浅草寺の提灯、両脇はなぜ銅製? そこには思わぬ理由があった

江戸下町の雰囲気を色濃く残し、外国人観光客からも熱視線を浴びる東京・浅草。

そのランドマークである浅草寺といえば、多くの方は門前の大きな提灯を思い浮かべるのではないでしょうか。

浅草寺の提灯

提灯というと、竹ひごを組み合わせて和紙を貼ったものが一般的。しかしこの両脇の黒い提灯に注目です。

浅草寺の大提灯

こちらは紙でなく、銅で出来ています。見たことある、という人も多いのではないでしょうか。

今日は、この浅草を代表する風景の一部となっている、銅製提灯のお話。

なぜ、中央の赤い大提灯と同じ紙でなく、わざわざ銅製なのか。作り手を訪ねてみると、そこには意外な理由がありました。

作り手は、鋳物のまち高岡に

向かったのは、富山県高岡市。

画像提供:富山県高岡市

歌人・与謝野晶子が「美男」と褒め称えたというまちのシンボル、高岡大仏が迎えてくれます。

三代目とされるこの大仏さまの像は、昭和初期に高岡の鋳造技術を結集して造られたもの。そう、実は高岡は、日本の銅像や銅器の約9割を生産しているとも言われる「鋳物 (いもの)」 のまちなのです。

その歴史は約400年前、高岡の開町にあたり、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡に7人の鋳物師を迎え入れ、鋳物産業を奨励したことがその始まり。現在「高岡銅器」は国の伝統的工芸品にも指定されています。

さて高岡の鋳物とひとくちに言っても、小さな部品から巨大な仏像、伝統的な仏具からモダンな生活用品まで、多種多様なメーカーがあります。

あの浅草寺の提灯を手がけたのは、「大型鋳造」を得意とする梶原製作所さんです。

そもそも鋳造って?

浅草寺の銅製提灯を可能にした「鋳造 (ちゅうぞう) 」は、紀元前数百年には日本に伝わっていたとされる歴史の古い技術。

その基本的な方法は、熱を加えてドロドロに溶かした金属を型に流し込み、それを冷やし固めて型から外し、1つの形に仕上げるというものです。

溶けた金属を型に流し込む、ダイナミックな「鋳込み」の作業

「古代ギリシャ人が知っていた芸術作品の複製技術の方法は、ふたつだけであった。鋳造と刻印である」(『複製技術の時代における芸術作品』より)

ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンが言ったように、「鋳造」は古代から人間が行ってきた「複製」「量産」するための営みの1つでした。

高岡でも同じ型のものを複製し量産する鋳物メーカーが多い中、梶原製作所さんは毎回異なる原型作りから行う、一品製作を主としています。

手がけるのは大型の銅像から銘板まで多岐にわたり、浅草寺の提灯だけでなく、川崎大師や高野山金剛峯寺、昭和天皇多摩御陵など、全国いたるところに納められています。

銅製の提灯で、江戸の魚河岸文化を伝え残す

なぜ、銅製の大提灯が誕生したのか?梶原製作所社長の梶原壽治さんに経緯をうかがいました。

社長の梶原壽治さん

「やっぱり提灯というのは、当然『紙』のイメージがありますよね。あの提灯のおもてに書かれている文字も、独特のものです。

江戸文字と言って、大きく書かれる方が今はなかなか少なくなっているらしい。そんな話が、ひとつのきっかけだったかと記憶してます」

「江戸文字」とは、歌舞伎や相撲の番付、落語の寄席などにも見られる、極太で勢いのある独特の書体。これらは実は似ているようで、それぞれ違います。

浅草寺の提灯に使われている江戸文字は、もとは江戸の魚河岸(江戸・東京の食を支えてきた魚市場。17世紀初頭に日本橋〜江戸橋の間に開設され、1935年に築地、2018年に豊洲に移転)だけで使われてきた独特の書体なのだそう。

