帰省の手土産に贈る 花ふきん

こんにちは。ライターの石原藍です。

たとえば1月の成人の日、5月の母の日、9月の敬老の日‥‥日本には誰かが主役になれるお祝いの日が毎月のようにあります。せっかくのお祝いに手渡すなら、きちんと気持ちの伝わるものを贈りたい。この連載では毎月ひとつの贈りものを選んで、紹介していきます。

連載第8回目のテーマは「帰省のときの贈りもの」です。もうすぐお盆。夏休みを利用して、ふるさとに帰省される方も多いのではないでしょうか。普段なかなか帰ることができないからこそ、せっかくの帰省は、久しぶりに会う親戚や地元の友人に、心ばかりの、だけどとっておきのものを持ち帰りたい。でも、何を手土産にすればいいか、頭を悩ませる方もいらっしゃるかもしれません。

特に夏場の贈りものは、ほかの季節より気を遣います。気温が高いので食べ物を選ぶといたむのが心配ですし、すぐに冷蔵庫・冷凍庫へ入れなくてはならないものだと、保管に困ってしまうことも。
以前、お酒を手土産に選んだときは、帰省の荷物だけでいっぱいなのに、手土産の重さで移動が大変だったこともありました。

・上質だけど相手に気を遣わせないささやかなもの
・気軽に使ってもらえるもの
・帰省では「電車や飛行機で移動するときにかさばらないもの」
この3つに当てはまるものということで、今月の贈りものには、「花ふきん」を選んでみました。

奈良の蚊帳(かや)生地でつくったふきん

花ふきんは奈良県の伝統産業である蚊帳生地を再生し、ふきんに仕立てたもの。もともと蚊帳は中国から伝えられ、日本では紀元5世紀頃から作られるようになったと言われています。
奈良は蚊帳生産の原料となる麻がよく取れたことから産地として発展を続け、全国で生産される蚊帳の約8割を担っていました。昭和30年代のピーク時には全国で約250万張りもの蚊帳が売れていたそうです。

時代とともに需要は減り、現在では蚊帳を使う家庭がほとんど見られなくなってしまいましたが、蚊帳生地が持つ優れた吸水性、速乾性に着目し、家庭で気軽に使える機能的なふきんとして新たに生まれ変わりました。

用途いろいろ、使うたび手になじむ感触

花ふきんを広げてみると、その大きさに驚くかもしれません。58センチメートル四方のサイズは一般的なふきんの約4倍の大きさ。
食器を拭いたり、台拭きにしたりと、いわゆる普通の「ふきん」として使っていただけるほかにも、出汁漉しや野菜の水気取りといった料理の下ごしらえやお弁当を包む風呂敷代わりにも活躍します。

中川政七商店 花ふきん
程よい目の細かさ
中川政七商店 花ふきん
大判なのでグラス全体をしっかりと拭ける
中川政七商店 花ふきん
鍋つかみにも1枚でしっかり
お弁当包みにも

また、目の荒い蚊帳生地を2枚仕立てにしており、4〜8枚仕立てのものが多い一般的なふきんより薄いのも特徴です。
ふきんは使うたびに衛生面が気になってしまうのですが、花ふきんはたたんで使うとしっかり水を吸い、広げるとすぐに乾くので、いつでも清潔に使うことができるのも嬉しいですよね。

おろしたては、ノリがついているためパリッとしていますが、何度も洗って使い続けることで、くったりとした柔らかい肌ざわりになっていきます。
使っていくと、使いはじめより一回りほど小さくなりますが、その頃には使う人の手になじんだ柔らかい風合いになっているはずです。

中川政七商店 花ふきん
ノリを落とした後は一回りほど小さくなる

暮らしのそばでいつも使い続けたい花ふきん。2008年にはグッドデザイン賞金賞を受賞するなど、今や人気商品になっています。

一度使うと、上質な肌ざわりや、その手軽さ・丈夫さに手放せなくなる人も多いそう。カラーラインナップも豊富なので、用途に合わせて使い分けたい方には、セットで贈っても喜ばれると思います。今度の帰省のおともにいかがでしょうか。

<掲載商品>

花ふきん(中川政七商店)

