へぎそばの「へぎ」って何?生みの親に聞く由来とおすすめの食べ方

そば通を唸らせる新潟名物「へぎそば」

新潟県には、全国のそば通を唸らせる名物「へぎそば」があります。

へぎそばの特徴は、「フノリ」という海藻をつなぎに使うこと。それによるツルツルとしたのどごしと、弾力のある歯ごたえが魅力です。また、一口サイズに束ねて盛り付けられたそばには独特の美しさがあります。

その生まれには、新潟の地場産業である着物づくりとの密接な関わりがあるのだとか。

「へぎそば」の生みの親、十日町市の小嶋屋総本店でお話を伺いました。

小嶋屋総本店
へぎそばを生んだ小嶋屋総本店。その味は5回もの皇室献上を賜るほど
小嶋屋総本店3代目 小林重則さん
小嶋屋総本店3代目 小林重則さん

着物に無くてはならない「布の糊」

「十日町市は着物の一大産地として発展を遂げてきた街です。フノリは、着物づくりに欠かせない素材でした。

フノリは、『布海苔』とも『布糊』とも書きます。布の糊なんですね。煮溶かしたフノリから取れる粘り気のあるエキスが糊となります。糸を液状の糊にくぐらせることで保護したり、強い撚り (より) をかける際に役立ちました。多くの人が着物産業に携わっていたこの街では、フノリはとても身近な素材だったんです」

着物づくり使われたフノリ
着物づくり使われたフノリ (十日町市博物館 展示)
フノリを使って糊付けされた糸
フノリを使って糊付けされた糸 (十日町市博物館 展示)

「フノリは海藻ですから、食料にもなります。飢饉を救ったという歴史も残っています。乾燥させることで一年中保管できるので、保存食として暮らしを支えていたんですね。

この地域は小麦粉を栽培していなかったので、当時そばのつなぎには山ゴボウの葉や自然薯、鶏卵などが使われていました。そこで、もっと身近で手に入りやすいフノリが使えるのでは?と創業者である祖父の重太郎が思いつきます。

研究を重ね、出来上がったフノリつなぎのそばは、今までにない食感と味わい。たちまち評判を呼びました」

「へぎ」にはどんな意味が?

へぎそばは「うつわ」も独特です。

へぎそばの「へぎ」は「剥ぎ (はぎ) 」が訛ったものといわれています。木を剥いだ板を食台にしたものを指しています。この「へぎ」にそばを盛ったので「へぎそば」と呼ばれました。へぎは、養蚕の現場で使われていたものを活用したのだとか。

「へぎ」に3〜4人前のそばを盛り付けて、みんなで囲んで食べるのが一般的です。

器として使われた「へぎ」
器として使われた「へぎ」。3〜4人前のそばを盛りつけ、みんなで囲んで食べる

独自の盛り付け方の理由とおすすめの食べ方

さらには、この独自の盛り付けにも着物づくりとの関わりがありました。

一口サイズに束ねて盛り付けられています
一口サイズに束ねて並んでいます

この形、織物用の絹糸を束ねた「おかぜ (かせ繰り) 」とよく似た姿をしています。日常的に目にしていた姿形が食べやすさと結びついて、この盛り付けとなったようです。

手を振りながら、水から揚げたそばを束ね、八の字に盛り付けます。この様子は、まるで糸を手繰るような動作です
手を振りながら、水から揚げたそばを束ね、八の字にして盛り付けます。まさに糸を手繰るような動作ですね

「昔は米などの五穀は年貢として大半を納めねばならず、手元にはほとんど残りませんでした。そのため五穀に含まれない玄そば (そばの実) を栽培して自分たちの食料にしていたといいます。

普段はそばがきにして食べていたそうです。手間をかけて作る、そば切(麺にしたそば)は餅などと同様に、ハレの日のご馳走でした。

玄そばの実は三角形。『三角=みかど』に通じる縁起物とされました。今も、冠婚葬祭やお祭りなどの宴席でそばが振る舞われます。お酒を飲んだ後の締めにもなるので『そば肴』とも呼ばれ親しまれているんですよ」

へぎそば

薬味にはカラシを添えます。つゆには入れず、少量をそばに塗るようにつけるのがおすすめとのこと。この地域はワサビが採れなかったためカラシが用いられるようになったそうですが、そのさっぱりとした辛さは、へぎそばと相性抜群です

着物づくりがそばに与えた影響を紹介してきましたが、実は、そばも着物づくりに役立っている一面があります。糸を白く漂白するとき、そばの茎を燃やして作ったアク汁を使います。暮らしで身近な食材を着物づくりに生かしたのですね。

冬は雪に閉ざされる豪雪地帯。限りある資源を有効活用して使い切る知恵がそこここにあります。

持ちつ持たれつともいうべき着物産業とそばは、この地で生きる人々の工夫の結晶と言えそうです。どちらも、人々を魅了し続けています。

<取材協力>

小嶋屋総本店

新潟県十日町市中屋敷758-1

025-768-3311

http://www.kojimaya.co.jp/

文:小俣荘子

写真:廣田達也

※こちらは、2018年7月25日の記事を再編集して公開しました。

この縫い針には簡単に糸が通る。「目細八郎兵衛商店」の針が使いやすい理由

わずか5センチほどの箱に入った、小さなお裁縫セット。以前、連載「ちひさきものはみなうつくし」でも反響のあった商品です。

小さいお針箱
縦6センチメートル、横5センチメートルの桐箱の中に、縫い針と綿糸 (黒・白) 、糸切りはさみ、フェルトの針山が入っています

この可愛らしい裁縫箱、小さくても道具はしっかり本格派。江戸時代、加賀藩主に認められた「目細八郎兵衛商店」の縫い針は、糸が通しやすく、布に刺した際にも抵抗が少なく針運びがスムーズでとても使いやすいのです。

