この暮らしの道具、ちょっと変わってるんです。どこが違うかわかりますか?

これからお見せする商品、普段よく目にするものと何かが違います。さて、どこが違っているでしょうか?

握ったところを想像してみてください。

カッター

これは‥‥、かなり難易度が高そうです。

一般的な急須に見えますが、パーツの位置が違う?

急須

メモリの数字の向きにご注目!

定規

さて、何か気づきましたか?

実はこれ、すべて「左利き用」に作られた道具なのです。

8月13日は「国際左利きの日」

きょう8月13日は、国際左利きの日。左利きの生活環境の向上に向けた記念日です。世界人口の約10%が左利きと言われています。

1992年8月13日、イギリスにある「Left-Handers Club」により、右利き用だけでない誰もが安全に使える道具を各種メーカーに対して呼びかけることを目的に提唱・制定されました。

今日は、左利きの道具について紹介します。

全国から左利き客が訪れる「駆け込み寺」

左利き用アイテムに詳しい方がいると聞き、お話を伺うことに。

訪れたのは、神奈川県相模原市にある文具雑貨店「菊屋浦上商事」。同店には「左利き用グッズコーナー」があり、その品揃えは約100種類!

「日本で一番左利きグッズが揃っている」と、全国からお客さんが訪ねてくる駆け込み寺のようなお店なのだそう。

棚には数々の左利き用の道具が並んでいます
棚には数々の左利き用の道具が並んでいます

社長の浦上裕生 (ひろお) さんは、左利きに関するデータを収集したり、海外に赴いて文具の買い付けや調査を行うなど、左利き事情に精通している方。

元SMAPメンバーで左利きの稲垣吾郎さんとラジオ番組で対談したり、人気バラエティ番組「アメトーーク!」で「左利きを幸せにするお店」として紹介されるなどを皮切りに、メディアからの取材依頼や企業からの相談も舞い込んでいます。国内だけでなく、海外メディアからの取材を受けることもあるのだとか。左利きへの注目の高さが伺えます。

1973年に開店以来40年以上の歴史を持つ文房具店「菊屋」(正式には菊屋浦上商事株式会社)浦上裕生さん
元々は左利きで、今は両利きという浦上裕生さん。「世界でこれだけ大きく専用コーナーを設置しているのはうちだけですよ」と自信たっぷり。左利きコミュニティでの交流や情報発信も積極的に行なっています

かつては左利き文具は在庫しつつも店頭には並べず、注文があれば出す程度だったという同店。ではなぜ、これほどに「左利き用グッズ」をたくさん揃えるようになったのでしょう。

左利きの弟が右手用の道具で大怪我

「25年以上前、左利きの弟が右利き用カッターを使って大怪我をしました。右手用に設計された道具を使うと刃が手に刺さりやすかったり、危険なことも多いんです」

カッター
こちらのカッターは左利き用。刃の向きが利き手によって異なるので、反対の手で使うときは注意が必要です

「弟の怪我を機に、当時店を経営していた両親が左利きのためのコーナーを設置しました。1998年に私が店を継ぎ、品揃えを充実させて今に至ります。

『左利きグッズがなんでもある』とネット上で話題になり、日本の方だけでなく、海外からのお客さんも来てくださるようになりました。調べてみると海外では日本より左利き用の道具が作られていないんです」

無理なく安全に使える向きに整える

それでは左利き用の道具について、浦上さんに詳しく解説していただきましょう。

「例えば、急須は左手で持って注ぎやすいように、取っ手が左側、注ぎ口が右側についています」

左手で持ちやすい急須

左利きの方が一般的な急須を使う場合、取っ手が右にあるため右手で持つか、左手で持って手をひねって注ぐ必要があるのだとか。それは使いにくそう。

「ハサミは刃の合わせに工夫があります。紙に刃を入れた時に、切っている部分が見えるように刃を合わせます」

左のハサミは左利き用、右のハサミは右利き用。それぞれ切っている面が刃の手前に見えるようになっています
左のハサミは左利き用、右のハサミは右利き用。それぞれ切っている面が刃の手前に見えるようになっています
こちらは浦上さんの私物。右利き用ハサミに慣れてしまったけれど、持ち手の穴の大きさが右手仕様だと指が痛くなる。そんな悩みに対応して、持ち手は左利き、刃の合わせは右利き用に作られていました。泣けます‥‥
こちらは浦上さんの私物。右利き用ハサミには慣れたけれど、持ち手の穴の大きさが右手仕様だと指が痛くなる。そんな悩みに対応して、持ち手は左利き、刃の合わせは右利き用に作られていました。泣けます‥‥

「こんなものもあります。扇子は右手で開いて使うようになっているので、左手で仰いでいるとだんだん閉じてきてしまうことがあるんです。だから、開く方向が反対になったものを作ってもらいました」

左利き用の扇子
左利き用の扇子
定規
左利きグッズの中で一番売れているのが定規。塾の先生がまとめ買いしていくことも。左手で線を引く場合、右から左へペンを進めるとスムーズ。線を引く向きに合わせて、目盛りの数字が右からついています。「右利き用の定規を使う時は引き算をしていた」なんて左利きの人の声も
速乾性の水性ボールペン
こちらのボールペンはインクに秘密があります。速乾性の水性インク。左利きの人は横書きで文字を書き進めると、書いた直後の文字をこすりながら手を移動させるため、手やノートがインクで汚れてしまうことが多いそう。すぐに乾くことでこの悩みを解決してくれると大ヒットしました

ロゴの向きが自分に合っていると嬉しい

ところで冒頭で紹介した鉛筆はどこが左利き用だったのでしょうか。

左利き用えんぴつ

「この鉛筆は、ロゴの向きが一般的なものと反対なんです。左手で持った時にロゴが正位置になるように作られています。なんてことないのですが、自分のための道具と思えて嬉しいという声を聞きます。

他にもマグカップの柄は右手で持った時に正面を向くように作られていたり、自動販売機の投入口は体の右側に設置することが一般的だったり。世の中には右手で扱うことを想定して作られているものが多いですから」

左利き用えんぴつ
ロゴの向きにご注目!

