるのだとか。

「映画『タイタニック』で少年が独楽をまわしている場面があるんですが、それを見た方から『佐世保独楽じゃないか?』って問い合わせがけっこうあったんです。確かに似ているんですが、あれはヨーロッパ系の独楽。おそらく、ヨーロッパからシルクロードを経て日本に伝わってきたから、似ているんでしょうね」と山本さん。

佐世保独楽

賭け事の独楽から子どもの独楽へ

日本の独楽の中でも歴史が古いのが博多独楽。江戸時代に入ると、全国的な人気を博しました。

博多独楽は高価で庶民の手には届かないものだったため、日本各地で独自の独楽が作られるようになったのだとか。佐世保独楽もその一つで、江戸時代中期に誕生したといわれています。

当初、独楽に熱中したのは大人だったというから意外です。独楽の家紋があったり、独楽好きの殿様が独楽まわし師のような人を抱えていたりしたそう。

「賭け事として大人は熱中したみたいです。往来でやるものだから、交通の邪魔になって事故も多かったそうで。江戸幕府が何度も禁止令を出したと聞いています」と山本さん。

佐世保独楽
賭け事に使われたという独楽。サイコロのよう

そうした禁止令の影響もあってか、江戸時代後期には独楽は子どもの遊び道具へと変わっていったといいます。

“喧嘩”に勝つための素材

佐世保独楽は、上から思いきり投げて相手の独楽と戦わせて遊ぶもの。そのため、独楽をぶつけられても倒れないよう、堅くて重みのある素材が適しています。丈夫で、このあたりで手軽に入手できることから、佐世保独楽にはマテバシイという木が使われているとのこと。

佐世保独楽の材料、マテバシイ
佐世保独楽の材料、マテバシイ
マテバシイは堅すぎて建材には向かず、炭台や斧などの柄に使われてきた

飾りとしての独楽へ転換

1949年 (昭和24年) に昭和天皇が佐世保を訪れた際、佐世保独楽を献上したことをきっかけに、おもちゃとして遊ぶ独楽から民芸品として飾る独楽へと移り変わっていきました。

佐世保独楽

その後の民藝ブームも追い風となり、民芸品として見た目にも美しい独楽を作ることが増えていったそうです。

「昔は40軒くらい独楽を作っているところがあったけど、専業でやっているのは今はうちだけ。民芸品としての独楽も作ってきて、全国に取引先があったから続けてこれたんです」

「より強く」から「より美しく」。時代に合ったフォルムに変化

佐世保独楽の歴史について教えてもらった後は、いよいよ工房へ。佐世保独楽づくりの工程を覗かせてもらいました。

佐世保独楽本舗の工房
佐世保独楽本舗の工房
なんと工房は高架下にあります

ろくろを使って削りながら、形をつくっていきます。

佐世保独楽
佐世保独楽
削る前は、まさにらっきょうのようなフォルム
佐世保独楽
少しずつ、あの佐世保独楽へと変身していきます

独楽上部の溝を削り終えたら、佐世保独楽特有の鮮やかな色をつけていきます。この色は中国の「陰陽五行説」に由来するもの。青(緑)、赤、黄、白(生地の色)、黒の5色は自然界や宇宙を意味しているといいます。

佐世保独楽
佐世保独楽
一筆一筆、丁寧に色付けしていきます
佐世保独楽

ちなみに、削る際に真っすぐにろくろにセットしないと、こんな風に中心が曲がってしまうそう。

佐世保独楽

玩具としての独楽は、いかに強くあるかが重要視されていたため、独楽上部の溝は深く彫られていたとのこと。溝を深くすることで、ぶつかりに強い独楽に仕上がるのだとか。

佐世保独楽

一方、民芸品としての独楽に求められるのは、より美しい見た目。見比べてみると、溝部分の段々が玩具用の独楽よりもなめらかで丸みがあるのがよく分かります。

佐世保独楽
左が玩具用、右が民芸品の独楽

受け継がれていく独楽づくりのバトン

山本さんは、以前は銀行に勤めていたのだそう。30年ほど前に先代である義理のお父さんが急逝し、3代目を継いだといいます。

「義父が亡くなって、一番苦労したのは道具づくり。職人は自分の道具は自分で作るものなんだけど、独楽づくりを本格的にし始めてから当時まだ3年ぐらいだったものだから、交流のあった各地の職人さんに助けてもらったね」と山本さんは振り返ります。

佐世保独楽
独楽づくりに欠かせない道具、かんな。奥から荒がんな、平がんな、丸がんなと微妙に形が異なり、削る部分や工程によって使い分ける

佐世保独楽づくりのバトンを次に受け継ぐのが娘の優子さん。美術系の学校を卒業し、3年前に佐世保に戻られてきたそうです。今は3代目のお父さんの背中を追いかけながら、独楽の絵付けの仕事を手伝っています。最近では、ペットの写真を持ち込んでオリジナルの独楽を注文するお客さんもいるのだとか。

佐世保独楽本舗
左から、4代目となる娘の優子さん、3代目の山本 貞右衛門さんと奥さま

遊ぶ玩具から、飾る民芸品へと、時代の変化に合わせながら生き続けてきた佐世保独楽。これから先も、時代は変われど、ずっと残っていってほしいものです。

<取材協力>

佐世保独楽本舗
長崎県佐世保市島地町9-13
0956-22-7934

文:岩本恵美

写真:尾島可奈子、藤本幸一郎

なぜ「お正月には凧あげて独楽をまわして」遊ぶのか?

