ご当地お座敷遊び「べく杯」で、高知の宴は二度盛り上がる

可杯と書いて、べくはいと読む。

高知を訪れると、おみやげ物屋さんや宴席でよく見かけるものがあります。

さて、これは何でしょう?

天狗、ひょっとこ、おかめ、独楽
天狗、ひょっとこ、おかめ、そして独楽?

おもちゃのようにも見えますが、実はこれ、宴席の座興で使う杯なのです。その名は「可杯 (べくはい) 」。どうやって使うのでしょうか。

今日は、高知の人々が親しんでいる、楽しくも恐ろしい (?) お座敷遊びの道具をご紹介します。

飲み終わるまで、手が離せない?

「可」の文字は、漢文では「可◯◯〜 (◯◯すべし〜) 」と使い、文末に「可」の文字を書くことはありません。そのことから、下に置けない杯を「可杯」と呼ぶようになったのだとか。

可杯は、円錐状に杯の底が尖っていたり、穴があいていたり、そのままではお酒がこぼれてしまう形をしています。一般的な杯に穴を開けたシンプルなものから、人や動物の姿をモチーフにしたものなどデザインは様々です。

もう一度、さきほどの可杯を見てみましょう。

口のところに穴があいているひょっとこの杯。指で押さえていないとお酒が漏れてしまいます
口のところに穴があいているひょっとこの杯。指で押さえていないとお酒が漏れてしまいます
天狗の杯
こちらは天狗の杯。他の2つより大きめです
こちらは天狗の杯。長い鼻の先までお酒が入る大容量。不安定なので、もちろんお酒を飲み干さないと手を離すことができません
天狗の杯は大きい上に、長い鼻の先までお酒がたっぷりと入ります。不安定なので、もちろんお酒を飲み干さないと手が離せません
おかめの杯は「顔を下にして置くのはかわいそう」という理由で、お酒を入れた状態では手を離すことができません
おかめの杯は「顔を下にして置くのはかわいそう」という理由で、お酒を入れたままでは置くことができないのだそう。なんと‥‥

この3つの面が描かれた独楽を回します。

独楽が倒れました。向かって左手の人が天狗杯で一杯!ですね
止まった時に軸の向いている方角に座っている人が、出た絵柄の杯に酒を注いで飲み干します。この場合、向かって左手の人が天狗杯で一杯!ですね

大勢で輪になって、独楽をかわるがわる回して杯を決めながら飲む、というのが可杯の遊び方です。

高知の老舗酒造が見つけた、宴会をもっと楽しむ道具

高知に可杯を浸透させた立役者の元を訪ねました。高知県の佐川町に酒蔵を構える司牡丹酒造株式会社です。

創業は1603年。江戸幕府が成立した年から続く造り酒屋で、高知に現存するもっとも歴史ある企業なのだそう
司牡丹酒造の創業は1603年。江戸幕府が成立した年から続く造り酒屋で、高知に現存するもっとも歴史ある企業なのだそう
佐川町は江戸時代に城下町として栄え、主に商人が居を構えた地域。伝統的な商家住宅や酒蔵が今も残っています
佐川町は江戸時代に城下町として栄え、主に商人が居を構えた地域。伝統的な商家住宅や酒蔵が今も残っています
社長の竹村昭彦さん
高知の宴会文化に詳しい、社長の竹村昭彦さんにお話を伺いました

「可杯というものは、実は、かつて全国各地にあったようです。ですが、いつしかほとんど見られなくなりました。これを残念に思った先代社長が、ある時このお面の可杯の型を見つけ、商品化を思い立ちます。

そうして、1976年に酒と3面の可杯を詰め合わせたセット商品を発売しました。この商品が好評を博し、またたく間に高知県全域に知れ渡りました。

加えて、高知の料亭では古くから宴会のお遊び歌として『ベロベロの神様の歌』というものが歌われていたのですが、これが可杯と結びつきます。独楽を回したときに、この歌を歌って囃し立てることで一層盛り上がりました」

独楽が回っている間、囃し歌を歌います
「ベロベロの神様は 正直な神様よ お酒 (おささ) の方へと おもむきゃれ エェ おもむきゃれ」 そう歌いながら、独楽が倒れるのを待ちます

「宴席では、この歌の『お酒』の部分を『男前』『助平』『べっぴんさん』などにアレンジして歌います。手拍子をしながら独楽が止まるのを待ちます。独楽に指された人は『男前』であったり、『助平』や『べっぴんさん』というわけで、爆笑の中で当たった可杯を飲み干すんですね。

お酒好き、それも大人数でにぎやかに飲むのが大好きな高知県人にこのお遊びは大歓迎されました。こうして可杯は、『はし拳 (はしけん) 』と並び称されるほどの土佐を代表する宴席のお遊び、土佐の酒文化となったのです」

はし拳
「土佐はし拳」とは、2人で向き合って行うお座敷遊び。双方が三本ずつ箸を隠し持ち、場に出した箸の数の合計を当て合うもの。負けると、杯に満たした酒を一気に飲み干さなければなりません

下戸にも優しい、「おきゃく」文化

高知の宴会には2回の山場があるのだそうです。1回目は、料理とお酒を味わいながら酒量が増えて楽しく賑やかになる盛り上がり。2回目は、「もう飲めない」と思い始めた頃におもむろに始まる、お座敷遊びのとき。

「土佐の人はお酒好きなのに、なぜ勝ったらではなく、負けたらお酒を飲むの?とよく聞かれます。

でも、可杯などの遊びが始まるのは宴会の後半なので、みんなすでにたっぷりお酒を飲んでいる状態なんです。酔った状態でさらに楽しもう、楽しんでもらおうと始めるのですね」

なるほど。とっても楽しそう!と思いつつも、少し不安になってしまいました。というのも、実は私、下戸なのです。

宴会の席の賑やかな雰囲気や食事を共にするのは大好きなのですが、お酒をほとんど飲めない身で、高知の宴会を楽しめるのでしょうか。飲めないことで興ざめさせてしまっても申し訳ない。なんだか怖いような気もします。

