めでたく「ポン!」と鳴る!ぽち袋「ポチポン」で新年をお祝いしよう

少しずつ新年の支度が始まる季節です。お年玉やご祝儀入れとして活躍するぽち袋に、一風変わったおめでたいものがありました。

「ポン!」という音で、お祝いごとを盛り上げる

まずはこちらの動画をご覧ください。

蓋をあけると、小気味良い「ポン!」という音がします。これが、今回紹介するPOCHI-PON (ポチポン) です。

音が持つ神聖な意味合い

柏手を打ったり、鐘を鳴らしたり、古来から私たちは祝いの場で音を鳴らしてきました。

一説には、音を出すことは「神様をお招きする」「悪いものを祓う」という意味合いがあったといいます。おめでたい席で重要な役割を担っていた音。拍手やクラッカーなど、音自体が祝福の意味合いを含んだものも今の暮らしに根付いていますね。

老舗紙器メーカーの技術が生んだ、ぽち袋

松竹梅のデザイン
松竹梅のデザイン

このぽち袋を作ったのは、紙の道具「紙器具(しきぐ)」を提案する大成紙器製作所。印刷・パッケージづくりの老舗メーカーTAISEI株式会社のブランドです。

蓋と本体の密接度が精密だからこそ、誰でもフタを開けるだけできれいな音が鳴るのだそう。ついつい何度も開けたり閉めたりしたくなりますね。

もともと工業製品であった紙管 (紙でできた筒) を、化粧品パッケージなど美しさが求められる製品に活用できるよう技術を磨いてきたTAISEI。筒のカッティングやカーリング(紙の閉じ目部分の仕上げ)、紙の重なり具合にもこだわり、型くずれしにくい強度と美しさを実現したのです。

紙をカットした断面や、天面の仕上げも美しく、密閉度が高くなっています
紙をカットした断面や、天面の仕上げも美しく、密閉度が高くなっています

愛らしいイラストで新年を祝う

2020年の干支「子」のイラスト入りデザインも
2020年の干支「子」のイラスト入りデザインも

お正月にぴったりの、干支が描かれたものもあります。

イラストは、犬を中心に動物をモチーフとした作品を数多く発表しているイラストレーター、てらおかなつみさんの描きおろし。柔らかい線で描かれた愛らしい姿に癒やされます。

「小さなお子さんから、おじいちゃんおばあちゃんにまで『可愛い』と思ってもらえたら嬉しいです。」

他にも、子どもの頃から犬好きと語るてらおかさんらしい、こんなシリーズも。

犬のイラストが描かれたポチポン

「お正月らしく紋付袴姿の犬は、実際にこんな服装のわんちゃんがいたのでその子をモデルに描きました。それぞれの犬を描くにあたって実在する子を観察したりもしていますが、『うちの子に似てる!』と、いろんな方に身近に感じてもらえたらと思っています」と、てらおかさん。

犬への愛情と想い入れあふれるてらおかさんのイラストは犬好きの方へのお祝いにもぴったりですね。

POCHI-PONは、100円玉が約40枚入るサイズ。筒型なので、お札は折り目をつけることなく入れられます。お金だけでなく、飴やチョコレートを入れたり、手紙を入れて贈りものに添えたりとアレンジして活用することも。

ポン!という音とともに新年のお祝いの場で活躍してくれそうです。

<掲載商品>
POCHI-PON (大成紙器製作所)
EMBOSS POCHI (大成紙器製作所)

文:小俣荘子

*こちらは、2017年11月23日の記事を再編集して公開しました。

お祝い事に何度でも使える「ミニ鏡開きセット」を使ってみました

お正月、親戚の集まり、結婚披露宴、子どもの七五三、お誕生日会にも使える「ミニ菰樽」

毎年祖父のお誕生日には家族で集まって、ささやかな食事会をしています。今年はどんなお祝いにしよう。あれこれ探していて、こんなものを見つけました。

その名も「ミニ鏡開きセット」。

ミニ鏡開きセット
菰樽 (こもだる) 、木槌、柄杓、升の一式が揃う「ミニ鏡開きセット」 (7,500円/税別)

日本酒の入った樽に、藁で編んだ菰 (こも:ムシロのこと) を巻きつけたものを菰樽 (こもだる) と呼ぶのだそう。

この菰樽を木槌 (きづち) で叩いて割り、みんなにお酒を振る舞ってお祝いするのが鏡開き。お正月や結婚式など新しい門出に、健康や幸福を祈ります。

神社に祀られているものや結婚披露宴で使われる菰樽は四斗樽 (72リットル) が一般的ですが、今回見つけたミニ鏡開きセットは720ミリリットルというコンパクトサイズ。テーブルに乗せて少人数で気軽に使えます。

これはお酒好きの祖父にぴったり!とさっそく取り寄せてみることに。

絵柄も色々で、オーソドックスなものからポップなデザインまで、10種類以上。今回は、七宝文様にあわじ結びの熨斗が描かれたおめでたいものを選んでみました。

ミニ菰樽
両手に収まるコンパクトサイズがかわいらしい。手提げ袋に入るので片手で持ち運べました

岸本吉二商店が手がける、小さくても本物の菰樽

このミニ鏡開きセットを作っているのは、兵庫県尼崎市で100余年のあいだ菰樽を作り続ける老舗で、日本一の菰樽シェアを誇る岸本吉二商店。

ミニサイズだからと侮るなかれ。大きな四斗樽と同様の手法で、荷師と呼ばれる職人が一つひとつ仕上げているものでした。

菰樽の側面
縄もしっかりと締め上げられ、紅白の紐が結んでありました

なぜわざわざミニサイズを作ったのでしょう?社長の岸本敏裕さんに尋ねてみました。

「尼崎では、農家の冬場の仕事として菰縄づくりが地場産業として発展してきました。今でも全国の酒造会社の菰樽に使う菰縄のほとんどが尼崎で作られています。

しかし、菰樽の需要は減少傾向にあります。鏡開き文化が衰退しつつある現代に、新しい形で菰樽を残したいと作り出したのがこのミニ鏡開きセットです。

テーブルサイズにすることで、少人数でも気軽に様々なシーンで鏡開きを楽しんでいただけるのではと考えました。また、デザイナーさんとコラボレーションしたデザイナーズライン、名入れサービス、オリジナルデザインの受注など菰樽そのものが記念品として楽しんでいただけるようにしました」

まさに私のように少人数で何かのお祝いをしたいという用途にぴたりと当てはまりました。今や国内での需要だけでなく、海外からの問い合わせまで舞い込んでいるのだとか。

お正月などのお祝い事の席、親戚の集まりやホームパーティをはじめ、結婚披露宴で各テーブルに並べてキャンドルサービス代わりに、ジュースを入れて子どもの七五三やお誕生日会に、はたまたお菓子を詰めてお土産に‥‥と、用途の幅も広がっています。どの使い方も楽しそう。

掛け声は「よいしょ、よいしょ、よいしょ!」

さて準備が整ったところで、いよいよ祖父のお誕生日の当日を迎えました。

北鎌倉のあじさい
お誕生日会を開くのは、生前祖母がお気に入りだった北鎌倉のお店。毎年お世話になっています。持込みに無理のない小さな菰樽はお店の方にも好評でした

お店にお願いしておいて、食事が始まる前に鏡開きの時間を作ってもらいました。

「さぁ、みなさん一緒に掛け声をかけますよ!」

音頭を取って、いざ!

