動く文化遺産。日光東照宮の美を受け継ぐ、鹿沼の彫刻屋台

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

世界遺産、日光東照宮。紅葉シーズンを迎えてますます多くの人で賑わいを見せています。

「三猿」や「眠り猫」は東照宮を代表する見どころですが、実はこの彫刻美を受け継ぐお祭りが、日光のすぐそばで行われているのをご存知でしょうか。

栃木県鹿沼市で行われる鹿沼今宮神社祭の屋台行事、「鹿沼秋まつり」。2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。

鹿沼秋まつりの様子

屋台行事とは?どんなところに東照宮とのつながりが?

年に一度のお祭りを訪ねて、動く文化遺産、美しき彫刻屋台の世界に迫ります。

三猿も見つかる?鹿沼の彫刻屋台

10月8日。東武日光線の新鹿沼駅に降り立つと、駅前には観光案内のテントが貼られ、大勢の人で賑わっています。

大通り沿いにはたくさんの出店も立ち並びます
大通り沿いにはたくさんの出店も立ち並びます

毎年10月、体育の日直前の土日に行われている「鹿沼秋まつり」は、かつて宿場町であった鹿沼の氏神様である鹿沼今宮神社の例大祭に合わせて、氏子さんが執り行う地域のお祭り。

見どころは何と言っても神社から町なかへと巡る美しい「彫刻屋台」です。

駅から神社へ向かう大通りを歩いて行くと、はるか遠くからでもわかる大きな「何か」が、大勢の人に囲まれながらゆっくりと近づいてくるのがわかります。

遠くにまばゆいほどの存在感を放つ「何か」が‥‥
遠くにまばゆいほどの存在感を放つ「何か」が‥‥

道路標識をゆうに超える屋根。その上に、人が数人立っています。乗りものの中にも人が数名。楽器を演奏しています。

屋根の上に人の姿が
屋根の上に人の姿が
勇姿、という言葉がぴったりの立ち姿です
勇姿、という言葉がぴったりの立ち姿です
中には太鼓や笛を演奏する人の姿が見えます
中には太鼓や笛を演奏する人の姿が見えます

次々とやってくる乗り物。一台一台、様子が違います。共通して言えるのは、屋根から柱、人が手で押す土台の際まで、ありとあらゆるところにそれは美しい木の彫刻が彫り込まれていることです。

窓のふちや
窓のふちや
柱にも
柱にも
人が押す台座の際まで彫刻づくし!
人が押す台座の際まで彫刻づくし!
孔雀の羽一枚一枚が流れるように彫り込まれています
孔雀の羽一枚一枚が流れるように彫り込まれています

向かい合う2体の龍といった力強いものから、咲きこぼれる大輪の花のような繊細なものまで、どれも息を飲むような美しい彫刻が施されています。どこかで見たことのあるような、猿の姿も。

大輪の花と唐獅子
大輪の花と唐獅子
この猿はもしかして‥‥?
この猿はもしかして‥‥?

「わっしょい、わっしょい」という景気のいい掛け声とともに目の前に現れたこの乗りものこそが、お祭りの主役、鹿沼の彫刻屋台です。

「禁止」が生んだ芸術

元は神様へ奉納する踊りを舞うための、舞台装置だったという屋台。

江戸時代に当たる1780年にはすでにその記録が見られ、氏子各町から屋台を出して、競うようにその芸を披露したといいます。

華やかな演芸に釣り合うように、当初は簡素だった屋台も次第に黒漆や彩色が施されるように。

「それが幕府の改革で、こうした民間の芝居が禁止されてしまうのです。競うように芸を磨いてきた各町のエネルギーは、自ずと屋台の装飾に注がれるようになりました」

幕府の「禁止」が生んだ美しい彫刻屋台。そこに日光東照宮がどのように関係しているのか。鹿沼市観光交流課の渡辺さんに、お話を伺うことができました。

鑑賞ポイントその1:東照宮とのつながり

「鹿沼は山が近く、水運にも恵まれ江戸からも近距離にあったことから、古くから木工の町として栄えてきました。

日光にも近く、その建設に携わった職人たちが多く住んだとも言われています。たとえばこの屋台は仲町という町の屋台で、江戸時代のものです。一部の彫刻に東照宮の彫刻を彫った職人が携わっていたことが確認されています。

「昔は屋台を分解して箱にしまっていたのですが、箱の墨書に『日光五重御塔彫物方棟梁行年六十四歳 後藤周二正秀(しゅうじまさひで)鑿』と書かれてあるんですね。実在する後藤正秀という彫物師であると確認されました。

最近の例もあります。先ほどの金の龍が印象的な屋台は現存する一番古い屋台ですが、日光東照宮の陽明門や眠り猫の修復をされている鹿沼在住の職人さんが、平成に入って修理をされています」

現存する最も古い久保町の屋台
現存する最も古い久保町の屋台

「モチーフでは、東照宮の水屋にもいる龍や唐獅子、リスなども東照宮の彫刻を彷彿とさせますね」

最も多く彫られているという龍のモチーフ
最も多く彫られているという龍のモチーフ
こちらは屋根に唐獅子が3頭
こちらは屋根に唐獅子が3頭
三猿を彷彿とさせる彫刻は、よく見ると屋根の上の鳥 (大ワシ) が、藤の下に隠れている猿を睨みつけている構図になっています
三猿を彷彿とさせる彫刻は、よく見ると屋根の上の鳥 (大ワシ) が、藤の下に隠れている猿を睨みつけている構図になっています
愛らしいリスの彫刻は、先ほどの猿を彫ったのと同じ、江戸期の職人によるものだそう
愛らしいリスの彫刻は、先ほどの猿を彫ったのと同じ、江戸期の職人によるものだそう

日光東照宮の宮大工が、その技で鹿沼の彫刻屋台を生んだ。そう書けばシンプルですが、どうやら職人さんや技術だけでは、この美しい彫刻は生まれなかったようです。

「職人さんは基本的に、発注者の意向に沿うものをきっちり作るのが仕事ですからね。では誰が彫刻を頼む人かといえば、屋台の所有者、つまり今宮神社の氏子である各町の人たちです。

昔は40年、50年くらいのサイクルで屋台を作り変えていた記録もあります。新たに作る時にはどんなものを作ってもらいたいか、町が彫師さんと相談をします。

その時、すぐ近くにある東照宮の彫刻が、やはり一番参考になったのではないでしょうか。『あの彫刻のリスのようにしてほしい』とか、そういう相談をしていたのではないかと思います」