ロゴの向きだけで喜びを感じるなんて。左利きの方は道具に苦労されることが本当にたくさんあるんだろうなぁと改めて実感しました。

バターナイフ
お店にはこんなものもありました。向きの異なる2本のナイフをつなぎ合わせ、どちらの手でも使えるユニバーサルデザインのバターナイフ
バターナイフのロゴ
左手で持った時にロゴが正面に来る珍しい仕様です

浦上さんに解説していただきながら、たくさんの左利き用アイテムを試しました。私は右利きなので、左利き用の道具を使ってみるとその使いにくさに驚きます。つまり、左利きの人たちは日常的にこの使いづらさに向き合っているということ。知らなかった‥‥。

少数派にも使いやすい道具を

「昔に比べて矯正されなくなったこともあり、今、左利き人口は増えていると言われています。とはいえ全体の割合から考えると少数のため、まだまだ左利き用の道具は少ないのです。

道具の存在を知らない左利きの人もいますし、少量生産になるので在庫終了とともに廃番となってしまう商品も少なくありません。

でも、少数派だから不便なままで良いってことはないですよね。クラウドファンディングを活用して左利きグッズを作ることも企画中です」

左手用のおたま
浦上さんの提案で生まれた左利き用のおたま。給食の配膳でおたまが使いにくいという生徒の声を受けて、近くの小学校に寄贈したことも。このおたまがあることで、右利きの子どもたちが左利きの道具を体験する機会にもなっているそう

「必要としている人がいること、使いやすい道具があることをもっと発信して、広めていきたいと思っています」

そう熱く語る浦上さん。昨年2017年2月に新たな取り組みをスタートしました。

2020年東京五輪・パラリンピックを世界中の左利きの人が集まる機会ととらえ、メーカーと協業し、左利きグッズを充実させていこうという「レフティ21プロジェクト」。

浦上さんの呼びかけに応じて、文具メーカーのゼブラ、プラス、ライフ、調理器具メーカーのレーベン販売、ペンタブレットを手がけるワコム、輸入文具を扱うドイツ系のエトランジェ・ディ・コスタリカが参加を決め商品開発が進んでいるそうです。

自分にぴったりの道具があると、使うのが楽しくなったり、道具に愛着も湧きます。使いやすい道具の拡充、楽しみですね。

<取材協力>

菊屋浦上商事株式会社

神奈川県相模原市中央区相模原6-26-7

042-754-9211
http://www.kikuya-net.co.jp/

文・写真:小俣荘子

これがないと踊れない!よさこい祭りに欠かせないアイテムが高知にあった

高知には、世にも不思議な手ぬぐいがあるのだとか。

その名は「土佐にわか手ぬぐい」。

なにやら顔が描かれています。何が不思議なのでしょう?
こちらが「土佐にわか手ぬぐい」。なにやら顔が描かれています

小さな河童?相撲が大好きな妖怪「しばてん」

手ぬぐいに描かれているのは、土佐の妖怪「しばてん」。

しばてんは、カッパに似た男の子の妖怪といわれています。その多くは、たそがれ時や夜に現れるそう。

相撲をとるのが大好きで、人を見ると 「おんちゃん相撲とろう、とろうちや」と土佐言葉で挑んできます。これに応じると、いつの間にやら相手が藁や石に変わっており、朝まで独り相撲を取らされることになるのだとか。人に危害は加えませんが、いたずら好きの陽気な妖怪です。

高知のお酒好きの男性が飲みすぎて、ついつい午前様や朝帰りになってしまった時、家で待つしっかり者の女房に「しばてんに捕まって相撲取らされちょった」なんて言い訳したことで生まれた、そんな風に言われることもあります。お酒と結びつくところが、なんとも高知らしいですね。

よさこい祭りでも活躍。みんなが陽気になる不思議な手ぬぐい

さて、このしばてんが描かれた手ぬぐい、こんな風に頭に巻いて顔を覆って使います。

しばてん
目と鼻を覆い隠すようにして手ぬぐいを巻くと、誰もが「しばてん」に変身!

ひとたび手ぬぐいをかぶると、にわかに人相が変わる!そうしてみんな陽気になり、どんな人でもついつい踊りたくなってしまう、そんな不思議な手ぬぐいと言われています。

土佐の人々はこの出で立ちで、郷土民謡「しばてん音頭」を踊ります。

「おんちゃん相撲とろ とろうちや ちゃっちゃ〜」と、陽気な歌詞の「しばてん音頭」を踊る芸妓さん。目が描かれた部分をくり抜いて使うので、前はしっかり見えているそう。陽気な様子が伝わってきますね
「おんちゃん相撲とろ とろうちや ちゃっちゃ〜」と、陽気な歌詞の「しばてん音頭」を踊る芸妓さん。目が描かれた部分をくり抜いて使うので、前はしっかり見えているそう。陽気な様子が伝わってきますね

四国を代表する夏祭りのひとつで、約2万人の踊り子が乱舞するよさこい祭りでもこの手ぬぐいが使われます。恥ずかしがり屋さんも、目立ちたがりやさんも、誰かれ構わず踊り出し土佐の夜は更けていくのです。

しばてんの手ぬぐいは、よさこい祭りでも使われています (高知よさこい情報交流館 展示)
よさこい祭りでは、こんな大人数でしばてんの姿に (高知よさこい情報交流館 展示)

