益子「いろり茶屋」で味わうイノシシ鍋。益子焼の器に「燦爛」の燗酒を

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

旅先で味わいたいのはやはりその土地ならではの料理です。あとは地酒と地の器などがそろえば、もうこの上なく。産地で晩酌、今夜は益子で一杯。

窯元めぐりでお邪魔した「えのきだ窯」さんにいたら、すっかり日も暮れてきました。近くで晩酌できるお店を紹介しようと思うんです、と目当てのお店の名前を告げると、

「ああ、このすぐ裏手ですよ。実はうちの親戚がやっているんです」

これはご縁!わざわざお店まで道案内してくれました。道途中にも、味のある看板が。

道途中の看板
イラストのイノシシが気になります…

急勾配の階段と坂を登りきると、立派な建物が見えてきます。看板には「いろり茶屋」の文字。

坂を登りきって、到着!
坂を登りきって、到着!

「それじゃあごゆっくり」と榎田さんに見送られて、景色の良い窓側の囲炉裏席に座ります。まず目に飛び込んできたのは、囲炉裏の上に吊られた木彫りのイノシシ。

通りから少し丘を上がっただけですが、窓いっぱいに緑が広がります。窓の上には先代が趣味で各地から集めたという大皿のコレクションが
通りから少し丘を上がっただけですが、窓いっぱいに緑が広がります。窓の上には先代が趣味で各地から集めたという大皿のコレクションが
この木彫りは‥‥
この木彫りは‥‥

そう、ここ「いろり茶屋」では年間を通して美味しいイノシシ鍋がいただけるのです。

スープの入った鍋が運ばれてきました
スープの入った鍋が運ばれてきました

普段は煮込んだ状態で出されるというお鍋を、2代目の榎田大介さんがわざわざ目の前で調理してくれました。

これで1人前です!
これで1人前です!
温まった鍋に投入!
温まった鍋に投入!

「イノシシ肉は煮込むとやわらかく、他のお肉にない独特の味わいが出るんですよ」

赤身の鮮やかなお肉は、益子町の北に位置する八溝 (やみぞ) 山系でとれたイノシシ肉。一帯では「八溝ししまる」のブランド名で知られます。

合わせる具材はしいたけ、ニラ、白菜、水菜、長ネギ。全て地元でとれたものです。そこにお豆腐とエノキ。

スープをたっぷりと具材に染み込ませて
スープをたっぷりと具材に染み込ませて
もうそろそろ完成です!
もうそろそろ完成です!

グツグツといい具合に煮えてきました。生姜とにんにく、すりごまを合わせた味噌仕立てのスープの香りが、湯気とともに体を包みます。

よそう器はもちろん益子焼。器はご親戚であるえのきだ窯のものが、やはり一番多いそうです。

完成!もちろんお酒も一緒に
完成!もちろんお酒も一緒に

益子焼らしい厚みのある器は手に熱くなく、あつあつのお鍋の具もスープも夢中で口に運べます。お野菜の出汁とお肉の旨味がスープと絡まって、うまい!体がポカポカとしてきます。

あちこちに益子焼の器が
あちこちに益子焼の器が
この器は、お店まで見送ってくれた榎田智さんの作品だそう
この器は、お店まで見送ってくれた榎田智さんの作品だそう

合わせるお酒は地元益子町の外池 (とのいけ) 酒造が作る「燦爛 (さんらん) 」。燗酒がおすすめだそうで、これからの季節、鍋のお供にぴったりです。

きりりとした水色のパッケージの「燦爛」。冬は是非熱燗で
きりりとした水色のパッケージの「燦爛」。冬は是非熱燗で

お鍋は1人前から頼めるのも嬉しいところ。聞けば2人で1人前分を頼んで、最後にお餅やうどんを人数分スープに入れて締める方も多いとか。

今度は人を連れてわいわい鍋をつつくのもいいな、と独り占めするにはもったいない益子の夜でした。

こちらでいただけます

いろり茶屋
栃木県芳賀郡益子町益子3270
0285-72-4230


文・写真:尾島可奈子

三十の手習い「茶道編」十二、お点前をする意味

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

お点前をする意味

10月某日。

今日も東京・神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室12回目。いよいよお教室に通って1年が経ちました。

「お点前の話に入ってゆく中で大事なのは、茶筅、茶杓など道具一式を揃えて、わざわざお客さんの前でお茶を点てることに一体どんな意味があるのか、ということです」

道具一式

「そもそも日本で茶の湯が始まった頃、人々はどのようにお茶会をしていたと思いますか。実は、当時は給湯室のような部屋が別にあって、そこでお茶を点ててお客さんに出していたんですよ。

