岡山「津山民芸社」の竹細工の龍を訪ねて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介します。

連載5回目は辰年にちなんで「竹細工の龍」を求め、岡山県津山市にある津山民芸社を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。

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オレンジの電車の前の工事職員の後ろ姿

岡山駅から津山駅に向かう列車はきれいな色だ。これから竹細工の職人に出会う私たちを連れて行ってくれる。

津山民藝社の看板

目的地に到着。工房前の植物は豊かで、愛情をこめて世話されているようだ。あたたかい歓迎を予想させてくれる。

津山民藝社の白石さん

そして期待は裏切られなかった。白石さんは、陽気でにこやかだ。頭にベレー帽をのせ、私たちを中に招いてくれる。日本の「ジュゼッペじいさん」に出会ったのだ。

ぶら下がった麦藁帽子

不思議な事に、店の奥に入ったとたん、自分の家にいるような気分になった。この場所に棲む、つつましい様々なオブジェに囲まれて、白石さんのセンシビリティを共有できたような気持ちがする。麦わら帽子が3つ、埃だらけになって、家具の上にのせてある。

サルノコシカケ

伝統的な藤細工に混じって、見事なサルノコシカケがあった。

竹製のハチドリ

竹の繊細なハチドリが、軸の上にこっそり乗せてある。

様々な道具が並ぶ

工房に向かう。これはまさに「ジュゼッペ」のアトリエだ!玩具だけでなく、機械や道具も全てが手づくりなのだ。
すばらしい創意工夫で、まさにミュージアムピースだ。

道具箱

竹の材料を入れておく箱まで手づくりだ。おそらく白石さんは、美しさを優先させているに違いない。というのも、家具が痛まないように、ブロックを置いて床との直接の接触を避けているからだ。

工房の風景

特別につくられた、この竹を切るためのノコギリベンチも同様だ。壁に掛かっているザルも、偶然ではないはずだ!

竹の水分を出させるかまど

中庭には、細工される前に竹の水分を出させるかまどがある。

壁に掛けられた時計

あっという間に16時40分だ!14時に訪れたのに、このアリババの洞窟で時間を忘れてしまった。しかもここに来た目的のものをまだ見ていなかった。小さなドラゴンだ。

机の上の様々な道具

店の奥の部屋に戻った。そこで白石さんは、仕上げの組み合わせをしてくれる。

仕上げを行われている龍の郷土玩具

ああ!やっとドラゴンに会えた。待った甲斐があった!最後に少しレタッチして、仕上がりだ。

龍の郷土玩具

なんと誇らしげで美しいのだろう!上にまたがったら、怖いものなしだ!

作りかけの郷土玩具と道具

しかし、私たちの天才工作者の制作は、これだけではない。

郷土玩具の虎

トラもつくる。

郷土玩具の餅付きうさぎ

かわいいウサギも。

作州牛

しかし、何よりも、ここの名を知らしめた、有名な作州牛だ。

竹林

私たちのジュゼッペじいさんは、近所の竹林に車で連れて行ってくれた。彼の竹細工の源だ。訪問は終わりに近づき、この素晴らしい出会いの後の別れは感動的だった。

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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子

フィリップ・ワイズベッカー氏

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

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竹細工と農耕牛の産地で、郷土玩具をつくる

ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、津山市で竹細工が誕生して全国に知られるようになった理由や、津山民芸社を訪ねて教えてもらった竹細工の製造工程、郷土玩具の由来などをご紹介します。

その昔、「美作の国」や「作州」と呼ばれていた岡山県北部。中心に位置するのが、中国山地沿いの山間の城下町、津山市です。

津山では大正末期に、地場産業として竹細工が推奨され、昭和初期にかけて、大分とともに2大産地といわれました。
大分の竹細工は、竹を割ったものを編んでつくるものが多かったのに対し、津山では機械を使って玩具などが盛んに作られたそう。

当時、竹細工は生糸に続いて二番目の出荷を占める津山の主要産業で、市内には36軒もの工房があり、終戦まで生産量は全国トップクラスを誇っていました。地場産の竹を使用していて、素材をまるごと活かしているのが特徴です。

また、美作地方は江戸時代から農耕牛の飼育が盛んでもある土地。一宮の中山神社近くでは明治時代まで牛市が開かれ、役牛の産地として各地に広くその名を知られていました。

こうした背景をもとに、昭和32年から竹細工の「作州牛」を製作しているのが今回訪れた津山民芸社。市内で竹細工を作り続けるのは今や、同社の白石靖さんただ一人となったそうです。

