蚊取り線香の器は、なぜ「豚」なのか

夏の大敵、蚊。30度を超えると動きが鈍くなるという研究データが、今年は話題になりましたね。彼らは気温25~30度のときが一番活発なのだとか。まだしばらくの間、虫除けアイテムは必要なようです。

今年も色々なシーンで蚊取り線香にお世話になりましたが、今日はそのお供。陶器でできたこの器のお話です。

蚊遣り豚
ユーモラスで愛らしい豚の姿をした蚊取り線香を焚くための器、「蚊遣り豚 (かやりぶた) 」。「蚊取り豚」とも呼ばれます

それにしても、なぜ豚の姿をしているか知っていますか?

蚊遣り豚

気になって調べてみると、どうやら2つの説があるようです。

煙穴の大きさを工夫したら‥‥

一つ目は、愛知県の常滑焼 (とこなめやき) の職人に伝わる話。

昔、養豚業者が豚に蚊が止まるのに困って、土管の中に蚊取り線香をいれて使っていたそう。常滑市は、明治から昭和時代にかけて土管の生産量で日本一を誇った地域。身近なものを活用したのです。

しかし、土管は口が広すぎて煙が散ってしまうので、口をすぼめてみたら、なんだか豚の姿に似てきた。そこで地域の焼き物である常滑焼で作り、お土産として販売したところ、昭和20年代から30年代にかけて爆発的に人気が出て、全国に広まったという説。

蚊遣り豚
豚の鼻にあたる穴は、煙の出方を調整した結果?

徳利を横にしてみたら‥‥

もう一つの説は、江戸時代に遡ります。新宿区内藤町の江戸時代後期の遺跡から、蚊遣り豚らしきものが発掘されています。現在のものより長細く、イノシシのような形です。

出土した「蚊遣り豚」 (新宿区立新宿歴史博物館所蔵)
出土した「蚊遣り豚」 (新宿区立新宿歴史博物館所蔵)

当時は、枯葉やおがくずなどを燻した煙で蚊を追い払っていたので、入れ物は大きめの徳利のようなものを使っていたと考えられます。徳利を横にして「豚に似ている」と思いついたのではないかというのが研究者の論です。

この蚊遣り豚は、今戸焼 (いまどやき) という東京の焼き物でできていました。浅草の土産物として売られる土人形と同じ素材のため、蚊遣り豚も土人形と同じように焼かれて、土産物として全国に広まったのでは?とも考えられています。

全国区となった蚊遣り豚。現代では、耐熱性が高く壊れにくいと定評のある萬古焼 (ばんこやき) で多く作られています。

国内では三重県四日市市と三重郡菰野町 (こものちょう) で製造しており、毎年全国に十数万個が出荷。電機製の虫除けや殺虫剤が多数開発される中、まだまだ現役の道具として使われていることがうかがえます。

長きにわたって続く、人間と蚊の攻防。蚊取り線香の煙をくゆらせる夏の景色は、これからも続いていきそうですね。

<関連商品>
萬古焼の小さな豚かやり

<参考文献>

「蚊遣り豚の謎 近代日本殺虫史考」 (2001年 町田忍 新潮社)

「世界のロングセラー PART4 職人たちの技」 (1998年 小学館)

新宿区立新宿歴史博物館 所蔵品資料
「アース害虫駆除なんでも事典」

文:小俣荘子

リピートしたい非常食。多彩な食べ方ができる「カンパン」のすすめ

日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。

数多ある記念日のなかで、こちらでは「もの」につながる記念日をご紹介していきたいと思います。

さて、きょうは何の日?

9月1日、「防災の日」です

台風、高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、それらの災害に対処する心構えを準備するためとして、1960年に内閣の閣議了解により制定されました。

9月1日は、1923年に発生し多数の犠牲者を出した「関東大震災」のあった日。また、この時期は台風が多く、注意を促すために江戸時代の人が暦に載せた「二百十日」に当たることも制定理由となっています。

いつ何時降りかかるかわからない災害。「防災の日」は、全国各地で防災訓練が行われ、防災意識を高め、防災知識を普及・啓発するためのイベントが多く開催されます。私たち個人個人でも、手持ちの防災グッズのチェックや安全対策、家族と防災会議をしておくなど、備えを改めて確認しておきたいですね。

防災グッズ

もしものための備蓄品。三立製菓の「カンパン」

いざという時の備えで必要不可欠なものが食料。お水は1人1日3リットル、食料品は3日分が家庭での用意の最低限といいます。食料品については、保存性に加えて、非常時に調理しないで食べられるもの、道具がなくても食べられることが重要です。

長期保管ができて、道具要らずで食べられる、非常時グッズの代表格「カンパン」を80年作り続けている、三立製菓 (さんりつせいか) 株式会社さんを訪ねました。

賞味期限5年の缶入り「カンパン」。缶切りいらずで開けられる缶の中には、氷砂糖も同封されている。氷砂糖を一緒に食べることで唾液を出しやすくして、食べやすさを高める働きもあるそう
現在販売されている賞味期限5年の缶入り「カンパン」。缶切りいらずで開けられる。中には、氷砂糖も同封。氷砂糖は、糖分補給だけでなく、唾液の分泌を促して、食べやすさを高める働きもあるそう

80年間ほぼ変わらない配合のまま、保存性と美味しさを追求する

開発当時の金型。現在も同じ形で作り続けられています
こちらのカンパンは、なんと1944年製造のもの。数十年経って形そのままの状態で発見されたのだそう (まだ食べられそう!)

