テーブルと椅子でする茶道のかたち。なぜ新ブランド「茶論」は立ち上がったか

茶道は、敷居が高い?

突然ですが、「茶道」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?

正座が辛い。
ルールが多く、むずかしそう。
道具が高価。
敷居が高そう。

ちょっと取っつきにくいイメージを持たれている方も多いのではないしょうか。

中川政七商店プロデュースの茶論(さろん)・袱紗さばき
茶道にはたくさんの「型」があります。帛紗(ふくさ)さばきもその一つ

それこそ茶道に触れたことのない人にとっては、自分とは一切関係のないものと感じるかもしれません。

けれど、実は知る機会がなかっただけで、茶道は愉しい。けっして私たちと「無関係」ではなく、日常やビジネスの場にすらつながる魅力があるのです。

そんな「茶道の入り口になる」ことを掲げて2018年4月から始まった、お茶の新ブランドがあります。

木村宗慎氏・中川政七商店による、新しい茶道の提案

自己紹介が遅れました。宮下竜介といいます。

お茶の新ブランド「茶論 (さろん) 」の立ち上げに携わっています。今日、無事に1号店が奈良にオープンしたばかりです。

茶論のお店では、茶道の世界に気軽に触れることのできる3つの体験を用意しています。

おもてなしの力量を上げる「稽古」、心に“閑”を持つ「喫茶」、オリジナルの茶道具を販売する「見世(みせ)」。

茶人・芳心会(ほうしんかい)主宰の木村 宗慎(きむら そうしん)氏をブランドディレクターに迎え、茶道とゆかりの深い奈良晒で創業し現在もお茶道具を商う中川政七商店のグループ会社「道艸舎(みちくさや)」が運営します。

good design company制作の茶論(サロン)ロゴ
日本で最初のお茶の専門書「喫茶養生記」の書体を参考にして作った茶論のロゴ(制作:good design company)

テーブルと椅子でも茶道はできる

「茶道は敷居が高そう」と感じてしまう理由の一つに、普段の生活様式との違いがあると思います。

茶道は、畳で行われることがほとんどです。ただ、現代で畳の部屋を持つご家庭が、どれだけあるでしょうか?

茶道には日常でこそ活かせる学びがたくさんあります。そこで、茶論ではお茶の稽古を、テーブルと椅子で行います。

稽古で本当に大切なことはただ闇雲に「型を守ること」ではないと考えているからです。おもてなしの「心」があるからこそ、「型」が活きてきます。そして、そこにお茶の点て方やトレンドなどの「知」(知識)をバランスよく身に着けることで、学びが深まります。

茶論(サロン)道具写真

はじめてのお稽古で変わった、僕の茶道イメージ

さて、かくいう僕が持っていた茶道へのイメージも、はじめに挙げたようなものでした。敷居が高そう、難しそう。

それでも、ちょっと勇気を出して実際にお稽古に足を運んでみたところ、そこには慌ただしい日常ではなかなか感じられない密度の濃い世界が待っていたのです。

 

ちょっとここで、僕が感じた、茶道の愉しさをお伝えします。

一つ目は、茶室でのコミュニケーションには「普段あるものが無い」ということです。

たとえば、友人とご飯にいくときや、会社でミーティングをするとき。そこでは、基本的に声を出して、身振り手振りも含めてコミュニケーションをしますよね。

ところが茶室では、それがありません。ゆったりと動く空間の中で小さく響くのは、畳を歩くスロスロという音、釜の湯が沸くシュンシュンという音、湯を注ぐチョロチョロという音。

お茶を飲むまでの間も、ほとんど会話がない中で進みます。

無駄が削ぎ落とされている分、物や人の所作のひとつひとつが、“際立つ”と言えばいいでしょうか。

「普段あるものが無い」中だからこそ愉しめるコミュニケーションだと感じました。

 

「茶論(さろん)」の茶道風景

二つ目は、物を大切にするということ。

僕たちの暮らしの周りは、ものが溢れて不足するということがほとんどありません。買い替えがきくものは、壊れてもまた取り換えればいい。そういう気持ちになるのも、自然なことなのかもしれません。

一方で、茶室で扱うものの中には、壊れては取り返しがつかない道具もあります。

今、お茶を出していただいたこのお茶碗は、いつ、誰によって作られ、誰の手を渡ってきたのか。そんなことに想いを馳せてみると、自然とものを大切に扱おうとする気持ちが湧いてきました。

何気なく、ではなく“気”をもって、ものに接すること。茶論でも、ものを真剣に扱うことを体で感じていただけるよう、お稽古道具や茶器も各地の作り手さんとともに上質なものを用意しています。

生活が変わる、茶道の教え

茶論では、茶道を「修行」ではなく「学び」ととらえています。

少し大げさに聞こえるかもしれませんが、茶道での学びを日常に取り入れることで、日々の暮らしはきっと変わります。

茶室で感じる濃度の高さが、生活に取り込まれていくような感覚でしょうか。

たとえば、普段の生活の中で、風景や音の”美しさ”を感じる瞬間が増えました。そこに当たり前のようにあるものも一期一会であるという茶室での学びでしょうか。

また、“もの”の扱い方が変わりました。お茶碗を持つ時、おじぎをするとき、茶道の丁寧な所作を意識するようになったのです。普段の何気ない動きではありますが、それだけで日常に少いピンと張り詰めた心地よい緊張感が生まれたように思います。

 

茶論のコンセプト、以茶論美

茶論のコンセプトは、「以茶論美」(茶を以て美を論ず)です。これは、お茶を通じて自分の美意識を磨く、自分の物差しを持つ、ということ。

これはまさに、僕が先ほど書いた体験にもつながります。何を美しいと思うのか、何が正しいと思うのか。お茶を通じて、自分の物差しを持つことが、日々の愉しさを変化させていきます。

「茶論」が伝えたい茶道は、僕が感じているような“もの”に対する接し方や、日本のこころの部分。ぜひ一度、「茶論」の世界を覗きにきてください。

おいしいお菓子とお抹茶を用意してお待ちしております。

 

茶論 奈良町店
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町31-1(遊中川 本店奥)
0742-93-8833

営業時間
【お稽古】 10:00~18:30
【喫茶・見世】 10:00~18:30 (LO 18:00)
定休日 毎月第2火曜(祝日の場合は翌日)

 

茶論
https://salon-tea.jp/

文:宮下竜介
写真:山平敦史

読めばさらに美味しくなる。長崎発祥のちゃんぽん、根底にあるのは愛だった。

実は、長崎だけのものではないちゃんぽん

「ちゃんぽん」 —— そう聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、きっと長崎だと思う。当然ながら、そうだろう。なんと言っても、長崎はちゃんぽん発祥の地であるのだから。