紙の提灯であれば5〜6年、長くても10年で作り替えなければなりません。

なんとか長く、後世に残せるものにできないか。その挑戦はまず成田山新勝寺の提灯に始まり、そして浅草寺の銅製提灯につながっていったそうです。

紙でしか想定していなかったものを銅に置き換える

「もともと紙でしか想定していなかったサイズのものを金属で造るわけなので、最大の課題は軽量化でした」という梶原社長。

それも普通サイズではなく、およそ3メートルもある大提灯 。銅に置き換わっても違和感がなく、もともとの紙提灯らしい雰囲気を出すにはどうしたらいいか。

「これはこうしたほうが良いですか、こんなことならできますよ」と様々なサンプルを見せながら、知恵を絞り、実現に向けて打ち合わせを重ねていきました。

提灯の製作期間は、約1年。でもそれは決して珍しいことではない、と梶原さんは言います。

400年分の知恵を駆使して

「一品製作」は、毎回が挑戦です。造るものに応じて適切な鋳造法や加工技術を考え抜き、製造していきます。高岡のものづくりは分業制が基本なので、都度他のメーカーや職人と連携し、造り上げていきます。

「高岡には400年分の、伝統工芸の、金工の歴史がありますから。その中に先輩方のいろんな知恵がある。挑戦の度に、難しいことがあると周りの先輩方に『こんなものができますか?力を貸してください』と相談し、連携しながら造っていくのです」

毎回打ち合わせに時間をかけ、1からデザインを決め、原型を造り、鋳造し、研磨・彫金などの仕上げや加工を施し、着色をして、やっと完成。

粘土による原型づくりの工程
原型を元に鋳型 (金属を流し込む型) づくり
鋳造にも様々な方法がある。これはそのうちの一種、「ガス型鋳造法」の鋳型
溶けた金属を型に流し込む、ダイナミックな「鋳込み」の作業
鋳込みにより作られた大きな仏像の蓮華座。溶接による仕上げ作業をしているところ

たとえば10メートルの仏像であれば、原型に半年、パーツごとに分けて鋳造して半年、パーツの組み上げに半年と、それだけでも1年半。「全ての工程で気が抜けません」と梶原社長は言います。

「きれいすぎない」加工で紙のような質感に挑む

1年という期間をかけて完成に至った浅草寺の提灯。

固くて重い金属という素材を、いかに軽くするか。紙や竹素材のような柔らかく軽い質感に見せるか。そんな課題を、梶原さんはどのように解決したのでしょうか?

「たとえば、表面がきれいすぎても不自然でしょ。いわゆるシンメトリーの世界のような美しさよりも、肌がシワシワとしているのが、提灯らしさ。

それで軽さと質感、両方を実現するために、鍛金の技術と鋳造の技術とを併用しました。

鋳造だけだと6〜8ミリくらいと厚くなる。一方で鍛金した銅板を使えば、その部分は薄くできる。

鋳造の部分と鍛金による銅板の部分を組み合わせることで、まず軽量化が実現できました」

さらに、パーツ同士を組み立てる際の溶接痕も、質感を表現するための大事な材料として工夫が凝らされました。

紙のやわらかな質感を出すために、溶接痕の磨きを加減することで、紙がよれたような雰囲気に。また、溶接痕をあえて残し、竹の節に見立てました。

そんな発想や工夫ができるのは、400年間、高岡で先人たちが積み上げてきた、技術と知恵があってこそなのでしょう。

こうして無事に完成した提灯には、梶原製作所の名が刻まれています。次に浅草寺を訪れたら、ぜひこの銅製の提灯を見上げてみてください。

浅草寺の大提灯

東京のランドマークを支える高岡のものづくり。

それは職人たちが知恵と技を競って取り組んできた、挑戦の歴史と言えるかもしれません。

そんな挑戦の伝統は、今も。

400年続く高岡のものづくりに、はるか遠くイスラエルの地から飛び込んだ1人の男性がいます。近日、そんなある職人の、挑戦のお話をお届けします。お楽しみに!

