結婚のお祝いに有田焼を贈る。実用的で縁起もいい水引タンブラー

お祭や祝い事など特別な「ハレ」の日と、普段の生活を区別して暮らしてきた日本人。

「ハレ」の日にはめいっぱい華やかに、その分「ケ」の日々は質素に。
これがかつてのスタンダードだったようですが、私たちの生活にはなんだかしっくり来ません。

日常の中に「ハレ」の要素があったらきっと楽しいし、逆にハレの日だってそんなに形式張って、しきたりを守らなくてもいいのかもしれない。

私たちの暮らしの中で、ハレとケの境界線は昔よりも曖昧になってきているように思います。

ハレの日

現代の私たちにとっての身近な「ハレ」の日といえば、結婚式もそのひとつ。

おめでたいお知らせを聞くと嬉しいものですよね。でもそんなときに迷うのが、結婚祝いの贈り物。

かつて贈られることが多かったという華美な伝統工芸品は、なかなか普段は使いにくいもの。私たちの世代では、実用的なアイテムを贈るのが主流になりつつあるように思います。

だけどやっぱり、「ハレ」の意味が込められたものを贈りたい。とはいえ、日常使いできるようなデザイン性も捨てがたい‥‥

そこで、こんな素敵な商品がありました。

毎日使いたくなる、水引の有田焼タンブラー

真っ白なボディに華やかな絵付けから「白い金」と呼ばれ愛されてきた有田焼。

華美な美術品といったイメージも強い有田焼は、結婚式のお祝い品や引出物としても用いられてきました。

華やかな絵付けの伝統的な有田焼。有田観光協会提供。

しかしこれらの商品は、現代の私たちの生活に取り入れるのには、少々馴染みにくいつくりであるのも事実。

そこで、有田焼の専門商社であるヤマト陶磁器の山口武之さんが考案したのがこちらです。

有田

焼 タンブラー 水引 ヤマト陶磁器
水引のモチーフがお祝い事にぴったり

お祝いのものに添える「熨斗(のし)」をイメージし、立体的な水引のモチーフが浮かび上がる絵付けがポイントです。

これは「一珍(いっちん)」という有田の伝統技法から生まれたもの。化粧土を細い針穴から絞り出しながら絵を描く、技術が求められる技法です。ひとつひとつが、熟練の職人さんによって手描きされています。

有田焼らしい華やかさと、水引の持つめでたさを持ちながらも、現代のライフスタイルに合ったシンプルなデザインで、日々の暮らしにも取り入れやすそうです。

また、タンブラー型なのもうれしいところ。
なめらかな白磁の飲み口で、冷たいお茶やビールも美味しくいただけます。

夫婦茶碗を贈るような感覚で、2人の「ハレ」の思い出を、日常の「ケ」にもさりげなく肩肘張らずに。

そんな、「これからのハレとケ」のご提案でした。

*こちらは、2018年5月19日の記事を再編集して公開しました

一輪挿しにおすすめな有田焼の「涙壺」で、日常にハレを取り入れる

お祭や祝い事など特別な「ハレ」の日と、普段の生活を区別して暮らしてきた日本人。

今日は、前回の記事“ハレの日に贈りたい日用品”の提案に対して、日常に取り入れたい、ちょっとした「ハレ」のご提案です。

贅沢品としてヨーロッパの王侯貴族に愛された有田焼

まるで発光しているかのように白く透き通った素地に細やかな絵付けが施された有田焼の陶磁器。

華やかな絵付けの伝統的な有田焼。有田観光協会提供。

江戸時代からヨーロッパへ輸出され、王侯貴族の間で絶大な人気を集めました。

それは、ヨーロッパを代表するドイツの高級磁気メーカー「マイセン」にも、多大なる影響を与えたほど。

そんな贅沢品として愛されてきた有田焼を、気軽に日々のくらしに取り入れられるアイテムと出逢うことができました。

有田焼の技術が凝縮された、一輪挿しに使えるちいさな「涙壺 (なみだつぼ)」

有田焼 涙壺 hibi
マットな質感の真っ白なボディが、造形美を引き立てます

一輪挿しとして使える、小さな「涙壺」。

「涙壺」という何だか詩的な名前の小瓶は、もともと古代ローマの女性たちが、戦場へと赴く夫を思って流した涙を入れるために使われていたものだそうです。

特徴的なのは、1600年代に有田で焼かれた壺の形状がモチーフとなっている18種類のかたち。これらには、瓢箪(ひょうたん)型、船徳利(ふなとっくり)型、達磨(だるま)型などと名前が付いており、それぞれに意味があります。

