三十の手習い「茶道編」十一、 なにはなくとも、茶巾

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、なかなか機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けしています。

なにはなくとも、茶巾

9月某日。

今日も東京・神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎 (きむら・そうしん) 先生による茶道教室11回目。お茶室の真ん中に、何かの容れものが置いてあります。

この箱は一体‥‥?

「これまで帛紗 (ふくさ) 、茶筅 (ちゃせん) 、茶杓と、お茶に関わる道具をいろいろと見てきました。

そろそろ、扱うべきものの話は終わりにして実践に移っていこうと思いますが、もうひとつ、お茶に不可欠な道具があります。茶巾です。

お点前の際にお茶の粉がダマになったりしないよう、茶碗についた水滴を拭き清めるのに茶巾を用います。

ですが、いいですか。これからお点前を始めるときに、茶巾で茶碗を『拭こう』と思ってはだめですよ」

拭き清める所作をするのに、拭こうと思ってはだめとは、一体‥‥?

謎かけのような言葉にきょとんとしていると、先生がそっと1枚、白い布を先ほどの箱の中に入れられました。

清らかな布、麻

箱の中に白い布

「麻生地の茶巾です。綿のものもありますが、茶巾といえば、麻生地です。その理由は後でお話しますが、麻は神事でも重んじられている布です。それを表しているのが、この箱です。

天皇陛下が神前に献上する、特に食べもの以外の捧げものを幣帛 (へいはく) と言います。代表的なものが麻をはじめとした織物です。

5色に染め分けた反物を糸でくるんで、柳の木で作った『柳筥 (やないばこ) 』という箱に入れて献上します。

この箱は柳筥を模して小さく作らせたものです。伊勢神宮ゆかりの茶会が行われた時に使われるために作られたものです」

麻の茶巾を神様に捧げる幣帛に見立てた、お茶会のための「柳筥」。板同士を糸でつなぎ合わせた大変手の込んだつくりになっています。中に収められるものの重要さ、神聖さを物語るようです。

箱のアップ

「麻は一般庶民の衣服にも用いられてきた生地です。実はそのままでは繊維がゴワゴワとしていて、染料にも染まりにくい。

そこで白く晒すことで柔らかく、色に染めやすくもするという工夫がされたのです。清らかな白さは、ここから生まれているのですね。

16世紀の後半には、晒し技法の改良に成功して一大産地となった奈良のような土地も現れます。「奈良晒 (ならざらし) (*1) 」は徳川幕府の御用品指定も受けたほどです。

真っ白な麻の布は大流行しました。侘び茶について書かれた『茶話指月集』にも、有名な千利休のエピソードが収録されています」

利休も愛した晒の茶巾

先生のお話によると、侘び数寄でならした茶人がある日、利休に大金を送ってきて「とにかく自分のためにいい茶道具を選んでください」と目利きを頼みます。

ほどなく利休から届いた荷物を喜んで開くと、新しい真っ白な晒の布が大量に入っている。

慌てて添えられた手紙を読むと「なにはなくとも真新しい白い茶巾。これさえあればお茶はできます」と書いてあった、というお話です。

「はじめは単なる侘び数寄の例えかと思っていたのですが、技法を改良して生まれてきた奈良晒などの晒生地の話と重ねると、晒の白さ (*2) を誇る茶巾というのは、利休にとっても最先端の、ソリッドな真新しい美だったのだと思います。

侘茶の湯という新しいものを打ち立てようとしていた当時に、何百年も前から大切に残されたの名物の器に匹敵する美しきものとして、真白き使い捨てのものをこそ、と利休が語ったというのは、大変象徴的なエピソードです」

そうして真白い小さな布が、次々とお茶室の真ん中に置かれていきました。

昔ながらの作り方が最高?

茶巾を並べていく様子

これまでのお稽古で拝見した帛紗 (*3) や茶筅 (*4) のように、茶巾にもお茶人さんや流派の好みで様々な種類があるようです。

それぞれの茶巾を見比べているところ

見比べてみると確かに、どれも少しずつ様子が違うのですが、具体的にどこと聞かれると、うまく答えられません。

茶巾に見入る生徒の様子

ほら、と先生が示されたのは生地の上下の端部分。

生地の端部分。糸でかがってある

「かがったところが潰れているでしょう。正式な茶巾は、竹ヒゴで生地の端をくるんでから、かがるんです。だから竹ヒゴを抜いた跡が丸い筒状に見える。

くるん、と丸まった端

「さらに、この中でひとつだけ違うものがあります。どれかわかりますか。

答えは糸のかがり方。効率を考えると斜めにかがりますが、これは1本ずつ、生地端に対して縦にかがっています」

たしかに、1箇所ずつ縫いとめてあります!
たしかに、1箇所ずつ縫いとめてあります!

こちらがもっとも古風で正式な茶巾だそうです。何気なく眺めていたのでは気付けない細部に、驚くような手間暇がかけられています。

「なぜわざわざ手のかかったものを求めるのか。昔ながらの作り方が最高だ、と言いたいのではないのですよ。

人の手で真剣に入念に調えられた茶巾を使って、これをつくった人自身の想いまで受け取って茶碗を拭くことで、ものが清まるのだということです。

茶巾は単に茶碗を拭う道具ではなく、ものを清める道具なのです。

茶巾は晒、である理由

「茶巾で茶碗を拭く時に、物理的に拭こうと思ってはいけない。だからお点前では、よく絞った乾きやすい茶巾を手に沿わせて、茶碗の上を滑るように回します」

手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と先生
手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と先生