「よいしょ、よいしょ、よいしょ!」

鏡開きの瞬間
掛け声と共に板の中心に狙いを定めます

パァーン!

割れた菰樽
小気味良い音とともに樽が開きました!

「お誕生日おめでとう!」

パチパチパチと一同で拍手を送ります。

「見ることはあっても、鏡開きを自分でやるのは初めてだったよ。なかなか良い音がして、気持ちが良いものだねぇ」と祖父も嬉しそう。

鏡開きの瞬間
足腰の強くない祖父。椅子に座ったままの体勢での鏡開きでした。樽の上蓋は、弱い力でも板がきれいに割れる設計。さらには、板が中に落ちてしまわないように作られています。岸本吉二商店の特許技術なのだそう

普段も乾杯はするけれど、こうしてみんなで声を合わせておめでたい瞬間を迎えるというのは鏡開きならではのこと。はじめからあたたかく盛り上がり、和やかで楽しいお誕生日の食事会となりました。

ミニ鏡開きセット

 

秘密は上蓋のマグネット。何度も使える縁起物

実はこの菰樽、もうひとつ他のものと違うところがあります。それは、蓋の構造。

上蓋の構造
3つにカットされた上蓋は強力マグネットで繋がっていました

マグネットで3つのパーツを繋いで1枚の板となっている上蓋は、木槌で叩き割ったあともきれいに元に戻せます。お祝い事があるたびに何度でも使えるのです。

また、樽の内側はプラスチック製。こちらも簡単に取り外して洗えるので、衛生的に保管できて、繰り返し使う時にも安心です。

次は、お正月の集まりで使ってみようかな。これまでの人生で一度もやってみたことのなかった鏡開きが、気づけば身近なものになっていました。

 

<掲載商品>
ミニ鏡開きセット

<取材協力>
株式会社岸本吉二商店
兵庫県尼崎市塚口本町2-8-25
06-6421-4454
https://www.komodaru.co.jp/

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2018年12月3日の記事を再編集して公開しました。

抹茶碗はご飯茶碗と何が違う?茶人・木村宗慎さんが教える「違い」と「選び方」

木村宗慎と中川政七が語るとっておきの一碗 茶論 特別講座「茶碗がナイト」

中川政七商店グループが、茶道の魅力をより多くの人に知ってほしいと立ち上げた「茶論 (さろん) 」。

新しい茶道の愉しみ方を、稽古・喫茶・見世の三つの切り口から提案しているお店です。

「茶論」について詳しくは、こちらの記事をご覧ください。「テーブルと椅子でする茶道のかたち。なぜ新ブランド「茶論」は立ち上がったか

茶論では通常の稽古プログラムのほかに、不定期で公開講座が開講されています。

茶論 日本橋店
2018年9月にオープンした、茶論 日本橋店

先日、かねてから楽しみにしていた特別講座が開催されました。

その名は「茶碗がナイト」。

茶碗がナイト

「まずは茶碗がないとね」

お茶を点てるには、あれこれ道具を揃えなくてはいけないのでは?なんて不安がよぎりますが、まずは茶碗と茶筅があれば良いのだそう。意外にシンプルです。

私もお茶碗を探してみようかな。「茶碗はどんなものでも良い」なんて言葉も聞くけれど、本当かしら。

お茶に合う茶碗ってどんなものだろう?どんな風に選んだら良いんだろう?そんな疑問が湧いてきました。そんな時に見つけたのがこの講座です。

「茶碗がナイト」は、茶人・木村宗慎 (きむら そうしん) 氏と、中川政七商店十三代・中川政七氏が、茶碗の見方をはじめ、それぞれの茶碗が持つエピソードやその価値をトークショー形式で紹介するイベント。

紹介されたものの中に気になるものがあれば、その茶碗でお茶を一服いただけます。さらには、購入することも可能なのだそう。眺めるだけでなく触れられて、運命の出会いがあれば連れて帰れる‥‥す、すごい。

茶碗がナイト
会場のテーブルの上には、茶碗がずらり

古いものから現代のものまで、多種多様な茶碗が並ぶ会場。参加者の皆さんは、開講前から熱心に茶碗を鑑賞されていました。

奈良の名店、樫舎 (かしや) の「栗のくず焼き」
開講前には、お茶とお菓子の提供も。お菓子は、奈良の名店、樫舎 (かしや) の「栗の葛焼き」

期待が膨らむ中、いよいよトークセッションがスタートです。

飯碗と抹茶碗の違いは「鑑賞に耐えられるかどうか」

茶人・木村宗慎氏 (右) と中川政七商店十三代・中川政七氏 (左)
茶人・木村宗慎氏 (右) と中川政七商店十三代・中川政七氏 (左)

「ところで宗慎さん、飯碗でお茶を飲んでも良いのでしょうか?」

中川氏の問いから、本論が始まりました。

「問題ないですよ。茶筅が振れる器であれば、お茶は点ちますので。ただ‥‥」と、木村氏は続けます。

木村宗慎氏 (以下、「木村」)「高校生の時、お小遣いで萩焼の作家さんの飯碗を買ったことがありました。飯碗は、茶碗より安いんです。同じ作家のものでも茶碗と飯碗で十倍くらい値段に差がある場合があります」

「それで買ってきた飯碗でお茶を点ててみると、やはりなんとなく『違う』んですよね」

中川政七氏 (以下、「中川」)「『なんとなく違う』と高校生の宗慎さんは思った、と」

木村宗慎氏

木村 「ええ、お茶会などで見たことのある萩焼の茶碗とは別物だと感じました。

究極的には、飯碗と抹茶碗の違いは『鑑賞に耐えられるかどうか』だと思います。

飯碗は、ご飯を盛るための日常使いの器。量産できるように土の質や焼き方、フォルムの作られ方が茶碗と異なります。お茶を点てるだけでなく鑑賞される茶碗とは用途が別なので、飯碗の方が粗い作りなんですね。