『慕帰絵 (ぼきえ) 』という南北朝時代の絵巻物の中に、すでにお茶会のシーンが登場します。

描かれているのは日本におけるお茶会の初期の様子です。部屋にはお軸もお花も複数飾ってあって、歌を詠んだりしているところに小坊主さんがお菓子とお茶を運びにいっています。

その頃は、お点前をするという習慣はなかったんです。飲み物としてのお茶の文化と言うべきでしょうか。

そこから次第にお軸もひとつ、花もひとつとなっていく。より高度にお茶の文化が練り上げられていく傍で、人前でお点前をするということも生まれてきたのだと思います。

ひとつ一つの道具の取り扱いや所作を洗練させることで、そこに様々なメッセージ性を持たせようとした。

何より大事なメッセージは、相手を大切に想う心持ちです。

想いを所作に込める、その延長線上で、ホスト自身がゲストの目の前で段取りし、自ら給仕してすることが重要な意味を帯びてくるようになるのです」

そうして先生が、ふたつの棗 (なつめ) を取り出されました。

なつめを上から見た様子

「この先200年続くように」

「自ずから大切にしてやりたいなと思う雰囲気をたたえているでしょう。江戸時代、松江藩の名君として知られる松平不昧公 (ふまいこう) ゆかりの秋の棗です。

こちらは貝殻細工を切って花をあしらい、全体に金銀を塗ってあります」

金銀を散らした表面に、秋の花が咲く
わざわざ金銀の含有量を変えて、グラデーションを出しているそう
わざわざ金銀の含有量を変えて、グラデーションを出しているそう

「もうひとつは小倉山を詠んだ不昧公の歌をそのまま蒔絵で周りにあしらって、蓋には小倉山の景色が描いてあります」

不昧公が詠んだ和歌が読み取れる
小倉山の風景を描いた蓋
全員で食い入るようにその細部を拝見します
全員で食い入るようにその細部を拝見します

「狩野伊川院 (かのう・いせんいん) という不昧公お気に入りの絵描きが下絵を描き、それを元に松江藩お抱えの塗師、小島漆壺斎 (おじま・しっこさい) が作ったものです。

これだけ入念に作られた、その時代その時代の手数を尽くした工芸品が、茶道具として作られ、残されてきている。そのことを知って欲しくてお見せしました。

およそ200年前に作られて、飾るのではなく実際にお点前で長らく使われてきていますからね。その上で今も美しい状態を保っている。そのことを想ってほしいんです。

蓋の内側まで、まるで星空のようです
蓋の内側まで、まるで星空のようです

ものを拭く、洗うのではなく浄 (きよ) めるんだという想いで使い続けてきた、使い継いできた人たちの積み重ねが、人間よりも長く生きるようなものを残してきたのですね。

ものは扱えば扱うだけ、もちろん傷つけるリスクは高まります。だから触らない、ではなく、それをせっかく200年残ってきたのだからどうかこの先200年も続いてくれますようにという思いで扱う、ということです。

ちょっと慣れてくると必ずものを壊します。その道具がかけがえがないものだという気持ちが、動作に慣れることで鈍くなるんですね。

こうした美しいものの中には刀が潜んでいると思わなければなりません。油断すると手を切りますよ」

10月の道具

話題は季節の道具のお話へ。これまでのお稽古で拝見するものとは少し様子が違う器が並べられました。

「10月は名残の季節です。お茶の道具も割れたり欠けたりしたものを使います。どこかやつれたものを使って、もの悲しい秋の演出をするんです」

金継ぎの跡も美しく感じます
金継ぎの跡も美しく感じます
ひび割れが秋のもの寂しさを演出します
ひび割れが秋のもの寂しさを演出します

「11月が炉開きというお茶でいう『お正月』の季節なので、同じ秋でも10月は寂しくものわびた季節感を表現したい。

だからと言って、そればっかりではつまらないので、取り合わせをします。こういうものと先ほどのような華やかな秋の棗をあわせるんです」

棗と器が並んだ様子

「侘茶の祖と言われる村田珠光 (むらた・じゅこう) の言葉に『藁屋に名馬つなぎたるよし』とありますが、まさにそれですね。

さらにもうひとつ。10月のお点前に命を吹き込むキラーコンテンツがあります。後ほどお見せしますね」

今度は一体どんな美しい道具だろう、と想像を膨らませながら、今日のお菓子をいただきます。

10月のお菓子

松華堂の雁宿おこし。雁の焼印がしてあります。松華堂さんが店を構える愛知県半田市一帯は雁がよく飛んでくる名所だそうです
松華堂の雁宿おこし。雁の焼印がしてあります。松華堂さんが店を構える愛知県半田市一帯は雁がよく飛んでくる名所だそうです

