武将の鎧を再現し続ける「江戸甲冑師」の作業場を覗いてみた

もうすぐ5月5日の子どもの日ですね。日本では端午の節句として、男子の健やかな成長を祈るためさまざまな行事を行う風習があります。また、端午の節句はこの時期に盛りを迎える菖蒲から、菖蒲の節句とも呼ばれています。

「菖蒲(しょうぶ)」は武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と音が同じであることから、端午の節句は武家の間で盛んに祝われるようになりました。次第に庶民にも広まり、華やかな人形や兜を飾るようになったのは、武家社会から生まれた風習だからです。

自分の身を護る大切な道具だからこそ、事故や病気から大切な子どもを守ってくれるように、健やかに育ってほしいという願いも込められているのです。

加藤さんが製作した兜たち
加藤さんが製作した兜たち

今回は、端午の節句に飾る兜(かぶと)や甲冑(かっちゅう)を製作する江戸甲冑師・加藤鞆美(ともみ)さんの作業場に伺い、お話を聞いてきました。加藤さんは平安時代から江戸時代までの兜を製作。他に製作できる職人が見当たらないほどの完成度だといいます。

兜は子どもたちがすくすくと育ってほしいという想いが込められています
兜は子どもたちがすくすくと育ってほしいという想いが込められています

全国行脚をしながら甲冑製作の研究を重ねる

加藤鞆美さんは1934年、東京都北区に生まれ、父である初代・加藤一冑のもとで、甲冑製作の修行を積みました。一冑が全国行脚して集めた甲冑の資料を裏付けるために、自ら博物館、展示会、神社、仏閣に足を運んで研究を重ねています。

「京都の博物館に甲冑展があると、2日は通いましたね。甲冑を見ながら絵を描くんです。写真は絶対禁止。草摺(くさずり:甲冑の胴の裾に垂れる部分)は何枚あるのかなどを確認するわけです。すると、警備員に注意される。甲冑師という存在を知らないから、身分を明かしてもわかってもらえなくて」と加藤さんは振り返ります。

一度見ても納得いかなかったら、もう一度見に行くことも。かつては手に取って触れられたそうですが、自治体が買い取ったり、国宝などに認定されたりする物が多く、ガラス越しでないと、実物を確認できないことが多いのだとか。

その苦労も乗り越えながら、加藤さんは江戸甲冑を作り続けています。

江戸甲冑師の加藤鞆美さん
江戸甲冑師の加藤鞆美さん

江戸甲冑と京甲冑の違いとは?

鎧(よろい)や兜は製法の違いによっていくつかの種類に分かれますが、代表的なのは「江戸甲冑」と「京甲冑」です。

江戸甲冑は、武家社会で生まれて発展したものなので、重厚かつ力強い雰囲気が特徴です。加藤さんのような江戸甲冑師は歴史を紐解きながら、使う皮一枚でも当時と同じものを用い、忠実に再現。現物をミニチュア化しているので、実際に着られるような構造になっています。

これに対を成すのが「京甲冑」。京都の貴族社会の中でを出自に持つため、飾ることを目的にしており、金属を多用した華やかな雰囲気が特徴です。西陣織や組紐、箔押しなど京都の伝統工芸が随所に散りばめられています。

雅の京に武骨の江戸。土地柄が作品にも現れているのですね。

精巧に作られている江戸甲冑の胴丸
精巧に作られている江戸甲冑の胴丸

時代によって異なる甲冑の内容

土地だけでなく、時代によって甲冑の内容も変化しました。

「鎧で一番に派手なのは、鎌倉時代の末から室町時代中期くらいのものですね。着るためではなく、奉納するために作られたからで、紐も柄も派手で艶やかなものが多いのです」

戦いの歴史は、武器の歴史でもあります。弓矢から刀、槍、そして鉄砲の時代がやってきます。武器が強くなるにつれ、身を守る鎧も強固になっていきました。しかし、徳川の時代になると戦いがなくなります。それでも、男子が生まれると兜や鎧を必ず作りました。この時期から「男の子に健やかに育ってほしい」という願いが込められるようになりました。

たとえば、徳川将軍15代にわたる兜にはほとんど変化が見られません。それでも、時代の流行があるのでしょうか。紐の色が違ったり、ときには熊の毛をあしらったものもあったそうです。

「徳川の時代は紐の色がどれも地味なんですね。どの時期も倹約をしていたからなのでしょうか。ちょっとわかりませんが」と加藤さんはニコリと笑います。

兜一つとってもさまざまな細工がなされています
兜一つとってもさまざまな細工がなされています

甲冑は武将によって性格が出る?