鑑賞とは『目で見る』だけではありません。茶碗は人間との距離が近い器です。指で触って手でかき抱き、唇で触れます。重さや素材のテクスチャーも含めて、人間のありとあらゆる感覚機能で味わいます。抹茶碗は、そんな愉しみ方ができるものでなくてはなりません。

さらには、裏に返して高台までも鑑賞します」

茶碗を裏返して高台 (茶碗の足部分) を眺める
お茶の世界では、茶碗を裏返して高台 (茶碗の足部分) を眺めて愉しみます

「茶碗は高台が大事」の理由

木村「茶碗は高台が大事とよく言われます。お茶を出された時は器の中に液体が入っているので、裏返して見られるのは飲み終わった後。最後に鑑賞する場所が高台なので、その印象があとに残るのです。だからこそ、大切と考えられています。

また、土の分量自体が多い部分なので、彫刻的・造形的側面に見所となってしまう。言ってしまえば、いろんなことが出来る部分です。」

中川「高台が大事と教わったものの、最初の頃は全然興味も湧かず愉しみ方がわからなかったのですが、いろんな景色のものがありますね。最近は好き嫌いが出てきました」

木村「これは数を見るとわかってくるんですよね」

数をたくさん見る、長い時間見る

中川「本当にそうですね。以前、茶道具の見方を宗慎さんに伺ったら『数をたくさん見る、長い時間見る』と教えていただきました。

なるほどな、と。たくさんの茶碗をじっくりと見るを繰り返す。そうすると段々わかってきて、好みができてきますね」

ひとつの物を長い年月かけて見る

木村「さらには、1つの茶碗を長い年月かけて見る面白さもあります。

例えば、思い切って買った茶碗を大事に箱に入れて、そのままにしていた時。時間がたってふと箱から出したら、印象が変わっていることがあるんですね。

こんなに良かったっけ?と思う時もあれば、がっかりすることもある。物は変わっていないのだけれど、時が経つ間にこちらの心境が変わっている。それによって物との関係性が変わるんです。

また日々使っていると、貫入の中にお茶が沁みて茶碗の景色が変わっていきます。茶碗を育てているように感じて愛しくなることもあります」

中川「美術館で眺める茶碗ではできない愉しみ方ですね」

自分ごとにしない限り、道具は一生わからない

木村「道具の価値は自分ごとにしない限り一生理解できません。痛い思いをして、しんどい思いをして自分で道具を買って使わなければわからないことがあります。

美術館でガラス越しに物を見ているだけでは、物との距離は縮まりません。

茶の湯のような文化を育む日本の工芸や芸術にとって、物というのはただ眺めるのではなくて、手にとって『使う』というのが鑑賞のひとつの手段なのです。眺めて気に入っても、口をつけたら期待したものと違うという体験が茶碗では起こります。

ですから、我が物にするということで色々と視点が変わってきます。ぜひそういう思いで茶碗を見ていただければと思います」

中川「手の収まり具合というか、手取りでも感じるものがある。同じ茶碗でも、見る環境によって全く違う印象になることもありますよね。触って自分で飲んでみなければわからない。これはすごく面白いですね」

古いものから、現代作家の作品まで

茶碗との向き合い方についてのお話の後は、今宵のテーブルに並ぶ茶碗の紹介です。会場からは熱い視線が注がれていました。

ここではそのいくつかを少しだけご紹介します。

「番匠 呉器茶碗 又玅斎箱書」
【番匠 呉器茶碗 又玅斎箱書】 朝鮮から日本にもたらされた高麗茶碗の中でも古い時代からのものとして名高い呉器茶碗。その名は、飲食用の木椀「御器 (ごき) 」と形が似ていたことに由来する。番匠とは大工のこと。他の呉器茶碗と比べるとやや造形が崩れ、詫びた風情が増すことから、大工が日常使いしている碗に似ているというイメージで名付けられた。又玅斎は、明治時代に活躍した、裏千家十二代家元
「斗々屋茶碗 銘 郭公」
【斗々屋茶碗 銘 郭公】 高麗の斗々屋茶碗が備えるべき約束事を見事に兼ね備えた典型的な一碗。日本の茶人たちが、事細かにデザインをディレクションして朝鮮の陶工たちに作らせた。傷を嫌うことで有名な斗々屋茶碗であるが、本碗は全く傷のない完品の状態で伝来した貴重なもの
十四代 今泉今右衛門 「吹き墨 草花紋」
十四代 今泉今右衛門 【吹き墨 草花紋】 鍋島藩の御用窯である色鍋島の技法を今に伝える名門有田焼の窯元。当代は、若くして人間国宝にも選ばれた名工の一人。色鍋島の代表的技法である、吹き墨、墨はじきを用いて草花が美しく描かれている。金属の色がきらめく部分はプラチナが焼き付けられている
二階堂明弘「径」山寺益楽赤茶碗
二階堂明弘【径山寺益楽赤茶碗】 現代の人気作家、二階堂氏は国内だけでなく海外での評価も高い。
「新渡 道光年製 筒茶碗」
【新渡 道光年製 筒茶碗】 江戸時代中期以降に日本から景徳鎮に注文して焼かせた磁器のことを新渡と呼ぶ。内側には瓔珞 (ようらく) 文様、外側には江戸初期の祥瑞の意匠を写した染付けの筒茶碗。茶箱や真冬の点前に向くが、水屋に常備させておく水呑としても良い
安藤雅弘「阿蘭陀 口二色線」
安藤雅弘【阿蘭陀 口二色線】 人気の現代陶芸家安藤氏の得意とする、オランダ デルフト窯に倣った白磁の釉に黄色と呉須のブルーの縞模様と口縁にまわした茶碗。コントラストもかわいらしく、素朴さの中に現代的な趣のある一碗

十数点の茶碗、それぞれが持つ歴史やエピソードがその魅力を一層引き立てます。知ることで愉しめる茶碗の見どころや、かつて茶人たちが行なったクリエイティブディレクションのお話は実に興味深いものでした。

憧れの茶碗の手触りだけでなく、口あたりも鑑賞できる贅沢
この日登場した茶碗で、次々とお茶が点てられていきます。憧れの茶碗の手触りだけでなく、口あたりまで鑑賞できるのも嬉しい

会場から「はじめての茶碗を選ぶ時のポイントは?」という質問があがりました。

1、少ししんどい金額をかける

木村「お稽古道具として売られているものはお勧めしません。『稽古』という言葉は作り手からいろいろなものを奪います。飯茶碗と同じことになってしまうのです。

色々な場所へ見に行って、手にとってください。その中で自分にとって光るものを見つけて買い求めてみてください。

願うべくは、その時の自分にとって『少ししんどい金額』を出すこと。

当然のことかもしれませんが、欲しいな使いたいなと思うものって値段も相応なんですよね。でも、しんどいなと思いつつ買い求めた茶碗は不思議とよく使います。

清水の舞台から飛び降りるつもりで買った茶碗は、それだけのリスクをかけて連れて帰る必然性が自分の中にあるということですから」

2、自分の中の「小さな恋心」を大切にする

木村「とにかく値段のお得感などには惚れず、ものに惚れて買ってみましょう。ちょっとした恋心でもいいので。ご自身が良いなと思えるもの、見どころを感じるものを見つけてください。そして、その好みが3年、5年後に変わることを恐れないでください。

