君は「土佐源氏」を読んだか?

こんにちは。BACHの幅允孝です。

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。2018年の春は高知の旅へ。

「土佐源氏」のふるさと

高知の梼原 (ゆすはら) を訪れることになって何が一番嬉しいかというと、宮本常一が『忘れられた日本人』で書いた「土佐源氏」のふるさとに来ることができたことです。

宮本常一とは日本の民俗学者で各地の農村、漁村、島を踏査し独自の民俗学を築いた人といわれています。民俗学というと何やら難しそうに聞こえますが、要は人の暮らし、習慣、生活道具、儀礼などずっと伝わる人間の営みを調べ、現在の生活文化との違いを相対的にみる学問のことですね。

「山口県須防大島の百姓」という出自を生涯誇った宮本は、社会の底辺を支える同胞として様々な人の話を聞くため日本中を巡りました。フィールドワークのために歩いた距離は16万キロ (地球4周分) 。泊まらせてもらった民家は1000軒以上。師匠の一人である柳田國男と比べても、宮本はつねに足で稼ぐ実践派だったのです。

民俗学を「内省の学」とし、人の暮らしの祖型を探ったのは柳田。一方の宮本は人の暮らしに統一された文化があったのかと常に疑問を持ち、農村と漁村の差異や、西日本と東日本の違いを大切にしました。そんな彼が日本全国の辺境の地で黙々と生きてきた古老たちの話を聞き、それを生き生きとした筆致でまとめた本が『忘れられた日本人』というわけです。

宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫

冒頭で挙げた「土佐源氏」は、四万十川の最上流部の橋の下に住む盲目の乞食から聞いた話を宮本が書き記したもので、文庫本でもわずか27ページの短い文章です。ところが、名も知らぬ高知・梼原の翁が語るオーラルヒストリーが、世に溢れるラブストーリーを凌駕するとは!

梼原の老人はもともと馬喰といって馬の世話などをしていた身分の低い男でした。みなしご同然だった彼は幼い時に奉公へ出て、そのまま馬喰になったのですが「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、女をかまうことで過ぎてしまうた」と本人がいうように、特別なことは何ひとつ起こらず貧しいまま人生を過ごし挙句は乞食として橋の下で暮らしていました。

ところが、昔むかしに自身が経験した上流階級の人妻たちとの「色ざんげ」へと話が及ぶと、これが愁いを感じる恋物語として読み手の心をつかんで離さなくなるのです。特に、文庫版P.181の「秋じゃったのう。〜」の部分からは出色の出来映えで、語り部は急に饒舌となり身分違いの2人の逢瀬に読者はどきどきしてしまうことでしょう。

ここでは内容までは書きませんが、男が捧げた思いやりと女が抱えた悲しみが交錯する寓話のようなお話です。 (その物語としての完成度から宮本による脚色を考察する本も出ているぐらいです。) ちなみに、この「土佐源氏」の話を町の方に聞いたところ、知っている人は僅かで知らない方も多いようでした。確かに「色ざんげ」の話は教科書にも載せられませんからね。

宮本は、泥にまみれた庶民の生活の中に、人が生きる続けるたくましさを見出しました。昔から民衆は理不尽を押し付けられ、しかも、それが無残な忘却の上に組み立てられているという世界の残酷さを承知の上で、彼は人の明るさを見ようとしたともいえます。そんな彼が残した名もなき人の声として、ぜひ『忘れられた日本人』を手に取って、できれば梼原を訪れてほしいと思います。名もなき誰かが確かに存在し、彼らの屍の上に僕らが生きていることをこの橋の下で感じることができますから。

《この1冊》

宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)

宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫


幅允孝 (はば・よしたか)
www.bach-inc.com
ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。

一緒に立ち寄った木造の芝居小屋、ゆすはら座
一緒に立ち寄った木造の芝居小屋、ゆすはら座


文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之

高知・梼原町で見る「負ける建築」家、隈研吾。

こんにちは。BACHの幅允孝です。

さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。2018年の春は高知の旅へ。

雲の上の建築群

2020年に向けて建築中の新しい国立競技場はふんだんに木を使ったデザインが特徴的ですが、その設計に携わる隈研吾さんが木造建築を手がけるようになったきっかけが高知県の梼原町にあるといったら驚く人も多いでしょう。

町内のホテルにある回廊
町内のホテルにある回廊

愛媛との県境にある人口わずか3600人の小さな町、梼原町。この地にまだ若かりし頃の隈さんが「雲の上のホテル」の建築を手掛けることになったのは偶然だったといいます。

山道を抜けて突如現れる雲の上のホテル
山道を抜けて突如現れる雲の上のホテル

観光にも力を入れようと町が考えていた1990年代、第3セクター方式でのホテル運営の話が持ち上がり、「雲」と「棚田」といった梼原の自然をモチーフにした「雲の上のホテル・レストラン」が完成しました。

案内いただいた梼原町役場の上田真悟さんと
案内いただいた梼原町役場の上田真悟さんと

それを皮切りに「雲の上のギャラリー」、特産品販売所とホテルの融合した「まちの駅 ゆすはら」、「梼原町総合庁舎」、そして今春は「梼原町立図書館」の建築を隈研吾さんが手がけました。小さな町の小さな領域内には町産、県産の木材を優雅に使った隈建築がいくつも立ち並び、まさに彼の建築アーカイヴを見るようです。