「回していくうちにその浸透圧で茶巾に水滴を吸わせるんです。これなら茶碗も傷つけません。

茶巾を手に沿わせるには、あまり柔らかすぎたりさらっとしていては具合が悪い。だからこそハリがあり、神事にも用いられる清らかな麻の晒生地こそがぴったりなのです」

茶碗を拭いているようでいて、拭いているのではなく清めている。ようやく、先生がお稽古の始まりに仰った「謎かけ」が解けてきました。

またものを見る目がひとつ変わったところで、今日のお菓子の登場です。

秋の遊びごころ

今日のお菓子は奈良・樫舎 (かしや) さんの「初雁 (はつかり) 」。

つやりとした樫舎さんの「初雁」が銘々皿によく映えます
つやりとした樫舎さんの「初雁」が銘々皿によく映えます

初雁はもともと、黒糖の葛の中にゆり根を散らし、秋の空に到来した雁を表す9月のお菓子。今回は奈良・吉野の本葛で餡を包んだ、樫舎さんオリジナルだそうです。

一服いただいた後は、これまで拝見してきた道具を実際に使って、お点前の稽古も実践していきます。

茶道のお稽古、習い事・お点前-さんち〜工芸と探訪〜
柄杓は真剣を扱うように持ちなさい、と教わります
柄杓は真剣を扱うように持ちなさい、と教わります

今日の水指は、井戸に吊り下げる釣瓶 (つるべ) の形。本来夏用の道具を「秋の日はつるべ落とし」にかけて使います。

釣瓶の形をした水指

釣瓶なので、お道具を下げる時も茶巾に吊るして運びます。なんという遊びごころ!

水指の取っ手に茶巾を通して運んでいる様子

茶碗ひとつ、茶巾ひとつの扱いに心を込めてお点前をすることも、こうした季節を取り入れた遊びごころも、その場に会したお客さまをもてなそうとする真剣な想いがあってこそ。

毎回、私はその全てにきちんと気付けているだろうかと、お茶室の中をじっくりと見渡します。そろそろ、お稽古も終わりの時間が近づいてきました。

「今日は茶巾のお話をしました。

ゴシゴシと茶碗を拭くことが目的ではない、ということをお伝えしましたね。ものを清めるという儀式に使う、大事な道具です。

晒の茶巾で茶碗を拭いている時には、神社の神主さんが御幣 (ごへい) を振っているような心持ちで臨まないといけませんよ。

では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、なにはなくとも、茶巾

今日のお軸にはきれいなお月さまが
今日のお軸にはきれいなお月さまが

<参考記事>
*1 奈良晒:「歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒」
*2 晒の白さ:「はじまりの色、晒の白」
*3 帛紗:「三十の手習い 茶道編七、帛紗が正方形でない理由」
*4 茶筅:「三十の手習い 茶道編九、夏は涼しく」


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店

怪談は負の遺産?小泉凡さんに聞く、城下町とゴーストのいい関係

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

明日はハロウィン。東京・渋谷のスクランブル交差点には、すでに土日から気の早いお化けたちが姿を現しているようです。

実はこのハロウィン、もともとアイルランドの「お盆」にあたる行事だったこと、ご存知でしょうか。

妖精の国とも称されるアイルランドでは、その日に人はお墓参りをしてご先祖の霊を迎え、妖精たちは住処替えをするとされていたそうです。

「異界に繋がる扉が開いて、自由に行き来するという日なんですよ」

このことを教えてくれたのは、民俗学者の小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。

ひいおじい様は幼少期をアイルランドで過ごし、40代で日本に移住して「耳なし芳一」などの民間伝承をまとめた『怪談』の著者、ラフガディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。
小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。

現在は小泉八雲が暮らした「怪談のふるさと」こと島根県・松江で大学教授を務められています。松江で人気の観光プログラム「松江ゴーストツアー」の生みの親でもあると聞いて、八雲が日本の“ゴースト”に見出した魅力について、お話を伺ってきました。

小泉八雲が愛した地で生まれた、「松江ゴーストツアー」とは?

訪ねたのは松江市にある島根県立大学短期大学部のキャンパス。凡さんの研究室にお邪魔して、まず先日体験の様子を記事でもご紹介した「松江ゴーストツアー」について伺います。

松江ゴーストツアーで訪ねる月照寺
松江ゴーストツアーで訪ねる月照寺

——夜の時間帯に市内の「怪談スポット」を巡るツアーというのは、とてもユニークですね。どんなきっかけで始まったのでしょうか?

「2005年に松江でご縁のある方をご案内して、八雲が幼少期を過ごしたアイルランドを旅したんですね。

その時に訪れた首都のダブリンで、おばけのラッピングをしたバスが走っているのを見かけたんです。それがゴーストツアーのバスでした。


<アイルランド大使館の公式Twitterで紹介されているゴーストツアーのバスの様子>


気になって、次の日の夜にはチケットを手に入れて乗車しました。そうしたら語り部が俳優みたいに“それらしい”衣装を身につけて、夜20時から22時までの2時間、『取り憑かれた大聖堂』なんてスポットを次々に案内するんです。

『形のないものを訪ねる』という発想が非常に魅力的で、演出も面白いものでした。訪ねた先で語り部のお話を聞くんですが、怖いだけではなくて学びもある。

ダブリンって文学の宝庫なんです。『ドラキュラ』の筆者であるブラム・ストーカーもダブリンに住んでいた時期があって、ツアーで旧ストーカー宅の前も通ります。

2時間の間にいろいろな話を聞いて、帰る頃にはダブリンゆかりの文学にすっかり詳しくなるという内容でした。

非常に感銘を受けてふと松江のことを思い返してみたら、城下町ということもあって多くの怪談話があるぞということに気づいたんです」

土地の物語をツーリズムに活かす

「たとえば、北東の鬼門の方角には『怪談』に『小豆とぎ橋』の話が収録されている普門院、北西の方角には『動く唐金の鹿』という伝説が残る春日神社があります。

西には小泉八雲の随筆『知られざる日本の面影』に登場する、月照寺の大亀や芸者松風の幽霊話が残る清光院。南西の隅には八雲が大好きだった『子育て幽霊』の大雄寺。

月照寺の大亀。夜中に動き出して悪さをしたという
月照寺の大亀。夜中に動き出して悪さをしたという
清光院
木の門の向こうに古い墓地が続く清光院

松江城には人柱伝説や、盆踊りをすると大地が揺れたという言い伝えもあります。

こうした物語をツーリズムに活かすことは、ダブリンでゴーストツアーに出会うまで、全く考えてもみなかったんです。

帰国してからすぐに松江にある『NPO法人松江ツーリズム研究会』に話して、ぜひやろうとあっという間にまとまっていきました。

——それだけ特定の地域に怪談が集中しているというのも面白いですね。さすが「怪談のふるさと」!

