結婚式やご祝儀が華やぐ「金沢・加賀水引細工」の世界。津田水引折型が受け継ぐ「気持ちを贈る工芸」とは

立体的で華やかな、加賀水引

結納や結婚式などのお祝い事、あるいは不祝儀にもかかせない水引

あわじ結びと言われる結び方が基本ですが、とくに祝儀においては様々なアレンジが加えられ、華やかに贈り物を包みます。

たとえば、こんなふうに。

蝶々に結ばれた祝儀袋
松に結ばれた祝儀袋

かつての水引は平面的なもので、こうした立体的で華やかな水引細工が使われるようになったのは大正時代になってからのこと。なかでも、石川県の津田左右吉氏は数々の独創的なデザインを考案しました (※) 。いまも「加賀水引細工」の名で、金沢の希少伝統工芸に指定されています。

その技術を受け継ぐ工房、津田水引折型を訪ねました。

加賀水引 津田水引折型
大正6年 (1917年) 創業の加賀水引 津田水引折型
5代目 津田六佑さん
5代目 津田六佑 (つだ ろくすけ) さんにお話を伺いました

平たく折るのは難しい?きっかけは作りやすさ

「もともと、水引や折型 (おりかた=和紙を折って品物を包むこと) を用いることは上流階級の人々にのみ許されていました。一般の人々に開放されたのは明治時代に入ってからのことです。

武士のマナーの基準となっていた小笠原礼法流の水引折型が、明治後期から民間に広まり始めます。加賀水引の創始者、津田左右吉はそれを勉強し、結納品を整える仕事を始めました。

しかし、用途ごとの複雑な折型をきっちりと折り畳むのは、なかなか難しいものでした。少しでも折り目が崩れたり、歪んだりすればすぐに品のないものになってしまいます。

水引折型は、その清しく端正な姿こそが価値です。左右吉は、研究をするうちに一つのアイデアを思いつきました。平たく折り畳んでしまわず、ふっくらとしたまま折り目を付けず、それを胴のあたりでぐっと水引で引き結んでみてはどうか、と。

そうすることで、技術的なアラが目立たず、作業も楽で、しかもボリュームのある華やかなフォルムが出来上がる。今も受け継がれる綺麗な結納品の水引折型は、こうした苦心の末の、いわば逆転の発想によって完成したものでした」

立体的な加賀水引細工
ふっくらとしたままの和紙を、水引で引き結んだもの
結納の品々
加賀水引に包まれて賑々しく並ぶ結納品

はじめこそ簡単にするために思いついた方法でしたが、美しさを追求し、独自の進化を遂げていきます。現在の結納飾りや祝儀袋に飾られる鶴亀や松竹梅などは、左右吉さんの考案した水引細工が原型となっているものもあるのだそうです。

創始者の左右吉さんの息子、太一さんが残したスケッチ
創始者の左右吉さんの作品スケッチ。息子の太一さんが描き残しました。縁起のよい結び方「あわじ結び」をベースにデザインされています。当時から豪華だったことがうかがえます。

また、津田家の人々は、結納業の傍ら、水引と和紙などを使って、人形や植物をモチーフに内裏雛や甲冑といった水引細工の作品も数多く作り出します。

二代目となった左右吉さんの次女、津田梅さんの代には芸術分野においても高い評価を受け、その作風を「加賀水引」として確立。全国に広く紹介されるようになり、金沢の希少伝統工芸として定着しました。

水引細工のパーツ
水引の締め具合を調整することで様々な形に仕上げていきます
羽の部分のように水引を均等な隙間で並べるのが難しいのだそう
羽の部分のように水引を均等な隙間で並べるのが難しいのだそう
その独自性と美しさが認められ、皇室献上品ともなりました
その独自性と美しさが認められ、皇室献上品となったことも

「魔除け、縁結び、未開封」‥‥水引に込められた意味

美しく目を楽しませてくれる水引細工ですが、装飾としての演出だけでなく、様々な意味が込められているのだといいます。

「水引の起源は、聖徳太子の時代に遡ります。遣隋使が持ち帰った品物に紅白の麻紐がかかっていました。受け取った日本人たちは、そのぎゅっと結ばれた紐に、ご縁が長く続くようにという縁結びの意味合いを感じたと言われています。

また、当時海を渡るのは大変なことで、天災や海賊など様々な厄災が待ち受けていました。そうしたものを払う厄除け、魔除けの意味合いや、まだ何者にも開けられていない『未開封』の意味を見出したそうです。

麻紐から和紙をよって作る水引に変化しても、その3つの意味合いが包むことの本質として残りました。むしろ、和紙を使うことで千切れにくくなり、より一層その意味合いは深まったかもしれません」

水引は先端をひっぱるとさらに堅く締まります。リボン結びによる包装とは異なり、
あわじ結びは端を引くとさらに堅く締まります。結びや封の意味合いから、ほどけにくい結び方になっているのだそう。両端を引くとはらりと開くリボン結びとは対照的ですね

さらには、和紙の折型にも祈りが込められています。

「紙を折ることは、神聖な行為と考えられてきました。紙の折り方に様々な意味合いがこめられています。霊符、折符などと呼ばれますが、祈りを込めて意味合いに沿って折られた紙は、『携帯する神社』とも呼ばれるものなんですよ。