「土佐にわか手ぬぐい」生みの親の元へ

地元の誰もが知る「土佐にわか手ぬぐい」。

生み出したのは、高知の老舗染工場の4代目・北村文和さんです。その誕生秘話を伺いに工房を訪れました。

明治元年創業の北村染工場。 この地域は、多数の染物店が集まり、かつて「紺屋町」と呼ばれていた
明治元年創業の北村染工場。よさこい祭りのはっぴなども手がける老舗工房です
土佐藩の初代藩主の山内一豊公とその賢妻として有名な千代さま、しばてん、龍馬、お龍さん、坊さん、お馬さん、タイガースのトラ、ひょっとこ、おかめ
窓から見える棚には、しばてんの他、土佐の初代藩主山内一豊公と賢妻として有名な千代さま、龍馬とお龍さん、よさこい節に登場する坊さんとお馬さん、タイガース応援用のトラ、ひょっとこ、おかめの手ぬぐいも並んでいました
壁一面を覆う巨大な旗。お祭りのために描いたこの図柄は評判を呼び、高知で撮影された緒形拳さん主演の映画「櫂」でも使われたのだそう
壁一面を覆う大きな旗は、NHKの番組で描いた端午の節句のもの。評判を呼び、高知で撮影された緒形拳さん主演の映画「櫂」でも使われたのだそう
北村文和さん
北村文和さん

着想は、旅先で見つけたお菓子のしおり

『よく遊べ』という方針の家で育ち、染めや日本画の技術だけでなく、音楽や踊りのお稽古、歌舞伎やオペラなどの舞台鑑賞やお祭りなど、好奇心や探究心が赴くままに出かけては、各地でさまざまなものを見つけて自身の作品へのヒントにしてきたという北村さん。

「染屋は様々なお仕事をいただきます。色んな世界のことを知っていたほうがより良いもの、喜ばれるものが作れるでしょう。見て感じて自分の中に貯まったものが、知らず知らずの内に繋がって作品作りに生きてくるんです」

土佐にわか手ぬぐいも、旅先で見つけたヒントから発想が広がっていきました。

「40数年前、妻と福岡の博多祇園山笠を見に行きました。そこで見つけたおせんべいに、お面型のしおりが入っていたんです。面白いなと印象に残りました」

その後、高知県の民謡や童歌の採譜をしていた作曲家の武政英策 (たけまさ えいさく) さんから「しばてん音頭というものを作るから協力してくれないか」という相談を持ちかけられました。

そこでヒントになったのが福岡の記憶。手ぬぐいをお面にしよう!と、ひらめきます。実際に手ぬぐいをかぶりながら考え出したのが、この手ぬぐいでした。

相撲好きのしばてん。脇には「はっけよい」の文字が

「みんなが楽しくなるようなものを」とデザインされたしばてんの顔。陽気な歌とその使い方が、高知の人々の心を掴みます。宴会でもお座敷でもまたたく間に広がり、すっかり定番に。現在ではお土産ものとしても人気の商品となりました。

パッケージ裏に、可愛らしいイラスト入りで使い方が書かれています。シールの封が、よさこい節の歌詞に登場するかんざし風になっている遊び心も北村さんのアイデア
手ぬぐいの袋には、可愛らしいイラスト入りで使い方が書かれています。シールの封が、よさこい節の歌詞に登場するかんざし風になっている遊び心も北村さんのアイデアです

すべて手作業で作られる手ぬぐい

たくさんの注文が入るようになった今もなお、全て手染めで作られている土佐にわか手ぬぐい。遊び心溢れる手ぬぐいですが、ものはしっかりと。美しく染め上げるのが老舗染屋のこだわりです。

「手染めは手間がかかるので、なかなか大変なんですが、みなさんに笑って使っていただけるのが嬉しいですね」と北村さん。

描いた柄の上に糊を置いていきます。糊の部分には染料が入り込みません。色をつけたくない部分に糊をおき、染める作業を繰り返します
描いた柄の上に糊を置いていきます。糊の部分には染料が入り込みません。色をつけたくない部分に糊をおき、染める作業を繰り返します。染めに使う糊は、お米を水で練って作るのだそう
染めたものを乾かしているところ
こうして天井近くに干して、染めたものを乾かします

老舗染め屋の後継ぎとして、10代の頃から70余年にわたり染めに携わってきた北村さん。「よく遊べ」の家訓の元、積み上げてきた経験から生まれた北村さんならではの遊び心が詰まった不思議な手ぬぐいは、今日も人々を陽気な笑顔に導いています。

<取材協力>
北村染工場
高知県高知市はりまや町2丁目6−7‎
088-882-7216‎

高知よさこい情報交流館‎
http://www.honke-yosakoi.jp/
高知県高知市はりまや町1丁目10-1
088-880-4351

2018年4月22日公開の記事を再編集して掲載しています。全国各地で踊られるようになったよさこい。その本場高知で使われている、遊び心溢れる手ぬぐいをぜひチェックしてみてください

文・写真 : 小俣荘子

おばあちゃんが「母親の味」と口コミする新潟・十日町の店「Abuzaka」

旅に出たら、その土地らしいふるさとの食を味わってみたくなるもの。

今日訪れたのは「大地の芸術祭」を開催中の新潟県十日町市。ここではどんなお料理が食べられてきたのでしょう。

現地の方に、伝統食のおそばと地域に伝わるお料理が食べられるお店があると教えてもらいました。地元のおばあちゃんたちから「母の手料理の味」と評される人気店なのだそう!さっそく訪ねてみることに。

田んぼの真ん中でブッフェランチ

十日町駅から10分ほど車を走らせると、一面に広がる田園風景。緑豊かな里山を臨む場所に、黒いモダンな建物が見えてきました。

Abuzaka

お店の名前は「そばの郷 Abuzaka」。

新潟名物の「へぎそば」と、「ごったく」という食文化を気軽にブッフェスタイルで体験できるお店です。

Abuzakaの看板

新潟は十日町に伝わる「ごったく」とは?

「ごったく」とは、十日町地域の冠婚葬祭などで人が集まった際にお客さんをもてなす食事の席のこと。親戚や近所のお母さんたちが1つの台所に集まってわいわいと料理を作り、大皿に乗せて振る舞われてきました。

ごったく
ごったくに使われる食材は、雪に閉ざされる季節に備えて作られる乾物や干物、里山で採れた山菜や野菜など。煮物や和え物、天ぷらといった料理が並びます
へぎそば
十日町名物の「へぎそば」。フノリを混ぜることで生まれるコシと喉ごしが人気です

お店を訪れたのは平日のお昼どき。店内は小さな子ども連れの方から、年配のグループまで幅広い年齢層のお客さんで賑わっていました。みなさん地元の方のようです。

私もさっそくブッフェ台へ!

