【わたしの好きなもの】 中川政七商店の楽ちんトップス

家だけど部屋着はNG!

思うように外に出られず、お家でテレワークをしている方も増えてきました。職場ではデスクがあり、パソコンがあり、近くには先輩や上司もいて、やっぱり家とは環境が違って「お仕事」スイッチが入ります。ふだん「くつろぎの場」だった家でお仕事をするとき、みなさんはどんな服装をしていますか?

ついつい楽な部屋着を選んでしまいたいところですが、お仕事中はリモート会議や打ち合わせなど、パソコンのカメラ越しに相手に自分の服装が見えてしまいます。家に居ながらちょっと窮屈なシャツやブラウスを着ているのも居心地が悪い。でも、部屋着だとだらしなく見えて生活感たっぷり。
そんなときにさっと着られて、だらしなくならない、でも着ていて楽ちんなトップスがあると便利です。

肌で着るコットンカシミヤのニットTシャツ

「さっと着られて、だらしなくならない」ポイントは、バサッとかぶって着られるプルオーバーを選ぶこと。ネックラインはあまり広くない、少し詰まったデザインのものを選ぶとだらしなく見えません。「着ていて楽ちん」のポイントは、身幅がゆったりしたもの、薄手のニットやカットソーなど伸縮性のあるものを選ぶと着心地もよく、アイロンなどのお手入れもいらないので、気軽にローテーションで使うことができます。

STAMP AND DIARY 前身頃刺繍ビッグTシャツ ヴォイクッカ

でも油断してはいけないのが、宅配や郵便物の受け取りを知らせる不意のインターホン。トップスは出かけても恥ずかしくないものだけど、ボトムスが部屋着、スウェットなんてことも…
急な訪問にも慌てず対応できるボトムスも欠かせません。そんなときにおすすめなのが「もんぺパンツ」です。

シアサッカー生地のもんぺパンツ

ウエストと裾はゴム仕様、腰回りはゆったりとしたデザインで立ち座りが楽なのがうれしいポイント。長時間履いていても窮屈感なく過ごせます。新作の「シアサッカー」「タイプライター」生地を使ったもんぺパンツは、シワが目立たず、きれいめのパンツのような上品な見た目で、急な訪問への対応も問題なし!

もんぺパンツの前ポケットは、印鑑や車の鍵、スマホやハンカチなど。使いたいときにさっと取り出すのにちょうどいい位置と大きさなんです。私は台所仕事をしているときの合間にスマホを見るのですが、そのときにポケットに入れたり、洗濯バサミをいくつかポケットに入れて洗濯物を干すときに使ったりしています。

お家での時間はゆっくりできてくつろげる服装が一番。そこにちょっぴり気の利いた日常着があると、スイッチが切り替えられて生活にリズムができる気がします。
1日の中にもメリハリをつける、私なりのちいさな工夫をご紹介しました。

<関連商品>
カットソー
もんぺパンツ

白い桜餅が嵐山名物になるまで。桜餅専門店 鶴屋寿の菓子づくり

一年を通して多くの観光客で賑わう、京都 嵐山。

古くから桜の名所としても知られるこの場所で、「桜餅」を看板商品に掲げ、長年にわたって地元の人々や観光客に愛されてきた和菓子店があります。

嵐山最初の桜餅専門店「鶴屋寿」

JR嵯峨嵐山駅から徒歩数分。観光地の喧騒からは少し離れた静かな通りに店を構える「鶴屋寿(つるやことぶき)」。

鶴屋寿
鶴屋寿

鶴屋寿 店内
店内の様子

京都の老舗菓匠「鶴屋吉信」から暖簾分けをされ、嵐山で最初の桜餅専門店として1948年に創業しました。

同店の代表銘菓「嵐山 さ久ら餅」は、桜が咲き誇る春にはもちろん、それ以外の季節にも一年中買い求める人が絶えない、嵐山の名物と言える商品です。

「嵐山 さ久ら餅」
「嵐山 さ久ら餅」

嵐山を、京都を代表する桜餅はどのようにして生まれたのか。「鶴屋寿」二代目店主 野村 紳哉さんにお話を聞きました。

料亭文化から生まれた異色の桜餅

一般的に桜餅は、朝つくってその日のうちに売り切ってしまう“朝生(あさなま)”と呼ばれる和菓子で、簡易的な包装しかされないことが多いのだとか。それを、お茶席で出されるような“上生菓子”としてつくっているのが、こちらの桜餅の特徴のひとつ。

「全国探しても、桜餅に化粧箱を用意してるのはうちだけやと思います」

「鶴屋寿」2代目店主 野村 紳哉さん
「鶴屋寿」二代目店主 野村 紳哉さん

専用の化粧箱と掛け紙を見せ、笑いながらそう話す野村さん。

このこだわりには、当時の「吉兆嵯峨支店」(現:京都?兆 嵐山本店)など、名だたる高級料亭の存在が大きく関係しています。

「嵐山 さ久ら餅」
専用の化粧箱に入れられた「嵐山 さ久ら餅」

自慢の掛け紙は、和紙に木版手刷りで印刷された特別なもの
自慢の掛け紙は、和紙に木版手刷りで印刷された特別なもの。原画を手がけたのは、嵐山にゆかりのある絵師「山本紅雲(こううん)」。鮎を描かせたら天下一品と称されたそう