利休が見出したクリエイティビティ

先生が次に出されたのは手のひらサイズの竹の置物。棗、茶碗と美術館で目にするようなお道具を拝見した分、ちょっと意外に思いました。

竹の蓋置き

「半枯れの竹の蓋置きです。台風や大風で竹の一部が折れて、身の一部は枯れ、一部は青いまま残っている。そういう竹を、この時季だけの贅沢で、10月のお茶会でのみ使います。

瑞々しさと枯れたもの、これが同じところにあることが大事です。枯れたもの、欠けたものの中にあると、生きたものがよりみずみずしく映えるんですね」

半枯れの竹の蓋置きに、金継ぎされた器、不昧公の棗に清々しい白の水差しを合わせて、今日のお道具一式です
半枯れの竹の蓋置きに、金継ぎされた器、不昧公の棗に清々しい白の水差しを合わせて、今日のお道具一式です

「利休が見出したところのクリエイティビティとは、まさにこれです。名物と呼ばれるような高級な道具は誰でも手に入るものではありませんが、青竹ひとつ、吟味することはできるのでは、という話です。

それは、これまでお話ししてきた茶筅茶杓を選ぶこと、茶巾ひとつの扱いに『ものを浄めているんだ』という想いをのせることと、本質的に同じお話です。

これはひとつ信じていることなのですが、例えば何気ない黒無地の棗を、ずっと大事に傍らにおいて使い続けていたら、それはそれで何とも言えない雰囲気を帯びてくるものですよ。

それを誰かが受け継ぐ。すると誰かに大切に使い続けられることで『もの』そのものとは違う背景を帯びてくる。その背景を受け取れる人にとってみたら、単なる技術やデザイン、意匠を超えた価値を持ってくるということがあります」

先生の言葉に、少し安心するような気持ちになりました。

名物といわれるような器や道具には手が届かなくても、気に入った道具を大事に扱っていくことなら、自分の想いひとつでやってみることができます。父の鞄や祖母の小物を、今わたしが受け継いでいるように。

「今日は200余年守り受け継がれてきた棗と、この時季だけの竹の蓋置きをお見せしました。

道具を吟味することは大切です。ですがいつでも一番大切なのは、選ぶこと、扱うことひとつ一つに想いをのせていくことです。

遠目から見ても、その立ち居振る舞いが『ああわたしのことを大切に思うからこそなのだな』と相手に伝わるようでなければなりません。

そしてそれが茶室の中や、帛紗を手に持っている時だけではないようにしてほしいと思います。

では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、道具ひとつ、所作ひとつに、相手への想いをのせていくこと
一、誰かから受け継いだ道具は、その想いまで継いで扱うこと


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店

夫婦で、親子で違う益子焼。益子「えのきだ窯 本店」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

工房を訪ねて、気に入った器を作り手さんから直接買い求める。そんな「窯元めぐり」に憧れを持っていました。

一方で「どこに訪ねていったらいいのかな?」「いきなり行っていいのだろうか‥‥」と勝手がわからず尻込みし続けてはや幾年月。はじめの一歩を、この記事で踏み出していきたいと思います。

今回訪れているのは、栃木県・益子町。「陶芸家が打つお蕎麦」をいただける、えのきだ窯さんの支店を後に、10分ほど歩いてきました。

*前編「窯元の名物は打ちたて蕎麦?えのきだ窯 支店」はこちらからどうぞ。

県外にもその名を知られる「starnet」や人気の公共宿「フォレストイン益子」にも近い県道230号線沿いに、えのきだ窯さんの本店があります。

えのきだ窯本店

器が並ぶ空間を楽しむ

「もともとここは細工場 (さいくば) だったんです。それを僕と若葉さんで3、4年前に店舗に改装しました」

店内の様子
店内の様子

出迎えてくれたのはえのきだ窯5代目の若葉さん、智(とも)さんご夫妻。

榎田ご夫妻

先ほど支店でお蕎麦を振舞ってくれた、お父様で4代目の勝彦さんとともに、普段は2階の工房でそれぞれに器を作られています。

お客さんが来たら降りてきて接客するスタイル。勝彦さんは支店から注文の電話があるごとに、「出張蕎麦打ち」に出かけて行きます。

お店に入ってすぐの広いスペースは、智さんいわく「益子の定番の並べ方」。同じ種類の品物が集まり、スタッキングされて並んでいます。

心地よく陽が差し込む店内
心地よく陽が差し込む店内
同じものが集めて重ねて置かれている
勝彦さんの作品メインの支店の様子。確かにこちらでも、同じ種類の器がぎゅっと集まって並んでいました
勝彦さんの作品メインの支店の様子。確かにこちらでも、同じ種類の器がぎゅっと集まって並んでいました

