木箱に納まる小さな雛人形。女性職人がつくる奈良一刀彫の「段飾雛」

もうすぐ、ひな祭り。

私が生まれた時、段飾りのひな人形を祖父母が贈ってくれました。毎年2月のお天気の良い日には、母が押入れからおひな様の入った大きな箱を出してきて、1年しまっていたお人形に「おひさしぶりですね」と挨拶をしていたものです。

段の骨組みを組み立て、赤い毛氈をかける。おひな様に扇子を持たせたり、五人囃子に笛や太鼓を持たせたり。たくさんのお人形とお道具を眺め、小さな私にとっては楽しいひな祭りでしたが、母にとってはおそらく大変な作業だっただろうな、と今になって思います。

さて、ひな人形にも全国に色々なものがありますが、私が住む奈良には一刀彫でつくられた小さな段飾雛(だんかざりびな)があります。しかも、若い女性の作家さんがご活躍されているとのこと。お話を伺いに、早速お訪ねしました。

奈良一刀彫の小さな「段飾雛」

奈良県奈良市、唐招提寺と薬師寺のほど近くに店舗と工房を構える「株式会社 誠美堂」。ちょうど桃の節句を迎える時期ということもあり、一刀彫の段飾雛がメインに並んでいました。

さまざまなサイズの段飾り雛。小さな人形ながら色鮮やかで存在感は抜群です
さまざまなサイズの段飾り雛。小さな人形ながら色鮮やかで存在感は抜群です。

お話を聞いたのは、「誠美堂」代表の水川丈彦(みずかわ・たけひこ)さんと、この段飾雛をつくっている職人・神泉(しんせん)さん。一刀彫は各地にあれど奈良一刀彫は奈良人形ともいわれ、その起源は約870年も前のこと。平安時代の終わりごろ春日大社の祭礼で飾られたものだといわれています。

奈良の一刀彫は、金箔や岩絵の具で彩色が施されているのが特徴だそう。

一刀彫の「能人形」にも、色鮮やかな彩色が。昔は贈答用によく用いられたものだそうですが、最近は雛飾りや五月人形などの節句人形の製作が大半を占めているといいます。

今にも動き出しそうな「能人形」
今にも動き出しそうな「能人形」。美しい色合いに目を奪われますが、よく見ると一刀彫の無数の面でつくられていることがわかります
結納などの需要があった「高砂」
結納などの需要があった「高砂」も、最近ではなかなか多くは出ないそう。

そしてこちらが神泉さんのつくった段飾雛。手のひらにのせても十分あまるほど、高さわずか数センチの小さな人形に、美しい彩色が施されています。

神泉さんの段飾り雛
神泉さんの段飾り雛(中)。5段目に飾られた桃や橘の花まで、木で彫られたもの
段飾り雛のおひな様
段飾り雛(大)のおひな様。手元の扇にも細やかな彩色が。

小さいながらも5段飾りの段飾雛は、ひな祭りの世界観がここに詰まっているといえばいいのでしょうか。華やかで雅、しかもこれが一つひとつ手で彫られ、また彩色されているということにも驚きます。しかも、下の段に人形やお飾りをすべてしまうことができるのだそうで、収納に便利で実用的です。

段飾り雛
飾り棚かと思いきや、ここにお人形など全てが収まるのだそう

「一般的な大きな段飾雛は、ひな人形を飾るのに何時間もかかりますよね。しまう時もひと苦労。家族の形や暮らし方の変化で、和室がなかったりマンション住まいだったりと、なかなか大きなお雛さまを飾れないところもあるので、最近は小さいサイズのものが人気です」と水川さん。この一刀彫の段飾雛自体は、「誠美堂」創業の頃からのものだそうです。

そしてこの作品をつくっている神泉さん、とてもお若い女性の職人さんです。神泉という名は、先々代、先代から受け継いだもので、現在3代目。「誠美堂」のブランドでもあります。

3代目神泉さん
3代目神泉さん

———一刀彫をはじめてどれくらいになるのでしょうか?

先代のところに弟子入りしていた4年半を合わせると、11年になりました。先代神泉は、奈良の長谷寺のあたりの自宅工房で製作されていたので、毎日そこまで電車と徒歩で通っていました。駅から歩いて30分、私が歩いているのを見て村の人が車に乗せてくれたこともありました(笑)

———昔からこういうものがお好きだったんですか?