現社長の先代が、吉兆グループの創業者 湯木貞一氏と懇意にしていたこともあって、吉兆などの料亭から注文を受けるようになった鶴屋寿。

「料亭からお客様がお帰りになるときに、手土産としてお渡ししていたんです。やはり吉兆様などのお客様が相手ですから、変なものはつくれないので、とにかく一所懸命に頑張っていました」

料亭の手土産としての格を損ねないように、専用の化粧箱が用意された桜餅。当然、品質の部分でも様々な工夫が凝らされていきます。

二種類の道明寺が生む究極の舌触り

鶴屋寿の桜餅に使われているのは、道明寺(どうみょうじ)と呼ばれる素材。もち米を一度蒸してから乾燥させて、細かく砕いてつくられます。

道明寺
道明寺

「よく、長命寺(ちょうめいじ)とどうちゃうの?と言われます。長命寺はブランド名で、道明寺は材料名。昔大阪に道明寺というお寺があって、そこで一番最初につくられたいわゆる保存食です。30分ほど舐めていると、柔らかくなって膨らんできます」

豊臣秀吉の時代、戦時には竹筒に入れて持ち歩き、空腹時に水を入れてふやかして食していたとも言われる道明寺。

関西風の桜餅によく使われますが、通常は一種類だけ。鶴屋寿では細かいものと粗いもの、二種類の道明寺を組み合わせて使用。それによって独特の舌触りを生み出し、その食感と餡との絶妙な取り合わせを実現しています。

2種類の道明寺を組み合わせ、絶妙の舌触りを実現している
二種類の道明寺を組み合わせて使用している

道明寺に使用しているもち米は、特定の産地にこだわらず、日本全国からその時々で良いものを選んでいるとのこと。

「国産のものを使うことは徹底していますが、産地はその時々によって変わります。どこのお米を使っても、どんな気候であっても同じ品質が出せるように調整しています。

難しいのは、乾燥した道明寺を戻す際の水の配合で、同じ品質に調整できるようになるには、10年は修行が必要です」

一種類でも難しい水の調整。当然、二種類の道明寺を使うことでより難しくなりますが、そこにこだわってこそ鶴屋寿の桜餅であると、先代の頃からの製法を守り続けています。

一年中楽しめるように。白い桜餅がうまれた理由

化粧箱もさることながら、その見た目でまずほかと違うのが、桜餅といいながら“白い”こと。実は、白い桜餅にするようにアドバイスしたのは、先述した吉兆の湯木氏。

白い桜餅
白い桜餅は、お茶席で懐紙に取った時にも非常に映えるのだとか

その理由はとてもシンプルで、「白くすれば一年中楽しめるのでは」ということだったそう。

「湯木氏のアドバイスを受けて、道明寺本来の色をそのままいかした色合いになりました。やっぱり一年中違和感なく提供できますし、着色料を使ってないので安心してもらえる部分もあります」

手土産にする側としても、季節感が出すぎないのでいつでも利用しやすく、通年で求められる商品になりました。

たっぷりの、2枚の葉っぱで包まれているのも特徴的。葉っぱは伊豆で採れたものを使用
2枚の葉で包まれているのも特徴的。葉は伊豆で採れたものを使用

おすすめの食べ方とは

桜餅を食べる際に気になるのが、桜の葉を取るべきなのか、そのまま食べるべきなのか。

野村さん曰く「作っている側とすれば、なるべくお取りくださいと、申し上げてます」とのこと。

一緒に食べなくても、すでに桜の葉の香りはしっかり染み込んでいるんだそう。

「葉そのものはちょっと苦味があるので、お取りいただいて、道明寺の風味、食感を楽しんでほしいなと思います」

「もちろん、お好きな方は自由に食べてください」と話す野村さん
「もちろん、お好きな方は自由にお召し上がり下さい」と話す野村さん

もちろん、葉自体も食べられるようにはなっているので、「好きな方は一緒に召し上がっていただいて問題はありません」とのことでした。

地元の人に愛されてこそ

桜餅を看板商品に!という先代の想いからスタートした鶴屋寿。

料亭での手土産のニーズが縮小したあとも、そこで定めた水準を下げることなく、菓子づくりを続けてきました。

化粧箱とは別に用意されているサービス箱も雰囲気があって素敵なデザイン
化粧箱とは別に用意されているサービス箱も雰囲気があって素敵なデザイン

鶴屋寿

「やっぱり、心からおいしいと思えるものをつくる。そして地元の方たちに認めていただかないと駄目だと思います。

観光客の方ももちろんですが、地元の方も多くご来店いただいています。地元の、京都・嵐山の名物として自信を持ってお手土産にしていただける商品であり続けたいと、日々精進いたしております」