「だいたい城下の四隅や水陸の境目など、まちの重要な境界地点に怪談が伝わっているんですね。

大雄寺
城下の西端、水と陸の境にある大雄寺

『怪談のふるさと』というキャッチフレーズは、『新耳袋』シリーズで有名な怪異蒐集家の木原浩勝 (きはら・ひろかつ)さんと毎年やっている『松江怪談談義』という対談イベントの中で生まれたんです。

今から5年ほど前に、木原さんが『鳥取の境港は“妖怪のふるさと”、出雲は“神々のふるさと”、雲南は“神話のふるさと”と呼ばれているのに、松江に何もないのはおかしい。“怪談のふるさと”と、胸を張って言える町にしましょう』と発言されたのがきっかけでした」

怪談は、耳に届ける

——小泉八雲は、奥さんのセツに知っている言い伝えを語ってもらい、記録していったそうですね。八雲が耳で集めた話が一度は文字になって、またツアーの中で語り部さんの声で語られる、というのも面白いなと思いました。

民話や伝説など、人の口から口へと語り継がれてきた文学を口承文芸と言います。怪談の多くもそうして伝え残されてきたんですね。

だからゴーストツアーで語られる怪談も、耳に届けるということが一番大切なんじゃないかなと思っています。

ツアーの開始時刻は日没の10分前です。巡るうちにどんどん夜になっていくので、訪ねた先の様子がはっきりと見えません。

日没10分前に集合して、最初に訪ねる松江城。
日没10分前に集合して、最初に訪ねる松江城。

見て楽しむ、というものではないんですね。耳で聞く。

松江は夜が暗い街で、例えば月照寺の森の中は、ツアーで訪ねる時間には真っ暗です。参加した方には本当の『闇』を体感することができます。

本来は闇って怖いもの、畏怖の念を覚えるものなんですね。そういう中で突然聞こえてくる音にゾッとしたりする。

電気のなかった時代の人たちが感じた『怖さ』を、ぜひ追体験していただきたいと思っています。

また、怖がって楽しむだけでなく、ダブリンのツアーで得たような、土地にまつわる知識も持って帰ってもらいたいですね」

ゴーストツアー人気の秘密

——そうすると、語り部さんの役割がとても重要になりますね。

「肝試しになってしまうと、一過性のもので終わってしまいます。ツアーづくりで一番大事にしたのが、語り部の養成でした。

これはボランティアガイドさんではない、プロの仕事でなければ意味がない、と感じていました。海外のゴーストツアーも、語り部の方はそれを本業にしています。

当初ガイドには20名以上の応募がありましたが、選考や研修を経て、最後に残ったのは今もガイドをやってくれている3名です。

語り部さん
無念の死を遂げた芸者の幽霊話を語る語り部・引野さん

研修では小泉八雲の最新の研究成果もふまえた知識や、松江の地域の歴史、特に訪問する場所の歴史についてしっかりと学んでいただきました。

さらに怪談が口承文芸全体の中でどういう位置づけにあるのかという口承文芸学や、観光事業ですからホスピタリティ研修も。

そうなるとガイドさんも自分でどんどん勉強していって、自分なりのガイドをするようになっていくんです。

価格も手頃で申し込みも直前まで対応できることもあって、幸い堅調に人を集めていまして、着地型観光としては長続きしている極めて珍しい例だと言われています」

海外のゴーストツアー事情

——先ほど『海外のゴーストツアー』というお話がありましたが、アイルランド以外でもこうしたツアーはあるのでしょうか?

「ゴーストツアー自体は、イギリス、アメリカなど欧米各国ではメジャーな観光プログラムなんですよ。

たとえばアメリカのニューオーリンズではゴーストツアーが目的別に複数用意されています。
怪談を聞くゴーストツアーや吸血鬼伝承を訪ねるヴァンパイアツアーとかね。ゴーストツアー専門の会社も数社あるくらいです」

——ゴーストツアー専門会社!地域の資源を上手に活用しているんですね。

「今まで日本では、怪談や妖怪といったものを『負の遺産』と考えるケースが多かったんです。記録として話を残しても、それを観光に活かすという手法は、あまり取られてこなかったんですね。

