【地産地匠アワード】唯一無二の個性を味わう。暮らしの“支障”となった木から生まれた「わっぱのケース/バスケット」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

「地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。2024年の初開催では、4つのものづくりに賞が贈られました。

今まさに日本各地で芽吹きはじめた、4つの新しいものづくりのかたち。この記事ではそのなかから、静岡県で街の“支障木”から生まれた「わっぱのケース/バスケット」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

暮らしの”支障”となった木から生まれた「わっぱのケース/バスケット」

「支障木(ししょうぼく)」という言葉を聞いたことがありますか?

これは、倒木の危険性があったり、私有地から道路にはみ出していたり、文字通り暮らしの”支障”になっている樹木のことを言います。

突発的な伐採が発生すること、樹種や木の状態がさまざまなことから、これまで木材としてはほとんど流通してきませんでした。
この、伐採せざるを得なくなった支障木を活用して生まれたのが「わっぱのケース/バスケット」。それぞれの木の個性を活かすため、着色をせずに仕上げられています。

「わっぱのケース/わっぱのバスケット」。それぞれの木目や木肌を活かし、着色をせずに仕上げられている

「支障木の特性上、流通させられるだけの材料が確保できる樹種は限られています。

その中で、木肌の様子を見て、個性があって魅力的なものとして桜や樫、楓という3つを選びました」

そう話すのは、静岡県静岡市にある木工・家具工房「iwakagu」の岩﨑翔さん。地元・静岡でものづくりをする中で何か地域に恩返しできることはないかと考え、地域の材料を用いた商品の開発を進めてきました。

「薄い木地のわっぱの入れ物って面白いんじゃないかと思って、サイズ感や形状を試行錯誤しました。弁当箱だけじゃないわっぱの新しい価値が出せればと思っています」

iwakagu 岩﨑翔さん。「木つかい」をコンセプトに、木材の環境や経緯、個性などを尊重してものづくりに取り組んでいる

岩﨑さんと共に商品の企画に携わったのは、同じく静岡を拠点に活動するデザイン事務所「OTHER DESIGN」の西田悠真さん。

「あまり用途を限定してしまうことは避けようと考えて、存在感が極力ニュートラルになるようにデザインしています。

パッと見た時に『これはなんだ?』という反応になる。その方が、支障木という素材に目を向けてくれるのかなと思って作りましたね」(西田さん)
まるで木そのもののような佇まいの、シンプルなケースとバスケット。街の中に生えていた木々それぞれの節目や傷すらも、唯一無二の個性として活かされています。

OTHER DESIGN 西田悠真さん。ものづくりをする職人に惚れ込み、グラフィックやプロダクトデザインだけでなく、企画、コンセプト設計など幅広いサポートをおこなう
自然とその素材感に目が向けられる

木工産地 静岡だからこそ実現した、地元の木を活用するプロジェクト

やむを得ず切られてしまう樹木を有効活用する。

言葉で言うのは簡単ですが、その実現には多くの障壁があり、一筋縄ではいきません。

街中にある樹木の活用には、課題も多く残る

支障木を見つけること、木が生えている土地の所有者や行政との調整、切った木の運搬や集積、保管、そして加工、販売。

ある程度の生産量を確保することも考えると、多くの関係者・専門家との連携が必要不可欠となってきます。

「元々、地元の木材を使ってものづくりしたいという想いがあったのですが、静岡では家具に使用する木があまり育てられておらず、流通もしていなくて半ば諦めていたんです。

支障木の存在も最初は知らなくて。そんな時に、西田さんから地元のきこりの方を紹介してもらって、つながることができました」(岩﨑さん)

地元の木材が使えないという課題を抱えていた中で岩﨑さん達が出会ったのが、玉川きこり社の繁田浩嗣さん。

きこりとして山に入り、建築物の原材料調達をベースに活動しつつ、街中の支障木についても要望があれば伐採に行く繁田さん。その活動の中で、魅力があるにも関わらず活用されていない木について、何かできないかと考えるようになったのだと言います。

玉川きこり社 繁田浩嗣さん。「きこりディレクター」として、山の価値を上げる切り口、提案を日々考えている

「静岡って林業は盛んですが、そのほとんどが建材用の杉や檜といった針葉樹で、家具に使えるような広葉樹はむしろ邪魔だということで間引かれてしまっています。

なので山の中にぽつぽつと生えているだけで、量もまとまらないし、流通には乗っていませんでした。

でも、そういった木を製材してみると木目が凄く面白かったりとか、木の魅力が詰まっているなと感じていたんです。

一方で、街中で切る支障木についても、様々な個性を持っているのに活用できていない。処理にかけられる予算が決まっている中で、ただチップ工場に持っていくしかないという状況で、もったいないなと思っていました」(繁田さん)

そこで始まったのが、地元の身近な材料を活用して家具を届けようというプロジェクト「ヨキカグ」。

きこり・製材所・木工工房・家具屋・デザイナー・研究者など、木にまつわる専門家が集結する、木工産地 静岡だからこそ実現したプロジェクトです。

「そこにお声がけいただいて、僕もデザイナーとして協業しています。

身近な地域材を活用しようというプロジェクトで、特に静岡の広葉樹に注目して取り組んでいこうと始まりました。

その中にも色々な理由でやむなく切られている木があり、そのひとつが今回ピックアップした支障木というものになります」(西田さん)

さまざまな専門家の技術と知恵の連携によって、突発的に発生する支障木を用いた商品の中量生産が、徐々に実現できるようになってきました。

iwakaguの工場

「製材所だったり、工房だったり、どこかひとつでも欠けてしまうとそこで木の流れが止まってしまいます。

これだけ各工程の関係者が集まって、ものづくりができるというのは、静岡だからこそで、奇跡に近いと思っています」(繁田さん)

「めんぱ」職人による曲げ木加工

こうして伐採・集積され、製材された支障木をわっぱケースの形にするのは、静岡の伝統工芸品「めんぱ」職人による曲げ木加工。

担当したのはSHIOZAWA漆工所の塩澤佳英さん。静岡県牧之原市に拠点を構え、木材の曲げから漆塗りまでを一人で手掛けています。

SHIOZAWA漆工所 塩澤佳英さん 分業が基本である曲物業界にあって、木を切る以外はすべて自身でこなす。その制作スタイルは、師匠である細田豊氏ゆずり

「静岡に田町っていう職人の街があって、昔は朝から晩まで何かしらの機械の音が響いてたような場所なんですけど。そこで、18歳くらいの時に師匠に弟子入りして、この世界に入りました」 

元々、塩澤さんのご両親が「めんぱ」の弁当箱を愛用していて、塩澤さん自身も小学生の頃から同じものを持たされていたといいます。そこからものづくりに興味を持ち、弁当箱の作者であった師匠の元で「めんぱ」作りを学んだのだそうです。

お湯で材料を柔らかくして、曲げていく
枠に沿って曲げて、固定する。(写真は、普段の檜によるめんぱ作りの様子)