甲冑は時代によっても変化しますが武将によっても違いが表れます。

「兜の頭のてっぺんには“八幡座”という穴があるのですが、織田信長の場合は織田木瓜という家紋が5つも散っていました。信長は全体的におしゃれですね」と加藤さん。

豊臣秀吉はどうなんでしょうか。

「秀吉は派手ですね。でも七騎の鎧といって影武者用にもほとんど同じものを作らせているんですよ。それなのに胸に描いた竜の向きが違うとか、片側の花だけ銀の蒔絵がしてあるとか、ほんのちょっとだけ違う」

徳川家康の場合はどうでしょう?

「派手派手しい鎧はないですね。何両もの金を持ち歩いていたので、兜は重いものにしていませんでしたね」と加藤さん。実用本位の家康らしい一面が見えます。

戦国武将にとって、兜や鎧は身を守る武具であると同時に、自分自身の表現でもありました。生と死が相まみえる戦場で、いかに運を引き寄せることができるか。兜や甲冑は武将の矜持や信仰、意志が込められているのです。

ミニチュアには嘘も必要?

兜や甲冑を作るには、金具や漆などさまざまな技術を使わなければなりません。甲冑作りとはいわば総合芸術なのです。

ミニチュアにするとなると、技術的にはもっと難しくなります。5日かかって、胴丸の紐だけを通し終えることもあるそうです。

「縮尺通りに作ろうとするとバランスが悪くなってしまうんですね。どこかで嘘をつかないと。兜や鎧ではないけれど、例えば、奈良の大仏の頭にあるブツブツ……あれは“螺髪”という丸まった髪の毛で、てっぺんと前の大きさが違う。頭頂部を大きくしないと、遠近法の関係で同じように見えなくなるわけです」と加藤さん。

嘘をつくことでバランスが保たれる。細かい工夫が凝らされています。

小さな穴に組紐を通していきます
小さな穴に組紐を通していきます

作業場には昔ながらの道具たち

作業場にもお邪魔致しました。さまざまな道具が並んでいますが、いずれも年季の入った優れものばかりです。

作業場のどこに何の道具があるか、全て把握しています
作業場のどこに何の道具があるか、全て把握しています

「今のハサミは切れないんですよ。昔は鍛冶屋が手で作ってましたが、今のものは、機械造りで焼きが変に硬いんです。硬すぎちゃって、鋲の足を切ったりすると欠けちゃうんですよね」と加藤さんは首をかしげます。

使い込まれたハサミたち
使い込まれたハサミたち

「これはね17歳の時に買ったカナヅチなんだけど、中は軟鉄で口の部分に5㎜くらい鋼が貼ってあるんですね。音がまるで違うの。今のものは全部が鋼鉄で、硬すぎちゃって、叩くとハネちゃうの」

使い込まれたカナヅチたち

昔ながらの道具がなくなっていると同時に、その道具を使う職人も少なくなっているそうです。

火起こしのような道具で穴を開けます。両方向からの回転が加わり、力加減が調節できます
火起こしのような道具で穴を開けます。両方向からの回転が加わり、力加減が調節できます

背中を見ながら仕事を覚える

加藤さんは父の背中を見ながら仕事を覚えました。

「父親が使っていた、少しキレづらくなったヤスリとかが回ってくるんですよ。『それで同じように作れ』と言われるんです。それで父親がいなくなったときに、どんな道具を使っているのかなと見てみると、はるかにキレるんですよ。それから負けるもんかと。父親が作らなかったものを作るようになりました」

負けず嫌いで勉強家な職人は、道具から細部までこだわり抜き、今では彼にしか作れない江戸甲冑を仕上げています。今なお研究を続けているその姿に頭が下がりました。

笑顔でお話をしてくださった加藤さん
笑顔でお話をしてくださった加藤さん

<取材協力>
加藤鞆美
東京都文京区向丘2-26-9
03-3823-4354

文:梶原誠司
写真:mitsugu uehara

【わたしの好きなもの】 中川政七商店の楽ちんトップス

家だけど部屋着はNG!