「司馬遼太郎の『龍馬がゆく』など読んでいると、かつては千鳥足になってまっすぐ歩けないほど酔わせることがおもてなしであると考えるところもあったようですが、今はそんな時代ではないですよね。いつの時代も考えているのは、来た方に楽しんでいただくこと。

高知では、宴会を『おきゃく』と呼びますが、これもお客さんが来たから宴会をしよう!ということから、転じて宴会そのものを表す言葉になりました。この言葉にも高知の人々のもてなしたい気持ちが表れています」

べく杯

「お酒をたくさん勧めるのは、お客さんを酔い潰すためではなくて、あくまで喜んでもらうためなんです。ですので、飲めない人にはお茶やジュースを用意してお座敷遊びをする料亭もあります。

もちろんどんな席でも『この人お酒弱そうだな』と気づくと、まわりのみんなが喜んで代わりに飲んでくれますよ。期せずして勧められてしまった時も、形だけ口をつけて全く飲まなくてOKです。それで気持ちは伝わりますから、安心してくださいね。

もともと、おきゃくは子どもも参加するものです。お酒が飲めなくてもいいんです。楽しんでもらえたら嬉しいのですから」

竹村さんのお話を伺って安心しました。高知の人たちの歓迎の気持ちが宴を作っているのですね。

1000年前から宴会好き?海と山が生んだ食文化

それにしても、高知の人はどうしてそんなに宴会をするのでしょうか。

「宴会で飲んだくれている様子は約1000年前に書かれたと言われている『土佐日記』にも描かれていますから、かなりの昔から筋金入りの宴会好きですよね。 (笑)

ひとつは、豊かな食環境の影響。海も山も川もある高知では、新鮮な食材がたっぷりと獲れますし、清流から美味しいお酒も造れます。高知のお酒は淡麗辛口が中心です。これは、新鮮な食材を生かしたシンプルな料理との相性を考えてのこと。お酒も食も進みますから、宴会せずにはいられませんよね。

もうひとつは、四国山脈で囲われていてよそからのアクセスが悪いということ。はるばるやって来た人を歓迎して、地元の幸でもてなしたことから『おきゃく』文化が発展していったのではないかと考えられています」

全長80メートル続く司牡丹の蔵。出荷前のお酒が眠るこの蔵は、日本有数の長さなのだそう
80メートル続く司牡丹酒造の蔵。出荷前のお酒が眠っています

滞在中、ふらっと入った先々であたたかく迎えられました。お店の方だけでなく、隣の席の常連さん、はたまた後ろのテーブルの方にまで話しかけられ、おすすめメニューを分けていただいたり、献杯返杯 (交互にお酒を注ぎ合う飲み方) を受けたり。飲めなくても、歓迎してくださる気持ち、心遣いが嬉しいものです。そうして楽しい夜は更けていき、すっかりお酒の席の虜になったのでした。

<取材協力>

司牡丹酒造株式会社

高知県高岡郡佐川町甲1299番地

<掲載商品>

可杯 (司牡丹酒造)

文・写真 : 小俣荘子

こちらは、2018年4月18日の記事を再編集して掲載しました。お盆で人が集まる時期、可杯で盛り上がるのも楽しそうですね。でもお酒はほどほどに。

「お箸は5つのポイントで選ぶ」中川政七商店デザイナーが気づいた使いやすさの決め手

食卓に欠かせない道具、お箸。色や形、素材、太さ (持ち手 / 先端) 、かたち (持ち手 / 先端) 、重さなど様々ですが、みなさんはお箸をどうやって選んでいますか?

今日は、一人のデザイナーが考え抜いた「本当に使いやすいお箸ってなんだろう?」と、その答えとして生まれた新しいお箸のお話です。お箸の選び方に迷っている人は、きっと参考になるはず!

お箸選びの基準を求めて

「世の中のさまざまなお箸を調べてみると、お箸選びの基準は不明確なものでした。大手百貨店や有名なお店にも行ってみましたが『これぞ!』というベストの選び方は存在しません。つまり、実際に選ぶ人も何がいいかわからないのでは?という考えに至りました」

そう語るのは、中川政七商店のデザイナー渡瀬聡志 (わたせ・さとし) さん。

温故知新の精神をもち、長年使えてなおかつ現在にとってあるべき姿の商品を開発する中川政七商店。定番商品であるお箸を改めて見つめてみた渡瀬さんは、自分にぴったりのお箸を誰もが選べる基準探しを始めました。

デザイナーの渡瀬さん
デザイナーの渡瀬さん

「長さ」が基準と言うけれど‥‥

調べていくと、世のお箸屋さんが唱えるお箸選びの基準として「長さ」という考え方があることにたどり着いた渡瀬さん。
親指と人差し指を直角に広げ、その両指を結んだ長さを「一咫 (ひとあた) 」といいます。この1.5倍にあたる、「ひとあた半」が基準のひとつになります。

ただ、この「ひとあた半」で選んだ長さのお箸が渡瀬さんにはフィットしなかったのだそう。

「大まかな目安として捉えることはできるけれど、あまりしっくり来なかった。その他にも素材、塗り‥‥など、様々な要素が合わさるので、同じ長さでも商品によって全く異なる使い心地になってしまう」

たしかに、自分のお箸のほか、飲食店で出される色々なお箸の長さの差をあまり感じたことはないですが、食べやすいものとそうでないものがあるなぁと思い出しました。

そこで、渡瀬さんはお箸の構成要素を整理した表を作って研究をすることに。

「長さ、素材、先端の形状(四角・八角)、重さ、太さ」と項目を洗い出し、それぞれの要素がどのように働いているか調べていきます。実際に比べてみると、長さ・太さ違い、形や素材違い、サイズ感と重さの違い、などによって使い勝手が変わります。

