「花嫁さんが持ちたくなるハンカチ」ができるまで

身近なもののことを、私たちは意外とよく知りません。

そのひとつがハンカチ。

前回の記事では「どうしてハンカチは四角いの?」といった素朴な疑問から始まって、ハンカチブランドmotta (モッタ) のデザイナー、山口葉子さんにお話を伺いました。

山口葉子さん


前回の記事はこちら:「ハンカチはなぜ四角い?小さな布に込められたデザインの秘密」

ちょうど伺った時に山口さんが手がけていたのが、1925年のパリ万博に日本から出品された麻のハンカチーフの復刻版。

手刺繍の模様が美しいぜいたくな一枚です
手刺繍の模様が美しいぜいたくな一枚です

デザインの肝である美しい手刺繍の模様を、復刻版では「ジャカード織り」という機械織りで再現することに挑戦したそうです。

こちらが完成した復刻版。白、ピンク、紺の3色が生まれました
こちらが完成した復刻版。白、ピンク、紺の3色が生まれました

デザイナー、というと平面上にいかに美しい姿を描くか、というイメージがありますが、色、素材、作り方で実際の製品の印象も手触りも、ガラリと変わります。今回は生地の織り方が、ハンカチの風合いを決める鍵。

原寸大の紙見本と並べてみると、生地になった時の方が柔らかな印象です
原寸大の紙見本と並べてみると、生地になった時の方が柔らかな印象です

数ある手法の中で山口さんがこの復刻版にジャカード織りを選んだのには、ある理由があったそうです。

いつも身近なハンカチはどんなきっかけで、どんな工程を経て作られるのか。

鍵をにぎる製造の現場に立ち会って、一枚のハンカチが生まれるまでのお話をひもときます。

200年続く日本最大の綿織物の産地へ

訪ねたのは兵庫県の中央に位置する西脇市。

一帯には3つの川が流れ、染織に欠かせない水資源に恵まれていたことから、200年以上前から日本最大の綿織物の産地として発展しました。

一帯で作られる生地は、昔の地域名から「播州織 (ばんしゅうおり) 」と呼ばれています。あらかじめ染めた糸で色柄を織り分ける「先染め」と呼ばれる手法が特徴だそう。

早速、今回の復刻版を手がけている工場にお邪魔すると、ちょうど紺色を織っているところでした。

織っているところ

ジャカード織りとは?

そもそもジャカード織り、どんな仕組みかというと縦にセットした糸の列をプログラムで上下に開口させて、その間に横糸を通してあらゆる模様を描き出す、というもの。

文だけだとわかりづらいので、実際にその様子を見てみましょう。

織り途中の様子。模様の部分は、白のタテ糸が多く集まって糸筋がくっきりと見て取れます
織り途中の様子。模様の部分は、白のタテ糸が多く集まって糸筋がくっきりと見て取れます
上下に分かれたタテ糸の間を、横糸が入ったシャトルが走って…
上下に分かれたタテ糸の間を、横糸が入ったシャトルが走って…
だんだん模様に!
だんだん模様に!
織っている途中
機械の後ろには、こんな風に糸を上下させる機器がセットされています
機械の後ろには、こんな風に糸を上下させる機器がセットされています

ハンカチを依頼した山口さんいわく、ここがジャカード織りの面白いところ。

「パリ万博のハンカチーフは白地に白い刺繍ですが、復刻版では色地に刺繍部分が白く浮かび上がるようにしたかったんです。

それにはプリントより、糸の色で模様を織り分ける織物、中でも模様に立体感の出るジャカード織りがいいなって」

色地に白く浮かび上がる花鳥風月
色地に白く浮かび上がる花鳥風月

しかし日本最大の綿織物、播州織の産地の中でも、ハンカチを扱うメーカーさんは限られるそう。多くはシャツ生地を得意とします。

同じ織物なのに、いったい何が違うのでしょうか?理由の一つを現場で見ることができました。

シャツに求めるもの、ハンカチに求めるもの

織りの様子を見ていると、模様と模様の間に細いラインが走っているのがわかります。

模様が終わる部分のようですが‥‥
模様が終わる部分のようですが‥‥

この線、カットラインと言って、生地を織った後にハンカチサイズにカットする目印になっています。

つまり同時に複数枚のハンカチを横並びで織りながら、次の工程のためにカットの印も織り上げているという、とても複雑な動きです。

左右で違う模様を同時進行で織っていく様子
左右で違う模様を同時進行で織っていく様子

「シャツの場合、配色も2、3色で織り方もワンパターンなものが多いですが、ハンカチだと小さな面積の中でいかに柄を見せるかが勝負。5、6色の糸を使うこともよくあります。

模様も複雑で、シャツを織る時とは機械の動きが全然違うんですね」

さらに糸の太さや生地の密度もシャツとハンカチでは変わってくるそう。

「シャツは体に添うものなので、着ていて簡単に破けないように、太めの糸を使うことが多いんですね。

でもハンカチは、引っ張りに強いことより、柔らかさや吸水性が求められる。

だから糸も細く、密度もゆったり織るような調整をします。うまくいかないと糸が切れたり、模様が崩れてしまったり。この微調整が難しいところです」

糸切れなどの不良がないか、チェックしているところ
糸切れなどの不良がないか、チェックしているところ

シャツを作るのとは勝手が大きく異なり手間もかかるので、産地でもハンカチを扱うところが限られるのだとか。

この小さな四角い布、何気ないようで完成するまでにいろいろな工夫が凝らされています。

織りの複雑さは、四角の中で柄を完結させないといけないハンカチならでは
織りの複雑さは、四角の中で柄を完結させないといけないハンカチならでは

こうして無事、1枚のハンカチが織り上がりました。

織った生地をカットして縁を縫えば、完成です!
織った生地をカットして縁を縫えば、完成です!

