金魚が泳ぐ江戸切子。但野硝子加工所の進化する職人技術

先日、こんな美しいグラスに出会いました。

涼しげに泳ぐ金魚が描かれたオールドグラス
涼しげに泳ぐ金魚が描かれたオールドグラス

動植物や景色を切子で描く

作っているのは但野硝子加工所2代目、伝統工芸士の但野英芳 (ひでよし) さん。但野さんが作る江戸切子には、動植物や水など自然界のモチーフが写実的に描かれています。従来の幾何学模様のイメージとは、ずいぶん違う印象です。

直線を中心とした伝統的な文様と、やわらかな曲線が組み合わさった斬新なデザイン。うっとりと見とれてしまいました。

四季の景色をモチーフとしたぐい呑。春 (左手前) 、夏 (左奥) 、秋 (右手前) 、冬(右奥)
四季の景色を表現したぐい呑。春 (左手前) 、夏 (左奥) 、秋 (右手前) 、冬(右奥)
竹林をイメージした器
竹林をイメージした器
水の中を泳ぐ金魚
水の中を泳ぐ金魚のグラス
江戸切子の伝統文様「」と但野さん描く水のイメージが融合していました
金魚の後ろでは、江戸切子の伝統文様である「八角籠目 (はっかくかごめ) 」と、但野さん描く水のイメージが見事に融合していました

江戸切子とは

江戸切子とは、ガラスの表面を削って模様を描く東京都の伝統工芸品です。江戸時代の天保年間に、大伝馬町のビードロ屋加賀屋久兵衛が金剛砂を使ってガラスの表面に彫刻したのが始まりとされ、明治期には英国から指導者を招いて技法が確立されました。

一般的な江戸切子イメージ

伝統ある技法に、新たな表現を取り入れた職人が但野さんでした。

新しいデザインはどのようにして生まれたのでしょう。但野さんにお話を伺いました。

江戸切子職人・但野硝子加工所 但野英芳さん

但野英芳さん

「もともとは建築を勉強していましたがデザインに興味があってデッサンもやっていました。一度は設計事務所に勤めましたが、江戸切子職人だった父がコンクールに出品した作品に魅せられて江戸切子の職人を志しました。

父が他界するまで2年半ほど、一緒に仕事をして技術を学び、その後も職人として修行を積むうちに、伝統的なものだけでなく新しいものが作れないかと考えるようになったんです」

お父様が亡くなった後、取引先の問屋の倒産など苦しい時期があったという但野さん。いかに他のものと差別化していくかを考え、研究していたそう。

「エミール・ガレやルネ・ラリックといった西洋の作家の作品も見て回りました。あちこちと出歩いて良い景色を見かけると、これを切子で作れないかな?なんて考えたり、スケッチブックに絵柄を描いてみたり。

一日中試行錯誤していました」

冬の景色を描いたぐい呑。当時の但野さんのイメージが形になった作品のひとつです
冬の景色を描いたぐい呑。研究期間とも言うべき時代を経て、当時の但野さんのイメージが形になった作品のひとつです

従来の道具では難しいこと

「江戸切子が幾何学的な模様ばかりたっだのには理由がありました。道具です。

ガラスは硬い素材なので、ダイヤモンド素材の道具でないと深く彫れません。筆で絵を描くのとは違って、回転する研磨機で図柄を削り出していきます。曲線や細かい表現をするのには道具に工夫が必要だったんです」

江戸切子は研磨機を使って、回転するダイヤモンドホイールにガラスを当て、削り出していきます
江戸切子の「切り出し」という技法。研磨機を使い回転するダイヤモンドホイールにガラスを当て、図柄を削り出していきます
ガラスの内側から覗き込んで、削ります。そのため、花瓶やタンブラーなど細長いものは難易度が高いのだとか
ガラスの内側から覗き込んで削ります。そのため、花瓶やタンブラーなど細長いものは難易度が高いのだとか

切子職人が作る新しい道具

「そこで、新たに道具を作ることにしました。通常は、直径15センチメートルほどのダイヤモンドホイールが基本の道具です。

細かな動きができるように、10センチメートル、7センチメートル、さらには金魚の目やヒレなどを削り出す時に使う5ミリメートル、3ミリメートルといったサイズのものも作りました」

様々なサイズ、太さ、粗さの道具があり、段階や描くもので使い分けるのだそう
様々なサイズ、太さ、粗さの道具があり、段階や描くもので使い分けるのだそう

新しい道具ができたことで、複雑なものや小さな部分が描けるようになった但野さん。表現の幅が広がり、独自の作風が開花していきました。

但野さんの新しい挑戦はガラスのカット方法だけにとどまりません。素材にも独自のアレンジを加えていきます。

2つの色を組み合わせる

「色を増やすことで、より豊かな表現ができればと考えました。それで、素材を特注で作ってもらうようになったんです」

金魚の描かれたの器には、ブルーとオレンジの2色が使われていました
金魚の描かれたの器には、ブルーとオレンジの2色が使われていました。水を感じる青、金魚の赤。たしかに、色数が増えると風景がより豊かなものになりますね

「色のついた江戸切子では、透明なガラスの外側に色ガラスの層を作って削ります。

透明なガラスと色ガラスの2つを合わせるのは比較的たやすいのですが、もう1色加わると一気に難しくなるんです。機械で作ることはできないので、作家さんにお願いして『宙吹き』で作ってもらっています」

