紀州備長炭と一般的な木炭との違いは?炭焼き職人に作り方から聞いてみた

最高品質の木炭。紀州備長炭をつくる若き職人たち

炭といえば備長炭。そう連想するほどに聞き馴染みのあるものですが、実は、備長炭にもいくつかの産地があり、その産地名を冠して「紀州備長炭(和歌山)」「土佐備長炭(高知)」「日向備長炭(宮崎)」などと分類されています。

中でも最高品質として知られるのが、備長炭発祥の地、和歌山で作られる「紀州備長炭」。

備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭
備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭

火力の強さや燃焼時間の長さなどに優れており、全国の料亭や炭火を使用する飲食店を中心に広く使われています。

備長炭の中でもっとも高価とされ、すなわち、世界一高価な木炭です。

そんな紀州備長炭の生産量で国内一を誇る和歌山県日高川町で、製炭を生業とする炭焼き職人さんに話を聞きました。

日高川町
日高川町 炭焼き窯
町営の研修所も兼ねた炭焼き窯

大阪市内から車で約2時間。和歌山県中部の山あい、少し開けた道路沿いにある炭焼き窯。

そこで迎えてくれたのは、3名の若者でした。

湯上彰浩さん
湯上彰浩さん
湯上彰太さん(手前)と藤本直紀さん(奥)
湯上彰太さん(手前)と藤本直紀さん(奥)

曽祖父の代から続く製炭業の四代目、湯上彰浩さん(31)。その実弟で、この道すでに10年以上の炭焼き職人である湯上彰太さん(30)。そして彰浩さんの幼馴染で、昨年末から働いている藤本直紀さん(31)。

町内に50人ほどいる炭焼き職人の中でも、かなり若いこの3名は、町営の製炭研修所も兼ねたこの炭焼き窯を拠点に、日々、備長炭づくりをおこなっています。

当日はちょうど窯の補修作業中だった湯上さん。少しの間手を止めて、こちらの質問に答えてくれました。

窯の良し悪しが備長炭の品質を左右する

「炭焼きというと、とにかく毎日木を焼いていると思われがちです。でも実際は、窯に原木を入れてから備長炭に仕上がるまで、うちの場合でだいたい2週間かかる。月に2回焼き上がるサイクルです。

まず、入り口で薪を焚いて窯の温度を上げていきますが、この時点では原木に直接火はつけない。蒸し焼き状態にして、1週間ほどかけて水分を飛ばします。

焚き火をイメージしてもらうと分かりやすいのですが、いきなり火をつけて燃やしてしまうと、ぼろぼろの燃えかすしか残らず、商品になりません」

湯上彰浩さん

水分を飛ばすのになんと1週間。その間も、ただ薪を焚き続けていればよいかというと、そうではありません。

「1週間に1度か2度、薪の火を消して入口を閉じ、温度を上げすぎずに水分を飛ばす時間を取るようにしています。

当然、休みなく焚き続けた方が炭になるのは早いのですが、どうしても品質が悪くなる。

ちょうどよく水分が抜けて、そしてちょうどよく原木に火が付く、そのタイミングを見極める必要があります」

こちらの窯はちょうど入り口を閉じて、水分を飛ばしているところ
こちらの窯は、入り口を閉じてじっくり水分を飛ばしているところ

微妙に水分が残ってしまうだけで、見た目には分からなくても、手に持った時に「軽い」と感じる低品質の仕上がりになるとのこと。

「窯の中の温度が一定以上になると、原木の上の方から自然に火がつきます。

そこからは、酸素穴を開けて空気の量を調整し、また1週間ほどかけて炭化させていく。

酸素の量をどんどん増やして、少しずつ炎を立たせて、炭の燃え具合や締まり具合を見ながら、今!というタイミングで取り出します」

炭を取り出す様子
炭を取り出す様子(画像提供:湯上彰浩)

取り出す際、真っ赤に燃えた状態の炭に灰をかけて急激に消火し、白い灰を被った「白炭(しろずみ)」の状態で完成させます。備長炭と呼ばれるものは基本的にすべてこの白炭なんだとか。