なぜ糸が通しやすいのか?なぜ針運びが楽なのか?使いやすさの秘密を、金沢にある「目細八郎兵衛商店」を訪ねて、詳しく教えていただいてきました。

目細八郎兵衛商店
1575年 (天正三年) 創業、目細八郎兵衛商店
店内では、江戸時代からの道具が今も使われていて、その歴史を感じます
店内では、江戸時代からの道具が今も使われていて、その歴史を感じます
20代当主、目細勇治 (めぼそ ゆうじ) さん
20代当主、目細勇治 (めぼそ ゆうじ) さんが迎えてくださいました

加賀藩主が認めた、針穴

加賀の国・金沢で1575年(天正三年)に創業した「目細八郎兵衛商店」。成形がむずかしいとされる絹針の「目穴・目度」を、初代の八郎兵衛が試行錯誤して工夫し、糸の通しやすい良質な針をつくりあげました。

縫い針だけでも、たくさんの種類のものが並びます
縫い針だけでも、たくさんの種類のものが並びます

この針が評判になり、加賀藩主から「めぼそ」という針の名前を授かって、針の老舗「目細八郎兵衛商店」としてこれまで440年余りの歴史を歩んできました。

目細針
江戸時代の店頭の様子

「針の穴はドリルのようなもので開けるので、もともとは真円に近い形をしていました。私たちの店では、この穴を縦長に伸ばし、穴の面積を広げました。的が広くなることで糸を通しやすくしたのです」

縦長の穴が空いているのが特徴です
針穴の見本。縦長の穴が空いているのが特徴です

布を傷つけない秘密は、針先の「爪」

針の使いやすさは、これだけにとどまりません。布に針を刺した時に抵抗が少なく、針の運びが軽やかなのです。そこにはミクロのレベルでの工夫がありました。

「布に刺す針先部分は、針金の端を研磨することで生まれます。

鉛筆の先のような形に削るのが一般的ですが、うちではもっと手前の部分から緩やかな傾斜をつけて研磨していきます。

手間はかかりますが、滑らかな先細りの形にすることで、布に針を刺した時にスムーズに刺し進めることができるんです」

針先の違いを図解していただきました。角が無く、傾斜が滑らかなので摩擦抵抗が少なくなるそう
針先の違いを図解していただきました。角が無く、傾斜が滑らかなので摩擦抵抗が少なくなるそう

「さらに、削った後に、もう一度研磨するのですが、そうすることで針先に爪のような部分を作ります。この針先の爪、実は少し曲がっているんです」

さらに先の爪は、こんな風に少し曲げられているのだそう
爪先はこんな風に少し曲げられているのだそう

「布って、糸がタテヨコに編まれた状態になっていますよね。針は、できれば糸ではなく、糸と糸の隙間に刺したい。爪先が曲がっていることで、糸にぶつかった針がするりと糸を避けて繊維の隙間に入るように設計されています。こうすることで、生地を傷つけず、針も刺しやすくなるのです」

針にわざと傷をつける

「針の成形後、焼き入れを行なって素材を硬くします。こうして針が出来上がるのですが、私たちは最後にもう一つ手を加えています。

最終工程で、再度研磨します。肉眼では見えないのですが、針の表面に縦方向の傷を無数につけています」

イラストのように、針に縦線状の傷を無数につけます
イラストのように、針に縦線状の傷を無数につけます

「傷のないツルツルとした状態だと、刺した時、針の側面全体が布に当たるので抵抗が大きくなります。一方、傷がついて表面に凹凸があると、布との接地面積が減るので、抵抗も小さくなり、刺しやすく、布を傷つけにくくもなるのです」

針を錆びさせない工夫は「油」にあり

「安価なものなどは、焼き入れの後にメッキをかける場合があります。この処理をすると錆びにくくなるのですが、せっかく作り上げた爪や表面の傷がコーティングされてなくなってしまうので、うちの製品ではこの方法は使えません。

そこで、最終段階の研磨の際に、何度も油をつけて磨くなどして、手をかけて強くて酸化しにくい針を作っています」

いずれにしても、針は錆びやすいもの。使った後、手の皮脂や汚れが付いたままで放置しておくと錆びてしまいます。長持ちさせる良い方法はないのでしょうか。

「よく時代劇や昔話の絵の中で、針仕事をする女性が針で頭をつつくような仕草を見せますよね。あれは頭をかいてるんじゃなくて、頭の油を針につけてるんです。昔の針山には、錆び対策として人の髪の毛が入っていたこともあるんですよ」

まさか、そんな理由であの仕草をしていたなんて。確かに昔の人の頭には鬢付け油などが使われることが一般的でしたね。

「もちろん現代の針山に人毛は入っていませんが、羊毛フェルトなど油分のある動物性の繊維を使うことはあります」

羊毛フェルトに刺さった針

「針を使った後は、針を軽く拭いて汚れを取ってから、こうした針山にさしておくと長持ちします。針山にさす時も、数回抜きさしすることで油分を馴染ませると良いですよ」

店頭にはこんな愛らしい針山も
羊毛フェルトで作られたハリネズミ。店頭にはこんな愛らしい針山もありました

目細の針が支える、金沢の伝統工芸

江戸時代から作り続けられている「目細八郎兵衛商店」の針。金沢の伝統工芸を支える縁の下の力持ちでもあります。

加賀縫、加賀ゆびぬき、加賀手毬といった工芸品を作るのになくてはならないのが目細針。また、加賀水引細工の穂先を整えるためにも使われています。

色とりどりの鮮やかな柄の加賀指ぬき
加賀刺繍
繊細な加賀繍をするのも目細針です
水引針
目細針ならではの形の針穴の角がカットされた形の水引針。このフォーク状の先端が水引細工を整える際に活躍するのだそう

