三種の神器、勾玉をつくり続ける出雲の工房へ

三種の神器「勾玉」

今回は、神話のふるさと、出雲のそばで今も作り続けられている「勾玉」のお話です。

前編では今も皇室や出雲大社に勾玉を献上している日本で唯一の作り手・めのやさんのご案内で、勾玉の産地・玉造のパワースポット、玉作湯神社を訪ねました。

ご案内いただいた株式会社めのや5代目の新宮寛人さん。神社の由緒を解説くださっています
ご案内いただいた株式会社めのや5代目の新宮寛人さん。神社の由緒を解説くださっています

自分だけでは気づけなかった神社の見どころに感激していましたが、

「すぐ近くに、昔の勾玉づくりの工房跡や地元の人も知らない勾玉の原石採掘跡が見学できる公園がありますから、見に行ってみましょう」

新宮さんによる勾玉づくりの産地・玉造の案内は次へ次へと続きます。

お参りの後は勾玉のふるさと・玉造をマニアック探訪

まず訪れたのは神社からも徒歩圏内の「出雲玉作史跡公園」。

一面芝生の公園内に、突如として舞台のようなものが現れます。これが勾玉を作っていた工房跡地。

勾玉を作っていた工房跡地。思った以上に広々としていました

また少し歩くと、今度は茅葺の小屋が。実際の工房を再現したものだそうです。

復元された工房も建っていました

さらに離れたところには、かつての工房内を見学できる施設が。広さ、見た目、内部と段階的に展示を分けて設置しているのが面白い。

床がやや斜めになって、四方のくぼみに作業中に使う水が流せるようになっています
床がやや斜めになって、四方のくぼみに作業中に使う水が流せるようになっています

「ここからほど近いところにも、実際に勾玉の原石を採掘していた跡を見られる公園があるんです。行ってみましょうか」

採掘跡、という響きに冒険の匂いを感じて、ぜひ!と新宮さんの車で山道を登ります。

向かった花仙山 (かせんざん) は、見た目はなだらかな里山といった雰囲気。

勾玉の原石であるめのうの中でも希少な青めのうがこの山で見つかったことで、玉造一帯は勾玉づくりの産地として発展していきました。

山の中腹で車を降り、まず目に飛び込んできたのが宍道湖を臨む絶景です。

地元の人も滅多に訪れないという、知る人ぞ知る「めのう公園」。花仙山の中腹にあります。展望台から宍道湖の絶景が

地元の人も滅多に訪れないという、知る人ぞ知る「めのう公園」。新宮さんの後ろをついていくと、何やらトンネルのような場所が見えてきました。

新宮さんの後ろをついていくと、何やらトンネルのような場所が見えてきました
ドキドキしながら、中へ
ドキドキしながら、中へ

この場所こそ、かつての採掘現場の跡。目をこらすと壁に青めのうのような鉱石が見えました。

トンネルの奥は、かつての採掘現場の跡。目をこらすと壁に青めのうのような鉱石が

入り口に戻ると、「採掘の時に出ためのうの破片がこの辺りにあるはずですよ」と新宮さん。「ほらそのあたりに」とトンネル脇の地面を指差します。

トンネル脇の地面を指差す新宮さん。「採掘の時に出ためのうの破片がこの辺りにあるはずですよ」

宝探し気分で地面を見ていくと…あ!

あ、あった!本物の青めのうです
あ、あった!本物の青めのうです

古墳・弥生時代から花仙山で始まっていためのうの採掘。伺ってきた勾玉づくりの歴史と自分のいる現在が、指先で繋がったような感じがしました。

勾玉の作り方を今につなぐ工房へ

歴史にとっぷりと身を浸した後は、今、実際に行われている勾玉づくりの現場へ。

宍道湖ぞいに建つめのやさんのファクトリーショップ「いずも勾玉の里伝承館」を訪ねます。

ガラス張りの工房で、湖を背景に職人さんたちが手を動かす姿はまさに玉造の勾玉づくりを象徴しているようです。

ガラス張りの工房から、宍道湖が見渡せる

「めのう細工を行っているところは他の地域にもありますが、勾玉が作れる職人がいるのは、全国でもうちだけです」

その人数はわずか4人。今回は特別に工房内に入って、その勾玉づくりの様子を間近で見せていただきました。

始まりはこんなフラットな板状です
始まりはこんなフラットな板状です
大小さまざまな勾玉の原型。天然のものなので、色味に個体差が出て同じものはふたつとないそうです
大小さまざまな勾玉の原型。天然のものなので、色味に個体差が出て同じものはふたつとないそうです
大まかに形を切り出した後は、段階的に道具を変えながら研磨を繰り返します。摩擦熱を抑えるため片手で水を含ませながら、形と表面を整えていきます。
大まかに形を切り出した後は、段階的に道具を変えながら研磨を繰り返します。摩擦熱を抑えるため片手で水を含ませながら、形と表面を整えていきます。
穴を穿いているところ
穴を穿いているところ
使う道具も様々
使う道具も様々
だんだんと形になってきました
だんだんと形になってきました
研磨の板をより粒度の細かいものに変えて磨きをかけます
研磨の板をより粒度の細かいものに変えて磨きをかけます
磨いた部分がわずかに色が変わっているのがわかります
磨いた部分がわずかに色が変わっているのがわかります