そんな中で海外で出会ったゴーストツアーは、墓地やジメジメした沼地といった『負の遺産』をプラスに活かすものでした」

小泉八雲が示した、怪談の中の「真理」

「八雲は、超自然の物語には真理がある、という言葉を残しています。お化けや幽霊が信じられないという時代が来ても、怪談は廃れないと予言しているんですね。

有名なエピソードが松江にある大雄寺の子育て幽霊の話です。八雲は『怪談』の中でこの伝承に触れて、『母の愛は死よりも強い』と語っています。

長く伝え残されているということは、それだけの普遍的な何かがある。八雲は耳にした数々の不思議な話の中に『真理』を見出し、大切にしていたのだと思います。

実際に、小泉八雲が日本各地の言い伝えを綴った『怪談』は、今では各国語に翻訳されて世界中で読まれています。

松江のゴーストツアーにもわざわざ参加のために首都圏からお越しいただく方がいます。私が教えている『妖怪学』の授業も、多く若い学生が学んでいます。

そうした様子を見ていると、これが八雲の語った怪談の真理なのかな、時空を超えて変わらないとはこういうことか、と実感します」

——ゴーストツアーも、「怖い」以上の何かがあるからこその人気なのですね。最後にツアーのこれからの展望をお聞かせください。

「ゴーストツアーというネーミングは各国共通です。

日本でもゴーストという言葉は普及していますし、将来的には松江のツアーにも海外のお客さんが参加してくれるだろうと考えて、松江のツアー名もそれにならいました。

海外のゴーストツアーでは、コースの途中で古いパブに立ち寄って休憩することがよくあります。

そのパブにも怪談があったりして、ゴーストツアー専用のカクテルや幽霊の名前がついた飲み物を飲みながら話を聞いてひと息つくんです。

松江にもコースの途中にそういうお店があったらいいなと思っています」

——「雪女」みたいな日本酒を出してくれたらきっと楽しいですね。

「バスツアーもやってみたいですし、怪談にまつわるお土産の開発も進めようとしています。

うちの学生たちが『ゴーストみやげ研究所』というものを立ち上げて、商品開発に取り組んでいるんです。第一弾は『ほういちの耳まんぢう』ですよ (笑)

こんな風に、文学には文化の創造やまちづくりにも活かせるポテンシャルがあると最近感じてきています。

アイルランドには2015年に、八雲の生涯を庭で表現した『小泉八雲庭園』が誕生しています。新しい文化資源としての出し方として、とても面白いですよね。

場所やものに宿るストーリーが、非常に大事だと思っています。小さな声にも耳を傾けて、親しむことができるかどうか、ですね」

——ありがとうございました。

小泉八雲が記し、今再び松江から世界に向けて発信される「怖い話」。「怖い」の向こう側にある物語に触れると、ハロウィンも怪談も、より一層豊かな体験になりそうです。


松江ゴーストツアー

・参加費:一人1,700円(税込)

・詳細・申し込み:NPO法人松江ツーリズム研究会

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、築島渉

11月 美しい織物のような「天鵞絨杉」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。

そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。

植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

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◇美しい織物のような「天鵞絨杉」

先月、時代背景によって庭の様式も、植物を愛でる文化も変わっていくという話をしましたが、日本庭園のはじまりは池泉回遊式と言ってね、巨大な池を作って周りを歩いて楽しむという庭なんです。

それがある時期から、池泉回遊式よりも小さくて手間がかからない「枯山水」が流行りだします。

ひとつの大きな要因といえば、応仁の乱です。11年も続いた大戦です。大名たちも財力を使い果たして、日本全体にお金がない時代がやってきます。

お金はないけれど、景色は楽しみたい。そこでメンテナンスの手間もお金もかからない、経済的な庭が欲しいとなって、禅の思想と相まって枯山水が登場してくるんです。

枯山水が石と砂だけで景色を表現したように、こうした「見立て」は植物によくあります。

今月の植物のひとつに選んだ天鵞絨 (びろうど) 杉は、その名の通り織物のビロードが名前の由来。

美しい葉の様子

美しく輝く葉色が、江戸時代に高級織物として大名たちをうならせた「有線天鵞絨(ゆうせんびろうど)」のようだとその名がつけられたんですね。

今月の植物に選んだもう一種類である、矮性の「紺杉」と比べると、その質感の違いがよりわかるかと思います。

左が天鵞絨杉、右が紺杉。紺杉はまるで花火のように広がっている可愛らしい葉と細かい枝、柔らかな色味が特徴です
左が天鵞絨杉、右が紺杉。紺杉はまるで花火のように広がっている可愛らしい葉と細かい枝、柔らかな色味が特徴です

ちょっと気がはやいですがクリスマスの時期にも似合う植物です。小さいけれど飾ると空間が凛とした空気になりますよ。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>

花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・10月の季節鉢 杉(鉢とのセット。店頭販売限定)

季節鉢は以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店・阪神梅田本店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

——


西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
そら植物園(株)代表取締役社長。21歳より日本各地・世界各国を旅してさまざまな植物を収集するプラントハンターとしてキャリアをスタートさせ、今では年間250トンもの植物を輸出入し、日本はもとより海外の貴族や王族、植物園、政府機関、企業などに届けている。
2012年、ひとの心に植物を植える活動・そら植物園を設立し、名前を公表して活動を開始。初プロジェクトとなる「共存」をテーマにした、世界各国の植物が森を形成している代々木ヴィレッジの庭を手掛け、その後の都会の緑化事業に大きな影響を与えた。
2017年12月には、開港150年を迎える神戸にて、人類史上最大の生命輸送プロジェクトである「めざせ!世界一のクリスマスツリープロジェクト」を開催する。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。

文:尾島可奈子

絶景列車で結婚式発祥の地へ!出雲・松江の「神話」と「縁結び」の旅

こんにちは。ライターの築島渉です。

神在月を迎える島根県・出雲。ヤマタノオロチ退治や、大国主大命(オオクニヌシノオオカミ)の国護りなど、神話が今も息づく神々の土地・出雲を巡るには、雄大な古事記の世界を目前にのんびりと旅する電車の旅がぴったり。

旧暦の10月には、あらゆる「縁(えにし)」を結ぶために八百万の神々が出雲に集います。神話の舞台を巡りに、そしてこれから出会う「縁」を見つけに、いざ、「絶景列車」でめぐる出雲・松江の旅に「参り」ましょう。

寝台で星を眺めながら山陰へ

日本人なら誰もが一度は触れたことのあるはずの須佐之男命(スサノオノミコト)や天照大神(アマテラスオオミカミ)の物語。

日本神話は、和銅5年(712年)に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)らによって献上された日本最古の歴史書『古事記』からはじまります。