灰をかけて仕上げる白炭
灰をかけて仕上げる白炭
灰がかかって白く見えるため、「白炭」と呼ばれる
灰がかかって白く見えるため、「白炭」と呼ばれる

これに対して、バーベキューで使用するような、軽くてすぐに燃える炭は「黒炭(くろずみ)」。

実際に出来上がった備長炭(白炭)を手にとってみましたが、ずしりと重く、断面はまるでクリスタルのようで黒炭とはまったく別物だとわかります。

白炭の断面
白炭の断面。ぎゅっと詰まっているのが分かる。これでも、品質としてはよくない部類だそう

特徴として、火力と燃焼時間が非常に優れている紀州備長炭。

「高い品質が出せるから、今の価格帯で購入してもらえる」と、炭の仕上がりには自信を持つ湯上さん。

およそ2週間、酸素量の微調整や細やかな温度管理を経て、ようやく紀州備長炭として世に出せる品質の炭が仕上がります。

「気密性・保温力が高くないと、こちらの意図とはずれたところで酸素が入ってしまい、品質に影響が出てしまう。なので傷んだ部分を少しずつ補修しながら使っています。

窯の良し悪しと、焼いている際の技術、紀州備長炭をつくるにはこの2つが欠かせません」

修復中だった窯
修復中だった窯。気密性を高めるために、赤土と瓦を丁寧に積み上げていく
修復中の窯
奥は、焼けて色が変わっている状態。今回は手前部分を修復したそう

今回補修中だった窯を見せてもらうと、下から上まで赤土と瓦が緻密に積み上げられている最中でした。この後さらに外側にも赤土を敷き詰めて、気密性と保温力を高めていきます。

紀州備長炭をつくる際、大筋の工程は共通としてあるものの、細かい窯の作り方や空気量の調整方法は、人によって異なるらしく、職人としての工夫のしどころでもあるといいます。

修復に使う赤土は、小石などを取り除き、目の細かい状態にして使用する
赤土は、小石などを取り除き、目の細かい状態にして使用する

木を立てて入れる。紀州備長炭づくりの秘訣

ほかの備長炭と異なる、紀州備長炭づくりの大きな特徴として挙げられるのが、窯にくべる際の原木の入れ方。

他の地域では原木を横に倒して積み上げていくそうですが、紀州では、1本1本を奥から立てて並べていきます。

高温の窯の中に入り、奥から原木を並べていく
高温の窯の中に入り、奥から原木を並べていく(画像提供:湯上彰浩)

すると、原木が焼き締まって縮んだ時にも均等に空気が流れるため、焼きムラが少なくなり品質の高い備長炭に仕上がるとのこと。

その反面、横に倒して積み上げる方法と比べると、一度に焼ける量が約半分に。生産量を犠牲にしても、品質にこだわっていることが、紀州備長炭ブランドが支持されているひとつの要素でもあるようです。

まっすぐに窯の中に立てていくにはもう一手間、「木ごしらえ」と呼ばれる工程も必要になります。

「伐採してきた原木(ウバメガシ)は、そのままでは使えません。太すぎるものは半分に割ったり、曲がっていれば切り込みをいれて伸ばしたり、できるだけまっすぐにしてから、窯にくべていきます」

太いものは半分に割っていく
太いものは半分に割っていく
切り込みを入れて、まっすぐに伸ばしていく
切り込みを入れて、まっすぐに伸ばしていく
木ごしらえ

一度に窯に入れる原木は、およそ6トン。この量の原木を伐採して窯まで運ぶのに、3人がかりで3日かかるそう。

ちなみに、伐採された原木の丸太を触らせてもらったのですが、非常に硬くて重い木でした。これを山中で伐採し、余分な枝を払って運搬し、また伐採し‥‥考えただけでもつらい。

そこから、すべての木を「木ごしらえ」するため、さらに3日ほどかかり、ようやく木を焼くための準備が完了します。

窯の中にびっちりと並ぶように、整えていく
窯の中にびっちりと並ぶように、整えていく
木ごしらえを終えた原木
木ごしらえを終えた原木。窯に入れるまでにもかなりの手間暇がかかっている(画像提供:湯上彰浩)

炭焼き職人の伐採が、森を再生させる

ここまで、想像以上にハードな炭焼きの仕事を見てきましたが、一番体力的にきついのは、やはり原木の伐採作業。

湯上さん曰く「原木を窯まで運び終わった瞬間が一番嬉しい」と感じるほどだそう。

しかし、この先も備長炭づくりを続けていくために、この工程は省けないのだとか。

「ウバメガシには再生能力があり、適齢で伐採すればその切り株から芽を出してまた成長していきます。しかし、成長しすぎた場合には再生能力が弱ってしまい、その後に伐採されると切り株は枯れてしまう。