時が経てばどうしても気持ちも好みも移り変わります。それでも、ずっと好きで使い続ける茶碗もあります。好みの移り変わりを見つめるのも面白いですよ」

中川「他の人が良いと言うかどうかとか関係ないですよね。自分が良いと思うものを」

木村「まさにその通りで、『わたくし』の中の小さな好きを大切にしてください」

ずらりと並ぶ茶碗
トークショー後、改めて茶碗を眺め、触れてみます。「恋心」が芽生える茶碗と出会った方もいらっしゃったようです

この日のラインナップの中に、私もひとつ気になる茶碗がありました。ちょっと勇気を出せば手に入れられる金額。

うーむ、どうしようと迷っている間に、その茶碗は他の方の元へお嫁に‥‥。木村氏の「自分で痛い思いをしないと」という言葉が頭をよぎります。

トークセッションでは「茶碗を探すこともお稽古」というお話もありました。たくさんの茶碗に触れて眺めて味わって、今度こそ思いきろう。私の茶碗探しはまだ始まったばかり。

やっぱり、茶碗がナイトね。

お茶の愉しみ方がまたひとつ見つかりました。

 

木村 宗慎
少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。
「茶論」のブランドディレクターも務める。
その一方で、茶の湯を軸に執筆活動や各種媒体、展覧会などの監修も手がける。また国内外のクリエイターとのコラボレートも多く、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。
2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』 (新潮社刊) の編集にも携わる。現在、同誌編集委員。

著書『一日一菓』 (新潮社刊) でグルマン世界料理本大賞 Pastry 部門グランプリを受賞のほか、日本博物館協会や中国・国立茶葉博物館などからも顕彰を受ける。
他の著書に『利休入門』(新潮社)『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』 (ともにCCCメディアハウス) など。
日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。

中川 政七
1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年に株式会社中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任。2016年に「中川 政七」を襲名し、2018年に会長に就任。
「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見町の陶磁器メーカー有限会社マルヒロでは、新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。
2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持して いる企業を表彰する「ポーター賞」を受賞。「カンブリア宮殿」などテレビ出演のほか、経営者・デザイナー向けのセミナーや講演歴も多数。

茶論 日本橋店
東京都中央区⽇本橋2-5-1 ⽇本橋店髙島屋S.C.新館4F
https://salon-tea.jp/
営業時間:「稽古」10:30〜21:00、「喫茶」「⾒世」10:30〜20:00
*売り場によって営業時間が異なります
定休⽇:施設の店休⽇に準ずる

文・写真:小俣荘子
茶碗画像提供:道艸舎

*こちらは、2018年12月6日の記事を再編集して公開しました。

出雲神話は存在しない?!『古事記』もう一つの読み解き方

2016年に映画化されて話題を呼んだ『この世界の片隅に』。その作者、こうの史代さんの作品に『ぼおるぺん古事記』があります。『古事記』上巻を原文 (書き下し文) そのままに絵巻物にした漫画です。

これがすごく面白かったのです。今から1300年以上も前に書かれた日本神話たちにこれほど惹きつけられるなんて!と興奮しました。

3冊で『古事記』上巻を描いた『ぼおるぺん古事記』
3冊で『古事記』上巻を描いた『ぼおるぺん古事記』 (平凡社)

なかでも物語の中心部分、現在の島根県出雲地方を舞台にしたスサノヲノミコトのヤマタノオロチ退治、オホクニヌシによる国作りや国譲りなど、いわゆる「出雲神話」に興味が湧きました。そこで、詳しく書かれていそうな『出雲風土記』も現代語訳で読んでみることに。

風土記とは、その土地の風土や産物、神話などをまとめて中央政府に提出する報告書。

当然『古事記』に記載されているようなドラマチックな土地の物語が読めるのだろうと思ったのですが‥‥。

なんだか、神話の部分がすごくさっぱりしている。載っている物語自体も少ないし、『古事記』で数々のドラマが繰り広げられた舞台とは思えないのです。同じ土地の話を取り上げているはずなのに不思議です。

そこで、専門の先生に聞いてみよう!と、上代文学(古代文学のうち、太古から奈良時代までの文学)を研究されている青山学院大学の文学部日本文学科教授、矢嶋泉 (やじま・いづみ) 先生を訪ねました。

青山学院大学

この訪問が、まさか今まで自分の持っていた『古事記』や『日本書紀』のイメージを大きく覆すことになるとは。学問の視点から覗く神話の世界へ、ご案内します。

出雲神話は存在しない?!矢嶋泉先生に教わる、史料の読み解き方

『古事記』研究の第一人者の矢嶋先生
『古事記』研究の第一人者の矢嶋先生

——— 先生、『古事記』と『出雲風土記』を読んでみたのですが、神話の描かれ方の印象がまるで違うんです。なぜでしょうか。

「出雲について語る前に、まずは文献の読み解き方についてお話ししましょう。

そもそも『読む』という行為はとても曖昧なものです。作者が他のことを意図して書いていたとしても、読み手はそれを易々と乗り越えて、違うことを読み込めるし、あるいは読み違えることもできる。

これは人間が持って生まれた才能ですから、読者は自由に楽しめば良いのです。ただし、研究となると、そうはいきません。『作品の意図』を理解した上で解読を進める必要があります」

——— 作品の意図、ですか。

「古代の読み物については、ここ最近まで、作者の一貫したテーマや意図など存在しないものだと考えられていました。単なる資料集と言いましょうか‥‥『作品』としては低く見積もられていたのです。そんな先入観がずっと何百年も先行していました。

そのため、『古事記』や、同じく古代の歴史書である『日本書紀』については、作品全体の構想がどうなっているか、どんな意図があるのか、という作品論が十分に研究される前に、素材そのものの面白さや読み解きが先行してきた経緯があります」

——— 素材そのものというのは、個々のエピソードということですか?