宙吹きとは、型を使わずに溶けたガラス種を吹き竿に巻き取って宙空で吹いて成形する方法のこと。各色の面積や色が入る位置を細かく指定することは難しいため、大まかな比率を伝えて吹いてもらうのだとか。

受け取ったガラスを見て、色を生かしながら図柄の構成を調整し、彫っていくそうです。

桜の木が春風に吹かれている風景を切り取った景色。赤と緑が春のイメージを膨らませます
桜の木が春風に吹かれている風景を切り取ったぐい呑。透明なガラスの上に、底から半分が緑、上半分は赤の色ガラスが重なっています。2つの色が春のイメージを膨らませます
秋の景色のぐい呑。赤とオレンジのグラデーションが紅葉を一層引き立てているように感じました
秋の景色のぐい呑。赤とオレンジ重なりが色の移り変わる紅葉の様子を引き立てているように感じました

さらには、削り方でグラデーションや立体感を表現しています。

削る深さで色に変化を

「例えば、金魚をモチーフにした作品では、尾ひれの赤いガラス部分を削る深さを調整して濃淡を作ります。深く削ると赤い層が薄くなるので色も淡くなり、最後は透明になります。このグラデーションで尾ひれに透明感が生まれるんです」

薄い色グラス部分の削り加減を調整することで、色の濃淡を描いているのだそう。金魚の尾びれのグラデーションのなんて美しいことでしょう
赤から透明へとなめらかに色が変化する尾びれ。本当に金魚が水中を優雅に泳いでいるようです

色ガラスの厚さはわずか0.5〜0.7ミリメートル。「少し削るだけで色が取れてしまうので、できあがった時に色がなくならないように気をつけないといけないんです」と但野さん。

50種類の道具を使い分ける

但野さんの作品を見ていると、ガラスのツヤに違いがあり、質感に変化があるところも面白いのです。例えばこの竹林のぐい呑。

窓から眺める竹林をイメージしたぐい呑。全てをツヤ仕上げにしてしまうと味がないと、竹を半ツヤで仕上げたのだそう。朝靄のかかった景色が浮かんでいます
窓から眺める竹林をイメージしたぐい呑。竹の部分はマットな仕上がり、手前中央の窓部分はツヤのある仕上がりです。朝靄のかかった景色が浮かんでいるよう

「全てをツヤ仕上げにしてしまうと味がないと思って、竹を半ツヤにしました。

江戸切子は内側から見たときに立体感を感じるように作るのですが、マットな部分があると奥行きが出るんです。雲の表現などでもこのツヤ消しの仕上げをします。お酒を入れた時の揺らめきにも味わいが出るんじゃないかなと思います」

マットに仕上げた波の立体感と、ツヤ仕上げの幾何学的な伝統文様が合わさった奥行き感のある景色です
マットに仕上げた立体的な波と、ツヤ仕上げの幾何学的な伝統文様「菊つなぎ紋」が合わさったデザイン

「50種類くらいの道具を使って少しずつ削って図柄を完成させていきます。はじめは目の粗いもので摺って、徐々に目を細かくし、磨きをかけます。少しの差でも使う道具が違ってくるんです。削る道具だけでなく、最終仕上げではフェルトやバフなども使います」

初めは粗く削るので、仕上がりもマットです
初めは粗く削るので、仕上がりもマットです
徐々に目の細かいもので削っていくことで、ツヤが出てきます
徐々に目の細かいもので削っていくことで、ツヤが出てきます

従来の江戸切子の技法と、但野さんならではの技術で作られた美術品のような江戸切子。

その作品は、江戸切子新作展、大阪工芸展、全国工芸品コンクールなど様々な作品展での受賞歴多数。受注制で作られる商品は数ヶ月待ちという人気です。

眺めているだけでも十分に楽しめますが、江戸切子は食器として使えるところがまた嬉しい。

暑い日に涼を取り入れる器として、秋の夜長にお酒を美味しくするグラスとして、特別な時間をもたらしてくれそうです。

<取材協力>
但野硝子加工所
東京都江東区大島7-30-16
03-5609-8486
http://tadano-kiriko.com/

文・写真:小俣荘子

こちらは、2018年9月3日の記事を再編集して掲載しました。見ているだけでうっとりするような江戸切子、大切な人への贈りものにもおすすめです。

簡単にできる浴衣のお手入れと洗い方。保管のポイントを知れば浴衣を長く楽める

浴衣のお手入れ、保管方法を知って長く楽しむ

今年の夏、みなさんは浴衣を着る予定はありますか?

花火大会や夏祭り、ビアガーデン、はたまたちょっとしたお出かけに纏っても夏をより一層楽しめるように思います。今回は浴衣で出かけた後のお手入れや、翌年また楽しめるように保管しておく方法をご紹介します。

和服というと、お手入れや保管が難しいというイメージがつきまといますが、ポイントさえ押さえればとてもシンプルです。基本的には、1シーズン着て、季節の終わりに洗濯して片付けるだけ。汚れや汗、シワのケアをしておくとより長く美しく着られるので、脱いだらすぐにやっておくと良いこともありますが、ほとんどワンピースなどの洋服と同じです。

それでは、順を追ってご紹介していきましょう。

まずはハンガーにかけて陰干し

浴衣を脱いだら、まずはハンガーにかけて陰干しをします。ハンガーは洋服用のものでも問題ありません。

陰干しとは、直射日光の当たらない場所に干すこと。風通しの良い場所に干すことで、湿気を飛ばしシワを伸ばします。

浴衣は丈が長いので、ハンガーをかける位置によっては裾が床についてしまうこともありますが、気になるようでしたら下に敷物やタオルなどを敷いておくと良いかもしれません。または、お部屋の扉の上部分にハンガーを引っ掛けるようにして干すと裾がつかないちょうど良い高さになることもあります。