結婚式に使えるハンカチ

実は山口さんには、復刻版のハンカチをジャカード織りで作ろうと思い至ったひとつのきっかけがありました。

「復刻版は3色作りましたが、一番作りたかったのが白なんです。

実は自分が結婚式を挙げる時に、式場の方に『白いハンカチを持ってきてください』って言われたんですよ。でも意外と真っ白の、佇まいの素敵なハンカチが見つからなかった。

ジャカード織なら、ぱっと見は白だけれど、角度を変えると模様が浮き出るハンカチになって素敵だろうなと思ったんです」

motta037白

確かに写真では、うっすらと模様が透けて見える程度。けれど実際に持ってみるとその柔らかな風合いとともに、美しい模様が手の中で浮かび上がります。

「純白のアンティークレースみたいな白、のイメージで作ってみました」

「こんなハンカチがあったらいいな」の想いが設計図となり、産地の技術と結びついて、復刻版だけれど新しい、1枚のハンカチが生まれました。

ハンカチをめぐる旅、いかがでしたでしょうか。今朝選んだそのハンカチも、こんな風に生まれてきたかもしれませんね。

<掲載商品>
motta037 (中川政七商店)


文・写真:尾島可奈子

ハンカチはなぜ四角い?小さな布に込められたデザインの秘密

いま、ハンカチはお持ちですか?カバンやポッケの中に。

あったらちょっと出してみてください。今朝選んだのは、どんなハンカチでしょうか。

色とりどりのハンカチ

無地ですか?それとも柄がある?

ふわふわしたパイル地のタオルハンカチ?それともお弁当を広げられる大きめのものでしょうか。

ハンカチにお弁当を広げている様子

選んだ理由は、服や気分、それとも今日のラッキーカラーかもしれませんね。

ひとくちにハンカチと言っても、今日を共にしているその姿はきっと人それぞれ。

こんなに身近なのになぜ四角い形をしているのか、その理由も知りません。

ハンカチがどのようにデザインされ生まれてくるのか、ハンカチブランドのデザイナーさんに教えてもらいました。

開いたときの物語を描く

お話を伺ったのはハンカチブランドmotta (モッタ) のデザインを手がける、山口葉子さん。

山口葉子さん

2013年にブランドデビューしたmottaは、アイロンいらずで使える使い勝手の良さと、豊富な色柄のバリエーションで人気です。

motta

普段はハンカチに限らず、さまざまな生活雑貨をデザインしている山口さんですが、ハンカチを手がける場合、どんなことに気をつけているのでしょうか。

「やっぱりハンカチを折りたたんだときに一番上にくる部分が、素敵に見えるデザインがいいなぁと思っています」

折りたたまれたポケットサイズのハンカチ
折りたたまれたポケットサイズのハンカチ

「例えば、同じ四角でもスカーフは広げて使うので、折った時にどう見えるかはデザイン上あまり気にならないんですね。

でもハンカチは折って開くという動作がちょっと独特かなと思うので、そんなハンカチらしさを生かしたデザインができたら楽しいかなって。

開いたときの物語をどうしようかって考えられるのが面白いところかな」

この折りたたんだ状態を意識したデザイン、実ははるか数百年前に火付け役となっていた人物がいました。

「マリー・アントワネットのハンカチなんて、縁取りがヒラヒラするようすごくキレイなカットが入っていたりするんですよ」

ハンカチを四角くしたのはマリー・アントワネット?

実はハンカチを正方形に定めたのは、ルイ16世王妃のマリー・アントワネットだと言われています。

当時いろいろな形をしたハンカチがあった中で、マリー・アントワネットが正方形のハンカチを手にして、世に広めたのだそう。

彼女の誕生日である11/3は、ハンカチーフの日とされています。

16世紀からすでに人々を虜にしていた、小さな四角い美の宇宙。デザインする時の難しさってあるのでしょうか。

ハンカチのデザインは四角で考える。

「例えばワンピースに使うテキスタイルを考えるときは、生地を使う面積が広いので、柄も余白も大きく作ったりします。

けれどハンカチはこの四角の中で柄が成立していないといけません」

ハンカチを手に持っているところ

「例えば大きな生地をハンカチサイズにカットしたときに、表面がほぼ余白だけになってしまってはダメですからね。

ちょうど、絵を描くのと似ているかも。四角の中でどう表現するかで考えるんです」

“表現”は、何も平面上の柄づくりだけに止まりません。考えたデザインを、どんな色、素材、生地の織り方で見せるか。

ちょうど山口さんが最近手がけたのが、「復刻版」のハンカチでした。

1925年のパリ万博に出品された麻のハンカチーフ。手織りしたきめ細かな麻生地に、美しい花鳥風月を刺繍した大変ぜいたくな作品です。

実物は桐箱入りで大切に保管されています
実物は桐箱入りで大切に保管されています

すでにプリント柄での復刻版は作っており、今回は続編として、「織り」でこの美しさを表現できないか挑戦することに。

その指示図がこちらです。

指示書

そして完成した商品がこちら。

白、ピンク、紺の3色の復刻版が生まれました
白、ピンク、紺の3色の復刻版が生まれました
原寸大の紙見本と並べてみると、生地になった時の方が柔らかな印象です
原寸大の紙見本と並べてみると、生地になった時の方が柔らかな印象です

