日本にしかないスリップウェアの豆皿。中川政七商店とバーナード・リーチ直伝の「丹窓窯」が提案

おかきが、なんだか格好よく見える。

そう感心したのは、白地に格子柄のスリップウェアに、こんもりと盛られた姿を見た時でした。

丹窓窯のスリップウェア

地元で美味しいと評判のおかきを勧めてくれたのは、うつわの作者であり、丹波立杭 (たちくい) 焼の窯元「丹窓窯 (たんそうがま) 」の8代目、市野茂子さん。

市野茂子さん
市野茂子さん

日本を代表する焼き物産地・丹波で唯一のスリップウェアのつくり手で、そのうつわは暮らしに取り入れやすいと人気です。

多くの窯元が軒を連ねる丹波立杭の町。天気のいい日は、外にもこんな産地らしい風景が広がります
多くの窯元が軒を連ねる丹波立杭の町。天気のいい日は、外にもこんな産地らしい風景が広がります
窯に併設されているギャラリー
窯に併設されているギャラリー
丹窓窯

中川政七商店とつくった新作の「スリップウェアの豆皿」を取材中、どうぞ一息ついて、と勧めてくれたのが先ほどのおかきでした。

バーナードリーチ直伝、丹窓窯のスリップウェア。

スリップウェアは、生乾きの素地にスリップ (化粧土) をかけ、上から櫛目や格子などの模様を描くうつわ。発祥はイギリスです。

スポイトのほか鳥の羽や竹など、細くてしなる道具を使って線を引いていきます
スポイトのほか鳥の羽や竹など、細くてしなる道具を使って線を引いていきます

母国で途絶えていたこのうつわを日本の丹窓窯にもたらしたのは、柳宗悦らと共に日本の民藝運動をけん引したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチ。

昭和42年、運動に賛同し民藝協会に加盟していた丹窓窯をリーチが訪問したことで、窯に転機が訪れます。

ギャラリーに展示されていた訪問の様子
ギャラリーに展示されていた訪問の様子

「セントアイヴィス (リーチ窯のあるイギリスの地名) に来ないか」とのリーチの誘いで、茂子さんのご主人で7代目の市野茂良さんが渡英。リーチが復刻に力を入れていたスリップウェアを、直々に学びました。

窯の看板のかたわらにも、スリップウェアが
窯の看板のかたわらにも、スリップウェアが

「帰国後は主人のスリップをわたしも手伝っていたので、これならできるかなと」

茂良さんが亡くなり跡を継ぐと決めた時、色々な技法のうつわを幅広くやるよりも「これで行こう」と茂子さんが決めたのが、スリップウェアでした。

「もともと丹波には『墨流し』という技法があって、スリップウェアに似ているんです。そういう馴染みの良さもあって」

下地の釉薬が乾かないうちに違う色の釉薬を垂らして、左右にうつわを振って模様をつくる「墨流し」。茂子さんが以前見かけた古いうつわには、スリップウェアのように網目の模様もあったそう
下地の釉薬が乾かないうちに違う色の釉薬を垂らして、左右にうつわを振って模様をつくる「墨流し」。茂子さんが以前見かけた古いうつわには、スリップウェアのように網目の模様もあったそう

茂子さんが8代目を継ぐと、お茶碗や小皿など、それまでの丹窓窯になかった日用の食器のスリップウェアが登場するように。

「イギリスではもともとオーブンに入れるようなお皿とか、大きなものが多いんですね。水差しやピッチャーとか。

だから古いうつわを見ると、ダダッと模様が入って、どちらかというと男性的な力強い印象というかね」

ギャラリーにあった大皿のスリップウェア
ギャラリーにあった大皿のスリップウェア

「でも私は細かいものの方が性に合っているみたいでね。お茶碗とか小皿とか、小さいもののスリップをつくることが多いですね」

丹窓窯

「描く面積が小さいから、線の加減なんかはちょっと難しいんですけど、うち独特のスリップができているんやないかなと、最近は思っているんですよ」

実際の様子を見せていただきました。

「スリップウェア」になる前のうつわ
「スリップウェア」になる前のうつわ

小さな小さなスリップウェアができるまで

模様の下地になる化粧釉をうつわの表面にかけます
模様の下地になる化粧釉をうつわの表面にかけます
丹窓窯のスリップウェア

「生がけと言ってね。かけているときに指のあととか、そういうのが残るんでね。

そのままで乾かして焼いて、指のあとが入ったりしているものも多いんですが、私は、そういうのはあまり好きじゃないから」

スポンジでひょいっ
スポンジでひょいっ

「ちょっと、こうやって修正するんですよ」

大皿のスリップウェアは電動や足を使ってロクロを回して模様をつくるのに対し、小さなうつわは手ロクロで線を引いていきます
大皿のスリップウェアは電動や足を使ってロクロを回して模様をつくるのに対し、小さなうつわは手ロクロで線を引いていきます
スポイトで線を描いたら‥‥
細い竹ですっすと格子柄にしていきます
こちらはフリーハンドで曲線を描いていきます
こちらはフリーハンドで曲線を描いていきます
完成!
完成!
描きたては線が立体的に、ぷっくりしています
描きたては線が立体的に、ぷっくりしています
茶色い下地のバージョンも
茶色い下地のバージョンも