同様に帯や腰紐、伊達締めやウエストベルトなどもハンガーに干して湿気取りやシワ伸ばしを行います。肌着は、下着同様に毎回洗濯しましょう。

汚れのチェック

ハンガーにかけたら、全体に汚れやシミがないかをチェックし、見つけた場合はできるだけ早く処置します。水溶性の汚れは部分的に水洗い、ファンデーションなど油性の汚れの場合は少量の洗濯洗剤などを使って部分的に優しくもみ洗いします。真っ白なブラウスの襟などを汚してしまった時の部分ケアをイメージしていただくとわかりやすいかもしれません。

裾の泥やほこりによる汚れがある場合、泥は乾いてからタオルでつまみとり水拭きすれば問題ありません。ほこりは洋服ブラシなどで払えば取れます。そのままにしておくと生地に沁みてしまうので早めのケアが安心です。

汗をたくさんかいてしまった場合は、汗をかいた箇所を中心に霧吹きか、濡れタオルで挟むようにして湿らせます。一晩干しておくと水と一緒に汗も飛ばされています。

木綿や麻でなく、絹紅梅(きぬこうばい=木綿にシルクの織り込まれた生地)などの高級な浴衣の場合は、固く絞った濡れタオルを使ってお手入れします。

その他、下駄などの履物は、使った後に固く絞った濡れタオルなどで拭いておくと次も気持ちよく綺麗に履けて長持ちするのでおすすめです。

浴衣の洗い方

夏の終わり、浴衣を着終えたら、洗ってから片付けます。木綿の浴衣は洗濯ネットに入れて洗濯機で洗える(5分程度で十分)とも言われますが、心配な場合は手洗いかクリーニングが安心です。特に、縮みが心配な場合はクリーニングをお勧めします。

絹紅梅の場合は扱いが難しいのでプロへ。悉皆屋(しっかいや=着物専門のクリーニング)さんへ出しましょう。

自宅で丸洗いする場合は、袖を合わせてパタパタと折るだけの簡単な袖畳みにして洗濯ネットに入れて行います。大きなたらいなどに水を張り、洗剤(おしゃれ着用洗剤など)を適量入れて混ぜます。その中に浴衣を入れて全体を押し洗いします。この時、ぬるま湯だと色が移ることがあるので必ず水で行います。

最低2回すすいだら優しく水気を絞ります。力強く絞るとシワになるので要注意。すぐさまネットから取り出し、大きなタオルの上に浴衣を広げます。干す前に、水気を切りながら手アイロンで伸ばしておくと乾いてからのアイロンがけが楽になります。

全体を伸ばしたら、袖を伸ばせる状態で和装ハンガーにかけて風通しの良い場所で陰干し、乾いたら畳んで片付けます。アイロンをかけるのは翌年着る直前のほうが良いでしょう。

ちなみに、絞りの浴衣などは、アイロンをかけるとシボ(シワ模様)が伸びてしまうので、手アイロンのみで仕上げ、どうしてもきれいに伸びなかった箇所のみ当て布をしてふんわりとアイロンがけします。

有松絞りのシボ。糸でくくって染め上げることで立体的な仕上がりとなります

浴衣の保管方法

本畳みと呼ばれる、縫い目に沿った畳み方で浴衣を畳んだら、着物専用の包み紙「たとう紙(たとうし)」などに包んでから収納すると安心です。クリーニングから返ってきた際も、通気性を良くするため、ビニール袋から出してたとう紙に包みます。

たとう紙は、和紙でできているので通気性がよく、和服を湿気から守ってくれます。浴衣購入時に付いてきたり、通販でも手頃な価格で販売されているので、簡単に手に入ります。

防虫剤を利用する際は、洋服でも同じですが、直接浴衣の上には乗せず、たんすや衣装ケースの隅に置いて使用してくださいね。

オフシーズンの間の保管スペースの確保が難しいという場合もあるかと思います。そんな時には、トランクサービスなどを利用するのも便利です。

例えば、スマホアプリで簡単に利用できるトランクルームアプリ『サマリーポケット』から『着物ボックス』というサービスがリリースされました。きもの専門店「きものやまと」との提携で生まれたきもの専用ボックスです。ほかにも、着物や和服の預かりサービスは色々なところが提供しているので、一度調べてみてください。

夏の思い出となる時間を共に過ごした浴衣。ちょっとしたお手入れと管理に気をつけて、来年もまた愉しみたいものですね。和服といえど、浴衣は気軽なもの。身構えすぎず、ポイントを抑えればシンプルに扱えます。

夏のワードローブの1着として、思いっきり楽しんでまいりましょう!