「万博に出品した時の模様は全て手で刺繍されているんですよ。数多く作る復刻版では同じように手刺繍するのは難しいですが、この風合いをなにか他の方法で表現できないかなと思って」

美しい手刺繍の模様
美しい手刺繍の模様

「そこで、生地の表面にわずかに凹凸が生まれるジャカード織りなら、手刺繍の立体感が再現できるんじゃないかと思ったんです」

ジャカード織り。普段はあまり耳にしない響きです。

「なかなか作れるメーカーさんに出会えなかったんですが、ようやく作っていただけるところが見つかって。やった、これでできる!って」

そう、ハンカチ作りはデザインして終わりではありません。

設計図に描いた姿が、どのような道のりを経て立体の製品になったのか。この復刻版のハンカチに合うと山口さんが確信した「ジャカード織り」とは?

次回、このハンカチが生まれる現場に立ち会います。

織られている様子

<掲載商品>
中川政七商店
motta037
motta006


文・写真:尾島可奈子

まるで宝探し。好きなかごに出会える鹿児島の「創作竹芸とみなが」

自然の素材で編んだ「かご」。

素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。かごは大切に手入れして使えば愛着もわき、またそれに応えるかのようにいい味を出してくれます。

「日本全国、かご編みめぐり」は、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介していきます。

鹿児島に竹かごを訪ねます

JR鹿児島中央駅から北へ15分ほど歩いたところ。目の前に突如、吊り下がったかごが現れます。

道路沿いに吊り下げられた、かご

立ち止まって建物を見上げると、お店の名前らしき文字。

生い茂る草木で見えづらくなっていますが、お店のようです
生い茂る草木で見えづらくなっていますが、お店のようです

中を覗いてみると…

お店の様子

見渡す限りのかご・かご・かご!

かごだらけの店内
小物も所狭しと並んでいます
小物も所狭しと並んでいます

ここ「創作竹芸とみなが」は、鹿児島の竹細工を専門で扱うお店。

ご主人の富永容史 (とみなが・たかし) さんは、40年ほど前に「鹿児島の竹細工をなんとかせんといかん」とこのお店を始めたといいます。

ご主人の富永さん
ご主人の富永さん

実は鹿児島県、竹林面積が日本一。竹の種類は四、五十種類にのぼるそうです。豊富な資源を元に、県内では用途に合わせた様々な竹かごが生まれてきました。

使ってみたい、鹿児島のご当地かご

「この背の高いのは三段かご。一番上におにぎり、二番目におかず、三段目が深くなっていて、湯呑み茶碗や果物なんかを入れておくんです。現地着いたら広げて使うわけね」

左から2つ目が三段かご。お隣は二段かごです
左から2つ目が三段かご。お隣は二段かごです

「これは児童かご。子供に持たせるかごね」

児童かご

かご好きにはたまらない、可愛らしくそれでいて機能的な佇まい。そして並んだ二つの児童かごの、色の違いにお気づきでしょうか。

「手前は使いだしてから40年経った児童かご。ものすごくきれいな飴色でしょう。染めたわけでもなんでもなく、持っていただけで自然にこうなっていくんです。

竹の良さはそこにあるんだよね。使うほどに飴色になって、数十年経っても丈夫で長持ち。通気性があるから食べ物を入れるのにも便利。まぁ、長持ちすぎて売れないのが困りものだけど」

そう笑う富永さんですが、お店を開いたのはこの「売れない」竹をなんとか世の中に届けたいとの思いがあったからでした。

職人のアドバイザーに

戦後、プラスチック製品の普及により、竹製品の需要は激減。

「鹿児島の竹細工も相当の職人が辞めました。海外から安い竹製品がどんどん入ってくるようになったのも追い打ちでしたね。

もちろん、何年も丈夫に使える竹製品がいいという人も少なからずいましたが、職人は作るプロで、お客さんがどんなものを欲しいか、なかなか気づけないわけです」

そこで富永さんは家業である竹の製材業を通じて、竹の納品先だった職人さん達に働きかけをしていくように。

「人気や流行を教えたり、製品の改善点を伝えたり。お客さんの声を元にアイディアを渡してね」

こうした働きかけを重ねるうちに、完成した製品を扱うお店を開くことに。今も職人さんたちは試作品ができると、「こんなん作ったけど売れんだろうか」と富永さんを訪ねてくるそうです。

宝探しのように好きなかごに出会う

店内に所狭しと並ぶ竹かごは、富永さんが鹿児島の職人さんと作ってきた、まさに試行錯誤の賜物。

「お店もあんまり小ぎれいにしない方がいいの。あちこち見て『あ、こんなかごがある!』と自分で好きなものを見つける方が楽しいからね」

様々なかごが陳列されています
様々なかごが陳列されています

「お客さんでも『おじちゃんの店宝探しをするのが楽しみ』と言ってくる人がいたりね」

例えばこちらは蓋が両サイドから開く置き型のかご
例えばこちらは蓋が両サイドから開く置き型のかご

そんな富永さんのお店には、土日ともなると県外からも竹かご好きのお客さんがやってくるそうです。人気製品は品切れしてしまうこともしばしば。

「オンラインショップを勧めてくれる人もあるけれど、品物がなかったらお客様に迷惑をかけるし、やっぱり現物を見てもらって、お客さんと会話をしながら納得して買っていただきたいからね」

