高山のさんまちに行ったら撮りたい、歴史の色気ただよう格子からの眺め

みごとなほど、気品と古格がある。

司馬遼太郎は『街道をゆく』で、飛騨高山をそう称しました。高山駅からすぐの「さんまち通り」には、心惹かれる酒蔵、飲食店、ギャラリーなどがたくさん。江戸後期から明治時代に建てられた古い町家が、趣のある風景を作っています。

木彫りの猫に招かれて
飛騨の香りが漂います
酒造の杉玉もちらほらと

すっと一直線に連なる町家の整然とした美しさ。高山では隣家と軒の高さを揃えることが、江戸時代からある暗黙の決まりで、町家の連なりを「町並み」と呼んでいたそうです。

冬になれば、建物の黒さに映える雪の白さも目に留まります。その景観は、重要伝統建造物群保存地区に指定され守られており、高山はミシュランが発行する旅行ガイドでも三つ星を獲得しました。

町家の特徴といえば、第一にあげられるのが格子です。さんまちでもたくさんの種類が見受けられ、格子から眺める景色にはどこか落ち着いた印象を感じます。

高山ならではの伝統技術とされるのが「千鳥格子」。格子のます目を作る一本の角材に、複数の溝を均一にほり、パズルのように組み合わせて作るそうです。

千鳥格子が名を挙げたのは奈良時代。平城京の造営時に、木材が有名な飛騨地域が派遣した職人の腕が抜きんでており、彼らが「飛騨の匠」称賛されたことによるのだとか。匠の秘法が、さんまち通りの趣きを一層引き立てているようです。

伝統の息吹感じる格子を通して、古い町並みを見てみると、ひと味違うさんまちを楽しめます。そこで今回は、外観からではなく、あえて「内側」から格子のフィルターで、さんまちに溢れる気品と古格を切り取ってみました。

喫茶去「かつて」

喫茶去「かつて」は一面が格子戸
格子戸ごしのさんまち通り
すだれが光と影を演出してくれています
人力車が見えたら、絶好のシャッターチャンスです
2階は座敷。ゆっくりくつろいで、格子から町行く人を観察など

料亭「洲さき」

料亭「洲さき」は伝統的な数寄屋造りで、作家の司馬遼太郎も訪れた場所
格子と庭が調和しています
待合室から廊下を挟んで木々が。細かな格子がきれいです
玄関の格子の間に雪が降っていました

旅館かみなか

「旅館かみなか」国の有形文化財に指定されている老舗旅館。部屋の入口も格子戸造り
お部屋の窓際の椅子に座って、本を片手に町の風景を眺めながらうとうとするのも贅沢

 

町全体に古い町並みを残す高山は、路地を入ってみても、中心地を少し離れてみても、その雰囲気はどこまでも続くかのようです。
「飛騨へは、ゆるゆるとゆくことにする。」と始まる司馬遼太郎の旅のように、のんびりとした気分を味わえる高山の町並み。伝統息づく町で、格子から匠の技に思いを馳せる、粋な旅はいかがでしょう。

 

撮影協力

喫茶去かつて

喫茶去かつて
住所:岐阜県高山市上三之町92
営業:10:00-17:00 水曜日定休

 

洲さきの外観

料亭洲さき
住所:岐阜県高山市神明町4丁目14番地
電話:0577-32-0023
営業:(昼)11:30~14:00 (夜)17:00~(最終入店は19:00まで)

 

旅館かみなか

旅館かみなか
住所:岐阜県高山市花岡町1-5
電話:0577-32-0451

 