お箸の様々な要素を抽出し、組み合わせた表を作って検証へ
お箸の様々な要素を抽出し、組み合わせた表を作って検証へ
試作したお箸。その数なんと254本!
試作したお箸。その数なんと254本!
箸の形状の違いによる掴みやすさ、使い心地を調べるために、箸使いに少し手間がかかる食材を選んで検証しました。食材は、あずき、焼き魚、しらたき、うずらの卵、高野豆腐
箸の形状の違いによる掴みやすさ、使い心地を調べるために、箸使いに少し手間がかかる食材を選んで検証しました。食材は、あずき、焼き魚、しらたき、うずらの卵、高野豆腐

選択が必要な要素と、選ばなくていい要素

要素はたくさんありますが、購入するときに細かく選んでいくのは大変です。検証していくと、要素の一つひとつを全て個々人が選ぶ必要はないことに気づいたそうです。

例えば、素材は重さや、風合いの好みが別れる材を省いていくと、ほどよい重量があり質感や耐久性に優れている「鉄木」が誰にとってもちょうど良い素材として集約されていきました。

驚いたことに、「長さ」は、ほとんどの人は22センチメートルがちょうど良かったとのこと。実は、この22センチメートルは夫婦箸の間をとった長さであるという興味深い結果。つまり、「長さ」も箸選びにおいては気にしないでよい要素となりました。

反対に、人によって大きく好みが分かれて集約しきれない、選ぶ余地として残したほうがいい要素も見つかりました。それは、持ち手の「かたち」と「太さ」。

「持ち手のかたち」は握ったときに角がある方が好みの人もいれば、丸に近い形を好む人もいます。 手の大きさによって心地よいものが変わる「持ち手の太さ」も選択すべき基準として残りました。性別による体格差など、その人の身体特性で手の大きさは様々。これらは自分に合う箸を大きく左右する、選ぶべき要素として残すこと。

新定義!お箸選びの基準は「持ちごこち」

200本以上のお箸を使って検証を重ね、整理していった結果、お箸選びに大事なのは世の定説である「長さ」ではなく、持ち手の「かたち」と「太さ」 からなる「持ちごこち」と定義できました。

そうして渡瀬さんは、自分にぴったりの「持ちごこち」を選べるお箸をつくりあげました。「持ち手のかたち」 は「四角」「八角」「削り」の3種類から、「持ち手の太さ」 は太め・細めの2種から選べるように。

しっかりと安定する「四角」
しっかりと安定する「四角」
ほどよく安定する「八角」
ほどよく安定する「八角」
手馴染みが良い「削り」
手馴染みが良い「削り」
2本の箸
よーく見てみてください‥‥。右が太めの箸、左が細めの箸です。写真だとちょっとわかりにくいのですが、持ってみると結構違うんです

機能面に加え、色合いなどデザインの検討も重ね、拭き漆仕上げの3色に絞られました。生産は、日本一の箸の産地である福井県若狭で、職人の手によって0.1ミリ単位にまで気を配って作られています。

新たに生まれた握り心地で選ぶお箸

お箸選びのポイント

最後に改めて、お箸選びのポイントを整理しました。

1、持ち手の太さを選ぶ。

2、持ち手の形を選ぶ。

3、色を選ぶ。 (拭き塗り 赤・茶・黒)

「お箸は実際に握ってみないと合うかどうかわからないもの」と、渡瀬さんは言います。日々の暮らしに無くてはならないお箸。食事をより楽しむためにも、使い勝手の良いお気に入りの一膳があると嬉しいですね。

ちなみに、渡瀬さんのお気に入りは「八角」なのだそう。みなさんはどれがお好みですか?自分にぴったりのお箸、ぜひ探してみてください。

<掲載商品>
拭き漆のお箸 (中川政七商店)

文 : 小俣荘子
写真提供:中川政七商店、木澤淳一郎

こちらは、2017年9月26日の記事を再編集して掲載しました。日本人にとってなくてはならないお箸。だからこそ長く使えて、しっくりくるものを選びたいですね。

甲子園の優勝旗。舞台裏には最高峰の職人たちのチーム戦がある

3代目「深紅の大優勝旗」が翻る令和の甲子園

甲子園の季節が、今年もやって来ました。

記念すべき第100回大会が行われた2018年、60年ぶりに新調されたのが優勝校に授与される「深紅の大優勝旗」です。

甲子園 真紅の大優勝旗
©時事通信

その大きさは縦1.2×横1.5メートル。ハトの絵柄と「優勝」の文字が金色に輝き、ラテン語で「VICTORIBUS PALMAE」 (勝者に栄光あれ) という文字が織り込まれています。

新たに作られた大優勝旗は3代目。先代と同じく西陣織の「つづれ織り」の技術で織られています。制作には1年6カ月もの歳月を要しました。

高校野球同様、この大優勝旗の舞台裏にも職人たちの熱い思いとチームワークの物語が。

制作を担当した平岡旗製造を訪ねてお話を伺うと、そこにはもう一つの「甲子園」がありました。

平岡旗製造株式会社
1887年創業の老舗旗屋「平岡旗製造」

制作費1200万円、京都最高峰の職人たちのチーム戦

専務の平岡成介さん
大優勝旗制作のプロジェクトを統括した、専務の平岡成介 (ひらおか せいすけ) さん

「これから数十年に渡って毎年使われる大切な大優勝旗のご依頼、特別な思いで制作にあたりました」

大優勝旗制作の予算は1200万円。一般的な旗づくりは、数万円から数十万円程の予算。連綿と続いてきた大会の100回記念。その重みある依頼です。

平岡さんの言葉にも力が入ります。

「3代目の大優勝旗は、デザイン、織り方ともに2代目を踏襲することが決まっていました。下絵、染め、織、縫製など全ての工程において、最高峰の職人さんを集めて進めました」

京都のものづくりは分業制です。隣接する工房同士で仕事を分担し、1つのものを作り上げていきます。

旗は依頼を受けた旗屋が、制作物の性質や予算などに応じて最適な工房や職人さんを選び、制作を進めます。長年ともにものづくりをする中で蓄積された、職人さんごとの強みや技の特色への理解からベストなチームを作るのだそう。