一目見ただけでは違いは見えないかもしれないけれど、使ってみるとその使いやすさに驚く。そんな目細針は、小さな中に数々の工夫が凝らされていました。

工芸の街、金沢の職人たちも愛用する目細針。

お店には、糸の素材や用途に合わせた多種多様の針が並んでいます。自分の手のサイズや使い方によってもフィットする針は違ってくるのだそう。お店を訪れて、自分にぴったりの針を見つけたら、お裁縫がもっと楽しくなりそうです。

加賀藩お抱えの書道家、佐々木志頭磨 (ささき しずま) によって書かれた看板
店内に飾られた看板は、江戸時代から受け継がれてきたもの。加賀藩お抱えの書道家、佐々木志頭磨 (ささき しずま) によって書かれたものなのだそう。お抱えの書道家に書いてもらうことを許されたところからも、いかに藩主からの信頼が篤かったかが伺えますね

<取材協力>
目細八郎兵衛商店
石川県金沢市安江町11番35号
076-231-6371
http://www.meboso.co.jp

<関連商品>
小さな裁縫箱(遊中川)

裁縫箱(中川政七商店)

TO&FRO SEWING SET アソート(TO&FRO)

文・写真:小俣荘子
加賀繍 画像提供:金沢市

※こちらは、2018年5月1日の記事を再編集して公開しました。

ロケットに欠かせない、驚異の精度を持つ町工場の手仕事

「地球は青かった」

人類で初めて宇宙に行ったユーリ・ガガーリンの有名な言葉です。

1961年の4月12日、ガガーリンを乗せた世界初の有人宇宙衛星・ソ連のボストーク1号が打ち上げに成功。そのことを記念して4月12日は「世界宇宙飛行の日」となりました。

JAXAのロケットにもその技術が。驚異の精度をもった「へら絞り」

世界中で日々研究が進む宇宙開発事業。

ロケットの製造の現場で、金属を加工する「へら絞り」という技術が重要な役割を担っているのをご存知ですか?

種子島で打ち上げられた宇宙航空研究開発機構 (JAXA) のH2ロケット。 ロケットの両サイドについたロケットブースターの先端部分や、エンジン部品がへら絞りで作られています
種子島で打ち上げられた宇宙航空研究開発機構 (JAXA) のH2ロケット。 ロケットの両サイドについたロケットブースターの先端部分や、エンジン部品がへら絞りで作られています

へら絞り加工とは、回転する平面状の金属板に「へら」と呼ばれる棒状の道具を押し当て、変形・加工していく手法です。

微妙な体重のかけ方や、へらの当て方で、金属を巧みに変形させていきます。それにもかかわらず、寸法誤差はわずか0.015ミリという驚異の精度。

この高い技術力を持ち、世界から注目される工場が東京都大田区にあります。北嶋絞製作所で、日本が誇る手仕事の現場を見学します。

北嶋絞製作所外観
へら絞りの様子。大きいものの場合は、数人がかりでへらを抱え、金属に押し当て絞っていきます
へら絞りの様子。大きいものの場合は、数人がかりでへらを抱え、金属に押し当て絞っていきます

東京都大田区 北嶋絞製作所

戦後間もない1947年に創業した北嶋絞製作所。戦後の焼け野が原で、まずは鍋や釜といった日用品作りから始まりました。高度経済成長期を迎え、様々な依頼が舞い込むようになり、難題も断ることなく挑戦し続けることで新しい技術が蓄積されていったといいます。

機械化による大量生産ができる現在、日用品は機械生産の方が効率がよくなり、職人の手による絞りの技術が求められるのは、高い精度を必要とする製品ばかりに。ロケットの部品をはじめ、パラボラアンテナや航空機の部品、医療器具など、特殊な金属パーツを数多く手がけています。

航空機・宇宙機器などの部品。厚みが一定でないと安全性に大きく影響するため人の手で作られます
航空機・宇宙機器などの部品。厚みが一定でないと安全性に大きく影響するため人の手で作られます
様々な細かい部品も作っている

「機械より、人の手の方が精度が高い」

と、へら絞り職人の北嶋隆之(きたじま たかゆき)さん。一体どういうことなのでしょうか。

「金属には、圧力に反発して元に戻る性質があります。絞っていく中で、そうした性質による反応がどれくらい起きるかはその時々で異なります。一定の圧力をかける機械ではそれに対応できないのです」

人間の経験を元にした数値設定をすることで、機械でも近いことができるようにはなってきているといいます。しかし、絞りながら状態を予測し、力加減や圧を加える方向などを調整して仕上げるには、今のところ人間の感覚が一番正確なのだとか。

脇に「へら」を挟んで体全体を使って金属を絞っていく
北嶋さんに実演していただきました。脇に挟んでいるのが「へら」
へらの柄には、ネジに挿す穴が空いています。加工する金属の硬さや大きさに応じて、扱いやすい位置に都度挿して使います
へらの柄には、ネジに挿す穴が空いています。加工する金属の硬さや大きさに応じて、扱いやすい位置にその都度挿して使います
テコの原理で力を加えて金属を絞っていきます
テコの原理で力を加えて金属を絞り、金型に沿わせていきます
叩いたときの音で、金型との密着具合を確認する
途中で金属を叩いて音を出します。金型との間に隙間があると、密着している部分と異なる音が響くので、聴き比べて金型との密着具合を確認します
金属の張り具合を見ながら適切に力を加えるとなめらかな仕上がりに
金属の張り具合を見ながら適切に力を加えると、なめらかな仕上がりに
力の入れ方を誤ると、表面に凹凸が生まれてしまう
金属の状態を考えず、力の入れ方を誤ると、表面に凹凸が生まれてしまう
金属の戻り具合を見誤って力を加えるとガタガタになってしまう
無理やり力を加えると、穴が開いたりガタガタになってしまうことも