なので、適切なタイミングで必要な量の木を伐採して使うことが、備長炭をつくる上でも必須になってきます」

長さも太さも違う原木たち。窯に入れるために整える必要がある
森を再生させるためにも、計画的な伐採は必要

なお、当然ながら、原木は勝手に切っていいわけではありません。良さそうなウバメガシの群生地を見つけたら、まずは役所に連絡が必要です。

そこから所有者の連絡先を照会してもらい、交渉し、伐採権を購入。そして、再生を見越してこれだけ切りますという申請を役所に通してはじめて、切ることができます。

山を眺めると、ウバメガシが集まっている部分はひと目で分かるんだとか
山を眺めると、ウバメガシが集まっている部分はひと目で分かるんだとか

嬉しい悲鳴と気になること。紀州備長炭の現状

決して軽い気持ちでできる仕事ではありませんが、紀州備長炭の需要自体は年々増加しており、炭の価格も以前より高値で取引されるようになっています。

「ありがたい話ですが、供給が追いついていない状況です。

昨年末から3人体制になりましたし、窯の修復が終わったら、月に3回は焼けるようにしたいなと考えています。

炭焼きは、季節の影響をあまり受けず、年間を通して生産できる。ほかの農業などと比べると恵まれている部分かなと思います」

炭焼き職人

生産体制の見直しのほか、炭焼きの仕事を知ってもらうための体験教室の開催や、炭と相性の良いアウトドア事業への進出なども考えている湯上さん。

嬉しい悲鳴が上がる反面、気になることも。

「備長炭の価格が安定してきたことで、新たに炭焼き職人を始める人も増えてきました。

それ自体は歓迎すべきことなのですが、紀州備長炭の品質にバラツキが出てしまう可能性もあり、産地全体で連携してコントロールする必要があると感じています」

紀州備長炭は、特定の職人の名前が前に出るのではなく、あくまで「紀州備長炭」として、一括りに出荷されていくそう。

つまり、仮に品質のバラツキがあるまま紀州備長炭として流通してしまうと、ブランド全体の価値が下がる危険性をはらんでいます。

備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭
備長炭の品質にばらつきが出ると、ブランド自体の価値が下がってしまう

以前は、新たに炭焼き職人を志した人は、研修所や信頼できる師匠の元で最低1年は修行をし、そこから独立の道へと進んでいったそうです。

今は、そうした修行をせずに、炭焼きを始める人も多いのだとか。

「今、備長炭の生産量では負けている地域もありますが、品質は間違いなく紀州備長炭が世界一だと思っています。それは誰かに認められるものでもなく、自分たちでそう確信しています。

せっかく築いたこの価値を失わないために、職人だけでなく問屋さんや行政とも連携して、品質・ブランド力の維持をはかっていきたいです」

炭焼き職人、湯上さんの窯

若き炭職人たちは、ブランドと産地の未来を真剣に考えながら、新たな備長炭の可能性も模索しています。

<取材協力>
B-STYLE(湯上 彰浩)

文:白石雄太
写真:直江泰治

※こちらは、2019年2月19日の記事を再編集して公開いたしました。

ムンクの「叫び」を郷土玩具に。福島・野沢民芸が考える、これからの民芸品

世界的絵画と郷土玩具のコラボ

2013年、世界でもっとも有名な絵画のひとつと言われる作品と、日本の郷土玩具の不思議なコラボが実現し、話題を呼びました。

その作品とは、ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンクが1893年に製作した「叫び」。教科書等で誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

ムンクの「叫び」と、福島県会津地方に古くから伝わる「起き上がり小法師(こぼし)」がコラボして誕生したのが、その名も「起き上がりムンク」。

起き上がりムンク
起き上がりムンク

「起き上がり小法師」の丸みを帯びた独特のフォルムに、あの「叫び」の表情が見事にマッチして、奇妙なかわいさに溢れた魅力的なアイテムです。

この「起き上がりムンク」を手がけたのは、福島県 西会津町で50年以上にわたって会津張子を中心とした民芸品を製作してきた野沢民芸品製作企業組合(以下、野沢民芸)。

野沢民芸

古くからあるものをつくり続けながら、新しいデザインやコラボレーションにも積極的に挑戦する同社に、これからの民芸品・郷土玩具について聞きました。

どんなものにもなる「起き上がり小法師」

野沢民芸の代表理事で絵付師の早川美奈子さんは、父である先代が創業した同社で人形づくりを始めて36年。「起き上がりムンク」の絵付けも早川さんが手がけています。

早川美奈子さん
野沢民芸品制作企業組合 代表理事で絵付師の早川美奈子さん

近年は新たなデザインにも積極的に挑戦していますが、かつてはそうしたくてもできない時期が長く続いていたのだとか。

赤べこ
会津を代表する郷土玩具「赤べこ」

早川さんが人形づくりの世界に入ってきた当時は、いわゆるお土産物としての民芸品の製作が主流でその種類も少なく、販売する場所も駅の売店か土産物屋のどちらか、それが業界としても普通とされていました。