ただ、少し待ってほしい。実は、ちゃんぽんは長崎だけのものではない。全国には「ご当地ちゃんぽん」がいくつも点在するのだ。

 

例えば、熊本県には水俣、天草にそれぞれ固有のちゃんぽん文化が存在する。

また、福岡県には北九州市・戸畑に蒸し麺を用いたちゃんぽんが根付く。愛媛県・八幡浜市にもご当地で愛されてきたちゃんぽんがあり、そのほかにも、滋賀県・彦根市、栃木県・高根沢町といったように、全国のさまざまな地域でちゃんぽんは愛されている。

 

なぜ、ちゃんぽんは、そしてちゃんぽん文化は各地へと広がっていったのか。ちゃんぽんについて考えるにあたり、まずはその出自について掘り下げてみたい。

ちゃんぽん四海樓の外観
明治・大正時代の四海樓。中国語に加え、英語でも表記されている点に、海外に開かれた町・長崎を感じることができる

 

ちゃんぽんは果たして誰がもたらしたのか

ちゃんぽんが長崎にもたらされたのは1899(明治32)年。その年に開業した「四海樓(しかいろう)」の創業者・陳平順(ちんへいじゅん)さんによる功績であることはご当地・長崎では有名な話だ。

陳さんは中国から日本へと渡ってきた留学生たちに安く、栄養価の高い食事を楽しんでほしいという願いを込めて「支那饂飩(しなうどん)」というメニューを考案。

これは福建料理の「湯肉絲麺(とんにいしいめん)」がルーツになっているそうで、四海樓の代表取締役社長・陳優継さんは「麺を主体に、豚肉やシイタケ、タケノコ、ネギなども入ったあっさり味のスープです。これを初代がアレンジし、ボリュームをつけ、さらに濃い目のスープにし、豊富な具材を加えて、独自のコシのある麺を日本風にアレンジしました」と教えてくれた。これこそが現在の「ちゃんぽん」だ。

以降、ちゃんぽんという食べ物は、長崎市内、そして長崎県内、近隣、そして遠く離れた地へと広がり、それぞれの地域に浸透していく。

ちゃんぽん 四海樓の外観
現在の四海樓。優雅な空間で発祥の味を堪能することができる(出展:四海樓)

ちゃんぽんはその生まれた時から大きく姿、形は変わっておらず、今もその味において、当時を感じることができる。

その具材は肉(基本的に豚肉)、キャベツやタマネギ、ネギといった野菜、かまぼこなどの魚肉の加工品といったような具材に加え、時にはエビなどの海鮮の食材も入る。

これらを中華鍋で豪快に炒め、豚骨や鶏ガラでとったスープを合わせて、仕上げに“ちゃんぽん用の中華麺”を投入し、煮込んで仕上げる。

ちゃんぽん用の中華麺、とあえて断り書きを入れたのには理由があり、長崎では、唐灰汁(とうあく)という長崎独自のかん水を入れて製麺していて、これが長崎におけるちゃんぽんの最大の特徴だ。

ちゃんぽん四海樓(しかいろう)
四海樓のちゃんぽん。この一杯こそが長崎のちゃんぽんのスタンダード

なお、ちゃんぽんの由来は、当時の長崎華僑同士の挨拶言葉だった「吃飯(チーファン)」(ご飯食べた?という意味)の福建語発音が「シャポン」または「ジャッポン」という音だったということから「ちゃんぽん」と呼ばれるようになったという。つまり、ちゃんぽんとは、当時の長崎華僑の挨拶言葉が起源なのだ。

ちなみに、長崎でちゃんぽんを注文しようとすると、メニューに「そぼろ」という聞き慣れない言葉が度々登場することに気付く。

実は、「そぼろ」とは長崎の方言で「特上」の意味。“鶏そぼろ”のようなものがトッピングされるわけではない。ちょっと張り込みたい時は「そぼろ」を注文してみてほしい。

ちゃんぽん
長崎独自のそぼろちゃんぽん。具沢山で食べごたえあり (出展:長崎県観光連盟)

 

愛のかたまり、ちゃんぽん

ちゃんぽん
長崎市内では町の小さな中華料理屋から大型の中華レストラン、喫茶店や食堂まで、実に様々な場所でちゃんぽんが提供されている(出展:長崎県観光連盟)

なぜ、ちゃんぽんは、そしてちゃんぽん文化は各地へと広がっていったのか —— 先の問いに対するぼくなりの答えは、ちゃんぽんの根っこにある「安く、栄養価の高い食事を楽しんでほしい」という思いだ。

この思いが大前提にあり、そしてそれぞれの地域に合った食材や製法によって、ご当地ちゃんぽんが育まれていったように感じている。というのも、スープ、麺、肉や野菜、海鮮といった具材の3つから成り立つちゃんぽんは、その3つの構成要素のおかげで、地域性も表現しやすい。全国へと広がるポテンシャルは十分だ。

前述のとおり、ちゃんぽんは注文ごとに具材を鍋で振り、スープで煮込むという「調理」が発生し、例えば、席についてすぐに料理が提供されるということは、まずない。

そして、肉、野菜、そして魚介という具沢山なビジュアルがデフォルト。店によっては具材が山盛りになっていて、その「たーんと食べていって」という気持ちと対峙した際には、あわせる手の密着が自ずと強まる。

価格においても一般的にラーメンやうどんの倍するということはない。下世話な話だが、食材が多い分、結構、原価率も上がるものだし、昔に比べると野菜の価格が高騰しがちな昨今だからこそ、それでもちゃんぽんを作り続けるということは、つまり愛なのだと言い切ってしまいたい。

そんな愛のかたまり、ちゃんぽん。長崎でちゃんぽんを食べるなら、まずは、先に挙げた発祥の店「四海樓」を押さえておきたい。

そして、四海樓は一度、行ったことがあるという人には、地元っ子が愛してやまない「群来軒(ぐんらいけん)」がおすすめ。

長崎県大村市の群来軒

思わず目尻が下がる美しい佇まいのちゃんぽんは、まずスープが美しい。清楚な色白美人を思わせるその色目は、食欲を静かにかき立ててくれる。

長崎県大村市の群来軒のちゃんぽん

長崎の中華街は、どちらかというと観光客が多いイメージがあり、それでいうと「群来軒」は地元の大衆中華の店という位置付け。

ランチタイムはいつも地元の方々で満席という人気ぶり。日常的に長崎で親しまれているちゃんぽんの姿がここにはある。

 

長崎県大村市の「協和飯店」もまた、「群来軒」同様に地域密着の名店。周りに飲食店が集中しているわけでもなく、ポツンと立っているような、加えて、別段変わったところもない極一般的な中華料理店の佇まいだが、昼は待ちが出るほどの大賑わい。