文:石原藍

黄金の7年間を我が手に。東京五輪から地方創生を目指す「旅する新虎マーケット」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
2020年7月24日より開催される、東京オリンピック・パラリンピック。ついに開催まであと3年を切りました。

じわじわと機運が高まる中、3年後にはメインスタジアムと選手村を結ぶシンボルストリートとなる「新虎通り」に、全国各地の魅力を発信する「マーケット」が2017年2月に誕生したのをご存知でしょうか。

その名も「旅する新虎マーケット」。
いわゆる地域ごとの物産展と異なり、季節ごとに編集されたテーマで全国467の市町村のモノ・コト・ヒトが集結します。

仕掛けたのは「2020年東京オリンピック・パラリンピックを活用した地域活性化推進首長連合」。代表を務めるのは、日本有数の金物の町・新潟県三条市の市長でもある國定勇人 (くにさだ・いさと) 会長です。

三条市は昨年4日間で3万5千人を動員したオープンファクトリーイベント「燕三条 工場の祭典」が、新しい地域活性のモデルケースとして注目を集める街。國定市長はその立役者でもあります。

2020年オリンピック・パラリンピック開催地・東京のど真ん中で、いま起きていること。

さんち編集長中川淳による独自インタビューで、東京開催が決まった瞬間から始まった、東京オリンピック・パラリンピックにかける地方創生の物語を、國定会長に伺いました。

お話を伺った國定会長
インタビュアーのさんち編集長・中川淳

(以下、國定会長の発言は「國定:」、中川淳の発言は「中川:」と表記。)

中川:今日はありがとうございます。東京オリンピック・パラリンピックと全国の市町村が結びついた「旅する新虎マーケット」とはどのような取り組みなのか、伺っていきたいと思います。

まず、運営母体である「2020年東京オリンピック・パラリンピックを活用した地域活性化推進首長連合 (以下、首長連合) 」とはどのように生まれたのでしょうか?

國定:2020年のオリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)開催地が東京に決まった時、各市町村の首長にとって「あれは東京のもの。東京以外の自治体には縁遠い存在」でした。

一方で、次のオリパラ開催地はどこかと聞かれたら、スポーツに関心のない人だって「北京」「リオ」と答えられるわけですよね。それだけの訴求力がある。

そうして世界の注目がせっかく集まるのに、あれは東京のものだと片付けてしまうのはもったいないと思っていました。

黄金の7年間が始まった

調べてみると、ロンドンもシドニーもアテネも、みんなオリパラ開催決定が決まった年からインバウンド需要がぐんと上がっているんです。つまり開催の7年前から人の動きが変わりはじめる。

考えてみれば日本も同じですよね。ちょうど開催決定と中国人観光客のビザ規制緩和があったタイミングが重なったこともありますが、明らかにあの頃から人や世の中の流れが変わったわけです。

つまり開催が決まった2013年のあの瞬間から2020年まで、黙っていても人がやってくる黄金の7年間が始まっているわけですね。もうあと3年を切りました。

それを東京の「一人勝ち」にさせるのはもったいないんじゃないか、というのが、首長連合の取り組みのはじまりです。

ロンドンの成功例を日本でも

首長連合会議の様子

例えば北京オリンピック・パラリンピックの開催地はもちろん北京ですが、頭に描くのは、中国という国全体の持つイメージです。「中国で行われるもの」という意識なわけですよね。

そこを意識的にコントロールして成功したのが、ロンドンオリンピック・パラリンピックです。

イギリスでは、北京からロンドンまでの4年間で、「カルチュラル・オリンピアード」という文化プログラムをイギリス国内全体で10万件以上やったんですよ。それが大成功したんですね。

日本で言えば地元の自治会がやっているような小さなお祭りも、オリパラを盛り立てる文化プログラムのひとつという見立てにして発信したんです。

結果として、ロンドン一極集中ではなく、イギリス全土に人の広がりを見せることに成功しました。他の国で成功しているのだから、日本だってやれないことはない。こうしてまず、首長連合が結成されました。