有田焼の専門商社、ヤマト陶磁器の山口武之さんがディレクションを務める、「より日常に馴染む有田焼」をコンセプトに掲げた「hibi(ひび)」シリーズのひとつとして誕生しました。

本来の5分の1に縮小して商品化することで、より日常に取り入れやすい価格とサイズ感に。

この涙壺をつくるのは、江戸時代の安政年間から窯元としてものづくりをはじめた与山窯(よざんがま)さん。製造方法には有田焼の成形方法の中でも最も手がかかるといわれている「排泥鋳込み(はいでいいこみ)」が用いられています。

石膏の型に水で割った陶土を流す「排泥鋳込み」

柄は、ミニマルなデザインの白地の商品のほか、染付(そめつけ)、赤絵(あかえ)といった有田独自の絵付け技法が施されたシリーズも。

有田焼 涙壺 hibi 赤絵 染付
伝統的な赤絵や染付の柄も、ミニサイズの涙壺だとキュートな印象に

バリエーションがたくさんあって、ついつい集めたくなってしまいます。
お気に入りを選んでお花を一輪ちょこんと生けたら、日常の何気ない風景に彩りがプラスされることでしょう。

ところで涙壺は、悲しいときだけではなく、嬉し涙を受け止めるための器でもあったそう。

ささやかなお祝いのプレゼントなどに、「嬉し涙をたくさん流してね」といったメッセージを込めて贈るのもすてきです。

現代のライフスタイルに合わせてつくられた「hibi」の涙壺。有田焼ならではの上質さはそのままなので、目に入ると晴れやかな気分にしてくれます。

何気ない日常にこそ、あえて取り入れたい「ハレ」のアイテムですね。

*こちらは、2018年5月20日の記事を再編集して公開しました。

継ぐだけが家業を助ける手段ではない。 200年続く和紙メーカーの娘は、「女優業」で伝統を活かす

そこに映し出されているのは、儚さなのか、悲しみなのか、それとも怒りなのか。
このコンテンポラリーアートを目の当たりにした人々の声はこうだ。

営々と築いてきた土佐の文化、土佐和紙の基本概念を裏切り、新たな価値を孵化させ、見事な舞台表現として見せた。人の体温とリズミカルな動きの風に、和紙が生きて揺らめき、踊り、歴史と現代、和と洋の癒合した不思議な空間を生み出した。楽しいひとときであった。
— 俳優 北村総一朗

変幻自在な和紙にそれぞれのニュアンスをにじませて若いアーティストたちの思いが錯綜する。あの日、舞台と客席が共有したのは、古から今に続く和紙と風のサステイナブルな歌だった。
— 企画・編集 亀山和枝