一方、お話を伺ったのはお店に入って右手の囲炉裏を囲んだスペース。ここが仕事場だった頃には勝彦さんご夫妻の休憩室だったそうです。くつろいでもらう場所だからと、作品も1点1点余白を持って置かれています。

ゆったりとした囲炉裏の部屋

「はじめて来たお客さんは、こっちの部屋に入るのはちょっと勇気がいるみたいなんですが、近所の友達なんかは本当にお茶だけ飲みに来たりするんですよ (笑) 」

智さんが益子焼の器でコーヒーを淹れてくれました
智さんが益子焼の器でコーヒーを淹れてくれました
お菓子の器は智さん作、コーヒーカップは若葉さん作
お菓子の器は智さん作、コーヒーカップは若葉さん作

立派な囲炉裏は宇都宮で採れる大谷石で作られたものだそうです。ちょっと勇気を出してお邪魔してみると、空間によって同じ造り手さんの作品もまた違って見えるから不思議です。

ギャラリーのようにゆったりと品物が配置される
ギャラリーのようにゆったりと品物が配置される

三者三様の器を手に取る

店内には5代目である若葉さんの作品を中心に、智さん、勝彦さんの3人の器が並びます。

益子は作家文化の根付く焼き物産地と聞いていましたが、確かにご家族でも、それぞれに作品の色かたち、持つ雰囲気が違っています。

型を使って造形する角皿。柄のあるものが若葉さん、無地のものが智さん作
型を使って造形する角皿。柄のあるものが若葉さん、無地のものが智さん作
勝彦さんのお茶器セット
勝彦さんのお茶器セット

どんな器を作るかは本人次第。急須も、伝統的な物と最近の物ではスタイルが変わっています。

左が伝統的な急須のスタイル、右が最近のもの。形も進化しています
左が伝統的な急須のスタイル、右が最近のもの。形も進化しています

智さんが大切にされているのは「えのきだ窯らしさ」。結婚を機に益子へ移り、支店でお蕎麦を手伝ううちに「自分の作った器で料理を食べてもらうってええなぁ」と、器作りをスタートされたそうです。

智さん作のピッチャー
智さん作のピッチャー

若葉さんはここ数年、水玉など柄を取り入れたシリーズが人気。

若葉さんの人気シリーズ、水玉柄の器
若葉さんの人気シリーズ、水玉柄の器

「色の組合せをはじめに思いついて、そこに水玉部分だけロウを塗って釉薬を弾いたらどうだろう、とやってみたら、柄としてうまくいったんですね」

釉薬を弾かせる手法も、実は窯元によって違うのだそうです。このロウを塗る方法(ロウびき)は、えのきだ窯伝統。そういえば支店でいただいたお蕎麦の器も、ロウびきがされていました。

4代目・勝彦さんが作ったお蕎麦用の器。内側の白い縁取りがロウびきされたところです
4代目・勝彦さんが作ったお蕎麦用の器。内側の白い縁取りがロウびきされたところです

自分の好きな「益子焼」に出会う

同じ窯元さんでも、家族でも作風が変わる。ある意味それが益子「らしさ」なのかもしれません。最後に「作品作りで益子焼らしさを意識することはありますか」と伺うと、お二人とも「ある」との答えが返ってきました。

5代目・榎田ご夫妻

「以前、薄くて軽い器を作ろうとしたこともあったのですが、益子の土はやはり、薄いものよりもぽってりと厚手のものに向いているみたいなんですね。

何より自分が使ってみて、益子に昔からあるような厚手の器の方が、私には使い心地がよかったんです。

炊きたてのご飯をよそっても手に熱くない。丈夫で、子どもも安心して使えます。だから、益子の土や伝統釉の良さを活かしながら、デザインは現代に沿う、そういうことを大事にしています」

智さん作の、益子の伝統釉7種を使った銘々皿
智さん作の、益子の伝統釉7種を使った銘々皿

同じ益子の土や釉薬を使いながら、こんなにも違う、こんなにも同じ。それはえのきだ窯さんに限らず、この町のあちこちで出会える光景かもしれません。

「自分好みの器」は人の数だけありますが、それに応えてくれるだけの多様な作り手さんが、この町には存在します。

無数の出会いの可能性の中から、自分の「これだ!」と思う器とめぐりあうきっかけを、お蕎麦やあたたかな囲炉裏のまわりで提供してくれる。そんな距離の近さが嬉しいえのきだ窯さんでした。