「そうです。たとえば、『古事記』や『日本書紀』に登場する話の一部は、一般的に『出雲神話』なんて呼ばれていますね。でも、実際にはそういう神話は『存在』しないんです」

——— え!出雲神話が、存在しないのですか?『古事記』を読んでいて、出雲の存在感を強く感じましたが‥‥。きっと大きな影響力があった土地なのだろうな、と。

「そういう印象をもたれる方は多いですよね。でも、『出雲に特定の勢力が存在して、その人たちが中央でも無視できないような強大な力を持っていた』、あるいは『その人たちが伝承した素材が古事記や日本書紀に大きな影響を与えている』というのは、研究の世界では、実はありえない話と考えられています。

具体的には後ほどお話ししますが、出雲神話というものは、『古事記』にも『日本書紀』にも基本的になかったものなのです。

今日はそのあたりを解説していきましょう。きっと小俣さんが出雲風土記に抱いた違和感の答えも見つかりますよ」

——— ドキドキしてきました。ぜひ詳しくお聞かせください。

古事記、出雲風土記などの書籍がテーブルに広がる

イザナミが死なないパターンも。意図によって改変される神話

「『古事記』が日本各地の物語を寄せ集めて作られていることをご存知の方もいるかもしれませんね。

現在の研究では、『古事記』の編纂には大きな目的があったと考えられています。それは天皇が統治する国家を磐石なものとすること。

この目的を果たすために、歴史の『あるべき姿』をかため、物語を綴ります。そこで使われたのが各地の神話や伝承です。
ヤマト朝廷に服属した国々は、自分たちの大切なものを捧げました。土地や財産はもちろん、自分たちのルーツを語るものとして重要視されていた神話や伝承も含まれます。そうして集まった神話や伝承を『古事記』の構想に基づいて取捨して、改変、再構成していきます。

例を挙げると、イザナキ・イザナミが登場する冒頭の国作りの物語には、淡路島の海女たちの伝承を取り入れているんです」

——— 服属した地域の神話などを、「意図に合わせてパッチワークのようにつなげて物語を作っていった」ということでしょうか。

「パッチワークだったら、元の伝承の原型が見えるのですが、素材の取捨選択だけでなく『改変』もした上で再構成されています。そのため、原型を留めているとは限りません」

「例えば、『古事記』ではイザナミは死にますが、『日本書紀』ではイザナミは死なずにイザナキとともに国土を完成させます。登場人物の生き死にまで異なっているのです。

『日本書紀』では、イサナキ・イザナミによって国土が完成してしまっているので、『古事記』に登場する出雲を舞台にしたオホクニヌシの国作りのエピソードは、ごっそりと削られています。

これは、『古事記』とは異なる意図を持って『日本書紀』が書かれていることから生まれる違いです。それぞれの作品の構想に合わせて、素材を大胆に料理しているわけですね。

編纂者にとって、神話の舞台は出雲でも、そうでなくてもよかったのかもしれない。さらには、他の地域のよく知られている話から面白い部分を抽出して混ぜ合わせて書かれている可能性だってあるのです。

ですから、今現在の研究では、この中から直接当時の出雲を伺い知ろうとすることは不可能と考えられています。はじめにお伝えした『出雲神話は存在しない』というのは、このことです」

出雲大社から見る、「出雲ニュータウン」説

「こんな文献もありますよ。鳥越健三郎さんの『出雲神話の成立』 (創元社) 。

この本は、出雲大社ができたのは、神話の時代のずっと後の8世紀初頭だという説を述べたものです。『古事記』や『日本書紀』ができて、その中身が定着したころにやっと出雲大社ができたと考えられると言っています。

出雲大社をお祀りしていた出雲国造家は、元々は熊野神社をお祀りしていた人たちで、松江に住んでいました。それがあるときに、だいぶ遠く離れた、現在の出雲大社 (杵築大社) のある木築 (きずき) に引越しをしているんです。

出雲国造は大領 (だいりょう) という役職も兼務している人たちで、本来持ち場を離れてはいけないはずなのに移動している。おそらく、朝廷から指示されて、移住したのだと考えられます。

そして、『出雲国造神賀詞 (いずものくにのみやつこのかむよごと) 』という出雲国造家の服属詞章 (服属の証に天皇の前で述べる文章) ができあがります。『古事記』の中の天孫降臨 (出雲に天皇の祖先となる神様が降り立ち統治することになったエピソード) をなぞりながら朝廷に服属を誓うものです。

これが書かれたのは716年ごろ。ちょうど『古事記』が出来上がった時期に、出雲国造家がこのエピソードを歴史として語り始めた、というのが鳥越さんの主張です」

「さらには、出雲の古墳の状況を調べると、出雲大社の周辺地域にはほとんど古墳がない。一方、松江には前方後方墳という巨大な古墳がある。このことからも、出雲大社のある地域が元々栄えていたわけではなく、8世紀の初頭に突然開発されたのだということが見えてくる。

付け加えると、『日本書紀』の顕宗(けんぞう)即位前記に、「出雲は新墾(いずもはにいばり)」、つまり出雲は新開拓地だと書いてある。何にもなかった土地を新たに開発して人が住めるようにしたという文章が出てきています」

——— 新開拓地。いまで言う「ニュータウン」のようなものなんですね。

「まとめると、鳥越さんが述べていることと、他の文献が述べていることを照らし合わせると、もともと未開拓の地であった出雲の地に、突然とんでもなく立派なお社が出来上がったというわけです」

——— そこまでして出雲大社をつくる理由があったのでしょうか?

「なぜこの時期に出雲大社を作る必要があったのかというと、神話ではなく『歴史』として、事実として人々に認識させようという狙いがあったからです。歴史である以上、それを裏付けるモニュメントが必要だった。私はそう考えています。

その役目を出雲国造家が引き受けたわけですね。出雲国造家は、その後平安朝の間もずっと、この服属詞章を奏上 (天皇に申し上げること) し続けています」

地方官僚はつらいよ‥‥。風土記に見る、古代国家の様子

——— お話を伺っていると、当時の朝廷がすごく強くて厳しい存在であったように感じます。

「かなり厳しかったと考えられますよ。地方は、中央から派遣された国司によって見張られ、統治されている状況。それこそ、地方官僚がお金をささやかにごまかすことすら難しかったでしょうね。

厳しい支配下にあったことは、地方の報告書である『風土記』からも伺えます」

「『常陸国風土記』にはこんな記述があります。『ここは常世 (理想郷) の国と同じだ。いい国だ』と、長々と自分たちの土地の豊かさ素晴らしさを書いた後、ハッと我に返ったのか『唯 (ただし) …』と言い始める。『豊かとは書いたけれど、大したことはないのですよ、水田も小さいものばかり、天候によっては農作物の収穫は不安定です』などと記されています。

各地はお国自慢をしたいし、朝廷から評価されたい。しかし、あまり自慢しすぎて豊かだと知られてしまい、税が重くなることは避けたい、そんな思惑が伺えます。

また、風土記には土地や農作物についての報告に加えて、神話や伝承についても奏上するように指示されています。各地は中央の伝承につながり、天皇との関連性のある場所の存在を記すことで自分の土地に価値を見出したい。