城下町の北側、かつての武家屋敷通りの一角にある津山民芸社

戦後生まれの牛が、津山を代表する郷土玩具に

筑前琵琶を弾く琵琶師であった父・安太郎さんが、津山に移り住んで竹細工を始めたのが昭和2年。

「父は竹に魅了され、釘から水筒までとにかく竹製品で代用を考えていました。また、アイデアマンでもあり、次々に事業を立上げていましたが、そっちは失敗ばかりでした」と苦笑しながら話す白石さん。

発想の豊かさと手先の器用さは父親譲りだったようで、白石さんが17歳の時に2年間修行に出た後、親子で観光土産の開発に取り組み、作州牛を考案。翌年の昭和33年に津山民芸社を設立しました。

白石靖さんと娘の七重さん

作州牛は、昭和天皇が岡山国体のお土産に購入されたことや、昭和60年に戦後生まれの郷土玩具としては初めて年賀切手に採用されたことで、広く知られるようになり、今では津山の代表的な郷土玩具に。

昭和60年の年賀切手

店舗を訪ねると、奥が工房になっていて、作州牛を始め十二支の竹細工の製作風景が見られます。

店頭に並ぶ竹細工は竹の素材や形をそのまま活かし、一つ一つに微妙な違いが。十二支の玩具には、その干支にまつわる津山地方の言い伝えが栞として添えられているのも嬉しいです。

ピーク時の約40年前は、従業員50人の工場で、年間約2万個を生産するような大きな規模でしたが、時代とともに縮小し、現在は年間約1200個を白石さんお一人でつくられるそうです。今のところ、弟子や跡継ぎはいないとのこと。

往時の津山民芸社での製作風景

手作りの道具で竹の魅力を引き出す

木製玩具にはこけしに代表される挽物、そして箱物、板物、木彫りなどがありますが、竹製はごくわずか。

今回のお目当ては、30年前、白石さんの娘さんの干支が一回りした時に考案した玩具だったため、記憶によく残っているという「竹の龍」。その作り方を見せていただきました。

まずは材料となる竹の「伐採」。近隣に豊富にある竹林で許可をもらって自ら取りにいきます。

工房から車で5分ほど行ったところにある竹林

次に「油抜き」。

青竹から余分な水分や油分を除去する作業で、材料を作り上げるための大切な工程。
熱湯に竹を入れて煮込み、油分を取ります。

工房の裏手で油抜きや染色をするための釜

油抜きを終えたら「裁断」です。

種々の刃物を使って、必要な大きさに竹材を裁断します。裁断した部材は「ガラン」に入れて、角を滑らかに。

裁断の道具
竹の断面を滑らかにするため、「ガラン」に入れて回す
モーターとベルトで動く木製のガランも全て手作り

最後に「彩色」して、「組み立て」をして完成です。

絵の具で彩色
丁寧に組み立てる

伐採、油抜き、裁断、彩色、組み立て、すべての工程を今は白石さんがひとりで手がけます。白石さんの創作は玩具にとどまらず、ほとんどの道具も使い勝手の良いように自分で手作り。自然の竹をまるごと活かし、道具に至るまで手作りでつくるため、ひとつひとつ形や表情も違います。

「無になって、つくることに集中する。無心に切って、描く。そうすることでクオリティ高く仕上げています」

何度つくっても、竹細工に対する白石さんの信念は変わらないようです。

「竹の龍」は、名画のワンシーンから生まれた?

龍に少年が跨っている「竹の龍」の姿、何かに似ていると思いませんでしたか?

「ネバーエンディングストーリーに着想を得て考案した」という白石さん。そう言われると、主人公がファルコンにのっているあのシーンに見えてくる気が‥‥。

添えられている栞には、

『龍は鯉が中国の揚子江を遡り、天から落下している滝を登りきって龍と化したと言われている。その龍は日本に来て水を司る神と崇められた。

龍神を祭る山の一つに作州地方最高峰の那岐山がある。この山は今でも毎年この地方特有の広戸風をまきおこしている。

「昔、昔、この山に三穂太郎という大男が住んでおったそうな。この大男、那岐山から京都まで三歩であるいたそうな。この大男の担いだ畚(もっこ/縄を網状にしたものの四隅に綱をつけ、土・石などを入れて運ぶもの)からこぼれ落ちた土が鏡野町の男山、女山に成り汗の雫が作州一の大池と言われる誕生寺池になったそうな‥‥」この三穂太郎は子供の頃から龍にまたがり、天空を飛び回って遊んでいたと言われている。この様子を竹細工にした。』とあります。