<取材協力>
えのきだ窯 本店
栃木県芳賀郡益子町益子4240
0285-72-2528

文・写真:尾島可奈子

窯元の名物は打ちたて蕎麦? 益子「えのきだ窯 支店」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

工房を訪ねて、気に入った器を作り手さんから直接買い求める。そんな「窯元めぐり」に憧れを持っていました。

一方で「どこに訪ねていったらいいのかな?」「いきなり行っていいのだろうか‥‥」と勝手がわからず尻込みし続けてはや幾年月。はじめの一歩を、この記事で踏み出していきたいと思います。

今回訪れるのは、栃木県・益子町。

全国屈指の焼き物の町に民藝運動をもたらした陶芸家、濱田庄司ゆかりの「益子参考館」からほど近くに、目当ての窯元さんがあります。

えのきだ窯全景
深い青色ののれんに、控えめに窯名が染め抜かれています
深い青色ののれんに、控えめに窯名が染め抜かれています

道路沿いにゆったりと駐車場を設け、遠くからでもわかるように大きく看板を掲げた姿は、まさにロードサイドの窯元直売店らしい佇まいです。

ただ、入口手前に置かれた小さな黒板には、「そば」の文字。

カフェのような黒板メニュー

そ、そば‥‥?

そう、ここ「えのきだ窯」さんでは、器を販売しているその横で、4代目の榎田勝彦 (えのきだ・かつひこ) さん自ら打つお蕎麦をいただけるのです。

「新そば」の文字と器がガラス越しに並んでいます
「新そば」の文字と器がガラス越しに並んでいます
ずらりと器が並んだ店内。窓際の一角が、イートインスペースになっています
ずらりと器が並んだ店内。窓際の一角が、イートインスペースになっています

陶芸家が打つそばに舌鼓

「もしもし、お蕎麦、1人前ね」

応対してくださった奥さまがどこかへ電話をかけてほどなく、勝彦さんが車で到着。

少し離れた工房兼本店から、注文が入るごとに勝彦さんが作陶の手を止め、お蕎麦を打ちに来てくれるシステムです。お客さんは自然と、打ちたての美味しいお蕎麦をいただけることになります。

「ずっと大きなろくろを回してきたから、そばを打つ腰の力があるのね」

私は雑用係、と笑う奥様が、お蕎麦を待つ間に外で摘んできた草花を勝彦さんの作った器に活けていきます。

器に活けられたお花
可憐な野草が器によく映えます
可憐な野草が器によく映えます

創業100余年のえのきだ窯で4代目を継いだ勝彦さんは、焼き物の中でも作りが複雑で難しいと言われる急須の名手。

急須づくりで紫綬褒章を受章された3代目のお父様とともに、「急須といえばえのきだ窯」との評判を得てきました。

勝彦さん作の大きめの急須
勝彦さん作の大きめの急須
様々な色かたちの急須がずらり!
様々な色かたちの急須がずらり!
金属の茶漉しでは味が落ちるからと、茶漉しなしで使える工夫がされています
金属の茶漉しでは味が落ちるからと、茶漉しなしで使える工夫がされています

そんな勝彦さんが、以前は器だけを扱っていたこの場所で、「お客さんに気軽に来てもらえるように」とお蕎麦をはじめたのは、もう20年以上前のこと。

「焼き物が本業で、お蕎麦は片手間。だけど、生地をこねることにかけちゃそこらへんのお蕎麦やさんより長くやっているもの」

榎田勝彦さん
榎田勝彦さん

同じ焼き物の産地でも、型や生地づくり、成形などが完全分業制の町もありますが、益子は作家性の強い町。一人が生地づくりから焼き上げまでを一貫して行います。

また、好景気の時には各窯元さんが職人さんを多く抱え、自ら手料理で彼らを食べさせていたために、料理上手な人も多いとか。

小さな頃から当たり前のように土をいじっていたと語る勝彦さんの手には、蕎麦づくりも自然と馴染んだのかもしれません。

奥さんのあげた天ぷらとともに運ばれてきたお蕎麦は、もちろん勝彦さんご本人の作られた器に盛られています。

大皿にたっぷり盛られたお蕎麦。これで普通盛りです
大皿にたっぷり盛られたお蕎麦。これで普通盛りです

お蕎麦を盛る器にも、窯元さんらしい工夫が。

「蕎麦を載せるスノコが滑らないように、内側にロウびきをした器を作りました」

勝彦さんが作ったお蕎麦用の器。内側の白い縁取りがロウびきされたところです
勝彦さんが作ったお蕎麦用の器。内側の白い縁取りがロウびきされたところです

器の内側にロウを塗っておくと、釉薬を弾いてその部分だけ素地が出るため、滑り止めの役目を果たすのだそうです。

ここにすのこがパチリ!とはまってずれません
ここにすのこがパチリ!とはまってずれません

お話を伺いながら、お蕎麦を堪能しながら、いつの間にか益子やえのきだ窯さんのものづくりに詳しくなり、器を手に取っている自分がいます。

大ぶりなのにどこか可憐な雰囲気の花瓶
大ぶりなのにどこか可憐な雰囲気の花瓶
徳利も様々
同じ種類の器がぎゅっと集まって並んでいます
同じ種類の器がぎゅっと集まって並んでいます

