27歳で東京の会社員から飛騨の漆職人に転職した、彼女の選択

職人への転職。見知らぬ土地への移住。これは、忙しい日々の気分転換のつもりで出た旅が、自身の人生と、ある産地の大きな転機となった一人の女性のお話です。

1日だけのお正月休み

「その年のお正月休みは1日しかありませんでした。

仕事のことを考えなくて済むように、何か気持ちを落ち着かせようってお城のプラモデルを作ったんです。今思えば、かなり疲れていたんですね。

でも、そういえばその時も、組み立てより塗る方が楽しかったんですよね」

少し緊張した様子で語り出したのは大野理奈さん。職業は塗師 (ぬし。漆塗り職人のこと) 見習い。

大野理奈さん

岐阜県飛騨高山の地で400年続く飛騨春慶塗の世界に、およそ40年ぶりに現れた「新弟子」です。

千葉県出身の28歳。前職は東京のイベント会社で、明け方から深夜まで追い立てられるように働いていたといいます。

「夜中に電話がかかってきて翌朝までに資料を作ることになったり。昼も夜も休みも関係ないような忙しさで、休日は携帯の電源を切ったりしていました。

27歳になった頃に、このままでいいのか、と考えるようになりました」

仕事の関係でよく通っていたのが日本橋。イベントを行う商業施設で伝統的な工芸品を目にすることも多く、中でも漆の器の美しさが心に残っていました。

「どこか、そんなものづくりもあるような歴史の古い街に、旅にでも出かけようかなと思ったんです」

旅の情報収集に、移住支援センターへ

ここなら観光の情報も教えてくれるかも、と立ち寄ったのが、有楽町駅近くの交通会館内にある「ふるさと回帰支援センター」。

地方暮らしやIターンなどを考えている人のために、各地域の情報を提供している施設です。

これが、大野さんと春慶塗の出会いでした。

「もともと古い町並みや歴史を感じるものが好きで、旅先の候補に長野や伊勢、岐阜の飛騨高山を調べていたんです」

高山の町並み
高山の町並み

「ちょうどセンターに岐阜県の窓口があったので、『漆に興味があるんですが、岐阜にはそういう産地ってないですか?』とたずねました。

それまでは春慶塗のことも、全く知らなかったんです」

窓口の人は、即座に教えてくれました。

飛騨高山は400年続く漆器産地であること、漆器の名を飛騨春慶塗ということ。

美しい春慶塗の重箱
美しい春慶塗の重箱
道具が並んでいる様子

そして、ものづくりに触れたいという大野さんに、春慶塗の組合長さんを紹介してくれたのです。

「2016年の4月に高山へ行って、組合長さんの案内で塗りの工程を見学させてもらいました。

翌月には、塗師として働きたいという意思を組合長さんに伝えていたと思います」

ああこれかな。

最初に春慶塗の現場を見たときに、大野さんが思ったことだそうです。

塗師が自分で生成する、上塗り漆
塗師が自分で生成する、上塗り漆

「特にこれだ!と強く意気込んだわけでもなく、ただ自然と、これかな、という気持ちになったんです。やらないという選択肢は、ありませんでした」

なぜそう思ったかは今でもわからないんですけれど、とはにかむ大野さんの頭には、有名な漆器産地を訪ねるという選択肢も、不思議とはじめから無かったといいます。

「それもなぜだかは、わからないんですけれど (笑) 」

それからは、機会を見つけては高山へ通う日々。

「地域の方と話す機会も増えていって、高山のみなさんの、穏やかな人柄にも惹かれていきました。

来るたびにどんどん、ここだな、という気持ちが強くなって」

就職先の見つけ方

高山市は、後継者不足が深刻だった飛騨春慶塗への支援策として、就労志望者に5年間の補助金を出す制度を設けていました。