明治期の初期のカンパンはドイツの製法を模範としていましたが、現在の小型カンパンは1930年 (昭和5年) 頃より研究開発されて生まれました。

旧陸軍が研究開発した当時は、7年半の保存を目標としたため、糖、脂肪を除く必要がありました。現在も、保存性を高めるために糖、脂肪を最低限の分量にしつつ、発酵のさせ方を工夫し、十数時間じっくりと発酵させ、ゆっくり焼き上げることでで美味しさを追求しているのだとか。

(左) 発売当初の缶、 (右) 現在の缶。発売当時からデザインも大きく変わっていない
(左) 発売当初の缶、 (右) 現在の缶。発売当時からデザインも大きく変わっていない

どんな食べ方がおすすめ?非常食を普段から食べる意味

「ぜひ食べてみてください」とすすめていただき、いただくと、想像していたよりもだいぶ美味しい。素朴な味わいながら、パンのような風味と香ばしさ、軽い食感で後を引きます。食べやすく腹持ちもよいカンパン。非常食としてだけでなく、日常的なおやつとして袋入り (保存期限1年) も売れ続けているのにもうなづけます。

※缶入りも袋入りも、カンパン自体は同じ商品ですが、包装形態によって賞味期限が異なります。缶入りは密閉性に加え、遮光性も高いため、より長い期間保管できるようになっています。

発売当時の袋入りカンパン (右。左は2017年現在のもの) 。パッケージデザインは変化しつつ、現在も販売されています
発売当時の袋入りカンパン (右。左は2017年現在のもの) 。パッケージデザインは変化しつつ、現在も販売されています

「いざという時の備えとして保管しておくことも大切ですが、日頃から召し上がっていただくことで、自分に合った食べ方を見つけておくのもオススメですよ」と三立製菓
企画開発部の望月さん。

そう、カンパンには色々な食べ方があるのです。三立製菓では、賞味期限の迫ったカンパンについての問い合わせも多く、そのまま廃棄するのではなく、日常的に楽しむ方法も多数提案しています。

カンパンを活用したカナッペ

スープに入れたり、砕いてピザやグラタンにしたり、はたまたパン床のように「カンパン床」を作ってお漬物を漬けたりと様々な活用方法が日々生まれています。その他、素材がシンプルなので離乳食にして活用される方も。

もちろん、災害時に手をかけずに、缶詰やレトルト品、乾物など他の非常食と組み合わせるアレンジも提案されています。

レトルトカレーと一緒に

避難生活が長引いた時に、少しでも変化をつけて食事を楽しめたら‥‥と日々考えているのだそうです。スープやソースなどにつけて柔らかくすると食べやすさが増すので、小さい子どもや年配の方にとって無理なく食べやすくなることも教えていただきました。

シンプルな味のカンパンを主食にしつつ、缶詰やレトルト食品、その他自宅にある発酵食品や保存食をあわせておかずにして食卓を囲めたら、確かに少しホッとできそうです。

災害に遭遇しないことが一番ですが、もしもの時を考えて、知識と用意をしておきたいですね。今日は、防災バッグの中のメンテナンス、備蓄食料の賞味期限チェックをしようと思います!

<取材協力>

三立製菓株式会社

文・写真:小俣荘子 (調理例写真提供:三立製菓株式会社)

こちらは、2017年9月1日の記事を再編集して掲載しました

着物づくりを諦められなかった彼女は、新潟・十日町で夢を叶えた。若き移住系デザイナーの胸のうち

「成人式で撮った振袖姿の写真を見せたら、海外の友人にものすごく感動されたんです。

日本人だけじゃなくて、海外の方も綺麗だなと思ってくれるというのが嬉しくって。そこから、着物づくりに携われたらと考えるようになりました」

赤石 真実さん

そう語るのは、赤石 真実 (あかいし まみ) さん。

着物の一大産地である新潟県十日町市に移住し、着物メーカー「青柳」に就職。未経験から着物デザインの仕事に向き合う日々を送っています。

未経験で移住、一筋縄ではいかなそうな進路です。学生時代からの夢が実現するまで赤石さんが乗り越えてきたこと、十日町だからこそ叶えられたこと、お話を伺いました。

工房を訪ね歩く、20代の日々

1986年生まれの赤石さんが就職したのはリーマンショックの翌々年でした。ただでさえ求人の少ない着物の制作現場。赤石さんが思い描く就職先は見つかりません。

「大学卒業後は東京の印刷会社に就職し、製版用の原稿制作の仕事をしていました。でも着物のことを諦めきれなくて‥‥。少しでも着物に関する仕事ができればと振袖レンタルなどを行う貸衣装屋さんの営業職に転職しました」