鑑賞ポイントその2:町のプライドをかけた屋台の「競演」

もうひとつ、鹿沼の彫刻屋台が華やかになっていった理由は、各町同士の「競いの意識」です。

「あの町はこういうモチーフだから、こちらはこうしよう、という検討は、今でも屋台を新調するときに行われていますよ」

もっと美しく、もっと趣向を変えて。よきライバル関係にある町同士の意識と、古くからの木工の町に暮らす職人たちの腕が共鳴して、彫刻屋台の美は極められていきました。

同じ龍でも構図や彫りのタッチで印象が変わります
同じ龍でも構図や彫りのタッチで印象が変わります
繊細なタッチの鳥の彫刻
繊細なタッチの鳥の彫刻
天女さまを思わせる彫刻
天女さまを思わせる彫刻
縁起の良い鶴
縁起の良い鶴
波間の亀
波間の亀

鑑賞ポイントその3:時代で見分ける屋台

ところが、過熱する装飾美に再び幕府の「待った」が。華美になっていく舞台が、質素倹約の施策で禁じられてしまうのです。

全部で27台ある屋台は、大きく3種類に分かれます。簡単にいうと、「古いものほど華美」なのです。

1) 彩色彫刻漆塗屋台 (さいしきちょうこくうるしぬりやたい) (7台)

黒漆塗 (くろうるしぬり) の車体。金属板を加工した錺 (かざり) 金具付き。彫刻には彩色がされている
黒漆塗 (くろうるしぬり) の車体。金属板を加工した錺 (かざり) 金具付き。彫刻には彩色がされている

2) 白木彫刻漆塗屋台 (しらきちょうこくうるしぬりやたい) (1台)

黒漆塗の車体、錺金具付きで、彫刻は白木のまま
黒漆塗の車体、錺金具付きで、彫刻は白木のまま

3) 白木彫刻白木造屋台 (しらきちょうこくしらきづくりやたい) (19台)

車体も彫刻も白木で造られた屋台
車体も彫刻も白木で造られた屋台

各町は幕府の統制下にあっても知恵をしぼり、彩色などの華やかさは抑えながら、彫刻そのものの美しさで屋台の素晴らしさを競ったのでした。

こうした歴史も踏まえておくと、また違った視点で屋台鑑賞を楽しめそうです。

町人文化の粋、彫刻屋台

渡辺さんによると、鹿沼の屋台は車体、車輪、彫刻、漆塗り、彩色、そして錺 (かざり) と、様々な工程を分業で作り上げていくそうです。

大人の腰の高さまである巨大な車輪
大人の腰の高さまである巨大な車輪

「屋台を作るほぼすべての工程を担える職人さんが、鹿沼・日光一帯にいます。錺職人さんにいたっては、全国でも日光と京都にしかいないそうです。自分たちの町の屋台を、自らの町の技術で作れるのが、鹿沼の屋台の何よりの特徴です」

こちらは現役の職人さんが彫った龍
こちらは現役の職人さんが彫った龍

伺うと、鹿沼の屋台は、昔から町内の各家々がお金を出し合って作ってきたとのこと。

「貧しければ貧しいなりに、全員がお金を出し合って全員でこの屋台を引いた。これが鹿沼の伝統です」

世界が認めた彫刻屋台は、江戸と日光の間に位置する木工の町の技術と、「わが町」を愛する町衆の心意気から生まれていました。

また来年も10月になれば、鹿沼の町に「わっしょい」の声が響き渡ります。

屋台を待つはっぴの後ろ姿

文・写真:尾島可奈子

三十の手習い「茶道編」十一、 なにはなくとも、茶巾

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、なかなか機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けしています。

なにはなくとも、茶巾

9月某日。

今日も東京・神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎 (きむら・そうしん) 先生による茶道教室11回目。お茶室の真ん中に、何かの容れものが置いてあります。

この箱は一体‥‥?

「これまで帛紗 (ふくさ) 、茶筅 (ちゃせん) 、茶杓と、お茶に関わる道具をいろいろと見てきました。

そろそろ、扱うべきものの話は終わりにして実践に移っていこうと思いますが、もうひとつ、お茶に不可欠な道具があります。茶巾です。

お点前の際にお茶の粉がダマになったりしないよう、茶碗についた水滴を拭き清めるのに茶巾を用います。

ですが、いいですか。これからお点前を始めるときに、茶巾で茶碗を『拭こう』と思ってはだめですよ」

拭き清める所作をするのに、拭こうと思ってはだめとは、一体‥‥?

謎かけのような言葉にきょとんとしていると、先生がそっと1枚、白い布を先ほどの箱の中に入れられました。

清らかな布、麻

箱の中に白い布

「麻生地の茶巾です。綿のものもありますが、茶巾といえば、麻生地です。その理由は後でお話しますが、麻は神事でも重んじられている布です。それを表しているのが、この箱です。

天皇陛下が神前に献上する、特に食べもの以外の捧げものを幣帛 (へいはく) と言います。代表的なものが麻をはじめとした織物です。

5色に染め分けた反物を糸でくるんで、柳の木で作った『柳筥 (やないばこ) 』という箱に入れて献上します。

この箱は柳筥を模して小さく作らせたものです。伊勢神宮ゆかりの茶会が行われた時に使われるために作られたものです」

麻の茶巾を神様に捧げる幣帛に見立てた、お茶会のための「柳筥」。板同士を糸でつなぎ合わせた大変手の込んだつくりになっています。中に収められるものの重要さ、神聖さを物語るようです。

箱のアップ

「麻は一般庶民の衣服にも用いられてきた生地です。実はそのままでは繊維がゴワゴワとしていて、染料にも染まりにくい。

そこで白く晒すことで柔らかく、色に染めやすくもするという工夫がされたのです。清らかな白さは、ここから生まれているのですね。

16世紀の後半には、晒し技法の改良に成功して一大産地となった奈良のような土地も現れます。「奈良晒 (ならざらし) (*1) 」は徳川幕府の御用品指定も受けたほどです。

真っ白な麻の布は大流行しました。侘び茶について書かれた『茶話指月集』にも、有名な千利休のエピソードが収録されています」

利休も愛した晒の茶巾

先生のお話によると、侘び数寄でならした茶人がある日、利休に大金を送ってきて「とにかく自分のためにいい茶道具を選んでください」と目利きを頼みます。

ほどなく利休から届いた荷物を喜んで開くと、新しい真っ白な晒の布が大量に入っている。

慌てて添えられた手紙を読むと「なにはなくとも真新しい白い茶巾。これさえあればお茶はできます」と書いてあった、というお話です。

「はじめは単なる侘び数寄の例えかと思っていたのですが、技法を改良して生まれてきた奈良晒などの晒生地の話と重ねると、晒の白さ (*2) を誇る茶巾というのは、利休にとっても最先端の、ソリッドな真新しい美だったのだと思います。

侘茶の湯という新しいものを打ち立てようとしていた当時に、何百年も前から大切に残されたの名物の器に匹敵する美しきものとして、真白き使い捨てのものをこそ、と利休が語ったというのは、大変象徴的なエピソードです」

そうして真白い小さな布が、次々とお茶室の真ん中に置かれていきました。

昔ながらの作り方が最高?