和紙を散らしながら舞うダンサー
光に照らされたダンサーの影を映す和紙

はらはらと舞う紙吹雪。
ぼうっと影を写す白い幕。
照明の落ちた舞台で、ほのかに発光する物体。

これらを構成しているのは、伝統的工芸品として名高い高知県の土佐和紙だ。

福井の越前和紙、岐阜の美濃和紙とともに、日本三大和紙のひとつとされている高知の土佐和紙は、古くから日本の紙産業を支えてきた。

「大事な和紙を、乱暴に扱われて悲しい」

そんな伝統工芸品を用いた作品たちの中には、思わず息を呑む場面も。

そのひとつが、2015年に上演された「一枚の怒り」という作品内にある、和紙をぐしゃぐしゃに引きちぎりながら、役者が怒りや葛藤をあらわにするシーンだ。

女優 浜田あゆみさん

土佐和紙の産地である高知県で行われた初公演では、上演後の挨拶をしているとき、急に来場者から批判の声が上がった。

「大事な和紙をあんな風に乱暴に扱われて、悲しい」

その言葉を発したのは、農家の苦労をよく知る地元の人だった。

――アートとしてのダイナミックな表現を、伝統工芸は受け入れることができるのか。

「継承のあり方」への問いを、如実にあらわした出来事でもあった。

プロデューサーの浜田あゆみさん

「私だったんですよ、その演技をしたの」

そう真摯に語ってくれたのは、土佐和紙の老舗である鹿敷製紙(かしきせいし)株式会社の娘、浜田あゆみさん。このプロジェクトの発起人でもある人物だ。

決してそのつもりはないにしても、家業の土佐和紙を「粗末に扱っている」とも誤解されかねないダイナミックな演技を取り入れたのは、なぜなのか。

そこには、役者を志して故郷を離れた彼女にしかできない、伝統の「新たな継承」への想いがあった。

ここを継いだら私の人生は暗い!
とにかく飛び出したかったふるさと

浜田さんの一家が代々経営してきた鹿敷製紙は、株式会社化した1950年より更に前から、200年以上にもわたり、100%国産の楮で質の高い和紙を漉いてきた老舗だ。

「子どもの頃は、工場へ視察に来た海外の人たちの似顔絵を書いたり、休みの日に草花を混ぜて和紙を漉いて遊んでみたりと、和紙は限りなく身近にありました」

そんな天真爛漫な少女は、「将来は家業を継ぐ」と言う兄とは裏腹に、演劇に没頭していく。

いつしかプロを目指すようになり、本格的に演劇を学ぶため、高校を卒業するとカナダのヴィクトリア大学へ進学。卒業後は、東京でアルバイトをしながら舞台のオーディションを受ける日々を送っていた。

都内を歩く浜田さん

「とにかく東京にいたくて、地元に帰ろうなんて思いもしませんでした。正直、役者として売れたいのに夢破れて戻ってきたなんて思われたくなかった、というのもあったのだと思います」

そんな彼女のもとに届いた知らせは、かつて家業の工場でバリバリと働く姿を見てきた祖父の、余命3か月という宣告だった。

「せめて、おじいちゃんが生きている間は高知に戻ろうって思ったんです。東京での生活は役者としてのチャンスがたくさんあるけれど、決してうまく行っていたわけではなかったし‥‥。でも、悔しかったですね」

これまで敬遠し、きちんと直視してこなかった地元。しかし、いざ戻って目の当たりにしたのは、想像を超える和紙産業の衰退だった。彼女の目に最も深刻に映ったのは、和紙の原料となる楮の木を栽培する農家の高齢化と後継者不足だった。

このままでは、土佐和紙の伝統がなくなってしまうかもしれない。その危機感が、幼少期に敬遠してきた家業に関心を持つきっかけとなった。

土佐和紙の現状を伝え危機を感じてもらい、更に人々に和紙への興味関心を向けてもらうには‥?

そこで浜田さんはあることを思いつく。

「自分がこれまでやってきた演劇に、和紙を使った演出を掛け合わせることはできないだろうか」

‥‥すべては、こうしてはじまった。

「和紙 ✕ アート」でできることは?伝統産業の課題をユニバーサルな問題提起に

和紙のパフォーマンスをするダンサーたち

もともと、浜田さんは高知でも演劇をやろうと思っていたわけではなかった。

しかし、地元に暮らしながら東京でのオーディションにも足を運ぶ生活をしているなかで、「高知でも演劇をやらない?」といった要望を受けることも増えてきた。

そんな折に知ったのが、高知県の文化財団が用意している助成金制度の存在だった。

「和紙とアートとをかけ合わせた企画を申請すれば、もしかしたら通るかもしれない」

幸運にも、家業の鹿敷製紙を経営する母と兄は「やりたいなら、やってみれば?」と背中を押してくれた。

そしてこれが、『Washi+Performing Arts? Project』誕生のきっかけとなる。

『Washi+Performing Arts? Project』について語る浜田さん

「『Washi+Performing Arts? Project』は、“和紙と舞台芸術をコラボレーションさせたら、どんなケミストリーが生まれるの?”といったテーマで活動しています。

和紙づくりの衰退で最も深刻なのは、原料である楮の栽培農家の高齢化と後継者不足。この事実をアーティストたちに感じ取ってもらい、国内外で活躍する舞台芸術家によって、和紙という素材を活かす『芸術としての和紙』の魅力を再発見することが目的なんです」