「鶴屋寿」2代目店主 野村 紳哉さん

同じ地域に住む人たちの声を聞き、その人たちが誇りに思えるような商品をつくる。

季節を問わない白い桜餅は、これからも嵐山の名物として人々とともにあり続けるのだと思います。

3代目と2代目
3代目となる予定の娘さんと

<取材協力>
御菓子司 鶴屋寿
http://www.sakuramochi.jp/index.html

文:白石雄太
写真:直江泰治

【わたしの好きなもの】二重軍手の鍋つかみ

この商品は、大発明だと思います。


これまで、片手にミトンの鍋つかみ、もう片手にふきんを手にして、熱いものをひっくり返したこと数知れず。
忘れられない思い出といえば、夜中に思い立ってシフォンケーキを作ったときのこと。
シフォンケーキは焼き縮みを防ぐため焼き上がり直後に型ごと逆さまに返して空き瓶などの上に置いて冷ますのですが、その際火傷を恐れるあまり手元が狂い、あらぬところに丸ごとケーキを落としてしまったのでした。
衝撃でケーキはボロボロ。覆水盆に返らずならぬ、シフォンケーキ型に戻らず。。。やり場のない悔しさと共に、ひとり一夜を過ごしました。

「この軍手さえあれば、もうあんな失敗するまい。絶対この軍手でシフォンケーキを成功させる!!!」

二重軍手の開発担当者は私の向かいの席。企画の進捗をチラチラ覗き見しながら、数ヶ月前から勝手にそんな熱い思いを胸に秘めていました。
そんなことなのでいよいよケーキを作るとなるとあまりにも楽しみで、決行の2日ほど前から家で軍手をはめては家族に自慢し、魅力を語り、型を持ち上げ、イメトレしていました。

いざ作り始めると、思いがけず出だし早々大活躍。
最初のステップは卵黄と砂糖を湯煎にかけながら混ぜる工程なのですが、この軍手、熱くなるボウルをおさえるのにもちょうどよいのです。
レシピ本の手順には「軍手をはめて…」と書いてありましたが、普段からキッチンに置いてあるこの鍋つかみが軍手がわりになるなんて、なんだか得した気分です。




恐れていたオーブンから取り出す場面でも、両手が守られているのと指先が自由に動くことで、型をしっかり抱えて持ち上げられました。
無事、ケーキは空き瓶の上に着地。型の熱が手にほとんど伝わらないので、これまでよりも落ち着いて運ぶことができました。
おかげで今回のシフォンケーキは私史上最高傑作。




道具ひとつでこんなにも料理が楽しくなるとは、新発見でした。
これまで調理道具に特にこだわりのなかった私ですが、これからはおいしく作ることに加え、自分にとって使いやすい道具を見つけるという楽しみも料理と一緒に味わっていけそうです。
この二重軍手の鍋つかみは、記念すべき、私の相棒 第一号となりました。もっとおいしいシフォンケーキが焼けるよう、相棒とともにたくさん練習していきます。
 



<掲載商品>
二重軍手の鍋つかみ

編集担当 羽田

木箱に納まる小さな雛人形。女性職人がつくる奈良一刀彫の「段飾雛」

もうすぐ、ひな祭り。

私が生まれた時、段飾りのひな人形を祖父母が贈ってくれました。毎年2月のお天気の良い日には、母が押入れからおひな様の入った大きな箱を出してきて、1年しまっていたお人形に「おひさしぶりですね」と挨拶をしていたものです。

段の骨組みを組み立て、赤い毛氈をかける。おひな様に扇子を持たせたり、五人囃子に笛や太鼓を持たせたり。たくさんのお人形とお道具を眺め、小さな私にとっては楽しいひな祭りでしたが、母にとってはおそらく大変な作業だっただろうな、と今になって思います。

さて、ひな人形にも全国に色々なものがありますが、私が住む奈良には一刀彫でつくられた小さな段飾雛(だんかざりびな)があります。しかも、若い女性の作家さんがご活躍されているとのこと。お話を伺いに、早速お訪ねしました。

奈良一刀彫の小さな「段飾雛」

奈良県奈良市、唐招提寺と薬師寺のほど近くに店舗と工房を構える「株式会社 誠美堂」。ちょうど桃の節句を迎える時期ということもあり、一刀彫の段飾雛がメインに並んでいました。

さまざまなサイズの段飾り雛。小さな人形ながら色鮮やかで存在感は抜群です
さまざまなサイズの段飾り雛。小さな人形ながら色鮮やかで存在感は抜群です。

お話を聞いたのは、「誠美堂」代表の水川丈彦(みずかわ・たけひこ)さんと、この段飾雛をつくっている職人・神泉(しんせん)さん。一刀彫は各地にあれど奈良一刀彫は奈良人形ともいわれ、その起源は約870年も前のこと。平安時代の終わりごろ春日大社の祭礼で飾られたものだといわれています。

奈良の一刀彫は、金箔や岩絵の具で彩色が施されているのが特徴だそう。

一刀彫の「能人形」にも、色鮮やかな彩色が。昔は贈答用によく用いられたものだそうですが、最近は雛飾りや五月人形などの節句人形の製作が大半を占めているといいます。

今にも動き出しそうな「能人形」
今にも動き出しそうな「能人形」。美しい色合いに目を奪われますが、よく見ると一刀彫の無数の面でつくられていることがわかります

結納などの需要があった「高砂」
結納などの需要があった「高砂」も、最近ではなかなか多くは出ないそう。

そしてこちらが神泉さんのつくった段飾雛。手のひらにのせても十分あまるほど、高さわずか数センチの小さな人形に、美しい彩色が施されています。

神泉さんの段飾り雛
神泉さんの段飾り雛(中)。5段目に飾られた桃や橘の花まで、木で彫られたもの

段飾り雛のおひな様
段飾り雛(大)のおひな様。手元の扇にも細やかな彩色が。

小さいながらも5段飾りの段飾雛は、ひな祭りの世界観がここに詰まっているといえばいいのでしょうか。華やかで雅、しかもこれが一つひとつ手で彫られ、また彩色されているということにも驚きます。しかも、下の段に人形やお飾りをすべてしまうことができるのだそうで、収納に便利で実用的です。