取材協力
株式会社梶原製作所
富山県高岡市横田町3-3-22
http://kajihara-ss.com/

文:荻布裕子
写真:浅見杳太郎、株式会社梶原製作所、浅草寺

京都の庭師が伝える「日本の庭」の見方・読み方・歩き方

松や紅葉につつまれてそぞろ歩く広い庭園。整えられた砂紋に背筋の伸びる枯山水の庭。露地の奥にふわりと開けるひそやかな坪庭。

京都無鄰菴
京都南禅寺
京都無鄰菴

くわしい知識がなくとも、心のままに楽しむことのできる日本庭園ですが、「これを知っていればもっとわかる」という、読み解きのコツがあります。

「どんなさりげない部分も、じつは『あえてそうしてある』のが日本庭園です。では、なぜそうしたのか?そこを少し考えるだけで、ぐっと解像度があがります」

創業170年、京都・南禅寺の御用庭師 植彌 (うえや) 加藤造園株式会社 知財管理部の山田咲さんに、庭をもっと楽しむための見方、読み方、歩き方、〈きほんのき〉を教えていただきました。

山田咲さん。植彌加藤造園株式会社は1848年 (嘉永元年) より大本山南禅寺の御用達を務める。南禅寺大方丈、東本願寺渉成園、無鄰菴、對龍山荘などの文化財指定庭園の育成管理のほか、星野リゾートなど新たに作庭から手がけた庭も多数
山田咲さん。植彌加藤造園株式会社は1848年 (嘉永元年) より大本山南禅寺の御用達を務める。南禅寺大方丈、東本願寺渉成園、無鄰菴、對龍山荘などの文化財指定庭園の育成管理のほか、星野リゾートなど新たに作庭から手がけた庭も多数

「ここではないどこか」へのあこがれを表現している

「目の前の素材を使って、目の前にないものを表現しようと、人は庭をつくってきました」

目の前にないもの?どういうことでしょうか。

「日本の庭の歴史は古く、飛鳥時代までさかのぼります。ただ、その頃の庭は、まだ大陸の文化の模倣的な要素が多く見られるものでした」

平安時代になって、貴族の邸宅や別荘を舞台に、国風の優美な庭園文化が花開きます。水を引き入れ、池をつくり、島を配した、浄土式庭園や池泉廻遊式庭園です。

「こうした庭は、浄土や未知の世界、すなわち海の向こうや彼岸を表現しようとしたものでした。

また、時代が下ると文学を再現する庭もつくられるようになりました。現実にはないあこがれの場所を、そこに現そうとしていたのです」

植彌加藤造園株式会社 山田さん

その後、禅の庭として枯山水が、茶道の隆盛のなかで茶庭 (露地庭) が、また江戸時代には大名庭園が生まれていきますが、いずれも目の前の素材を使いながら「ここにない景色」を希求する心でつくられていると、山田さんは読み解きます。

「例えば枯山水には禅の思想が、大名庭園には教養世界や故郷の景色が、貴族の庭には和歌や文学というように、いわば庭には『庭ではない参照元』があったのです」

明治以降の近現代もそうなのでしょうか。

「明治時代、日本の庭は大きく変わります。

同じく目の前の素材を使いながら、いきいきとした、自然らしい自然が求められていきました。

参照元自体が『自然』になったと言えるでしょう。グリーンに癒やしを求める現代の私たちの感覚に近いと言えるかと思います」

明治期に山縣有朋の別邸として作られた、京都・南禅寺近くの「無鄰菴」。植彌加藤造園が指定管理者を務める国指定の名勝
明治期に山縣有朋の別邸として作られた、京都・南禅寺近くの「無鄰菴」。植彌加藤造園が指定管理者を務める国指定の名勝

大転換ですね。こんどは現実を表現するように変化したのでしょうか。

「そうかもしれませんし、近代化して、都市化・機械化がさらに進んだことで、もはや自然が『もうここにないもの』になっていたのかもしれません」

無鄰菴

いつの時代も、手の届かない「彼岸」にあこがれる気持ちが、日本庭園をつくってきていた。そう思って見る庭は、すでに少し違う顔を見せてくれていました。

まずは石と築山を見る

庭園を訪れて、まず見るべきはどこだと思いますか。松の古木?白砂の砂紋?春なら桜、秋なら紅葉の彩り?