「金属の種類によっても硬さや反発具合は異なります。絞っていると次第に硬くなってしまう素材もあります。その時は、熱することで元の状態に戻してから、また絞ります」

熱することで、へら絞りによって硬化してしまった金属を元の柔らかさに戻します。熱した時の金属の色を見て、状態を判断するのだそう
熱することで、へら絞りによって硬化してしまった金属を元の柔らかさに戻します。熱した時の金属の色を見て、状態を判断するのだそう

「へら」のこだわりは職人十色

工場の中には、たくさんのへらが立てられていました。

「製品の形や金属の種類によって、へらも変えます。鉄板だとやわらかい真鍮、ステンレスだとローラーといった感じです。先人たちは、工夫して自作してフィットするものを作っていたようです。その手作りのへらも受け継いでいます。へらも磨耗するものなので、状態を見て磨いて大事に使っています」

素材や加工方法に応じて使い分けられる様々なへら。熟練の職人は自作して使い勝手の良い道具を自ら作るそう。先人たちの作ったへらを借り受けて使うことも
素材や加工方法に応じて使い分けられる様々なへら。熟練の職人は自作して使い勝手の良い道具を自ら作るそう。先人たちの作ったへらを借り受けて使うことも
年季の入ったへらも多く置かれていました。先輩たちが使い込んできた道具は使いやすいのだそう
年季の入ったへらも多く置かれていました。先輩たちが使い込んできた道具は使いやすいのだそう
へらを磨いているところ。磨耗していると絞る際に製品に傷をつけてしまうため、使っていて変な音がしたらすぐに磨き直します
へらを磨いているところ。磨耗していると絞る際に製品に傷をつけてしまうため、使っていて変な音がしたらすぐに磨き直します。ここでも音がポイントなのですね

「型に金属を沿わせるだけと考えると、へら絞りは、一見簡単そうに見えるかもしれません。でも実は、型通りに成形するのが難しい加工法です。

いきなり力を入れるとうまく行きません。足の先から、全身を使って淀みなく体重を移動して、均等に力を入れなくてはスムーズに加工できません。一人前のへら絞り職人になるには10年以上はかかると言われています。軽くたたいた音と体に伝わってくる感触で、型に金属が密着しているかどうかわかる。五感で金属と対話し、感じながら仕上げていきます。

へら絞りの自動機械もありますが、品質を支えるのは、熟練した技術を持った職人の技です。今後も難しい加工にも応えられるよう技術の向上は必須と考えて、日々取り組んでいます」

こうした積み重ねがロケット部品づくりにも生きています。

ロケット内部に使う、バネのような部品。厚み0.2ミリメートルという薄さのため、金属の硬化状態を見極めながら、熱を加えては絞る工程を繰り返す。繊細な調整が求められる加工
ロケット内部の部品。厚さわずか0.2ミリメートルという薄い板を使っているため、少しでも判断を誤ると歪みや亀裂が生じて使い物になりません。また、等間隔で谷間を作るのも難しい技術なのだそう。金属の硬化状態や反発具合を見極めながら、加熱と絞りの工程を繰り返す、繊細な調整が求められる加工が施されています

「宇宙関連の製品や巨大なものなど、難易度が高い製品作りには『出来るのか?』というものもあり、何かと苦労もします。ですが、うちは依頼された仕事は断らない主義。難題にもなんとか応えてやってきました。プレッシャーを感じることもありますが、やりがいがありますね」そう笑顔で話す北嶋さんが印象的でした。

チャレンジ精神と、ひたむきに金属と向き合ってきた職人さんたちの経験が生んだ技術がそこにありました。

<取材協力>
株式会社北嶋絞製作所
東京都大田区京浜島2-3-10

文・写真:小俣荘子
写真提供:株式会社北嶋絞製作所、宇宙航空研究開発機構 (JAXA)

※こちらは、2018年4月12日の記事を再編集して公開しました。

吉報!夏もお持ち帰りできる「本場の明太子」。九州土産の新定番を見つけました

常温で運べる明太子?

九州からの帰り道、空港でいつも迷う。

本場の明太子をお土産に買いたい。買いたい‥‥!だけど、明太子は要冷蔵。長旅では運べず、いつも諦めてしまっていた。

そんな私に一筋の光が。

手土産として買って帰れる、本場の明太子。その上、あつい夏でも常温で持ち運べる嬉しい逸品と出会ったのだ。

明太子の旨味を閉じ込めた「めんたいアヒージョ」

めんたいアヒージョ
合同展示会「大日本市」で見つけた、めんたいアヒージョ

それが、「めんたいアヒージョ」。今年の2月に発売したばかりの商品だ。

アヒージョといえば牡蠣やきのこメインのものが多い中、こちらの主役は明太子。

まずはそのまま味わい、次にアツアツのバゲットに乗せて楽しむ。明太子の旨味が溶け込んだオリーブオイルは、パスタソースやサラダのドレッシングとしても使える。明太子のおいしさを余すところなく、最後の一滴まで味わえるのが嬉しい。

「めんたいアヒージョ (プレーン) 」
「めんたいアヒージョ (プレーン) 」。明太子の旨みと数種類のスパイスによる香りが魅力。マイルドな味わい
「めんたいアヒージョ (レッドペッパー) 」。唐辛子とガーリックでシンプルに味付け。素材の旨味とピリッとした辛みが一度に味わえる
「めんたいアヒージョ (レッドペッパー) 」。唐辛子とガーリックでシンプルに味付け。素材の旨味とピリッとした辛みが一度に味わえる

