信楽「油日神社」プロの楽しみ方。アプローチから美しい名建築の魅力

こんにちは。ABOUTの佛願 (ぶつがん) と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。

この連載「アノニマスな建築探訪」では、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築をご紹介していきます。

文章を書くことを最も苦手とする僕が、どうしてこんな大役を引き受けてしまったんだろうと始めは後悔の念に駆られましたが、引き受けってしまったからには全力で楽しむ!がモットー。

今日はまず、ここ最近で一番現場に足を運んでいる滋賀信楽の近くにある、油日神社 (あぶらひじんじゃ) を紹介しようと思います。

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信楽の里近くの油日神社へ

油日神社は滋賀県甲賀市甲賀町油日に鎮座する神社で、油日大神 (あぶらひおおみかみ) を主祭神とし、武士の勝軍神として崇敬を受け、また、社名から油の火の神としても信仰されている。

様々な食用油が祀られている

かの白洲正子も「かくれ里」や「近江山河抄」の随筆のために幾度となく訪れたという。

交通手段は車をお勧めするが、電車だとJR草津線油日駅から徒歩30分ほど。

僕の経験上、名建築とされるものの多くはかなり不便な場所にあることが多く、それはそこにたどり着くまでの過程も含めて、計画されているのではないかと思うほどである。まず目を引くのがアプローチの灯篭。

リズムよく並んだ灯籠のアプローチ

何十本もある灯篭に沿って歩いていくと、楼門 (ろうもん) が見えてくる。

この楼門の及び回廊の造りが油日神社の意匠の要である。南北に本殿・拝殿・楼門が一直線に並び、楼門の左右から回廊がぐるっと拝殿・本殿を取り囲むように構成されている。

アプローチから楼門と回廊を望む

普通なら塀や生垣のようなもので大切なものは囲いそうなものだが、ここはそうではない。中央にできた広場的空間に身を置くと、周りの山や木々の声が聞こえてくるようなそんな不思議な空間になっている。

広場から楼門と回廊を望む

それは重厚な「楼門~軽い拝殿~山」と一体となった本殿という南北の軸線と、「山~回廊~広場~回廊~山」という東西の軸線のリズムの計画の妙なのかもしれない。「楼門~回廊~拝殿~社殿」と奥に行くに従って意匠の密度が高まっていき、西日に照らされた社殿の菱格子 (ひしごうし) の細やかな陰影は本当に美しかった。

楼門から拝殿を望む
拝殿の内部
社殿前の賽銭箱

ここからは興味がある方は少ないかもしれないが、ディテールの説明を。

楼門は3間1戸 (間口が三間で中央に戸口とした門のこと) で、屋根は入母屋檜皮葺 (いりもやづくりひわだぶき) 、柱は丸柱径尺 (まるばしらけいしゃく) で自然石の上に立つ。東西面及び桁行 (けたゆき) 中央両端に地覆 (ぢふく) 、腰貫 (こしぬき) 、内法貫 (うちのりぬき) を通し、半柄 (はんほぞ) 打抜、頭貫 (かしらぬき) は各隅組合せ木鼻付 (きはなつき) 、嵌板 (はめいた) 四方小穴入という造りである。

楼門 木鼻 隅組合せ
楼門 繋虹梁 (つなぎごうりょう) 及び隅虹梁 (すみこうりょう) にて組上げ、板蟇股 (いたかえるまた) 、小組格天井

回廊は一重切妻 (ひとえきりづま) 、檜皮葺 (ひわだぶき) 、正面は東西とも4間、奥行は東6間、西7間で共に拭板張 (ぬぐいいたばり) 、北端1間は土間になっており馬を繋ぐ空間である。東が西より1間短いのは地山が迫ってきているためである。