思うように外に出られず、お家でテレワークをしている方も増えてきました。職場ではデスクがあり、パソコンがあり、近くには先輩や上司もいて、やっぱり家とは環境が違って「お仕事」スイッチが入ります。ふだん「くつろぎの場」だった家でお仕事をするとき、みなさんはどんな服装をしていますか?

ついつい楽な部屋着を選んでしまいたいところですが、お仕事中はリモート会議や打ち合わせなど、パソコンのカメラ越しに相手に自分の服装が見えてしまいます。家に居ながらちょっと窮屈なシャツやブラウスを着ているのも居心地が悪い。でも、部屋着だとだらしなく見えて生活感たっぷり。
そんなときにさっと着られて、だらしなくならない、でも着ていて楽ちんなトップスがあると便利です。

肌で着るコットンカシミヤのニットTシャツ

「さっと着られて、だらしなくならない」ポイントは、バサッとかぶって着られるプルオーバーを選ぶこと。ネックラインはあまり広くない、少し詰まったデザインのものを選ぶとだらしなく見えません。「着ていて楽ちん」のポイントは、身幅がゆったりしたもの、薄手のニットやカットソーなど伸縮性のあるものを選ぶと着心地もよく、アイロンなどのお手入れもいらないので、気軽にローテーションで使うことができます。

STAMP AND DIARY 前身頃刺繍ビッグTシャツ ヴォイクッカ

でも油断してはいけないのが、宅配や郵便物の受け取りを知らせる不意のインターホン。トップスは出かけても恥ずかしくないものだけど、ボトムスが部屋着、スウェットなんてことも…
急な訪問にも慌てず対応できるボトムスも欠かせません。そんなときにおすすめなのが「もんぺパンツ」です。

シアサッカー生地のもんぺパンツ

ウエストと裾はゴム仕様、腰回りはゆったりとしたデザインで立ち座りが楽なのがうれしいポイント。長時間履いていても窮屈感なく過ごせます。新作の「シアサッカー」「タイプライター」生地を使ったもんぺパンツは、シワが目立たず、きれいめのパンツのような上品な見た目で、急な訪問への対応も問題なし!

もんぺパンツの前ポケットは、印鑑や車の鍵、スマホやハンカチなど。使いたいときにさっと取り出すのにちょうどいい位置と大きさなんです。私は台所仕事をしているときの合間にスマホを見るのですが、そのときにポケットに入れたり、洗濯バサミをいくつかポケットに入れて洗濯物を干すときに使ったりしています。

お家での時間はゆっくりできてくつろげる服装が一番。そこにちょっぴり気の利いた日常着があると、スイッチが切り替えられて生活にリズムができる気がします。
1日の中にもメリハリをつける、私なりのちいさな工夫をご紹介しました。

<関連商品>
カットソー
もんぺパンツ

白い桜餅が嵐山名物になるまで。桜餅専門店 鶴屋寿の菓子づくり

一年を通して多くの観光客で賑わう、京都 嵐山。

古くから桜の名所としても知られるこの場所で、「桜餅」を看板商品に掲げ、長年にわたって地元の人々や観光客に愛されてきた和菓子店があります。

嵐山最初の桜餅専門店「鶴屋寿」

JR嵯峨嵐山駅から徒歩数分。観光地の喧騒からは少し離れた静かな通りに店を構える「鶴屋寿(つるやことぶき)」。

鶴屋寿
鶴屋寿

鶴屋寿 店内
店内の様子

京都の老舗菓匠「鶴屋吉信」から暖簾分けをされ、嵐山で最初の桜餅専門店として1948年に創業しました。

同店の代表銘菓「嵐山 さ久ら餅」は、桜が咲き誇る春にはもちろん、それ以外の季節にも一年中買い求める人が絶えない、嵐山の名物と言える商品です。

「嵐山 さ久ら餅」
「嵐山 さ久ら餅」

嵐山を、京都を代表する桜餅はどのようにして生まれたのか。「鶴屋寿」二代目店主 野村 紳哉さんにお話を聞きました。

料亭文化から生まれた異色の桜餅

一般的に桜餅は、朝つくってその日のうちに売り切ってしまう“朝生(あさなま)”と呼ばれる和菓子で、簡易的な包装しかされないことが多いのだとか。それを、お茶席で出されるような“上生菓子”としてつくっているのが、こちらの桜餅の特徴のひとつ。

