ひと針が紡ぐ100年先の町の歴史。「大槌刺し子」のものづくり。

遠くから見ると無地のようにも見えるけれど、近づくほどに模様の精緻さに圧倒される。「くらしの工藝布」のお披露目会に飾られた「手刺しのタペストリー」に、近づいたり離れたりしながらじっと見入る人を何人も見かけました。

手の痕跡が感じられる刺し子の布には、人の目を惹き付けてやまない引力があります。

人を想う心から生まれた「刺し子」の機能美

刺し子は、布が貴重な時代、寒さの厳しい地方を中心に、全国の家庭で暮らしの知恵として育まれた針仕事です。布地にひと針ひと針刺すことで、布の補強や補修することを目的として、主に女性たちが家仕事の中で受け継いできました。

もともと必要にかられて生み出した技ですが、時代が下るにつれて、機能性だけでなく装飾的な刺し子も登場するようになります。使う家族のためを思えばこそ、美しい装飾性をもつようになったのかもしれません。いずれにせよ刺し子は、「”誰か”のためを想う」そんな心から生まれ育まれた技なのだと感じます。

震災から立ち上がった「大槌刺し子」の手仕事

お話を伺った、大槌刺し子の佐々木かなこさん。「手刺しのタペストリー」をともに作っています

「“どんな人が使ってくれるんだろうねぇ”が刺し子さんの口ぐせになっています」

岩手県の海沿いの町、大槌町に暮らす佐々木かなこさんは、そう話します。「大槌刺し子」で12年刺し子を続けてきたベテランの刺し子さんです。大槌刺し子は、2011年の震災をきっかけに立ち上がった刺し子ブランド。避難生活を送る女性たちに、針仕事を通じて、もう一度生きる喜びや希望を見つけてほしいという想いから「大槌復興刺し子プロジェクト」として始まりました。

大槌町の刺し子さんとして活動する皆さん

数名のボランティアから始まった取り組みは、一人、また一人と仲間が増え、今では10~15人ほどが常に出入りする大所帯に。はじめはふきんやコースターなど小さなものから、次第にランチョンマット、Tシャツなど大きなものも手掛けていくようになりました。

「くらしの工藝布」での、新たなチャレンジ

手刺しのタペストリーのLサイズは、約90×135cm

「こんなに大きいものを刺したのは、初めてでした」

数々のアイテムを手掛けてきた佐々木さんによると、「大きいものと直線が続くものが一番難しい」とのこと。実は今回「くらしの工藝布」でお願いしたタペストリーが、まさにどちらにも当てはまるものでした。これほど大きいサイズの仕事は初めてだったと言います。

模様の角に印をつける作業

工程で最も大事なのが、実は下描き。模様が印刷されたパターンを生地に留め、模様の角となるポイントに穴を開け、印をつけていきます。消えるペンで印同士を線でつないだら下描きの完成。このとき生地がずれてしまったり印の場所を間違えたりすると、せっかくの模様が美しく仕上がりません。刺し子の良し悪しを決める、気の抜けない作業です。

消えるペンで印同士を線でつないだら、下描きの完成

ここからいよいよ針をさしていく工程。

「柄もシンプルだし、それほど時間がかからないかなと思っていました。けれど手を動かし始めたら、これは大変になりそうだぞと。なかなか下描きどおりに進まないんです。
タペストリーは、少し離れたところから見るでしょう。特に今回は直線が多いデザイン。生地のひっぱりぐあい、針をさす1、2ミリの差が、遠くから見た時にゆがんでみえてしまうんですね」

考えすぎると手元が狂ってしまう。集中してやり切る為に、今日はここまで、と時間を決めて、進んだら他の刺し子さんと離れたところから見せあい、ゆがみをチェックしながら進めていったそう。

大槌刺し子では、任された仕事は各自が家に持ち帰って進めるのが基本です。そのうえで、事務所には刺し子さんたちが自由に出入りでき、時折集まっては互いの進み具合を見せ合います。今回のタペストリーは、連日事務所に集い、仕上がりを確かめながら無事に完成を迎えることができました。

真っすぐだからこそ、その丁寧さと手の痕跡が際立つ

針と糸さえあれば誰にでもできる手刺しの技。誰もが学生時代に習う技であり、特別な技術ではありませんが、その分、向き合う姿勢が問われるものづくりです。ただただ真っすぐに、ひと針ひと針に向き合い、心を込める。一見簡単なようで、実はそう簡単でもない道のりです。