回廊 馬を繋ぐ土間
柱スパン三間ピッチの回廊 (1間=1818ミリメートル)
東面からの回廊の軒

拝殿は桁行19尺7寸5分、梁間 (はりま) 19尺5寸で、いずれも3間。正面背面に妻を見せた入母屋檜皮葺で、両面ともに唐破風 (からはふ) をつけている。

軒の出は柱芯より茅負下端 (かやおいしたば) まで6尺7寸6分5厘とかなり深いのだが、床高が高いので印象は軽いままである。また格子戸のみで仕切られるのみである。

拝殿 床下叩き及び亀腹固め、榑縁 (くれえん)
拝殿 6尺7寸6分5厘 (2050ミリメートル) の軒の出
拝殿 内部

本殿は三間社流造 (さんげんしゃながれづくり) 、檜皮葺。身舎 (もや) 平面は外陣・内陣・内々陣の3間に区画され、手前から奥へ順次高い拭板張。外陣は正面、側面とも小振りな菱格子 (ひしごうし) の引違い戸で非常に繊細な造りとなっている。

本殿 外陣の檜皮葺
本殿 装飾的な木鼻
本殿 外陣破風の装飾
小ぶりな菱格子

実はこの地に初めて訪れたのは大学3年から4年になる春休みの時である。日本の現代建築をしらみつぶしのように見ていた頃に、バイト先の建築家・吉井歳晴さんが、油日神社の資料をおもむろに渡してくれた。

「現代建築ばっかり見てちゃダメだよ」と言わんばかりに。目先の派手さはないが、脈々と受け継がれた何かを感じた。

約10年経って改めてこの場を訪れて感じた感想は、「気持ちがいい空間だな」である。

恐らく見方が変わっているだろうと行く前は期待していたのだが、そんな気負いはどこかに飛んで行き、残ったのは「気持ちがいい」という感覚だけであった。

甲賀歴史民族史料館も見学

神社の横には甲賀歴史民族史料館があり、事前に予約しておけば中を案内していただける。

中に展示されているのは甲賀の歴史的な資料と、油日神社に縁のある本殿の棟板や獅子舞、能面などである。

本殿の屋根裏に安置されていた棟板
催事に使われる新旧の獅子頭
室町時代の能面

楼門回廊で囲まれた広場で、獅子舞や能を鑑賞していたのが目に浮かんだ。毎年5月1日に行われる油日祭。ハレの空間を次は体験したくて仕方がない。

建築だけを見にくというのはなかなかハードル高いがご安心あれ。この地は信楽も伊賀も車であれは20分ほどでどちらでも行ける。皆さんもぜひ足を運んでいただきたい。

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そして、最後に信楽に来たらぜひ行っていただきたいお店を1軒ご紹介します。2017年7月8日にオープンした『NOTA SHOP』。

甲賀歴史民族史料館滋賀県甲賀市信楽町勅旨 (ちょくし) にある信楽の陶器の工場をリノベーションしたという、約500坪の広々とした建物。甲賀歴史民族史料館中には窯や、作業場、フォトスタジオに事務スペース、それに店舗が入っている。

信楽という場所でオーナーの加藤夫妻がこれから何を提案してくれるのかが非常に楽しみです。

<取材協力>
油日神社
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
0748-88-2106
http://www.aburahijinjya.jp

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

*こちらは、2017年7月22日の記事を再編集して公開しました。

鳥取県の国宝「投入堂」の魅力と巡り方。過酷な山道の先にある、自然と一体化した美しさ

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

今回は、国宝でもある、三佛寺奥院投入堂 (さんぶつじおくのいんなげいれどう) をご紹介します。

この連載は‥‥
インテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけるABOUTの佛願さんが、『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介していきます。

いざ、三佛寺奥院投入堂へ

所在地は、鳥取県東伯郡三朝町三徳 (とうはくぐんみささちょうみとく) 1010。建立 慶雲3年 (706年) 、作者は不明である。

三佛寺奥院投入堂は、鳥取県のほぼ中央に位置する。鳥取県の旧国名は伯耆 (ほうき) の国と因幡 (いなば) の国であり、三佛寺のある三徳山 (みとくさん) はこの国境にある山が西へと伸びた尾根の1つであり、1000~1200メートル級の山々が連なっている。

登山口の看板
三徳山三佛寺の案内図

初めてこの地を訪れたのは約20年前、中学生の頃。家族で三朝温泉 (みささおんせん) に泊まり、父、母、姉とレジャーで登った。2回目は大学1年生の時、これも全く同じシチュエーションで家族と。3回目は大学4年、これも家族と。