土佐和紙の産地で畑作業をするアーティスト
産地で作業をするアーティスト

2015年に始まったこのプロジェクトの第一弾では、国内外から揃ったパフォーマー6名が、日本の三大紙産地である高知県のいの町に2週間滞在。

地域の人々と交わり、楮の栽培、産地の現状把握、紙漉き体験などを経験したのち、最終日に10分間程度の作品を制作した。

もちろん、浜田さん自身も役者として参加。全体の指揮をとりつつも、ひとりの表現者として取り組んだ。

このときに生まれた作品が『一枚の怒り』だ。

そして翌年、このメンバーに加え、気鋭のダンサー・振付家の鈴木竜さんを演出に迎えて発表したのが、冒頭のパフォーマンス『風の強い日に』である。

紙漉きの様子を視察する鈴木竜さん
紙漉きの様子を視察する鈴木竜さん

ダンスと演劇をかけ合わせた新たな取り組みであるこの作品は、「伝統産業」の四文字とはあまり縁のない人々の心をも動かした。

会場に来た人は、こんな風にも言った。

「伝統工芸はいいものだ。自然は大事にしないといけない。といった説教じみたメッセージがあるのかと思って観に来たら、嫌悪感や葛藤など、人間なら誰しもが抱く感情を表現していた。だからこそ、伝統の大切さが分かった」

長く続いている産業だからこそ、嫌悪感も葛藤も避けては通れない。

良くも悪くも、さまざまな人間ドラマがある。

しかしそれを、演劇というひとつのアート作品にアウトプットしていくことで、産地を取り巻く負の面ですらも、人々の心に訴えかけるエッセンスへと昇華されていく。

これは、『Washi+Performing Arts? Project』を始めてこその発見だった。

地元の新聞などでプロジェクトを取材された記事は、大事に保管してある
これまでに取り上げられた新聞記事などは、全てこうして保存している浜田さん

うわべを知っただけでは決して生まれなかったアート表現

「このプロジェクトに参加してくれているアーティストたちはみんな、楮の苗植えや収穫などを肌で感じて、作品に落とし込んでいます。ときには、母と私が喧嘩しているところも見せてしまったり…。

でも、『継承』のなかにはそんな親子の軋轢とか、楮農家の苦悩とか、決してきれいじゃないものも含まれているんですよね」

『Washi+Performing Arts? Project』にとって、和紙は単なる演劇・アート表現のための「ツール」ではない。

伝統工芸を伝えるためのプロジェクトとして動いているからこそ、表現者であるアーティストたちに現状を体感してもらうことを、何よりも重要視している。

だからこそ、『風の強い日に』では、テーマを「紙」だけで終わらせることなく、産地を取り巻く負のエピソードをも取り込むことで、作品の持つメッセージをもっとユニバーサルな問題に変えることができたのだ。

しかしきっと、自分の故郷の産業を悪く見せかねない演出にはためらいもあったことだろう。

『Washi+Performing Arts? Project』での演出が、家業の鹿敷製紙の名を汚すようなことにならないか。

浜田さんの迷いを払拭してくれたのは、社長である兄だった。

女優浜田あゆみさん

「せっかく新しい取り組みをするんだったら、あれがだめ、これがだめと言って制限をかけては意味がない。好きにやっていいよ、と言ってくれたんです。

そういう意味でも、『Washi+Performing Arts? Project』は家族の後ろ盾があってこその作品だと思っています」

実は、冒頭で紹介した「大事な和紙をあんな風に乱暴に扱われて、悲しい」というメッセージには、辛い一言が更に続いていた。

――長い間和紙を作ってきた鹿敷製紙さんなら、その大切さが分かっているはずなのに、なぜあなたはあんなことをするのか。

演技で何かを訴えている浜田さん

浜田さんが、家業の和紙をあえてくしゃくしゃにちぎり、和紙業界の辛い現状を語る例のシーン。しかしそこには、彼女の実体験に基づくエピソードがあった。

鹿敷製紙の社史
ていねいに歴史がまとめられた、鹿敷製紙の社史

「小さい頃、和紙の工場から聞こえてくる“ダーン、ダーン”という打壊機の音が大嫌いで。それに、職人気質だった祖父は、従業員たちをよく怒鳴り散らしていたし。そんな頑固なおじいちゃんの声も、大っ嫌いだったんです」