ひと針ひと針が紡ぐ、100年先の町の歴史

「針目が揃っているのを、直接見ていただけたら嬉しいです。光の具合や見る角度で模様の見え方が変わるので、いろんな角度で楽しんでほしい。

飾ってるうちに色が変わってきたら染め直せるし、柄を足したいなと思ったら自分で足してみてもいいかもしれない。長く変化させながら、楽しんでもらえたら嬉しいです」

使う誰かのことを考えながら丁寧に刺し綴った手の軌跡が、見る人の足を止め、思わず手で触れたくなるような、模様の奥行きとなって布にあらわれます。

その静かな迫力を直接目で見て見れば、時間をかけて刺し綴った均質でないゆらぎは、昔も今もこの先の未来も、普遍的に大切な価値があるものなのかもしれない。そんな風に感じます。

刺し子を続けている理由を伺ってみると、
「形になる喜びがあって、今ではもう、刺し子をするのが好きになってしまいました。
何より刺し子さんたちと一緒に事務所で集まったときの交流が楽しいんですよ。集う場があることは、大切なことです」

大槌町は、古くから現在に至るまで脈々と刺し子文化が受け継がれてきた地域ではありません。2011年にその歴史を歩み始めたばかり。それでも、この小さく尊い営みが、この町の人々の100年先の歴史に繋がるのかもしれない。刺し子さんが事務所に集い、ひと針ひと針歩みを進める姿に、そんな未来を予感させます。



時間をかけてひと針ひと針刺すことによって、布に宿る普遍的な価値。
「くらしの工藝布」では、大槌刺し子さんと一緒に、「刺し子」をテーマに今の表現を探りました。

手刺しのタペストリー(直)MサイズLサイズ
手刺しのタペストリー(散し)SサイズMサイズ

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裂織の技を障がいがある人とともに未来に繋ぐ。幸呼来Japanのものづくり

同系色のトーンの中に混ざる、多様な色のゆらぎ。布というにはしっかりとした厚み。凹凸があって、見るからに表情が豊か。

とにかく、触ってみたい。
そんな布に出会ったことはありますか?

私は、先日新たにデビューした「くらしの工藝布」の初期サンプルの裂織(さきおり)を目にした時にそう感じて、自然と手を伸ばしてしまいました。

この布はどうやって生まれてくるんだろう?そんな風に、もっと知りたいと思わせてくれる佇まいです。

暮らしの美しい発明「裂織」

裂織が生まれたのは、今よりも布が貴重な時代。

寒冷ゆえに材料となる木綿の栽培が難しく、流通も不便だった東北で、ようやく手にしたあたたかく肌触りのいい木綿の布。ボロボロになっても捨てるのはもったいないと、各家庭の生活織物として、裂織の技が発展していきました。

裂いて織る、と書く名前のとおり、着古した古布を捨てずに細く裂いて紐状にして集め、緯糸(よこいと)として新たな布に織り上げます。布をそのまま別製品に仕立て直すリメイクとは違って、まったく新しい布に生まれ変わらせてしまう、暮らしの中の発明でした。

緯糸の組合せや織り方によってさまざまな表情を見せ、既成の織物にはない独特の美しさがあります。

美しいとは知りつつも、効率的なものづくりが求められる現代において、その営みを続けることは容易なことではありません。

でも、そんな裂織のものづくりに取り組む企業があります。

今回、「くらしの工藝布」をともに作っていただいた、幸呼来Japan(さっこらじゃぱん)の皆さんです。

裂織を作る幸呼来Japanの代表、石頭悦(いしがしら えつ)さん

知らないなんてもったいない、がビジネスへ

「こんな素晴らしい織物があったなんて」

盛岡で会社勤めをしていた石頭さんは、裂織との出会いを「ショックだった」と回想します。元々着物が好きだったのに、仕事でたまたま裂織の現場を見るまで、その存在を知らないままでした。裂織との出会いは2009年、訪れた特別支援学校でのこと。一段一段、集中して生地を織り上げていく生徒さんたちのエネルギーと、仕上がりの緻密さに圧倒されたそうです。

幸呼来Japanでの製作風景

知らなかったなんてもったいない、という思いは、もっと多くの人に知ってほしい、という願いへ。支援学校の卒業生を織り子さんに起用し、2010年、石頭さんは勤め先に裂織事業部を立ち上げます。翌年、震災を機に独立。2011年9月に誕生したのが「幸呼来Japan」です。「さっこら」とは岩手を代表する夏祭り「さんさ踊り」のかけ声で、「幸せは呼べばやって来る」という意味。いずれは世界へ飛び立つ会社にと「JAPAN」を背負い、障がいがある人の就労支援と裂織の魅力発信を両輪で事業化する、一大プロジェクトが始まっていきました。