まちの駅ゆすはら
まちの駅ゆすはら
まちの駅ゆすはらの内部
まちの駅ゆすはらの内部
梼原町総合庁舎
梼原町総合庁舎
開放的な庁舎内部
開放的な庁舎内部

なかでも個人的に印象的だったのは、ホテルと温浴施設を結ぶ「雲の上のギャラリー」の橋梁部分。

大樹を思わせる外観
大樹を思わせる外観
内部は渡り廊下になっていて、ホテルと温浴施設を結ぶ
内部は渡り廊下になっていて、ホテルと温浴施設を結ぶ

寺社仏閣のように幾重にも組みあわされた「斗栱 (ときょう) 」という木の組み方は、この辺りで昔から使われている工法だといいます。大樹が枝葉を伸ばすようなデザインの根っこには、総面積の91%が森林という町で培われた技術があったのですね。

随意契約で何代もの町長と直接対話を繰り返しながら計画されたこの建築群。「隈さんが町の意向を把握していて想いが形になりやすいので、一貫してお願いしています」と町役場の上田さんは言いますが、議会の理解を得続ける手腕もお見事。

上田さんが持っていた建築に関する分厚い資料
上田さんが持っていた建築に関する分厚い資料

また、設計/施工一体型の契約が多い地方の土木事業において、「設計にもきちんとコストをかける」という概念をつくりだした点が、このプロジェクトが成功している理由なのではないでしょうか?

なぜなら、これからの公共建築は風雨を凌ぐ丈夫な「箱モノ」ではなく、「メディア」として機能していかなくてはいけないのですから。

「負ける建築」家、隈研吾

隈さんには15年近く前に書いた『負ける建築』という本があります。彼は、そこで都会に屹立するビル群や周囲の環境を圧倒する20世紀型の「勝つ建築」はその強さゆえに人から離れてしまっていると書きました。

書影

そして、21世紀の建築はもっと弱く、柔らかく、様々な外力を受け入れる「負ける建築」になっていくと訴えています。

思えば、若かりしときにはコンクリートを使った建築が多かった隈さん。そんな彼が木材と出会い、その良さを受け入れ、今では自身の色を示す武器にしてしまっているしたたかさと受動の効用を感じます。

また、変容を恐れず与えられた状況に対応し続ける「負ける建築」家だったからこそ、問題の多かった国立競技場問題も落ち着いたのかもしれませんね。

梼原町の人々はそんな隈さんを「すごい人になっちゃったなぁ」と驚いているそうですが、それでも隈さんや隈事務所の所員は年に何度もこの地を訪れ、昔と変わらず町の新しいメディア=建築を企画しているそうです。

5月開館予定の図書館。ご厚意で覗かせていただいたオープン前の様子
5月開館予定の図書館。ご厚意で覗かせていただいたオープン前の様子

5月からは新たに「雲の上の図書館」がオープンし話題になることでしょう。あとは、ここに素敵な本が入り、司書さんたちが丁寧に楽しく運用していくことを期待します。いずれは建築だけでなく、そこで働く人たちにも光が当たるようになるといいですね。

雲の上の図書館前にて
雲の上の図書館前にて

<取材協力>
雲の上のホテル
http://kumono-ue.jp/

梼原町役場
http://www.town.yusuhara.kochi.jp/kanko/kuma-kengo/


幅允孝 (はば・よしたか)
www.bach-inc.com
ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。


文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之

ツバメノート、なぜ黒澤明もみんなも愛するのか。製造現場を見てわかったこと

みなさんには「手離せない文房具」はありますか?100均やコンビニでも手軽に買える文房具ですが、自分にあったものとなると、なかなか出会えないものです。

そんな中で、ノートはこれ、万年筆はこれ、と指名買いされる文房具があります。手離せない理由はどこにあるのか?身近で奥深い、文房具の世界に分け入ってみましょう。

第1回目:ノート

故・黒澤明監督が愛用し、2012年にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞した大学ノートがあります。

クラシックなデザインと抜群の書き味で人気の「ツバメノート」。支持される理由を、東京・浅草橋のツバメノート本社にて、代表取締役の渡邉精二さんに伺いました。

お話を伺った株式会社ツバメノート代表取締役の渡邉精二さん

ツバメノート株式会社は初代・渡邉初三郎さんが1947年(昭和22年)に東京・浅草橋に創業。ツバメノートは創業当初からのロングセラー商品ですが、その顔とも言えるデザインは、不思議な巡り合わせで生まれたそうです。

手離せない理由その1、いわくつき?のデザイン

ツバメノート

ある日、事務所にふらりと1人の男性が入ってきます。どうやら易者(占い師)さんで、ふと惹かれてこの建物に入ったが、実はデザインも手がけている、と言う。

そこで男性にノートの表紙デザインの提案をさせてみたところ、創業者であった初三郎さんが気に入り、それが現在のツバメノートの表紙になった、というのです。

2代目を継いだ渡邉さんに言わせれば「いわくつき」の表紙とのことですが、今ではすっかりツバメノートを代表する顔。ノート業界でこれほどデザインを変えないノートも珍しいそうです。変えようと思ったことはなかったのですか?と伺うと、支持されているから変えていません、とシンプルな答えが返ってきました。

ちなみに表紙のワンポイントになっている金の箔押しマークにも秘密が。

箔押し

WはB5版、HはA5版を指すコードです。なんの略字かといえば、Watanabe Hatsusaburo。創業者、渡邉初三郎さんのイニシャルから取っていたのですね。

下の「50S」は50Sheet(50枚)の意味。「自信がなければ自分の名前を商品になんてつけられません。俺が作ったノートだよ、世界に誇れるんだよという気概の現れですよね」と語る渡邉さん。