「世間から見てもそうですが、自分の中でも、なんとなく古いとか、良くないイメージを民芸品にもってしまっていたんです」

という早川さん。

「でも、新しいものといっても何をやればいいかわからないし、つくったところで売ってもらえる所もない。

想いはあってもやれない。そんな状態でした」

大きな転機となったのは、2011年の震災。福島や被災地の復興に寄与するかたちで、何か新しいことをやろうという動きの中で、野沢民芸にも声がかかりました。

「さて、何をやろうかと考えた時、デフォルメされたフォルムで、かっこよくて、どんなものにもなりうる。そう思ったのが、起き上がり小法師です」

赤べことならんで福島の人に馴染みの深い起き上がり小法師。転んでも必ず起き上がる、七転び八起きというメッセージも込められた郷土玩具で、福島の復興の象徴としてもぴったり。

そんな前向きな姿勢を持った縁起物である起き上がり小法師に、さらに、縁起のよい日本の伝統柄を描いた「願い玉」シリーズを製作します。

野沢民芸の「願い玉」
「願い玉」シリーズ

これまでにない見た目の起き上がり小法師は評判となり、次第に「起き上がり小法師で動物がつくれますか?」といった変わった注文が来るようになりました。

形の中に、色々なものを押し込めてみる

伝統のフォルムを活かしながら、その動物の特徴を表現する。きちんと起き上がり小法師にも見えて、動物の張り子にも見える。そんな風に毎回頭を悩ませてデザインしているそう。

新しい注文にひとつずつ挑戦していく中で、発想のヒントのひとつになったのは、人気アニメの「トムとジェリー」。

ネコのトムがネズミのジェリーの反撃にあい、ドラム缶に押し込められてその型がついたまま出てくる描写をみて、「これって、ありだな」と思ったのだとか。

「ドラム缶型に押し込められてもちゃんとトムに見えるんですよね。

じゃあ起き上がり小法師の、あの卵型の立体の中に色々なものを押し込めていくとどうなるんだろう。

そんな感覚でやっていって、アイテムが段々増えていきました」

野沢民芸
絵付をする早川さん

新たに生まれていく商品を見た人たちから「じゃあこんなものは?」とまた注文が来る。今はその良い循環ができています。

「民芸品、郷土玩具がこんなにカラフルで、色んなことができるんだと、ずっと作ってきた人ほど気づきにくいのかもしれません。

外部のデザイナーさんたちは、こちらが思っても見ない発想で注文をしてくれるので、その都度新しい発見があり刺激を受けています」

野沢民芸
野沢民芸でつくっている商品のほんの一部

何でも良いわけではない。郷土玩具の本質を考える

野沢民芸は、「真空成形法」といわれる張子の新しい製法を開発し、業界では他に類を見ない量産体制を実現してきた会社でもあります。

「うちはもともと、新しいやり方で民芸品をつくってきた会社です。なので、新しいチャレンジは全然問題ない、楽しいことだ!という感覚がありますね。

町の人たちも『面白いよね』と言ってくださる方が多いです」

野沢民芸
成型が終わった後は、昔ながらの工程で一つずつ仕上げていく
野沢民芸
細かいバリなどを丁寧に磨いていく
白い下地を塗ったあと乾燥させる工程
野沢民芸
赤い塗装はスプレーで
野沢民芸
最後に絵付を行う

しかし、民芸品・郷土玩具として単純に何でもあり、ではありません。

「赤べこも、起き上がり小法師も、会津では皆さんから愛されている郷土玩具です。

そこには歴史や由来があって、それを尊重しつつやらないとダメだと考えています」

たとえば最初に紹介した「起き上がりムンク」に関しても、七転び八起きで何度でも起き上がる起き上がり小法師と、2度盗難にあっても美術館に舞い戻ったムンクの叫びに共通項を見出しました。

その上で、ノルウェーについて広く知ってもらいたい依頼主(現:ノルウェー政府観光局)の想いと、福島の復興支援に役立てたい早川さんたちの想いが重なったアイテムになっています。