5代目玉人の誇り

勾玉づくりゆかりの神社、実際の工房や採掘跡、現在のものづくりの現場と、新宮さんのご案内で玉造の勾玉づくりをめぐってきました。

改めていただいた名刺を拝見すると、新宮さんのお名前の上に「第五代玉人」と記されています。

新宮さんの名刺

「玉人 (ぎょくじん) って、勾玉などを作って献上する人の役職名なんです。祖父も父も、代々玉人を名乗ってきました。

三種の神器は、古代の日本文化の象徴的存在です。そのうちのひとつをやらせていただいているという自負を持って、勾玉づくりを続けています。

勾玉を知れば、そこから日本の古代史や神話が見えてきます。私たちが何を大切にして生きてきたのか。ご先祖様が思い考えていたことに思いをはせるきっかけになればいいなと思います。

他の伝統的な工芸品を作られている職人さんたちにも、ぜひ勾玉づくりを見に来て欲しいですね」

神話にも登場する、日本のものづくりの原点のひとつ。たしかに私も、今回の取材を通して今までと違った視点で三種の神器や神話の世界に親しめました。

出雲を旅するときは、ぜひ一緒に勾玉のふるさと・玉造も訪ねてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
株式会社めのや
https://www.magatama-sato.com/(いずもまがたまの里伝承館)

文・写真:尾島可奈子

※こちらは、2017年10月25日の記事を再編集して公開しました。

日本にしかないスリップウェアの豆皿。中川政七商店とバーナード・リーチ直伝の「丹窓窯」が提案

おかきが、なんだか格好よく見える。

そう感心したのは、白地に格子柄のスリップウェアに、こんもりと盛られた姿を見た時でした。

丹窓窯のスリップウェア

地元で美味しいと評判のおかきを勧めてくれたのは、うつわの作者であり、丹波立杭 (たちくい) 焼の窯元「丹窓窯 (たんそうがま) 」の8代目、市野茂子さん。

市野茂子さん
市野茂子さん

日本を代表する焼き物産地・丹波で唯一のスリップウェアのつくり手で、そのうつわは暮らしに取り入れやすいと人気です。

多くの窯元が軒を連ねる丹波立杭の町。天気のいい日は、外にもこんな産地らしい風景が広がります
多くの窯元が軒を連ねる丹波立杭の町。天気のいい日は、外にもこんな産地らしい風景が広がります
窯に併設されているギャラリー
窯に併設されているギャラリー
丹窓窯

中川政七商店とつくった新作の「スリップウェアの豆皿」を取材中、どうぞ一息ついて、と勧めてくれたのが先ほどのおかきでした。

バーナードリーチ直伝、丹窓窯のスリップウェア。

スリップウェアは、生乾きの素地にスリップ (化粧土) をかけ、上から櫛目や格子などの模様を描くうつわ。発祥はイギリスです。

スポイトのほか鳥の羽や竹など、細くてしなる道具を使って線を引いていきます
スポイトのほか鳥の羽や竹など、細くてしなる道具を使って線を引いていきます

母国で途絶えていたこのうつわを日本の丹窓窯にもたらしたのは、柳宗悦らと共に日本の民藝運動をけん引したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチ。

昭和42年、運動に賛同し民藝協会に加盟していた丹窓窯をリーチが訪問したことで、窯に転機が訪れます。

ギャラリーに展示されていた訪問の様子
ギャラリーに展示されていた訪問の様子

「セントアイヴィス (リーチ窯のあるイギリスの地名) に来ないか」とのリーチの誘いで、茂子さんのご主人で7代目の市野茂良さんが渡英。リーチが復刻に力を入れていたスリップウェアを、直々に学びました。