「そろそろ自分のイニシャルをつけたノートも出してみたいんだけどね、はっはっは」と朗らかです。

ちなみに渡邉さんの胸にはノートと同じ、ツバメマークのピンバッジが。社員さんは皆つけているそうです。かわいらしく、ちょっと欲しくなってしまいました
ちなみに渡邉さんの胸にはノートと同じ、ツバメマークのピンバッジが。社員さんは皆つけているそうです。かわいらしく、ちょっと欲しくなってしまいました

手離せない理由その2、春と秋だけに漉くフールス紙

初代初三郎さんがそれだけの自信を持ったのには、訳がありました。ツバメノートの書き味を支える、中性フールス紙の開発。表紙をめくると、そこには自信のほどが使い手へのメッセージとなって記されています。

裏表紙

フールス紙とはもともとイギリスから入ってきた筆記用の紙の一種。当時流通していたものは、万年筆で書くとインクがすぐに乾かず手を汚したり、にじんだり。使う人は都度すい取り紙で書いたところを押さえてやり過ごしていたそうです。

これをなんとか改良できないか。さらに、当時の紙はもっぱら酸性で、日焼けするとボロボロになってしまう難点がありました。こうした当時の紙の弱点を解消すべく、製紙会社さんと独自に研究を重ねて生まれたのが1万年以上持つという「中性フールス紙」でした。

「創業者はよく『これからは高齢者の時代だ』と言って罫線の幅の広いノートを開発したり、『これからは中性紙だ』と言って中性フールス紙を開発したり、『これからは』というのが好きな人でした。

当時紙の開発を頼んだ製紙会社さんも、その頃『これからの日本のいい紙を作ろう』と燃えている時で、うちの目指すものと合致したんですね」

開発に成功した当時「この紙は設計上1万年以上だってもちますよ」と語った製紙会社さんは、今はもうないそうですが、現在紙づくりを頼んでいる製紙会社さんも、ツバメノートの紙は春と秋にしか作らないのだそうです。

「紙づくりには水が欠かせませんが、その水温や水中のバクテリアが紙づくりに影響するためのようです。私たちが指定したのではなく、ツバメさんのノートの紙はこの条件で作らなければ、と自発的にやってくださっています。ありがたいことですね」

手離せない理由その3、なめらかな書き味を支える水性の罫線

書きやすさを支える、大切な要素がもうひとつあります。それが罫線。一般的な罫線は油性で、完全には紙に染み込まないため、紙の断面図でみると線の部分が凸になっているそうです。

つまり筆記用具の先が線をまたいだ時に、わずかながら引っ掛かりが生まれます。それを避けるため、ツバメノートの紙面は水性インクを使った「罫引き」という手法で罫線が引かれています。ノートづくりの工程のうち、唯一撮影を許された罫引きの現場をご紹介します。

井口ケイ引き所

ツバメノートさんから徒歩圏内にある井口ケイ引所さん。もう新しい機械は生産されていないという貴重な罫引きの機械が、ガチャンガチャンと音を立てながら稼働していました。うず高く積まれている紙が、ヒュンヒュンと機械の中に吸い込まれていきます。

機械

紙を運んでいるのは糸。上下2本の糸の間に挟まれて紙が送られ、機械の中心部でローラーを通過します。

紙が機械の中心部に近づいてきました
紙が機械の中心部に近づいてきました

ローラーにはノートの罫線の幅に合わせて凹凸があり、凸部分にインクがついています。計4本のローラーを通る間に、紙にはあっという間に罫線と目盛りが両面印刷されるという複雑な機械です。

まずは目盛りを入れるローラーを通過。下段のクリップで押さえてある箱がインク入れ。隙間のピンクがかったところはゴム製のローラー。ここにインクが移し取られ、さらにその上の罫線を引く金属製のローラーにインクがのる、という仕組みです
まずは目盛りを入れるローラーを通過。下段のクリップで押さえてある箱がインク入れ。隙間のピンクがかったところはゴム製のローラー。ここにインクが移し取られ、さらにその上の罫線を引く金属製のローラーにインクがのる、という仕組みです
続いていよいよ罫線を引くローラーへ。糸の間を縫って、回転するローラーの凸部分についたインクが罫線を引いていきます。ノートの幅に合わせて、ローラーに隙間があります
続いていよいよ罫線を引くローラーへ。糸の間を縫って、回転するローラーの凸部分についたインクが罫線を引いていきます。ノートの幅に合わせて、ローラーに隙間があります
これがインク。万年筆を思わせる色合いで、使うのはこの一色だけだそうです
これがインク。万年筆を思わせる色合いで、使うのはこの一色だけだそうです
インクがすぐ乾くよう、紙を送る土台にはヒーターが入っています
インクがすぐ乾くよう、紙を送る土台にはヒーターが入っています

もちろん罫線の幅や紙のサイズはノートの規格によって違うので、ローラーの種類も規格の数だけあります。機械の上には箱入りのローラーがたくさんストックされていました。全て鋳型で作られているそうです。

線を引くローラーが入った箱。年季が入っています
線を引くローラーが入った箱。年季が入っています
インクをこまめに補充したり、混ぜ合わせる必要があります。機械を動かすうち、井口さんの指先は真っ青に
インクをこまめに補充したり、混ぜ合わせる必要があります。機械を動かすうち、井口さんの指先は真っ青に