照れくさそうに笑う浜田あゆみさん

「だけどね、おじいちゃんが『あゆみ、この紙きれいやろ?』って和紙を透かして見せてくれる姿は大好きだった。その両方を、演劇で表現したかったんです。

でも、批判の声が出ることは仕方なかったとも思っています。使った和紙はもちろん再利用しているけど、そんなことはきっとどうでもよくって」

「和紙だから」感情が動かされる

しかし、観る側にそういった感情が湧くのは、「和紙だから」なのではないか。
浜田さんはそんな風にも思った。

優しい風合いや、楮ならではの繊維が入り混じった質感に、光をたたえたようなあたたかさ。

日々私たちが触れている洋紙では表現しきれない唯一無二の「和紙」という存在に、人々は心を動かされるのかもしれない。

和紙を舞台演出に取り入れる目的で『Washi+Performing Arts? Project』を立ち上げた浜田さんの読みは、きっと正しかったのだ。

継承するためには、対象物に関心を持ってもらうための発信が必要だ。

そしてそれは、未来を担う子どもたちに対しても同様に。

和紙のまちで育ったことを子どもたちに伝えていく『未来Project』

『Washi+Performing Arts? Project』と平行して、2年目の2016年から始動したのが、子どもたちを対象をした『未来Project』だ。

このプロジェクトでは、初年度はからだを使って表現するパフォーマンスチームと、舞台上に和紙を使って別世界を作り出す美術チームに分かれてワークショップを行い、公募で集まった小中学生と一緒に舞台芸術作品を作った。

ステージで発表する子どもたち
和紙にくるまる子ども

子どもたちと和紙に触れていくと、大人が気が付かないような視点や感性がどんどん出てくるという。

「和紙って、かぶるとあったかいんだね」

「破いてみようと思ったんだけど、丈夫でなかなか破れなかった!」

単純な感想だけれど、子どもたちが和紙を通してその時に感じたこと、経験したことが未来につながっていくと考えれば、それは大きな価値だ。

ペイントが施された和紙

子どもたちと一緒に龍のオブジェを作ったアーティストは、「舞台美術に関してはまったくの初心者の私たちが、こんなに生命力溢れるモノを作れるなんて‥‥」と感動したという。

和紙でパフォーマンスをする子どもたち

和紙でモノを作ると、それだけで力強さが表現できる。

ちぎっただけの質感や、風になびく様子だとか、どんなに素人が作っても、何かパワーを感じる。

これができるのは、和紙だからなのかもしれない。

「和紙だから」。それが分かった先には何が残るのか

爽やかに微笑む浜田さん

「伝統だからといって、そのまま継承することだけが必ずしもいいわけではないと思うんです。時代に合った形で、人々の記憶に残し、継承されていったらいいな」

それを聞いて感じたことは、“工芸で一番怖いのはそこに人々の興味関心が向けられなくなってしまうこと。”

例えばそれが負の感情だったとしても、人々の関心が和紙という工芸に向くうちは、きっと生き続けることができるのかもしれない、とも思う。

その点で、『Washi+Performing Arts? Project』の活動は、まさに「新たな継承の形」ともいえる。

『風の強い日に』のフライヤーには、印象的なコピーがひとつ添えられていた。

— 明日、そこに風は吹いているか。

産業の衰退は今も刻々と続いている。

「よく、仲間と話すんです。これほど厚い和紙を、演出でこんなにたくさん使えるのは、もう今後5年、10年だけかもしれないねって」

残したい技術を、未来へどう引き継いでいくのか。

それは浜田さんたちだけではなく、作品を観る側の私たちにも問いかけられているかもしれない。

<取材協力>
浜田あゆみ / 女優
Washi+Performing Arts? Project
090-9775-9504
futarikkoproduce@gmail.com