お寺など古いものを見るのが昔から好きだったんです。工芸がたくさんある奈良や京都で、見るだけでも楽しかったんですが、自分の手でつくってみたいという気持ちが湧いてきて。そんなに簡単なことではないと思ったけれど、どうせやるなら!と思い、大学を出てから欄間(らんま)などの仏具彫刻などを学ぶ学校に行きました。

一刀彫は最初は自分の仕事として意識はしていなかったんですが、地元奈良でそういう仕事があると知って、彩色されていることにも興味があったのでやりたいなと思ったんです。

———先々代から先代、そして現在と、ずっと同じ形や色のものをつくり続けてらっしゃるんですか?

基本的なデザインや大まかな形は引き継いでいるけれど、全く同じというわけではなくて、少し彫りを変えたり、彩色を変えたりということはしています。弟子時代、やはり思うように自分が上達できなかったときは、はがゆくて。自分が向いているのかいないのかということで悩んだりもしました。

弟子が私ひとりだった分、先代にとても手をかけてもらっていて、それがありがたくもあり、プレッシャーを感じた時期もありました。神泉の名をもらい受けてからは、いいものをつくるために日々自分に必要なことを考えて、力を蓄えています。

好きなものを仕事にするというのは、簡単なことではないと思いますが、好きだからこそ頑張れるというのもまた真だな、と感じながら「誠美堂」の工房を見せていただきました。

若い職人さんがたくさん、一刀彫の工房を拝見

工房の戸をあけると、早速職人さんたちが作業をされていました。しかも皆さんお若い!

「上の方の年齢が高くなっているけれど、その下の職人さんがいなくて。若い世代に繋いでいかないといけないなと思っています」と、神泉さん。

作家・祐誠(ゆうせい)さん
ちょうど五月人形を彫ってらっしゃった作家・祐誠(ゆうせい)さん。祐誠さんの段飾り雛もまた人気です
彩色の職人さん
こちらは彩色の職人さん。彫りと彩色は分業されているのだそう。神泉さんの段飾り雛の彩色も行います
小さな人形が並ぶ姿
効率を考え、同じ人形をまとめて彩色するのだそう。小さな人形が並ぶ姿、なんとも可愛らしいです
彩色に使う岩絵の具
こちらは彩色に使う岩絵の具

神泉さんは、普段はご自宅の工房で製作されているそうですが、最近は新しい職人さんを教えるためにこちらに来てらっしゃるのだといいます。新しいデザインを考える時も、彩色の方と直接話してイメージを伝え、一緒に作りあげるのだそう

「まだまだ勉強することがいっぱいです」と、1年目の職人さん
「まだまだ勉強することがいっぱいです」と、1年目の職人さん。とても小さな「立ち雛」を彫ってらっしゃいました
神泉さん。机に固定されたあて木を使って、彫ります
神泉さん。机に固定されたあて木を使って、彫ります
2体の頭同士をつなげた状態で彫る
こちらはお雛様ですが、小さいのではじめは2体の頭同士をつなげた状態で彫るのだそう
木はヒバを使うことが多い
木はヒバを使うことが多いのだとか。色が白く彩色も映えるといいます
お内裏様とおひな様
お内裏様とおひな様。丸い頭の部分をよく見ると、手数の多さを感じます
彫刻刀はたくさんのサイズを使い分けます
彫刻刀はたくさんのサイズを使い分けます。幅の違うたくさんの平刀。三角刀も角度がいろいろ。能面を彫る時に使う、柄の長い鑿(のみ)を使うことも
特小サイズの段飾り雛
こんなに小さな特小サイズの段飾り雛も。お家の棚の上にちょこんと飾ることができそうです

名を継ぎ、ブランドを守るという想い。

百貨店などで、実演をされることもあるという神泉さん。お客さんの反応を直に感じられるのは嬉しい機会だといいます。以前、先代の作った神泉の作品を修理のために持参された方がいらっしゃり、神泉という名が長く続いてきたという実感がわいたのだそうです。

「神泉は、私だけで作っているものではなく、彩色する方や、箱をつくる方、販売してくださる方まで、みんなで作っているものだと思っています。そして、先代や先々代も含めると、神泉という名、ブランドに関わる方はほんとうにたくさん。誰が欠けても続かないものなんです」

名を継ぎ、ブランドを守るということ。これからは、伝統を守りながらも新しいものが作れたら、とおっしゃる神泉さん。「現代の感覚も取り入れて、それが受け継がれていくものになれば。100年後の人たちに私たちの作ったものが見てもらえるかもしれないんです」

大切な想いをもってつくられている、奈良一刀彫の段飾雛。100年後にも神泉さんの作品がのこり、あらたな神泉さんがまた、この伝統をつないでいることを願ってやみません。

<取材協力>
株式会社 誠美堂
奈良市六条1丁目14-17
0742-43-4183
http://www.hina-ningyou.com

文・写真:杉浦葉子

※こちらは、2017年3月3日の記事を再編集して公開しました。

【デザイナーが話したくなる】麻デニムパンツ


そういえば、なぜ、麻だけのデニムはなかったのか?