工房内に飾られている、岩手を代表する夏祭り「さんさ踊り」の写真

世界中の布が集う「幸呼来Japan」

取り組みは思わぬ波及効果を生みます。製造の過程で余ってしまった残反を活用してほしいと、大手のアパレルメーカーや世界的なファッションブランドから声がかかるように。今では盛岡の工房に、日本中、世界中から多様な布が集まってきます。

幸呼来Japanの棚に置かれる、多種多様な布を再生した裂織の布

「幸呼来Japan」のものづくりを、石頭さんは「チームさっこら」と表現します。ひとりひとり、異なる障がいがあるメンバーがスムーズに作業できるよう、製造はすべて分業制。生地を裁断する人、色柄の出方を計算してデザインする人、織り方を指導する人。バトンをリレーするように連携しながら織りが進みます。

工房を訪ねると、元気よく、とても丁寧に挨拶してくださる作り手の皆さん

そうしてある程度の設計はしても、織ってみないとどんな表情になるかわからないのが裂織の面白いところ。もともと表と裏で色が違う生地であれば、横糸の通し方、織る人の力加減で色の出方が変わってきます。同じ残反を使っても、人の手で裂いて織る、というプロセスの中で、他にふたつとない布に再生していくのです。

「くらしの工藝布」で出会う裂織の楽しさ、新しさ

「幸呼来Japan」誕生から12年。企業コラボを通してさまざまな生地を扱ってきた石頭さんですが、「くらしの工藝布」のものづくりには新しいチャレンジがいくつもあった、と振り返ります。

例えば、決まったデザイン画の通りに柄を出すのが難しい、裂織のタペストリー。
一段の中で別の色の裂き糸を織りこめるのは、機械にはない手織りならではの自由さですが、その製作は綿密な設計に基づいて行われます。
織ると縮む裂織の生地。完成形のサイズがぶれないように、どのくらいの力加減で織るか。素材の特性を掴むまでに苦労したと言います。

そして、高密度に織り上げられる布の収納籠。入れものとして使うことを想定しているため、強度が必要です。高密度で織り上げられる男性スタッフさんの打ち込み具合が標準になった為、女性の織り子さんが織る際は、通常3回程度の打ち込みを、倍の回数打ち込むことで、高密度に仕上げています。

そして、レピア織機で生地を織る際に出てしまう「捨て耳」と呼ばれる廃材を活用して織りあげた、タペストリー。

「フサフサした捨て耳を織りこんで商品を作るのは初めてでした。
裂いていないので、厳密には裂織とは言えないかもしれませんが、捨てられてしまう物を再利用するという考え方は、裂織の精神性に通じるものがあります。
本来捨てられてしまうものを活用して新たな価値を生む、廃材利用の新しい可能性を感じました。裂織は、こんなふうに色々な素材を組み合わせて布にできる。他にない織物だと思います」

本来捨てられてしまう廃材「捨て耳」

裂織の魅力と、障がいがある人たちの細やかで丁寧な仕事。どちらも埋もれたままではもったいない。裂織の営みに宿る「もったいない」精神を引き継いだ石頭さん率いる「チームさっこら」の手で、一段一段、今日も捨てられるはずだった生地たちが、裂織という新たな命を宿した布に生まれ変わっています。



元の生地からはまったく予想できないような、新たな命を宿した布に再生する裂織。
「くらしの工藝布」では、幸呼来Japanの皆さんと一緒に、あり余るほどに布が溢れている今の社会で改めて再生のありかたを見つめなおし、「裂織」をテーマに布を作りました。

左上から時計回りに、
捨て耳のタペストリー
裂織のタペストリー
裂織の布籠
裂織の敷布 SサイズLサイズ

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【あの人が買ったメイドインニッポン】#8 ラジオパーソナリティ・クリス智子さんが“人に贈るもの”

こんにちは。
中川政七商店ラヂオの時間です。

今回からゲストは、ラジオパーソナリティのクリス智子さんです。トークテーマは、「人に贈るメイドインニッポン」。

それでは早速、聴いてみましょう。

プラットフォーム

ラヂオは7つのプラットフォームで配信しています。
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クリス智子さんが“人に贈る”メイドインニッポン