日本創生から描かれているという『古事記』の中でもとりわけ壮大な神話の舞台が、島根県出雲市。

東京から山陰は少し遠く感じてしまいますが、実は出雲には、寝台列車・「サンライズ出雲」で一直線。とっても気軽に行けてしまうのです。

東京駅を毎日22時ちょうどに発車する「サンライズ出雲」は、大きな窓が素敵な2階建ての「走るホテル」。東京〜岡山間を併結して走り、岡山駅で香川県高松行きの「サンライズ瀬戸」と切り離されます。

木調のあたたかみのある車内

豪華な個室寝台などさまざまなタイプの部屋がありますが、おすすめはスタンダードな個室寝台「シングル」の2階部分。

しっかりと足を伸ばして眠れるベッドにオーディオのコントロールパネル、浴衣やスリッパもついていたりと、お手頃な価格ながらわくわくした旅のはじまりには充分すぎるほど。

淡いブルーのストライプパジャマ。帯も同じデザインでかわいらしい。
行き届いた設備で、快適にすごせます

しかも2階なら、天井部分のまるくカーブした大きな窓から、ベッドに寝っ転がったまま星空まで見れるという最高のおまけつき。寝台に横たわり、神々に思いを馳せながら星空を見上げる‥‥そんな旅情も味わえます。

まずは松江に到着!結婚式発祥の地「八重垣神社」へ

八重垣神社

「サンライズ出雲」の終点は出雲駅ですが、神話と電車の旅を楽しむために、まずは松江駅で下車してみましょう。宍道湖と中海にはさまれ川が縦横に走る「水の都」松江には、実は「結婚式発祥の地」が。それが、八重垣神社です。

八重垣神社は、8つの頭と8つの尾を持つ大蛇・ヤマタノオロチを退治したと言われる須佐之男命(または素戔嗚尊・スサノオノミコト) にゆかりがあります。

日本神話屈指の勇ましい神話がなぜ「結婚式発祥の地」かといえば、スサノオノミコトが、ヤマタノオロチの生贄になりそうだった櫛名田比売(クシナダヒメ)を助け、めでたく夫婦となったのがこの地だったから。

クシナダヒメがこの地に立てた2本の椿の枝が交わって一本の巨木になったという言い伝えの椿、「夫婦椿」の前では、八重垣神社を訪れたカップルたちが未来の自分たちの姿を願い手を合わせる姿も。

夫婦神を祀る神社として、良縁や子宝のご利益があると連日多くの人たちが「縁」を求めてお参りする神社なのです。

鏡池の占い

また、クシナダヒメが自身の姿を映したと言い伝えられる「鏡の池」では、紙を浮かべて良縁を占うというなんとも風雅な占いもすることができます。

鏡池の様子

神社で手に入る専用の紙の上に硬貨を乗せ、手前で沈めば「待ち人は近く」、すぐに沈めば「出会いは間もなく」、と占いの結果を待つのもまた楽しいもの。澄んだ空気に神話の息吹を感じながら、「縁」を占ってみるのも素敵ですね。

出雲大社との両参りがおすすめ「美保神社」

松江市美保関にある美保神社は、出雲大社と両参りをすると縁結びの御利益が倍増する、という良縁を望む人にとってはなんともありがたい神社。

全国3385社ある恵美須様の総本宮で、大国主大命(オオクニヌシノオオカミ)の子供の事代主命(コトシロヌシノカミ)、すなわち恵美須様とその妻・三穂津姫命(ミホツヒメノカミ)を祀った神社です。

鳥居の間から青く澄んだ美しい海を臨むことができる風景は、思わずシャッターを切りたくなるほど風光明媚。せっかくの神話の旅なら、足を伸ばしてでもお参りしたい神社です。

海をのぞむ鳥居
海をのぞむ鳥居

レトロな一畑電車でほのぼのローカル旅

宍道湖沿いを行く一畑電車

出雲大社前までは、かわいらしい単線列車・一畑電車でのレトロな列車旅がおすすめ。映画の舞台にもなったこの電車は、線路の事情から進行方向を変えるスイッチバックが行われることで知られています。

突然運転手さんが駅を降りても‥‥反対方向の運転手席に行くためなので、びっくりしないでくださいね。一畑電車で、宍道湖の雄大な眺めや山陰の秋をのんびりと眺めながら、ガタンゴトンと約1時間のほのぼの列車旅。いよいよ神話の里、出雲へ到着です。

神前通りで神話に思いを馳せながら

出雲と言えばもちろん、まずは、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)をまつる出雲大社へ。オオクニヌシノオオカミは、「因幡の白兎」の神話でかわいそうなうさぎを助けた、あの優しい神様。たくさんの女神と結婚し、多くの子供を残したことから、縁結びの神様として知られるようになりました。

『古事記』にすでにその創建が記されている出雲大社は、オオクニヌシノオオカミが天照大神(アマテラスノオオミカミ)に国を譲り、その時につくられた天日隅宮(あまのひすみのみや)が始まりだといわれています。

神前通りの様子
神前通りの様子

参道へ続く神前通りには、この地が発祥だといわれる「ぜんざい」の専門店をはじめ、甘味処や、可愛らしいお土産物屋さんがたくさん。

ずっと昔から出雲大社を目指していろいろな人々が行き来していた通りだと思うと、なんだか不思議な気持ちを覚えつつも、美味しそうなにおいに寄り道したくなってしまいます。

荘厳な「神在月」の出雲大社へ

出雲大社の鳥居

神前通りを抜けると、「勢溜(せいだまり)の正面鳥居」と呼ばれる、大きな木の鳥居へ。

鳥居や参道は、神様がお通りになるところ。真ん中は神様の通り道として、端っこを通るのが正しいお作法だそうです。また、拝殿に向かう途中のほこら「祓社」(はらえのやしろ)でまずお参りをするのも大切なんだとか。