2016年にはこの制度を利用して、木地を加工する「木地師」に飛騨春慶史上初の女性後継者が誕生しています。

大野さんも、この制度を利用して春慶塗の門を叩こうとしていました。

しかし扉は、受け入れる先がなければ開きません。

飛騨では自宅と併設の工房で、何十年と自分一人で仕事をしている職人さんがほとんど。

新たに弟子を迎える環境を作ると言うことは、そう簡単ではありません。大野さんが高山で春慶塗に触れた春から、ちょうど1年が経とうとしていました。

「ともかく会って話をしてみましょうか」

塗師の川原俊彦さんがそう大野さんに声をかけたのは、ある思いがあってのことでした。

塗りの様子
塗師の川原さん

「木地師が材料から引き出した木目の美しさを、いかにムラなく漆を配って最大限に『見せる』か。これが、春慶塗の真骨頂です。

ですが、私が40年ほど前に入門したのを最後に、塗師の弟子入り志願者は現れていませんでした」

塗りの途中の様子。下地の黄色が透けて美しさを感じます
塗りの途中の様子。下地の黄色が透けて美しさを感じます

400年続いてきたものづくりが、自分たちの世代で終わるかもしれない。

塗師の作業中の後ろ姿

「だから大野さんの話を聞いた時に、なんとかしてあげなきゃと思ったんです」

直に大野さんと会って話を聞き、自身の工房を案内し、今の仕事の状況や提供できる環境を伝えました。

「それでもよければ、一度戻ってご家族とも相談して」

そう伝えると、

「ぜひ、お願いします」

大野さんはその場で弟子入りの意向を伝えました。

「よっぽど来たいんだなって思いましたね」

川原さんは驚きながらも、大野さんの決意の固さを感じたそうです。

「即答でした」

そう笑う大野さんは2017年の夏、飛騨高山の人になりました。

Iターン職人の日常

8月末に高山に引っ越して、9月から仕事始め。

現在は、「支援のある5年間で技術を習得できるように」と、川原さんの指導のもと漆塗りの基礎を学んでいます。

水の染み込みを防ぐ「目止め」や、漆の奥に透ける着色の工程、仕上げの漆を塗りやすくするための「摺り漆」など、川原さんが担う最終の「上塗り」のための下準備が、大野さんの今の仕事です。

作業中の様子

「この摺り漆などで、刷毛やヘラなど道具の使い方を覚えていくんです」

大野さんの道具一式
大野さんの道具一式

仕事は9時から17時まで。日曜がお休みです。

「今は決まった時間で働かせてもらっていますが、川原さんは私が帰った後も仕事をされています。忙しさは職人さんも会社勤めも、きっと変わらないと思います。

けれど、同じ忙しさでも、今はひとつ工程を終えるごとに器の見た目も手触りも変わっていく手応えが嬉しい。

全部の工程が、楽しいです」

大野理奈さん
黙々と作業中

職人への転職を決めた娘に、大野さんのお母さんは「ものづくりの方が向いているかもね」と声をかけたそうです。

「市から補助金をいただいているんだから、高山の人に迷惑をかけないように」

そう送り出された高山での生活は、東京での一人暮らしとは全く違っていました。

「高山は、土地の歴史や伝統が、生活のすぐ近くで感じられます。

季節の変化にも誰もが敏感です。雪の話、日の長さの話、ちょっと気候が変われば必ず話題にのぼります。

そういうことが、ここではずっと受け継がれてきたんだなって」

市街地の向こうにそびえる乗鞍岳
市街地の向こうにそびえる乗鞍岳
宮川朝市
ねぎや白菜など、飛騨高山産の新鮮な食材が並ぶ宮川朝市
桜が満開の中橋
桜が満開の中橋
寒さ厳しい冬
寒さ厳しい冬