「娘夫婦が作っている器はまた作風が違うから、見に行ってみるといいですよ」

勝彦さんお手製の器とお蕎麦でお腹を満たしたあとは、5代目を継いだ娘の若葉さんとご主人の智さんが切り盛りする、えのきだ窯「本店」へ向かいます。

後編は明日お届けします!

<取材協力>
えのきだ窯 支店
栃木県芳賀郡益子町益子3355-1
0285-72-2528

文・写真:尾島可奈子

益子の純喫茶「古陶里」ランチのポークステーキも益子焼で

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもくしていたり‥‥懐かしのメニューとあたたかな店主が迎えてくれる純喫茶は、私の密かな楽しみです。

旅の途中で訪れた、おすすめの純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、焼き物の町、益子で地元ファンも多いという「古陶里 (ことり) 」さんを訪ねます。

益子のメインストリート、城内坂から北へおよそ10分。窯元めぐりの成果を両手いっぱいに歩いていると、白壁の美しいログハウス風のお店に出会いました。

お店の外観
可愛らしい看板が出迎えてくれました
可愛らしい看板が出迎えてくれました

よし、ちょっとひと息つこうと中に入ると、高い天井にほの明るいランプの照明。器探しにはり切っていた肩の力がゆっくり抜けていきます。

店内の様子

オーナーご夫妻が切り盛りするお店は、築100年以上の古民家を引き取って、45年ほど前に始めたのだそう。使い込まれた木のテーブルに、可愛らしいメニューがよく似合います。

メニュー

ちょうどお昼時。お腹も空いていたので、おすすめのポークステーキを注文しました。ほかほかと湯気を立てる料理を運んでくれたのは奥さん。

ポークステーキランチ

「ステーキを食べ終わったら、ソースが残るでしょう。ご飯を半分残しておいて、一緒に食べると美味しいわよ」

とっておきの食べ方を教えてもらいました。もちろん、ぽってりと厚みのある器はどれも益子焼です。

やさしい水色が料理を引き立てます
やさしい水色が料理を引き立てます
ご飯がのっているお皿も‥‥
ご飯がのっているお皿も‥‥
スープ皿も、もちろん益子焼です!
スープ皿も、もちろん益子焼です!

お腹いっぱいになって、しめのコーヒーを頼みます。今度はご主人が運んできてくれました。

濱田窯のコーヒーカップ

「これは濱田庄司さんの開いた、濱田窯の器ですよ」

日用の器の産地としての益子の基礎を築いた濱田庄司。そのコレクションや当時の暮らしを拝見できる益子参考館へは、ちょうどこの後向かうつもりです。

聞けばメニューや看板のイラストは、近くの和紙産地である那須烏山市の和紙作家さんによるものだそう。ここにも、ものづくりとのご縁がありました。

お店に飾られていた原画。お店を始めた当初の看板娘だった奥さん、妹さん、ご友人の3人がモデルだそうです
お店に飾られていた原画。お店を始めた当初の看板娘だった奥さん、妹さん、ご友人の3人がモデルだそうです

器探しのひと息に訪れた喫茶店で、また益子焼の器に出会う。土地の器が当たり前に出てくる贅沢を味わいました。

古陶里
栃木県芳賀郡益子町益子2072
0285-72-4071
営業時間:11:00~19:00
不定休

文・写真:尾島可奈子

動く文化遺産。日光東照宮の美を受け継ぐ、鹿沼の彫刻屋台

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

世界遺産、日光東照宮。紅葉シーズンを迎えてますます多くの人で賑わいを見せています。

「三猿」や「眠り猫」は東照宮を代表する見どころですが、実はこの彫刻美を受け継ぐお祭りが、日光のすぐそばで行われているのをご存知でしょうか。

栃木県鹿沼市で行われる鹿沼今宮神社祭の屋台行事、「鹿沼秋まつり」。2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。

鹿沼秋まつりの様子

屋台行事とは?どんなところに東照宮とのつながりが?