段飾り雛
飾り棚かと思いきや、ここにお人形など全てが収まるのだそう

「一般的な大きな段飾雛は、ひな人形を飾るのに何時間もかかりますよね。しまう時もひと苦労。家族の形や暮らし方の変化で、和室がなかったりマンション住まいだったりと、なかなか大きなお雛さまを飾れないところもあるので、最近は小さいサイズのものが人気です」と水川さん。この一刀彫の段飾雛自体は、「誠美堂」創業の頃からのものだそうです。

そしてこの作品をつくっている神泉さん、とてもお若い女性の職人さんです。神泉という名は、先々代、先代から受け継いだもので、現在3代目。「誠美堂」のブランドでもあります。

3代目神泉さん
3代目神泉さん

———一刀彫をはじめてどれくらいになるのでしょうか?

先代のところに弟子入りしていた4年半を合わせると、11年になりました。先代神泉は、奈良の長谷寺のあたりの自宅工房で製作されていたので、毎日そこまで電車と徒歩で通っていました。駅から歩いて30分、私が歩いているのを見て村の人が車に乗せてくれたこともありました(笑)

———昔からこういうものがお好きだったんですか?

お寺など古いものを見るのが昔から好きだったんです。工芸がたくさんある奈良や京都で、見るだけでも楽しかったんですが、自分の手でつくってみたいという気持ちが湧いてきて。そんなに簡単なことではないと思ったけれど、どうせやるなら!と思い、大学を出てから欄間(らんま)などの仏具彫刻などを学ぶ学校に行きました。

一刀彫は最初は自分の仕事として意識はしていなかったんですが、地元奈良でそういう仕事があると知って、彩色されていることにも興味があったのでやりたいなと思ったんです。

———先々代から先代、そして現在と、ずっと同じ形や色のものをつくり続けてらっしゃるんですか?

基本的なデザインや大まかな形は引き継いでいるけれど、全く同じというわけではなくて、少し彫りを変えたり、彩色を変えたりということはしています。弟子時代、やはり思うように自分が上達できなかったときは、はがゆくて。自分が向いているのかいないのかということで悩んだりもしました。

弟子が私ひとりだった分、先代にとても手をかけてもらっていて、それがありがたくもあり、プレッシャーを感じた時期もありました。神泉の名をもらい受けてからは、いいものをつくるために日々自分に必要なことを考えて、力を蓄えています。

好きなものを仕事にするというのは、簡単なことではないと思いますが、好きだからこそ頑張れるというのもまた真だな、と感じながら「誠美堂」の工房を見せていただきました。

若い職人さんがたくさん、一刀彫の工房を拝見

工房の戸をあけると、早速職人さんたちが作業をされていました。しかも皆さんお若い!

「上の方の年齢が高くなっているけれど、その下の職人さんがいなくて。若い世代に繋いでいかないといけないなと思っています」と、神泉さん。

作家・祐誠(ゆうせい)さん
ちょうど五月人形を彫ってらっしゃった作家・祐誠(ゆうせい)さん。祐誠さんの段飾り雛もまた人気です

彩色の職人さん
こちらは彩色の職人さん。彫りと彩色は分業されているのだそう。神泉さんの段飾り雛の彩色も行います

小さな人形が並ぶ姿
効率を考え、同じ人形をまとめて彩色するのだそう。小さな人形が並ぶ姿、なんとも可愛らしいです

彩色に使う岩絵の具
こちらは彩色に使う岩絵の具

神泉さんは、普段はご自宅の工房で製作されているそうですが、最近は新しい職人さんを教えるためにこちらに来てらっしゃるのだといいます。新しいデザインを考える時も、彩色の方と直接話してイメージを伝え、一緒に作りあげるのだそう

「まだまだ勉強することがいっぱいです」と、1年目の職人さん
「まだまだ勉強することがいっぱいです」と、1年目の職人さん。とても小さな「立ち雛」を彫ってらっしゃいました

神泉さん。机に固定されたあて木を使って、彫ります
神泉さん。机に固定されたあて木を使って、彫ります

2体の頭同士をつなげた状態で彫る
こちらはお雛様ですが、小さいのではじめは2体の頭同士をつなげた状態で彫るのだそう

木はヒバを使うことが多い
木はヒバを使うことが多いのだとか。色が白く彩色も映えるといいます

お内裏様とおひな様
お内裏様とおひな様。丸い頭の部分をよく見ると、手数の多さを感じます

彫刻刀はたくさんのサイズを使い分けます
彫刻刀はたくさんのサイズを使い分けます。幅の違うたくさんの平刀。三角刀も角度がいろいろ。能面を彫る時に使う、柄の長い鑿(のみ)を使うことも