植彌加藤造園が御用庭師を務める、南禅寺の方丈庭園
植彌加藤造園が御用庭師を務める、南禅寺の方丈庭園にお邪魔して見ていきましょう

「樹木も草花も、植物は庭の重要な構成要素ではありますが、枯れたり成長したり、庭の時間から見ると、変化のスピードが大変早いものです」

たしかに。では、どこを見るとよいのでしょう。

「まずは、石と築山 (つきやま) を見ると、庭の構造がわかりやすいです」

石と築山?どれですか。

南禅寺方丈庭園

「庭のスタイルにもよりますが、庭の景色をながめていただくと、景色を構成する『景石』と言われる石が配されていることが多いんですよ」

言われてみれば、あります、あります。中央の平たい大きな石や、ほかにも。石に注目すると、視界にどんどん入ってきます。

南禅寺方丈庭園

「その石の奥に築山があるのがわかりますか?

築山は、日本庭園の人工的な山のこと。土砂や石を小高く盛り上げて、大小の山をつくったものです」

南禅寺方丈庭園

なるほど、言われてみればたしかに。よく見るとかなりの高低差があるのがわかります。

南禅寺方丈庭園

「地形に起伏を与え、高低差をつけることで、奥行きが感じられます。ああして盛り上げることで奥行き感をコントロールして、空間の中での石や樹木の配置に意味を持たせているんです。

また石の近くの刈り込みも、高さを調節してあります。そうして石を引き立てているんです」

南禅寺 方丈庭園

横や手前で丸く刈り込んだ灌木は、まるで石に向かってお辞儀をしているよう。そうと知って見ると、ご主人の石にしたがう従者のようにも思えてきました。

庭は気づかれないほど自然な「人為」

次は、庭の外にあたる「遠景」に目を向けてみましょう。

「奥に山が見えますね。あの山を借景として、この庭は成立しています。ですが、山があるだけでは借景にはなりません」

南禅寺方丈庭園

どういうことでしょうか。借景にふさわしい山とそうでない山があるのでしょうか。

「いいえ、そうではありません。借景としてどう取り入れるか、庭園側に工夫が必要なのです」

山を「遠景」、庭の手前を「近景」として、間をつなぐ「中景」が大事になるというのです。たとえば建物の屋根を中景に利用したり、高さのある樹木で木立をつくったりという工夫がされています。

「それによって山と庭が呼応し、ひとつの風景として完成します。また、自然らしくなるよう、樹木の枝ぶりも人の手で整えています」

南禅寺 方丈庭園

ごく自然な雰囲気で見えている目の前の風景。「なんとなく感じる心地よさ」「自然らしさ」に、そんな秘密があったとは、思いもよりませんでした。

「庭は人為です。すべて人が意図して、あえてそうしています。そう思って見ていただくと、新しい発見があるかもしれません」

ナチュラルに見せるための熟練のわざ。気づかれないほど自然な「自然らしさ」を表現している庭の秘密を、もっと知りたくなってきました。

いま歩いている園路はうたがった方がいい

そこへ山田さんから意外なアドバイスが飛び出します。

「ただ、普段歩いている園路はうたがって見ると面白いです」

植彌加藤造園株式会社

園路をうたがう?

「はい。造営当初に意図された入り口ではないところ、たとえば裏口や勝手口から入っている可能性も高いです」

というのも、一般公開されている名勝庭園の多くは、来訪者がスムーズに巡回できるよう、見学用の園路が設けられています。もともと庭が作られたときとは、用途や人の動きが変わっていることが多いのです。

勝手口や裏口から入る動線になっている場合、庭の「顔」とも言える正面向きではなく、斜め後ろや横から入っていくことになります。では、庭を「ベストな向き」から見るには、どうすればいいのでしょうか。

身体で味わう

「庭には『ここから見るといい』という場所があります。コツさえ知れば、あとは庭が教えてくれますよ」

まずは建物との位置関係に注目です。庭は建物とセットでつくられているもの。部屋から見たらどうなるかを想像してみます。

とくに、昔は正座が基本。床に座ると、立っているのとは目線の高さが変わります。多くの庭は、お堂や座敷の上座 (位の高い人が座る席) から最も良く見えるようにつくられているそうです。座位 (座った状態) からのながめに注目してみましょう。