中でも一番人気だというのがこちら。

とみながのサンドイッチかご

「昔は『豆腐かご』と言ってね、お豆腐を買って入れる用に使われていたんです」

その名をサンドイッチかご。もう名前と見た目だけで、射抜かれてしましました。

中はこんな感じです
中はこんな感じです

鹿児島のご当地かごの中でも、作れる人が限られる難しいものだそう。

一体どんな風にこの愛らしいかごは生まれているのか。

次回、富永さんのご案内で、サンドイッチかごが生まれる現場を訪ねます。

<取材協力>
創作竹芸とみなが
鹿児島市鷹師1-6-16
099-257-6652

文・写真:尾島可奈子

再興のキーは「先人の教えからゼロへの転換」 有田焼30年史に学ぶ

今月、「さんち」では焼き物の一大産地、佐賀を特集中です。

そこでお隣の長崎県とともに形成する「肥前窯業圏」に注目。県境に位置する有田と波佐見という二つの磁器産地が辿ってきた数奇な運命を、全3回にわたってお届け中です。

窯業圏全体の歴史をおさらいした第1話に続いて、第2話の今日は肥前のチャンピオンたる有田のこれまでと、これからの挑戦のお話です。

80年代の京料理ブーム、90年代の料亭需要、そして…

有田焼代表としてお話を伺うのは、株式会社百田陶園の代表取締役である百田憲由さんです。

百田憲由さん

「有田焼は1980年代の京料理ブームに乗って、高級料亭で使える器をつくることで売上を伸ばしてきました。

京都市内の地域ごとに得意先がいくつかあって、車に器を積んで持っていけば一度で何千万円と売れた時代があったんですよ!今では信じられないでしょ?」

百田さんは有田の30年の振り返りとして、熱くそう切り出しました。

いわゆるバブル期の波に乗って、有田焼は売上を右肩上がりに伸ばしていくことに成功します。

実際に数字を見ても、1990年前後に有田焼の売上はピークを迎えていて、有田焼の伝統と質の高さが生み出す高級感で多くの料亭に選ばれていました。

「そんな美味しい時代を過ごしてしまったから、有田はなかなか変われなかったんです。

間もなく和食器が売れなくなる時代が来てしまって。自民党の政権崩壊とともに官官接待が無くなって、それで料亭の予算も縮小したのが大きかった。

料亭での器こそ生命線だったので、深刻な打撃を受ける形になってしまったんです」

それだけでは止まらず、日本にもファミリーレストランやその他洋食店が台頭し、家庭での和食の回数も減ったため、次第に洋食器にシェアを奪われていきます。

寛容だった銀行も、売上と借金が逆転するタイミングで、お金を貸してくれなくなってしまいました。それがだいたい15年前、有田全体が将来への不安に包まれます。

追い打ちをかけるリーマンショック。しかし、一筋の光明が。

誰よりも有田の未来に危機感を抱き、率先して行動してきました
誰よりも有田の未来に危機感を抱き、率先して行動してきました

「もちろんその時代も何もしなかったわけじゃないですよ。新しく出した焼酎グラスとかカレー皿がヒットしたんです。

でもね、そしたら次はなんとリーマンショックが来たんですよ!

もう嫌になっちゃうくらいその時期は深刻で、どんな器を企画して出そうとも全く売れないという時代が5年は続きました」

苦境を迎えひたすらじっと我慢する日々。そこにやっと、一筋の光明が差し込みます。

「ちょうどその時ですよね。パレスホテルから声をかけていただいたのは」

2010年の6月、それが百田陶園にとって、そして有田焼にとっての、大きな転換期となります。

パレスホテル東京のリニューアルオープンに合わせたフラッグショップ出店の話が舞い込んできました。

大きなリスクを背負った挑戦『1616 / arita japan』

「リスクを背負ってでも勝負するならこのタイミングだと。売るのではなく、発信することで次の有田をつくっていく。そういう強い思いで始まったのが『1616 / arita japan』でした」

これは、デザイナーの柳原照弘さん、ショルテン&バーイングスさんと百田陶園によるプロジェクト。

有田で磁器が生まれた1616年をブランド名として掲げ、当時の土の雰囲気を再現するような感覚を持ちつつ、これからの有田の物語を描く新しい陶磁器ブランドです。

「まず柳原くんに有田を見てもらったんですが、そこで彼が『ここは先人のつくったものに頼りすぎていてゼロベースでつくったものが何もない』と言ったんですよ」

その言葉は百田さんにとってハッとさせられるものでした。

歴史と技術には自信があるからこそ、そこに頼るのではなく、ここから全く新しい有田をつくっていきたい。

「もう一度、世界中の家庭の食卓で有田焼が使われる世界をつくりましょう!」と柳原さんと固く約束し、『1616 / arita japan』のプロジェクトは進んでいきました。

驚くべきことに、なんと当時の百田陶園の1年分の売り上げに相当する投資をつぎ込んだそうです。

「投資をする時は、2番目3番目がついてこられないくらい思い切りお金を出さないと!」と、百田さんは話します。

それはまさに、社運をかけての挑戦。

そして2012年に、世界最大級の見本市「ミラノサローネ」で満を持して発表します。

「発表してからの1年間は、いろんな人に馬鹿にされたり、プレッシャーとの戦いでした」と話す百田さん、なんとストレスで10本の指の爪が3ミリくらい分厚くなり、皮もむけてしまったそう!