今旗に描かれるマークや文字は刺繍で仕上げることが一般的です。

一般的な手法で作られた旗。多くの旗は、生地の上に刺繍を施して仕上げるのだそう
一般的な手法で作られた旗を見せていただきました。多くの旗は、生地の上に刺繍を施して仕上げるのだそう

しかしこの大優勝旗は全て横糸だけで文様を表現する「つづれ織り」。文字や柄も糸を織り込んで描くので、繊細な絵柄の部分は1日でわずか1センチメートルしか進まないこともあったそうです。

つづれ織りの様子
つづれ織りの様子。巧みに爪を使って緯糸 (よこいと) を織り込んでいきます。写真は、文字を錦糸で描いているところです

球児たちに負けないタフさ

「大優勝旗は、球児たちが元気に力強く振ることもあります。壊れにくいようにしっかりと織って強度を高めました。

織り目が詰まっているので、最後の仕立てでは、糸を通すのに針にロウを付けて滑りやすくした上でペンチで引いたほどです」と平岡さん。

旗を掲げるポールにも様々なものがあります。大優勝旗では最上級の漆塗りのものが用いられました
こちらは旗を掲げるポールのサンプル。単色塗りのものから螺鈿装飾など様々なものがあります。大優勝旗では最上級の漆塗りのものが用いられました

10年以上、毎年メンテナンスに通った熱意

ところで、この大優勝旗作り、平岡旗製造が担当することになった背景には、平岡さんのひたむきな仕事と熱い思いがあります。

「私自身、大の高校野球ファンなんです。PL学園のKKコンビに憧れて、学生時代は野球に明け暮れる毎日を過ごしていました。

29歳の時に旗屋を継ぐため、この会社に戻ってきました。そんな私の初仕事は、甲子園の優勝旗につける竿頭綬 (優勝校名を記したペナント) 作りだったんです」

専務の平岡成介 (ひらおか せいすけ) さん
キリリとした表情でお仕事を語ってくださった姿から一変。高校野球の話になるとお顔がほぐれ、素敵な笑顔を見せてくださった平岡さん

「その年の甲子園は86回大会。初めて間近に見た2代目の優勝旗は既にかなり傷んでいました。45年以上使われ続けてきたのですからね。

自分の仕事を通じて大好きな高校野球に貢献できることはないか?と考えた時、補修など優勝旗にまつわることであれば役に立てることがあるのではと思いました」

こうして、甲子園開会式前日のリハーサル時に優勝旗のチェックを行う役目を無償で買って出た平岡さん。毎年甲子園に通い、優勝旗のチェックや手入れなど、旗屋としてできることは何でも引き受けました。

「毎年通って仕事をさせてもらうようになって数年経つと、入場のフリーパスをもらえるようになりました。担当者として認識していただけたのが嬉しかったですね」

優勝旗のチェックは室内練習場で行なっていましたが、数年後にはグラウンド入りの許可までをもらえるように。

「まさか自分が甲子園の土を踏む日が来るなんてと、感激したことを覚えています。

旗の持ち方や結び方の確認など、開会式で球児たちがよりかっこ良い姿で入場行進できればとお手伝いさせてもらいました」

旗の結び目
旗の結び目の見本を見せていただきました。しっかりと美しく結ばれています。ふさの部分が垂れ下がってしまっていたり、「かっこ悪い姿」にならないようにチェックするのだそう

毎年ていねいな仕事を重ね、信頼を積み上げてきた平岡さん。ついには、3代目大優勝旗の制作という大仕事の依頼を受けるまでになったのです。

子どもの頃からの思いが実を結んだ

旗屋の後継ぎとして生まれた平岡さん。勉強など、幼い頃から将来への準備をしてきました。小学生時代は受験勉強のため、少年野球に入ることが叶わず、勉強の休憩時間に一人で壁打ちをしていたといいます。

「野球に対しては、子どもの頃から醸成されてきた思いがありました。旗屋の仕事を通じて思いがけず甲子園と関わりが持てたこと、思いが実ったようです」

平岡さん

そんな平岡さんに、甲子園球児へ何か伝えたいことはありますか?と伺うと「こちらから言葉をかけるなんておこがましい」と、どこまでも控えめです。

「彼らは普通の人がして来た何倍もの努力をして、この場所に立っている選手。そのことへ敬意と尊敬の思いがあるばかりです。選手によってはこの夏が野球人生最後になる人もいます。ここまでのみなさんの野球人生に敬意を評します。

高校野球は、生き様というか人間模様が表れている。まさに青春の素晴らしさがあります。そこに私は熱くなるのだと思います」

日々練習を積み上げ、勝ち上がってきた選手による熱い戦いの場、甲子園。平岡さんが大優勝旗制作を担当するまでのひたむきな仕事ぶりにも重なります。

今年の優勝旗はいったい誰の手に渡るのでしょうか。この夏を締めくくる表彰の舞台では、真新しい深紅の大優勝旗にも注目です。

<取材協力>
平岡旗製造株式会社
京都市下京区四条通西洞院東入郭巨山町18番地 ヒラオカビル
075-221-1500
http://www.hiraoka-hata.com/

文:小俣荘子
写真:山下桂子

こちらは、2018年8月21日の記事を再編集して掲載しました。今年も目が離せない甲子園。優勝旗にもぜひ注目してみてください。

ふわふわの泡をいただく沖縄「ぶくぶく茶」を体験。王朝時代から伝わる琉球茶道の魅力とは?