文 : 田中佑実
写真 : 今井駿介

わたしの一皿 富士吉田のうつわ

宝くじが当たったらどうするか。いつも考えてしまう。世界中行きたいところだらけ。蒐集もやめられないから買いたいものだらけ。

ついワクワクしちゃうけど、実は宝くじは買わない。みんげい おくむらの奥村です。

当たってもらいたいものは当たらないのに(買わないから当然だけど)、あたってほしくもないものは勝手にあたる。食材の話。

たとえば先月取り上げたサバ、そして今日の食材カキ。過去を振り返ればどちらにも派手にあたってます。あたると本当に辛い、でもやめられない。不思議なもんだ。

今日は寒い、寒いところから地元の市場に届いたカキ。北海道のサロマ湖から。サロマ湖は汽水。海水と淡水がまじった湖で、北のゆたかな海と大地の栄養が存分に蓄えられている。

もうそれだけでずいぶんと期待が高まりますが、ここのカキは漁協が独自にノロウイルスの検査をしているそうで、安心感もある。

どうやって食べようか。もちろん生でいけるけど、個人的にはちょっと加熱してさらに甘みが出たものが好きだ。ということで蒸すことにする。焼きもよいが、蒸すほうが味のバリエーションも付けやすいので個人的には好き。

どう食べるでも、まずはカキの殻を洗う。海藻やら付着物を取って、少し身ぎれいに。最近のものはもともときれいにしてあるものが多くそんなに神経質に洗うこともないが、手にずっしりくると、ぎゅっと詰まった身を想像してつい顔がほころぶ。

牡蠣を洗う

マニアックな話になって申し訳ないが、二枚貝をむくのがとても好きだ。これは実に経験を要する技術。

カキなら、貝の上下、貝柱の位置がポイントで、貝剥き(家にありますか?)を差し込み、最短でもっとも美しく貝を開けるその瞬間に人生の歓びすら感じるのであります。

せっかく閉じ込められていた汁を全てこぼしてしまったり、貝柱がうまく切れずみじめな姿になってしまうとしょげる。今日はうまくいった。そして実はこの段階で一つ生で食べています。やっぱり生もうまいうまい。

ところで、食卓にそのままうつわとして出せる調理道具というのがある。例えばすり鉢。白和えを作ってそのまま出したっていい。今日もそんな道具だ。竹ザル。貝を乗せて鍋に入れて蒸す。

蒸しあがった牡蠣

そしてそのまま食卓に。見た目がとてもよい。竹ザルはそばぐらいなら使うという方、それだけじゃもったいない。敷紙を敷いて揚げ物を乗せたって美しい。うつわとしてもずいぶん頼もしい道具なんです。

今日使った竹ザルは富士山麓で取れるスズ竹を使ったもの。年配の熟練の編み手が多い中、若い編み手さんにお願いしているもので、サイズ違いで持っているととにかく便利。

全国的に多い真竹のものに比べると、やわらかくしなりの強さを感じるのが特徴。スズ竹は、竹を採取してすぐに編むことができるので編み立てのカゴは青々とした美しさが。使い込めばだんだんと色が落ち着き、茶色、飴色っぽくなっていく。うちのはこれで3年目。少し落ち着いてきました。

牡蠣の寄り

鍋に合う大きさのザルにカキを並べて酒や調味料を。今日は中華風。ごま油と刻んだ豆豉(トウチ)を効かせて、あしらいには豆苗を。生でも食べられるカキだから蒸し加減には気をつけて。蒸しすぎて小さく硬くなってしまっては意味がない。

蒸しあがったらまずは殻にたまった汁をずずり。クラクラするほどの旨味。あとは大ぶりの身を一気に口に放り込む。ほっぺたの内側からまたも旨味の応酬。とぅるりと消えてなくなった後も海の余韻がしばらく続く。

竹ザルの上の蒸し牡蠣

なんて贅沢をしてしまったんだ、とあらゆる方面に感謝。もつかの間、二巡目にいきたい。ザルを持って次のカキを盛り、鍋に設置。蒸しガキは一気にやってはもったいない。自分のリズムで何度も出来立てを食べるに限る。これで冬のエネルギーをぐぐっと蓄えて寒さをもう少し耐えるのだ。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