デザイナーの河田さんに、麻でつくるデニム生地の難しさを聞きました。

「デニムの定番は厚みのある生地です。あれは目を詰めて織っているからしっかりとした生地になるんです。 一方で麻糸は柔軟性がなく、糸にフシがあったり太さにムラがあるため、なかなか目を詰めて織れません。 扱いの難しい素材なんです。仮に目を詰められたとしても、ムラの出やすい糸なので隙間ができたり、 織り上がっても厚みが足りなかったり。織るスピードもゆっくりにしなければいけないから、 大量生産にも向きません。
だからこそ、綿のようにしっかりした生地感の麻のデニムは、今までなかなか世の中になかったんですよね。」



しかしながら、麻生地は、吸水、吸湿、速乾性に優れているのが魅力。
もし、麻だけのデニムが実現できれば、夏場のように汗をかきやすいシーズンでも、 さらりと着られるものが出来上がると考えました。



さらに、綿には無い光沢感も、麻生地の特長。

「カジュアルになりすぎないので、年齢を重ねても長く履けるデニムになるはずと思いました。」
世代を選ばず、軽やかに日々を楽しみたい人に勧められる一着になるという確信がありました。




試作を重ねる中で、大切にしたのがほどよい「ワーク感」。
「麻100%の生地で試作してみても、いわゆる一般的な麻のパンツのようになってしまったりして。
ちょっと柔らかすぎたんです。
麻らしい柔らかな風合いは残しつつ、日常的に履いてもらうには、しっかり目が詰まった丈夫さも欲しい。
これ、という生地にはなかなか出会えませんでした」


そんな折、河田さんが生地の展示会で出会ったのが、明治30年に創業以来、滋賀県の近江湖東産地で、
4代に渡って麻を織り続ける「林与」さんでした。



「展示会にデニムの生地を一つ出していらっしゃったんですけど、本当に麻だけで織っているのかな?
と思えるくらい目もしっかり詰まった、まさに『デニム生地』だったんです。」

麻のデニム生地を織っているのは「シャトル織機」という織機。
糸を織物にするための機械(織機)の中でも、古くから使われていたシャトル織機は、
現代的な織機に比べてスピードが遅く、生産性の観点では劣ります。
いずれ時代の波に消える機械となるはずでしたが、その「ゆっくり」とした動作こそが、
切れやすい麻の糸とも相性が良く、目を詰めて丈夫に織ることができるんです。



一日に織れる速度はゆっくり。
織り始める前にも、織り始めてからも、糸の様子を見ながら調整を繰り返す。
ただ、あきらめずに、完成形を追求し続ける──職人としての意気込みがあるからこそ、
いまだかつてないほどの麻デニム生地が生まれていたんです。



実際に履くと、通常のデニムとの違いはすぐにわかります。
軽くてやわらかながら、しっかりとした厚みもある。デニムとしての安心感もありつつ
さらっとした肌触りは、大人に嬉しい履き心地。
最初からやわらかくて、くたっとした生地感がこなれた感じを醸し出してくれます。
最近デニムを履かなくなったなという、大人の女性にも履いてほしい1本です。

【対談】山口周×千石あや「100年先の未来のために、今、中川政七商店ができること」

2019年8月1日、ある人が中川政七商店の社外取締役に就任しました。

独立研究者・パブリックスピーカーで、ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』等の著書で知られる、株式会社ライプニッツ代表の山口周さん。

インディペンデントリサーチャー、著作家、パブリックスピーカーの山口 周氏
山口周さん:1970年東京生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーン・フェリー等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発に従事した後、株式会社ライプニッツを設立。株式会社中川政七商店、株式会社モバイルファクトリー社外取締役。一橋大学大学院経営管理研究科非常勤講師。著書の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』は2018年度HRアワード最優秀賞、ビジネス書大賞準大賞を受賞。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。

7月に刊行された『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』も話題に。書店で見かけた、手に取ったという方も多いかもしれません。

ビジネスの文脈で経歴や活動を語られることの多い山口さんですが、実は、暮らし方や生活を共にする道具を、とても大切にされているそう。

電撃的な社外取締役就任には、どんな背景があったのか。

これから中川政七商店はどう変わってゆくのか?