座位から見た庭園
座位から見た庭園

次は、園路によく設けられている「視点場 (してんば) 」です。

庭を歩いていると、ふと足が止まる。つい立ち止まりたくなる場所があったら、それが視点場かもしれません。

南禅寺

視点場には立ち止まりやすい石が敷かれていることも多いそう。

「踏分石 (ふみわけいし) といって、道の分岐点であることも多く、その石は、他より大きかったり、平らだったり、形が整っていたり、素材や色が違ったり、何らか『ここだよ』というサインを出しているのが目印です」

無鄰菴で見つけた視点場
無鄰菴で見つけた視点場

そういう場所からの景色は、ひとあじ違います。

風景画のようだったり、歌舞伎で役者が見栄をきった瞬間のようだったり、なんとはなしに「決まってる」という印象を受けるはず。景色が注意深く庭師によって構成されているのです。

丸石の視点場から見た無鄰菴の景色
丸石の視点場から見た無鄰菴の景色

そうした視点場は、頭で考えたり目で見つけようとするより、「身体で探してみるといい」というのが山田さんのアドバイスです。

「庭づくりは、じつは身体感覚を重視しています。身体にどういう記憶を残させるか。

『経験としての庭』を考えてつくります。とくに近現代の庭はそうですね。見るときも、ぜひ身体で味わってみてください」

京都無鄰菴

歩きまわったり、向きを変えたり、立ったり座ったり。いろんな角度から見え方を比べてみたら、庭が見せる表情も、きっと変わるはず。お気に入りの「見方」を探してみてください。

成長する庭

庭には、人為が尽くされている。ですが、日本庭園を根底で支えるのは、人智を超えた「自然」へのリスペクトです。

無鄰菴

「植物も生きものですから、セオリーどおりにはなりません。ならなくて当たり前です。庭師は、それを前提として、庭を構成しています」

植彌加藤造園の山田さん

苔庭にしたいのに苔が定着しない庭もあれば、逆に芝生にしたいのにどうしても苔むす庭もあります。日当たりや土壌や降雨や湿度など、さまざまな条件が影響します。

無鄰菴

「環境や条件をふまえたうえで、どう手入れをし、よりよくしていくか。30年後、50年後も見据えつつ庭を育んでいくのが庭師の腕です」

歳月を重ねることで、味わいが増していくのですね。

「そうです。日本庭園の場合、経年変化は庭の価値を増すのです」

歳月に育てられて、よりよくなる。すてきな考え方です。まるで人間のことを言っているようでもあります。

「もっとも、放置しておいては荒れるばかりです。できたばかりの庭は、生まれたての子どものようなもの。きちんと育てていく日々の営みあっての成長なんですね」

取材中に遭遇した松のお手入れの様子
取材中に遭遇した松のお手入れの様子

施主 (持ち主、オーナー) の意図。守り育ててきた庭師たちの技術と心意気。日本庭園には、営みの歴史とたくさんの人の思いが、幾層ものレイヤーとなって折り重なって息づいているのでした。

<取材協力>
植彌加藤造園株式会社 (Ueyakato Landscape)
https://ueyakato.jp/


文:福田容子
写真:山下桂子

沖縄「オハコルテ」の絶品レモンケーキが生まれた理由とおすすめの食べ方

取材やものづくりで、よくお邪魔する産地のお店やメーカーさん。そこで、大概「およばれ」に預かります。お茶とお茶うけ。地元の銘菓や駄菓子、そのお家のお母さんが作ったお漬物だったりと、頂くものはいろいろですが、これがまた、とても美味しいのです。普通の旅ではなかなか見つけられない、地元の日常をさんち編集部よりお届けします。

シークヮーサーの爽やかな香りが広がる、オハコルテの甘酸っぱい「ヒラミーレモンケーキ」

コロンとした形が可愛らしいレモンケーキ。実は沖縄では、お盆やお墓参りのお供え物にレモンケーキを買ってくるのが定番なんだそうです。

しかし、今日およばれにあずかったのはただのレモンケーキではありません。お供えもののイメージを刷新し、沖縄手土産の新定番になっている、「ヒラミーレモンケーキ」なのです。

オハコルテのレモンケーキ

“ヒラミーレモン”とはシークヮーサーの和名。アイシング部分のザクザク感とシークヮーサーの風味を効かせたケーキ部分のしっとり感が絶妙で、噛むほどにシークヮーサーの爽やかな香りと甘酸っぱさが口の中に広がります。