立派なしめ縄

出雲大社には、拝殿、その後ろにある高さ約24mの本殿、長さ13mのしめ縄がある神楽殿など、神社建築が隣り合って並んでいます。神々を思わせる荘厳で威厳ある姿は、まさに圧巻。

出雲大社でのお参りは「二拝四拍手一拝」という特別なものなのだとか。神々が「縁」を結ぶために話し合いをしているという神在月の出雲大社で、しっかりとご縁をお願いしてしまいましょう。

出雲大社

日本で唯一、スサノヲノミコトの御魂を祀る須佐神社

厳かな雰囲気の須佐神社

出雲大社とともにぜひ訪れたいのが、近年は「パワースポット」として若い女性にも人気という須佐神社。スサノヲノミコトの御魂を祀った、日本でただ一つの神社です。

ヤマタノヲロチを退治し、クシナダヒメと結婚したスサノヲノミコトは、その後出雲の各地を開拓。最後の開拓の地として自身の名を土地に付けて、自らの御魂を鎮めたのがこの場所だと言い伝えられています。

社殿の後ろには樹齢1300年とも言われる、樹高24メートル以上の大杉が。悠久の時をまとう霊験あらたかなご神木として、忘れずにお参りしたい場所のひとつです。

大杉の様子

出雲神話を駆け抜ける絶景トロッコ列車

おろち

神々の物語を堪能したら、ここでしか乗ることができない珍しいトロッコ列車も体験してみては。

「奥出雲おろち号」は、木次線木次駅~備後落合駅にかけて、山陰の絶景を駆け抜けます。

ブルーの車体やエンブレムに描かれた凛々しいヤマタノヲロチ、木製の椅子や床にも趣があります。

沿線にはオロチが棲んでいたという斐伊川上流の「天ヶ淵」、スサノオノミコトがオロチを退治した時の酒壷を祀る「印瀬の壺神」、荒ぶる神だったスサノオノミコトを、愛の力で変えた妻・クシナダヒメ(稲田姫命とも呼ぶ)を祀った縁結びの神社・稲田神社など神話ゆかりの場所がたくさん。

日本最大級の二重ループ「奥出雲おろちループ」や谷底まで約100mもある三井野大橋など、見どころも満載です。

折しも紅葉の季節。紅や黄金に色づき始めた奥出雲の景色を見ながら、神話をめぐる旅を締めくくるといたしましょう。

オロチの様子

神在月の出雲・松江をめぐる列車の旅には、「縁」あり、神話あり、歴史あり、自然あり。この記事を読んだのも、何かのご縁。神々が神話の世界に呼んでいるのかもしれませんよ。

文:築島渉

愛しの純喫茶〜富山編〜 珈琲駅 ブルートレイン

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。

旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、電車好きもカフェ好きも虜にする富山の名店「珈琲駅 ブルートレイン」です。

ここは喫茶店?それとも食堂車?

JR富山駅から市民の足・富山市電鉄に乗り換えて「安野屋 (やすのや) 」駅で下車。5分ほど歩いた先に見えてくるちょっと変わった看板が、今日訪ねるお店の目印です。

ひときわ目をひく表看板

深い青色にパキッとした黄色で書かれた「ブルートレイン」。今や日本で運行本数も少なくなった寝台列車の愛称を掲げるそのお店は、全国から人が訪ねてくるという、鉄道ファン垂涎の喫茶店です。

外観

ワクワクしながら扉を開けると、そこはまるで寝台特急の食堂車。

寝台特急の食堂車を思わせる店内
ボックス席に座ると‥‥

クラシックな布張りのボックス席に座ると、その「車窓」に思わず歓声をあげてしまいました。

「車窓」の外を小さな列車が走り抜けていきます
「車窓」の外を小さな列車が走り抜けていきます

ジオラマ模型の景色の中を、時折走り過ぎて行くミニ列車。運ばれてきたコーヒーに口をつけながら、ただただ見入ってしまいます。

店内はまさに宝の山!ミニ列車には「運行表」も。

店内をぐるりと一周して走る列車は、物静かなマスターの待つカウンターの「車庫」に帰っていきます。ふとみれば食器棚の上にも列車がずらり。お店の全てが、列車を愛で、その旅情を味わうために考えて設計されているのです。

列車はご主人の待つカウンターへ
列車はご主人の待つカウンターへ
「車庫」と一緒になった食器棚
「車庫」と一緒になった食器棚

奥さまに伺うと、走らせる列車は定期的に入れ替えているのだとか。

カウンターの上に掲げられた運行表
カウンターの上に掲げられた運行表

「簡単に走らせているように見えるけれど、走らせる前には試運転も必ずしているんです。実際の列車と同じね」

手作りの列車模型は完成まで3ヶ月を要するそうです。そこから試運転をして問題なければ、晴れてお客さんの前で運行デビュー。

先ほど乗ってきた市電の模型も
先ほど乗ってきた市電の模型も

圧巻の列車模型だけでなく、店内のあちこちに見られる列車モチーフも楽しみどころの一つ。

コーヒーカップには列車とともにデザインされたお店のロゴが
コーヒーカップには列車とともにデザインされたお店のロゴが
壁のメニュー表の上には実際に使われていた列車のプレート
壁のメニュー表の上には実際に使われていた列車のプレート
メニューは時刻表のようになっています!
メニューは時刻表のようになっています!

そしてこの日、何より心を鷲掴みにされたのが、お店のことをいろいろと教えてくださった奥さまのエプロン。

奥さまのエプロンの胸もとに注目すると‥‥
奥さまのエプロンの胸もとに注目すると‥‥
エプロンの胸もとアップ

特急踊り子号のワッペンが胸を飾っています!