窯の看板のかたわらにも、スリップウェアが
窯の看板のかたわらにも、スリップウェアが

「帰国後は主人のスリップをわたしも手伝っていたので、これならできるかなと」

茂良さんが亡くなり跡を継ぐと決めた時、色々な技法のうつわを幅広くやるよりも「これで行こう」と茂子さんが決めたのが、スリップウェアでした。

「もともと丹波には『墨流し』という技法があって、スリップウェアに似ているんです。そういう馴染みの良さもあって」

下地の釉薬が乾かないうちに違う色の釉薬を垂らして、左右にうつわを振って模様をつくる「墨流し」。茂子さんが以前見かけた古いうつわには、スリップウェアのように網目の模様もあったそう
下地の釉薬が乾かないうちに違う色の釉薬を垂らして、左右にうつわを振って模様をつくる「墨流し」。茂子さんが以前見かけた古いうつわには、スリップウェアのように網目の模様もあったそう

茂子さんが8代目を継ぐと、お茶碗や小皿など、それまでの丹窓窯になかった日用の食器のスリップウェアが登場するように。

「イギリスではもともとオーブンに入れるようなお皿とか、大きなものが多いんですね。水差しやピッチャーとか。

だから古いうつわを見ると、ダダッと模様が入って、どちらかというと男性的な力強い印象というかね」

ギャラリーにあった大皿のスリップウェア
ギャラリーにあった大皿のスリップウェア

「でも私は細かいものの方が性に合っているみたいでね。お茶碗とか小皿とか、小さいもののスリップをつくることが多いですね」

丹窓窯

「描く面積が小さいから、線の加減なんかはちょっと難しいんですけど、うち独特のスリップができているんやないかなと、最近は思っているんですよ」

実際の様子を見せていただきました。

「スリップウェア」になる前のうつわ
「スリップウェア」になる前のうつわ

小さな小さなスリップウェアができるまで

模様の下地になる化粧釉をうつわの表面にかけます
模様の下地になる化粧釉をうつわの表面にかけます
丹窓窯のスリップウェア

「生がけと言ってね。かけているときに指のあととか、そういうのが残るんでね。

そのままで乾かして焼いて、指のあとが入ったりしているものも多いんですが、私は、そういうのはあまり好きじゃないから」

スポンジでひょいっ
スポンジでひょいっ

「ちょっと、こうやって修正するんですよ」

大皿のスリップウェアは電動や足を使ってロクロを回して模様をつくるのに対し、小さなうつわは手ロクロで線を引いていきます
大皿のスリップウェアは電動や足を使ってロクロを回して模様をつくるのに対し、小さなうつわは手ロクロで線を引いていきます
スポイトで線を描いたら‥‥
細い竹ですっすと格子柄にしていきます
こちらはフリーハンドで曲線を描いていきます
こちらはフリーハンドで曲線を描いていきます
完成!
完成!
描きたては線が立体的に、ぷっくりしています
描きたては線が立体的に、ぷっくりしています
茶色い下地のバージョンも
茶色い下地のバージョンも

「豆皿というのは、日本の文化ですからね。イギリスにはこういう小さなサイズのスリップはなかったですね。

これはうちでも一番小さいサイズ。色と模様は、はじめての組み合わせです」

焼きあがるとさらに小さい!
焼きあがるとさらに小さい!
白っぽい線は、焼きあがると黄色に
白っぽい線は、焼きあがると黄色に
こちらは下地が黄色に
こちらは下地が黄色に
おせんべいが載っていたうつわの豆皿バージョン
おせんべいが載っていたうつわの豆皿バージョン

「丹波は白や黒、灰釉 (はいぐすり) とか落ち着いた色味の釉薬が多いんですが、スリップにするとそこに模様が入って、パッと華やかになるというかね。そういうところが好きですね」

ギャラリーにはさまざまなスリップウェアが並ぶ
ギャラリーにはさまざまなスリップウェアが並ぶ

丹波の系譜を受け継ぎながら、本場イギリス仕込みの、日本にしかない小さな小さなスリップウェア。

丹波焼 丹窓窯の豆皿

箸置きや、調味料受けやお菓子皿に。もちろんおせんべいを取り分けてもいいな。

スリップウェア入門に、はじめての丹波焼の一枚に、友だちに勧めたくなりました。

<掲載商品>
丹波焼の豆皿 (丹窓窯)

<取材協力>
丹窓窯
兵庫県篠山市今田町上立杭327
079-597-2057

文・写真:尾島可奈子

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マニアックすぎる金沢案内。『金沢民景』仕掛け人と行く

この橋の名前、わかりますか?

こういう個人のお宅にかかっている橋、なんと呼ぶかわかりますか?

金沢民景

「私有橋って言うんですよ」

本を作るまではそういう名前があることすら知らなかった、と語るのは『金沢民景 (みんけい) 』主宰の山本周さん。

金沢民景

「金沢の街って、住んでいる人が自分で家の周りをカスタムしているような面白さがあるんです」

と、住民が作り出した景色=「民景」を金沢市内のあちこちから見つけ出して紹介する、ローカルマガジン『金沢民景』を発行しています。

金沢民景

今日はそんな山本さんが実際の「民景」を案内してくれることに。マニアックすぎる金沢案内、始まります!