「何度でも起き上がる、前向きな考え方は常にベースとして、そこに色々な要素が加わって、人に元気とか癒しを与えるものであってほしい。

その考えは崩さないでやっていきたいと思います」

絶版になった郷土玩具の復刻も

普段、京都などの問屋さんとやり取りをしている営業担当の三留さんによると、最近はやはりインバウンドの需要も大きいよう。

「お面のバリエーションを増やして欲しいとか、旅行客の方が持ち帰りやすいように小型にして欲しいとか、そんな要望が増えています」

野沢民芸
野沢民芸の三留さん

ちなみに、京都で今いちばん人気なのが、「きつねのお面」なんだとか。

「テレビに映ったことがきっかけだと思うのですが、女子高校生がきつねのお面をかばんにつけ始めて、売り上げが増加しました」

こうしたトレンドや予期せぬ需要にどうやって対応していくのかも、これからの課題のひとつです。

早川さんは、新しい依頼にも対応しつつ、過去の遺産の掘り起こしもやっていきたいと考えています。

「過去につくっていたのに今は辞めてしまっているものがいくつかあるんです。

招き猫とか、ねずみ大黒とか。そういった古典的なものも復活させたいと思っています」

野沢民芸

残念ながら、後継者がいないなどの問題で工房を閉めてしまう同業他社も少なくない中、そうした工房から型を引き継ぐこともあるんだそう。

張り子の量産に成功し、新たなチャレンジを通じてファンを増やし、西会津町で雇用の創出にも寄与している同社だからこそできるとも言えます。

ゆくゆくは、会津に限らず、全国でつくられなくなった郷土玩具を野沢民芸が復刻する。そんな期待も膨らみました。

地域おこし協力隊との取り組み

野沢民芸においても、後継者を育て、民芸品をつくり続けることは容易な道ではありません。

「人形づくりにはどの工程も難しい技術が必要なので、それが習熟できないとどうしても続きません。

技術を習得するベース、器用さも関係してきます。長く続く方をなかなか見つけられないのが現状です」

野沢民芸
各工程の習熟には時間と器用さが求められる
野沢民芸

逆に、一度技術を習得すれば、ある程度高齢になっても続けられる仕事のため、現在は、ベテランの方々に非常に助けられているそう。ここに、若い方が加わって、ベテランの手ほどきを受けながら成長していってもらえると、理想的な状況になってきます。

野沢民芸
起き上がり小法師の丸みを整えている職人さん

「今、2名だけなのですが、地域おこし協力隊からうちの会社に来てもらっている方たちがいます。

2人とも20代で、技術を学んでもらうだけでなく、民芸品の可能性をどんな風に広げていけるのか、一緒に挑戦していければと思っているところです」

野沢民芸

地域おこし協力隊でやってきた人が、直接企業に所属するのは少し珍しいケースにも感じます。

「3年の任期が終わったあと、できれば民芸品と関わりを持ち続けていただきたいし、西会津町に定着してほしいとも思っています。

そう考えた時、限られた期間で地域と深くつながるには、今回のように会社に入っていただくのが近道なんじゃないかなと。

業務上で関わる会社の人たちともつながりますし、一緒に働く同僚たちも地域の人間です。そういったコミュニティのベースをつくってから、それをいかして何ができるのか。

この春に来ていただいたばかりなので、まだまだこれから考えていかないといけません」

協力隊で来ている方は、デザインやWebに関するスキルを備えた方たちとのこと。そんな彼女たちとタッグを組んで、どれだけ新しいものをつくっていけるのかチャレンジしていきたいと早川さんは話していました。

西会津町の観光資源として

これからの工房のあり方として、もう少し人が訪れやすい場所にしていく構想もあるそう。

「ネットに載せきれていない商品もありますし、なにより一点一点表情が違うので、直接選んでもらえると楽しいと思います。

工房を見学してもらって、つくり方を見ていただいたり、その後は地域の別のお店でご飯を食べてもらったり。

うちの工房だけじゃなくて、町に来てもらうきっかけにもなれると理想的です」

野沢民芸
野沢民芸

西会津町の観光振興への寄与も見据える早川さん。依然としてコラボの依頼も多く、日々新たな挑戦に向き合っています。

「新しいものをつくりながら、そもそもの『赤べこ』はこういう由来で生まれたんだよ、といったこともわかってもらえるような出し方を常に意識しています」

直感で気になる、かわいいと思うものを手にとってみると、なぜこんな形なんだろうと気になってきたり、他にどんなものがあるのか知りたくなってきたり。そうやって興味の対象が広がっていくことも郷土玩具の楽しさのひとつです。

これから早川さんたちが生み出していくアイテムが、郷土玩具のどんな可能性を見せてくれるのか。それらを見て、多くの人が郷土玩具の魅力に気づいてくれることを一ファンとして、とても楽しみにしています。