<参考文献>

『大人のおでかけゆかた コーディネート帖』 (株) 小学館 著者・秋月陽子 (2008年)

『着物でおでかけ安心帖』 (株) 池田書店 監修・大久保信子 (2013年)

『京都で磨く ゆかた美人』 NHK出版 編者・日本放送協会 NHK出版 (2014年)

文・写真:小俣荘子

※こちらは、2017年8月14日の記事を再編集して公開しました。

琉球ガラスの魅力をさぐる旅。沖縄最古の工房で知った美しい色の秘密

戦後の資源不足から生まれた、沖縄の琉球ガラス

沖縄を代表する工芸品のひとつ、琉球ガラス。落ち着いた色合いや、時折ガラスの中に見える涼しげな気泡が魅力です。

涼しげな気泡や、独特の色合いで、光を柔らかく反射する琉球ガラス
涼しげな気泡や、独特の色合いで、光を柔らかく反射する琉球ガラス

実はこの琉球ガラス、廃瓶などの再生ガラスを使って作られているのです。

琉球でのガラス製造は明治時代に始まっていましたが、原料の枯渇や戦争の影響で、戦前のガラス工房は全てなくなってしまいました。現在残っている琉球ガラスは、第二次大戦後に発展したものです。

再生ガラスを使う製法は、戦後の資源不足から生まれたやり方でした。最初こそ必要に迫られて始まった琉球ガラスですが、沖縄の人々はそこに独特の美しさを見出し、この素材だからこそ生まれるものづくりへと発展させてきたのです。

光にあたるとその美しさが一層引き立ちます
光にあたるとその美しさが一層引き立ちます

現在では、廃瓶の減少や製造時の扱いが難しいことから作り手は減ってしまいましたが、独特な色や気泡の魅力をもつ琉球ガラスには、県外にも多くのファンがいます。

沖縄最古の工房を訪ねる。窓からできる琉球ガラス

今もなお、昔ながらの原料で琉球ガラスを作り続ける最古の工房、奥原硝子製造所を訪ねました。

昭和27年創業の奥原硝子製造所。現在は、琉球伝統文化を伝える施設「てんぶす那覇」の2階に工房を構えています
昭和27年創業の奥原硝子製造所。現在は、琉球伝統文化を伝える施設「てんぶす那覇」の2階に工房を構えています
工場長の上里幸春さん
工場長の上里幸春さん

奥原硝子製造所の代表的な琉球ガラスの色は「ライトラムネ色」と呼ばれる淡いブルーグリーン。

琉球硝子

さて、この色は何から生まれているでしょう?

答えは、窓ガラス。

「一見透明に見える窓ガラスですが、実は薄く色が付いています。私たちの工房では、窓ガラスを作った時に出る切れ端を主な原料として使っています。廃瓶などの素材もそうですが、砕いて、溶かして成形すると独特の美しい色が生まれます」と上里さん。

溶かすために砕いたガラス片。断面を見てみると、ほのかに色がついていることに気づきます
溶かすために砕いたガラス片。断面を見てみると、ほのかに色がついていることに気づきます

「窓ガラスをベースに、他の廃瓶などと重ね合わせてグラデーションをかけることもあります。稀にコバルトを使ってブルーを出すことはありますが、基本的に新たな着色はしません。再生ガラスが持つ、霞みがかっているような淡い透明感を生かして作ることにしています」

こちらは茶色い一升瓶と窓ガラスを原料として作られたグラス。懐かしさを感じる柔らかな黄色が印象的です
こちらは茶色い一升瓶と窓ガラスを原料として作られたグラス。懐かしさを感じる柔らかな黄色が印象的です
そのほかにも、工房には様々な色の再生ガラスが置かれていました
そのほかにも、工房には様々な色の再生ガラスが置かれていました
バヤリースの瓶。一見透明ですが、こちらも独特の雰囲気を生むそうです
バヤリースの瓶。一見透明ですが、こちらも独特の雰囲気を生むそうです

残す美しさ。琉球ガラスに込められた気泡の魅力

通常のガラス成形では気泡が入ると失敗とされます。しかし、再生ガラスを使うと気泡が生まれやすく、完全になくすのは困難なこと。ならば、この気泡も美しさとして生かしていこうと、細かな泡をあえて残すようになったそうです。

剣山などの針を使ってガラスの表面に窪みをつけ、その上にさらにガラスを巻きつけることで意図的に気泡を作ることもあるのだとか。

模様のように入った細かな気泡がキラキラと反射して涼を誘います
模様のように入った細かな気泡がキラキラと反射して涼を誘います

丈夫さと安定感。使うことを意識した琉球ガラス

戦後のアメリカ統治時代、工房には駐在するアメリカ兵からたくさんの注文が舞い込みました。西洋のライフスタイルの中で使われる様々なガラス製品を作ることで、奥原硝子製造所の製品バリエーションは増え、形も洗練されていきます。

溶かしたガラスを竿の先にからめて、空気を吹き込んで成形していきます
溶かしたガラスを竿の先にからめて、空気を吹き込んで成形していきます
再生ガラスは、冷めて硬くなるのが早いのだそう。時に二人掛かりで素早く形を整えていきます
再生ガラスは、冷めて硬くなるのが早いのだそう。時に二人掛かりで素早く形を整えていきます

ぽってりとした安定感とほどよい厚みのある器は、壊れにくく扱いやすいため、飲食店も信頼を寄せています。季節を問わず使える色合いとそのフォルムも魅力ですね。

ガラスのサイズを測る道具
ガラスのサイズを測る道具
日々の食卓で使われる器。「見本と同じ形、サイズで均質に作ることを大切にしている」と上里さん。ガラスが冷めた後の伸縮率を考えながら大きさを整えます
日々の食卓で使われる器。「見本と同じ形、サイズで均質に作ることを大切にしている」と上里さん。ガラスが冷めた後の伸縮率を考えながら大きさを整えます

そんな「使える器」を作り続けてきた奥原硝子製造所。上里さんに、おすすめの使い方を伺うと、「しっかりした器なのでアウトドアにも持って行ってほしいなと思っています」という答えが返ってきました。