「ごはんのおとも」として親しんできた明太子には、和食のイメージがあった。でもたしかに、今では明太パスタや明太フランスなど、洋食の素材としても幅広く親しまれている。それを踏まえ、幅広い世代が気軽に楽しめる明太子の新しい食べ方を模索する中で生まれたのが、この「めんたいアヒージョ」だという。

めんたいパスタ

専門店だからこその技術が、明太子のアヒージョを実現した

作っているのは、佐賀県鳥栖市の明太子専門メーカー「蔵出しめんたい本舗」。

明太子を専門に、独自の製法を長年研究してきたからこそ「めんたいアヒージョ」は生まれた。オイル漬けにしても、明太子そのものの旨みと粒感をしっかりと感じることができるのは、使用している明太子の加工法に秘密がある。

「明太子は熱を加えることで余計な水分が落ち、風味や旨味が凝縮されるという特徴がある」のだそう。その明太子を、スペイン産のピュアオリーブオイルに漬け込むことで、粒感とスパイスの香りを贅沢に閉じ込めた商品が完成した。

明太子

「オリーブオイルは老化防止や美肌効果が高く、健康や美容に効果のある食材と言われることから、女性に人気のある食材です。お土産としてだけでなく、女性へのギフトにもおすすめですよ。

ワインと合わせて楽しんでいただいたり、常温で持ち歩けるので、およばれの時の手土産としても活用いただけます」

試食の際、そんな案内をしていただいた。旅土産の枠を超えて、日常的に活躍する食材になりそうだ。

旅に出たら、その土地の美味しいものをお土産にしたい

せっかく持ち帰るなら、その土地ならではの本当においしいものがいい。要冷蔵の壁を打ち壊してくれた、新しい九州土産。

旅の思い出を、食卓でどうぞ。

<取材協力>

蔵出しめんたい本舗

佐賀県鳥栖市藤木町若桜4-9

0120-877-333

http://www.kuradashi-mentai.com/

文:小俣荘子

2月22日は猫の日。福を招く、中川政七商店の「猫づくし」

2月22日は「猫の日」です

世界中で愛されている猫。各国に猫にまつわる記念日がありますが、日本の「猫の日」は、全国の愛猫家からの公募によって選ばれた2月22日。「ニャン (2) ニャン (2) ニャン (2) 」という鳴き声の語呂合わせです。

猫の日制定委員会が一般社団法人ペットフード協会とともに1987年に制定しました。この日には、各地で猫に関するイベントやキャンペーン、啓発活動などが行われます。

はるか昔、シルクロード・中国を通じて日本にやってきて以来、わたしたちと暮らしを共にしてきた猫たち。その愛らしい姿は工芸品の中にも多く登場します。今日は、そんな猫の姿を探してみましょう。

福を招くお守り、招き猫

金運と小さな幸福をまねく、張子の招き猫
金運と小さな幸福をまねく、張子の招き猫

猫モチーフの工芸品の代表格は、なんといっても招き猫。開運招福のお守りです。

挙げる手によって意味合いが違うのだそう。右手はオス猫で金運を招き、左手はメス猫で人を招くとされています。

白猫の場合、多くは三毛猫の姿をしています。オスの三毛猫が産まれる確率は3万分の1。その珍しさから縁起物とされています。三毛猫を船に乗せると幸運を呼びこんで遭難しないという言い伝えも。

また黒猫は不吉の迷信があると避ける方がいるかもしれませんが、古来より日本では「夜目が効く」などの理由から、「福猫」として魔除けや幸運の象徴といわれてきました。

熊手・猫みくじ
福をかき集める熊手に招き猫の飾りを付けた小さなお飾りと、おみくじが入った福招き猫みくじ
おみくじの中味。招く
猫にちなんだ遊び心のある言葉で書かれたおみくじ。大吉、中吉、吉、小吉、末吉のいずれかが招き猫の中に入っています
にぎにぎ
赤ちゃんのための郷土玩具「にぎにぎ」。招き猫 (左) は「たくさんのお友達に恵まれますように」と、人を招くとされる左手を挙げています

ことわざをイラストに取り入れた「はにゃふきん」

猫は、ことわざにも多く登場します。「猫に小判」や「借りてきた猫」なんて言葉がすぐ浮かびますね。

奈良県産の蚊帳生地を使用した中川政七商店の「花ふきん」。猫の日にちなんで、猫のことわざをモチーフにした「はにゃふきん」が登場しました。表情豊かに描かれた猫たちの姿に、思わず笑みがこぼれます。

ミケ
はにゃふきん ミケ
「猫がねずみをとるようなもの」
「猫がねずみをとるようなもの」 (実行することがたいそう簡単なことのたとえ) しなやかな躍動感が猫ならではですね
トラ
はにゃふきん トラ
「猫に鰹節」
「猫に鰹節」 (猫のそばに、その好物の鰹節を置くこと。油断できないこと、危険であることのたとえ) 目を輝かせて、今にも飛びつきそうな2匹‥‥!
クロ
はにゃふきん クロ
「猫の首に鈴をつける」
「猫の首に鈴をつける」 (計画の段階では良いと思われることであっても、いざ実行となると引き受け手がいないほど困難なことのたとえ) 『イソップ物語』の寓話に基づいているようです

愛らしい猫の仕草をハンカチに

幼いころ玄関先で耳にしていた「ハンカチ、持った?」という決まり文句から生まれた“肩ひじはらないハンカチ” ブランド「motta」。こちらにも猫の姿が。

motta009 猫
motta009 猫

先染めで織りあげ洗いをかけたリネン生地に「ハンカチmotta (持った) 猫」というテーマでデザインされたユーモラスな様子が刺繍されています。

ハンカチを首に巻いて気持ちよさそうな伸びをしています
ハンカチを首に巻いて気持ちよさそうな伸びをしています
前足で持ったハンカチを今にも振りそうな様子
前足で持ったハンカチを今にも振りそうな様子
ハンカチを敷いてにんまりと笑う猫
ハンカチを敷いてにんまりと笑う猫

