無病息災を祈って飾る「黄ぶな」。宇都宮で愛される郷土玩具ができるまで

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台‥‥清々しくておめでたい節目が「ハレ」なのです。

こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどを紹介します。

「無病息災」の祈りを込めた郷土玩具

江戸時代から伝わる、栃木県宇都宮市の郷土玩具「黄ぶな」。ふっくらとして可愛らしい黄色い鮒 (ふな) の張り子人形です。

栃木県宇都宮の郷土玩具・黄鮒(きぶな)

黄ぶなには、こんな言い伝えがあります。

「昔むかし、宇都宮地内に、天然痘が流行して多くの病人が出ました。そこで村人は神に祈り、病気の平癒を願います。ある日、信心深い一人の村人が、病人に与えるために郷土を流れる田川へ魚を釣りに出かけ、鯛のように大きくて変わった黄色い鮒を釣り上げました。これを病人に与えたところ、病気がたちどころに治ったのです。村人たちはこれを神に感謝し、また病気除けとして、この黄鮒を型取り、毎年新年に神に備えるようになりました」

今では、その愛らしい姿から宇都宮土産としても展開されている黄鮒ですが、無病息災を願って玄関先に飾る風習が残っています。

黄ぶなの顔はなぜ赤い?

栃木県宇都宮の郷土玩具・黄鮒(きぶな)

かつては、秋の採り入れ時期が終わってからお正月までの農家の副業として、多くの人が黄ぶな制作をしていました。徐々に作る人が減り、一時は途絶えてしまいましたが、現在は宇都宮の伝統工芸士である小川昌信 (おがわ・まさのぶ) さんが復活させ、技術を継承しています。

小川さんの工房を訪れてお話を伺いました。

小川昌信さん
小川昌信さん

「黄ぶなの顔は真っ赤ですが、なぜ赤いのでしょう?酔っ払っているわけでないのですよ (笑) 。

郷土玩具の世界では、『赤もの』と呼びますが、かつて中国から入ってきた思想で、赤には厄除けや病気除けなどの意味合いがあります。だるまや福島の赤べこなど、各地に赤い縁起物がありますね」と小川さん。

制作に加え、小学校の伝統工芸の授業のゲスト講師として、小学校やご自身の工房、修学旅行生のために日光での体験教室でレクチャーも行う小川さん。この日も、県内の壬生 (みぶ) 町立稲葉小学校の子どもたちが黄ぶな作り体験にやってきました。

カラフルな黄ぶなができるまで

「この黄ぶな、何でできていると思う?」と張り子の解説から始まる体験教室。

子どもたちは「木?」「土?」と声をあげます。

「答えは紙でした。木型に紙を張りつけて1日半ほど乾燥させます。黄ぶなの腹部を切って木型を取り出して切り口に紙を張る。ほら、こんな風に出来上がるよ」小川さんのレクチャーは進みます。

貼り合わせた紙が乾いたら切り込みを入れて、木型を取り出します。
乾いた紙の腹部を切って、木型を取り出すところ
木型通りの形が出来上がります
木型通りの形が出来上がります

「出来上がったものにひれをつけて形を整えたら、膠 (にかわ。動物の皮を煮出してつくられる天然の接着剤) と胡粉 (ごふん。貝殻などをすりつぶした白色の顔料) を塗って白い下地を作ります。乾いたら、この上から色付けをしていきます。今日は、絵の具でみんなで色を付けましょう。まずは黄色から!」と、色付けが始まります。

※実際に販売される黄ぶなは、膠と染料を混ぜて、硬さを熱でコントロールをしながら着色し、艶のある仕上がりにします。

黄鮒に色をつける子どもたち
黄ぶなに色をつける子どもたち

子どもたちは真剣な面持ちで黄色、赤、緑、黒、金と順番に色をつけていきます。

鮮やかな色を重ねていくとなんだか美味しそうに見えてきたりも。「オムライスみたい!」なんて声が上がり、盛り上がりました。先ほど小川さんから教えていただいた「赤もの」の意味や、家での飾り方も習います。

1年間、玄関に飾ることで徐々に色が褪せていく黄ぶな。初詣の際に神社で購入した黄ぶなは、年末にお焚き上げをして、新年にまた新しいものを飾り、改めて1年間の無病息災を願います。