「全国探しても、桜餅に化粧箱を用意してるのはうちだけやと思います」

「鶴屋寿」2代目店主 野村 紳哉さん
「鶴屋寿」二代目店主 野村 紳哉さん

専用の化粧箱と掛け紙を見せ、笑いながらそう話す野村さん。

このこだわりには、当時の「吉兆嵯峨支店」(現:京都?兆 嵐山本店)など、名だたる高級料亭の存在が大きく関係しています。

「嵐山 さ久ら餅」
専用の化粧箱に入れられた「嵐山 さ久ら餅」

自慢の掛け紙は、和紙に木版手刷りで印刷された特別なもの
自慢の掛け紙は、和紙に木版手刷りで印刷された特別なもの。原画を手がけたのは、嵐山にゆかりのある絵師「山本紅雲(こううん)」。鮎を描かせたら天下一品と称されたそう

現社長の先代が、吉兆グループの創業者 湯木貞一氏と懇意にしていたこともあって、吉兆などの料亭から注文を受けるようになった鶴屋寿。

「料亭からお客様がお帰りになるときに、手土産としてお渡ししていたんです。やはり吉兆様などのお客様が相手ですから、変なものはつくれないので、とにかく一所懸命に頑張っていました」

料亭の手土産としての格を損ねないように、専用の化粧箱が用意された桜餅。当然、品質の部分でも様々な工夫が凝らされていきます。

二種類の道明寺が生む究極の舌触り

鶴屋寿の桜餅に使われているのは、道明寺(どうみょうじ)と呼ばれる素材。もち米を一度蒸してから乾燥させて、細かく砕いてつくられます。

道明寺
道明寺

「よく、長命寺(ちょうめいじ)とどうちゃうの?と言われます。長命寺はブランド名で、道明寺は材料名。昔大阪に道明寺というお寺があって、そこで一番最初につくられたいわゆる保存食です。30分ほど舐めていると、柔らかくなって膨らんできます」

豊臣秀吉の時代、戦時には竹筒に入れて持ち歩き、空腹時に水を入れてふやかして食していたとも言われる道明寺。

関西風の桜餅によく使われますが、通常は一種類だけ。鶴屋寿では細かいものと粗いもの、二種類の道明寺を組み合わせて使用。それによって独特の舌触りを生み出し、その食感と餡との絶妙な取り合わせを実現しています。

2種類の道明寺を組み合わせ、絶妙の舌触りを実現している
二種類の道明寺を組み合わせて使用している

道明寺に使用しているもち米は、特定の産地にこだわらず、日本全国からその時々で良いものを選んでいるとのこと。

「国産のものを使うことは徹底していますが、産地はその時々によって変わります。どこのお米を使っても、どんな気候であっても同じ品質が出せるように調整しています。

難しいのは、乾燥した道明寺を戻す際の水の配合で、同じ品質に調整できるようになるには、10年は修行が必要です」

一種類でも難しい水の調整。当然、二種類の道明寺を使うことでより難しくなりますが、そこにこだわってこそ鶴屋寿の桜餅であると、先代の頃からの製法を守り続けています。

一年中楽しめるように。白い桜餅がうまれた理由

化粧箱もさることながら、その見た目でまずほかと違うのが、桜餅といいながら“白い”こと。実は、白い桜餅にするようにアドバイスしたのは、先述した吉兆の湯木氏。

白い桜餅
白い桜餅は、お茶席で懐紙に取った時にも非常に映えるのだとか

その理由はとてもシンプルで、「白くすれば一年中楽しめるのでは」ということだったそう。

「湯木氏のアドバイスを受けて、道明寺本来の色をそのままいかした色合いになりました。やっぱり一年中違和感なく提供できますし、着色料を使ってないので安心してもらえる部分もあります」