仕事の連絡が入るのが嫌で休日に携帯の電源を切ることも、なくなりました。

「もっと早く来ればよかった」

大野理奈さん

お話を伺った大野さんの作業部屋には、大きなタンスのような建具が置いてあります。上塗りを終えた器を乾燥させるための「風炉 (ふろ) 」です。

部屋の半分近くを占める大きさです
部屋の半分近くを占める大きさです
川原さんが上塗りを行う隣の部屋にも3台設置されています
川原さんが上塗りを行う隣の部屋にも3台設置されています

「いつか上塗りまでできるようになったら彼女が使えるように、もう仕事を辞められた職人さんに、譲ってもらったんです」

春慶塗のバトンは、静かに受け継がれようとしています。

大野さんと川原さん

<取材協力>
川原春慶工房


文:尾島可奈子
写真:岩本恵美、尾島可奈子
画像提供:高山市

理想の店を開くための、移住。人気店「objects」店主が貫く“嘘のないお付き合い”

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

島根県松江市にある、器と生活道具の店「objects (オブジェクツ) 」。

居心地の良い雰囲気の店内には、生産量の少ない作家さんの器や、各地で厳選された生活雑貨が並びます。全国から器や工芸品好きの方々がわざわざ訪れるという人気のお店です。

その成り立ちが気になって、店主でありバイヤーでもある佐々木創 (ささき・はじめ)さんにこのお店ができるまでのお話を伺うことにしました。

歴史を感じる趣きを持ちつつ、どこかモダンな石造りの建物。中に入る前から心が踊ります
歴史を感じる趣きを持ちつつ、どこかモダンな石造りの建物。中に入る前から心が踊ります

佐々木さんが松江でobjectsをはじめたのは6年半前。奥さんの陽子さんと地元・埼玉から移り住み、松江でゼロからお店を作り上げてきました。実はこの移住、ご本人たちにとって思いがけない出来事だったそうです。

お話を伺って、私の「移住」に対するイメージが変わりました。

自分の中に見つけた「好きなこと」を仕事として育てていくこと。そして、その中で誰もが出会う壁。佐々木さん流の乗り越え方、捉え方のお話がとても興味深いものでした。

カウンターに腰掛けてお話を聞かせてくださった佐々木さん
カウンターに腰掛けてお話を聞かせてくださった佐々木さん

衝撃の出会い、大学中退、アルバイトで資金を貯める日々

佐々木さんは大学在学中に旅行で沖縄を訪れた時、金城 次郎(きんじょう・じろう 沖縄の陶芸家、沖縄初の人間国宝。2004年没) さんの陶芸作品に出会い「なんてかっこいいんだ!」と、圧倒されたそうです。

帰宅後、興奮冷めやらぬまま民芸や工芸品について調べ、「面白い世界が広がっている!」と夢中に。「民芸品や工芸品に携わる仕事がしたい」という思いをいだき、大学を中退してアルバイトで資金を貯めながら携わり方を模索し始めます。世にある素敵なものを見つけ出して、編集して紹介する仕事がしたい、と方向を固め、お店を開くことを目指し、奮闘する日々が始まります。

objects店内。現代の作り手の作品を中心に、陶器、ガラス、木工、織物といったさまざまな工芸品が並ぶ
objects店内。現代の作り手の作品を中心に、陶器、ガラス、木工、織物といったさまざまな工芸品が並ぶ

夢への第一歩はオンラインショップの開設

資金を貯める日々の中、親友に夢を打ち明けた佐々木さん。すると、『まずはホームページだけでやってみたら?』と、提案されました。

「今から10年以上前。経験を積むために就職先を探すにも、工芸を扱うお店は個人経営のところばかりで、そもそも求人が見つけられず、雇われて学べる機会自体がほぼない状態でした。たしかにオンラインショップはアリだなぁと思いました」

そこで、将来実店舗を持つことを踏まえてオンラインショップを開店します。

開店して知る、大変さ、喜び

——— 実際に始めてみて、いかがでしたか?