そして4度目の今回は‥‥。残念ながら家族ではなく同僚と。前日、米子で仕事があり、しかも金曜日。これは久々のチャンス到来とばかりに、三朝温泉に泊まり、初めてスナックという場に足を踏み入れた。大人になったなぁ
としみじみ思いつつ、温泉につかりながらハーと大きな吐息を漏らす。

10年前より錆びれて見えた三朝温泉。それもそのはず、昨年の鳥取中部地震の影響で客足が遠のいてしまったようだ。それから約1年が経ち、ようやく人が戻ってきたとスナックのママが教えてくれた。

夜の三朝温泉街

三徳山の入山は午前8時から。就寝したのは3時前にもかかわらず、朝6時に起床。朝風呂につかって少し残っていた酒を抜き、朝食をいただいてから旅館を後にする。

この日の天気予報は曇りのち雨。実は雨が降り出すと入山できなくなるため、少しでも早く登る必要があった。投入堂の登山口は三朝温泉からは車で約10分ほど。石の鳥居を超えたところが入山口である。

駐車場に車を止めていざ投入堂を目指すわけだが、一瞬足が止まる。あれ?こんな急な階段だったっけ‥‥。しかも石の階段はすり減り、波打っている。

山に続く階段
階段のアップ

普段、全くと言っていいほど体を動かしていないことを早くもこの段階で後悔する。

神社の正面
登山受付所
入山の受付所

階段を登ると境内に到着する。社(やしろ)が点々と配置され奥に進むと三徳山入峰修行受付所が現れる。受付ではまず健康状態を聞かれ、その後に靴のチェック。

なぜかというと、凹凸のないツルツルのソールでは入山できないからだ。その場合は受付で販売されているわらじを購入し履き替える必要があるのでご注意を。入山時間をノートに記入し六根清浄(ろっこんしょうじょう)の印が押された輪袈裟をいただき、いざ入山。

山の中にある架け橋

少し歩いた場所に2本の大木に挟まれた赤い門が見える。普段目にすることのない大木のスケールに圧倒されつつ、門をくぐり湿っぽい石段を降りる。深い谷間に架かる宿入橋を渡り、薄暗い先に見えるのが木の根っこの登山道。

立派な木の根元
根が広がっている
先人の足跡がくっきりと

写真では分かり辛いが、なんと木の根を掴みぐんぐん登っていくのだ。1300年という歳月をかけてできあがった登山道は、木の根がなめらかに、岩肌は人の足型に変形してしまっている。先人の足跡をたどりながら、ただひたすらに登る。

道中に突如現れる文殊堂
道中に突如現れる文殊堂
文殊堂
柵は一切なしの自己責任
文殊堂
文殊堂から、足元を眺める
山々の風景

地面は登るにつれて腐葉土のような土から粘土質、そして砂岩系の岩になる。明るい尾根に出たあとで見えてくるのが崖の上に建つ文殊堂(もんじゅどう)。

細い材で架構され、屋根は単層入母屋杮葺 (たんそういりもやこけらぶき)。周囲は手摺りのない縁(ふち)がぐるっと4周まわっており、しかも水はけが良いように傾斜が付いている。

靴を脱ぎ壁伝いに恐る恐る縁を歩くのだが、清水の舞台が比べものにならないと感じるほど、死と隣り合わせな感覚を覚える。ただ眼下に広がる風景は色づき始めた木々、そして伯耆、因幡の山々の連なり。千丈の谷へと落ち込んでいく風景は何とも美しい。

さらには鎖(!)を掴んでよじ登ったところに見えてきたのは地蔵堂。作りは文殊堂と全く同じ。桁行4間 (約7.2メートル)、梁間3間(約5.4メートル) 、屋根は単層入母屋杮葺。文殊堂も地蔵堂も室町時代に建てられたものだそう。

ここからさらに進むとシンプルな切妻の釣鐘堂。そしてこの先の道は急に狭くなり、小石混じりの凝灰岩の上を綱渡りのように登る。風景ははるか下方に広がり、このころになると、自然と一体化したような感覚になり、自身は透明化しかつトランス状態に近い。