「そいういうことも含めて全部、世界一になったことで報われましたし、明らかに有田のまわりの潮目が変わりましたね」

「1616 / arita japan」は、ミラノサローネ「エル・デコ・インターナショナル・デザイン・アワード・2013」のテーブルウェア部門で、見事に世界一を受賞。

あのニューヨークタイムズがニュースで取り上げたこともあり、世界に再び有田の名前が広がることになりました。

百田陶園の一世一代の挑戦は、こうして成功を勝ち取ったのです!

有田全体を巻き込んだ新プロジェクト『2016/』

その成功を経て、佐賀県より有田焼創業400年事業の目玉として、次のプロジェクトへの応援要請が舞い込みます。

『1616 / arita japan』のノウハウで、有田焼全体を盛り上げて欲しいという依頼でした。

「かなり迷いましたよ。あれだけのお金を投資して得たノウハウを差し出すということで、下手したら百田陶園が倒産する可能性もありましたから。

でも、有田の10年、20年先を想った時に、ここで協力しないのは嘘だ!そう思って決心しました」

このプロジェクトには16もの会社が参加に手を挙げました。参加人数が多いプロジェクトになってしまったため、取り組む姿勢にも各社でばらつきがあり、一つにまとめるのもままならないという状況。

「でもね、そこでみんなに伝えたんです。全てのノウハウを隠さず出すと。

嘘もつかないし駆け引きもしない、だから親戚以上の親戚と思って付き合ってもらえますか?そうやって本気で伝えることで、プロジェクトのみんなが『こいつだったらついていこう!』と思ってもらえるようになった感じがしました」

有田の未来を担う、400年事業の軸となる『2016/』
有田の未来を担う、400年事業の軸となる『2016/』

そうして不退転の決意を固め、流通とディレクションを一本化するために新会社を起こし代表としてプロジェクトをリードしていきます。

また有田の未来を俯瞰で見たときに、ノウハウまでは出してそこからは各社で競い合ってもらうように線引きもしました。

このプロジェクトが終わっても、それぞれの会社の力で生きていけるようになるためです。

「『1616/』は有田焼のスタートで、ゼロベースという意味。新ブランド『2016/』は400年を機に、これからの未来を意味しています」

苦難の時代を乗り越え、百田陶園から始まった有田の未来を考える動きが産地全体に広がり、こうして有田は未来に向けて着実に歩みを進めはじめました。

苦しい時代の中でなかなか変わることが出来なかった過去の自分たちと決別し、これからも有田は挑戦を続けていきます。

世界のデザイナーの力も取り入れ、新たな有田焼を提案していきます
世界のデザイナーの力も取り入れ、新たな有田焼を提案していきます

明日は波佐見の30年に迫ります。ご期待ください!

第3話「西海陶器とマルヒロが語る、波佐見焼の誕生とこれから」はこちら

文:庄司賢吾
写真:菅井俊之、有田観光協会

※2017年2月1日の記事を再編集して掲載しています。

フィギュアスケート選手からの転身。若きブレード研磨職人の妙技

平昌オリンピックが開幕しました。

「さんち」では、人気競技フィギュアスケートに欠かせない、スケート靴の刃「ブレード」に注目。

この刃の部分がブレード。羽生結弦選手、宮原知子選手、浅田真央元選手、名だたるスケーターも、皆ブレードに個性があります
この刃の部分がブレード。羽生結弦選手、宮原知子選手、浅田真央元選手、名だたるスケーターも、皆ブレードに個性があります

昨日から前後編に分けて、ブレード研磨職人の櫻井公貴 (さくらい・きみたか) さんにお話を伺っています。

工房にお邪魔しました
工房にお邪魔しました

前編でわかったのは、ブレードの研ぎ方が演技の成否を大きく握っているということ。幅わずか4ミリの世界です。

今回はいよいよ、ブレード研磨の瞬間に立ち会います。

>>前編はこちら:「平昌五輪、フィギュアスケート。選手の個性はブレードに宿る?」

依頼は年間500足以上。ブレード研磨とは?

通常、ブレード研磨は住んでいる地域のスケート用品専門店に頼むことが多いそう。お店に研磨の設備が併設されているのです。

ですが櫻井さんが研磨を担当する横浜のお店には、全国のみならず時には海外から、研磨の依頼が舞い込みます。

その数、年間で500足以上。2人のアシスタントと共に、次々とやってくる依頼をこなしています。

「靴やブレードの状態は、一つひとつまるで違います。それぞれの個体にあわせて研磨していきます」

ちょうど研磨の依頼があった靴。練習の跡が見て取れます
ちょうど研磨の依頼があった靴。練習の跡が見て取れます

ブレードの刃は、わずかにU字にくぼんでいます。実際に氷の上を滑るのは、ブレード全体ではなく左右のエッジの部分のみ。

このエッジが氷との摩擦で削られて滑りにくくなるのを元に戻すのが、研磨の仕事です。

しっかり使い込んだスケート靴のブレードの様子。エッジが摩耗して、刃の表面がフラットになっています
しっかり使い込んだスケート靴のブレードの様子。エッジが摩耗して、刃の表面がフラットになっています