「豆皿というのは、日本の文化ですからね。イギリスにはこういう小さなサイズのスリップはなかったですね。

これはうちでも一番小さいサイズ。色と模様は、はじめての組み合わせです」

焼きあがるとさらに小さい!
焼きあがるとさらに小さい!
白っぽい線は、焼きあがると黄色に
白っぽい線は、焼きあがると黄色に
こちらは下地が黄色に
こちらは下地が黄色に
おせんべいが載っていたうつわの豆皿バージョン
おせんべいが載っていたうつわの豆皿バージョン

「丹波は白や黒、灰釉 (はいぐすり) とか落ち着いた色味の釉薬が多いんですが、スリップにするとそこに模様が入って、パッと華やかになるというかね。そういうところが好きですね」

ギャラリーにはさまざまなスリップウェアが並ぶ
ギャラリーにはさまざまなスリップウェアが並ぶ

丹波の系譜を受け継ぎながら、本場イギリス仕込みの、日本にしかない小さな小さなスリップウェア。

丹波焼 丹窓窯の豆皿

箸置きや、調味料受けやお菓子皿に。もちろんおせんべいを取り分けてもいいな。

スリップウェア入門に、はじめての丹波焼の一枚に、友だちに勧めたくなりました。

<掲載商品>
丹波焼の豆皿 (丹窓窯)

<取材協力>
丹窓窯
兵庫県篠山市今田町上立杭327
079-597-2057

文・写真:尾島可奈子

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マニアックすぎる金沢案内。『金沢民景』仕掛け人と行く

この橋の名前、わかりますか?

こういう個人のお宅にかかっている橋、なんと呼ぶかわかりますか?

金沢民景

「私有橋って言うんですよ」

本を作るまではそういう名前があることすら知らなかった、と語るのは『金沢民景 (みんけい) 』主宰の山本周さん。

金沢民景

「金沢の街って、住んでいる人が自分で家の周りをカスタムしているような面白さがあるんです」

と、住民が作り出した景色=「民景」を金沢市内のあちこちから見つけ出して紹介する、ローカルマガジン『金沢民景』を発行しています。

金沢民景

今日はそんな山本さんが実際の「民景」を案内してくれることに。マニアックすぎる金沢案内、始まります!

金沢民景

現地へ赴く前に伺った『金沢民景』の事務所で伺ったインタビューの様子はこちら:「ローカルマガジン『金沢民景』で、街の『名前を知らないアレ』の面白さにハマる」

バルコニーの「進化」

出発前に伺って印象的だったのが「進化」というフレーズ。

金沢市内にある事務所にて
金沢市内にある事務所にて

「例えばバルコニーが家ごとにカスタマイズされていたりするのを、僕らは『進化』って呼んでいるんです。

おそらくは土地の事情とか気候が関係して、独特の変化をしているんですね。

これから見に行く私有橋は、金沢だけじゃなくほかの土地にもあるんです。でもやっぱり地域ごとに珍しい橋があったりします」

ということで今日案内いただくテーマは「私有橋」に決定。

金沢民景

「本当に、その土地独自の進化を遂げているんですよね。見に行ってみましょう」

噂の現場に到着

幹線道路から一筋奥まった住宅街。大通りに背を向けるようにして建っている家々の、その背中にあたる勝手口側には、小さな用水路が流れています。

今日の探訪の舞台はその用水路と、脇に沿って続く小道。そして両者をつなぐ「私有橋」です。

金沢民景

これが噂の私有橋。

言われないと見逃してしまいそうですが、奥へ奥へと小道をどこまで行っても橋が続く風景は、立ち止まってみると確かに、見応えがあります。

山本さんの集計によると、700メートルの間になんと60もの橋がかかっているそう。

「例えば大通りのお店に行くには、勝手口から出た方が近いですしね。そういう事情もあったのかもしれません」

お隣どうし

なんどもこの場所に足を運んで取材してきた山本さん。それぞれの私有橋について、嬉しそうに教えてくれます。

金沢民景

「この手すり、かわいいじゃないですか。シンプルで」

にこにこしながら示してくれたのは「私有橋」号の表紙を飾った橋。

金沢民景
金沢民景
こうなりました

「素材や色使いも、みんな違うんですよ。ここはアルミ製の角材に板貼り、ここはコンクリート」

こんなタイプや
こんなタイプや
こちらはコンクリートタイプ
こちらはコンクリートタイプ
板一枚タイプ
板一枚タイプ
色付きのものも
色付きのものも
こちらは色あざやかな赤い橋
こちらは色あざやかな赤い橋

「面白いのが、お隣どうし、なんとなく似ているんです」

金沢民景
確かにお隣どうし、姿かたちが‥‥
似ている!
似ている!
幅や角度も似ている‥‥
幅や角度も似ている‥‥

山本さんの推測によると、お隣のを見てうちもやろうとなると、自然とどこに頼んでいるかを聞く。「じゃあ紹介しましょう」と同じ大工さんに頼んだりして、それで似てくるんじゃないか、とのこと。

「反対に、あっちは赤だからこっちは青にしようかなとかもあるかもしれませんよね。そうやって周りと折り合いをつけながら生まれてきたのが、この私有橋の『民景』だと思います」

味わいのある青い橋
味わいのある青い橋

取材はべた褒めから

ところで『金沢民景』の紙面は、1ページに1民景のスタイル。

金沢民景

魅力的な場所に出会ったら、その「民景」を作った人(多くはその家の住人の方)にカスタマイズの経緯などをたずね、写真にコメントをつけて掲載します。

「この橋とか中々ない色使いですよね。メンバーがご主人に聞いたら、塗り替え用にエメラルドグリーンのペンキ、いくつもストックしてあるそうなんです」

軽快なエメラルドグリーンの橋
軽快なエメラルドグリーンの橋

楽しそうに語る山本さんですが、いまのご時世、家のことを急に聞かれて怪しまれたりしないんでしょうか?「あなたたち一体何なんですか?」みたいに。

「はい、怪しまれます (笑)