クリス智子さんが“人に贈る”メイドインニッポンは、「潮工房のグラス」でした。


ゲストプロフィール

クリス智子

ハワイ生まれ。大学卒業時に、東京のFMラジオ局 J-WAVE でナビゲーターデビュー。現在は、同局「GOOD NEIGHBORS」(月曜〜木曜13:00〜16:00)を担当。ラジオのパーソナリティのほか、MC、ナレーション、トークイベント出演、また、エッセイ執筆、朗読、音楽、作詞なども行う。得意とするのは、暮らし、デザイン、アートの分野。幼少期より触れてきたアンティークから、最先端のデザインまで興味をもち、生活そのもの、居心地のいい空間にこだわりを持つ。ラジオにおいても、居心地、耳心地の良い時間はもちろん、その中で、常に新しいことへの探究心を共有できる場づくりを心がける。


MCプロフィール

高倉泰

中川政七商店 ディレクター。
日本各地のつくり手との商品開発・販売・プロモーションに携わる。産地支援事業 合同展示会 大日本市を担当。
古いモノや世界の民芸品が好きで、奈良町で築150年の古民家を改築し、 妻と二人の子どもと暮らす。
山形県出身。日本酒ナビゲーター認定。風呂好き。ほとけ部主催。
最近買ってよかったものは「沖縄の抱瓶」。


次回予告

次回も引き続き、クリス智子さんにご出演いただきます。次回は、「一生手放したくないメイドインニッポン」について、お話いただきます。
11/10(金)にお会いしましょう。お楽しみに。

中川政七商店ラヂオのエピソード一覧はこちら

11/3~11/5万博記念公園で、圧倒的な工芸体験イベントを開催!「日本工芸産地博覧会」

3連休、いかがお過ごしですか?
11/3(金)~11/5(日)までの3日間、圧倒的な工芸体験イベントが大阪・万博記念公園で開催されるのをご存知でしょうか。

北は北海道から南は沖縄まで、50を超えるつくり手が集う、圧倒的な工芸体験型イベント「日本工芸産地博覧会」。
工芸好きにはたまらない、待ちに待ったイベントが、2年ぶりに帰ってきました。

全国の作り手が集結し、実際に製造現場を見学しているような臨場感ある実演やワークショップ、物販、産地の風土に根付いたフードマルシェなど、圧倒的な「工芸体験」です。
2021年開催の際の様子をお届けいたします。
今年の開催は、よりパワーアップした内容でお届けしますが、「どんなイベントなの?」の参考までにご覧ください。

会場へ向かう道で出会える、太陽の塔。

入場ゲートをくぐると、工芸のインスタレーションがお出迎え

会場のゲートをくぐると、正面に見えてくる、ひらひらと風にはためくカラフルなもの。
近づいてみると…

注染染めの製造現場で見る、伊達干しやぐらです。
風にたなびく様が美しく、気持ちいい景色。青空の下で、実際のものづくりの現場にある景色に出会えるなんて、一気に気分が高揚します。

伊達干しから少し逸れて、ステージの近くに行くと、こちらも何やら大がかりな作業中。
何をしているのかと聞いてみると、「たたら場の炉をつくっている」との回答が。イベント期間3日をかけて、たたら場をつくり、最終日の11月28日(日)には、炉に火をいれて「たたら吹き」の様子が見られるのだそうです。
もののけ姫の中でしか見たことがない光景が、実際に目の前に広がることを思うと、わくわくします。

まるで製造現場にいるかのよう!臨場感ある実演がそこかしこで。

会場内を歩いていると、カンカンカンと、リズムよく響く音が聞こえてきます。
音に誘われ、足を伸ばしてみると…

玉川堂さんによる実演の様子

なんと、鎚で銅を叩く鍛造の現場に遭遇します。
こんなところで実際につくっているなんて、と驚きますが、このものづくりの実演、玉川堂さん以外にもそこかしこで実施されているのです。

人だかりができているブースを覗いてみれば…
こちらは、にじゆらさんによる注染染めの実演です。

全国から、工芸メーカーが集い様々な商品と出会えるだけでも楽しいのですが、実際につくる現場を見れることが、このイベントのすごいところ。
ここでご紹介しているのは一部で、他にも様々な工芸の職人さん達によるものづくりの現場に出会えます。

絞り染め体験工房 角野晒染
堀田カーペット
育陶園

職人さんが教えてくれるワークショップで、本格的なものづくり体験

このイベント、もう一つ楽しい体験型コンテンツがあります。
ワークショップで様々なものづくりが体験できるのです。その数なんと、40種類以上。事前予約制にはなりますが、枠が空いてれば当日の飛び込み参加も受け付けてくれます。