ちょっとおとぼけ顔の愛らしい姿が玄関で見守っていてくれたら、心が和んで、毎日元気付けられそうですね。

<取材協力>

ふくべ洞

宇都宮市大通り2-4-8

028-634-7583

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年11月12日の記事を再編集して公開しました

鏡餅はなぜ丸い?お正月に欠かせない「お餅」の歴史と文化

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。

こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介します。

もういくつ寝ると、お正月。

あれよあれよと年の瀬を迎えました。1年、ほんとうにあっという間。年越しの準備で慌ただしくなる前に、今日はちょっと美味しいもののお話を。

みなさん、「おもち」はお好きですか? 私は大好きです。今日は、「おもち」のお話です。

『風土記』が伝える、おもち伝説

「おもち」が日本の文献にはじめて登場するのは、和銅6年(713年)元明天皇の命により土地のようすや名産名物、伝説などを記した地誌『風土記』だといわれています。その中の「豊後国風土記」にはこんな伝説があるんです。

稲が余るほど豊かに実るという土地の肥えた地方。ある日の明け方、北から白い鳥が飛んできて「餅」になった。おごりたかぶった人々がその「餅」を的にして矢で射ると、餅はたちまち白い鳥になって南へ飛び去り、豊かだった土地はすぐに荒れはててしまった。

同じような伝説は「山城国風土記」にも。

秦氏の祖先、伊侶具(いろぐ)が、豊かさにおごりたかぶって「餅」を的にして矢を射たところ、「餅」は白い鳥になって飛び去り、山の峰に降り立って稲になった。

これらの話のなかの餅は、霊的なものをあらわしていたといわれています。日本人は古くから、人間と同じように稲には霊魂(稲魂)が宿るという信仰をもっていました。それを形にしたのが、もち米でつくった真っ白で平たい丸餅だったんですね。『風土記』ができた奈良時代中期にはすでに、鏡餅を神さまにお供えして祝う行事があったようです。

ところで、どうしてお供えする「おもち」は丸いのか?これは、人間どうしの円満をあらわし、望みを叶えるために満月(望月)になぞらえたといわれています。その形が、天皇家の三種の神器のひとつである円鏡に似ているところから「鏡餅」と呼ぶんですって。

ハレの日に食べる「おもち」

今でこそ、いつでも食べたい時に食べることができる「おもち」ですが、つい半世紀ほど前まではそう簡単に食べられるものではありませんでした。特にもち米だけでついた白餅は、特別な「ハレの日」のもの。おもちに霊力が備わっていると考えられた名残でもあります。

同じおもちでも、ぼたもちなどは普段食べるものなので「となり知らず」といって、となり近所に関係なく勝手につくることができましたが、白餅はとなり近所や親戚などと一緒について神仏に供え、周りに配るなどして皆でお祝いして食べるものだったそうです。もうすぐやってくるお正月のおもちはまさに「ハレの日」のものですね。

日本全国各地でつくられるおもちは、気候やお水、育まれた土地の違いが、粘りや甘み、コシなどの食感にあらわれます。いろんな土地のおもちを食べてみたい。そんな「おもち好き」たちの願いを叶えてくれるのが、「日本全国もちくらべ」。

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「日本全国もちくらべ」丸餅5種 各30g×2個入り ¥1,404(税込)

全国のおもちの産地から厳選した5種のおもちを詰め込んだこちらは、素朴な味わいが特徴の北海道産「風の子もち」、濃厚な味わいが楽しめる新潟県産「こがねもち」、甘みが感じられる岡山県産「ヒメノモチ」、和菓子のような味わいの京都府産「新羽二重餅」、うまみが広がる佐賀県産「ヒヨクモチ」と、それぞれの丸餅が2個ずつ入っています。汁もの、焼きもち、きなこもち。あんこをのっけるのもいいですよね。ああ、はやく食べたい。

さて、そろそろお正月の準備をはじめましょう。

<掲載商品>
日本全国もちくらべ(中川政七商店)

<参考文献>
奥村彪生(2006)『ふるさとの伝承料理(11)わくわくお正月とおもち』農文協.
笠原秀(2004)『おもちの大研究 日本人とおもちのおいしい関係』PHP研究所.