でも僕ら、いつも見つけた嬉しさで興奮したまま訪ねて、べた褒めするところから話がはじまるんです。

そうすると住民の方も、のってきてくれて。少しずつお話を聞かせてもらうんです」

暮らす人たちにとっては当たり前の風景。

取材中も住民の方が何気なく通りかかる
取材中も住民の方が何気なく通りかかる

こんな風に「面白い」「素晴らしい」と目をキラキラさせながらたずねられたら、きっと民景の作り手さんも嬉しい気持ちになるのではと想像します。

自分の家の軒先をちょっと楽しくしたい

現在15冊目に突入した『金沢民景』。

金沢民景

金沢の地で独自の進化を遂げた「よくあるけれど切り取るとユニークな風景」の中に、山本さんはある発見をしたそうです。

金沢民景

「街づくりっていうと、どこか偉い人や自治体がやるものってイメージが強いですよね。

市が条例を定めてコントロールするもの、とか建築家や都市計画の専門家が設計図引いてつくるもの、とか」

金沢民景

「でも僕らが集めているものって気づいたら、住んでいる人のちょっとしたアイデアで出来た街並みだったんです。

自分の家の軒先をちょっと楽しくしたいとか、家の裏に用水があるから橋を架けるんだけど、ただ架けるだけじゃつまんないから物干し台にしちゃおうとか」

物干し竿が設置されている私有橋
物干し竿が設置されている私有橋
奥の植木の花とお似合いの赤い橋
奥の植木の花とお似合いの赤い橋

「そういう細かいアイディアの積み重ねだけで出来ている街並みがある。『それってすごいな、自分達の手で街をつくれるんだ』ってある時思いました。

僕たちの身近なところに、住んでいる人たちの手で育ってきた風景が、たくさんあることに気がついたんです。

金沢の場合は特に、大きな天災や戦火の被害が近代なかったので、途切れずに『進化』が続いてきた。

『金沢民景』では、そういう一つの時代だけでは語りきれない金沢を、伝えていきたいなと」

金沢民景
これらは一体、どんな背景から「進化」してきたのでしょう

「自分が快適に住むことで街の風景も面白くなる。住んでいる人がそう思い始めたら、街も変わってくるだろうし、面白くなりそうだなって思うんです」

金沢民景

住民が作り出した「民景」はきっとどの街にもあるはず、と山本さんは語ります。

いつかのれん分けした姉妹版が他の街から出たら、面白そうですね。

<取材協力>

金沢民景
https://kanazawaminkei.tumblr.com/

2月17日まで、東京恵比寿のアートショップ NADiff a/p/a/r/t で『金沢民景』のフェアが開催されています。

文:尾島可奈子

写真:mitsugu uehara

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ローカルマガジン『金沢民景』で、街の「名前を知らないアレ」の面白さにハマる

パステルカラーが愛らしい小さな冊子は、ちょうど葉書サイズ。

金沢民景

表紙に書かれた特集タイトルは、どの号もなんとも不思議です。

「門柱」や「たぬき」、「キャノピー」 (って何‥‥?) など。

金沢民景

毎号「金沢の路上で見つけた◯◯」という前書きが小さく付いています。

実はこれ、『金沢民景』という金沢のローカルマガジン。

一冊100円というお手頃な価格や目を引くデザインもさることながら、何と言ってもユニークなのは、その中身です。

1ページにひとつ「金沢のどこか」の写真がどんと載り、かたわらに解説文が少し。

金沢民景

シンプルな写真と文なのですが、撮った人の「また面白いもの見つけちゃった」という声が聞こえてくるようで、ページをめくるたびに驚いたり笑ったり忙しい。

さらにローカルマガジンなのに、撮ったものがどこにあるかは書いていません。読み手が冊子片手に金沢の街なかで、自力で出会うしかないのです。

一体どんな人が、どんな思いでこの本を作っているのだろう。

ミシンの音が響くとある場所で。

仕掛け人にお話を伺いに金沢の事務所をたずねると、ダダダダ、とミシンの音が聞こえてきました。

金沢民景

「手が空いた時にまとめて縫うんです、普通の洋裁ミシンで。多い時は3台か4台くらい並べて、メンバーみんなで一気に製本します」

招き入れてくれた人こそ『金沢民景』の仕掛け人、山本周さん。取材と文章、全体の取りまとめ役です。

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

ちょうど製本の真っ最中だった奥さんの知弓 (ともみ) さんは、あのパステルな表紙をはじめ、全体のデザインを手がけます。

山本周さんの奥様、知弓 (ともみ) さん

ほか数名のメンバーと4年ほど前にはじめたのが『金沢民景』の活動。

「フリーペーパーだと捨てられちゃう。

ワンコインで500円か100円かで言ったら100円でしょって、ざっくり決めちゃった。でも自分達の製本する作業とか入れたら赤字です (笑) 」

金沢民景
金沢民景
1点1点お手製です
金沢民景

「この号とか、作るの大変だったなぁ」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

苦笑いして山本さんが手に取るのは「アプローチ階段」というタイトルの号。

金沢民景

金沢市内のとある坂の町の様子を特集した号で、初版限定で坂道の見取り図が見開きで綴じ込まれています。かなり手の込んだ作り。

こんなに凝った作りで100円とは‥‥!
こんなに凝った作りで100円とは‥‥!