茶巾を並べていく様子

これまでのお稽古で拝見した帛紗 (*3) や茶筅 (*4) のように、茶巾にもお茶人さんや流派の好みで様々な種類があるようです。

それぞれの茶巾を見比べているところ

見比べてみると確かに、どれも少しずつ様子が違うのですが、具体的にどこと聞かれると、うまく答えられません。

茶巾に見入る生徒の様子

ほら、と先生が示されたのは生地の上下の端部分。

生地の端部分。糸でかがってある

「かがったところが潰れているでしょう。正式な茶巾は、竹ヒゴで生地の端をくるんでから、かがるんです。だから竹ヒゴを抜いた跡が丸い筒状に見える。

くるん、と丸まった端

「さらに、この中でひとつだけ違うものがあります。どれかわかりますか。

答えは糸のかがり方。効率を考えると斜めにかがりますが、これは1本ずつ、生地端に対して縦にかがっています」

たしかに、1箇所ずつ縫いとめてあります!
たしかに、1箇所ずつ縫いとめてあります!

こちらがもっとも古風で正式な茶巾だそうです。何気なく眺めていたのでは気付けない細部に、驚くような手間暇がかけられています。

「なぜわざわざ手のかかったものを求めるのか。昔ながらの作り方が最高だ、と言いたいのではないのですよ。

人の手で真剣に入念に調えられた茶巾を使って、これをつくった人自身の想いまで受け取って茶碗を拭くことで、ものが清まるのだということです。

茶巾は単に茶碗を拭う道具ではなく、ものを清める道具なのです。

茶巾は晒、である理由

「茶巾で茶碗を拭く時に、物理的に拭こうと思ってはいけない。だからお点前では、よく絞った乾きやすい茶巾を手に沿わせて、茶碗の上を滑るように回します」

手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と先生
手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と先生

「回していくうちにその浸透圧で茶巾に水滴を吸わせるんです。これなら茶碗も傷つけません。

茶巾を手に沿わせるには、あまり柔らかすぎたりさらっとしていては具合が悪い。だからこそハリがあり、神事にも用いられる清らかな麻の晒生地こそがぴったりなのです」

茶碗を拭いているようでいて、拭いているのではなく清めている。ようやく、先生がお稽古の始まりに仰った「謎かけ」が解けてきました。

またものを見る目がひとつ変わったところで、今日のお菓子の登場です。

秋の遊びごころ

今日のお菓子は奈良・樫舎 (かしや) さんの「初雁 (はつかり) 」。

つやりとした樫舎さんの「初雁」が銘々皿によく映えます
つやりとした樫舎さんの「初雁」が銘々皿によく映えます

初雁はもともと、黒糖の葛の中にゆり根を散らし、秋の空に到来した雁を表す9月のお菓子。今回は奈良・吉野の本葛で餡を包んだ、樫舎さんオリジナルだそうです。

一服いただいた後は、これまで拝見してきた道具を実際に使って、お点前の稽古も実践していきます。

茶道のお稽古、習い事・お点前-さんち〜工芸と探訪〜
柄杓は真剣を扱うように持ちなさい、と教わります
柄杓は真剣を扱うように持ちなさい、と教わります

今日の水指は、井戸に吊り下げる釣瓶 (つるべ) の形。本来夏用の道具を「秋の日はつるべ落とし」にかけて使います。

釣瓶の形をした水指

釣瓶なので、お道具を下げる時も茶巾に吊るして運びます。なんという遊びごころ!

水指の取っ手に茶巾を通して運んでいる様子

茶碗ひとつ、茶巾ひとつの扱いに心を込めてお点前をすることも、こうした季節を取り入れた遊びごころも、その場に会したお客さまをもてなそうとする真剣な想いがあってこそ。

毎回、私はその全てにきちんと気付けているだろうかと、お茶室の中をじっくりと見渡します。そろそろ、お稽古も終わりの時間が近づいてきました。

「今日は茶巾のお話をしました。

ゴシゴシと茶碗を拭くことが目的ではない、ということをお伝えしましたね。ものを清めるという儀式に使う、大事な道具です。

晒の茶巾で茶碗を拭いている時には、神社の神主さんが御幣 (ごへい) を振っているような心持ちで臨まないといけませんよ。

では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、なにはなくとも、茶巾

今日のお軸にはきれいなお月さまが
今日のお軸にはきれいなお月さまが

<参考記事>
*1 奈良晒:「歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒」
*2 晒の白さ:「はじまりの色、晒の白」
*3 帛紗:「三十の手習い 茶道編七、帛紗が正方形でない理由」
*4 茶筅:「三十の手習い 茶道編九、夏は涼しく」


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店

怪談は負の遺産?小泉凡さんに聞く、城下町とゴーストのいい関係

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

明日はハロウィン。東京・渋谷のスクランブル交差点には、すでに土日から気の早いお化けたちが姿を現しているようです。

実はこのハロウィン、もともとアイルランドの「お盆」にあたる行事だったこと、ご存知でしょうか。

妖精の国とも称されるアイルランドでは、その日に人はお墓参りをしてご先祖の霊を迎え、妖精たちは住処替えをするとされていたそうです。

「異界に繋がる扉が開いて、自由に行き来するという日なんですよ」

このことを教えてくれたのは、民俗学者の小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。

ひいおじい様は幼少期をアイルランドで過ごし、40代で日本に移住して「耳なし芳一」などの民間伝承をまとめた『怪談』の著者、ラフガディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。
小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。

現在は小泉八雲が暮らした「怪談のふるさと」こと島根県・松江で大学教授を務められています。松江で人気の観光プログラム「松江ゴーストツアー」の生みの親でもあると聞いて、八雲が日本の“ゴースト”に見出した魅力について、お話を伺ってきました。

小泉八雲が愛した地で生まれた、「松江ゴーストツアー」とは?