特小サイズの段飾り雛
こんなに小さな特小サイズの段飾り雛も。お家の棚の上にちょこんと飾ることができそうです

名を継ぎ、ブランドを守るという想い。

百貨店などで、実演をされることもあるという神泉さん。お客さんの反応を直に感じられるのは嬉しい機会だといいます。以前、先代の作った神泉の作品を修理のために持参された方がいらっしゃり、神泉という名が長く続いてきたという実感がわいたのだそうです。

「神泉は、私だけで作っているものではなく、彩色する方や、箱をつくる方、販売してくださる方まで、みんなで作っているものだと思っています。そして、先代や先々代も含めると、神泉という名、ブランドに関わる方はほんとうにたくさん。誰が欠けても続かないものなんです」

名を継ぎ、ブランドを守るということ。これからは、伝統を守りながらも新しいものが作れたら、とおっしゃる神泉さん。「現代の感覚も取り入れて、それが受け継がれていくものになれば。100年後の人たちに私たちの作ったものが見てもらえるかもしれないんです」

大切な想いをもってつくられている、奈良一刀彫の段飾雛。100年後にも神泉さんの作品がのこり、あらたな神泉さんがまた、この伝統をつないでいることを願ってやみません。

<取材協力>
株式会社 誠美堂
奈良市六条1丁目14-17
0742-43-4183
http://www.hina-ningyou.com

文・写真:杉浦葉子

※こちらは、2017年3月3日の記事を再編集して公開しました。

【デザイナーが話したくなる】麻デニムパンツ


そういえば、なぜ、麻だけのデニムはなかったのか?

デザイナーの河田さんに、麻でつくるデニム生地の難しさを聞きました。

「デニムの定番は厚みのある生地です。あれは目を詰めて織っているからしっかりとした生地になるんです。 一方で麻糸は柔軟性がなく、糸にフシがあったり太さにムラがあるため、なかなか目を詰めて織れません。 扱いの難しい素材なんです。仮に目を詰められたとしても、ムラの出やすい糸なので隙間ができたり、 織り上がっても厚みが足りなかったり。織るスピードもゆっくりにしなければいけないから、 大量生産にも向きません。
だからこそ、綿のようにしっかりした生地感の麻のデニムは、今までなかなか世の中になかったんですよね。」



しかしながら、麻生地は、吸水、吸湿、速乾性に優れているのが魅力。
もし、麻だけのデニムが実現できれば、夏場のように汗をかきやすいシーズンでも、 さらりと着られるものが出来上がると考えました。



さらに、綿には無い光沢感も、麻生地の特長。

「カジュアルになりすぎないので、年齢を重ねても長く履けるデニムになるはずと思いました。」
世代を選ばず、軽やかに日々を楽しみたい人に勧められる一着になるという確信がありました。




試作を重ねる中で、大切にしたのがほどよい「ワーク感」。
「麻100%の生地で試作してみても、いわゆる一般的な麻のパンツのようになってしまったりして。
ちょっと柔らかすぎたんです。
麻らしい柔らかな風合いは残しつつ、日常的に履いてもらうには、しっかり目が詰まった丈夫さも欲しい。
これ、という生地にはなかなか出会えませんでした」


そんな折、河田さんが生地の展示会で出会ったのが、明治30年に創業以来、滋賀県の近江湖東産地で、
4代に渡って麻を織り続ける「林与」さんでした。



「展示会にデニムの生地を一つ出していらっしゃったんですけど、本当に麻だけで織っているのかな?
と思えるくらい目もしっかり詰まった、まさに『デニム生地』だったんです。」

麻のデニム生地を織っているのは「シャトル織機」という織機。
糸を織物にするための機械(織機)の中でも、古くから使われていたシャトル織機は、
現代的な織機に比べてスピードが遅く、生産性の観点では劣ります。
いずれ時代の波に消える機械となるはずでしたが、その「ゆっくり」とした動作こそが、
切れやすい麻の糸とも相性が良く、目を詰めて丈夫に織ることができるんです。



一日に織れる速度はゆっくり。
織り始める前にも、織り始めてからも、糸の様子を見ながら調整を繰り返す。
ただ、あきらめずに、完成形を追求し続ける──職人としての意気込みがあるからこそ、
いまだかつてないほどの麻デニム生地が生まれていたんです。



実際に履くと、通常のデニムとの違いはすぐにわかります。
軽くてやわらかながら、しっかりとした厚みもある。デニムとしての安心感もありつつ
さらっとした肌触りは、大人に嬉しい履き心地。
最初からやわらかくて、くたっとした生地感がこなれた感じを醸し出してくれます。
最近デニムを履かなくなったなという、大人の女性にも履いてほしい1本です。

【対談】山口周×千石あや「100年先の未来のために、今、中川政七商店ができること」

2019年8月1日、ある人が中川政七商店の社外取締役に就任しました。

独立研究者・パブリックスピーカーで、ベストセラー『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』等の著書で知られる、株式会社ライプニッツ代表の山口周さん。

インディペンデントリサーチャー、著作家、パブリックスピーカーの山口 周氏
山口周さん:1970年東京生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーン・フェリー等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発に従事した後、株式会社ライプニッツを設立。株式会社中川政七商店、株式会社モバイルファクトリー社外取締役。一橋大学大学院経営管理研究科非常勤講師。著書の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』は2018年度HRアワード最優秀賞、ビジネス書大賞準大賞を受賞。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。

7月に刊行された『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』も話題に。書店で見かけた、手に取ったという方も多いかもしれません。

ビジネスの文脈で経歴や活動を語られることの多い山口さんですが、実は、暮らし方や生活を共にする道具を、とても大切にされているそう。

電撃的な社外取締役就任には、どんな背景があったのか。

これから中川政七商店はどう変わってゆくのか?