他の号も「腰壁」、「バーティカル屋根」、「キャノピー」などなど、それだけでは何なのか、わからないタイトルばかり。

金沢民景

ところがどれも、金沢市民にとっては「あぁ、あれね」とおなじみの景色。

これぞ山本さんたちが金沢市内で見つけてきた「住民が作り出した風景」、金沢民景です。

無くなってしまう前に

「僕は大学が金沢だったんですよ。

卒業後は東京で6、7年働いて、独立して設計の仕事を始めていました。

ちょうど北陸新幹線が金沢に通った頃に、こちらに来るタイミングがあって来てみたら、大学の頃に好きだった風景が、だいぶ変わっていたんです。

ホテルがずらっと立ち並んでいたり、いいなと思っていた路地が都市公園に整備されていたり。

なんだかちょっとやばいな、これ無くなっちゃうと思ったんです」

もともと街なかの風景を撮るのが好きだった山本さんは、それから金沢の、自分の好きな景色をひたすら撮影するように。

金沢の風景を撮影する山本さん

移住も決め、設計の仕事は続けながら、現地の旧友や大学の先生にも『一緒にやりましょうよ』と声をかけていきました。

ウェブから紙に変えて、見えてきたもの

「最初は、この風景を人に伝えたいと思ってウェブページを作ったんです。地図に風景をプロットして、見たいところを開くと写真が見れるような」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

ところが地図で見せるだけでは、なんだかよくわからない。

メンバーのアイディアで本にまとめなおすことを決めた時、集まってきた写真のなかに「似た風景」があることに気がつきました。

住民が風景をカスタマイズする

例えば家の裏の用水路に掛けてある、小さな橋。

家の裏の用水路に掛けてある、小さな橋

雨雪の多い金沢で、移動に便利な車をすっぽり覆えるように作られている、軒先の大きな庇 (これがキャノピー) 。玄関前の立派な門柱。

どれも見たことがあるけれど、家ごとにちょっとずつ違う。

「住んでいる人が自分で家のまわりをカスタマイズしている風景が、たくさんあることに気づいたんです。

そういうのを『門柱』とかテーマ別にまとめられそうって盛り上がって、最初に5冊分ぐらいまとめて作ってみました」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん
事務所にはバックナンバーがずらり
事務所にはバックナンバーがずらり

はじめに考えたのは「子供百科事典」のようなイメージだったそう。

「表紙に写真がどんと載っているような。でもなにせ対象が地味なので、どうも面白くなかったんです」

金沢民景の仕掛け人、山本周さんと奥さん

「試行錯誤して、写真じゃない方がいいのかもと。思い切ってこういうカラフルなデザインになりました」

下から順に、百科事典バージョン、黄色い「たぬき」号は写真なしの試作品、そして現在の姿へ
下から順に、百科事典バージョン、黄色い「たぬき」号は写真なしの試作品、そして現在の姿へ
葉書サイズの、大きな変化です
葉書サイズの、大きな変化です

3年間コツコツと取材を重ね、街なかの風景に色と名前を付け、どんなガイド本にも載っていないような金沢の「顔」を、これまで15の特集におさめてきました。

金沢民景

江戸でも現代でもない金沢

「わかりやすさもあるのか、金沢の魅力って江戸時代のもので語られることが多いんですよね。

でもこの街は大きな戦火や天災の被害があまりなかったので、江戸以降も色んな時代のものがずーっと染みついているんです。面白いものが本当はたくさん残っているはずで」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

「だから江戸でも現代でもない、今までみんな触れてなかったような金沢の魅力をおもてに出したいなと思って、今は100冊を目指して本を作っています」

なぜ100冊かというと、と山本さんが示したのは「私有橋」の号。

金沢民景

「名前を知らないアレ」の面白さに気づく

「本を作る時にはじめて、この家ごとに掛かる橋に『私有橋』って名前があることを知りました」

家の裏の用水路に掛けてある、小さな橋

「こうやって街なかの、よく分からないものに名前がちゃんとあることに気づいたりしていくと、次に街を歩くときに『あ、私有橋だ』って見るようになる。そういうのが面白いんじゃないかなって。

金沢の街を歩く山本周さん

「でもテーマが20とか30だと、自分達の知っている言葉で本を作っちゃいそうで。

それを圧倒的に凌駕する冊数を作ることで、自分達の知らなかった街が見えてくるんじゃないかと思っています」

この対象物をぴったり表す言葉はなんだろう、を毎号考えます
この対象物をぴったり表す言葉はなんだろう、を毎号考えます

「だから、目指せ100冊。最後には背表紙を糊付けして、1冊の本にしようってひそかな構想があります」

金沢民景

そんなわけで、『金沢民景』を片手に、山本さんと実際の「民景」を訪れてみることに。次回、マニアックすぎる金沢案内をお届けします。お楽しみに。


後編はこちら:「マニアックすぎる金沢案内。『金沢民景』仕掛け人と行く」

金沢の街を歩く山本周さん

<取材協力>
金沢民景
https://kanazawaminkei.tumblr.com/

2月17日まで、東京恵比寿のアートショップ NADiff a/p/a/r/t で『金沢民景』のフェアが開催されています。

文:尾島可奈子

写真:mitsugu uehara

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こんにちは。細萱久美です。

2月は旧暦で如月。若干読みにくい漢字ですが、「きさらぎ」と読みます。響きの美しい言葉ですね。

語源には「衣更着(衣を更に着る)」「生更木(草木が生えはじめる)」ほか諸説ありますが、旧暦の2月は現在の3月半ばにあたるので、「寒さがぶり返して、一旦脱いだ衣を更に着る月」という意味がしっくりきます。