金沢民景

現地へ赴く前に伺った『金沢民景』の事務所で伺ったインタビューの様子はこちら:「ローカルマガジン『金沢民景』で、街の『名前を知らないアレ』の面白さにハマる」

バルコニーの「進化」

出発前に伺って印象的だったのが「進化」というフレーズ。

金沢市内にある事務所にて
金沢市内にある事務所にて

「例えばバルコニーが家ごとにカスタマイズされていたりするのを、僕らは『進化』って呼んでいるんです。

おそらくは土地の事情とか気候が関係して、独特の変化をしているんですね。

これから見に行く私有橋は、金沢だけじゃなくほかの土地にもあるんです。でもやっぱり地域ごとに珍しい橋があったりします」

ということで今日案内いただくテーマは「私有橋」に決定。

金沢民景

「本当に、その土地独自の進化を遂げているんですよね。見に行ってみましょう」

噂の現場に到着

幹線道路から一筋奥まった住宅街。大通りに背を向けるようにして建っている家々の、その背中にあたる勝手口側には、小さな用水路が流れています。

今日の探訪の舞台はその用水路と、脇に沿って続く小道。そして両者をつなぐ「私有橋」です。

金沢民景

これが噂の私有橋。

言われないと見逃してしまいそうですが、奥へ奥へと小道をどこまで行っても橋が続く風景は、立ち止まってみると確かに、見応えがあります。

山本さんの集計によると、700メートルの間になんと60もの橋がかかっているそう。

「例えば大通りのお店に行くには、勝手口から出た方が近いですしね。そういう事情もあったのかもしれません」

お隣どうし

なんどもこの場所に足を運んで取材してきた山本さん。それぞれの私有橋について、嬉しそうに教えてくれます。

金沢民景

「この手すり、かわいいじゃないですか。シンプルで」

にこにこしながら示してくれたのは「私有橋」号の表紙を飾った橋。

金沢民景
金沢民景
こうなりました

「素材や色使いも、みんな違うんですよ。ここはアルミ製の角材に板貼り、ここはコンクリート」

こんなタイプや
こんなタイプや
こちらはコンクリートタイプ
こちらはコンクリートタイプ
板一枚タイプ
板一枚タイプ
色付きのものも
色付きのものも
こちらは色あざやかな赤い橋
こちらは色あざやかな赤い橋

「面白いのが、お隣どうし、なんとなく似ているんです」

金沢民景
確かにお隣どうし、姿かたちが‥‥
似ている!
似ている!
幅や角度も似ている‥‥
幅や角度も似ている‥‥

山本さんの推測によると、お隣のを見てうちもやろうとなると、自然とどこに頼んでいるかを聞く。「じゃあ紹介しましょう」と同じ大工さんに頼んだりして、それで似てくるんじゃないか、とのこと。

「反対に、あっちは赤だからこっちは青にしようかなとかもあるかもしれませんよね。そうやって周りと折り合いをつけながら生まれてきたのが、この私有橋の『民景』だと思います」

味わいのある青い橋
味わいのある青い橋

取材はべた褒めから

ところで『金沢民景』の紙面は、1ページに1民景のスタイル。

金沢民景

魅力的な場所に出会ったら、その「民景」を作った人(多くはその家の住人の方)にカスタマイズの経緯などをたずね、写真にコメントをつけて掲載します。

「この橋とか中々ない色使いですよね。メンバーがご主人に聞いたら、塗り替え用にエメラルドグリーンのペンキ、いくつもストックしてあるそうなんです」

軽快なエメラルドグリーンの橋
軽快なエメラルドグリーンの橋

楽しそうに語る山本さんですが、いまのご時世、家のことを急に聞かれて怪しまれたりしないんでしょうか?「あなたたち一体何なんですか?」みたいに。

「はい、怪しまれます (笑)