鹿敷製紙株式会社
高知県吾川郡いの町神谷214
088-893-3270
HPはこちら

文: 山越栞
写真: 池田こうき

敏感肌でも安心。香りを身に付ける陶器のブローチ

「香水は付けてみたいけど、肌が弱くて付けられない」
友人から、そんな悩みを聞いたことがあります。

香りを楽しみたいけど、肌が敏感。そんなもどかしさを感じている人は、意外と多いのかもしれません。

そんなときに嬉しいのがこの、香りを身につけられるブローチです。

有田焼 ブローチ 香水 porous
ファッションのポイントとしても映えるデザインです

有田焼の素材を活用した香るブローチ「porous」

「porous(ポーラス)」の素材は有田焼の成分の1つで、吸水性と保湿性が高さが特徴。

香水やアロマオイルをこのブローチに直接染み込ませるだけで、肌に付けずに好きな香りを身にまとうことができます。

有田 hibi 陶器ブローチの素材 多孔質セラミック
香水だけでなく、アロマオイルも使えるところが嬉しい

「porous」は、有田焼の商社であるヤマト陶磁器さんの「hibi(ヒビ)」ブランドの商品。

「焼きものをファッションの分野へ」と考えた、ブランドディレクター山口武之さんとアートディレクター藤榮央さんによって生まれました。

実は、この素材は有田焼を作る過程で必ず出る「珪(けい)」という成分。もともと使い道のなかった「珪」に改良を加え、「多孔質セラミック」という、吸水・保湿に優れた素材が誕生しました。

有田 hibi 陶器ブローチの素材 多孔質セラミック

コロンとかわいらしい6種類の形と、優しい色あいの6色をかけ合わせた、計36種類のバリエーションがあるこのブローチ。

どれにするか迷います‥‥いくつか買って、その日の気分に合わせて香りを変えるのも楽しいですね。

有田 hibi 陶器ブローチの素材 多孔質セラミック

また、香りのたしなみは、TPOを選んでこそ。

例えば、ちょっと贅沢な和食屋さんに行くときなどは、お出汁や素材の風味を邪魔しないよう、あえて香りを控える気遣いも大切。そんな食事の予定がある日などは、お食事中だけ「香るブローチ」を外しておけば、お料理の邪魔になることもありません。

また逆に、仕事の後だけ香りを付けて楽しむという使い方もできますね。

毎日身に着けていたくなるようなシンプルなデザイン。誰かにプレゼントしても喜ばれそうです。

工芸から生まれたこんな画期的なアイテムで、香りを楽しんでみてはいかがでしょうか?

文:山越栞
写真:藤本幸一郎・hibi提供

「新しい佐賀」の魅力がここに。5メディア同時取材で探る、進化する佐賀の旅

「佐賀へ旅行に行く」と言ったら、「佐賀に何があるの?」と聞かれることが多い。
確かに九州内に絞って言っても、観光地として名が上がることは少ないのかもしれません。

だけど、佐賀は思っていた以上に楽しかった。
2泊3日の旅日程だったけど、物足りずにもう延泊するほどに。

佐賀はどこへ行くべきか。現地で教えてもらった佐賀の魅力を、これから何日かに渡ってお伝えしていきます。

主に、肥前窯業圏と言われる地域、有田・嬉野を中心にご紹介。今週のさんちは、佐賀旅特集です。

mediacruise 佐賀 嬉野茶
mediacruise 佐賀 有田 なみだ壺
嬉野 和多屋別荘

 


これまで、日本各地の工芸を取材してきたさんち。

各所を訪れるたびに、「もっともっと多くの人たちに、まだ見ぬ地域の魅力を知ってもらいたい」と思う気持ちは強くなっていきました。

今回発足したのが、複数のメディアが手を取り合ってひとつの地域へ取材に伺う「#medeiacruise(メディアクルーズ)」のプロジェクト

mediacruise

参加メディアは、
明日の朝が楽しみになるような情報を届けるインスタマガジン「cocorone」

これからの暮らしを考えるウェブメディア「灯台もと暮らし」

女子クリエイターのためのライフスタイルマガジン「箱庭」

パーソナルメディアマーケティングサービス「drip」

そして、「さんち」の5チームです!

 

これまで各々に各地を取材してきた5メディアが行動を共にしたら、どんな化学反応が起こるのでしょう?