大皿に盛られた様々なごったく
山菜をはじめ、地元で採れた季節の食材を使って作られる煮しめ、味噌豆、切り干し大根、ぬた、サラダ、だし巻き卵などがずらり。お蕎麦につける特製カレー汁や自家製の甘酒とタピオカの冷たいデザートまでありました!
季節の野菜、山菜の天ぷら
季節の野菜、山菜の天ぷらも盛りだくさんです
ブッフェスタイル
種類豊富なので、どれにしよう?と目移りします。お皿に乗せる時間も楽しい
そばとごったく
きれいに盛り付けられました!少しずつ色んな種類を味わえるのがブッフェスタイルの嬉しいところ

山菜や地元野菜をふんだんに使ったお惣菜の数々。お出汁がたっぷりとしみ込んだ煮しめ、優しい甘辛さが癖になる味噌豆、山菜と大根の醤油漬け‥‥家庭料理がベースになっているからか、初めて食べる食材に対しても不思議と懐かしさを感じつつ、「お豆ってこんなに甘みがあるんだ!」なんて素材の美味しさに新鮮な驚きがありました。

「十日町は宝の山、色んな人に食べて欲しかった」

土地の食をブッフェスタイルで楽しめるAbuzakaは、休日になると地元の方だけでなく、他県からのお客さんでも賑わう人気ぶり。

地域の料理が気軽に食べられる仕掛けはどうやって生まれたのか?お店の立ち上げから携わってきた、店長でシェフの弓削朋子さんにお話を伺いました。

Abuzaka店長の弓削さん
弓削朋子さん。前職では、ミシュランガイド一つ星獲得の「鎌倉鉢の木」にて腕をふるっていた日本料理のプロフェッショナル

「十日町から関西の料理学校へ進学し、卒業後は県外で働いていました。大人になって改めて十日町を見つめると、今まで気づかなかったたくさんの魅力が見つかりました。四季折々の景色の移り変わりだったり、野山の豊かな食だったり。宝の山だったんです」

Abuzaka店内の様子
店内の様子。窓の外には田園風景が広がります。春夏はグリーンの稲、秋には黄金色の稲穂、冬には真っ白な雪景色。季節ごとに移り変わる風景もお店の楽しみのひとつなのだそう

「十日町の魅力をもっと伝えていく仕事がしたいなと思っていたところ、ちょうどAbuzakaを立ち上げるプロジェクトに出会いました」

「ごったく」って、ブッフェだ!

「私がチームに入った当時は、そばとブッフェをやることだけが決まっている段階でした。

地元の食材を使って、この地域ならではのものを食べてもらいたいなと考えている時にふと気づいたんです。昔からやってる『アレ』って、実はブッフェと同じだなぁって」

弓削さんの頭に浮かんだのは、親族や地域の集まりに欠かせない「ごったく」のことでした。

ごったく

「ごったくで振る舞われるのって、大勢でシェアする大皿料理なんです。テーブルの上に並べてみんなで取り分けて、お腹いっぱい食べるっていう。特別な料理じゃなくても『たくさんある』ということ自体がご馳走なんですよね。

お母さんたちの『たくさん食べてね』『おかわりどうぞどうぞ』という気持ちのこもったご馳走です。雪国なので、十分な食物がない時期もあったでしょうから」

大皿にたっぷり盛り付けるのは、お母さんたちの気持ちの表れなのですね
大皿にたっぷり盛り付けるのは、お母さんたちの気持ちの表れなのですね

先生は、地域のお母さんたち

ブッフェのテーマがごったくに決まると、いよいよ弓削さんの新しいお店づくりが始まりました。

「これまで日本料理をやってきましたが、山菜の詳しい扱い方となると特殊な専門性が必要になります。採り方から処理の仕方まで、地元のお母さん方に教えてもらいました。一番の先生です。

みなさん独自の作り方やノウハウをお持ちなので、色んな方に教えていただきながら試行錯誤しました」

「ごったく」の器は、家庭ごとにとっておきの大皿を用意したり持ち寄るもの。Abuzakaでは、地域の方から譲ってもらった器を使っているのだそう
ごったくの器は、家庭ごとにとっておきの大皿を用意したり持ち寄るもの。同店では、地域の方から譲ってもらった器を使っているのだそう

ごったくでは、代々伝わる家庭ごとのオリジナル定番料理も登場するそう。「教わったレシピは数え切れないほど」という弓削さん。それらを元に、お店の味を作り出していきます。

「元の型を守りながら、そばとの相性や幅広い年齢層の方にとっての食べやすさを考えて、現代風アレンジを加えました。山菜や郷土料理を食べたことのないお子さんや若い世代の方にも食べてもらって、知ってもらいたかったんです」

店内には小さな子ども連れに使いやすい席の用意も
店内には小さな子ども連れ家族も使いやすいスペースの用意も

こうして生まれた弓削さんのごったくを携えて、Abuzakaは昨年、2017年3月にオープン。またたく間に評判を呼びました。

「カフェのような雰囲気のお店ですが、思いのほか年配の方がたくさん来てくださいます。先日は、70〜80代の方から『母親の手料理の味がする』と感想をいただきました (笑)

100歳のおばあちゃんのお誕生日会の場として使っていただいたこともあります。年配の方が昔を思い出しながら喜んでくださるのは嬉しいですね。

インターネットも使っていない方々が、本当の口コミで地図を見ながら来てくださって、ありがたいことです」

次の世代に伝えていきたいから、レシピは隠さない

年配の方だけでなく、若い世代のリピーターのお客さんも増えているそう。

「来店をきっかけに郷土料理に興味を持たれる方がいたり、作り方の質問をいただくこともあります。家でトライしてみたいと。

レシピは包み隠さず伝えるようにしています。広まってほしいんですよね。みんなに食べてもらいたいですし、子どもたちに地元の美味しい物で育ってほしい。

これからはAbuzakaの歳時記をまとめたり、郷土料理のレシピや大根を干す時の藁の結び方の技術を伝えたり、そんなワークショップができたらいいなと思っています」

Abuzakaのエントランス

「そして、この地域の食に携わる後継者を育てたいという思いがあります。私もそうでしたが、進学や就職で外に出て行く子が多い地域なんですよね。

でも大人になって振り返るとすごく魅力的な場所なので、一緒に盛り立てていきたいんです。出ていった子たちが外から見て魅力を感じる、県外の人がここで働きたいという目標を持てる、そんな場所にしていけたらと思います」