文:杉浦葉子

*こちらは、2016年12月2日の記事を再編集して公開しました。

めでたく「ポン!」と鳴る!ぽち袋「ポチポン」で新年をお祝いしよう

少しずつ新年の支度が始まる季節です。お年玉やご祝儀入れとして活躍するぽち袋に、一風変わったおめでたいものがありました。

「ポン!」という音で、お祝いごとを盛り上げる

まずはこちらの動画をご覧ください。

蓋をあけると、小気味良い「ポン!」という音がします。これが、今回紹介するPOCHI-PON (ポチポン) です。

音が持つ神聖な意味合い

柏手を打ったり、鐘を鳴らしたり、古来から私たちは祝いの場で音を鳴らしてきました。

一説には、音を出すことは「神様をお招きする」「悪いものを祓う」という意味合いがあったといいます。おめでたい席で重要な役割を担っていた音。拍手やクラッカーなど、音自体が祝福の意味合いを含んだものも今の暮らしに根付いていますね。

老舗紙器メーカーの技術が生んだ、ぽち袋

松竹梅のデザイン
松竹梅のデザイン

このぽち袋を作ったのは、紙の道具「紙器具(しきぐ)」を提案する大成紙器製作所。印刷・パッケージづくりの老舗メーカーTAISEI株式会社のブランドです。

蓋と本体の密接度が精密だからこそ、誰でもフタを開けるだけできれいな音が鳴るのだそう。ついつい何度も開けたり閉めたりしたくなりますね。

もともと工業製品であった紙管 (紙でできた筒) を、化粧品パッケージなど美しさが求められる製品に活用できるよう技術を磨いてきたTAISEI。筒のカッティングやカーリング(紙の閉じ目部分の仕上げ)、紙の重なり具合にもこだわり、型くずれしにくい強度と美しさを実現したのです。

紙をカットした断面や、天面の仕上げも美しく、密閉度が高くなっています
紙をカットした断面や、天面の仕上げも美しく、密閉度が高くなっています

愛らしいイラストで新年を祝う

2020年の干支「子」のイラスト入りデザインも
2020年の干支「子」のイラスト入りデザインも

お正月にぴったりの、干支が描かれたものもあります。

イラストは、犬を中心に動物をモチーフとした作品を数多く発表しているイラストレーター、てらおかなつみさんの描きおろし。柔らかい線で描かれた愛らしい姿に癒やされます。

「小さなお子さんから、おじいちゃんおばあちゃんにまで『可愛い』と思ってもらえたら嬉しいです。」

他にも、子どもの頃から犬好きと語るてらおかさんらしい、こんなシリーズも。

犬のイラストが描かれたポチポン

「お正月らしく紋付袴姿の犬は、実際にこんな服装のわんちゃんがいたのでその子をモデルに描きました。それぞれの犬を描くにあたって実在する子を観察したりもしていますが、『うちの子に似てる!』と、いろんな方に身近に感じてもらえたらと思っています」と、てらおかさん。

犬への愛情と想い入れあふれるてらおかさんのイラストは犬好きの方へのお祝いにもぴったりですね。

POCHI-PONは、100円玉が約40枚入るサイズ。筒型なので、お札は折り目をつけることなく入れられます。お金だけでなく、飴やチョコレートを入れたり、手紙を入れて贈りものに添えたりとアレンジして活用することも。

ポン!という音とともに新年のお祝いの場で活躍してくれそうです。

<掲載商品>
POCHI-PON (大成紙器製作所)
EMBOSS POCHI (大成紙器製作所)

文:小俣荘子

*こちらは、2017年11月23日の記事を再編集して公開しました。

結婚式やご祝儀が華やぐ「金沢・加賀水引細工」の世界。津田水引折型が受け継ぐ「気持ちを贈る工芸」とは

立体的で華やかな、加賀水引

結納や結婚式などのお祝い事、あるいは不祝儀にもかかせない水引

あわじ結びと言われる結び方が基本ですが、とくに祝儀においては様々なアレンジが加えられ、華やかに贈り物を包みます。

たとえば、こんなふうに。

蝶々に結ばれた祝儀袋
松に結ばれた祝儀袋

かつての水引は平面的なもので、こうした立体的で華やかな水引細工が使われるようになったのは大正時代になってからのこと。なかでも、石川県の津田左右吉氏は数々の独創的なデザインを考案しました (※) 。いまも「加賀水引細工」の名で、金沢の希少伝統工芸に指定されています。