ファンタジーな着想の奥には、古くから津山地方に伝わる郷土民話のエピソードを、心に残るイメージで後世に伝えようとする白石さんの信念がうかがえるような気がします。

そしてそれは、白石さんのつくる道具、玩具、栞、すべての創作に共通する郷土愛なのかもしれませんね。

さて、次回はどんないわれのある玩具に会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第5回は岡山・竹細工の龍の作り手を訪ねました。それではまた来月。

第6回「栃木・きびがら細工のへび」に続く。

<取材協力>
津山民芸社
岡山県津山市田町23
営業時間 9:00~18:00(不定休)
電話 0868-22-4691

罫線以下、文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」2月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

高山のさんまちに行ったら撮りたい、歴史の色気ただよう格子からの眺め

みごとなほど、気品と古格がある。

司馬遼太郎は『街道をゆく』で、飛騨高山をそう称しました。高山駅からすぐの「さんまち通り」には、心惹かれる酒蔵、飲食店、ギャラリーなどがたくさん。江戸後期から明治時代に建てられた古い町家が、趣のある風景を作っています。

木彫りの猫に招かれて
飛騨の香りが漂います
酒造の杉玉もちらほらと

すっと一直線に連なる町家の整然とした美しさ。高山では隣家と軒の高さを揃えることが、江戸時代からある暗黙の決まりで、町家の連なりを「町並み」と呼んでいたそうです。

冬になれば、建物の黒さに映える雪の白さも目に留まります。その景観は、重要伝統建造物群保存地区に指定され守られており、高山はミシュランが発行する旅行ガイドでも三つ星を獲得しました。

町家の特徴といえば、第一にあげられるのが格子です。さんまちでもたくさんの種類が見受けられ、格子から眺める景色にはどこか落ち着いた印象を感じます。

高山ならではの伝統技術とされるのが「千鳥格子」。格子のます目を作る一本の角材に、複数の溝を均一にほり、パズルのように組み合わせて作るそうです。

千鳥格子が名を挙げたのは奈良時代。平城京の造営時に、木材が有名な飛騨地域が派遣した職人の腕が抜きんでており、彼らが「飛騨の匠」称賛されたことによるのだとか。匠の秘法が、さんまち通りの趣きを一層引き立てているようです。

伝統の息吹感じる格子を通して、古い町並みを見てみると、ひと味違うさんまちを楽しめます。そこで今回は、外観からではなく、あえて「内側」から格子のフィルターで、さんまちに溢れる気品と古格を切り取ってみました。

喫茶去「かつて」

喫茶去「かつて」は一面が格子戸
格子戸ごしのさんまち通り
すだれが光と影を演出してくれています
人力車が見えたら、絶好のシャッターチャンスです
2階は座敷。ゆっくりくつろいで、格子から町行く人を観察など

料亭「洲さき」

料亭「洲さき」は伝統的な数寄屋造りで、作家の司馬遼太郎も訪れた場所
格子と庭が調和しています
待合室から廊下を挟んで木々が。細かな格子がきれいです
玄関の格子の間に雪が降っていました

旅館かみなか

「旅館かみなか」国の有形文化財に指定されている老舗旅館。部屋の入口も格子戸造り
お部屋の窓際の椅子に座って、本を片手に町の風景を眺めながらうとうとするのも贅沢

 

町全体に古い町並みを残す高山は、路地を入ってみても、中心地を少し離れてみても、その雰囲気はどこまでも続くかのようです。
「飛騨へは、ゆるゆるとゆくことにする。」と始まる司馬遼太郎の旅のように、のんびりとした気分を味わえる高山の町並み。伝統息づく町で、格子から匠の技に思いを馳せる、粋な旅はいかがでしょう。

 

撮影協力

喫茶去かつて

喫茶去かつて
住所:岐阜県高山市上三之町92
営業:10:00-17:00 水曜日定休

 

洲さきの外観

料亭洲さき
住所:岐阜県高山市神明町4丁目14番地
電話:0577-32-0023
営業:(昼)11:30~14:00 (夜)17:00~(最終入店は19:00まで)

 

旅館かみなか

旅館かみなか
住所:岐阜県高山市花岡町1-5
電話:0577-32-0451

 