中身は同じでも、包み方で意味合いが変わり、新たな価値が生まれる。そんな考え方があります」

 霊符(折符)=携帯する神社(神様を身につけているのと同じ)
家内安全、五穀豊穣、招福、厄落とし‥‥折り方で様々な意味合いを持つ霊符

「加賀水引は、細工のことだけでなく、和紙で『包む』、水引で『結ぶ』、差し上げる理由や名前を『書く』、この3つの工程全てを指しています。その本質は相手とのコミュニケーションにあると思っています。

市場価値に関係なく、その人にとって大切なものだからきちんと包んで気持ちを添えて贈りたい。そんなご依頼も色々といただきます」

気持ちを贈る工芸。大事に受け継いでいきたいと、津田さんは力強く語ってくれました。

<取材協力>
津田水引折型
http://mizuhiki.jp/
石川県金沢市野町1-1-36
076-214-6363

文・写真:小俣荘子
画像提供:津田水引折型

※参考文献
「伝統の創生-津田左右吉による加賀水引折型細工の創始-」 山崎達文/著 (『富山市篁牛人記念美術館 官報』第8号 1998年3月)
「加賀の水引人形師」本岡三郎/著 (北国出版社 1970年5月)

この連載は‥‥
日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台‥‥清々しくておめでたい節目が「ハレ」なのです。
こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどを紹介します。

*こちらは、2018年5月5日公開の記事を再編集して掲載しました。贈りものに込められた意味をきちんと理解するのも大事だな、と改めて思いました。



<掲載商品>

飯田水引の祝儀袋

世界が注目の「人形浄瑠璃」 思わず泣ける秘密は人形づくりの現場にあり

「現代の名工」木偶細工師の甘利洋一郎さんの工房へ

大人が感動する「人形劇」が日本にあります。何度見ても、ストーリーを知っていても涙してしまう。

それは、人形浄瑠璃。

日本中に地域の特色を持った人形浄瑠璃が伝わっています。中でも、ユネスコ無形文化遺産に登録された大阪の人形浄瑠璃「文楽」は、世界からも注目され、海外公演に招かれるほど。

この日本が生んだ「泣ける」人形劇の鍵を握る、浄瑠璃人形の作り手「木偶 (デコ) 細工師」を取材しました。

人形浄瑠璃が盛んな徳島で、木偶 (デコ) を作り続けて40年

古くから人形浄瑠璃が盛んな地域として知られる徳島県。大いに流行した江戸時代から、多くの人形師が腕を振るってきた地域です。様々な娯楽に押され、担い手の数が減ってしまった今も、その技術は受け継がれています。

この地で今も人形を作り続ける木偶細工師で、「現代の名工」にも選ばれた甘利 (あまり) 洋一郎さんの工房を訪ねました。

工房には、様々な頭がずらり
工房には、様々な頭 (かしら) がずらり

かつての人形浄瑠璃の枠を超えた人形製作

甘利さんの元には、阿波の浄瑠璃人形にとどまらず、日本各地から人形の製作や修復の依頼が届きます。作られた人形は、国立文楽劇場にも納められており、プロからの信頼もあついことが伺えます。

近年では、大阪府能勢町の公認PRキャラクターや道頓堀のくいだおれ太郎の文楽人形など、これまでの浄瑠璃人形にないキャラクターの製作も甘利さんが手がけました。

甘利洋一郎さん
甘利洋一郎さん。様々な製作依頼の他、大学での技術伝承の講座を受け持つこともあるそう。人形浄瑠璃の面白さを伝え、未来に残すことに尽力されています

「最近では、海外の方から製作現場が見たいという問い合わせをいただいたり、文化財としての製作を依頼されたりすることもあります。

世界の人形劇を見渡してみると、子供向けのものが多く、日本のように大人のために発展したものは稀なのです。そういう意味で、日本の人形浄瑠璃は世界一と誇れるものであるように思います」

ロボット工学でも注目される人形の感情表現

様々な依頼を受ける甘利さんですが、中でも特に驚いたのは、ある研究者からの依頼だったそう。

東京大学と慶應義塾大学のロボット工学における共同研究で、文楽の人形が実験に使われました。その人形製作に協力した甘利さん。

「浄瑠璃人形には人間以上の表情が浮かぶと言われています。東京大学と慶応義塾大学との合同チームの先生が来られて人形を作ってほしいと依頼がありました。

人形の頭 (かしら) 、首と手、着物などに、7つのセンサーを埋め込んでその動きを測定するというものでした。ロボットの動きに応用するための研究なんだそうです。

400年前の技術が今の先端技術に影響を与えているというのは面白いですね」

甘利さん
浄瑠璃人形の腕
感情表現を担う腕

人形遣いが命を吹き込む、舞台上の人形

それにしても、人形浄瑠璃はなぜ私たちの感情を揺さぶるのでしょうか。そこには、人形の作り手と遣い手による技がありました。

「浄瑠璃人形は、美術品ではなく生きた道具なんですよ。人形遣いが扱ってこそ命が吹き込まれます。

以前、文楽の人形遣いの名手、桐竹勘十郎 (きりたけ かんじゅうろう) 師匠が工房にいらしたことがありました。工房に置いていた衣装をまとった人形を勘十郎さんがそっと膝に乗せると、その瞬間、人形に命が吹き込まれたようでした。

ちょっとした首の角度や手の動きが加わるだけでこれほど人形が生き生きとした姿になるのかとプロの技に感動しましたね。

私たち作り手は生みの親、人形遣いの方々が育ての親だと思っています。時間をかけて育てるものです。新品の状態から経年変化が加わることでも人形が仕上がっていく、人間臭くなっていくように感じています。