転職先で着物の勉強をしながら、職人として働ける就職先があればと工房巡りを始めた赤石さん。

はけで染める工程。青柳独特の降り方の生地で染めに立体感が生まれています

「着物に関わる仕事の中でも、着物づくりに携わる分野で働きたいと思っていました。

そのためには現場を知りたい。そう思って、直接職人さんたちに会いに行こうと主に京都の工房を訪ねました。見学していて『ここで働きたい!』と感動する工房にも出会い、ご相談させていただくこともありましたが、断られるばかりでしたね。

京都の着物づくりは分業制。ご家族で経営されている小さな工房がほとんどです。後継者は必要だけれど、美大卒でもなく未経験の若者を受け入れるのはなかなか難しかったようです」

諦めきれずに翌年に再度訪ねた工房はすでに廃業していたということもあったそう。3年が経ったころ、転機が訪れます。

29歳、移住者イベントに飛び込んだ

「20代最後の年を迎えた時に『やっぱり諦められない!』と思いました。もう一踏ん張りしてみよう、と移住者イベントに出かけてみたんです」

青柳にIターン就職した赤石真実さん

2016年の冬、赤石さんが訪れたのは東京の有楽町駅近くにある交通会館内で行われた移住者支援イベント。相談先は、新潟県十日町市でした。

「学生の頃は、着物というと京都や金沢のイメージしかありませんでしたが、貸衣装屋さんで働くようになって十日町が着物の一大産地であることを知りました。

イベントは、着物の仕事をしたい人に特化したものではなかったのですが、何かきっかけがつかめればと思っていたんです。運良く、着物を広めたいという方と出会えて、その方にお話を伺いました。

みなさんフレンドリーで、十日町の食事をご馳走になったり、市役所の方がその年の『雪まつり』に誘ってくださったり。十日町が一気に身近になったようでした」

移住したい人に勇気を与えてくれる場所、十日町

新潟県十日町市は、地域おこし協力隊の受け入れやその後の定住サポート、イベント開催をきっかけとした移住者支援などを積極的に行なっている地域。そのことに、赤石さんも勇気づけられたといいます。

「移住者イベントの後、誘っていただいた『十日町雪まつり』にその時に出会ったメンバーと出かけたんです。

十日町はとにかく雪がすごい!と聞いていたので、移住するにしてもまずは知っておきたいなと思っていて。といっても、この年は過去40年間で一番雪が少ない年だったそうで、参考にできなかったのですけれど (笑) 。

でも、行ってよかったです。地域の雰囲気を体感できました。ゲストハウスに若い方も多くいて活気がありました。よその人が入っていっても大丈夫と思える、オープンな印象です。

宿泊したゲストハウスは、その名も『ギルドハウス』というところ。若い移住者のための場所で、ほぼ無料で泊まらせてもらえて、職人さんの工房を見学させていただきました。

ここに住んで、服を作ったり制作活動している方もいました。家賃が払えなかったら家事をしてお返しするなんていう仕組みもあって、移住者を受け入れる土台があることが心強かったです」

赤石さん

市役所のサポートがすごい

「市役所の方が親身になって支援してくださったことで、夢が一気に現実に近づきました。

私の着物への関心や、営業職ではなく職人さんのそばで着物づくりに携わりたいという希望を踏まえて、すぐに就職先を紹介してくれたんです」

こうして赤石さんが出会ったのが株式会社青柳でした。その後、青柳の工房見学、面接を経てあっという間に就職先が決まります。2017年の春には、十日町での新生活がスタートしていました。

十日町の一貫生産制だからこそ、できること

「十日町の着物づくりの大きな特色は、一貫生産制。全ての工程を自社で行うので組織として規模があり、未経験の若手を受け入れてくれる土壌がありました。

さらには、青柳は特に手仕事を大切にしている会社でした。社内にはたくさんの職人さんがいて、見学させていただいた時にお仕事姿に圧倒されましたね。まさに、私が働きたい場所がここにありました。こんな風にめぐり合わせてもらえるなんて、ありがたいことです」

生地が徐々に染まり始めます
赤石さんも感激したという染色技術「桶絞り」の様子。作業中、職人さんのゴム手袋の中から大量の水が飛び出します。高温の染色液で火傷しないようにゴム手袋を2重にはめて、その中に水を入れて作業しているのだそう

※青柳では、工房見学を一般公開しています。さんちではその様子を取材しました。こちらからご覧ください。
https://sunchi.jp/sunchilist/echigotsumari/66318

「自分としては、美大出身でもないのに大丈夫かな?ということが心配でした。

就職前の面接では、これまでのキャリアや希望をお話して、適性を考えていただきました。私の経験を考えると、職人さんの選択肢もあるけれど、設計室 (デザインを行う部署) が良いのではないか?と専務がおっしゃったんです。