地方と東京の間に潜む「情報の壁」

中川:そこから「旅する新虎マーケット」はどうやって生まれて行ったのでしょうか。

國定:取り組み始めて痛感したのですが、東京のような大都会には情報も、何かを実現するノウハウや人脈もたくさん集まっているのだけれど、あまりにも地方のことは知られていません。

全国に支店のあるような大企業でさえ、どの地域にどんな優れたものがあるのか、そういう情報を持っていないんです。

日本のメディア構造というのは面白くて、基本的に県をまたいで同一資本が参入できないんですよ。テレビ局は県ごとに分かれていますし、新聞メディアも地方に行けば、読まれているのは全国紙よりも圧倒的に県内紙です。

そうすると、僕らがどんなにPRしようと思っても、新潟県の壁を超えるのがすごく難しい。

東京の人たちだって、見たくなくて地方から目を背けているわけでなくて、手に入る情報がキー局と言われる関東広域圏のメディアと、新聞メディアに限られているわけです。

インターネット隆盛だと言っても、興味と関心を持たなければ特定の地域の情報なんて、自動的に入ってくるものではないですからね。

少なくともその土地を愛している人や行政関係者は、自分たちの街が他に比べて優れているものを聞かれたら、ほぼ100%答えられるはずです。センスがいいかどうかは別として、その魅力を情報発信しようという取り組みも、長年に渡って続けてきている。

中川:ところがそれを県内に広めるくらいまではいけても、県外に出していくのは本当に難しい。

國定:はい。せっかく世界の注目が集まっている黄金の7年間だから、地域活性化に結びつけていきましょうというのが首長連合発足の発端ですが、そもそも国外だけではなく、国内も我々が思っている以上に情報の壁が存在している。

だからまず、市町村という独自のコンテンツを持っているもの同士が連携してプラットフォームを作り、ノウハウやネットワークが集まる東京と結びつける。

その物理的な舞台も東京に置けたら、強くてわかりやすい情報発信のツールになるのではないかと考えました。

新虎マーケットの舞台、新虎通り

中川:各地の物産フェアや物産館であれば東京でも見られますが、そことの違いは何でしょうか。

國定:例えば海外のお客さんから見たら、日本の中で新潟がどこにあって、その中で三条市がどう位置しているのかなんて、まず知りませんよね。

日本という漠然としたイメージがあるわけで、◯◯物産市という地域名でのカテゴリの分け方というのは、こちらの都合なわけです。

一方でもし自分がお茶に興味を持ったら、茶筅 (ちゃせん) や茶巾 (ちゃきん) は奈良のもの、器は例えば伊万里のもの、というように地域を横断していきますね。季節でも選ぶものは変わってくるはずです。

そういう見せ方をして初めて、地方の「本物」にしっかり共感を覚えてもらえるのではないか、と思いました。新虎マーケットは、そこを目指していきたい。

例えば春は春らしく。夏ならお祭りですよね。お祭りというテーマの元に浴衣があったり花火があったり、「今度遊びに来てね」というメッセージも込めて山車を地元から持ってきたり。

そういう生活のシーンや文化のカテゴリごとに各地の魅力を伝えていきたいと思っています。

季節ごとのテーマに合わせて各地のものが集まる「旅するストア」
全国の「食」が味わえる、「旅するスタンド」

中川:地名切りではなくて、テーマをもたせた編集軸で見せていこうということですね。行政の集まりである以上、取り組みには行政の区分があるわけですが、それを超えていこうというのは、すごいことですね。

國定:今、新虎マーケットにいけば「〇〇市」といった分け方もしていますが、まさにこれから、そう言った編集軸での見せ方に力を入れていこうとしています。

中川:編集軸って民間だとやりそうですが、それを行政がやろうというところに一つ大きな意味があるように思います。

國定:そうですね。ただ、民間では全国津々浦々の情報まで、なかなか探しきれないのではと思います。一方で市町村の方は、自分たちのことは十分に知っています。

全国には1700以上の市町村があります。これだけ「地方創生」が声高に叫ばれている中です、それはみんな必死になって、正解かはわからないけれども自分の町はこれだ、というものを持っています。

