子どもに芽生えた「やり抜く」気持ち。職人体験で学んだこと

暮らしのなかに溢れているさまざまな工芸品。実用性があり、なおかつ美しい、そんな職人の技に憧れる人も多いのではないでしょうか。

今回は工芸に携わる職人に弟子入りし、ものづくりの奥深さや職人の心得を学んでいきたいと思います!

挑戦してくれたのは、小学五年生のたっくんと三年生のあかりちゃん。兄妹揃って、普段からものづくりが大好きだそうです。

「がんばるぞー! おー!」やる気満々です

ものづくりのまち、河和田でいざ弟子入り!

やってきたのは、福井県鯖江市・河和田(かわだ)地区にある「PARK」。
食堂、シェアオフィス、ものづくり工房が併設された複合施設で、2017年に誕生しました。

河和田地区は越前漆器やメガネフレームの産地として全国でも有名なエリア。半径10キロ圏内にたくさんの工房が集まっている地域で、最近では県外から職人を目指して移住する人も増えています。

PARKのものづくり工房は、職人のたまごたちが自由に利用できるように、工作機器が充実。週末にはワークショップやイベントも開催しているなど、ものづくりを通して多くの人が集う空間になっています。

今回、たっくんとあかりちゃんが挑戦するのは「木のトレーづくり」。
長年木工に携わっていた永富三基(ながとみ・みつき)さんに弟子入りします。

永富さんは大阪府出身。河和田のものづくりに惹かれ、6年前に移住しました

まずは、挨拶から。今日は1日よろしくお願いします。

「頑張って素敵なトレーをつくろうね!」

トレーのつくり方は‥‥
・材料の木に下描き
・糸鋸を使って切る
・材料をはり合わせる
・乾いたらヤスリで磨く
・自由に飾りをつけて完成!

シンプルなつくり方ですが、すべての工程が木工の基礎となり、職人には欠かせない技術が隠されています。

材料は「OSB合板」という種類の木材を使います。通常の木材は木目によって加工しやすい方向とそうでない方向がありますが、OSB合板は短冊状の木片をプレスして接着剤で固めたものなので、加工しやすいのが特徴。はじめての木工にはぴったりの素材だそうです。

「わ〜すべすべしてる〜」と嬉しそうなあかりちゃん

普段から工作が大好きで、家でも端材があれば何でもつくってしまうたっくん。
「これなら簡単にできそう〜」と余裕の表情です。

しかし、今回は職人に弟子入りということで、ただつくればいいだけではありません。職人の心得も永富さんに教えていただきます。

「職人の仕事で大切なのは“丁寧に・早く”つくること。時間を意識しながらつくることにも気をつけてくださいね」

職人によっては、1日に同じ作品を何百個もつくることがあるそう。速さと正確さ、どちらも極めてこそ職人として一人前になれるんですね。

急に不安になってきたたっくん

職人の心得を教えてもらったところで、早速トレーづくりを始めていきましょう。まずは、木材にトレーの下書きを描いていきます。

線がずれないよう、二人で協力して木を支えます。

ここまではまだまだ余裕の様子

電動糸鋸を操る魔法の手

下書きが済んだ後は工房スペースへ。
ドーンと存在感のある電動糸鋸が待ち構えています。

電動糸鋸は初めて使うという二人。まずは永富さんが使い方のお手本を見せてくれました。

両手で木材を支え、切りたい方向に木を押し出すことで、線に沿って切れていきます。永富さんが手を動かすだけで、直線も曲線も、思いのままにするする〜っと木材がカットされていきます。

30センチほどの木材が1分もかからず、真っ二つになりました。
わぁ、滑らか!切り口も美しいですね。

「ちょっとした手の角度や力の入れ具合で、仕上がりは大きく変わるんですよ。直線や曲線を思った通りの滑らかさで自由自在に切れるようになるには、僕も何年もかかりました」と永富さん。

トレーの木材を切る前に、まずは直線と曲線を切る練習をします。

恐る恐る木材を動かしていくたっくん。なかなかいい手つきです。

こんな角度のある曲線にもチャレンジ。
曲線は一気に切ろうとせず、細かく向きを調整して少しずつ切り進めるのがコツだそうです。

練習を重ね、自信もついたところでいよいよ本番!トレーの形に切っていきます。練習用に比べて大きなトレーの木材に、あかりちゃんはちょっと苦戦しているよう。

真剣な様子で作業するたっくん。汗が光ります。

じっくりじっくり木を切っていくこと約20分。
ようやく切り取れました!

無事に切り出せて、ほっとひと安心

次は紙ヤスリで切り口を滑らかにしていきます。
「ここはまだザラザラする」と手触りを確認しては、納得いくまでひたすらヤスリがけをする二人。少しずつ職人らしいこだわりが出てきている様子です。

黙々とヤスリがけ。特に角の曲線が難しそう

ヤスリがけが終わったら、土台となる木材にボンドで貼り付けてしばらく乾燥します。

職人に必要なこととは?