十日町の着物づくりを総合的に見てこられて、色々な経験をされてきた方の言葉でしたから、信じてやってみようと思いました」

Iターン就職した赤石真実さんの仕事の様子
設計室での赤石さんのお仕事の様子

「今は、デザイナーの先輩方の補助をして勉強させてもらっています。図案の色付けをしたり、図案を縮小した雛形をPCで作ったり。デザイン関連のソフトは、印刷会社時代に使っていました。まさかその経験がここで生きるなんて、不思議なものですね。

まだ就職して1年経ったばかりですが、実は先日、デザインもさせてもらったんです。面倒を見ていただきながら、チャレンジさせていただけるのが本当にありがたいです。もっと経験を積んで、先輩方のようにいろんなデザインを提案していけたらと思います」

赤石さんの1作目
赤石さんの1作目。紫陽花の花をイメージした夏の着物

これからやりたいこと

「先日、一般向けの見学イベントを工房で開いたんですが、それを見てお客様が感激してくださったんです。これからは、外に対して着物のことを広めて行く活動も少しずつしたいなと思っています。地元の方、県外の方、海外の方にもっと見ていただく機会が作れたらいいな、と。

着物の市場は縮小していますが、知っていただくことで変わることもあると思うんです。お客さまだけでなく、就職先という意味でもそう思います。
例えば私が感動した『桶染め』も、次世代に引き継いでくれる人がいないと残していけないものですよね。私のように、着物づくりに携わりたいけれど、働き先が見つけられないという方に、存在を伝えていけたらなと思います」

およそ10年の時をかけ着物の仕事に就いた赤石さん。これからを語る目は、キラキラとしていました。

赤石さんのお仕事道具

赤石さんを採用した、専務の青柳さんにもお話を伺うことができました。

株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (あおやぎ・くらんど) さん
株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (くらんど) さん

「やりたいことがあって見知らぬ土地に行くって、なかなかできないことですよね。だから応援したいという気持ちがありました。赤石さんから見て、弊社に魅力的な部分があったなら嬉しいことです。

赤石さんは、着物に対して熱意があって、志の高い方でした。

志を持って仕事についてくれる人の方がこちらも育てがいがあります。いろんな工程の仕事があるので、人によってはいくつかの現場で経験を積んでもらって適性を見ることもあります。向いている仕事で活躍してもらえるのがお互いにとって良いことですから。

赤石さんに関しては、外に向けて視野を広げられる方だったので、職人として1つの技術を追求していくより、幅広い活動ができる仕事が合っているように思えたんです。それで設計室を提案しました。

あとはこの地域に馴染めるかだけですね。とにかく雪が凄いので、暮らしの部分でも助けあっていけたらと思います」

お互いにとって良い形を一緒に探してくれる青柳さん。赤石さんから伺った今後の展望と職種も合っていそう。素敵な上司だなぁと、あたたかい気持ちになりました。

雪かき、ではなく雪掘り!

青柳さんのお話にもありましたが、十日町は日本有数の豪雪地帯です。

降雪量の少ない茨城県出身の赤石さん。移住の際に唯一気がかりだったのが、雪のことでした。ご家族も心配していたのだそう。実際暮らしてみて、どうだったのでしょうか?

「想像を超える量の雪で、思わず笑ってしまいました。

雪の季節の前から周りの方が心配してくださって、必要な道具や雪かきの仕方だとか教えていただきました。あと、スコップは車に積んでおいた方が良いよとか。大変だけれど、不思議と辛くはなかったです。

十日町は新潟県内でも除雪技術が高いそうで、ひどい雪の日でも道路を走れなくなることはないのですが、駐車場では車のタイヤが雪に埋もれます。

こっちの人は『雪かき』じゃなくて『雪掘り』っていうんですよ!雪で敷地から出られないという状況で、30分くらい雪掘りをしてから通勤します。みんなで助け合いながら、雪を掘って順番に車を出していく。そういうのが面白かったです」

「やりたいこと」は口に出してこそ

「雪のこともそうですが、あっという間に決まった移住だったので深く思い悩む暇もなくやって来ました。ここまで、とにかく人との縁がありがたかったですね。いろんな人に助けていただきました。

振り返ってみると、周りの方にその思いを伝えていくことが大事だったのかなと思っています。

移住者イベントに出かけるまでは、思いはあれど語ることをしてきませんでした。それが自分から伝えるようになって以来、あっという間に進みました」

やりたいことは口に出してこそ。これからも「やりたいこと」を発信して十日町の着物づくりを盛り上げていく赤石さんの笑顔が目に浮かびました。

青柳にIターン就職した明石真実さん

赤石 真実 (あかいし まみ) さん / 1986年生まれ。茨城県出身

2017年4月末に青柳へ入社。現在、デザイナーとして見習い中。

「十日町はとにかくお米が美味しい!日本酒が飲めるようになりました。休日は車で長野に行くことも。少しずつ運転も好きになりました」と、仕事だけでなく十日町暮らしも充実させていました。