こちらは、能作さんによる、錫のぐい呑づくり。
職人と同じ工程(生型鋳造法という砂を押し固めて鋳型を造型する方法)で、本格的な鋳物づくりを体験できます。

ヤマチクさんによる、箸づくりの様子。
竹を自分で削って自分好みの細さや形のお箸をつくれます。削った後は、カラーオイルで色をつけて、世界に1つだけのオリジナルお箸に仕上げることができます。

トリプル・オゥさんによる、刺繍廃材を利用したクリスマスオーナメントづくりでは、さまざまな刺繍モチーフやパーツを組み合わせて、自分だけのオリジナルを手軽に制作することができます。

菅原工芸硝子さんのブースでは、カラフルなガラスの端材を組み合わせて、オリジナルの箸置きがつくれます。

たくさんの手仕事に出会う、物販スペース

各ブース内では、職人さんが実演している横で商品の販売も行っています。
一つひとつ丁寧に職人の手で生み出されている。そんなものづくりの背景を実感して、手に取る品々にはより一層愛着が湧きます。忘れられないお買い物体験になること間違いなしです。

Sghr 菅原工芸硝子
育陶園
鍋島虎仙窯/KOSEN
玉川堂
高野竹工
中川政七商店も出展しています

日本全国から50を超える工芸産地が集い、たくさんのつくり手やものづくりの現場に出会える、これまでにないイベント。週末どう過ごそうか、と悩まれたら、ぜひ参加してみてください。
産地で培われた素材・技術・風習を大切に、職人の手によってつくられるものづくりに出会えます。


開催概要

日本工芸産地博覧会

日程:2023年11月3日(金) 、4日(土)、5日(日) 10:00 ~ 17:00

場所:大阪 万博記念公園内お祭り広場(大阪府吹田市千里万博公園1-1)

入場料:500円

内容:日本全国の工芸産地ワークショップイベントの開催、日本全国の工芸品の販売、マルシェイベントの開催

詳細はWEBサイトをご確認ください。

【デザイナーに聞きました】「くらしの工藝布」制作記録

このたび中川政七商店より、工芸の魅力をもったインテリアコレクション「くらしの工藝布」がデビューしました。

自然の素材を使うことで生まれる、ゆらぎのある表情。ものを通して人を感じることができる、手仕事のものづくり。「くらしの工藝布」は、そんな工芸の魅力をインテリアに拡張する布のコレクションです。

探していたのは、こういう布だったんだ。
本日発売となる「くらしの工藝布」のサンプルを初めて見た時、そんな風に感じたのを今でも覚えています。あれから約2年。誰よりも中川政七商店の社員である私たち自身が、暮らしに飾る日を楽しみに待ち遠しく思っていた、手ざわりのある布たちがいよいよデビューを迎えます。

どんなふうに考えて作ったのか、デザイナーの河田めぐみさんに話を聞いてみました。

「くらしの工藝布」を一手に担う、中川政七商店のデザイナー・河田めぐみさん。


話し手:河田めぐみ
聞き手:中川政七商店 編集

「くらしの工藝布」のはじまり

2012年に入社して以来2年前まで、中川政七商店のアパレルを担当してきました。新商品の生地を開発する中で、母が昔着ていた服を参考に、生地屋さんに「こういう生地はできないですか?」と聞くと、「それは難しい」と言われることが続きました。その時はじめて、伝統工芸と言われるものだけでなく、20~30年前にできていたこともできなくなってしまっている、と気付いたんです。かつてあった様々な技術が、時代の流れの中で失われてしまっていることを目の当たりにしました。

それでも続けていくうちに、あそこならできるかもしれない、と言われるような作り手さんが残っていることも知りました。まだ僅かに残ってはいる。それでも数年後、あるいは来年にはどうなっているだろう。量が作れるもの、価格がはまるもの、社会のスピードに追いつくものだけではなくて、今失くしたらもう戻ってこないかもしれないもの。時代の流れの中で省いてきた、数々の手間の中にある大切なものに向き合いたい。そんな想いから、「くらしの工藝布」を立ち上げることになったのです。

すべての布は、工芸に繋がっている

何を作るべきか考えながらさまざまな布を眺めていた時に、やわらかな風合いの二重織刺し子の生地を見つけます。お付き合いのある生地屋さんに、「こういう生地を作っているところはないですか?」と聞いて回るうちにたどり着いたのが、今回一緒に作ってくださった小島染織さんです。