一市町村ごとに正解を出していくのではなく、新虎マーケットでは加盟する市町村が胸を張って出せるものを一品ずつでも出し合っていく。それだけで460を超えるコンテンツになるわけですよね。

夏のテーマ発表の様子

これだけの素材があれば、点と点を結んで何かのストーリーを紡ぎ出していくことができる。そうしてひとつの絵になった時に、それぞれの点が光ってくるのではと思います。

中川:東京オリンピック・パラリンピックという大きなイベントを契機に、日本という大きな視点でコンテンツを考えて、ひとつひとつの要素を各地の「本物」で緻密に作りこんでいく。それこそ地域を超えていく取り組みですね。

國定:マーケットのある新虎通りは、この前のリオの凱旋パレードを開催した場所でもあります。虎ノ門ヒルズにはオリパラの組織委員会も入っていますし、あの一帯はオリパラそのものの象徴空間であることは間違いありません。

その足元である新虎通りで、オリパラの機運を盛り立てつつ、地方の「本物」を見ていただくというのは、いい親和性があるのではないかと考えています。

中川:2020年東京オリンピック・パラリンピックにかける全国の地方首長たちの強い意気込みを感じました。今日はありがとうございました。

旅する新虎マーケット
東京都港区西新橋2-16
https://www.tabisuru-market.jp/

お話を伺った中川政七商店表参道店前にて

ものづくりの町の奥座敷。渓谷の隠れ宿、嵐渓荘

こんにちは、ライターの鈴木伸子です。
今回は、ものづくりの町・新潟三条にはこんな別天地もあるのだという、とっておきの秘湯をご紹介しましょう。それは、知る人ぞ知る隠れ家のような、誰かにもったいぶって教えたくなるようなところなのです。

上越新幹線・燕三条駅から車で40分ほど。三条の奥座敷とも言える自然豊かな渓谷沿いのしただ温泉郷にあるのが、旅館・嵐渓荘 (らんけいそう) 。

ここの名物は、妙泉 (みょうせん) と言われる濃厚でなめらかな温泉と、三条を流れる五十嵐川のさらに上流である守門川の清流、そして国登録有形文化財にも指定されている木造三階建ての本館建物です。

全国各地から訪ねる人も多い秘湯の宿であり、燕三条の地域の人びとにも何かと親しまれている憩いの場。この嵐渓荘4代目の夫人で若女将である大竹由香利さんにお話をうかがいました。

泊まれる有形文化財

「しただ温泉郷 越後長野温泉と名乗っているこの土地は、昭和初期に温泉が掘削され、当初は心身の療養所も兼ねた湯治場でした。

そこに、燕駅前に昭和初期に建てられた料亭旅館の建物を移築し、戦後、温泉旅館として営業するようになったのです。『緑風館』と名付けられたその建物は、現在は国登録有形文化財に指定されています」

嵐渓荘の中心に建つ「緑風館」は、三階建てのてっぺんに望楼のあるシンボリックな外観。内部を案内していただくと、欄間や障子など各部屋で意匠が異なり、さすがは文化財という風格を感じます。

「緑風館は時代が水運から鉄道に変化する頃に建てられた建物です。この建物を解体移築した時も一部は水運でここまで部材を運んできたそうです」

敷地内にも豊かに水が流れる

こちらの宿は3000坪も敷地があるのに、客室は17室しかないそうで、まさに渓谷の自然を思う存分楽しむことができる「隠れ家」。

木造三階建ての緑風館のほかに、渓流沿いで眺めのよい渓流館、落ち着いた雰囲気のりんどう館の3館があり、それぞれの趣きを楽しめます。

渓流館の一室

「お風呂は大浴場と、高台にある貸切風呂『山の湯』があって、どちらにも露天風呂が設けられています。温泉の泉質は、強食塩冷鉱泉。かつてここは海の底だったので、塩分とミネラルが地質の中からしみ出しているのだそうです」

「ナトリウム分の濃い塩辛い温泉水ですが、効能があるので、ほうじ茶と合わせたものをラウンジで飲んでいただくこともできます。また、その温泉水を使った温泉粥を朝食にご用意しています。