文 : 田中佑実
写真 : 今井駿介

わたしの一皿 富士吉田のうつわ

宝くじが当たったらどうするか。いつも考えてしまう。世界中行きたいところだらけ。蒐集もやめられないから買いたいものだらけ。

ついワクワクしちゃうけど、実は宝くじは買わない。みんげい おくむらの奥村です。

当たってもらいたいものは当たらないのに(買わないから当然だけど)、あたってほしくもないものは勝手にあたる。食材の話。

たとえば先月取り上げたサバ、そして今日の食材カキ。過去を振り返ればどちらにも派手にあたってます。あたると本当に辛い、でもやめられない。不思議なもんだ。

今日は寒い、寒いところから地元の市場に届いたカキ。北海道のサロマ湖から。サロマ湖は汽水。海水と淡水がまじった湖で、北のゆたかな海と大地の栄養が存分に蓄えられている。

もうそれだけでずいぶんと期待が高まりますが、ここのカキは漁協が独自にノロウイルスの検査をしているそうで、安心感もある。

どうやって食べようか。もちろん生でいけるけど、個人的にはちょっと加熱してさらに甘みが出たものが好きだ。ということで蒸すことにする。焼きもよいが、蒸すほうが味のバリエーションも付けやすいので個人的には好き。

どう食べるでも、まずはカキの殻を洗う。海藻やら付着物を取って、少し身ぎれいに。最近のものはもともときれいにしてあるものが多くそんなに神経質に洗うこともないが、手にずっしりくると、ぎゅっと詰まった身を想像してつい顔がほころぶ。

牡蠣を洗う

マニアックな話になって申し訳ないが、二枚貝をむくのがとても好きだ。これは実に経験を要する技術。

カキなら、貝の上下、貝柱の位置がポイントで、貝剥き(家にありますか?)を差し込み、最短でもっとも美しく貝を開けるその瞬間に人生の歓びすら感じるのであります。

せっかく閉じ込められていた汁を全てこぼしてしまったり、貝柱がうまく切れずみじめな姿になってしまうとしょげる。今日はうまくいった。そして実はこの段階で一つ生で食べています。やっぱり生もうまいうまい。

ところで、食卓にそのままうつわとして出せる調理道具というのがある。例えばすり鉢。白和えを作ってそのまま出したっていい。今日もそんな道具だ。竹ザル。貝を乗せて鍋に入れて蒸す。

蒸しあがった牡蠣

そしてそのまま食卓に。見た目がとてもよい。竹ザルはそばぐらいなら使うという方、それだけじゃもったいない。敷紙を敷いて揚げ物を乗せたって美しい。うつわとしてもずいぶん頼もしい道具なんです。

今日使った竹ザルは富士山麓で取れるスズ竹を使ったもの。年配の熟練の編み手が多い中、若い編み手さんにお願いしているもので、サイズ違いで持っているととにかく便利。

全国的に多い真竹のものに比べると、やわらかくしなりの強さを感じるのが特徴。スズ竹は、竹を採取してすぐに編むことができるので編み立てのカゴは青々とした美しさが。使い込めばだんだんと色が落ち着き、茶色、飴色っぽくなっていく。うちのはこれで3年目。少し落ち着いてきました。

牡蠣の寄り

鍋に合う大きさのザルにカキを並べて酒や調味料を。今日は中華風。ごま油と刻んだ豆豉(トウチ)を効かせて、あしらいには豆苗を。生でも食べられるカキだから蒸し加減には気をつけて。蒸しすぎて小さく硬くなってしまっては意味がない。

蒸しあがったらまずは殻にたまった汁をずずり。クラクラするほどの旨味。あとは大ぶりの身を一気に口に放り込む。ほっぺたの内側からまたも旨味の応酬。とぅるりと消えてなくなった後も海の余韻がしばらく続く。

竹ザルの上の蒸し牡蠣

なんて贅沢をしてしまったんだ、とあらゆる方面に感謝。もつかの間、二巡目にいきたい。ザルを持って次のカキを盛り、鍋に設置。蒸しガキは一気にやってはもったいない。自分のリズムで何度も出来立てを食べるに限る。これで冬のエネルギーをぐぐっと蓄えて寒さをもう少し耐えるのだ。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