でも僕ら、いつも見つけた嬉しさで興奮したまま訪ねて、べた褒めするところから話がはじまるんです。

そうすると住民の方も、のってきてくれて。少しずつお話を聞かせてもらうんです」

暮らす人たちにとっては当たり前の風景。

取材中も住民の方が何気なく通りかかる
取材中も住民の方が何気なく通りかかる

こんな風に「面白い」「素晴らしい」と目をキラキラさせながらたずねられたら、きっと民景の作り手さんも嬉しい気持ちになるのではと想像します。

自分の家の軒先をちょっと楽しくしたい

現在15冊目に突入した『金沢民景』。

金沢民景

金沢の地で独自の進化を遂げた「よくあるけれど切り取るとユニークな風景」の中に、山本さんはある発見をしたそうです。

金沢民景

「街づくりっていうと、どこか偉い人や自治体がやるものってイメージが強いですよね。

市が条例を定めてコントロールするもの、とか建築家や都市計画の専門家が設計図引いてつくるもの、とか」

金沢民景

「でも僕らが集めているものって気づいたら、住んでいる人のちょっとしたアイデアで出来た街並みだったんです。

自分の家の軒先をちょっと楽しくしたいとか、家の裏に用水があるから橋を架けるんだけど、ただ架けるだけじゃつまんないから物干し台にしちゃおうとか」

物干し竿が設置されている私有橋
物干し竿が設置されている私有橋
奥の植木の花とお似合いの赤い橋
奥の植木の花とお似合いの赤い橋

「そういう細かいアイディアの積み重ねだけで出来ている街並みがある。『それってすごいな、自分達の手で街をつくれるんだ』ってある時思いました。

僕たちの身近なところに、住んでいる人たちの手で育ってきた風景が、たくさんあることに気がついたんです。

金沢の場合は特に、大きな天災や戦火の被害が近代なかったので、途切れずに『進化』が続いてきた。

『金沢民景』では、そういう一つの時代だけでは語りきれない金沢を、伝えていきたいなと」

金沢民景
これらは一体、どんな背景から「進化」してきたのでしょう

「自分が快適に住むことで街の風景も面白くなる。住んでいる人がそう思い始めたら、街も変わってくるだろうし、面白くなりそうだなって思うんです」

金沢民景

住民が作り出した「民景」はきっとどの街にもあるはず、と山本さんは語ります。

いつかのれん分けした姉妹版が他の街から出たら、面白そうですね。

<取材協力>

金沢民景
https://kanazawaminkei.tumblr.com/

2月17日まで、東京恵比寿のアートショップ NADiff a/p/a/r/t で『金沢民景』のフェアが開催されています。

文:尾島可奈子

写真:mitsugu uehara

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ローカルマガジン『金沢民景』で、街の「名前を知らないアレ」の面白さにハマる

パステルカラーが愛らしい小さな冊子は、ちょうど葉書サイズ。

金沢民景

表紙に書かれた特集タイトルは、どの号もなんとも不思議です。

「門柱」や「たぬき」、「キャノピー」 (って何‥‥?) など。

金沢民景

毎号「金沢の路上で見つけた◯◯」という前書きが小さく付いています。

実はこれ、『金沢民景』という金沢のローカルマガジン。

一冊100円というお手頃な価格や目を引くデザインもさることながら、何と言ってもユニークなのは、その中身です。

1ページにひとつ「金沢のどこか」の写真がどんと載り、かたわらに解説文が少し。

金沢民景

シンプルな写真と文なのですが、撮った人の「また面白いもの見つけちゃった」という声が聞こえてくるようで、ページをめくるたびに驚いたり笑ったり忙しい。

さらにローカルマガジンなのに、撮ったものがどこにあるかは書いていません。読み手が冊子片手に金沢の街なかで、自力で出会うしかないのです。

一体どんな人が、どんな思いでこの本を作っているのだろう。

ミシンの音が響くとある場所で。

仕掛け人にお話を伺いに金沢の事務所をたずねると、ダダダダ、とミシンの音が聞こえてきました。

金沢民景

「手が空いた時にまとめて縫うんです、普通の洋裁ミシンで。多い時は3台か4台くらい並べて、メンバーみんなで一気に製本します」

招き入れてくれた人こそ『金沢民景』の仕掛け人、山本周さん。取材と文章、全体の取りまとめ役です。

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

ちょうど製本の真っ最中だった奥さんの知弓 (ともみ) さんは、あのパステルな表紙をはじめ、全体のデザインを手がけます。

山本周さんの奥様、知弓 (ともみ) さん

ほか数名のメンバーと4年ほど前にはじめたのが『金沢民景』の活動。

「フリーペーパーだと捨てられちゃう。

ワンコインで500円か100円かで言ったら100円でしょって、ざっくり決めちゃった。でも自分達の製本する作業とか入れたら赤字です (笑) 」

金沢民景
金沢民景
1点1点お手製です
金沢民景

「この号とか、作るの大変だったなぁ」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

苦笑いして山本さんが手に取るのは「アプローチ階段」というタイトルの号。

金沢民景

金沢市内のとある坂の町の様子を特集した号で、初版限定で坂道の見取り図が見開きで綴じ込まれています。かなり手の込んだ作り。

こんなに凝った作りで100円とは‥‥!
こんなに凝った作りで100円とは‥‥!