行き先は佐賀県。
嬉野市、有田町、佐賀市を周った充実の2泊3日を、伝統工芸ライターの山越栞が2日に渡ってレポートします。

1日目: 今、佐賀を盛り上げている方々に出会う

 

都内で活躍したオーナーソムリエが営む「trattoriYa Mimasaka」

さんちチームが最初に向かったのは、佐賀県武雄市で2016年にオープンした本格イタリアンのお店「trattoriYa Mimasaka(トラットリヤ ミマサカ)」。

武雄市のtrattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)

オーナーソムリエの鳥谷憲樹(とりや かずき)さんは、東京の一流ホテル内にあるイタリアンレストランでソムリエを務めた後に単身で本場イタリアに渡り、ワインの知識やサービスのノウハウを勉強。その後、地元にUターンしてこのお店をスタートさせました。

武雄市のtrattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)

店舗となっているこの土地は、元々鳥谷さんの祖父母が暮らしていた場所。
窓の外に広がる完成された庭は、鳥谷さんのご家族が大事に育んできたものだそうです。

武雄市のtrattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)・鳥谷憲樹さん

お皿は有田焼や伊万里焼、波佐見焼など、地元のものを中心に使用。
尋ねると、作り手である陶芸家さんのエピソードを織り交ぜながら、お皿の説明をしてくださいました。

武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース
武雄市trattoriYa Mimasaka(トラットリヤミマサカ)のランチコース

「Uターンするつもりは元々ありませんでした。東京に憧れてこの町を出ていったけど、大人になった今だからこそ、ここに生きる人々の魅力を感じるようになったんです。今は圧倒的に、佐賀が魅力的だと思います」

地元に戻ってからの鳥谷さんの取り組みは、レストラン経営に留まりません。
町の周年事業イベントや、嬉野茶時のサービス監修、空き家対策プロジェクトなど、地域のための活動に積極的に尽力する鳥谷さん。

「未来の子ども達のために、いいものを残していきたい」

そう言う鳥谷さんが、これからどんなお店、そして地域を作っていくのか。佐賀の未来が楽しみになるレストランでした。

お客様と親しげに言葉を交わしつつ、そつなく心配りをする鳥谷さん

和多屋別荘でmediacruiseクルーと合流!

美味しいコース料理でお腹もいっぱいになったところで、鳥谷さんのお店を後にしたさんちチームは、他の#mediacruiseクルーと合流!

今回のお宿は、以前取材をさせていただいた和多屋別荘さんです。

何度訪れても美しい館内では、代表の小原さん自らがデザインしたというオリジナルの装飾や、200〜300箇所に飾られているお花が出迎えてくれました。

嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘
嬉野 和多屋別荘

そして、今回の取材ツアーをプロデュースしてくださったのは、こちらの古田清悟(ふるた せいご)さん。

嬉野創生機構の古田清悟さん

今回の取材のメインエリア・嬉野市出身の古田さん。

代表を務める株式会社嬉野創生機構は、廃業していた旅館を事務所とし、地域の魅力を発信する様々な取り組みをしているまちづくり会社。

古田さんは、他にも東京で映像制作会社を運営しており、地元と東京の2拠点を往復しながら、嬉野地域おこし協力隊の受け入れ先となっており、嬉野と他の地域とを結ぶハブとなっている方です。

mediacruise集合写真

手間暇かけてつくられる嬉野茶の工房へ

「修学旅行みたい!」なんて盛り上がりながら集合写真を撮影した後は、嬉野の若き茶師、松尾俊一(まつお しゅんいち)さんの茶畑へ。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

医療機関に勤務した後、現在は松尾製茶工場の6代目として茶作りに邁進する松尾さん。

茶師になってたったの2年で農林水産大臣賞を受賞するなど、「革命児」との呼び声も高い方です。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん
嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん
嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

一つひとつ手摘みをした茶葉を、炒っては揉み、

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

炒っては揉みを繰り返していきます。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さんのお茶

摘んだばかりの生の茶葉はこんな風にみずみずしさが残った状態。
熱を加えて炒っていくことで、私たちが普段目にするようなお茶の葉にだんだんと変貌していきます。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さんのお茶