作っているのは沖縄のフルーツタルト専門店「oHacorte(オハコルテ)」さん。旬の果物を使ったタルトが人気です。

沖縄のフルーツタルト専門店オハコルテ
沖縄のフルーツタルト専門店オハコルテ

フルーツタルトと並んで人気なのが、沖縄特産の柑橘“シークヮーサー”の香りと酸味をギュッと詰め込んだ「ヒラミーレモンケーキ」です。

今回は「今日もおよばれ」特別編、作り手のオハコルテさんに沖縄とレモンケーキの美味しいお話を伺うことができました。

オハコルテのヒラミーレモンケーキ

沖縄のお墓参りの定番はレモンケーキ

沖縄では、旧暦の二十四節季のひとつ「清明」の時期に「清明祭(シーミー)」が行われます。親族が揃ってお墓参りをする先祖供養の行事ですが、お供え物の定番のひとつに「レモンケーキ」があるそうです。

レモンの形をしたケーキの上に、チョコレートがコーティングされているのが一般的なもの。沖縄ではスーパーなどで手軽に買えるそうです。

「レモンケーキは小さいころから馴染み深いお菓子で、私も大好きでした」
と語るのは、オハコルテの商品開発部長、高良鐘乃(たから・しょうの)さん。

オハコルテの企画開発部長、高良鐘乃(たから・しょうの)さん

「沖縄にあるものを使って、沖縄の新しいお菓子を作りたい」という思いから誕生したのが、このヒラミーレモンケーキです。

従来のものはレモンの形はしていても、レモンらしい味はあまりしないそう。沖縄らしくシークヮサーを使ってレモンケーキを作ろうとなった時、お菓子作りでポイントとなったのが、シークヮーサーの残さ(ざんさ:果汁を絞った後の残り)でした。

「果汁ではなく残さを生地に混ぜ込むことで、香りが豊かになり、シークヮサーの味がしっかり感じられるんです。色も可愛く仕上がって、酸味とシャリッとした食感もアクセントになりました」

生地は、従来のパウンドケーキのようなしっかり硬めではなく、スポンジケーキのようなやわらかさ。

ほおばった時にふわっと香り立つ爽やかな香りと口の中に広がる酸味、ふわふわしっとりの食感は食べたことのない美味しさで、もういくつでも食べられてしまいそうです。

楽しみ方もいろいろ

最近では、お供え物はもちろんお中元やお歳暮、3月の人事異動の時期にはご挨拶のお配りものに利用する方も多いそう。

オハコルテのヒラミーレモンケーキ

親しみのあるお菓子なのに、ちょっと特別感があって、人にあげやすい。その絶妙さが人気の秘密かもしれません。

オハコルテのヒラミーレモンケーキ

甘酸っぱいケーキは、紅茶やコーヒー、日本茶や沖縄のさんぴん茶にもよく合うそう。甘いのが苦手な方にもおすすめです。

そのままでも美味しいですが、さらに美味しくいただく方法が。

「電子レンジでアイシングが溶けない程度に5秒くらい温めると、焼き立ての食感が味わえます。冬場にオススメですね。夏は冷蔵庫で冷やして食べるのも美味しいですよ」

懐かしくて新しい、沖縄の新定番お菓子。

こんな手土産なら、もらった人もご先祖様も、さぞや嬉しいはずです。

ごちそうさまでした!

oHacorte

文 : 坂田未希子
写真 : 武安弘毅

※こちらは、2018年6月28日の記事を再編集して公開しました。

「東北絆まつり」から予習する、東北6大祭りの見どころ

まもなくやってくる夏本番。夏といえばお祭りを連想する人も多いかと多いますが、特に夏の東北は有名なお祭りが数多く開催され、ほかの地方にはない独特の熱気につつまれます。

福島では6月1日と2日の2日間にわたって「東北絆まつり」が開催。これは東日本大震災からの復興を祈念して開催されていた「東北六魂祭」をリニューアルしたもので、東北6県を代表するお祭りが集結します。各お祭りのダイジェスト版を一度に楽しめる贅沢なプログラムで、山車や踊りなどそれぞれの特色を前面に押し出した豪華絢爛なステージやパレードに会場は例年大いに盛り上がり、たいへん賑やかな2日間となります。。