二重織刺し子は、いわゆる手刺しの刺し子とは異なる技術ですが、そのものづくりが生まれたのは、伝統的な刺し子という技術があってこそ。そこで、まずは刺し子にまつわる歴史を調べてみることにしました。そうして刺し子について理解を深める中で、二重織刺し子のプロダクトを作るだけではなくて、広く刺し子全体に向き合い、今の暮らしに再解釈していく活動にしたいと思い至ったんです。

今回作った二重織刺し子の布。表と裏の風合いが異なり、一枚でふたつの表情を楽しめる

伝統的な手刺しの刺し子はもちろん、そこから発展した刺し縫いや織刺し子も含めて、刺し子をテーマにものづくりを行う。ルーツとなる技術も新しく発展した技術も同様に、刺し子にまつわる物事に向き合いながら、今に生きるものづくりを届けたいと考えました。

日々新しいものが生まれていますが、どんなものにも必ずルーツがあります。過去の人たちが積み重ねてきた歴史があり、それを元に改良して新しいものが作られる。もちろん、今にたどり着く前に失われてしまったものもある。刺し子や裂織などの工芸が積み上げてきた歴史を踏まえながら、その営みを紐解き再編集することで、今の暮らしにも通じる普遍的な価値を再認識し、新たな価値を発見していただくきっかけを作れたらと思っています。

手仕事と機械生産

今回は、手仕事と機械生産のどちらも手掛けました。「くらしの工藝布」では、原点となる手仕事だけでなく、そこから発展して生まれた機械生産にも向き合いたいと思っているからです。

機械にも、ものづくりの進化の過程で生まれた、工芸的な機械と工業的な機械があるのではないかと感じています。手仕事から機械に変わっていく中で、最初は、効率化の側面だけではなく、表現の可能性を広げるための進化という一面もあったと思うんです。ですがある時から、効率に特化したものに変わっていったような気がしています。そうなると、早く織れる代わりに、それまでできていたことができなくなることもある。保存の必要性が叫ばれている手仕事以上に、工芸的な機械の中にも失われているものが多くあると感じます。

今回一緒に機械織の裂織を作ってくださったカナーレさんの布などは、まさに工芸的なものづくりだと捉えています。年季の入った織機を駆使して、見たことのない面白い布を作られる。手仕事と機械、どちらがよいということではなく、それぞれのよさや特性を生かすことが大切なのだと思っています。

少し織り進めるごとに、どこかの糸が切れ、繋ぎ直す。微妙な調整を繰り返して徐々に織りあげられていく
カナーレさんが織った機械織の裂織布

布に工芸的価値を取り戻す

「くらしの工藝布」では、実用性以上に情緒的なものを大切にしたいと考えています。人が自然と惹かれるゆらぎのある表情や、経年によって変わることで愛おしく思えるもの。それは工芸が持つ魅力そのものだと思います。ふと触れたくなる感覚。布であれば、テクスチャーそのものです。変化していく色合いや風合い、儚さも含めて愛おしいと思えるもの。数値化できない、言葉に表現しきれない感覚的なものを大切にしたいと思っています。

工芸の魅力は、自然の素材、自然の色など、自然に委ねる部分が大きいことにもあると思います。自分の力ではコントロールできない部分があることによって生まれる魅力。工芸がもっているそういった魅力を、それぞれの布に込めました。

自分の都合に合わせず、素材に合わせる、というのは、日本のものづくりの特性という気がします。まずは素材があって、それを形にするためにどう手を加えるか、またはどう微調整するかを考える。素材ありきのものづくりです。「くらしの工藝布」でも、できあがった布に対して、手の加え方、素材の生かし方を慎重に検討しました。

郷土資料館などで見るかつての暮らしの布は、数百年の時を経たものでも、どれも生き生きとした存在感があります。大切に残されてきたものを見ると、ものを通して人を感じることができます。膨大な時間を使い、丁寧に、心のこもったものを作る。ものづくりそのものが自然への感謝や祈りに繋がっていたのではないかと思います。

かつての人が残したものを学びながら、今の時代だからこそのあるべき姿はどんなものか、私たちにとって大切なものはなにか、ということを問い続けたいと思います。

日本の布、日本の暮らし

いま、インテリアショップに行って布ものを手に取ると、日本のものってほとんど見かけないですよね。インドや西アジアのものなど、海外のものが多いのではないでしょうか。暖簾なども最近では見かけなくなってきて、日本の布はどこで見つけられるんだろう、と感じていました。「くらしの工藝布」を作りながら、多種多様な日本の布がある空間ができたら、すごくいいなと思ったんです。