手土産にする側としても、季節感が出すぎないのでいつでも利用しやすく、通年で求められる商品になりました。

たっぷりの、2枚の葉っぱで包まれているのも特徴的。葉っぱは伊豆で採れたものを使用
2枚の葉で包まれているのも特徴的。葉は伊豆で採れたものを使用

おすすめの食べ方とは

桜餅を食べる際に気になるのが、桜の葉を取るべきなのか、そのまま食べるべきなのか。

野村さん曰く「作っている側とすれば、なるべくお取りくださいと、申し上げてます」とのこと。

一緒に食べなくても、すでに桜の葉の香りはしっかり染み込んでいるんだそう。

「葉そのものはちょっと苦味があるので、お取りいただいて、道明寺の風味、食感を楽しんでほしいなと思います」

「もちろん、お好きな方は自由に食べてください」と話す野村さん
「もちろん、お好きな方は自由にお召し上がり下さい」と話す野村さん

もちろん、葉自体も食べられるようにはなっているので、「好きな方は一緒に召し上がっていただいて問題はありません」とのことでした。

地元の人に愛されてこそ

桜餅を看板商品に!という先代の想いからスタートした鶴屋寿。

料亭での手土産のニーズが縮小したあとも、そこで定めた水準を下げることなく、菓子づくりを続けてきました。

化粧箱とは別に用意されているサービス箱も雰囲気があって素敵なデザイン
化粧箱とは別に用意されているサービス箱も雰囲気があって素敵なデザイン

鶴屋寿

「やっぱり、心からおいしいと思えるものをつくる。そして地元の方たちに認めていただかないと駄目だと思います。

観光客の方ももちろんですが、地元の方も多くご来店いただいています。地元の、京都・嵐山の名物として自信を持ってお手土産にしていただける商品であり続けたいと、日々精進いたしております」

「鶴屋寿」2代目店主 野村 紳哉さん

同じ地域に住む人たちの声を聞き、その人たちが誇りに思えるような商品をつくる。

季節を問わない白い桜餅は、これからも嵐山の名物として人々とともにあり続けるのだと思います。

3代目と2代目
3代目となる予定の娘さんと

<取材協力>
御菓子司 鶴屋寿
http://www.sakuramochi.jp/index.html

文:白石雄太
写真:直江泰治

【わたしの好きなもの】二重軍手の鍋つかみ

この商品は、大発明だと思います。


これまで、片手にミトンの鍋つかみ、もう片手にふきんを手にして、熱いものをひっくり返したこと数知れず。
忘れられない思い出といえば、夜中に思い立ってシフォンケーキを作ったときのこと。
シフォンケーキは焼き縮みを防ぐため焼き上がり直後に型ごと逆さまに返して空き瓶などの上に置いて冷ますのですが、その際火傷を恐れるあまり手元が狂い、あらぬところに丸ごとケーキを落としてしまったのでした。
衝撃でケーキはボロボロ。覆水盆に返らずならぬ、シフォンケーキ型に戻らず。。。やり場のない悔しさと共に、ひとり一夜を過ごしました。

「この軍手さえあれば、もうあんな失敗するまい。絶対この軍手でシフォンケーキを成功させる!!!」

二重軍手の開発担当者は私の向かいの席。企画の進捗をチラチラ覗き見しながら、数ヶ月前から勝手にそんな熱い思いを胸に秘めていました。
そんなことなのでいよいよケーキを作るとなるとあまりにも楽しみで、決行の2日ほど前から家で軍手をはめては家族に自慢し、魅力を語り、型を持ち上げ、イメトレしていました。

いざ作り始めると、思いがけず出だし早々大活躍。
最初のステップは卵黄と砂糖を湯煎にかけながら混ぜる工程なのですが、この軍手、熱くなるボウルをおさえるのにもちょうどよいのです。
レシピ本の手順には「軍手をはめて…」と書いてありましたが、普段からキッチンに置いてあるこの鍋つかみが軍手がわりになるなんて、なんだか得した気分です。




恐れていたオーブンから取り出す場面でも、両手が守られているのと指先が自由に動くことで、型をしっかり抱えて持ち上げられました。
無事、ケーキは空き瓶の上に着地。型の熱が手にほとんど伝わらないので、これまでよりも落ち着いて運ぶことができました。
おかげで今回のシフォンケーキは私史上最高傑作。




道具ひとつでこんなにも料理が楽しくなるとは、新発見でした。
これまで調理道具に特にこだわりのなかった私ですが、これからはおいしく作ることに加え、自分にとって使いやすい道具を見つけるという楽しみも料理と一緒に味わっていけそうです。
この二重軍手の鍋つかみは、記念すべき、私の相棒 第一号となりました。もっとおいしいシフォンケーキが焼けるよう、相棒とともにたくさん練習していきます。
 