光に照らされることで色が映える琉球ガラス。たしかに太陽との相性抜群です。しっかりとしていて壊れにくいからこそ、キャンプでサラダやフルーツを盛り付けたり、冷たい飲み物を注いだり、開放的な場所で使ってみたくなりました。

琉球ガラスのお皿とグラス

<取材協力>

奥原硝子製造所

沖縄県那覇市牧志3丁目2-10 てんぶす那覇2F

098-832-4346

文:小俣荘子

写真:武安弘毅

※こちらは、2018年6月9日の記事を再編集して公開しました。

60歳から始めたものづくりに業界が驚いた!「楽器オルゴール」の世界

音楽を奏でる箱、オルゴール。

子どもの頃に遊んだ思い出を持つ人もきっと多いはず。そんなオルゴールを、高品質の楽器へと高めた日本人がいます。

オルゴールマイスターで指物職人の永井淳 (ながい じゅん) さん。

伝統的な技術を活用し、オルゴールの世界に「楽器オルゴール」という新たなジャンルを切り開きました。

永井さんが生み出した楽器オルゴール
永井さんが生み出した楽器オルゴール


*以前、その音色の素晴らしさをさんちでご紹介しました。「12月6日、音の日。指物職人が生んだ『楽器オルゴール』」

こちらがその楽器オルゴールの音色です。音に包み込まれるような柔らかくて心地よい響きが特徴です。

世界的音楽家も認めた品質

この音の品質は世界的音楽家からも認められ、永井さんのオルゴールのために楽曲が作られたほど。

エルメスのオルゴール
坂本龍一さんによる作曲が実現した楽器オルゴールのオブジェ。エルメスの企画で作られました。下の台の部分が楽器オルゴールになっています。永井さんのオルゴールの音色を聴いて「この品質であれば」とオリジナル曲が作られたのだそう

音楽のプロフェッショナルをも納得させた楽器オルゴールは、いかにして生まれたのか。ご本人に伺いました。

永井さん (右) と、弟子の秀嶋さん (左)
永井さん (右) と、お弟子さんでオルゴール販売を引き受けている秀島えみさん (左)

オルゴールの音楽的課題は「音量、低音、共鳴」

そもそも、永井さんの楽器オルゴールと一般的なオルゴールは何が違うのでしょうか。

「既存のオルゴールには、3つの音楽的課題がありました。それは『音量、低音、共鳴』。これらをひとつずつクリアしていきました」と永井さん。

「まず、音量。おもちゃや装飾品ではなく、楽器として扱うのであれば人に聴いてもらえる音量が必要ですよね。でもオルゴールは、小さな金属板をシリンダーや紙の凹凸で弾いて音を出す作りなので、仕組みだけでは大きな音が出せないんです」

オルゴールの演奏装置
オルゴールの演奏装置

「それから、低音。オルゴールの音域は高音~中音が中心で、低音を響かせるのは苦手です。ですが、音楽の世界では低音がいかに響くかが重要だといいます。奥行きや重厚感につながりますからね。坂本龍一さんも低音を大事にされているようでした。

そして、共鳴。小さな金属弁を弾いた音はすぐに消えてしまいます。音が伸びないんです。短い音しか出ないとなると、おのずと曲のテンポが早くなります。自由にテンポを決められないことも、作曲家から避けられてしまう理由の一つです」

指物と共鳴箱が広げた可能性

その3つの問題を解決したのが、永井さんがもともと取り組んでいた指物の技術でした。

「多くの楽器は箱や板、管で共鳴させることで、大きくて良い音を出しています。そこで、オルゴールにも楽器の仕組みを取り入れることを考えつきました。

小さな金属音を響かせるために、オルゴールの装置を木箱に入れるんです」

オルゴールが木箱に入ると、木の繊維を伝わって音が響きます。木の繊維が長ければ長いほど音の響きはよくなるので、釘や接着剤を使わずに木工品を組み立てる指物の技術がぴったりでした。

指物の技術でつなぎ合わせた箱
指物の技術でつなぎ合わせた楽器オルゴール

さらに、永井さんはオルゴールを載せる専用の「共鳴箱」を作製。これにより広い音域の音を大きく伸びやかに響かせることが可能になりました。

オルゴールのための共鳴箱
オルゴールのための共鳴箱。オルゴール本体同様、木を組み上げて作られています。電気を必要とせず、この上にオルゴールを載せるだけで音を大きく美しく響かせます

こうして生まれた楽器オルゴール。低音域から高音域までしっかりと十分な音量で響くので、大勢の聴衆の前での演奏も可能に。

個人で楽しむだけでなく、各地で演奏会が開かれています。エルメスの企画で楽器オルゴールが製作された際も、2フロア分の吹抜け空間でコンサートが行われました。

60歳で職人デビュー

オルゴールに楽器としての価値を見出した永井さんですが、実は元々、オルゴールの職人でも指物の職人でもありませんでした。思いがけないきっかけが永井さんをオルゴールの道へと誘いました。

永井さんのユニークなキャリアは学生時代に始まります。兄弟で立ち上げた学習塾を経営。子どもたちに勉強を教える傍ら、カーレーサーとしても活躍していたというアクティブな一面も。

その後、家族の事情で学習塾をたたむことになり、建築の道へ。設計士としてインテリアの勉強をしている中で指物に興味を持ち、技術を学んだと言います。指物の職人としてのスタートは、なんと60歳のとき。