「刃を研ぐというのはブレードの中ほどを研ぐ感じです。中を研いだ分、U字の左右の頂点、つまりエッジが際立ちます。

エッジをどんな状態にするかが、人によって違うんです。

例えば包丁は一番よく切れる状態がベストですが、フィギュアのブレードの場合は鋭ければいいというわけではないんですね」

前回のインタビューではちょうど羽生結弦選手や宮原知子選手を例に、研ぎ方は個人の好み次第、と伺いました。

年間500足もあると、いろいろなリクエストがありそうです。いったいどんな研磨の依頼があるのでしょうか。

研ぎの好みは料理と同じ

「実は『滑りやすいようにお願いします』ってオーダーが一番多いですね (笑)

でも滑りやすく感じる研ぎ具合って、人それぞれにまったく違うんです。

料理と一緒で、いつでも同じ味を出したいと思うように、シーズンを通してずっと安定していいものを出していきたい、というのが本人の願いです。

でも料理だって家庭ごとに味が違いますよね。

だから季節や本人の好みにあわせて、同じ人のブレードでも研ぎ方を変えていったりします」

一体どのように研ぎ具合を調整するのでしょう。まだメーカーから届いたばかりの新品ブレードを使って、研磨の様子を見せていただきました。

メーカーで多少研いであるという新品ブレード。「目はきれいですが、これだとまだ刃が弱いんです」
メーカーで多少研いであるという新品ブレード。「目はきれいですが、これだとまだ刃が弱いんです」

火花散る研磨の現場

研磨は機械研ぎと手研ぎの2段階に分かれます。

鉄粉が飛ぶため密閉された機械研ぎの部屋。扉には選手だった頃の浅田真央さんのポスターが
鉄粉が飛ぶため密閉された機械研ぎの部屋。扉には選手だった頃の浅田真央さんのポスターが
これが研ぎの機械。中央の小さなピンクの円盤がグラインダー (円形の砥石盤) です
これが研ぎの機械。中央の小さなピンクの円盤がグラインダー (円形の砥石盤) です
回転するグラインダーに刃先を当てて研いでいきます
靴を動かして刃を当てていくと‥‥
靴を動かして刃を当てていくと‥‥
研ぎの熱で、火花が!
研ぎの熱で、火花が!

大きな機械音が鳴り響くこと数分。

この機械研磨でまず、U字の溝の深さが大まかに決まり、エッジの左右にバリ (引っかかり) が生まれます。

指先でバリの感触を確認する櫻井さん
指先でバリの感触を確認する櫻井さん
目指す具合になるまで研いでいきます
目指す具合になるまで研いでいきます

「今はまず、氷と接する面に引っかかりができた状態です。次の手研ぎでこの引っかかりを狙った鋭さ、形に整えてきます。

氷の上を滑るレールのように、エッジを作っていくんです」

場所を移動して、次は手研ぎへ。作業の合間合間に、印象深いお話を伺いました。

試合本番で、心強い相棒となるように

はじめに「研ぎは個人の好みに合わせて」と語っていた櫻井さんですが、なんとその人が次にどのリンクで滑るかによっても、この手研ぎで微調整をするそうです。

手研ぎに使う砥石。よく使うものでも5、6種類あり、目の細かさで使い分けていきます
手研ぎに使う砥石。よく使うものでも5、6種類あり、目の細かさで使い分けていきます