他の号も「腰壁」、「バーティカル屋根」、「キャノピー」などなど、それだけでは何なのか、わからないタイトルばかり。

金沢民景

ところがどれも、金沢市民にとっては「あぁ、あれね」とおなじみの景色。

これぞ山本さんたちが金沢市内で見つけてきた「住民が作り出した風景」、金沢民景です。

無くなってしまう前に

「僕は大学が金沢だったんですよ。

卒業後は東京で6、7年働いて、独立して設計の仕事を始めていました。

ちょうど北陸新幹線が金沢に通った頃に、こちらに来るタイミングがあって来てみたら、大学の頃に好きだった風景が、だいぶ変わっていたんです。

ホテルがずらっと立ち並んでいたり、いいなと思っていた路地が都市公園に整備されていたり。

なんだかちょっとやばいな、これ無くなっちゃうと思ったんです」

もともと街なかの風景を撮るのが好きだった山本さんは、それから金沢の、自分の好きな景色をひたすら撮影するように。

金沢の風景を撮影する山本さん

移住も決め、設計の仕事は続けながら、現地の旧友や大学の先生にも『一緒にやりましょうよ』と声をかけていきました。

ウェブから紙に変えて、見えてきたもの

「最初は、この風景を人に伝えたいと思ってウェブページを作ったんです。地図に風景をプロットして、見たいところを開くと写真が見れるような」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

ところが地図で見せるだけでは、なんだかよくわからない。

メンバーのアイディアで本にまとめなおすことを決めた時、集まってきた写真のなかに「似た風景」があることに気がつきました。

住民が風景をカスタマイズする

例えば家の裏の用水路に掛けてある、小さな橋。

家の裏の用水路に掛けてある、小さな橋

雨雪の多い金沢で、移動に便利な車をすっぽり覆えるように作られている、軒先の大きな庇 (これがキャノピー) 。玄関前の立派な門柱。

どれも見たことがあるけれど、家ごとにちょっとずつ違う。

「住んでいる人が自分で家のまわりをカスタマイズしている風景が、たくさんあることに気づいたんです。

そういうのを『門柱』とかテーマ別にまとめられそうって盛り上がって、最初に5冊分ぐらいまとめて作ってみました」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん
事務所にはバックナンバーがずらり
事務所にはバックナンバーがずらり

はじめに考えたのは「子供百科事典」のようなイメージだったそう。

「表紙に写真がどんと載っているような。でもなにせ対象が地味なので、どうも面白くなかったんです」

金沢民景の仕掛け人、山本周さんと奥さん

「試行錯誤して、写真じゃない方がいいのかもと。思い切ってこういうカラフルなデザインになりました」

下から順に、百科事典バージョン、黄色い「たぬき」号は写真なしの試作品、そして現在の姿へ
下から順に、百科事典バージョン、黄色い「たぬき」号は写真なしの試作品、そして現在の姿へ
葉書サイズの、大きな変化です
葉書サイズの、大きな変化です

3年間コツコツと取材を重ね、街なかの風景に色と名前を付け、どんなガイド本にも載っていないような金沢の「顔」を、これまで15の特集におさめてきました。

金沢民景

江戸でも現代でもない金沢

「わかりやすさもあるのか、金沢の魅力って江戸時代のもので語られることが多いんですよね。

でもこの街は大きな戦火や天災の被害があまりなかったので、江戸以降も色んな時代のものがずーっと染みついているんです。面白いものが本当はたくさん残っているはずで」

金沢民景の仕掛け人、山本周さん

「だから江戸でも現代でもない、今までみんな触れてなかったような金沢の魅力をおもてに出したいなと思って、今は100冊を目指して本を作っています」

なぜ100冊かというと、と山本さんが示したのは「私有橋」の号。

金沢民景

「名前を知らないアレ」の面白さに気づく

「本を作る時にはじめて、この家ごとに掛かる橋に『私有橋』って名前があることを知りました」

家の裏の用水路に掛けてある、小さな橋

「こうやって街なかの、よく分からないものに名前がちゃんとあることに気づいたりしていくと、次に街を歩くときに『あ、私有橋だ』って見るようになる。そういうのが面白いんじゃないかなって。