新暦の2月は全国的に1月に次いで寒く、地域にもよりますが降雪日や雪の量は2月が最も多いそう。体感的にも雪が多いように感じます。

芯まで冷える日も少なくない2月は、寒がりの私は防寒対策が欠かせません。家で過ごす際や睡眠時も、なるべく快適でいられる工夫をしています。

寒い時期は、寝る前に生姜紅茶を飲むのも体内から温まるので習慣にしていますが、寝間着にプラスして定番となっているのが今回ご紹介する「あしごろも」です。

あしごろもは、靴下の生産量日本一の産地、奈良県広陵町にある岡本株式会社が展開するブランドです。岡本は靴下専業メーカーとしては国内最大手で、扱うブランド数も多く、量販店やスポーツアパレル系に強い企業です。

量産に強いイメージの中で、ある意味逆を行く、オーガニックでアナログなブランドのあしごろもも展開しているのは興味深いところです。

あしごろもは靴下を中心に、腹巻き、腹巻きパンツ、レッグウォーマーなどインナー寄りのアイテムが充実しており、一番の特徴は百年無農薬の自然栽培綿を手紡ぎした糸で編まれている点です。

熟練の職人でも1日に200グラム、靴下にして3足分しか紡げないそうで、中川政七商店の手績み手織り麻にも相通じるものがあります。

甘撚りに手紡ぎすることによって、ふっくらと空気を含んだ糸になりますが、どうしても不均一の太さになり、編み機に通すのも一苦労。そこで岡本の靴下製造60年以上のノウハウが活かされ、編み機をゆっくり回すことで、柔らかく編み上げることが出来るとのこと。

時間も掛かれば大量には作れない、でもこの肌触りの良さは類を見ないあしごろもブランドを大切に育てていることに、商売のバランスを感じたり、アナログ好きな私は単純に好感を抱いています。

睡眠時の寒さ対策に欠かせないアイテム

ラインナップの中でも、睡眠時の寒さ対策に欠かせないのが、「おやすみソックス」と「あったか腹巻」。

ソックスは名前にも付いているように、おやすみの際におすすめです。厚手なので温かく、履き口は緩めで締め付け感は一切ありません。ルームソックスとしても優秀ですが、断然おやすみ時にお試しいただきたいです。

寝ている時は無意識なので、窮屈感や蒸れなどの不快感があると、いつの間にか脱いでしまいますが、おやすみソックスだと朝まで脱ぐことなく、眠りをサポートしてくれます。

そして、あったか腹巻は手編みでは?と思うほどのボリューム感と、良い意味での不均一感が特徴。若干の伸縮糸が入っているのと、ゆったり編んでいるので、びっくりする程伸びが良く、しかも締め付けはありません。

手紡ぎの糸は空気を含むことで温かく、通気性も保たれるので、素肌に付けても蒸れずに馴染みます。乾燥や蒸れ、締め付けなどの刺激がすぐにかゆみになる体質なので、それらに悩むことなく安眠を助けてくれるのはありがたいです。

褒め過ぎのようですが、強いて言えば、かなりナチュラルなデザインなので私の外着にはちょっと向かないのと、甘撚りのためか少し毛玉になりやすいのですが、家で履く分には問題ありません。

一つの機能に発揮していれば十分と言えます。また、このあしごろもには、種類によって補修糸も付いているので穴があいても補修して長いこと使えます。いまだ穴があいたことが無いのですが、あいても確かに捨てられない、自然のぬくもりを感じさせる如月の暮らしの道具です。

<掲載商品>
岡本株式会社
あしごろも

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

※こちらは、2017年1月10日の記事を再編集して公開しました。寒い日が続きます。備えを万全にお過ごしください

妖怪「付喪神」は立春にやってくる

2月に入りました。もうすぐ立春。

旧暦では節分を境に冬が終わり春がはじまる、あたらしい一年のスタートです。

とても明るい節目ですが、古道具たちにとってはある意味「運だめし」ともいえる時。

室町時代に物語が成立したとされる『付喪神絵巻』によれば、作られてから100年をすぎた道具には魂が宿り、人を惑わす「付喪神 (つくもがみ) 」となる、と信じられていたのです。

立春は年が改まる節目。人々が付喪神の言い伝えを嫌って、立春より前、年の瀬の煤払いの際にせっせと古い道具を捨てるシーンから、『付喪神絵巻』は始まります。

煤払いの様子。みんな忙しそうです
煤払いの様子。みんな忙しそうです

「長年お仕えしてきたのに道端にこんな風に捨てるなんて、ひどい‥‥!」

諌める者もありましたが、捨てられた道具たちの哀しみは人間への恨みにかわり、立春を待って仕返しを企てます。

恨みつらみをどう晴らそうか、と相談中の古道具たち。すでに目や足が付き始めているのが、わかりますか?
恨みつらみをどう晴らそうか、と相談中の古道具たち。すでに目や足が付き始めているのが、わかりますか?

節分の夜、望み通り力を得た古道具たちは、次々と妖怪へと姿を変えていきます。

その姿がこちら。

見事、妖怪になった古道具たち
見事、妖怪になった古道具たち
人を襲っては酒盛りをし歌い舞う、どんちゃん騒ぎです
人を襲っては酒盛りをし歌い舞う、どんちゃん騒ぎです

完全に人型のものもあれば、原型を残している姿も見受けられます。

たとえば、この妖怪。なんの道具か分かりますか?