<取材協力>

株式会社 青柳本店

新潟県十日町市栄町26-6

025-757-2171

https://kimono-aoyagi.jp/

※工房見学の様子はこちら
https://sunchi.jp/sunchilist/echigotsumari/66318

文:小俣荘子

写真:廣田達也

日本三大薬湯と里山料理が待っている。松之山温泉「ひなの宿 ちとせ」

3年に一度開催の「大地の芸術祭」がスタートした越後妻有。

せっかく訪れるなら、宿での時間も楽しみたいもの。今日は、とっておきの温泉旅館を紹介します。

1000万年前の化石温泉と郷土料理

新潟県十日町市に位置し、豊かな自然に囲まれた松之山温泉。有馬温泉、草津温泉と並ぶ「日本三大薬湯」の一つにも数えられます。

源泉は、地層の隙間などに閉じ込められた1000万年前の海水が噴き出す「化石海水」。

温泉と認められる基準値の15倍もの温泉成分が含まれており、その濃さゆえに「薬湯」と呼ばれているのだそう
温泉と認められる基準値の15倍もの温泉成分が含まれており、その濃さゆえに「薬湯」と呼ばれているのだそう

この濃厚な温泉に加えて、地元食材をふんだんに使った郷土料理が評判なのは、「ひなの宿 ちとせ」です。

ひなの宿 ちとせ
ひなの宿ちとせ客室例

広々としたお宿に着いてホッと一息。エントランスの足湯で少しゆっくりしたら、さっそく夕食をいただくことに。

「雪国だからこそ」の郷土料理と山菜

松之山のある十日町市は、日本有数の豪雪地帯。この地ならではの雪解け水がお米や山菜を美味しく育てるのだそう。テーブルにつくと、目の前には地元食材たっぷりのお料理がずらり!

ワラビ、そら豆、ふきのとうといった山菜の小鉢、さまざまな郷土料理が並びます
ワラビ、そら豆、ふきのとうといった山菜の小鉢、さまざまな郷土料理が並びます

手前のプレートには、料理の解説がついています。左から「あんぼ」、「醗酵豆腐」、「湯治豚」、「菜々煮」。どれも耳慣れない名前ばかりです。

解説書付きのプレート

実はこちらの4品、全て郷土料理を現代風にアレンジしたもの。

草餅のような姿の「あんぼ」は、大根菜などで作った餡を、くず米の皮で包んで焼いた伝統食。年配の男性陣にとって思い出深い料理なのだそう。

雪に閉ざされる冬に食料が限られる中、食べ盛りの男の子たちのお腹をいっぱいにさせようというお母さんたちが考えた料理でした。

お隣の「醗酵豆腐」は、豆腐を味噌にからめて熟成させ、ねっとりとしたチーズのように仕上げたもの。地酒との相性も抜群でした。

続いては、しっとりと柔らかく旨味たっぷりの「湯治豚」。地元のブランド豚「妻有ポーク」を温泉の熱だけで低温調理した、ネーミングセンスも光る一品です。

妻有ポーク
メインディッシュにも熟成地豚「越の紅」を使った湯治豚が登場。ナイフを使わずに切れてしまうほどの柔らかさと脂の甘みがたまりません

一番右は「菜々煮」。野菜を野菜の汁で煮たものを菜々煮と呼ぶそう。十日町の名産、甘みたっぷりの「雪下にんじん」を味わいました。

棚田の米と季節の具材でつくる「棚田鍋」

もう一つ、心に残ったのが十日町で採れた棚田米を使った「棚田鍋」。コシヒカリの重湯をベースにしたトロトロの鍋に、妻有ポークや新潟地鶏、地元で採れた季節食材を入れていただきます。大根おろしは、棚田に降り積る雪をイメージしているそうです。

棚田鍋
グツグツと食べ頃を待ちます

鍋には、ご当地唐辛子の神楽南蛮と麹で作った薬味「塩の子」と、おこげを入れて楽しみます。神楽南蛮の辛味と、おこげの食感が絶妙なアクセントに。

「塩の子」 神楽南蛮を細かくしたものと麹を混ぜ合わせて
こちらが「塩の子」

「人様に出すものではないと思っていた」

訪れた土地ならではのものが存分にいただけるというのは贅沢なものですね。

郷土料理の前菜をはじめとした、地元食材を使ったお料理の数々。訪れた人々を魅了する評判のメニューですが、始めるのには勇気が必要だったそう。

「この土地の郷土料理や山菜は、主に冬を越すための保存食。私たちにとっては日常的なもので、わざわざ遠方から来てくださったお客様のおもてなしに、お出ししていいものだろうか?と、躊躇する部分がありました」

「ちとせ」4代目の柳一成さん
「ひなの宿 ちとせ」 4代目 柳一成さん。松之山温泉の旅館、飲食店、住民が共同出資して立ち上げた旅行会社「松之山温泉合同会社まんま」の代表も務められています

「それでも、ここでしか味わえないものを召し上がっていただきたいという思いから、松之山の旅館で集まって、現代風にアレンジした郷土料理メニューを一緒に考えたんです」

この土地ならではのものを。その思いから、見事なおもてなし料理が生まれたのですね。

松之山では、お料理の他にも地域をあげて地元の魅力を発信しています。旅館、飲食店、住民が共同出資し旅行会社を立ち上げ、松之山を楽しむオプショナルツアーや商品を企画。

星空の下でホタルが舞うブナ林でのディナーイベント、温泉ガストロミー体験、ハイキングなどお話を伺うだけでワクワクします。次はどの季節に遊びに来ようかな。

顔を癒す温泉?