訪ねたのは松江市にある島根県立大学短期大学部のキャンパス。凡さんの研究室にお邪魔して、まず先日体験の様子を記事でもご紹介した「松江ゴーストツアー」について伺います。

松江ゴーストツアーで訪ねる月照寺
松江ゴーストツアーで訪ねる月照寺

——夜の時間帯に市内の「怪談スポット」を巡るツアーというのは、とてもユニークですね。どんなきっかけで始まったのでしょうか?

「2005年に松江でご縁のある方をご案内して、八雲が幼少期を過ごしたアイルランドを旅したんですね。

その時に訪れた首都のダブリンで、おばけのラッピングをしたバスが走っているのを見かけたんです。それがゴーストツアーのバスでした。


<アイルランド大使館の公式Twitterで紹介されているゴーストツアーのバスの様子>


気になって、次の日の夜にはチケットを手に入れて乗車しました。そうしたら語り部が俳優みたいに“それらしい”衣装を身につけて、夜20時から22時までの2時間、『取り憑かれた大聖堂』なんてスポットを次々に案内するんです。

『形のないものを訪ねる』という発想が非常に魅力的で、演出も面白いものでした。訪ねた先で語り部のお話を聞くんですが、怖いだけではなくて学びもある。

ダブリンって文学の宝庫なんです。『ドラキュラ』の筆者であるブラム・ストーカーもダブリンに住んでいた時期があって、ツアーで旧ストーカー宅の前も通ります。

2時間の間にいろいろな話を聞いて、帰る頃にはダブリンゆかりの文学にすっかり詳しくなるという内容でした。

非常に感銘を受けてふと松江のことを思い返してみたら、城下町ということもあって多くの怪談話があるぞということに気づいたんです」

土地の物語をツーリズムに活かす

「たとえば、北東の鬼門の方角には『怪談』に『小豆とぎ橋』の話が収録されている普門院、北西の方角には『動く唐金の鹿』という伝説が残る春日神社があります。

西には小泉八雲の随筆『知られざる日本の面影』に登場する、月照寺の大亀や芸者松風の幽霊話が残る清光院。南西の隅には八雲が大好きだった『子育て幽霊』の大雄寺。

月照寺の大亀。夜中に動き出して悪さをしたという
月照寺の大亀。夜中に動き出して悪さをしたという
清光院
木の門の向こうに古い墓地が続く清光院

松江城には人柱伝説や、盆踊りをすると大地が揺れたという言い伝えもあります。

こうした物語をツーリズムに活かすことは、ダブリンでゴーストツアーに出会うまで、全く考えてもみなかったんです。

帰国してからすぐに松江にある『NPO法人松江ツーリズム研究会』に話して、ぜひやろうとあっという間にまとまっていきました。

——それだけ特定の地域に怪談が集中しているというのも面白いですね。さすが「怪談のふるさと」!

「だいたい城下の四隅や水陸の境目など、まちの重要な境界地点に怪談が伝わっているんですね。

大雄寺
城下の西端、水と陸の境にある大雄寺

『怪談のふるさと』というキャッチフレーズは、『新耳袋』シリーズで有名な怪異蒐集家の木原浩勝 (きはら・ひろかつ)さんと毎年やっている『松江怪談談義』という対談イベントの中で生まれたんです。

今から5年ほど前に、木原さんが『鳥取の境港は“妖怪のふるさと”、出雲は“神々のふるさと”、雲南は“神話のふるさと”と呼ばれているのに、松江に何もないのはおかしい。“怪談のふるさと”と、胸を張って言える町にしましょう』と発言されたのがきっかけでした」

怪談は、耳に届ける

——小泉八雲は、奥さんのセツに知っている言い伝えを語ってもらい、記録していったそうですね。八雲が耳で集めた話が一度は文字になって、またツアーの中で語り部さんの声で語られる、というのも面白いなと思いました。

民話や伝説など、人の口から口へと語り継がれてきた文学を口承文芸と言います。怪談の多くもそうして伝え残されてきたんですね。

だからゴーストツアーで語られる怪談も、耳に届けるということが一番大切なんじゃないかなと思っています。

ツアーの開始時刻は日没の10分前です。巡るうちにどんどん夜になっていくので、訪ねた先の様子がはっきりと見えません。

日没10分前に集合して、最初に訪ねる松江城。
日没10分前に集合して、最初に訪ねる松江城。

見て楽しむ、というものではないんですね。耳で聞く。

松江は夜が暗い街で、例えば月照寺の森の中は、ツアーで訪ねる時間には真っ暗です。参加した方には本当の『闇』を体感することができます。

本来は闇って怖いもの、畏怖の念を覚えるものなんですね。そういう中で突然聞こえてくる音にゾッとしたりする。

電気のなかった時代の人たちが感じた『怖さ』を、ぜひ追体験していただきたいと思っています。

また、怖がって楽しむだけでなく、ダブリンのツアーで得たような、土地にまつわる知識も持って帰ってもらいたいですね」

ゴーストツアー人気の秘密

——そうすると、語り部さんの役割がとても重要になりますね。

「肝試しになってしまうと、一過性のもので終わってしまいます。ツアーづくりで一番大事にしたのが、語り部の養成でした。

これはボランティアガイドさんではない、プロの仕事でなければ意味がない、と感じていました。海外のゴーストツアーも、語り部の方はそれを本業にしています。

当初ガイドには20名以上の応募がありましたが、選考や研修を経て、最後に残ったのは今もガイドをやってくれている3名です。

語り部さん
無念の死を遂げた芸者の幽霊話を語る語り部・引野さん

研修では小泉八雲の最新の研究成果もふまえた知識や、松江の地域の歴史、特に訪問する場所の歴史についてしっかりと学んでいただきました。

さらに怪談が口承文芸全体の中でどういう位置づけにあるのかという口承文芸学や、観光事業ですからホスピタリティ研修も。

そうなるとガイドさんも自分でどんどん勉強していって、自分なりのガイドをするようになっていくんです。

価格も手頃で申し込みも直前まで対応できることもあって、幸い堅調に人を集めていまして、着地型観光としては長続きしている極めて珍しい例だと言われています」

海外のゴーストツアー事情

——先ほど『海外のゴーストツアー』というお話がありましたが、アイルランド以外でもこうしたツアーはあるのでしょうか?