沖縄には、雲のような泡が乗った伝統茶があります。その名は「ぶくぶく茶」。

ぶくぶく茶

可愛らしい姿と名前が印象的ですが、琉球王朝時代、宮廷の賓客をもてなす際に振舞われていた歴史を持つお茶なのだそうです。

「ぶくぶく茶」を体験したのは首里城近くの「楽茶陶房ちゅらら」

琉球茶道とも呼ばれ、琉球のもてなしの心で点てる、ぶくぶく茶。お茶をいただくだけでなく、その歴史や作法を教わりながら体験できるお店があると聞いて、さっそく訪れてみました。

「楽茶陶房ちゅらら」の看板が目印。脇の小道を入ると、お店の入り口が現れます
「楽茶陶房ちゅらら」の看板が目印。脇の小道を入ると、お店の入り口が現れます

教えてくださるのは、首里城からほど近い場所にある喫茶店「楽茶陶房ちゅらら」店主の安岡翠薫 (やすおか・すいくん) さん。

ぶくぶく茶の教授免許をお持ちで、結婚式や式典、沖縄文化を伝えるレセプションなどでお点前を披露したり、お稽古を行うかたわらに経営する喫茶店で、誰もが気軽に体験できる機会を作り、ぶくぶく茶を広める活動をされています。

私も安岡さんに教えていただきながら、ぶくぶく茶を体験してきました。

安岡さん (右) に琉球衣装を着付けていただきました。事前の身支度は不要。洋服の上から気軽に羽織るようにまといます
安岡さん (右) に琉球衣装を着付けていただきました。事前の身支度は不要。洋服の上から気軽に羽織るようにまといます

ほのかにジャスミンが香る、お米のお茶

そもそも、ぶくぶく茶ってどんな味なのでしょう。お茶になる前の状態を見せていただきました。

左上から、煎った玄米、さんぴん茶 (ジャスミン) 、煎った白米
左上から、煎った玄米、さんぴん茶 (ジャスミン) 、煎った白米

「ぶくぶく茶は、2層の異なるお茶でできています。玄米茶の上に、さんぴん茶の香りがついた白米茶の泡が乗っていて、両方を一度に口に運んで味わいます。お米の香ばしさと、さわやかなジャスミンの香りが合わさったホッとする味わいのお茶です。

お点前を始める前の準備として、玄米と白米を煎っておきます。煎ったら、玄米と白米を別々にグツグツと煮出します。白米にはさんぴん茶を加えてほのかに香りをつけておきます。こうして用意した2つのお茶を用いてお点前をします」

泡立て道具は、大きな器と茶筅

直径30センチメートルほどの木鉢と茶筅。予想外の大きさです!
直径30センチメートルほどの木鉢と茶筅。予想外の大きさです!

お点前の道具として登場したのは、大きな木製の器「ぶくぶく鉢」と茶筅。

「この鉢で来賓全員分のお茶を泡立てて、お客様用の個別の器へ盛り付けます」

泡立てる前の白米のお茶。たっぷりと注ぎ込みます。「明日は筋肉痛かな‥‥」なんて、日頃の運動不足を省みて不安がよぎりました
泡立てる前の白米のお茶。たっぷりと注ぎ込みます。「明日は筋肉痛かな‥‥」なんて、日頃の運動不足を省みて不安がよぎりました

「大きな茶筅なので、人差し指と中指を茶筅の穴の中に入れて持ち、手首のスナップを効かせながら鉢の縁をこするように左右に茶筅を振って泡立てていきます」

2本の指を茶筅に入れてこんな風に持ちます
2本の指を茶筅に入れてこんな風に持ちます
鉢の縁をこするように茶筅を動かします。出来上がった泡はそっと反対側の縁へ寄せて、また新たに泡立てていきます。ぶくぶくと泡が立っていくのがとても楽しい
鉢の縁をこするように茶筅を動かします。出来上がった泡はそっと反対側の縁へ寄せて、また新たに泡立てていきます。ぶくぶくと泡が立っていくのがとても楽しい

「泡立てのポイントは、できた泡が水に飲み込まれてつぶれてしまわないように液体をあまり動かさないで振ること。

以前、大寄せの茶会で、素早く泡が作れないものかとハンドミキサーを使ってみたことがあったのですが、液体全体を攪拌するためか、できたそばから泡が潰れてしまって、まったく泡立ちませんでした (笑) 」

泡立ち易いように穂1本ずつが細く、全体をかき回しすぎないまっすぐな穂先が一番泡立てやすいそう
泡立ち易いように穂1本ずつが細く、全体をかき回しすぎないまっすぐな穂先の茶筅が良いのだそう
小さな動きとわずかな時間でこんなにたくさんの泡が立ちました。運動不足の身でも筋肉痛にはならなかったのでご安心を!
小さな動きとわずかな時間でこんなにたくさんの泡が立ちました。運動不足の身でも筋肉痛にはならなかったのでご安心を!

「できたての泡は繊細ですぐに水に戻ってしまいますが、しばらく置いておくと硬く弾力が出てきて、崩れにくくなるんですよ。

明治時代以降、一般庶民に親しまれるようになった際には、この泡立てた状態で鉢を頭に担ぎ、ぶくぶく茶を売り歩いている人々もいたそうです」

運んでも崩れない泡。かなりしっかりしているんですね。たしかに、反対側の縁に寄せておいた泡を茶筅で触ると、初めとは違うしっかりとした弾力が生まれていて、少し触れたくらいでは無くなりませんでした。

音を奏でる木の器「ぶくぶく鉢」

「鉢が木製であることには理由があります。宮中でのおもてなしに用いられたぶくぶく茶のお点前の最中には楽器の生演奏がされていました。その場にお点前の音も響きます。木の器に茶筅がこすれて生まれるサラサラという音も音楽の一部となり、一体感を生んでいました。焼き物の器では音が出ないため、木でできたものが使われたのです。

また、茶碗やお盆などのお道具は琉球漆器が使われました。琉球王朝時代、最高級の道具を用意することで、もてなしの気持ちを表したと言われています。その時の道具合わせの流れを受け継いで、現在も式典などのフォーマルな場では琉球漆器を使ってお点前をしています。

ちなみに、お稽古の際には陶器の道具を使います。陶器は、ぶつかり合うとカチンと音が立つので、丁寧さが足りないとすぐにわかります。お道具を大事に扱う練習になるんですね」