山口さんが考える、これからの日本の暮らしのあり方とは。

話題は会社の枠を超えて、日本の工芸全体や、社会の未来像まで。

社外取締役へのオファーを「直感で決めた」という14代社長の千石あやと、「就任は、自身の封印していた部分の解放につながる」と語る山口さんの、対談の様子をお届けします。

就任前の、中川政七商店の印象

山口:「今回の社外取締役就任の話をSNSで報告したら、圧倒的に女性からの反響が大きかったですね。

『前から好きなんです』とか『あのお店のルームフレグランスを愛用しているんですよ』とか。みんなお気に入りのアイテムがあるみたいなんです」

千石:「嬉しい。ありがたいですね」

山口:「実は僕自身も、空間の香りや家の中に置くものは、とても気にします。

これは母に似たのだと思いますが、例えば母は、スーパーで買ってきたお惣菜でも、ちゃんとお皿に移して食べましょう、というような人で。

そういう環境に育ったからか、子どもの頃から空間の中のものに違和感があると、とても嫌な、落ち着かない気分になりました。

友だちの家に遊びに行っても、なんでこんな変な家具を置いてるんだろうと思ったり。もちろん、口には出しませんけどね (笑)」

現在は「もっと潤いのある生活を」と出身地の東京から神奈川県の葉山に移住。お住まいも、好きな北欧の家具をベースに木の内装で統一するなど、暮らしのあり方をとても大切にされている山口さん。

改めて気づいたことがあったそうです。

山口:「実は中川政七商店のアイテムって、うちのような『和』ではない空間にも合うんですよね。

例えばこれまで『伝統工芸』という言葉の周りにあったような、敷居の高さや抹香臭い感じがない。

モダンな空間にも合う日本の工芸品というところに、間口の広さというか、懐の深さみたいなものを感じます」

「資本主義って基本的には、求められるものであり続けないと世の中から『要らない』と言われてしまう。中川政七商店は、まさにそこにチャレンジしているんだなと。

ここ50年ほどの『安くて便利なものがいい』という風潮の中で、丁寧で素敵なものが市場から退場させられる現実を苦々しく思っていたので、中川さん(13代中川政七。現会長)のインタビュー記事などを読むたびに、すごく共感していました」

千石:「ありがとうございます。

今のお話がまさに、私がなぜ周さんに社外取締役のオファーをしたかと繋がってくるなと思いました」

山口さんを親しみを込めて周さんと呼ぶ千石が、社外取締役の打診をしたのは、実は山口さんに初めて会ったその日のこと。

誰にも相談せず、「この人だ」と確信して声をかけたという胸の内には、2018年に社長に就任してから少しずつ感じてきた、問題意識がありました。

日本の工芸が元気になると…?

千石:「社長に就任した時に、全社員に『いいものをつくり、世の中に伝えることに改めて向き合っていこう』という話をしました。

先代の中川が築いたブランディングの力で、他社さんの経営のお手伝いもできるようになった今だからこそ、世の中に胸を張れる、自分たちらしいものづくりを積み上げるべきだと。

そこで考えたのが、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンになぜ?を加えることでした」

「なぜ、自分たちは工芸を元気にするのか。全員が持っているはずの動機を言語化できれば、ひとつのチームとしてつくり伝えるに取り組む、強いエンジンになるのではないかなと。

