日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介します。
連載5回目は辰年にちなんで「竹細工の龍」を求め、岡山県津山市にある津山民芸社を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。
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岡山駅から津山駅に向かう列車はきれいな色だ。これから竹細工の職人に出会う私たちを連れて行ってくれる。
目的地に到着。工房前の植物は豊かで、愛情をこめて世話されているようだ。あたたかい歓迎を予想させてくれる。
そして期待は裏切られなかった。白石さんは、陽気でにこやかだ。頭にベレー帽をのせ、私たちを中に招いてくれる。日本の「ジュゼッペじいさん」に出会ったのだ。
不思議な事に、店の奥に入ったとたん、自分の家にいるような気分になった。この場所に棲む、つつましい様々なオブジェに囲まれて、白石さんのセンシビリティを共有できたような気持ちがする。麦わら帽子が3つ、埃だらけになって、家具の上にのせてある。
伝統的な藤細工に混じって、見事なサルノコシカケがあった。
竹の繊細なハチドリが、軸の上にこっそり乗せてある。
工房に向かう。これはまさに「ジュゼッペ」のアトリエだ!玩具だけでなく、機械や道具も全てが手づくりなのだ。
すばらしい創意工夫で、まさにミュージアムピースだ。
竹の材料を入れておく箱まで手づくりだ。おそらく白石さんは、美しさを優先させているに違いない。というのも、家具が痛まないように、ブロックを置いて床との直接の接触を避けているからだ。
特別につくられた、この竹を切るためのノコギリベンチも同様だ。壁に掛かっているザルも、偶然ではないはずだ!
中庭には、細工される前に竹の水分を出させるかまどがある。
あっという間に16時40分だ!14時に訪れたのに、このアリババの洞窟で時間を忘れてしまった。しかもここに来た目的のものをまだ見ていなかった。小さなドラゴンだ。
店の奥の部屋に戻った。そこで白石さんは、仕上げの組み合わせをしてくれる。
ああ!やっとドラゴンに会えた。待った甲斐があった!最後に少しレタッチして、仕上がりだ。
なんと誇らしげで美しいのだろう!上にまたがったら、怖いものなしだ!
しかし、私たちの天才工作者の制作は、これだけではない。
トラもつくる。
かわいいウサギも。
しかし、何よりも、ここの名を知らしめた、有名な作州牛だ。
私たちのジュゼッペじいさんは、近所の竹林に車で連れて行ってくれた。彼の竹細工の源だ。訪問は終わりに近づき、この素晴らしい出会いの後の別れは感動的だった。
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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子
Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。
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竹細工と農耕牛の産地で、郷土玩具をつくる
ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、津山市で竹細工が誕生して全国に知られるようになった理由や、津山民芸社を訪ねて教えてもらった竹細工の製造工程、郷土玩具の由来などをご紹介します。
その昔、「美作の国」や「作州」と呼ばれていた岡山県北部。中心に位置するのが、中国山地沿いの山間の城下町、津山市です。
津山では大正末期に、地場産業として竹細工が推奨され、昭和初期にかけて、大分とともに2大産地といわれました。
大分の竹細工は、竹を割ったものを編んでつくるものが多かったのに対し、津山では機械を使って玩具などが盛んに作られたそう。
当時、竹細工は生糸に続いて二番目の出荷を占める津山の主要産業で、市内には36軒もの工房があり、終戦まで生産量は全国トップクラスを誇っていました。地場産の竹を使用していて、素材をまるごと活かしているのが特徴です。
また、美作地方は江戸時代から農耕牛の飼育が盛んでもある土地。一宮の中山神社近くでは明治時代まで牛市が開かれ、役牛の産地として各地に広くその名を知られていました。
こうした背景をもとに、昭和32年から竹細工の「作州牛」を製作しているのが今回訪れた津山民芸社。市内で竹細工を作り続けるのは今や、同社の白石靖さんただ一人となったそうです。
戦後生まれの牛が、津山を代表する郷土玩具に
筑前琵琶を弾く琵琶師であった父・安太郎さんが、津山に移り住んで竹細工を始めたのが昭和2年。