通常、塩澤さんが「めんぱ」の弁当箱などを作る際には、針葉樹である檜を用います。柾目の材料が取れる檜は曲げやすく、加工しやすいのだとか。

一方で、今回使用した支障木はすべて広葉樹。檜と比べると硬く、筋も複雑で、綺麗に曲げることはかなり難しかったと言います。

「広葉樹を曲げることってあまり無いんです。特にこの筒状のやつみたいに綺麗に丸くするというのは珍しいし、面白そうだなと思って取り組みました。

とにかく硬いし、癖があって。それが良さでもあるんですけど、曲げるのは大変でしたね。伸び縮みもかなり発生するので、安定するまで何度も調整する必要がありました。

木の個性がはっきり出ていて、これまで見たことがないというか、かっこいい商品だと思います」

通常の曲物(左)は木ばさみで固定するが、硬くて反発の強い広葉樹は強力な輪ゴムで固定する必要があった
材の選定、木取り・製材、材の厚み調整などをiwakaguで加工後、塩澤さんが本体を曲げる。再びiwakaguの工房で蓋や持ち手を付けて、研磨や仕上げをしていく

プロジェクトを通じて、全国の産地へ良い影響を与えたい

「作ること以外、すべてお願いしたいというか。商品戦略やデザイン、伝えること。自分ができない、得意ではないことの中にも、やりたいことはあって、その辺りを会話しながら確認し合えるので、とても頼りにしています」

岩﨑さんは、西田さんとの関係をそう話します。

「週に一回、岩﨑さんの工場が始業する前に、朝の時間で戦略会議をやるような関係性で、2020年頃から関わらせてもらっています。

iwakaguの主たる仕事であるオーダー家具の営業方法や、店舗・住宅など設計の方々へのコミュニケーション方法など事業の戦略を考えてきました。

また、オリジナル商品については、最初はカタログラインナップの整理やオンラインストアの整備みたいな部分から始まって、見本市への出展だったり、グッドデザイン賞への応募だったりと色々やってきました。

具体的な販売戦略を考えている中で、今回の地産地匠アワードはいいタイミングだったので挑戦することを決めた感じですね」

と、西田さん。二人のように作り手とデザイナーがつながり、そしてその他の専門家やものづくりに関わる人たちも繋がっていく。そこに地域のものづくりが存在感を保ち、継続していくヒントがあるように感じます。

木工産地の専門家同士がつながり、動き始めた支障木の有効活用。岩﨑さんたちは、これからも継続的に商品開発や情報発信を進めていく予定です。

「一つの商品が爆発的に売れるというよりも、この取り組みをきっかけとして木の商品の良さを知ってもらう、興味をもってもらうことが大切かなと。

そのためにも、認知度を上げながらしっかりと継続していくことが重要です。

26歳の時に静岡で工房をスタートさせて、地域の家具職人さんに色々と教えてもらったり、OEMの仕事をいただいたり、環境に恵まれて育ててもらったと思っています。

今まで地域で仕事をさせてもらっていることに対する恩返しというか、何か貢献したい。

支障木という、切らないといけない木を使う。そこに自分の技術や提案を活かすことに、作り手としては使命を感じています」(岩﨑さん)

「支障木を使ったからこそ、こういった価値が出るということを、結果を積み重ねていって認知してもらう。静岡でその活動を続けることで、何か他産地のヒントになれば嬉しいというか。

物が売れることも大切ですが、他の人たち・ものづくりに良い影響を与えられるのであれば、やる価値があるんじゃないかと思っています」(西田さん)

まだまだ全国的には珍しい支障木活用の成功事例を積み重ね、広く伝えていく。そうやって他の産地にも良い波を広げることで、巡り巡って地元の価値も高まっていく。そんな理想を掲げて、岩﨑さん達の活動は続きます。

地産地匠アワードとは:
「地産地匠」= 地元生産 × 地元意匠。地域に根ざすメーカーとデザイナーがつくる、新たなプロダクトを募集するアワードです。

<関連する商品>
わっぱのケース平型
わっぱのケース筒型
わっぱのバスケット

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文:白石雄太
写真:阿部高之

【地産地匠アワード】“種”を埋め込んだうつわから、漆の未来が芽吹いていく。会津漆器の弁当箱「めぶく」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。
そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

「地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。2024年の初開催では、4つのものづくりに賞が贈られました。

今まさに日本各地で芽吹きはじめた、4つの新しいものづくりのかたち。この記事ではそのなかから、福島県 会津若松地方でうまれた漆器のお弁当箱「めぶく」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

“漆の種”を埋め込んだ、タイムカプセルのような漆器

「”漆の種”を埋め込んだうつわを作りたい。という構想は数年前から持っていました」

今回のお弁当箱を企画した「漆とロック株式会社」の貝沼さんは、そう振り返ります。

漆とロック株式会社 代表 貝沼航さん

漆や漆器の面白さ、可能性に惚れ込み、会津地方を中心に約20年にも渡ってその魅力を伝え広げる活動を続けてきた貝沼さん。10年ほど前からは原料である樹液を取るための漆の木を育てることにも取り組み、特にこの2年間は「猪苗代漆林計画(いなわしろ・うるしりんけいかく)」という新しいプロジェクトもスタートさせました。

「育てるところから漆の木と対峙してきた時間の中で、改めて、この命をどうやって繋いでいこうかと考えました。

漆の木というのは、人が手をかけてあげないと育たない木で、何もしないと枯れてしまいます。種を植えて、育てて、樹液を採って、また種を植えて。そういう営みを、日本人が縄文時代から繰り返してきたからこそ、漆の木と漆文化が今も残っている。

この先、漆を植えて育てることをやめてしまえば、いずれ漆文化は途絶えてしまいます。でも種さえ残っていれば、遠い未来の人が発掘して、そこから漆を繋いでくれるかもしれない。

それは、あくまでも自然や時間というものに対する遊び心というか、本当にその種が発芽することを期待しているというよりも、種を埋め込むことで、未来に想いを託す。そんなタイムカプセルのようなうつわを作りたいなと思ったんです」

貝沼さん達が植樹を進めている漆林。樹液が採れるまで、約15年が必要。休耕地になっていた土地を利用し、綺麗に整備することで、集落の獣害対策も兼ねた取り組みにできないかと挑戦している

「信玄弁当」をモチーフにした三段重ねの便利な弁当箱

縄文時代の遺跡から非常にきれいな状態の漆器が出土するほど、漆の保護力は優秀です。その保護力、そして未来へ漆をつなぐための種をタイムカプセルに見立てて、うつわ作りがスタートしていきます。

“漆の種を埋め込んだうつわ”。その実現のために貝沼さんは、猪苗代町在住の塗師 平井岳さんに声を掛けました。

塗師であり、漆掻き職人でもある平井岳さん

「最初はびっくりしました。種を埋めたうつわなんて、一度も作ったことないよって(笑)。

でも、未来へ漆をつないでいくストーリーは凄く面白いし、実現できれば確かにいい。種が綺麗に見えるように塗り方も色々と試行錯誤したりして、なんとか使っていただけるものが作れたのかなと。楽しかったですね」

と、平井さんは笑いながら話します。

「この商品の意図するところ、真意をくみ取って作ってくれるのは、平井さんしかいないと思ったんです。漆塗りの職人でありながら、自分で漆自体を採る漆掻きの職人でもある珍しいタイプの作り手さんで、漆林を作る活動でもご一緒しています」(貝沼さん)