「ゴーストツアー自体は、イギリス、アメリカなど欧米各国ではメジャーな観光プログラムなんですよ。

たとえばアメリカのニューオーリンズではゴーストツアーが目的別に複数用意されています。
怪談を聞くゴーストツアーや吸血鬼伝承を訪ねるヴァンパイアツアーとかね。ゴーストツアー専門の会社も数社あるくらいです」

——ゴーストツアー専門会社!地域の資源を上手に活用しているんですね。

「今まで日本では、怪談や妖怪といったものを『負の遺産』と考えるケースが多かったんです。記録として話を残しても、それを観光に活かすという手法は、あまり取られてこなかったんですね。

そんな中で海外で出会ったゴーストツアーは、墓地やジメジメした沼地といった『負の遺産』をプラスに活かすものでした」

小泉八雲が示した、怪談の中の「真理」

「八雲は、超自然の物語には真理がある、という言葉を残しています。お化けや幽霊が信じられないという時代が来ても、怪談は廃れないと予言しているんですね。

有名なエピソードが松江にある大雄寺の子育て幽霊の話です。八雲は『怪談』の中でこの伝承に触れて、『母の愛は死よりも強い』と語っています。

長く伝え残されているということは、それだけの普遍的な何かがある。八雲は耳にした数々の不思議な話の中に『真理』を見出し、大切にしていたのだと思います。

実際に、小泉八雲が日本各地の言い伝えを綴った『怪談』は、今では各国語に翻訳されて世界中で読まれています。

松江のゴーストツアーにもわざわざ参加のために首都圏からお越しいただく方がいます。私が教えている『妖怪学』の授業も、多く若い学生が学んでいます。

そうした様子を見ていると、これが八雲の語った怪談の真理なのかな、時空を超えて変わらないとはこういうことか、と実感します」

——ゴーストツアーも、「怖い」以上の何かがあるからこその人気なのですね。最後にツアーのこれからの展望をお聞かせください。

「ゴーストツアーというネーミングは各国共通です。

日本でもゴーストという言葉は普及していますし、将来的には松江のツアーにも海外のお客さんが参加してくれるだろうと考えて、松江のツアー名もそれにならいました。

海外のゴーストツアーでは、コースの途中で古いパブに立ち寄って休憩することがよくあります。

そのパブにも怪談があったりして、ゴーストツアー専用のカクテルや幽霊の名前がついた飲み物を飲みながら話を聞いてひと息つくんです。

松江にもコースの途中にそういうお店があったらいいなと思っています」

——「雪女」みたいな日本酒を出してくれたらきっと楽しいですね。

「バスツアーもやってみたいですし、怪談にまつわるお土産の開発も進めようとしています。

うちの学生たちが『ゴーストみやげ研究所』というものを立ち上げて、商品開発に取り組んでいるんです。第一弾は『ほういちの耳まんぢう』ですよ (笑)

こんな風に、文学には文化の創造やまちづくりにも活かせるポテンシャルがあると最近感じてきています。

アイルランドには2015年に、八雲の生涯を庭で表現した『小泉八雲庭園』が誕生しています。新しい文化資源としての出し方として、とても面白いですよね。

場所やものに宿るストーリーが、非常に大事だと思っています。小さな声にも耳を傾けて、親しむことができるかどうか、ですね」

——ありがとうございました。

小泉八雲が記し、今再び松江から世界に向けて発信される「怖い話」。「怖い」の向こう側にある物語に触れると、ハロウィンも怪談も、より一層豊かな体験になりそうです。


松江ゴーストツアー

・参加費:一人1,700円(税込)

・詳細・申し込み:NPO法人松江ツーリズム研究会

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、築島渉

11月 美しい織物のような「天鵞絨杉」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。

そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。

植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

re_sgo8507

◇美しい織物のような「天鵞絨杉」

先月、時代背景によって庭の様式も、植物を愛でる文化も変わっていくという話をしましたが、日本庭園のはじまりは池泉回遊式と言ってね、巨大な池を作って周りを歩いて楽しむという庭なんです。

それがある時期から、池泉回遊式よりも小さくて手間がかからない「枯山水」が流行りだします。

ひとつの大きな要因といえば、応仁の乱です。11年も続いた大戦です。大名たちも財力を使い果たして、日本全体にお金がない時代がやってきます。

お金はないけれど、景色は楽しみたい。そこでメンテナンスの手間もお金もかからない、経済的な庭が欲しいとなって、禅の思想と相まって枯山水が登場してくるんです。

枯山水が石と砂だけで景色を表現したように、こうした「見立て」は植物によくあります。

今月の植物のひとつに選んだ天鵞絨 (びろうど) 杉は、その名の通り織物のビロードが名前の由来。

美しい葉の様子

美しく輝く葉色が、江戸時代に高級織物として大名たちをうならせた「有線天鵞絨(ゆうせんびろうど)」のようだとその名がつけられたんですね。

今月の植物に選んだもう一種類である、矮性の「紺杉」と比べると、その質感の違いがよりわかるかと思います。

左が天鵞絨杉、右が紺杉。紺杉はまるで花火のように広がっている可愛らしい葉と細かい枝、柔らかな色味が特徴です
左が天鵞絨杉、右が紺杉。紺杉はまるで花火のように広がっている可愛らしい葉と細かい枝、柔らかな色味が特徴です

ちょっと気がはやいですがクリスマスの時期にも似合う植物です。小さいけれど飾ると空間が凛とした空気になりますよ。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・10月の季節鉢 杉(鉢とのセット。店頭販売限定)

季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店・阪神梅田本店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

——


西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
そら植物園(株)代表取締役社長。21歳より日本各地・世界各国を旅してさまざまな植物を収集するプラントハンターとしてキャリアをスタートさせ、今では年間250トンもの植物を輸出入し、日本はもとより海外の貴族や王族、植物園、政府機関、企業などに届けている。
2012年、ひとの心に植物を植える活動・そら植物園を設立し、名前を公表して活動を開始。初プロジェクトとなる「共存」をテーマにした、世界各国の植物が森を形成している代々木ヴィレッジの庭を手掛け、その後の都会の緑化事業に大きな影響を与えた。
2017年12月には、開港150年を迎える神戸にて、人類史上最大の生命輸送プロジェクトである「めざせ!世界一のクリスマスツリープロジェクト」を開催する。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。