<取材協力>
野沢民芸品制作企業組合
https://nozawa-mingei.com/index.html

文:白石雄太
写真:直江泰治

【わたしの好きなもの】「防水機能で中身を守る」BAGWORKS CAMERAMAN

おでかけに連れていきたいカメラバッグ

趣味で始めたカメラ。週末には写真を撮りに車や徒歩でよく出かけます。

いつもリュックカバンに一眼レフカメラを入れて出かけていましたが、いざ写真を撮りたいときにさっとカメラを取り出しにくいし、何より衝撃に心配でした。
何年も使っている愛用のカメラのためにカメラバッグを買おうかと思っていましたが、どれもでかくて本格的なものばかりでごつごつしく手軽なものがあまりなく、欲しいと思えるカバンとなかなか巡り会えませんでした。

肩がけのカバンでカメラを取り出しやすく、衝撃から守ってくれる、そしておしゃれで使いやすいもの…。
そんなカバンが欲しいなぁと思っていたところ、ついに理想のカバンを見つけました。

BAGWORKSの「防水機能で中身を守る」BAGWORKS CAMERAMANです。
そう、うれしい。なんと防水機能も備えています。

外側はやわらかい帆布、内側にターポリンという防水機能を持つ素材が使用されています。
水に濡れると一見帆布に水が染み込んでいくように見えてしまいますが、内側でしっかり防水をしてくれます。
急な雨に濡れてしまっても大切なカメラを守ることができて安心です。




僕はいつも出掛ける際はカメラと財布を入れ、外側のポケットにスマートフォンを入れます。写真を撮りに行くくらいなら必要なものはこれくらいなので、とても”ちょうどいい”サイズ感です。 荷物がかさばらないので写真撮影にも集中できますし、どこへでも連れて行きたくなります。




カメラやレンズは様々な大きさがあると思いますが、やや小ぶりな一眼レフであれば本体にレンズをつけたままでもレンズがもうひとつ横に入ります。




もうひとつ、おでかけが楽しくなるポイントがあります。娘のおでかけセット入れにもちょうどいいのです。
おむつ、哺乳瓶、おしりふき、あと小さめの水筒も入るので、ちょっとそこまでの買い物や公園へのおでかけにぴったりでした。
かさばりがちな幼い子供の荷物。妻と僕と荷物を分担することで、妻の負担も減りますし、家族全員でおでかけが楽しくなりました。




カメラも子供の大切なグッズも守ってくれるカバン。 使い方によっては、もっといろんな使い方ができると思います。 僕はたまにお弁当入れとしても使っています。 いつもと変わらないお弁当が、なぜかこのカバンに入れるとお昼時が待ちきれない気持ちになります。 休日にはお弁当を入れておでかけ、というのも良いかもしれません。

このカバンの便利さ、手軽さを味わうといろんなところに連れて行きたくなります。本当に買ってよかったと思えるカバンです。
娘が大きくなったら、このカバンと一緒に遠出もしてみたいと思います。

編集担当 森田

<掲載商品>
「防水機能で中身を守る」BAGWORKS CAMERAMAN

中川政七商店が残したいものづくり #04郷土玩具

中川政七商店が残したいものづくり
#04 郷土玩具「鹿コロコロ」



商品三課 羽田 えりな

私は郷土玩具が好きです。
 
郷土玩具ってご存じですか?
いろんな定義がありますが、簡単に言うと日本各地で作られた「手づくりのおもちゃ」です。
発祥は、大昔から伝わっていたり、近代になってどなたかが趣味で作られたものが広がっていったりとさまざまなケースがあるのですが、よく聞くのは、位の低い武士や農民が閑散期の収入を賄うために作り、広まったという話です。

玩具の素材は、木や土と様々。
その中でも紙を何層にも固めて作る「張子」というものがありました。
江戸時代の城下町は商人文化ということもあり、不要になる紙が多かったことから、お城のあった地域には張子の玩具が多く残っているのだそうです。
玩具それぞれにそういった歴史に絡んだ背景もあり、知れば知るほど面白いものです。
 
私の家には、これまで集めてきた郷土玩具がたくさんあります。
作り手さんから直接購入したもの、玩具博物館の物販コーナーで見つけたもの、骨董市で出会ったもの、郷土玩具の愛好会でいただいたもの…と、小さなものや名もなきものまで含めると、その数ざっと100種ほど。
さすがに全部は飾りきれないので、選抜の玩具だけがリビングや玄関、お手洗いの棚といった、彼らにとっての「ステージ」へ送り出されます。
ひとり密かに飾るコンセプトを考え、ステージに上げる玩具を選出する気分は、アイドルのプロデューサーさながら。
ちなみにここ最近の私の推し玩は、長野県のそば食い猿です。