「罫引きにも弱点があって、オフセット印刷のように版で印刷をするわけじゃないから、目盛りの位置がページごとにちょっとずれるんです。

問題になって1度は目盛り自体をなくしたのですが、お客さんから『多少位置がずれても、飾りでいいから無くさないでほしい』との声を多数頂いて。また復活させました」

確かによく見ると、目盛りのスタート位置がページによって違います
確かによく見ると、目盛りのスタート位置がページによって違います

ツバメノートの罫線はよく見ると線の幅にもわずかな揺らぎがあります。そうした、ある意味での不完全さが、かえって使い手に安心感を与えるのかもしれません。

今ツバメノートの罫引きができるのは、井口さんお一人だけ。「うちで後継者を1人入れると約束しています」と、帰り道の渡邉さんは真剣な表情でした。

撮影の合間も「あの紙は…」と紙談義。渡邉さん、おしゃれです
撮影の合間も「あの紙は…」と紙談義。渡邉さん、おしゃれです

手離せない理由その4:かみは細部に宿る

渡邉さんにお話を伺っていると、今までに開発された商品がどんどんテーブルの上に出てくるのと同時に「お客さん」というワードがよく出てきます。

「うちの紙は目にやさしいよう蛍光染料を使っていません。そうするとお客さんから『仕事での目の疲れが1時間分くらい違う』と言われてね」

「ツバメノートは糸綴じです。ホチキスですと、年中書いてめくっているようなお客さんだとすぐに破けちゃいますから」

「ノートの表紙は通常は1枚の紙です。ところが100枚綴りくらい分厚いと『使っているうちにどうしても表紙が破れてしまう、どうにかならないか』とお客さんからの声があって、紙を2枚貼り合わせる裏打ちという方法を取っています」

ノートを買った人から、以前は直接ハガキで、今はFAXで様々な声が届くそうです。それを一つひとつ読み、必要だと思ったことはすぐに改良や新商品開発につなげてきた、と渡邉さんは話します。

そうして生まれてきたアイテムは、「斜めに書く癖のある人のためのノート」や設計の仕事をする人のための「設計ノート」など実にユニーク。これだけ定番の人気アイテムがあるのに、毎年新しいノートの開発を重ねているそうです。

罫線が斜めに引かれています!
罫線が斜めに引かれています!
手書きのおすすめレター、味があります
手書きのおすすめレター、味があります
高岡銅器の銅板を表紙にした新作
高岡銅器の銅板を表紙にした新作

そもそも「ツバメノート」という社名も、ツバメさんという営業担当の人が営業先で大変な人気で、商品が「ツバメさんのノート」と呼ばれていたことから「そんなにお客さんに愛されているなら」と社名に採用したとのこと。

思えば1万年もつと言われる紙が生まれた経緯も、罫線が水性な理由も紙が糸綴じな理由も、全てノートを使う人の使い勝手をじっと考えてきて生まれた答え。

「ノートを大事にしてくれる人、喜んでもらえる人に使って欲しいな」と語る渡邉さんですが、きっとそうした細部の便利さが、文房具はダイレクトに使う人に届くのだろうと思います。

子どもの頃、文房具は自分のお金と自分の好みで選べる唯一の道具、特別な買い物でした。大人になった今だから一層、数百円のノートの中に詰まった様々なアイディアや工夫を、嬉しく思うのかもしれません。

身近なものだからこそ大切にしたい、と思う使い手と作り手とが共鳴しあって、ツバメノートは手離せない文房具になっているように感じました。

<取材協力>
ツバメノート
http://www.tsubamenote.co.jp/


文・写真:尾島可奈子

この記事は、2017年2月24日公開の記事を、再編集して掲載しました。新学期にぜひ「手離せない文房具」を選んでみてはいかがでしょうか

世界で有田にしかない。仕掛け人に聞く「贅沢な日用品店」bowlができるまで

「さんち必訪の店」。

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。

必訪 (ひっぽう) はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

来る4月1日、「有田焼」で知られる佐賀県有田町にオープンするお店があります。

名前を「bowl (ボウル) 」。

bowl入り口

有田の地域活性を手がける「有田まちづくり公社」がクラウドファンディングを活用し、築100年の陶磁器商家にオープンさせたセレクトショップです。

JR有田駅から徒歩5分ほどで到着
JR有田駅から徒歩5分ほどで到着

さんちでは少し前に、開店準備中のお店にお邪魔していました。

中に入ると、落ち着いた木の什器にはすでにバッグやカトラリーなどの日用品が並び、お店の雰囲気ができあがりつつあるところでした。

白壁に木の什器がよく映えます。この時点でまだ品揃えは1/3程度だそう
白壁に木の什器がよく映えます。この時点でまだ品揃えは1/3程度だそう

内装、商品のセレクトを一手に引き受けるのは店長の高塚裕子 (たかつか・ひろこ) さん。

高塚さん

ここを「有田にしかない」日用品店にしたいと語ります。

日用品を扱うのに「有田にしかない」とは、これいかに?