文:尾島可奈子

絶景列車で結婚式発祥の地へ!出雲・松江の「神話」と「縁結び」の旅

こんにちは。ライターの築島渉です。

神在月を迎える島根県・出雲。ヤマタノオロチ退治や、大国主大命(オオクニヌシノオオカミ)の国護りなど、神話が今も息づく神々の土地・出雲を巡るには、雄大な古事記の世界を目前にのんびりと旅する電車の旅がぴったり。

旧暦の10月には、あらゆる「縁(えにし)」を結ぶために八百万の神々が出雲に集います。神話の舞台を巡りに、そしてこれから出会う「縁」を見つけに、いざ、「絶景列車」でめぐる出雲・松江の旅に「参り」ましょう。

寝台で星を眺めながら山陰へ

日本人なら誰もが一度は触れたことのあるはずの須佐之男命(スサノオノミコト)や天照大神(アマテラスオオミカミ)の物語。

日本神話は、和銅5年(712年)に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)らによって献上された日本最古の歴史書『古事記』からはじまります。

日本創生から描かれているという『古事記』の中でもとりわけ壮大な神話の舞台が、島根県出雲市。

東京から山陰は少し遠く感じてしまいますが、実は出雲には、寝台列車・「サンライズ出雲」で一直線。とっても気軽に行けてしまうのです。

東京駅を毎日22時ちょうどに発車する「サンライズ出雲」は、大きな窓が素敵な2階建ての「走るホテル」。東京〜岡山間を併結して走り、岡山駅で香川県高松行きの「サンライズ瀬戸」と切り離されます。

木調のあたたかみのある車内

豪華な個室寝台などさまざまなタイプの部屋がありますが、おすすめはスタンダードな個室寝台「シングル」の2階部分。

しっかりと足を伸ばして眠れるベッドにオーディオのコントロールパネル、浴衣やスリッパもついていたりと、お手頃な価格ながらわくわくした旅のはじまりには充分すぎるほど。

淡いブルーのストライプパジャマ。帯も同じデザインでかわいらしい。
行き届いた設備で、快適にすごせます

しかも2階なら、天井部分のまるくカーブした大きな窓から、ベッドに寝っ転がったまま星空まで見れるという最高のおまけつき。寝台に横たわり、神々に思いを馳せながら星空を見上げる‥‥そんな旅情も味わえます。

まずは松江に到着!結婚式発祥の地「八重垣神社」へ

八重垣神社

「サンライズ出雲」の終点は出雲駅ですが、神話と電車の旅を楽しむために、まずは松江駅で下車してみましょう。宍道湖と中海にはさまれ川が縦横に走る「水の都」松江には、実は「結婚式発祥の地」が。それが、八重垣神社です。

八重垣神社は、8つの頭と8つの尾を持つ大蛇・ヤマタノオロチを退治したと言われる須佐之男命(または素戔嗚尊・スサノオノミコト) にゆかりがあります。

日本神話屈指の勇ましい神話がなぜ「結婚式発祥の地」かといえば、スサノオノミコトが、ヤマタノオロチの生贄になりそうだった櫛名田比売(クシナダヒメ)を助け、めでたく夫婦となったのがこの地だったから。

クシナダヒメがこの地に立てた2本の椿の枝が交わって一本の巨木になったという言い伝えの椿、「夫婦椿」の前では、八重垣神社を訪れたカップルたちが未来の自分たちの姿を願い手を合わせる姿も。

夫婦神を祀る神社として、良縁や子宝のご利益があると連日多くの人たちが「縁」を求めてお参りする神社なのです。

鏡池の占い

また、クシナダヒメが自身の姿を映したと言い伝えられる「鏡の池」では、紙を浮かべて良縁を占うというなんとも風雅な占いもすることができます。

鏡池の様子

神社で手に入る専用の紙の上に硬貨を乗せ、手前で沈めば「待ち人は近く」、すぐに沈めば「出会いは間もなく」、と占いの結果を待つのもまた楽しいもの。澄んだ空気に神話の息吹を感じながら、「縁」を占ってみるのも素敵ですね。

出雲大社との両参りがおすすめ「美保神社」

松江市美保関にある美保神社は、出雲大社と両参りをすると縁結びの御利益が倍増する、という良縁を望む人にとってはなんともありがたい神社。

全国3385社ある恵美須様の総本宮で、大国主大命(オオクニヌシノオオカミ)の子供の事代主命(コトシロヌシノカミ)、すなわち恵美須様とその妻・三穂津姫命(ミホツヒメノカミ)を祀った神社です。

鳥居の間から青く澄んだ美しい海を臨むことができる風景は、思わずシャッターを切りたくなるほど風光明媚。せっかくの神話の旅なら、足を伸ばしてでもお参りしたい神社です。

海をのぞむ鳥居
海をのぞむ鳥居

レトロな一畑電車でほのぼのローカル旅

宍道湖沿いを行く一畑電車

出雲大社前までは、かわいらしい単線列車・一畑電車でのレトロな列車旅がおすすめ。映画の舞台にもなったこの電車は、線路の事情から進行方向を変えるスイッチバックが行われることで知られています。

突然運転手さんが駅を降りても‥‥反対方向の運転手席に行くためなので、びっくりしないでくださいね。一畑電車で、宍道湖の雄大な眺めや山陰の秋をのんびりと眺めながら、ガタンゴトンと約1時間のほのぼの列車旅。いよいよ神話の里、出雲へ到着です。

神前通りで神話に思いを馳せながら

出雲と言えばもちろん、まずは、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)をまつる出雲大社へ。オオクニヌシノオオカミは、「因幡の白兎」の神話でかわいそうなうさぎを助けた、あの優しい神様。たくさんの女神と結婚し、多くの子供を残したことから、縁結びの神様として知られるようになりました。

『古事記』にすでにその創建が記されている出雲大社は、オオクニヌシノオオカミが天照大神(アマテラスノオオミカミ)に国を譲り、その時につくられた天日隅宮(あまのひすみのみや)が始まりだといわれています。

神前通りの様子
神前通りの様子

参道へ続く神前通りには、この地が発祥だといわれる「ぜんざい」の専門店をはじめ、甘味処や、可愛らしいお土産物屋さんがたくさん。

ずっと昔から出雲大社を目指していろいろな人々が行き来していた通りだと思うと、なんだか不思議な気持ちを覚えつつも、美味しそうなにおいに寄り道したくなってしまいます。