さて、宿をあとにしたら、近くにもう一つ立ち寄るべきスポットがありました。

地炉
ちとせから徒歩3分ほどの場所。古民家でしょうか?
箱の中から湯気が出ています
なにやら箱の中からもくもくと湯気が出ています

こちら「顔湯」なのです。顔湯?

こうして顔を近づけると温泉のスチームが!はぁ気持ちいい
こうして顔を近づけて温泉のスチームにあたります。気持ち良い!

高温の温泉を利用して作られています。薬湯の異名ある温泉のスチーム、しっとり美肌の予感。

松之山温泉を堪能して、すっかりリフレッシュ。今日も元気にアート作品を巡れそうです!

<取材協力>
ひなの宿 ちとせ
新潟県十日町市松之山湯本49-1
025-596-2525
https://chitose.tv/
松之山温泉合同会社まんま公式サイト
http://manma.be/

文:小俣荘子
写真:廣田達也

「大地の芸術祭」で人気のゲストハウス「ハチャネ」は、地元・十日町の暮らしを体感できる宿だった

3年に一度開催の「大地の芸術祭」がスタートした越後妻有。

せっかく訪れるなら、宿での時間も楽しみたいもの。今日は、とっておきのゲストハウスを紹介します。

個室に泊まれるゲストハウス

越後妻有エリア (十日町市・津南町) のターミナル駅、十日町駅から徒歩10分ほど。ゲストハウス「ハチャネ」は、地元の人々の通う味自慢の飲食店が立ち並ぶエリアにあります。

地域の交流やリーズナブルな価格が魅力のゲストハウスですが、加えてハチャネは全室個室。ビジネスホテルよりもアットホームでありつつプライベート空間のある安心感は、ドミトリータイプが苦手な旅行客や地元の人にも好評だそうです。

友人の家に遊びに来たようなカジュアルで安心感のある空間
友人の家に遊びに来たようなカジュアルで安心感のある空間
一人部屋
一人部屋
二人部屋
二人部屋

「この町のためになることを何かできればと思った」

「ハチャネ」とは、十日町の言葉で「またね」という意味。地元の人との交流を通して、十日町の仲間になってほしいという思いがこもった名前です。

ハチャネを経営しているのは株式会社YELL (エール) 。地域おこし協力隊がきっかけで十日町に暮らすようになった東京出身の4人 (高木千歩さん、小泉嘉章さん、小泉美智代さん、岩井佳子さん) が設立しました。

「十日町には、豊かな自然があり、芸術祭のように都会では経験できない体験をする機会も沢山あります。地域おこしに積極的で、地元の人はもちろん、市外からもパワフルで面白い人が多く集まっています。

そんな魅力を伝えていける場所を作りたいという思いでこのゲストハウスを作りました」

ゲストハウスの運営のみならず、十日町のおすすめスポットなどの紹介や農業体験などの交流の場作りを積極的に行なっているそうです。

晩御飯には、ぜひ十日町のクラフトビールと、地元食材でつくるシカゴピッツァを

この宿の魅力は食にもあります。

ハチャネの1階にあるピザとクラフトビールのお店 「ALE beer&pizza」。

エールがゲストハウスを始める前に、地元を盛り上げる事業の第一弾として、「十日町の人たちが、地元のモノをおいしく食べ、ワイワイ楽しめる場所を作ろう!」というコンセプトのもと立ち上げたお店です。お店には地元の方のみならず、県外からのお客さんも訪れます。

ALE外観

名物はなんといっても、十日町のクラフトビールと、地元食材で作った具沢山のピッツァ。

美味しいクラフトビールがいただけるALE
海外へも赴いて研究して作られた本格的なシカゴピッツァ
海外へも赴き、研究を重ねて作られた本格的なシカゴピッツァ

宿の一階にあるお店なので、気軽に訪ねられるのも嬉しいですね。地元のビールと料理を楽しみながら、十日町をぐっと身近に感じられそうです。

「十日町の朝」を体験

素泊まりスタイルのハチャネですが、オプションで十日町らしい朝ごはんを味わうことができます。

ハチャネのダイニング
ハチャネのダイニング

それは自分で炊いて食べる十日町産魚沼コシヒカリ。チェックイン時に申し込むと、炊飯器と必要な合数のお米を渡してくれます。

地元のお米をふっくらツヤツヤの炊きたてでいただく朝。十日町の人たちは毎日こんな朝を迎えているのでしょうか。なんとも幸せな気持ちになりました。

お味噌汁や簡単なおかずなども販売しています。おかずを買える地元のお店も紹介してもらえるということなので、スタッフの方へぜひ相談してみてください。

十日町での暮らしを身近に感じられる宿、ハチャネ。地元の魅力をたっぷりと味わいたい方におすすめです。

ハチャネ
http://hachane.com/
新潟県十日町市宮下町西267-1
025-755-5777

文:小俣荘子
写真:廣田達也 (一部画像:株式会社エール提供)