「昔はこういう記念品がたくさんあってね。せっかくだから飾りにしてみたの」

見る人が見たら宝の山、鉄道ファンでなくても時間を忘れて楽しめる、まさに寝台特急のような非日常を楽しんだひと時でした。

珈琲駅 ブルートレイン
富山県富山市鹿島町1-9-8
076-423-3566


文・写真:尾島可奈子

世界遺産・高野山から生まれた「最高峰」のパイル織物

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

日本でつくられている、さまざまな布。染めや織りなどの手法で歴史を刻んできた布にはそれぞれ、その産地の風土や文化からうまれた物語があります。

「日本の布ぬの」をコンセプトとするテキスタイルブランド「遊 中川」が日本の産地と一緒につくった布ぬのを紹介する連載「産地のテキスタイル」。今回はどんな布でしょうか。

高野山参道の美しい木々をイメージした布「杉木立」

和歌山が誇る世界遺産、高野山。その開祖、弘法大師の御廟がある奥之院への参道は、樹齢数百年を超える木々に囲まれています。

そんな美しい杉木立をイメージして生まれたのが、別名「杉綾 (すぎあや) 織り」と呼ばれるヘリンボーン柄のテキスタイル「杉木立 (すぎこだち) 」。

杉木立、生成色

実は高野山のふもとは、このモコモコとした「パイル織り」という織物の世界的な産地。この地で60年以上パイル織りを続け、今回の「杉木立」生地を織り上げた株式会社中矢パイルさんを訪ねました。

秋冬ファッションから電車のシートまで。意外と身近なパイル織物

中矢パイルさんの所在地である和歌山県高野口町は、奈良県から和歌山県へと注ぐ水量豊かな紀の川沿いにあり、周辺は「富有 (ふゆう) 柿」の産地としても有名です。

広々とした紀ノ川ぞいに街並みが広がる高野口町
広々とした紀ノ川ぞいに街並みが広がる高野口町

水の豊かさは織物づくりにとっても大きな恵み。一帯では古くから木綿栽培や織物産業が広まり、江戸時代には綿織物産地としてその名を知られるようになります。

その後も新たな素材や技術を取り入れながら、高野口一帯は織物産地として発展。昭和のはじめ頃に「W織り機」というパイル織り専用の機械がドイツから持ち込まれたことで、パイル織りが広まったそうです。

そもそもパイルとは「毛」のこと。その名の通り、パイル織物にはたてよこに織り込んだ生地に毛が織り込まれています。ビロードやコーデュロイ、別珍などもパイル織物の仲間です。この起毛部分が生地に独特の光沢とボリュームを生みます。

保温性にも優れるため秋冬のファッションでも人気の素材ですが、実はバスや電車の椅子、家のソファやカーテン、カーペットなどにもパイル織物が使われていること、お気づきでしょうか?

こんな質感の生地、身の回りにありませんか?
こんな質感の生地、身の回りにありませんか?
こちらは洋風なデザインのパイル生地
こちらは洋風なデザインのパイル生地

「戦後、三世代で暮らす洋風の家が増えたんですね。応接間にカーペットが敷いてあって、ソファにスリッパでお客さんをもてなす。そんな『応接セット』のソファの布地に、パイル織物がこぞって使われたんです」

最寄り駅まで迎えに来てくださった中矢パイル代表の中矢祥久 (なかや・よしひさ) さんが、工場へ向かう道中に教えてくれました。

そういえば、と我が家にも昔、ふくふくとしたパイル地のソファが置いてあったのを思い出しました。その手触りが心地よくて触ってばかりいたので、肘掛の部分だけずいぶん擦り切れて親にとがめられたような。

そんな時代の流れも受けて、パイル織物はあっという間に町の主要産業となっていきました。中矢さんが家業を継ぎに戻ってこられた昭和50年代の終わり頃も、北は北海道から南は九州まで、そうしたソファ用の生地を家具屋さんに直に納めていたそうです。

「パイル織物の最高峰」パイルジャカード

ところで、今回紹介する「杉木立」は英語で「ニシンの骨」を意味するヘリンボーン柄(たしかに魚の骨のようですよね)ですが、通常は山並が均一に並んでいます。それに対して「杉木立」の柄は、山並に大小があったり、間隔がまちまちだったりしています。

ランダムな山並み。一体どうやって織られているのでしょう‥‥
ランダムな山並み。一体どうやって織られているのでしょう‥‥

こうした立体的で複雑なデザインは、パイル織物の中でも「パイルジャカード」と呼ばれる生地の特徴です。その製造に高い技術を要することと織り上がる生地の美しさから、「パイル織りの最高峰」と呼ばれています。

ちなみに、和名は「地柄金華山」。なんだか字面にも迫力がありますね。

このパイルジャカードを得意としてきたのが、今回訪ねる中矢パイルさん。その複雑な柄が生まれる瞬間を見せていただきました。

整然と並べられた糸巻き
整然と並べられた糸巻き
見上げるほどの高さまでセットされた糸が向かう先は‥‥
見上げるほどの高さまでセットされた糸が向かう先は‥‥

工程を簡単にまとめると、機械にセットした縦糸に、横糸を通したシャトルと呼ばれる道具を走らせて生地を織っていくところまでは他の織物でも見られる工程です。

集められていたのは、生地のタテ糸。ここに横糸を走らせて、パイル織物の基礎となる生地が作られます
集められていたのは、生地のタテ糸。ここに横糸を走らせて、パイル織物の基礎となる生地が作られます

パイル織物はこの地組織にさらに毛を織り込むわけですが、この織りこみ方が非常にダイナミックかつ効率的なのです。

上下に生地2枚分を同時に織りあげ、その間にパイル糸を通しておいて、生地を織りながら真ん中でカットしていく。すると2枚に分かれた生地の片面 (内側) は、カットされた毛が起毛した状態になります。

織られた生地は画面上部の刃物で真ん中からカットされていく。すると内側に見事なパイル地が!
織られた生地は画面上部の刃物で真ん中からカットされていく。すると内側に見事なパイル地が!