街中を歩くと、あちこちで独楽モチーフのものが目に入ってくる佐世保。前回は、そんな独楽づくしの街を歩きながら、巨大モニュメントやお菓子、街灯など、いろんな姿になった佐世保独楽を見てきました。

今回は、その佐世保独楽を唯一作り続けている佐世保独楽本舗さんを訪ねます。

佐世保独楽本舗外観
佐世保独楽本舗
入り口のランプも佐世保独楽

佐世保独楽本舗さんにお邪魔すると…

佐世保独楽本舗内観

独楽がずらり!

佐世保独楽本舗の独楽

街中で見かけたものと同じ形です。

佐世保独楽

「関東や関西から来たお客さんに普通の独楽ないですかって聞かれるんだけど、うちらにとってはこれが普通なんですよ」と迎えてくれたのは、佐世保独楽本舗3代目の山本 貞右衛門さん。

佐世保独楽本舗3代目の山本 貞右衛門さん
佐世保独楽本舗3代目の山本 貞右衛門さん

佐世保独楽は遊び方もユニーク

やっぱり気になるのは、別名「喧嘩独楽」とも呼ばれる佐世保独楽の遊び方。早速、山本さんに遊び方を教えてもらいました。

基本的なルールは簡単。最後までまわり続けている独楽が勝ちです。独楽をぶつけて“喧嘩”させるのは、相手の独楽の回転を弱めて止めるためだそう。

まずは、紐を独楽の下部に巻き付けます。ここまでは想像通り。

佐世保独楽

でも、佐世保独楽は形だけでなく、投げ方もユニークでした。

紐を巻き付けた方をそのまま上にして独楽を投げるのです。

そして、次の掛け声をみんなで唱えて独楽をいっせいに放ちます。

「息長勝問勝競べ(いきながしょうもんしょうくらべ)!」

音だけ聞いたら、まるで何かの呪文のようですが、この掛け声には「どれだけ長く独楽をまわせるか勝負しよう」という意味と、「勝問」=「証文」から「証文を入れるくらい、本気で勝負しよう」という意味が込められているのだとか。

佐世保独楽
最後までまわり続けている独楽は、「天下一」の称号を得ることができる
佐世保独楽

お正月に独楽をまわすのには理由があった

独楽を何度か投げているうちに体がポカポカに。体を動かして温まることから、独楽まわしは冬の遊びなんだそう。

「昔からある遊びって季節もの。独楽まわしを夏にしたら汗をかいて暑くてできない。夏におしくらまんじゅうしているのと一緒ですよ。だから、独楽は冬にしか遊ばないんです」と山本さん。

何気なく歌っていた唱歌『お正月』の一節、「お正月には凧あげて独楽をまわして遊びましょう」は、まさに冬の情景をそのまま歌詞にしたものだったんですね。

佐世保独楽の遊び方

遊びが子どもの社会性を育む

「僕らの時代は、幼稚園の子から中学生まで、みんなで独楽で遊んでましたね。佐世保で55歳以上の人はみんな、子どものころ独楽をまわして遊んでいたはず。そこで色んな経験をして勉強するんですよ」と山本さんは懐かしそうに話してくれました。

小さいころは勝てなくて悔しい思いもするけれども、遊ぶ中でルールを守ることを覚え、社会性を身につけていくことができたのだそう。

「だから、大人になっても仲良しで、地域の色んな活動を一緒にできるんですよね」

独楽をまわす文化を残すために

ところが、20年ほど前から子どもたちが独楽を買いに来ることがなくなってしまったといいます。

佐世保独楽本舗
最盛期のころの写真。作り途中の独楽がずらり

「『これは何とかせんといかんね』と思って、お正月に独楽まわし大会を開くことにしたんです。やっぱりこの地方の文化として残したくて」と山本さん。

佐世保独楽
佐世保独楽本舗の隣にある公園には、独楽まわし用の土俵も!

独楽まわし大会は、なんと今年で14回目。はじめこそ50人程度だった参加者も、今では150人を超える大きな大会になっているとのことです。

佐世保独楽本舗の番付表
お店の前に飾られている独楽の番付表。よく見ると、外国の方の名前もたくさんあります

独楽が架け橋となる異文化交流

この独楽の番付表が物語るように、佐世保独楽本舗を訪れるお客さんは国籍もさまざま。日本人のお客さんは半分ほどだそうです。取材中もひっきりなしにお店にやってきては、店内で英語が飛び交っていました。

佐世保独楽本舗
慣れた様子でオーダーを受ける山本さんの奥さん

基地で働いている方が帰郷の記念品やお土産として購入することが多いといいます。オーナメントとして飾るものという認識が強いのか、独楽のまわし方を教えてあげると、まわせることに驚きつつも楽しんでくれるそう。

佐世保独楽本舗
店内には船の記念メダルをつけた独楽も

店内には絵付け体験ができるスペースもあり、朝から晩まで夢中になって絵付けをする外国のお客さんもいたんだとか。

佐世保独楽本舗の絵付け体験スペース

外国の人をも虜にする佐世保独楽。いよいよ次回は、佐世保独楽が生まれる現場に足を踏み入れます。

<取材協力>

佐世保独楽本舗

長崎県佐世保市島地町9-13

0956-22-7934

http://sasebokoma.jp/

文:岩本恵美

写真:尾島可奈子、藤本幸一郎