Abuzakaには、インターンで訪れる学生や、四季を感じる暮らしがしたいという思いから働き始めたスタッフもいます。四季折々の食材を使ったごったく文化を通して伝える、十日町の魅力。ここAbuzakaから、じわじわと発信されています。

暖炉の置かれたエントランス
エントランスに置かれた薪ストーブ。「おかえり」と、あたたかく迎たいという思いが込められているそう

おなかいっぱいになってお店を後にする頃には、私もすっかり十日町の食に魅了されていました。親戚の家でご馳走になるような気分で旅先の食文化に触れるごったく体験、ぜひ味わってみてください。

<取材協力>

そばの郷 Abuzaka

新潟県十日町市南鐙坂2132

025-755-5234

http://abuzaka.com/

※予約不可、直接店舗へお出かけください。

文:小俣荘子

写真:廣田達也 (一部画像提供:Abuzaka)

着物づくりの工程、全て見せます。新潟十日町・青柳の工房見学へ行ってみた

新潟県十日町市。今年の夏は、3年に一度の「大地の芸術祭」が開催され、多くの観光客で賑わいます。

この十日町には、もうひとつ、毎年夏を中心に全国から人がやってくる場所があります。

着物の一貫生産を行う「青柳」の工房見学。

美大生や職人としての就職を考えている学生、着物好きが高じて制作現場を見たいという人などから、熱いまなざしを向けられています。

ここでの見学をきっかけに、着物づくりの道へ一歩踏み出す人もいるのだとか。

人が集まる理由は何か、ぜひ行って確かめてみたい!と、工房を訪ねました。

1938 (昭和13年) 創業、株式会社青柳

着物づくりの全行程を間近に

着物の産地として1300年にも及ぶ長い歴史を持つ十日町。この地域の着物づくりの特色の一つが、設計から最終工程までをすべて自社一貫で行っていることです。

着物づくりは染、絞り、手描き、箔、刺繍‥‥と、工程ごとに細かく分業されているのが一般的。

しかし十日町は日本有数の豪雪地帯。冬の資材運搬が困難だったことから一貫生産の仕組みが出来上がりました。

染め上がった生地をほぐし、洗い、乾燥させます。仕上げ工程もすべて手作業です。

全ての技術を持っていることが新商品開発の力となり、一大産地として発展を遂げていったのです。

1938 (昭和13年) 創業の青柳も、創案から完成までの全工程を自社で行なっています。普段目にすることのできない技術の数々を一度に見られる工房見学。着物の専門知識がなくても、見ごたえたっぷりです。

安土桃山時代から続く染色技法「桶絞り」

まずはじめに圧倒されたのが「桶絞 (おけしぼ) り」。安土桃山時代から続く染色技法です。

桶絞り

染めたい部分だけを外に出し、あとの生地は桶の中にしまって染色液の中へ。重さ25キログラムもの桶を液の中で上下・左右に動かしながら手早く染めていきます。習得に何年もかかる技術なのだそう。

樽を使って染めたい部分だけを樽の外に出し、染色液に浸けていきます
樽の中は布と空気。浮力で水面に持ち上げられる樽を何度も両腕で染色液へ押し込みます
樽の中は布と空気。浮力で水面に浮き上がる樽を何度も両腕で染色液へ沈めます
生地が徐々に染まり始めます
作業中、職人さんのゴム手袋の中から大量の水が!染色液は85~90度とかなりの高温。火傷しないようにゴム手袋を2重にはめて、その中に水を入れて作業します

ザバッザバッという音とともに、染色液から上がる熱い湯気をあびながら力強く進む染色作業。この迫力ある様子に憧れて、青柳への就職を考えたという社員の方もいたとか。

染色が終わると、きつく締められた桶を開きます
染色が終わると、きつく締められた桶を開きます
桶染めの蓋を開けたところ
蓋を開けると‥‥
しっかりと閉じられていた桶の中からは、染まらない部分が出てきます
しっかりと閉じられていた桶の中には、一切染色液が侵入していません。白の美しさに格別のものを感じます
染める色ごとにこの工程を繰り返して生まれるのがこの見事な生地です
さっき染めていたのはこの赤い部分。染める色ごとにこの工程を繰り返し、ようやく1着分の生地が染め上がります。この生地は振袖になるのだそう

桶染めは手間がかかりますが、染料を上から塗るのではなく染色液にどっぷりと浸けることでダイナミックで濃厚な色合いが生まれるそうです。

無限の色を生み出す染料の調合

青柳では、イメージされた色を忠実に再現するために、独自の調合を行い染料も自社で作り出しています。部屋中に所狭しと並ぶ多種多様な染料から、精緻な色づくりへの熱い思いを感じました。

ずらりと並ぶ染料。これらを調合して色を作っていくのだそう
調合された染料がずらり

また、デザイナーさんは職人さんに相談して新作の染色方法や色を決めることもあるそう。現場の声を直に商品づくりに活かせるのも、自社一貫生産の強みになっているようでした。

創案工程で、柄の色を指定しているところ。色味だけでなく、ぼかし方なども全て原寸大で描き出します
今回特別に、創案工程で柄の色を指定しているところも見せていただきました。色味だけでなく、ぼかし方なども全て原寸大で描き出します