その技術を受け継ぐ工房、津田水引折型を訪ねました。

加賀水引 津田水引折型
大正6年 (1917年) 創業の加賀水引 津田水引折型
5代目 津田六佑さん
5代目 津田六佑 (つだ ろくすけ) さんにお話を伺いました

平たく折るのは難しい?きっかけは作りやすさ

「もともと、水引や折型 (おりかた=和紙を折って品物を包むこと) を用いることは上流階級の人々にのみ許されていました。一般の人々に開放されたのは明治時代に入ってからのことです。

武士のマナーの基準となっていた小笠原礼法流の水引折型が、明治後期から民間に広まり始めます。加賀水引の創始者、津田左右吉はそれを勉強し、結納品を整える仕事を始めました。

しかし、用途ごとの複雑な折型をきっちりと折り畳むのは、なかなか難しいものでした。少しでも折り目が崩れたり、歪んだりすればすぐに品のないものになってしまいます。

水引折型は、その清しく端正な姿こそが価値です。左右吉は、研究をするうちに一つのアイデアを思いつきました。平たく折り畳んでしまわず、ふっくらとしたまま折り目を付けず、それを胴のあたりでぐっと水引で引き結んでみてはどうか、と。

そうすることで、技術的なアラが目立たず、作業も楽で、しかもボリュームのある華やかなフォルムが出来上がる。今も受け継がれる綺麗な結納品の水引折型は、こうした苦心の末の、いわば逆転の発想によって完成したものでした」

立体的な加賀水引細工
ふっくらとしたままの和紙を、水引で引き結んだもの
結納の品々
加賀水引に包まれて賑々しく並ぶ結納品

はじめこそ簡単にするために思いついた方法でしたが、美しさを追求し、独自の進化を遂げていきます。現在の結納飾りや祝儀袋に飾られる鶴亀や松竹梅などは、左右吉さんの考案した水引細工が原型となっているものもあるのだそうです。

創始者の左右吉さんの息子、太一さんが残したスケッチ
創始者の左右吉さんの作品スケッチ。息子の太一さんが描き残しました。縁起のよい結び方「あわじ結び」をベースにデザインされています。当時から豪華だったことがうかがえます。

また、津田家の人々は、結納業の傍ら、水引と和紙などを使って、人形や植物をモチーフに内裏雛や甲冑といった水引細工の作品も数多く作り出します。

二代目となった左右吉さんの次女、津田梅さんの代には芸術分野においても高い評価を受け、その作風を「加賀水引」として確立。全国に広く紹介されるようになり、金沢の希少伝統工芸として定着しました。

水引細工のパーツ
水引の締め具合を調整することで様々な形に仕上げていきます
羽の部分のように水引を均等な隙間で並べるのが難しいのだそう
羽の部分のように水引を均等な隙間で並べるのが難しいのだそう
その独自性と美しさが認められ、皇室献上品ともなりました
その独自性と美しさが認められ、皇室献上品となったことも

「魔除け、縁結び、未開封」‥‥水引に込められた意味

美しく目を楽しませてくれる水引細工ですが、装飾としての演出だけでなく、様々な意味が込められているのだといいます。

「水引の起源は、聖徳太子の時代に遡ります。遣隋使が持ち帰った品物に紅白の麻紐がかかっていました。受け取った日本人たちは、そのぎゅっと結ばれた紐に、ご縁が長く続くようにという縁結びの意味合いを感じたと言われています。

また、当時海を渡るのは大変なことで、天災や海賊など様々な厄災が待ち受けていました。そうしたものを払う厄除け、魔除けの意味合いや、まだ何者にも開けられていない『未開封』の意味を見出したそうです。

麻紐から和紙をよって作る水引に変化しても、その3つの意味合いが包むことの本質として残りました。むしろ、和紙を使うことで千切れにくくなり、より一層その意味合いは深まったかもしれません」

水引は先端をひっぱるとさらに堅く締まります。リボン結びによる包装とは異なり、
あわじ結びは端を引くとさらに堅く締まります。結びや封の意味合いから、ほどけにくい結び方になっているのだそう。両端を引くとはらりと開くリボン結びとは対照的ですね