アノニマスな建築探訪 浄瑠璃寺

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第3回。

今回も前回に引き続き、国宝である浄瑠璃寺 (じょうるりじ)。

平安時代を代表する、阿弥陀堂建築

所在地は京都府木津川市加茂町西小札場40。建立 永承2年 (1047年)、開基は義明上人 (ぎみょうしょうにん) である。

浄瑠璃寺は京都府と奈良県の県境に位置し、奈良市内からの方がアクセスはよい。平安時代の代表的な阿弥陀堂建築である。

平安中期に末法思想が世に広まり、人々は浄土教の教えから死後に極楽浄土に生まれ変わることを願って、方三間 (9坪) の阿弥陀堂や九体阿弥陀堂 (くたいあみだどう) などが数多く造られた。

藤原道長が治安2年 (1022年) に法成寺 (ほうじょうじ) に無量寿院を造立したのが九体阿弥陀堂の始まりとされている。極楽往生の仕方は生前の業により九段階あるとされ、九体の阿弥陀様を祀ることによってこれらすべての人が救われることを願った。

九体阿弥陀堂は30棟ほど造られたようだが、応仁の乱や内乱によって焼失し、現存するのは浄瑠璃寺の本堂だけである。

奈良市内から浄瑠璃寺までは車で約30分ほど。駐車場に車を止め、土産物屋さんの前の道が参道である。道中にはお茶屋さん。お正月を終え参道の植木は刈り込まれていたが、南天の赤い実が綺麗に色づき、冬を感じさせてくれる。

浄瑠璃寺の「包み込まれるような」感覚は、なぜか。

まず見えてくるのが山門。作りは非常に簡素であるが高さが抑えられているため、結界のような役割を果たしている。
山門をくぐると宝池だ。

三方が小高い丘に囲まれたコンパクトな境内で、右手に本堂、中央に宝池、左手に三重塔がある。

宝池は、梵字 (ぼんじ) の阿字 (あじ) をかたどっていると言われ、東側には薬師如来坐像を安置する三重塔が、
対岸の西側には本尊の九体阿弥陀如来を安置する本堂が置かれている。

これは薬師如来を教主とする浄瑠璃浄土 (東方浄土) と、阿弥陀如来が住むとされる極楽浄土 (西方浄土) の世界を表現しており、参拝者はまず日出づる東方の三重塔前で薬師如来に現世の救済を願い、そこから日沈む西方の本堂を仰ぎ見て、理想世界である西方浄土への救済を願ったものである。

堅苦しい説明はこのぐらいにして、まず浄瑠璃寺に身を置いて感じるのは安定感。

一番外側に見えるのは円形の空。その空を形どるのは大きな木々。そして一段下がった雑木林の木立、中央には宝池。高いところから何重にも重なったレイヤーのお陰で、包み込まれているような感覚を覚えるのである。

また、全体の配置も秀逸で、単なる平面計画ではなく、階段や、緩やかな坂道、下り坂など高低差をつけることにより、
多様なシーンをコンパクトな敷地の中で創り上げている。

また庭の道も一本道ではなく選択肢が用意されているところも、浄土への道のりのように感じてならない。

三重塔の前、そして本堂の前には、それぞれ一基ずつ石灯籠が置かれ、二つの石灯籠の延長線上には三重塔と本堂がちょうど中心に来るように結ばれる。

阿弥陀如来像 – 本堂 – 石灯籠 – 宝池に浮かぶ小島 – 石灯籠 – 三重塔の薬師如来像が一直線上に配置される。

日本の寺社仏閣は目に見えない軸線が時として現れることがある。今回は石灯籠の穴からの眺めがそれである。

寒さも、なにも、すべてを忘れるほどの阿弥陀如来像に出会う

本堂の中には横の受付側から入ることができる。参拝料を払い、靴を脱いで本堂の裏側の縁を回り本堂に入る。伺った日は宝池に氷が張るほどの寒空で、素足で本堂に入る頃には足の感覚はほぼなく、障子を開ける手はかじかみ、少しでも早く暖かい場所に行きたいと‥‥。