刷毛で色を描く「引き染め」

今度は刷毛で生地を染める「引き染め」の現場へ。吊るした生地に、染料を手早くムラなく伸ばしていきます。素早く刷毛を操る熟練の技が求められます。

刷毛で染める工程。織りにより立体感のある生地は特に技術が必要なのだそう
刷毛で染める工程。表面に凹凸のある生地を染めるには特に技術が必要なのだそう。この日はストールを染めていました
刷毛と染料
壁にはたくさんの刷毛が並びます
壁にはたくさんの刷毛が並びます

型紙を300枚も使って1つの着物を染めることも

こちらは「型友禅」の技法で生地を染める場所。板場と呼ばれているそうです。

長い板の上に乗せられた白生地に型を当て、1色ずつ染め上げていきます
長い板の上に乗せられた白生地に型を当て、1色ずつ染めていきます

型友禅は、型紙を生地の上に乗せて染めていく技法。
振袖などの型友禅を構成する型紙は250枚から300枚に及ぶことも!一反を完成させるのに1週間ほどかかることもあるそうです。

型染めの様子
型染めの様子
型染め途中の友禅
型染め途中の友禅

一口に「染め」といっても、こんなにたくさんの技法があるのですね。染めの工程の先の、箔加工、手刺繍、金泥描きなど細かな装飾の工程も、タイミングが合えば見学することができます。

見ているだけで、面白い。美大生や着物好きの方が夢中になるのもうなずけます。

染めや絵付けの体験も

同社では、見学に加え、染めの体験も行なっています。見学の興奮そのままに、自分でもトライできるのは嬉しい。

染め体験で作れる座布団。柄の色付けを自分で行うことができます
染め体験で作れる座布団。柄の色付けを自分の手で

次世代へとつなぐ十日町の着物づくり

数々の貴重な技術を間近で見られる工房見学。十日町でも、全てオープンにしているのは珍しいと言います。案内してくださった青柳蔵人 (あおやぎ くらんど) さんに、その理由を伺いました。

株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (あおやぎ・くらんど) さん
株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人さん

「かつて職人の世界は、一子相伝など技を秘めておくことに価値がありました。ですが現代では、作る過程をオープンに伝えることが、お客様との信頼関係にも繋がっていくのかなと思っています。

また、着物がお好きな方にはものづくりに興味のある方が多いようなんです。そういったお客様に喜んでいただけたらとはじめました。

3年ほど前から本格的にはじめて、今では学校の課外授業や市の観光事業としても広がりをみせています。夏休みなどを使って訪ねてきてくれる学生さんも多くなりました」

株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (あおやぎ くらんど) さん

「着物を仕事にしたいという方にもたくさん出会いました。職人さんが分業制で着物づくりをしている地域や個人の工房では、就職の受け入れが難しいこともあるようです。着物づくりに携わりたくても、現場を見る機会や就職先がないと悩んでいるんです。

そういう人にとって着物との接点を作る機会になっているのは嬉しいですね」

友禅染

どうしても着物づくりがしたい。でも、受け入れ先がない。

実は、実際にそうした悩みを持って、ついに青柳さんと出会い、東京の会社勤めから着物の世界へ飛び込んだ女性がいます。

次回は、Iターンで青柳に就職し、未経験から着物のデザインをはじめた女性にお話を伺います。

<取材協力>
株式会社 青柳本店
新潟県十日町市栄町26-6
025-757-2171
https://kimono-aoyagi.jp/
*見学、体験ともに予約制 (有料) です。

文:小俣荘子
写真:廣田達也

あの花火大会の打ち上げ花火は、こうやって作られている

7月も後半、この時期の楽しみのひとつといえば、花火大会です!来週7月28日には、江戸から続く国内最大級の花火大会、隅田川花火大会が東京で行われます。

夜空に打ち上がる光の大輪はとても美しくロマンチックですが、一体どうやって作られているのでしょうか。

昨年の隅田川花火大会のコンクールで、見事3位を飾った花火作りの老舗、山梨県の「齊木煙火本店 (さいきえんかほんてん) 」を、さんちでは大会の少し前に取材していました。

歴史ある甲州花火 老舗工場の現場へ

山梨県の甲州花火は一説には武田信玄時代の「のろし」が起源とも言われ、江戸時代に現代の花火の技術のベースとなる形が確立されたと言われています。手持ち花火を経て、元禄・享保の時代から盛んに打ち上げられるようになりました。

その昔ながらの技術をベースに、改良を重ねながら今も手作業で花火作りを続けているのが「齊木煙火本店」です。

四代目社長 齊木克司(さいき・かつし)さんにご案内いただきながら、花火作りの工程を教えていただきました。

「齊木煙火本店」 四代目 齊木克司さん

事務所に着くとすぐに齊木さんの車で山の中へ。

花火には多くの火薬が使われています。そのため、住宅が建てられた地域から一定以上の距離を保った場所でのみ製造が許されているのです。「花火作りは安全が第一」は、取材中に何度も耳にした言葉でした。

各工程の作業室では、人数や重量が決められていて、厳密に安全対策がとられていました

発色を左右するもの

花火は厚紙で何重にも巻かれた球状の玉の中に火薬が込められてできています。

発色を左右するのは、金属粉の組み合わせ。火薬には、玉を爆発させる「割薬(わりやく)」と、割薬の外側を囲んで様々な色に発色する「星(ほし)」と呼ばれる2種類のものがあります。同じ赤色でもどういった配合で作られているかによって色味が異なります。

思い描く花火のデザインに合わせて、社長の斎木さんと熟練の職人さんとで相談しながら配合を決めていきますが、花火は実際に火をつけて打ち上げてみないと結果がわからないもの。配合を決めるには知識と経験が不可欠です。

原料である酸化剤や炎色剤、可燃剤などを混ぜ合わせます
混ぜ合わせた原料をふるいにかけて整えます

長い時間をかけて育てられる「星」

続いて、配合された原料を固めて火薬を作ります。様々な色に発色する「星」作りは花火の要です。

主に直径2ミリメートル程の粒状粘土を芯にして、回転する釜の中で少しずつ火薬の玉を太らせていきます。

釜の中で少しずつ星を大きくしていく「星掛け(ほしかけ)」

1日に直径約0.5ミリメートル程大きくして乾燥、の繰り返し。

しっかり乾かさないとカビが生えてしまったり、割れが生じて、打ち上げた際に美しく発色しないのだそう。天候によっては乾燥させるのが難しい日もあり、長い時間がかかります。