長崎県大村市の協和飯店

この店のちゃんぽんはスープがかなり力強く、質感としてはかなりずっしりしており、濃厚だ。このパワフルなスープをまとった麺は箸を持つ手を止めさせない。一度、食べ始めるとノンストップ。記憶にしっかりと刻まれること請け合いだ。

長崎県大村市の協和飯店のちゃんぽん
協和飯店のちゃんぽん

 

長崎県内でもちゃんぽんは様々

これまでは一般的な長崎のちゃんぽんを紹介してきたが、長崎県平戸市には、平戸ちゃんぽんという食文化があるので触れておきたい。

戦前に長崎から伝わったとされる平戸のちゃんぽん。地元の製麺所「もりとう」の麺を使うという特徴があるが、もう一つ忘れてはならないのが、独自のスープだ。

長崎では一般的に主に豚骨や鶏ガラによってスープをとるが、平戸では特産であるアゴ(トビウオ)を用いる。

 

平戸のちゃんぽん 富貴
「手打ち蕎麦 冨喜」の外観

その提供店の一つ、「手打ち蕎麦 冨喜」では、平戸産の焼きアゴと昆布でとった出汁に、豚骨スープを“重ね着”させたWスープがウリ。

もともと蕎麦屋ということもあり、アゴ出汁の質はお墨付き。焼きアゴの風味が際立つよう、あえて具材に海鮮を入れない徹底ぶりも好印象だ。

仕上げに焼きアゴの削り節をかけるため、香りもいい。ぜひ食べる前に丼に顔を近づけ、大きく深呼吸してほしい。ただし、むせないようにご注意を。

平戸のちゃんぽん 富貴
冨喜のちゃんぽん

 

佐賀に必食のちゃんぽん文化あり

長崎のお隣、佐賀県のちゃんぽん文化も見逃せない。

大きく2つの潮流があり、一つは武雄市に見られる武雄ちゃんぽん、そしてもう一つが佐賀市内に浸透している食堂系ちゃんぽん。

武雄におけるちゃんぽんはソウルフードである。かつて炭鉱産業で賑わっていた武雄・北方エリアでは、長崎でのちゃんぽんと同じ理由、つまり「安く、美味しく、お腹いっぱいになる」という三拍子揃った料理として支持されてきた。

現在では国道34号線が道路沿いにちゃんぽん提供店が集中していることから“ちゃんぽん街道”と称されている。

その代表格が創業68年の老舗・井手ちゃんぽん本店だ。元々、その原点にはカツ丼があり、初代がカツ丼のタレを学ぶという目的で大阪で修業を積み、戦後にこの店を食堂として開業したところ、ちゃんぽんの人気に火が付く。

井手ちゃんぽんの外観

1980(昭和55)年には現在のちゃんぽん専門店に。ここのちゃんぽんは一度食べると絶対に忘れないくらいに強烈なインパクトがある。野菜が文字どうり“山盛り”なのだ。

井手ちゃんぽん

かつての炭鉱夫たちの胃袋を十二分に満たしてきたちゃんぽん。その当時のあり方が、今、目の前で体感できるという点において、生ける歴史遺産とも言える一杯だ。

井手ちゃんぽんの内観
井手ちゃんぽんの内観

 

佐賀市内のちゃんぽんは、食堂の味

佐賀市内の食堂系ちゃんぽんとは、いわゆる大衆食堂においてちゃんぽんが提供されているスタイルのことであり、しかも、極めてハイレベルなクオリティなのだ。

「池田屋」はそんな食堂スタイルを今も大切に守る一軒。元々、ちゃんぽんが苦手だったという初代店主だったが、今はなき、佐賀ちゃんぽんの名店「中村食堂」の味に惚れ込み、その味を受け継ぐ。

ちゃんぽん 池田屋の外観
池田屋

そんな池田屋のちゃんぽんは、昆布の旨みを土台とし、さらに削り節数種を合わせたという和風だしが味の決め手。

まろやかで、口に含むほどにやさしい味わいが膨らんでいくスープには、大盛りの野菜からのエキスもしっかりと溶け込んでいた。

佐賀の池田屋のちゃんぽん
池田屋のちゃんぽん

最後に、もう一軒紹介するなら、老舗「春駒(はるこま)」へ。大正11年の創業以来、佐賀市民の胃袋と心を満たしてきた名店だ。

ただ、名店ではあるが、一切偉ぶった様子はなく、例えば近所の人が小さな鍋を持ってきて、ちゃんぽんを買いに来るというようなことも珍しくないという。

佐賀の春駒
春駒の外観

ここで食べておきたいのが、名物の「皿うどん」。ちゃんぽんじゃない?そんな声が聞こえてきそうだが、長崎ではちゃんぽんと同じように愛されている独自の麺料理であり、ちゃんぽんがもたらした副産物的な食文化といえる。

主に使われる食材は豚肉や野菜、魚介類というように、ちゃんぽんと同じだが、麺が2通りあり、その違いによって大きく料理の在り方が異なる。一つが細い中華麺を油で揚げたパリパリタイプ。そしてもう一つが、ちゃんぽん麺を事前に蒸す、焼く、茹でるといった下準備をしておき、その麺にスープを吸わせるもっちりタイプがある。

こちらの皿うどんは後者。そのスープは、思いの外、力強い。アットホームな店ゆえに、味わいもやさしいかと思っていると、バシッと脳に届く出汁の旨味に心が踊る。

“濃厚”という言葉を使いたくなるが、とはいえ脂っこい感じではなく、毎日食べたくなるような絶妙な塩梅だから、感激しきりだ。

佐賀の春駒の皿うどん
春駒の皿うどん。今やちゃんぽんを凌ぐ人気者に。

 

ちゃんぽんとは“底なし沼”!?

長崎、佐賀エリアのちゃんぽんをずらりと紹介してきたが、数を挙げれば挙げるほどに、その実体が掴めなくなる。ただ、それがちゃんぽんなのだろう。

スープが変わり、麺の形状が変わり、そしてその土地ごとの地域の食材が加わり、さらには作り手の趣味嗜好が合わさることで、無限の広がりを見せる。ちゃんぽんとは、どこまでも美味しい底なし沼だ。

文・写真:山田祐一郎

山田祐一郎
福岡県出身、現在、福津(ふくつ)市在住。日本で唯一(※本人調べ)のヌードル(麺)ライターとして活動中。麺の専門書、情報誌などで麺に関する記事を執筆する。著書に「うどんのはなし 福岡」。
http://ii-kiji.com/

掲載店舗

 

< 四海樓 >
長崎市松が枝町4-5
095-822-1296
営業時間 : 9:30~18:30
定休日 : 不定休
http://shikairou.com/