「父は竹に魅了され、釘から水筒までとにかく竹製品で代用を考えていました。また、アイデアマンでもあり、次々に事業を立上げていましたが、そっちは失敗ばかりでした」と苦笑しながら話す白石さん。
発想の豊かさと手先の器用さは父親譲りだったようで、白石さんが17歳の時に2年間修行に出た後、親子で観光土産の開発に取り組み、作州牛を考案。翌年の昭和33年に津山民芸社を設立しました。
作州牛は、昭和天皇が岡山国体のお土産に購入されたことや、昭和60年に戦後生まれの郷土玩具としては初めて年賀切手に採用されたことで、広く知られるようになり、今では津山の代表的な郷土玩具に。
店舗を訪ねると、奥が工房になっていて、作州牛を始め十二支の竹細工の製作風景が見られます。
店頭に並ぶ竹細工は竹の素材や形をそのまま活かし、一つ一つに微妙な違いが。十二支の玩具には、その干支にまつわる津山地方の言い伝えが栞として添えられているのも嬉しいです。
ピーク時の約40年前は、従業員50人の工場で、年間約2万個を生産するような大きな規模でしたが、時代とともに縮小し、現在は年間約1200個を白石さんお一人でつくられるそうです。今のところ、弟子や跡継ぎはいないとのこと。
手作りの道具で竹の魅力を引き出す
木製玩具にはこけしに代表される挽物、そして箱物、板物、木彫りなどがありますが、竹製はごくわずか。
今回のお目当ては、30年前、白石さんの娘さんの干支が一回りした時に考案した玩具だったため、記憶によく残っているという「竹の龍」。その作り方を見せていただきました。
まずは材料となる竹の「伐採」。近隣に豊富にある竹林で許可をもらって自ら取りにいきます。
次に「油抜き」。
青竹から余分な水分や油分を除去する作業で、材料を作り上げるための大切な工程。
熱湯に竹を入れて煮込み、油分を取ります。
油抜きを終えたら「裁断」です。
種々の刃物を使って、必要な大きさに竹材を裁断します。裁断した部材は「ガラン」に入れて、角を滑らかに。
最後に「彩色」して、「組み立て」をして完成です。
伐採、油抜き、裁断、彩色、組み立て、すべての工程を今は白石さんがひとりで手がけます。白石さんの創作は玩具にとどまらず、ほとんどの道具も使い勝手の良いように自分で手作り。自然の竹をまるごと活かし、道具に至るまで手作りでつくるため、ひとつひとつ形や表情も違います。
「無になって、つくることに集中する。無心に切って、描く。そうすることでクオリティ高く仕上げています」
何度つくっても、竹細工に対する白石さんの信念は変わらないようです。
「竹の龍」は、名画のワンシーンから生まれた?
龍に少年が跨っている「竹の龍」の姿、何かに似ていると思いませんでしたか?
「ネバーエンディングストーリーに着想を得て考案した」という白石さん。そう言われると、主人公がファルコンにのっているあのシーンに見えてくる気が‥‥。
添えられている栞には、
『龍は鯉が中国の揚子江を遡り、天から落下している滝を登りきって龍と化したと言われている。その龍は日本に来て水を司る神と崇められた。
龍神を祭る山の一つに作州地方最高峰の那岐山がある。この山は今でも毎年この地方特有の広戸風をまきおこしている。
「昔、昔、この山に三穂太郎という大男が住んでおったそうな。この大男、那岐山から京都まで三歩であるいたそうな。この大男の担いだ畚(もっこ/縄を網状にしたものの四隅に綱をつけ、土・石などを入れて運ぶもの)からこぼれ落ちた土が鏡野町の男山、女山に成り汗の雫が作州一の大池と言われる誕生寺池になったそうな‥‥」この三穂太郎は子供の頃から龍にまたがり、天空を飛び回って遊んでいたと言われている。この様子を竹細工にした。』とあります。
ファンタジーな着想の奥には、古くから津山地方に伝わる郷土民話のエピソードを、心に残るイメージで後世に伝えようとする白石さんの信念がうかがえるような気がします。
そしてそれは、白石さんのつくる道具、玩具、栞、すべての創作に共通する郷土愛なのかもしれませんね。
さて、次回はどんないわれのある玩具に会えるのでしょうか。
「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第5回は岡山・竹細工の龍の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第6回「栃木・きびがら細工のへび」に続く。
<取材協力>
津山民芸社
岡山県津山市田町23
営業時間 9:00~18:00(不定休)
電話 0868-22-4691
罫線以下、文・写真:吉岡聖貴
「芸術新潮」2月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。