お風呂では、湯船に入りながら日本酒を召し上がっていただく『露天で一杯セット』が人気です。木桶に竹の酒器で、地元・三条の福顔酒造の吟醸酒『五十嵐川』をお出ししています」

ほうじ茶と合わせた温泉水がいただける、趣あるラウンジ

となり合うものづくりの町、燕と三条をつなぐ宿

客室ではSUWADAの爪切り、丸直の箸と、地元・燕三条メーカーの製品を貸し出しているということ。またボトルのお酒がオーダーされると、燕の伝統工芸品、玉川堂の鎚起銅器製のクーラーで提供されているそうです。

「宿泊のお客様には、燕三条の工場見学に行ってみたいとおっしゃる方もいらして、お取次ぎをすることもあります」

工場が並ぶ燕三条の町なかとは離れた渓谷にありながら、やはり何かとものづくりの町とのつながりは密接なようでした。

そして嵐渓荘には、燕三条の地元の冠婚葬祭や企業接待の場、近隣リゾートとしても機能してきた歴史があります。

今日も夕方の玄関口に明かりが灯ります

「地元の方々の結婚式や法事のほか、七五三などご家族でのお祝いの会合にもよくご利用いただいています。地元企業の方が取引先のお客様を御連れになったりもしますので、私たちも、地域のおもてなしの場として燕と三条をつないで盛り立てて行きたいと常に考えています」

このあたりは冬はけっこう雪が深く、雪景色を楽しみに来る人も多いということ。雪行灯やかまくらなどを作っておもてなししているそうで、そんな真冬の温泉郷で露天風呂に入るのもよいものでしょう。ゴールデンウィークや夏休みは家族と、紅葉の季節はツアーでなど、季節ごとにさまざまに楽しまれているようです。

「『妙泉和楽 (みょうせんわらく) 』という言葉がこの温泉のコンセプトでして、妙なるお湯を和やかに楽しんでいただければ幸いです」と若女将はにこやかに語りかけます。

地域の奥座敷として、こんな温泉宿があるというこの土地の豊かさに感じ入りました。

<取材協力>
嵐渓荘
新潟県三条市長野1450
http://www.rankei.com/


文:鈴木伸子
写真:神宮巨樹

8月3日、はさみの日。刃物の街で老舗企業が日々品質を磨くはさみ

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多ある記念日のなかで、こちらでは「もの」につながる記念日をご紹介していきたいと思います。
さて、きょうは何の日?

8月3日、「はさみの日」です

8月3日を「8・3 (ハサミ) 」と読んで、「はさみの日」。1977年、美容家で国際美容協会会長・山野愛子氏によって提唱され、設定されました。

この日には、東京の増上寺に建立された「聖鋏観音塚 (せいはさみかんのんづか) 」にて、日頃使用している鋏に感謝し供養する「はさみ供養」が執り行われます。現在は、美容関係者のみならず、様々な職業の人々が訪れ、世の務めを果たし終えたはさみを塚に納め、供養法要が厳かに行われています。

私たちの暮らしになくてはならない道具、はさみ。とてもシンプルな構造ですが、ちょっとしたバランスが崩れただけで切れなくなってしまうのだとか。日々当たり前のように使っているものですが、出来るまでには様々な調整がされて私たちの元に届いているのですね。

歴史ある刃物の街。はさみ作りの現場へ

新潟県三条市は江戸時代から続く刃物の街。この街で園芸鋏を作り続けている「小林製鋏 (こばやしせいきょう) 」さんを訪れ、お話を伺いました。

社長の小林伸行 (こばやし・のぶゆき) さん

「はさみには機械的要素があります」と小林さん。

「まっすぐな刃物を2つ合わせただけのはさみでは物は切れません。2つの刃がうまく擦れ合うように、刃の形、つなぎ目の鋲 (びょう) の合わせや穴のサイズを調整し、握りやすい持ち手を作っていく必要があります。