< 群来軒 >
長崎市江戸町5-11
095-826-3618
営業時間 : 11:30~14:30 / 17:00~21:00
定休日 : 水曜日

< 協和飯店 >
長崎県大村市森園町1590-2
0957-52-6143
営業時間: 11:30~13:30 / 17:00~21:00
定休日 : 火曜日
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手打ち蕎麦 冨喜
長崎県平戸市魚の棚町332-1
0950-22-3303
営業時間 : 10:00〜14:00 / 17:00〜24:00
定休日 : 日曜日

井手ちゃんぽん 本店
佐賀県武雄市北方町志久1928
0954-36-2047
営業時間 : 10:30~21:00
定休日 : 水曜日(水曜日が祝日の場合は翌木曜日)
http://www.ide-chanpon.co.jp/

池田屋
佐賀県佐賀市赤松町241-39
0952-22-7508
営業時間 : 11:00〜15:30 / 18:00〜21:00
定休日 : 月曜日
http://www.ikedaya-saga.com/

春駒食堂
佐賀県佐賀市高木町3-1
0952-23-5329
営業時間:[月~木・祝] 11:00~16:00
[土・日] 11:00~16:00 / 17:00~19:00
定休日 : 金曜日

2つの地域をつなぐメディア「◯◯と鎌倉」

旅をするなら、よい旅にしたい。じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。

そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。

今回は、ローカルマガジンの粋を超えたローカルマガジン、「◯◯と鎌倉」です。

以前鎌倉特集で紹介した「◯◯と鎌倉」。“○○”部分に入る地域名が毎回変わるイベント連動型の企画で、ローカルマガジンはプロジェクトを広く発信していくための役割を担います。

その創刊号が「五島と鎌倉」。

誌面では、距離も遠く一見共通点も無さそうな、長崎の五島列島と神奈川の鎌倉コンテンツが展開され、“地域と地域をつなぐ、インター・ローカルマガジン”と銘打たれています。

なぜ五島と鎌倉なのか?なぜ2つの地域をまたいでいるのか?「◯◯と鎌倉」プロジェクトとは何なのか?発行人の方にお話を伺いに、鎌倉を訪ねました。

「◯◯と鎌倉」の編集長原田優輝さん、コーディネーターの狩野真実さん
「◯◯と鎌倉」の編集長原田優輝さん、コーディネーターの狩野真実さん

ローカルマガジン「五島と鎌倉」

2つのエリア名の付いたちょっと変わったローカルマガジン「五島と鎌倉」。

その内容は、両エリアを接続するもの。表紙の写真は“鎌倉”の作り手たちが商品開発した、“五島”の特産品・椿を使ったお箸。

誌面では、その商品の開発背景について、鎌倉の食堂と五島のカフェのスタッフ対談、地域密着型ミュージシャン対決、鎌倉生まれのスパイスでアレンジする五島うどんレシピ、データで比較する五島と鎌倉など、2つのエリアをまたいだユニークな構成です。

鎌倉の作り手たちが商品開発した、五島の特産品・椿を使ったお箸
鎌倉の作り手たちが商品開発した、五島の特産品・椿を使ったお箸

地域との「面」での関わり

高校生の頃から長崎が好きで、年に数回は旅行をしていたという狩野さん。数年前から旅行代理店と組んで五島のツアー企画をしたり、PRの手伝いをするようになり、その縁が今回の「五島と鎌倉」につながりました。

狩野さん:「都内で五島フェアをやりたいので手伝って欲しいという話をもらいました。でもその頃はすでに鎌倉へ引っ越してしばらく経ったタイミングで、気持ちがもう東京じゃなかった。

東京で開催される各地の物産展みたいなものは個人的にお腹いっぱいだったし、一方的な発信に終わらないことがしたいと思ったんです」

鎌倉で生活をする中で、東京では感じられなかった地域との関わりの深さや鎌倉のコミュニティの濃さを感じていたおふたりは、「鎌倉だったらもっと面白いことができるんじゃないか」と考え、地域全体と五島をつなぐような企画を鎌倉で行うことを提案。

東京の「五島フェア」と同時開催でイベントを行うことが決まり、ローカルマガジン「五島と鎌倉」はそのイベントの告知も兼ねた媒体として作られることになったそうです。

もともと、原田さんには地域と地域をもっとフラットにつなぐようなことができないかという構想がありました。

原田さん:「東京からどこかの地域と関わろうとすると、どうしても一方通行的なつながりになりがちだと思うんです。

例えば、僕がしている編集の仕事にしても、メディアや編集者が各地のいろいろな場所を取材して、それが記事になった時点で、その地域との関係性が終わってしまうことが多い。

そうした一時的な「点」のつながりではなく、もっと継続的な「面」としての関係性をつくることができないか。

東京にいた頃は、漠然とそんなことを考えていただけでしたが、こちらに来て鎌倉のコミュニティの横のつながりや、さまざまな文化を日常にフラットに取り入れていく気風が見えてきて、鎌倉だったら五島と面と面でつながれるのではないかと思ったんです」

ローカルの消費

原田さんの構想の根底には、編集者としての「ローカル」の取り上げ方や関わり方への問題意識があったそうです。

震災後、自分が住み、働いていた東京以外にあまり目を向けてなかったということを感じ、違う地域に目を向けるようになった原田さん。

ご自身で運営されているインタビューサイト「カンバセーションズ」で地方へ行き、現地の人たち同士が対話をする公開取材イベントなどを通して、地域との関わり方を模索するようになったのだそうです。

原田さん:「震災後は特に『ローカル』をテーマにしたメディアやイベントが増えたと思うのですが、そのほとんどが東京からの一方的な目線で作られていることに違和感がありました。

メディアが紹介する各地の素敵な人や場所、ものなどが、情報として消費されているような感じというか。ローカルに目を向けること自体はまったく否定しないんですが、そこから生まれてくるものや、発信のされ方にはちょっと疑問がありました。

「五島と鎌倉」プロジェクト

個人としての関わりでなく、「鎌倉」という地域ごと、他の地域とつながれないか。おふたりが「想像以上にそうなった」と話されるほど、このプロジェクトは五島と鎌倉を多面的につなぐ取り組みとなりました。

<PRメディア:五島と鎌倉>
“地域間交流”というテーマを掲げた新しい切り口のローカルマガジン。先にご紹介した通り、2つの地域を接続したコンテンツで構成されています。

全国から「読みたい」「自分の店で配布したい」というリクエストも多く、鎌倉・五島以外の地域も含め、全国約100箇所で配布されました。

<イベント「鎌倉で五島を楽しむ2日間」>
鎌倉各所で、五島とのコラボレーションイベントが実施された2日間。普段五島以外で手に入れることが難しい椿関連の商品の販売や、島の写真の展示、椿油をつかったワークショップ、交流型トークイベントが行われました。