漆掻きの様子。自ら漆を採取する職人は多くない

通常、漆器の仕事は分業制で、木を育てる人、漆を採る人、塗る人がそれぞれ分かれていることが一般的です。特に木を育てるのは、昭和の頃までは、山を持っている人や農家さんが副業的に自分の土地に漆を植えて育てるということをやっていましたが、今はほとんどそういう方が居なくなってしまいました。そのようなこともあり、国産漆の供給は危機的な状況にあり、分業だからと言って何もしなければ、いずれ枯渇してしまいます。

既に、国内流通している漆の大部分は海外産。海外の漆がダメなわけではありませんが、あまりに頼り過ぎていると、万が一供給が止まった時に立ち行かなくなってしまう怖さもありました。

「会津地方はもともと江戸時代には百万本くらい漆の木があった漆液の産地でしたが、今はすごく少なくなっていて、毎年、どこかに漆の木が残っていないかと山の中を探し回って、どうにか漆掻きをしています。なので、いつかは自分で木を植えないとなと思っていて、貝沼さんと出会って、ようやく始められたという感じです。

それと最近、『漆を採ってみたい』という若い人たちが増えてきています。それはすごく嬉しいし、『一緒に福島で頑張ろう!』と答えたいのに肝心の漆の木が無くて、このままだと資源の取り合いみたいなことになってしまう。

自分たちで木を育てて資源を増やせられれば、そういった若い人たちも招き入れられるし、僕も次世代に技術を継承していける。そんな想いは強く持っていますね」(平井さん)

「今回は、お弁当箱のデザインも平井さんと一緒に行いました。

何度か改良を重ねて、洗いやすいように内側の形状を工夫したり、コンパクトにしつつ容量もたっぷり入るようにしたり、純粋に使い勝手もいいものが出来たのかなって思います。
何より、平井さんの木地呂塗(きじろぬり)が本当に綺麗ですよね。モチーフにしたもともとの信玄弁当と比べると、どこか愛らしい、現代に馴染む形になっています」(貝沼さん)

「最初はお椀を作る予定でしたよね。

でも、漆林が成長していく過程を色々な人たちが見守る中で、たとえば皆で集まって食べられるうつわがいいよねっていう話になり、お弁当箱になって。

信玄弁当にすれば、ご飯とおかずと、汁物も楽しめるし、今回のポイントである種も上から見える。

後は、このお弁当箱を持って皆でピクニックに来た時にこんな形であれば可愛いなとか、こんなご飯が食べられれば皆満足してくれるかなとか、そんなことをイメージして作りました」(平井さん)

味噌玉などを作っておいて現地でお湯を沸かして汁を入れれば、ご飯におかずにお汁、一汁一菜のお弁当が楽しめる
砥石や紙やすりを用いて、前回漆を塗った際に入った細かな埃やごみを削っていく
塗りの工程。今回は木目が綺麗に見えることと強度とのバランスを考えて、三回塗り重ねて仕上げている
高台部分の塗りが特に難しいとのこと。漆の種は、漆と小麦を混ぜて作ったパテのようなものに埋めて接着している
漆は湿度によって状態が変化する。想定した仕上がりになるように漆の状態を整えることが、塗ることよりも大変で難しい
湿度と時間で漆の状態がどう変化するのか細かく管理して調整していく

漆器との関係性、長い時間をデザインする

そうして生まれた「めぶく」のお弁当箱。

この、未来への想いが込められた漆器をどんな風に世の中に伝えていくのか。購入してくれた人たちとどんなコミュニケーションを取っていけばよいのか。貝沼さんはそんな問いを抱えていました。

「このお弁当箱をこれから迎えてくださる方たちのことを、お客様というよりむしろ仲間だという風に考えていて。

その仲間たちとどういう風に長い関係性を築いていくのか。時には修理をしたりしながら大切に弁当箱が使われて、最終的には土に還るまでの長い時間のデザインをどう考えていけばいいのか。

その探求だったり、コミュニケーションデザインのようなことだったりを一緒にやってくれる人はいないかなと思っていて、佐藤さんにお願いをしました。

基本はデザイナーさんなんですけど、手を動かすというよりは、人と人の関係とか、世界観を考えるというところを一緒に歩んで下さる。そこが一番魅力的な方だなと思っています」(貝沼さん)

Helvetica Design 佐藤 哲也さん

「嬉しい(笑)。貝沼さんとは2019年頃に、福島県の観光の仕事で取材をさせてもらってからの付き合いになります。

今回、僕はデザイナーとして参加はしているものの、なるべくならデザインしない方がいいと思っているんです。

このお弁当箱のプロジェクトは、今の時代に漆がどうあるべきか、暮らしと漆の距離感はどうなっていくのか、そんなことを考え直すきっかけになると思っていて。

その時に、例えば貝沼さんが漆に惹かれたことや、平井さんが自分で漆を採るようになったこと、そういう自然に生まれてきたことを捻じ曲げたり誇張したりせずに、その等身大がより良く見える状態を考えたい。そんなところにデザインがあった方がいいと思っています。

なので、なるべくならデザインしないで、あまり余計なものを付加しないスタンスで関わりたいなと」

平井さんと貝沼さんのありのままの姿を伝えたいという佐藤さん

実際の商品の形や、機能性といったデザインももちろん大切ですが、それ以上に、使う側の受け取り方、心の在り方をどうやってデザインするのか。

佐藤さんが加わったことで、丁寧に対話を重ねながらその部分の考えを深めていくことができたといいます。

「なんていうか、すごく自我の無いデザイナーさんだなというか。本当に暖かく見守っていただいてますよね。

その上で、本質的なものをきちんと伝えて、世界を作っていくためのデザインを一緒に考えていただける方だと思っています」(貝沼さん)

「それ自体を良いと思えるような社会にしていけるかどうか、というのが、残っていける最大の秘訣です。

漆自体が必要とされれば、作る人も増えてくるし、相談事も増えてくる。そういう風に循環のベクトルを変えるというか、そこにタッチしないといけない。

今、生活の一番の課題は時間がないことだと思っています。時短で便利なものが良しとされている時代に、時間が作れるようにどうやってライフスタイルを過ごしていくのか。そういった視点があると、漆を使う機会も手にすることができるのかなと。

僕自身も、漆器の弁当箱を十分に扱うために、例えばなるべく仕事の時間を減らすとか、人との時間と自分の時間のバランスを調整することが必要だと感じています。それが豊かさにも通じてくるのかなと思って、そこを目指しながら漆を使っていきたいと考えています」(佐藤さん)

そんな中、一つの伝え方の手段として今回の地産地匠アワードへの挑戦を決めたのも、佐藤さんのアドバイスがきっかけだったのだとか。

「このお弁当箱のプロジェクトには、縄文時代から続く漆文化をどうやって未来に受け渡していくのか、それをみんなで考えていきたいということがベースにあります。

なので、自分たちだけでやるんじゃなくて、同じ想いを持ってくださるパートナーを見つけて、一緒により多くの方や社会の中に広げていくのが大事だよねと佐藤さんと話していて、今回のアワードの話もその流れで教えてもらいました。

自分たちだけではできないことも含めて、大きな流れにしていけそうだなと思い、応募を決めました」(貝沼さん)