山口さんが考える、これからの日本の暮らしのあり方とは。

話題は会社の枠を超えて、日本の工芸全体や、社会の未来像まで。

社外取締役へのオファーを「直感で決めた」という14代社長の千石あやと、「就任は、自身の封印していた部分の解放につながる」と語る山口さんの、対談の様子をお届けします。

就任前の、中川政七商店の印象

山口:「今回の社外取締役就任の話をSNSで報告したら、圧倒的に女性からの反響が大きかったですね。

『前から好きなんです』とか『あのお店のルームフレグランスを愛用しているんですよ』とか。みんなお気に入りのアイテムがあるみたいなんです」

千石:「嬉しい。ありがたいですね」

山口:「実は僕自身も、空間の香りや家の中に置くものは、とても気にします。

これは母に似たのだと思いますが、例えば母は、スーパーで買ってきたお惣菜でも、ちゃんとお皿に移して食べましょう、というような人で。

そういう環境に育ったからか、子どもの頃から空間の中のものに違和感があると、とても嫌な、落ち着かない気分になりました。

友だちの家に遊びに行っても、なんでこんな変な家具を置いてるんだろうと思ったり。もちろん、口には出しませんけどね (笑)」

現在は「もっと潤いのある生活を」と出身地の東京から神奈川県の葉山に移住。お住まいも、好きな北欧の家具をベースに木の内装で統一するなど、暮らしのあり方をとても大切にされている山口さん。

改めて気づいたことがあったそうです。

山口:「実は中川政七商店のアイテムって、うちのような『和』ではない空間にも合うんですよね。

例えばこれまで『伝統工芸』という言葉の周りにあったような、敷居の高さや抹香臭い感じがない。

モダンな空間にも合う日本の工芸品というところに、間口の広さというか、懐の深さみたいなものを感じます」

「資本主義って基本的には、求められるものであり続けないと世の中から『要らない』と言われてしまう。中川政七商店は、まさにそこにチャレンジしているんだなと。

ここ50年ほどの『安くて便利なものがいい』という風潮の中で、丁寧で素敵なものが市場から退場させられる現実を苦々しく思っていたので、中川さん(13代中川政七。現会長)のインタビュー記事などを読むたびに、すごく共感していました」

千石:「ありがとうございます。

今のお話がまさに、私がなぜ周さんに社外取締役のオファーをしたかと繋がってくるなと思いました」

山口さんを親しみを込めて周さんと呼ぶ千石が、社外取締役の打診をしたのは、実は山口さんに初めて会ったその日のこと。

誰にも相談せず、「この人だ」と確信して声をかけたという胸の内には、2018年に社長に就任してから少しずつ感じてきた、問題意識がありました。

日本の工芸が元気になると…?

千石:「社長に就任した時に、全社員に『いいものをつくり、世の中に伝えることに改めて向き合っていこう』という話をしました。

先代の中川が築いたブランディングの力で、他社さんの経営のお手伝いもできるようになった今だからこそ、世の中に胸を張れる、自分たちらしいものづくりを積み上げるべきだと。

そこで考えたのが、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンになぜ?を加えることでした」

「なぜ、自分たちは工芸を元気にするのか。全員が持っているはずの動機を言語化できれば、ひとつのチームとしてつくり伝えるに取り組む、強いエンジンになるのではないかなと。