お稽古の際に使う陶器
お稽古の際に使う陶器

気候に合わせた温度で味わう

泡立てが終わったら、弾力が出てきた泡を玄米茶の上に乗せていきます。

玄米茶を注いだ器と、お菓子を用意して、泡を盛り付けます
玄米茶を注いだ器と、お菓子を用意して、泡を盛り付けます

お茶の温度は人肌より少し暖かいくらいか、特に暑い時期には冷茶にすることもあるのだそう。沖縄の気候に合わせた、ちょうど良い湯加減が考えられているのですね。

この日の気温は30度。冷茶で準備してくださっていると伺い、期待が高まります。早く飲みたい。

先生のお手本。茶筅に泡を絡めて運び、器の上で、トントンと茶筅を打ちます
先生のお手本。茶筅に泡を絡めて運び、器の上で、トントンと茶筅を打ちます

「流派によって少しずつ違いはありますが、お茶と泡が同時に飲みきれるバランスを考えて盛り付けると美味しく召し上がっていただけます」

中心が高くなるように泡を盛り付けて、できあがりです
中心が高くなるように泡を盛り付けて、できあがりです

「ぶくぶく茶は素朴な味わいなので、先にお菓子をいただいてから飲みます。

いただき方は、器を手に取り、一礼。神様に感謝します。そして、器の正面を避けるように少し時計回りに回して口をつけます。

泡とお茶が一緒に味わえるように少し口を開いて、泡を吸い込むようにすると美味しくいただけますよ」

器を手に取り、一礼していただきます
器を手に取り、一礼していただきます

ふわふわとした不思議な食感と、ひんやりとしたお茶が口の中で溶け合います。ビールにも似た口当たりですが、お茶のさらりとした味と香りが、汗ばんだ体をホッと落ち着かせてくれます。ゆっくりと味わいたい美味しさでした。

首里の湧き水だからこそ生まれた「ぶくぶく泡」

それにしても、泡をのせるという発想、この不思議な飲み物はどうやって生まれたのでしょう?

ぶくぶく茶

「首里には豊富な湧き水があります。地下からこんこんと湧く水は、琉球石灰岩を通ってきたもので、硬度が高く、ミネラルが豊富に含まれています。よその地から伝わって来たお茶を琉球の水で煎れてみたところ、ポコポコと泡が立ちました。

それを見て、もっと泡立ててみたところ面白いほどに泡ができることがわかりました。こうして、見た目にも楽しめて、香りの広がりも、口当たりもよいお茶が生まれました。

ちなみに、琉球のお酒も湧き水とお米でできています。一説にはお酒を作っているときにブクブクと泡がでるので『泡盛』と呼ばれるようになったとも言われているんですよ」

この地の水だからこそ生まれたお茶だったのですね。同じようにお米とさんぴん茶を用意してみても、他の地域ではうまく泡立たないことも多いのだそう。

沖縄ならではの伝統茶。沖縄を訪れたら、琉球王国の宮中を想像しながら体験してみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
楽茶陶房ちゅらら
沖縄県那覇市首里当蔵1-14
098-886-5188

文:小俣荘子
写真:武安弘毅

こちらは、2018年6月2日の記事を再編集して掲載しました。沖縄が琉球王国だったのは140年以上も前。そのときのおもてなしが現代でも体験できるとは、ロマンを感じますね。

自転車をこぐと、靴下ができる。出張型の工場体験「チャリックス」

「自転車をこいで自分だけの靴下がつくれる、チャリックスです!」

日本各地の工芸メーカーが集まる合同展示会「大日本市」を訪れたときのこと。不思議な組み合わせを耳にして、思わず足を止めました。

「え‥‥?自転車でソックス??」

振り返ると、今まさに自転車をこぎ出そうとしいる人の姿が。

自転車をこぐと、お隣の機械が動き出しました!
自転車をこぐと、お隣の機械が動き出しました!
どうやら、こちらの機械が織り機。編まれた靴下が少し顔を出しています
どうやら、こちらが「編み機」のよう
編み機にはたくさんの糸がかかっていました
編み機には、たくさんの糸がかかっています
編まれた靴下の先が顔を出します
編まれた靴下の先が少しずつ顔を出します

糸をセットして、自転車を漕ぐこと約10分。編み上がった靴下を裏返したら、つま先を縫って完成です。

できあがった靴下。タグの「Made by」の欄には自分の名前を入れられます
できあがった靴下。タグの「Made by」の欄には自分の名前を入れられます。これは嬉しい!

自転車をこぎながら、実際に機械が動く様子が見られるチャリックス。たくさんの糸から好きな色を3色組み合わせ、長さ、サイズを選んで自分だけの靴下をつくることができます。

チャリックスの靴下織り機

靴下のつくり方、知っていますか?

この活動を行うのは、株式会社創喜 (そうき) さん。靴下の一大産地である奈良の老舗靴下メーカーです。

同社ではこども用からおとな用までさまざまな靴下をつくってきました。たっぷりの糸で編む、柔らかな感触のローゲージ靴下が看板商品。履き心地の良さもさることながら、冬は暖かく夏はムレにくい機能性の高さが大きな魅力です。

そんな実力派のメーカーが、なぜ自転車でワークショップを?

自転車で靴下を編むブランドチャリックス 奈良

「靴下がどうやってできるか、知ってますか?