荘厳な「神在月」の出雲大社へ

出雲大社の鳥居

神前通りを抜けると、「勢溜(せいだまり)の正面鳥居」と呼ばれる、大きな木の鳥居へ。

鳥居や参道は、神様がお通りになるところ。真ん中は神様の通り道として、端っこを通るのが正しいお作法だそうです。また、拝殿に向かう途中のほこら「祓社」(はらえのやしろ)でまずお参りをするのも大切なんだとか。

立派なしめ縄

出雲大社には、拝殿、その後ろにある高さ約24mの本殿、長さ13mのしめ縄がある神楽殿など、神社建築が隣り合って並んでいます。神々を思わせる荘厳で威厳ある姿は、まさに圧巻。

出雲大社でのお参りは「二拝四拍手一拝」という特別なものなのだとか。神々が「縁」を結ぶために話し合いをしているという神在月の出雲大社で、しっかりとご縁をお願いしてしまいましょう。

出雲大社

日本で唯一、スサノヲノミコトの御魂を祀る須佐神社

厳かな雰囲気の須佐神社

出雲大社とともにぜひ訪れたいのが、近年は「パワースポット」として若い女性にも人気という須佐神社。スサノヲノミコトの御魂を祀った、日本でただ一つの神社です。

ヤマタノヲロチを退治し、クシナダヒメと結婚したスサノヲノミコトは、その後出雲の各地を開拓。最後の開拓の地として自身の名を土地に付けて、自らの御魂を鎮めたのがこの場所だと言い伝えられています。

社殿の後ろには樹齢1300年とも言われる、樹高24メートル以上の大杉が。悠久の時をまとう霊験あらたかなご神木として、忘れずにお参りしたい場所のひとつです。

大杉の様子

出雲神話を駆け抜ける絶景トロッコ列車

おろち

神々の物語を堪能したら、ここでしか乗ることができない珍しいトロッコ列車も体験してみては。

「奥出雲おろち号」は、木次線木次駅~備後落合駅にかけて、山陰の絶景を駆け抜けます。

ブルーの車体やエンブレムに描かれた凛々しいヤマタノヲロチ、木製の椅子や床にも趣があります。

沿線にはオロチが棲んでいたという斐伊川上流の「天ヶ淵」、スサノオノミコトがオロチを退治した時の酒壷を祀る「印瀬の壺神」、荒ぶる神だったスサノオノミコトを、愛の力で変えた妻・クシナダヒメ(稲田姫命とも呼ぶ)を祀った縁結びの神社・稲田神社など神話ゆかりの場所がたくさん。

日本最大級の二重ループ「奥出雲おろちループ」や谷底まで約100mもある三井野大橋など、見どころも満載です。

折しも紅葉の季節。紅や黄金に色づき始めた奥出雲の景色を見ながら、神話をめぐる旅を締めくくるといたしましょう。

オロチの様子

神在月の出雲・松江をめぐる列車の旅には、「縁」あり、神話あり、歴史あり、自然あり。この記事を読んだのも、何かのご縁。神々が神話の世界に呼んでいるのかもしれませんよ。

文:築島渉

結婚も選挙も就職も。職人に教わる、正しいだるまの「願掛け」作法

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

みなさんのお家に「だるま」はありますか?

すぐに思い浮かぶのは、選挙で当選した議員さんが片目を墨入れする姿。

ですが最近は、手のひらサイズのだるまが結婚式で使われたり、愛くるしいパンダ姿のだるまが登場するなど、その姿も進化しています。

身近なようで意外と知らないあの赤くて丸い縁起ものの正体を確かめに、200年続くだるまの産地・高崎の職人さんをたずねました。

だるまの一大産地、高崎に行ってきました

明日10月13日に北関東最大のファッションビル「高崎OPA (オーパ) 」のオープンを控え活気づく、群馬県高崎駅前。

東京駅から普通電車で2時間、新幹線「とき」に乗れば1時間ほどで到着です。駅に降り立つとあちこちで目に飛び込んでくるだるまの姿。

昨年12月に取材に行った際には、毎年大変な人出で賑わう年始の「だるま市」を目前に、大きな大きなだるまがお迎えしてくれました。

駅前の巨大だるま

高崎市は、年の瀬が近づくと「だるまの生産が最盛期を迎えています」とのニュースが毎年決まって流れる、全国でも有数のだるま生産地。

安定してカラリとした空気のこの一帯は、型に紙を重ね貼りして作る張子(はりこ)のだるま作りに適しており、冬の農閑期の農家の副業として発展しました。

生産量は2011年には年間90万個にものぼり、地域には50以上のだるま屋さんがあるそうです。

img_6475

訪ねたのは、駅から車で10分ほどのところにある、だるま職人真下輝永(ましも・てるなが)さんの店舗兼工房「三代目だるま屋 ましも」さん。

大小色も様々なだるまが所狭しと並ぶ店内は、そのまま奥の工房と繋がり、タイミングが合えばだるまの絵付けなどの様子を間近で見ることができます。

こんな手のひらサイズのだるまもあれば‥‥
こんな手のひらサイズのだるまもあれば‥‥
お店の奥にはたくさんの特大だるまが
お店の奥にはたくさんの特大だるまが
img_6481