結果たどり着いたのが『私たちには残したいものづくりがある』という答えです」

毎年社員全員に配られる「中川政七商店 心得」の1ページ。2019年度版には、ビジョンの下に「なぜ?」を示す1文が加わった

「交代からちょうど1年ほど経った、今年の新年の社長挨拶で発表しました。自分達がなぜ今の仕事に取り組むのか、もっとビジョンを自分に引寄せたかったんです。

ただ、社内で言い続けていくうちに、まだ足りない、と感じられてきました。

今度は『残したいものづくりが残ると、未来はどう良くなるんだろう?』を、社内に限らず外に向けても、きちんと示す必要があるんじゃないか、と思うようになったんです」

そんな意識を持って千石が山口さんと初対面を果たしたのは、奈良でのこと。

現在、奈良のサッカークラブ「奈良クラブ」の代表を兼任する会長の中川が企画した「N.SEMINAR」という学びの場に、山口さんがゲスト講師として登壇した日でした。

千石:「もちろん以前から周さんのことは本も読んで存じ上げていましたが、セミナーで語られた言葉に改めて胸を打たれました」

それは『これからの時代は、役に立つことより意味のあることを』という言葉。

「講演で改めて伺ったときに、『あなた達のやってきたこと、やっていくことは何らか意味がある』と、社外の方から初めて言っていただいたような気持ちになったんです。

後の懇親会でサインをお願いしながら、周さんにも直接『勇気が湧きました』とお伝えしました」

そして湧いた勇気そのままに出てきた言葉が「社外取締役になっていただけませんか」。

千石:「普段なら簡単にお会いできない方が、お声がけすれば会話できる距離にいらっしゃる。

ならば少しでも、とドキドキしながらお話しするうちに、そのまま誰にも相談せずにオファーしてしまいました。

そうしたらぜひ前向きにってその場で仰って頂いたので、本当に!?って逆にびっくりしたくらいです (笑)」

千石の決断の背中を押したのは「直感」だったと言います。

千石:「自分たちが残したいと思うものづくりや工芸が、残っていくことによって何がどうなっていくのか。それにどんな意味があるのか。

周さんと一緒なら、自分たちだけではたどり着けないようなところまで深く広く、描いていけるんじゃないかと直感的に思ったんです。

その後何回かお会いする中で、先ほどのお母様のエピソードのようなバックボーンを伺って、あの日の直感が改めて腑におちた思いがしました。

周さんが本の中で書かれてきた『美意識』は、ずっと昔からご自身の暮らしの中にお持ちだったのだなと感じています」

山口:「そうですね、子どもの頃は、祖母から『しゅうちゃんは感性豊かだから、感性を生かした仕事がきっといい』なんて言われていました。

でも実際に働いてきた外資系の戦略コンサルティングファームって、感性は一個も要らないんですね (笑) 。徹底的に数字とロジックの世界ですから。

祖母の言葉がずっと頭に残りながら、仕事上では封印してきたのが感性の部分でした。

今回の社外取締役のお話で、やっと感性で世の中に価値を提供している会社のお手伝いができるなと、自分としてはすごく大きな意味を感じています」

なぜ「やっと」なのか。実は今、企業が「感性で価値提供」するのはとても実現しにくい状況なのだと、山口さんは語ります。

ここから話題は、企業の「美意識」の話へ。そもそも感性や美意識って、なんなのでしょうか?

企業の美意識とは?

山口:「今多くの企業の商品やサービス開発は、感性ではなく『確かに成功するはず・売れるはず』というエビデンスありきで動いています。

はじめは1人の担当者の「これを作りたい」という思いからスタートしたプロジェクトでも、消費者テストなどを繰り返して、結果に合わせて中身を変えていく。

そのうちに誰も欲しくない、魂を失った商品ができてポシャるというケースがよく起きるんです。

例えば、感性で価値を提供している業界があるとするとゲーム会社。

ゲームって本当に何がヒットするかわからないので、エビデンスが取れない。だから担当者が『面白い、絶対出したい』と本気で思ってるものが社内で残るんです。

つまりゲーム会社の場合は、何を面白いと思うか、がその企業の美意識になってくるわけですね」

ーーでは、中川政七商店の美意識とは?千石社長はどう思いますか。

千石:「そこがうちの場合、まず『日本の工芸を元気にする!』というビジョンなんですよね。

ただ、もうちょっと分解したい。元気になることによって何が良くなるのか?その先にはどんな豊かさがあるのか、そこを見据えたい、というのが、今回の周さんへのオファーにもつながる課題意識です」

それは、どこまで言葉で表すかがまず問題ですね、と山口さんが応えます。

言葉にできない、でもうちらしい

山口:「全てを言い尽くすことはできないし、言い尽くしたらたぶん嘘になって、かえって新しく入ってきた仲間をミスリードしてしまう。

中川政七商店の美意識も、相当言語化が難しいと思っています。

どういうものが素敵で、どういうものが中川政七商店らしくないか、それは『見て』もらうしかないんじゃないでしょうか」

ーー見る、とは?

山口:「例えば個別の商品のひとつひとつに、これはうちらしい、この部分はちょっと違うから見せ方を変えようとか、そういう判断を重ね合わせた時に、自ずと立ち上がってくる『なんとなく中川政七商店らしい』という感覚を、分かち合うこと」

「これは人工知能で言うディープラーニングなんですが、本当に強い組織には、そういう感覚知、非成文憲法があると思います」

千石:「なるほど。うちでいうと、まず言語化できている部分としては、こころばという社員の行動指針があります」

正しくあること、誠実であること、など社員の行動指針をまとめた「こころば」

「一方で『中川政七商店らしさ』は、まだ完全には言葉になっていません。

でも今のお話を伺って、思い出したことがあります」

そう千石が回想するのは、来年3〜5月に店頭に並ぶ新商品の「ファーストチェック」の場面。各デザイナーが、担当した新商品を社内で最初にプレゼンする場です。

「テーブルに並んでいる商品の顔が、どれもすごくよかったんです。

言いようのない、でも間違いなくこれはうちらしい商品だと思える力強さがありました」

千石:「ずっと『工芸が元気になると何がいいのか?』を言語化しないと、と悩んでいましたが、もしかしたらそういう『圧倒的にうちらしいもの』が、言葉の代わりになってくれるかもしれませんね」