「実際にやってみて、よかったなと感じたのは、直接作り手とつながれたこと。就職していたらすぐには経験のできなかったことです。仕入れから全て自分の仕事で、売れない分も自分に跳ね返ってくるので、100パーセント自分ごとです。すごく大変ということもわかりましたが、やはりすごく好きで、この道で生きていきたいと改めて思いました」

愛知県の「瀬戸本業窯」の器
愛知県の「瀬戸本業窯」の器

いきなり突撃?!作家さんとの関係づくり

工芸品店で働いた経験のないまま、ツテもなく、ゼロからオンラインショップを始めた佐々木さん。今から10年以上前、当時はまだスマートフォンもなく、インターネット通販も今ほど充実していなかった時代。きっと苦労も多かったはず。どのように作家さんとつながり、販売をしていったのでしょう。

「もう、いきなり突撃!でしたね。初対面ではない場合でも、2〜3回訪れた程度、顔見知りになったくらいの方々に、『こういうお店を始めるので、取引してください!』と相談に行きました。

とにかく、その人の作品が好きという思いと、将来的には実店舗を構えてやりたいということを熱心に伝えました。ただそれだけです」

——— 熱いですね。

「本当にそれしかなかったですね。 (笑)

ネットでの販売に馴染みのない作家さんも多く、僕の話を聞いても何を言っているかよくわからないという方が多かったです。それでも、思いが通じて取引をして頂けたことはありがたかったですね」

岐阜のガラス工芸作家、安土忠久さんの作品。オンラインショップ開設当時からの付き合いの作家さんのお一人。最近になって「あなたがやりたいことがやっとわかってきた」と言ってくれたのだとか
岐阜のガラス工芸作家、安土忠久さんの作品。オンラインショップ開設当時からの付き合いの作家さんのお一人。最近になって「あなたがやりたいことがやっとわかってきた」と言ってくれたのだとか

「サイトは友人に作ってもらったのですが、どうしたら多くの人に見てもらえるかもわからないまま試行錯誤しました。商品を撮るために買ったカメラも最初は全然使い方がわからなくて、とにかく必死でしたね」

自信なんてない。でも、まずは‥‥

7年間のオンラインショップ運営を経て、実店舗の開店。お店を構えようと思える自信がついたり、実際に動き出すきっかけはあったのでしょうか。佐々木さんからは思いがけない言葉が飛び出します。

「ネットでお店をやってみて、ずっとこのまま安定してやれそうだという実感や自信を持つことはなかったです。原価率など考えると、なかなか儲からない仕事だと、よくわかったというのが正直なところでした。お店は安定して経営し続けられていましたが、来年もこのまま安定かどうかなんてわからない。いつでも傾くこともありえる。『よしやれる!』と手放しで思ったことは未だにありませんね」

——— ‥‥やれる自信がないままお店を構えるというのは、とても勇気がいる事に感じます。どういった経緯で実店舗に踏み出したのですか?

「僕は『やってみないと気が済まない』タイプだったからかも。まずは1回夢を叶えてみようと。それから、この物件に巡り会えたことが大きかったなと思っています」

日没直後のお店の外観。空も川も美しいブルーで目を奪われました
日没直後のお店の外観。空も川も美しいブルーで目を奪われました

「この場所に呼ばれた」そうとしか思えない

——— 巡り会えた経緯を伺えますか?

「元々は、地元の埼玉で物件探しをしていました。でも、なかなか良いものに出会えなかった。物件の数はあるのですが、『この場所でやりたい!この建物が良い!』というものがなかったんです。開店するのにお金もかかるし、暗礁に乗り上げてしまいました。

そんな時に、ふと、以前訪れたことのあった、この建物を思い出したんです。遠く離れた場所だったので、リアリティはなかったのですが、かっこいい建物があったな、と。

その時は本当に思い浮かんだだけだったのですが、ダメ元で思い切って持ち主に聞いてみました。すると、すんなりと『良いよ』という返事がもらえた。その上、近くにあった祖母のものだった家に住んで良いという思いがけない状況も加わりました。それで、現実的なコストのことなども考えて、もうここでやるしかないでしょう、と」