さらには、和紙の折型にも祈りが込められています。

「紙を折ることは、神聖な行為と考えられてきました。紙の折り方に様々な意味合いがこめられています。霊符、折符などと呼ばれますが、祈りを込めて意味合いに沿って折られた紙は、『携帯する神社』とも呼ばれるものなんですよ。

中身は同じでも、包み方で意味合いが変わり、新たな価値が生まれる。そんな考え方があります」

 霊符(折符)=携帯する神社(神様を身につけているのと同じ)
家内安全、五穀豊穣、招福、厄落とし‥‥折り方で様々な意味合いを持つ霊符

「加賀水引は、細工のことだけでなく、和紙で『包む』、水引で『結ぶ』、差し上げる理由や名前を『書く』、この3つの工程全てを指しています。その本質は相手とのコミュニケーションにあると思っています。

市場価値に関係なく、その人にとって大切なものだからきちんと包んで気持ちを添えて贈りたい。そんなご依頼も色々といただきます」

気持ちを贈る工芸。大事に受け継いでいきたいと、津田さんは力強く語ってくれました。

<取材協力>
津田水引折型
http://mizuhiki.jp/
石川県金沢市野町1-1-36
076-214-6363

文・写真:小俣荘子
画像提供:津田水引折型

※参考文献
「伝統の創生-津田左右吉による加賀水引折型細工の創始-」 山崎達文/著 (『富山市篁牛人記念美術館 官報』第8号 1998年3月)
「加賀の水引人形師」本岡三郎/著 (北国出版社 1970年5月)

この連載は‥‥
日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台‥‥清々しくておめでたい節目が「ハレ」なのです。
こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどを紹介します。

*こちらは、2018年5月5日公開の記事を再編集して掲載しました。贈りものに込められた意味をきちんと理解するのも大事だな、と改めて思いました。

七五三に贈りたい、京都生まれの千歳飴

日本人は古来より、普段の生活である日常を「ケ」、祭や伝統的な年中行事を行う非日常を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。

晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介していきたいと思います。

七五三の起源は平安時代

七五三は、3歳、5歳、7歳になる子どもたちの成長の節目に健やかな成長を願って氏神さまにお参りする日。旧暦の11月は収穫を終えて実りを感謝する月で、満月にあたる15日は吉日であることから、11月15日に氏神さまへの感謝を兼ねて参拝するようになりました。

七五三の起源は、はるか平安時代までさかのぼります。

3歳児が剃っていた髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)」、5歳児が初めて袴を着ける「袴着(ちゃっこ)」、7歳児が着物の付け紐をとって初めて帯を結ぶ「帯解(おびとき)」。これらの儀式が、江戸時代に「七五三」としてまとまって行われるようになったのがはじまり。

「7つ前は神のうち」という言葉のように、幼児の生存率が低かったその昔は、7歳を無事に迎えるまでは未だ人の子ではなく、神さまの子だと考えられていたのだそう。

つまり、七五三とは子どもから大人への仲間入りをする「7歳のお祝い」にあたるのですね。

七五三と千歳飴の関係は?

さて、その七五三と千歳飴の関係はというと、元和の時代、大坂の平野甚右衛門が江戸へ出て、浅草・浅草寺の境内で売りはじめたという説がひとつ。

もうひとつは、元禄・宝永の頃に飴売りの七兵衛が紅白に染めた「千年飴」「寿命飴」という名の棒状の飴を売り出して人気商品になったのがはじまりという説があります。

どちらが正しいかは定かではありませんが、ふたりとも、とっても商売上手だったようです。

当時、飴は江戸庶民の代表的なお菓子であり、神社のお供えものにされる神聖なものでもありました。

千歳飴の細長い形は、長寿を願う気持ちから。子どもたちの健康と幸せを思う親たちは七五三のお祝いとして、鶴亀や松竹梅などのおめでたい絵柄が描かれた袋に入った、この飴を持たせるようになったのだといいます。

岩井製菓の平たい千歳飴

京都府宇治市の「株式会社 岩井製菓(以下、岩井製菓)」は、昭和39年創業の京飴やさん。こちらでは毎年8月から千歳飴づくりをスタートし、全国各地の寺社や和菓子店などに、なんと数十万本もの千歳飴を納めています。