そんな郷土玩具たちへの愛に、「敬意」がはっきりと加わったのは、鹿コロコロを開発したときのこと。
開発初期、私は鹿コロコロの試作のため、張子づくりの技術を習得することから始めました。
作り方を教えてくださる職人さんを見つけ、直接お話を伺い、時には制作過程の写メを送ってアドバイスをいただきながら、数週間かけてやっとこさ1つ完成させたのですが、これがまぁ労力のわりにかわいくない。


「元々は庶民の仕事たったわけだし、材料も特別なものはいらないし、できるでしょ!」と超甘い考えだった自分を恥じました。全国の張子職人さん、本当にごめんなさい。
 
でも、実際に手を動かしたからこそわかったことがありました。
それは、張子づくりは本当に手間暇がかかるということ。
うちの張子たちも、こんなに長い道のりを経ていたとは。
これから商品として継続的に量産するには、製造工程も、生産体制も見直す必要があると心底思いました。
 
このときの実体験から、鹿コロコロの開発では「昔の良いところは生かしながら、いろんな人が作りやすくなる方法」を模索していきました。
その方法は、ベースの型を3Dプリンターで起こしたり、樹脂で型を量産したり、車輪に絵付けするための治具を作ったり…。
GoodJob!センターさんとお話しながら生まれた小さな工夫が積み重なって、現在の形になっていきました。
デジタルと手仕事を融合させて生まれた、新しい郷土玩具です。




今世の中に存在する郷土玩具の多くは、宗教的な意味合いとか、子供の無病息災を願う役割などから始まっていて、生まれた時は「郷土玩具」とは呼ばれていなかったと思います。
何十年、何百年も愛され続けた結果、「郷土玩具」になったのではないでしょうか。
そう思うと鹿コロコロも、本当の意味ではまだまだ郷土玩具ではありません。
まさに今、歴史を歩み始めたばかりです。
 
鹿コロコロは奈良の郷土玩具になったのか。
その答えが出る100年後が、私は今からとても楽しみです。

商品名:鹿コロコロ
工芸:郷土玩具
産地:奈良県香芝市
一緒にものづくりをおこなった方:Good Job! Center KASHIBA
商品企画:商品三課 羽田 えりな


<掲載商品>
鹿コロコロ(奈良)

【デザイナーが話したくなる】麻わたウールのセーター

冬の麻もの、糸からつくりました




麻と言えば夏、という印象が浸透していますが、実は、冬にも嬉しい効果があるのをご存知でしょうか。麻の商いから始まり300年、長く向き合ってきた中川政七商店だからこそ分かる魅力を引き出した、冬の麻ものを企画しました。

デザイナーの二井谷さんに話を聞いてみると、
「一口に麻と言っても実は20種類以上もあるんです。今回使用したのはリネンなのですが、繊維の中に空気が含まれていて、寒い季節には、天然のサーモスタットの役目を果たすような機能をもっています。」

オールシーズンに適した麻の特性を感じてもらいたい、という想いから、冬の麻ものづくりがスタート。
麻を活かした糸作りをご一緒してもらうなら!と相談に向かった先は・・・


独自の糸作りで世界に知られる佐藤繊維さんと開発




戦前からニット産業が盛んな山形県寒河江市で1932年創業の佐藤繊維さん。
天然繊維それぞれの機能を組み合わせて、これまでにない新しい糸作りをされています。
安い海外製品に押され軒並み廃業になってゆく国内企業の中で、こだわりの独自の糸作りで唯一無二の立ち位置を確立し、世界中の名だたるブランドが佐藤繊維さんの糸に惚れ込んでいます。



麻をいれた冬らしいニットをつくるのであれば、空気をふくむ紡績を施したふっくらとやわらかなウールをベースに、麻のわたを混ぜるのがいいのではないか、と編み地のサンプルをいくつか見せてくれました。
触ってみると、麻特有のシャリシャリとした涼しげな手触りではなく、冬のニットらしく温かみのある手触りです。



「麻が夏のものだと思われているのは、手触りがシャリっとしていて接触冷感の効果があるからだと思います。今回は、そんな麻の印象を一転させて、見た目も機能も手触りも冬にふさわしいものを作りたかったので、麻のわたを混ぜるという佐藤繊維さん独自の技術があってこそ実現できた物になりました。」

強度を出す為につよく撚った糸の状態で織ったり編んだりすると、どうしても清涼感のある手触りが前面に出てしまう麻。特殊な糸作りの技術で、麻に撚りをかけずにわたの状態で糸にすることで、やわらかく温かみのあるニットが完成しました。