佐々木さんの姿

——— まさに運命!そこがアクセルを踏むタイミングだったんですね。

「そうですね。埼玉で物件がなくて、ここもダメだったら、今どうなっていたかわかりません。物件を検討していた頃には、徐々に工芸品を扱うお店も増え始めていたので、どこかに就職していたかもしれません。自分ではもしかしたらやらなかったかも、なんて思います。

何かに『呼ばれた』と言いますか、自分で探して巡り会えたのではなく、導かれたというか、そんな風に思っています」

店内で使われているガラスの照明。岐阜のガラス作家 安土草多 (やすだ・そうた)さんの作品。販売もされていました

「焦っても仕方がない」、地道な発信が少しずつ実を結ぶ

念願の実店舗。しかし、決して幸先のいいスタートと言えるものではなかったそうです。知らない土地での新しいチャレンジ、不安も多い中でどのような心持ちで乗り越えられたのでしょうか。

「元々、焦っても仕方がないという思いがありました。こういうお店をよそ者が始めた場合、すぐに定着するわけがないと思うので。かといって、旅行雑誌に載せたり広告を出すようなことはしたくないという意地もあって、こういうものが好きで、来たいと思う人に来てもらえたらいいと、ただそれだけでやっていました」

——— 焦らずやっていく中で、じわじわ知られていくきっかけ、足がかりになったことは何だったのしょう?

「なんだろう‥‥。陽子さん、なにか思い当たる?」

すると、声をかけられた陽子さんからは、こんなお答えがありました。

「私はブログだと思います。毎日コツコツと更新して発信し続けていたから。作家さんが百貨店の方から『松江のブログ見ましたよ』と言われたり、何かを検索していたらうちのブログを見つけたというお客様がいらっしゃったり。画像検索をしても、自分たちが撮った写真が出て来たりするので、積み重ねが身を結んだのではないかと感じます」

佐々木さんと夫婦二人三脚でお店を切り盛りする陽子さん
佐々木さんと夫婦二人三脚でお店を切り盛りする陽子さん

——— 打ち上げ花火的に広告を打つのではなく、日々の地道な発信がカギだったのですね。

「そうですね。あとは、最初の1年は、イベントも何もしなかったのですが、1周年記念の企画以降、作家さんの個展や企画展をするようになりました。そうするとDMを作ってお客様に配ったり、飲食店などにDMを置いてもらえるように相談したり。そういうことを通して、少しずつ広がっていくところもありました。ごく当たり前のことではあるのですが」

ラオスで村の人々と布作りをしている谷由起子さんの仕事。谷由起子さん率いるHPEの作品展も店内で行われた
ラオスで村の人々と布作りをしている谷由起子さんの仕事。谷由起子さん率いるHPEの作品展も店内で行われた

「作家さん、作品の魅力をとにかく伝えたい」

——— ブログやSNSでの佐々木さんの発信を拝見していると、自分のお店のアピールではなくて、素敵なものや作家さんを紹介したいという気持ちが伝わって来ます。そこが読んでいて気持ちよくて、共感したり興味を持ったりするきっかけになっているように感じました。

「とにかくものが好きで、『これいいじゃん!』ということだけを言いたいんです。僕のことはどうでもよくて、作家さんやものの魅力を広く伝えたい、その思いが表れているのだとしたら嬉しいです」

佐々木さんが「ショップカードの番人」と呼ぶ動物作品の展示スペース。写真に登場したのは土人形の猫親子。売れると次なる番人が配置される。インスタグラムでその時々の番人が可愛らしく紹介されていて、フォロワーからも好評
佐々木さんが「ショップカードの番人」と呼ぶ動物作品の展示スペース。写真に登場したのは土人形の猫親子。売れると次なる番人が配置される。インスタグラムでその時々の番人が可愛らしく紹介されていて、フォロワーからも好評

「みんな移住してきたらいいのに」、暮らしやすく美しい街、松江

——— お店を出されて6年半、松江で暮らし始めて7年ほどと伺いましたが、実際暮らしてみていかがですか?