また、鎌倉の飲食店各所では五島の食材を使った定食、五島椿酵母のパン、五島うどんなどを提供。鎌倉のあちこちで五島を感じることのできる2日間となりました。

五島関連商品のポップアップショップ
五島関連商品のポップアップショップ
五島の食材を使った定食を鎌倉の食堂で提供
五島の食材を使った定食を鎌倉の食堂で提供
五島椿から採れる酵母を使ったパンを販売
五島椿から採れる酵母を使ったパンを販売
トークイベントでは、五島の食材を使ったケータリングを楽しんだ
トークイベントでは、五島の食材を使ったケータリングを楽しんだ

<五島の名産・椿を使ったものづくり>
五島の椿を使った新商品開発。鎌倉在住のものづくりユニット、寄木作家、染織家らのつくり手たちによって、椿を素材に使った印鑑やお箸、椿の灰を染色に用いたお箸ケースなどが作られました。

エコ志向が強く、マイ箸を持ち歩く人も少なくない鎌倉ならではのライフスタイルが取り入れられているところが面白いです。

椿を使ったお箸とケース
椿を使ったお箸とケース

「五島と鎌倉」プロジェクトでは、ローカルマガジンのコンテンツがきっかけでイベントに派生したものもあれば、その逆もあり、「イベントとメディアが連動しながらプロジェクトが発展していった」のだそうです。

鎌倉から五島へ

ローカルマガジンの制作や鎌倉でのイベント実施で、鎌倉の人たちが五島に触れる中で、当初は企画していなかった新たな取組みも生まれました。次は、鎌倉が五島へ。

ローカルマガジンのコンテンツとして収録されていた「鎌倉のスパイスで作る、五島うどんレシピ」。これがきっかけとなり、鎌倉のスパイス店が五島でイベントをすることに。

五島の漁師さん、製麺所さん、八百屋さんと一緒に、料理教室や飲食店での限定メニュー提供を行い、五島でも多くの人が集まったそうです。

また、この五島でのイベントを知った鎌倉の人たちから「鎌倉でもやってほしい」という声が上がり、今度は五島から食材を仕入れてスパイス料理のイベントを開催。

相互の交流が続く中、五島の食材に合うオリジナルのスパイスミックスまでできました。これらはすべておふたりが企画をしたものではなく、「五島と鎌倉」に関わってくれた鎌倉の人たちが自主的に始められたというから面白いです。

オリジナルスパイス
五島の漁師さんが釣ってきてくれたヒラマサで作った、フィッシュカレーがきっかけとなり誕生したスパイスミックス
鎌倉の老舗スパイス店が五島でスパイスイベントを開催。100名以上が参加した
鎌倉の老舗スパイス店が五島でスパイスイベントを開催。100名以上が参加したそう

今は、五島のトマトを使った新しい加工品の開発が鎌倉で進んでいるのだとか。

狩野さん:「五島で穫れる美味しいトマトがあるんですけど、形が悪かったりしてうまく売り切れず廃棄されてしまうものがたくさんあるという課題がありました。

そこで、本来であれば廃棄されてしまうトマトを使った加工品を鎌倉のスパイス店と一緒に企画中です」

こちらにあって向こうにないもの

原田さん:「活動を続けているうちに、地域間交流というものが、地域の課題を解決する方法にもなるかもしれないと感じるようになりました。

地域と地域がつながることで、こちらにはあって向こうにないもの、またその逆も見えてきます。そういうものをうまく交換していくことにも、このプロジェクトの役割があるんじゃないかと思っています」

狩野さん:「最初は島をどうPRするか、島のものをどう外に出すかということをベースに考えていたんですけど、交流をすることによって、島の側にもそれまでなかったものが入っていくということが分かりました。

一方的に島のものを外に出すだけではなく、島にも新しい視点が入っていくといいなと思います」

鎌倉の作り手たちによる商品開発のデザインミーティング
鎌倉の作り手たちによる商品開発のデザインミーティング

原田さん:「交流する地域に対して、鎌倉からも何かを渡したいという思いは当初からありました。

自分が住んでいる街では当たり前にある考え方や文化、ライフスタイルが、相手の地域にとっては新鮮に感じられることもあるだろうし、何かそこから新しいものが生まれる可能性もあるんじゃないかなと思っています」

企業や地域の課題を解決する時に、一時的に外の人が入ってノウハウを教えるというやり方も往々にしてありますが、こういった地域と地域が深く関わり合いながら出てくる解決策は、その地域にとって本当に必要な地に足の付いたものになるのだろうなと思います。

「鎌倉で五島を楽しむ2日間」で行われた五島との中継トークイベント
「鎌倉で五島を楽しむ2日間」で行われた五島との中継トークイベント

この地域を巻き込んだ大きな取り組み、企画から実施まではなんと約3ヶ月 (!) 短スパンで実施できたのは、鎌倉ならではの人のつながりにもよるのではないかと話されます。

狩野さん:「実は、私たちもまだ鎌倉の人たちをあまり知らない中でスタートした『五島と鎌倉』でしたが、つながった人たちがどんどん周りを紹介してくれて輪が広がっていきました。

『はじめまして』から相談をした人たちの多くが、なぜ五島なのかという疑問も持つことなく、フラットに『面白そう!』と興味を持って自発的に関わってくれたからこそ実現できたんだと思います。

何かをお願いする・されるという関係ではなく、それぞれが『◯◯と鎌倉』のメンバーのひとりとして参加してくれているような感覚です」

次の「◯◯と鎌倉」

「地域間交流」という新しい取り組みには、他の地域からの問い合わせも多く、すでに次のプロジェクトが進行しているそうです。

次は、鹿児島の阿久根市と「阿久根と鎌倉」。鎌倉で、移動式の鮮魚店をやるのだそう。

原田さん:「阿久根市から鎌倉でこんなことをやりたいと言われたのが魚屋さんのアイデア。阿久根は魚が豊富に穫れるんですが、魚に関わる地元の人が減っていて、鮮魚店もひとつしかないし、後継者もいないのだそうです。

そんな切実な課題があって、将来魚に関わる仕事をしたいという人を増やさなくてはいけないんです。普通であれば阿久根で何かをやるということになると思うんですけど、今回の取り組みでは、鎌倉に鮮魚店を開き、阿久根市の地域おこし協力隊として雇われた人がこちらに住み、そのお店で働くという試みなんです。

鎌倉という街の文化やライフスタイル、そして地域間交流に魅力を感じてくれた阿久根の人たちが提案してくれたこのアイデアは、自分たちだけでは絶対に出なかったもの。すごく面白いと思うしやる意味もあるなと思います」