金沢の街を歩く山本周さん

「でもテーマが20とか30だと、自分達の知っている言葉で本を作っちゃいそうで。

それを圧倒的に凌駕する冊数を作ることで、自分達の知らなかった街が見えてくるんじゃないかと思っています」

この対象物をぴったり表す言葉はなんだろう、を毎号考えます
この対象物をぴったり表す言葉はなんだろう、を毎号考えます

「だから、目指せ100冊。最後には背表紙を糊付けして、1冊の本にしようってひそかな構想があります」

金沢民景

そんなわけで、『金沢民景』を片手に、山本さんと実際の「民景」を訪れてみることに。次回、マニアックすぎる金沢案内をお届けします。お楽しみに。


後編はこちら:「マニアックすぎる金沢案内。『金沢民景』仕掛け人と行く」

金沢の街を歩く山本周さん

<取材協力>
金沢民景
https://kanazawaminkei.tumblr.com/

2月17日まで、東京恵比寿のアートショップ NADiff a/p/a/r/t で『金沢民景』のフェアが開催されています。

文:尾島可奈子

写真:mitsugu uehara

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こんにちは。細萱久美です。

2月は旧暦で如月。若干読みにくい漢字ですが、「きさらぎ」と読みます。響きの美しい言葉ですね。

語源には「衣更着(衣を更に着る)」「生更木(草木が生えはじめる)」ほか諸説ありますが、旧暦の2月は現在の3月半ばにあたるので、「寒さがぶり返して、一旦脱いだ衣を更に着る月」という意味がしっくりきます。

新暦の2月は全国的に1月に次いで寒く、地域にもよりますが降雪日や雪の量は2月が最も多いそう。体感的にも雪が多いように感じます。

芯まで冷える日も少なくない2月は、寒がりの私は防寒対策が欠かせません。家で過ごす際や睡眠時も、なるべく快適でいられる工夫をしています。

寒い時期は、寝る前に生姜紅茶を飲むのも体内から温まるので習慣にしていますが、寝間着にプラスして定番となっているのが今回ご紹介する「あしごろも」です。

あしごろもは、靴下の生産量日本一の産地、奈良県広陵町にある岡本株式会社が展開するブランドです。岡本は靴下専業メーカーとしては国内最大手で、扱うブランド数も多く、量販店やスポーツアパレル系に強い企業です。

量産に強いイメージの中で、ある意味逆を行く、オーガニックでアナログなブランドのあしごろもも展開しているのは興味深いところです。

あしごろもは靴下を中心に、腹巻き、腹巻きパンツ、レッグウォーマーなどインナー寄りのアイテムが充実しており、一番の特徴は百年無農薬の自然栽培綿を手紡ぎした糸で編まれている点です。

熟練の職人でも1日に200グラム、靴下にして3足分しか紡げないそうで、中川政七商店の手績み手織り麻にも相通じるものがあります。

甘撚りに手紡ぎすることによって、ふっくらと空気を含んだ糸になりますが、どうしても不均一の太さになり、編み機に通すのも一苦労。そこで岡本の靴下製造60年以上のノウハウが活かされ、編み機をゆっくり回すことで、柔らかく編み上げることが出来るとのこと。

時間も掛かれば大量には作れない、でもこの肌触りの良さは類を見ないあしごろもブランドを大切に育てていることに、商売のバランスを感じたり、アナログ好きな私は単純に好感を抱いています。

睡眠時の寒さ対策に欠かせないアイテム

ラインナップの中でも、睡眠時の寒さ対策に欠かせないのが、「おやすみソックス」と「あったか腹巻」。

ソックスは名前にも付いているように、おやすみの際におすすめです。厚手なので温かく、履き口は緩めで締め付け感は一切ありません。ルームソックスとしても優秀ですが、断然おやすみ時にお試しいただきたいです。

寝ている時は無意識なので、窮屈感や蒸れなどの不快感があると、いつの間にか脱いでしまいますが、おやすみソックスだと朝まで脱ぐことなく、眠りをサポートしてくれます。

そして、あったか腹巻は手編みでは?と思うほどのボリューム感と、良い意味での不均一感が特徴。若干の伸縮糸が入っているのと、ゆったり編んでいるので、びっくりする程伸びが良く、しかも締め付けはありません。

手紡ぎの糸は空気を含むことで温かく、通気性も保たれるので、素肌に付けても蒸れずに馴染みます。乾燥や蒸れ、締め付けなどの刺激がすぐにかゆみになる体質なので、それらに悩むことなく安眠を助けてくれるのはありがたいです。

褒め過ぎのようですが、強いて言えば、かなりナチュラルなデザインなので私の外着にはちょっと向かないのと、甘撚りのためか少し毛玉になりやすいのですが、家で履く分には問題ありません。

一つの機能に発揮していれば十分と言えます。また、このあしごろもには、種類によって補修糸も付いているので穴があいても補修して長いこと使えます。いまだ穴があいたことが無いのですが、あいても確かに捨てられない、自然のぬくもりを感じさせる如月の暮らしの道具です。

<掲載商品>
岡本株式会社
あしごろも

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

※こちらは、2017年1月10日の記事を再編集して公開しました。寒い日が続きます。備えを万全にお過ごしください

妖怪「付喪神」は立春にやってくる

2月に入りました。もうすぐ立春。

旧暦では節分を境に冬が終わり春がはじまる、あたらしい一年のスタートです。

とても明るい節目ですが、古道具たちにとってはある意味「運だめし」ともいえる時。

室町時代に物語が成立したとされる『付喪神絵巻』によれば、作られてから100年をすぎた道具には魂が宿り、人を惑わす「付喪神 (つくもがみ) 」となる、と信じられていたのです。