永井さんとオルゴール
好奇心旺盛で勉強家の永井さん。興味を持ったらとことん探求するのが信条なのだそう

始まりはティッシュケース

そんな永井さんがオルゴールを作るきっかけを生んだのは、自らデザインした指物のティッシュケースでした。

屋久杉でつくったティッシュボックス
屋久杉で作ったティッシュケース。ティッシュに杉の香りがほのかにうつるのだそう

このティッシュケースが世界的なオルゴールメーカーの社員の目に止まり、オルゴールを装飾する箱の製作依頼を受けます。当初は、箱の見た目の美しさが評価されての依頼でした。しかし、永井さんは別の思いを持ち始めていました。

「せっかくならもっと音質にもこだわりたい」

それから永井さんの猛勉強が始まります。

「オルゴールに関する文献を色々と読み込みましたが、音響について言及された資料は見当たりませんでした。

音響の専門家に聞いてもわからず、仕方なく楽器の専門書をあたって、ピアノやバイオリンの構造や音響学から多くを学びました」

オルゴールの足
グランドピアノの足がヒントになった、楽器オルゴールの足。足が3本だと圧力がバランスよくかかるので、下に置かれた共鳴箱に最大限の響きを伝えることができるのだそう。

もともとクラシック音楽が好きで、よく聴いていたという永井さん。車好きで機械構造についての知識や、建築での経験から木材に関する知識が豊富であったことも、研究の手助けとなりました。

「人生に無駄なことってないですね。共鳴箱は、塾で子どもたちと理科の実験で作っていました。そんな経験も生きています」とにっこり。

70種類以上の木を試し、試行錯誤を重ねて完成したオルゴールのための箱。メーカーに届けたところ、技術者が全員驚きの声をあげたのだそう。こうして永井さんは、オルゴールメーカーのコンサルタントを務めることとなり、その後もオルゴールの開発をしてきました。

色々な木材で作られたオルゴールが並ぶ棚
色々な木材で作られたオルゴールが並ぶ棚。一番響きが良い木材はメープルなのだそう

パラレルなキャリアが生きる、ものづくり

「きっと、職人一筋だったらこの発想にはなっていなかったと思います。外側からの視点でオルゴールを見られたからこそ、素直に疑問が湧いて改良点を見つけられました」

「これまでの知識、経験、人との繋がりが今に生きています。楽器オルゴールはまだ完成ではありません。

もっといい音、心地よい音をたくさんの人に聴いてもらえるよう、これからも開発していきたいですね。他にも、高齢者向き、体が不自由な人向きなど、色々なアイデアがあります」

永井さんの探求はまだまだ続きます。ひとつの仕事に縛られない永井さんの生き方が、これからも豊かな音を生み出していきます。

<取材協力>
永井淳さん
EMI-MUSICBOX


※永井さんの作品が展示される工芸展
「中野区伝統工芸展 (Nakano Traditional Craft Exhibition)」
会期:2019年6月7日〜9日
会場:なかのZERO 西館 (東京都中野区中野2-9-7)
問い合わせ:03-3228-5518
主催:中野区伝統工芸保存会

<掲載商品>
楽器オルゴール シリンダータイプ
サウンドボックス (共鳴箱)

文・写真:小俣荘子

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1984年 徳島県生まれ。

22歳の時、徳島県で桶樽を製造する会社の求人広告を目にし、直感的に見学を申し出た。それがきっかけとなり桶樽職人の道に。2012年、6年間の修行を経て独立。「司製樽 (つかさせいたる) 」を立ち上げた。

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味噌も、醤油も、日本酒も作れなくなる?

お話を伺いに原田さんのもとへ。

普段はご自身の工房で木桶や木樽の制作をしている原田さんですが、この日はお客さんのところにいらっしゃるとのこと。

訪ねたのは、創業140余年の「井上味噌醤油」。明治時代から徳島県で木樽を使った天然酵母の味噌を作り続けている老舗味噌蔵です。

井上味噌醤油

新しいものを作ることに加え、桶職人にとって大事な仕事に、桶や樽の「修繕」があります。

井上さんの蔵で代々使い続けられてきた大樽の修繕を原田さんが引き受け、埼玉県から弟子入りした伊藤翠 (いとう みどり) さんと一緒に朝から蔵にこもって作業をされていました。

大きな樽を修理する、原田さんと弟子の翠さん
大きな樽を修繕する、原田さんと弟子の伊藤さん
金槌と木槌のようなもので竹の箍を打ち、樽を締め上げていきます
蔵の中には、トーントーンという音が響き渡ります
大樽を修理する原田さんと伊藤さん
音の正体はこちら。金槌と木槌のようなもので竹の箍 (たが) を打ち、樽を締め上げているのだそう

「今日、修繕してもらっているのは100年以上使ってきた樽なんです。古くなり液漏れするようになったので、しばらく休ませていたんですが、こうして直してもらえるとまた新しい味噌を仕込むことができます」

そう話すのは、井上味噌醤油7代目の井上雅史 (いのうえ まさふみ) さん。原田さんの取り組みを応援している方のお一人です。

井上味噌醤油のご主人、井上さん
井上味噌醤油のご主人、井上さん。木の道具を使うことで生まれる、発酵食品の旨味について科学的に解明する取り組みもされています
井上さんの作る天然酵母の味噌は、料理好きの人が「あそこのは美味しい!」と口々に褒める、知る人ぞ知る徳島のお味噌。遠方からわざわざ買い求める人も多いのだそう
井上さんの作る天然酵母の味噌は、料理好きの人が「あそこのは美味しい!」と口々に褒める、知る人ぞ知る徳島のお味噌。遠方からわざわざ買い求める人も多いのだそう