乾くまでの間、職人として大事なことを永富さんに伺ってみました。

「私も小さい頃からものづくりが好きでしたが、職人になって一番変わった点は、“自分のつくったものが世に出て誰かに使ってもらえる”ということ。

使う誰かのことを考えるようになってから、これまで気にならなかったところにもこだわるようになりました。根気強くものづくりに向き合う、それが僕の考える職人の姿だと思いますね」

「昔は今よりもっと職人の数が多く、身近な存在だったと思うんです。ですが、今ではなかなか職人に接する機会がなく、どんな仕事かわかりにくい。

だからこそ、子どもの頃からものづくりにふれる機会を増やすことで、職人がどんなことをやっているのかを知っていただき、“ものづくりってかっこいい!”と思ってもらえるとすごく嬉しいですね」

ようやく出来上がり!

さて、ボンドも乾いたようです。
最後は全体が滑らかになるよう、もう一度丁寧にヤスリをかけ‥‥

じゃじゃーん!完成です!

途中、電動糸鋸で切り口がずれてしまい、少ししょんぼりしていたあかりちゃんでしたが、

「大丈夫、手づくりって少しゆがんでいたりするほうが、味があっていいなあ、と思いますよ」と永富さんの言葉でぱぁっと笑顔に。

曲がった線も味わい深いですね

ものづくり魂に火がついたたっくんは、トレーが完成した後も電動糸鋸の自主練に励んでいました。

自分でつくったトレーを使ってみる!

今回、トレーをつくったPARKの一階には、「公園食堂」というカフェスペースがあります。自分たちでつくったトレーを早速使ってみたい!と、最後はトレーに載せるごはんも自分たちでつくりました。

公園食堂のシェフ、小玉和沙(こたま・かずさ)さんから、イーストで発酵させる、イギリスの伝統的なパンケーキのレシピを伝授していただきます。

「公園食堂」の小玉さん

市販のパンケーキミックスを使わず、2種類の粉を混ぜ、じっくり発酵させてつくるパンケーキ。時間はかかりましたが、こちらも手を抜くことなく丁寧につくりました。

自分たちがつくったトレーにできたてのパンケーキを乗せて、いただきます!

いい笑顔!

苦労してつくったトレーなので、愛着もひとしおです。

普段何気なく使っている道具のなかにも、いろんな職人の技が隠されているかも‥‥と思うと、ますますものづくりに興味が湧いた二人なのでした。


文・石原藍
写真・白石雄太、石原藍

唐津焼を知るならまずここへ。目利きが選んだうつわが買える店

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられる、「さんち必訪の店」。

“必訪 (ひっぽう)” はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

“三右衛門”から若手作家までさまざまな作品が揃う

JR唐津駅から徒歩3分。呉服町商店街のなかにある「一番館」は、陶器や磁器を扱う専門店。

肥前の陶芸家 “三右衛門” と呼ばれる唐津の中里太郎右衛門、有田の酒井田柿右衛門、今泉今右衛門の作品をはじめ、人気作家、若手作家などさまざまな作品が揃っています。

今回お話をうかがったのは一番館の店主、坂本直樹さん。焼き物店を経営しながらも、バルのオーナーや地域イベントの仕掛け人などさまざまな顔を持っています。

店主の坂本直樹さん

坂本さんのご実家はもともと唐津で布団屋さんを商っていましたが、ご両親の焼き物好きが高じて、1976年に「一番館」をオープンしました。

同じく焼き物が好きだった坂本さんは、大学卒業後、ギャラリーを運営する夢を叶えるため、インテリアショップに入社。10年間経験を積んだ後独立し、福岡で陶芸家・中里隆の作品をメインとしたショップをオープンしました。

しかし唐津と福岡を行き来するなかで、地元唐津の人たちからのラブコールを受け、次第に唐津に軸足を置くようになります。

使ううちになじんでいくのが唐津焼の良さ

福岡から完全に拠点を移し、「一番館」は現在、唐津の本店と東京店の2店舗。本店の1階は唐津焼を中心に陶芸作品や彫刻、絵画などさまざまな作品を販売し、2階のギャラリーでは企画展やイベントなどを開催しています。

「隆太窯」で有名な陶芸家・中里隆、太亀、花子、親子三人の作品を中心に、若手作家の作品も展示

店内の作品はぐい呑ひとつから坂本さんが窯元に赴き、選び抜いたものばかり。坂本さんが納得した作品しか置いていません。

唐津焼は骨董の世界では有名で、例えば400年前の作品は1000万円以上することも。しかし、一部のマニアの人だけではなく、もっと幅広い人たちに興味持ってもらいたいと坂本さんは言います。

「唐津焼の定義は一言で表すのが難しいのですが、使っていくうちに変化し、その人になじんでいく良さがあります。

時代が変わり、食文化やライフスタイルそのものが変化するなかで、唐津焼の持つ素材感をどう活かせるか。今の食卓にも合うような唐津焼も考えていきたいですね」

長年、陶芸家が生み出した作品と真剣に向き合い続けてきた坂本さん。その信頼関係があるからこそ、お客さんが求めているものを作り手にオーダーメイドできるのも大きな強みです。