アノニマスな建築探訪 浄瑠璃寺

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第3回。

今回も前回に引き続き、国宝である浄瑠璃寺 (じょうるりじ)。

平安時代を代表する、阿弥陀堂建築

所在地は京都府木津川市加茂町西小札場40。建立 永承2年 (1047年)、開基は義明上人 (ぎみょうしょうにん) である。

浄瑠璃寺は京都府と奈良県の県境に位置し、奈良市内からの方がアクセスはよい。平安時代の代表的な阿弥陀堂建築である。

平安中期に末法思想が世に広まり、人々は浄土教の教えから死後に極楽浄土に生まれ変わることを願って、方三間 (9坪) の阿弥陀堂や九体阿弥陀堂 (くたいあみだどう) などが数多く造られた。

藤原道長が治安2年 (1022年) に法成寺 (ほうじょうじ) に無量寿院を造立したのが九体阿弥陀堂の始まりとされている。極楽往生の仕方は生前の業により九段階あるとされ、九体の阿弥陀様を祀ることによってこれらすべての人が救われることを願った。

九体阿弥陀堂は30棟ほど造られたようだが、応仁の乱や内乱によって焼失し、現存するのは浄瑠璃寺の本堂だけである。

奈良市内から浄瑠璃寺までは車で約30分ほど。駐車場に車を止め、土産物屋さんの前の道が参道である。道中にはお茶屋さん。お正月を終え参道の植木は刈り込まれていたが、南天の赤い実が綺麗に色づき、冬を感じさせてくれる。

浄瑠璃寺の「包み込まれるような」感覚は、なぜか。

まず見えてくるのが山門。作りは非常に簡素であるが高さが抑えられているため、結界のような役割を果たしている。
山門をくぐると宝池だ。

三方が小高い丘に囲まれたコンパクトな境内で、右手に本堂、中央に宝池、左手に三重塔がある。

宝池は、梵字 (ぼんじ) の阿字 (あじ) をかたどっていると言われ、東側には薬師如来坐像を安置する三重塔が、
対岸の西側には本尊の九体阿弥陀如来を安置する本堂が置かれている。

これは薬師如来を教主とする浄瑠璃浄土 (東方浄土) と、阿弥陀如来が住むとされる極楽浄土 (西方浄土) の世界を表現しており、参拝者はまず日出づる東方の三重塔前で薬師如来に現世の救済を願い、そこから日沈む西方の本堂を仰ぎ見て、理想世界である西方浄土への救済を願ったものである。

堅苦しい説明はこのぐらいにして、まず浄瑠璃寺に身を置いて感じるのは安定感。

一番外側に見えるのは円形の空。その空を形どるのは大きな木々。そして一段下がった雑木林の木立、中央には宝池。高いところから何重にも重なったレイヤーのお陰で、包み込まれているような感覚を覚えるのである。

また、全体の配置も秀逸で、単なる平面計画ではなく、階段や、緩やかな坂道、下り坂など高低差をつけることにより、
多様なシーンをコンパクトな敷地の中で創り上げている。

また庭の道も一本道ではなく選択肢が用意されているところも、浄土への道のりのように感じてならない。

三重塔の前、そして本堂の前には、それぞれ一基ずつ石灯籠が置かれ、二つの石灯籠の延長線上には三重塔と本堂がちょうど中心に来るように結ばれる。

阿弥陀如来像 – 本堂 – 石灯籠 – 宝池に浮かぶ小島 – 石灯籠 – 三重塔の薬師如来像が一直線上に配置される。

日本の寺社仏閣は目に見えない軸線が時として現れることがある。今回は石灯籠の穴からの眺めがそれである。

寒さも、なにも、すべてを忘れるほどの阿弥陀如来像に出会う

本堂の中には横の受付側から入ることができる。参拝料を払い、靴を脱いで本堂の裏側の縁を回り本堂に入る。伺った日は宝池に氷が張るほどの寒空で、素足で本堂に入る頃には足の感覚はほぼなく、障子を開ける手はかじかみ、少しでも早く暖かい場所に行きたいと‥‥。

しかし本堂に入って九体阿弥陀如来像に対峙すると、足の感覚や、手のかじかみなどは忘れ、障子越しに入る間接光に薄暗く照らされた阿弥陀如来像の、一体一体全く違う表情や美しさに心を奪われてしまう。