結果たどり着いたのが『私たちには残したいものづくりがある』という答えです」

毎年社員全員に配られる「中川政七商店 心得」の1ページ。2019年度版には、ビジョンの下に「なぜ?」を示す1文が加わった

「交代からちょうど1年ほど経った、今年の新年の社長挨拶で発表しました。自分達がなぜ今の仕事に取り組むのか、もっとビジョンを自分に引寄せたかったんです。

ただ、社内で言い続けていくうちに、まだ足りない、と感じられてきました。

今度は『残したいものづくりが残ると、未来はどう良くなるんだろう?』を、社内に限らず外に向けても、きちんと示す必要があるんじゃないか、と思うようになったんです」

そんな意識を持って千石が山口さんと初対面を果たしたのは、奈良でのこと。

現在、奈良のサッカークラブ「奈良クラブ」の代表を兼任する会長の中川が企画した「N.SEMINAR」という学びの場に、山口さんがゲスト講師として登壇した日でした。

千石:「もちろん以前から周さんのことは本も読んで存じ上げていましたが、セミナーで語られた言葉に改めて胸を打たれました」

それは『これからの時代は、役に立つことより意味のあることを』という言葉。

「講演で改めて伺ったときに、『あなた達のやってきたこと、やっていくことは何らか意味がある』と、社外の方から初めて言っていただいたような気持ちになったんです。

後の懇親会でサインをお願いしながら、周さんにも直接『勇気が湧きました』とお伝えしました」

そして湧いた勇気そのままに出てきた言葉が「社外取締役になっていただけませんか」。

千石:「普段なら簡単にお会いできない方が、お声がけすれば会話できる距離にいらっしゃる。

ならば少しでも、とドキドキしながらお話しするうちに、そのまま誰にも相談せずにオファーしてしまいました。

そうしたらぜひ前向きにってその場で仰って頂いたので、本当に!?って逆にびっくりしたくらいです (笑)」

千石の決断の背中を押したのは「直感」だったと言います。

千石:「自分たちが残したいと思うものづくりや工芸が、残っていくことによって何がどうなっていくのか。それにどんな意味があるのか。

周さんと一緒なら、自分たちだけではたどり着けないようなところまで深く広く、描いていけるんじゃないかと直感的に思ったんです。

その後何回かお会いする中で、先ほどのお母様のエピソードのようなバックボーンを伺って、あの日の直感が改めて腑におちた思いがしました。

周さんが本の中で書かれてきた『美意識』は、ずっと昔からご自身の暮らしの中にお持ちだったのだなと感じています」

山口:「そうですね、子どもの頃は、祖母から『しゅうちゃんは感性豊かだから、感性を生かした仕事がきっといい』なんて言われていました。

でも実際に働いてきた外資系の戦略コンサルティングファームって、感性は一個も要らないんですね (笑) 。徹底的に数字とロジックの世界ですから。

祖母の言葉がずっと頭に残りながら、仕事上では封印してきたのが感性の部分でした。

今回の社外取締役のお話で、やっと感性で世の中に価値を提供している会社のお手伝いができるなと、自分としてはすごく大きな意味を感じています」

なぜ「やっと」なのか。実は今、企業が「感性で価値提供」するのはとても実現しにくい状況なのだと、山口さんは語ります。

ここから話題は、企業の「美意識」の話へ。そもそも感性や美意識って、なんなのでしょうか?

企業の美意識とは?

山口:「今多くの企業の商品やサービス開発は、感性ではなく『確かに成功するはず・売れるはず』というエビデンスありきで動いています。

はじめは1人の担当者の「これを作りたい」という思いからスタートしたプロジェクトでも、消費者テストなどを繰り返して、結果に合わせて中身を変えていく。

そのうちに誰も欲しくない、魂を失った商品ができてポシャるというケースがよく起きるんです。

例えば、感性で価値を提供している業界があるとするとゲーム会社。

ゲームって本当に何がヒットするかわからないので、エビデンスが取れない。だから担当者が『面白い、絶対出したい』と本気で思ってるものが社内で残るんです。

つまりゲーム会社の場合は、何を面白いと思うか、がその企業の美意識になってくるわけですね」

ーーでは、中川政七商店の美意識とは?千石社長はどう思いますか。

千石:「そこがうちの場合、まず『日本の工芸を元気にする!』というビジョンなんですよね。

ただ、もうちょっと分解したい。元気になることによって何が良くなるのか?その先にはどんな豊かさがあるのか、そこを見据えたい、というのが、今回の周さんへのオファーにもつながる課題意識です」

それは、どこまで言葉で表すかがまず問題ですね、と山口さんが応えます。

言葉にできない、でもうちらしい

山口:「全てを言い尽くすことはできないし、言い尽くしたらたぶん嘘になって、かえって新しく入ってきた仲間をミスリードしてしまう。

中川政七商店の美意識も、相当言語化が難しいと思っています。

どういうものが素敵で、どういうものが中川政七商店らしくないか、それは『見て』もらうしかないんじゃないでしょうか」

ーー見る、とは?