「うちの蔵では、創業からずっと木樽で味噌を作り続けてきました。長い年月使い続けてきた木樽には、味噌を発酵させる微生物が住み着き、その土地ならではの個性が表れる美味しい味噌ができあがります。

味噌や醤油、日本酒などを天然酵母でつくるには、微生物にとって住み心地の良い木の道具が必要不可欠なのですが、最近では職人さんが減ってしまい、木樽での製造が危うい状況です」

伝統の「もろぶた糀」といわれる米麹をつくる作業に欠かせない道具は、祖先の知恵いっぱいの木造りで、約40時間をかけて徹夜をしながら、手作業にて麹菌を育て上げます
古い木樽で醸造中の井上さんの味噌

「また、発酵の過程を完璧にコントロールすることは難しく、道具をひとつ変えるだけで、それが仕上がりを大きく変えてしまう可能性があります」

伝統の「もろぶた糀」といわれる米麹をつくる作業に欠かせない道具は、祖先の知恵いっぱいの木造りで、約40時間をかけて徹夜をしながら、手作業にて麹菌を育て上げます
こちらの木箱も井上家伝統の糀 (こうじ) を作るのに欠かせない道具。長年大事に使い続けてきたものです

「道具にも寿命があり、修繕しながら大切に使っていたとしても、いつか使えなくなる時がやってきます。そうなってしまったら、もう同じ味は作れません。

だから、昔の道具をずっと大事に使い続けながら、次の世代の道具を育てていく必要がありました」

原田さんと井上さん

「僕、やります!」

「そんな風に今後のことを考えている時に、原田くんに出会ったんです。『僕、やります!』と、大きな木樽づくりへの挑戦を申し出てくれました。

戦後、味噌蔵が木樽を新調することは、本当に稀なことです。技術情報も乏しい状況でしたから不安もありましたが、それでも挑もうとする原田くんに任せてみようと思ったんです」

地域の他の職人さんも交えて、いろんな知恵を出し合いながら手探りで製作が進められ、新しい木樽がひとつ生まれました。

原田さんが初めて作った味噌樽
井上さんの蔵で、原田さんが初めて作った味噌樽。新樽仕込みの味噌作りが始まり、数年が経ちました。これから長い年月をかけて育てていく樽です

「花ブロック」は何が優れているのか?専門家に聞く特徴と歴史

沖縄の建物といえば、赤瓦屋根と並んで特徴的なのがコンクリート造りの家。

沖縄の外壁はそれぞれ個性がありますが、代表的なデザインといえば「花ブロック」。

代表的な花ブロック
花ブロックとは、コンクリートブロックに空洞を作って柄をデザインした、沖縄生まれの建築素材です

どんなものがあるのか、街を歩いてみましょう。

ブロック塀として使われる
ひし形と波の形は、沖縄のみならず、全国で活用されているデザイン
バルコニーのあしらいで使われる花ブロック
正方形のブロックにデザインが施されているものが多くありました
バルコニーや屋上などの柵として使われることも
バルコニーや屋上などの柵として使われることも
沖縄県警察運転免許センターの壁に使われている花ブロック
沖縄県警察運転免許センターの壁に使われている花ブロック。カーテンウォールとして機能していました

建物に個性を与えてくれる花ブロック。沖縄県外でも目にしますが、沖縄ほどバリエーションがあり、多く使われている家はないように思います。どのような機能から重宝され、沖縄の暮らしに馴染んできたのでしょう。

県内の花ブロックの80%以上を製造する、合資会社山内コンクリートブロックでお話を伺ってきました。

合資会社山内コンクリートブロック 代表の安里享 (アサト ススム) さん
合資会社山内コンクリートブロック 代表の安里享 (あさと すすむ) さん

沖縄の「住まいの悩み」をブロックが解消した

「戦前、沖縄は木造建築ばかりでした。終戦後、米軍が軍の施設や住宅を作るために手動のブロック製造機を沖縄に持ち込みます。それを見て、アメリカからカタログを取り寄せて機械を自作した地元企業がありました。そして翌年には、沖縄で最初のブロック製造業者が創業します。

木造建築は度々台風で壊れてしまいますし、かといって金属は潮風で傷んでしまうため使えません。コンクリート建築は台風による被害に強く、シロアリにも蝕まれず、潮風にも影響されません。それまでの沖縄の住まいの悩みを解消してくれる素材だったのです。

また、セメントや砂など主要原料が地元で調達可能で、小規模の生産設備でも製造ができました。沖縄にとって複数の好条件がそろい、戦後の復興期に生産が急拡大していったのです」

強い日差しを和らげたコンクリートブロック

「亜熱帯気候の沖縄は、日差しがとても強いです。日差しを和らげ、影を作って風を通そうという考えのもと、ブロック塀が広がったと言われています。

最初は、ただ積み上げられただけのブロック壁でした。しかし、それでは家の中に光が入りません。そこで、ブロックの積み方を変えて穴が見える形にし、強い日射しを遮る一方で、穴から柔らかい光と風を取り入れられるようにしました。これには、外の景色が入り込む開放感を残しつつ、人の視線も適度に遮断しプライバシーを確保する働きもありました。

さらには、その穴を四角や丸に変えてデザイン性を高めた方がいました。沖縄を代表する建築家のひとり、故・仲座久雄さんです。こうして、実用性と美観を兼ね備えた花ブロックが生まれ、広がっていきました」

適度な日陰を作りながら風と光を取り込む
適度な日陰を作りながら風と光を取り込んだ美しいバルコニー。沖縄は気温も湿度も高いですが、海に囲まれているため爽やかな風が吹く地域。ひとたび日陰に入ると心地よい「涼」を感じられます (撮影協力:あいレディースクリニック)
同じ建物を外側から見たところ。レースのようなデザインが涼しげでありつつ、プライバシーを担保する機能も担っていることがわかります
同じ建物を外側から見たところ。レースのような透け感が涼しげでありつつ、プライバシーを保護する機能も担っていることがわかります (撮影協力:あいレディースクリニック)

花ブロックのデザインは100種類!