お客さんの声を作り手にフィードバックするのも坂本さんの役割の一つ

九州の唐津から世界の唐津へ

唐津の「唐」は中国の唐の時代の名残から「大陸」を意味し、「津」は「港」を意味する言葉。つまり、唐津には“大陸にいくための開かれた港”という意味があるそう。

福岡空港から地下鉄で乗り換えなく行けるアクセスの良い観光地であるため、近年は海外からの観光客も増えています。

アジアの玄関口としての機能を生かし、九州各地の陶芸家ネットワークを広げ、唐津焼のルーツでもある韓国の陶芸家との交流もすすめている坂本さん。

今後は上海や台湾、香港などへも唐津焼を広めていきたいと考えているそうです。

「唐津のまちは派手さはないけど、なんとなくまた訪れたくなる、そんな場所。その方が長続きしていいんじゃないかな、と思います。

アクセスが良くて景色も良い上に、『唐津くんち』という伝統的なお祭りもある。唐津が誇る文化の一つとして、唐津焼も世界に発信できればと思っています」

唐津焼を通してまちと人をつなげる

坂本さんの活動は一番館の店主だけにとどまりません。その一つが、一番館のある中央商店街の空き店舗に2017年7月にオープンした「唐津ちょこバル」。

唐津焼の酒器とともに唐津の食や地酒を味わうことができるお店で、カウンターには週替わりで地元の陶芸家が立ち、作り手との交流も楽しむことができます。

陶芸家は若手からベテランまでさまざま。ときには “三右衛門”のひとり、十四代中里太郎右衛門先生がお客さんをもてなしたこともあったのだとか。

また唐津に約70ある窯元を訪ねる「唐津窯元ツーリズム」の実行委員長も兼任し、唐津焼を通して、唐津のまちそのものを楽しんでもらう仕掛けを考えています。

「私の親の時代は、狭い唐津のなかでパイの取り合いをしているような商売のスタイルだったので、わざわざよその窯元を紹介するなんてお客さんを減らすようなもんだ、という反応をされたこともありました。

しかし、私は求められれば窯元も紹介するし、作家やお店も紹介します。唐津全体が盛り上がり、唐津にくる方が増えることで、長い目で見れば一番館に来るお客さんも増えるわけですから」

使えば使うほどしっくりくる唐津焼のように、知れば知るほど訪れたくなる唐津のまち。話をうかがっていると、このまちははじめて訪れた時よりも、二度目、三度目の方がより楽しめるのかもしれません。

坂本さんはこれからも唐津焼を通して、一言では伝えきれない唐津の魅力を発信し続けます。

一番館
佐賀県唐津市呉服町1807
0955-73-0007
http://www.1bankan.com

文:石原藍
写真:菅井俊之

こちらは、2018年3月28日の記事を再編集して公開しました

「絶対にやらない」と決めていた仕事は天職だった。三代目西村松逸が歩む、加賀蒔絵の世界。

この器、白い部分はなんと卵の殻でできています。

こちらの一見シンプルな棗 (なつめ) は、厚みがわずか0.3ミリ以下。手に持つと木地の向こうが透けて見えそうな薄さです。

木地は樹齢300〜400年を超えるヒノキのなかでも、年輪が最も細かい部分のみを選んでつくるそう

あっと息をのむような作品を手がけるのは、工芸大国、金沢で3代続く蒔絵師、西村松逸(しょういつ)さん。

西村松逸さん

金沢漆器を美しく彩る「加賀蒔絵」の名手はしかし、祖父の代から続く漆芸の仕事を「絶対に継がない」と、ある時期まで心に決めていたそうです。

今回は、一度は家業である伝統工芸の世界に背を向けた青年が、現代の名工になるまでのお話。作品づくりの現場にもお邪魔しました。

この仕事だけは継がないと決めていた幼少期

金沢といえば、言わずとしれた伝統工芸大国。

そのなかの一つ、金沢漆器は、その端正な佇まいと優美な「加賀蒔絵」の彩りが、時代を超えて多くの人々を魅了しています。

金沢の知られざる漆器文化のお話はこちら:「金沢は、漆器なしで語れない。『まちのみんなが目利き』のご当地文化」

加賀蒔絵の繊細な技術が金沢漆器の美しさを引き立てます

蒔絵とは、漆で文様を描き、その上に金や銀の粉を蒔いて固め、研ぎ磨いたもの。漆工芸の技法の一つで、今から約1300年前に誕生し、全国に広がっていきました。なかでも加賀蒔絵は約400年前に加賀藩主の前田利常が京都から職人を招いたことから、蒔絵の一大産地として発展。

蒔絵のなかでも加賀蒔絵は特に豪華絢爛で美しいと言われています (写真提供:金沢市)

西村さんは、祖父、父ともに金沢で漆芸に携わる家に生まれ、幼い頃からその背中を見続けてきました。二人の生み出すもの、働く姿を子供ながらに誇らしく思いながらしかし、この仕事だけは絶対に継がないと決めていたそうです。