本堂の中は撮影禁止のためここで紹介することができないのが残念で仕方ないが、ぜひ冬の夕暮れ時に本堂の中に入ってみていただきたい。

障子越しの夕日に照らされた金色の阿弥陀如来像は、まさに極楽浄土にいるかのような錯覚を覚えてしまうはずだ。

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

100年の時を経て蘇った美しさを訪ねる。薩摩切子の工房へ

鹿児島県で作られている、かつては「幻」と呼ばれていた工芸のことをご存知でしょうか。

その名前も「薩摩切子」。

薩摩切り子を近くで見ると、ぼかしがあるのがよくわかります

江戸時代末期に、薩摩藩主である島津家の肝いりで技巧が極められ、薩摩藩を代表する美術工芸品となりましたが、明治以降、幕末の動乱の中で徐々に衰退。

明治初期にはその技術が途絶え、長く「幻の切子」と呼ばれていました。

しかしそれから約120年後の1985年、斉彬のゆかりの地である磯 (いそ) を中心に復刻運動が起こり、薩摩切子は鹿児島の誇る新たな工芸品として息を吹き返すこととなるのです。

多くのガラスの専門家が知恵を出し合い、少しずつかつての鮮やかさと輝きを取り戻した薩摩切子。その製造の様子を見学できると聞いて、蘇った美しさを訪ねてきました。

いざ、薩摩切子の工房へ

赤い模様が可愛らしいガラスの看板が目を引きます

伺ったのは、維新150周年で賑わう仙巌園 (せんがんえん) と、尚古集成館のすぐ隣にある「薩摩ガラス工芸」。

工房の目の前には仙巌園、尚古集成館の敷地が広がります

細部まで手を尽くした職人技

そもそも薩摩切子とはどのようなものを指すのでしょうか。工房を運営する株式会社島津興業の有馬仁史(ありま・ひとし)さんに伺うと、薩摩切子とは、

「鹿児島で作られていて、ぼかしがあり、クリスタルガラスを使ったカットガラス」

を指すそうです。

これが薩摩切子。浮かび上がるような柔らかなぼかしの表現が美しいです
色のバリエーションも様々

薩摩切子は、色ガラスの内側に透明のガラスを閉じ込めた2層構造になっているのが特徴です。

薩摩切子の断面図。赤い色ガラスが透明ガラスの外側を覆っているのがわかります

「ほかの地域の切子は、薄い色ガラスを削ることで、色ガラスと透明ガラスのコントラストを明確に分けて表現します。一方、薩摩切子はガラスに厚みがある分、カットの角度や深さで模様に徐々に変化をつけていきます」と有馬さん。

外側を赤い色ガラスで覆われた、切り込みが入っていない状態 (左)
透明ガラス部分を掘り出すことで徐々に模様を浮かびあがらせて‥‥
さらに全ての面に綿密な磨きをかけることでようやく完成します

切り込みを入れる角度や深さによって色の濃淡を見せる独特の「ぼかし」も、他にはない薩摩切子の魅力です。

薩摩切子を近くで見ると、ニュアンスの違うぼかしがあるのがよくわかります

予約なしで見学可能。開かれた制作の全工程

工房ではこんな細やかな表現が生まれる様子を、誰でも予約なしで見学することができます。

2017年にリニューアルオープンされた工房。明るい雰囲気です
女性の職人さんも多く活躍しています
併設したショップではお土産を買うこともできます

器の原型を作る成形から、カット、磨きまで全工程が揃ったガラス工房は全国でも非常に珍しいのだとか。

現在は色の調合や成形を担当する方が10名、カット、磨き、仕上げの担当が16名ほど働いているそうです。学校を卒業してすぐに入門した方もいれば、他のガラス研磨の経験者もいらっしゃったりと、そのバックグラウンドも様々です。

職人ふたりで息を合わせる高度な「色被せ」

工房では薩摩切子の特徴「ぼかし」のもととなる2層のガラスが作られる様子も、もちろん見学できます。

どのように作っているかというと、透明なガラス玉と色ガラスの玉をふたりの職人がそれぞれ作り、冷えないうちに「色被せ」という工程でひとつに溶着しています。ひとつのガラス製品を作るだけでも難しいものを、さらにふたつを重ね合わせるというのだから驚きです‥‥。