街を歩いていると、珍しいデザインの花ブロックに出会うこともあります。いったいどれくらいの種類があるのでしょうか。

「創業当時は3〜4種類ほどでしたが、お客様の要望で独自の型を作ってきた結果、100種類近くまで増えました。商業施設やマンション、リゾートホテルなどで様々なオリジナルデザインを見つけていただけると思いますよ」

新しいデザインの花ブロック
新しいデザインの花ブロック。波をモチーフにしています
新しいデザインの花ブロック
前後で傾斜がついた奥行き感のあるデザインもありました

「お客様の要望で」と一口に言う山内コンクリートさんですが、その成形の裏側には見えない苦労が多くあるのだとか‥‥。

「花ブロックは、セメントと潮抜きした海砂、強度を高めるための砕砂 (さいさ=天然の岩石を細かく砕いて作った砂) を混ぜ合わせたものを型に流し込み、形を整えプレスし、型から外した後に一晩乾燥させて完成します。

コンクリートは強度と作りやすさのバランスを考えながら、混ぜ合わせる水分量を決めていきます。

強い日差しの中での強度を担保するためには、水分量を少なく調合する必要があります。水分が多いと、日差しで乾燥した時にひび割れてしまうのです。

生コンクリートのように水分が多いと型の隅々まで流し込ませやすく成形しやすいのですが、ブロックのパサパサした原料の場合、なかなかそうはいきません。そのため、細かいデザインの場合には苦戦します。

型から抜き取りやすいように、少し傾斜をつけてもらうなど、建築士の方やデザイナーさんと相談しながら、形を作ってきました」

乾燥した砂のような原料を型に流し込み、プレスして形を作ります
乾燥した砂のような原料を型に流し込み、プレスして形を作ります
棚に置いて、一晩乾燥させます
棚に置いて、乾燥させます
成形された花ブロック
編み物のように立体感のあるラインが折り重なるデザインは、製造が特に難しいのだそう
編み物のように立体感のあるラインが折り重なるデザイン。製造が特に難しいのだそう。製造工程のお話を思い出しながら眺めると、ため息が出ますね

地域の工芸と結びついたネーミング

ところで、なぜ「花」ブロックという名前なのでしょう?花の形をモチーフにしているものばかりではないように感じました。

「このことに関しては、立命館大学の磯部直希先生が研究をされています。

その仮説によると、花ブロックは『花織 (はなうい) 』に代表される、琉球王国時代の織物から来ているのではないかと考えられています。

花織の『ハナ』は植物の花の形を表しているのではなく、文様やパターン自体を意味する語として用いられているものです。花ブロックの『花』も、テキスタイルの豊かさに近く、工芸的な側面を持つと言えるのではないか、というのが磯部先生の説です」

古くからある花ブロックの名称を見ていると、たしかに織物を想起するものが出てきます。

「カスリ」という名前の花ブロック。織物の絣のデザインからの連想で生まれたのだそう
「カスリ」という名前の花ブロック。織物の絣のデザインから着想を得て生まれたのだそう
建築家の内井昭蔵さんデザイン。沖縄を代表する織物のミンサー織がモチーフになっているそう
沖縄を代表する織物の「ミンサー織」がモチーフになっている「M」シリーズ

沖縄で長きにわたり親しまれてきた花ブロックは、いま改めてその美しさや機能が見直され、各地でデザインに取り入れられています。コンクリート壁に個性と表情を与え、涼空間を生み出してくれるため、県内にとどまらず、全国から問い合わせがあるそうです。

東京でも、スカイツリーや渋谷ヒカリエなどの商業施設で取り入れられています。他にどんな場所で使われているかな?と意識して歩いてみると、近くの住宅街でも見つけることができました。

沖縄の住まいの工夫から生まれ、琉球時代から続く工芸品の美意識を取り入れてデザインが磨かれてきた花ブロック。成形の難しさを乗り越えて今ここにあると思うと、なんだか愛おしく感じます。

この町にはどんな花ブロックがあるだろう?と、いろんな場所で探してみたくなりました。

<取材協力>
山内コンクリートブロック
沖縄県西原町字小那覇1184-1
098-945-1542
https://www.yamauchi-cb.jp/

<撮影協力>
沖縄県警察運転免許センター
あいレディースクリニック

<参考文献>
「仲座久雄と「花ブロック」 ―戦後沖縄にみる建築と工芸― 」(2014年 磯部直希)
「戦後沖縄における『花ブロック』の変成 ―研究動向の整理と現地調査報告―」(2015年 磯部直希)
「沖縄建築士」創刊号 (1957年 沖縄建築士会)

 

文:小俣荘子
写真:武安弘毅

※こちらは、 2018年7月5日の記事を再編集して公開しました。