やがて道は平坦となり、凝灰岩の風化した窪みに祠堂 (しどう) があり、その先には洞窟のような空間に納経堂がすっぽりと収まっている。しかも納経堂と洞窟の隙間が経路になっている。であり、光から闇へ、そして光に戻る‥‥という演出は本当に憎い。

岩のくぼみにちょうどよく収まってる祠堂
岩のくぼみにちょうどよく収まってる祠堂
納経堂
納経堂
経路は昼間でもこのとおり
経路は昼間でもこのとおり
絶妙な大きさで埋っている
絶妙な大きさで埋まっている

そしてその先の屏風のような岩を廻ると岩を背に突如として投入堂が姿を現わす。

上部を巨巌で覆われ、足元は急斜面の岩盤にしっかり脚を伸ばして建つこの建築。一見シンプルに見えるが、実は全くそうではない。屋根は重層し、雁行 (鍵型にギザギザと連続している様子) している。

まさに鳳凰が羽を広げ、舞い上がらんばかりの華麗極まりない姿。眼下に広がる風景を呑み尽くして、大自然と響き合っているかのようである。まさに自然と一体化している。

こんな複雑な建築が706年に建立されたという事実に感動しつつも、これを目指して過酷な山道を登って来た人々がいること。そして、入山し、感動するという体験は、今も昔もずっと変わらない気がする。初めて家族で登ってた時にも、建築のケの字も知らなかったが、投入堂ってとにかくめちゃくちゃすごいなと思った記憶は鮮明に残っている。

今回の気分はというと、まさに六根清浄、心が浄化された気分である。大都会東京で気を張らないといけない日常から解放され、大自然の中に身を置いて何も考えることなく、ただひたすら木の根っこを掴み、足元に注意して一歩一歩着実に前へ進む。

帰りは一度足を滑らせ大ゴケしたが、根っこのおかげで大事には至らず。入山受付所まで戻り、袈裟を返し、下山時間を記入する。

往復時間は約1時間半ほど。本当に清々しい気持ちを手に入れる。境内を抜け、階段を降りようとすると、前からビールケースを担いで登ってくるただならぬ雰囲気の男性。もしや、この人‥‥。

住職さんのような気がして、思い切って話しかけてみた。やっぱりビンゴ。住職さんから歴史のことや檀家さんが全くいないこと、そして1年前の鳥取中部地震で登山道はルートを少し変更しないといけなくなったが、建物には全く被害がなかったことなど、いろんなお話をさせていただいた。

お地蔵様

途中、茶屋できな粉餅を食べ、駐車場に着いた途端に雨がザーッと降ってきた。約10年ぶりの投入堂。天候にも恵まれ、心も浄化され、いい記事も書けた‥‥?。三徳山というだけあって徳がありそうである。

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

こちらは、2017年11月26日の記事を再編集して掲載しました。登山に危険が伴いながら、人々を魅了する投入堂。参拝後は心も体も清められそうですね。

建築家・増田友也の「鳴門市文化会館」に見る、ギャップの美しさ

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。隔月で『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第5回目。

今回紹介するのは鳴門市文化会館。

所在地:徳島県鳴門市撫養町南浜字東浜24-7
竣工:1982年
設計:増田友也(京都大学増田研究室)

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観
徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観

久々に訪れた鳴門文化会館。

撫養川(むやがわ)から望むコンクリート・モダニズム建築の悠然とした佇まい。垂直に長いブリーズソレイユ(ルーバー)が、建物のファサードを形成し、牛の角のように両端がせり上がったのキャノピー(庇)はコルビュジェのラトゥーレットやチャンディガールを彷彿とさせる。

大学三年の時に徳島出身の同級生と四国一周建築旅行の際にこの地に初めて訪れた。

四国には、香川県庁舎(丹下健三設計)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(谷口吉生設計)、牧野富太郎-高知県立牧野植物園(内藤廣設計)、海のギャラリー(林雅子設計)金比羅宮(鈴木了二設計)など名建築が本当にたくさんある。