私たちが作る人形は、仕上がった時ではなく、舞台に登場した時にその真価を問われます。人形遣いにとって扱いやすく、舞台映えする人形を作りたい。常にそう思っています」

人形を納めたら必ずその人形が登場する公演を観にいくようにしているという甘利さん。なぜ観にいくのでしょう。

ほんの小さな差が完成度に影響する

「作っている時は、至近距離で人形と対峙しています。一方で、舞台の上では遠く離れたところにあり、その上動いている。顔の輪郭や左右のちょっとしたバランスの違いが不思議と出来不出来を決めます。

それは本当に小さなことで、塗った胡粉の厚み一層のようなことなのですが、人形の印象を左右します。そうして気づいたことを次の製作でやってみるんです」

女性の頭。甘利さん曰く、卵型でつるりとした女性の頭が一番難しいのだそう
女性の頭。甘利さん曰く、つるりとした卵型をした女性の頭が一番難しいのだそう

プロの人形遣いならではのリクエストが技を成長させる

また、人形遣いの方と交流することで、遣い手ならではの視点を知ることもあるのだそう。

「目玉の位置について、リクエストをいただいたことがありました。

劇中の江戸時代の男女関係では、女性が腰を低くして下から見上げることが多いんです。遠慮していたり、いじらしかったり。

一般的な木偶の作り方の場合、まぶたの下に目玉を掘り出すので、どうしてもやや伏し目になります。視線が下を向いていると、相手を見上げて目線を合わせたい時に、顔がのけぞってしまいますよね。

顔と顔が向き合っていれば充分じゃないかと思うかもしれませんが、人形遣いの方たちは目線にまで気を配ります。

だから、少し黒目が上向きになるように目玉を作る。ほんのわずかな‥‥コンマ数ミリメートルの調整ですが、それで違和感なく目線を合わせられるようになり、よりリアルな感情表現ができる。言われてハッとしましたね」

女性の頭

他にも、感情を語る上で重要な動きをするのが腕や手のひら。ここには遣い手のこだわりと、からくりの設計上のせめぎ合いがあるそう。

「勘十郎さんから、女性の親指はなるべく内側に入れて欲しいと言われました。指先が揃って小さくなっている方が女性らしくなるんですね。

ただ、指先は関節から動かすパーツなんです。親指を内側に入れると指先を動かす時に他の指と擦れてしまいかねません。外側からは見えないくらいわずかに親指の内側を削って人差し指と擦れないように調整しました。

実際、そうして作ってみると確かに女性らしい美しさに磨きがかかるんです」

形の美しさと動きの自然さの両方をかなえる工夫がこうして生まれました。

浄瑠璃人形の指が曲がる場所は一箇所。リアルな動きをさせる場合、単純に関節の数や形を人間と同じにしてもカクカクと曲がりすぎてかえって違和感が出る場合もあるのだそう
浄瑠璃人形の指が曲がる場所は、付け根と関節の2箇所のみ。リアルな動きをさせる場合、単純に関節の数や形を人間と同じにしてもカクカクと曲がりすぎてかえって違和感が出る場合もあるのだそう。「見たままではなく、あえてデフォルメすることでリアリティが増す。先人たちの感性が生み出してきた人形の構造が人の心を動かすのでしょうね」と甘利さん
こちらは男性の手。見栄を切る場合などに開くよう関節の数が多く細工が難しいパーツ
こちらは見栄を切る場合などに使われる手。指が開くよう関節の数が多く細工が独特

農村舞台、屋内劇場で異なる人形

また、上演される場所によって、大きさや仕上げを変える場合もあるのだとか。

「阿波人形浄瑠璃は、農村舞台など昔から屋外で上演されるものでした。

屋外舞台で扱う人形は、遠くから見ても様子がわかるように大きめに作られているんです。肌にはツヤを出して、薄暗い夕暮れ時にも美しく映る姿にします。ツヤ仕上げにしていると、照明として焚いた火の油煙などで汚れても拭き取りやすいという利点もあります。

一方で、文楽座など屋内の舞台での上演で遣われる人形は、細やかに動かしやすく美しく見えるよう小ぶりです。舞台照明とハレーションを起こしてしまわないように肌はマットに仕上げます」

同じ種類の人形でも、遣われる場所によって大きさは様々。地域ごとに伝わる人形の縮尺もあるそう
同じ人物の人形でも、遣われる場所によって大きさは様々。地域ごとに伝わる人形の縮尺もあるそう
ツヤ仕上げの頭 (左) と、マットな仕上げの頭 (右)
ツヤ仕上げの頭 (左) と、マットな仕上げの頭 (右)。たしかに、ツヤ仕上げの場合は蛍光灯の光を反射しておでこが光ってしまっていますね

人形に「情 (こころ) 」を入れるか?

ここまでお話を伺ってきて、気になったのは人形に込める「性格」のこと。

人形に性格を持たせるのでしょうか?