刃の合わせは、実際に握って動かしてみて、目で見て、刃の擦れ合う音を耳で聞いて確認していきます」

留めた鋲がガタガタと動かないよう、穴の位置や大きさも厳密に調整されています

対話を通して品質に磨きをかける

農家向けの収穫ばさみを専門に製作し、長年に渡り農家のさまざまな要望にきめ細やかに対応してきた小林製鋏さん。

「自分たちで出来上がりをチェックするのはもちろんですが、実際に使っているお客さんからの声を伺うようにしています。

農家のみなさんは、1日に3000個もの作物を連日収穫し続けたりされるそうです。その中で耐久性や使い勝手は非常に重要ですよね。日々使う中で感じた不具合や気になる点を伺って改良してきました」

商品の箱にはアンケートハガキを入れていて、何か問い合わせがあった時だけでなく、届く言葉に常に耳を傾けているのだそう。

回転する砥石の上で刃を研ぎ、2本合わせた時に切れる角度に調整していきます

「例えば、鋭い刃をつけると切れ味はよくなるのですが、耐久性は下がります。適度なバランスが求められます。使い勝手の面では、グリップに巻く素材は皮で作っていたのですが雨に濡れると弱ったり、耐久性の点で難点があると聞き、樹脂に変えました。

そのほかには、みなさん包丁は毎日洗われますが、はさみの手入れをそこまでされる方は少ないので、塗料を2度かけたり工夫することでサビから守るなどの改良も行なっています」

光に当てて最終チェック。隙間の大きさを確認して調整します

小林製鋏さんのサイトでは、感想を寄せる案内が大きく出ていたり、はさみの研ぎ方やお手入れ方法を丁寧に案内する動画まで掲載されています。実際に使う方々との対話を大切にしてものづくりをされている様子が各所で伺えました。

こうした姿勢で積み重ねてきた改良の努力と信頼関係で、長く愛され続けている商品が作り出されているのですね。

<取材協力>

小林製鋏

<関連商品>

小林製鋏 HARVESTER

小林製鋏 FLORIST

文・写真:小俣荘子

「ふつう」じゃない鍬を100年作り続ける鍬専門工場、近藤製作所

こんにちは、ライターの鈴木伸子です。
私もさまざまな金物工場を取材しましたが、なかでも驚いたのは、鍬 (くわ) の専門工場・近藤製作所で見た、壁一面にありとあらゆる形の鍬がずらりと並んだ光景でした。“鍬”と一言で言っても、こんなにいろいろな形と種類があったとは!

鍬は、耕す地形や地質、田んぼ用か畑用かなどによって、それぞれ形が異なってくるために全国各地、このようにいろいろな形があるそうなのです。それは、四角、長方形、丸型、うちわ型、フォークのような形とさまざま。それら全国から注文や修理によって近藤製作所で請け負ってきた鍬が、ここに一堂に並んでいるということなのでした。

「ふつうの鍬」なんて無い

近藤製作所は創業100余年。三条の地元の「野鍛冶 (のかじ) 」として農家の使う鍬をはじめとした農具を製造し、やがて鍬専門の工場となりました。現在の代表は近藤一歳 (こんどう・かずとし) さん。昭和24年生まれで、小学生の頃から工場で父の手伝いをしてきたという筋金入りの鍬職人です。

お話を伺った近藤一歳さん

「鍬と言っても、見てもらえばわかるように日本国中にいろいろな種類がありますから、『ふつうの鍬ください』と言って注文してきた方がどんなものをイメージされているのか、こちらにはまったくわからないわけです。

たとえば新潟でも、三条のあたりの土質は粘土質の赤土で耕すのに割合力がいるそうです。だけど上越は黒土で地質が違うし、そのほかも柏崎、小千谷と、地域によって使われている鍬の形は全然違うんです。

新潟の鍬は全体的に幅が広いですね。それは田んぼで畝を作ったりするのによく使われるから。それに対して関東地方の土は関東ローム層でさらっとしているし、田んぼよりも畑が多いでしょう。だから鍬にも掘ったり切ったりする機能が求められる。

そのほか福島県でも浜通りと中通りでは全然違うし、山形県でも山形市と庄内、鶴岡では使われている鍬の形が全然違うんですよ。だから『ふつうの鍬がほしい』と言われても今使っている鍬を見せてもらってどんなものか判断するしかないわけです」