近年は和室のない家も増えていますし、私たちも長らく西洋的な空間の中で生活していると思いますが、日本の暮らしには、昔からこの風土の中で培われてきた素材や技術であったり、日本人の美意識や価値観によって育まれた知恵があります。「くらしの工藝布」と向き合う中で、改めて私たちのこれからの暮らしの在りかた、日本ならではの住空間の在りかたについても考えるべき課題をもらった気がしています。まずは私たちの考える“日本の布”を作ることを通して、日本の暮らしが、よき文化として未来に継承発展していくための活動を続けていきたいと思っています。



中川政七商店による新たなものづくり「くらしの工藝布」。
かつての日本人が生活の中で生み出してきた手しごとを紐解き、その営みを再編集しながら、今に生きる”日本の布”をお届けします。

刺し子とは。手の軌跡を通して布に宿る、普遍的な価値

ちくちくと人の手で縫った痕跡に癒される、「刺し子」の布。
国を問わず、どんな刺し子布を見ても、その布に残された人の手跡に愛着を感じてしまいます。
日常で使うものとして見かける機会が減っている、この「刺し子」の技を駆使して、「くらしの工藝布」のものづくりは始まりました。
この時代において人の手で作るという営みの尊さ。自然と見つめてしまうその理由は、布が生まれた背景にこそあるのかもしれません。
そこで今日は、「刺し子」の成り立ちや営みについて、二ツ谷淳さんにお話をお伺いしました。

二ツ谷淳

刺し子を家業とする家に生まれ、現在では、日本の刺し子をアメリカで伝える活動をしている。
Instagram @sashikostory

今回一緒にものづくりを行った大槌刺し子さんに、刺し子を指南されているご縁でお話をお伺いしました。


刺し子の成り立ち

刺し子は、青森県や山形県などの東北地方で育まれた技法として知られていますが、基本的には全国の各家庭にあった針仕事だと思っています。刺し子を毎日の営みの中の針仕事だと捉えると、起源を特定するのは難しいかもしれません。ただ、生活に必要な衣類に針を通して補強や補修をしないと、冬が越せなかった人たちの暮らしの知恵として、東北など寒く交通の不便な地域で生まれたというのは自然なことだと思います。
江戸時代、農民の生活は現在の生活からは考えられないほど厳しいものでした。木綿の布が手に入らなかった地方もあるし、木綿が手に入っても代替品をすぐに手に入れることが難しい人々もいたでしょう。摩耗したら、補修して繕いながら使い続ける必要がありました。また、補修が必ずくる未来なのであれば、先に針を通して補強しておいた方がいい。それが本質的な刺し子の考え方だと思っています。

私の実家は岐阜県の山岳地方にあります。田舎とはいえ城下町なので、ある程度の余裕はあったようです。布が潤沢に手に入る訳ではないけれど、布を使う前に補強するだけの余裕はあったと聞いています。さらに布が手に入らない地域では、まっさらな新品の布を手にする余裕もなく、布を手に入れたら縫い合わせて着て、摩耗したら補修して、という順番だったと思います。
東北地方では、その気候風土から木綿の栽培が難しく、木綿よりも目が粗い、麻の生地が衣文化の主流だったようです。麻は目が粗いので、補強はもちろん保温のためにも目を埋める必要があります。布の隙間を埋めるように刺された刺し子を、「こぎん刺し」や「南部菱刺し」と呼ぶと理解しています。意匠性としても美しいものが多く残っていて、また同時に刺し子の本質として、必要にかられて生み出されたものなのだと思うのです。

刺し子の変遷

明治維新以降、日本が徐々に西洋化して人々の生活が豊かになると、生活のための針仕事という刺し子の必要性が薄れていきます。交通の便が悪い地方でも布が手に入りやすくなり、結果的に刺し子をしなければいけない人が減っていきました。第二次世界大戦の頃には、千人針のように精神的な祈りの意味での針仕事はあったと理解していますが、日本が豊かになるにつれ、生活の営みとしての刺し子の存在意義は小さくなっていきます。しかし、戦後の日本が急速に豊かになっていく1960年代、各地方で刺し子の美しさや素晴らしさを見つめ直し、その技術や柄、営みそのものを復興させようとした方々がいらっしゃいました。現在、地方の名前がついている「○○刺し子」と呼ばれる刺し子は、この頃から徐々に復興されていったものだと理解しています(東北の三大刺し子は、衰退せずに継続し続けたという理解でいます)。