この作業を毎日繰り返すことで星を少しずつ大きくしていきます。なんと根気のいる作業でしょうか。

星のサイズを図るための道具
星の色は配合された薬剤によって異なりますが、最後は火着きを良くするための黒色火薬で仕上げます。そのため、完成したものは全て黒色になっています(左端が完成した星です)

星は1粒の直径20ミリメートル位になったものを使うので、この作業だけで最低でも2~3カ月はかかります。

長い時間をかけて成長させるので、星を大きくすることを、子育てと同じように「育てる」と表現するのだそうです。

回転する釜の中を真剣に覗き込みながら火薬を加え、星の仕上がり具合を確認している職人さんはまさに子どもの成長を支える親のようでした。

密度やバランス、紙質にもこだわって行う「玉詰め」

厚紙をプレスして作った玉皮に、星を並べ真中に割薬を詰めて合わせます。これを玉詰めといい、丸く美しい形の花火を打ち上げるためには、玉の中のバランスが重要なのだそう。

均一に火薬を並べること、飛ばしたい力に合わせた割薬を詰めること、間に挟む和紙の厚みにもこだわります。圧力のかかり具合でも花火の開き方が異なるためです。

紙は先代が探し求めてたどり着いた薄い古紙などを使っているそう。ほんの少しの厚みの差や紙の強さが花火の仕上がりに影響する、本当に繊細な世界です。

星をバランスよく並べていきます。均整のとれた星が並ぶ姿はそれだけで美しかったです
それぞれの層が玉の中心となるように位置を合わせます
しっかりと合わせたら、余分な紙をカットします
ろくろを回しながら棒で叩き、全体の詰まり具合が均等になるように仕上げていきます
長い工程を経て、やっと「玉詰め」が終わります

さらに複雑な玉詰めの技術があります。日本が誇る、色彩豊かな花火の作り方、独自の技術が集結した「多重芯(たじゅうしん)」。花火の中心にいくつもの色の層を浮かびあがらせる技術です。

多重芯と呼ばれる玉詰めの様子
小さい芯を作って次の大きさの中心に入れます
繰り返し火薬を詰めながら次の層を作っていきます

小さい芯を作って次の大きさの中心に入れることを繰り返し、三重芯、四重芯といった多重芯が作り上げられます。

最初の1玉を作るだけでも大変な作業ですが、それを何度も繰り返していく多重芯。1玉詰めるのに1日半以上かかる大仕事です。

単色の花火も美しいですが、カラフルな色が混ざり合う華やかな花火を眺められるのは日本の花火大会ならではだそう。打ち上がるまでに、こんなにも手間がかかっていたのですね。

花火を丸く大きく開かせるために重要な「玉貼り(たまばり)」

こうして火薬が詰め終わった玉は最後の仕上げを迎えます。クラフト紙を何重にも上貼りしていく「玉貼り」という工程。

花火が丸く大きく開くかどうかは、爆発の力と圧力が鍵となります。玉を抑え込む圧力を決めるこの玉貼りでは、クラフト紙の厚みや貼り具合が重要になるそうです。

微細な圧力の差を考慮して作られた自社製の糊を使って、貼っては乾かす作業を何度も繰り返します。こちらも時間がかる作業。

尺玉と呼ばれる直径30センチメール以上の玉が貼りあがるには、およそ2週間もかかるのだそう。

糊のついたクラフト紙を貼っていく工程も人の手で行います
こちらは大玉の玉貼り
太陽の下で乾燥させます

長い工程を経て夜空に花開く大輪

「花火は、星、詰め、貼りの3つのバランスで大きな花が開きます。それぞれの職人が次にバトンを繋いでいくことで美しい花火が空に上がるのです」

打ち上がるまで実際の仕上がりが見えない中で計算とイマジネーションで配合を決め、何ヶ月もかけて星を作り、丁寧に詰めてさらに数週間かけて仕上げていく。

一瞬のきらめきが生まれるまでに、職人さんのこれほどの手間ひまと長い歳月がかけられていることに、本当に驚きました。若手の職人さんに厳しく指示をされている姿も印象的でした。

「齊木煙火本店」の代表作「聖礼花(せいれいか)」。淡いパステルカラーの色合いが特徴です

この花火は、「齊木煙火本店」オリジナルで数々の賞を受賞している作品「聖礼花(せいれいか)」。

「コンセプトは『幸せを運ぶ』。愛情を示すピンク、清らかさを表現する水色、幸せを表すレモンの3色を組み合わせた花火です」と齊木さん。

この淡い色合いを出すのには火薬の配合で多くの工夫が必要なのだそうです。

日本の花火は世界一と言われますが、現代においてもまだまだ進化を遂げています。今年の夏はどんな花火が見られるでしょうか。

長い工程を知った上で眺める花火はさらに味わい深いものに感じられるような気がします。

各地で行われる花火大会、とても楽しみですね。

<取材協力>

株式会社 齊木煙火本店

http://www.saikienkahonten.co.jp/

花火写真:金武 武

文・写真 :小俣荘子 (一部写真 齊木煙火本店提供)

*2017年7月公開の記事を再編集して掲載しました。浴衣を着て花火大会、出かけたいなぁ。

新潟の縄文土器タンタン麺が熱い 店主「凄いものができた」

新潟県十日町市。この地に、ひときわ目を引くご当地ラーメンがあります。

その名は「火焔 (かえん) タンタンメン」。

地元の人々はもとより、評判を聞きつけた他県からの観光客もこのタンタンメンを目当てに訪れるのだそう。

豊かな地元食材をふんだんに

十日町の食材で作った火焔タンタン麺

食欲をそそる真っ赤なピリ辛スープに、もっちりとした弾力のある麺。具材は「何を食べても美味しい!」と言われる十日町で採れた豊かな食材。

豪雪の下で甘みを増す雪下ニンジン、歯ごたえが魅力のエリンギ、ご当地ピクルスとも言われるピリ辛スパイシーな神楽南蛮、まろやかな甘みとシャキシャキ食感がアクセントとなるチンゲン菜、口の中で溶け広がる脂がジューシーな旨味を生む妻有ポーク‥‥など。