狩野さん:「鎌倉は、地場産の野菜や魚が買えるお店や市場があって、農家さんや漁師さんとの距離感が近く感じられる。

そういう環境があるから、鎌倉の人たちは食材に対する意識や関心が高いし、移動販売というスタイルも鎌倉では馴染みがあるものなんです。

また、鎌倉に住む高齢者の方たちの間では、宅配の魚屋さんがなくなって困っているという声もあるそうですし、阿久根だけじゃなく鎌倉の課題も解決できるかもしれない。

阿久根に限らず、全国的に魚の消費量も減っている中、日本の漁業全体を取り巻く課題に対してひとつの方法を提示できればいいなというのが、このプロジェクトに関わるみんなの共通の想いです」

五島フェアの相談から始まった「◯◯と鎌倉」は、地域の問題を解決する大きなプロジェクトとなっていました。

原田さん:「今は『◯◯と鎌倉』だけど、本当は『○○と〇〇』でもいいんです。鎌倉に限らず、地域と地域がつながること自体に、可能性があると思っています。

例えば、『五島と鎌倉』、『阿久根と鎌倉』をやったことがきっかけで、『五島と阿久根』がつながっても面白いですよね。地域間交流というものが自然な形で日本各地で起こり、色んな地域同士がつながっていくといいなと思います」

おふたりを最初の媒体にして、地域のつながりへ広がったプロジェクトはこれからも更に広がり、各地域へ良い変化をもたらしていくのだろうと思います。これからの活動も楽しみでなりません。

文:西木戸 弓佳
写真提供:「◯◯と鎌倉」プロジェクト

*2017年5月31日の記事を再編集して掲載しました。

栃木「きびがら工房」きびがら細工のへびを訪ねて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介します。

連載6回目は巳年にちなんで「きびがら細工のへび」を求め、栃木県鹿沼市にあるきびがら工房を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。

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栃木の水田の景色

東京を出て列車で北へ。個性的な技法に興味を抱いた、きびがら細工の蛇に会いに行く。線路沿いに見える水田は、住宅に接し、見渡す限りあちこちに広がっている。水が土に入れ替わった光景は、西洋人の私には驚くべきものだ。

緑豊かな自家農園

目的地、鹿沼の駅のホームで若い女性が待っていた。彼女が職人だ。田舎にある自宅兼アトリエまで車で連れて行ってくれる。
到着するやいなや、前置きなしに庭に案内された。

畑の土から芽が出ている

というのも、ここで、必要な箒きびを栽培しているからだという。成長すると1.5メートルほどの高さになる。「この植物が絶えないように自分で栽培しないといけない」と彼女は言う。

束ねられた箒きびの茎

切った後、茎は乾かされ、束ねられる。小さな干支の動物や箒になるのを待っている。

工房の様子

そして工房へ。伝統的な日本間で、家具はない。部屋の奥の畳の上に、木でできた素朴でシンプルな作業道具と座布団が置かれている。
どうやったら長い時間、あぐらをかいていられるのだろう?私には想像もつかない。

赤い壁と天井の電球

壁に掛けられた時計のチクタクという音だけが聞こえ、静けさと穏やかさが漂っている。彼女のことをうらやましく思う。私は、どこへ行くでもないのに、あちこち走り回りすぎるのだ。

青い首輪をつけた黒猫

猫も静かで穏やかだ。疲れを知らずに繰り返される彼女の手作業を飽きずに眺めているようだ。

しめらせたタオルと箒きび

箒きびを濡らして柔らかくして扱いやすくしてから、蛇の制作にとりかかる。

箒きびを編んでいく手元

何千回も繰り返す、きびきびとした動作。そして、茎から小さな蛇が生まれてくる。

きびがら細工の3匹の蛇

素早い手さばきで、あっという間に3匹できた。取材する私たち3人にひとつずつ。ぽかんとしてしまった!

かごに入ったたくさんのきびがら細工

3匹のへびは仲間に合流し、かごの中へ。形を保てるように太陽のもとで乾かすのだ。

きびがら細工の十二支

全員集合の時がきた。十二支の中に、私の小さな蛇がいる。

駅のホーム

15時。東京へ戻る時間だ。列車を待ちながら、彼女のことを思う。たったひとりできびがら細工の全ての工程を行っている。原材料の栽培から完成まで。彼女がいなかったら、きびがらの蛇は消えてしまうのだ。それは悲しすぎる。

電信柱に巻きついた布とツタ植物

列車に乗り込む前、ホームの反対側の写真を撮った。柱にタイヤが巻きついていて、まるで蛇を思わせる。鹿沼で生まれた小さな蛇は、ポケットに入って私と一緒に旅を続ける。

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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子

フィリップ・ワイズベッカーさん

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

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日本で唯一のきびがら細工職人

ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、鹿沼市で箒づくりの一端からきびがら細工が生まれた理由や、きびがら工房を訪ねて教えてもらったきびがら細工の詳細な製造工程(材料の栽培まで!)をご紹介します。

栃木県の鹿沼地方は、江戸時代の古文書に鹿沼の箒職人の記録が見られるほど、昔から農家の副業として座敷箒づくりが盛んなところ。かつては全国一の生産量を誇っていました。

水はけの良い鹿沼の土が、箒の材料となるほうき草の栽培に適していたため、ほうき草の産地となり、また良質な材料が採れることから、自分たちでも箒を作り始めたそうです。

「鹿沼箒」は、大型かつ丈夫で長持ちなのが特徴。目減りしてきたら、編み糸を下から外していき、座敷掃き、土間掃き、そして外掃きへと使い続けられる。しかし、その技術がなくなりつつあるといいます。

根本に膨らみのあるハマグリ型が特徴の鹿沼箒

箒の材料は、ホウキモロコシ(ほうき草)というイネ科の一年草です。中国から日本へ渡ってきたことから、「唐黍(とうきび)」ともいいます。「きびがら細工」とは、この黍(きび)のガラ、つまり箒づくりの廃材でつくる人形のことです。

そのきびがら細工をつくる「きびがら工房」の創業は大正7年。代々鹿沼で箒屋を営んでいた家系の初代が、分家して工房を立ち上げました。

当時は、座敷箒をつくっていた工房が市内に1000軒もあったといいます。しかし、昭和30年に掃除機が誕生したことで、鹿沼箒の需要は激減し、昭和42年には箒屋が18軒にまで減ったそうです。

そんな時代の真っ只中、二代目の青木行雄さんが、箒づくりの技と材料を違う形で残そうと、鹿沼の白鹿伝説にちなんで、鹿の郷土玩具を作ったのがきびがら細工の始まり。昭和37年のことだといいます。

またその2年後、東京オリンピックが開かれた昭和39年の干支「辰」のきびがら細工を創案して販売したところ大人気に。これをきっかけに、毎年買い揃えてもらえるようにと、十二支のきびがら細工が誕生しました。