「これは、扱う人がプロかアマチュアかによって変わってくるところなんですよ。地域のお祭りや風習と結びついている場合は、その土地の一般の方が人形を操るので、最初から性格が伺える人形を彫り出します。

一方、プロ集団が人形を遣う文楽では、はっきりとした性格が表れるような表情づくりはしません。人形遣いの名人の言葉に『娘はぼんやり彫れ。情けは私が入れる』というものが残っています。

文楽は性格を人形に持たせないんです。ひとつのキャラクターに完全に合わせたものを作ったら、その人形が他の役を演じられません。プロは、人形を通じた芝居で、その役に魂を入れているんですね」

仕上げた人形が舞台でどのような姿になるのか。どんな人に扱われるのか。完成後までを考え抜いているからこそ、観る人の胸を打つのだろうと思いました。甘利さんが製作した人形で上演される舞台、じっくり見てみたくなります。

<取材協力>

阿波木偶作家協会

徳島市勝占町原24-6

088-669-2995

◆全て甘利さんの人形が使われている劇場

能勢人形浄瑠璃鹿角座

https://www.rokkakuza.jp/


◆阿波人形浄瑠璃に触れられる場所

徳島県立阿波十郎兵衛屋敷

http://joruri.info/jurobe/

文:小俣荘子

写真:直江泰治

*こちらは、2019年5月13日公開の記事を再編集して掲載しました。指先ひとつの動きまで丁寧に作りこまれる人形たち。ぜひ劇場でご覧ください。

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金網つじの焼き網で「トーストが美味しく焼ける」秘密

「美味しいトーストが焼ける!」と評判の焼き網をご存知ですか?

焼き網で焼いたトースト
コンロの上に乗せただけの焼き網で、ほんの1〜2分あぶったパン。表面はカリッ、中はふわふわに焼きあがりました

作っているのは京都の「金網つじ」。手で編む京金網の美しさと、道具としての使いやすさが評価され、世界からも注目されている工房です。

辻さんの金網づくりには図面があります。美しい京金網をうみだしています
フリーハンドで編むことが一般的だった京金網作りの現場に図面を取り入れ、使いやすさと見た目の美しさを高めました

平松洋子さん著「おいしい日常」の表紙になった焼き網

金網つじの焼き網は、暮らしの道具に精通した方々が愛用していることでも知られています。エッセイストの平松洋子さんの著書、「おいしい日常」の表紙も飾りました。また、大手パンメーカーのCMで女優の深津絵里さんも使用。パン好きの間で人気が耐えない商品で、生産が追いつかないほどの売れ行きなのだとか。

この焼き網は、何が特別なのでしょう。お話を伺いに京都を訪ねました。

高台寺にある金網つじ
京都 高台寺にある金網つじの店舗。2階では、京金網の製作体験ができます (要予約)
金網つじ 2代目 辻徹 (つじ とおる) さん
金網つじ2代目 辻徹 (つじ とおる) さんにお話を伺いました

網で焼いたパンの美味しさをもっと広めたい

「我が家では、私が子どもの頃から毎朝焼き網でパンを焼いていました。芳ばしいパンの香りが漂う食卓の風景は私の原体験となっています。

家業を継いで自分で金網を作るようになってから、もっと多くの方にこの美味しさを知ってほしい、焼き網を使ってみてほしいと思っていました」

パンの焼き方を映したインスタグラムの投稿
焼き網の活用法や、季節のお勧め食材を調理する様子をインスタグラムで発信している辻さん。使い込むことで変化する網の状態や、パンの焼き方も紹介されていました
焼き網での調理にお勧めの食材の紹介も
こちらは練り物を焼く様子。見ているだけでお腹が鳴りそう‥‥

プロが使う「焼き網」を家庭に

「セラミックから出る遠赤外線は、食べ物を美味しく焼く効果があると言われています」

焼き網に付いている白い部分がセラミック
焼き網の下に付いている白い部分がセラミック

「遠赤外線を出せるのは、『石焼き芋の石』、『炭』、『セラミック』の3つだけ。

実は昔から、料理人の間では『炭の香りはつけたくないけれど、遠赤外線効果で焼き上げたい』時、セラミックが付いた焼き網が使われていました。

プロ用の道具を一般家庭で使っていただけるよう商品化することにしたんです」

金網つじのお店入り口
元々は料理人や和菓子職人などプロ向けの道具を作っていた同店。辻さんが継いでからは一般向けの道具も作り始めました

「発売当初は、プロと同じように昔ながらのセラミックを付けていました。料理人にとっては問題ないのですが、家庭で使う場合の難点がありました。

それは、『洗えない』ということ。脂の乘った魚やお肉を焼くとニオイが残ってしまうので、他のものを焼くならもう一つ焼き網を持たなければいけなかったり、やはり汚れが気になる方もいらっしゃいました」

汚れが気になって、洗ってしまうという人も。洗うと効果が半減してしまうので、辻さんはなんとかしたいと奮闘します。

「いろんな素材を調べていて、行き着いたのが工業製品である『ファインセラミック』です。最先端のセラミック研究を行う企業に依頼して、金網つじ用のオリジナルを製作してもらいました。これなら洗えるし、何より従来のセラミック以上に遠赤外線効果が高いものだったんです」

つじさん

暮らしの道具は、使い勝手が良くてこそ

「せっかくの工芸品に工業製品を加えるなんて‥‥という否定的な声をいただくこともあったのですが、この焼き網を良くするために必要なことでした。

私たちが作っているのは暮らしの道具です。使い勝手が良くて、より美味しいものが作れてこそ喜んでいただけると信じて進めました」

こうして新しくなった辻さんの焼き網は大好評。多くの家庭で使われることとなりました。

焼き網
作られたのは、一般的な大きさの焼き網と、トースト1枚がちょうど乗る小ぶりなサイズ。コンパクトなキッチンでも使いやすい大きさです

長持ちする道具を目指して

辻さんの工夫はセラミック選びだけにとどまりません。使い勝手の検証と、金網つじの技術を生かした仕上げがなされています。

「一般家庭のコンロの火と網の距離を考えて台の高さを調整しました。

それから、金網の枠に巻きつける針金の先端は1本ずつ溶接してなめらかにしています。こうしておくと、壊れにくいですし、スポンジが引っかからないので洗いやすいんです」

枠に巻き込んだ網の仕上げも滑らか。指で触れても滑らかで引っかかりがなく、怪我をしにくい上にスポンジなども引っかからないので洗いやすい
整然と枠に巻きつけられた金網。枠の裏を指で撫でてみると、見事に溶け合っていて尖ったところがありません。そのなめらかさに驚きました