山口:「そうですね。ものを持って語らしめることは、とても大事だと思います。

ただそれだけだと、ちょっともったいないかもしれません」

というのも‥‥と、山口さんが語ったのは、世界で起きているある「変化」のエピソードです。

製品やサービスだけでなく、企業の美意識が評価される時代へ

海外では、提供する製品やサービスだけでなく、企業の「美意識」と、そこに基づいた活動そのものを評価する消費者の姿勢がすでに定着しつつある、と山口さんは指摘します。

山口:「典型例がブルネロクチネリというイタリアのファッションブランドです。

イタリアは毛織物の産地として有名なんですが、最近は職人も毛織物の牧場そのものも少なくなってきています。

ブルネロクチネリはそんな産業を守るために、牧場も、そこでとれた毛糸を紡ぐ職人も、丸ごと自分の会社で引き取ってものづくりをしているんです。

それでいて製品にはブランドを示すロゴマークがない。

そういう奥ゆかしさも含めて支持されて、今パーティーに着ていくと一番イケてるブランド、と言われています。

企業が提供するサービス以上に、企業の活動そのものに賛同してお金を出すという消費の典型例だと言えますね」

そこに山口さんが引き合いに出したのが、毎年8月に中川政七商店で開催される、全社員参加の社内研修「政七まつり」で流れた、ものづくり現場の映像でした。

私の知らない、工芸の世界

山口:「あれは、ここ数年見た中でもっとも脳に刻み込まれた映像でした。きっとなかなか古くならない動画だと思います。

ふきんだって手ぬぐいだって、多くの人が機械ですぐできるでしょって感覚だと思うんです。

でも実際は人の手で何度も工程を踏んで作っていることが、映像を見るとよくわかる。

映し出されているものづくりの現場って、多くの人にとっては完全に『私の知らない世界』なんですよね。

それをビジネスとして成立させて残していこうという活動は、多くの人が深く共感するはずです。もっと世の中に伝えた方がいい。

ものをして語らしめるのは大前提として、あの動画のように取り組み自体を伝えていくことも、これからどんどん社外に向けてやっていった方がいいと思います」

宿題が一つ、決まったところで、そろそろ対談も終盤です。

まだ、間に合う

ーー最後に、これから中川政七商店の活動に加わっていく中で、山口さんが取り組んでみたいこと、「こういう未来を目指したい」というビジョンをお聞かせください。

山口:「ここ数年で、東京駅前の広場が整備されて劇的にきれいになりました。この先、日本橋の上を走っていた首都高もついに外されることが決まっています。

どちらも特別便利にはなりません。でも美しくなる。国が少しずつ、空間や街を美しくすることにお金を出すようになってきたということです。

東京駅前は夕景がとても美しいんですよ。通りがかるたびに、『なんだ、やればできるじゃないか』って思います (笑)」

「これがもし一軒一軒の家や部屋の空間だとしたら、その佇まいを決めるのは、暮らしている人自身です。

暮らしに使う道具や空間に置くものに何を選ぶのか。それを少しでも好ましい、潤いのあるものにしようと思う人が増えていくと、周りに波及して、世の中全体の変化につながっていくと思います。

そしてそれには、ものを作る人や技術が残っていくことが必要です。

今、アメリカでは日本の大工さんと同じようなことができる人って、もういないそうなんです。

プレファブリケーションの、便利で安い建物を建ててきた後ろでクラフトをできる人が減り続けて、最終的には絶滅するところまで行ってしまった。

わずかでも残ってればなんとかなる可能性があるけれども、絶滅状態ではもう作れません。

でも日本は、今ならまだ間に合う。それを次の世代に渡していくことが、今生きてる私たちの責任なのではないかなと思っています」

千石:「そうですね。いわゆる工芸品って生活になくても困らないから、なくなると取り戻すのがとても難しいジャンルだなと思います。

私たちがお付き合いのある中だけでも、作れる人があと1人、というものづくりがたくさんあります」

山口:「持続させていくためには、まず社会の中での職人の地位向上が大きな課題ですね。日本は地位が低すぎます。

自動車デザイナーの方に聞いたのですが、アルファロメオやフィアットといった自動車メーカーが多いミラノでは、クレイモデラーという仕事が花形職業だそうです。

図面をもとに車の完成形を立体物におこす職人で、トップクラスの人だと、年収が3000万以上。若い子が将来の夢として語るような職業です。

一方の日本ではあくまでメーカー内の仕事の一部で、知っている人も限られます。

日本の職業選択はまず大学受験があり、就活ではみんなが大企業を目指し、社会人になれば企業の序列の中で、勝ち組、負け組という世界で生きる。とても画一的です。

もっと多様性が必要だと感じますし、その選択肢の中に、憧れの職業として職人が挙がる未来が、あっていいと思います」

千石:「強く共感します。今、中川政七商店は『100年後に日本が工芸大国となっている』ことを大きな目標に掲げているのですが、実現には職人さんが『自分の仕事に誇りを持って経済的に自立していること』が欠かせません。

じゃあ、そういう未来が暮らしている人にとってはどう良いのか。どう豊かなのか。

それは私たちが声高に提示するものではなく、使う方に感じてもらうもの、後からついてくるものなのだなと、今日のお話を伺って思いました。

そのために今必要なのは、私たちが大事にしたいのはこういう世界だ、という中川政七商店がやっていることの意味を、ものを通じてきちんと伝えていくことですね。

ではそれがどういう『もの』なのか、どうやって伝えていくのかを、これから周さんと一緒に、広く深く考えていきたいです」