すべて機械でできると思ってる方も多いようですが、実は人の手が入らないとつくれません。

まず、デザインや組み合わせる糸の種類によって、職人が機械のオリジナルのプログラムを設計します。その機械を操る人のほか、靴下を裏返して整え、つま先を縫い合わせて、アイロンをかけて整えるそれぞれのパートで専門の技術を持った職人が必要です」

そう語るのは、創喜3代目の出張康彦(でばり やすひこ)さん。

複雑なつくりの編み機を全て分解して、自分で組み直せるようになってやっと一人前の職人なのだそう
複雑なつくりの編み機を全て分解し、自分で組み直せるようになってやっと一人前の職人なのだそう
靴下のデザインに合わせて、編み機を組み替えたり、メンテナンスも自身で行うのだとか
靴下のデザインに合わせて、編み機を組み替えたり、メンテナンスも職人が自ら行います

「チャリンコをこいでソックスがつくれるので、チャリックス。実際に工場で使われている編み機でオリジナルの靴下をつくれます。

チャリックスでは、靴下をつくる経験とでき上がった靴下の両方を楽しんでいただけるんです。活動を通じて、ふだん何気なく履いている靴下のことや、ものづくりの現場に興味を持ってもらえたらと考えました」

なんだか楽しそう!そんな気持ちで覗いたら、思いがけずものづくりの奥深い話が聞けました。身近な存在の靴下ができるまでのこと、全然知らなかったなぁ。

出張して、工場を開く

一方で、現在、日本国内で靴下が生産できる工場は減少し続けているそうです。大量生産の安価なものが増え、履き心地の良い靴下を編む技術が、いま失われつつあります。

「もっと、靴下の良さを知ってもらいたい。広めたい!」そんな想いのもと、工場を飛び出し各地で開催できる出張型の体験ワークショップが生まれました。

チャリックス

体験を通してファンが生まれる

この活動、いまではファンが多いのだとか。靴下が気に入ったり、愛着が湧いたり、もう一度自転車での靴下づくりを楽しみたいとリピートする人が何人もいるのだそう。

編み機の構造やものづくりに興味を持って色々と質問されることも多いそうです。

「まずは楽しんでもらえたらいいんです。それで靴下作りのことを知っていただくきっかけになったらと思っています」

チャリックスには、ふつうのワークショップとまた一味違う新しい発見がありました。あなたも自転車をこぐと、靴下の見方が変わるかもしれません。

 

<取材協力>
株式会社創喜
http://www.souki-knit.jp/

文:小俣荘子
写真:菅井俊之
画像提供:株式会社創喜

ただ一人の職人が受け継ぐ竹細工。「1年待ちの竹かご」が生まれる沖縄の工房へ

那覇市の市街地から車で30分ほど。沖縄市八重島に、県認定工芸士の津嘉山寛喜 (つかやま かんき) さんの工房があります。津嘉山さんは沖縄本島でただひとり、沖縄の竹細工を受け継ぎ生業とする職人。

工房には、沖縄の日常道具として使われてきた大小様々なかごが並びます
工房には、大小様々なかごなどの竹細工が並びます
津嘉山 寛喜さん
津嘉山寛喜さん

戦前、竹細工の一大産地であった沖縄。竹の工芸品は、沖縄の人々にとって生活必需品でした。工業化の波で、プラスチック製品などが台頭するなか、その手作りの技術を継承し、時代に合わせた竹細工を生み出している職人が津嘉山さんです。

日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化を紹介していく「日本全国、かご編みめぐり」。今回は津嘉山さんが作る、沖縄の竹かごを見せていただきました。

沖縄の暮らし、ならではの形

沖縄の日常道具として使われて来た様々なかごが並びます
沖縄の言葉で、かごはディール、ざるはバーキといいます。棚には小さいものから特大な竹かごや椀かごが並んでいました
「サギジョーキ」と呼ばれるこちらは、ご馳走を入れて保管するための竹かご。蓋がぴっちりと閉まります。取っ手部分を張った紐などに吊るして、ネズミなどの被害似合わないようにした、天然の冷蔵庫だったそう。現在は料亭などで器として使われています
「サギジョーキ」と呼ばれるこちらは、冷蔵庫がなかった時代、ご馳走を入れて保管するための竹かごでした。蓋がぴっちりと閉まります。取っ手部分を紐などに吊るして、ネズミの被害から食材を守る役割を果たしました。現在は料亭などで盛り付け用の器として使われています
こちらの美しいかごは布バーラ (ウーバーラ) 。芭蕉布を織るために、割いた繊維を入れ、糸を紡ぐ際に使われます
この美しいかごは「布バーラ (ウーバーラ) 」。芭蕉布を織るために割いた繊維を入れ、糸を紡ぐ際に使われます
布バーラの縁
縁はなめらかで、撫でてもつるりとしています。糸となる繊維を取り出す際にからまってしまわないための工夫なのだそう
「銭ディール (ジンディール) 」
こちらは「銭ディール (ジンディール) 」。軒先で商いをする時にお金を入れておくためのかごでした。ちょこんと尖った四つ足が独特です
風で紙幣が飛ばないように入り口がすぼまっています
風で紙幣が飛ばないように入り口がすぼまっています

「かつて沖縄の人々は、軒下や道端で市場のようにお店を広げていました。元気なオカー (お母さん) たちが、商品の入ったかごを頭の上に乗せて運びます。かごにしっかりとした足がついていると邪魔だったんですね。

編む時に底の角を少し尖らせて、道端に置いた時に安定するけれど、頭に乗せても邪魔にならない形にしたんだと思いますよ」

かごの底の四隅に少しだけ尖った部分がつくられています

この尖った部分が生まれたのには、原料の竹の影響もあるのだとか。

「沖縄の竹細工でよく使われる蓬莱竹 (ほうらいちく) は、節までの間隔が長く、しなやかで曲がりやすいので形が安定しました。他の竹では、ここまで急な角度で尖った部分を作ると割れてしまうんじゃないかな」

節が長くて、凹凸も少ないので使いやすいそう
津嘉山さんが採ってきた蓬莱竹。節の凹凸が少なく、わずかに削るとなめらかに
編む時は、水につけてしなやかさを高めることもあります
編む時は、水につけてしなやかさを高めることも
口がすぼまっています
出来上がった銭ディール。理にかなった作りです。今では、茶椀かごや花器として使われているそう

竹細工の需要が減る一方で、津嘉山さんの作るものは、早くとも半年〜1年以上待ちという人気。どのようにして盛り立ててこられたのでしょうか。

生活用品から、工芸品、装飾品へ

「私の祖父の時代。1879年、廃藩置県の折に一族が北谷町 (ちゃたんちょう) という竹細工の一大産地へ引っ越し、家族総出で竹細工を生業とするようになりました。当時は多くの生活用品が竹でできていて、作れば売れるという状況。