こちらは融解させた色ガラスと透明ガラスを、それぞれステンレス製の竿で巻き取る「たね巻き」と呼ばれる作業。

透明ガラスも色ガラスも種まきはそれぞれ同じタイミングで行います

種まきが完了し、両方のガラスから不純物を取り除いたら、いよいよ色被せの瞬間。まずは色ガラスを金型に吹き込みます。

高い位置から垂直に型の中へ吹き込んでいきます
高い位置から垂直に型の中へ吹き込んでいきます

後の工程で薩摩切子ならではの美しいぼかしを出すには、まず色ガラスの厚みが均一でなければなりません。慎重な作業が要求されます。

吹き込み終えたらバーナーで切り取ります

色ガラスが金型に収まったら、今度は透明ガラスの出番。上からぴったりと置いて溶着させます。

色ガラスが金型に流し込まれたのを確認して近付く透明ガラス担当の職人 (左)
空気を抜きつつ、色ガラスの内側に慎重に流し込んでいきます

これにて色被せは無事完了。ふたりの職人の息の合った技巧によって2層のガラスが完成しました。

色ガラスがピタッと外側についているのがわかります
色ガラスがピタッと外側についているのがわかります
色被せをしたばかりの状態を濡らした新聞紙で整えます

色被せしたガラスはこの後、加熱炉に入れてなじませ、型吹きや宙吹きによって製品の形になっていきます。徐冷炉の中で約16時間かけて少しずつ冷ました後、模様を作るカットの工程へ。

光に透かしてひと刻み、ひと刻み

次はいよいよ、色ガラスをカットして細かな模様を切り出していく工程です。

まずはガラスの表面を十分にチェック。どこからカットしていくかの位置決めを行い、予定している模様に合わせて分割線を入れていきます。

模様を切り込む位置次第で、色ガラスに入った気泡や傷を取り除くことができます

その後、グラインダーを高速回転させて少しずつ色ガラスをカットしていきます。

薩摩切子の誇る絶妙なグラデーションが生まる瞬間です。細やかな表現を可能にするため、グラインダーの刃は何十種類もあるのだとか。

四方を明かりで照らしながら、切り込みの深さや角度を細かく調整していく職人技

薩摩切子は、ひとつの器の中に複数の模様を組み合わせて表現することが多いのも特徴のひとつ。

鎖国中でありながら、海外に負けないガラス製品を作ろうと、当時から繊細かつ豪華な模様作りに心血が注がれていました。

カットが進み、美しい模様とグラデーションが現れました。黒は近年になってようやく発色に成功した、難しい色だそうです

次の工程は磨き。木盤といわれる木でできた円盤を回転させて、水でペースト状にした磨き粉を付けながら線や面を丁寧に磨いていきます。

大物はふたりがかりで磨いていきます

木盤での磨きが終わったら、続いて竹の繊維でできた円盤でさらに磨きあげます。仕上げに、水で溶いた艶粉を付けながら布製の円盤で磨き上げる「バフ磨き」を行って表面の曇りをとると、ようやく完成となります。

ブラシ磨き
竹でできたブラシでさらに細かく磨きます
バフ磨き
バフ磨きで使用する布製の円盤

島津家が誇った「薩摩の紅ガラス」の秘密

現代に蘇った薩摩切子。工房を案内してくださった有馬さんが最後に教えてくれたのが、紅色の薩摩切子のことでした。

当時は薩摩藩しか作れなかった色だそう。江戸時代には「薩摩の紅ガラス」と呼ばれ、賞賛されました。

伝説の紅も、見事復刻を果しました
伝説の紅も、見事復刻を果しました

有馬さんは「この色は今でも作るのが大変です」と語ります。

では100年のあいだに忘れ去られてしまった技術は、どのようにして現代に息を吹き返したのでしょうか。次回は、そんな薩摩切子の復活劇のお話です。

<取材協力>
株式会社島津興業 薩摩ガラス工芸
鹿児島県鹿児島市吉野町9688-24
099-247-8490 (島津薩摩切子ギャラリーショップ磯工芸館)
http://www.satsumakiriko.co.jp/

文:いつか床子
写真:尾島可奈子、公益社団法人 鹿児島県観光連盟

白黒はっきり鹿児島巡り。旅の秘訣は色にあり?

突然ですが、鹿児島に黒と白のユニークな色使いをした特急列車が走っているのを知っていますか?その名も「特急 指宿 (いぶすき) のたまて箱」。

薩摩半島に伝わる浦島太郎伝説にちなんで、たまて箱を開ける前の黒髪と開けた後の白髪をモチーフにしているそうです。

浦島太郎が受け取った玉手箱にちなんで、駅に到着すると白いミストがもくもくと吹き上がる、遊び心ある演出にも心をくすぐられます。

鹿児島を取り巻く「白黒」に注目

実は鹿児島を旅していると、「たまて箱」のほかにも白黒で対になっているものがたくさん見つかります。白と黒を通して見つめることで、新しい鹿児島の魅力が見えてくるかも‥‥。