この形、手に持っているものからして‥‥
この形、手に持っているものからして‥‥

手にこんもりとご飯が盛られたお茶碗を持っているので、なんとなく察しがつきます。

杓子、もしくはしゃもじのようですね。

絵巻を巻き戻ると、ゴミ捨て場に向かう少年の手に、杓子のようなものが
絵巻を巻き戻ると、ゴミ捨て場に向かう少年の手に、杓子のようなものが

杓子はちょうど『付喪神絵巻』のお話が成立したとされる室町時代に、ちょっとゆかりのある道具です。ここからは杓子に注目してみましょう。

杓子としゃもじの違い

杓子もしゃもじも、その名前が文献などに登場するのは室町時代からだそうです。

今では主にご飯をよそる道具を指す「しゃもじ」ですが、実はこの時代に現れた「女房詞 (にょうぼうことば) 」で「杓子」を意味する言葉でした。

「女房詞」とは、室町時代に宮中に仕えた女房たちが使い始めたという、いわば仲間内だけの隠語。

上品な言葉として次第に庶民の女性にも広まったものが、現代の言葉にもわずかに残っています。

そのひとつがしゃもじ (杓文字) 。元は杓子もしゃもじも同じものを指していたんですね。

原型は奈良時代にも

汁ものやご飯をよそる道具は古くからあり、奈良時代には取分け用と個人用の小さなものが用いられていたそうです。

個人用のものは次第に食卓から姿を消して、お医者さんが薬を調合するための「匙 (さじ)」に形を変え、取分け用のものだけが、杓子として残っていったようです。

嫁姑問題をとり持つ?杓子の民俗あれこれ

実は食材をとり分ける杓子のくぼみ部分は、神霊の宿るところとして神聖視されていたそうです。

ちょうど先日取材した飛騨高山の有道杓子は、すくい部分の波のような模様が美しく印象的でした
ちょうど先日取材した飛騨高山の有道杓子は、すくい部分の波のような模様が美しく印象的でした

神聖な力を持つ道具として、神社に杓子を奉納して願掛けする風習も各地で見られます。宮島の厳島神社が有名ですね。

さらに食物を分配する「杓子」は、家族の食をつかさどる主婦の重要な道具。「主婦権の象徴」とされてきました。

台所を守る杓子
台所を守る杓子

とくに大晦日の食物分配は神聖視され、この夜に杓子をお姑さんからお嫁さんに渡す「杓子渡し」の儀式が、各地で行われてきました。「台所は任せたわよ」ということですね。

妖怪となった杓子は、大晦日を迎える前に捨てられてしまったわけですが (もしかしたらもう何十年も前に、そんな儀式の瞬間に立ち会っていたかもしれません) 、杓子ひとつ取ってみても、今に繋がる面白いエピソードがたくさんあります。

これからはお話とともに絵巻に登場するキャラクターたちに注目して、その元の姿だった暮らしの道具にまつわるお話をちょっとずつ、ご紹介したいと思います。


文:尾島可奈子
出典:国立国会図書館デジタルコレクション「付喪神記」

※こちらは、2018年2月4日の記事を再編集して公開いたしました。

薩摩焼を代表する窯元「沈壽官窯」で手に入れたい白薩摩

作家・司馬遼太郎が通った、小さな村の窯元

工房を訪ねて、気に入った器を作り手さんから直接買い求める「窯元めぐり」。

今回訪れる窯元は、鹿児島県日置市にあります。鹿児島市内から西へ西へとバスに揺られて美山 (みやま) というバス停に降り立ちます。

すぐそばにあるのが、「沈壽官窯 (ちんじゅかんがま) 」。国の伝統的工芸品指定を受けている「薩摩焼」を代表する窯元のひとつです。

ゆるやかな坂道を登っていくと‥‥
ゆるやかな坂道を登っていくと‥‥
「工房」の看板とともに白い建物が
「工房」の看板とともに白い建物が

木々に囲まれた丘の上の工房は、窯元というよりさながら小さな美術館のよう。

窓の向こうに人の姿が
窓の向こうに人の姿が
熱心になにか作業をされています
熱心になにか作業をされています

大きく開かれた窓越しに、職人さんらしき人の姿が伺えます。

「朝の仕事は、社員全員でこの庭を掃除することから始まるんですよ」

出迎えてくれたのは沈壽官窯、営業担当の瀬川さん。

ぐるりと見渡すと、きれいに掃き清められた庭には小さな石碑が建っています。

工房を囲む庭の片隅に、石碑と案内板が立っています
工房を囲む庭の片隅に、石碑と案内板が立っています

「故郷忘じがたく候 文学碑」。

作家、司馬遼太郎が、現当主の先代にあたる14代沈壽官氏を主人公に綴った作品の、出版記念碑です。

タイトルにある「故郷」とは、はるか海の彼方にある朝鮮の地のこと。

ここ沈壽官窯は、1598年 (慶長3年) 、豊臣秀吉による2度目の朝鮮出征 (慶長の役) の際に、当時の薩摩藩主、島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工のひとり、沈当吉から数えて15代続く薩摩焼の窯元です。

「初代をはじめ薩摩にたどり着いた陶工たちは、この美山の地が祖国に似ているとの理由で、この地に住みついたと言われています」

以来、沈壽官窯は島津家おかかえの御用窯として発展してきました。

沈壽官窯の代名詞、美しい白薩摩

「あれが白薩摩、あちらが黒薩摩です」

瀬川さんが窓の奥を示しながら説明してくれたのは、地元では白もん、黒もんとして親しまれる薩摩焼の種類。

白薩摩を作陶中
白薩摩を作陶中
こちらは黒薩摩。土の色がはっきりと異なります
こちらは黒薩摩。土の色がはっきりと異なります

中でも美しい白い器が、沈壽官窯の代名詞です。

先ほど見かけた職人さん。こんな大きな白薩摩に、細かな絵付け作業中でした!
先ほど見かけた職人さん。こんな大きな白薩摩に、細かな絵付け作業中でした!