様子が変わったのは戦後のことです。工業化の影響で竹製品の需要がグッと下がりました。加えて、米軍基地の人手不足による求人が出回っていて、お給料が良かったこともあり、みんなそちらに勤めるようになりました。町で竹細工を続けたのは、私の父ただひとりとなったのです。

『作っても売れない』と嘆いていた父のことを覚えています。あるとき私の思いつきで、『実用品は売れないから装飾品として小さなかごを作ってはどうか』と提案したことがありました。

昔ながらのやり方を大切にしていた父でしたので、すぐに首を縦に振りはしませんでしたが、しばらくして装飾品に挑戦してくれました。やはり需要があったようで、その後は注文も多くなり、忙しそうに働く父の顔は生き生きとしていました」

津嘉山寛喜さん

「作れば売れる時代が終わった後は、工芸品としての価値を高めて美しいものを作っていかないと売れないと思うんです。当時の沖縄の竹細工にはそれが欠けていました。‥‥と語りつつ、私も40歳になるまで、竹では稼げないと米軍基地で働いたり、建築の仕事をしていたんですけどね (笑) 。

付き合いの飲み会も多くて体が辛かったこともあり、次の仕事を考えた時、頭に浮かんだのが父の姿でした。初心にかえる、というわけではないですが、子供の頃から慣れ親しんできた竹細工に本気で取り組んでみようと考えたんです。

相談したとき、父は何も言いませんでしたが、目で『継いでくれ』と言ってくれているように感じました」

仕上がりにこだわる、時代にあったものを作る

1989年、竹細工の仕事を始めた津嘉山さん。お父様から手ほどきを受けながら、ひたすらに編んではほどき、編んではほどきを繰り返して商品作りに勤しみます。

その努力の甲斐あって腕前が認められ、1993年には、全国植樹祭で天皇皇后両陛下がお使いになる「お手植え苗木入れかご」の製作を依頼されるまでになりました。

修行する津嘉山さんが特に力を注いだのは「美しい形」づくりと、時代に合わせた商品づくり。

「生活用品としては、機能性と強度が担保されていれば良いのですが、竹製品以外の選択肢がある今の時代、それだけではダメだと思いました。選んでもらうための工夫が必要です。

そこで、編み目の均一性やなめらかさを従来のものより磨いていきました。形の美しさを評価してもらえると、雑貨入れや花器などの見せるインテリアとして使ってくれる方も増えますからね。また、照明器具など、現代の暮らしで使う道具も新しく作っています」

こうして津嘉山さんのつくる竹細工は評判を呼び、人気を獲得していきました。

竹細工を広めるための体験教室に、新しい技術習得も

また、テレビ取材を機に、学校、公民館、博物館などから竹細工の体験教室の講師の依頼が舞い込むようになります。

「竹細工を広める仕事ができるのは嬉しいことでした。製作活動と講師業をこなしていくためには、作業を効率化する必要がありました。そこで、製作の一部を機械化することにしました。

手作業では10日かかったひご作りが、機械を使うことで半日でできるようになりました」

皮と身をスライスして分ける工具
皮と身をスライスして分ける工具
ひごを均等な幅に削る工具
ひごを均等な幅に削る工具

「竹細工では、ひご作りが70%、編むのが30%と言われます。それくらいひご作りに時間が取られるんです。適切なひごの厚みや幅がわかるようになるまで3年かかる、とも。体得しないとまともな製品が作れないのです。ひごのことがわかった上で機械が使えると、グッと時間が短縮でき、綺麗に編むことに専念できるんです」

津嘉山さんの竹編みは本当に美しいものでした
編むところを見せていただきました。均質な間隔で編み込まれた竹はつるりとなめらか。するすると仕上がっていきます
ひごだけでなく、津嘉山さんは道具の改良を日々行なっています。こちらは、立ったままかごが編める道具。かごの型を高い位置に取り付けました。ずっと座っていると腰を痛めるので立った状態で作業できるようが良いのだとか
ひごだけでなく、津嘉山さんは道具の改良を日々行なっています。こちらは、立ったままかごを編める道具。かごの型を高い位置に取り付けました
ずっと座っていると腰を痛めるので、立った状態で作業できる方が良いのだとか
ずっと座っていると腰を痛めるので、立ったままで作業できる方が良いのだとか

精力的な製作活動に加え、後進の育成にも取り組まれている津嘉山さん。各地の竹細工工房と交流し、情報交換や研究にも余念がありません。他に何か新しく考えていることはありますか?と伺うと、「いっぱいありますよ」とニヤリ。

「沖縄の竹細工を伝えるミニ博物館を作ろうと思ってるんです。工房の2階にその用意をしています。なかなか忙しくて進んでいないのですが、昔からの竹細工だけでなく、竹で作れるものの可能性を広く伝えられたらと、新しいものも作っています」

2階への階段の壁には、小学生向け講座で作る昆虫作品なども飾られていました
2階への階段の壁には、小学生向け講座で作る昆虫作品なども飾られていました
沖縄のお祭りの様子を竹細工で作ったもの。知花花織を着た竹の人形が楽しませてくれます
沖縄のお祭り「エイサー」の様子を竹細工で作ったもの。知花花織を着た竹の人形が楽しませてくれます

一度は途絶えそうになった沖縄の竹細工。楽しんで立ち向かう津嘉山さんによって、新しいアイデアを次々と生かしながら次の時代へ受け継がれていこうとしています。その様子には、竹のようなしなやかさがありました。

<取材協力>

北谷竹細工

沖縄市八重島3-4-7

098-937-1474 (FAXも同じ)

※商品の注文は電話・FAXでも受け付けています。

文:小俣荘子

写真:武安弘毅

こちらは、2018年6月29日の記事を再編集して掲載しました。見た目も涼やかな竹細工。何を入れるか考えるだけでもワクワクしますね。