「こんな大変な仕事はないと思ってました。私は子どもの時に父や祖父と遊んだ記憶がないんです。お休みは年に元日とお盆の数日だけ。もちろん家族で旅行したこともなく、せいぜい木地を調達するときに一緒についていくくらいのものでした」

漆器に施される豪華絢爛な蒔絵は、複数の工程を経て仕上げていくため、気が遠くなるほどの時間と手間がかかります。その大変さは、幼い頃の思い出とともに西村さんの心に深く刻まれていました。

漆器の世界を離れて、気づいたこと

漆器の世界とは早々に縁を切ろうと、西村さんが目指したのは建築家。高専を卒業後、建築会社に入社しました。しかし、周りには喜んでくれる人が誰もいなかったそうです。

それどころか、西村さんが建築の道に進んだことで、家全体に暗い雰囲気が漂うように。働くうち、西村さんの考えは少しずつ変わっていきました。

「建築に携わる人は世の中に山ほどいるが、自分のように漆の仕事を継承できる人は、限られているのかもしれない」

そんな気づきから、ついには家業に戻る決心を固め、建築会社を退社。

家族は特別喜ぶことはなかったそうですが、「どこかほっとしたような雰囲気だった」と当時を思い返します。

「感じが違う」と言われる日々がはじまる

その後、西村さんは人間国宝の大場松魚(おおば・しょうぎょ)氏に弟子入り。師のもとで3年半を過ごし、蒔絵だけでなく塗りの技術も身につけました。

今でこそ、多彩な技を駆使し作品づくりに生かしている西村さんですが、技術の習得には長い時間を費やしたと言います。

「父は、祖父から何ひとつ『教えてもらう』ことはなかった、と語っていました。

早朝から一日かけて漆を塗り、頑張ってつくったものを祖父に見せても、祖父は特に何も言わず、黙って漆を拭き取ってしまう。それが何日も続き、さすがに何がだめなのかを聞いてみたところ、『感じが違う』と一言だけ言われた、と」

なんとも抽象的なアドバイスですが、求めている感覚をつかむには、自分で考え試行錯誤するのが一番の近道。これまで西村さん自身も、先代、先先代から技術的なことも含め、何も教えられたことはないそうです。

「漆器でもなんでもそうですが、ものを選ぶときは技術云々よりも、『なんとなくその感じががいい、好き』と思って選ぶ方がほとんどではないでしょうか。その感覚は人によって違う。だからこそ、これまでもこれからも体で覚えていくしかないのだと思います」

左は先先代、右手前は先代の作品。わずかな表現の違いに、蒔絵師の「個」が現れる
左は先先代、右手前は先代の作品。わずかな表現の違いに、蒔絵師の「個」が現れる

「松逸」の名を継いだ日

その後、公募展には出品しなかった祖父や父と異なり、師である大場松魚氏が参加する日本伝統工芸展などに出品。数々の賞に輝きます。

先代の父、そして母が他界してしばらく後、祖父の代から続く「松逸」を襲名。現在は、他界された大場氏の後任として、地域の漆芸関係者を束ねる金沢漆芸会の会長も務めています。

「漆の世界に入って10年くらい経った頃、私が跡を継いだことを祖父が大変喜んでいたというのを知人から聞きました。祖父は普段、そういうことを表に出すような人ではなかったので、私も嬉しかったですね」

実はこれまで一度も「跡を継いでほしい」と言われたことはなかったという西村さん。

「漆芸は手間暇がかかる大変な仕事。たとえ跡を継いでほしいと心の中で思っていても、簡単に『継ぎなさい』とは言い出せなかったのだと思います。自分もこの歳になって、祖父や父の気持ちが一層わかるようになりましたね」

そして今では、かつては嫌っていた「気が遠くなるほどの時間と手間」を誰よりも惜しまない作品づくりで、金沢を代表する加賀蒔絵師に。

その美しい作品を、西村さんの仕事場で見せていただきました。

卵の殻をモザイクに。器の厚みを紙より薄く

自宅の一室にある、西村さんの仕事場

最初に出していただいたのは、西村さんが約30年前につくった作品。「卵殻」という技術が使われており、白い部分はすべてうずらの卵の殻をモザイク状に貼り付けています。

「健康なうずらの卵を選別し、殻の薄皮をはがすところから始めます。殻は外側の方が丈夫で硬いので、外側と内側で見分けがつくように、殻の片面だけ色をつけていきます」

下準備の工程を聞くだけでも、何日かかるのやら……想像がつきません。

次に西村さんが見せてくださったのは棗(なつめ。茶事で抹茶を入れる道具)。

「一見簡単なつくりに見えるかもしれませんが、こちらは通常の作品よりずっと難しく、さまざまな工夫を凝らしています」

感動したのは、その蓋がよどみなく閉まっていく姿です。

蓋を乗せるだけで、すぅっと吸い付くように閉まりました。動画でお見せできないのが残念です。

「見えないところや軽く見えているところにこそ、手数をかけて苦労を重ねる。そんな部分を大切にしたいし、これからの漆器づくりにも欠かさずに取り入れたいですね」

さらに、竹取物語の羽衣をイメージして作ったという棗も見せていただきました。

木地は樹齢300〜400年を超えるヒノキのなかでも、年輪が最も細かい部分のみを選んでつくるそう
木地は樹齢300〜400年を超えるヒノキのなかでも、年輪が最も細かい部分のみを選んでつくるそう