「黒薩摩と白薩摩の違いは、土に鉄分を含んでいるかいないかの違いです。

鉄分を含んだ桜島の火山灰が降り注ぐ鹿児島では、黒っぽい土ばかり採れていました」

鹿児島のシンボル、桜島の噴火の様子
鹿児島のシンボル、桜島の噴火の様子

「そこで島津家から白い焼き物を作れと命を受け、初代沈当吉たちは7年の歳月をかけて白い土を探したそうです。

ようやく見つけた白土で器を焼き、島津家に差し出すと、喜んだお殿様がその功績をたたえ、薩摩焼と名付けた。これが薩摩焼の始まりだと文献に残っています」

当時の日本は、朝鮮の美しい白磁器に強い憧れを抱いていました。しかし、鹿児島では磁器に適した土は見つからず、陶工たちは陶器で白い器を作ったのです。

喜んだ島津家はこれを独占し、民間には黒い器の使用だけを許しました。

黒薩摩の器
黒薩摩の器

こうして薩摩の地に、藩御用達の白薩摩と、庶民が使う黒薩摩が生まれます。

実は鹿児島には他にも白黒の対になっているものが多いのですが、薩摩焼はまさにその筆頭と言えます。その一部は「白黒はっきり鹿児島巡り。旅の秘訣は色にあり?」の記事でもご紹介しました。

御用窯の生きる道

工房はよく見ると、工程ごとに部屋が分かれています。これも実は島津家の「戦略」の名残だと聞いて驚きました。

「万が一陶工が他の藩に取られてしまった時に、分業制にしておけば器を完成させることができません。それで島津家は完全な分業制を窯に命じました。

今でもろくろを回す人はろくろを、絵付けの人は絵付けだけを生涯専門で行うのが、沈壽官窯の伝統です」

こちらの職人さんは絵付け中
こちらの職人さんは絵付け中

職人さんは、陶芸の学校を出て入門する人が大半とのこと。現当主である15代が、本人の希望とその仕事ぶりを見て任せる工程を決めるそうです。

若い人も多い印象です
若い人も多い印象です

成形で基本の形を作ったら、白薩摩は「透し彫り」や「絵付け」の工程に進みます。

「透し彫りは幕末から明治を生きた12代沈壽官が生み出した技術です。何種類もの道具を使い分けて、土がやわらかい内に表面に穴をあけていきます」

職人さんの手の向こうに、息を呑むような作品の設計書が置かれていました。これが透し彫りの作品です
職人さんの手の向こうに、息を呑むような作品の設計書が置かれていました。これが透し彫りの作品です

「形が整ったら、次は絵付けです。白薩摩の絵付けは、幕末の名君として知られる島津斉彬 (しまず・なりあきら) の命で始まりました。これを成功させたのも12代の時代です」

一番のベテランという絵付けの職人さんが、ちょうど透し彫りの器に模様を入れている最中でした
一番のベテランという絵付けの職人さんが、ちょうど透し彫りの器に模様を入れている最中でした

この繊細な透し彫りと絵付けの技術は、明治以降の窯の命運を助けました。

最大のお得意様であった薩摩藩がなくなったのち、沈壽官窯は海外の万博で美術工芸品として高い評価を受け、その名を世界に知られるようになったのです。

今回はその工程を、特別に中からも見学させてもらいました。

世界が称賛した透し彫り

透し彫りは土の乾燥を防ぐために、器全体は濡れたタオルやビニールを巻いて、必要な部分だけ露出させて行われます。

こちらの職人さんは、上手にタオルを破って活用していました
こちらの職人さんは、上手にタオルを破って活用していました
写真;まず大まかに穴をあけて、そこから道具を持ち替えて丸を四角く整えていきます
まず大まかに穴をあけて、そこから道具を持ち替えて丸を四角く整えていきます
穴あけのための道具がずらり
穴あけのための道具がずらり
この網目状の生地も、すべて手作業で穴をあけているとのこと‥‥くらっとします
この網目状の生地も、すべて手作業で穴をあけているとのこと‥‥くらっとします

失敗の許されない絵付け

部屋の入り口には色見本のついた甕が置かれていました。

色見本のついた甕

絵付けは、素焼きした器に色別に模様を描いたのち、窯で焼いて色を焼き付けます。

色によってきれいに発色する温度が違うため、色ごとに描いては窯の温度を変えて焼き付ける、を繰り返すそうです。なんて途方もない工程!

音楽を聞きながら作業に集中
音楽を聞きながら作業に集中
こちらも目がチカチカするような細かい作業です
こちらも目がチカチカするような細かい作業です

生き物は生きているように作る、飾り

先ほど透し彫りの部屋で飾りがついた器を見かけました。伺った日に職人さんが取りかかっていたのは、タツノオトシゴ。

小さくてこの距離だと見えませんが‥‥
小さくてこの距離だと見えませんが‥‥
手の中に小さなタツノオトシゴが!
手の中に小さなタツノオトシゴが!