「リンクによって氷の状態が違うんですね。

中身がしっかり詰まっている固い氷もあれば、リンクの温度が低すぎて表面がぱりぱり割れてしまう場合もある。

ジャンプを飛ぼうと思っても氷にはじかれちゃって飛べない、ということもあるんですよ。

だから選手は試合前の公式練習で氷の感じを確かめて、身体の感覚をそこに合わせていくんです」

当日になってみないとわからない、リンクの状態や自身のコンディション。

そんな中で「いつもと同じ」味を出してくれるスケート靴の存在は、選手にとって相当に心強いはずです。

「選手にはよく、試合のために頑張れるのであれば、道具に対しても意識を高く持ってと言っています。

自分の好きなブレードの消耗具合があるんだから、それを見越して研磨にきてねと」

手で触って、刃の状態を確かめているところ
手で触って、刃の状態を確かめているところ

「時々、大会2、3日前になって不安から『刃が上滑りしているんじゃないか』って研ぎを頼みに来る子がいるんです。

それで刃をいじって調子をかえって狂わしては、もったいないですからね」

そう櫻井さんが説くのは、自身にも身に覚えがあるからでした。

「選手って案外そういうところには無頓着だったりするんです。自分もそうだったんですけど」

実は櫻井さん、大学時代には全日本選手権にも出場経験のある、元フィギュアスケート選手なのです。

選手時代に出会ったブレード研磨の世界

研磨との出会いは選手時代にありました。インストラクターとして指導を受けていたのが、坂田清治 (さかた・せいじ) さん。

かつて浅田真央選手から靴の相談や、キム ヨナ選手からブレード研磨の依頼も受けたという、ブレード研磨のプロフェッショナルです。

櫻井さんが研磨をおこなう工房は、もともと坂田さんが自身のフィギュアスケート専門用品店の中に構えたものでした。

スケート靴の採寸や試着もできるようになっている店内
スケート靴の採寸や試着もできるようになっている店内

櫻井さんは学生時代から坂田さんについて、このお店で研磨を手伝っていました。

その後、大学卒業と共に選手生活を終え、ご実家の精密機械工場に就職。

ところが就職して6年ほどたった頃、研磨の仕事が忙しくなってきた坂田さんから、手伝ってほしいと声がかかりました。

「学生時代は仕上がりの精度に差しさわりがない範囲での手伝いでした。

みっちり坂田の下で研磨を教えてもらったのは社会人になってからですね。

坂田が病気で倒れるまでの、ちょうど1年間でした」

ブレード研磨のバトンは、思ってもみないかたちで櫻井さん一人の手に受け継がれることに。

まさに技術を教わっていた最中に、師事すべき人が現場から離れざるを得なくなってしまったのです。

突然の世代交代

突然、櫻井さんが主担当として研磨を行う日々が始まりました。今に続く、ご実家の工場と研磨の、二足のわらじ生活です。

「それでも1年間、坂田の仕事をそばで見ながら学んだことで、ある程度の基礎はつかんだ手応えがありました」

手研ぎの様子。砥石でシャッシャと軽やかに研いでいきます
手研ぎの様子。砥石でシャッシャと軽やかに研いでいきます
少し研いだら指先で確認、を繰り返します
少し研いだら指先で確認、を繰り返します

「実家で精密機械を動かしたりパーツを組み立てていく技術や感覚を持っていたのも幸いでしたね」

先ほどの機械研磨は、まさに精密機械の操作とリンクします
先ほどの機械研磨は、まさに精密機械の操作とリンクします

「あとは自分の経験と、他のお店の方の意見も取り入れながら自力で技術を構築していった感じです」

突然の世代交代から5年。

海外からもわざわざ依頼がくるほどの腕前を支えたのは、選手時代の経験でした。

試合まであと2週間。研磨職人の腕の見せどころ

「選手が試合に向けて研磨を持ってくるのはだいたい2週間前くらいです。

通常だと、エッジに少し余分なバリを残して仕上げるんですね。

試合までの2週間の練習でだんだんバリが取れていって、刃を守りながら試合本番の頃に一番本人が滑りやすい状態に持っていけるようにしています」

しかし「一番滑りやすい状態」は、人によって千差万別。

そのため来店時に、次の試合の予定や開催場所、前回の研磨がどうだったかなど、本人の好みや使用状況を細かく聞いていきます。

あとは全て、経験に基づく想像の世界。

あのときはこう研いでもらったから滑りやすかった、あのリンクなら氷はこんな感じだろう。

それらを依頼者の意向と擦り合わせ、試合までの日数を計算し、目指す刃の姿をイメージしていきます。

最後の仕上げはT字の砥石でした。エッジの外側に飛び出しているバリを、内むきに整えることで、エッジがきれいな山形に整います
最後の仕上げはT字の砥石でした。エッジの外側に飛び出しているバリを、内むきに整えることで、エッジがきれいな山形に整います

「もし依頼が試合直前であれば、バリも全部落としてすぐに滑れるようにしてしまいます。

今ちょうど、大会にすぐ滑れるような尖ったエッジの状態に研いでみました」

研いでいない足の刃。表面に細かな筋がみられ、光をぼんやりと反射します
研いでいない足の刃。表面に細かな筋がみられ、光をぼんやりと反射します
研いだ足側の刃。表面の目が細かく、光の反射がよりはっきりしているのがわかるでしょうか
研いだ足の刃。表面の目が細かく、光の反射がよりはっきりしているのがわかるでしょうか

「見た目にはとてもわかりづらいんですが、氷の上で滑るとなめらかさが全く違うんですよ」

これは手で触ってみるとはっきりとわかりました。機械研ぎ、手研ぎを経て、ブレードの両サイド、エッジの部分の輪郭がどんどんはっきりしています。

手を切らないように注意しながら。フラットだったブレードの面に縁ができたのが、はっきりわかりました
手を切らないように注意しながら。フラットだったブレードの面に縁ができたのが、はっきりわかりました

感覚のスポーツ、フィギュアスケート

「でも、エッジがあまり尖らず丸い方が滑りやすい、という子もいます。

大事なのは、その子のフィーリングに合わせて刃の具合を整えてあげること。スケーターにとってはエッジが浅い、深いという事実よりも、感覚が全てなんですね。

氷に降りた一瞬の気持ちよさ。それでテンションがばぁっと上がってくれれば。

上がった時のジャンプって、飛べるんです。なにより自分が、そうでしたからね。

選手からのフィードバックですか?