「素材にもかなり迷いました。ずっと使ってもらいたい道具なので、安全性と耐久性を考えてステンレスを選びました。

ステンレスって、すごく硬くて編むのが大変なんです。まさかこんなに売れると思っていなかったので、『失敗したなー!』なんて冗談を言いながら作ってます (笑) 」

ゴルフ手袋で手を守りながら編んでいきます
金属から手を守るため、強くて滑りにくいゴルフ手袋をして編んでいくのだそう。しっかりした生地の手袋でも針金を押さえる指先には穴が空きます。金属を編むハードさを感じました

伝統の技術を現代にアップデートしていく

「工芸に工業製品を取り込んだり、海外向けの道具を作ったりしていると、革新的なことばかりやっているようにイメージされることもありますが、やっていることはずっと変わっていないと思っています。

伝統工芸を受け継がせてもらっている身としては、その技術を守って伝えていくことはとても大切なことです。ただ、守るだけではダメだと思うんです。

今の時代を生きるお客さんにとって、使い勝手の良いものであることが何より大事です。それが伝わったから使っていただけてるんじゃないかなと思います」

金網つじ パン焼き網

使い込むほどに美味しく焼きあがるようになるという辻さんの焼き網。使い方も細かく教えていただいて、トーストサイズを買ってお店をあとにしました。

金網でパンを焼く朝が始まりました。毎日この時間を楽しみにしています。次回は、辻さん直伝の美味しいパンの焼き方を紹介します。

 

<取材協力>
高台寺 一念坂 金網つじ
京都市東山区高台寺南門通下河原東入桝屋町362
075-551-5500
http://www.kanaamitsuji.com/
instagram @kanaamitsuji

文:小俣荘子
写真:山下桂子・小俣荘子

*こちらは、2018年9月17日公開の記事を再編集して掲載しました。毎日の朝ごはんを少しだけ贅沢に過ごせば、1日シャキッと頑張れそうですね。

首里城の屋根が赤い理由は?沖縄「赤瓦」のヒストリー

「沖縄の屋根」と聞いてどんなものを想像しますか?

私は、赤い瓦屋根の家が真っ先に思い浮かびました。

シーサーが乗った赤瓦屋根もよく見かけます
シーサーが乗った赤瓦屋根もよく見かけます

青い空と風情ある赤い屋根の組み合わせは南国沖縄のイメージそのもの。現在は様々な建築技術が取り入れられ、赤瓦の住宅ばかりではなくなりましたが、それでも街を歩いているとこうした建築を見つけられて嬉しくなります。

街の中の赤瓦屋根

それにしても、沖縄の瓦はどうして赤いのでしょう。

沖縄県内の瓦工場で唯一、伝統的な赤瓦の製造技術を保持し、現代建築から文化財の修繕まで幅広く手がける「八幡瓦工場」を訪ねてお話を伺いました。

沖縄の赤瓦を支える八幡瓦工場へ

八幡瓦工場。焼きあがった赤瓦が所狭しと積まれていました
八幡瓦工場。焼きあがった赤瓦が所狭しと積まれていました
沖縄県赤瓦事業協同組合の代表理事も務める社長の八幡昇さんは、沖縄赤瓦造りの第一人者です
沖縄県赤瓦事業協同組合の代表理事も務める社長の八幡昇さんは、沖縄赤瓦造りの第一人者です

沖縄ならではの土から生まれる「赤瓦」

「赤瓦は、17世紀後半から作られ、今日まで使われてきた沖縄の伝統的な屋根瓦です。沖縄南部一帯で取れる地域特有の『クチャ』という泥岩を使って作っています。柔らかくて扱いやすいクチャは、泥パックなどの化粧品としても使われるほど、沖縄の人には馴染みのある土です」

この黒い土が「クチャ」です (現在は強度を増すために赤土を20%ほど混ぜて使います) 。あれ、クチャは赤く、ない?
この黒い土が「クチャ」です (現在は強度を増すために赤土を20%ほど混ぜて使います) 。あれ、クチャは赤く、ない?

「クチャは鉄分を多く含んでいます。鉄分は酸化すると赤くなります。酸化焼成という方法で焼き上げることで、鮮やかな赤い瓦が生まれるのです」

水と練り合わせて成形したばかりの真っ黒の赤瓦
水と練り合わせて成形したばかりの真っ黒の赤瓦
成形後に数週間〜数ヶ月乾燥させます。こちらは乾燥させた焼成前の赤瓦。色が黒から白に変化しました
成形後に数週間〜数ヶ月乾燥させます。こちらは乾燥させた焼成前の赤瓦。色が黒から白に変化しました
そして焼きあがると、赤い瓦に!
そして焼きあがると、赤い瓦に!