猫と過ごす、平和な時間

以前、世界中で猫の写真を撮影されている動物写真家の岩合光昭さんの講演を聴きに行きました。「猫を見るとその地域の住み心地がわかる」という言葉が印象的でした。

自由気ままな猫たちは、安全で居心地の良い場所を探し求め、そこに身を置きます。平和で人々が優しい気持ちでいる場所には自然と猫も集まってくるのだそう。

そして愛らしい猫の姿を見たわたしたちは、ついつい微笑み、幸せな気持ちになります。縁起物と言われる招き猫や猫モチーフの工芸品は、猫と人の織りなす幸福感から生み出されてきたのかもしれませんね。

<掲載商品>
めでた玩具 張子 招き猫

福招き猫みくじ

福招き猫みくじ 黒猫

招福まめ熊手 招き猫

招福まめ熊手 黒猫

招き猫のにぎにぎ

文:小俣荘子
※こちらは、2018年2月22日の記事を再編集して公開しました。

宮内庁で雅楽を聴ける?千年続く音の秘密を「三楽長」に聞いた

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

今回の「古典芸能入門」の舞台は、なんと皇居の中。

宮内庁式部職楽部 (以下、宮内庁楽部) が奏でる「雅楽」の鑑賞に出かけました。みなさんも音楽の授業やNHKの報道などで、その音色を耳にしたことがあるのではないでしょうか。

記事の後半では、宮内庁楽部を率いる「三楽長」のインタビューもお届けします。

雅楽とは?一般公募で楽しめる機会も

宮内庁の中にある雅楽の舞台。「雅楽」とは、日本古来の歌と舞、古代のアジア大陸から伝来した器楽と舞が日本化したもの、その影響を受けて生まれた平安貴族の歌謡、この3種類の音楽の総称をいいます
「雅楽」とは、日本古来の歌と舞、古代のアジア大陸から伝来した器楽と舞が日本化したもの、その影響を受けて生まれた平安貴族の歌謡、この3種類の音楽の総称をいいます。10世紀頃 (平安時代中期) に今の形が完成し、伝承されてきました

宮内庁楽部の雅楽は、1955年に国の重要無形文化財に指定され、楽師全員が重要無形文化財保持者に。2009年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された日本最古の古典音楽です。

宮中の年中行事、饗宴、園遊会、さらには伊勢神宮の遷宮や天皇即位などの特別な儀式で演奏されます。

一般人が直接鑑賞する機会は滅多にない宮内庁の雅楽ですが、春と秋に演奏会が開催されます。春季雅楽演奏会は、芸術団体や外交団を招待しての開催ですが、秋季雅楽演奏会は一般公募による抽選が行われます。3日間、午前と午後合計6公演は、宮内庁の中で雅楽が鑑賞できる貴重な機会となっています。

宮内庁式部職楽部
宮内庁式部職楽部庁舎
宮中の中庭を模して作られた空間
開放的な舞台空間は、照明に加えて天窓から自然光が入り、足元には白い砂利が敷かれています。宮中の中庭を模した作りとなっているのだそう

上演前から打楽器は舞台の上に並べられています。

鞨鼓 (かっこ) 。雅楽において指揮者の役割を担う打楽器。打ち方によって演奏を指揮し、楽曲の進行に合わせて途中で音を止める役割も
鞨鼓 (かっこ) 。雅楽における指揮者の役割を担う打楽器。打ち方によって演奏を指揮し、楽曲の進行に合わせて途中で音を止める役割も。写真に写っている花は赤色ですが、裏面には青色の花が描かれています。慶事は赤、弔事は青を表にします
太鼓(釣太鼓)。拍子を決める役割を担います。大きなリズムを刻みます。枠の上には火焔の細工がされ、太鼓中央には唐獅子が描かれています
太鼓(釣太鼓)。大きなリズムを刻み、拍子を決める役割を担います。枠の上には火焔の細工がされ、太鼓中央には「七宝花輪違 (しっぽうはなわちがい) 」の紋印、その周りに唐獅子が描かれています
舞台の両脇に立つのは鼉太鼓 (だだいこ) 。舞楽 (ぶがく=舞と演奏) の際に使われます。左の太鼓は太陽を表し龍の彫刻が施されています。右は月を表し鳳凰の彫刻が。陰陽五行の思想からなる雅楽の世界観を表します
舞台の両脇に立つのは鼉太鼓 (だだいこ) 。舞楽 (ぶがく=舞と演奏) の際に使われます。左の太鼓は太陽を表し龍の彫刻が施されています。右は月を表し鳳凰の彫刻が。中国古来の陰陽五行説やインド伝来の大乗仏教思想を取り入れて成立した世界観を表しているのだそう

雅楽のオーケストラ演奏「管絃」

演奏会は2部構成で、前半は管絃 (かんげん) 、後半は舞楽 (ぶがく) となっています。

管絃
管絃とは、管楽器、絃楽器、打楽器による合奏です。現在では、唐楽 (中国の音楽) の「三管両絃三鼓」の楽器編成で演奏されます。「三管」とは笙 (しょう)、篳篥 (ひちりき) 、龍笛 (りゅうてき) 、「両絃」とは楽琵琶 (がくびわ) と楽筝 (がくそう) 、「三鼓」とは鞨鼓 (かっこ) 、太鼓、鉦鼓 (しょうこ)を指します

今年の管絃は、「青海波」と「千秋楽」の2曲。「青海波」は、源氏物語にも登場する古くから愛され続けている曲。「千秋楽」はお芝居や相撲の最終日の呼び名としても耳にする言葉ですが、この曲が法会などの行事の最後に演奏されたことに由来するのだとか。