「後は、アワードだと発見される入口が違うのかなと思っています。どこかのお店に置かれているものを目にして、好き嫌いを判断されるというのではなく、僕たちの考え方や活動をまず発見してもらえるのであれば、すごく意味があることかなと思って、貝沼さんを誘いました。

結果、審査会に向けて急ピッチで色々と進めて、プロジェクトが前に進んだのは良かったですよね」(佐藤さん)

想いに共感したコミュニティが、漆を守り続ける土台になる

漆を未来へつなぐ、タイムカプセルのようなお弁当箱が、いよいよ世の中に送り出されます。

「細部のディテールがすごく仕上がっていて、素地でも可愛い」

と佐藤さんが言うように、その愛らしいデザインは、現代の暮らしにもすっと馴染んでくれるはず。

素地の製作は平井さんと同じ30代の木地職人、畑尾勘太氏が担当している

「漆器って、気軽に触っちゃいけないイメージが強いのかなって思うんですが、そんなことはないので、ぜひ手に取ってもらいたい。

持った時の馴染みやすさや漆の質感を大事にしているので、それを感じていただけると嬉しいです」

このお弁当箱をきっかけに、漆器の魅力に気づく人が増えてほしいと、平井さんは期待を寄せています。

商品が出来て終わりではなく、購入されて終わりでもない。そこから、貝沼さん達の想いに触れて共感した仲間たちとの関係が始まり、それぞれの人と漆との関係も始まっていきます。

「このお弁当箱を皆さんが迎えてくださってからの時間も本当に楽しみなんです。

使っていただいている皆さんで会津に集まれるような機会を作っていきたいと思います。漆の植樹祭イベントをやってみたり。秋にはお弁当箱を持って集まって、漆林の活動を一緒に取り組んでいる地域の農家さんのお米でご飯を食べたり。
はたまた平井さんの工房や漆掻きの様子を見ていただくツアーや製作体験のワークショップとか。会津や漆をさらに知って、楽しんでいただけるといいなと思っています」(貝沼さん)

お弁当箱の売上の一部は「猪苗代漆林計画」の植栽活動にも活用されます。貝沼さん達の計画では、毎年100本ずつ植樹をおこなっていき、将来的には数千本規模の漆林を育てることを目指しているとのこと。

「この漆林があるからこそお弁当箱もつながっていく、このお弁当箱があるから漆林も大きくなっていく。そういう循環がこれから始まり、長く続いていくことを目指しています。
このお弁当箱を持っているということが、漆を残していく仲間の証になる。その仲間たちと僕らがこれからつながっていくことで、コミュニティが生まれていく。そのこと自体が、漆を守っていける確かさになる。そんな風に考えています」(貝沼さん)

地産地匠アワードとは:
「地産地匠」= 地元生産 × 地元意匠。地域に根ざすメーカーとデザイナーがつくる、新たなプロダクトを募集するアワードです。

<関連する商品>
めぶく弁当

<関連する特集>

文:白石雄太
写真:阿部高之

【地産地匠アワード】瓦から食卓へ。ものづくりの転用によって、越前の風景を未来に繋ぐ

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。
そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

「地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。2024年の初開催では、4つのものづくりに賞が贈られました。

今まさに日本各地で芽吹きはじめた、4つの新しいものづくりのかたち。この記事ではその中から、福井県越前市で生まれた「越前瓦器(ECHIZENGAKI)」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

瓦の産地・越前の景色を映した、テーブルウェア

板皿ってどことなく緊張感があるものが多いけれど、越前瓦器は安心して触れそうな感じがする。実際持ってみると、ざらっとした土の手ざわりを残しつつ、角に丸みがあって優しい肌あたり。これなら机も傷付かないし、お皿の縁が欠けてしまうことも防げそう。よく見ればうっすらと高台があって、裏面にも釉薬がかかっているからカビにも強そう。わが家でも気兼ねなく使えるかも…。

見れば見る程、使い手への配慮を感じるデザインに、よくよく考えて作られたプロダクトの気配を感じます。どうやら瓦の作り手さんが手がけているらしく、言われてみれば、どことなく瓦らしさも感じる佇まいです。
どんな過程を辿って生まれたのか。ものが生まれた背景を求めて、福井県越前市を訪ねました。

越前セラミカ工場

量産品でも、本来の焼き物らしいものづくりを。純粋な熱量から始まった商品開発

左からプロダクトデザイナーの高橋孝治さん。越前セラミカの石山享史さん。コーディネーターの役割を担った新山直広さん

「ふつう仕事って、越前セラミカさんから依頼をされて、デザイナーが動くパターンが多いんですけど、今回に関しては反対だったんですよ。僕らの方から声をかけて、クライアントワークではなくプロジェクトのような形で始まりました」(新山さん)

そう話すのは、今回コーディネーターの役割を担った新山さん。地域特化型クリエイティブカンパニー「TSUGI」の代表として、これまでにも越前鯖江エリアの地域づくりを実践してきました。
越前瓦の作り手である越前セラミカ・石山さんと、プロダクトデザイナーの高橋さんを繋ぎ、越前瓦器が生まれるきっかけを作った、その人です。

「じつは、石山さんに声をかける前に、高橋さんと一緒に動いていた仕事があって。それは結局形にはならなかったんですけど…。その時に高橋さん、ずっと土の話をしてたんですよ。デザインの話ではなくて、どこのどういう性質の土なのかっていう話をしていたのが印象的で。高橋さんの焼き物への造詣の深さを生かして形にできる、土から始まるものづくりを一緒にできるところがないかと考えて、思い浮かんだのが越前セラミカさんでした。

前の企画は頓挫したものの、僕としては、高橋さんを越前と繋げたい気持ちが変わらずにあって。高橋さんも、『このままじゃ終われないからぜひやりましょう』と言ってくれたんですよね」(新山さん)

一方、声をかけられた越前セラミカの石山さんは、当時を振り返ってこう話します。

「うちも瓦だけでなく新たな柱を作らなければ、という課題感は持っていたので、いいきっかけだなという気持ちが大きかったです。
ただ、やっぱり費用面の不安はありました。だけど新山くんが、『なんとかするし、やりましょう』と言ってくれて。高橋さんも窯業地に拠点を置かれているので、焼き物メーカーの状況をよく分かってくれていて。『まずはいい商品を作って、売れたら成功報酬で考えていきましょう』と言ってくれたんです。

なにより、瓦工場がどういうものの作り方してるか、作る工程を見て、そこから考えていこうって言ってくれたので、迷いなく進めたと思います」(石山さん)

そうして2022年の年末に取り組みがスタート。結果として、地産地匠アワードの受賞に繋がったものの、当時はあてにできる資金や販路支援はゼロの状態。それでも、とにかくいいものを作りたいというものづくりへの熱量を糧に、三者での協働プロジェクトが始まりました。

シングルオリジンコーヒーのような「土」から始まるものづくり

自らも窯業地である常滑に拠点を構えて活動する中で、焼き物の製造現場に深く入り込んできた高橋さん。そんな高橋さんから見ても、越前セラミカのものづくりは、「土」に特徴があると言います。

「越前セラミカさんの土は、コーヒーで言う、シングルオリジンみたいな土なんですよ。
理由は2つあって、どこの土かある程度地域が特定されること。もう一つは、調合度合いが少ない、ということです。