きびがら細工十二支
きびがら細工十二支

現在、きびがら細工を作るのは祖父の跡を継ぐ三代目の丸山早苗さん。日本で唯一のきびがら細工職人であり、年間にすると2500個ほど作っておられるそうです。

きびがら工房三代目 丸山早苗さん

「両親がお店をやっていたため忙しく、子供の頃から祖父の工房で過ごして育ったので、祖父が大好きでした。11年前に祖母が亡くなってから、箒作りのお手伝いを始めたのがきっかけです」

当然、跡を継ぐのは簡単ではなかったそうで、「箒づくりは力仕事のため女性職人が少なく、周りに反対もされました。」と、丸山さんの言葉には前途多難を乗り越えた強い意志がにじみ出ていました。

必要な素材は、育てるところから

丸山さんのきびがら細工作りは、箒の材料となるほうき草を育てる工程と、人形を作る工程の大きく二つに分かれます。

まずは、ほうき草を育てる工程。

1)5月「種まき」
収穫が手刈りで一気に刈り取れないので、2週間おきに植えます

工房横の畑で発芽したばかりのほうき草

2)8月~9月半ば「刈り取り」
  この頃には150cmくらいまでに成長

3)「種の採取、湯通し」
  タネを採った後、殺虫と成長止めのため、5~30分お湯に浸けます

4)「天日干し」
  3日~1週間ほど外で日光に晒します

天日干しされたほうき草

以前に、ほうき草の栽培者がいなくなり材料が手に入らないことがあったことから、ほうき草の栽培は近くの農家さん2軒に依頼した上で、さらにもしもの時に備えて、自身の畑でも栽培して種を保存する徹底ぶり。

「栽培技術が一度途絶えているので、肥料の具合や水のタイミング・量など、箒が作れるように育つのかまだうまくつかめていないんです」

収穫したほうき草のうち、箒をつくれる材料に育っているのは2割に満たないといいます。そして、その残りがきびがら細工の材料となるわけです。ほうき草の供給としては不足していますが、小さい箒にするなどして地場産材だけで作ることにこだわっているそうです。

また、職人さんなのに指先がきれいなのが気になり伺うと、
「材料に農薬や薬を一切使っていないので、手が荒れないんです。修行時代はよく手を切って傷だらけにしていましたが(笑)」

と、ほうき草の栽培は、農家さんが自身で作っている米ぬか、おから、ビール粕などの有機肥料のみを使用した無農薬栽培と、こちらも徹底しています。

続いて、人形を作る工程。

1)ほうき草を水で濡らす
2)ほうき草数本を束ねて糸で編む

力を入れて糸が切れないギリギリのテンションで編む(ナイロンの漁網を使用)
きびがら細工を編んでいる丸山さんにじゃれる黒猫
ときおり、猫のちょっかいを受けながら‥‥

3)針金とゴムで留めて完成形をつくる

へびの形をつくって固定する

4)天日干し

ザルに入れられて工房の前で日光浴

ほうき草は育った環境によって表皮の硬さや筋の入り方が1本ずつ異なり、柔らかい・曲げにくいなど、素材の「タチ」といわれる個性があり、慣れるまではそれを見極めるのが難しいとのこと。

丸山さんは小さい頃からほうき草で遊んでいたので、草の目を読むのが得意なのだそうです。余裕がある時は、手元にある材料を見て何を作るか決めることもあるとか。

きびがらを編んでいく手元では、へびが淡々と同じ方向にとぐろを巻きながら成長していきます。デザインは、先代のものから微妙に替えてつくっているといいます。

「自分が最高だと思うきびがら細工を作ればいい」という先代の言葉を胸に、「作り方は以前とまったく同じですが、リアルに作ろうとしていた先代に比べて、絵的な感じで子どもがぱっとみても何かわかるものを目指している」

と、三代目らしいものづくりを目指されているようです。

古来より箒は「安産祈願」、「災いを掃き出す」などと言い伝えられてきました。その廃材で作られるきびがら細工も同じように、丸山さんが使い手の幸せと健康を祈り、一個一個心を込めて作られています。

その功績が認められ、昨年12月には「鹿沼きびがら細工」が栃木県の伝統工芸品に認定されました。

さて、次回はどんないわれのある玩具に会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第6回は栃木・きびがら細工のへびの作り手を訪ねました。それではまた来月。

第7回「大分・北山田のきじ車」に続く。

<取材協力>
ぎびがら工房

罫線以下、文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」3月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

沖縄 まさひろ工房の窯出しへ

冬の沖縄はけっこう寒い。体や脳が勝手に”暖かいだろう沖縄”を想像しているからなんだと思う。実際の気温は関東に比べたらずいぶん高いのに、体は寒いと感じている。不思議なもんですね。みんげい おくむらの奥村です。

今月は我が家を飛び出して、旅先のこと。1月末の沖縄、「まさひろ工房」仲村まさひろさんのところの窯出しにでかけました。仲村さんは沖縄読谷村の北窯に学び、20年ほど前に独立し、自らの窯を自らの手で築きました。

生まれも育ちも沖縄。沖縄で初めて人間国宝になった陶工金城次郎さんにあこがれ、次郎さんの焼き物のような焼き物を目指している。土、釉薬、薪、すべて沖縄の素材から。

窯出しの日も寒かった。くもりときどき雨。さとうきび畑も海もちょっと寒々しいが、年に一度か二度しか焼かれない窯の窯出しに気持ちはぽかぽか興奮している。

曇り空の沖縄の海

40時間にも及ぶ登り窯の窯焚きは5日ほど前に終わっていて、そのまま自然に冷まされているものの、窯の内部は場所によってはまだうつわを素手で触れないほど熱気がこもっている。

沖縄にあるまさひろ工房の工房内

1300度近くまで温度が上がった窯のエネルギーがまだそこにあるよう。窯の口を開け、少しずつうつわが取り出され、およそ半日で窯出しは完了。1000点を超えるうつわが工房に並ぶその姿は壮観。

沖縄にあるまさひろ工房の工房内

仲村さんのうつわは沖縄らしいどっしりさ、そして懐かしさや温かみを感じられる。沖縄の現代のうつわとしては地味な方だと思うが、それがかえって他の産地のうつわとも組み合わせやすいと思う。

沖縄の焼き物に詳しい人が古い焼き物と勘違いすることがあるのは、昔からの素材を使ってていねいに、昔の人たちのような気持ちで作っているからなんだろう。

多くのうつわ好きな人にぜひこの工房の、こんな姿を見てもらいたいと思うけど、ここは1人工房。残念ながら売店もなければ、作業場への一般の方の立ち入りはできません。

沖縄にあるまさひろ工房の釜出しの様子

ならば手にとって、そのうつわを使って食事ができるところをご紹介したい。

那覇市の中心部、泉崎。ここに「味噌めしや まるたま」というお店があります。同じ那覇の首里にある老舗「玉那覇味噌」の味噌を使った味噌料理を出すお店。こちらでまさひろ工房のうつわが使われています。