演奏が始まってまず驚いたのは、一つひとつの楽器の音の存在感です。

雅楽では、管楽器がメロディを、打楽器と絃楽器がリズムを奏でます。絶え間なく響く「笙 (しょう) 」は高音なので「天空の音」といわれ、主旋律を奏でる「篳篥 (ひちりき) 」は人の声を表現した「地の音」と呼ばれます。笙と篳篥で天地を表しているのだそう。

主旋律を奏でる篳篥 (左)、和音でメロディを支える笙 (右) 。笙は、伝説上の鳥である鳳凰が翼を休めている姿を模したといわれることから、「凰笙(ほうしょう)」とも呼ばれます
主旋律を奏でる篳篥 (左)、和音でメロディを支える笙 (右) 。笙は、伝説上の鳥である鳳凰が翼を休めている姿を模したといわれることから、「凰笙(ほうしょう)」とも呼ばれます
上から、龍笛、高麗笛、神楽笛。龍笛を主として、曲の種類によって使い分ける。主旋律と同じメロディを基軸に装飾的に奏でます
主旋律を装飾するように奏でられる「龍笛」は、天と地をつなぎ自由自在に飛び回る「龍の音」。上から、龍笛、高麗笛、神楽笛

存在感のあるそれぞれの音が溶け合い、塊となって押し寄せます。音の渦に飲み込まれていくようで、言うなれば「音の海を潜水している」ような浮遊感。どこか懐かしく、心地よい音色です。

上から、楽筝 (がくそう)、和琴 (わごん) 、楽琵琶 (がくびわ) 。絃楽器ですが、雅楽では主にリズムを支える
上から、楽筝 (がくそう)、和琴 (わごん) 、楽琵琶 (がくびわ) 。絃楽器ですが、雅楽では主にリズムを支えます
打楽器。上段左から、鉦鼓 (しょうこ) 、太鼓 (釣太鼓) 、鞨鼓 (かっこ) 、三ノ鼓 (さんのつづみ) 、笏拍子 (しゃくびょうし)
雅楽の打楽器。上段左から、鉦鼓 (しょうこ) 、太鼓 (釣太鼓) 、鞨鼓 (かっこ) 、三ノ鼓 (さんのつづみ) 、笏拍子 (しゃくびょうし)。リズムを操り、全体を指揮します

舞と音楽が溶け合う「舞楽」

2部構成の後半は、演奏と舞が合わさった「舞楽」。中国大陸経由の文化をルーツとした「左方 (さほう) の舞」と、朝鮮半島経由の文化がルーツの「右方 (うほう) の舞」が上演されます。

左方の舞
赤と金を基調とした装束を纏う「左方の舞」
右方の舞
緑と銀を基調とした装束を纏う「右方の舞」

今年の演目は、左方の舞が「陵王 (りょうおう) 」、右方の舞が「胡徳楽 (ことくらく) 」でした。

「陵王」は雅楽の代表的な演目。かつて中国にあった北斉の陵王は大変美しい顔立ちをしていたため、戦場へ挑む時は厳しい仮面をつけていたという故事に基づいています。龍頭を乗せた面をつけて、勇壮華麗に舞います。

地面が震えるような大太鼓の力強い音が印象的。管絃の浮遊感ともちがい、舞楽では楽器の響きが舞と一体化して音が「見える」ようでした。

舞は、飛んだり跳ねたりするような激しい振り付けがあるわけではありません。静かで直線的な足の運びが中心の、ゆっくりとしたステップに惹きつけられます。雅楽の優美さを形にしたようでした。

「体に染み込ませる」三楽長に聞く、雅楽の受け継ぎ方

ルーツとなった中国や朝鮮の音楽の多くは消失してしまっている中、雅楽は1000年前とほぼ変わらぬ様式で残っています。これは世界でもまれなことだそうです。

現代の雅楽を楽師として受け継ぎ、後進の育成にも務められている、宮内庁式部職楽部の首席楽長、東儀博昭 (とうぎ・ひろあき) さん、楽長の多忠輝 (おおの・ただあき) さん、東儀雅季 (とうぎ・まさすえ) さんの三楽長にお話を伺うことができました。

首席楽長 東儀博昭 (とうぎ・ひろあき) さん
宮内庁式部職楽部 首席楽長 東儀博昭 (とうぎ・ひろあき) さん

——— みなさんにとって「雅楽」とは、どのような存在なのでしょうか。

東儀博昭さん「雅楽とは『伝えるもの』です。私たちには雅楽を後世へ伝承していく責任があります。個人の考えでアレンジを加えるようなことはなく、『正しいもの』を守り、伝えていくべく日々雅楽と向き合っています。難しい部分を安易な形にしたり、自分の都合のいいように変えてしまうのではなく、先輩から伝えられてきたものをそのままに後世に伝えていくのが、私たちの務めだと思っています。

現在も、一子相伝 (師と弟子の一対一) の形式で稽古は行われます。譜面は覚書にすぎません。先生から口伝で叩き込まれたものを吸収していく。一生懸命練習して身体に染み込ませる。血や肉となるように、私自身もただひたすらそれを続けてきました。

雅楽の世界は世襲制が原則です。江戸時代までは各家で稽古をしていましたが、明治時代に宮内庁に統合されて以降は、学校のような形式で宮内庁の楽部内で学ぶシステムとなりました」

——— 東儀家も多家も1000年以上続く由緒ある楽家 (楽師として雅楽を世襲してきた家柄) ですが、どのように学んで来られたのでしょうか。

東儀博昭さん「子どもの頃から身近に雅楽がある環境ですので自然と身体に馴染むものはありましたが、本格的に楽部で学び始めるのは中学生からですね。予科 (週に一度、宮内庁内で師匠と一対一の稽古が行われる) が3年間、高校生から本科が始まります。歌、菅、舞の主要3科目をはじめとし、管楽器の次は、絃楽器、打楽器と複数の楽器を習得していきます。