<掲載商品>
二重軍手の鍋つかみ

編集担当 羽田

木箱に納まる小さな雛人形。女性職人がつくる奈良一刀彫の「段飾雛」

もうすぐ、ひな祭り。

私が生まれた時、段飾りのひな人形を祖父母が贈ってくれました。毎年2月のお天気の良い日には、母が押入れからおひな様の入った大きな箱を出してきて、1年しまっていたお人形に「おひさしぶりですね」と挨拶をしていたものです。

段の骨組みを組み立て、赤い毛氈をかける。おひな様に扇子を持たせたり、五人囃子に笛や太鼓を持たせたり。たくさんのお人形とお道具を眺め、小さな私にとっては楽しいひな祭りでしたが、母にとってはおそらく大変な作業だっただろうな、と今になって思います。

さて、ひな人形にも全国に色々なものがありますが、私が住む奈良には一刀彫でつくられた小さな段飾雛(だんかざりびな)があります。しかも、若い女性の作家さんがご活躍されているとのこと。お話を伺いに、早速お訪ねしました。

奈良一刀彫の小さな「段飾雛」

奈良県奈良市、唐招提寺と薬師寺のほど近くに店舗と工房を構える「株式会社 誠美堂」。ちょうど桃の節句を迎える時期ということもあり、一刀彫の段飾雛がメインに並んでいました。

さまざまなサイズの段飾り雛。小さな人形ながら色鮮やかで存在感は抜群です
さまざまなサイズの段飾り雛。小さな人形ながら色鮮やかで存在感は抜群です。

お話を聞いたのは、「誠美堂」代表の水川丈彦(みずかわ・たけひこ)さんと、この段飾雛をつくっている職人・神泉(しんせん)さん。一刀彫は各地にあれど奈良一刀彫は奈良人形ともいわれ、その起源は約870年も前のこと。平安時代の終わりごろ春日大社の祭礼で飾られたものだといわれています。

奈良の一刀彫は、金箔や岩絵の具で彩色が施されているのが特徴だそう。

一刀彫の「能人形」にも、色鮮やかな彩色が。昔は贈答用によく用いられたものだそうですが、最近は雛飾りや五月人形などの節句人形の製作が大半を占めているといいます。

今にも動き出しそうな「能人形」
今にも動き出しそうな「能人形」。美しい色合いに目を奪われますが、よく見ると一刀彫の無数の面でつくられていることがわかります

結納などの需要があった「高砂」
結納などの需要があった「高砂」も、最近ではなかなか多くは出ないそう。

そしてこちらが神泉さんのつくった段飾雛。手のひらにのせても十分あまるほど、高さわずか数センチの小さな人形に、美しい彩色が施されています。

神泉さんの段飾り雛
神泉さんの段飾り雛(中)。5段目に飾られた桃や橘の花まで、木で彫られたもの

段飾り雛のおひな様
段飾り雛(大)のおひな様。手元の扇にも細やかな彩色が。

小さいながらも5段飾りの段飾雛は、ひな祭りの世界観がここに詰まっているといえばいいのでしょうか。華やかで雅、しかもこれが一つひとつ手で彫られ、また彩色されているということにも驚きます。しかも、下の段に人形やお飾りをすべてしまうことができるのだそうで、収納に便利で実用的です。

段飾り雛
飾り棚かと思いきや、ここにお人形など全てが収まるのだそう

「一般的な大きな段飾雛は、ひな人形を飾るのに何時間もかかりますよね。しまう時もひと苦労。家族の形や暮らし方の変化で、和室がなかったりマンション住まいだったりと、なかなか大きなお雛さまを飾れないところもあるので、最近は小さいサイズのものが人気です」と水川さん。この一刀彫の段飾雛自体は、「誠美堂」創業の頃からのものだそうです。

そしてこの作品をつくっている神泉さん、とてもお若い女性の職人さんです。神泉という名は、先々代、先代から受け継いだもので、現在3代目。「誠美堂」のブランドでもあります。

3代目神泉さん
3代目神泉さん

———一刀彫をはじめてどれくらいになるのでしょうか?