味噌めしや まるたまの店内

この日は味噌を使ったハヤシライスがある、ということでそれをいただくことに。実は結構この店は通っていてほぼほぼのメニューを食べているので今日はちょっと変化球。

ハヤシライスはまさひろ工房の八寸皿にドンと盛られて出て来ました。おー。きれい。

味噌めしや まるたまのカレー

家で使うなら七寸皿でもよいけれど、八寸だと見映えがしてお店っぽい。味噌のコクがあって濃厚なハヤシライス。たまにはいい。

こういった見栄えのする染付けの皿は意外と何にでも使えるし、地味な色の料理もこうして明るく見せてくれるもので、一枚でもずいぶんと存在感がある。仲村さんのうつわの一つの特徴である重さを感じてもらいたい。このお皿、ズシッときますよ。

ところでこちらのお店。初めての方にはぜひ味噌汁の定食を頼んでもらいたい。沖縄で味噌汁というと大きな丼に具沢山の味噌汁がドンと。そしてご飯や小鉢がつく、味噌汁がメインの定食です。

こちらの店ではこだわりの豚肉がたっぷり入った、ご飯がすすむ味噌汁がまさひろ工房のマカイ(碗)に入ってでてきます。今も日常に当たり前にある沖縄の普通の食事。いいんですよ、味噌汁。ここでは朝から食べられるのも旅人には嬉しいところ。

うつわが産まれる場所と、その土地で産まれたうつわが使われる場所。その2つをうつわの選び手(いや、食いしん坊)がつなぐ。こんなのも「さんち」らしくてまたよかろうかな。

<取材協力>
味噌めしや まるたま
沖縄県那覇市泉崎2-4-3 1F
営業時間 7:30-22:00 (木曜7:30-14:00)
定休日 日曜 (終日)・木曜 (14時まで営業)
電話 098-831-7656

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

細萱久美が選ぶ、生活と工芸を知る本棚『柳宗理 エッセイ』

こんにちは。中川政七商店バイヤーの細萱久美です。

生活と工芸にまつわる本を紹介する連載の七冊目です。今回は日本を代表するインダストリアルデザイナー、柳宗理さんの本をご紹介します。

柳宗理さんのことは、よく知っているという方から、名前は聞いたことがあるという方まで、比較的広く知られているデザイナーの1人だと思います。

20世紀に活躍し、戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における功労者であり、代表作のバタフライスツールは海外でも有名です。

テーブルウェアや調理道具など、今でも入手しやすいプロダクトは多数あり、定番となっているモノも少なくないので、もしかしたら柳宗理デザインと知らずに使っていることもあるかもしれません。

柳宗理 鉄フライパン
柳宗理の鉄フライパン。使えば使うほど、シンプルな美しさと、使い心地の良さを感じます

プロダクト以外の作品は本を読むまで知りませんでしたが、自動車、歩道橋、そしてオリンピックの聖火台のような大掛かりなものに至るまで、活躍の幅が広かったそうです。

横浜市営地下鉄の仕事も興味深く、水飲み場、ベンチ、あると何気に嬉しい背もたれサポーターも宗理さんが生み出した公共の道具。横浜駅の「港の精」のようなレリーフも手がけられています。

2003年、88歳を迎えた年に宗理さんが初めて刊行したエッセイ選集である、そのタイトルも「エッセイ」は、日本のプロダクトデザインをリードしてきた重鎮が、軽妙な言葉でつづっているデザイン論です。

いつか読もうと本棚に長いことありつつも、ようやく読むに至った本なのですが、工芸と暮らしを知る本棚には必須だと改めて実感しました。

内容は、タイトルがエッセイというだけに、思いのままに編集されています。

それまで書き溜められたデザイン論から、雑誌「民藝」における伝説的連載「新しい工藝/生きている工藝」、日本と世界のアノニマス・デザイン、そしてお父さんであり、民藝運動の父と言われる柳宗悦さんのこと、民藝とモダンデザインの関係についてなど、柳宗理のデザインにまつわる発想や嗜好がじっくり理解できる本です。

柳宗理 ステンレスボウル
柳宗理のステンレスボウル。料理の専門家や多くの家庭の主婦の意見に基づき、長い間研究を重ねてデザインされたもの

著者のデザイン観が最も凝集されているのが冒頭の「アノニマス・デザイン」の項。アノニマスとは「無名の・匿名の」という意味で、デザイナーが関与せずに作られたモノを指します。

たとえば匿名の職人によって作られたジーパン、野球のボール、ピッケルなどにむしろ優れたデザイン性を見出しています。

ご自身もデザイナーでありながら、アノニマスとは如何に、とも思いましたが、決してデザイナー否定という発想ではなく、派手で奇抜な流行の使い捨てデザインの否定という考えです。本業ゆえに、デザインに対してはかなり手厳しい言葉が綴られています。

「本当の美は生み出すもので、作り出すものではない」というのが宗理さんの基本概念であり、柳デザインのプロダクトも、それと知らずに選ばれ、使い続けられることが理想なのかもしれません。

この概念は、「用の美」や「用即美」といった、柳宗悦さんが民藝運動の中で発した概念と通じています。ここで、用を実用とだけ捉える認識は間違いで、生活は物質的なものと心理的なもので成り立っており、用には物と心の調和があってこそ美となりえると言います。

「用の美」こそ、柳親子の共通にして最重要な概念と理解しました。これを成すデザイナーという職業はなかなかに難しい仕事で、自分はデザイナーではないですが、生活工芸の商品企画に携わっているので、「用の美」の意味を「機能美」と誤解していたことが分かり、府にも落ちたことは大きな収穫でした。

手仕事の民藝と、宗理さんのモダンデザインには用即美を始め、必然性のある「材料」「技術」を活かし、「量産」「廉価」を目指すなど共通項は多いのですが、そもそも宗理さんのプロダクトは、かなりの手仕事の末に生まれています。

デザイン考案時の幾多の模型は手で作られ、完成したプロダクトは人の手でしか作り出せないフォルムをしているモノが少なくありません。

実際に燕三条の金属工場でやかんの製造を見学したことがありますが、人間工学にも基づいた微妙なフォルムは、熟練の職人さんの手加減で慎重に仕上げられ、インダストリアルであると同時に「用と美と結ばれるもの、これが工芸である」と実感しました。

「健全な社会が健全なデザインを生む」という言葉もあり、1人のエンドユーザーという立場でも、良いものを長く使うことを心がけ、良い工芸品を生み出すデザイナーと作り手を応援していきたいと思わされた本です。

デザイナーはもちろんのこと、工芸や民藝、暮らしの道具に興味とこだわりのある方には一読をおすすめします。

<今回ご紹介した書籍>
『柳宗理 エッセイ』
柳宗理/平凡社ライブラリー

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。


文:細萱久美