京都 岩井製菓の千歳飴
左から、抹茶、グレープ、レモン、苺ミルク、ミルク。

千歳飴といえば円柱状のものを想像しますが、こちらの千歳飴は少し平たいもの。

らせん状のラインが美しいアクセントになっており、可愛らしい色合いにも目を惹かれます。

昔ながらの地釜で少しづつ時間をかけて丹念に煮詰め、熟練した技でていねいに形作られた飴。本来の香ばしい甘さを引き立てるためにできる限り天然着色料を使用し、見た目だけでなく、食べ易さや美味しさにもかなりのこだわりよう。

「日本の伝統文化をいつまでも大切にしたい」と願う、岩井製菓の千歳飴です。

岩井製菓の千歳飴
細長い棒状にした飴を転がしながら、均等ならせん状にラインを入れる職人技!©株式会社岩井製菓

11月15日の七五三の日。晴れ着に身を包んだ小さな人たちが、千歳飴の長い袋を少しひきずりながらも嬉しそうに歩いている姿に出会えるといいな、と思います。

<取材協力>
株式会社 岩井製菓
京都府宇治市莵道丸山203-3
TEL:0774-21-4023
http://www.iwaiseika.com

文・写真:杉浦葉子

こちらは、2017年11月15日の記事を再編集して公開いたしました

佐賀には人々に愛される鬼がいる?!鹿島の「浮立面」づくりの工房を訪ねて

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台‥‥清々しくておめでたい節目が「ハレ」なのです。

こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどを紹介します。

佐賀県鹿島市で親しまれる鬼の面

「鬼」というと、節分や昔話の鬼退治など「追い払うもの」「悪者」というイメージが付いて回りますが、鬼に親しみを持って大切に扱う地域があります。

佐賀県鹿島市。この地には、鬼面をつけて集団で舞う「面浮立 (めんぶりゅう) 」が多く残っており、重要無形民族文化財に指定されています。現代では、秋に五穀豊穣を祈り奉納されています。

そう、神さまや天に向かって鬼が舞うのです。

面浮立は、笛、鉦、太鼓などの囃子に合わせて舞います。佐賀県南西部の伝統芸能で、五穀豊穣、雨乞祈願、奉納神事などの祭典や特別な行事の際に行われてきました
面浮立は、笛、鉦、太鼓などの囃子に合わせて舞います。佐賀県南西部の伝統芸能で、五穀豊穣、雨乞祈願、奉納神事などの祭典や特別な行事の際に行われてきました

面浮立は、戦で鬼面を被って奇襲をかけ、敵方を翻弄し勝利を収めたことが始まりとの言い伝えがあります。鬼が敵を追い払ったのですね。

この鬼は決して人に害を及ぼすことはなく、人々の生活を守り、悪霊を退治する存在として親しまれ、大切に扱われてきました。

鬼面と「シャグマ」と呼ばれる麻や馬の毛で作られたたてがみを付けて舞います
鬼面と「シャグマ」と呼ばれる麻や馬の毛で作られたたてがみを付けて舞います
地域ごとにお囃子のメロディや振り付け、面や衣装は少しずつ異なります
地域ごとにお囃子のメロディや振り付け、面や衣装は少しずつ異なります

「浮立」は「風流」が語源とも言われ、美しく勇壮な舞が表現された言葉なのだそう。このときに踊り手がつける鬼面を「浮立面 (ふりゅうめん) 」と言います。

浮立面は雌・阿 (左) と雄・吽 (右) で一対となっている
浮立面は雌・阿 (左) と雄・吽 (右) で一対となっています

行事で使う浮立面は地域ごとに保管されていますが、「魔除け」として家に浮立面を飾る習慣も根付いています。現代では、結婚祝いや新築祝いの贈り物として用いられることも多いのだそう。

迫力ある浮立面。たしかに魔除けにぴったりです
迫力ある浮立面。たしかに魔除けにぴったりですね

この浮立面を4代にわたって作り続けている、杉彫工房を訪ねました。

面と向き合いながら形を掘り出していく

木彫師の小森惠雲さん
木彫師の小森惠雲 (こもり けいうん) さん

浮立面を間近に見ると、その立体感、厚みに驚きます。

壁にかけられた浮立面。地域によって少しずつデザインが異なる。また、地位による色分けもあるのだそう
壁にかけられた浮立面。地域によって少しずつデザインが異なります。また、地位による色分けもあるのだそう
こちらは明治時代に作られたもの
こちらは明治時代に作られたもの。ちなみにこの大きな鼻の穴が面をつけた時の覗き穴となります