しかし本堂に入って九体阿弥陀如来像に対峙すると、足の感覚や、手のかじかみなどは忘れ、障子越しに入る間接光に薄暗く照らされた阿弥陀如来像の、一体一体全く違う表情や美しさに心を奪われてしまう。

本堂の中は撮影禁止のためここで紹介することができないのが残念で仕方ないが、ぜひ冬の夕暮れ時に本堂の中に入ってみていただきたい。

障子越しの夕日に照らされた金色の阿弥陀如来像は、まさに極楽浄土にいるかのような錯覚を覚えてしまうはずだ。

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

100年の時を経て蘇った美しさを訪ねる。薩摩切子の工房へ

鹿児島県で作られている、かつては「幻」と呼ばれていた工芸のことをご存知でしょうか。

その名前も「薩摩切子」。

薩摩切り子を近くで見ると、ぼかしがあるのがよくわかります

江戸時代末期に、薩摩藩主である島津家の肝いりで技巧が極められ、薩摩藩を代表する美術工芸品となりましたが、明治以降、幕末の動乱の中で徐々に衰退。

明治初期にはその技術が途絶え、長く「幻の切子」と呼ばれていました。

しかしそれから約120年後の1985年、斉彬のゆかりの地である磯 (いそ) を中心に復刻運動が起こり、薩摩切子は鹿児島の誇る新たな工芸品として息を吹き返すこととなるのです。

多くのガラスの専門家が知恵を出し合い、少しずつかつての鮮やかさと輝きを取り戻した薩摩切子。その製造の様子を見学できると聞いて、蘇った美しさを訪ねてきました。

いざ、薩摩切子の工房へ

赤い模様が可愛らしいガラスの看板が目を引きます

伺ったのは、維新150周年で賑わう仙巌園 (せんがんえん) と、尚古集成館のすぐ隣にある「薩摩ガラス工芸」。

工房の目の前には仙巌園、尚古集成館の敷地が広がります

細部まで手を尽くした職人技

そもそも薩摩切子とはどのようなものを指すのでしょうか。工房を運営する株式会社島津興業の有馬仁史(ありま・ひとし)さんに伺うと、薩摩切子とは、

「鹿児島で作られていて、ぼかしがあり、クリスタルガラスを使ったカットガラス」

を指すそうです。

これが薩摩切子。浮かび上がるような柔らかなぼかしの表現が美しいです
色のバリエーションも様々

薩摩切子は、色ガラスの内側に透明のガラスを閉じ込めた2層構造になっているのが特徴です。

薩摩切子の断面図。赤い色ガラスが透明ガラスの外側を覆っているのがわかります

「ほかの地域の切子は、薄い色ガラスを削ることで、色ガラスと透明ガラスのコントラストを明確に分けて表現します。一方、薩摩切子はガラスに厚みがある分、カットの角度や深さで模様に徐々に変化をつけていきます」と有馬さん。

外側を赤い色ガラスで覆われた、切り込みが入っていない状態 (左)
透明ガラス部分を掘り出すことで徐々に模様を浮かびあがらせて‥‥
さらに全ての面に綿密な磨きをかけることでようやく完成します

切り込みを入れる角度や深さによって色の濃淡を見せる独特の「ぼかし」も、他にはない薩摩切子の魅力です。

薩摩切子を近くで見ると、ニュアンスの違うぼかしがあるのがよくわかります

予約なしで見学可能。開かれた制作の全工程

工房ではこんな細やかな表現が生まれる様子を、誰でも予約なしで見学することができます。

2017年にリニューアルオープンされた工房。明るい雰囲気です
女性の職人さんも多く活躍しています
併設したショップではお土産を買うこともできます

器の原型を作る成形から、カット、磨きまで全工程が揃ったガラス工房は全国でも非常に珍しいのだとか。

現在は色の調合や成形を担当する方が10名、カット、磨き、仕上げの担当が16名ほど働いているそうです。学校を卒業してすぐに入門した方もいれば、他のガラス研磨の経験者もいらっしゃったりと、そのバックグラウンドも様々です。