山口:「例えば個別の商品のひとつひとつに、これはうちらしい、この部分はちょっと違うから見せ方を変えようとか、そういう判断を重ね合わせた時に、自ずと立ち上がってくる『なんとなく中川政七商店らしい』という感覚を、分かち合うこと」

「これは人工知能で言うディープラーニングなんですが、本当に強い組織には、そういう感覚知、非成文憲法があると思います」

千石:「なるほど。うちでいうと、まず言語化できている部分としては、こころばという社員の行動指針があります」

正しくあること、誠実であること、など社員の行動指針をまとめた「こころば」

「一方で『中川政七商店らしさ』は、まだ完全には言葉になっていません。

でも今のお話を伺って、思い出したことがあります」

そう千石が回想するのは、来年3〜5月に店頭に並ぶ新商品の「ファーストチェック」の場面。各デザイナーが、担当した新商品を社内で最初にプレゼンする場です。

「テーブルに並んでいる商品の顔が、どれもすごくよかったんです。

言いようのない、でも間違いなくこれはうちらしい商品だと思える力強さがありました」

千石:「ずっと『工芸が元気になると何がいいのか?』を言語化しないと、と悩んでいましたが、もしかしたらそういう『圧倒的にうちらしいもの』が、言葉の代わりになってくれるかもしれませんね」

山口:「そうですね。ものを持って語らしめることは、とても大事だと思います。

ただそれだけだと、ちょっともったいないかもしれません」

というのも‥‥と、山口さんが語ったのは、世界で起きているある「変化」のエピソードです。

製品やサービスだけでなく、企業の美意識が評価される時代へ

海外では、提供する製品やサービスだけでなく、企業の「美意識」と、そこに基づいた活動そのものを評価する消費者の姿勢がすでに定着しつつある、と山口さんは指摘します。

山口:「典型例がブルネロクチネリというイタリアのファッションブランドです。

イタリアは毛織物の産地として有名なんですが、最近は職人も毛織物の牧場そのものも少なくなってきています。

ブルネロクチネリはそんな産業を守るために、牧場も、そこでとれた毛糸を紡ぐ職人も、丸ごと自分の会社で引き取ってものづくりをしているんです。

それでいて製品にはブランドを示すロゴマークがない。

そういう奥ゆかしさも含めて支持されて、今パーティーに着ていくと一番イケてるブランド、と言われています。

企業が提供するサービス以上に、企業の活動そのものに賛同してお金を出すという消費の典型例だと言えますね」

そこに山口さんが引き合いに出したのが、毎年8月に中川政七商店で開催される、全社員参加の社内研修「政七まつり」で流れた、ものづくり現場の映像でした。

私の知らない、工芸の世界

山口:「あれは、ここ数年見た中でもっとも脳に刻み込まれた映像でした。きっとなかなか古くならない動画だと思います。

ふきんだって手ぬぐいだって、多くの人が機械ですぐできるでしょって感覚だと思うんです。

でも実際は人の手で何度も工程を踏んで作っていることが、映像を見るとよくわかる。

映し出されているものづくりの現場って、多くの人にとっては完全に『私の知らない世界』なんですよね。

それをビジネスとして成立させて残していこうという活動は、多くの人が深く共感するはずです。もっと世の中に伝えた方がいい。

ものをして語らしめるのは大前提として、あの動画のように取り組み自体を伝えていくことも、これからどんどん社外に向けてやっていった方がいいと思います」

宿題が一つ、決まったところで、そろそろ対談も終盤です。

まだ、間に合う

ーー最後に、これから中川政七商店の活動に加わっていく中で、山口さんが取り組んでみたいこと、「こういう未来を目指したい」というビジョンをお聞かせください。

山口:「ここ数年で、東京駅前の広場が整備されて劇的にきれいになりました。この先、日本橋の上を走っていた首都高もついに外されることが決まっています。

どちらも特別便利にはなりません。でも美しくなる。国が少しずつ、空間や街を美しくすることにお金を出すようになってきたということです。

東京駅前は夕景がとても美しいんですよ。通りがかるたびに、『なんだ、やればできるじゃないか』って思います (笑)」

「これがもし一軒一軒の家や部屋の空間だとしたら、その佇まいを決めるのは、暮らしている人自身です。

暮らしに使う道具や空間に置くものに何を選ぶのか。それを少しでも好ましい、潤いのあるものにしようと思う人が増えていくと、周りに波及して、世の中全体の変化につながっていくと思います。