それらを一気に見て回り、鳴門大橋を渡って大阪に戻る計画を立てた僕に、『おいおい、鳴門の増田友也抜けとるやないか』と横槍を入れる親友の徳島人。『いやいや徳島なんかに何もないやろ』と言い張る大阪人の僕。

『安藤忠雄しか知らん大阪人はこれやから困る。お前に本物のモニズム建築を見せたるわ』というのである。増田友也という建築家を知ったのはこの時である。

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観

鳴門市制の施行35周年を記念して鳴門市文化会館は建てられている。多目的ホールを中心とした文化施設で構造はRC造(鉄筋コンクリート構造)。

周りに高い建物がないせいか、空に届きそうなコンクリートの塊はホール舞台のフライタワーである。

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観

近年のコンクリートの打設は鉄筋を内部に組み、外側にパネル(ベニヤ板)を取り付けて、コンクリートを流し込んで壁を立ち上げていくのだが、鳴門文化会館のコンクリートはパネルに短い杉板を用い、リズミカルにパネル割りを施すことで、のぺっとした面ではなく素材感がより強調され、経年変化による劣化も相まってか巨大なオブジェのような印象を与える。

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観

また塊のように設計されているのはフライタワーだけで、その周りを囲うようにコンクリートとガラスの細かい割り付けで構成された機能が配置され、より塊感を演出する効果を狙ったような設計になっている。

建物の正面は東側。撫養川があることで何も邪魔されることなく建物全体を眺めることができ東西にアプローチの軸線が走る。

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観

訪れた日がたまたま施設が使われていないということもあり、特別に事務所の方にお願いして中に入れていただいた。およそ2.1mの庇の下を抜けると、大空間がドカンと迎えてくれる。

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の外観
徳島県鳴門市・鳴門市文化会館の内観

まずその空間の抑揚に驚かされるのだが、内部空間は外部の荒々しいコンクリートの表情とは違い少し女性的な空気がある。

それは、ステンドグラスから溢れる色とりどりな光であったり、トップライトから降り注ぐ柔らかい光、それに家具や壁には曲面が使われているからかもしれない。この感覚もコルビュジェのラツゥーレットで感じたあの感覚。

徳島県鳴門市・鳴門市文化会館

あれ、これって…。

日本の茶室には写し茶室というものがある。写しとは一般的に灯篭、手水鉢などすべての器物の原型と同様に作ることを表す。

元来、茶室の設計は木割りのような寸法体系が適用されないため、写し茶室は先人の茶精神を継承するものであって、偽作や完全な複製を目的とはしていない。

増田友也が写し茶室の精神があったかは定かではないが、約20年かけて鳴門市に19もの建築を残している。

島県鳴門市・鳴門市文化会館
島県鳴門市・鳴門市文化会館
島県鳴門市・鳴門市文化会館

今回紹介した鳴門市文化会館は増田の遺作であり北西に400mほど行くと鳴門では2作目の鳴門市庁舎・市民会館がある。こちらは家型のような巨大な窓ユニットが連続し、文化会館の質量感とはうって変わって非常に軽い印象である。

コルビュジェの白の時代から晩年の荒々しくそして有機的な作品のように増田友也も鳴門という地で、様々な思考を凝らしたどり着いたカタチが鳴門市文化会館なのではないかと思う。

「風土的」「無名の」「自然発生的」「土着的」「田園的」という5つのキーワードからは今回は少し遠いかもしれないが、35年以上経って鳴門の地で増田友也の建築はアノニマスな建築へと昇華している気がした。

島県鳴門市・鳴門市文化会館
島県鳴門市・鳴門市文化会館

増田 友也(ますだ ともや、1914年 – 1981年)は、元京都大学工学部教授。

京都大学における教育・研究活動において、空間現象に着目し、学位論文「建築的空間の原始的構造」をはじめ、現象学的存在論に依拠する「建築論」を創設するなど、生涯にわたって「建築なるもの」の所在を厳しく問い求めた建築家である。

佛願 忠洋  ぶつがん ただひろ

ABOUT 代表
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

http://www.tuoba.jp

文・写真:佛願 忠洋

アノニマスな建築探訪 圓通寺

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。隔月で『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第4回。