それにしても、機械は一定に動いているように見えるのに、どうしてこれだけランダムな凹凸のある柄が現れてくるのでしょう。中矢さんが上を指差しました。

見上げた先には‥‥?
見上げた先には‥‥?

上の階に登らせてもらうと、先ほど間近で見ていた機械と連動して動く紙のロールがありました。

織り機の上では、パイル地の凹凸を決める重要な機械が連動して動いていました
織り機の上では、パイル地の凹凸を決める重要な機械が連動して動いていました

「これは紋紙 (もんがみ) 。柄の出方を、点の位置で指示しているんです。いわば柄の設計図みたいなもんです」

これが「杉木立」の紋紙。まるで巨大なオルゴールの譜面のようです
紋紙を機械が読み込んでいく様子
紋紙を機械が読み込んでいく様子

この紋紙が、複雑な「杉木立」の模様を生み出している影の立役者。こうして織られた生地がカットされると、見事なパイルの模様が表面に現れてきます。

再び1階に戻って、紋紙に従ってデザイン通りに織り上げられた生地が上下2枚にカットされて巻き取られている様子
再び1階に戻って、紋紙に従ってデザイン通りに織り上げられた生地が上下2枚にカットされて巻き取られている様子

奥行きのある杉木立のテキスタイルは、複数の工程が同時進行してはじめて生まれる、まさに「パイル織物の最高峰」。産地の技術の賜物です。

ご案内いただいた中矢さん。パイル織りの機械を前に
ご案内いただいた中矢さん。パイル織りの機械を前に

山の伏流水が育む織物

「でも、これで終わりやないんです。この後に生地を染める工程や毛並みを整える仕上げが待っています。それぞれ近くの専門メーカーが担うんです」

高野口一帯は小さなメーカーが集まって、分業でパイル織物をつくっています。中矢さんはパイル生地を織る工程。ご近所にはその前後の工程を支えるメーカーさんが工場を構えています。

染色を担当する木下染工場さんにて。糸を染めてから生地を織る場合もありますが、「杉木立」は生地を織り上げてから木下さんで生成・墨色・紺色の3色に色分けされます
染色を担当する木下染工場さんにて。糸を染めてから生地を織る場合もありますが、「杉木立」は生地を織り上げてから木下さんで生成・墨色・紺色の3色に色分けされます
杉木立の紺色の様子。同じ染料で染めても、綿、レーヨンと素材の違う糸を2種類使っているため染まり方も異なり、柄に奥行きが生まれます
杉木立の紺色の様子。同じ染料で染めても、綿、レーヨンと素材の違う糸を2種類使っているため染まり方も異なり、柄に奥行きが生まれます
シャーリングといって、表面の毛並みを刈り揃えるプロ、堀シャーリング株式会社さんにて
シャーリングといって、表面の毛並みを刈り揃えるプロ、堀シャーリング株式会社さんにて
シャーリングの良し悪しは、パイルを刈り込む刃の精度と、それを保つためのメンテナンスの技術にかかっているそうです。
シャーリングの良し悪しは、パイルを刈り込む刃の精度と、それを保つためのメンテナンスの技術にかかっているそうです。

中矢さんに案内いただいたメーカーさん同士は、それぞれ車で5分とかからない距離にありました。これだけ近い距離で分業できる理由の一つは、どうやら「水」にあるようです。

「例えば染工所さんなんかは水をたくさん使いますが、この辺りはたとえ川が枯れても、地面を掘ればたっぷりと水が湧いてくると言われます。それくらい地下を流れる伏流水が豊かなんですね。

メーカーも紀の川沿いに自然と集まっています。水は当たり前に流れていますけど、知らず知らずに恩恵に預かっているように思います」

通常、生地の産地では問屋さんや商社さんが起点となって生地作りを進めますが、高野口一帯では中矢さんのような機屋 (はたや) さん (生地を織るメーカーのこと) が起点となり、他の工程を分業して仕上げまでを管理するのが主流だそうです。

中矢さんご本人も直接アパレルブランドなどとやり取りをして、デザイナーさんの作りたい生地をどうやったら表現できるか、一緒に考えていくのだとか。

「生地を頼みにきたデザイナーさんの服が見覚えあるなと思ったら、うちで織った生地でね。『うちの生地着とるやん』って。盛り上がりました」

霊山・高野山。しゃんと背筋の伸びるような木々の足元で数百年と脈打つ豊かな水は、ふもとに人を集め、パイル織物の一大産地を形成しました。

その世界に誇る技術で織り上げられた「杉木立」のテキスタイルは、バッグやコートになってもやはり、その生みの親である高野山の木々の柔らかさや清々しさをたたえているようです。

「杉木立」のテキスタイルシリーズ

中矢パイルさんとつくった「杉木立」のテキスタイルから、「遊 中川」オリジナルのバッグやスカート、ワンピースが生まれました。高野山の参道を囲む木々やものづくりの背景を思い浮かべて、手にとってみてください。

<掲載商品>
「杉木立」シリーズ(遊 中川)

バッグ大
バッグ大
バッグ小
バッグ小
ミニポシェット
ミニポシェット
ワンピースコート
ワンピースコート
スカート
スカート

遊 中川の各店舗でもご購入いただけます
(在庫状況はお問い合わせください)

<取材協力>
株式会社中矢パイル
和歌山県橋本市高野口町名古曽58
0736-42-2048
http://kinkazan.jp/index.html

文・写真:尾島可奈子