「必死にお店を作り上げて来たので、仕事してばかりで‥‥。まだこの土地について知らないことも多く、よくカミさんと二人で『長い旅行に来てるみたいだね』なんて話しているんです。 (笑)

まだまだ知らないことばかりですが、すごく好きですね。島根の中で松江は比較的都会でもあるので、暮らすのに便利です。官公庁もまとまっているし、商業施設も充実していて自転車圏内でだいたいのことは済ませられます。

食べ物は美味しいし、自然もあるし、海も山も近い。お店の側には宍道湖もあって景色は美しいし、すごく心地よく暮らせる環境です。住んでいて気持ちがいいですね。

手に職をつけていたり、どこでも仕事できる人だったら、みんな移住して来たら良いのにと思います。飛行機だと、空港まで行く時間を含めても2時間半もあれば東京と行き来できる環境なんですよ」

窓の外には川の様子が臨める
窓の外には川の様子が臨める

わがままな仕事だからこそ大切にしている、嘘のないお付き合い

松江をとても気に入って暮らす佐々木さん。一方で、移り住んできた頃は、とっつきにくさを感じたり、心にダメージを受けることもあったと言います。

「移り住んで、お店を始めた当初は、シャイというか、とっつきにくい人が多い印象があり、心が折れそうになることもありました。自分がよそ者だという意識もあるので、余計にそう感じた部分もあったのだと思います。

2度目に会った時はフレンドリーにしてくれる方も多かったので、少しずつこの環境に慣れていきました」

——— 移住してすぐの慣れない時期だからこその苦労というものもあるのですね。めげずに土地に根を下ろして行くときに、何か意識していたことはありますか?最初の反応が暖かくないと心が折れてしまうこともあると思うのですが。うまくバランスをとっていく上でやっていたことなどあれば教えてください。

「合わない相手とは無理に打ち解けようとしないというのは、埼玉に住んでいた頃から思っていることでした。こちらに来てもそれは同じです。

この仕事は、特殊な商売だと思うのです。好きなものを扱うというわがままな仕事。趣味が全然合わないであろう人と無理につきあってもお互いにとっていい関係ではないですよね。お互い疲れてしまうような無理な寄り添い方はしない。

ここでお店を開いていて、興味を持って来てくださる方や、何度も来てくださる方がいたら合う方かもしれない。そういった方々と少しずつ関係を築いていく。無理のない、嘘のないお付き合いをしたい、そう思ってやってきました」

店内で仕事中の佐々木さん

——— 移住やIターンということへの気負いのようなものはなかったですか?

「そうですね。埼玉で始めるように、この場所で始めたかった。誰かに媚びることもなく、自然に無理なく。合わなかったら辞める可能性もあっていい。そんな風に思っていました」

自分が良いと思うものを発信することが恩返しになればいい

「とはいえ、この場所でできなかったら、諦めていただろうなと思います。

好きなものを扱う、という贅沢な仕事をさせてもらっている今、そんな自分にできることは、心から気に入ったものだけをセレクトして紹介すること。売れるものだから扱うのではなく、『良い!』と思うから、好きだから紹介する。そのことが、同じものを好きな人の役に立ったり、作家さんとの新たな出会いにつながったら‥‥。それがせめてもの恩返しになればいいなと思いながらやっています」

お客様のはけた隙間時間。こうして店内の作品を撮影し、ブログやSNSで日々紹介している
お客様のはけた隙間時間。こうして店内の作品を撮影し、ブログやSNSで日々紹介している