職人ふたりで息を合わせる高度な「色被せ」

工房では薩摩切子の特徴「ぼかし」のもととなる2層のガラスが作られる様子も、もちろん見学できます。

どのように作っているかというと、透明なガラス玉と色ガラスの玉をふたりの職人がそれぞれ作り、冷えないうちに「色被せ」という工程でひとつに溶着しています。ひとつのガラス製品を作るだけでも難しいものを、さらにふたつを重ね合わせるというのだから驚きです‥‥。

こちらは融解させた色ガラスと透明ガラスを、それぞれステンレス製の竿で巻き取る「たね巻き」と呼ばれる作業。

透明ガラスも色ガラスも種まきはそれぞれ同じタイミングで行います

種まきが完了し、両方のガラスから不純物を取り除いたら、いよいよ色被せの瞬間。まずは色ガラスを金型に吹き込みます。

高い位置から垂直に型の中へ吹き込んでいきます
高い位置から垂直に型の中へ吹き込んでいきます

後の工程で薩摩切子ならではの美しいぼかしを出すには、まず色ガラスの厚みが均一でなければなりません。慎重な作業が要求されます。

吹き込み終えたらバーナーで切り取ります

色ガラスが金型に収まったら、今度は透明ガラスの出番。上からぴったりと置いて溶着させます。

色ガラスが金型に流し込まれたのを確認して近付く透明ガラス担当の職人 (左)
空気を抜きつつ、色ガラスの内側に慎重に流し込んでいきます

これにて色被せは無事完了。ふたりの職人の息の合った技巧によって2層のガラスが完成しました。

色ガラスがピタッと外側についているのがわかります
色ガラスがピタッと外側についているのがわかります
色被せをしたばかりの状態を濡らした新聞紙で整えます

色被せしたガラスはこの後、加熱炉に入れてなじませ、型吹きや宙吹きによって製品の形になっていきます。徐冷炉の中で約16時間かけて少しずつ冷ました後、模様を作るカットの工程へ。

光に透かしてひと刻み、ひと刻み

次はいよいよ、色ガラスをカットして細かな模様を切り出していく工程です。

まずはガラスの表面を十分にチェック。どこからカットしていくかの位置決めを行い、予定している模様に合わせて分割線を入れていきます。

模様を切り込む位置次第で、色ガラスに入った気泡や傷を取り除くことができます

その後、グラインダーを高速回転させて少しずつ色ガラスをカットしていきます。

薩摩切子の誇る絶妙なグラデーションが生まる瞬間です。細やかな表現を可能にするため、グラインダーの刃は何十種類もあるのだとか。

四方を明かりで照らしながら、切り込みの深さや角度を細かく調整していく職人技

薩摩切子は、ひとつの器の中に複数の模様を組み合わせて表現することが多いのも特徴のひとつ。

鎖国中でありながら、海外に負けないガラス製品を作ろうと、当時から繊細かつ豪華な模様作りに心血が注がれていました。

カットが進み、美しい模様とグラデーションが現れました。黒は近年になってようやく発色に成功した、難しい色だそうです

次の工程は磨き。木盤といわれる木でできた円盤を回転させて、水でペースト状にした磨き粉を付けながら線や面を丁寧に磨いていきます。

大物はふたりがかりで磨いていきます

木盤での磨きが終わったら、続いて竹の繊維でできた円盤でさらに磨きあげます。仕上げに、水で溶いた艶粉を付けながら布製の円盤で磨き上げる「バフ磨き」を行って表面の曇りをとると、ようやく完成となります。