さらには、海外の賓客をもてなす晩餐会における洋楽 (オーケストラ) 演奏も宮内庁楽部が担当しています。そのため、楽典 (音楽理論) とピアノの他に、もう1種類の西洋楽器も必須として学びます。卒業試験に合格すると、晴れて楽師となります」

——— 1つの楽器を習得するだけでも難しいことですが、歌や舞に複数の楽器を演奏するというかなりハードな内容ですね。

多忠輝さん「たとえば、舞楽で舞うにはメロディもリズムもしっかりと体得していなければ成立しません。究極の舞は、音を消した状態で見ても音楽が聞こえてくるものです。単に等間隔のリズムで舞うのではなく、音楽と一体となって舞います。

すると『篳篥のフレーズに呼応した表現になる』という風に音が動きを通して伝わってくるものです。総合芸術というのはそれぞれをきちんと学び身体に染み込ませていないといけません」

楽長 多忠輝 (おおの・ただあき) さん
宮内庁式部職楽部 楽長 多忠輝 (おおの・ただあき) さん

——— 実際、どのようなお稽古をされるのでしょうか。

多忠輝さん「私は9歳から個別の稽古に通っていましたが、楽部に入って再度始めから習い直しました。最初は『唱歌 (しょうが) 』。楽器を触らず、手を叩きながら先生の歌った通りに楽器のメロディを唱えるということを繰り返します。正しく歌えるようになってやっと楽器を持たせてもらえます。私が実際に笙を持ったのは17歳の時。だから8年がかりです。

譜面通りに演奏するだけであれば、録音されたものや動画があれば早々にできてしまいますが、それだけでは本当の意味では習得できたとは言えません。例えば菅の稽古の際に『この音で吹きなさい!』という先生の指導内容は、とても抽象的ですが重要です。『今のお前の音は、大きいけれどちゃんとした密度の濃い音ではないぞ』と教えられる」

——— 「密度」ですか。

多忠輝さん「緊張感のある張り詰めた音を吹きなさい、と言われます。音というのは、小さくなったら弱くなる、大きくなったら強くなるが全てではありません。小さい音でも強い音があるし、大きい音でも弱い音があるということをみっちりと仕込まれるんですね。

それが非常に厳しいので、吹きやすい柔らかいリードで吹いたり、簡単な方へ流れてしまいたくなる。ところが、本物の音を吹けると、その違いがわかるようになる。そのあたりが、『正しい』か否かの分かれ目になるのだと思います。

伝承するということは、人が変わっても変わらぬものを伝えていくことです。雅楽が長い年月継承してこられたのは、個人の主観的な思いに流されず、集団で守ってきたからだと思うのです。

楽師だけでなく、学者さんや雅楽を支える人々による議論があり、背負ってくるものがあったから残っているのではないでしょうか。個人個人だったらどんどん違う方向に行ってしまったと思うんです。

今の自分が理解しきれていないとしても、先生から教えられたことをきっちりと教える、そうすれば、また次の人が自分より深められるかもしれない。多くの人によって守られてきた雅楽には、簡単に個人が語ることのできない、崇高な存在意義がきっとあるとはずなのです」

——— 最初に東儀さんが「雅楽とは伝えるものである」とおっしゃったのは、個人を超えて雅楽を未来に継承していく使命とともにある言葉なのですね。

楽長 東儀雅季 (とうぎ・まさすえ) さん
宮内庁式部職楽部 楽長 東儀雅季 (とうぎ・まさすえ) さん

東儀雅季さん「多さんのお話にもあった通り、ここに学びに通い始めると、意味も知らされずに歌を教わります。ひたすらその音程を歌い続け、覚えていきます。『せんざい〜‥‥』と歌わされるわけですが、子どもの頃は『千歳 (せんざい=ちとせの意味) 』のことだと知りませんでした。わからないから「洗剤」を頭に思い浮かべて『変だな?』なんて思っていました (笑) 。

でも、ここはすごく厳格な場で、へらへらふざけたりできない、真面目な態度で授業を受ける環境でした。子ども心にピシっとしなくてはと、緊張感を持って取り組んでいたんですよね。

ですから、大人になった今もこの場所は特別です。ここでの演奏会では、先輩方でも緊張していることがあります。格別の心持ちで向かいます。間違いのない完全な演奏をと挑む、それが我々のプライドでもあります」

宮内庁式部職楽部の舞台

「理屈は後からついてくる、そんなものは一生知らなくてもいい」なんて言う先生もおられるのだとか。身体に染み込んだ雅楽の演奏だからこそ、聞く側に直感的な感動を与えてくれるのかもしれません。

そして雅楽には、人の喜怒哀楽などの情緒表現は存在しないのだそうです。そのため感情移入はないのですが、それでも情緒に訴える感動がたしかにありました。

その根底には、思考を超えたところで身体で受け止める森羅万象の「気」のようなものがあるように感じました。力強い存在感に圧倒される一方で、音の渦に潜り込む心地よさを味わったり、「音」が見えた気がしたり。

当然、音色そのものの美しさへの感動もありますが、音の中に見え隠れする力の存在に、心が震える瞬間があるのかもしれません。だからこそ、宮中儀式をはじめとした神仏との交流に雅楽が用いられてきたのではないか‥‥そんな風に思いました。

<取材協力>

宮内庁 式部職 楽部

文・写真:小俣荘子

上演写真・楽器写真提供:宮内庁

こちらは、2017年12月23日の記事を再編集して公開しました。本年もあとわずか。年の瀬に、千年続く伝統の音、雅楽の話題をお届けしました。