有田に新しい「必訪の店」が生まれるまでを、立ち上げの現場で伺います。

ドレスっぽい有田焼

「この町との最初の縁は有田の窯業学校に入ったこと。結婚を機にお隣の波佐見町に住んで、今も波佐見からこのお店に通っています。車で15分くらいですかね」

高塚さんが焼き物を学んだのは日本磁器発祥の地、佐賀県有田町。移り住んだのは和食器出荷額・全国第3位の「波佐見焼」の産地、長崎県波佐見町。

県は違えど隣り合う両町は、日本で初めて磁器づくりが始まった400年前から、ともに磁器の産地として発展してきました。

華やかな絵付けの伝統的な有田焼。有田観光協会提供。
華やかな絵付けの伝統的な有田焼。有田観光協会提供。
波佐見焼
日本の食卓を支えてきた波佐見焼

そんな二つの産地は、似て非なる存在。

「歴史的に見ると、波佐見焼はカジュアルで、有田焼はちょっとドレスっぽいイメージ。

今の流行はどちらかというとカジュアルな方ですよね。

波佐見でお店をした時はカジュアルをアップさせたのですけれど、有田はドレスなので、ドレスダウンさせるイメージでお店づくりをしようと思いました」

実は高塚さん、このお店に携わる以前に波佐見町でセレクトショップ「HANAわくすい」の運営を任され、県外からも人が訪れる人気店に育て上げた実績の持ち主。

高塚さん

食器の一大産地でありながら当時まだ全国的に知られていなかった波佐見焼の器を、南部鉄器や江戸箒と共に店頭に並べ、「職人もの」としての質の良さに光を当てました。

その実績を見込まれて任された、有田での新しいお店づくり。

お店の核になっているのは有田焼だと語りますが、その姿は各地から仕入れてきた暮らしの道具と一緒になって、お店の中に溶け込んでいます。

店内

そこにお店づくりの秘策が伏せられていました。

絵を描くときと同じように

「セレクトショップって、物を選ぶ仕事みたいに見えますが、別に、物にいい悪いは、ないと思っています。

何を置くかよりは『額縁の中で、四隅を変える』ということを考えています。絵と一緒なんです。

現象そのものを描くのではなく、テーブルがあって、後ろにどんな背景があってと、風景性を描き分けていく」

店内

「そう考えると、町や建物って、もうすでに関係性が出来上がっていますよね。

有田という町はひとつしかないので、どこかに憧れるよりこの町らしいことを一生懸命にやると、世界でここにしかないお店になるんじゃないかなと思っています」

では、高塚さんの考える「有田らしさ」って、いったいどんなものなのでしょう?

贅沢な鮭弁当のように

「日本で初めて磁器、つまり有田焼ができる前は、焼き物って土色一色だったと思うんです。

それが白磁に使える白い石が有田で見つかって、真っ白い有田焼ができた。

そこに色とりどりの絵付けまでされた器を見た時に、きっとみんな『うわぁ、なんて贅沢』と思ったはずなんですよね。

だから『贅沢さ』が有田らしさだと思っています。お弁当に例えると、高級なフォアグラとかキャビアがはいったお弁当ではなくて、同じ価格の鮭弁当みたいな感じ。

良い鮭がはいっていて、丹念に育てられていたお野菜や、時間をかけて作られた美味しい漬物なんかがはいっている。

高級だよね、有田焼じゃなくて、有田焼って贅沢だよねと思ってもらえたら、このお店は◯じゃないかなと。

bowlという器のどこを切りとっても、贅沢さを感じてもらえる場所にできたらと思っています」

光がたっぷりと差し込む店内
光がたっぷりと差し込む店内
アート作品を置けるような空間も
アート作品を置けるような空間も

アートと企業努力

高塚さんが有田焼の「贅沢さ」をはじめに知ったのは、窯業学校でした。

「実は、私はもともとはアートに興味があって、オブジェづくりをするつもりで間違って窯業学校にはいっちゃったんです (笑)

そこで、企業努力というのを、目の当たりにしたんですよ。型やろくろを使って、分業して、いかに効率よく質の良いものを作るか、という世界に。

ひとつの商品を早く安く作ることがどれだけ凄いことか、この時にはじめて知りました」

有田の工場で見つけた焼き物の型。左右対称なので片側だけの形です
有田の工場で見つけた焼き物の型。左右対称なので片側だけの形です
型にはめて商品を成形。これによりサイズのブレなく量産できる
型にはめて商品を成形。これによりサイズのブレなく量産できる

「その時の同級生たちの多くは今、家業を継いで窯元の社長さんになっています。彼らはただ仕事としてそういうものづくりを今日も明日もしていて、伝統工芸士といった肩書きを前に出すつもりもない。

一方の私は、ものは作れない。でも、ものを売ることならできる。

だから、彼らが今日、明日と前を向いてものを作るなら、私は後ろを向いて、この町でそうやって作られてきた有田焼の価値観をこのお店でぶつけてみたい。

柄物が以前ほどもてはやされない時代でも、日用品のお店の中に器を置いたら、たまには良いよねとか、こういうものもあるのね、と思ってもらえるんじゃないかと思うんです 」

例えば、近所の窯元さんがぷらっと立ち寄るお店に

店内には、大きな木のカウンターがあります。今後、洋酒やお酒に合う甘いものを用意するそうです。

カウンター

「例えば近所の窯元さんで働く人が、特に用はないけどちょっと飲みに来たよ、と立ち寄ってもらえるように作りました。

有田は400年続くものづくりの町で、暮らす人も目が肥えているんです。

だから、地域の方が何かお使い物や引き出物を選ぶ時、ちょっと靴下を買い換えようかなという時に来てくれるお店でありたいなと。

有田に似合うねと地元の人に言ってもらえるお店にしたいです」

焼き物の町にできた日用品店。次に訪れた時にはきっと、観光で来たお客さんや地元の人が入り混じって、「贅沢」な買い物を楽しんでいるはずです。

<取材協力>
bowl
佐賀県西松浦郡有田町本町丙1054
0955-25-9170
https://aritasu.jp/
*4月1日11時よりグランドオープン

文:尾島可奈子
写真:菅井俊之

マイルドヤンキーと民芸と。飛騨高山「やわい屋」に地元の若者が通う理由

「さんち必訪の店」。

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。

必訪 (ひっぽう) はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

今回訪ねたのは、飛騨高山の「やわい屋」。民芸の器を中心とした生活道具のお店です。

やわい屋

築150年の古民家でご夫婦が暮らしながら営むお店は、2016年のオープン以来、他府県からもわざわざ人がやってくる人気店となっています。

高山市の中心からは離れた立地ながら、遠方から訪ねてくるお客さんも多いそう
高山市の中心からは離れた立地ながら、遠方から訪ねてくるお客さんも多いそう
ご夫婦で各地を回り、直接買い付けてきた器や道具が並びます
ご夫婦で各地を回り、直接買い付けてきた器や道具が並びます

前回はご主人の朝倉圭一さんに、扱うものの選び方や「やわい屋」というお店の名前に込めた想いを伺いました。

店主の朝倉さん
店主の朝倉さん

実は、このお店で器と対になっている魅力が、2階にあります。

階段

階段を上っていくと‥‥

秘密の書斎のような空間が!