ブラシ磨き
竹でできたブラシでさらに細かく磨きます
バフ磨き
バフ磨きで使用する布製の円盤

島津家が誇った「薩摩の紅ガラス」の秘密

現代に蘇った薩摩切子。工房を案内してくださった有馬さんが最後に教えてくれたのが、紅色の薩摩切子のことでした。

当時は薩摩藩しか作れなかった色だそう。江戸時代には「薩摩の紅ガラス」と呼ばれ、賞賛されました。

伝説の紅も、見事復刻を果しました
伝説の紅も、見事復刻を果しました

有馬さんは「この色は今でも作るのが大変です」と語ります。

では100年のあいだに忘れ去られてしまった技術は、どのようにして現代に息を吹き返したのでしょうか。次回は、そんな薩摩切子の復活劇のお話です。

<取材協力>
株式会社島津興業 薩摩ガラス工芸
鹿児島県鹿児島市吉野町9688-24
099-247-8490 (島津薩摩切子ギャラリーショップ磯工芸館)
http://www.satsumakiriko.co.jp/

文:いつか床子
写真:尾島可奈子、公益社団法人 鹿児島県観光連盟

白黒はっきり鹿児島巡り。旅の秘訣は色にあり?

突然ですが、鹿児島に黒と白のユニークな色使いをした特急列車が走っているのを知っていますか?その名も「特急 指宿 (いぶすき) のたまて箱」。

薩摩半島に伝わる浦島太郎伝説にちなんで、たまて箱を開ける前の黒髪と開けた後の白髪をモチーフにしているそうです。

浦島太郎が受け取った玉手箱にちなんで、駅に到着すると白いミストがもくもくと吹き上がる、遊び心ある演出にも心をくすぐられます。

鹿児島を取り巻く「白黒」に注目

実は鹿児島を旅していると、「たまて箱」のほかにも白黒で対になっているものがたくさん見つかります。白と黒を通して見つめることで、新しい鹿児島の魅力が見えてくるかも‥‥。

ということで、今回は「工芸」「探訪」「食」の3つの視点から、鹿児島の白黒事情をご紹介します。

【工芸】鹿児島の白黒を語るなら、まずは「白もん」と「黒もん」

鹿児島を代表する工芸品、薩摩焼にも白薩摩 (白もん) と黒薩摩 (黒もん) の2種類があります。

白薩摩
華麗な装飾が施されることの多い白薩摩
鹿児島を代表する酒器、黒千代香 (焼酎の燗付器) も黒薩摩です
鹿児島を代表する酒器、黒千代香 (焼酎の燗付器) も黒薩摩です

もともと薩摩焼は、文禄・慶長の役の際、朝鮮から連れ帰った陶工たちにより窯が開かれました。

白い陶土から作られる白薩摩は、庶民の手に渡らない藩御用達の焼き物。やわらかな乳白色が美しく、貫入 (かんにゅう) と呼ばれる表面に入った細かなひびが特徴です。幕府への献上品としても生産され、豪華絢爛な絵付けが施された芸術性の高い作品が多く残っています。

一方で黒薩摩は、庶民が日常で使う雑器として広く親しまれました。鉄分を多く含む土を使い、黒い釉薬 (うわぐすり) で仕上げるため真っ黒な見た目になります。焼酎を直火で温める「黒千代香」と呼ばれる酒器が有名です。

藩主御用達の華やかな白薩摩と、庶民に愛用された野趣溢れる黒薩摩。鹿児島の白黒を語るなら、まず知っておきたいふたつです。

【探訪】桜島の火山灰と指宿の黒い砂風呂

さて、お次は探訪編です。先ほどご紹介した特急「指宿のたまて箱」、起点である鹿児島中央駅と指宿駅のあいだでも、興味深い白と黒を見つけることができるんです。

まず白はこちら。鹿児島市内では、年に数百回も小規模な噴火をしている桜島の火山灰が雪のように降り注いで街を白く染めます。

鹿児島のシンボル、桜島の噴火の様子
鹿児島のシンボル、桜島の噴火の様子
鹿児島市内で配布されている、火山灰を収集するための「克灰袋(こくはいぶくろ)」
鹿児島市内で配布されている、火山灰を収集するための「克灰袋(こくはいぶくろ)」