先代のところに弟子入りしていた4年半を合わせると、11年になりました。先代神泉は、奈良の長谷寺のあたりの自宅工房で製作されていたので、毎日そこまで電車と徒歩で通っていました。駅から歩いて30分、私が歩いているのを見て村の人が車に乗せてくれたこともありました(笑)

———昔からこういうものがお好きだったんですか?

お寺など古いものを見るのが昔から好きだったんです。工芸がたくさんある奈良や京都で、見るだけでも楽しかったんですが、自分の手でつくってみたいという気持ちが湧いてきて。そんなに簡単なことではないと思ったけれど、どうせやるなら!と思い、大学を出てから欄間(らんま)などの仏具彫刻などを学ぶ学校に行きました。

一刀彫は最初は自分の仕事として意識はしていなかったんですが、地元奈良でそういう仕事があると知って、彩色されていることにも興味があったのでやりたいなと思ったんです。

———先々代から先代、そして現在と、ずっと同じ形や色のものをつくり続けてらっしゃるんですか?

基本的なデザインや大まかな形は引き継いでいるけれど、全く同じというわけではなくて、少し彫りを変えたり、彩色を変えたりということはしています。弟子時代、やはり思うように自分が上達できなかったときは、はがゆくて。自分が向いているのかいないのかということで悩んだりもしました。

弟子が私ひとりだった分、先代にとても手をかけてもらっていて、それがありがたくもあり、プレッシャーを感じた時期もありました。神泉の名をもらい受けてからは、いいものをつくるために日々自分に必要なことを考えて、力を蓄えています。

好きなものを仕事にするというのは、簡単なことではないと思いますが、好きだからこそ頑張れるというのもまた真だな、と感じながら「誠美堂」の工房を見せていただきました。

若い職人さんがたくさん、一刀彫の工房を拝見

工房の戸をあけると、早速職人さんたちが作業をされていました。しかも皆さんお若い!

「上の方の年齢が高くなっているけれど、その下の職人さんがいなくて。若い世代に繋いでいかないといけないなと思っています」と、神泉さん。

作家・祐誠(ゆうせい)さん
ちょうど五月人形を彫ってらっしゃった作家・祐誠(ゆうせい)さん。祐誠さんの段飾り雛もまた人気です

彩色の職人さん
こちらは彩色の職人さん。彫りと彩色は分業されているのだそう。神泉さんの段飾り雛の彩色も行います

小さな人形が並ぶ姿
効率を考え、同じ人形をまとめて彩色するのだそう。小さな人形が並ぶ姿、なんとも可愛らしいです

彩色に使う岩絵の具
こちらは彩色に使う岩絵の具

神泉さんは、普段はご自宅の工房で製作されているそうですが、最近は新しい職人さんを教えるためにこちらに来てらっしゃるのだといいます。新しいデザインを考える時も、彩色の方と直接話してイメージを伝え、一緒に作りあげるのだそう

「まだまだ勉強することがいっぱいです」と、1年目の職人さん
「まだまだ勉強することがいっぱいです」と、1年目の職人さん。とても小さな「立ち雛」を彫ってらっしゃいました

神泉さん。机に固定されたあて木を使って、彫ります
神泉さん。机に固定されたあて木を使って、彫ります

2体の頭同士をつなげた状態で彫る
こちらはお雛様ですが、小さいのではじめは2体の頭同士をつなげた状態で彫るのだそう

木はヒバを使うことが多い
木はヒバを使うことが多いのだとか。色が白く彩色も映えるといいます

お内裏様とおひな様
お内裏様とおひな様。丸い頭の部分をよく見ると、手数の多さを感じます

彫刻刀はたくさんのサイズを使い分けます
彫刻刀はたくさんのサイズを使い分けます。幅の違うたくさんの平刀。三角刀も角度がいろいろ。能面を彫る時に使う、柄の長い鑿(のみ)を使うことも

特小サイズの段飾り雛
こんなに小さな特小サイズの段飾り雛も。お家の棚の上にちょこんと飾ることができそうです

名を継ぎ、ブランドを守るという想い。

百貨店などで、実演をされることもあるという神泉さん。お客さんの反応を直に感じられるのは嬉しい機会だといいます。以前、先代の作った神泉の作品を修理のために持参された方がいらっしゃり、神泉という名が長く続いてきたという実感がわいたのだそうです。