2020年東京五輪に向けて、世界をつなぐ着物をつくる。新潟・十日町の「すくい織」の制作現場へ

2年後に迫る東京五輪・パラリンピック。

各地で様々な準備が進行する中、着物産業の世界でも2020年に向けて「ある企画」が進んでいます。

企画の名前は「KIMONOプロジェクト」。世界196カ国の振り袖を制作する一大プロジェクトです。

「各国をテーマとする振袖をつくり、世界との交流を深めつつ日本文化を世界に発信する」ことを目指して、日本全国の産地の作り手が参画。すでに100着の振袖と帯を完成させています。

100カ国完成お披露目会の様子。米国の振袖 (左手前) には合衆国のコンセプトを表現する50州の州花、袖にはスペースシャトルや宇宙。英国の振袖 (中央) にはイングリッシュガーデンや、帯には映画『007』をモチーフとしたデザインが施されるなど、各国の歴史や特徴が織り込まれています
100カ国の完成披露式典の様子。米国の振袖 (左手前) には合衆国の50州の州花、袖にはスペースシャトルや宇宙。英国の振袖 (中央) にはイングリッシュガーデン、帯には映画『007』のイメージなど。各国を象徴するモチーフがデザインに織り込まれています
ベルギーの振袖。世界遺産のお祭り衣装や王宮のガラスの温室などをモチーフに描かれている
こちらはベルギーの振袖。世界遺産のお祭り衣装や王宮のガラスの温室などが描かれています
KIMONOプロジェクト
2016年に開かれたG7 (先進国首脳国会議) で ”おもてなし”に活用されるなど、早くも国際舞台で役割を担っています

十日町の職人が描く、アラビアの国「イエメン共和国」

着物の一大産地、新潟県十日町市もKIMONOプロジェクトに参加しています。今、まさに製作中の一着があると聞き、現場を訪ねました。

訪れたのは、伝統工芸士の市村久子さんのアトリエ。市村さんが描くのは、中東のアラビア半島南端部に位置するイエメン共和国です。

織機を扱う市村久子さん

イエメンは、紀元前8世紀頃から7〜8階建ての高層建築が500棟ほど密集するシバームの街や、人が住むなかでは世界最古の街・首都サナアの煉瓦造りの城壁、「インド洋のガラパゴス」と称される独特の動植物が生息する「ソコトラ諸島」など、歴史ある世界遺産を有する国。この国の振袖をデザインし、織り上げます。

イエメン大使館から提供されたイエメンの街並みの写真は織機の柱に貼られていました
イエメンの大使館から提供された街並みの写真が織機の柱に貼られていました

日本一と賞賛された、市村さんの「すくい織」

市村さんは、十日町に伝わる「すくい織」という織物を約30年にわたり手がけてきた方。

すくい織とは、木製の舟形をした織機用のシャトルに緯糸 (よこいと) を通し、経糸 (たていと) をすくいながら下絵の模様を織っていく技法。色とりどりの緯糸を用いることで、絵画的な表現ができることが特徴です。

作品を織る市村さん
作品を織る市村さん
すくい織の様子
シャトルで経糸をすくい、色糸で柄を描いていきます

KIMONOプロジェクトを主宰する一般社団法人イマジン・ワンワールド 代表の高倉慶応さんは、市村さんの作品を一目見て、「日本一のすくい織だ!」と感嘆の声をあげたのだそう。

市村さんの作品
絵画のような市村さんの作品
市村さんの作品
この絵柄のすべてが緯糸の色の組み合わせのみで表現されています

市村さんが織りなす色とりどりの精緻な柄は、見る者をうっとりと圧倒します。

緯糸の組み合わせだけで柄を描くすくい織。通常は部分的に柄を入れたり、パターン化することが多いそうですが、市村さんの作品は全体に絵柄の入った「総柄」と呼ばれるもの。高い技術と膨大な作業時間への根気と集中力が必要です。

この技をもってして、イエメンの独特の建物を描いたら素晴らしいものが生まれるのでは?という高倉さんの発想から、市村さんに依頼が舞い込みます。

市村さんの数々の受賞歴
すくい織の作品で、数々の受賞歴を持つ市村さん。新潟県の県展では、県展賞や奨励賞を何度も受賞。ついに2017年から無鑑査となりました

「ただ作品を作るのも楽しいですが、県展は受賞を目指して毎年切磋琢磨する腕試しの機会としていました。無鑑査になってからは他に何か張り合いになる、力を振り絞る機会がないかなと思っていました。