立春は年が改まる節目。人々が付喪神の言い伝えを嫌って、立春より前、年の瀬の煤払いの際にせっせと古い道具を捨てるシーンから、『付喪神絵巻』は始まります。

煤払いの様子。みんな忙しそうです
煤払いの様子。みんな忙しそうです

「長年お仕えしてきたのに道端にこんな風に捨てるなんて、ひどい‥‥!」

諌める者もありましたが、捨てられた道具たちの哀しみは人間への恨みにかわり、立春を待って仕返しを企てます。

恨みつらみをどう晴らそうか、と相談中の古道具たち。すでに目や足が付き始めているのが、わかりますか?
恨みつらみをどう晴らそうか、と相談中の古道具たち。すでに目や足が付き始めているのが、わかりますか?

節分の夜、望み通り力を得た古道具たちは、次々と妖怪へと姿を変えていきます。

その姿がこちら。

見事、妖怪になった古道具たち
見事、妖怪になった古道具たち
人を襲っては酒盛りをし歌い舞う、どんちゃん騒ぎです
人を襲っては酒盛りをし歌い舞う、どんちゃん騒ぎです

完全に人型のものもあれば、原型を残している姿も見受けられます。

たとえば、この妖怪。なんの道具か分かりますか?

この形、手に持っているものからして‥‥
この形、手に持っているものからして‥‥

手にこんもりとご飯が盛られたお茶碗を持っているので、なんとなく察しがつきます。

杓子、もしくはしゃもじのようですね。

絵巻を巻き戻ると、ゴミ捨て場に向かう少年の手に、杓子のようなものが
絵巻を巻き戻ると、ゴミ捨て場に向かう少年の手に、杓子のようなものが

杓子はちょうど『付喪神絵巻』のお話が成立したとされる室町時代に、ちょっとゆかりのある道具です。ここからは杓子に注目してみましょう。

杓子としゃもじの違い

杓子もしゃもじも、その名前が文献などに登場するのは室町時代からだそうです。

今では主にご飯をよそる道具を指す「しゃもじ」ですが、実はこの時代に現れた「女房詞 (にょうぼうことば) 」で「杓子」を意味する言葉でした。

「女房詞」とは、室町時代に宮中に仕えた女房たちが使い始めたという、いわば仲間内だけの隠語。

上品な言葉として次第に庶民の女性にも広まったものが、現代の言葉にもわずかに残っています。

そのひとつがしゃもじ (杓文字) 。元は杓子もしゃもじも同じものを指していたんですね。

原型は奈良時代にも

汁ものやご飯をよそる道具は古くからあり、奈良時代には取分け用と個人用の小さなものが用いられていたそうです。

個人用のものは次第に食卓から姿を消して、お医者さんが薬を調合するための「匙 (さじ)」に形を変え、取分け用のものだけが、杓子として残っていったようです。

嫁姑問題をとり持つ?杓子の民俗あれこれ

実は食材をとり分ける杓子のくぼみ部分は、神霊の宿るところとして神聖視されていたそうです。

ちょうど先日取材した飛騨高山の有道杓子は、すくい部分の波のような模様が美しく印象的でした
ちょうど先日取材した飛騨高山の有道杓子は、すくい部分の波のような模様が美しく印象的でした

神聖な力を持つ道具として、神社に杓子を奉納して願掛けする風習も各地で見られます。宮島の厳島神社が有名ですね。

さらに食物を分配する「杓子」は、家族の食をつかさどる主婦の重要な道具。「主婦権の象徴」とされてきました。

台所を守る杓子
台所を守る杓子

とくに大晦日の食物分配は神聖視され、この夜に杓子をお姑さんからお嫁さんに渡す「杓子渡し」の儀式が、各地で行われてきました。「台所は任せたわよ」ということですね。

妖怪となった杓子は、大晦日を迎える前に捨てられてしまったわけですが (もしかしたらもう何十年も前に、そんな儀式の瞬間に立ち会っていたかもしれません) 、杓子ひとつ取ってみても、今に繋がる面白いエピソードがたくさんあります。

これからはお話とともに絵巻に登場するキャラクターたちに注目して、その元の姿だった暮らしの道具にまつわるお話をちょっとずつ、ご紹介したいと思います。


文:尾島可奈子
出典:国立国会図書館デジタルコレクション「付喪神記」

※こちらは、2018年2月4日の記事を再編集して公開いたしました。