『古事記』や『日本書紀』に登場する神話や伝説の一部にすりよるように、ただし突出することで反感を買わないように、『そのとき天皇がお座りになった場所がこの土地です』というようなこと遠慮がちに書いている。

悪目立ちするような独自の伝承を書くことなく、中央の伝承を元に差し障りない部分を少しだけ付加する。それが本当に涙ぐましい。『出雲風土記』を読んで持たれた違和感はここから来ているはずですよ」

——— 遠慮がちに書かれているから、簡単な記述のみで『古事記』とほぼ同じ、なおかつ大人しめなエピソードしか見つけられなかったのですね。地方官僚の苦労が伺えます。

「『古事記』を読んで、出雲の存在感を強く感じたとおっしゃっていましたね。その読み方は、人が文学を楽しむ行為としてあってよいのですよ。話の舞台となった土地に興味を持ったり、歴史的な意味を考えたり、想像も含めて自由でいいのです。

ただ、研究として作品の意図と共に読み解くと、全く違った様子が見えてくるんですね」

矢嶋先生のお話を伺って、研究の視点から分析される作品の読み解き方に衝撃を受けました。

いずれにしても、『もののけ姫』の世界に迷い込んだかのような神々しい山々、美しい夕日、清々しい空気‥‥出雲に宿る特別感は変わりません。出雲で大きな役目を担った出雲国造家の人々の苦労や、壮大な物語を綴りながら磐石な古代国家を作り上げたヤマト朝廷。彼らの様子も思い浮かべながら出雲の地を訪れると、これまでと違う視点で旅が楽しめそうです。

*さんちの出雲特集はこちら

<参考文献>
『新校 古事記』 沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉 2015年 おうふう
『出雲国風土記』 沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉 2005年 山川出版社
『風土記 常陸国・出雲国・播磨国・豊後国・肥前国』 沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉 2016年 山川出版社
『日本神話論考 出雲神話篇』 神田典城 1992年 笠間書院
『古事記の世界観』 神野志隆光 1986年 吉川弘文館
『出雲神話の成立』 鳥越健三郎 1971年 創元社

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年10月26日の記事を再編集して公開しました。研究とは、研ぎすまし究める。その意味の通り奥深い世界に触れることができました。

「狂言とは人間賛歌」人間国宝、山本東次郎さんに聞く楽しみ方入門

みなさんは古典芸能に触れたことはありますか?

気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として「古典芸能入門」を企画しました。

独特の世界観、美しい装束、和楽器の音色など、そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。

第1回目は「狂言」。

神奈川県横浜市にある横浜能楽堂へ鑑賞に行ってきました。

そして演目終了後には、なんとその日ご出演された狂言師にして人間国宝の、山本東次郎さんにお話を伺えることに。

山本さんが語られる狂言の魅力、楽しみ方とは。ぜひご注目ください!

狂言入門に、横浜能楽堂へ

横浜能楽堂では、毎月第2日曜日に「横浜狂言堂」という普及公演が開催されています。初心者も足を運びやすいようにとチケットは2,000円、解説付きで狂言2曲が楽しめます。

来場者は、若者から年配の方まで(そして小学生くらいのお子さん達も!)幅広い層の方々で賑わっていました。毎月のように通われている方もいらっしゃるのだそうです。

服装も、カジュアルな方からお着物姿などおしゃれしていらしている方まで様々。堅苦しいものではなく、自由に楽しめる空気が広がっていました。

横浜能楽堂の能舞台は、関東に現存する最古の能舞台。横浜市の文化財にも指定されている貴重なものです。
写真:横浜能楽堂提供 横浜能楽堂の能舞台は、関東に現存する最古の能舞台。横浜市の文化財にも指定されています。

「狂言」とは?

狂言には、「大蔵流」と「和泉流」の2つの流派があります。

さらにそれぞれに家があり、同じ流派でも家によって芸風が異なります。「横浜狂言堂」では、月替わりで異なる家々の方が出演されるので、様々な芸風を楽しめることも魅力です。

横浜能楽堂の公式サイトでは、狂言についてこのように解説しています。

狂言は、能と同じく能舞台で演じられる喜劇性の強い芸能です。喜劇的な部分だけが強調されがちですが、 笑いの中に人間の喜怒哀楽すべてを包み込んでいます。セリフ劇でありながら、能と同じように歌舞の要素も散りばめられています。 幅も奥行きもある、芸術性の高い芸能です。
能と狂言は、古くは一つの芸能でしたが、室町時代<1336-1573>に歌舞を中心とした能とセリフ劇である狂言に分かれました。 狂言が今のような姿になったのは江戸時代中期。能とともに、大名を中心とした武家の好みに合わせ、芸術性の高い芸能として完成しました。
狂言は能に比べると初心者にもわかりやすい。能の上演時間が1曲1時間以上なのに対して、狂言は20~30分のものが多く、気軽に楽しめます。 そのため、最近では狂言だけの公演も多い。
能・狂言は「能楽」として、2001年にユネスコによる第1回の「人類の口承及び無形遺産の傑作(世界無形遺産)」に、日本の芸能で最初に宣言されました。 そして2008年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎とともに登録されました。(「横浜能楽堂」公式サイトより一文引用)

狂言は、短いセリフ劇です。お腹から響く独特の発声で歌っているようにも聞こえて何とも心地よく聞き入ってしまうのですが、当時の軽快な日常会話がベースとなった言葉のやり取りにはリズムがあり、聴きやすく、内容が頭に入ってくるので、観ていて不思議とすぐに物語の世界へ入り込むことができます。(そして観客は大人から子供まで声をあげてたくさん笑います。)

特徴として興味深いのは、登場人物に固有の名前がないこと。

「男」「女」「主(=主人)」「太郎冠者(=召使いA)」といったように、性別や役割で呼ばれるにとどまっています。

固有の物語として楽しむのではなく、人間の誰しも身に覚えのあるような普遍的な話が描かれます。

時に身につまされたり、自分ごととして共感したり、イマジネーションを膨らませながら楽しめるのが狂言だと、解説でもお話がありました。

撮影 (有)凛風 尾形美砂子
「因幡堂」のワンシーン / 撮影 尾形美砂子

「因幡堂」に見る、狂言のおかしみ

例として、この日の1曲目の演目「因幡堂」のあらすじを見てみましょう。

大酒飲みの家事をしない妻に愛想がつきた夫が、妻の里帰り中に勝手に、離縁状を届け出てしまいます。

そして新しい妻をもらおうと因幡堂へお祈りに行ったことを知った妻は、怒り狂いながら夫の後を追って因幡堂へ行き、通夜(お寺で眠らずに夜を過ごすこと)をする夫を見つけます。