お話をいただいたとき、これはやりがいがありそう!とお受けすることにしたんです」と市村さん。

こうしてイエメンの振袖は市村さんのすくい織によって作られることになりました。

さてこの振袖作り、どのように進んできたのでしょうか。

「あなたの好きなようにやってください」

KIMONOプロジェクトでは、担当する国が決まると、大使館から資料提供を受けたり、デザインを相談するなど、その国と交流しながら製作を進めています。

「イエメンの大使館を訪れて、写真をたくさん見せてもらったり、郷土料理もご馳走になりましたよ。大使夫人とお嬢さんから、イエメンの歴史や魅力をたくさん伺いましたが、最後に『あなたの好きなようにやってください』という言葉をもらいました」

市村さん

「やはり特徴的な建物をメインに置いて、城壁は裾に描きたかった。それから、可愛いへんてこりんな木は入れたいなぁ、と肩に。裾には、民族衣装の縞模様を入れてみました。大使夫人が着用されていた美しいポンチョの縞を元に描いています」

写真を参考にデザインされた図案。イエメンの特徴的な城壁や建物、世界遺産にも登録されている、ソコトラ島の木も描かれている
市村さんのデザイン図案。中心となるのはイエメンの特徴的な城壁や煉瓦造りの建物。ソコトラ島で独自進化を遂げた木も描かれています。織物とは思えない細かさです

イエメンについて自身でも調べ上げ、描いた図案のラフを大使館と主宰の高倉さんに提案すると、一発OK。いよいよ製作が始まりました。

1日でわずか数センチメートル!膨大な時間をかけて描かれる景色

「スタートしてからは、ほぼ休みなく毎日朝9時から夜9時くらいまで織っています。ついつい夢中になってしまうんですよね。それでも1日で進むのはほんの数センチメートル。

やりたくてはじめましたが、こんなに細かい柄は初めて。それに、織物はなだらかな曲線は描きやすいのですが、建物などの縦線を描くのはすごく難しいんです。建物ばかりだから大変!

先が見えず、終わるんだろうかと不安になったり、大好きな機織りが嫌いになっちゃったらどうしよう?なんて思ったこともありました (笑) 」

笑う市村さん
大変!と言いながらも市村さんは楽しそう

「糸を解いてやり直す作業は時間がかかってしまうものなので避けたいんですが、建物の窓のところで失敗してしまって‥‥。でも間違うと次はできるようになっている、そういうのが嬉しいですね。自分への挑戦です」

経糸の後ろに下絵を敷いて織っていきます
経糸の後ろに下絵を敷いて織っていきます
織るときに見えるのは裏側。鏡を当てながら、表の柄の状態を確認する
織るときに見えるのは裏側。鏡を当てながら、表の柄の状態を確認するのだそう

砂漠の雰囲気を出したい!

絵画のように描くすくい織。市村さんのこだわりは、モチーフ選びやレイアウトのみにとどまりません。

「糸を染めて、試し織りをしてみて、何か物足りないなと感じました。砂漠の雰囲気を織込めないかな?と思ったんです。それで、あれこれと探して『野蚕糸 (やさんし) 』に出会いました。緯糸4本に一度入れてみたら、砂の感じが出てイエメンらしくなってきました」

野蚕糸とは、野生の蚕を用いて紡がれた天然のシルク糸。独特の風合いのある色が砂漠のイメージにぴったりです
野蚕糸とは、野生の蚕を用いて紡がれた天然のシルク糸。独特の風合いのある色が砂漠のイメージにぴったりです
糸を染めるところから市村さん自身が手がける。経糸が白なので、織ると全体の色が薄くなるのだそう。そのため緯糸は濃く染められています
市村さんが手がけるのは糸を染めるところから。経糸が白なので、織ると全体の色が薄くなるのだそう。そのため緯糸は濃く染められています

織物なのに自由に描けることが魅力

改めて市村さんにすくい織の魅力を伺いました。

「すくい織は、経糸が1色で、下絵を元に緯糸で柄を描いていきます。決められたものをひたすら織るのではなく、経糸の上で自由に絵が描ける織物なんです。

そして織ったところは全て手前に巻き取っていくので、終わるまで全体像が見えない。全て織りあがった時に、『どうなっているのかな?』と初めて作品の姿が見えるのもドキドキして楽しいものなんですよ」

経糸は1212本!
イエメンの振袖では、建物の窓の白さを表すために、経糸は白を使用。1212本の経糸が真っ白なキャンバスのように並んでいました

自分が着たいものを、大使母娘に似合うものを

普段、着物の図柄を考えるときは自分が着たいと思うものを描くのだそう。今回はそれに加えて、大使館で出会った大使夫人とお嬢さんに似合うものにしたいという思いがあったという市村さん。

「イエメンの方は日本人とは違った肌の色やお顔立ちなので、その魅力と調和する色合いを考えてデザインしました。

今年の天皇誕生日の祝賀行事で、大使夫人がこの振袖を着てくださるというお話もあるようなんです。それまでに仕上げねば!と、必死です」

市村さん

長い時間をかけながら市村さんが夢中に織るイエメンの振袖。できあがるまで全体の姿が見えないので、様子を想像してうずうずしました。早く見てみたい!今から完成が楽しみです。

KIMONOプロジェクト

http://piow.jp/kimonoproject/

文:小俣荘子

写真:廣田達也(一部画像提供:KIMONOプロジェクト)