こうした飾りは設計図があるわけではないので、図鑑などを参考にしたり、時には実際に見に出かけたりもするそうです。

部屋の本棚にはずらりと参考書籍が。本を参考にしつつも、生き物は「やはり生きた姿を見ないと本物らしくならない」とのこと
部屋の本棚にはずらりと参考書籍が。本を参考にしつつも、生き物は「やはり生きた姿を見ないと本物らしくならない」とのこと
道具も職人さんが自分で作ります
道具も職人さんが自分で作ります

二つの国のあいだで

施設をぐるりと巡ったところで、瀬川さんに「訪ねてきた人にどんなところを楽しんでほしいですか?」と伺いました。

「もちろん技術も見てほしいのですが、何より、この空間そのものを楽しんでもらいたいですね。

ここは日本のような、朝鮮を思わせるような、不思議な空間だと思います」

正面玄関。奥には日韓の国旗と、朝鮮の守り神の像が立っています
正面玄関。奥には日韓の国旗と、朝鮮の守り神の像が立っています

「初代がここに窯を築いた当時、島津家は陶工たちに朝鮮で暮らしていた通りの生活を命じたんです。ですから今でも朝鮮式の呼び名のついた道具なども残っています」

ろくろの部屋にあった、古式にならった様々な道具
ろくろの部屋にあった、古式にならった様々な道具

「それは焼き物の先端を行く朝鮮の器づくりを取り入れる目的ももちろんありますが、もう一つ、彼らや彼らの子供達を、日本語も朝鮮の言葉も話せる通訳として起用する狙いがあったようです。

そのために、もともとの民俗風習を忘れさせないようにしたんですね」

この場所では、何を見ても何を聞いても、あらゆるものが歴史の中の物語につながっていきます。

焼き物の神様をお祭りした朝鮮式の祠
焼き物の神様をお祭りした朝鮮式の祠
司馬遼太郎と14代がよく語らっていたという縁側
司馬遼太郎と14代がよく語らっていたという縁側
参勤交代の道中にお殿様が宿泊したというお仮屋。あの篤姫も泊まったそう。普段は非公開ですが、そっと中を見せてくださいました
参勤交代の道中にお殿様が宿泊したというお仮屋。あの篤姫も泊まったそう。普段は非公開ですが、そっと中を見せてくださいました
完成品にならなかった陶片の山
完成品にならなかった陶片の山
ろくろ台を生かした庭石
ろくろ台を生かした庭石

美術工芸的な器を作る窯元さんも見てみたい、そんな思いで訪ねた沈壽官窯でしたが、単にものづくりに触れるだけでなく、足元に流れる歴史を肌で感じるような、そんな感覚に終始浸っていました。

歴史の中の器を、暮らしの中に持ち帰る

最後は併設の売店でお買い物を。

売店の様子

私でも買えるものもあるだろうか‥‥とドキドキしていましたが、お土産に買って帰れる手頃な価格のものも多く揃っていました。

注がれると飲み干すまで杯を置けない鹿児島伝統のお猪口、「そらきゅう」もありました
注がれると飲み干すまで杯を置けない鹿児島伝統のお猪口、「そらきゅう」もありました
焼酎の燗付器、千代香 (ちょか) 。黒が有名ですが、白千代香がありました
焼酎の燗付器、千代香 (ちょか) 。黒が有名ですが、白千代香がありました
お茶道具の蓋置き。上品なデザインです
お茶道具の蓋置き。上品なデザインです

「現在は白薩摩と黒薩摩、半々くらいでお作りしていますが、お土産としてはせっかくなので、元々の沈壽官窯を代表する白薩摩がおすすめですね」

一番人気は大きめサイズのマグカップ。金の縁取りがあって4000円台と、白薩摩のなかでは手頃な価格なのも、人気の理由だそうです。

一番人気のマグカップ
黒薩摩も充実しています
黒薩摩も充実しています

そんな陳列の向こうに‥‥

陳列の向こうに、14代の姿

腰掛けていらっしゃったのはなんと、14代その人。

売店でお土産を購入した方に、お礼としていつも、名前入りで品名を一筆書かれているそうです。

筆をとって書かれている様子
思わず見入ってしまいます
思わず見入ってしまいます
売店に置かれていた『故郷忘じがたく候』にも一筆したためていただきました
売店に置かれていた『故郷忘じがたく候』にも一筆したためていただきました

どちらからいらっしゃったんですか、と気さくに声をかけてくださり、少しお話を伺うことができました。

「時代の影っていうのが、焼き物にも差すんですよね。

明治維新によってそれまで大名のものだった薩摩焼が、外国にも輸出され、一般の方にも手にとっていただけるようになりました。

陶工生活60年、こうして居ると、自分の作ったものがあの人の部屋にいって、今頃使われているかなと、色々思うことがあります」

当主を息子さんに譲られた今でも、建築現場を通りがかると、いい土が出ていないか、とつい足を止めて見入ってしまうそうです。

「420年、ずっと異邦人です。それがあるからかえって、焼き物に打ち込めるのかもしれませんね」

3回目となる窯元めぐり。

歴史の中を生きてきた器を、暮らしの中に持ち帰るという、稀有な体験をしました。

<取材協力>
沈壽官窯
鹿児島県日置市東市来町美山1715
099-274-2358
http://www.chin-jukan.co.jp/

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、鹿児島市、公益社団法人 鹿児島県観光連盟

※こちらは、2018年1月20日の記事を再編集して公開しました。