そして夫の枕元に立ち、いかにも夢のお告げのように「西門の一の階に立ったものを妻にせよ」と告げます。

翌朝、西門にお告げの女になりすまし立っていた妻を、そうとは気付かずに喜んで連れて帰る夫は…、というお話です。

元の妻と気づいた夫は真っ青になり、怒り狂う妻に追い立てられていくところで舞台は終わります。

「鬼嫁こわい…(できればもっと素敵な女性と人生やり直したい…)」そんな男性の心の叫びと、一瞬の夢時間。しかしズルは出来ないもので、現実に引き戻されて行く。

そんなお話には、きっと身に覚えのある方や、似たエピソードを聞いたことが誰しもあるのではないでしょうか。

極限まで削ぎ落とした演出で無限大の世界を作り出す

また、多くの舞台劇と比べて舞台セットや小道具などが少なく最低限のもののみ使われている点も特徴的です。

シンプルな舞台では、セリフや表情から鮮やかな背景を想像することができます。

「木六駄」のワンシーン。撮影 (有)凛風 尾形美砂子
「木六駄」のワンシーン / 撮影 尾形美砂子

こちらの写真は、雪道で牛を引いているシーン。笠をかぶり、綱を引いているだけで、雪景色も牛の姿もどこにもありません。

しかし、凍えそうな表情とセリフとともに見つめる先には降りしきる雪の様子が見えて、こちらまで寒くなってきます。

牛に掛け声をかけながら綱を引く姿からは、何頭もの牛の生き生きとした動きや表情までも想像できるから不思議です。

見たそのままを受け取るのではなく、目で見て、音で聞いて感じて、その様子から想像を膨らませて味わう。自分の感性とイマジネーションを使って面白がれることが狂言の醍醐味かもしれません。

人間国宝、山本東次郎さんに聞く、狂言の魅力

この日ご出演された、 大蔵流 山本東次郎家当主 山本東次郎さん(重要無形文化財各個指定《人間国宝》)にお話を伺うことができました。

重要無形文化財各個指定(人間国宝)の狂言方 山本東次郎さん
大蔵流 山本東次郎家当主 山本東次郎さん

——— 見て感じたものを一度自分の中に取り入れて、イマジネーションを膨らませることにすごく面白みを感じました。

「そうですね。狂言は喜劇だと言われますが、お客様を笑わせてやるぞと思って私たちは演じていません。

その場の面白さで笑わせるのではなく、無理に面白がらせるのではなく、淡々ときちんと型通りに行うことで、普遍性を持たせる。見た方が自分の中でのおかしみに変えて笑ってくださるのです。

今も昔も変わらない人間の姿がそこに見つけられて笑いが生まれるのだと思います。

狂言では、必ずどなたの中にもある弱さや愚かしい一面を描いています。

しかし、それを糾弾したり責任をとらせたり、非難したりせず、『それでもいいんだ、それが人間なんだ』と笑う。

最後は、後味が決して悪く無いものにしてある、そういう人間賛歌の芸能なんです。

(因幡堂の)夫婦のあの喧嘩だって、あの後きっとどうにかなるだろうという気持ちでいられるからお客様も笑っていられるのです。

必ず普遍の人間の心がちゃんとあるのですね」

——— セリフは昔の言葉なのに、不思議と意味が理解できて物語の中に入り込めました。

「以前もお客様から「現代語に直して話していらっしゃいますか?」と質問を頂いたことがありました。

昔通りの言葉で、まったく変えていません。子供の頃から父の稽古で叩き込まれたことの一つが『生きた言葉を話せ』。習った通りきちんと“生きた言葉”を話そうとしていると、自ずと伝わっていくのだと思います。

それから、発声ですが、持って生まれた声のままで話すと人によっては耳障りに感じたりするでしょう?

舞台の上で酔っ払っていたり、楽に話しているように見えるところでも、私たちは腹式呼吸をしっかりやっていて、近くのお客様には騒がしくなく、遠くのお客様にもよく聞こえる声を出すように心がけています」

——— 確かにセリフを聞いているだけで、すごく気持ちが良かったです。

「そうですか、ありがとうございます(笑)」

——— これから初めて狂言を鑑賞するという方に、一言いただけますか?

「現代の演劇では、こと細かに説明してくださるでしょう?これでもか、これでもか、というくらい与えてくださる。

狂言では、そういうことをしません。ご覧になる方が、ご自分の感性を信じて、こちらへ取りに来て欲しいのです。

以前あるお客様が『拍子や杖の音なんかがすごく効果的に使われていて面白い』とおっしゃってくださった。

実際には、効果音も音楽もありません。何もないことで観客が豊かに想像できる余白がたくさんある。

ご自分の感性や想像力次第で無限大に楽しめること、それはただ与えられたものよりはるかに面白いものだと思いますよ」

傘寿を迎えてなお気迫のこもった舞台を演じられる山本東次郎さん。狂言の持つ人間への愛情を体現されているような、優しい言葉で語ってくださいました。

鑑賞する人次第で、無限大に面白さの膨らむ狂言。みなさんもぜひご覧になってみてください。

<取材協力>

横浜能楽堂

神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘27-2

045-263-3055


文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年4月7日の記事を再編集して公開しました。

大塚国際美術館が誇る「世界の陶板名画」4つの楽しみ方

日本で見られる「モナ・リザ」「最後の晩餐」「ゲルニカ」‥‥徳島が生んだやきもの技術で造る美術館

2018年のNHK紅白歌合戦。米津玄師さんがテレビ放送で初めて歌唱を披露し、話題を呼びました。

舞台となった荘厳な空間に注目が集まっています。ライブ会場となったのは、徳島県にある「大塚国際美術館」のホール。世界遺産であるバチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画を陶器の板 (陶板) で原寸大に完全再現した空間です。

人気歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが「システィーナ歌舞伎」と題した和洋コラボレーションの新作歌舞伎公演を行うことでも知られており、美術館の名前を耳にしたことがある方も多いかもしれません。

この大塚国際美術館、世界から注目される「ちょっと変わった」美術館なのです。

大塚国際美術館 正面玄関
大塚国際美術館は、瀬戸内海を臨む国立公園の中にあります。景観を損わぬよう、山をくり抜いた中に建てられました。地下3階から地上2階まで合計5つのフロアからなる、鑑賞距離4キロメートルにも及ぶ広大な美術館です。約1000点もの作品が展示されています (画像提供:大塚国際美術館)

「現地お墨付き」の陶板名画が並ぶ美術館

ここは、世界で初めての「陶板名画美術館」。

「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「ゲルニカ」‥‥展示されているのは、古代壁画から現代絵画まで世界26カ国190以上の美術館が所蔵する西洋名画を原寸大に「再現」した陶板名画です。