そもそも越前セラミカさんは、建築陶器のメーカーとして自社に精土工場を持っているのですが、うつわを作るメーカーとしてはそれは珍しいことで。作家さんは自分で土を掘ることもあると思いますが、量産の食器メーカーは基本的に土屋さんが作った土を使うことが多いんです」(高橋さん)

越前セラミカの精土工場に掲げられている看板

「越前セラミカさんに初めて伺った時に、精土工場の外にある看板に『越前瓦の品質の向上は常に原土に左右される』と書かれているのを見て、あんまり手を加えてないんだろうな、ここなら地元の土味を生かした量産の焼き物のうつわが作れるんじゃないかと感じました。

焼き物らしい土味や個体差は、うつわの量産品においては売りにくいものとして扱われてしまうことも多いのですが、越前瓦は、土ありきのものづくり。おおらかな本来の焼き物らしさを備えていると思ったんです」(高橋さん)

精土工場で土を仕立てていく様子

「実際に精土工場を見せてもらうと、超シンプル。掘ってきた土の中から、植物の根や大きい石だけを省いて、練って、網目を通して仕立てていて。水中で溶かして分けたり、細かなメッシュに通したりもせず、極力、原土のままの印象です」(高橋さん)

地域の土だからこそ作れる。地域の気候に求められる瓦の機能性

「越前瓦はもともと、地域で採れる土の特徴を生かしたものづくりなんです。
水分量の多い重い雪が降るエリアなので、何よりもまずは丈夫であることが求められる。だからこそ、この地域で採れる耐火度が高く、高温で焼き締められる土が品質として適しています」(石山さん)

「それと、吸水性の低さも求められます。吸水性が高いと、瓦が雪の水分を吸って凍ってしまうので。瓦の吸水率は10%程度でもJIS規格を通るんですけど、 越前瓦は3%前後の吸水率の低さを発揮するんです。越前瓦は、強度と吸水性の低さの点で非常に優れています」(石山さん)

瓦屋根が続く、越前の町並み

「越前瓦は、ここの土で、この焼き方で、この釉薬でこそ作れるようになったものなんです。地域で採れる土が、地域の気候に求められる機能にマッチしていて、そこに地域の知恵を乗せて脈々続いてきたものだと思っているので、僕はそれをずっと守り続けたい。

自社で土を作るっていうのは、大変です。本当に、大変なんですけどね。でもそれが越前瓦なので、これからも続けていくつもりです」(石山さん)

食卓でも生きる、暮らしになじむ佇まいと機能性

そんな土の機能性は、食卓のうつわとも相性が抜群だったそうです。検査機関に出したところ、電子レンジと食洗機にも対応することが判明。北陸の過酷な自然環境に耐えるための機能性が、食卓でも活きることが分かりました。

「僕は何より、地域で採れる土を使っておおらかに原料処理して作ることで生まれる、表情の豊かさがいいと思っています。石が爆ぜてるし、焼きムラも出て味がありますよね。色や風合いは作家もののように豊かでありながら、日用品らしい普段使いしやすいものができたと感じています」(高橋さん)

そう、このうつわ、とても使いやすそうなのです。瓦から食卓の道具に変換するにあたって、デザインにはどのような狙いがあるのでしょうか。

「瓦って、光の反射の仕方がやわらかい曲面と、端の切り落としのコントラストが、らしい印象を作っていると思ったんですよね。手取りを良くしたかったので、瓦のたっぷりとした厚みは踏襲せず、やわらかな光の受け方をする両脇のリムと、バスンと切り落とした端のメリハリで、瓦らしい印象をまとわせています」(高橋さん)

「ただ、まんま瓦ではないんですけどね。瓦自体には料理を盛る情緒性はないので、そこは少し切り離した方がいいなと思って。何も言われなかったら、瓦っていう文脈が分からないくらいの方が、料理を盛るにはいいんじゃないかと思っています。
だから、瓦っていう文脈との距離感の調整は、狙って作りましたね」(高橋さん)

実際に料理を盛ってみれば、その佇まいのよさに、次は何を盛ろうかと楽しくなるようなうつわです。よく見れば土の表情が豊かだけれど、主張し過ぎず生活空間に馴染む落ち着いた色合い。和洋さまざまな料理を引き立ててくれます。
瓦もうつわも、人の暮らしの景色としてなじむもの。そう考えると、この転用はとても自然なものだと感じます。

作り方は、瓦と同じ。工場の生産効率を高めるものづくりの形

「形状は違うものの、製造工程を見た上で企画してくれてるので、作り方はほとんど瓦と一緒なんです。
ただ、瓦と違ってうつわは手に取るものなので。手やテーブルなどが傷付いてしまわないような配慮が必要で、その仕上げ工程は少し追加しました。
でも基本的な作り方は瓦と一緒なので、無理がなく作れているのもありがたいところです」(石山さん)

トンネル窯。24時間じっくりと窯の中に入れて焼き上げていく

「むしろ、窯のエネルギー効率は高めてくれる存在になるとも感じています。窯は稼働日が多くなるほど、冷めないまま次の窯焚きができて、エネルギー効率が高まるんです。
だからと言って瓦ばかり毎日焼いていても、在庫がはけなくなってしまう。別の柱を作って、それが育ってくれれば、窯の効率はどんどん高まります」(石山さん)

越前瓦とともに、日本の風景を未来に繋ぐ

「越前瓦器が新たな柱商品に育ってほしいと願いつつ、やっぱりそれだけが売れればいいわけでもなくて。

昔は越前に50社以上あった瓦メーカーが、今では2社にまで減ってしまいました。当然うちも瓦の売り上げは伸びず、非常に苦しい状況になっています。それでも、瓦作りを止めてしまえば、地域の神社仏閣や文化財、地域の町並みが守れない。だから越前セラミカのミッションは、越前瓦をきちんと供給し続けていくことだっていうのは強く思っていて。瓦屋根のある日本らしい風景を残していきたいと思っています。」(石山さん)

「そのためにも、生活の中でなんらか瓦を意識してもらう場面を作りたいという想いがありました。今は、家を建てる時に、提案にすら乗らない状況になってきているので。まずは選択肢としてあることを、知ってもらわないといけない。今回の取り組みは、まさにそこにアプローチできるものになったのかなと感じています。

瓦のらしさや魅力をここまでうつわに表現してもらえたのが本当にありがたくて。 早く皆さんにお届けしたいし、どんどん作っていきたい気持ちが高まっています」(石山さん)

「まだ発売してないから、あんまり言い切れない部分はあるんですけど、でもなんか、結構いいところに落ちたんじゃないかなっていう風には思っています。
うつわってもう形が極まっていて、新しいものが生まれにくいんですよね。新しいものが生まれたとしても、個性的すぎて普及しないことが多いんです。
でも、今回は新しいとも言えるし、手頃な価格で普及しそうな可能性をはらんだものができたんじゃないかなと感じています」(高橋さん)

そうして取材が終わった後も、「パッケージについてちょっと打ち合わせしませんか?」「やりましょう。やりましょう」と3者でどこまでもものづくりを突き詰めていく様子が印象的でした。