移住を目的化せず、やりたいことの先に移住という選択があったお二人。試行錯誤しながらチャンレンジし続ける、素直な熱意と嘘のないお付き合いを大切にする、そうしてうまくいったら感謝して、自分にできる恩返しを考えてみる。自分にも相手にも誠実に向き合っていれば「どこにいても大丈夫、きっと道は開ける!」そんなメッセージを受け取った気がします。

佐々木さんご夫妻

佐々木創さん

1979年生まれ、埼玉県出身。

島根県松江市にある、器と生活道具の店「objects」店主。現代の作り手の作品を中心に、陶器、ガラス、木工、織物といったさまざまな工芸品を扱っています。セレクトの基準は、存在感のあるもの、直感で「かっこいい!良い!」と感じたもの。

objects

松江市東本町2-8

0852-67-2547

営業時間:11:00〜19:00

不定休

文・写真:小俣荘子

「この漆器がつくれるなら、どこへでも。」移住して1年。職人の世界と、産地での暮らしを聞きました。

出会いは東京のセレクトショップ。「人、募集してませんか?」数日後には正座して電話をかけていた。

越前漆器の産地、福井県鯖江市河和田地区にある「漆琳堂」。

「暮らしの中で気軽に使い続けてもらえるものをつくりたい」と、2013年にスタートした「お椀や うちだ」には、漆器のイメージをくつがえすカラフルでかわいらしいお椀が並びます。

その佇まいにひと目惚れして、いまここで「塗師(ぬし)」として経験を積んでいるのが、嶋田さんです。「幼いころから、ものづくりにしか興味がなかった」という嶋田さんに、えいっと飛び込んだ職人の世界、産地での生活について聞いてみました。

漆の「う」の字も知らなかった、ふつうの高校生。

「外で遊ぶより家にいるほうが好き。友達や家族のためにと理由をこじつけて、クリスマスカードや小物をつくっていた。そんな子どもでした」。

とにかく手を動かしたいと工芸高校で金属工芸を専攻。楽しかったけど、将来の仕事にしようとまではのめり込めなかった。そんなとき、「未知の物体」と出会う。高校の研修で行った美術館。大きな黒いパネルに、金銀の絵が描かれた現代作家の作品。

「きれい。でも、これなんだろうって」。材料には「漆」の文字。東京に暮らすふつうの高校生は、お椀が漆器だということも知らなかった。

「ウルシ?何それ?知らないものを知りたい。ついでにひとり暮らしもしてみたい」。好奇心と冒険心。そのふたつに背中を押され、翌年には京都伝統工芸大学校に入学した。

「漆を仕事にできるかも」とやっと実感が湧いたのは、卒業制作にとりかかったころ。ところが、理想の仕事などなかなか見つからない。

「京都や輪島の職人に弟子入りするのも、なんかしっくりこなかったんです」。嶋田さんは、いったん東京に帰ることにした。

この漆器がつくれるなら、どこへでも行く。

書店でバイトしながら仕事を探す、悶々とした日々が2年間続いた。ある日、たまたま入ったセレクトショップで嶋田さんに衝撃が走る。見たことのない色とりどりの漆器が並んでいたのだ。

「塗料としての漆の可能性に魅了されていて、卒業制作でつくった漆器も青やピンク。だから、もっとカラフルな漆で生活を楽しくしたいとずっと思っていたんです」。それが目の前にあった。つくっているのは福井県の漆琳堂という会社。ここで絶対働きたい。

「人、募集してますか?」と数日後には正座して電話をかけた。「断られたら漆の道は諦めて、いっそ社会の歯車になっちゃおうと決めていました」。電話に出た専務には驚かれた。求人広告など出していなかったから。「タイミングよく会社も新しい風を求めていて、そこにわたしがまんまと飛び込んできた」と笑う。

3カ月後の8月に採用が決まり、9月には住む場所を決めて、10月に入社した。「移住にはまったく抵抗なし。漆琳堂があれば、どこへでも行く。そんな勢いでしたから」。嶋田さんの職人生活は、突然始まった。