ということで、今回は「工芸」「探訪」「食」の3つの視点から、鹿児島の白黒事情をご紹介します。

【工芸】鹿児島の白黒を語るなら、まずは「白もん」と「黒もん」

鹿児島を代表する工芸品、薩摩焼にも白薩摩 (白もん) と黒薩摩 (黒もん) の2種類があります。

白薩摩
華麗な装飾が施されることの多い白薩摩
鹿児島を代表する酒器、黒千代香 (焼酎の燗付器) も黒薩摩です
鹿児島を代表する酒器、黒千代香 (焼酎の燗付器) も黒薩摩です

もともと薩摩焼は、文禄・慶長の役の際、朝鮮から連れ帰った陶工たちにより窯が開かれました。

白い陶土から作られる白薩摩は、庶民の手に渡らない藩御用達の焼き物。やわらかな乳白色が美しく、貫入 (かんにゅう) と呼ばれる表面に入った細かなひびが特徴です。幕府への献上品としても生産され、豪華絢爛な絵付けが施された芸術性の高い作品が多く残っています。

一方で黒薩摩は、庶民が日常で使う雑器として広く親しまれました。鉄分を多く含む土を使い、黒い釉薬 (うわぐすり) で仕上げるため真っ黒な見た目になります。焼酎を直火で温める「黒千代香」と呼ばれる酒器が有名です。

藩主御用達の華やかな白薩摩と、庶民に愛用された野趣溢れる黒薩摩。鹿児島の白黒を語るなら、まず知っておきたいふたつです。

【探訪】桜島の火山灰と指宿の黒い砂風呂

さて、お次は探訪編です。先ほどご紹介した特急「指宿のたまて箱」、起点である鹿児島中央駅と指宿駅のあいだでも、興味深い白と黒を見つけることができるんです。

まず白はこちら。鹿児島市内では、年に数百回も小規模な噴火をしている桜島の火山灰が雪のように降り注いで街を白く染めます。

鹿児島のシンボル、桜島の噴火の様子
鹿児島のシンボル、桜島の噴火の様子
鹿児島市内で配布されている、火山灰を収集するための「克灰袋(こくはいぶくろ)」
鹿児島市内で配布されている、火山灰を収集するための「克灰袋(こくはいぶくろ)」

また、指宿にある黒はこちら。指宿の名物、体の芯から温まる「砂蒸し風呂」です。指宿では海岸の砂が温泉の熱に温められ、天然の砂蒸し風呂ができます。

山川砂むし温泉 砂湯里
温かな砂の上に仰向けになり、上から程よい重みのある砂をかけてもらいます

指宿の砂蒸し風呂は300年以上の歴史がある伝統的な湯治方法。砂の熱で血液の巡りが良くなり、リフレッシュ効果があるといわれています。浜辺で波の音に耳を傾けながらじっくり汗をかくのはとても爽快です。

空から舞い降りる白い灰に、体をすっぽり包み込む黒い土。

「たまて箱」の両端で、自分自身が白黒に染まる‥‥なんてこともあるのが面白いですね。

【食】かき氷の白くまに、スーパーに並ぶ黒糖菓子。甘味にも白黒あり。

旅の締めくくりはやはり、美味しいもので。

まずは鹿児島名物、白くま。かき氷にたっぷりの練乳をかけてカラフルなフルーツで彩った、見ているだけでわくわくするスイーツです。

鹿児島に来たからにはやはり、器に可愛くデコレーションされた本場の味を堪能したいところ。

店によってバリエーションがあるので、食べ歩きもおすすめ
店によってバリエーションがあるので、食べ歩きもおすすめ

そんな華やかな白くまと並んで鹿児島で愛されている甘味があります。それは黒糖菓子。

黒糖は、鹿児島に住む人たちにとって非常に身近な存在。来客用のお茶請けとして、角砂糖サイズの黒糖がそのまま出てくることもよくあります。

黒糖を使った焼き菓子「げたんは」も、鹿児島ではおなじみのおやつ。現地ではスーパーやコンビニなどで簡単に購入することができます。

「げたんは」という名前は、「下駄の歯」の形に似ていることに由来しているといわれています
「げたんは」という名前は、「下駄の歯」の形に似ていることに由来しているといわれています

いかがでしたでしょうか。鹿児島を散策していると、ほかにもさまざまな黒と白を見つけられるはず。旅を楽しむアクセントとして、ぜひ探してみてくださいね。

文:いつか床子
写真:尾島可奈子、鹿児島市、九州旅客鉄道株式会社、公益社団法人 鹿児島県観光連盟