地域の歴史や風土が積み重なった越前瓦のものづくりに、新たな意匠を乗せて。越前瓦器の物語は、これからも続きます。

地産地匠アワードとは:
「地産地匠」= 地元生産 × 地元意匠。地域に根ざすメーカーとデザイナーがつくる、新たなプロダクトを募集するアワードです。


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・越前瓦器 特大

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文:上田恵理子
写真:阿部高之

【地産地匠アワード】桐生らしさは“挑戦”。プログラミング技術と人の手から生まれる刺繍雑貨で、産地の北極星を目指す

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。
そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

「地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。2024年の初開催では、4つのものづくりに賞が贈られました。

今まさに日本各地で芽吹きはじめた、4つの新しいものづくりのかたち。この記事ではそのなかから、桐生でうまれた「刺繍ポシェット」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

織物の産地・桐生の景色を映した、刺繍のポシェット

2023年11月。山々に囲まれ、桐生川と渡良瀬川の二つの清流に恵まれた関東平野の北部・群馬県桐生市のとある企業に、二日間で500人を超える人が集まりました。

お目当ては「笠盛パークフェスティバル」。桐生の土地で刺繍加工のOEMと糸のアクセサリーブランド「000(トリプルオゥ)」を展開する、株式会社笠盛によるファクトリーイベントです。

かつては「西の西陣、東の桐生」と称されるほど、絹織物の産地として栄えた桐生市。この地では、赤城山の麓で養蚕業が盛んになり、川を水源とした水力発電による工場制手工業が発展したことから、最盛期にはノコギリ屋根が象徴的な繊維関連工場が多く立ち並びました。

渡良瀬川と、その奥にうっすらと見える赤城山
屋根のフォルムが特徴的なノコギリ屋根の工場

けれど、戦時下で工場の業態変更を余儀なくされたこと、またものづくりの場が海外へと移行したことなどを背景に、桐生の織物業は徐々に下火に。そんななか笠盛は、「産地の北極星」となるべくこの地で奮闘してきました。

「桐生のいいところって、応用のうまさなんですよ。もともとは西陣の技術を取り入れて織物産地として発展したんですけど、そこから織物に関連する幅広い事業を担うようになって。

守破離の“守”に落ち着かずに、すぐに“破”にいっちゃう。そうやって、古いものにリスペクトを残しながらも新しいものに挑戦して、変わり続けるのが桐生らしさなのかも」

そう言って笑う、笠盛の野村文子さんと片倉洋一さんが“桐生らしさ”を詰め込んで、新たに提案するのは刺繍のポシェットです。

写真:西岡潔
左が野村さん、右が片倉さん

桐生の地に咲く山野草や野花、赤城山から吹くからっ風、今もわずかに残るノコギリ屋根の織物工場。黒や白の糸で構成された幾何学模様のなかに産地の風景を映し、持ち手以外を刺繍でつくり上げたポシェットは、このたび、地産地匠アワードの優秀賞にみごと輝きました。

プログラミング技術と人の手が生み出す、“布に刺繍しない”刺繍

明治10年、和装帯の織物業として創業した笠盛。現会長の父の代で刺繍業に転身した後は、数々のアパレルメーカーの生地刺繍や、スポーツユニフォームのワッペン刺繍などを手がけてきました。

当初はOEM業がすべてだった笠盛ですが、現会長の代でものづくりの舵をきることに。

それまでは生地の装飾技術であった刺繍を、「布に刺繍しない刺繍」として独立するパーツに仕上げた「カサモリレース」を独自に発明。さらにはそのものづくりを応用した糸のピアスやネックレスのブランド「000」を立ち上げて、業界に大きな驚きを呼びました。

その立役者の二人こそが、今回、地産地匠アワードで新たに刺繍のポシェットを提案した野村さんと片倉さんなのです。

000のデザイナー兼ブランドマネージャーを務める片倉さんは、2005年に笠盛へ入社。大学では工学を専攻した片倉さんでしたが、もともと音楽やファッションに関心があり、また学生時代に目にしたアップル社「マッキントッシュ」のCMのクリエイティブに衝撃を受けたことから、デザインを学びたいと卒業後はイギリスへ留学。

4年間の学生生活後、フリーランスのテキスタイルデザイナーとして活動し、コレクションブランドのショーにスタッフとして参加するなど、現地でテキスタイルデザインへの造詣を深めました。

神奈川県出身の片倉さんが桐生に興味を持ったのは、「テキスタイルデザインの神」と名高い新井淳一氏の活動の場がこの地だったことから。帰国後に同氏を訪ねて師事するうちに、桐生のものづくりに興味を持ったと話します。

000 デザイナー兼ブランドマネージャー 片倉洋一さん

「イベントや美術館での展示のために作品を制作する新井先生について回るなかで、桐生市内のプリーツ屋さんや繊維に特化した研究所など、いろいろな場所へ足を運んだんですよ。そうしているうちに桐生市内のものづくりの“点”がいっぱい見えてきて、『なんか面白そうだぞ、この町は』って。

点と点、つまりそれぞれのスペシャリストがたくさん存在する桐生で、この点と点を今までにない繋ぎ方で繋いでみたら面白そうだなと思って。技術はあるんだけど、なかなかそれがうまく世の中に届いてなくて、桐生の繊維産業が下降気味なところにもどかしさも感じました。

あとは、ヨーロッパの繊維関連企業って産地や企業のなかにインハウスのデザイナーがちゃんといる体制が多かったんですよ。一方で日本の産地ってそうじゃないんだなって初めて知って。ものづくりで大切な『発想』と『技術』の交差点を、自分は産地でつくりたいと思ったんです」(片倉さん)

数ある桐生の繊維関連企業から笠盛を選んだのは、“珍しい刺繍機器を持っていた”から。それはレーザーカットと刺繍ができる、片倉さん曰く「めちゃくちゃマニアックな機械」だったそうです。

「その機械って世界でも数十台くらいしかないんです。それで『この会社、ちょっと尋常じゃないな』っていうか。当時はOEMが100%だったのでデザイン仕事の余地はなかったんですけど、ここだったら何か面白い仕事をつくり出せるんじゃないかって感じたんですよね」(片倉さん)

入社後はミシンオペレーターとして修行を積んだ後、少しずつ自分の仕事をつくっていった片倉さん。デザイナーとして大きく仕事が動いたのは2007年に挑戦した海外展示会でした。出展の背景には、他社のものづくりが海外拠点へと場を移すなか、「これからは日本でものづくりをして、海外へ届ける時代だ」と考えた会長の強い意思があったといいます。

「最先端の機械と職人の技を活かせる、笠盛らしい商品とは」。思案の末に提案したのは「生地に刺繍しない刺繍」でした。

「水に入れると溶ける紙の上に刺繍をして、それを溶かすと刺繍のパーツだけが残るんです。通常はレースとかに使う技術ですね。刺繍ってふつうは生地に施しますけど、海外のブランドさんから案件をお受けする場合、布のやり取りが発生して日数やコストが大きくかかってしまうじゃないですか。だから、ワンウェイでご提案できる刺繍がないか考えて生まれたのがこの『カサモリレース』です」(片倉さん)