沖縄の気候に適した機能性

「赤瓦は美しいだけではありません。機能の面でも沖縄での暮らしを支えてきました。

赤瓦には適度な吸水性があり、スコールなど急な雨が降った際にその水分を吸い、晴れて気温が上がると水分を蒸発させます。水分を蒸発させる時、熱を逃がし涼しくしてくれるので屋根裏の温度が下がり、室内を涼しくすると言われています。

『瓦が呼吸している』とも言われていますが、日差しが弱まる冬は暖かく、夏を涼しく過ごせる屋根を作れるのです。

また、強い日差しを浴びても瓦がカラカラに乾燥することがないので割れにくく、耐久性も高くなっています。漆喰でしっかりと止められて吹き飛ばないようにすることで、強力な台風にも耐えるようになっています」

赤瓦

素材の吸水性や頑丈さに加え、さらには、瓦の形にも温度調整の機能があるそうです。

沖縄の赤瓦屋根をよく見ると、凹凸がはっきりしています。丸く山型になっているものを男瓦、平らなものを女瓦と呼び、主にこの2つを漆喰でとめて屋根を葺きます。

赤瓦
交互に並んだ男瓦と女瓦で凹凸がついているのがわかります

丸く飛び出した男瓦は太陽の光が当たりやすく高温になる一方で、平らな女瓦は日差しを避けることができて温度が上がりにくくなっています。これもまた、強い日差しによる屋根裏の温度上昇をやわらげる工夫なのだとか。

庶民が憧れた赤い屋根

17世紀後半から使われるようになった赤瓦。首里城が火災で消失した際、当時貴重だった赤瓦を使って城を再建しました。赤は「高貴な色」とされていました。また、当時の最先端技術で作られた赤瓦は高価なものであったといいます。そのため琉球王府のみが使用し、庶民が赤瓦を使うことは許されていませんでした。

首里城
現在の首里城正殿。首里城は沖縄戦を含めて、過去4度の焼失と再建を繰り返してきました。戦後の復元の際にも沖縄赤瓦が使われ、首里城跡は2000年に世界遺産にも登録されました。初代の建設年は定かではないものの、瓦ではなく板葺きであったとされています
昔ながらの方法で作られた復元用の赤瓦
昔ながらの方法で作られた復元用の赤瓦
文化財などの修復、復元に使われるそう
文化財などの修復、復元に使われるそう
筒状に作って、乾かしてから4つに割ることで瓦が出来上がります
筒状に作って、乾かしてから4つに割ることで瓦が出来上がります
復元した赤瓦
復元した赤瓦
復元した赤瓦

一般人に赤瓦の使用が解禁されたのは、明治時代に入ってからのこと。美しく機能的な赤瓦は庶民の憧れでした。ただし禁止令が解かれたとはいえ、瓦屋根はまだ高価であったためほとんどの住宅は茅葺き屋根のまま。

「いつかは自分も赤瓦のマイホームを」

そんな思いを募らせ、念願叶って使うものだったようです。こうして少しずつ赤瓦屋根の街並みが作られていったのですね。

シーサーの乗った赤瓦
屋根にシーサーが乗り始めたのは赤瓦が庶民に解禁された時期といわれています。漆喰と瓦の破片でできたものが乗せられていました。瓦屋根を葺いた職人たちが、割れたりかけたりした赤瓦を利用して遊び心で作ったのがきっかけなのだそう

広く一般に普及した赤瓦。現在では一般住宅のほか、文化財などの修復はもちろんのこと、学校や役所などの公共施設、ホテルリゾートなどの商業施設にいたるまで、幅広く使われています。

モダンな建築にも赤瓦が取り入れられています
モダンな建築にも赤瓦が取り入れられています

「近年は、現代の建築技術と融合した形で赤瓦を使うことも増えています。昔ながらの建物は減りましたが、沖縄らしい景観は残していきたいものです。私たち赤瓦の作り手は、時代に合わせたものを作れるよう新たな技術を生み出しながら、伝統の素材と技術を守り伝えていきたいと思っています」

そう力強く語る八幡さんの言葉には、赤瓦への愛があふれていました。

<取材協力>
有限会社八幡瓦工場
http://80000.okinawa.jp/
沖縄県与那原町字上与那原291番地1
098-945-2301

文:小俣荘子
写真:武安弘毅

*こちらは、2018年6月11日公開の記事を再編集して掲載しました。

ゆとん。それは、江戸時代に生まれた「科学で解明できない」夏の快適グッズ

大人になると夏休みも数えるほど。外に出かけてゆくのも楽しいですが、ただ寝そべって涼む時間も贅沢だなと思う今日この頃です。

涼しく過ごすアイテムを探していて、江戸時代から伝わる夏の敷物があることを知りました。

天然素材の「涼感マット」?

その名は「油団 (ゆとん) 」。エアコンなどの電化製品の普及とともに姿を消しつつありましたが、近年のエコ意識の高まりで、改めて注目されるようになった暮らしの道具です。

床に敷かれているのが「油団」です
床に敷かれているのが「油団」です

聞くところによると、敷いておくだけで部屋が涼しく感じられて、触れるとひんやりと冷たいのだとか。これは試してみたい。

幾重にも張り合わせた和紙にえごま油を塗って作られる油団。かつては全国各地で作られていましたが、製造技術を受け継ぎ、今も作り続けているのは福井県鯖江市の表具店「紅屋紅陽堂」の職人さんのみなのだそう。その技法は、福井県指定無形民俗文化財に指定されています。

さっそく紅屋紅陽堂を訪ねて、実物を見せていただきました。

現在、油団を唯一作っている「表具処 紅屋 紅陽堂」
現在、油団を唯一作っている表具店「紅屋 紅陽堂」
光沢が涼やかな油団
店主の牧野さんのお宅にて、油団が使われているところを拝見。つややかな表面に夏障子が映り込んでいて、なんとも涼しげです