職人だけど会社員。それがなんだか心地いい。

「下地3年、塗り10年…なんて漆の世界ではよく言われるけど、わたしは数ヵ月で刷毛を持たせてもらいました」。最近では、仕上げの「上塗り」のベースとなる「中塗り」を任せてもらえるまでに。もちろん、生産が追い付かないほど忙しいという事情もあるが、伝統工芸の見習いとしては「スピード出世」だ。

ひたすら塗るのが楽しい。全然イヤにならない。それでも、落ち込むことはある。「微妙な力の入れ具合や筋肉の動かし方はまだまだ未熟」と自身を戒める。「今のはイマイチだった。次はこうしてみよう。同じ作業に見えて、同じ作業じゃない。1個塗るごとに発見がある。それが難しくておもしろいところ」だと言う。

この道の大先輩、社長や専務はあくまでも優しく丁寧に教えてくれる。怒鳴られたことなど一度もない。昔ながらの「弟子」というより、見習いの「会社員」という感じ。雇用制度もしっかり整っている。「本当にいい環境で、好きな仕事をやらせてもらっている。感謝しかないですね」。

ゆっくり、だんだん、この土地の人になっていく。

「会社というより、内田家の一員になったみたい」。住む家は専務が探してくれたし、社長の奥さんは野菜やおかずを持たせてくれる。ここではみんなが周囲に気を配り、困っている人がいれば迷わず手を貸す。「それがあたりまえ。わたしもいつの間にかお隣さんに声をかけるようになりました」。

東京生まれの東京育ち。そういうの、面倒じゃなかったのか。「なるべく構わないようにするからね」。先に気を遣ってくれたのは田舎の人のほうだった。「わたしたちが思うより、田舎の人は都会の人をわかってくれている。だから、いい関係が築けていけたんです」。

朝8時に出社して、夕方には仕事が終わる。帰宅して夕飯をつくり、DVDを観てゆっくり過ごす。河和田には移住者の若者もけっこういて、集まってごはんを食べたり、休みの日には福井までドライブに出かけたりもする。「東京では歩くのが好きだったけど、いまは徒歩10分の距離も車で通勤します。3分で着いちゃうんですけどね」という笑顔は、すっかりこの土地の人の表情だ。

ガシガシと使われて、風合いを増す漆器のように。

日用品としての漆器に愛着を感じるという嶋田さん。「もともと漆器は最後の仕上げに手のひらで磨いて艶を出すんです。手あかがつくほど、風合いも増していく。だから、芸術品として眺めるんじゃなく、毎日ガシガシ使ってもらえるものをつくっていきたい」。ガシガシという言葉を繰り返す。漆のイメージを変えたいという思いが伝わってくる。

アクセサリーの企画も出して、いまは試作中。つくりたいものと、手間、コストなどを擦り合わせるのが難しい。「趣味とは違う。プロダクトを商品にする。そのプロセスを専務から学んでいます」。

「職人として生きていくの?」。最後に質問をぶつけてみた。「うーん」。数秒の沈黙のあと、答えてくれた。「まだ、目の前のことで精いっぱい。将来を決めるのは、もうちょっと時間がかかるかも。覚悟がいるし、難しい職業だから。でも、いつか独り立ちできたらかっこいいな」。平成生まれの職人は正直だ。きっとこれからもガシガシ経験を積んで、強くなっていくのだろう。嶋田さんがつくりたかった漆器のように。

嶋田 希望(しまだ のぞみ)さん / 1992年生まれ。24歳。東京都出身
ゆっくりなテンポの音楽が好き。好きな食べものはイチジク。
2015年10月に漆琳堂に入社。現在、塗師(ぬし)として見習い中。
「こだわり過ぎてめんどくさい性格。ほんの細かいところもうまくいかないと、気になって次に進めない。専務に『いつまでやってるん?』と呆れられます」と笑う。

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お椀や うちだ

 

文:ヤスダユミカ
写真:林直美

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