有名ブランドにも採用されたこの技術は、たちまち多くの反響を呼ぶこととなりました。しかしそこに満足せず、現会長が新たに目指したのは自社ブランドの立ち上げ。自分たちで価格決定権のあるブランドを持ちたいと、試行錯誤を経て誕生したのが今回のポシェットにつながる「000」です。

ブランド名にある3つのゼロは「素材」「技術」「発想」を指すもの。それぞれの既成概念にとらわれず、「ゼロから新たな価値を創造する」というコンセプトが込められました。

刺繍機器を自由自在に動かす緻密なプログラミング技術と、最後は一つひとつを人の目で確かめて仕上げる手しごとの技。その二つを合わせ、平面ではなく立体的に刺繍を施すことで生まれるアクセサリーブランドを笠盛は立ち上げます。

当初はチャレンジの幅が大きく、社内からも不安の声が上がった000のものづくりでしたが、積み重ねた経験と技で完成品を仕上げ、お客さんのもとへとわたると、少しずつ喜びの声が届くように。

「金属アレルギーでもおしゃれができる」「上品なのに軽くてつけやすい」。そんな声を目にするうちに社内の雰囲気にも変化が起きはじめました。

そうして多くのファンを集める存在へと育った000は、冒頭にご紹介した「二日間で500人以上が集まる」ほどの人気となったのです。

アイテムごとにプログラミングし、一列10台のミシンそれぞれの特徴を見極めながら機械を動かしていく
先ほどのミシンを用いて、水で溶ける生地に刺繍
水に溶かすと立体的なアクセサリーに。この後、人の目と手で一つずつ検品し、仕上げていく

そんなブランドの成長期に新たに参加したのが広報の野村さん。服飾の専門学校を卒業後、都内でアパレルメーカーの販売員を経験し、地元・群馬へのUターンをきっかけに出会ったのが笠盛でした。

笠盛 広報 野村文子さん

「出身は桐生の隣の市なんですけど、実は私、恥ずかしながらそれまでは桐生が織物の産地だって知らなかったんです。入社してから少しずつ知識を深めていったような感じで。でも、もともと服飾を学んでいたこともあって、将来はものづくりの仕事がしたいなと思っていたんですね。それで縁あって笠盛に入社しました」(野村さん)

野村さんも最初はミシンオペレーターとして数年間経験を積み、同社でのものづくりの基本が理解できるようになった後は広報を担当することに。

メディア対応はもちろんイベントへの出展など、カサモリレースや000を多くの人に知ってもらうため日頃から頭をひねってきました。

「カサモリレース」を広めるために

ここまで読むと、地産地匠アワードへの応募は000の責任者である片倉さんが主導したのでは、と思う方も多いかもしれません。ところが、そこが“笠盛らしさ”でもあるところ。実は今回のポシェット、野村さんが広報としてのある想いから試作品をつくったのがはじまりなのです。

「このポシェットはカサモリレースを土台としてつくってるんです。カサモリレースは『笠盛といえば』の技術ですが、基本的にBtoBのお取引になるので、自分たち主導で一般の方に知っていただける機会をなかなか持てないことに課題感があって。

この技術で何か特別なものをつくって笠盛のことをもっと知ってほしいなと思い、試作品をデザインしました」(野村さん)

この想いを胸に、数年前にバッグをテーマとした別コンテストへ応募する予定で試作品をつくった野村さん。ところが諸事情により応募がかなわず、数年間、アイデアは眠ったままでした。そして今回、地産地匠アワードの開催を聞き、改めて挑戦を考えたといいます。

「ものづくりを改めて進めるうえで、今回のアワードは地域のつくり手と地域のデザイナーがタッグを組むことが一つのルールですよね。

じゃあどなたと一緒にできるのがいいのかなと考えた際、密にやり取りができて、何度も修正ができる状況下でやりたいと思って。それで片倉に相談をして、じゃあ一緒にやりましょうって言ってもらえたんです」(野村さん)

「僕としてはすごく嬉しくて。今回は野村がプロデューサーで、どちらかというと僕がその補佐。通常業務と逆なんですよ。僕自身は今、管理職で、事業成長や人材育成の機会として、いろんな可能性やチャンスを与えたいなって思ってる立場なんです。

笠盛には『笠盛人』って言葉があって、それは自ら問題を見つけて、自ら行動して解決する人を理想としているんですね。今回の件は、まさに野村が機会を自分で見つけ出してきて、自分の役割を自分で考えて道を切り開いていく挑戦でした。それを断る理由もないし、ぜひ僕の力で手伝えることは手伝えたらって思いがありましたね」(片倉さん)

キャプション>ミシンが並ぶ工場横に設けられている、二人の席。ふだんから横同士に座る二人はここで何度もアイデアを交わし、ミシンでつくってみて‥‥を繰り返したそう

野村さんによる試作品の時点でおおよその姿は出来上がっていたポシェットですが、片倉さんとともに再度デザインを検討。桐生について調べたり話を聞きに行ったりと、産地への知見と想いをさらに深めながらデザインに落とし込んでいきました。

「僕たちがなぜ桐生でものづくりをするのかとか、桐生らしさってなんだろうみたいなことを突き詰めていったときに、知らないこともいっぱいあって。で、じゃあここにどんな刺繍の柄を詰め込んだらいいんだろうって、たくさん話し合いましたね。

そこから、桐生の町の自然をイメージした模様にしていって。赤城山のようにギザギザになってたり、そこから吹く風の渦が巻いていたり。桐生の景色を大切にしながら抽象化して、000らしく幾何学模様に落とし込んでいきました」(片倉さん)

「片倉が赤城山って言ったギザギザの部分に、私は桐生のノコギリ屋根の風景を感じるんですよ。あと私が個人的にお気に入りなのは、000のアイコン的なスフィア(※小さな球体がつながったネックレス)の球の立体感がこのポシェットにも入っているところ。これを入れただけでもかなりテクスチャーの違いが際立って、改良してよかったなと思いました」(野村さん)

「通常のポシェットだとタグで入るようなロゴも、これは刺繍で入れていて。あとは刺繍の繊細さを届けながら強度も持たせるために、縫い方も部分ごとに変えています。

組織とデザインをマッチングさせながらきちんと形を成立させるというか。そうやっていろいろな工夫を施すことで、刺繍の可能性がこんなあるんだって伝えたかったんです」(片倉さん)

「挑戦の町」桐生を、次世代へ繋ぐ

「不安やプレッシャーがあるなかでしたが、試作を繰り返しながら一歩ずつ前進してるのが見えてワクワクして。そういう時間って、ものづくりの一番楽しいことなんだと思うんです」(片倉さん)

「だんだん形ができてくると、『このテキスタイルを使って、こういうアイテムもできるんじゃないか』なんて話も自然と出てきて。そうやって、新しい発見ができる機会にもなりました」(野村さん)

アワードの応募品を制作するなかで、ふだんの仕事への良い影響もあったと振り返る片倉さんと野村さん。

産地の北極星となるべく挑戦を続け、今や桐生の繊維産業をけん引する存在となった笠盛の二人に、最後に、ものづくりを通じて目指す未来を伺ってみました。

「桐生の織物の歴史ってすごく貴重で誇れるものだと思うんですけど、なかなか次世代に語れる場所がないんです。だから笠盛がその場所になる、ものづくりを伝えるきっかけになることを目指して、会社としても広報としても発信していけたらなと思います。