この棗の大きな特徴は、紙のような薄さ。なんと、その薄さは漆を塗った状態で0.3ミリ。つまり木地の状態だとさらに薄くなります。

「この木地はろくろで挽くのですが、専門の職人からも『こんな薄いものは挽いたことがない』と言われます。薄くすればするほど変形しやすくなるため、時間をかけてゆっくりと挽いていくので、一つの木地ができあがるのに軽く2〜3年はかかってしまうんです」

木地だけで2〜3年。さらにそこから木地にじっくりと漆を吸い込ませ、蓋がぴたっと閉まるように砥石を使ってひたすら研いで厚みを調整していきます。

薄さだけでなく、重さもわずか20gあまり。見た目からは想像もつかないほどの繊細な作品です。

蒔絵が誕生したのは平安時代。その技術は約1300年前の創世記から、もはや省くところがないほど完成されているといいます。

しかし、そんななかでも「削ぎ落とせるものや加えていけるものはまだまだあるはず」と語る西村さん。

「一作一作、何かひとつ新しい技法を入れることにしています」

西村さんはこれからも見た人の情感を揺さぶる作品に挑み続けます。代々つないできた言葉にできない感覚を、蒔絵に込めて。


文・写真 石原藍

金沢は、漆器なしで語れない。「まちのみんなが目利き」のご当地文化

「金沢はまちの人みんなが目利きなんですよ」

そう語るのは、西村松逸(にしむら・しょういつ)さん。数々の受賞経験をお持ちの、金沢で3代続く蒔絵師です。

石川県金沢市でさまざまな作品を手がけ、地域の漆芸関係者を束ねる金沢漆芸会の会長もつとめます
石川県金沢市でさまざまな作品を手がけ、地域の漆芸関係者を束ねる金沢漆芸会の会長もつとめます

豪華絢爛かつ繊細な「加賀蒔絵」。

蒔絵を施した漆器というと高級品のイメージがあるかもしれませんが、金沢では昔から暮らしのさまざまなシーンで漆器を使う文化が根付いてきました。そしてその文化が、“目利きの力”を養うのに一役買っていたそうです。

今回は西村さんに話をうかがいながら、金沢の知られざる漆器文化をご紹介します。

前田家が生んだ金沢の美「加賀蒔絵」

まずは簡単に加賀蒔絵についておさらいを。

江戸時代、加賀藩主の前田利常が京都から名だたる蒔絵師を呼び、技術振興に力を入れたことによって、技術が確立していった加賀蒔絵。

もともとはお殿様が集めた文書などを収納する箱に蒔絵の箱を用いたのがはじまりでした。そこから数々の調度品に蒔絵が施されるようになったそうです。

日本各地の漆工芸のなかでも群を抜いていると言われている、豪華絢爛で繊細な加賀蒔絵

「例えば弓矢の羽のコレクションをいれるための箪笥や刀の小柄 (こづか) をしまうための箱など、お殿様や大名といった特権階級の人だけが使うものに施される装飾だったんです」と西村さん。

これが近世になると、加賀蒔絵は茶道具をはじめ、庶民の道具にも取り入れられるようになっていきました。

嫁入り道具に欠かせない加賀蒔絵のお重と「セイロ」

「金沢では各家庭にお重やお盆があり、それぞれに蒔絵が施されています。特に女の子が結婚すると、昔から嫁入り道具としてお重を持っていく文化があり、家紋がついたものから豪華な蒔絵が入ったものまで、その家によってさまざまなものがつくられていました」

嫁入り道具として各家庭で作られたお重(清瀬一光作/写真提供:株式会社能作)

また、昔は結婚する時に「五色饅頭」という和菓子をお重に入れ、親戚や近所に配るのが金沢の風習だったそう。

「日・月・山・海・里」の天地の恵みを表した五色饅頭は、婚礼に欠かせない祝い菓子のひとつ(写真提供:金沢市)

「当日、饅頭が届くとそのお重に入れて近所や親戚などに配ります。もちろんお重はその都度返してもらうのですが、五色饅頭を受け取った家ではお重の美しさも観賞するため、『女の子が生まれたら、ちゃんとしたお重を作らないと!』と親御さんは気合が入ったものです(笑)

他にも、結婚式が近づくと、漆塗りの『セイロ』と呼ばれる箱が家の前に積まれます。五色饅頭を作る菓子屋の屋号が入った大きな箱で、『もうすぐ婚礼がありますよ』と近隣の人に知らせる合図のようなものなんですね」