みっちりと本が詰まった書棚
みっちりと本が詰まった書棚
テーブルの奥には‥‥
テーブルの奥には‥‥
こんなスペースも!思わず寝っ転がりたくなります‥‥
こんなスペースも!思わず寝っ転がりたくなります‥‥

お店の説明の代わりに、古本屋?

「1階のお店を始めた翌年にこの屋根裏を改装して、古本屋も始めたんです。

それまではこの町に、個人経営の古本屋さんって一軒もなかったんですよ。

でも、高山は家具産業が盛んで、若い人たちの移住も多い。彼らの知的な好奇心を満たせる場所が必要だろうと思って始めました」

本棚

「この町に、こういう本を読む人が増えたらいいな、そう思うものを選書して持ってきています。

そうすると、僕らがここでやりたいことが視覚化されて、言わなくても伝わるんじゃないかなと思ったんです」

一冊一冊に、奥さんの一言メモが挟んであります
一冊一冊に、奥さんの一言メモが挟んであります
いつ来ても発見があるように、本の入れ替えや配置換えもこまめにやっているそう
いつ来ても発見があるように、本の入れ替えや配置換えもこまめにやっているそう

高山生まれ、高山育ち。

27歳までサラリーマンをしていたという朝倉さんが、ここでやりたかったこととは一体何なのでしょう?

「僕はもともと、地元愛のないマイルドヤンキーだったんです」

マ、マイルドヤンキー?

地方都市や郊外に多い地元志向型の若者の姿として、数年前に流行語にもなりました。

一般的なイメージでは、身近な仲間や家族を大切にし、行動範囲は広くなく、週末は郊外のショッピングセンターなどで買い物を楽しむ。何より地元愛が強い。

それなのに、「地元愛のないマイルドヤンキー」が、なぜ土地に根ざした民芸店を開くことに?

10年後、彼らと同じ場所にいるために。

「お店を始めようと思ったのは、2011年。結婚した直後に震災がありました。

高山市内の飲食店で働いていたんですが、震災がきっかけで一生続けられる仕事って何だろうと考えるようになって。

同級生の半分はだいたい自営業の息子です。僕はそのとき27歳で、飲み会があれば『やりたいことがあったけど、そろそろ実家を継がなきゃいけない』みたいな話を彼らから聞くんですね。

うちはサラリーマンの家庭で何も継ぐものがない。何でもできるのにやりたいことをやらずにとりあえず仕事をしているというのは、こいつらに失礼だと思ったんです。

このままサラリーマンを続けていたら、10年後、20年後に彼らが居る場所と、僕の居る場所はずいぶん変わる。たぶん、ゆくゆく彼らと話せなくなってくる。

それはあまりにもさみしいし、もったいないなと思って。

じゃあ、僕も自分で何かを商う道に進もうと思いました」

ヒントは当たり前の風景の中に

ものを商う。では何を扱おうか。

ヒントを求めて、有名なセレクトショップや雑貨店をあちこち見て回ったそうです。

「それでわかったのは、都会のお店と同じやり方ではこの町で必要とされないだろう、ということでした」

真冬には人の背丈ほど雪が積もる飛騨の町。都会とは人の流れも暮らし方も違います。

雪の日の様子。150センチほどの積雪になる時も
雪の日の様子。150センチほどの積雪になる時も

やるなら、ここでやる意味のあるお店にしなければ。でも何を、が見つからない。

「自分が何が好きで、何をいいと思うのか、その時は説明もできませんでした」

買い物はもっぱら他県のショッピングセンター。「地元には何もない」と本気で思っていたそうです。

答えを悶々と探す中で、「民芸」に出会いました。

「もともと人類学とか人の生活文化に興味があったので、思想としては知っていたんです。

でも、実際に各地で作られている手仕事の道具‥‥と考えた時に、『この町こそ、そういうものづくりの産地じゃないか!』って、やっと気が付いたんです」

良質な木材に恵まれ、古くから春慶塗や木版、家具などのものづくりが育まれてきた飛騨高山。

黄色が美しい飛騨を代表する伝統工芸、飛騨春慶塗
黄色が美しい飛騨を代表する伝統工芸、飛騨春慶塗
憧れの家具メーカーとしても人気の高い飛騨産業の家具
憧れの家具メーカーとしても人気の高い飛騨産業の家具
真工藝 木版手染めぬいぐるみ
木版文化を活かした真工藝のぬいぐるみも人気です