まずは私たちの刺繍の商品や活動を通じて興味を持っていただいて、その先に桐生のいろいろな技術や地域性も届けることで、若い方にも桐生の魅力をどんどん知ってもらえたら」(野村さん)

「今回の企画で改めて、いろんな人に桐生の強みについて聞いてみたんですよ。そうすると、新しいことに積極的にチャレンジして、創意工夫がうまくいって成長してきた歴史が見えてきたんです。なので『挑戦の町』なんだなと。

だから新しいものにも寛容で、僕もよそ者でしたけど受け入れてもらえた。笠盛や000の挑戦も桐生の持つ風土がつくってくれたように思います。

そうやって変わり続けていくことが桐生の強みだと思うので、進化し続ける町であるために、僕たちも全力で進化し続けたいですね。最近それが、僕たちがこの町と共存していくためのあるべき姿なのかなって、000を通じて考えています。

『桐生でものづくりをしてるんです』って話すと、桐生ってすごいよねって言ってもらえることが多いんですけど、それって先人が築いてきた暖簾みたいなもので。だからそれを次世代へ渡せるようにお恩返ししていけたらなと思います」(片倉さん)

近年は桐生でも、移住した若者がお店を開いたり、繊維関連企業がファクトリーブランドを立ち上げたりといったケースが出てきているそう。そこには笠盛が力強く、けれど軽やかに続けてきた進化が多分に影響しているように感じます。

自分たちの成功におごらず、生かされてきた産地の未来を願って。小さなポシェットに大きな志を背負い、笠盛は刺繍を通じて今日も、誰かの暮らしを鮮やかに彩るのでした。


地産地匠アワードとは:
「地産地匠」= 地元生産 × 地元意匠。地域に根ざすメーカーとデザイナーがつくる、新たなプロダクトを募集するアワードです。

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トリプル・オゥ 刺繍ポシェット

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文:谷尻純子
写真:阿部高之

【はたらくをはなそう】中川政七商店 妻沼 結子

妻沼 結子
中川政七商店 渋谷店

2021年 中川政七商店 渋谷店 店舗スタッフとしてアルバイト入社
2022年 中川政七商店 渋谷店 エキスパート



「中川政七商店のファンを増やすこと」
それを一番に考えて私はお店に立っています。 

中川政七商店を知ったのは、前職の旅行会社で働いていた頃。陶芸体験ツアーなどを担当し、うつわに興味のあった私は、店頭の素敵なうつわやスタッフさんの穏やかな雰囲気に魅了され、すっかりファンになってしまいました。

どんな会社なんだろう?と調べてみて、衰退する工芸業界を盛り上げる志を持った会社なんだということを知り、自分もその一員になりたいと応募を決めました。

今では旗艦店である渋谷店で売場の一角のリーダーを任され、店長やスタッフの皆さんと話し合いながら「また来たい」と思ってもらえるようなお店づくりに励んでいます。

接客をしていてやりがいを感じるのは、「工芸を生活に取り入れてみよう」とお客様に思っていただけたとき。

これまでうつわ選びにこだわりのなかった若いお客さまが当店で琴線に触れるものと出会い、「これから料理が楽しくなりそうです」と笑顔で帰られたときは、とても嬉しかったです。

中川政七商店のファンを増やすことは、工芸のファンを増やすこと。
当店をきっかけにうつわに興味を持ったお客さまが、現地の陶器市へ行ってみたり、工房で陶芸体験をしてみたり。
そうして地域が潤っていったなら、こんなにやりがいのある仕事はありません。

余談ですが、現在妊娠中のわたしはこれから産休・育休を控えています。
安定しない体調の中で働きやすい環境を整えてくれたり、産後は時短勤務ができたり、子育てをしながら店長になる人もいるとのことで、産後のキャリアについても真摯に向き合ってくれていると感じています。

育休明けの自分がどんな心境か全く想像がつきませんが、少なくとも今のわたしは長くこの仕事を続けたいと思っています。

そしてこれからも中川政七商店のファンを増やし、日本の工芸を元気にしてゆきたいです。

<愛用している商品>

食洗器で洗える漆椀 大
特別なお手入れが必要ないので、初めての漆器におすすめです。サイズは4種類ありますが、「大」は具だくさんの豚汁やミニ海鮮丼をよそうのに丁度よいサイズ感で、日々の食卓を素敵に彩ってくれます。

たっつけパンツ
ここまで腰回りがゆったりで動きやすいパンツにはなかなか出会えないと思います。綿麻素材なので春・夏・秋の3シーズンはもちろん、タイツを履けば冬にも活躍します。

天然毛のヘアブラシ ブナ
猪の毛で作られており、水分と油分が髪にツヤを与えてくれます。静電気が起きにくいのもおすすめポイントで、朝起きてパサパサになった髪もこのブラシでとかすとさらさらにまとまります。もう手放せません!

【あの人が買ったメイドインニッポン】#59 建築家の中村好文さんが“最近買ったもの”

こんにちは。
中川政七商店ラヂオの時間です。

今回からゲストは、建築家の中村好文さん。初回は「最近買ったメイドインニッポン」についてのお話です。

それでは早速、聴いてみましょう。

ラヂオは6つのプラットフォームで配信しています。
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中村好文さんが最近買ったメイドインニッポン

中村好文さんが“最近買った”メイドインニッポンは、「辻和美さんのガラスの器」でした。

中村好文さんには、阪急うめだ本店9F祝祭広場にて開催する「6日間限りの家政学校」のトークイベントに、スピーカーとして登壇いただきます。
11/9(土)13時~14時を予定しています。予約不要でご参加いただけます。
イベントの詳細はこちらをご覧ください。


ゲストプロフィール

中村好文

建築家。1948年千葉県生まれ。武蔵野美術大学建築学科卒業。建築設計事務所勤務を経て、東京都立品川職業訓練校木工科で家具製作を学ぶ。81年レミングハウスを設立。87年「三谷さんの家」で第1回吉岡賞受賞。2014年~多摩美術大学環境デザイン学科客員教授。主な著書に『百戦錬磨の台所 vol.1、vol.2』(学芸出版社)、『住宅巡礼』『住宅読本』『意中の建築』(以上新潮社)、『食う寝る遊ぶの小屋暮らし』(PHP研究所)など多数。


MCプロフィール

高倉泰

中川政七商店 ディレクター。
日本各地のつくり手との商品開発・販売・プロモーションに携わる。産地支援事業 合同展示会 大日本市を担当。
古いモノや世界の民芸品が好きで、奈良町で築150年の古民家を改築し、 妻と二人の子どもと暮らす。
山形県出身。日本酒ナビゲーター認定。風呂好き。ほとけ部主催。
最近買ってよかったものは「沖縄の抱瓶」。


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番組をご視聴いただきありがとうございました。
番組のご感想やゲストに出演してほしい方、皆さまの暮らしの中のこだわりや想いなど、ご自由にご感想をお寄せください。
皆さまからのお便りをお待ちしております。

次回予告

次回も引き続き、建築家の中村好文さんにお話を聞いていきます。11/8(金)にお会いしましょう。お楽しみに。

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