年に一度のお祭りを訪ねて、動く文化遺産、美しき彫刻屋台の世界に迫ります。

三猿も見つかる?鹿沼の彫刻屋台

10月8日。東武日光線の新鹿沼駅に降り立つと、駅前には観光案内のテントが貼られ、大勢の人で賑わっています。

大通り沿いにはたくさんの出店も立ち並びます
大通り沿いにはたくさんの出店も立ち並びます

毎年10月、体育の日直前の土日に行われている「鹿沼秋まつり」は、かつて宿場町であった鹿沼の氏神様である鹿沼今宮神社の例大祭に合わせて、氏子さんが執り行う地域のお祭り。

見どころは何と言っても神社から町なかへと巡る美しい「彫刻屋台」です。

駅から神社へ向かう大通りを歩いて行くと、はるか遠くからでもわかる大きな「何か」が、大勢の人に囲まれながらゆっくりと近づいてくるのがわかります。

遠くにまばゆいほどの存在感を放つ「何か」が‥‥
遠くにまばゆいほどの存在感を放つ「何か」が‥‥

道路標識をゆうに超える屋根。その上に、人が数人立っています。乗りものの中にも人が数名。楽器を演奏しています。

屋根の上に人の姿が
屋根の上に人の姿が
勇姿、という言葉がぴったりの立ち姿です
勇姿、という言葉がぴったりの立ち姿です
中には太鼓や笛を演奏する人の姿が見えます
中には太鼓や笛を演奏する人の姿が見えます

次々とやってくる乗り物。一台一台、様子が違います。共通して言えるのは、屋根から柱、人が手で押す土台の際まで、ありとあらゆるところにそれは美しい木の彫刻が彫り込まれていることです。

窓のふちや
窓のふちや
柱にも
柱にも
人が押す台座の際まで彫刻づくし!
人が押す台座の際まで彫刻づくし!
孔雀の羽一枚一枚が流れるように彫り込まれています
孔雀の羽一枚一枚が流れるように彫り込まれています

向かい合う2体の龍といった力強いものから、咲きこぼれる大輪の花のような繊細なものまで、どれも息を飲むような美しい彫刻が施されています。どこかで見たことのあるような、猿の姿も。

大輪の花と唐獅子
大輪の花と唐獅子
この猿はもしかして‥‥?
この猿はもしかして‥‥?

「わっしょい、わっしょい」という景気のいい掛け声とともに目の前に現れたこの乗りものこそが、お祭りの主役、鹿沼の彫刻屋台です。

「禁止」が生んだ芸術

元は神様へ奉納する踊りを舞うための、舞台装置だったという屋台。

江戸時代に当たる1780年にはすでにその記録が見られ、氏子各町から屋台を出して、競うようにその芸を披露したといいます。

華やかな演芸に釣り合うように、当初は簡素だった屋台も次第に黒漆や彩色が施されるように。

「それが幕府の改革で、こうした民間の芝居が禁止されてしまうのです。競うように芸を磨いてきた各町のエネルギーは、自ずと屋台の装飾に注がれるようになりました」

幕府の「禁止」が生んだ美しい彫刻屋台。そこに日光東照宮がどのように関係しているのか。鹿沼市観光交流課の渡辺さんに、お話を伺うことができました。

鑑賞ポイントその1:東照宮とのつながり

「鹿沼は山が近く、水運にも恵まれ江戸からも近距離にあったことから、古くから木工の町として栄えてきました。

日光にも近く、その建設に携わった職人たちが多く住んだとも言われています。たとえばこの屋台は仲町という町の屋台で、江戸時代のものです。一部の彫刻に東照宮の彫刻を彫った職人が携わっていたことが確認されています。

「昔は屋台を分解して箱にしまっていたのですが、箱の墨書に『日光五重御塔彫物方棟梁行年六十四歳 後藤周二正秀(しゅうじまさひで)鑿』と書かれてあるんですね。実在する後藤正秀という彫物師であると確認されました。

最近の例もあります。先ほどの金の龍が印象的な屋台は現存する一番古い屋台ですが、日光東照宮の陽明門や眠り猫の修復をされている鹿沼在住の職人さんが、平成に入って修理をされています」

現存する最も古い久保町の屋台
現存する最も古い久保町の屋台

「モチーフでは、東照宮の水屋にもいる龍や唐獅子、リスなども東照宮の彫刻を彷彿とさせますね」

最も多く彫られているという龍のモチーフ
最も多く彫られているという龍のモチーフ
こちらは屋根に唐獅子が3頭
こちらは屋根に唐獅子が3頭
三猿を彷彿とさせる彫刻は、よく見ると屋根の上の鳥 (大ワシ) が、藤の下に隠れている猿を睨みつけている構図になっています
三猿を彷彿とさせる彫刻は、よく見ると屋根の上の鳥 (大ワシ) が、藤の下に隠れている猿を睨みつけている構図になっています
愛らしいリスの彫刻は、先ほどの猿を彫ったのと同じ、江戸期の職人によるものだそう
愛らしいリスの彫刻は、先ほどの猿を彫ったのと同じ、江戸期の職人によるものだそう