「子どもの頃から当たり前にあるから、木材がたくさん積んである風景とか、普通なんですね。自分たちにとってはかくれんぼをする場所であって」

例えば木を積んだ大きなトラックが次々に走っていく姿も、朝倉さんたちにとっては昔からの日常風景。

「そうした、土地に根ざした生活道具なら、このものづくりの町のお店に置くのにふさわしいかもしれない」

3年間嫌いにならなかったら一生の仕事にしようと決めて、「民芸」をキーワードに全国のお店や産地をまわったそうです。

それからは、土地土地の民芸品を自身の暮らしの中に持ち帰る日々。

ある日、変化が起こりました。

ボディーブローのような変化

「物ってやっぱり、すごいですよね。

僕ら夫婦は、当時はアパートに住んでいました。

いたって普通の賃貸住まいで、使っているテーブルセットもよくある量販型のもの。

各地から買って帰ってきた器を、その木目調のテーブルに置いたんですね。

そうしたら、急に今まで全く気づかなかったテーブルの傷が、目に付いたんです。きったないなぁって。それまでぜんぜん気にしなかったのに。

逆に、器ひとつテーブルに置いたことで『箸置きがあるといいな』とか、次は『花があるといいな』と思うようになって。

そういう小さい変化が、じわじわボディーブローのように効いてきたんです。

木目調じゃなく、本当に木で作られているテーブルが欲しいと、思うようになりました」

朝倉さんの中で、自分の好きなもの、いいと思うものがクリアになった瞬間でした。

いいと思う暮らしを、自分ごと化する

「民芸の器に触れたことで、改めてものづくり産地である飛騨を築いてきた先人に、敬意を感じるようにもなりました。

この土地には素晴らしいものがあると、やっと自分ごととして言えるようになったんです」

朝倉さんの「自分ごと」化は徹底しています。

飛騨に昔からある古民家を店舗兼住まいに決めたのも、不便さとも向き合いながら飛騨の暮らしを実践するため。暮らしと地続きのものの豊かさを、お客さんに感じてもらうためでした。

「このお店には、この町に暮らす人が子や孫の代まで使い続けたいと思ってもらえるようなものを置いています」

地元のガラス作家、安土草多 (あづち・そうた) さんのランプシェード
地元のガラス作家、安土草多 (あづち・そうた) さんのランプシェード
長崎のスリップウェア作家、小島鉄平さんの器
長崎のスリップウェア作家、小島鉄平さんの器

「それを、同級生や地元に暮らす20代、30代の世代が家族や友人への贈り物にと、買いに立ち寄ってくれるんです。

マイルドヤンキーなんて言葉をわざわざ持ち出さなくても、家族や仲間をとても大切にします。それは同級生と飲み会をした27歳のあの時から、僕も変わっていません。

ここで買われていった道具がいつか土地の栄養になって、この町の次の文化を作るかもしれない。

もしかしたらその使い手の中から、次に産地を支える作り手だって、出てくるかもしれません。

1か月で1000点売れたとしたら、1年で12000点、10年で1億点です。

そんな膨大な数がここで暮らす人たちの生活に入っていくんだと思ったら、これはすごくいい仕事だなと思ったんですよね」

やわい屋店主、朝倉圭一さん。

その肩書きはあくまで道具店と古本屋のオーナーですが、朝倉さんはものや本を通して、5年10年先、家族や友人たちと過ごす飛騨高山の暮らしを、自らの手で作ろうとしているようです。