江戸時代以前は、日常の営みとしての針仕事だったので、地方によっては「刺し子」という言葉は使われなかったかもしれません。江戸時代には、火消し半纏を刺し子半纏と呼ぶこともあり、すでに「刺し子」という言葉は存在していたようです。ただ、地域によってそれぞれの呼び名があったと想像することは、難しくありません。

現在の手芸としての刺し子は、手芸屋さんを始めとして、材料やキットを販売してきたことに起因しています。そしてそれは、刺し子を復興する中でいかに「持続可能性」を保つかを、努力された方々の結晶だと思っています。文化を残すためには経済的循環も必要です。すべて手作業で針目を作る刺し子は、完成形の大量生産が難しいので、作り手と使い手を区分けする産業とすることは難しかったのだと思います。また、刺し子の本質が日常の営み、つまりは家庭内での仕事だったことを考えると、生活のために針を動かす必要がなければ、手芸として発展していくのは自然なことではないでしょうか。

さまざまな刺し子

補修のための刺し子

写真提供:二ツ谷淳

布が貴重な時代、破れた衣服は布を継ぎ当て繕うことで再生していました。生地のひとかけらさえも無駄にせずに、補修しながら大切に使っていたことが分かります。

保温のための刺し子

写真提供:有限会社弘前こぎん研究所

青森県の「こぎん刺し」に代表される、布の隙間を埋めるように刺された刺し子着。寒冷地では木綿を育てることができず、目の粗い麻の生地しか手に入らなかったため、保温性を保つために、布の隙間を埋めるように密度高く刺されていました。

補強のための刺し子

写真提供:二ツ谷淳

いつか来る摩耗に備えて、補強のために全面に幾何学模様が刺された刺し子着。
模様に縛りはありませんが、幾何学模様が多いのには理由があります。
補強を目的とするため、ある程度均等に刺す必要がありました。全体に散りばめられる柄として、幾何学模様が刺されることが多かったといいます。

補強の最たるもの「火消し半纏」

写真提供:世田谷区立郷土資料館

江戸時代の火消し半纏は、補強の機能性の最たるものでありつつ、粋な意匠性を持ち合わせています。紋が抜かれたシンプルな生地と、美しく大胆な柄が染められた生地を二枚重ねて、刺し子が全面に施されていました。
火事があれば半纏ごと水をかぶって火の中へ飛び込んでいき、火消しの後は裏を表にして羽織り、町の人々の目を楽しませたといいます。
意気で洒落た遊び心が当時の仕事着一着に込められていました。

刺し子とは

時代の流れの中で、手作業であった刺し子が織物として進化したり(刺し子織)、また見た目(デザイン)に特化した刺し子ミシンが生み出されるなど、刺し子は常に変化しています。日本人の日常の針仕事だった刺し子を、「これが刺し子で、あれは刺し子ではない」と定義することは、何か大切なものを削ぎ落としてしまうようで、私は進んで定義はしていません。ただ、刺し子の本質を考える際は、結果としての見た目だけではなく、その過程の「運針」を中心に置くようにしています。刺し子のお話を諸先輩方から聞けば聞くほど、刺し子は「針と糸を通して、布に想いを込める」という「動詞」なのではないかと思うようになりました。

「誰かを思わなければ刺し子じゃないのか?」という難題をいただいたこともありますが、小さなふきん一枚刺すだけでも1時間〜数時間は、針と糸と布と向き合わねばなりません。その想いが前向きなものか後ろ向きなものかは刺し手の心模様次第ではあるのですが、どんな形にしろ念はこもると思っています。刺し子を大切に思う私にとって、その念が「祈り」であればいいなと願いつつ日々刺し子をしています。



シンプルな手刺しから始まった刺し子は現在、刺繍、刺縫い、刺し子織などさまざまな技法に発展しています。
「くらしの工藝布」では、時間をかけてひと針ひと針刺すことによって、布に宿る普遍的な価値を見つめ、さまざまな技を用いながら「刺し子」をテーマに今の表現を探りました。

左上から時計回りに、
手刺しのタペストリー(直)MサイズLサイズ
手刺しのタペストリー(散し)SサイズMサイズ
刺し縫いのクッションカバー
二重織刺し子の長座布団

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