そしてそれには、ものを作る人や技術が残っていくことが必要です。

今、アメリカでは日本の大工さんと同じようなことができる人って、もういないそうなんです。

プレファブリケーションの、便利で安い建物を建ててきた後ろでクラフトをできる人が減り続けて、最終的には絶滅するところまで行ってしまった。

わずかでも残ってればなんとかなる可能性があるけれども、絶滅状態ではもう作れません。

でも日本は、今ならまだ間に合う。それを次の世代に渡していくことが、今生きてる私たちの責任なのではないかなと思っています」

千石:「そうですね。いわゆる工芸品って生活になくても困らないから、なくなると取り戻すのがとても難しいジャンルだなと思います。

私たちがお付き合いのある中だけでも、作れる人があと1人、というものづくりがたくさんあります」

山口:「持続させていくためには、まず社会の中での職人の地位向上が大きな課題ですね。日本は地位が低すぎます。

自動車デザイナーの方に聞いたのですが、アルファロメオやフィアットといった自動車メーカーが多いミラノでは、クレイモデラーという仕事が花形職業だそうです。

図面をもとに車の完成形を立体物におこす職人で、トップクラスの人だと、年収が3000万以上。若い子が将来の夢として語るような職業です。

一方の日本ではあくまでメーカー内の仕事の一部で、知っている人も限られます。

日本の職業選択はまず大学受験があり、就活ではみんなが大企業を目指し、社会人になれば企業の序列の中で、勝ち組、負け組という世界で生きる。とても画一的です。

もっと多様性が必要だと感じますし、その選択肢の中に、憧れの職業として職人が挙がる未来が、あっていいと思います」

千石:「強く共感します。今、中川政七商店は『100年後に日本が工芸大国となっている』ことを大きな目標に掲げているのですが、実現には職人さんが『自分の仕事に誇りを持って経済的に自立していること』が欠かせません。

じゃあ、そういう未来が暮らしている人にとってはどう良いのか。どう豊かなのか。

それは私たちが声高に提示するものではなく、使う方に感じてもらうもの、後からついてくるものなのだなと、今日のお話を伺って思いました。

そのために今必要なのは、私たちが大事にしたいのはこういう世界だ、という中川政七商店がやっていることの意味を、ものを通じてきちんと伝えていくことですね。

ではそれがどういう『もの』なのか、どうやって伝えていくのかを、これから周さんと一緒に、広く深く考えていきたいです」

【季節のしつらい便】お月見をたのしむ団子のアレンジレシピ


十五夜は中秋の名月ともいわれ、毎年旧暦8月15日(現在の9月7日~10月8日の満月の日)に行われる月見の行事です。
1年の中でも空気が澄み月がきれいに見えることから、この日に作物を供えて月を見ることが定着しました。

そのように、古来日本に伝わる歳時記を楽しんで頂きたいという想いで、親子で楽しむ歳時記体験キット「季節のしつらい便 お月見」をつくりました。


季節のしつらい便とは?
日本に伝わる年中行事を、親子で楽しめる体験キット。
「つくる」「しつらう」「つながる」体験を通して、自然と歳時記や文化を学ぶことができます。
これまで体験したことがない行事でも大丈夫。
「季節のしつらい便」が、親子で過ごす楽しいひとときを贈ります。

つくって飾ったあとには、おいしい団子を楽しみたいもの。
そこで、気軽につくれるお月見団子のアレンジレシピをご紹介します。
 

【お月見みたらし団子】


◆材料
醤油 大1
砂糖 大3
水 大3
片栗粉小2
お月見団子3個×4本
 
◆つくり方
①小鍋に調味料と水を入れ弱火にし、よくかき混ぜながら火をいれ、透明になるまで煮詰める。
②月見団子を串に刺し、グリルや焼き網、オーブントースターなどににのせて焦げ目をつける。
③できた醤油あんをかけて完成。

お団子が硬くなっている場合は、レンジなどで少し温めておくとおいしくお召し上がりいただけます。
 

【お月見団子汁(4人分)】


◆材料
ごぼう 1/2本
にんじん 1/2本
里いも 小4個
かぼちゃ 小玉1/8個
長ねぎ 1/2本
生椎茸4枚(生椎茸は乾椎茸にして、戻し汁をだしに使ってもOK)
いりこ 5尾(簡単に作る場合は、だしの素やパックだしなどでも代用OK)
水6C
お月見だんご16個
みそ 大4
 