今回は「東北絆まつり」の風景を紹介しながら、この夏おすすめの東北のお祭りをいち早くご紹介。その魅力を存分にお伝えします! きたるべき夏休みに向けて、ぜひ東北も旅行先の候補に加えてみてください。

今回ご紹介する東北の6つのお祭りはこちら

1.「青森ねぶた祭り」 ↓

2.「秋田竿燈(かんとう)まつり」 ↓

3. 「盛岡さんさ踊り」 ↓

4.「山形花笠まつり」 ↓

5.「仙台七夕まつり」 ↓

6.「福島わらじまつり」 ↓

1.ただただ圧倒されるねぶたの勇姿

青森ねぶた祭り

東北最大のお祭りとして名高い「青森ねぶた祭」は、七夕祭りの灯籠流しが起源ともいわれています。目抜き通りへ出陣する巨大なねぶた(張り子を乗せた山車)をひと目見ようと世界中の人たちが夏の青森に押し寄せ、毎年250万人以上の動員を記録。歴史上の人物や地元の伝説を題材にしたねぶたは迫力満点で、すぐれた団体を表彰する「ねぶた大賞」も注目を集めています。

また、注目したいのが「ハネト(跳人)」と呼ばれる踊り手たち。色とりどりの花笠を被り、「ラッセラー、ラッセラー」という威勢のいいかけ声で祭りを熱く盛り上げる姿は見ているだけでパワーがもらえそう。

じつはこのハネト、正式な衣装を着ていれば観光客も自由に参加可能なんです。衣装の貸し出しをしているお店もあるので、「ねぶたの熱気をより近くで感じたい!」という人におすすめです。

開催日 : 2019年8月2日 (金)~8月7日 (水)

開催場所 : 青森駅周辺、青森港

公式サイト : https://www.nebuta.or.jp/

2.竿燈を自在に操る妙技をご覧あれ!

秋田竿燈(かんとう)まつり

「秋田竿燈まつり」は真夏の病魔や邪気を払う「ねぶり流し(眠り流し)」の行事として始まり、実に250年以上の歴史を誇ります。

見どころはなんといっても竿燈を使った妙技。重さ50キロ、高さ12メートルもある巨大な竿燈を、名人がお囃子に合わせて自由自在に操ります。

竿燈は稲穂に、提灯を米俵に見立てていて、五穀豊穣を祈る意味合いもあるのだとか。

いくつもの提灯をぶら下げたゆらゆらとしなる竿燈を、絶妙なバランス感覚で肩に額にと乗せていく様はまさに職人芸。型が完成するたびに周囲には拍手や歓声が飛び交い、会場に一体感が生まれます。毎年120万人以上の来場者が詰め掛ける、ここでしか見ることができない秋田の夏の風物詩です。

開催日 : 2019年8月3日 (土)~8月6日 (火)

開催場所 : 竿燈大通り一帯

公式サイト : http://www.kantou.gr.jp/index.htm

3.魂まで震える1万人の太鼓群舞

盛岡さんさ踊り

2018年は4日で133万人が来訪した「盛岡さんさ踊り」。三ツ石神社の鬼退治伝説にルーツを持ち、鬼が退治されて喜んだ里の人たちが「さんさ、さんさ」と踊りまわったのが誕生のきっかけとされています。

真夏の空の下、太鼓の音を轟かせながら進むパレードは圧巻のひと言! 振り付けは地域によって少しずつ異なるので、お気に入りの団体を見つける楽しみもありますね。パレードのあとに開催される輪踊りは誰でも気軽に参加することができます。

また、さんさ踊りは和太鼓の同時演奏数で2014年にギネス世界記録に認定されています。最終日(4日)のフィナーレを飾る「世界一の太鼓大パレード」では、当時の演奏の再現として各団体のさんさ太鼓の敲き手が大通りに集結。1万人による太鼓だけの群舞は、力強い音色が体の芯まで響きわたります。

開催日 : 2019年8月1日 (木)~8月4日 (日)

開催場所 : 岩手県盛岡市 中央通会場(県庁前~中央通二丁目)