スクロヴェーニ礼拝堂
北イタリアにある「スクロヴェーニ礼拝堂」。現地に何度も足を運び、実際に鑑賞し許認可を得て撮影した写真を元に製作
スクロヴェーニ礼拝堂現地調査
礼拝堂の現地調査の様子。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)

陶板名画の見どころ1:質感や筆遣いまで再現

独自のやきもの技術で製作された陶板名画は、サイズや色彩はもちろんのこと、表面の質感や筆遣いまで原画に忠実です。

館内に展示された作品を詳しく見てみましょう。

数々の名画のレプリカが並ぶ圧巻の回廊
世界中の数々の名画が描かれた陶板がずらり。圧巻です
消失したゴッホのヒマワリ
ゴッホ「ヒマワリ」。筆跡もそのまま再現。立体的な油絵の様子が見て取れます
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」
ルーヴル美術館では防弾ガラスに入れられているレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」。柵やロープもないので、間近で鑑賞できます
レオナルド・ダヴィンチ「モナリザ」
この距離で眺めると、スフマート (ぼかし) 技法で描かれていて輪郭線がないことや、ひたいのベール部分までしっかりと目にできます。現地では体感できない細かいディティールまで詳細に鑑賞できるのも大きな魅力です。研究者が足を運ぶというのも頷けます

現地で撮影した原画写真を元に、凹凸も原画の通りになるよう職人の手で陶板へ反映させます。その再現性の高さは原画の所有者からお墨付きをもらうほど。

来館者は観光客にとどまらず、アーティスト、美術研究者、教育機関の関係者など多岐に渡ります。中には、海外から足を運ぶ人も。

美術書や教科書以上に原画に近い状態を味わえる、日本にいながらにして世界中の美術館を訪れたような体験ができる場所なのです。

陶板名画の見どころ2:朽ちない、触れられる絵画

陶板は、半永久的な耐久性を持ち、約2000年以上色褪せず劣化する心配がありません。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」のレプリカ
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」。館内の作品にはそうっと触れることも可能。筆跡や絵の具のひび割れの様子を肌で感じながら作品を味わえます

太陽光や雨風にも耐久性があることから、屋外での展示も実現しました。

モネの「大睡蓮」
屋外に展示されたモネの「大睡蓮」。青空の下の睡蓮は、光の描写がよりいっそう美しく感じられました (画像提供:大塚国際美術館)

この「大睡蓮」、モネは「自然光のもとで鑑賞してほしい」と願っていたのだそう。原画の置かれている展示室でも自然光を取り入れる部屋作りはされていますが、屋外で作品を楽しめるは陶板名画ならでは。モネの思い描いた作品の姿がここにあるのかもしれません。

雨の日のモネの「第睡蓮」
もちろん水にも強い陶板。雨の日は、絵画を流れる雫が水面の様子を引き立てていました

さらには、失われた作品の復元に挑戦した展示も。

消失したゴッホのヒマワリ
ゴッホ「ヒマワリ」

この作品は、ゴッホの残した花瓶の「ヒマワリ」全7点のうちの1点。1945年8月の空襲により兵庫県芦屋市で焼失したものです。

大正時代の貴重なカラー印刷の画集を元に、絵画学術委員の監修を受けながら復元したのだそう。耐久性の高い陶板で再現することで未来に残す試みのひとつとして製作されました。

館内に展示された 「最後の晩餐」は、なんと2枚。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
向かって左側に修復前、右側に修復後の姿が向かい合わせで並んでいます
レオナルドダヴィンチ「最後の晩餐」の修復前の様子
修復前の「最後の晩餐」の姿が見られるのは世界でここだけ

陶板名画の見どころ3:様々な素材を表現

ここまで、壁画やカンヴァスに描かれた油絵の再現を紹介してきましたが、世界には様々な素材に描かれた名画が存在します。陶板を立体的に焼き上げたり、表面を削ったり、釉薬を盛り上げて焼くことで、素材の様子を表現した作品もありました。

サン・ヴィターレ聖堂 ラヴェンナ「皇妃テオドラと侍女たち」
モザイクで描かれた壁画、サン・ヴィターレ聖堂所蔵「皇妃テオドラと侍女たち」。金が輝くよう角度をつけて組み合わされたモザイクの欠片。オリジナルに合わせて絵柄のみならず凹凸も忠実に再現しています。臨場感ある大きな作品に、ため息が漏れました‥‥
「キリストと十二使徒の祭壇前飾り」 カタルーニャ美術館 スペイン
スペインのカタルーニャ美術館所蔵「キリストと十二使徒の祭壇前飾り」。板に描かれた作品です
「キリストと十二使徒の祭壇前飾り」 カタルーニャ美術館 スペイン
木目や剥離など、その全てを陶板の凹凸と釉薬による彩色で再現しています。まるで「だまし絵」のよう!
フランスのクリュニー美術館 (国立中世美術館) が所蔵する「我が唯一の望みの」のレプリカ
フランスのクリュニー美術館が所蔵するタピスリー (つづれ織り) 「我が唯一の望みの」
フランスのクリュニー美術館 (国立中世美術館) が所蔵する「我が唯一の望みの」
陶板の凹凸と釉薬でつづれ織の質感まで表しています。うさぎのモフモフ感が伝わってきますね

陶板名画の見どころ4:現地を訪れたかのような臨場感

また絵画の再現にとどまらず、システィーナ礼拝堂をはじめとする礼拝堂や古代遺跡などの壁画をそのまま再現した空間で展示を行なっているのも見どころです。

イタリアにあるジョット作「スクロヴェーニ礼拝堂」の壁画を陶板で再現
北イタリア「スクロヴェーニ礼拝堂」。現地の礼拝堂にいるような臨場感に圧倒されます
ポンペイ「秘儀の間」
イタリアのポンペイ遺跡「秘儀の間」。床の模様も忠実に再現されています。現地では室内には入れませんが、ここでは展示室の中に足を踏み入れて間近で鑑賞することも

長い時間をかけて作られる陶板

オリジナルを鑑賞したかのような気持ちになる見事な陶板名画の数々。一つの陶板名画ができるまでには、長い時間と職人の高い技術が必要です。

一体どのように陶板名画は生まれたのか。次回、作り手を訪ねてその舞台裏に迫ります。

*後編記事はこちら:あの名画の質感を再現。大塚国際美術館「陶板名画」の制作現場

<取材協力>

大塚国際美術館

徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福池65-1

088-687-3737

http://o-museum.or.jp/

文:小俣荘子

写真:直江泰治

*こちらは、2019年4月19日公開の記事を再編集して掲載しました。芸術の秋にもおすすめの美術館探訪。見どころをぜひチェックしてお出かけしてみてください。