今回紹介するのは圓通寺。

所在地は京都市左京区岩倉幡枝町389

圓通寺のある岩倉は、東は八瀬、西は上賀茂、北は鞍馬に挟まれた場所にあり、平安時代以降、多くの貴族の隠棲地だった場所である。

ただ、メジャーな観光スポットがほとんどないため、平日ともなれば訪れる人も少なく、静かな京都を味わうことができる。

京都市左京区の圓通寺

現在の圓通寺は臨済宗のお寺、つまり禅寺であるが、元は江戸時代初期の1639年(寛永16年)に第108代、後水尾天皇の別荘として建てられた建物で、幡枝離宮(はたえだりきゅう)と呼ばれた。

後水尾天皇は12年の歳月をかけて雄大な比叡山の稜線を美しく眺めることができる場所を探し続け、ようやくたどり着いた場所が比叡山の真東にあたるこの地であった。

後水尾天皇は桂離宮、仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点と称される修学院離宮の造営も行った天皇である。

京都市左京区の圓通寺までの道

およそ10年振りぐらいにこの地を訪れたのだが、塀やアプローチ、駐車場が整備され、とてもキレイになっていた。

当時、地図を片手に圓通寺だけを目指してレンタサイクルで山道をひたすら登った記憶が鮮明に蘇る。今回は車にナビを入れて伺ったわけだが、よくこんなところまで電車を乗り継ぎ自転車に乗ってきていたものだとしみじみ思う。

圓通寺の門までのアプローチ

駐車場から竹の生垣に沿って進むと屋根に苔がむした門が見える。

門を抜けると左側に大きな岩。その先には『柿 落葉 踏ミてたづねぬ 円通寺』と書かれた高浜虚子が読んだ句の文字が。

足元には円の形をした踏み石。まさに踏みてたずねぬといった具合である。

圓通寺の門にある大きな岩
圓通寺の門にある円の形をした踏み石

靴を脱ぎ受付で拝観料を払い、いざ枯山水の庭園へ。

半間の廊下を進み光の方へ。

京都市左京区の圓通寺受付
京都市左京区の圓通寺廊下

建物を支える4本の柱と、屋外の樹木列、そして水平方向には手前の濡縁と庭園、生垣、その背後に現れる比叡山の山並み。
これらが巧みに『近・中・遠』の織りなす絶妙な世界を作り上げている。

この庭の秀逸なところとは、屋外の樹木列と借景の比叡山の関係に他ならない。

建物は経年変化はあるものの、大きく変化することはないが、自然そのものの庭園は春夏秋冬、時の移りゆくままに色や表情を変える。

光の差し込む時間や影のできる時間。そのことによる気温により人に与える印象も本当に無限である。

この借景の庭が生み出す無常の美は写真や言葉ではやはり伝えることができないのだと改めて思わされる。

圓通寺にある枯山水の庭園と比叡山の山並み
圓通寺にある枯山水の庭園と比叡山の山並み
圓通寺の庭園に面する縁側
圓通寺の庭園に面する縁側

後水尾天皇が12年もの歳月をかけてたどり着いたこの地。

『柿 落葉 踏ミてたづねぬ 円通寺』詠んだ高浜虚子。

十数年前にレンタサイクルで山道をひたすら登りこの地たどり着いた私。

この地にたどり着いて感じることは人それぞれではあるが、やはり何事にも時間や労力を惜しんではいけないのだと、改めて感じた日となった。

圓通寺の庭園の敷石
圓通寺の庭園の芝生
圓通寺の庭園風景
圓通寺の庭園風景
圓通寺の院内風景

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

<連載:アノニマスな建築探訪>

アノニマスな建築探訪 浄瑠璃寺

こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第3回。

今回も前回に引き続き、国宝である浄瑠璃寺 (じょうるりじ)。

平安時代を代表する、阿弥陀堂建築

所在地は京都府木津川市加茂町西小札場40。建立 永承2年 (1047年)、開基は義明上人 (ぎみょうしょうにん) である。

浄瑠璃寺は京都府と奈良県の県境に位置し、奈良市内からの方がアクセスはよい。平安時代の代表的な阿弥陀堂建築である。

平安中期に末法思想が世に広まり、人々は浄土教の教えから死後に極楽浄土に生まれ変わることを願って、方三間 (9坪) の阿弥陀堂や九体阿弥陀堂 (くたいあみだどう) などが数多く造られた。