このように、家の中やまちなかでも漆器に触れる機会が多く、金沢の人たちは見ることも見られることにも慣れているのだか。

「加賀百万石というと豪華絢爛なイメージがあるかもしれませんが、そこで生まれた文化はまちの日常の中に、さりげなく息づいています。

普段から見たり見られたりするなかで、蒔絵一つとってもそのさじ加減を見極めることができるようになる。まちの人たちが目利きとなり、つくり手もそれに見合うようなものを作ってきた、これが金沢の工芸を支えてきた一番大きな力だと思います」

漆器でピクニック!?使うことで活きる漆器の良さ

次に西村さんに見せていただいたのは、なんと、漆器のピクニックボックス。4段のお重に取り皿、さらに徳利や盃も入るようになっている、大変珍しいものです。

今から約400年前につくられたという漆器のピクニックボックス

「これは安土桃山時代から江戸時代の初期につくられたものです。外に持ち出すことが前提なので蒔絵も簡素ですが、使う人のことを考えたつくりになっていて、とても気に入っています」

よく見ると、取っ手が当たる部分に突起があり、漆器が痛まないような工夫がされています

なんと、このピクニックボックスを使って、実際に外でお茶会と酒宴を開いた西村さん。その時同席した方に「器が喜んでいる!」と言われたのが、とても印象的だったと言います。

一般社団法人 ザ・クリエイション・オブ・ジャパンが昨年開催した「工芸ピクニック」での一コマ。食材を入れることで漆器も映えます
一般社団法人 ザ・クリエイション・オブ・ジャパンが昨年開催した「工芸ピクニック」での一コマ。食材を入れることで漆器も映えます

「漆器はやはり使い続けることで、その美しさも価値も、高まるのだと実感しました。江戸時代初期の頃までは、蒔絵はこのピクニックボックスのような豊かで大らかな作品が多かったのですが、技術が確立していくことで、次第に見た目重視なものが多くなっていきました。

漆器は手袋をして扱うようなイメージもありますが、本来、漆のお重や箱は使うためにつくられたもののはず。なんだか本末転倒ですよね。

工芸が生活や暮らしから離れて『観賞するもの』になりつつあるのが、一番の課題だと感じています」

お酒を美味しくする?「金沢盃」で漆器をもっと日常に

漆器をさまざまなシーンで楽しんでもらうため、西村さんは新しい取り組みも始めています。近年では金沢で漆工芸に携わる作家さんたちと「金沢盃(かなざわさかずき)」という酒器をつくりました。

「金沢盃」(西村松逸作/写真提供:金沢漆芸会)

「素地は木なので外側の熱が伝わりにくく、冷酒は冷たいまま、熱燗は温かいまま楽しめます。表面は漆なので口当たりが優しくなり、驚くほどお酒もまろやかになります。同じお酒でも全く味わいが変わるんですよ。

また、お酒を注ぐと内側の金がキラキラと揺れたりして、盃の表情の変化も楽しめます。今まで漆器に馴染みがなかった方もぜひ試していただきたいです」

同じ型でも可飾する人が違うと雰囲気がガラッと変わります。より多くの人に触れてもらうため、無償貸し出しも行いました(現在は終了)(写真提供:金沢漆芸会)
同じ型でも可飾する人が違うと雰囲気がガラッと変わります。より多くの人に触れてもらうため、無償貸し出しも行いました(現在は終了)(写真提供:金沢漆芸会)

使い続けることで、使う人の目が養われ、ものづくりの技術も発展していく。工芸大国・金沢は、こうして受け継がれてきたようです。

しかし、今でこそ金沢漆芸の旗手である西村さんですが、ある時期までは「この仕事は絶対に継がない」と心に決めていたそうです。

一体、現代を代表する名工に何があったのか。

次回、西村さんの半生を伺いながら、伝統を継ぐことの「リアル」を追いたいと思います。息をのむような美しい作品にもご注目ください。

文:石原藍
写真:石原藍、金沢市、金沢漆芸会、株式会社能作

「徳利」の起源がわかる? 九谷焼の“香りまで美味しくなる”徳利

枡、盃、グラス、片口、お猪口……さまざまな酒器で楽しめるのが、日本酒の良さの一つ。なかでも「徳利(とっくり)」を片手にお酒を酌み交わすのが好きな方も多いのではないでしょうか。

酒を注ぐときに聞こえる「トクトク」という音。徳利はこの音から名前がついたとも言われています。注ぎ口から胴の部分にかけてきゅっと締まったくびれがあることにより、注ぐと空気が入り、絶妙な音を生み出すのです。

江戸時代までは水や醤油などの液体を貯蔵する日常使いの雑器であった徳利。昔は実用性・機能性が求められるものが多かったものの、現在ではさまざまなデザインの徳利が生まれています。

今回はそのなかでも創業140年目を迎える石川県能美市にある九谷焼の老舗、「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」の徳利をご紹介したいと思います。