「浮立面は伝統工芸品なので、自己流の創作ではなく、元の姿を忠実に受け継いで作る必要があります。地域ごとのデザインを次世代につないでいくことが私の役割です。

立体感があるので、彫るには面をよく観察することが重要になります。左右のバランスを取るにも、定規で測っただけではその通りになりません。数字だけに頼ると位置がずれてしまう。

正面からだけでなく、上から、後ろから眺める。そうしてバランスを確認して彫っていく。木目によっても印象が変わるので、それも考慮します。

長年掘り続けることで、この勘所を磨いていきます」と当主の小森惠雲さん。

地域ごとに顔の幅や表情が異なる浮立面。少しの削り角度や削り位置の違いで全く異なるものになってしまうのだそう。実際に彫る様子も見せていただきました。

乾燥させて切り出した木に、まずは面の輪郭を描き削り出します
乾燥させて切り出した木に、まずは面の輪郭を描き削り出します
かなりの厚みです
かなりの厚みです
少しずつ掘り出して鬼の顔を浮かび上がらせていきます
少しずつ掘り出して鬼の顔を浮かび上がらせていきます
100種類以上の道具を使い分けて削り出すのだそう
角度や形、奥行きに合わせて、100種類以上のノミを使い分けます
ヤスリがけ等せず、仕上げまで全てノミだけで行い滑らかにしていくところが腕の見せ所
ヤスリなど使わず、全てノミだけで削り出してなめらかに仕上げていくのだそう

「鬼」は自分の中にあるもの

「鬼ってなんだと思いますか?」

小森さんに問いかけられました。小学校で浮立面の指導をするときに、子どもたちにもまずこの言葉を投げかけるのだそう。

「鬼は、一説には『隠 (おぬ) 』や『隠形 (おんぎょう) 』を語源として『おんに』になり、『鬼 (おに) 』となったといわれています。目に見えない、この世ならざるものや恐怖などを具現化したものが鬼なんですね。

天災や疫病などの思い通りにならないもの、自分の都合の悪いこと、己の中にある悪の気持ち、その全てが鬼と言えます。言い換えると、その姿を通してその存在に気づかせてくれるものでもあります。

例えば節分では『鬼は外、福は内』と言いますが、鬼は追い出されてそのままではかわいそうでしょう。自分の中の鬼を一度外に出して、その存在に気づいて、良い鬼 (福) に変えて心の内に返す。

恵方巻きを食べて、ただ待っていても物事は良くはならないですよね。自分の心を改めることが大切なのだと思うのです。

人間には煩悩がたくさんあるから、自分さえ良かったらいいという人もいるかもしれない。でもこうやって考えて、少しずつ自分の心を変えていったら、もっと世界は良くなると思うのです。

それに気づかせてくれるのが鬼なんだと私は考えています」

毎年、小学生が作る紙粘土の浮立面。自作の面を運動会で踊る際に被ります。小森さんの作った型を使って形を作り、色を塗るのだそう
小学生が作る浮立面。毎年、運動会で自作の面を頭にかぶって踊るのが恒例となっています。小森さんの作った石膏型を使って紙粘土で形を取り、色を塗って仕上げます。親子で参加して鬼のことを一緒に学ぶ機会になっているそうです

「お面は、顔の印象や表情をデフォルメしたものです。恐怖の表現から鬼は生まれていますが、浮立面も元は人間かもしれないと思うことがあります。鬼の顔から、ツノとキバを取ってみてください。可愛らしい顔なんですよ。

人間と変わらない。笑顔にすら見えるものもあります。地域によって色々な表情があるので、向き合っていると、怖い顔もあれば、寂しそうな顔の面にも出会います」

「自分の内なる鬼を見つけて取り出し、良いものにして己の中に戻す」

鬼面と向き合い続ける小森さんの言葉が印象的でした。

鬼は私たちが自分を省みる機会を作ってくれているのかもしれない、佐賀の人々の鬼との向き合い方に触れて鬼へのイメージが少し変わりました。

今度は秋に、面浮立を見にまたこの地を訪れてみようと思います。

<取材協力>

杉彫

佐賀県鹿島市古枝甲1221-1

0954-62-9574

文・写真:小俣荘子

面浮立・浮立面 画像提供:鹿島市