工房を兼ねる店内はひっきりなしに注文の電話が入り、奥では職人さんが二人がかりで大きなだるまの絵付けをしています。

真下さんも、少しお話を伺ったところで「じゃあ、あとは女将が話すから」とご自身の持ち場に戻られ、束になった注文書とにらめっこしながら、絵付けの筆を取り始めます。

img_6494

「人の数だけ、願いがあるからね」

img_6550

ボソリと語られた言葉にさらにお話を伺おうとすると、すでに真下さんは全意識を筆先に集中させています。

言葉を飲み込んでその様子を見つめていると、お店の奥から出て来られた女将さんの真下玲子さんが声をかけてくれました。

女将さんによると、地域の人は年内のうちにだるまを買っておいて、お正月に飾るのが恒例だそう。

真下さんは筆で、だるまの胴体に注文された方のお名前や祈念する内容をしたためていたのでした。

多い時には1日100個以上名入れすることも。
多い時には1日100個以上名入れすることも。
使い込まれた絵の具入れ。
使い込まれた絵の具入れ。

「職人はヒゲと文字が書けたら一人前です。経験年数より、これはセンスですね」

きりりとした女将さんの言葉。

だるま作りは分業制で、真下さんは絵付けの職人さんです。真っ白な張子だるまから、この工房内で着色、顔描き、名入れが行われます。

だるまの命とも言える「顔描き」は全国の産地によって特徴があり、高崎だるまは眉は鶴を、ヒゲは亀を表すという縁起づくしのお顔です。

真下さんの工房では絵付けを数名の職人さんで分担して行いますが、その仕上げの工程である顔描きと名入れは、真下さんが一手に担います。

文字入りのだるまは全国的にも珍しく、高崎だるまのもうひとつの特徴でもあります。

おめでたさがぎっしりと詰まっただるまさんの顔。
おめでたさがぎっしりと詰まっただるまさんの顔。
絵付け前の状態。「七転び八起き」を支える台座がよりはっきり見て取れる。
絵付け前の状態。「七転び八起き」を支える台座がよりはっきり見て取れる。
こんな小さなだるまにも、サラサラと筆が進む。
こんな小さなだるまにも、サラサラと筆が進む。

だるまの目入れはテレビの申し子?

せっかくなので女将さんに、だるまについてさらに詳しく教えてもらいましょう。

だるまというと選挙の時に目を入れるのが有名ですね、というと、意外なお話を聞かせてくれました。

「駅の大きなだるまは、両目が入っていたでしょう。だるまは『目』にその魔除け力があります。

江戸時代に視力を失う病が流行って、大きな目のだるまが人気になりました。ですからその当時は、黒々と両目が入っていたんですよ。

ただ、願掛けのものですから、そのうちに買い求める人から目の入れ方に注文が付くようになった。

それでお客さんに自分で目を入れてもらうのがいいだろう、と片目や白目のだるまが出てきたと聞いています。

願いが叶ってからだるまに目を入れるイメージは、テレビの時代に入って強くなりました。選挙選で当選した議員さんが筆で目を入れる姿が印象的だったのでしょうね。

本来は仏像と同じように神聖なものですから、両目が入っていた方が何よりパワーが発揮されます。飾る際も、初めから両目を入れておくのがおすすめですよ」

まさかだるまの目入れのイメージが、テレビの影響だったとは。

お客さんの納得がいくように自分で目を入れてもらう、というのも、今の商売にも通じるような発想の転換です。

神聖な存在に、少しずつエンターテイメント性が加わってきたものが、今のだるまさんの姿のようです。

ちなみにこれは東日本に多いだるまさんだそうで、西日本では黒目の鉢巻きだるまが多いそうですよ。

女将さんおすすめ・だるまの選び方

店内の一角には手のひらサイズから両手でも抱えきれない特大サイズまで、大きさ見本のだるまがずらりと並ぶコーナーがあります。

サイズの単位は「丸(まる)」。いちまる、よんまる、と呼んでいるそうです。丸々としただるまさんらしい、愛らしい響き。それぞれどんな人がどんな時に注文するのでしょうか。

下段が10丸未満のもの、中断は10〜20丸、上段は30〜60丸まで並ぶ。
下段が10丸未満のもの、中断は10〜20丸、上段は30〜60丸まで並ぶ。

「ご自宅用ですと今はマンション住まいにも合う、2.5丸が人気です。

結婚式だと4丸、両親への贈り物だと8丸が多いですね。

選挙だるまは、昔は60丸が多かったのですが、今は20丸くらい。政治家は守りたい人が多いでしょう、願いが大きいと、大きいだるまになるんですね。

解決したい悩み事が大きいときには、大きいだるまさんを買って、だんだん小さくしていくのがおすすめです」

酉の市の熊手と同じように、だるまも買い換える毎に大きくするイメージでしたが、なるほど縁起物らしい買い方を伺えました。

もうひとつ面白かったのが、群馬県出身のカップルに多いという、結婚式での活用方法。

「結婚式にご招待した方のお名札代わりに、名入れした1丸(手のひらサイズ)のだるまを置くんです。

小さいサイズなら名入れしても価格も手頃ですし、そのままお客さまがお土産に持って帰れるので、喜ばれているようです」

店内にはウェデイング用のだるまコーナーも。
店内にはウェデイング用のだるまコーナーも。

確かに参列した人にはこれ以上ない縁起の良い手土産ですね。しかも自分の名前入りというのは嬉しい。

「自分の名前が入るとだるまさんがまた格別な存在になります。うちに名入れを頼まれた方も、取りに来て実物を見ると『まぁ!』と目を輝かされますね。

他にもご友人が会社を立ち上げる際に、お祝いに会社のロゴ入りを贈られる方もいらっしゃいます」

いつでも身近に。覚えておきたい、だるまの飾り方

今日1日でだるまさんが一気に身近になりました。ちなみに家での飾り方ってあるのでしょうか?

「だるまさんは魔除けなので、玄関に向けて飾ってください。力が発揮できるように、袋からは出しておいてくださいね。

置き場所はどこでも構いません。ただ、自分にとって身近なところに置いて、初めに願を掛けた時のことを時々思い出して欲しいんです。だるまさんは、思いや願いの物質化ですから」

真下さんの「人の数だけ、願いがある」との言葉が思い出されました。

例えば家族そろって、来年もまたいい年になりますようにと願いを込めて。

新郎新婦が、自分たちの門出を祝ってくれる人たちへの感謝の印に。難しい試験に挑戦する友人への応援に。大きなチャレンジをするときの、自分の味方として。

人の数だけある願いを、だるまはお腹に秘めています。

「だるまは願いがある限り、生活に欠かせないんだよ」

再びボソリとつぶやかれた真下さんの言葉を頭の中で響かせつつ、工房を後にしました。

三代目だるま屋 ましも
群馬県高崎市八千代町2-4-5
027-386-4332
http://www.mashimo-terunaga.com/index.html

<関連商品>
中川政七商店
干支だるま 酉

富士山だるま

招き猫だるま

幸運の白鹿だるま

わっしょいだるま 女子

<関連ニュース>
北関東初出店「中川政七商店 高崎オーパ店」2017年10月13日 (金) オープン!

<参考>
小学館『日本大百科全書』
群馬県達磨製造協同組合公式サイト<http://takasakidaruma.net/>(2016/12/23時点)
高崎市公式サイト「高崎だるまの歴史」<http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/souvenir/daruma-history.html>(2016/12/23時点)


文・写真:尾島可奈子