紅屋紅陽堂で知る、「ひんやり」が持続する不思議

「どうぞ、まずは寝そべってみてください」

そう案内していただき、ごろんと横になってみると、本当にひんやり冷たい。金属に触れた時のようなキーンとした冷たさではなく、風の吹く木陰に寝そべったような爽やかさで心地よいのです。さらに驚いたのは、しばらく寝そべっていても背中に熱がこもりにくく、なかなか温まってしまわないこと。

「不思議と涼感が長持ちするんです。お客様の中には『色々な工業製品も試したけれど、これが一番長い間冷たかった』なんておっしゃる方もいらっしゃいました。

一説には『表面のえごま油が熱を逃がし、空気を含む和紙の層が熱を吸収する』と言われていますが、計測器を使った実験をしてみると油団の熱伝導率が良いわけではないのです。

ほかにも気化熱の効果で熱を冷ますなど諸説ありますが、科学的な証明にはいたっていません。それでも、以前テレビ番組の取材で油団の上の温度を測ったら、室温より2度ほど温度が低いという結果も出ました。

理屈はともあれ、昔の人が暑い夏を快適にするために色々と試してたどり着いたものだったのでしょうね」

そんな油団の涼しさには、「油団のうえで昼寝をすると (冷えすぎて) 風邪をひくよ」なんて小さな子供をたしなめる言葉があったほど。

夏の季語にもなっている「油団」

油団の魅力は、感触の冷たさだけにとどまりません。表がつるりとしていて水面のように反射し夏の景色を映し出します。そこに多くの人が美しさを見出し、夏の季語にもなっています。

柱影映りもぞする油団かな 高浜虚子

渋ゆとんくちなしの花うつりけり 室生犀星

また、仕上がり当初は白っぽい色の油団ですが、毎年少しずつ時間をかけて深い飴色に変化していきます。

初めは白い油団が、使うほどに濃い飴色に変化していきます
初めは白い油団 (左) が、使うほどに濃い飴色 (右) に

油団は100年使えると言われていますが、色の変化も楽しみの一つなのです。加えて、使い込むほどに耐水性が上がるというという特徴もあり、長い年月をかけて育てる敷物と言えそうです。

3人がかりで1ヶ月以上、手間をかけて生まれる品質

良質の和紙を多量に使用すること、完成までに多くの時間と労力を必要とすることもあり、油団は高価なものでした。そのため、一般家庭というよりは寺院や料亭、名家などで多く使用されてきました。

現在の価格は、1畳約15万円。最近は部屋全体に敷き詰めるのではなく、1畳か2畳サイズを購入して部分的に敷く方が増えているのだそう。100年使えること、使い込むほどに美しさや性能が高まることも踏まえて購入を決める人も多いようです。エコブームの近年は、メディアで紹介された際などに注文が殺到し、生産が追いつかないことも。

1枚が完成するまで、3人掛かりで1ヶ月を要するという油団。その工程を教えていただきました。

広い空間に台紙を敷いて作業します
工房の中。油団づくりには広い空間が必要です
「墨つぼ」。墨のついた糸を引き、糸を弾くことで和紙の上に直線を引きます
こちらは「墨つぼ」という線を引くための道具です。墨のついた糸を伸ばし、和紙の上に墨を落としてまっすぐな線を引きます
墨つぼを使って直線を引きます
墨つぼを使って直線を引くところ
直角を出して、正確な長方形の枠を作ります
ぴたりと部屋にはまるよう、きちんと直角を出して、正確な長方形の枠を作ります

油団台と呼ばれる大きな和紙の上に、丈夫な雁皮紙 (がんぴし) を継ぎ合わせ、仕上がりサイズに整えたものを配置します。

和紙を張り合わせていきます
台の上に生麩糊 (しょうふのり=小麦粉のでんぷん糊) を使い、楮 (こうぞ) 100%の越前和紙を2〜3ミリメートルほど重なるように貼り合わせていきます
1枚貼るごとに重量のある打ち刷毛で「どんどん」と叩き、和紙の繊維を絡み合わせます
1枚貼るごとに重量のある打ち刷毛で「どんどん」と叩き、和紙の繊維を絡み合わせます

夏が終わると、くるりと丸めて翌年まで片付けておく油団。糊でしっかりと固めてしまうと巻くことができません。そのため、限界まで薄めた糊を使いしなやかさを残し、あとは紙の繊維を絡めることで全体をつなぎ合わせていきます。

最終的に和紙が14〜15層になるまで刷毛で打つ作業を繰り返します。その回数は、8畳サイズで約1万回。しゃがみこんだ姿勢で行うため、肉体的にも大きな負荷がかかるのだそう。

目と勘を頼りに、正確に貼りつけられた和紙
正確に貼りつけられた和紙

貼り終わったら、しばらく寝かせて適度に湿気を取り除き、裏面に柿渋、表面にえごま油を塗って天日干しします。最後に、木綿の布に潰した豆腐をつけて磨き、ツヤを出して完成です。

油団の敷かれた和室

工房では、新作の油団も作られていました。柄の入った和紙を使った「花油団」。「技術を受け継いで、必要な人に届けたい」と、油団を作り続けてきた紅屋紅陽堂。その技術は進化しながら、今年も日本の夏に涼を届けています。

<取材協力>
紅屋紅陽堂
福井県鯖江市田村町2-10
0778-62-1126

文・写真:小俣荘子
制作画像提供:鯖江商工会議所

*こちらは、2018年7月9日公開の記事を再編集して掲載しました。最後にお豆腐で磨くという仕上げの工程にもびっくり。昔の人の知恵は本当に豊かですね。

高知の朝は「喫茶デポー」へ。名物の和洋モーニングとは?

旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、高知の人々に40年親しまれてきた老舗喫茶店「喫茶デポー」です。

高知の朝食は、喫茶店で

人口1000人当たりの喫茶店数で日本一を誇る高知県 (2014年総務省統計局調査より) 。そんな高知のモーニングは「ちょっと変わっている」と聞き、朝から出かけてみることに。

高知の路面電車「とさでん」に揺られて菜園場町駅まで。繁華街として賑わうはりまや橋の隣駅ですが、川のせせらぎが聞こえる静かな地域です。電車を降りて2分ほど歩くと、喫茶店の看板が見えてきました。

喫茶デポーの看板

扉のチリンチリンという鈴を鳴らしながら店内に入ると、女性たちの笑い声が聞こえてきます。

時計を見ると、朝の9時をまわったところ。お仕事前の方から、家族を送り出した後とおぼしき主婦の方、年配の方もちらほらと。ひとり客からグループ客まで大勢の方で賑わっていました。

お店をぐるりと見回すと、みなさん朝ごはんを食べている様子。さっそく私もメニューを眺めます。モーニングだけで6種類もありました。

「『高知モーニング Part3』が、高知らしくて一番人気のメニューです。きっと驚いていただけると思いますよ」

お店の方にそう言われ、せっかくなのでこちらをお願いすることに。「驚く」ってどういうことだろう?そんなことを思いながら待つこと数分。

「お待たせしました!」と、トレイがテーブルに置かれました。

高知のモーニングメニュー
なんとボリューミー!

登場したのはトレイいっぱいに器の並ぶモーニング。かなりのボリュームに圧倒されながら、お皿を見ていくと、おや?厚切りトーストの横におにぎり??

さらには、コーヒーとお味噌汁が並びます
さらには、コーヒーとお味噌汁が並びます

パン、ごはん、コーヒー、お味噌汁‥‥朝食のオールスターが一同に!これが高知の人々の間でお馴染みのモーニングセットなのだそう。隣のお皿に盛り合わせられたおかずも豪華です。

目玉焼き、サラダ、ウインナー、ナポリタン
目玉焼き、サラダ、ウインナー、ナポリタン。横にはバナナも添えられていました

ふかふかの焼きたて厚切りトーストをかじったら目玉焼きを。コーヒーを一口飲み、サラダを食べたらおにぎりに手をつけ、お味噌汁をすすります。思いのほか違和感なく食べられるものです。なんだかとても贅沢な気分になりました。

「食べたいもの」を素直に乗せた

このメニューを考え出したのは、デポー専務取締役の池田登志子さん。

「朝食で私の食べたいものを考えていったら、トーストとおにぎり両方になったの。おにぎりだったら合わせるのはお味噌汁でしょう、ということで思い切って一緒に乗せてみました。高知市内でこんな組み合わせを提供したのはどうやら私が初めてだったみたい。これがお客さんに喜んでもらえて人気になりました」

40年ほど前、池田さんは夫婦で喫茶店を始めました。当時は高知でも、モーニングは「トーストにコーヒー」というシンプルなメニューが一般的だったそう。ここに登場した池田さんの「和洋モーニング」がヒットします。

すでに人気店となっていたデポーの7店舗で提供されていたこともあり、その認知は高まり、今ではすっかり高知の朝の定番メニューに。デポーでは改良を重ねて、現在のパート3の内容となっています。

コカ・コーラのランプシェード
店内の内装も楽しみの一つ。コカ・コーラのアンティークグッズがいくつも飾られていました。これも池田さんの好きなもの。かなり古いものもあり、評判を聞きつけた日本コカ・コーラの副社長が訪れたこともあったほど。副社長から喜びのお手紙まで届いたそう

「高知では、昔から女性が元気でよく働くと言われているんです。働く女性が朝食を作るのは大変だからモーニングが広まった、なんて話もあるくらい。みなさん朝から元気なんですよね。

お客さんから『ここに来るとホッとする、ここが一番居心地がいい』と言葉をかけていただいたり、ゆったりされている様子を見ると、まだまだやめられないなぁ、やっぱりこういうお店持っててよかったなぁ、好きだなぁと思うんです」

今では役員としてお店の上のフロアにある事務所にいることの多い池田さんですが、出勤すると必ずお店に顔を出すのだそう。昔馴染みのお客さんに挨拶したり、常連のお年寄りの体を気遣ったり。池田さんに会いに通っていると話すお客さんもいらっしゃいました。

池田さんの集めたアンティークのメリーゴランド
店内に飾られている池田さんお気に入りの小物も、お店とともに長年お客さんを見守ってきました

朝から元気な高知の方々と会って、しっかり朝食をいただいたら、こちらも力が湧いてきますね。今日も1日頑張るぞ!と、お店をあとにしました。

喫茶デポー 菜園場店
高知県高知市菜園場町3-8
電話 : 088-884-4973
http://depot.main.jp/depot/depot.html
営業時間 : 10:00〜17:00
定休日 : 無し※元日を除く
駐車場:あり
※京町、知寄町にも店舗あり

文・写真:小俣荘子

こちらは、2018年4月21日の記事を再編集して掲載しました。その土地やお店のこだわりを感じられる喫茶店のモーニングは、旅先でぜひ訪れたいスポットです。