日光東照宮の宮大工が、その技で鹿沼の彫刻屋台を生んだ。そう書けばシンプルですが、どうやら職人さんや技術だけでは、この美しい彫刻は生まれなかったようです。

「職人さんは基本的に、発注者の意向に沿うものをきっちり作るのが仕事ですからね。では誰が彫刻を頼む人かといえば、屋台の所有者、つまり今宮神社の氏子である各町の人たちです。

昔は40年、50年くらいのサイクルで屋台を作り変えていた記録もあります。新たに作る時にはどんなものを作ってもらいたいか、町が彫師さんと相談をします。

その時、すぐ近くにある東照宮の彫刻が、やはり一番参考になったのではないでしょうか。『あの彫刻のリスのようにしてほしい』とか、そういう相談をしていたのではないかと思います」

鑑賞ポイントその2:町のプライドをかけた屋台の「競演」

もうひとつ、鹿沼の彫刻屋台が華やかになっていった理由は、各町同士の「競いの意識」です。

「あの町はこういうモチーフだから、こちらはこうしよう、という検討は、今でも屋台を新調するときに行われていますよ」

もっと美しく、もっと趣向を変えて。よきライバル関係にある町同士の意識と、古くからの木工の町に暮らす職人たちの腕が共鳴して、彫刻屋台の美は極められていきました。

同じ龍でも構図や彫りのタッチで印象が変わります
同じ龍でも構図や彫りのタッチで印象が変わります
繊細なタッチの鳥の彫刻
繊細なタッチの鳥の彫刻
天女さまを思わせる彫刻
天女さまを思わせる彫刻
縁起の良い鶴
縁起の良い鶴
波間の亀
波間の亀

鑑賞ポイントその3:時代で見分ける屋台

ところが、過熱する装飾美に再び幕府の「待った」が。華美になっていく舞台が、質素倹約の施策で禁じられてしまうのです。

全部で27台ある屋台は、大きく3種類に分かれます。簡単にいうと、「古いものほど華美」なのです。

1) 彩色彫刻漆塗屋台 (さいしきちょうこくうるしぬりやたい) (7台)

黒漆塗 (くろうるしぬり) の車体。金属板を加工した錺 (かざり) 金具付き。彫刻には彩色がされている
黒漆塗 (くろうるしぬり) の車体。金属板を加工した錺 (かざり) 金具付き。彫刻には彩色がされている

2) 白木彫刻漆塗屋台 (しらきちょうこくうるしぬりやたい) (1台)

黒漆塗の車体、錺金具付きで、彫刻は白木のまま
黒漆塗の車体、錺金具付きで、彫刻は白木のまま

3) 白木彫刻白木造屋台 (しらきちょうこくしらきづくりやたい) (19台)

車体も彫刻も白木で造られた屋台
車体も彫刻も白木で造られた屋台

各町は幕府の統制下にあっても知恵をしぼり、彩色などの華やかさは抑えながら、彫刻そのものの美しさで屋台の素晴らしさを競ったのでした。

こうした歴史も踏まえておくと、また違った視点で屋台鑑賞を楽しめそうです。

町人文化の粋、彫刻屋台

渡辺さんによると、鹿沼の屋台は車体、車輪、彫刻、漆塗り、彩色、そして錺 (かざり) と、様々な工程を分業で作り上げていくそうです。

大人の腰の高さまである巨大な車輪
大人の腰の高さまである巨大な車輪

「屋台を作るほぼすべての工程を担える職人さんが、鹿沼・日光一帯にいます。錺職人さんにいたっては、全国でも日光と京都にしかいないそうです。自分たちの町の屋台を、自らの町の技術で作れるのが、鹿沼の屋台の何よりの特徴です」

こちらは現役の職人さんが彫った龍
こちらは現役の職人さんが彫った龍

伺うと、鹿沼の屋台は、昔から町内の各家々がお金を出し合って作ってきたとのこと。

「貧しければ貧しいなりに、全員がお金を出し合って全員でこの屋台を引いた。これが鹿沼の伝統です」

世界が認めた彫刻屋台は、江戸と日光の間に位置する木工の町の技術と、「わが町」を愛する町衆の心意気から生まれていました。

また来年も10月になれば、鹿沼の町に「わっしょい」の声が響き渡ります。

屋台を待つはっぴの後ろ姿

文・写真:尾島可奈子