また、指宿にある黒はこちら。指宿の名物、体の芯から温まる「砂蒸し風呂」です。指宿では海岸の砂が温泉の熱に温められ、天然の砂蒸し風呂ができます。

山川砂むし温泉 砂湯里
温かな砂の上に仰向けになり、上から程よい重みのある砂をかけてもらいます

指宿の砂蒸し風呂は300年以上の歴史がある伝統的な湯治方法。砂の熱で血液の巡りが良くなり、リフレッシュ効果があるといわれています。浜辺で波の音に耳を傾けながらじっくり汗をかくのはとても爽快です。

空から舞い降りる白い灰に、体をすっぽり包み込む黒い土。

「たまて箱」の両端で、自分自身が白黒に染まる‥‥なんてこともあるのが面白いですね。

【食】かき氷の白くまに、スーパーに並ぶ黒糖菓子。甘味にも白黒あり。

旅の締めくくりはやはり、美味しいもので。

まずは鹿児島名物、白くま。かき氷にたっぷりの練乳をかけてカラフルなフルーツで彩った、見ているだけでわくわくするスイーツです。

鹿児島に来たからにはやはり、器に可愛くデコレーションされた本場の味を堪能したいところ。

店によってバリエーションがあるので、食べ歩きもおすすめ
店によってバリエーションがあるので、食べ歩きもおすすめ

そんな華やかな白くまと並んで鹿児島で愛されている甘味があります。それは黒糖菓子。

黒糖は、鹿児島に住む人たちにとって非常に身近な存在。来客用のお茶請けとして、角砂糖サイズの黒糖がそのまま出てくることもよくあります。

黒糖を使った焼き菓子「げたんは」も、鹿児島ではおなじみのおやつ。現地ではスーパーやコンビニなどで簡単に購入することができます。

「げたんは」という名前は、「下駄の歯」の形に似ていることに由来しているといわれています
「げたんは」という名前は、「下駄の歯」の形に似ていることに由来しているといわれています

いかがでしたでしょうか。鹿児島を散策していると、ほかにもさまざまな黒と白を見つけられるはず。旅を楽しむアクセントとして、ぜひ探してみてくださいね。

文:いつか床子
写真:尾島可奈子、鹿児島市、九州旅客鉄道株式会社、公益社団法人 鹿児島県観光連盟

工芸と迎える新年、迎春を彩るお正月の3つの食卓道具

こんにちは。さんち編集部です。

今年も師走になりました。大人になると、1年経つのがあっという間です。ここ数年はいつも「もう今年も残り1ヶ月かぁ」と12月を迎えている気がします。

お雑煮とお年玉を楽しみにしていた子どもの頃とは違い、大人の年末年始は大忙し。年賀状を書き、1年間お世話になった家や会社を掃除して、年末のご挨拶。台所ではせっせとおせちを作り、年越し蕎麦の準備を始めます。

ああ忙しい忙しいと言いながらもワクワクしてしまう、より良い年を迎えるための、年末年始の家しごと。1年を振り返り、これからを考えるこの時節に、日本の暮らしの工芸品を取り入れてみたいと思います。

本日は日本のお正月に欠かせない食卓道具をご紹介します。

1. 飛騨春慶塗 (ひだしゅんけいぬり) の重箱

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お正月の食卓といえばおせち。元は節会や節句に作られる料理を指しましたが、節日のうち最も重要なのがお正月であったことから、めでたいことを重ねるという願いを込めて縁起をかつぎ、現在のように重箱に詰めたお正月料理をおせちと呼ぶようになりました。

このようにおせちと重箱は切っても切り離せない関係。でも、もともとハレの日の料理を入れるための重箱は華やかな絵付けが施されているものが多く、年に1度の出番になりがちです。そこで、華やかなおめでた感を持ちながらも普段使いもしやすい重箱を探しました。