佐藤繊維さん独自の糸作りにかかせないのが、古い機械に改良を加えたオリジナルの機械。大手紡績工場が標準的な糸を効率よく生産するために交換した、本来廃棄されるような機械です。古い機械は、効率はよくないけれど、機械自体がゆっくり動き繊細な原料でも引くことができる為、丁寧に糸を作るのに理想的な構造になっているそうです。

古いとはいえ、世の中に流通している機械ですが、麻をわたの状態でまぜた糸作りは効率が悪く大量生産に適していない為、佐藤繊維さん独自の技術になっているのだそうです。この温かみのある糸は、効率第一ではなく、素材を活かすために試行錯誤を重ねた作りたいものをなんとしても作るための“物づくりの現場”から生み出されたからこその風合いです。


見た目も機能も手触りも、冬にふさわしい麻のもの




糸作りからこだわって完成したニット。
「ニットの風合いが面白いものにできたので、それを活かしたくて、形はあえてシンプルで定番なものにしました。」
という言葉のとおり、どんな服にもあわせやすいベーシックな形に仕上がりました。



一見シンプルに見えて、こだわりの糸ならではの豊かな表情。ざっくりと編み、絶妙な縮絨(しゅくじゅう)加工* を施していることで、ウールのふくらみがより一層引き立ちます。
佐藤繊維さんがアレンジした古い機械でつくられたからこそ、画一化された工業的なものではなく、1つ1つ風合いが違う温かみのあるニットに仕上がりました。

※縮絨加工:毛織物の仕上げ工程の一つ。ニットの風合いを決める重要な仕上げ法。適度な縮みが入り、ふっくらと仕上がる為、セーター・カーディガンなど定番のニットに最適な風合いになります。



素材の特性を活かしたいという佐藤繊維さんと中川政七商店の想いが形になって出来上がったニット。社内で感想を聞いてみると、ボリュームがあるのに軽くて楽、という感想が口々にあがりました。冬は重ね着で肩が凝りがちなので、暖かくて軽いのは嬉しいポイントです。
素材によって糸の染まり具合が違って立体的、という声も。麻の特性を活かすために、ウールなど複数の素材を撚り合わせてつくった糸ならではの表情です。


今年はニットベストが新登場





季節の変わり目に、重ね着の主役として活躍します。シンプルながら素材感が印象的な大人の着こなしをお楽しみください。

中川政七商店が残したいものづくり #03麻

中川政七商店が残したいものづくり
#03 麻「中川政七商店の麻」


商品二課 河田 めぐみ

日本における麻織物の歴史は最も古く、長年にわたって人びとの衣生活を支えてきた麻。
かつて奈良は麻織物の一大産地でした。独自の晒技法で全国に広く知られていたのは純白の美しい麻織物「奈良晒」。
1716年、中川政七商店はそんな奈良晒を商いとして創業したのが始まりです。
 
創業から303年、世の中の主流は綿素材や化学繊維に変わりましたが、現在でも中川政七商店では当社のルーツである様々な麻の織り物や編み物を使用した衣服を作っています。
現在では様々な工程において機械化され大量に作ることができるようになりましたが、それと同時に、昔と変わらず手の仕事、手の感覚、みたいなものが、素材を作るうえで欠かせないものだということを感じます。

扱っているものは昔も今も変わらず天然の繊維。
毎年品質や特性も微妙に変化したり温度や湿度によっても仕上がりが大きく変わることがあります。
昨日は織れていたけど今日は織れない、みたいなことが多くあることを知りました。
まさに生命と向き合う仕事だと感じます。
そうして出来上がった生地には、機械で作ったものであっても、人の手のぬくもり、自然の豊かさを感じます。
そんな麻の特性を生かし、春夏秋冬、暮らしに寄り添い、心地よさとともにある麻の服作りを目指しています。

 

10月からの新作では、はじめて防寒機能のある中綿入りのコートを作りました。
普段着ている麻の服に自然と馴染むような冬のアウターを作りたい、という想いで企画しました。
表地に使用している素材は麻とウールを混ぜたもの。
染めから乾燥まで、ゆっくり時間をかけて仕上げているため自然素材ならではの皺感が独特な雰囲気を作り出しているのが特徴です。
生地に圧力をかけていないため麻であってもふっくらした暖かさがあります。
ぜひ冬に着る麻の風合いに触れていただきたいです。
 
 
シリーズ名:中川政七商店の麻
工芸:麻
産地:静岡県浜松市(麻ウールのあったか綿入れコート)
商品企画:商品二課 河田 めぐみ



<掲載商品>
手織り麻を使ったフリルシャツ