『特に問題なかったです、またいつもと同じ感じでお願いします』っていう子が多いかな (笑) まぁ、便りがないのがいい知らせです」

実は取材中、撮影のためにブレードを数種類並べていたら、テーブルに駆け寄ってきた方がいました。ちょうど研磨を頼みに来ていた若い女性でした。

「趣味ではじめて、気づいたらもう10年滑っています。

そろそろブレードを変えようかなと思っているんですけど、これだけの種類を見られるのもなかなか無いので。ちょっと、見てもいいですか?」

ブレードを見つめる目がとても真剣で、何より嬉しそうです。

ファントムかゴールドシールあたりかなぁ、と候補に考えているブレードの名前を彼女が挙げると、

「今、コロネーションを使っているなら、次はパターン99 (ナインティナイン) かファントムを間に入れるのがいいですよ」

とスタッフの女性がアドバイス。

「そうですね、ゴールドシールは本当に、選手用って感じだもんなぁ」

ズラリと並べたブレードの、一番手前が「ゴールドシール」。氷をつかむトゥ (つま先のギザギザ部分) が小さく、ジャンプよりはスケーティング向きだそうです。使っているのは荒川静香、キム ヨナとそうそうたるメンバー
ズラリと並べたブレードの、一番手前が「ゴールドシール」。氷をつかむトゥ (つま先のギザギザ部分) が小さく、ジャンプよりはスケーティング向きだそうです。使っているのは荒川静香、キム ヨナとそうそうたるメンバー

話しているうちに、頼まれていた研磨を終えて櫻井さんが工房から戻ってきました。

今日はこんな感じに研いでみました、と説明する櫻井さん
今日はこんな感じに研いでみました、と説明する櫻井さん
バックスクラッチスピンが苦手で‥‥と話す女性に、普段の使い方などを聞いていきます
バックスクラッチスピンが苦手で‥‥と話す女性に、普段の使い方などを聞いていきます

「では滑って違和感なければ、この研ぎ方で続けてみましょう。また様子見て、持ってきてください」

安心した様子で身支度をする女性に、普段頼んでいる研磨のことを伺ってみました。

「固い氷をぐっと噛んでくれるのがいいとか、今度の試合はここなので、というと微調整してくれるんです。

研磨の後の感覚ですか?もう、全然違いますね。

今までこんな平らな刃で滑ってたのかって、氷に乗った瞬間にわかるんです」

氷上の華、フィギュアスケート。

オリンピックの舞台に立てるスケーターはほんの一握りですが、あの美しい世界に魅せられ、子供の頃から選手を目指す人、大人になってスケートを始める人が、全国に居ます。

今でも時おり滑りに行くという櫻井さんも、氷の上で滑る楽しさを知っている一人。

よき理解者に足元をしっかり磨き上げられて、氷上のスケーターたちは今日も、自分の一番気持ち良い滑りを楽しんでいます。

<取材協力>
アイススペース株式会社
神奈川県横浜市神奈川区広台太田町4-2 ベルハウス神奈川202
http://www.ujt.co.jp/shopinfo.php

文・写真:尾島可奈子

1月 新しい年のゲン担ぎ。豆盆栽「金豆」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。

そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。

植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

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紅白の梅、思いのまま

12月の松に続き、今月もおめでたい植物が続きます。「思いのまま」とは、実は梅の品種名なんです。

「一本の木に紅白の花を、好きな場所に、好きなだけ咲かせます。まさに思いのまま。非常にユニークで、面白い木ですよね」

梅 思いのまま

「古い植木屋さんから聞いた話では、高貴な身分の方が、その立場ゆえに不自由な暮らしの中で、もっと思いのままになればいいのに、と好んで育てていたとも言われています」

もともと自然界にある品種ではなく、人の手で交配を重ねて生み出した園芸品種だそうです。咲き方は鉢によっても異なり、咲いてみるまでわからないとのこと。

まさに名が体をぴったりと言い当てています。

今月のもうひとつの季節鉢「金豆」も、名前に物語のある植物。キンズ、と読むそうです。

縁起を呼び込む豆盆栽、金豆

全体像

金、の字は金柑の仲間であることもあるようですが、もうひとつ、縁起を担いだいわれがあります。

「黄色く熟した果実がまるで『金の豆』に見えることから、縁起のよいものとして重宝されてきた植物です」

熟す前はこんなに青々としていますが‥‥
熟す前はこんなに青々としていますが‥‥
黄金色に輝いて見える?完熟した金豆の実。ちなみに食べられません
黄金色に輝いて見える?完熟した金豆の実。ちなみに食べられません

「また、豆という名前はだいたい小さいサイズの植物につきます。柿でも、豆柿とか言いますね。

小ぶりで可愛らしいので、豆盆栽の素材として園芸好きにも好まれています」

豆盆栽。なんとも愛らしい響きです。

黄色い実を金色の縁起ものに見立てたり、小ささを「豆」に例えたり、植物の生き様を名前に込めてみたり。

見る、育てるに加えて、植物の名前に親しむのも、ひとつの楽しみになりそうです。

「それじゃあ、また」

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・1月の季節鉢「梅 思いのまま」「金豆」(それぞれ鉢とのセット。店頭販売限定)

季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店・阪神梅田本店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

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西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
そら植物園(株)代表取締役社長。21歳より日本各地・世界各国を旅してさまざまな植物を収集するプラントハンターとしてキャリアをスタートさせ、今では年間250トンもの植物を輸出入し、日本はもとより海外の貴族や王族、植物園、政府機関、企業などに届けている。
2012年、ひとの心に植物を植える活動・そら植物園を設立し、名前を公表して活動を開始。初プロジェクトとなる「共存」をテーマにした、世界各国の植物が森を形成している代々木ヴィレッジの庭を手掛け、その後の都会の緑化事業に大きな影響を与えた。
2017年12月には、開港150年を迎える神戸にて、人類史上最大の生命輸送プロジェクトである「めざせ!世界一のクリスマスツリープロジェクト」を開催した。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。
文・写真:尾島可奈子