約400年の歴史を持つ岐阜県飛騨高山の飛騨春慶は伝統的工芸品に指定され、能代春慶 (秋田県能代市) 、粟野春慶 (茨城県東茨城郡城里町) と並ぶ「日本三大春慶塗」のひとつとして知られています。

着色してできた木地の上に「春慶漆」と呼ばれる透明度の高い “透漆”(すきうるし)を塗り上げる手法を使い、表面の漆を通して繊細な木目の美しさをそのまま活かす仕上げが特徴です。

光沢があり、木目が見えるので無地でも華やかに
光沢があり、木目が見えるので無地でも華やかに

漆を塗っては磨き、磨いては塗りと繰り返すことで漆が染み込み、器が硬く丈夫になった飛騨春慶は、使い込むほどにしっとりとした光沢のある琥珀色へと育っていくそう。生きもののようなお重です。

2. 山中塗の一閑張日月椀 (いっかんばりじつげつわん)

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みなさんは憧れのうつわはありますか?私はこの「日月椀」が憧れのうつわのひとつです。その名の通り、金銀の箔で太陽と月を表現した大胆な柄が印象的な名品です。

芸術家の北大路魯山人 (きたおおじろさんじん) と、加賀・山中塗の名塗師である2代目辻石齋 (つじせきさい) が共作した、最も有名なお椀のひとつ。

魯山人は美食家としても知られ、漫画「美味しんぼ」の登場人物「海原雄山」のモデルとして親しんでいる方も多いのではないでしょうか。「器は料理の着物」という言葉を残した魯山人のうつわは、料理があってこそ活きるという価値観のもと作られていたと言われています。

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和紙を漆で張り塗り上げる一閑張りで仕上げたこの一閑張日月椀。現在でも2代目辻石斎のもとで完成された当時とまったく同じ形状、製造工程で当代辻石斎氏によって作られています。

口へのあたりも薄く繊細で、本物の丁寧な手仕事に見とれずにはいられませんでした。年に1度のハレの日、いつかこのお椀でお雑煮でもいただいてみたいものです。

白檀塗菖蒲絵日月椀も美しい
白檀塗菖蒲絵日月椀も美しい

3. 京金網のセラミック付焼き網

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おせちと並んで日本のお正月で忘れてはいけないのがお雑煮。ぷくっとふくらんだお餅とめいめいの地域のレシピで作られる熱々のお雑煮は、子どもからご年配の方まで愛される日本のお正月の味です。

ところで、そのお餅、みなさんはどう焼いていますか?フライパン?オーブントースター?北国ではストーブの上でしょうか?

近頃では電子レンジで手軽につきたてのようなお餅を調理する方法もあるようですが、やっぱりこんがりとした焼き目がお餅の醍醐味、ということでお餅をおいしく焼ける焼き網をご紹介します。

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起源が平安時代にまでさかのぼると言われている京都の伝統工芸、京金網。豆腐料理が盛んな京都の地で、料理に華を添える美しい金網の調理道具を作り続けてきました。

この焼き網も、京に伝わる伝統技法を使ってひとつひとつ手仕事で作られています。セラミックの遠赤外線効果で、お餅だけでなくパンや野菜を焼いても絶品だとか。

小さいサイズは食パン1枚にぴったりのサイズ
小さいサイズは食パン1枚にぴったりのサイズ

掃除道具からスタートした工芸と迎える新年、次回は2018年1月3日のお正月飾りへと続きます。お楽しみに。


飛騨春慶塗の重箱 (飛騨春慶製造直売 有限会社戸沢漆器)

山中塗の一閑張日月椀 (北大路魯山人漆器の萬有庵)

京金網のセラミック付焼き網 (金網つじ)

文・写真:さんち編集部


この記事は2016年12月12日公開の記事を、再編集して掲載しました。