手摘みだと、1時間摘んでやっと1キロの茶葉が採れる程度。
この状態から約5時間半をかけて、わずか400グラムのお茶を丹精込めて生み出していきます。

嬉野 松尾製茶工場・松尾俊一さん

気の遠くなるような作業に、美味しいお茶づくりへの深いこだわりを実感しました。

嬉野 松尾俊一さんの茶工場
形と大きさの異なる茶器が並べてありました
嬉野 松尾俊一さんの茶工場
手摘みをする際にはこんな笠をかぶります。日よけと通気性が抜群だそう
嬉野 松尾俊一さんの茶工場

樹齢300年超えの「大茶樹」に圧倒される

次に向かった先は、嬉野のお茶の原点となっている「大茶樹(だいちゃじゅ)」のある場所です。

嬉野 大茶樹

おおー大きい!!
お茶の木って、こんなに育つんですね。

約550年前に、明から渡ってきた人々がこの地に伝えたといわれる嬉野茶。それを現在の嬉野茶の原型へと整備した嬉野茶の祖・吉村新兵衛が、慶長年間(1648~1652年)に植えた1本とされるこのがこの大茶樹です。

なんと推定樹齢約350年以上。枝張り約8メートル、樹高約4.6メートルの大木です。

嬉野茶の茶畑
嬉野茶の茶畑

嬉野のお茶に触れた後は、ふたたび宿に戻ってひとやすみ。

嬉野茶の茶畑

害獣のイノシシを、貴重な食材としていただく

夕食はなんと、イノシシ肉のバーベキューをいただきました!

ご馳走してくださったのは、嬉野でイノシシの狩人として活動している太田政信(おおた まさのぶ)さん。

イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野
イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野

元々は茶葉の栽培をしていた太田さんですが、イノシシの獣害に苦しむ茶農家の現状を見かねて、現在はイノシシ猟を本業としています。

イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野
太田さん自らが捕まえ、精肉したイノシシ肉

意外に臭みもなくさっぱりとした豚肉のような味わいで、どんどん箸が進みます。

イノシシ猟師の太田政信さん 嬉野
スペアリブまで!

取材初日から、贅沢な夕ご飯をいただいてしまいました。

2日目:有田町で焼きもの文化の根付く場所を訪ねる

人の手によってつくられた神秘的な空間「泉山磁石場」

2日目は有田町の各所を取材。さんちチームは有田焼にまつわる取材にどっぷり浸かった1日となりました。

まずはみんなで朝一番に向かったのは、有田焼に欠かせない、陶磁器の原料となる「陶石」をかつて大量に採掘していた泉山磁石場です。

泉山磁石場

約400年前、李参平が率いる陶工たちがこの場所で陶石を発見し、元々は山だった場所を掘り下げていってできたのがここ。

白い岩肌がのぞく不思議な空間に、思わず息を呑みます。

今回は、掘り起こされて洞窟のようになっている空間にも特別に入れてもらいました。

泉山磁石場
内側からの眺め

この日の小雨と相まって、さらに神秘的な顔を見せてくれました。

 

ここからは、メディアごとに有田の町でのお土産の調達と、取材へ。

複数のメディアで合同取材をしたり、独自で訪ねたいところに足を運んだり… それぞれのメディアらしい訪問先を訪ねました。

 

さんちは、有田のものづくりを中心に5軒のお店、飲食店へ。老舗のメーカーから、オープンして1ヶ月たらずの新店まで、有田の魅力を存分に感じる2日間となりました。

その2日目の様子は、明日の記事で公開予定です。どうぞ明日もご覧いただけると嬉しいです。

 

同時取材した5メディアで、佐賀旅の記事を公開中です

それぞれのメディアが切り取った佐賀。どうぞ合わせてご覧ください。

・cocorone:cocorone TRIP 佐賀特集始まります

・灯台もと暮らし:「佐賀県嬉野・有田で見つけた新しいメディアと取材の在り方。「#mediacruise」に行ってきました!【ファインダーと私】」

・箱庭:「地域とメディアを繋ぐ新しい取材のかたち「#medeiacruise」。
箱庭が選ぶ佐賀の「おみやげBOX」つくりました!」

・drip:「知っているけど、知らない世界。”mediacruise 佐賀 嬉野編」

文:山越栞
写真:藤本幸一郎 ・ mitsugu uehara