石川県能美市にある九谷焼の老舗、「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」の徳利

九谷焼の新しい可能性に挑戦した徳利

上出長右衛門窯の徳利といえば、特徴的なこの形。日本酒の香りが広がるよう注ぎ口はラッパのような形をしており、胴の部分はきゅっとくびれたひょうたん型をしています。ひょうたんは下が広がる末広型であることから、「運が開ける」「子孫万代(繁栄)」の意味もあり、縁起が良いと言われているのです。音と日本酒の広がる香りを感じられるように、このラッパ型のデザインになったそうです。

石川県能美市にある九谷焼の老舗、「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」の徳利

この徳利は独特な形だけではなく、その模様も個性的。これまでの九谷焼にはなかった柄を取り入れたことで、九谷焼に馴染みのなかった若い世代にも人気が広がりました。しかも、繊細な柄はすべて職人が筆で描いたもの。白く澄んだ素地に濃淡のある手描きの模様は、一つひとつ微妙に異なるため愛着もひとしおです。

石川県能美市にある九谷焼の老舗、「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」の徳利

デザインを手がけたのは、スペインのデザイナー ハイメ・アジョン。バカラやスワロフスキー、リヤドロとのコラボレーションなど、世界から注目を集めている若手クリエイターと九谷焼とのコラボレーションは、大きな話題となりました。

石川県能美市にある九谷焼の老舗、「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」の徳利

上出長右衛門窯が長年培ってきた技術を活かし、九谷焼の新しい可能性に挑戦した徳利。ほのかに広がる日本酒の香りを楽しみながら、注ぐたびに聞こえる「トクトク」という音に耳を澄ましてみてください。

石川県能美市にある九谷焼の老舗、「上出長右衛門窯(かみでちょうえもんがま)」の徳利

< 商品協力 >
上出長右衛門窯
石川県能美市吉光町ホ65
0761-57-3344
URL: http://www.choemon.com

文:石原藍

すべすべの手触りは母の手で。「山のくじら舎」おもちゃ作りの現場へ

知人のお子さんへの贈りもので作った木のおもちゃが口コミで人気となり、創業10年で皇室ご愛用の栄誉にもあずかったメーカーが高知にあります。

大ヒットになったお風呂用木製玩具「おふろでちゃぷちゃぷ」
大ヒットになったお風呂用木製玩具「おふろでちゃぷちゃぷ」

名前を「山のくじら舎」。

看板

前編では、代表の萩野和徳さんにお話を伺い、高知への移住から大ヒット玩具が誕生するまでのストーリーをご紹介しました。

後編では、実際に商品が生まれる現場を訪ねて、愛されるものづくりの秘密に迫ります。

山と海の間。木の香りが満ちる工房で

工房があるのは高知県安芸 (あき) 市。森林率84%を誇る高知県の東部、ちょうど山と海の間にある小さな町です。

築150年の古民家を改築して建てた工房
築150年の古民家を改築して建てた工房

朝8時半。木の香りに満ちた工房で朝礼がはじまります。

そこに、代表である萩野さんの姿はありません。スタッフ全員で今日の作業の流れを確認し、段取りを調整します。

見渡すと、スタッフのほとんどが女性。男性の姿は一人しか見当たりません。

スタッフの半数以上が子育て中のお母さん

現在、「山のくじら舎」のスタッフは20名。その多くが地元のお母さんです。創業当時は萩野さんと奥さんの陽子さんとの二人だけでしたが、県外から注目され依頼される数が増えてきたことで、一人、また一人とスタッフの数が増えてきました。

「スタッフは自由に休みが取れますし、時短勤務もOKです。子育て中だからといって能力のある方が働けないのはもったいない。

時間の制約を設けず、自由度が高い職場環境をつくったことによって、優秀な方が集まってきていると思います。地域にはそうした人が埋もれているんじゃないかな」と語る萩野さん。

しかし、スタッフがいつ休んでも良いようにすると、急な休みが重なったときに支障はでないのでしょうか。

「うちではおもちゃづくりにかかわるどの作業もみんなができるようにしています。急なお休みでスタッフの数が少なくなってしまったときも、すぐにサポートできる体制にしているので、大きな混乱はありませんね」

スタッフの突然の休みでも、補い合える仕組みができています

さらに商品づくりにもお母さんスタッフの意見が取り入れられるため、いいことずくしなのだそうです。

せっかくなので、スタッフの方に入社のきっかけや普段のお仕事のことを伺いながら、山のくじら舎のものづくりを覗いてみます。

使い手が何よりの作り手に

例えば、人気商品の一つ「ハイヨーもくば」のネーミングを考えたのは入社2年目の上松さん。6歳と2歳のお母さんでもあります。入社したきっかけはSNSの募集だったとか。

上松さんが名付けた「ハイヨーもくば」。世代を超えて愛用される商品として人気です

お母さんのサポート体制が整っていることに惹かれ、下のお子さんが0歳の時に入社。子ども優先の働き方をしたいと思っていた上松さんにとって山のくじら舎は、ぴったりの環境だったそうです。