似ているようで地域によって少しずつ形が違います

また、鍬には作業の性質により、「打ち鍬」「引き鍬」「打ち引き鍬」と大きく分けて3種の鍬があるとか。

「『打ち鍬』は田畑の荒れたところを開墾するための鍬です。振りかざして土のなかに打ち込むようにできていて、厚みがあって、刃の角度は起きていて丈夫です」

お話の合間合間で使い方を再現してくれる近藤さん

「『引き鍬』は、畝を作ったり土を移動したりするためのもの。薄くて角度は寝ています。『打ち引き鍬』はその中間。打ったり引いたり。
たとえば、群馬、埼玉など関東の土質は関東ローム層なので、引き鍬です。その一方で打ち鍬は、ふり下げて鍬自体の重さで土を耕す。なので、軽ければいいというものでもない。持ち上げるのは楽でも、打ったり引いたりするのにかえって力がいることになるわけです」

近藤さんの解説で、鍬という農具の深淵さ、日本全国の農耕文化の多様さが徐々にわかってきました。

全国の農家の人の身体の動きをトレースする

近藤製作所では、全国各地の金物問屋の注文によって鍬を製造しているほか、永年愛用されてきた農具の修理や復元といった個人の注文にも応じています。

「農家の人は、ずっと使っている鍬の形でないとだめなんです。その鍬でする作業が身体に染み込んでいるから。

注文品について、特に神経を使うのは3点。刃の先端の曲線部の具合、刃全体の反り具合、あとは柄の角度ですね。特に柄の角度は重要で、それによってできる作業の性質が変わってくる。だからうちでは柄の角度を変えられる鍬も作っているんですよ。

今は農業も機械化されているので、鍬の使われ方も変わってきています。最近は田畑に畦 (あぜ) を作らなくなっていることもあり、鍬自体が小さくなっている傾向にありますね。
インターネットでの通信販売もしているので、九州の方が北海道で使われている鍬を求められるというようなこともあって、おもしろいことだなと思っています」

近藤さんの工場では、スプリングハンマーなどの機械を導入しながら、刃先の鋼部分は今も手作業で叩いて仕上げて鍬を製造しています。いかにも金属の“ものづくりの場”という雰囲気の重厚で大きな機械が並ぶ工場内で、その作業の様子を見せていただきました。

「昔は一つひとつ鉄を叩いて強度を増す鋼 (はがね) をつけて、全部手づくりでやっていたけれど、三条の金物工場では比較的機械の導入が早かったから、鍬もスプリングハンマーを使って大量生産できるようになったんです。

また、三条はステンレス製品の産地である燕と隣り合っているので、ステンレス製の鍬も早くから生産するようになりました。まだ全国の農具の産地でもステンレスという素材になじみのないところは多いです。ステンレスには直接鋼を付けることはできないので、鋼と軟鉄が一緒になった利器材(りきざい)を溶接してハンマーで叩きます」

そんなお話をうかがいながら、スプリングハンマーが鉄を叩く様子を見せていただきます。スプリングハンマーが上下に動く、ドス、ドスという音とともに火花が周りに散り、そばで見ていると、たいへんな迫力。

その後、鍬の先端の刃の部分に鋼を付け、今度は近藤さん自らが金槌をふるって接合していきます。熱で真っ赤になった鉄と鋼に力いっぱい金槌を振り下ろすと、派手に火花が飛び散ります。

「こうして“はたく”ことで、刃が丈夫で切れ味がいい鍬になるんです」

近藤さんは“はたく”という表現をされますが、それは真っ赤になるほどに熱した鉄を何度も工具で叩いて鍛えること。そうすることによって、金属の組織がスクラムを組んだように結合して強くなるということなのです。

火花散る鍛冶の現場。大変な迫力です

永年作り続けてきた全国各地のさまざまな種類の鍬と、熱気あふれるその製造現場。ここには、農家の信頼を得てきた三条の野鍛冶の伝統が連綿と受け継がれていることを実感しました。

<取材協力>
近藤製作所
http://www.kuwa-kaji.com/

<関連商品>
近藤製作所 移植ゴテ・耕耘フォーク (中川政七商店)


文:鈴木伸子
写真:神宮巨樹