公式サイト : http://www.sansaodori.jp/

4.3日間だけ咲き誇る山形の紅の花

山形花笠まつり

「山形花笠まつり」は昨年約100万人を動員した山形屈指のお祭り。花笠まつりは山形市内外でもいくつか開催されていますが、この「山形花笠まつり」が国内最大規模となります。華やかな衣装に身を包んだ踊り手たちが「ヤッショ、マカショ」という威勢のいいかけ声に合わせて息のあった群舞を繰り広げ、花笠太鼓の勇壮な音色がそれをさらに盛り上げます。

山形市内のメインストリートを紅花をあしらった花笠が埋め尽くす光景はえも言われぬ美しさ。踊り手が花笠を振ったり回したりするたびに紅花が波のようにうねる様子は思わず時を忘れて見入ってしまいます。

開催日 : 2019年8月5日 (月)~8月7日 (水)

開催場所 : 中心市街地約1.2キロメートル直線コース(十日町・元町七日町通り〜文翔館)

公式サイト : http://www.mountain-j.com/hanagasa/

5.笹飾りゆらめく日本一の七夕祭り

仙台七夕まつり

伊達政宗公の時代から続く「仙台七夕まつり」。「8月なのに七夕?」と不思議に思う人もいるかもしれませんが、これは当時との季節感のずれを減らすために中暦を採用しているため。日本一の七夕祭りとして知られ、毎年200万人以上が来場しています。

仙台七夕まつりの一番の見どころは、仙台市内を鮮やかに染め上げる巨大な笹飾り。毎年10メートル以上の竹を切り出して手作りしているもので、色とりどりの和紙飾りが風にたなびく光景は非常に幻想的です。

躍動感あふれる地元仙台のすずめ踊り

開催日 : 2019年8月6日 (火)~8月8日 (木)

開催場所 : 仙台市中心部および周辺商店街

公式サイト : http://www.sendaitanabata.com/

6.巨大な大わらじが市内を練り歩く!

福島わらじまつり

羽黒神社に奉納されている大わらじにちなんで開催される「ふくしまわらじ祭り」。日本一ともいわれる大わらじは長さ12メートル、重さ2トンにもなる特大サイズで、古くからお伊勢参りなどの長旅に出発する人たちに旅の安全や健脚を祈って奉納されてきました。

この大わらじを担いで福島の町を練り歩くパレードはお祭りの最大の見どころ。また、フィナーレを飾る「ダンシングそーだナイト」は、従来の「わらじ音頭」をヒップホップ風にリメイクしたユニークな取り組みです。振り付けは自由ということで、各団体が独創性に溢れた情熱的なダンスを披露します。新旧の文化をミックスした斬新なスタイルは要注目です。

開催日 : 2019年8月2日 (金)〜8月4日 (日)

開催場所 : 国道13号 信夫通り

公式サイト : http://www.fmcnet.co.jp/waraji/index.html

いかがでしたでしょうか。夏に向けてますます熱気が高まる東北のお祭り。いずれも当日は大変な混雑が予想されるので、早め早めの予定立てがおすすめです。ぜひ、足を運んでみてくださいね!

開催情報一覧

1.「青森ねぶた祭り」

2019年8月2日 (金)~8月7日 (水)

青森駅周辺、青森港



2.「秋田竿燈(かんとう)まつり」

2019年8月3日 (土)~8月6日 (火)

竿燈大通り一帯



3. 「盛岡さんさ踊り」

2019年8月1日 (木)~8月4日 (日)

岩手県盛岡市 中央通会場(県庁前~中央通二丁目)



4.「山形花笠まつり」

2019年8月5日 (月)~8月7日 (水)

中心市街地約1.2キロメートル直線コース(十日町・元町七日町通り〜文翔館)



5.「仙台七夕まつり」

2019年8月6日 (火)~8月8日 (木)

仙台市中心部および周辺商店街



6.「福島わらじまつり」

2019年8月2日 (金)〜8月4日 (日)

国道13号 信夫通り

文 : いつか床子
写真 : 尾島可奈子

※こちらは、2017年7月17日の記事を再編集し、日付などを今年のものに更新して公開しました。