「2歳の子が体調を崩しがちで、今は先輩方に本当に助けてもらっています。周りには休みを取りづらくて辛い思いをしている友人もいるので。

子どもが元気な時は『おふろでちゃぷちゃぷ』でよく遊んでいます。木のおもちゃだと、子どもたちがお風呂に入れたがるんですね。

私も一緒に入るんですが、木の良い香りがお風呂に広がって檜風呂に入っているみたいになるところが気に入っています」

起業のきっかけとなった人気のお風呂用木製玩具「おふろでちゃぷちゃぷ」

安心で心地よい手触りを求めて

山のくじら舎のメイン木材は、高知県産の「土佐ヒノキ」。香りが高く美しい木をカットし、1年間乾燥させて使います。

ゆっくりと自然の力で水分を蒸発させることで、反りや曲がりといった変形を予防します

こうした木材の運搬などの力仕事や作業現場の管理を任されているのが、「山のくじら舎」で唯一の男性スタッフ、見神さん。

萩野さんに声をかけられたのをきっかけに入社し、現在は工場長として活躍しています。

京都で家具職人をしていた見神さん。萩野さんも絶大な信頼を寄せています

「スタッフのみなさんは、子育てと両立している方が多いので、できるだけ負担のないように働いてもらいたいと思っています。

無理なく、それでいていかに確かなクオリティの商品をつくるかが、難しい部分でもありやりがいのあるところですね」

明るい工房内。しっかり導線が確保され、きれいに整理整頓されている
明るい工房内。しっかり導線が確保され、きれいに整理整頓されている

「家具もおもちゃも木工なので同じように思われるかもしれませんが、おもちゃは手で触って遊ぶもの。お子さんは思ってもみない使い方をしますし、家具以上にその手触りに神経を遣いながら作っています」

萩野さんも、「木のおもちゃは手に近いもの」と語ります。

さわったときの心地よさは人の手でしか生み出せない。そのため山のくじら舎では、お母さん目線で納得するまでとことん手触りを追求します。

絵付けされた木材。この線に沿って次の工程のスタッフが丁寧に糸のこで切り抜いています
絵付けされた木材。この線に沿って次の工程のスタッフが丁寧に糸のこで切り抜いています
カットの工程
大きな機械も手早く操作していきます
大きな機械も手早く操作していきます

切りっぱなしの木は角が残り、遊ぶと怪我をしてしまうので、ここからヤスリで丸みを出していきます。

細かな部分は手作業でヤスリがけ。地道な作業です

作業途中の方にお話を伺うと、いつも「仕上がりがふっくらなるように」を心がけているとのこと。ふっくら具合は、切り出したばかりのものと削った後を比べると、一目瞭然でした!

切り出したばかりのものは、シャープな印象。角のエッジが立っています
表面から細部にいたるまで丁寧に削っていくと……
この通り。やわらかい風合いになり、まったく印象が変わります

こうして親心たっぷりに、どこにも角がない、やさしい表情の木のおもちゃが作られていきます。

手触りを手で確かめているところ
手触りを手で確かめているところ

高知家の母、娘が集う工房

愛情たっぷりに作られたおもちゃは、また新しい仲間を引き寄せます。

現在事務スタッフとして働く湊さんも、上松さんと同じくSNSの求人募集を見て応募してきた一人。商品のかわいさに一目惚れしたそうです。

湊さん

「普段は電話でお客様の問い合わせ対応をしています。木は温度や湿度でも表情が変わりますし、経年変化もあるので、親御さんも扱い方に関心を持たれるんですね。

『舐めても平気ですか』とか『使う前に煮沸しても大丈夫?』とか。相談にのるような気持ちでお答えしています。

担当しているのは事務ですが、木は同じデザインでも切る場所が違えば木目の出方も変わる。そんな表情の違いが好きです」

一点一点、同じものが二つとないのは、木製品の良さのひとつ
一点一点、同じものが二つとないのは、木製品の良さのひとつ

2018年の春からは、はじめて新卒の社員も仲間に加わります。なんでも「山のくじら舎」の家族的な雰囲気にひかれ、入社を決めたのだとか。

新卒で入社予定の山本。取材時はアルバイトとして一つひとつの作業を覚えている最中でした。これからが楽しみですね

自分と家族が十分な暮らしができる程度になればと始めた「山のくじら舎」。しかし、地域の女性たちが働きたいと萩野さんのもとを訪れるようになり、現在ではさらなる事業拡大に向けて、どんどん会社のビジョンが広がっています。

今後の夢を力強く語る萩野和徳さん

「目下の目標は、安芸市を木製玩具の産地にすること。木工をしたいと思う人がこの町を目指すようになれば、こんなに嬉しいことはないですよね」

高知の木の良さを伝え、子どもたちの健やか成長を願う商品を広めていきたい。そんな思いを胸に、今日も山のくじら舎は山と海の間で、高知らしい木のおもちゃをつくり続けています。

<取材協力>
山のくじら舎
0887-34-4500
http://yamanokujira.jp/

文:石原藍
写真:尾島可奈子