「神泉は、私だけで作っているものではなく、彩色する方や、箱をつくる方、販売してくださる方まで、みんなで作っているものだと思っています。そして、先代や先々代も含めると、神泉という名、ブランドに関わる方はほんとうにたくさん。誰が欠けても続かないものなんです」

名を継ぎ、ブランドを守るということ。これからは、伝統を守りながらも新しいものが作れたら、とおっしゃる神泉さん。「現代の感覚も取り入れて、それが受け継がれていくものになれば。100年後の人たちに私たちの作ったものが見てもらえるかもしれないんです」

大切な想いをもってつくられている、奈良一刀彫の段飾雛。100年後にも神泉さんの作品がのこり、あらたな神泉さんがまた、この伝統をつないでいることを願ってやみません。

<取材協力>
株式会社 誠美堂
奈良市六条1丁目14-17
0742-43-4183
http://www.hina-ningyou.com

文・写真:杉浦葉子

※こちらは、2017年3月3日の記事を再編集して公開しました。

【デザイナーが話したくなる】麻デニムパンツ


そういえば、なぜ、麻だけのデニムはなかったのか?

デザイナーの河田さんに、麻でつくるデニム生地の難しさを聞きました。

「デニムの定番は厚みのある生地です。あれは目を詰めて織っているからしっかりとした生地になるんです。 一方で麻糸は柔軟性がなく、糸にフシがあったり太さにムラがあるため、なかなか目を詰めて織れません。 扱いの難しい素材なんです。仮に目を詰められたとしても、ムラの出やすい糸なので隙間ができたり、 織り上がっても厚みが足りなかったり。織るスピードもゆっくりにしなければいけないから、 大量生産にも向きません。
だからこそ、綿のようにしっかりした生地感の麻のデニムは、今までなかなか世の中になかったんですよね。」



しかしながら、麻生地は、吸水、吸湿、速乾性に優れているのが魅力。
もし、麻だけのデニムが実現できれば、夏場のように汗をかきやすいシーズンでも、 さらりと着られるものが出来上がると考えました。



さらに、綿には無い光沢感も、麻生地の特長。

「カジュアルになりすぎないので、年齢を重ねても長く履けるデニムになるはずと思いました。」
世代を選ばず、軽やかに日々を楽しみたい人に勧められる一着になるという確信がありました。




試作を重ねる中で、大切にしたのがほどよい「ワーク感」。
「麻100%の生地で試作してみても、いわゆる一般的な麻のパンツのようになってしまったりして。
ちょっと柔らかすぎたんです。
麻らしい柔らかな風合いは残しつつ、日常的に履いてもらうには、しっかり目が詰まった丈夫さも欲しい。
これ、という生地にはなかなか出会えませんでした」


そんな折、河田さんが生地の展示会で出会ったのが、明治30年に創業以来、滋賀県の近江湖東産地で、
4代に渡って麻を織り続ける「林与」さんでした。



「展示会にデニムの生地を一つ出していらっしゃったんですけど、本当に麻だけで織っているのかな?
と思えるくらい目もしっかり詰まった、まさに『デニム生地』だったんです。」

麻のデニム生地を織っているのは「シャトル織機」という織機。
糸を織物にするための機械(織機)の中でも、古くから使われていたシャトル織機は、
現代的な織機に比べてスピードが遅く、生産性の観点では劣ります。
いずれ時代の波に消える機械となるはずでしたが、その「ゆっくり」とした動作こそが、
切れやすい麻の糸とも相性が良く、目を詰めて丈夫に織ることができるんです。



一日に織れる速度はゆっくり。
織り始める前にも、織り始めてからも、糸の様子を見ながら調整を繰り返す。
ただ、あきらめずに、完成形を追求し続ける──職人としての意気込みがあるからこそ、
いまだかつてないほどの麻デニム生地が生まれていたんです。



実際に履くと、通常のデニムとの違いはすぐにわかります。
軽くてやわらかながら、しっかりとした厚みもある。デニムとしての安心感もありつつ
さらっとした肌触りは、大人に嬉しい履き心地。
最初からやわらかくて、くたっとした生地感がこなれた感じを醸し出してくれます。
最近デニムを履かなくなったなという、大人の女性にも履いてほしい1本です。