藤原道長が治安2年 (1022年) に法成寺 (ほうじょうじ) に無量寿院を造立したのが九体阿弥陀堂の始まりとされている。極楽往生の仕方は生前の業により九段階あるとされ、九体の阿弥陀様を祀ることによってこれらすべての人が救われることを願った。

九体阿弥陀堂は30棟ほど造られたようだが、応仁の乱や内乱によって焼失し、現存するのは浄瑠璃寺の本堂だけである。

奈良市内から浄瑠璃寺までは車で約30分ほど。駐車場に車を止め、土産物屋さんの前の道が参道である。道中にはお茶屋さん。お正月を終え参道の植木は刈り込まれていたが、南天の赤い実が綺麗に色づき、冬を感じさせてくれる。

浄瑠璃寺の「包み込まれるような」感覚は、なぜか。

まず見えてくるのが山門。作りは非常に簡素であるが高さが抑えられているため、結界のような役割を果たしている。
山門をくぐると宝池だ。

三方が小高い丘に囲まれたコンパクトな境内で、右手に本堂、中央に宝池、左手に三重塔がある。

宝池は、梵字 (ぼんじ) の阿字 (あじ) をかたどっていると言われ、東側には薬師如来坐像を安置する三重塔が、
対岸の西側には本尊の九体阿弥陀如来を安置する本堂が置かれている。

これは薬師如来を教主とする浄瑠璃浄土 (東方浄土) と、阿弥陀如来が住むとされる極楽浄土 (西方浄土) の世界を表現しており、参拝者はまず日出づる東方の三重塔前で薬師如来に現世の救済を願い、そこから日沈む西方の本堂を仰ぎ見て、理想世界である西方浄土への救済を願ったものである。

堅苦しい説明はこのぐらいにして、まず浄瑠璃寺に身を置いて感じるのは安定感。

一番外側に見えるのは円形の空。その空を形どるのは大きな木々。そして一段下がった雑木林の木立、中央には宝池。高いところから何重にも重なったレイヤーのお陰で、包み込まれているような感覚を覚えるのである。

また、全体の配置も秀逸で、単なる平面計画ではなく、階段や、緩やかな坂道、下り坂など高低差をつけることにより、
多様なシーンをコンパクトな敷地の中で創り上げている。

また庭の道も一本道ではなく選択肢が用意されているところも、浄土への道のりのように感じてならない。

三重塔の前、そして本堂の前には、それぞれ一基ずつ石灯籠が置かれ、二つの石灯籠の延長線上には三重塔と本堂がちょうど中心に来るように結ばれる。

阿弥陀如来像 – 本堂 – 石灯籠 – 宝池に浮かぶ小島 – 石灯籠 – 三重塔の薬師如来像が一直線上に配置される。

日本の寺社仏閣は目に見えない軸線が時として現れることがある。今回は石灯籠の穴からの眺めがそれである。

寒さも、なにも、すべてを忘れるほどの阿弥陀如来像に出会う

本堂の中には横の受付側から入ることができる。参拝料を払い、靴を脱いで本堂の裏側の縁を回り本堂に入る。伺った日は宝池に氷が張るほどの寒空で、素足で本堂に入る頃には足の感覚はほぼなく、障子を開ける手はかじかみ、少しでも早く暖かい場所に行きたいと‥‥。

しかし本堂に入って九体阿弥陀如来像に対峙すると、足の感覚や、手のかじかみなどは忘れ、障子越しに入る間接光に薄暗く照らされた阿弥陀如来像の、一体一体全く違う表情や美しさに心を奪われてしまう。

本堂の中は撮影禁止のためここで紹介することができないのが残念で仕方ないが、ぜひ冬の夕暮れ時に本堂の中に入ってみていただきたい。

障子越しの夕日に照らされた金色の阿弥陀如来像は、まさに極楽浄土にいるかのような錯覚を覚えてしまうはずだ。

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