◆つくり方
①鍋に水を入れ、いりこを入れて、沸騰したら、いりこを取り出す。
②ごぼう 、にんじん、里いも、かぼちゃ、生椎茸は食べやすい大きさに切る。
③切った野菜と椎茸を入れ、火をいれて柔らかくなるまで煮る(中弱火で15分くらい)。
④月見団子を入れ、みそを溶く。ひと煮立ちしたら、味をみて調整し、小口切りにした長ねぎを入れて火を止める。

七味やゆずごしょうをそえると香りが引き立ちます。
 
 
その他甘味なら、きなこ、黒蜜、粒あんを添えるだけでもおいしくいただけます。
今年は十五夜が10月1日と少し遅めで夜は少し肌寒い時期なので、飾っている間に硬くなってしまった時には、ゆで小豆などを活用してぜんざいにするのもおすすめです。
甘味が苦手な方には、食卓の一品として、ミートソースグラタンの具にしたり、クリームシチューの具材としても活用いただけます。
 

今年の十五夜は10月1日。
お団子をつくって飾って食べて、お月見を楽しんでみてはいかがでしょうか。
 

【わたしの好きなもの】5種類の野菜・果物で染めた花ふきん

食べ物で染めたふきんで、食べ物を包みたくなりました

中川政七商店の花ふきんは、ふきんとして何年も使っている我が家の台所の定番アイテム。
ふきん→台拭き→雑巾と3段階で使うのはもちろん、蒸し物に使ったり、お弁当を包んだり、それはそれは、お世話になっています。

この野菜や果物で染めた花ふきんは、やはり最初はパッケージの絵柄に目を惹きつけられますが、ふきんをじーーっと見ていると、どこか土を感じる色に思えてきて、大地に溶け込む色ってなんだかほっとするなと思ったり。



そうすると、ふとこのふきんで野菜を包んだら素敵なんじゃないかと思いついたのです。



かや織だから通気性も良く、汚れたら洗えるし、風呂敷みたいに大判だからバッグのようにして、野菜の保存にぴったりなのでは!と、早速使ってみました。

あえて糊を落とさずにパリッとしたまま使って、野菜がほんのり透けて見える様子を楽しんでいます。



我が家は、畑で採れた野菜を友人宅に持っていくことが多いのですが、最近スイカが実ってきたので、 今度ふきんで包んで持っていったら、ふきんもスイカも両方手土産になって喜ぶはず!と企んでおります。

おまけですが、このかぼちゃを包んでいるのは「赤かぶで染めた花ふきん」なのですが、なぜ赤かぶなのに緑?って思いませんか?もう不思議で不思議で。
デザイナーに聞いたところ、植物はそれを彩っている色の色素をどこにでも含んでいるらしく、簡単に言いますと赤い皮からでも緑の葉の色を抽出できるそうなんです。もちろん赤い皮から赤を抽出できるんですが、今回は緑が綺麗だったので、そちらを使ったということでした。

そういえば、桜も幹の皮から桜色が抽出できるんですよね。何度聞いても植物の不思議に「ほほぉ~」と感心するばかりなんですけどね。

編集担当 平井

【わたしの好きなもの】手織り麻を使ったフリルシャツ

長い間、着心地のいいシャツを探していました。

暑がりで、かちっとした形が少し苦手なこともあって、シャツを着る機会が少なかった私。 でも心の中では、パリッとした印象が必要なシーンに着ていきたくなるような、お気に入りのシャツがあったらなあと思っていました。

そんな願望を叶えてくれたのが、「手織り麻を使ったフリルシャツ」。 まず驚いたのが着心地の軽さです。

シャツといえば綿でタイトというイメージですが、素材が麻だと着用感がこんなに変わるのかと、不思議なほどに軽やか。

羽織れるくらいのゆったり具合で窮屈な感じがなく、風通しがよい、というシャツに求める条件が揃っていて「これは長く着ていても肩がこりにくい!」とうれしくなりました。

アクセントになっている前立てと襟、袖口の切替部分には手績み手織りの麻生地が使われています。

この手織り麻は10日でようやく約24mが織りあがるという、糸から手作業で撚られた貴重な生地。
手織り麻を使った洋服はとても珍しく、つくられた過程を知るとより贅沢な気持ちになります。 素材の上品さのおかげで一枚で着ても様になるところも気に入っています。

また縦糸と横糸の表情がある生地はハリがありながらもしなやかで、やさしい肌あたり。
はじめはパリッとしていて、洗いをかけるごとに少しずつやわらかい風合いになっていきます。 時間とともに変化が楽しめる、麻ならではの魅力がぎゅっとつまったシャツです。