<取材協力>
やわい屋
岐阜県高山市国府町宇津江1372-2
0577-77-9574
https://yawaiya.amebaownd.com/

文:尾島可奈子
写真:今井駿介、岩本恵美、尾島可奈子

各地の「さんち必訪の店」

遠足の前日のような楽しさを毎日に。飛騨高山の道具店「やわい屋」

「さんち必訪の店」。

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。

必訪 (ひっぽう) はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

今回は、飛騨高山へ。

「高山に行くなら、すごく素敵なお店があるから行ってごらん」

そう人から聞いてワクワクしながら訪ねたお店は、目の前に田畑の広がる、最寄りの駅からもかなり離れた場所にポツンとありました。

やわいや外観

名前を、「やわい屋」さん。

入り口の看板

築150年の古民家を移築したという店内は、入った瞬間から居心地の良さを感じます。

店内

柔らかなオレンジの明かりは、飛騨のガラス作家、安土草多 (あづち・そうた) さんのもの。

安土さんのランプ

以前取材した飛騨に古くからある民具、有道杓子の姿もありました。

右が有道杓子
右が有道杓子

土地のものを扱うお店かと思いきや、長崎や京都、瀬戸など、置かれているのは飛騨のものに限りません。

店内の器

「商店街の魚屋さんと考え方は一緒なんですよ。この町で暮らす人に必要なものを置くようにしているんです」

魚屋さん?意外な言葉で、店主の朝倉圭一さんが迎えてくれました。

扱うのは、「通える範囲」の民芸

やわい屋さんは、2016年にオープンした生活道具のお店。扱うものの多くが、7人の作家さんを中心とした民藝の器です。

「あまり遠くのものは扱わないようにしているんです。

できれば直接作り手のところに自分で行って、話をして、ものを選びたい。

極力は窯出しとかに伺ってその場で選んでこようと思うと、距離が近いほうがやりやすいんですよね」

どうしても遠方へ直接買い付けに行きたい時は、年に一度、1月と2月を待ちます。

寒くなれば人の背丈ほど雪が積もる飛騨の冬。週末だけお店を開け、平日にはご夫婦揃ってあちこちを時間をかけて回るそうです。

雪の日の様子。真冬には150センチほどの積雪になる時も
雪の日の様子。真冬には150センチほどの積雪になる時も

目指すのは、町の魚屋さん

店内に並ぶ器は東は静岡から、西は沖縄まで。どうやって選んでいるのでしょう。

店内

「ここは、ハレとケでいえばケの部分に寄り添うお店でありたいと思っています。

要るものがあるから顔を出したり、用がなくてもぶらっと来て『元気?』というような。

だから作家さんのものも、個展より常設ベースで扱う。いつきても取り扱いの作家さんの器をある程度まとめて見てもらえるよう、心がけています」

店内

「当たり前にあるものが良いものというのが、理想ですね。

例えば町の魚屋さんや酒屋さん、八百屋さんみたいに生鮮食品を扱っている『地元のいいお店』って、何の説明も要らずにいいじゃないですか。

何気なく手に取るものでも旬を押さえていてハズレがない。だから『あの親父さんが選んできたものならいい』となる。

そういう鮮度と信用を大切にしたいから、町の魚屋さんみたいなお店を目指しているんですよ」

ものの鮮度の保ち方

置くものはあまり変えない代わりに、ものの配置はふた月にいっぺんはガラッと入れ替えるそう。

店主の朝倉さん
店主の朝倉さん

「ネットやアプリでものを買える時代でも、実際に手にとってものを選ぶ喜びは他に変えがたいと思います。

だから旬のものは店頭に、季節を感じる色合いのものは日の当たるところに置いたり」

店内

「そうすると、商品のラインナップ自体は何も変わっていないのに、新商品が入りましたねって言われるんですよ。

お客様が季節ごとにものとの出会いを楽しめるように、場所替えをよくすることで、ものの鮮度を保ってあげるんです」

衣食住一体の場所からの発信

「あとは、変えてみて自分たちがしっくりくるかどうか、かな」

店舗の奥は居住スペースになっています。お店は、朝倉さんご夫妻の生活空間の一部でもあるわけです。

「ここでの暮らしには、雪解けや田畑の支度、祭りといったハレとケの区別が明確にあります。

僕らにとっては当たり前の生活のリズムでも、今では珍しい景色になってきている。

だから都会と同じものを扱うのではなく、自分たちが実際にここで暮らしながら、琴線に触れたものだけを扱うようにしています。

衣食住が一体化された場所で、日々の暮らしから地続きで提案されるものって、かなりインパクトがあるみたいで。

実際、今はお客さんの8割が他府県からの方なんです」

この「日常」に寄り添う気持ち、実はお店の名前にしっかりと込められていました。

結果は突然来ない。だから遠足の前の日みたいに楽しく「やわう」

入り口の看板

「『やわい』というのは飛騨の方言で、『準備する、支度をする』という意味なんです。

『祭りのやわいをする』とか、お母さんが子どもに朝、『早く服着なさい!なんでちゃんとやわっとらんの!』みたいな。

毎日、準備なんですよね。お洗濯も、料理も。

そのやわいが楽しくないと、出来た結果や手に入れたものも、楽しくないんじゃないかなと思って。

遠足なんかは準備のほうが本体よりも楽しい例かもしれません (笑)

行った記憶はあまりないんだけど、あの、おやつを真剣に買っているときが、前日わくわくして寝れなかったときが興奮のピーク。

もしかしたら、人生はそういう、名もない日常の支度が主役なんじゃないかと思ったんです。

無形のやわいの中に、喜びとか、悲しみとか、人のいろんな大事なことが詰まっている。

例えばお惣菜を作る時間や、服の糸を紡ぐ時間、焼き物の土をこねる時間。

僕らものの『配り手』は、そこを伝えないといけないなと思うんですよね。

1枚のお皿を作るためにどれだけの時間がかかるか。木材を引くのにどれだけの手間がかかるのか」

安土草多さんのガラスシェード作りの様子
安土草多さんのガラスシェード作りの様子
飛騨の民具、有道杓子の材を削っている様子
飛騨の民具、有道杓子の材を削っている様子

「作り手がかけた時間や手間の分、ものに宿る『気配』や『余韻』があると思うんです。

手にとった時に暖かい気配を感じて、日々使い込むほどに余韻を感じられるようなものを届けたい。

そんな想いを、やわいという言葉の中に、込めました」

意味のないポップ?

たずねるほどに、たくさんのことを教えてくれる朝倉さん。

けれど普段は、あえてお客さんにあまり説明をしないそうです。商品説明を担うはずのポップも、いたって控えめ。

黒い紙に白鉛筆で書かれています
黒い紙に白鉛筆で書かれています

「ポップは、ほとんど置いてないですね。それによく見ると、意味のないことしか書いてないですよ」

一体どういうことなのでしょう。

言葉を尽くす代わりに

「今話したようなことは、来た方にこうやってわーっと話せば、伝わるかもしれません。けれど本当は、言葉を尽くさないものだと思うんです。ものづくりも。

例えばとてもきれいな景色に出会ったとして、僕らの仕事はその景色が見える場所に手をとって連れて行くところまで。

いかに美しいかを言葉を尽くして伝えるのでなく、直に触れてもらってどう感じるかは相手に委ねたい。

だから基本的にはあまりしゃべらないようにしているんです」

店内は、そんな朝倉さんの想いを体現するかのように、とても静かです。

店内

けれど不思議と、ピンと張りつめたような緊張感のある静けさではありません。

外の雑音も、さっきまで頭の中にあった余分な考えもすぅっと吸い込んで消えてしまうような、穏やかな静寂。

自分が気に入った器を手に取る時の、コツン、コトンという音だけが体に響きます。

「だから話さない代わりに」

と、朝倉さんが階段を指し示しました。2階があるのです。

階段

「ここで僕たちがやりたいことを視覚化できればと思って」始めたという上のフロア。

器たちが置かれた1階とは全く違う空間が広がっていました。

ここがまた、ずっと居たくなるような、季節を変えてまた来たくなるような、心地よい場所なのです。

朝倉さんがこの場所で「やりたかったこと」とは。

次回、2階に上がりながら「やわい屋」さんができるまでの道のりを伺います。

2階の様子

<取材協力>
やわい屋
岐阜県高山市国府町宇津江1372-2
0577-77-9574
https://yawaiya.amebaownd.com/

文:尾島可奈子
写真:今井駿介、尾島可奈子