勢いよく麺をすすり、後からやってくるピリリとした刺激を楽しみ、具材によって変化する味や食感を堪能する。ほんのりと汗をかきながら夢中で平らげてしまいました。

器に宿る、縄文の存在感

文句なしに美味しいタンタンメンですが、それだけでない「ただならぬ」雰囲気があります。少し視線を下げて、器を見てみましょう。

十日町の赤土を使って作られた妻有焼の丼
力強さを感じる丼

なにやら力強い渦が無数に描かれています。

実はこの丼、十日町で出土し国宝となった縄文土器「火焔型土器」をモチーフに作られたもの。どっしりとしたフォルムに、独特の火焔模様を描きました。この地で取れる赤土を使って作った妻有焼の器です。

燃え上がる炎のような形と文様の火焔型土器
国宝「火焰型土器」 (新潟・十日町市蔵、十日町市博物館保管)
燃えあがる炎を彷彿とさせる装飾

かの岡本太郎も衝撃を受けたという、縄文土器。およそ5500~4500年前の造形が、現代においても色褪せない魅力を放っています。存在感のある炎のモチーフは、燃えるような赤いスープのピリ辛タンタンメンにぴったりの存在に感じました。

火焔型土器のイメージを元に作られたかのように見える火焔タンタンメンですが、実は偶然のめぐり合わせで生まれたのだそう。いったいどういうことなのでしょう。

火焔タンタンメンの生みの親、「手打ちラーメン 万太郎」店主の板場克也 (いたば かつや) さんにお話を伺いました。

十日町の人気ラーメン店「手打ちラーメン 万太郎」
「手打ちラーメン 万太郎」。地元で愛されている同店、背脂の乗ったラーメンが看板商品であったことから「そろそろ万太郎切れ、給油しに行こう!」なんて冗談交じりに誘い合わせた地元の人々が通う人気店です
株式会社麺屋万太郎社長で、十日町ラーメン会十連会長も務める、板場克也 (いたば かつや) さん
十日町ラーメン会十連会長も務める、板場さん

ラーメンで町おこし

「新潟というと、背脂ラーメンが生まれた燕三条が有名ですが、十日町にも多くのラーメン店があります。年々増えるラーメン店の様子をみていて、このままでは地元のお客さんの取り合いになってしまうなと危惧していました。

せっかくなら、みんなで協力しあって外から人を呼び込めないかと、ご当地ラーメンの開発を思いつきました。電話帳でラーメン店を探して、端から順に電話で声をかけて、集まってくれたお店と協力して十日町らしいラーメンを作ることになったんです」

「何を作ろうかと考えた時、試しに地元の越後妻有地域 (新潟県十日町市・津南町) で作られている農作物を集めてみました。エリンギ、ニンジン、神楽南蛮、チンゲン菜、妻有ポーク‥‥と並べていて、これはタンタンメンの具材だなと。

タンタンメンではスープに練りゴマを入れることが多いですが、それぞれのお店のスープの味を消してしまわないように、ラー油のみを使うことにしました。美しいヒマワリ畑が地域の観光名所の一つです。そのイメージが伝わるようにヒマワリ油のラー油を使うことにしました。

同じタンタンメンでもお店によって味が違うので、巡っても楽しめるんですよ」

導かれるようにたどり着いた「火焔」

「地元の食材を使ったご当地ラーメンなので、『妻有タンタンメン』として売り出そうと準備を進めていました。しかし、すでにブランド化されていた『妻有そば』と名前が似てしまうことから、別の名前にしてほしいと要望があり、ネーミングに大いに悩むことになりました。

その頃、相談に乗ってくれていた市役所の方が、『せっかくなら丼もオリジナルのものを作ったら?妻有焼だったら器も地元のものになるよ』と妻有焼センターを紹介してくれたんです。

丼の相談を進める中で、十日町から出土した縄文土器をモチーフにする案が浮上し、タンタンメンの燃えるような辛さに合う『火焔』のイメージに繋がっていきました。名前も『火焔タンタンメン』が良いのでは?と、思いがけず道がひらけました」

火焔タンタンメン

焼きあがった丼を受け取り、さっそく盛り付けてみた板場さん。タンタンメンの魅力が映える1杯に、「凄いものができた」と感激したそう。

「『妻有タンタンメン』でそのまま進めていたら、『火焔タンタンメン』は生まれませんでした。まるで縄文土器に導かれたようです」

国宝「火焰型土器 (新潟県十日町市 笹山遺跡出土)」新潟・十日町市蔵 (十日町市博物館保管)

NHK Eテレの人気番組「びじゅチューン」では縄文土器先生として登場するこの火焔型土器。子どもから大人にまで幅広く愛される国宝の1つです。2020年東京五輪が近づく今、日本文化のルーツとしても世界から注目されています。

今年は火焔型土器を含む縄文土器の一部が、東京国立博物館で7月3日から9月2日まで、また海を渡ってフランスでも2度の公開が予定されています。

もちろん、地元である十日町市博物館でも大地の芸術祭の会期中に公開されています。十日町を訪れたら、本物の縄文土器を鑑賞して、火焔タンタンメンを味わう。今昔の十日町の文化に触れるのも楽しそうです。

<取材協力>

手打ちラーメン 万太郎

新潟県十日町市上島丑735-7

025-757-0398

十日町火焔タンタンメン 公式サイト

http://www.kaen-tantanmen.com/

十日町市博物館

新潟県十日町市西本町1-382-1

025-757-5531

http://www.tokamachi-museum.jp/

文:小俣荘子

写真:廣田達也